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【毛野】関東に大王あり【武蔵】

1 :日本@名無史さん:05/01/16 09:21:12
埼玉古墳群・稲荷山古墳から出土した鉄剣金錯銘。
「今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮」
これのどこが、畿内の長谷朝倉宮にいた大泊瀬幼武
(後代の漢風諡号=雄略)なのか?!
今年のセンター試験でも自明の理として登場した。
古田武彦氏の『関東に大王あり』で関東説が脚光を浴びたが、ほかにも
井上秀雄(東北大名誉教授/朝鮮古代史)・鶴岡静夫(青学大名誉教授/日本古代史)
・故金達寿(作家)各氏らが同様の立場であった。
関東説・畿内説をとわず建設的・生産的な議論をお願いしたい。
粘着・荒らしはスルーでよろしく。


152 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:45:21
毛人=蝦夷ですな。

153 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/05(日) 21:57:12
古利根川は何本もある。
中川もそのうちの1本。

154 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 21:04:46
古代関東は、アイヌ達を高句麗の騎馬軍団達が荒らしまわっていたんだろうね。
古代騎馬民族は関東へ送り込まれた渡来人だったに違いない。

草の生える程度の灰土平原なら遊牧に最適。彼らは馬や山羊の肉も食ってたん
だろう。そして後世、"チョン"髷を結う武士へと変貌していったのだろう。

155 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/08(水) 19:53:56

関東平野に牧畜のできる灰土平原はありません。
平野の中央低地部は湖沼の点在する広大な遊水地。
平野周辺部は土地が凸凹の水のない潅木地帯。
耕作適地は渡良瀬川と荒川上中流の流域のみ。那珂川下流域も。

156 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 20:04:59
馬の産地ではある。「馬」が付く地名は多いぞ。

157 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 20:21:29
>>156
それ、どれくらい遡れるの?

158 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 00:09:47
将門の大結馬牧、長洲馬牧

159 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/11(土) 18:08:55

将門の時代は新しすぎる。
舞台は4〜6世紀です。
関東平野で馬を本格的に生産するのは7世紀後半白村江敗戦以降でしょう。

160 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 19:26:59
4〜6世紀? 紀元前から関東に馬はいたが?

161 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/11(土) 22:31:37
>>160
馬は紀元前からいたでしょう。

日本での馬の本格的生産は、
白村江敗戦後の対唐戦に備えた、
軍備力強化の時からでしょう。

162 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 21:31:18
生き物としての馬そのものは、確かにいたやな。

問題はそれを軍用として飼い慣らしていたかどうかと、
その規模、って話だろ?

>>161
日本での、ではなくて「関東地方での」という条件で書かないと、このスレ的には無意味。
できれば鐙や鞍なんかの発掘実績込みで頼む

163 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/22(水) 14:41:18
>>162
発掘実績から説明することは難しいことですね。
旧入間川流域の古墳群出土品から見て、
武蔵への軍用馬の導入は西日本に遅れることなく4世紀末から5世紀初頭頃でしょう。
西方より古墳文化を持った人々が武蔵に移住したときに軍用馬としてつれてきたのでしょう。
又この馬を使った軍事力が毛野を圧倒していった大きな要因(東京湾からの魚介淡白質供給同様)となったのでしょう。
又5世紀中頃には、群馬県白井遺跡群に馬の多量のヒズメの跡が残っていました。
これは武蔵が上毛野を支配した時期です。榛名山の噴火で上毛野が弱体化した時期でもあります。
だからと言って軍用馬の生産を大規模したとはいえません。
埼玉県大宮台地等に残るオオマキ等の馬に関わる地名からみて、
軍用馬の本格的生産は白村江敗戦後の天武期(全国一斉)からでしょう。

馬の生産には塩が必要不可欠で重要ですから、
東京湾から馬飼育用塩の調達が出来ない上下毛野が、
武蔵に先駆けて馬の生産をすることはありえません。

164 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 20:41:04
軍用ではなく騎馬民族の高句麗がそのまま渡来しただけ。関東は遊牧だよ。遊牧。

165 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/22(水) 22:42:59
関東平野には遊牧できる環境スペースがない。
高句麗は騎馬文化も持ち込んだであろうが、
定住生活であった。

蛇足:高麗=駒と思います。 高句麗=高駒麗

>>164
ところで、高句麗の武蔵入植はいつ頃とみますか?



166 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 00:16:38
話ずれるけど、割り込みスマソ
http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/komaou.html

167 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/23(木) 01:51:56
>>166
話はずれていません。

>>164
高句麗人の武蔵入植は8世紀初頭です。
高句麗人の関東平野への進出は早くても668年以降です。
高句麗人が難民として日本へ来た頃、日本では牧による軍用馬の本格生産が始まったのです。

168 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 02:35:14
高麗神社は出世守護と見せかけて実はかの法則発動体のようだね。
若槻首相にしてもライオン宰相にしても人気は高かったが
経済政策も明らかに間違っていたし最期も悲惨だ。
首相に参拝してもらっては本当に困る神社かもw

それはさておき、縄文中期の関東縄文文化を支えたのは
カシ類(おそらくシラカシ)の大森林のどんぐりだったのだが、
それが奈良時代には武蔵野の風物詩とは「見渡す限りの大草原」に大変貌している。
気候は少々寒冷化しただけで森林が消失するほどの乾燥化が進んだことはあり得ないので
人為による強力な森林劣化と植生改変の結果であることは明らかだ。
九州王朝大好き氏はこの理由を牧畜(牧場)と焼畑畑作農業の
どちらに起因するとお考えかな?
どちらと見るかによって上代武蔵国の経済構造はかなり異なるものになる。

169 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/23(木) 16:42:22
>>168
660年代からの馬牧畜によるローム層台地の森林荒廃ですね。
660年代よりの「牧」政策により、その牧畜の担い手は牧畜技術を持った難民高句麗人でしょう。
8世紀に入り国内情勢も安定し軍用馬の必要性も少なくなり、又、関東原住民と高句麗人との軋轢も起き、
武蔵を中心とした関東ローム層台地に散らばっていた高句麗人を高麗川流域に集め、
定住化させ、馬牧畜から水稲作等の農業へと高句麗人の生業を転化したのでしょう。

西日本の農耕牛に対して、東日本の農耕馬はこの時代の高句麗人による起源となるのでは。

170 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/24(金) 01:04:33
>>168
武蔵(大宮台地)は8世紀になると蝦夷制圧の為の軍馬生産の拠点となったようです。
武蔵野の風物詩としての「見渡す限りの大草原」とは、大宮台地ではないでしょうか。


171 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:38:05
大宮台地ってどの辺のことですか?

172 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/24(金) 09:37:48
>>171
現荒川と元荒川に挟まれた地域。
さいたま市の市域に概ね相当。
浦和区、緑区、中央区、大宮区、北区の地域。

173 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 18:38:43
【大宮台地】
武蔵の武士団発生地から外れてる、いわば武蔵国の辺境が足立郡。
足立氏本拠地は桶川説と大宮説。

与野本町、南与野、中浦和あたりで坂があるから
あの辺りが大宮台地の切れ端か。
大宮だと埼玉栄の西側の坂。

174 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 11:02:04
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう

175 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/02/25(土) 14:07:10
>>171
大宮台地の追加説明

大宮台地飛地:川口北部の東北自動車道沿い北は埼玉スタジアム近辺までの細長い地域。

両台地中央部の見沼と見沼用水の低地は、古荒川古利根川によって、大宮台地が侵食されたものです。
現在の大宮台地は、ひとつ河岸段丘であった古大宮台地が見沼低地によって東西に分断されたものです。

中央に水の豊富な低湿地(見沼)を挟んだ2つの大宮台地は馬の放牧には最適地だったのではないでしょうか。
現在の武蔵野の地域(東京都・埼玉県南端)は馬放牧をするには水が貧弱で大宮台地に劣る。

176 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 11:05:44
【大宮台地】
埼大道りを北浦和方面へ向かうと、17号線を越えたあたりから上り坂になる。
旧ロジャースのあたり。
大宮台地は水利に乏しく畑作中心。

県南は江戸時代まで埼玉の後進地帯。
県北西部は平安から戦国に至るまで勇猛な武人を多数輩出。

177 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/02(木) 00:50:12
>>176
あの坂は大宮台地西端の断層の東面にできた坂だよ。

178 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 23:18:03
毛野の国は大きかったらしいね
でも獲加多支鹵大王は雄略だよ
斯鬼=磯城だし

179 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/03(金) 01:18:59

でも、武蔵との争いに敗れました。

180 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/03(金) 01:25:44
>>178
獲加多支鹵大王は九州王朝の7人の弟大王の1人です。

181 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 02:22:42
>>169
俺とは意見が違うようだなあ。まあ地層中の花粉を調べれば解決することだが
俺は武蔵野の草原化はもっと古くから起こったんだろうと思っている。
関東平野(武蔵野)に最初に入植した弥生人は出雲系だったことはほぼ明らかなんだが、
出雲系は北方アジア的な雑穀農業系文化に馴染みが深い。
だとすれば、初歩的稲作のための水利としては条件が非常に悪い関東平野では、
北方アジアと同じように森を焼畑で開いて粗放的な畑作を始めたことは想像に難く無い。
縄文人は縄文後期から晩期に関東平野では人口崩壊を起こしているので
大した軋轢無く出雲系弥生人は森を切り開いてしまっただろう。
関東平野は満州ほど広くないのでw
あっと言う間に森を切り尽して見渡す限りの草原にしてしまった。
武蔵の在地権力が強かったと言っても数百年の短い期間で永続的とはいえず
しかも主要な根拠地が「広大な」武蔵国を短期間に北へ南へと大きく移動するのは
粗放農業のため地味の低下が激しく移動または興亡(勢力交代)を
余儀なくされたからだと思われる。

182 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/03(金) 02:59:17

出雲人の関東入植は大国主の国譲り以降なのだけれど、
そんな彼らが焼畑粗放農業とは?

183 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 03:23:28
>>182
粗放というのは驚異的な集約農業である水田稲作と比較して粗放だということだよ。
焼畑粗放農業自体は、朝鮮半島などでは19世紀までごく当たり前だったわけで
上代の日本では全く驚くようなことではないよ。
日本の稲作文化はかなり長期に渡って複数文化の渡来と内在的発展を繰り返した
重層的なもので、弥生時代に完成品が一層で渡ったものではないと考えている。
弥生早期に朝鮮経由で伝わったらしい水田稲作は後世の日本式稲作の一部要素でしかない。
これは北アジア的畑作雑穀農耕と深い関係があったらしく、
水田稲作技術とセットで畑作技術も携えていたことは確実だ。
彼らが関東平野に入り、手の施しようがない大河川の氾濫原・大湿地と
火山灰土で生産性が絶望的に低い谷地、そして広大な台地を見た時、
手持ちのツールの中から「畑作雑穀農業」を選択して
台地の焼畑化を進めることにしたことはごく自然なことだと思うけど。

184 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/03(金) 03:30:34

出雲人は関東入植後、常陸の国鬼怒川下流域では水稲定住農業をしていた様に見えるが。

185 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 03:42:34
>>184
そりゃ出来るところでは水田をひらくだろうよ。稲作は収量が多く魅力的だからね。
だが、それでは足りず、または東日本太平洋側特有の冷害被害などもあるわけで
粗放的畑作をメーンに据える方が、当時の関東平野とりわけ武蔵国では
自然条件と入植者の農法ツールから見て有利だったということだろう。
武蔵>毛野、常陸となった理由はこの状況を前提とした場合の総体的生産力が、
台地が多い武蔵が圧倒的有利だったということによるのだろう。
だがそれは徹底した森林破壊と度重なる勢力興亡という副作用を生み、
もちろん畿内政権の国力には全く歯が立たなかった。

186 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 18:49:07
出雲人の関東入植がガセだろう

187 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 01:48:58
>>186
関東平野の神社の祭神を調べれば。

>>185
貧栄養土壌で水の無い台地部では澱粉質穀類芋類の生産は無理。
澱粉質を含まない低カロリーの野菜しか育たない。
台地部の焼畑で育てられる澱粉質は精々麦類、それも極端な低収量。
火山灰土の少ない地域でしか澱粉質穀類芋類は収穫できない。

もし日本の古代に薩摩芋やじゃが芋があれば歴史は全く異なっていたと思う。

188 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 02:59:49
>>187
焼畑なら森林土壌が蓄えていたリン酸がまだ残っているから
開墾して数年の間なら蕎麦や雑穀程度なら何とかなるわけで。
収穫量が落ちてきたらまた他の森を切り開くことになる。
谷地での稲作はこうはいかないのは、
水田稲作は粗放的にどうしても出来ないという事情があるから。
葦原を焼き払ってもその直後に播種できるわけじゃない。
まず水田に水を張るための水利をきっちり確立しなければならないからね。
それだけの時間と労働力投入が必要なのに、
数年内にすぐにリン酸不足になって小水田は使い物にならなくなる。

189 :氷川は大宮、女体は浦和:2006/03/04(土) 09:23:57
【大宮台地】
他地域でも無理だし、稲作は無理。
大規模河川周辺で農業開発は近世以降。
江戸時代でも大宮台地の村々は畑作農家多し。
武的要素は埼玉の他地域よりも薄い。特に浦和は。

190 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 11:08:03
焼畑はカルシウムのイオン化作業。
カルシウムイオンで酸性土壌を中性化するのが目的。
耕作により土壌が再酸性化すれば土地の放棄。これが焼畑農業。

水稲は比較的酸性土壌環境でも生育するので焼畑作業の必要性なし。

燐酸は森林を焼いても土壌に補給されない。
木は殆ど燐酸を含有していないから。

燐酸の土壌への補給は、動物の糞尿死体と上流から河川水。
原生林大宮台地への燐補給は鳥の糞と小動物。
非人為的な燐の再生は不可能。

191 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 16:06:00
>>190
いやいや、リン酸が再生不能だからこそ「1回限り」になったわけで
それで武蔵野の森林破壊が加速度的に進んだのジャマイカ。
焼畑の肥料的意義は基本的に草木灰供給によるカリウム分の補給だよ。
窒素とリン酸は既存の森林土壌からそのまま受け取ることになる。
火で燃やすというのは木材を使うという目的が無い限り
古代においては最も効率的に森林を切り開く方法なので
肥料補給だけの問題でもないけどね。

192 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 17:44:51
>>191
栄養学的にはカリウムの補給には異存なし。
焼畑の最大の目的は酸性土壌の中性化です。
酸性土壌では多くの農産物が育たないし育っても収量は少ない。
日本では土壌の酸性化を防止する為に、雑穀畑作農業においても集約農業にならざるをえなかったのです。
縄文期の西日本の人口過疎は雑穀畑作集約農業技術がまだなかったからと思います。
酸性土壌の日本だからこそ水稲が急速に普及したのです。

本題に戻って、8世紀の武蔵野の草原化は焼畑農業によるものでないでしょう。
仮に一度草原化しても、50年も経てば森林は回復し始めますから。

193 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 18:15:04
>>191

参考:
日本の弥生時代の始まりは水稲を含めた穀類集約農業技術が入ってきた頃(縄文末期〜晩期)ではないかと思います。
縄文文化の発展した平野地域は、酸性土壌の火山岩地帯ではなく、中性土壌の水成岩地帯であることが関連していると思います。

中国春秋時代に、大陸中部から水稲集約農業技術が、大陸北部から雑穀集約農業技術が前後して日本に入ってきたのではと思います。

194 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 19:01:46
>>193
ん?縄文文化の発達した地域は火山灰地が中心だよ。
関東平野、中部山岳(八ヶ岳山麓)、熊本平野などなど。
縄文末に朝鮮経由で九州に渡来した北方系の稲作+畑作の農耕文化を
粗放というか集約というかは程度の問題なのかもしれないけどね。
田植え法、稲作儀礼、餅食、稲藁文化、庭での多様な植物栽培といった
複雑な日本式稲作文化体系はもっと複雑な受容と発展の後に
完全な形としては中世頃確立したものと思われる。
要素渡来は弥生早期ではなくもっと前のものともっと後のものがあったようで
長く見る必要があるように思うよ。弥生時代の中国からの渡来は疑問視している。
ともかく、
武蔵野の草原化のとどめを刺したのが牧場政策だったことは俺も否定しないよ。
切り開かれて疲弊した土地がこれ幸いと牧場に利用され草原化は完成したんだろう。
下草がほとんど生えない照葉樹林をいきなり牧場化するということは
あまりにも考えづらい。

195 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 23:30:45

「縄文文化の発展した平野地域」とは、人口の多い、
福井、青森のような巨大遺蹟を残す権力があった地域を意味して書いたつもりでした。
多数の人口を抱えていない縄文集落のことではありません。

196 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/14(火) 16:36:29
>>194
疑念について説明します。

>下草がほとんど生えない照葉樹林をいきなり牧場化するということはあまりにも考えづらい。

牧草地に作るにも土壌の中性化を図り、
牧草が良く生えるようにしなければなりません。
樹林を焼くことにより牧草を生育しやすくするのです。
樹林を伐採して牧草地化するのではありません。
ですから樹林を焼けば、
翌年から樹林の牧草地化が、特別の手を加えることもなく始まります。
(牧草の種付けは自然に任せるか人為によるかの差はありますが。)

既に牧草地であっても、新芽の芽吹き始める前の2月頃に野焼きをし、
その年の牧草の生育を促します。

197 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 21:36:44
>>187
もともとの武蔵国造は阿倍姓
出雲系を称したのはあと

198 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:38:10
今月のムーに
関東の大王が藤原京を手本に大里京を作ったっていう
話が載っていたけど
あれってトンデモ説?

199 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/14(火) 23:51:11
>>197
関東の出雲系は、出雲の国譲りで東方に逃げだした難民の一派である外来者。
関東で出雲系と名乗るには相当実力を蓄えてからでないと関東内では不利。
武蔵が九州王朝の一つの大王国(夷)となれば出雲系と名乗るメリットがある。
九州王朝内大王国順位は@筑紫A出雲B肥C浪速D越?E尾張?F夷であり、
武蔵が九州王朝大王国となった頃には実力No1大王国は肥であったから。
継体が九州王朝実力者の応神五世の孫と言って虚勢を張ったのと同様。

>>198
トンデモ説かどうかは知りません。
検証に値するものかもしれません。
今月のムーはまだ読んでいないのですが、
条里制を示すものが発掘されたのですか?

仮に手本から大里京を作ったのであれば、
その手本は倭京(大宰府)でしょう。
藤原京の手本も倭京です。
浪速(大阪)では第一次浪速京があります。
あと、尾張(美濃)・出雲・越(福井)にも京址が発見される可能性があります。
倭京が「大宰府」であるのに対し、第一次浪速京や大里京は「宰府」の位置づけになるのでしょう。
ただし、平城京は倭京を凌ぐものとして建設されたものでしょう。


200 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 00:01:16
阿倍(稲荷山鉄剣)⇒出雲(旧事紀)⇒物部(氷川)

201 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/16(木) 03:01:56
>>200
>阿倍(稲荷山鉄剣)⇒出雲(旧事紀)⇒物部(氷川)

夷(関東)大王国(武蔵)の支配者が、安部→出雲→物部と変わっていっただけですね。
これは畿内朝廷の見方か九州王朝の見方によるかによって変わっているだけかもしれません。

たとえば、7世紀(九州王朝の認識・毛野半島派兵)では関東大王国の中心が武蔵でなく毛野になっています。
これは現在の下総と呼ばれる地域の北部が8世紀(畿内朝廷の認識・常陸国風土記)では常陸に含まれていたように、
7世紀での武蔵北部地域は毛野に含まれていたと考えられます。
8世紀(畿内朝廷の認識)では武蔵北部地域は毛野ではなく武蔵になっています。

さきたま古墳群のある現在の行田市の地域が時代によって毛野か武蔵であるかの決定をしなければならないでしょう。
僕の認識では、行田市の地域は7世紀までは毛野で、8世紀からは武蔵です。
氷川神社のあるさいたま市の地域は変わりなく武蔵でしょう。
もうひとつ注意すべきは出雲系の分布が、関東平野南部低地部から常陸方面であることです。

結論は場所の移動による変化
阿倍(稲荷山鉄剣):毛野南部(武蔵北端) ⇒ 出雲(旧事紀):武蔵中部低地部 ⇒ 物部(氷川):武蔵中部低地部

202 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 19:32:01
ムーを買ってみた
埼玉県北部、旧大里町に大里京はあったと著者は推論している
国宝「延喜式」の「紙背文書」の裏側に記された大里郡坪付によると
大里条里は南北9条東西10条に渡り存在したという。
これは大里町を中心に熊谷市や行田市に跨る条里遺構に該当すると言う

大里を内裏と推定したり宮郭という地名からそこに宮殿があったなど
かなり強引なこじつけが多いことから作者の妄想ともとれるが
下田町遺跡からは掘建て式の小屋郡に混じり大型の建築物の遺構が見つかり
溝や建物が東西南北の四方に向け整然と方向つけられていることから
ここに豪族当たりの館と集落ががあったことは確かなようだ

203 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/17(金) 04:47:43
大里京存在の可能性は否定できませんね。
元荒川と和田吉野川に挟まれた水利(井戸)の良い台地地域ですから。
残念なことに江戸初期の荒川付け替え工事で、
条里制が残っていたかも知れない地域の真ん中が破壊されていることです。
又、宮址部分が完全に破壊されていると思われることです。
著者の論より西よりに大里京があれば、条里の東部分が破壊されているだけで、
宮址はそっくり地下に眠っていると期待したいです。

条里制の痕跡が残っていないかと衛星写真で調べようとしましたが、
丁度この地域の解像度が悪く調べられませんでした。
下田町遺蹟の上にできた工場は解像度の高い部分の北端にばっちり写っていたのですが。

下田町遺蹟を発掘している頃、仕事で行田駅を降りたことがあるのですが、
その時知っていれば下田町遺蹟や大里町の方面に足をのばしたのに。

204 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 18:27:14
いや、関西だろ

205 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/20(木) 21:43:46
>>201の補足
毛野と武蔵の境界の変更
行田市〜熊谷市〜大里郡の地域が毛野国から武蔵国に編入されたのは、
武蔵国が秩父国を含む21郡に編成された717年です。


206 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:10:54
九州王朝大好き氏は、さいたま市民?

207 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 16:15:21
確か、奈良県のご出身だったような

208 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/22(土) 16:59:26

鹿児島生まれの奈良出身です。
学校は奈良神戸東京でした。
子供の頃は天皇御陵に入って遊んだこともありました。(戦後は入れた時期がある)
仕事の出張の折には足を延ばして、鹿児島から北海道まで現地調査で回ってきました。
今は阪神間に住んでいます。

209 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 22:16:47
【歴史】関東地方の『武蔵』の地名の由来は朝鮮語の『モン(苧麻)』〔04/22〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145695734/

210 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:56:08
ホロン部って頭のいい人いなさそうだね

211 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:09:53
九州王朝大好きは、さいたーまの地形に詳しいですな

212 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/23(日) 12:21:33
>>209
怪しげな説なら下記のほうがましじゃないかな?

武蔵←ムサシ←ムサシモ←ムサ下←ムサ
相模←サガミ←ムサカミ←ムサ上←ムサ

常陸←ヒタチ←ヒタシモ←ヒタ下←ヒタ
日高←ヒタカ←ヒタカミ←ヒタ上←ヒタ

>>210
「ホロン部」とは何ですか?

>>211
関東には住んでいたましたし、四十数年前から最近まで、
休日には関東平野のあちこちに車でドライブやオートバイでツーリングをしていました。


213 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:22:38
そろそろ大好きさんの著作出版に期待していいですか?

214 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 15:32:17
>>212
>「ホロン部」とは何ですか?

日本人に対して、「韓国人・朝鮮人・韓国・北朝鮮は優越である」という
メッセージを発信している人達。また、在日韓国人・朝鮮人の擁護レスを
組織的に書き込んでいる人達。日本語に難有りなケースも見受けられる。
又、日本及び日本人に関する全ての事象のルーツを朝鮮半島に求める変てこ
な理論の普及・啓蒙活動も精力的に行っている。
以下、コピペ
>ホロン部 【名・形】
>
>一定時間帯(主に夕方)になると一斉に擁韓・媚韓レスを付ける在日工作員
>および電波レスをする人のこと。
>書き込みが可能な時間が決まっているのか、ある時間になると一斉にレスを
>しなくなることから、 半島系学校のクラブ活動ではないかと噂されている。
>ある時そういう電波の一人が、日本語で「日本は滅ぶ」と書こうとしたとこ
>ろ、 「日本はホロン部」とミスったままレスをしてしまったために、「ホ
>ロン部」と呼ぶようになった。
>
>用例:
>「〜はホロン部」
>「はいはい、ホロン部ホロン部」
>
>別形態として
>「気味タッチ部」「heppy部」等が確認されている。
>
>最近のホロン部の傾向は
>・僕は〜人(日本だったり、海外在住のとかいったり)
>・直接罵るのではなく、印象操作を試みる
>というのがあるな。
>でもやり方が稚拙で、何の効果も上げられていない。

215 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:21:24
>>209みたいな電波は、ある意味、ホロン部wの限界を示しているな。
日本語のある単語の語源が朝鮮語だと主張するなら、その朝鮮語の
語源は何なのかまで示すべきなのに、それをしないし、出来ない。
まさか、彼等は朝鮮半島こそが人類発祥の地だとでも思っているのか!?
人類の全ての文化は朝鮮半島発祥とでも言うのか!?
天動説もいい加減にして欲しいもんだ。


216 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 17:10:52
>>212
その怪しげな説だと疑問が生じる。
何故武蔵の古語である「无邪志」に「下」の字が入ってないのか?
という疑問。怪しげな説に従うのなら、「无邪下」となるのでは?
また、ムサシモ→ムサシと変化したなら、何故ヒタシモ→ヒタシでは
ないのか?等々。

まだモサシ→无邪志→(多支鹵→武・ニ文字化政策)→武蔵の説のほうが
解かり易い。

217 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/23(日) 23:52:46
>>216
武蔵←无邪志←ムサシ←ムサシモ←ムサ下←ムサ 語尾消え
常陸←ヒタチ←ヒタシ←ヒタシモ←ヒタ下←ヒタ 語尾消え発音し易く
こんなんでどうでっしゃろか?

218 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:37:50
>>217
では、无邪志の古語である身刺は何と説明するの?
どっちにしても、「下」という字が当てられてないわけだけど・・・。
賀茂真淵の上下説は同じ語から発すると推測した地名が結果的に、
「武蔵」「相模」と全く別の漢字が当てられているという事実を
無視しているように思えて仕方ない。


219 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/24(月) 11:55:58
>>218
別漢字はその通り。

勝手な想像だが、
武蔵←无邪志←身刺←mssaシ←mssaシモ←mssa下←mssa
相模←saガミ←mssaカミ←mssa上←mssa
とも考えられる。

西日本的発音であれば、musaかmisaになり、mssaは無い。

220 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/24(月) 13:49:56
武蔵←无邪志←mssaシ←mssaシモ←mssa下←mssa
武蔵←身刺←mssaシ←mssaシモ←mssa下←mssa

221 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:24:51
では、九州王朝大好き氏に訊きたいけど、上毛・下毛にはちゃんと上下の
漢字が当てられていることをどう思う?
また、上毛・下毛は最初に上下が付いてる。つまり、上(下)+毛(野?)
だよね。
なのに、>>212>>217>>219-220の例はムサ+上(下)というように、
後に上下が付く。隣接している地域なのに、何故、上下の付き方が違うのか?
日本語の構成としては、方角や位置は名前の前に来るのが普通じゃないかな?
遠い江→遠江とか、近い江→近江みたいに。或いは、現在の地名でも、
下高井戸とか、北鎌倉とか。だから、上毛・下毛はスンナリ納得出来るけど、
「ムサの下」というのは変だと思わない?


222 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/25(火) 00:59:22
上毛・下毛・上総・下総しかり。
しかしこれは8世紀畿内天皇朝廷になってからの分割命名です。
7世紀までは「ケヌ」「フサ」で上下に未分割。
「相模」「武蔵」と「常陸」「日高」に分かれたのは、
5世紀以前と古いとも考えられる。
もうひとつ奇妙なことは、
武蔵・相模は西南が「上」で東北が「下」とケヌ・フサと同じ、
一方日高・常陸は東北が「上」で西南が「下」である。
矛盾だらけです。
なお「日高」は茨城県北部から福島県南西部ですが、
仙台平野を中心地とした「日高見国」(8世紀迄)と関係があるのでは???
日高見←ヒダカミ←ヒタカミ←ヒタ上????

想像だけが膨らみます。



223 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 02:46:55
う〜む、大好きさんがこれほど古代関東マニアだとは!

224 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/25(火) 12:33:03

興味が湧いたところはどこでもマニアです。
奈良出身で、郷土史マニアになれないので。

225 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:45:46
>>224
何故?
やはり、奈良はいろいろと面倒臭い部分があるのですか?

226 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:06:38
>大好きさん
好人物

>性牛くん
変態

227 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:27:26
>>222
>7世紀までは「ケヌ」「フサ」で上下に未分割。

いや、「フサ」については知らないけど、毛野は5世紀に分かれたはず。

>武蔵・相模は西南が「上」で東北が「下」とケヌ・フサと同じ、
>一方日高・常陸は東北が「上」で西南が「下」である。

その「あやしい説」の上下は、もしかしたら方向を表している
わけではないのかもね。
こうは考えられないかな?上毛・下毛の上下は方向を表しているので
語頭に来るけど、「ムサ」&「ヒタ」の上下は方向以外の意味で使われて
いるので語頭に来ない。
それだったら、武蔵・相模と日高・常陸の上下の位置が違うのも理解出来る。
ただやはり、「あやしい説」はちょっと強引な説であると思う。


228 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 02:08:24
>>219>>220
昔の方言の音韻は現代語の感覚で考えてはいけないという問題があるからねえ。
ズーズー弁は縄文語の名残だなどというどうしようもない電波説があるが、
ズーズー弁は16世紀末には存在しなかったらしいことが
ポルトガル宣教師文献や数少ない日本語の音韻文献などから伺える。
関東方言の母音の弱さはこの16世紀末のポルトガル語文献にも記されているので
ズーズー弁よりは歴史が古いだろうが、どこまで遡れるかは分からない。
奈良時代の東歌の万葉仮名表記には母音脱落の痕跡は見られない。
九州王朝説によって北部九州で歌われたと説明される記紀の古歌は
今の関西弁以上に明瞭な開音節の母音中心言語であったことが明らかで
これは今の福岡県博多以西の方言の特徴とは似ても似つかない。

229 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/26(水) 16:03:30
>>227
ケヌの上下分けの時期については簡潔に説明できるまで待って下さい。

>上毛・下毛の上下は方向を表しているので語頭に来るけど、
>「ムサ」&「ヒタ」の上下は方向以外の意味で使われているので語頭に来ない。
同意。
前後の方向性は畿内からを示していますが、
上下の方向性は何処からを示しているのでしょうね?

否定できる明確な根拠がないので、今後の宿題でもあり、あやしい説です。

>>228
毛野の現地古音「ケヌ」
ケヌ←ken(n音が非鼻音)
ケノ←ken(n音が非鼻音)
「ケノ」「ケヌ」「キヌ」は、「kn」を曖昧母音付きで発音したのではないでしょうか。

万葉仮名は西方文化だから東歌といえども西方言語で歌われたと思いますよ。
万葉仮名は現在の標準語で発音する以上に関西弁的発音がしっくりするのです。
標準語で発音すると違和感を覚えるのです。
西方言語(万葉言語)は九州王朝言語であり現在の関西弁に近いものと思います。
関西弁は、開音節というよりも標準語やその他の方言に比べて
語尾の母音をはっきり発音するのがひとつの特徴です。

又、韓国の慶州方言と関西弁が似た感じであることもひっかります。

230 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:46:06
同じマクドナルドの略し方でも、関東ではマック。関西ではマクドぉ。
現代でも母音の違いがハッキリしている。
昔なら尚更だろうね。

231 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:17:06
>>229
上代平城京方言がアクセント面では平安末の京都方言とほとんど変わらず、
これが現代畿内方言にかなり保守的にひきつがれていることには全く同意しますが
私が主張したいのは、この万葉語と同じ音韻特徴を持つ記紀の古歌謡が
今や関西弁とは似ても似つかない音韻特徴の方言を持つ北部九州で
歌われていたらしい(九州王朝説)ということ。
これは現代の方言差を古代へ不用意に敷衍させてはいけないことを
雄弁に物語ります。例えば古代大宰府の方言は現在の「ちっごべん」とは
似ても似つかない明瞭な開音節言語だった。
同様に、今の関東方言の特徴を古代へ不用意に敷衍させてはいけないのです。
東歌に残る古代東国方言は、音韻上は畿内と同じく母音の甲乙を使い分けており
その上で「ふろよき(降る雪)」「にの(布)」のような「訛り」が記述されている。
つまりこれは当時の東国方言の音韻をかなり正確に音写したことを示唆します。
しかも畿内語から見て奇妙な字足らず・字余りは存在しない。
ということは音節構造も畿内語とほとんど変わらなかったらしいということです。
もし母音の脱落や閉音節が頻発していれば、現地音の音節のカウントがずれてしまい
畿内語の万葉仮名読みから見て奇妙な字足らず・字余りが頻発するはずなのです。

232 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:45:21
231の続きなんだけど、
朝鮮語のアクセントと日本語のそれは「他人の空似」の域を出ませんよ。
今では南東部と北東部の一部にしか残っていない
朝鮮語のアクセント体系は「上がり目」をメルクマールとするもので
東京式の丁度逆。システムが京阪式とは全然違う。
しかも対応するとされる単語の間にもアクセントの対応関係が無い。
日本語の古アクセントについては、対応するとされる他の言語としては
オーストロネシア語族のタガログ語のアクセントと
初拍に限っては偶然以上の一致を示すようですが。
初拍アクセントの重要さについては
京阪式アクセント体系をご存知の方ならすぐ分かると思います。

233 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/27(木) 21:17:00
>>231
現代の方言差を古代へ不用意に敷衍させてはいけないことには同意します。

しかし日本語は歴史的に開音節言語であり続け、
方言においても閉音節言語であったことはありません。
万葉歌謡においても、方言が開音節であるかぎり単語の音節数が同じであれば、
字余り現象は起き得ません。
時代地域によって母音の強弱があるだけです。
現代語の「〜です。」の例をとれば、
関西語:〜desu 〜デスゥ
標準語:〜des 
標準語ではs音につながる母音が弱くて曖昧で、
語尾音は閉音節言語のように聞こえる弱い母音。
>>230の例では
関西語:マクドォ  マックゥ
標準語:マクド   マック(語尾音は閉音節言語のように聞こえる弱い母音)
語尾母音を強く発音したり弱く発音すると
マックゥやマクドでは発音しにくくなりますね。
関西では「マクドォ」と発音しても「マクド」と書きます。
開音節言語であるかぎり古代方言は万葉仮名で書けたのです。

慶州方言(慶州南道)については朝鮮語について論じているのではありません。
関西語の様に語尾母音を強く発音することに注目しているのです。

234 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/27(木) 21:28:59
>>233
関西語式の高低アクセントでないと語尾母音を強く発音しにくいです。

マクド
低高低
/\

235 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:09:50
>>233
鹿児島方言が余りにも有名ですが、それ以外にも豊前豊後を除く
九州の大部分の方言はすでに「閉音節」と言ってもよい状況ですよ。
薩摩弁の「くぎ」は「クッ」で1音節の閉音節です。
東京方言などについても「です」を[desu゚](最後の記号は無声化音)ではなく
[des]と発音するとするならすでにこれは「閉音節」となっているということ。
関西の場合無声化は確かに少ないのですが、語尾は実は結構飲み込む要素が強く、
「のや」→「ねん」のように撥音になったり、「おます」→「おまっ」のように
声門閉鎖音を使って正真正銘の閉音節が出現していたりします。
「ねん」はモーラは2つですがシラビーム単位では全くの1音閉音節です。
「です」を「ですぅ」と文字通りの発音をするのは
これが関西弁にとって東京からの外来語だから。
「よそ行き語」で「こなれていない」ので「*でっ」にはならない。
近年では「〜でっせ」「〜でっか」までは「こなれつつ」ありますが。
それに、東京の「マック」の「ク」はあまり無声化しません。
「撒く」の「く」はほとんど母音脱落で[mak]に近づきますが、
「マック」は促音が逆に最終音節の母音発音を丁寧にさせる働きをします。

236 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/28(金) 16:06:20
>>235
鹿児島方言は江戸時代に江戸幕府からの閉鎖性を作る為に、
人為的に変えられた言葉として閉音節が多くなったのでしょう。

「九州の大部分の方言はすでに「閉音節」と言ってもよい状況」とはよく知りませんでした。
畿内朝廷と関係の深い豊を除く九州の全ての地域で閉音節化をしているのは興味深いことです。
8世紀初頭に畿内朝廷による九州王朝派狩が行われました。
その時畿内の追手から逃れる為に非九州王朝語化した結果閉音節化したのではないか、と想像を広げてしまいます
又、8世紀以降も畿内朝廷に抵抗し続けた肥の人達、
特に肥後人の特別な関西弁嫌いはその反畿内の影響ではないかと思われます。
豊を除く九州の人は全国的に比較すると関西弁嫌いです。


「です」の発音は、東京語では「desu゚」で語尾母音は無声化音又は弱音ですね。
NHK語(特にナレーション)は完全に「des」で閉音節化していますね。


237 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:36:30
>宇佐比乃禰

うざいのね?

238 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 02:20:00
陸奥(道奥)國が置かれる以前は、常陸(常道)國は仙台市南方迄の広大な国だった。
のち北部の宇多・行方・標葉・磐城・菊多(=キタ.常陸多珂郡の北部を割く)5郡を分けて石城國を設置。その石城國も、陸奥國が新設されると西隣の石背國と共に吸収された。

「ヒタチ」は常陸の枕詞であり、「ヒタチの常陸(つねみち)」と言った。
扨て、このヒタチだが、私は日高路(ひたかみち=ひたかぢ)の訛化ではないかと考えています。

239 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/14(日) 00:52:44
>>238
「ヒタチ」の言葉の歴史はそのような新しいものでないと思えます。
常道国は712年に畿内朝廷によって仙台平野南部以南の太平洋沿岸部地域に設置されたものです。
中心地は相馬orいわき?
(仙台平野北部は日高見国に対する前線として724年多賀城国府設置。
最初の多賀城政庁設置は7世紀初頭の九州王朝系勢力。
日高見国中心地は仙台平野から日高見(北上)川中流域まで既に北退。
日高上国は親九州王朝、反畿内朝廷?)

ヒタチは日高見路(ヒタカミミチ→ヒタカミチ)が語源かもしれませんね。
しかし6世紀末まで独立勢力がいたヒタチがヒタカミチと言うのも変ですし?
枕詞であれば「ヒタチのツネミチ」で「ヒタチ」の語源も8世紀として合理的になりまね。
7世紀以前には、「常陸」は「ツネミチ」と読まれていたことになりますね。

240 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/14(日) 03:38:16
間違い修正
誤:最初の多賀城政庁設置は7世紀初頭の九州王朝系勢力。
正:最初の政庁設置は7世紀初頭の仙台郡山遺蹟で九州王朝勢力。

241 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/14(日) 03:54:24

最初の政庁設置は7世紀初頭の仙台郡山遺蹟で九州王朝勢力=日高見国
日高見国が九州王朝に参画したのは7世紀初頭か?

242 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:06:17
道奥(→陸奥、みちのく→むつ)と常道(→常陸)の道(みち)は、同じ幹線道路(日高路・日高見路)、又は行政区域としての道(ドウ)を指しているのでしょうか?

243 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/14(日) 22:12:23
「ミチ」は行政区画を示していたと考えざるをえないです。
陸奥(ミチノク)・常陸(ツネミチ)・常道(ツネミチ)は其々陸奥国・常陸国・常道国として存在していたからです。

「ヒタチ」が枕詞であることは僕にとって新しい知見です。

244 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 22:38:23
ヒタチを『日(太陽)の立つ(昇る)処』(= 東の果て)と解釈して、彼の地の日立銅山(日本鉱業梶ィ現・款゙ャパンエナジー)、引いては茨城縣多賀郡日立町(現・茨城県日立市)が名付けられました。
鉱山の電機修理部門が、のちの日立製作所です。

245 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 23:54:53
>243「敷島の大和」も枕詞ですよね。

「長谷の初瀬(泊瀬)」(ながたに の はつせ)から、長谷をハセと呼ぶようになったようなものですね。

246 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/17(水) 18:09:55
>>238
>「ヒタチ」は常陸の枕詞であり、「ヒタチの常陸(つねみち)」と言った。

枕詞としての「ヒタチ」の出典を教えていただけませんか?
探してみましたが、見つけられませんでした。


247 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/20(土) 11:43:45
>>238
>「ヒタチ」は常陸の枕詞であり、「ヒタチの常陸(つねみち)」と言った。

「ながたに の はつせ」(長谷の初瀬)が「はせ」(長谷)になったことが判るように、
「ひたち の つねみち」(ヒタチの常陸)が「ひたち」(常陸)になったことが判る資料でもかまいません。

248 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:48:27
へえ

249 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:51:51



250 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:56:19
えへ

251 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/26(月) 05:15:52
>>198-203
大里京(熊谷市大里町)が確認できました。
衛星写真の精度が上がり、大里京の痕跡が認められるようになりました。
大里町中心部集落が大里京条里制の範囲内に入っていますね。
周辺の農地も農地改良で農地区画が変更されていますが、
この地域の農地だけが特異的に正確に南北に区切られているので、
これは条里制の影響でそうなったものと思われます。
農地改良前の航空写真が手に入れば、
南北9条東西10条の範囲も正確に特定できると思います。
現地発掘できれば駄目押しで確定できるのですが。


252 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 16:29:27
九州弁、琉球方言、東北弁、北海道弁…なんか、似てる気がするのは漏れだけ?

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