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君が代 ーその由来を考えるー

1 :君代 巌:2006/03/01(水) 10:30:19
君が代は、題知らず、読み人知らず、とされています。永らく長寿を願う賀歌と信じられてきましたが、
ここ数年、君が代は九州起源の葬式歌との研究が発表され本が出版されています。君が代の歌は、本当に祝い歌か、それとも葬送歌か。喫茶店で話すように、談義しましょう。


2 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 10:41:27
とても良い国歌だと思う

君が代の歌詞云々は
変えないでいいと思う

国歌ぐらいは
時代背景に流されないようなものであって欲しい


3 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 10:41:07
 君が代葬式歌論のあらまし

君が代本歌、古今集の

 わが君は千世に八千世にさざれ石のいわほとなりて苔のむすまで

よく調べてみると、福岡県には、次のものが存在し、それをシンボルにした考え方が生まれた。
○美しい“千代”の松原(福岡市の福岡県庁のあるあたり千代町、昔、長く続く海岸 千代の松原だった)松が生えては枯れ、千代もつづくことから人間の寿命を越えた永久、悠久を感じた。
○さざれ石神社(ご神体は霊石、鍾乳石、石筍)前原市三雲
 古代人は鍾乳洞に入ってその荘厳さに神を感じ、したたりおちる神聖なしずくが小石を大きな岩穂(石筍)に成長させる不思議さに悠久の時を感じた。
○巌=いわほ=岩穂(石筍)=岩穂ら 前原市井原に「いわら鍾乳洞」がある。
○苔むす神(糸島郡志摩町、桜谷神社) 
 岩に苔が生えることから死者転生、 死者は自然物へ生まれ変わるという日本人の死生観
 これらの考え方が生まれ、大王の葬儀の際に古代の大歌人に依って「君が代」がつくられ棺前において献歌された。そしてそれは、下記のように千数百年後の現在でも引き継がれている。
○志賀島神社(福岡市)の真夜中の「君が代」儀式(春と秋 今は昼実施)
 君が代を歌い、死したる大王の君の遺徳を讃えることが、古代から連綿と続いている。おそらく千数百年以上前だ。このように詳しくみれば現地証拠が5つもある。この起源をみても君が代は葬送歌である。
  


 起源は5つも君が代縁の遺跡、神社、行事、自然のある北九州だ。かなり由緒深い葬式歌だ。
 古代の歌集の前書きは、誤っていることはままあることだから、君が代は、あの世での長寿、死者の永久の幸せ、冥福を願う歌が、誤って俗謡として白拍子(売春婦)やたいこ持ちに祝い歌とされ、さらに誤りを重ね国歌にされてしまったと考えられる。

君が代葬送歌の証明
横浜市立大学名誉教授の紹介する「君が代挽歌説」
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/05-04/050418yabuki-kimigayo.htm

学者により研究方法、視点は違えども結論はおなじ、葬送歌です。やはり学問的には君が代は葬送歌です。これは学問的警鐘です。
参考書籍  「和漢詩歌源流考」八千代出版 「君が代本歌は挽歌だった」藤田友治著


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