5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

「チベット大虐殺」   「チベット大虐殺」

1 :名無的発言者:2005/04/27(水) 22:42:18
「チベット大虐殺」

中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、
東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、
2,000人以上を投獄したという。
 殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、
数多く記録に残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、
チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。
 中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、
アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。
またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、
1963年にはおよそ60,000までに減ったという。パンチェン・ラマ10世は、
この地域についてかつて次のように語ったことがある。
「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。
ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。
解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。
あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」
 パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。
「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。
10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。
(中略)こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。」
 1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧された際には、
3日間で10,000〜15,000人のチベット人が殺された。
他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、
1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。

272 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:18:29
民族浄化

これらの異民族のうち、漢族と袂を分けて独立したがっているのがウィグル族と
チベット族である。中国は有無を言わさず「お前らは中国人なんだ、独立なんて
考える必要はない」と武力で恫喝し、同時に漢民族を大量に入植させ、人口比率
を漢民族優位に立たせようとしている。これを民族浄化という。武力を背景に
絶対に独立を認めない中国共産党とチベット、新疆の対立は歴史の闇の部分と
して覆い隠されている。はっきり言ってマイナーな知識である。左翼に染まった
学校で習うようなことではない。これは中国が厳重に、それとなく情報規制して
いることに起因する。

 漢民族は1950年ごろ、ウィグル自治区に漢族を大量に入植。その増殖率は半端
ではなく、当初人口7パーセントだった漢族が91年には40パーセントになり、
ウィグルでの最多民族は漢族になってしまった。ウィグル族が危機感を強める
のも無理はない。
 おまけに民族格差が激しく、漢族は裕福だが、他は大変貧しい。ウィグル族では
反漢運動が高まり、分離独立運動も高まってくる。歴史上イスラム教国との関係が
深く、無宗教の共産主義に染まりにくい。アカにとってイスラムは天敵なのだ。
しかし、中共は軍を背景に絶対独立を許さないかまえである。

 チベットは第二世界大戦後、人民解放軍の侵略を受け、中国の一部として平定さ
れてしまう。1950年代後半には人民解放軍による宗教弾圧が激しくなり、抵抗運動
が高まる。武力衝突することもしばしばで、その度に虐殺が行われた。国際社会は
チベット問題を人権弾圧程度の見方しかしておらず、民族浄化は進行中である。
中国は漢化政策の名のもとに、チベットの文化、伝統、宗教を徹底的に弾圧して
いる。チベット語を禁止し、ペキン語を推奨する、チベット僧を政治犯の名のもと
に拷問、虐殺を今も続けているのだ。ただの人権問題などではなく、民族浄化なの
だと認識する必要がある。彼らは「チベット人」が中国から消えるまで続ける
つもりなのだ。
引用元 http://adolf45d.client.jp/kousyoujyouka.html

273 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:20:52
櫻井よしこ

今、チベットで起きているのは、「エスニック・クレンジング(民族浄化)」です。
コソボでは主に虐殺という形で民族浄化が行われましたが、チベットでは虐殺に
加えて他のことも行われています。
 チベットの総人口は約600万人ですが、中国政府によってすでに600〜720万人と
も推測される漢民族が移住して、チベットに住みついています。チベット人よりも
中国人のほうが多くなっている。そして中国人男性とチベット人女性の結婚が非常
に奨励されています。つまり、血を薄めてチベット人をなくしてしまおうという
動きなのです。それ以外にも、弾圧による拷問などで多くの人が命を落として
きました。その結果、多くの指導者が殺されたり、国外へ逃亡してしまいました。
http://www.cafeglobe.com/news/sakurai/sy00321.html

日本は中国にとって不利になる報道ができない。
中国に支社のある日本のマスコミは
日中記者交換協定によって中国に不利な報道はできない。
日本のマスコミが中国にとって都合の悪い報道をする。
すると、中国はその日本のマスコミの中国支社を
理由も告げずに国外追放する。

日中記者交換協定
正式名を「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」と言い、
当時、中日友好協会会長であった廖承志氏と自民党の
松村憲三衆院議員らとの間で1964年に交わされた協定。

中国を敵視しない。
二つの中国を造る陰謀(=台湾独立)に加わらない。
日中国交正常化を妨げない。
の三点を守れないマスコミは、中国から記者を追放するとしたもの。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%FC%C3%E6%B5%AD%BC%D4%B8%F2%B4%B9%B6%A8%C4%EA?kid=57292

274 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:21:53
【超入門 チベット問題】超簡単
http://www.tibet.to/mondai/mondai1.htm
http://www.tibet.to/mondai/

東トルキスタン
http://uygur.fc2web.com/uygur.index.html
http://www.uygur.org/japan/news.htm
南モンゴル
http://uygur.fc2web.com/south_mongolia.html

【現在のチベットの状況】説明が整理されている
チベット人は繰り返し中国からの独立を訴えてきた。
我々チベット人は非暴力による抵抗運動を行ってきているが、
チベットでは10歳にも満たない子供達が「チベットは独立国家だ」
とか「ダライ・ラマ法王にご健勝あれ」とささやいただけでも、
中国は『母国』を『分裂』をたくらんでいると告発し、
投獄を宣告されることが多々ある。
チベット国旗に似たものを所持するだけで、7年間投獄される。
http://www.tibethouse.jp/situation/

1951年5月23日 中共・チベット17ヶ条協定(偽造印鑑による欺瞞の調印)
http://www.tibethouse.jp/international/19510523_17agreements.html

list to know tibet
捕われている23人
http://www.lung-ta.org/list/profile/profile.html
76名の死亡者リスト('87〜)
http://www.lung-ta.org/list/deathcase/death.html
チベット現代史表
http://www.lung-ta.org/list/history.html
現代チベット写真館
http://www.lung-ta.org/list/todays/exhibition.html

275 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:22:39
「チベット大虐殺」
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・
破壊・強奪・強姦が行われた。15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされ
た。僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした
5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術
によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ
事)」等の民族浄化に力を入れた。生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣
きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。「ジュネーブ法律家国
際委員会」が受理した供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動におい
てばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。(略)彼らは銃殺されたばか
りでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。溺死させられ
たり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、首を吊
って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。又、ある者は生き埋めにされたり、はらわ
たを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の
面前でなされた。犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いら
れた。」とある。
ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、
まぎれも無く中国で、犠牲者は自国民、他国民含め四〜六千万人といわれる。

276 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:26:08
1949年〜1979年の虐殺
チベット亡命政府 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋

中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、
東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、
2,000人以上を投獄したという。
殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に
残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する
1960年のリポートにも多数記載されている。
中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、アムドのカンロ
[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。
またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ
60,000までに減ったという。パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて
次のように語ったことがある。

「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに
違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて
転げ落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだから
お祝いをしろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、
最後には機関銃を掃射した。」
パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。
「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。
10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。(中略)こうした
行為は、人々の心に深い傷を残している。」

1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧された際には、3日間で
10,000〜15,000人のチベット人が殺された。他方、
人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、
1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が
殺されている。
http://www.tibethouse.jp/human_rights/human36.html

277 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:26:46
ところで、ある日のNEWS23を見て、私は大いに肝を潰した。
それは、「ショック」などという言葉では到底言い表せないほどの、
とてつもない衝撃であった。

 その日番組では、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
(ジャック・アリー監督)なる映画の紹介をしていた。
これは、現在もサヨクの好意的黙認の下に進められている、
中国政府によるチベット侵略を糾弾した映画である。
 映画のラストの字幕、

   チベットでは、中国の侵略により百万人以上の住民が殺さ
   れ、六千以上の僧院が壊された

という悲壮な一文が、全てを語っている。
 ところが、番組冒頭部分のナレーションは、何とこう紹介したのである。

   この映画は、中国による「自治権拡大」を描いた…

 …私は言葉を失った。いや、正常な精神の持ち主であれば、
誰でも言葉を失うであろう。かつて、「侵略・進出書き換え事件」をでっち上げてまで、
怒りをあらわにして見せた男のやる事が、これなのだ。
彼等は中国による「侵略」を、「自治権拡大」などという、
一生において複数回聞くことが無いであろう奇天烈な人造語をでっち上げてまで、
擁護しようとしたのである。

 筑紫の真骨頂は、インタビューの後に現われた。
ピットの前では愛想笑いを振りまいて迎合していた筑紫は、
ピットがいなくなった途端、こう言い放った。

   中国の行為を悪と決め付けるのは難がある(筑紫哲也)
http://www.interq.or.jp/world/mado/genshiji/980112/NIMAIJI2.HTM

278 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:27:42
                      ∧∧
       宗主様〜      ,  /支 \     ∧_∧     ∧_∧
     /)ヽ_∧/)      /\ (`ハ´* )   (<`∀´丶/´)  (<`∀´丶/´)
     //-@∀@)      (,☆ ⊂,   ⊂ノ   ヽ 韓  〈    ヽ 北  〈
    .ゝ  朝 ノ       ヽ,/  (, ヽ,ノ    ヽ <⌒,ノ)     ヽ <⌒,ノ)
   と __)_)            し( __)      <_,ノ         <_,ノ
            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   , - ,----、   | よくぞ反革命分子を
  (U(    ) <  処刑してくださいました。
  | |∨T∨    | 中国様に感謝します。ありがとうございます。
  (__)_)     \____________
チベットにおける反中国運動による処刑については有名な話があります。
自分の子供が銃殺される時は両親が立ち会わなくてはならないのです。
そして「反革命分子をよくぞ処刑してくださる」とお礼まで言い、
銃殺の弟の銃弾の代金はその両親が支払わなくてはいけないのです。
http://www.urban.ne.jp/home/hcb02110/DIC/1/●TUSIN1.htm
ブラウザにURLをコピペし、URLの●を規制のため取り除き、ウェブページを表示させる。
中国の公開処刑の例(チベット人ではない)
http://www.peacehall.com/news/gb/china/2004/12/200412130343.shtml

チベット人が多大の犠牲を払って中国について学んだことはたくさんある。
それは、泥棒を中に入れて鍵を掛けてもだめだということだ。
チベットの場合にはそういう要素があった。しかも、
「自分たちがいい人であれば、世の中みんないいように接してくれる」
と自分たちが正義だと信じ込んでしまっていた。
今日本にもそういう方々がたくさんいる。
【講演録】「チベットから見た中国問題」
桐蔭横浜大学教授 ペマ・ギャルポ氏の講演(要旨)
http://www.emaga.com/bn/?2005080081908580007813.3407

チベットからのお客様
http://web2.incl.ne.jp/fujiba/fukei/gawan/gawan.htm

279 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:28:59
中国は基本的に漢民族を異民族の地に入植させる。
(香港の場合は旧宗主国である常任理事国イギリスの監視があるので、
 一国二制度をしぶしぶやっている。もちろん北京が香港の
 マスコミを管理し、行政府の長を勝手に決めて派遣している。)
チベットでは例のとおり例のごとく中国がチベット人男性に対しては
虐殺&強制労働をさせ、チベット人女性関しては避妊手術をした。
そして、チベットに漢民族を入植させた。ところが、結果はうまく行かなかった。
高地にあるチベットでは酸素が薄くて漢民族の赤ちゃんが高山病で
みな死んでしまったからだ。そこで、中国はチベット人女性への扱いを変えた。
チベット人女性と漢民族の男性を混血交配させて、低酸素でも耐えられる
スーパー赤ちゃんを中国は製造し始めた。漢民族との結婚を断る
チベット人女性は、例のとおり例のごとく避妊手術を強制された。

そんなことをやったらチベット人は絶滅してしまうではないか?
そう、そのとおり。中国はチベットを民族浄化しているのだ。
改革解放で市場経済を導入しているといっても
中国は共産党の一党独裁国家だということを忘れてはならない。

ところで、漢民族が日本へ入植するとき、日本は酸素があるから
漢民族と地元の人をわざわざ混血させる必要はない。

告発  非人間的な中国人は赤ん坊を食べる
http://www.tcn●web.ne.jp/~perfect/china.htm
道端に普通に捨てられている赤ん坊。 横を人々が気にも留めずに通る。
http://www.taliacarner.com/deadnewborningutter.htm
原文:http://hk.geocities.com/ennet369/(たまに404になりますが、ある程度間を空ければ復活します)

ブラウザにURLをコピペし、URLの●を規制のため取り除き、ウェブページを表示させる。

櫻井よしこ
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/06/post_349.html

280 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:30:05
亡命チベット人たちが語る非武装中立チベットの真実

 尼僧ガワン・ワンドン (23)
彼女の顔は腫れ上がり、すぐには誰だかわからない程でした。
それからです。彼女の言動がおかしくなったのは。何でもすぐ忘れるようになりました。
記憶もちぐはくになり、変なことを口走ったりするようになりました。
http://www.lung-ta.org/testimony/ngawang_wangdon.html
 ソナム・ドルカ(33)
タムジンと呼ばれる批判集会もありました。文化大革命の時から始まったその集会は、
私にとって恐ろしい見世物のようなものでした。鬼のように怖い顔をした
中国人たちが、僧侶たちをつるし上げて、罵声を浴びせながら殴っていました。
それを周りのチベット人にも強制するのです。誰も止めさせることが出来ず、
目をそむけることも許されませんでした。何故なのか訳が分からず、
「お坊さん、何か悪いことしたの? お坊さんが痛い目にあってるのに、
どうして助けてあげないの?」と両親にいくら尋ねても、
ただ悲しそうに黙っているばかりでした。。
(中略)30分もの間、電流が流され続けることもよくありました。
髪の毛が逆立ち、肉が裂けてしまうのではないかと感じる程、引っぱられるのです。
そして、胃にあるものを全部戻してしまい、血を吐き、鼻血が止まらなくなるのです。
朦朧としてくる意識の中で、さらに辛いことが何度も行われました。
彼らは、電気棒を性器の中に面白そうに突っ込み、私を凌辱したのです。
http://www.lung-ta.org/testimony/sonamdolka.html
 ジャンパ・プンツォ (72)
・幼少のころに出家し、子供のダライラマ法王の遊び相手となる。
・僧侶→還俗→中共と戦うレジスタンス→投獄生活→インド亡命→法王に謁見。
中共支配以前、支配以後のチベットの様子がわかる。
非武装中立のチベットの首都ラサに迫る人民解放軍の様子が書いてある。
http://www.lung-ta.org/testimony/jampa.html

281 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:30:50
 僧侶バグド (32)
ツクラカンのお堂の中に逃げ込んだ僧侶たちにも、否応無しに銃弾は浴びせられ、
御堂の中は血の海と化しました。僧院の屋上で何人かの僧侶が警官と
もみあっているのが見えました。彼らは必死で抵抗し続けていましたが、
やがて無残にも突き落とされてしまったのです。
悲鳴、呻き、中国兵の罵倒の声、辺りは文字通り阿鼻叫喚の様でした。
http://www.lung-ta.org/testimony/bagdo.html
 ダムチュ (35)
それからも「どうか病院に連れて行って下さい」と何度も訴えたのですが、決して
許されませんでした。それから4日後、私は独房の中で子供を流産してしまいました。
隣の独房にいた人が私の叫び声を聞き、看守に知らせました。私は独房から引きずり
出され、病院に連れて行かれました。私は血だらけで、気が狂っていたようでした。
数日後、少し良くなったと思う頃には、また警官が病院の中で尋問を始めました。
一週間後、再び拘置所に戻され、尋問と拷問が果てしなく続きました。
http://www.lung-ta.org/testimony/damchoe.html
 ロプサン・タシ(31)
母のことはあまり覚えていません。父が語ってくれた母のイメージだけがおぼろげに
私の中に残っています。私がまだ幼いときに亡くなったからです。文化大革命の
さなかのことでした。母は何度も批判集会に呼び出され、村の道という道を
白い山高帽をかぶって罵声を浴びさせながら行進させられました。殴られ、小突かれ、
後ろ手に縛れたまま砂利石の上にひざま付かされ、ありとあらゆる屈辱を受けました。
父ははっきりと言わなかったけれど、母はこうして死んでいったのだと思っています。
(中略)ロープで天井からつり下げられたまま、何時間も殴られたこともあります。
彼らは手に握れるものは何でも使って殴るのでした。棍棒、ロープ、ベルト、
鉄のパイプ。気を失う度に頭から水を掛けられました。銃床で目の脇を激しく
打ち据えられたこともあります。一月ほど腫れがひかず、目もよく見えませんでした。
http://www.lung-ta.org/testimony/lobsang_tashi.html

282 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:31:32
 ナムドル・テンジン (30)
私は気を付けて、署名の際には必ず拇印で済ましていましたが、
署名をしてしまった別の尼僧は不幸にも筆跡がビラの筆跡と一致してしまいました。
彼女は散々拷問を受け痛めつけられ、最後には気が狂ってしまいました。
http://www.lung-ta.org/testimony/namdol.html
 ジグメ・ギャンツォ(31)
警官は蹴り、殴り、そして銃床でなぐりました。胃のあたりを何度か強く殴られて
その度に意識を失いました。そのうち、彼らはメタルのついたグローブをはめて殴り
はじめました。額が割れ、おびただしい血が噴き出しました。止めようもなく、
ただただ血が流れ、そのうち、目が見えなくなり、目の前でなにが起きているのか
わからなくなりました。だた音とそして鋭い差し込むような痛みが全身に絶え間なく
感じられるのでした。あなた方はきっと不思議に思うでしょう。人間が同じ人間に
対して、どうしてそこまで惨いことができるのだろうかと。けれども、それは全て
実際に起ったことなのです。全身に今でも残る傷跡が、人がいかに残酷になれるのか
という証拠なのです。
http://www.lung-ta.org/testimony/jigme.html
 ガワン・ジャムチェン(31)
1996年に私が釈放され、その2年後にダプチ刑務所内で政治囚による大きな独立要求の
デモが起きました。10人もの政治囚が拷問や発砲などによって亡くなったと
聞いています。スンラップも腰を撃たれたと聞きました。すぐには病院に連れて
行ってもらえず、看守たちはその傷口に電気棒で電気ショックを加えて喜んでいたとも
聞きました。二日後に病院で治療を受ける事ができ、回復したそうですが、
10年の刑期がさらに2年延ばされてしまいました。
http://www.lung-ta.org/testimony/jamchen.html

283 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:32:39
 ガンデン・タシさん(32歳)
1988年3月5日、私たちガンデン僧院の僧侶に先導されたデモが、パルコル
(ラサ中心部ジョカン寺を囲む右遶道〔チベット仏教の右回りの礼拝をする参道〕)
で始まりました。すぐに、セラ僧院、デプン僧院また他の僧院の僧侶たち、その他
多数の市民が加わりました。デモは、ダライ・ラマ法王の教えに従った平和的な
もので、武器になりそうなものひとつ持ってはいませんでした。
「チベットに自由を!」「ダライラマ法王よ永遠なれ!」「ユロ・ダワ・ツェリンの
釈放を!」と叫ぶ声が響いたのです。まだデモは始まったばかりでしたが、
人民解放軍はすぐさま、群集に向かって銃を撃ち始め、まもなく、
市民が1人射殺されました。
(中略)1998年5月には、ダプチ刑務所内で、囚人たちが「チベットに自由を」と大声で
叫ぶというデモがありました。看守は即座に制裁を加え、囚人2人がその場で
射殺されました。ほかに囚人8人が、唱和に加わったという理由でひどい拷問を受け
結果死亡しました。60人以上の囚人が、拷問で重傷を負い、政治囚8人が
刑期を延長されました。
http://www.lung-ta.jp/spt/spt2000/ganden_tashi.htm

284 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:33:20
 ケルサン・ペモさん(35歳)
私は23歳でした。私たちは「チベットはもともと独立した国だ」
「ダライ・ラマ法王にチベットに帰って来てほしい」「中国人は中国へ帰るべきだ」
などと叫びました。3周したところで逮捕されました。その場で袋叩きにされ、
トラックに投げ込まれて、連行されました。でも、私たちの士気は最後まで
衰えることなく、私は、トラックの荷台に投げ込まれても、ずっと
「チベットに自由を」と叫び続けていました。連行される時、1人の僧侶が、
頭からひどく血を流し、頭の先から足元まで、真っ赤な血が流れ落ちていた光景が
目に焼き付いています。
(中略)一緒にデモをして逮捕された友人の尼僧たちのなかには、この時の拷問が
もとで、右腕が麻痺してまったく使えなくなった人がいます。また、縛られて天井から
吊り下げられ、下から火であぶられて大火傷を負った尼僧がいます。刑務所内で
用を足すための肥桶の前にひざまづかされ、汚物の入った桶の中に頭を突っ込まれる
という仕打ちを受けた尼僧もいます。ひどいことです。私の体験はほんとうに
ささいなことで、もっともっとひどい扱いを受けた人たちがたくさんいるのです。
http://www.lung-ta.jp/spt/spt2000/kelsan_palmo.htm

285 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:37:53
 イシェ・トグデン(34)
今現在千人近くの良心の囚人がチベットの監獄に捕らわれています。その多くはデモに
参加したためです。独立要求のビラを貼った者などもいます。また、ここ数年僧院では
ダライラマ法王を批判するよう強制されています。法王を批判しなかった者、
ダライラマ法王の写真を持っていた者も監獄に送られました。
http://www.lung-ta.org/guchusum/interview_yeshi2.html

インドへ逃れたチベット人亡命者の生活を支えるカンパ、寄付の口座がある。
「自立を目的とした援助」らしい。
>チベット人自らがチベットのために組織したグループ「グチュスムの会」の活動を
>さらに充実させていくため、日本の方々からのご支援をお願いしています。
>拷問の後遺症に苦しむメンバーは多く、その治療費の額は毎月かなりの額に
>なります。どうか、皆さまのご理解とご協力をお願いします。
郵便振替口座 00920-4-153893
口座名  「9-10-3」支援
http://www.lung-ta.org/guchusum/guchusum.html

テレビ朝日のドラえもん募金には黒いウワサがある。
ドラえもん募金→ピース・ウィンズ・ジャパン→北朝鮮送金
ドラえもん募金の実態はこのような悪魔の集金組織だというウワサだ。
ホワイトバンドの寄付もぁゃιぃと聞く。
http://www.wikihouse.com/whiteband/
このグチュスムの会に裏があるのかないのか、私には判断がつかない。
判断がつかないが、チベット人亡命者への募金先を見つけたので投稿する。

286 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:38:35
            /| ♪
       mm   |_| __o__ 人口抑制隊
     〆 中\  || \__/
    ¶(  `ハ´)  (` (`ハ´ )8 <今日はチベット人肉鍋アル
  § ( ヽ) U_,..、_`ハ,,ノi::(/ §    明日は倭人肉鍋アル
 §/ ̄ ̄::と∴;/i/i;;/i;,(#゚;q。); §
  ,/     (/";;:゙`;';:''ヾ);}}゙  \
  | ̄ ̄ ̄ ゙̄;;;ノ ̄';;゙` ̄ ̄ ̄ ̄|
  |                  |
おめでとう!2008年北京オリンピック!
なんと、中国人は未だに人間を食べていた!
http://data.x51.org/x/images/chinese_art_fetous.jpg
http://www.asy●ura.com/2002/war11/msg/982.html
一九八九年二月二十六日付の「ワシントンポスト」紙は、次のような目撃者の証言を
掲載している(訳は『チベット・ニューズ・ダイジェスト』による)。
〈人口抑制隊は、僧院の隣にテントを設営した。村人たちは、
「すべてのチベット人女性は中絶と避妊手術をうけるためにテントに出頭するように。
出頭しなければ重大な結果を招くことになるであろう」との連絡を受けた。
拒絶した女性たちは強制的に連行され、手術されたうえ、術後の処置も受けられなかった。
妊娠数ヶ月になる女性たちは胎児を摘出された。たくさんの女の子たちが泣き叫んでいた。
テントの横には胎児が積み重ねられ、異臭を放っていた。〉
 こうした残虐行為を行ってきた中国に対し、これまでも様々な非難がなされてきた。
しかし、中国政府は、人権の基準は各主権国家内の問題であって、
外部から非難されることは中傷であり内政干渉であるという立場を変えてはいない。
 (改訂新版 チベット入門 ペマ・ギャルポ著 日中出版)
ブラウザにURLをコピペし、URLの●を規制のため取り除き、ウェブページを表示させる。

601 名前:名無しさん@4周年 投稿日:03/07/28 15:03 ID:E5gj2oKG
先日、チベットのTVやってた。
住民の4割が漢族となってしまっていた。
住民にインタビューしていて、最近は豊かになりビールを飲めるようになったと
その人はニコニコして答えていた。漢族の人だが。。

287 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:39:13
軍事力を持たなかったチベットの悲劇
ブラウザにURLをコピペし、URLの●を規制のため取り除き、ウェブページを表示させる。
中国共産党人民解放軍の登場に逃げ惑うチベット人の動画
http://www.kinaboykot.d●k/video.htm
                          _,._λ.,.,,.,,._.,)
                ,      ,,.,.。と(゚'q;゚'iii)@iii;;:`⊃;,,.,.,.,
                        ;;:;:;::(゙;::;メ;∴∵;;ノ
167 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:04/05/08 04:09 ID:jAnrfjdn
先月チベット行ってきたよ。もう街のほとんどは中国人。
チベット人の未婚女性は避妊手術しなければならないので、
もうすぐチベット人は全滅するよ。

171 :番組の途中ですが名無しです :04/05/08 04:11 ID:lWxUbITd
>>167
現代においてひとつの民族を地球上から消し去ろうなんて狂ってる。
マジで日本が近代国家になってなかったら
朝鮮民族も大和民族もまとめてあぼーんされてたかも。
チベット見てると韓国が中国にビクつくのも分かるな

187 名前:167 投稿日:04/05/08 04:21 ID:jAnrfjdn
真面目に行ってきたっての。
チベットの首都?ラサは、メインにポタラ宮がある周りは全て、中国人の住宅地で、
宮の前は高級車が並んでいる。
チベット人は北の一部分に移住地を固定され監視カメラで常時監視されている。
その移住地も数十年のうちになくなるだろう。
チベット民族絶滅とともにな

ほば三十年間中国の銃口の下にチベット人迫害の政策が続いています。
チベット人のよりどころである僧院は破壊され、中国からの核燃料は棄てられ、
経済活動は全て中国に握られ、またチベット人の若い娘さんは強制的に
避妊手術を受けさせられ子供が産めなくなっている地域もあるくらいです。
http://www.urban.ne.jp/home/hcb02110/DIC/1/●TUSIN1.htm

288 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:41:04
新しい中国の指導者 胡錦涛国家主席は毛沢東に回帰するチベット・天安門の虐殺屋

胡錦涛の経歴をみると、中国共産党エリートとして順調に出世の階段を駈け上
っていることは事実である。しかしその経歴の中で、たった一つ「戦い」を経
験していることを忘れてはならない。
 チベット自治区党委員会書記だった1989年、ラサ暴動に遭遇。戒厳令を
敷いて徹底的に弾圧した。それが胡の「勲章」となった。チベット自治区党委
の任期明けの92年10月には、党中央政治局常務委員に「三段跳び」で昇格
したことをみると、この勲章がいかに大きな意味を持ったかが分かる。
 おそらく胡錦涛がラサ暴動に遭遇したのは、単なる偶然ではない。胡がチベ
ットに派遣されたのは88年12月だったが、その年3月にも、ラサでチベッ
ト人デモと治安警官隊が衝突、少なくとも24人が死亡する事件があった。8
9年3月10日は、ダライ・ラマのチベット独立宣言に至ったラサ暴動の30
周年にあたる。その対策要員として、胡が急きょ派遣されたと考える方が正し
いだろう。当時、共産党幹部の人事をとり仕切っていたのはトウ小平だから、
胡の力量・手腕を買ってチベットへ派遣したのだろう。その期待にみごとに応
えたのである。
 同じ89年、北京では4月22日の胡耀邦(元中国共産党総書記)追悼大会
をきっかけに学生らの民主化要求運動が起こり、ついには6月4日、戒厳部隊
が天安門広場を武力制圧する天安門事件となった。この鎮圧モデルの原型とな
ったのが、ラサ暴動の戒厳令だったのである。こうしてみると、胡錦涛の勲章
の大きさの理由が分かる。政治局常務委員入りを、トウ小平による抜擢とみる
見方が強いが、それは「ひいき」に近い行為ではない。当然すぎるほど当然の
抜擢だったのである。
http://www.melma.com/backnumber_75605_1288247/

289 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:41:42
胡錦涛はパンチェン・ラマ10世を殺したという噂もある。
パンチェン・ラマは、チベット仏教においてダライ・ラマに次ぐ高位の僧である。
パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身とされ、転生(生まれ変わり)によって後継者が定められる。
そのパンチェン・ラマ10世が死んだとき、チベット自治区党委員会書記が胡錦涛だ。

1987年3月28日、
パンチェン・ラマ10世は北京の全国人民代表大会で堂々と中国共産党を批判する演説をする。
1989年1月28日、
パンチェン・ラマ10世はチベットにある寺院を訪問中に心臓病で急死する。
1995年5月14日、
ダライ・ラマ14世はゲンドゥン・チューキ・ニマという6歳の男児を
パンチェン・ラマの転生者、パンチェン・ラマ11世であることを認定、公式発表する。
1995年5月17日、
認定3日後、中国はゲンドゥン・チューキ・ニマ君を政治犯として収監する。
1995年11月30日
中国はギェンツェン・ノルブという6歳の男児をパンチェン・ラマの転生者、
パンチェン・ラマ11世であると認定し、実際の即位は12月8日にさせる。

ゲンドゥン・チューキ・ニマ君は世界最年少の政治犯として拘束されている。

290 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:42:23
【中国共産党によるチベットでの恐るべき人権蹂躙】
http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
80年代前半には、中国当局は電気警棒あるいは牛追い棒(写真上)として知られる新しい拷問の方法を導入した。
さまざまな大きさと電力の電気棒が使われた。
ある種のものは警官の装備となり、ほとんどは独立運動支持者に対して使われた。
他には尋問の房に保管され、囚人たちの身体や顔を殴るのに使われたり、女性囚に対する性的暴行に使われた。

膣や肛門に「電気棒」を挿入されたとの報告も数多くある。
この道具は返答が間違っているとして、しばしば囚人の口に罰として入れられ、深刻な舌肥大を引き起こした。
ある事例では、囚人はそれによって歯を失っている。
その他、手首や親指や他の身体の1部に電 気線をまかれて直に感電させられることもある。
ショックを増大させるために、囚人たちに水がかけられることもある。
こうした電気ショックによる打撃は一般に非常に深刻で、体内の傷害や精神傷害につながることも多い。
ガンデン・タシィとしても知られる ルンドゥップ・ガデン は、88年から政治囚として3年間収容された。
彼は電気警棒をもっとも過酷な拷問としている。
「彼らは私を裸にして電気警棒で身体の至るところに暴行を加えた。
そのあと、私は仰向けになって寝ることが出来ず、皮膚は膨れ上り、 青くなり、切り傷だらけだった」

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/9947/travels/tibet/abouttibet.html
1959年の「ラサ決起」の後、中国側は叛徒の徹底的な弾圧に乗り出した。
「財産を公開しない」という理由である者は溺死させられ、ある者は生き埋めにされた。
子供に自分の親を射殺させるなどの行為も行われた。
縄で首をしめる道具として仏像が使われたという。
腹を切り裂く、撲殺する、糞尿を食わせる、生きたまま焼き殺したり生体解剖を行ったりと、
残虐を極めた行為で次々と僧侶たちを処刑していく。経典はマットレスやトイレットペーパーに使われた。
中国によって殺されたチベット人は1950年から84年までの間で120万人以上。

291 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:43:04
175 名前:元チャリダー 投稿日:03/08/28 02:57 ID:MwcXk2aC
87年、青海省からネパールまでチャリで走ったことあり。
オレがチベットで見聞したことを、ネパールやインドのチベタンたちは
やっぱりものすごく知りたがって、話をせがまれました。
あのころのラサはまだ、チベタンの方が多いくらいで、
メチャほっとできる街でした。

1951年、中共は、チベットの和平使節が北京を訪れた際、
「チベットの平和的解放の方法に関する降伏条約、覚書」に署名せよ、
と、机上に銃を置いて無理強いしました。
使節団は、本国政府やダライ・ラマ14世に相談する自由さえ奪われました。
「ダライ・ラマ14世の印璽を持ってきていない」
と使節団が拒否すると、中共は、偽造印璽を差し出して、捺印を迫りました。

結局、使節団は、この偽造国璽で署名させられました。
単なる和平使節団が国璽を持ち歩きはせんでしょ。
仮に本物の国璽をもっていたら…?
使節団は、死を賭してでも、
チベットを、中共に売り飛ばすようなことはしなかったでしょう。
このような「覚書」が存在すること自体、
「偽造国璽による押捺と署名」の"証拠"です。

一国の国璽を偽造してまで侵略を正当化しよう…などという
浅慮で軽率で驕慢で無恥な国家は、後にも先にも
「中華人民共和国」以外、地球史上には存在しないでしょう。
長文スマソ…

1951年5月23日 中共・チベット17ヶ条協定(偽造印鑑による欺瞞の調印)
http://www.tibethouse.jp/international/19510523_17agreements.html

292 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:44:30
283 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/05/23 12:03 ID:rg89oLRF
私はここ二カ月ほど常に紹介しようと思って機会を逸してきた本について書きたいのだ。
『囚われのチベットの少女』(フィリップ・ブルサ−ル/ダニエル・ラン著今枝由郎訳・
トランスビュ−刊)http://www.transview.co.jp。『週刊文春』の書評で先を越されて
悔しかったがそれだけ注目に値する書である。チベットのラサに住む尼僧ガワン・サンドルは
11歳の時にかつてのダライ・ラマの離宮であるノルプリンカで「自由チベット万歳」と
叫んだ罪で投獄される。獄中でも信念を曲げない彼女は23歳になる今日も家畜以下の待遇の中で
もっとも早くてもあと12年の刑期に耐えている。いくら独裁帝国中共でも11歳の少女の叫びだけで
こんな過酷な刑は課さない。刑期が伸びたのは彼女が獄中で一切の転向と妥協を拒みなお
かつ非暴力を貫きながらも自由世界にむけてメッセ−ジを発信し続けたからだ。個人について
コメントすることの稀なダライラマが「彼女はチベット問題の象徴であり格別なチベットの女だ」
と語っておられるのはそういうことなのだ。いかに残酷な暴力と凌辱を年端もいかぬ少女に獄中で
加える国家か。世界中の投資家は中共という国の本質をこの本を読み知ってから考えた方がいい。
〜〜〜〜〜
後日談
常任理事国であり、かつ、核ミサイルを持つのはEUと米国だ。
そのEUや米国が政府レベルで中国政府に働きかけをした。
すると2002年10月ンガワン・サンドルはついに仮釈放となった。
http://www.tibethouse.jp/human_rights/nsandol.html

293 :名無的発言者:2005/09/05(月) 22:45:36
283 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/05/23 12:03 ID:rg89oLRF
私はここ二カ月ほど常に紹介しようと思って機会を逸してきた本について書きたいのだ。
『囚われのチベットの少女』(フィリップ・ブルサ−ル/ダニエル・ラン著今枝由郎訳・
トランスビュ−刊)http://www.transview.co.jp。『週刊文春』の書評で先を越されて
悔しかったがそれだけ注目に値する書である。チベットのラサに住む尼僧ガワン・サンドルは
11歳の時にかつてのダライ・ラマの離宮であるノルプリンカで「自由チベット万歳」と
叫んだ罪で投獄される。獄中でも信念を曲げない彼女は23歳になる今日も家畜以下の待遇の中で
もっとも早くてもあと12年の刑期に耐えている。いくら独裁帝国中共でも11歳の少女の叫びだけで
こんな過酷な刑は課さない。刑期が伸びたのは彼女が獄中で一切の転向と妥協を拒みなお
かつ非暴力を貫きながらも自由世界にむけてメッセ−ジを発信し続けたからだ。個人について
コメントすることの稀なダライラマが「彼女はチベット問題の象徴であり格別なチベットの女だ」
と語っておられるのはそういうことなのだ。いかに残酷な暴力と凌辱を年端もいかぬ少女に獄中で
加える国家か。世界中の投資家は中共という国の本質をこの本を読み知ってから考えた方がいい。
〜〜〜〜〜
後日談
日本は常任理事国でもなければ、核ミサイルも持っていない。
一方、EUと米国は常任理事国であり、かつ、核ミサイルを持つ国だ。
そのEUや米国が政府レベルで中国政府に働きかけをした。
すると2002年10月ンガワン・サンドルはついに仮釈放となった。
http://www.tibethouse.jp/human_rights/nsandol.html

294 :名無的発言者:2005/09/05(月) 23:15:02
チベット問題に対して微妙にマイナスに作用する日本の動きがあります。
それは人権擁護法案です。もし仮に、人権擁護法案が成立します。
そこで、2ちゃんでチベット問題、中国の民族対立を指摘すると
「中国人を差別している。PTSDになった中国人が出た。人権問題だ。」
と中国共産党の息がかかった人権擁護委員が騒ぐことが予想されます。
そして、書き込んだ人から罰金を取って、
全国に名前を公表し、さらし者にすることができます。
そうして、書き込んだ人の日常生活を破壊することができます。
これはインターネットだけでなく、政治家の国会発言や映像出版の
自由まで封じる言論弾圧の法案です。
この人権擁護法案対してあなたが声を上げてください。
人権擁護法案に反対する運動があったら、積極的に参加してください。お願いします。

柿人さんの漫画その1(JPGファイル) http://zinke●nvip.fc2web.com/a.jpg
柿人さんの漫画その2(JPGファイル) http://zinke●nvip.fc2web.com/b.jpg
柿人さんの漫画、携帯用(PCでも閲覧可) http://f17.aaa.livedoor.jp/~mikami/comic/01.html
分かりやすい人権擁護法案反対のフラッシュ http://homepage2.nifty.com/save_our_rights/jinken001.swf
ノリ重視の新しいフラッシュ(徒然 ◆nump1s4LVsさん作)とリンク集 http://tk01●050.sakura.ne.jp/
ブラウザにURLをコピペし、規制対策のためのURLの●を取り除き、ウェブページを表示させる。

327 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)