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■弥生人中国説を瞬殺&再起不能するスレ■

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:02:08 ID:eZ56Zd6A
江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、

何で印文陶や灰釉陶を含めた中国灰陶の技術が全く伝わっていないのかね?

何で中国青銅器に見られる篆書などの原始漢字の金文が一字も
伝わっていないのかね?

何で中国青銅器に見られる饕餮文、龍文、鳳凰文、雷文などの
文様の一つさえ伝わっていないのかね?

何で中国土器や中国青銅器を代表する鼎や鬲などの三足器形さえ
伝わっていないのかね?

その他、酒器も玉器も楽器も龍信仰も亀卜も何も伝わっていない。

渡海すると記憶喪失になって故郷の文化は全て忘れてしまうのかね?

何で弥生文化は朝鮮無文土器が影響した弥生土器と細型青銅武器と
支石墓なのかね?

これらは当時の満州を中心とした北方アジアから朝鮮半島にかけての
文化ですよ。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:05:38 ID:LWkZ7Uz9




いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の土トン墓からは、楽器やら、
玉器やら、越式鼎やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、
龍形やら、龍鳳佩やら、具座やら、羊角器やら、越式鼎やら、筒形やら、
羊角器やら、もう、さーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、
ありとあらゆる摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・

何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(嘲笑)




73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:24:19 ID:1+GRBhiV

●考古發現一罐鴨蛋?了2500年


在句容、金壇乃至整個江南,有一種獨具特色的土?墓,這些墓聳立在山巒崗地、平原叢林中,
遠遠看上去,就像是一個隆起的大土?。它們代表著西周至春秋戰國時期江南特有的土著文化。
目前經初?探?,在鎮江周邊約有5000多座土?墓。

江蘇省8支考古隊120多位考古專家,從今年4月起對相關公路沿線的土?墓進行了搶救性發掘,
先後發現了46座西周到春秋時期的土?墓,出土文物4000多件。昨天,來自全國各地的10多位
考古專家不僅實地勘?了考古現場,還商討如何保護土?墓的發掘成果。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:29:40 ID:1+GRBhiV
古怪青瓷用途是謎

擺放文物的現場,好像是古代46?人家家庭用具的一次集中展覽。從這些器物可以看出,當時人
們用特別大的缸來盛糧食,用鼎來燒飯,用青瓷碗來裝飯。不過,在句容天王寨出土的一個
青瓷器,卻令專家們無法辨別它的用途。

這件青瓷有一個圓圓的底座,以前從來未見過。此外,一個羽?紋大瓷罐,也讓專家們好奇。
在西周至春秋時期,瓷罐上一般都只是直線條的花紋,而這個瓷罐上的花紋看上去像孔雀
尾巴上的羽毛,特別漂亮。這種花紋是怎麼製作出來的?這也是一個謎

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:30:32 ID:1+GRBhiV
一罐鴨蛋完好無損

豆、碗、盞、?、罐、鼎,所有文物按照不同的古墓,從大到小一字排開,4000多件文物,
把句容博物館的兩層樓裝得滿滿的。最讓專家們意外的是,句容天王寨花頭的2號?裡出土的
文物,雖然也是罐、豆等陶器,但其中一個小罐子裡面居然還盛著滿滿一罐鴨蛋!順著罐口
往裡看,白白的蛋比現在的鴨蛋小。記者還特地俯身聞了聞,可以嗅到一股鹹味。南京博物院
考古研究所副所長林留根?,出土時陶罐上還有一個蓋子,推測是2500年前這?人家?製的鴨蛋。

南京博物院研究員鄒厚本告訴記者,目前整個江蘇僅有三罐這樣的古老蛋,一罐在南農大的
博物館裡,一罐在鎮江博物館裡,這是考古發現的第三罐。早在上世紀70年代,發現第一罐蛋
的時候,他們就把這些蛋送給相關專家做研究,不過專家們也?不出個所以然。因此,古人
如何?製鴨蛋,到現在還是個謎。至於保存,雖然古墓經常有雨水滲透,但罐子有罐蓋,
能?住雨水,而且罐子裡面有封泥,這些封泥起到了很好的保護作用。細看罐中鴨蛋,除了
蛋殼是完好外,蛋青蛋?怎樣?考古專家?,現在只能先保護,然後再研究。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:31:32 ID:1+GRBhiV
保護土?墓刻不容緩

雖然盜墓賊看不上這些土?墓,因為從墓葬出來的都是不太?錢的陶器殘片,但由於修路、
修水利等原因,?年都有成百座土?墓被破壞了。這次寧常、鎮?高速公路沿線有6座
土?墓還未發掘就被摧毀,與此同時,金壇境?為建高爾夫球場平整40多座土?,句容
境?座土?因工程建設被毀,句容郭莊鎮厚達7米的文化遺址被寧杭高速公路施工毀壞,
金壇一大型商代遺址被鎮政府推平……

蘊涵大量珍貴文物的古遺址、古墓葬卻毀在推土機下,實在令人心痛。專家們呼?,
將江蘇土?墓納入大遺址保護體系,與各市縣?鎮的經濟發展和社會發展規劃相融合,
防止建設性破壞,同時在對土?墓群進行調?的基礎上,選擇幾個典型土?墓進行解剖,
並修建遺址博物館,以帶動周圍土?墓群的整體保護。
http://www.epochtimes.com/b5/5/12/30/n1171849.h

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:32:52 ID:1+GRBhiV




盞???????????鼎?????青瓷?????花紋?????


いやあ、弥生時代開始頃の江南の出土物は日本の弥生遺跡から全く
出土しない摩訶不思議な物や文様ばかり出土するんですねえ(嘲笑)





78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 22:46:10 ID:yOuP1qbU
約6500年前には既に灰陶時代に入り、約4200年前には既に施釉陶時代に入る。



黄河中・上流域ではB.C.4500年に老官台文化(陝西省)が誕生し、
北首嶺遺跡などからは灰陶が出土している。

http://www.tcn.zaq.ne.jp/akanh101/kottou/matomari.1/tosyokann.htm



中国最古の原始青磁は、今から約4200年前に山西省夏県の竜山文化遺跡で
発見されたものである。

http://jp.chinabroadcast.cn/chinaabc/chapter20/chapter200313.htm

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 22:46:49 ID:yOuP1qbU
●灰陶(かいとう)

中国、殷代以前に始まる陶質土器。焼成の最終段階で、空気をあまり送らず
窯の中を還元状態にするため灰青色を呈する。殷・周代を中心に漢・唐の
頃まで日常の容器として広く使われた。
http://makurada.com/modules/pukiwiki/195.html

●かい‐とう【灰陶】

中国、新石器時代から殷(いん)代に盛行した灰青色の土器。多くは表面に
櫛目文(くしめもん)や縄蓆文(じょうせきもん)をもつ。日常の容器として
唐・宋のころまで使用された。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=2&dtype=2&p=%B3%A5%C6%AB

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:15:26 ID:yOuP1qbU
●原始磁器 げんしじき アジア 中華人民共和国 AD

中国古代の釉(うわぐすり)をかけた硬陶。
http://mobile.goo.ne.jp/search.jsp?MT=%BC%A7%B4%EF&FM=keyword


●灰釉陶 (原始磁器、原始青磁、原始瓷器、原始青瓷)

紀元前1600年に印文硬陶の流れの中で、1200度以上の高音焼成と上薬を
使用した陶器が発生する。その上薬(釉)が、灰・カオリナイト
(カオリナイトを含む白色化粧粘土)・石灰などを調合した灰釉である。
表面は灰色から灰緑色を呈する焼物である。日本ではまだ縄文文化の
解体も始まってはいない。
http://www4.ocn.ne.jp/~napland/yakimono/chire.html

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 19:42:54 ID:495sBFnv
約6000年前に既に印文土器(印文陶)が登場している。


◎大渓文化( B.C.3990±260年〜B.C.3380±145年)

主要な文様には印文・水平周回文・篦描き文・貼付文・透し彫・彩絵があり、
縄文は見あたりません。このうち、印文は大渓文化の最も特徴的な文様で、
円形・半円形・三日月形・三角形・長方形・方形・工字形などの各種様式の
「小型スタンプ」を器表に深々と押印しています。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/14-1taikei.htm

●印文土器

中国南東部で新石器時代から漢代に使われた土器。
幾何学文様のあるスタンプを打った灰色の壺などで、軟陶と硬陶の別がある。
http://makurada.com/modules/pukiwiki/75.html

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 19:43:30 ID:495sBFnv
雷文・方格文・条痕文・S字文などの型押の幾何学文様(印文)が
全く伝わっていないっ!


「印文硬陶」は一般的には、約1100 oCという高火度で焼成され、焼き締まった灰白色
で砂質の土器である。灰陶の一種で、新石器時代晩期にはじまり広東・福建・江西の
各地を中心に生産され、漢代まで生産が行われ、灰釉陶の母胎となった技法である。
胎土は4パ−セント程度の鉄分を含みその鉄の分量は、夾砂陶(きょうさとう=粗製土器)
や泥質灰陶より低くなっている。土器の表面には成形のための叩き文が残っているが、
その叩き文の文様は、雷文・方格文・条痕文・S字文として表れ、時として櫛の歯による
波状文の形をとる場合もある。高温焼成のため、器体に降りかかった灰が熔け、器中の
硅酸と化合し灰釉を生じる。色調は暗緑色を呈し、薄くて斑になったものと意識的に掛けた
のではないかとおもわれる。初期の硬陶は、青銅器のフォルムを写した倣銅陶器であったが、
殷時代後期には独自の器形が生まれはじめる。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kannabi/touki-rekisi2.htm

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 19:44:33 ID:495sBFnv
見よ!

灰陶・原始磁器が伝わっていないだけではない。
印文土器の型押の幾何学文様(印文)の一つさえも伝わっていないっ!



印文土器(印紋土器、印文陶、印紋陶、幾何印紋陶)
http://www.dnes.mlc.edu.tw/~lisa/vessel.jpg
http://www.gg-art.com/c/c22c04vc.jpg
http://individual.utoronto.ca/timzhao/tea/teapot/pic/054.jpg
http://www.yhwt.com/upfiles/2004717175633.jpg




84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 20:49:23 ID:88PqIWVq
●三足土器(さんそくどき)

三本の足をもつ土器。各地の先史・原史時代の遺跡から出土。
特に、中国の竜山文化時代に盛行した鬲(れき)・鼎(てい)など。
後に青銅器製となる。

http://makurada.com/modules/pukiwiki/341.html

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 20:49:55 ID:88PqIWVq
1. 華南地域では農業の発達が遅かったため、土器の種類は多くありません。
2. 長江流域は約1万年前からすでに米が栽培され、約8000年前には稲作が発達しました。
土器は丸底が主流で、約6000年前には三足の鼎(かなえ)が登場します。
3. 黄河流域では、約1万年前から粟やひえの栽培が始まり、約7000年前以降には平底、
丸底、三足の土器が出現。 約5000年前から土器が一変し、中流域では灰色土器、
下流域では黒色土器が現れます。
4. 北方地域西北地方では、約6000年前以前の土器は発見されませんが、彩文土器が
発達したことが大きな特色です。
5. 北方地域東北地方では、約6000年〜5000年前に窯を使用し、彩文土器が出現しました。

 これらをまとめると、中国新石器時代の土器づくりは約1万2000年前に始まり、各地域
で形や種類、技法、文様などがかなり異なります。 また、農業の発達によって土器
づくりの技術も発達し、約6000年前には三足土器が登場。 中国の漢時代まで代表的な
土器の一つとなりました。土器はもちろん日常生活用品でしたが、一部は祭りに関連
したものと推察されます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 20:51:02 ID:88PqIWVq
見よ!

中国土器の最も代表的な器形である、鬲、鼎などの三足土器さえ伝わっていないっ!


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/img/china/g-33.jpg
http://www.shjas.com/picture/cwgc/fyyl/wwg/qtq/yu.jpg


鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.rci.gov.cn/ap/lm/cttc/d1.JPG
http://www.grassy.org/collection/china/china_img/dehuabai3.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 16:10:40 ID:LF2j+Tql
●漢式鼎と越式鼎


中原では足の短い漢式鼎が、長江以南では足の長い越式鼎が作られた。
ともに陶製と青銅製がある。




越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif
http://images.search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=UTF-8&search_x=1




88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 16:41:15 ID:mSrJ2Qkk
弥生期の青銅器には銅剣・銅戈・銅鉾・銅鐸・銅鏡・銅鏃などがあるが・・・


青銅器には銅剣・銅戈[どうか](刃に直角に柄を付けた武器) ・銅鉾[どうほこ]・
銅鐸[どうたく]・銅鏡などの種類があるが、銅剣と銅戈に関しては九州北部に分布する
輸入品が実用的であり、瀬戸内海に分布する国産品が非実用的だった。また流水文様や
袈裟襷文様[けさだすきもんよう]などが施されている銅鐸の本質は謎であるが、狩猟や
家屋などの原始絵画が鋳造されているため、当初は楽器であった物が次第に権威の象徴に
なっていったようである。銅鏡は除魔や権威の象徴として用いられた。一般に、西日本
中心の銅剣・銅戈・銅鉾文化圏と近畿中心の銅鐸文化圏に大別されるが、福岡県の岡本
遺跡や佐賀県の安永田 遺跡から銅鐸が出土したり、出雲族の文化圏を連想させる島根県
の荒神谷遺跡[こうじんだにいせき]が発掘 されたため、疑問視されている。

http://masmas.jp/kkks/Chapter2.html

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 16:42:50 ID:mSrJ2Qkk
●中国青銅器について
---------------------------------------------------------------
古代中国では紀元前21世紀頃から青銅器文明は存在し、その後鉄器と
入れ替わる戦国までの数百年間に渡って、それぞれの時代背景を基に
形・文様・銘文に特色を残していきました。
中国青銅器は他を圧倒するほど強くその存在を示し、祭器・礼器として
の役割を十分に果たしていたと容易に想像させられます。プリミティブ
な造形と繊細なまでの技巧がうまく調和し、数千年もの歳月を経て、
人間がつくった最高の美術品として確立していきました。
http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-index.html

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 16:43:20 ID:mSrJ2Qkk
見よ!

中国の青銅器のさまざまな器形がさーっぱり伝わっていない。
長江流域の代表的な器形である鼎などの三足器形さえも伝わっていない。




◎中国青銅器のさまざまな器形

http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-shape.html





91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:06:23 ID:VSrqmCqo
弥生期の青銅器には銅鐸に流水文・袈裟襷文・横帯文などの文様があるが・・・


青銅器には銅剣・銅戈[どうか](刃に直角に柄を付けた武器) ・銅鉾[どうほこ]・
銅鐸[どうたく]・銅鏡などの種類があるが、銅剣と銅戈に関しては九州北部に分布する
輸入品が実用的であり、瀬戸内海に分布する国産品が非実用的だった。また流水文様や
袈裟襷文様[けさだすきもんよう]などが施されている銅鐸の本質は謎であるが、狩猟や
家屋などの原始絵画が鋳造されているため、当初は楽器であった物が次第に権威の象徴に
なっていったようである。http://masmas.jp/kkks/Chapter2.html

鐸身全体は,横帯文や流水文で水平に分割するか,袈裟襷文で縦横に分割し4乃至6個の左
右対称の小区画を作り出すもので,横帯文系・流水文系・袈裟襷文系の三つの系統に大別され
る(図4)(図3)(図5)。横帯文系の横帯には,斜格子文のほかに綾杉文・鋸歯文・連続
渦文など各種の幾何学文が充?される。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf#search=

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:07:17 ID:VSrqmCqo
●中国青銅器の文様


「饕餮文」といった造形的に非常に優れた固有の文様とともに、「龍文」
「鳳凰文」「雷文」など現在でも使われている文様の原型が編み出されていました。
古代の人々の想像力の豊かさとそれを表現する技巧の確かさが伝わってきます。
http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-index.html

殷の時代に生み出された灰釉陶は、西周時代から春秋戦国時代(B.C770〜 221)にかけて
熟成の時代を迎えることになるが、なお中国工芸の中心は依然として青銅器であった。
祭器としての青銅器から日常生活具としての青銅器へ変化する過程で、文様も饕餮文
(とうてつもん)・〓龍文(きりゅうもん)・〓鳳文(きほうもん)などの神秘的・
宗教的・観念的なもから動物や植物がリアルに写される写実的な文様へ変化していった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kannabi/touki-rekisi2.htm

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:07:54 ID:VSrqmCqo
見よ!

饕餮文、龍文、鳳凰文、雷文など、中国青銅器のさまざまな文様がさーっぱり伝わっていないっ!


饕餮文
http://www.hakutsuru.co.jp/culture/museum/images/tenji1.jpg
龍文
http://www.sqr.or.jp/usr/muni/dra1.JPG
鳳凰文
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2002hei/images/seidoki-1.jpg
雷文
http://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200605/collection/images/art6_3.jpg



94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:32:24 ID:XoEA71YZ
●金文

金文(きんぶん)とは青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字の
こと(「金」はこの場合青銅の意味)。中国の殷・周のものが有名。年代的
には甲骨文字の後にあたる。殷は青銅器文化が非常に発達した時代であり、
この文字を器の表面に鋳込む技術は門外不出となっていた。

金文は『史記』のような後世になって書かれた資料とは違い、完全な同時代
資料であるためこの時代を研究する上で非常に貴重な資料となっている。
しかし殷代の青銅器は古美術としてもきわめて高い価値があるため収集家など
がこれを所持することで一貫した研究が出来ないと言うことも起きている。

なお石などに刻まれた文章は石文と呼ばれ、一緒にして金石文と呼ばれる。
またこれらの研究者は金石家と呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%96%87

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:33:16 ID:XoEA71YZ
●鳥書

春秋時代の中期から後期にかけて、東方列国の金文には地方色が強く
あらわれてくる。特に注目すべきのは、南方の越、楚などの地方の
主として武器において、非常に装飾的な文字を扱ったものが現れる。
この地域で用いられた書体には、筆画が非常に複雑で、曲線が多い
もので、各文字のところどころに鳥の頭を図案化したような形がある
から、このような書体は「鳥書」(ちょうしょ)、あるいは「鳥篆」
と呼ぶ。
http://yupeihsu.at.infoseek.co.jp/syouten/kinbun.html

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:35:10 ID:XoEA71YZ
見よ!

長江流域の鳥書の金文がさーっぱり伝わっていないっ!


http://yupeihsu.at.infoseek.co.jp/syouten/kinbun/ken.jpg
(上のアップ↓)
http://www11.tok2.com/home/awa/shorekisi/4/P60572421.jpg
http://yupeihsu.at.infoseek.co.jp/syouten/kinbun/heiki.jpg
http://www.kepu.com.cn/big5/technology/printing/evolve/images/evl12411b_pic.jpg
http://www.netlaputa.ne.jp/~eishowdo/inkan/quiz100/quiz1/017.jpg



97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 17:08:18 ID:lMajsB4i
●古代中国の楽器


秦の統一以前の頃の楽器は史料に記載されているものが約70種もある。
『詩経』だけでも29種にふれており、打楽器には太鼓、鐘、鉦(しょう、
古代銅製の打楽器で、行軍の際に打ち鳴らしたもの)、磬(けい、銅製の
椀形の仏具と楽器)、缶(ふ、甕のようなもの)、鈴など21種があり、
吹奏楽器には簫(しょう、タテにして吹く長い笛)、管(さまざまな管楽器の
こと)、?(けん、土笛)、笙(しょう、いろいろな長さの十数本の竹の管で
作った吹奏楽器)など6種があり、弦楽器には琴、瑟(しつ)など2種のものが
あった。楽器の品種が多く増えたため、周(約前11世紀−前256年)の
時期には楽器を作る素材によって、金属、石、土、皮革、弦、木、匏
(ほう、瓢たんの実)、竹という8種類に分けられ、「8音」分類法と称された。
http://www.china.org.cn/japanese/144930.htm

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 17:09:06 ID:lMajsB4i
●骨哨

河姆渡住処から160個骨哨が出土されて,今まで7000年の歴史があります。こんな骨笛は鳥類の
骨で作られ,骨管に1−3個の孔を磨き突いたから,鳥が鳴るような曲調を吹く事ができます。
同時の原始人は木下に隠れて,網を設置してから骨笛を吹くと,鳥らはこの音響を聞いてここへ
飛んでくるんです。これは道具でもあるし,簡単な楽器でもありますから,今までも一部分の
中国少数民族の狩り道具になっています。こんな原始道具はやはり今の竹笛になりました。
http://www.topqd.com/wj/chinayqs.htm

●磬

磬(けい)とは、中国で最も古い楽器である。石製の打楽器である。サヌカイトを叩くと金属音が
する。この石の長さ・厚みを変えて音階を奏でることができる。これを楽器として仕立てたのが
「磬」である。これを単独で使用することは希で、通常は音階順に8個、あるいはそれを2段並べて
16個台に懸けた「編磬」として用いたようである。殷代から楽器として使用されている。
http://www.page.sannet.ne.jp/to-okamo/guwanmi/kosen/kosen.htm

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 17:09:39 ID:lMajsB4i
見よ!

古代中国のさまざまな楽器がさーっぱり伝わっていないっ!
7000年前の河姆渡遺跡からある簫(タテ笛)の原型である骨哨さえ伝わっていない。


上から順に、簫、磬(編磬)、鐘(編鐘)、鐃、ロ于、鉦
http://www.szzwch.com/IMAGES/xiao.JPG
http://storage.kanshin.com/free/img_28/284331/k741978051.jpg
http://www.toray.co.jp/event/music/images/mus_b045.jpg
http://www.miho.or.jp/booth/html/imgbig/00001190.htm
http://big5.huaxia.com/wh/whgb/wwdg/images/1639_0.jpg
http://www.kepco.co.jp/ICSFiles/artimage/2004/06/08/c_kpc891/kane_1.jpg

7000年前の河姆渡遺跡の骨哨
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_24_15.jpg

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 14:08:05 ID:hcQIp7Di
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 14:09:45 ID:hcQIp7Di
青銅器の鉦は主に湖南省、江蘇省、浙江省などの長江流域一帯で出土し、
江南の百越(越族)の間で甚だ流行したそうですよ。




鉦 打?樂器,形體似鐃,但比鐃高大和厚重,主要出土於湖南、江、浙一帶。
?都是春秋時代的樂器,在南方百越諸地則甚流行。

http://www.hawh.cn:82/gate/big5/www.hawh.cn/html/20060420/256406.html





102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 14:10:27 ID:hcQIp7Di
ところで、日本の弥生遺構で印紋土器、越式鼎、鉦なんて出土しましたっけ?(嘲笑)




●印文土器
http://www.gg-art.com/c/c22c04vc.jpg

●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif

●鉦
http://www.kepco.co.jp/ICSFiles/artimage/2004/06/08/c_kpc891/kane_1.jpg




103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:45:15 ID:MSvJspJm
中国の骨しか調べずに中国だと決め付ける低脳骨屋の偏向調査(嘲笑)
いつも必ず北方アジアは抜き(嘲笑)


渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。最近の調査により、
水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。
黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人に
よく似た人骨があいついで見つかっています。この時代の中国は、政治的に
動乱の時代であり、いろいろな民族が入り乱れて戦いました。日本にやって
来た渡来民は、このような動乱から逃れてきた人々だったのでしょうか。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:45:58 ID:MSvJspJm
朝鮮と山東省の骨だけで中国だと決め付ける低脳骨屋の偏向調査(嘲笑)
いつも必ず北方アジアは抜き(嘲笑)


「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」

http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

105 :まり:2007/01/02(火) 18:03:59 ID:VCNNPTbU
英語ですが、弥生人と縄文人の違いを学術的に明確にしたサイトです。
ぜひご覧ください。

http://www.jref.com/forum/showthread.php?t=27828

ちなみに、このサイトは中国人が激怒しており、ネット攻撃で消滅する可能性
がありますのでお早くご賞味ください。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 14:13:44 ID:XoS1WNVH
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
すっとぼけミトコンドリ屋(嘲笑)


宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 14:14:56 ID:XoS1WNVH
中国の骨しか調べずに中国だと決め付ける低脳骨屋とミトコンドリ屋の
偏向調査のコラボレーション。やはり必ず北方アジアは抜き(嘲笑)


一九九四年一月二六日ニュース報道。山口県豊北町の土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長(形質人類学)らが、
山東省文物考古研究所を訪問。同省の遺跡から出土した前漢時代の古人骨約七十体について、顔の長さ、幅などを計測し、
北部九州や山口県で発掘された渡来系弥生人骨と比較したところ、八割以上で顔の長さ、ほお骨の厚さなど主要な値が一致。
骨から推定した平均身長も渡来系弥生人(男性一六三センチ、女性一五〇センチ)とほぼ一致した。
 一九九六年一〇月一九日、日本人類学会・日本民族学会連合大会発表。東大理学部の植田信太郎助教授(人類学)らは、
約二千年前の中国・山東省臨錙の遺跡から出土した人骨と、同時期の詫田西分遺跡から出土した人骨のDNAを分析し、
遺伝子の配列が特定の部分で同じ人がいることを確認した。
 一九九九年三月一九日ニュース報道。江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、
江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、
歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の
人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。
http://www.asahi-net.or.jp/~CY1N-STU/kodaishi/yayoi.htm

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:00:57 ID:6z1qaqab
>>1
360 :日本@名無史さん :2006/09/03(日) 21:09:12
最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:01:30 ID:6z1qaqab
>>1
366 :日本@名無史さん :2006/09/10(日) 19:56:37

それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 11:32:44 ID:wjNq/QjE
その山東省の弥生時代の出土物はこんな有り様(嘲笑)


◎西周時代の陶器発見 山東省済南市

山東省済南市歴城区孫村鎮盧家寨村でこのほど、西周時代(紀元前11世紀ごろ〜紀元前771年)
のものと見られる陶器が見つかった。現在までに陶製の鬲(れき、古代中国で使われた三足
の器)が約50点出土しており、発掘作業はまだ続いている。専門家の説明によると、この遺跡
が発見され、珍しい西周時代の陶器が大量に出土したことは、西周時代の人々の生活や陶器
製作技術を研究する上で、極めて重要な価値がある。

http://www.china.org.cn/japanese/201551.htm
陶製の鬲(れき、古代中国で使われた三足の器)が約50点出土しており
陶製の鬲(れき、古代中国で使われた三足の器)が約50点出土しており
陶製の鬲(れき、古代中国で使われた三足の器)が約50点出土しており
陶製の鬲(れき、古代中国で使われた三足の器)が約50点出土しており

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 11:34:23 ID:wjNq/QjE
山東省の弥生時代の遺物は日本の弥生遺物にさーっぱり伝わっていない!
というか、まるで宇宙人の創造物のような物ばーっかり(嘲笑)


◆山東省の弥生時代のさまざまな出土物

銅? 春秋 仙人台遺跡
http://www.sdu.edu.cn/csdu/ww42.htm
銅? 春秋 仙人台遺跡
http://www.sdu.edu.cn/csdu/ww43.htm
銅鼎 春秋 仙人台遺跡
http://www.sdu.edu.cn/csdu/ww51.htm
原始漢字の金文 春秋 仙人台遺跡
http://www.sdu.edu.cn/csdu/ww52.htm
銅鳥座 春秋 仙人台6号墓
http://www.sdu.edu.cn/csdu/ww71.htm

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 11:35:28 ID:wjNq/QjE
まだまだあるのよ(嘲笑)


龍文銅方壺 春秋 仙人台遺跡
http://www.sdu.edu.cn/csdu/ww81.htm
銅盂 春秋 嘴子前遺跡
http://db.museum.or.jp/im/Search/jsMuseumEventDetail_jp.jsp?event_no=28679



山東省章丘市の漢代の墓から大量の青銅器の鼎やら、編鐘、編磬、
ロ于、鉦、鐸などの青銅器の楽器やらが、もう出土しまくり↓(嘲笑)

http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhuanwen/200107-2.htm




113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 15:56:16 ID:W+O8uppi
その江蘇省の弥生時代の出土物はこんな有り様(嘲笑)


江蘇句容・金壇周代土トン(土+敦)(盛り土、小山)墓群:考古学者たちは、
土トン墓の埋蔵の特色に合わせ、一層ずつ剥がしていく整理方法を採用し、
青銅器時代の江南の土トン墓造営の全過程を明らかにした。計40の土トンを
発掘し、233基の墓、229組の祭祀器物群、14カ所の墓葬建築遺物を整理、
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に、江南地方の
特色をもつ各種文物3800点余りが出土した。
http://www.china-news.co.jp/culture/2006/05/cul06051302.htm



114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 15:58:53 ID:W+O8uppi
>幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心



印紋陶?????原始青磁?????

弥生時代開始頃の長江流域の江蘇省の出土物は日本の弥生遺跡から
出土しない摩訶不思議なものばかり出土するんですねえ(嘲笑)





115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 18:04:47 ID:gdCYMz+B
【江蘇】徐州市で周代の器物を修復、2800年前の生活が明らかに

江蘇省徐州市にある周代の遺跡から出土した器物が半年かけて修復され、2800年前の
生活の様子が明らかになった。今回の修復は当時のこの一帯の製陶業や栽培業、建築の
発展状況を知るうえで大きな意義があり、同省での周代の遺物の収蔵・研究の空白を
埋めるものとして注目されている。徐州市賈汪鎮泉東村で去年初めて、完全な形で残る
周代のものとみられる家屋跡を発見。発掘を通して、考古学者は一家族の住まいである
ことを確認した。徐州博物館考古学部の耿軍建主任によると、家屋はほぼ南北2列に並び、
北側には4〜5室、南側には3室あった。部屋の大小や機能はそれぞれ異なり、東側から
陶鬲(とうれき・陶製の鼎に似たもの)などの炊事用具が見つかったことから厨房、
西側では陶罐や陶甕(とうおう・陶製のかめ)など大型の容器が出土したため、貯蔵部屋
だったのではないかと考えられている。部屋は木の柱を骨組みにして草を混ぜた泥で覆った
構造。壁はほぼ長方形になっているが、手で塗ったせいか厚みにばらつきがある。出土した
20点余りの陶鬲や陶甕から、考古学者は西州時代の家屋跡だと推断している。 家屋の前に
ある坑からは、大量のからす貝の殻や食べ残した豚、鹿、犬の骨のほか、鹿の角で作った
鋤、骨を彫った錐や剣、貝殻で作った鎌、泥を焼いた鉢など生産・生活用具が見つかった。
ここから当時、農水牧畜業や狩猟が比較的発達していたことが窺われ、周囲には広大な
森林や沢、草地、農地があり、居住環境はかなり良かったのではと思われる。徐州市博物館
は現在、遺跡から出土し修復された陶鬲や陶罐、鉢など20点余りの器物を展示しており、
大小は様々だが、文様や色彩ははっきりしている。最も完全な姿をみせているのが大型の
陶鬲で、直径42センチ、高さ38センチ。考古学者によると、周代の遺物はもともと数少なく、
とくに江蘇省でこれほど多くの器物が発見されたのは今回が初めてだという。2800年の時
を経て修復された器物に周代の人々の生活風景が想像できる。
http://j.people.com.cn/2003/06/13/jp20030613_29739.html

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 18:06:47 ID:gdCYMz+B
>陶鬲(とうれき・陶製の鼎に似たもの)などの炊事用具が見つかったことから厨房、
>西側では陶罐や陶甕(とうおう・陶製のかめ)など大型の容器が出土したため、




鬲?????

その江蘇省徐州の弥生時代開始頃の出土物は弥生時代の遺跡からは
さーっぱり出土しない摩訶不思議な器種が出土するんですねえ(嘲笑)





117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:32:15 ID:d7dbLTCs

◎北方アジア抜きの偏向調査で中国に誘致し国民をダマした容疑者リスト



 宝 来 聰 (国立遺伝学研究所助教授、総合研究大学院大学助教授)


 松 下 孝 幸 (土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム館長)


 植 田 信 太 郎 (東大理学部助教授)


 山 口 敏 (東京国立科学博物館名誉研究員)


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:24:30 ID:xQBXkV2g
●河姆渡文化 かぼとぶんか

浙江省余姚(よう)県河姆渡遺跡を標準とする新石器時代の文化をいう。主に寧紹平原の
東部地区に分布している。河姆渡遺跡には四つの文化層があり,第1層は良渚文化早期と
類似しており,第2層は馬家浜文化の要素がある。第3・4層は河姆渡文化層で,上の両層
よりも古く,注目すべき出土器物がある。土器は原始的な手づくりの,あらい厚手の不整形で,
低温で焼かれた夾炭黒陶が最も多く,混ぜられた植物の茎葉砕片やもみ殻が焼けて炭化し,
土器を黒色にしている。夾炭黒陶は第4層では最大量を占めるが,第1層に至るほど漸減し,
第1・2層では焼成温度の高い砂混じりの夾砂紅陶・灰陶が優勢となる。第4層の土器の主な
ものに,釜・罐(かん)・鉢・盤・器台がある。釜が四つの層を通して出土し,形態と
装飾が最も多様なところから,釜を南方地区新石器文化の特徴とする見解がある。第3層
出土の甑(そう)は,蒸気熱を利用した穀物の蒸し器で,のちに朝鮮・日本などに伝わり,
東アジアに特徴的な穀物を蒸して食べる調理法を普及させたものである。また紡錘のほか,
濃茶の文様を施した数個の彩陶片も発見されている。遺跡層が地下水面下にあったため,
多くの木器が保存され,耜(し。すき)・碗・盆・かい・杵・矛・紡・紡錘などのほか,
組み合わせ部品用と思われる大小の棒が発見されている

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:25:18 ID:xQBXkV2g
第4層には骨器が非常に多く,石器は少ないが,第1層に至るほど,石器が漸増して
骨器が漸減し,河姆渡文化では骨器の比重が大きかったことが知られる。骨器には
鏃・針・管状針・梭形器・笛などあるが,大型哺乳動物(水牛?)の肩胛骨を加工
した多くの耜が注目をあびた。石器は小型のあらい磨製で,斧・手斧・のみ・紡錘
などがある。第4層の住居址に,多くの稲の穀粒・茎葉の堆積が発見された。栽培稲
のセン(注1)は、亜種晩稲型水稲と鑑定され,紀元前約 5000年のもので,現在の
ところ,東アジアにおける水稲の最古の実物標本といわれている。また,とち・ひし・
桃の実,ヘちま・はとむぎや,なつめの一種なども出土している。家畜には犬と豚が
おり,水牛もいたようである。土器面に豚,または豚と稲穂の刻まれたものがあり,
小型の陶豚もある。ほかに,多種類の獣・鳥・魚などの骨も出土している。当時の
河姆渡地域では,すでに骨耜・木耜などによる稲作農耕が行われ,家畜を飼育し,
狩猟・漁労や採集もかなりの比重を,占め,種々の生産・生活の器具を作り,紡織も
行われていたのである。住居は大きな材木で構築された高床式で,柱をくりぬいて
はりや板をはめこむなど,やや高い技術が用いられている。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:26:33 ID:xQBXkV2g
素朴な芸術品も多く,木彫の魚,骨彫の匙・こうがい,陶製の魚・人頭像,象牙彫の鳥
などのほか,玉製の管・珠・ケツ・コウの装飾具がある。また朱紅色の漆器の木碗もあり,
生漆と鑑定され,中国で最古のものといわれる。出土した50余種属の動物の生態および
植物遺存と花粉分析が明らかにした植生の状態から推測すると,当時この一帯は,現在
よりも温暖多湿で,現在の広東・広西等の地区に近く,山麓に接した大小の湖沼が散在する
草原灌木地帯であったようである。河姆渡文化の年代は,ほぼ紀元前5000年ごろにあたる
といわれ,揚子江下流域における最古の新石器文化であり,黄河中流域や山東地域の文化と
並んで,中国の早期新石期文化の一つの中心である。 
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:28:20 ID:xQBXkV2g
>>>夾炭黒陶は第4層では最大量を占める>>>釜・罐(かん)・鉢・盤・器台
>>>甑(そう)は,蒸気熱を利用した穀物の蒸し器
>>>濃茶の文様を施した数個の彩陶片>>>笛などある>>>土器面に豚
>>>小型の陶豚もある>>>骨耜・木耜などによる稲作農耕>>>陶製の魚・人頭像


黒陶?????釜?????罐?????鉢?????盤?????
器台?????甑?????彩陶?????笛?????
土器面に豚?????陶豚?????骨耜?????木耜?????
陶魚?????人頭像?????


7000年前の長江流域の出土物は日本の縄文遺跡から全く出土しない
摩訶不思議なものばかり出土するんですねえ(嘲笑)



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