5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part32

1 :日本@名無史さん:2005/09/25(日) 16:42:29
現皇室には秋篠宮以来男子が生まれていません。
今後の誕生の可能性も決して高いとは言えない状態です。
ひょっとしたら、私たちは日本の国始まって以来の事態に
立ち会おうとしているのではないでしょうか?
天皇制の歴史を顧みながら、女帝と女系皇室の具体像を語るスレです。
有識者会議に倣って、みんなで皇室典範の改正案を練って愉しみましょう。

過去スレは>>2-3

69 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:32:30
天皇も今のほとんど自由の無い生活より
ホームレスと肩を組みワンカップで焚き火を囲み、酒盛りをして
盛りあがってた方がホントは幸せなのかもな。

70 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:33:26
昭和天皇の日本国民観

・日本人は教養が低く、宗教心が足らない
(1946年10月、第3回マッカーサーとの会見で)

同年の別の会見でも、天皇はマッカーサーに日本国民は
子供のようだと打ち明けている。
日本国民は、落ち着きがなく、付和雷同的でいつも外国の手本を真似ようとしている。

同じことを、彼は天皇の戦争秘録を書きとめた稲田や木下にも語っている。

山極晃ほか編「資料日本占領I天皇制」大月書店
木下道雄「側近日誌」文芸春秋
「稲田周一備忘録」


71 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:34:38
●昭和天皇が自身の戦争責任について述べた唯一の発言

「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていな
いのでよくわかりませんから、
そういう問題についてはお答えができかねます」
「この原子爆弾が投下されたことについて遺憾には思っていますが、
こういう戦争であるからどうも、広島市民に対しては気の毒であるが、
やむを得ないことと私は思っています。」

1975年10月31日アメリカから帰国後記者会見で。

これ以降、昭和天皇に戦争責任問題を問うことを宮内庁は認めなくなった。
(質問を事前にチェックするようになった)


72 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:47:58
>>70
天皇といえども、国民性について一歩はなれた立場で思うことはあるだろう。
あなたとそう思うでしょ?
私は明後日の方向とは思わない。
それは現実の日本人としての立場とはおのずと別だ、
マッカーサーに食料供出を求めている点も指摘しなくては不公平だろう。

73 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:48:51
推敲ミスったorz
感じろ。

74 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:53:16
>>72はキチガイです。

75 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:55:33
●ガタルカナルの消耗戦は昭和天皇が引き起こした。

昭和天皇は、動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司令官たちを督戦した。
天皇が圧力を加えたため、杉山や永野はガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めた。

1942年8月6日、9月15日、11月5日、11月11日の4回、天皇は参謀本部に対し、危機に瀕した海軍を助けるため、
さらに多くの部隊と飛行機を投入するように要求した。陸軍のパイロットには渡洋作戦の経験がなかったにもかかわらずである。

9月15日、杉山の上奏に対して、天皇は陸軍航空部隊の戦闘への投入を要求し、いつになったらニューギニア東端のラビを
占領できるかと飛躍した提案を行った。

杉山は北支那方面軍を増強し、陸軍航空隊のもとで重慶に進攻するための大攻勢をかけようと計画していたが、
天皇がその作戦の変更を強要したのである。

海軍、陸軍共にガダルカナル作戦の中止を考えていたが、天皇がガダルカナルの部隊に「朕が信倚に副はんことを期せよ」
と勅語を述べ、暗に部隊が天皇の期待に応えていないことを示唆した。

11月になり、やっとガダルカナル奪還が不可能ということに気づいた天皇がとった行動は、伊勢神宮参拝のための2日間の
特別な行幸であった(現実逃避の神頼み)。

12月31日の大本営御前会議では、統帥部はガダルカナル撤退を天皇に報告したが、天皇は、「ただガダルカナル島攻略を
やめただけでは承知しがたい。どこかで攻勢にでなければならない」と主張し、杉山は「ニューギニア方面で攻勢をとり
士気を盛り返します」と答えた。

ニューギニア方面での新たな攻勢に希望をつなぐことで、またしても昭和天皇と統帥部は、太平洋における防衛戦への戦略的移行を遅らせたのであった。

中尾祐次「大東亜戦争における防衛転移遅延の要因」軍事史学会編
宇垣纏「戦藻録」原書房
山田朗「大元帥・昭和天皇」新日本出版社
井本熊男「作戦日誌で綴る大東亜戦争」芙蓉書房
防衛研修所戦史室所蔵、戦史資料・陸第二号「眞田穣一郎少将手記」
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社

76 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:56:49
1943年8月5日
杉山元参謀長作戦上奏
御上 何レノ方面モ良クナイ 米軍ヲピシャリト叩ク事ハデキナイカネ
総長 両方面[ラエ、サラモアとムンダ方面]トモ時間ノ問題デハナイカト考ヘマス第一
   線トシテハ凡有ル手段ヲ尽シテイマスガ誠二恐憚二堪ヘマセヌ
御上 ソレハソウトシテソウヂリヂリ押サレテハ敵ダケデハナイ第三国ニ与ヘル影響モ大
キイ 一体何処デシッカリヤルノカ 何処デ決戦ヲヤルノカ今迄ノ様ニヂリヂリ押
サレルコトヲ繰返シテイルコトハ出来ナイノデハナイカ
総長 海上ノ力モ十分ニ発揮シ航空ノ力モ発揮シテ「ワウ」ヲ取リ「ソロモン」方面モ既
得ノ足場ヲシツカリ堅メテ叩ク考へデアリマシタガ事志ト違ヒ申訳御座イマセヌ
御上 今度ハ一ツ今迄ノ様テナク米側ニ「必勝ダ必勝ダ」ト謂ハセナイ様ニ研究セヨ
(参謀本部編『杉山メモ』下 原書房 一九六七 二三〜二四頁)

1943年8月8日
御上 局地的ニハ克ク戦闘ヲヤツテイルガ何処デ攻勢ヲトルコトハ出来ヌカ 之ハ主トシ
 テ海軍ノコトデハアルカ・・・
杉山 何トシテモ陸軍トシテハ足ヲ持ツテ居リマセヌ足サヘアリマスレハ御仰セノコトハ
出来マス 之ハ方面軍司令官カラ申シテ来マシタ通リテアリマス[中略]
御上 航空ハ陸軍モ大分弱ツテ来タガ早ク力ヲツケルコトハ出来ヌカ
杉山 新事態以前ニ新作戦ノ為ニ準備中テアリマシタカ今度ノ自体発生以来鋭意速急ニ
送クルコトニ努力中テアリマス 航空路モ漸ク最近略完成シ空中輸送モヤツト
諸ニツイタ所デアリマス
御上 ソレハソウデアラウ 克ク解ツタ 出来ル丈ケ努力セヨ 
海軍ハ一体ドウシテイルノデアラウカ
杉山 陸軍トシテモ海軍ノ進出ヲハ切望シテイルノテアリマスガ海軍ニモモツト早ク
出度イ考ヲ持チナカラナカナカ意ノ如クナリ難イ事情ノアルコトト存シマス
御上 何ントカ叩ケナイカネー
(参謀本部編『杉山メモ』下 原書房 一九六七 二四〜二五頁)


77 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:57:42
1945年8月24日
杉山元参謀総長 永野修身軍令部総長 列立にて上奏
陛下 来年ノ春迄[ラバウルを]持ツト言フガモテルカ
杉山 第一ノ通り答[「御下問奉答資料」の番号か]
陛下 後ロノ線ニ退ルト言フガ、後ロノ線之が重要ダネ。
杉山 左様デ御座居マス 数千粁ノ正面ノ防備コレハ来春迄ニハ概成シカ出来マセン。
   ソレ迄ノ間前方ハモタナケレバナリマセン
永野 「ラバウル」ガ無クナルト聯合艦隊ノ居所ハ無クナリ、為ニ有為ナル戦略態勢ガ崩レマス。
   「ラバウル」ニハ出来ル丈永ク居タイト存ジマス
陛下 ソレハオ前ノ希望デアラウガ、アソコニ兵ヲ置イテモ補給ハ充分出来ルノカ 
ソレナラシツカリ「ラバウル」ニ補給デキル様ニセネバナラナイ ソレカラ其所ヘ
敵ガ来タラ海上デ叩キツケルコトガ出来ルナラバ良イガ、ソレガドウモ出来テ居ナイ
永野 以前ハ航空ガ充分働カナカツタガ、最近ハ大分良クナリマシタ
陛下 コノ間陸軍ノ大発ヲ護衛シテ行ツタ駆逐艦四隻ガ逃ゲタト言フデハナイカ
   [八月一七日の第一次ベララベラ沖海戦のことを指している]
永野 魚雷ヲ撃チツクシテ退散シマシタ
陛下 魚雷ダケデハ駄目、モツト近寄テ大砲デデモ敵ヲ撃テナイノカ 後ロノ線ニ退ツテ
今後特別ノコトヲ考ヘテ居ルカ
永野 駆逐艦モ増加スルシ、魚雷艇モ増ヘマス
陛下 電波関係ハドウカ「ビルマ」、「アンダマン」、「スマトラ」ハドウスルカ
奉答 同時ニ研究シマシテ具体的ニハ何レ更ニ研究ノ上申上ゲマス
(防衛庁防衛研究所戦史室・戦史叢書『大本営海軍部・聯合艦隊(4)』四二八頁

78 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:58:44
1943年8月5日
杉山元参謀長作戦上奏
御上 何レノ方面モ良クナイ 米軍ヲピシャリト叩ク事ハデキナイカネ
総長 両方面[ラエ、サラモアとムンダ方面]トモ時間ノ問題デハナイカト考ヘマス
第一線トシテハ凡有ル手段ヲ尽シテイマスガ誠二恐憚二堪ヘマセヌ
御上 ソレハソウトシテソウヂリヂリ押サレテハ敵ダケデハナイ
第三国ニ与ヘル影響モ大キイ 一体何処デシッカリヤルノカ
何処デ決戦ヲヤルノカ今迄ノ様ニヂリヂリ押サレルコトヲ
繰返シテイルコトハ出来ナイノデハナイカ
総長 海上ノ力モ十分ニ発揮シ航空ノ力モ発揮シテ「ワウ」ヲ取リ「ソロモン」方面モ
既得ノ足場ヲシツカリ堅メテ叩ク考へデアリマシタガ事志ト違ヒ申訳御座イマセヌ

御上 今度ハ一ツ今迄ノ様テナク米側ニ「必勝ダ必勝ダ」ト謂ハセナイ様ニ研究セヨ
(参謀本部編『杉山メモ』下 原書房 一九六七 二三〜二四頁)

1943年8月8日
御上 局地的ニハ克ク戦闘ヲヤツテイルガ何処デ攻勢ヲトルコトハ出来ヌカ
  之ハ主トシテ海軍ノコトデハアルカ・・・
杉山 何トシテモ陸軍トシテハ足ヲ持ツテ居リマセヌ足サヘアリマスレハ
御仰セノコトハ出来マス 之ハ方面軍司令官カラ申シテ来マシタ通リテアリマス[中略]
御上 航空ハ陸軍モ大分弱ツテ来タガ早ク力ヲツケルコトハ出来ヌカ
杉山 新事態以前ニ新作戦ノ為ニ準備中テアリマシタカ今度ノ自体発生以来鋭意速急ニ
送クルコトニ努力中テアリマス 
航空路モ漸ク最近略完成シ空中輸送モヤツト諸ニツイタ所デアリマス
御上 ソレハソウデアラウ 克ク解ツタ 出来ル丈ケ努力セヨ 
   海軍ハ一体ドウシテイルノデアラウカ
杉山 陸軍トシテモ海軍ノ進出ヲハ切望シテイルノテアリマスガ海軍ニモモツト早ク
   出度イ考ヲ持チナカラナカナカ意ノ如クナリ難イ事情ノアルコトト存シマス
御上 何ントカ叩ケナイカネー
(参謀本部編『杉山メモ』下 原書房 一九六七 二四〜二五頁)

79 :日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:59:41
1945年8月24日
杉山元参謀総長 永野修身軍令部総長 列立にて上奏
陛下 来年ノ春迄[ラバウルを]持ツト言フガモテルカ
杉山 第一ノ通り答[「御下問奉答資料」の番号か]
陛下 後ロノ線ニ退ルト言フガ、後ロノ線之が重要ダネ。
杉山 左様デ御座居マス 数千粁ノ正面ノ防備コレハ来春迄ニハ概成シカ出来マセン。
   ソレ迄ノ間前方ハモタナケレバナリマセン
永野 「ラバウル」ガ無クナルト聯合艦隊ノ居所ハ無クナリ、為ニ有為ナル戦略態勢ガ崩レマス。
   「ラバウル」ニハ出来ル丈永ク居タイト存ジマス
陛下 ソレハオ前ノ希望デアラウガ、アソコニ兵ヲ置イテモ補給ハ充分出来ルノカ 
ソレナラシツカリ「ラバウル」ニ補給デキル様ニセネバナラナイ
 ソレカラ其所ヘ敵ガ来タラ海上デ叩キツケルコトガ出来ルナラバ良イガ、
ソレガドウモ出来テ居ナイ
永野 以前ハ航空ガ充分働カナカツタガ、最近ハ大分良クナリマシタ
陛下 コノ間陸軍ノ大発ヲ護衛シテ行ツタ駆逐艦四隻ガ逃ゲタト言フデハナイカ
   [八月一七日の第一次ベララベラ沖海戦のことを指している]
永野 魚雷ヲ撃チツクシテ退散シマシタ
陛下 魚雷ダケデハ駄目、モツト近寄テ大砲デデモ敵ヲ撃テナイノカ 
後ロノ線ニ退ツテ今後特別ノコトヲ考ヘテ居ルカ
永野 駆逐艦モ増加スルシ、魚雷艇モ増ヘマス
陛下 電波関係ハドウカ「ビルマ」、「アンダマン」、「スマトラ」ハドウスルカ
奉答 同時ニ研究シマシテ具体的ニハ何レ更ニ研究ノ上申上ゲマス
(防衛庁防衛研究所戦史室・戦史叢書『大本営海軍部・聯合艦隊(4)』四二八頁

289 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50


read.cgi ver 05.04.09 2022/06/21 Walang Kapalit ★
FOX ★