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ゴビ砂漠が湖だった頃

1 :出土地不明:04/06/21 15:53 ID:GdhPQTYX
そのほとりには、高度な文明があったらしい

220 :月光仮面:2006/08/31(木) 07:35:36 ID:jXSY+0B5
>>219
NHKの「シルクロード」で見たんだが、小河墓遺跡の美人ミイラは北欧、ノルディック、そのいでたちは
アルプスの少女ハイジ、パリのファッションと言ったもので、遺伝子系統はケンブリッジ標準に近いと
されている。葬礼は同時期の黒海北岸から東方のサテム系文化圏、クルガン(木槨墳)地方には全く
見られないもので、死装束は、グリム童話の赤頭巾のかぶるとんがり帽子(フェルト製)を身に付けて
おり、フリギアとか、後の秦始皇帝兵馬俑の戦士の戦闘帽、日本の烏帽子、死装束三角巾と共通している。

221 :月光仮面:2006/08/31(木) 07:48:45 ID:jXSY+0B5
>>220
もし、言語系統がそれ以前ににアルタイ西麓にあり、この頃には南方に移動中であったと見られる
アファナシエフ文化のものとすれば、葬礼は黒海沿岸をトリポリエ・ククテニ文化を破壊しながら
バルカンに進入するサテム系、インド・イラン/アーリア系と似ていたはずであるが全くそうでない。
このことは、もし、赤頭巾の帽子が意味することを考えると、ゲルマン・ケルト・ギリシャ・アナトリア
言語と同じケンタム系である可能性が高く、当時はヒッタイト出現より700年も前のことであることから
トカラ語では内科と考えられる。

222 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:14:54 ID:AaD8M4K6
南西アジア系の書き込みであったと思うが、小河墓の木棺を南西中国の舟形木棺と関連する
のではとするのがあった。確かに、崑崙山系の玉を交易で得ていることから、および、その後
この地方の原住民である羌系が西蔵・雲南に南下することからそれもあるかなとは思ったが、
漏れとしてはアララト山の箱舟遺跡と縦横のサイズが似ている。聖書の記述のノアの箱舟
とも縦横サイズが似ているのではないかと思った。これは後代月支族が祁連山/天山に拘泥
することから、彼らがヒッタイトに近いバン湖、アララト山崇拝を行っていた民族ではないか、
そして、それが周辺の羌・テイ・匈奴の先祖に影響を与え、石板墓が生まれるのかなとも考えた。

223 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:25:53 ID:AaD8M4K6
しかし、小河墓の木棺は舟形の逆、屋根型である。そして堅魚木が蓋いとなっている。
棟持柱となるものがついている。鼻のとんがった、歯を以上に強調した魔よけのお面は
北斉(ほくせい)(550ころ)の蘭陵王長恭のお面、天狗、ナマハゲ、墓標は修験道関係
の魔よけ同様六角形が多い。韓国とか信州の木の柱を削り、面を赤く塗る様式のもの
がある。これはこの文化が後の匈奴圏に影響を与えたことを示すのではないかと思う。

224 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:35:56 ID:AaD8M4K6
中国に対しては夏の時代ではあるが、彩陶、後の殷の青銅器文化に影響を与えたことが
考えられる。これは小河墓が生活空間ではなく墓地であり、生活用具が一切発掘されて
いないため、彩陶があったのかなどは全く不明だが、この小河墓遺跡より更に1500年
ほど前からトルクメニスタンのアナウにおいて出現する狩猟・農耕・牧畜文明があり、
その一部として彩陶がある。これは後の北方からのイラン系の侵入によって無紋土器
にと変化すると言う。こうした彩陶が墓地空間から出土しないといって中原の文化に
影響を与えなかったとはいえない。

225 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:44:22 ID:AaD8M4K6
日本に鉅燕というか、オルドス、内蒙、遼寧方面からこうした文化が流入するのは、燕人衛満が南下したのと
同時期であり、月氏自体も小月氏としてその中に入り馬韓に到達、月支国を作ったのであろう。

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