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意味論III

1 :こさかな:2006/12/27(水) 23:39:23
(`・ω・´)シャキーン

2 :こさかな:2006/12/27(水) 23:45:58
■前スレ■
意味論
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/995816650

意味論II
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1075723621

■関連スレ■
生成文法総合スレ <26>
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1161604596

jackendoffを語る
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1027681327

☆認知言語☆
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1010667016

パラドクスって何だろう
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1041626149

言語学と言語哲学との対話
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1005377196

語用論
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1009568950

「冠詞」「線過去」「確認性」「性」「アスペクト」
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/995566202

[[[[[♪音楽はどこまで「言語」か♪]]]]]
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1084635848


3 :こさかな:2006/12/28(木) 02:15:06
くさやの若旦那、

もしここに無事に辿りつかれたら、下へと辿ってみてください。degrammaticalizationでぐぐったら
でてきやした:

ttp://www.rug.nl/let/onderzoek/onderzoekinstituten/clcg/events/colloquia/2004_2005/Norde

何でも、冒頭を読むと、「脱文法化degrammaticalization」は歴史言語学者レーマンが「たぶん存在しないだろう」と
考えた現象について冠した名前だそうで、多くの言語学者も、存在したとしても統計的に有意な率ではない、と
みなしているようです。しかし・・・というのがNordeさんの話のようです。
たしかに、とらうごっと姐さんの本には脱文法化の話は無かった、と私も記憶しています。はいねの親方他の
本では項目を見かけたような・・・記憶が定かではありません。
私の「脳内授業」では、いつも「けりをつける」の「けり」が脱文法化の例として出てきます。でも
この程度の例では存在していないに等しいのでしょうか。他には心理学で用いられるドイツ語のEsとか、
哲学で用いられるDa-Zeinとか。これらは周辺的現象とされるでしょうけど、文法化については
唯一方向性のテーゼが強い経験的主張として出されているとすれば、完全でなくとも、明確な
逆行現象があれば面白いのかもしれません。

4 :こさかな:2006/12/29(金) 09:29:30
<語彙分解:Diachronism meets Lexicalist-Extreme>

生成文法総合すれでC&Jの話から反語彙主義へと話が進んでいますが、ここで歴史の話も出てきたことから連想の糸をたどって、語彙分解のいくつかのアプローチを振り返って、反語彙主義の
一つの立場としての脱形態論主義、そしてそのひとつの方法の制限的極限としての歴史主義(あるいは語源主義、ここではfolk-theoryくささを避けてこれは使わない)、
「歴史主義的脱形態論的反語彙主義」と概念を作ってみようと思います(えらそう。)

(1)論理学起源の語彙分解:これはラッセルなどの言語学者にとられていた立場だと思います。この立場は生成意味論に引き継がれ、そして形式意味論にその精神が生きています。

(2)MPとDMの帰結としての語彙分解:統語論が必要最小限の操作に制限され、一方で音韻論にfeedされる情報は派生の端緒でなくていいということを強く示唆する経験的基盤がそろったことで整備されてきたことで出てきた立場。

1と2は現在独立しているものではないと思います。ところで、この二つの立場が経験的基盤を求める中で、それぞれの立場における主張を裏付ける証拠として、その立場の立てる構造が透明な
個別言語を取りあげることがよくあります。これを

(3)語彙分解に課せられる透明性制約

と呼ぶことにし、上で述べた同時代の個別(他)言語に証拠を求めるものを

(3-1)比較主義的脱形態論的反語彙主義

と呼ぶことにします。こちらに対して、時々思い出したように(?ダケ)シカ使われないのが

(3-2)歴史主義的脱形態論的反語彙主義

です。
ところで、語彙分解にはしばしば透明性制約が課せられます。これは一見当然のようにも見えますが、果たして必要なのでしょうか。これが無制限に用いられると、都合のよい言語を
恣意的に選ぶ、ということが行われ、帰って経験科学的立場から離れ、疑似科学的色彩をおびはしないでしょうか。
これに対し、ある個別言語における語彙分解に課せられる透明性制約を、その言語の過去の姿ダケに
シカ求めてはならない、という形が考えられます。これが3-2です。
果たしてこのような制約が必要なのでしょうか。少なくともDMとは折り合いが良さそうです。
(しりきれとんぼ)

5 :名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/29(金) 12:42:17
>ある個別言語における語彙分解に課せられる透明性制約を、その言語の過去の姿ダケに
>シカ求めてはならない

と言いますと?専門用語も知らないのに言ってみる。

6 :こさかな:2006/12/29(金) 13:23:10
>5氏
質問ありがとうございます。
例えば、別のところで虚無せんせが述べていますが、日本語の「明るい」「開く・明く」「赤」は
語根√akをもちます。これは、明朗な精神を「あかきこころ」といにしえに言ったことなど
にも現れています。
一方、これに対立するように、「暗い」「暮る」「黒」は語根√kurをもちます。
これらは最小対
ak-aγ-i, ak-u, ak-a
kur-aγ-i, kur-u, kur-o(これは一種の母音調和)
をなし、これと整合する語彙分解しか受付ない、ということです。
たとえば、「開く」「明く」を
BECOME OPEN、BECOME BE_DAWN
「暮る」を
BECOME DARK
を受け入れるためには、「赤い」「黒い」に
BE RED
BE BLACK
という分析を受け入れてはならず、
BE X(Xはにわかにわかりませんが、コンパチブルな原始要素)
BE DARK
という分析を受け入れるべき、というようなこと。
このような制約を課す一方、形容詞化、動詞化、名詞化を支持し、一部の語彙主義を排除するような
考え方です。

7 :5:2006/12/29(金) 23:45:40
なるほど。

8 :(´∀`):2006/12/30(土) 00:17:12
>存在したとしても統計的に有意な率ではない

"Unfortunatey, however, they fail to provide any statistics to back up their claim."
Newmeyer, Language Form and Language Function p.263

同書ではそれが脱文法化かどうかは別にして、unidirectionalityへの反例が
いくつかあがっているにゃむ

年末age

9 :こさかな:2006/12/30(土) 06:38:27
顔文字せんせ、ありがとうございま〜す

便乗age

10 :こさかな:2006/12/30(土) 21:54:30
おかげさまで、このスレもiiiをむかえまました。
感謝感激です!
これからも有識者ならびに志高い学徒による、意味研究へのエンツィオ、インチョン上陸作戦であれば
と思います。
それでは、よいおとしをー

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