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   四道将軍は実在した   

1 :大屋田子命(西夷大将軍):2006/01/22(日) 07:56:35
http://ha9.seikyou.ne.jp/home/Osamu.Kunimoto/funatujinjya.html
子孫は必ず沢山居るはずです。

2 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 08:19:04
吉備津彦命の墓(古墳)は吉備の中山にある。吉備の中山は古代から宗教的意味を持つ山で、
山頂からふもとにかけて、この古墳のほかに黒住教本部、備中国一宮の吉備津神社、備前国
一宮の吉備津彦神社、福田海本部(修験道系の新興宗教)などがある。

なお、五一五事件の犬養毅は吉備津彦命の家来の犬養健の末裔。生家は吉備の中山のすぐ
南側にある。

3 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 09:04:15
この少しあとに苗字制度が始まるのだが当時の人はまだ苗字がない。
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki.html
http://www.dai3gen.net/ems.htm
当時の日本人の名前の変化面白いよ。
名前は身分、生活様式、渡来か否かを顕す
九州の土蜘蛛の方々(足、手、耳垂、鼻垂)等体の名前がついてる。
倭人伝によると投馬国は彌彌那利、彌彌とおそらくミミ=耳で
土蜘蛛系だろう
初期の大王にも足がついてるのでやはり元は九州の土民の血が濃いのかも

筑紫国熊県の方は名前に熊がつく、熊襲国の人は鹿
動物の名前が好きみたいだ、狩猟民族の名残か
当時の大和政権の上層部は
彦(日子)、日、五十、鈴などを名前につけている。
特に出雲系に近い人は鈴、五十を好む。銅鐸、五十猛(スサノオの末裔だから)
ニギハヤヒも日だね。
九州の上層部の人は田という言葉が好きなようである。水田稲作
この少し後に近畿に白というトーテムが入る。

渡来アイテムは五十、鈴、日から白へと変わる。
東北に白という地名が多いのは新しい渡来人が入ったか、
新しい畿内文化が入ったかいずれか。

4 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:09:17
征夷大将軍の記述のはじめは崇神紀です。

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