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マルクス経済学・マルクス主義・7発目

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 01:35:26 ID:Bpuc+xLg
Jimmyさん

目に付いたものについて簡単にレスさせてもらいます。

>>237
>大いに結構w。では「その程度」でない宇野理解を「価値形態論」にそって
>ご教示下さい。マジですよ。


今日、竹内靖夫氏を読んでみましたが、最近のJimmyさんの言ってることと酷似してるな、
と感じました(失礼!)。
竹内氏は、中野氏経由で、システムの構成を「概念の展開」と言っています。宇野氏にも
例えばこれに似た「復元力」のような面がありますが、より応用可能な面も存在するように思い
ます。私はマンセー派ではありませんが、山口氏のような読み方(行動者が自由に行動した結果、
貨幣を利殖の道具と見るようになる=資本の生成)も可能ですし、必ずしも他の考え方ができない
とは私は思っていません。また繰り返しますが、一般的等価形態は一つとは限らず、世界に幾つも
存在していいと思っていますし、事実それが人類の長い歴史でもあったわけです。仮に貴金属にま
では落とせても、そこから金がでるか銅が出るか、あるいはプラチナが出るかなど、価値形態論の
展開にはさして重要ではない気がします。
それから、竹内氏を今日読んだ範囲でも、価値形態論を「循環論法」と切り捨てる竹内氏の考えに
は、正直賛同できません。先ず第一に、価値形態が「循環論法」だという意味が読み取れませんで
したし、(貨幣がある所から利殖欲が出るのは、よくあるようにそう無理からぬことではないでしょうか)、
仮に「循環論法」と呼ぶと、なぜ(どんな時やどんな場合でも)「循環論法」というものが
イケナイことになるのか、一般的に論証されているのしょうか。
その意味で彼の文章の「循環論法」の使い方は、「お前のカーチャン、出ベソ」と言うのと同じで、
出ベソだと何故いけないのか、その説明が欲しいのです。私程度の頭の人には特に。


>>239
>理論的認識とは虚構であるといいたいの?
>では一体原理論の意義はどこにあるのか教えて欲しい。もちろん私は今我々が
>知る限りでの原理論が「虚構」であると指摘しているが、それはこれまでに述べたように
>人間の認識一般の制約から説いているわけではない。

「原理論の意義」はたとえ「虚構」であったとしても、「傾向の延長」によるその一般性でしょう。
だから今の資本主義を知ろうとする時にも、19世紀末のドイツ資本主義を知ろうとする時にも、そ
の一般性との差異が分る。そこからどう変化していったのかという歴史過程にも参照できる。
しかしその一般性そのものがオカシイ、「傾向の延長」は原理が19世紀イギリス資本主義とは
異なることを示していますが(よく19世紀を特権化してる、とか言う阿呆もいますが)ここで
なぜその一般性が主張できるのかといえば、例えば不換ドルの普及過程を知るためには、まず
原基的な商品貨幣のメカニズムを知らなければならない等々、いろいろ在ると私は思っています。
細かい点はいずれまた。

私も宮仕えの身なので、暇な院生のように一日PCに張り付いているわけにも行きません。
今日はこの辺りで。さようなら。

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