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※ 九州王朝はなかったのか? ※ 10

1 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/03(金) 02:30:06
※九州王朝はあったか?※の復活です。
九州王朝を肯定する人も否定する人も、立場の違いを超えて、思う存分語りましょう。
九州王朝に関心がある人は、おおいに語りましょう。
九州王朝に関心のない人や、九州王朝に関りの無い主張は、書き込まないでね。

前スレ:
9:http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257
8:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1074276043
7(6'):http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200231
6:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200119
5:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1051320510
4:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043480614
3:http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1040657852
2:http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1039343232
1:http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1036071791


2 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 02:37:02
>1 大好きさん
いつかご自説を2ch以外にも発表してくださいね。
楽しみにしております。

3 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/03(金) 12:41:52
日本古代史研究上において、その位置が邪馬台国のように各所に想定されるのではなく、
誰にも異存のなく、特定されている国があります。
それは、倭面土国です。この国は前原から福岡湾に沿った地域にあったとされています。
まずこの国のことから論じていくのがよろしいかと思います。
まず場所は上記の所でよろしいですね?

4 :太国:2006/03/03(金) 19:40:00
前スレ末で『新唐書』東夷伝日本伝に用明が多利思比孤だと文面があるそうだ。
そういう天皇の号?があるからかような説を唱えられているわけだが、
例えば天皇の号で「安寧」と「開化」とか「安康」「文武」とかいう号は、他の
天皇の号とは別に一般用語で使用する形態の号ではないのか?
つまり「国家の安寧を祈る」とか「文明開化」とか、家康で有名か?「国家安康」
さらには「文武両道」とかの使用例がある。
このことから、かの文の『用明』とか言うのは上の使用例の如く多利思比孤の号
として用いられたのではなく、明確にとか、分かる使用にとかで使用するとか?
当時の流行語として、号ではなく多利思比孤に対する何かを動詞的にか形容詞的
にかの要領で使用したものであろうと推察している。
というのは、あまりにも橘豊日命と多利思比孤の双方が同一名ではなく、
余はとっさに別人と判断したが、念のため同天皇の後者の名の使用例の文が
どこかの文書にあるとかいうのならば、再考させてもらうが?まぁ別人だよ。w

5 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 20:01:43
『旧唐書』が正確。
『新唐書』は武韋の禍後、玄宗時代に行なった政治決着により
九州王朝は無かったことにされた。

6 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 09:12:55
『新唐書』だろ?
『新唐書』の歴代天皇の元ネタは、
「然が入宋する際に持っていった『王年代紀』だと思う。
ただ、『宋史』から推測すると、『王年代紀』に「用明の子・聖徳太子」が
遣隋使を派遣した(すなわち多利思比孤に相当)として書いてあったのを、
『新唐書』作者が記事化する際、父・用明帝に直結して記載してしまったものと思われる。

7 :前スレの977ですが:2006/03/04(土) 12:45:11
なんか漏れのレスが妄想と偉くたたかれてたようで・・・orz
ただ日本書紀には空白の5世紀というのがあるからもしかしたら
九州王朝なるものがあったのではないかと推測しただけなのだが
それに漏れはインチキ偽書を本物と言い張ったどこかの古代史研究家を
支持していないのだが。ついでに言うと九州王朝は白村江の戦いで
大和総督府に譲位して「解散」したというのが漏れの考えなわけだが
もっとも妄想と言ってた人のように九州王朝が実在したという決定的かつ
明確な証拠がないというのも事実。それに>>6さんの話もあるくらいだからね
となると高句麗に遠征した倭王達も大和朝廷の天皇とまでもいわなくとも
大和に使えていた将軍を単に倭王とした可能性だってある。ま、九州王朝の
賛否は永遠の課題だろうね・・・

8 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 14:43:30
鉄器のない畿内王国が、朝鮮半島で列強を相手に戦争した?
ありえない。
九州王朝がなくて、日本列島の誰が当事国か?
法隆寺も、九州から移築した可能性が濃い。
九州元号も実在したと考えるほうが自然。
阿蘇山と金印も九州。
九州王朝の完全否定はまず無理だ。


9 :太国:2006/03/04(土) 16:14:55
>>7  前スレ>977
貴殿の主張する、神武が九州王朝のほうだとかいうのは正解だよ。
ただ2代目綏靖以降の天皇は、どれも九州王朝の系統に非ず。
神武以前の、神武の関係の系譜の一部分がある特別な理由で居残った系が九州王朝
なのだよ。

10 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 19:00:29
>>9
九州王朝の弟大王系列旧勢力の一派が糸島から畿内に移動した。
それが神武ではないでしょうか。
新興勢力は肥の勢力で新弟大王として肥と筑紫を統一したばかり、
その新興弟大王勢力が九州統一を始めた丁度その時に神武は九州脱出をした。
その描写したのが神武東征の冒頭に東北部九州をうろついた部分。
新興肥弟大王勢力側から記述したのが景行天皇九州統一話。
新興勢力のボス弟大王は前君。

だから綏靖も筑紫旧弟大王勢力の一派を構成しているので単なる内紛。
居残り組は兄大王。

11 :太国:2006/03/04(土) 20:00:15
まるで金角大王、銀角大王の大暴れ勢力のようなことか?w
まあ、貴方の言い回しからすれば神武が弟大王になることは分かった。
オシロワケノミコトは火国行幸はしたわけだが、九州統一はしてないだろう?
綏靖からの欠史8代のころは、九州には統一的王朝はなかったんだ。参考に。

12 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 23:12:57
>>11
神武は筑紫旧弟大王勢力一派の未来に希望を失った若者。弟大王ではない。
景行記の九州統一(山口九州行幸)話は、九州王朝前君の九州統一話の盗用。
欠史八代の後半と倭五王の前半は少し重なる時代。正確には不明。

13 :太国:2006/03/04(土) 23:15:48
神武には兄がいるじゃないか?こうなると貴殿の話は意味不明?

14 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/04(土) 23:40:25

神武の父兄全部が、筑紫旧弟大王勢力一派に所属していた。
兄王弟王とは肉親としての兄弟のことではない。

15 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 06:24:16
>綏靖からの欠史8代のころは、九州には統一的王朝はなかったんだ。参考に。

もの凄い仮説ですね

16 :太国:2006/03/05(日) 06:58:00
>>14
非常に話が抽象的でわからん。だから前々の話も?だ。具体的書き方をのぞむ。
>>12 最下段
何と少し重なるというのか?それとも決史八代の末あたりと倭の五王の全半の
双方が重なるという意味なのか?多分後者の意味で言ってるんだろうが?
再確認。後者の意味なら、これは間違い。双方の重複はない。
>>15
だから、神武以前は別旧時代でさておき、九州王朝は崇神の世あたりからだよ。

17 :太国:2006/03/05(日) 07:11:36
>>16
誤)全半     正)前半
>>15
「・・・だ。」だから仮説的に言ってるんではない。
「・・・だろう?」の言い回しではないいから、仮説的に言ってるんじゃない。

18 :太国:2006/03/05(日) 07:26:45
>>16
誤)決史  正)欠史
>>12
再度聞くが、欠史八代の末あたりと九州王朝とが重なり
      倭の五王の前半がまた九州王朝と重なるという意味か?
それとも欠史八代の末あたりと倭の五王前半とのこの双方が重なるという意味か?

19 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 16:25:07
トンデモ同志の妄想の争いで何の生産もないスレはここですか?

20 :太国:2006/03/05(日) 16:33:58
九州王朝は確実に存在していた。彼の諸説はおかしな箇所が多少あるが、
畿内病者よりずっと正解に近い。
うぬが無いというなら、論をのべてみたらどうだな?
それとも、な〜にも持っていないのか〜?w

21 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 16:36:00
太国の論をどうぞ

22 :太国:2006/03/05(日) 16:42:19
毎回毎回、余のをいろいろなスレで讀んでるだろうが?w
うぬも聴くばかりでなく生産性あるのを出してみな。ついでに小手版つけろよ。

23 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 17:52:46
いや根拠無しで論になってないですが

24 : :2006/03/05(日) 18:34:29
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y氏も太国氏もそれを示すソースが
出さないから妄想と片付けられるわけだからもうそろそろソースを出してみては


25 :太国:2006/03/05(日) 19:34:06
畿内病者は関空から飛ンデモか〜?基本的に論は成立しえない〜。ww
考古より物理優先だもんなぁ。

26 :太国:2006/03/05(日) 19:48:11
関空から中原入りか〜?ww
機内説わ〜w タイムマシン化されつつか〜?
本国の記紀に自国の女王の話が猫の額くらい?しか記述が無くw
他国遠方の魏志倭人伝に本国の記紀と極端に違うはど詳細なる記述があ〜る。
当たり前だ。超遠方にある恒星の実態が記紀に記述が見えない。当然だ〜。w
遠すぎて誰も機内人が飛行できず、地球表面の機内にその情報が伝達できない。
だから載ってないわけだ。書こうにも書けな〜い。
機内病者は大和秘境からUFOにでも乗って中原に飛ンデモし、倭人伝にシナ人
に記述のお手伝いをさせた古代人がいるとでも思っているらしい。ww

27 :太国:2006/03/05(日) 19:50:01
誤)違うはど   正)違うほど

28 :太国:2006/03/05(日) 20:00:24
もーそろそろ機内説者も断末魔の叫びをあげる頃合となった。
これを救うには遠い星から地球へやって来た奇跡の男の到着を大和奥地の
前人未到の秘境国にて、ひもじい論をしながら早く速くと待つほかはない。
おぉ、いつ現れるのか?ww クリプトン星か〜?はっはっは〜
スーパーマン、クラーク・ケントはいまいずこに〜〜?ww

29 :前スレの977ですが:2006/03/05(日) 23:14:50
>>大国氏
基地外みたいな煽りは止めてまともなソースを出しましょう
こんなレスじゃ九州王朝論支持者がアホみたいだと思われますよ

30 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 07:03:22
既出だろうけど質問
甘木朝倉地方に一時期天皇が滞在しなかったっけ?
筑紫磐井は独立した勢力じゃなかったの?

31 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 12:09:29
薦められて読んだ 井沢さんの本の聖徳太子ノイローゼ説は、死ぬほど笑った
愛媛風土記の、伝承はノイローゼ治癒の為
日出国云々の強硬外交と、内政でのやわらかい物腰もノイローゼの為
この辺みるとやっぱり、多利思比孤と聖徳太子同一人物は苦しいなぁ

32 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 14:12:57
邪馬台国畿内説は、大新聞が後援し、国や官が税金を投入して近畿の遺跡を
隅々まで繰り返し掘り返しても出土品は貧弱なありさま。

 民間で盛んに研究されている九州説優位はあきらかだ。この分では九州王朝も現実味を帯びてきた。
 最近は、古田武彦氏だけでなく弥生、古墳期の大和朝廷の九州支配に疑問を持つ人が
増えてきている。

 安本美典氏の研究も九州に倭国の中心があったというから、九州王朝の存在を
しだいに確かなものになってきた。


33 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 17:52:00
敏達紀に「アマノオオキミ」が登場するの知ってる?
前後の関係から言って息長氏のことだよ
九州なんてまったく関係ないから

34 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 18:53:34
>>32
別に近畿だけでなく全国掘ってますがw近畿が貧弱って何でしょうね?
百歩譲って弥生までは九州優位でしょうが古墳初頭からは近畿優位ですが何か?
古墳時代に九州王朝なるものがあった考古資料なんかないと思うが。
また安本は東遷説で古田の九州王朝説は明快に批判、否定してますがw

35 :太国:2006/03/06(月) 19:35:46
安本先生も記紀に女王国の記述が0に近いことを認識し、深考するだろう?w
古墳なぞは恒星の誰かが平地にしてしまえは分からなくなる。
おまけに皇統は途切れずに続いているから、滅亡の憂き目にあう九州のほうは
少なくて矛盾はすくない。

36 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/07(火) 19:39:59
>>30
>甘木朝倉地方に一時期天皇が滞在しなかったっけ?

景行記によると、前君と呼ばれる景行の遠征最終到着地が、甘木朝倉地方の浮羽です。
その遠征は、九州東北部(北九州市)・山口・大分・宮崎へと廻り、熊本で帰国歓迎を受け、
最終の到着地が浮羽となっています。
これは前君と呼ばれる九州の大王の九州統一遠征話を九州王朝の史書(日本書)から抜粋したものと思われます。
以上古田説。


>筑紫磐井は独立した勢力じゃなかったの?

磐井は九州王朝の弟大王です。
磐井は、筑紫・出雲・肥・浪速・越・尾張・夷(武蔵)の関東以西の7大王を代表する肥出身の大王でした。
磐井は倭ワイであるとの説があります。
倭(イ)のワイ王と言うことです。

37 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 19:41:47
★ 朝鮮民族はワイ族の子孫である ★

最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の
国である。そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト。古代カラ半島南部に居住していた倭人系民族)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
古代カラ半島北部にあった中国の自治領・帯方郡の東部地方=ワイ郷(現在の韓国の江原道地方)に
住んでいた少数部族であるが、彼らは、高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に
難民となって南下し、日本領=志良岐(シラキ)に移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を乗っ取った
金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。もちろん、倭人=日本人でもない。
ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人もみんなワイ族だ!
 日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。


38 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/07(火) 21:17:54
某スレで纏向遺跡は布留T式(280〜320)で、3世紀に突然でき四世紀初めに突然消滅とかいてあった。(橋本輝彦説)
これは、九州で邪馬台国が事実上消滅し、大和朝廷が急激に西方に勢力を膨張させた時期にあたり、
崇神天皇から垂仁天皇の時代にかけてである。
景行天皇は314年即位であるから、即位とともに拠点を纏向から移動させたととれる。
考古と文献がピタリと一致した。

39 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:59:00
景行天皇の宮は纏向日代宮でやはり纏向です。宮の場所は垂仁天皇の宮から少しはなれていますが、一般人の
居住地を大掛かりに移動させる必要はないと思えます.

40 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/09(木) 18:59:06

>>37

磐井=倭薈

米田良三氏の説です。

倭穢ではありません。

41 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/10(金) 15:59:42
九州王朝の始源を、委奴国まで求めるとして、その末期の朝廷としての邪馬台国について、その所在地に最終決着をつけたい。

その所在地までの行路は魏志倭人伝に記載されているのであるが、その距離の単位は1里=67.5mである。


42 :太国:2006/03/10(金) 17:31:59
始原は同国で合っていると思います。末期は文武天皇の世のあたりですな。

43 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 18:39:11
今までの諸説の中でもっとも合理的に論じているから、この長さで正解であろうと思う。

44 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 18:52:56
九州王朝はあった。古田説以外に似通った説を唱える人が増えてきた。
邪馬台国甘木の安本説も広い意味で九州王朝説にはいる。
古田、安本両氏が競い合って論争しながら活気に満ちて九州王朝説は
浮かび上がってきた。
それに引き換え邪馬台国大和説は、遺跡がでずはかばかしくない。弥生時代に
奈良の山奥が日本をリードできたはずはない。出土品が貧弱。古墳時代前期も
当時の奈良には経済的にも文化的にも都たる条件がない。



45 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/10(金) 20:05:08
>>41-42
意見が合いますね。
委奴国期から文武期迄。
途中は異なるようですが。

何処が異なるのでしょうか?
九州:
委奴国→伊都国→邪馬壱国(兄弟政治開始)→前君の倭国→倭五王の倭国(仲哀はこの頃か?)
→磐井の倭国→イ妥国→薩夜摩の倭国→倭国(親唐)→薩摩で滅亡した国(九州王朝兄弟政治終焉・文武期)
畿内:
神武九州脱出(前君の国期)→欠史八代→崇神→垂仁(非九州畿内国[銅鐸国]の滅亡)
→仲哀(畿内独立九州系国の滅亡)→応神朝(九州王朝畿内大王国)→継体3代朝(非九州王朝)
→欽明(九州王朝畿内大王国)→斉明(九州王朝畿内最終大王国)
→天智(倭国畿内分国 反唐)→天武(日本国 親唐)
→持統(反九州王朝)→文武(倭国畿内朝廷に統合)

途中抜けているところもあります。
如何でしょうか?

46 :太国:2006/03/11(土) 09:50:32
さすがにえらく研究しているのが目に浮かびますなぁ。みどもはアナログ式秘密
研究で上述の件を把握したので、その相違で種々文献の解明はもどもの出る幕
ではなく貴殿にバトンタッチすべきものです。
残りの要点を云いますが、倭の五王は各天皇ではなく、主題で論じられている
女王国等の九州王朝とはまた別の、もう一つの九州王朝の王であり、二つの九州
王朝は互いに係わり合いがあった可能性があります。
それで、おおむね應神〜雄略、あるいは〜武烈世のころ、日本は
畿内の大和朝廷と、本筋の女王国とかの九州王朝と副次的ながら第二の九州王朝
たる五王朝の3本鼎立状態にあったということで、これが真であります。

47 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/12(日) 18:41:36
>>41で魏志倭人伝の1里は67.5mであると提示したが、異論がないようなので次にすすみます。
倭人伝の一歩は中国式の一歩であり、魏の時代は140cmであり、卑弥呼の墓は150m以上の大きさをもつ。

150mといえばかなりの大きさである。よって、邪馬台国をどこと比定する論者は、卑弥呼の墓はどれと、
明示すべきである。また、して頂きたい.

48 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 19:02:58
サガミは相手にしてないだけだが。

>>44
安本は九州王朝否定派ですが。

それに古墳時代前期の大和と北部九州の遺跡の様相分かってるの?
事例あげてみな。

49 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 19:45:00
きゅきゅきゅSHOP99

QQQショップ99

吸収王朝は、SHOP99になりました。

50 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:48:38
サガミの話は正論なのだよ。正論は面白くないんだよ。俺らは、いろいろと妄想して楽しんでいたいんだよ.
真相が解けてしまったら、つまんないじゃないか。

51 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 18:31:11
理論ってのは、現実とかみ合わないものでも
いくらでも作り出せるものなんだよ。

現実とかみ合わないものが大半である「理論」を、
どうやって、現実とくっつけるか、ってのが実証だろ。

実証というプロセスの欠け落ちた、純粋理論ってのは、
一見すると正論っぽく見えることも多いが、
実は空理空論でしかない。

サガミも、それの一種にすぎないから、
たいていの人から相手にされてないんだろうな。

52 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/13(月) 22:29:08
私の理論が実証性がないとでも?
空論はよしてくださいね。

53 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 22:52:31
無いものは無い



54 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/14(火) 08:21:42
魏使は上陸してから、東南へ陸を進むとあり、5百里(三十数キロ)で伊都国につくという。
つまり、東南へ相当数進めるところに上陸したのである。
そこは北部九州では唐津、今宿、なの津、神湊の四箇所である。(呼子はそのまま船で他へいけるので不可)


55 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/14(火) 08:51:24
訂正 ( )内。呼子は東南へ進むと唐津につくので不可)

56 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/15(水) 22:34:44
伊都国がイ土郡の前原であるとの説は、伊都とイ土の恩がにていることから新井白石が
いいだした。前原では唐津からの方向が違う。

57 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/16(木) 11:56:24
従来の邪馬台国論争は、新井白石以来の伝統?で、距離や方角を無視し地名音の類似を
頼りに論じてきた傾向があるが、まず方角は誤りないとして論じるべきである。

58 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:39:00
なあなあ、
伊都から女王国って、どの方向にあるん?

「日に向かう方向」ですよ。

日? 「日 ゆくところ これ南方。」南方か。

「日 向かいし方(東)」→南

なんて、誤訳・混乱が起こらなかったことを、どうやって確認したんだ?

59 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/17(金) 07:55:48
魏使は何度もいっているのです。まちがっていれば修正したはずです。
そのためにもいったのですから。

60 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 08:44:33
九州王朝ってw
じゃあ教科書に載ってることは全部間違いなのですか?
偉い学者様方が作った教科書ですが
これすべて間違いで九州王朝が正しいと言い切るのですか?

61 :太国:2006/03/17(金) 09:24:50
ヒッキーさん、そのとおりだ。九州王朝があったんだよ。
九州には、倭の五王朝もダブル的に存在していたよ。

62 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 09:27:52
では邪馬台国の流れで倭の五王は九州王朝の人であり
さらに隋の使者が訪れたのも九州であると言いたいのですか?
大和に政権が移ったのはいつころですか?白村江で負けてからですか?

63 :太国:2006/03/17(金) 09:38:33
大陸から直接畿内入りというのは出来にくい。九州内部へ行くのも畿内へ行く
のも、どちらも九州北部を通過するのが通常妥当な考えでしょう。
畿内の大和王朝と九州王朝は別であり、政権移譲的なことは神武が畿内へ行って
即位したときとなる。そこんところは古史古伝のウガヤフキアヘズ朝があったか
否かにかかわって来る。今んところ研究中です。
女王国系の九州王朝は崇神世のころで、五王国の始まりは應神世のころです。

64 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 09:42:12
話がよく見えてきませんねw
古田氏の九州王朝の本でも
買ってみようかな

65 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 09:46:48
ウガヤフキアヘズ??
太国さんは古文書が読めるのですか??

66 :太国:2006/03/17(金) 09:52:03
古史古伝を読めば、70数代の神武以前の天皇の記述があります。
よければ読んでみて下さい。ただ貴方には高価だから無理かな?
ならば、ググると読めるかもしれません?

67 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 09:53:15
しかしガキの僕からみれば
東大の教授陣が編集した教科書とかでは
九州王朝など一言も書いてないんで
太国さんとか九州王朝があったと言ってる人のほうが
失敬ながら国会で言う野党の側に見えてしまうんですがw

68 :太国:2006/03/17(金) 09:57:55
古史古伝の中の「上記」(ウエツフミ)あたりはどうですか?
竹内文献は極端なのでお勧めできないです。

69 :太国:2006/03/17(金) 09:59:46
>>67
学会の定説なぞ当てにしないほうがいいですよ。
古田先生が主張してま〜す。

70 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 09:59:53
では古史古伝もマークして読んでみます。
竹内文書は難しいみたいですね。
古史古伝では邪馬台国に関する記述はあるのですか?

71 :太国:2006/03/17(金) 10:02:42
まずないと思いますが?
私も全部持っているわけではありませんので。

72 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 10:07:16
少しだけ読みましたがどうやら
古史古伝はほとんどデマで
学術的価値はないみたいですよ

73 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 10:09:10
東日流外三郡誌では荒吐族とは、アソベ族・ツボケ族など縄文人を思わせる先住民、神武東征によって邪馬台国を追われた
安日彦・長髄彦兄弟の一族、中国系渡来民の混成によって成立した民族であり、
いわゆる蝦夷の主力だという。らしいですwこの書も偽がほぼ確定してるみたいです


74 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/17(金) 10:56:51
ウガヤフキアエズ朝はなかった。
正朝は二二ギノ命の長男のスセリノ命の子供であり、ウガヤフキアエズは朝廷どころか、
一般の貧しい生活をしていたのです。

75 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 11:06:41
どうやら上記とやらも偽っぽいですよ。
ここらへん読んでると何か怪しい

http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm

76 :太国:2006/03/17(金) 11:12:16
津軽関係はうそだという話が強いですねぇ。
その係わりの古田先生の女王国、五王説は真ですよ。

77 :16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 11:30:19
倭の五王は九州かもしれませんね。それが岩井の王朝へと受け継がれるのでしょうか?
無学ですいませんがm(_ _)m

78 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 13:54:18
>>69
学界の定説ってのが、必ずしも、あてにならないのは事実。

だが、古史戸伝の関係については、
学界の定説の方が圧倒的に妥当。

これとて、未だに流動的な部分もあるにはあるが、
古田学会の主張が、古代史学会に認められて
定説になる可能性はない。

79 :太国:2006/03/17(金) 14:43:39
>>78
圧倒的。まあそうだな。それは臥海のほうに軍配が上がるようだ。
まあ全勝ではないが、ほぼ定説で当たりだろう。
古田先生の説が臥海をひっくり返すことは時間の問題だ。
かなり、長い年月はかかるだろう。先生の説が天下をとることは太国が保障する。
従って、いずれこっちのほうは臥海は断末魔の様相を呈するときが遠い将来
に眼に見えている。w

80 :太国:2006/03/17(金) 14:51:18
云い忘れたが、古田先生のでも、津軽のほうはこれは先生側が負けだと
思う。それに上記等のウガヤフキアヘズ朝に関してはまだまだどうなるか
分からない?あったのかも知れない。今後の問題として保留物だ。

81 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 18:11:39
古田氏も、新しい読み方・発想を提供するまではよかったんだが、

いざ証明という段になると、弱点をさらけ出した。

彼は検証とか証明というモノの意味・役割・方法を
まったく理解できなかったようだ。

ここで限界にぶつかった古田氏が、
起死回生を掛けて挑んだ、
いわば「九州王朝説の切り札」が、
あの「ツガル」偽書騒動の発端。

ツガルは九州王朝説の延長なんだよ。

82 :太国:2006/03/17(金) 19:22:13
随分長すぎる延長だなぁ〜?w

83 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/17(金) 21:15:18

東北王朝説は九州王朝説とは質的に別物。
東北王朝説は多元王朝論を無理に実証しようとしたところに崩壊があった。

>>77
九州王朝(兄王)としては連続しているが、
政権の移行があった。
倭五王(弟王)は菊地政権、磐井(弟王)は八女政権。
しかし政権の中心地はどちらも筑後川中流域。

84 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 13:23:38
>古田先生の説が臥海をひっくり返すことは時間の問題だ。
>かなり、長い年月はかかるだろう。先生の説が天下をとることは太国が保障する。

 それは絶対に無い。通説は瓦解するかもしれないが、古田氏の九州王朝説がそれに
取って代わることはありえない。なぜなら古田説は根本の史料事実認識において間違
っているから。
 それに古田説公表後の考古学的状況は、古田説に近づくどころか逆に離れていって
いるから。

85 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 13:26:40
>古田説に近づくどころか逆に離れていっている

古田説の受け入れを基調として、表面ヅラだけ異を唱えているわけだが

86 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 13:28:13
>古田説の受け入れを基調として

 考古学的な結果をまともに知っている人で「古田説を受け入れ」ている人なんていない。

87 :太国:2006/03/18(土) 15:48:23
>>86
考古学も「物理学」に拘束される。それを違えて考古学をどうのこうのいって
これを使用し、女王国を探ろうとしても結果は当然自滅する。
臥海の考古学的結果っていうのも、物理学を無視しての上の結論だからな。w

>>84
史料事実認識が多少なりとも間違ってたって、古田先生の結論は正解であ〜る。
野球でホームベースから外れたボール判定の球だって、当たれば本塁打になり
うるんだよ。

88 :太国:2006/03/18(土) 16:14:03
さらに野球で言えば、記紀の内容とは
ピッチャーが、味方のキャッチャーのサインが分からないのに、何故か?
敵さんの監督、コーチ連等がそのサインの内容を詳細に知悉している。
こんなことがどうして記紀に起こってしまうんだろうか?もう知れたこと
よ。女王国が九州にあったからだ。もう分かったろう? はっはっはw

89 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:17:12
★ 百済は日本人が建国した ★

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。

百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。


90 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:45:12
>>81
学問ていうのは、証明なりそれなりの根拠があって、はじめて何かの説を提出するものだよ。

もし、

>古田氏も、新しい読み方・発想を提供するまではよかったんだが、
>いざ証明という段になると、弱点をさらけ出した。

が本当だとしたら、これは、古田某は根拠もなくアドバルーンを上げるだけの人だったということで、
学者・研究者としては失格であることを意味するのだが。

『よかった』どころか、少なくとも教授職にあるものとしては最低のやつ、って事になる。
あくまでも、>>81が正しければね。

91 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 18:07:10
>>87
>史料事実認識が多少なりとも間違ってたって、古田先生の結論は正解であ〜る。

 安本氏のように「古田氏は論理が間違ってる」という批判に対してならそういう批評は正当だろう。
 しかし私が指摘しているのはそうではない。
 古田氏の論理はむしろ他の学者よりまともだと思う。しかし論を立てるときに根拠にしている史料事実
の選び方が、自説に都合のよいものばかり選んでいるから不当だ、と私は言っているのだ。
 古田氏も(安本氏のようなカルい批判者も含めて)、古田氏の説に都合の悪い史料事実が存在している
ことを無視している。
 『通典』『唐会要』などの存在や、国内文献と中国文献の遣唐使記事が一致している(古田氏が一致し
ていないと『失われた九州王朝』で主張しているのはすべて氏の誤読によるものであることが判明してい
る)などは、九州王朝説を仮定すると、通説とは異なる別の矛盾が生じることを示している。
 このほか、古田氏が九州王朝説の根拠としている論証は「すべて」誤解にもとづくものであることが指
摘されている。

92 :太国:2006/03/18(土) 19:52:04
>>91
終わりよければ、途中が多少よくなくても結果は通ってしまうよ。
誤解といってはいるが、その指摘とやらは確実に破綻する。
見てみろよ、記紀の中身を・・・。卑弥呼の記事なんて殆ど皆無に近いことを。
そしてだ、自国の国に自国の記事がまるでといってよいほど無い。しかし
自国でない遠方の他国にだ、自国の記事なる日本女性の件が大量に記述されて
いるこのことを?あんたの財布の中身を知らない状態で外にある蕎麦屋の店員が
詳細にあんたの懐中の状態を知っているとしたら?どう思うか?
日本女性とは、言うまでもなく卑弥呼のことだ。
びっくりして「何故だ何故なんだ?」と目を回してしきりに考えこむだろうが?
店員はあんたのふところが、万札は5枚だとか千円札が8枚だとか10円貨が6枚
だとか、それを知っていてあんたにしゃべったとしたら?
きっと、あんたは首をかしげてその理由を考えるに違いないと確信するのだ。w
すなわちだ。このことは女王国が畿内ではなく九州にあったことを意味するのだ。

93 :太国:2006/03/18(土) 19:54:34
書き方がいまいちだったが、4段目の自国の記事とは女王国関係の記事だ。

94 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:57:22
>>92
 九州王朝説を正しいと思う人にとっては、記紀と中国史書が一致しないことが最大の心証なのだと思う。
 確かに記紀と中国史書の違いを確たる証拠もなしに中国側の誤解だと言ってすましている「通説派」なんかに比べたらそういう心証を持つのはもっともだと思う。
 しかし、中国史書自体の中に九州王朝説と矛盾する史料事実が存在することをどう考えるつもりなのか。
 このような状況下では、記紀と中国史書の齟齬の原因を、九州王朝説以外の仮説で説明するしかないだろう。
 これが論理的な帰結だ。

95 :太国:2006/03/18(土) 20:19:04
そうじゃないよ。どっちをとろうとそういう齟齬のようなことは
でてくる。
じゃあ何かい邪馬壹国と邪馬臺国はどっちもあったことになるぞ。
(まあ前者が九州で後者が大和ということはありうるがねw)
双方に関し、どちらも中国の文献からではないか?これは中国側の齟齬と
いうことになろうが? (括弧とか以外)これこそ矛盾ではないか?
だから中国のでも間違いは出てくる。
あんたのいう齟齬があろうとおかしくはないだろう。w

96 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 03:37:47
ていうか、>94自体が旧唐書と新唐書の違いを説明できてない時点でアウトなんだが。

97 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 07:11:55
>>95
 その齟齬というのが、「倭が九州だった」という主張と「倭は九州ではなかった」という齟齬でも
かまわない、というの?

>>96
 意味不明

98 :太国:2006/03/19(日) 07:47:07
>>97
中国人でも間違えることがあるから、そういうことはある程度出てきても
おかしくはない。たとえば、かたや邪馬壹国で他の文では邪馬臺国となってても
中国の齟齬と観ておかしくはない。
ただ、九州に前者があって畿内に後者があったとかいう説はありうることだ。w
その場合でも、卑弥呼自体は九州の人で畿内の女ではない。

99 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 11:15:44
 ただ、『唐会要』のように、奈良時代、平安時代にも倭と日本の2国が並存
していて、どちらからも遣唐使が訪れた、と主張しているという齟齬がある。
 この場合、奈良・平安時代だから、九州王朝説の人も2国並存しているとは
主張していないはずなので、これは明らかに中国側の誤認識の実例である。
 つまり、中国側は、「日本列島内の国が一つだったか二つだったか」という
大きな問題についてさえ、実際に誤認しているわけだから、『旧唐書』が「日
本列島内に2つの国がある」と主張していて記紀の主張と齟齬があるといって
も、中国側の認識の方が正しいとする根拠は存在しないじゃないの?、と言っ
てるわけなんだけど。


100 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 11:39:19
>99
おいおい、正反対だろ!

>九州王朝説の人も2国並存しているとは
>主張していないはずなので

101 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:39:06
>>100
>おいおい、正反対だろ!

 どうして?奈良・平安時代の話だよ。それとも何か?九州王朝説の人は
平安時代にも九州王朝が存在していたとでも??

102 :太国:2006/03/19(日) 14:36:21
九州王朝は平安時代にはとうにありません。 >>101

103 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:40:07
九州王朝と畿内王朝は同じなんだが。

九州から畿内まで、版図が拡大しただけ。





104 :太国:2006/03/19(日) 14:48:40
>>103
二つの王朝は別物です。畿内の照鳥居が九州まであれば、卑弥呼の記事
で記紀は満たされます。その記事が殆ど0であるからして、九州まで
及んでいませんな。当然もう一つの九州王朝の倭の五王朝も、記紀に
記述が0に等しいと云ってよいくらい記述がないから、なおさらです。

105 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:53:57
>>101
当り前じゃないか。九州王朝は江戸初期まで存在したんだよ。
最後に九州王朝から奪われた建築が、桂離宮だ。

ソース つ http://www.geocities.jp/waikoku/

106 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:53:57
九州王朝と畿内王朝は、本家と分家の関係であろう。
畿内王朝の物部氏は、天皇家=九州王朝の先祖の分家ではないか。

出雲氏も、九州王朝の分家であろう。






107 :太国:2006/03/19(日) 14:58:25
>>105
その王朝とやらの王はなんと言う名なのか?w とくに初代は?
ついでに何代くらいあったというのか?

108 :太国:2006/03/19(日) 14:59:59
>>106
天皇家≠九州王朝    まったく別ですよ。

109 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 15:02:53
百済のような小国が、なぜ300年以上に渡って、
高句麗帝国との戦争を続けることが可能だったのか?
この疑問に、朝鮮人工作員が答えることは絶対にないであろう。

★ 百済は日本領土 ★

百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。


110 :太国:2006/03/19(日) 15:03:40
>>105
その九州王朝とやらは徳川家康にでも滅ぼされたのか?w

111 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 18:07:03
>>107
全く無関係って事はないだろう
神武は九州王朝系だし天智は頭にアメとつく名前をもってるし
日本には支那や朝鮮みたいな易姓革命はなかったと思うぞ
邪馬一国時代のように小国分立状態で各国の王がいたというなら
話は別だがな

112 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/19(日) 23:37:40
>>109
★ 百済は日本領土? ★

百済軍の実態は、九州王朝軍連合軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、九州王朝のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの連合国=九州王朝がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。


倭人連合体=九州王朝(倭国=7連合大王国)[筑紫+出雲+肥+浪速+越+尾張+毛野(武蔵)]+百濟+新羅+任那+加羅+秦韓+慕韓(半島南部2〜6国)


日本語と百済語(半島南部語)の違いはベルギーフラマン語とオランダ語の差程度のものではなかったのではないか。
高句麗語との差はドイツ語との違い程度ではなかったのでは。

113 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 02:15:04
電波コピペの一部を九州王朝に書き換えただけかよ?
同レベルの香具師なわけだなw

114 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 07:23:14
>>90

81は、古田擁護派じゃなくてだな、
90
同様の、「アドバルーンを上げるだけの人」
「学者・研究者としては失格」と考える人だろ

「学者として」良かったと考えてるとは見えないが、
気のせいか?

115 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:47:49
>>112
>九州王朝大好き氏
だめたよ嫌韓厨の電波コピペの書き換えちゃ〜w
(もっともこのコピペはホロン部が嫌韓を陥れるためにやってる可能性もあるが)
ま、でも百済や新羅は倭人と扶余族が作ったという話があるから
あながち間違っていないかもね

116 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/23(木) 01:40:25

>>115
ちょっと遊んだだけ、まじめに考えないでね。



余談:
百済の初期の建国支配層は高句麗語に近い言葉を話し、
被支配層は日本語(九州倭語)の方言に近い半島南部語(半島倭語)を話していた。
倭国の影響を色濃く受けた百済支配層も、
被支配民の言語である九州倭語に近い半島倭語化したのではないでしょうか。
7世紀の畿内政権内への百済人及び一部新羅人の受け入れは言語がほぼ同じだからできたことではないでしょうか。
それに対して、言語が少し離れた高句麗人は政権中枢部への受け入れがありません。
骨子は先人の説の受け売りですが。

117 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/26(日) 21:26:55
九州王朝の過去スレをまとめました。
2002/10/31〜現在

2ch日本史−[過去スレ]九州王朝
http://www1.atwiki.jp/telop/pages/141.html

118 :倭人系:2006/03/30(木) 11:41:13
韓国史に詳しい方に質問です。今のプサンあたりは地域的に差別を受けていると聞いたことがありますが、要は倭人の末裔がいるから差別されているんですか?であれば、九州王国にプサンを帰して欲しい(笑)

119 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/32(土) 20:21:24
倭人の末裔(韓人)が多い、慶尚南道(釜山)、前羅南道(光州)、済州道(済州島)の人は歴史的にも差別され続けています。
それに反して半島南端地域でも朝鮮人である慶尚北道(慶州)の人には差別がありません。



120 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/32(土) 20:39:00

半島古代の倭人居住地域は、地名データ等もみて、
慶尚南道・全羅南道・全羅北道・忠清南道南端部と推定されます。

121 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/02(日) 19:02:37

なお、慶尚北道は倭人少数派の朝鮮人(新羅人)との混在地域。

122 :九州王朝大好きさんへ:2006/04/03(月) 17:29:59
ありがとうございます!
九州(福岡・熊本)の石人文化が朝鮮にもあると聞いたのですが、倭人が先住していた証拠の一つなんですかね。
ということは、元を辿るとスンダランド系海洋民?

123 :九州王朝大好き:2006/04/07(金) 06:04:05
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/wwwbbs/bbs/525.html

今回使われたC14から暦年代への換算を使うとそのあたりの年代は100年ばかり新しくなるようですよ。



124 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 06:17:53
九州王朝などない!


大和武士が九州征圧したのが起源前400年

125 :九州王朝大好き:2006/04/07(金) 08:41:12
放射性炭素年代測定:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E6%B8%AC%E5%AE%9A

画期的な年輪年代法:

http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/yamatai03.html

126 :太国:2006/04/07(金) 09:15:20
>>124
そんな数字はどうやって分かるんだね?w
君が何と叫ぼうと九州王朝は実在したんだよ。

127 :九州王朝大好き:2006/04/07(金) 19:50:28
新古代学の扉:

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html



128 :太国:2006/04/07(金) 20:14:18
九州王朝大好きさん
昨日、電車に乗って座席に座っていましたら、向かいの席に座っていた老人が
「古田史学会報」とやらのチラシを一生懸命読んでいました。
初めて会報とやらを目にしました。夕刊フジより一回り小さい小新聞様ですな。

129 :九州王朝大好き:2006/04/08(土) 08:19:33
伝統的な史観では、「大宰府」は7世紀以降設置されたものと思われているようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%B8%A5#.E7.99.BA.E6.8E.98.E3.83.BB.E8.AA.BF.E6.9F.BB

しかるに以下の資料があるようです。

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/sci/top/nendai_data/html/nendaisokutei.xls

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/sci/top/nendai_data/index.htm

放射性炭素による年代測定によれば、太宰府遺跡の焼け土層は1600年ほど前のものであるらしい。測定誤差を考慮すれば、1500年ほど前のものとなり、今までの理解とは異なる姿を示している。

九州で、6世紀の重要な事件と言えば、「磐井の乱」である。このとき、すでに、太宰府が存在し、この乱の時に焼失したのではないだろうか。
(No.2578を参照。)




130 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/08(土) 14:40:02

「九州王朝大好き」さん(トリップ無し)は
僕「九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y 」とは別の方です。
誤解の無きようお願いします。

>>九州王朝大好きさん
「九州王朝大好き」のコテハンを使うことには歓迎こそすれ異存はございません。
出来たらトリップでも付けて区別出来るようにしていただけませんか?


>>128 大国さん
その老人は「古田史学の会」の会員の方でしょうね。
僕はその会員ではありませんし、今まで会報を見たことがありません。

131 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/08(土) 15:03:44
>>129
九州王朝権力弟王の中心地はAD300前後から筑紫平野ですから、
磐井時代の遺蹟が大宰府倭京跡にあってもおかしくはありませんね。

132 :九州王朝大好き:2006/04/08(土) 20:51:37
>>130

失礼しました。「倭奴国」として区別します。2chはコテハンが多いと思って、何気なく使ってしまいました。

>>131

もちろん、倭京が筑紫にあったと認める方には当然の認識と思います。しかし、伝統的な史観の方はこういった資料をどのようにとらえるのかと疑問に思い、投稿したものです。

133 :太国:2006/04/08(土) 20:55:50
九州王朝大好きさん どうも〜。また関連話ありましたときは書き込みます。

134 :倭奴国:2006/04/16(日) 19:15:25
最近は書き込みが少ない。

「太宰府は日本の首都だったー理化学と証言が明かす古代史 内倉武久著 ミネルヴァ書房」から
引用したい。(25頁)

  最近は、古代史に没頭しているという北村泰一・九州大学理学部名誉教授も、
  「研究者が学者生命をかけて作り上げた年代観を、かんたんに撤回するのは難しいことは
  わかる。しかし、いつまでも理化学的な年代測定に拒否反応を続けていては、
  世界に通用しない学問になってしまいます。」

ここで、理化学的方法といっているのは、放射性炭素年代測定、年輪年代法などの方法
を指す。考古学の専門家は、こうした理化学的方法に対して、論拠を具体的に示して、反論
すべきではないだろうか。



  


135 :倭奴国:2006/04/19(水) 20:51:44
日本書紀の謎を解くー述作者は誰か 森博達著 中公新書

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015029/qid=1145446146/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-1913463-8665913

も推薦できる。

以下はネタバレになる可能性もあり、純粋にミステリーとして楽しみたい向きはとばされたい。

======================================================
======================================================
======================================================
======================================================
======================================================

日本書紀の音韻や語法を分析した結果、渡来中国人の著したアルファ群と日本人の著したベータ群の存在が明らかになってきた。このうち、アルファ群は、雄略紀以降の部分であり、
大宝律令以前に編集されたと考えられる。その中で、大化の詔勅は、アルファ群の特質である正格漢文からの逸脱を示しており、後からの加筆を示している。
これは、大化の改新の詔勅があとから造作された可能性を示唆しているようである。

古田派の人にもそうでない人にも薦めたい。



136 :倭奴国:2006/04/19(水) 21:33:13
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/furuta02.html

>わたしは、このような従来の編年を「非」としてきた。「前漢式鏡」「後漢式鏡」と「[イ方]製鏡」とは、別 時代ではない。同一の時間帯に共存し、「補完」する関係にある。そう、主張してきた。
  >ところが、今回、まがうかたもなく、「弥魏生中期後半」のかめ(みか)棺から、問題の[イ方]製鏡が出土したのだ。
  >従来の「考古学編年」の基準が、音もなく崩れ去ってゆく、そのひびきを感じとる考古学者は、いないのだろうか。そしていつ、従来の編年の「非」を、恐れずに世に告げはじめる人々が出現するのだろうか。

137 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 21:49:27
古田史学が、音もなく崩れ去ってゆくひびきは感じます

138 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 22:02:01
平家はわかる。

それ以前のことは明確にされていない。


ヤマトタケルの九州攻め

139 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 22:24:34
ヤマトなんてもんは、うそ

140 :倭奴国:2006/04/20(木) 08:05:10
>134

さらに引用を続けたい。(265頁)

     前著「謎の巨大氏族・紀氏」でも指摘したが、この件で今、もっとも正直なのは近畿天皇家の
     権威を引き継ぐという皇室ご自身であると思われる。(中略)天皇は「お言葉」で「わが国の発祥は
     律令制からである」という意味のことをよく述べておられる。少なくとも現在、わが国の律令が制定
     されたのは七世紀末、あるいは八世紀初めごろとされるから、大和政権が西日本を制したと考えられる
     時期と合致している。

以上、引用終わり。


141 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 14:13:14
大好きさんに宮地嶽神社を送ります。
http://www.city.fukutsu.lg.jp/asobi/8_3_47.html

142 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/26(水) 18:48:42
>>141
ありがとうございます。

10年位前の出張の時、足をのばしたことがあります。
「奥の宮不動神社」(宮地嶽古墳)の宮司さんとお話しする機会があって、
僕が子供の頃天皇御陵の中で遊んだように、
宮司さんも子供の頃この石室の中で遊んだこともあるようでした。
宮司さんが、この石室から骨壷が出土したと言われたので、
この墓の被葬者は仏教徒ですねと言うと、急に怒りだされました。
日本人は死ねばみんな神様になるのだからと取り繕った覚えがあります。
彼はもう70代にはなっておられると思いますが、まだ元気でおられるのでしょうか?

疑問
この古墳の主が「仏教徒」であり、この古墳のある山が「宮地岳」である事と、
大宰府(倭京)の東側の山が「宮地岳」であることは、何なんでしょう。
古田武彦説の様に、この古墳の主は胸形君徳善ではなくタリシホコのように思えます。
又、出土品(国宝)が胸形君ににしては豪華すぎるようです。
「宗像君タリシホコ」の墓ではないかと。(タリシホコは弟王であるから「君」の出身でも良い)
タリシホコ・徳善・薩夜摩の関係は???? 興味がつきません。

143 :倭奴国:2006/04/30(日) 09:41:45
日本書紀を批判する―記紀成立の真相 古田 武彦 (著), 渋谷 雅男 (著) 新泉社

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787794159/qid%3D1146355597/249-1913463-8665913

渋谷氏の論文は、記紀の歴代天皇崩年・即位干支の比較を行って、日本書紀編纂の秘密を探ろうという
試みである。在位年代の新しい天皇から初めて、記紀における各天皇の在位年数を比べている。以下、
いくつかのポイントを紹介する。

1.日本書紀は古事記にない神功皇后紀をたて、卑弥呼や一与に代わりに、神功皇后が中国側と交渉があったような形で
著述を行っている。魏志倭人伝が手に簡単には入らなかった古代人にとっては、神功皇后こそが倭国の女王として中国側に記録
されていると読めたであろう。

2.景行天皇の在位年数については、記紀の間で100年以上もの差がある。これは、記録の齟齬などではなく、政治的な意図
があったとしか考えられない。即ち、九州統一王の業績を景行天皇の業績として著述をするためである。後漢書にある107年に
生口を献じてきたとする倭国王の帥升がその人である可能性が大きい。

3.「倭の五王」についても倭王倭武の在位年数が、近畿天皇家の複数の天皇の在位年数にまたがり、
同一人物ではありえないと論証している。

4.「磐井の乱」についても、継体天皇が、磐井に対して軍を派遣して1年後に崩じており、次の安閑天皇の
即位までには、上記の分析からは数年のブランクがある。その間に近畿で継体側に対する反乱が起き、物部麁鹿火は
九州側と直ちに和睦せざるをえなかったのではないかとしている。これが九州の「占領・分割」記事の欠如している状況と
対応していると分析している。

秀逸な論文である。



144 :倭奴国:2006/05/06(土) 17:32:16
太宰府条坊の南端発見

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki2/nikki075.html

>「大宰府の条坊は7世紀中ごろから後半にかけて建設されたとみられ、(以下略)」
> 太宰府条坊が7世紀中ごろから後半にかけて建設されたとする説は、誰の説かは
>知りませんが、もしそうであれば、大和朝廷初の条坊都市藤原京よりも早く太宰府建設が
>始まったことを認めたことになります。

145 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:35:40
久しぶりに古田氏の著作を読んで面白かった(「古代史の十字路、万葉批判」)。
例によって無理な部分も見られ歯したが。人麻呂の歌の解釈は良かったね。

所で、壬申の乱については、どの本を読めばいいんだろ。
あれが何らかの画期であるのは確かだろうけど、九州王朝に結びつけるのは難しそうな気がするんだが(地名で).

146 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 03:03:20
これでしょ
http://www.bk1.co.jp/product/2081851

147 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 03:15:05
サンクス>>146

148 :倭奴国:2006/05/11(木) 08:13:17
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki2/nikki076.html

>わたしは、このような時にいつも童話「裸の王様」を思い出します。
>古田史学(真実の古代史)を知った人々が王様(大和朝廷一元史観)に
>対して、「王様は裸(学問的論証を経ていない、史料事実を無視している)だ」と
>叫ぶ姿とオーバーラップしてしまうのです。


149 :倭奴国:2006/05/11(木) 08:32:02
中小路駿逸氏(追手門学院大学教授、元か)の主張するように、日本書紀は、天孫降臨のあった九州から大和へ侵入し、初代王になった人物
(神武天皇)が王朝を築いたと述べているのであって、元々、王のようなものではなかったと示唆している。九州側には、王様のようなものがいたはずで、
日本書紀は、自らの王朝が分王朝であることを主張しているのである。

以下は初出ではないが、関連する記事である。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/kaihou08.html

150 :倭奴国:2006/05/11(木) 20:40:06
1.149に関して、中小路駿逸氏の主張を紹介しているサイト:

http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/note.htm

  「分王朝」の話のほか、仏教が播磨国から伝来したとの記事から、播磨国が当時は外国で
  あったのではないかと推論。

2.「邪馬台国」の通説を支える考古学の考え方を紹介したサイト(「科学の目で見えてきた

日本の古代」から):

http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page025.html
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page022.html
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page026.html
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page029.html
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page027.html

  三角縁神獣鏡の問題を中心として、「邪馬台国」に関する考古学を一般の人間にも
  わかりやすく説明している。こうした考古学の通説は、科学史や科学哲学の観点からも
  興味深いと考えるが、いかがであろうか。



151 :倭奴国:2006/05/13(土) 14:32:51
>>150

舶載鏡に関する森浩一氏の記述を紹介しておきたい。氏は、同志社大学教授で、考古学が専門である。
私の理解では、邪馬台国九州説にたっておられ、古田説にたっているわけではないことを付記しておきたい。

 その主旨は、博物館でいまだに舶載三角縁神獣鏡やホウ製三角縁神獣鏡という表示がなされていることが
あるが、舶載しようにも本場の中国には、華南でも華中でも一枚も見つかっていない。

 そういった事実はもはや確実となっている。大学や博物館の研究者がどんな説をとっても
それは別だが、「(前略)一般の見学者に架空の知識、あるいは仮定にもと づく推測をまき散らす
”舶載鏡”はせめて九州ではやめにしたほうがよい。」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101421218/ref=wl_it_dp/249-9199416-6169152?%5Fencoding=UTF8&coliid=I1MC0FCB9TFCFS&colid=1FD5G32OP16Z1

(古代史の窓 新潮文庫版 71頁)

 専門家でもこういった率直な意見を一般向けの本に書いており、驚きを禁じえない。

 

152 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 17:56:51
>>149
つまり天皇家(大和王朝)は九州王朝の分家というのを日本書紀自ら
証明したと言う事だな。やはり九州王朝は存在し、天皇家は九州王朝の
分家であったのだろう。しかし本家の九州王朝は白村江の戦いで
王が唐の捕虜になってしまったので祭祀を司る王は分家の天皇家に
譲位したのではないか?文武天皇代に発生した内戦は九州王朝の残党の
反乱だったのだろう。ただ天皇家は九州王朝の分家だから中国や
朝鮮、ベトナムで起こった易姓革命ではなくただの王家内の家督の移譲だったのだろう

153 :倭奴国:2006/05/14(日) 20:27:18
>>152

第一文はそのとおり。しかし、譲位したのであれば、日本書紀にもそのように
書いたのではないだろうか。

 さらに言えば、この見解が変わったのは、>149の資料にあるとおり、文徳天皇以降出ている
宣命からで、その宣命には「わが国唯一の正統の君主は天孫降臨以来一系の天皇なりという一種」
の信仰告白があると中小路氏は述べている。(当然ながら、天孫降臨の第一代を初代王としていない
日本書紀の記述とは、建前が変化しているわけである。)この建前の変化は、古田説による日本の中心
王朝の交代と時期が一致しており、その論証になると考えている。



154 :倭奴国:2006/05/14(日) 20:28:51
 さて、話は「邪馬台国」の議論に戻るが、以下のような議論をしているサイトが
ある。

 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2644987deb270df6ae79874de525f176

ここでは、三国志東夷伝が書かれてから、後に書かれた歴史物には皆「邪馬臺国」とあって、
「邪馬壹国」とは書いていない。従って、「邪馬臺国」が正しいと主張している。

 しかし、これは、古田への反論にはなっていないのではないだろうか。古田の作業および主張は、以下のとおりである。

1、それまでの研究ではきちょんと記述されていなかった三国志の古写本・版本を探した。しかし、三国志の書かれた3世紀から最古の写本の字形変化をたどり、二つの字が似ているかどうか
を調べることはできなかった。(最古の写本がいずれも12世紀のものだったため。)

2.そこで、焼けて残らない古写本ではなく、金石文で字形の変化を調べてみた。(具体的には金石文を写真版などでまとめたもので
調べた。)

3.しかし、いろいろな時代の字体を調べても「これなら間違って当然だ」というほど似ているものが見つけられなかった。しかし、三国志の筆者陳寿の自筆本がないため、
決め手にはならない。



155 :倭奴国:2006/05/14(日) 20:29:44
4.そこで、12世紀の最良の写本に対して、「壹」と「臺」の字が混同されている例があるか全ての用例について
調べた。(142例)その結果、その写本に対しては、、「壹」と「臺」の取り違えと考えられる用例はなかった。
(一つ一つの用例が挙げられている。)

5.さらに、後漢書の書かれた5世紀には、陳寿の自筆本などが残っていて後漢書の著者はそれを見て「臺」と直したのでは、
という疑問には、以下のような筋道で答えている。

6.即ち、後漢書の著者范曄の同時代人で、裴松之という人の校注を調べている。裴松之の注は、本文中の矛盾や異本に対して、おかしなところや
間違いと思われるところに対し、議論し、その際、明らかな間違いと思われるものでも、独断で判定を下さず、所伝の異なる底本・異本に対して公平・
慎重を期したというものである。

7.この裴松之の注には「邪馬壹国」のところに記述はなく、5世紀の段階でも、「邪馬臺国」と書いてあったような異本
のあった証拠は発見できない。

以上のような形で論証を行っている。古田はこのサイトのような主張を予め予想し、論証を行っているのである。

読者は詳細について、「邪馬台国」はなかった 古田武彦著 第1章 I 「「壹」と「臺」の探求」とII 「真実はいずこに」

および上記のサイトの主張を読み比べ、どちらが説得力があるか判断していただきたい。



156 :倭奴国:2006/05/14(日) 22:43:07
>>155

 さらに、議論に補足したい。「臺」の字は魏の時代にあっては、天子の宮殿および
その直属官庁」という意味で用いられており、東夷の国名に使われることなどありえない
ことを古田はさらに論証している。


157 :倭奴国:2006/05/15(月) 08:36:10
古田説の読書案内:

1.古田説をよく知らず、これから読みたい向きには、
 「古代は輝いていたI-III巻」古田武彦著 朝日文庫  (1)

の後、「「邪馬台国」はなかった」 朝日文庫      (2)
   「失われた九州王朝」 朝日文庫         (3)

などの論証を読むことをお薦めしたい。(1)は20年前の著作だが、大枠には変更がない。
(「磐井/継体」の乱、神武の発信地などの部分は現在では変更されている。)

2.概要を既にご存知で、論証部分をいきなり読みたい向きには
(2)(3)や
   盗まれた神話―記・紀の秘密 朝日文庫   (4)
を読まれればよいのではないだろうか。

1−2の後、さらに読みたいかたには、
新・古代学の扉:
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
の記事や

http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/chosaku.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/kanren.htm
に紹介されている本を読まれればよいだろう。


158 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/15(月) 11:02:25
懐かしい
「「邪馬台国」はなかった」は、題名が週刊誌的で眉唾で読み始めたな。
「失われた九州王朝」は買ってきて読み始めたら、途中でやめられなくなって徹夜で一気に読んでしまった。
30年以上前のことだった。

159 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 13:36:50
私も、松本清張の「古代史疑」以来、古代史に関心を持ち、
古田の「邪馬台国はなかった」を読んで視界が開けてきて、
ダイナース主催の古田氏の講義を聴いてきました。
諏訪でおこなわれた「徹底討論」にも合宿参加しました。
並の学者にはない、古田氏の洞察力と構想力が凄かったです。


160 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 21:31:56
>>153
後に調べてみたが確かに譲位の事実はなかったかもしれない
壬申の乱は近江に逃亡した九州王朝残存勢力と畿内豪族勢力との対立や
九州王朝内の内紛に畿内豪族が介入したという説もあるからあながち
天智天皇や弘文天皇は九州王朝の皇子だったのかもしれない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

>>155
台与の後で国名を邪馬壹国から邪馬臺国に変更したという可能性はないだろうか?

161 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 09:44:11
>>160
>台与の後で国名を邪馬壹国から邪馬臺国に変更したという可能性はないだろうか?

???古田はそうだと書いてるし、だからといって三国志執筆時点には無関係だろ。
後、一応『壹』与な。

162 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:03:59
2倍年歴問題だけど、実に的確に当てはまるとは思うんだが、ちょっと疑問がある。
これは、例えば、神武の1年目を今の1年の前半だとすれば、2年は後半でしょ?

てことは、奇数年は1ー6月オンリー、偶数年は7−12月オンリーになると思うんだが(あるいは逆)、
明らかにそうなってないよね?
これは、どう説明されるわけ?

163 :162:2006/05/18(木) 00:10:21
紀年の境目は、1月、7月とは限らないから、別の月でもいいですが(確か春耕秋収で紀年だったか)。

164 :倭奴国:2006/05/21(日) 16:00:42
>>161

二倍年暦に関しては、月の数え方については史料がなかったと思う。(現在と同じような月の数え方をしたか不明。)
その意味で、その推論は現段階では無理ではなかろうか。

 さて、以下のような情報がある。

1)福岡県にある高良大社に九州王朝のものとみられる系図が残っている。天照大神から始まり、姓は天(アマ)である。そして、その分流として神武天皇に至る系図が載っている。
ほかにも文書はあったが、明治になり、中央から来た人間が1週間かけて焼いたらしい。(証言54)

2)古田は宣化紀に載っている「詔勅」は筑紫の王者の詔勅をとってきてはめこんだのではないかと分析している。(証言46)

久しぶりで読み返してみた「古代史60の証言」かたりべ文庫から、2点だけ紹介した。また、中小路氏が「「邪馬台国」徹底論争」の第三巻で指摘
していたと記憶しているが、九州王朝の子孫も時が来れば必ず出てくるといっていた。
その時は既に来ているようである。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki/nikki022.html
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki/nikki024.html






165 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 16:10:28
>>158
古田氏の原題は『邪馬壹国』
これを朝日新聞社出版局が『「邪馬台国」はなかった』に変えた
週刊誌的なのは当然

166 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 16:40:21
>>164
「古代史60の証言」かたりべ文庫
ネットじゃ売ってないですね。

167 :倭奴国:2006/05/21(日) 18:04:55
>166

よく見ると出版社は「駸々堂」。バブルの頃につぶれ、商権はブックファーストという
ところが買ったらしい。

http://www.mypress.jp/v2_writers/gekkabizin/story/?story_id=1167359



168 :日本@名無史さん :2006/05/21(日) 20:24:26
>>166

ここで復刊リクエスト可能
http://www.fukkan.com/


169 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 17:47:54
>>167
>>168
166の者です。どうもです。
リクエスト致しました。
素晴らしスレですね。


170 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 12:26:48
>>164
九州にはアメ王朝とアマ王朝、畿内王朝、祭祀を司る王朝の
4本立てで運営されてたって事ですな。ちなみにこの頃の九州では世襲制の
統一王朝はなかったという話のあるので政治を司る法王大王(九州王朝
大好き氏がいう弟王)は祭祀王朝(兄王)が任命していたのかもしれない
ただ畿内王朝は継体以降はアマ王朝やアメ王朝の分国化してしまったのでは
ないだろうかと思うのだが。そう言えば天智天皇の国風諡号は「あめみことひらかすわけのみこと」
に対して天武天皇の国風諡号は「あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと」
九州王朝の実働部隊と言われるこの両者は各王朝の分家皇族だったのかもしれない
あと問題は女王国がその後どうなったのかだね。ある説を今考えているが
確証はないのでここでは省略しておく

171 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/28(日) 15:09:55
>>165
出版社側が売らんが為に表題を変えたことは後に知りました。
当時邪馬台国物としては注目の話題となりよく売れたようでした。
でも『邪馬壹国』では売れなかったでしょう。
僕も表題につられて関心を持ちましたから。

172 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 20:17:46
古田氏の講演会に行ったとき講演後の質問タイムに
「『邪馬台国は失われた』には・・・」と言い出した人がいたのを思い出した
『失われた九州王朝』『盗まれた神話』もいいタイトルだね

173 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/29(月) 11:06:49
>>170
天智がアメ、天武がアマ、何故そのように区別できるのかわかりません。
もしアメ・アマと区別ができるのであれば、
天智がアマ、天武がアメ、と推論できないことはないと思うのです。


174 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/05/29(月) 11:47:52
>>170
7世紀の倭国(九州王朝)の政治体制について
@祭祀大王(兄王・天皇)
A法王大王(弟王・法皇・筑紫出身の君・倭国連合のNo1統括大王)A〜H地域大王の緩い統括大王。
B肥大王(筑後川以南、5〜6世紀では倭五王・磐井等が統括大王)
C出雲大王
D難波大王(応神系大王と欽明〜孝徳大王は肥系大王)
E越大王
F尾張大王
G夷大王(毛野・武蔵北部)
H蝦夷大王(日高見・仙台平野北上川阿武隈川流域)
その他地域王多数存在。

175 :倭奴国:2006/05/30(火) 20:19:27
Wikipediaで「九州王朝説」の項目が大幅に書き替えられているようです。
(前はこんなに量が多くなかったような。いずれにせよ古田説をよくまとめているようです。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC





176 :倭奴国:2006/05/31(水) 22:27:26
 久しぶりに「倭人伝を徹底して読む」(新泉社)を読み返す。これも20年ほど前の著作だが、
古さを感じさせない。
 第四章三節「今使訳所通三十国」史記の大苑列伝のところで、漢が使者を遮るものを討つという大儀名分を保ちながら、
実際は農業生産のための生口(奴隷)を得るために、こういった軍事行動をとっているのではないかと述べている。(九州王朝
の話とは直接関係ないが、大変興味深い見方である。)
 また、第九章「銅鏡百枚」の「考古学会を憂う」では以下のような話を紹介している。

1.九州の市立図書館の館長の話として、

2.市民講座で呼んだ考古学者に「三角縁神獣鏡は中国製と思うか、国産と思うか聞いた」ところ

3.半数が「国産と思うが、決して自分が言ったとは言わないでほしい」といい、もう半分も「中国製と思う」
といったものの、世間体を気にしてそういっているのか、よくわからなかったという。

学会の雰囲気がわかる話ではないだろうか。2chでも、若手の考古学者のかなりの部分は(邪馬台国)東遷説をとっているという書き込みが
あったりする事とよく対応しているのではないだろうか。


177 :倭奴国:2006/05/31(水) 22:38:46
また、「韓半島からきた倭国」李鐘恒(新泉社)という本に古田が「解説にかえて」という文章を書いている。
それによると、古田の唱えた説を「襲用」する場合、古田の名前を出さないことが慣例化しているようである。
例えば、

1.七支刀に関して、倭王と百済王の対等な関係を説いたのは古田であるにもかかわらず、引用する場合には他の
学者の名前を出している。

2.茶臼山古墳の「海東鏡」をもとに三角縁神獣鏡の日本列島内作鏡説を論証したのに関わらず、中国の王仲殊氏
が自らの創説であるかのごとく書いているのをそのまま引用している。

他の学会でこのようなことが許されるのであろうか。

178 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/01(木) 17:15:34
続き 7世紀の倭国(九州王朝)の政治組織について
@倭京(大宰府)
宮廷 天皇(兄王・祭祀大王)
政庁 法皇(弟王・法王大王・筑紫出身の君) 九州・長門・伊予を直接統治 
A難波京(大阪)
政庁 難波大王 畿内・吉備を統治
B出雲京(場所不明)
政庁 出雲大王 山陰を統治
C越京(場所不明)
政庁 越大王 北陸を統治 
D尾張京(場所不明)
政庁 尾張大王 東海を統治
E大里京(熊谷)
政庁 夷(毛野)大王 毛野・武蔵を統治
F郡山京(仙台)
政庁 蝦夷(日高見)大王 宮城・岩手・福島(北上川・阿武隈川流域)を統治
Gその他地域王多数存在。


179 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 19:47:47
>>177
焼きいもみたいなくろーい変な長い顔で、
彫りが無くて鼻骨が低くてのっぺらーんとして
細い寄り目と薄いハの字眉が異様に変態チックで
唇だけが黒人みたいに突き出していて
いつもだらしがなく半開きで
弥生系・倭人とはぜーんぜん全くさっぱり違う顔なのに
弥生人は朝鮮系とうそぶき朝鮮人が九州に王朝を作ったなどと
抜かしてきたキモキモ顔の朝鮮よりめ土人は打ち首獄門!

180 :倭奴国:2006/06/01(木) 20:25:40
>>179

誤解のないように言っておくが、古田は>>177の著者の主張を明確に否定している。
金印が九州側から出土していること、銅矛等の鋳型の出土が朝鮮半島側にないこと、
「倭国王」と名乗っていたこと、などからである。
 


181 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:05:35
>>173
天智天皇の国風諡号は「あめみことひらかすわけのみこと」
天武天皇の国風諡号は「あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと 」
両方の諡号の頭を見ればわかると思いますが天智がアメに対して天武は
アマとなっています。両者が兄弟ならなぜ両方とも一つに統一しないのかが
わかりません。その他天智と天武には生年月日も記紀と他の書物とは違う等
相違点が数多くあります

>>174>>178
よく調査しましたな。貴殿の知識には正直頭が下がる思いです
ところで最近の考古学の調査によると女王国と敵対関係にあった
狗奴国は濃尾平野にあったと言われています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E5%A5%B4%E5%9B%BD
蝦夷大王、夷大王、尾張大王はその末裔なのでしょうか
もしかしたら平安時代の蝦夷の反乱は狗奴国の末裔の反乱だったかも
しれません。
ところで他スレでは九州王朝論を書くとなぜか叩かれるので今後九州王朝関係の
話はここでしたいと思いますのでどうかわからない事があった時は
教えてください

182 :181:2006/06/03(土) 13:32:16
>>178
連投ですまないですが(だからsageにしました)
弟王=法王大王は兄王=祭祀大王に任命される
役職で筑紫大王以外の大王も任じられていたと思います。
これはあくまでも仮説ですが
筑紫大王=アマ王朝
肥系大王=アメ王朝
だったのではないでしょうか?この辺はどうなのか本等で
調査してみたいと思います。祭祀大王はその後どうなったのかは
まだわかっていませんが壬申の乱が天武が滅ぼしてしまったのでは
ないかと思います。(ちなみに天皇と名乗ったのは天武からでした。
天智は天皇とは名乗っていません)

183 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:51:27
ほかで聞いたど、古田派ですか?

184 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 15:22:06
>>135
物凄く興味深い。

185 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/10(土) 20:54:35
>>181
「アマ」「アメ」を見直し、自説修正をしていました。

「アマ」は九州王朝兄王の名称です。
「アメ」は九州王朝系弟王の名称です。
天武が「アマ」「天皇」を名乗ったのは兄王系であることを示しています。
それに対して天智は九州の「君」レベルの出身で、
畿内地域の弟王として「アメ」を名乗ったのです。
反九州継体朝を倒した欽明も九州系畿内地域弟王として「アメ」を名乗りました。
以前は筑紫系弟王だけが「アメ」であると見ていましたが、
九州系弟王は筑紫肥を問わず「アメ」のようです。
タリシホコは宗像君であり「アメ」となり、「天皇」ではなく「法皇」となります。

尾張大王と夷大王は、西日本系ですから、
九州から太平洋岸沿いに東進した狗奴の一派との見方も否定できないと思います。
又、夷は尾張からの東進と思われます。
蝦夷大王は現地実力者(日高見国大王)が蝦夷地域弟王として、
7世紀始頃、九州王朝に参画したものです。
蝦夷は8世紀になると畿内朝廷と対立しました。


186 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/10(土) 21:33:14
>>184
>>135は興味深いですね。
古田武彦氏も、かなり以前に文体の違いを指摘していたように記憶しています。

「渡来中国人の著したアルファ群」に当たる部分は九州王朝史書からの抜粋、
「日本人の著したベータ群」は畿内朝廷の編集、
ではなかったかな?

187 :倭奴国:2006/06/18(日) 16:53:14
>>184
>>186

レスありがとうございます。私も非常に興味を持っています。「東アジアの古代文化」に載っている
森博達氏の論文も読みましたが、専門家だけでなく、一般の人にも日本書紀の研究を勧めていました。
古田派としても参入すべき重要分野であると思います。






188 :(;´Д`)::2006/06/18(日) 19:58:20
test

189 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 14:55:45
    ヾヽ
   _( ・l> ハトポッポ
    ミ_ノ

190 :倭奴国:2006/06/24(土) 14:37:40
古田史学会報(97年6月)より。読まれた方も多いと思うが、「百済年号の発見」を紹介
しておきたい。

宮崎県の神門神社で発見された文書に百済年号と思われる年号が見つかった。
もし、これが百済年号とすれば、倭国に人質を差し出していた百済には年号があり、人質を受け入れて
いた近畿側には年号がなかったということになり、また一つ一元通念では解けない問題がでてくることに
なるというもの。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga20.html

191 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:10:58
>>190
神門神社の他のHPでは、「創建は伝承によれば養老2年:718年」とのこと
此処だけで無く神社創建って、多くは8Cです。おかしいですよね?
時期が解ればかなり凄い資料ですね。
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/mikadojinjya/mikadojinjya.htm

192 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/26(月) 04:40:43
>>190-191
多くの神社創建時期はおかしいですね。
祭神が複数でアマ系祭神を含む神社の創建は何故か8世紀が多いですね。
畿内においては何故か5世紀迄遡れる創建がある。


193 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/26(月) 05:36:25

九州王朝夷(毛野)弟王国の大里京(南北9条東西10条)が確認できそうです。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1105834872/251

大里京:
178 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/01(木) 17:15:34
続き 7世紀の倭国(九州王朝)の政治組織について
@倭京(大宰府)
宮廷 天皇(兄王・祭祀大王)
政庁 法皇(弟王・法王大王・筑紫出身の君) 九州・長門・伊予を直接統治 
A難波京(大阪)
政庁 難波大王 畿内・吉備を統治
B出雲京(場所不明)
政庁 出雲大王 山陰を統治
C越京(場所不明)
政庁 越大王 北陸を統治 
D尾張京(場所不明)
政庁 尾張大王 東海を統治
E大里京(熊谷)
政庁 夷(毛野)大王 毛野・武蔵を統治
F郡山京(仙台)
政庁 蝦夷(日高見)大王 宮城・岩手・福島(北上川・阿武隈川流域)を統治
Gその他地域王多数存在。

194 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/28(水) 03:03:42
修正

九州王朝夷(毛野)弟王国の大里京(9条10坊)が確認できそうです。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1105834872/253

195 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/29(木) 01:06:40

倭京(大宰府)の条坊の痕跡を衛星写真の分解性能があがったので調べました。

残念ながら衛星写真では条坊の痕跡ははっきりとは認められませんでした。
辛うじて痕跡と思われたものは朱雀大路です。
西鉄二日市駅北東の通古賀6丁目の西鉄線と川の間に南北300m程です。

大宰府は平城京址よりも宅地開発が古くから進んでいるので、
衛星写真では条坊の痕跡は殆ど認められなくなっていました。

ペルーのナスカ地上絵も分解能の上がった衛星写真で、
今までの航空写真以上に、新たな絵の発見があったのが肯けます。

196 :倭奴国:2006/06/30(金) 23:06:28
「和姓に井真成を奪回せよ」 越境の会 (編集) 同時代社 および 「古代に真実を求めて」の古田などによる
議論を紹介したい。

2004年に西安市で墓誌が発見された日本人留学生・井真成は井を姓とする日本人である。(九州には井を姓
とする人々が実際に存在する。)

井真成は死後「尚衣奉御」という官職を贈られたが、この官職は隋の旧皇帝の一族などが就くことの多い官職であり、
井真成も九州王朝の王族である可能性がある。

古田によれば、倭王は中国風一字姓「倭」を名乗ったが、その後日本でこの姓を名乗った一族がいた形跡がない。
「井」は「倭」と同じ姓である可能性があるとしている。

197 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 17:15:42
あげ

198 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/05(水) 21:44:02
間違い修正

>>195四行目
× 二日市駅北東
○ 二日市駅北西

http://maps.google.com/maps?q=33.5058,130.51536&spn=0.011373,0.014484&t=k&hl=en

199 :倭奴国:2006/07/07(金) 07:58:57
こちらも読んだ方も多いかもしれませんが、紹介しておきます。(3番目の
「安徳台遺跡は倭王の居城か」という記事です。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou57/kai05707.html

「もののけ姫」のタタラ場にそっくりというのが興味深い。

200 :日本@名無史さん :2006/07/10(月) 21:16:05
中小路駿逸氏による「ヒナとアズマー古代文学に見える日本の地理区分についてー」
追手門学院大学文学部紀要 34号 
から紹介したい。

1.碓氷、足柄分水線にアヅマの西境があった。その東にあった国は「我姫国」と
呼ばれていた。(通説と異なり、「アヅマ」とは読めないとする。)

2.それは、七世紀半ばごろ以前に少なくとも美濃、伊勢、伊賀の西域を含む線まで西進
していた。

3.そののち、この線はアルプス線群まで「東進」(東国から見れば「東退」)していた。

4.8世紀はじめ以前に、この線はアルプス線群を東に越え、万葉集の東歌の編集以前に
碓氷・足柄分水線を越えていた。

「旧唐書」にあらわれる「日本国は東界は大山有りて限りと為し」というのは4の時点である。

「宋書」倭国伝の東は毛人を征すること五十五国というのは、この「我姫国」をさしていると考える
べきである。(そうでないと考える理由がない。)また、九州王朝の領域と毛人の国は接していたと考える
べきである。

上記の認識は、文学を含む古代の文献から得られたものである。


201 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 22:35:18
>>196
井真成は、葛井氏か井上氏の出身じゃなかったのか?

202 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/11(火) 14:40:06
>>200
1.は、論評できず。
2.は、毛野の朝鮮出兵663年と矛盾する。東国が九州王朝のひとつの大王国と見るなら矛盾しない。むしろ尾張勢力の東進。
3.は、東国が尾張大王国からの独立を示す。東国が九州王朝の主要7大王国の一員となった。
4.は、畿内天皇朝廷の勢力東進を示す。

文学を含む古代の文献から得られた上記の認識は僕と同じである。
後記の2つの解説意味付けは肯定できないが。

203 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/15(土) 08:14:44
>>196
>古田によれば、倭王は中国風一字姓「倭」を名乗ったが、
>その後日本でこの(井)姓を名乗った一族がいた形跡がない。
>「井」は「倭」と同じ姓である可能性があるとしている。

先ほど、NHKTVを見ていると(AM08:05)、
阿蘇に「井」姓の人が住んでいたよ。
現在は放牧農業をしているようだ。

204 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/22(土) 21:02:44
>>199
安徳台は那珂川の谷中の丘の頂部を、
周辺低地部より30m高で平坦に切り開いたものです。
最初に作られた当時は南側の沼と東西の河川(那珂川・裂田溝)を利用して、
水堀として水城として四方を外敵から防御したようです。
なお裂田溝は安徳台と東南側の丘を切り離す為に人口的に開削したもののようです。
地質図と照合すれば確定できます。

衛星写真から解析しました。

「もののけ姫」のタタラ場は、「安徳台」を作者が知っていたのでは?


205 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/23(日) 03:59:11
人口的→人工的
知っていたのでは?→知っていたからでは?

206 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 16:07:21
もののけ姫に描かれる人々は、中世の人間であって、
古代の人間ではないよ。

ほぼ全面的に網野史学あたりから採用してる。
九州王朝説とはまったく無関係。

207 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/29(土) 12:56:52
安徳台周辺の地質について説明します。

安徳台周辺には3種類の地層があります。
@安徳台の北側及び南側の低地部は完新世(10万年以内)に海底で形成された地層。
A安徳台周辺の山地部は白亜紀前期に海底で形成された地層。
安徳台西側の那珂川と安徳台に挟まれ安徳台に接する小山もAの地層。
B安徳台は白亜紀前期の上記Aより古く海底で形成された地層。
安徳台東側の安徳南小学校とその小学校の西側道路とその西側の南北2つの川に挟まれた三角形の土地もBと同じ地層。

衛星写真
http://maps.google.com/maps?q=33.495,130.425&spn=0.0011373,0.014484&t=k&hl=en
地質図
http://www.aist.go.jp/RIODB/db084/Kyushuzoom.html

208 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:30:16
>>206 もののけ姫の時代考証は正直残念でしたね。

209 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:33:26
九州って多くは平家落ち武者だが

210 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 05:02:16
ぬるぽ

211 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 15:20:57
>>209 東広島電波ジーさん

212 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 15:22:21
もののけ姫の時代はどう見ても中世だろW

213 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/08/06(日) 18:02:25
もののけ姫の時代は中世ですが、
作者はタタラ場の場面設定で単に安徳台を借りてきただけではないかと思います。
安徳台では製鉄の遺蹟もありますから。

214 :倭奴国:2006/08/27(日) 19:58:10
これも「新・古代史の扉」の記事から。メキシコの遺跡から殷王朝時代の甲骨文字が見つかったという。
「放射能炭素測定法では、オルメカ時代は千〜千二百年BCに当り、殷の滅亡時と時期が一致す
る。」という。これは魏志倭人伝に記された「裸国、黒歯国」の記述からは数百年から千年ほど前の遺跡となる。
場所はメキシコであり、時代も異なるが、古代に太平洋を越えた人々がいたことを示唆する点で大変興味深い。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/kaihou19.html

裸国、黒歯国の話はこちら:
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tokouj.html




215 :日本@名無史さん:2006/08/28(月) 10:54:49
>>175

かなり詳細で分かり易くなってますね。
それにまあまあ公平だし。

216 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/08/28(月) 14:06:00
暫く見ない間に詳しく書き直されていますね。

217 :倭奴国:2006/09/09(土) 07:14:07
雑誌「なかった」の定期購読ができるようです。(代引きによる配達)
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki2/nikki081.html

218 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:50:11
九州王朝はなかったのか?

(A)邪馬台国が九州に存在していた。

219 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 11:55:29
>>218
現在ではそれが定説
大和朝廷は、邪馬台国が東遷してできた朝廷

220 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/09/09(土) 20:28:07
>>218
邪馬台国は、王朝と呼べるものではなく、
王朝と呼べない王朝前段階の国家。

>>219
大和朝廷は、九州王朝の一派(天智と天武)が乗っ取った朝廷。


221 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 20:49:38
天武は越勢力と連携して日本を建国した事がその遷移から窺えるけど、九州王朝っていうのは何から判断して?

222 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 21:03:56
まあどっちが正しくてもいいが、どうして九州説の人は>>219のような
誰にでもわかる嘘を平気でつくのか理解できない。

223 :太国:2006/09/09(土) 21:06:58
>>222
それがし九州説ですが、>>219後段の説は無いと思います。

224 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 21:46:24
私も同意です。

「東遷」などという限定的な政治用語を濫用することの罪がどれだけ重いか。
これも、土器編年とかホケノ山とかと同じで、言霊の呪文なんだよ。

225 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/09/11(月) 11:48:04
>>221
近江京は副倭京(第二大宰府)説に基づいています。
天智は九州王朝の弟王(法皇)代理で唐対策から副倭京として近江京を作る。
(正弟王は薩耶麻で唐に抑留中)
天武は九州王朝兄王(天皇)の一族で、
正弟王である薩耶麻の帰国により、尾張・大和勢力の協力を得て天智を討伐。
天武はそのまま畿内に居残り、倭京九州王朝の弱体化もあり、
畿内にて分派九州王朝として天皇を名乗る。
天武の死後持統期には、文武は本家九州王朝を討伐し、
討伐の成功を期して天皇に就任。

なお九州王朝残存勢力の殲滅は日本書紀編纂開始時の717年までかかる。
それ以降も九州王朝勢力は九州西海岸(肥前長崎県)に残存しており、
遣唐使は、九州南端から出発し帰着しなければならない為、
(肥前海岸部に航路が向かうと九州王朝残存勢力に惨殺されたであろう)
生きて出発し帰国できることは困難であった。
海流・風の為、唐へ往復する船は長崎県海岸部に流されやすい。


226 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 12:09:48
>>224
私も同意です。

「王朝」などという限定的な政治用語を濫用することの罪がどれだけ重いか。
これも、縄文灯台とか寛政原本とかと同じで、言霊の呪文なんだよ。

227 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 15:37:33
「東遷」という語は、国家や首都や王都が移転した意味だろうが、
神武は王様ですらない分際で、都落ちして辺境の地に定着しただけの話。
こんなのは、単なる零落軍人の都落ち譚に過ぎない。
普通にいえば

         ×「東遷」   ○「都落ち」

228 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/09/11(月) 18:07:28

天智や天武の場合は、それぞれは東遷と言えるのでしょうか?
主体が九州に残存しているから東遷とは言えないですよね?

229 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 18:58:09
流れを止めて悪いが
この『九州王朝説』の論者は
古田以外誰がいるの?


230 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:02:50
九州に中国型の政権集団が居た可能性は考慮されるべきだけど、
このスレはちょっと酷いな。
ファンタジーは文学板でやって欲しい。

231 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:25:41
>>228
それは言ってもいいんじゃないか。多元的だろうがなんだろうが、その王権が
エリア内では一元的に支配している状況なら、その都の移動は遷都だろう。

232 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 22:37:15
「東遷」という以上、その「王」たるべき人は九州で即位し、その地で「王」たる
治世を布いていた人でなければなるまい。

神武は橿原にやってきて「初代王」として即位したのだから、東遷なわけない。

233 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/09/12(火) 05:04:41

>>229
「九州王朝」は古田氏の提唱した言葉。(古田造語)


234 :(;ω;):2006/09/12(火) 08:51:55
だれか>>229に答えてよ

235 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 09:52:24
>>234
たとえばこんな人
http://www.geocities.jp/waikoku/

236 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/09/12(火) 21:51:20
>>234
>>229
ウィキペディア「九州王朝説」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
下から3番目の項目「肯定側」11項目参照

237 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:22:35
>>229 こいついつもの有名人だろ、かまわないほうがいいぜ

238 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 23:51:49


239 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:05:54
九州王朝説なんて根拠は10世紀に作られた唐書に書かれた1行程度の記事のみ。
しかも、唐書自体がこの話は疑わしいとしている。
笑止

240 :太国:2006/10/22(日) 11:18:32
あまいあまい、女王国自体が九州王朝の氷山の一角。倭の五王朝もあった。

241 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:07:21
蝦夷王朝ってなかったの?

242 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 04:48:36

蝦夷王朝はあった。
日高見国と言う。

仙台平野・北上川流域・阿武隈川流域に展開していた。
畿内朝廷軍に対して13年間の防衛戦争指揮した阿弖流為がいる。
阿弖流為と共に処刑された磐具公母礼は蝦夷王朝の王か?

北上(川)は日高見の訛ったものでは?

243 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 09:35:56
邪馬台国は、九州の王朝でした。

244 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:16:36

九州王朝は、「倭(ヰ)」「大倭(タィヰ)」「イ妥(タイ)」とも呼ばれる国家で、6〜7世紀に存在した。

倭の五王、邪馬台国は王朝とは呼べない王朝前段階国家。

245 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:48:41
もう誰も反論できないし、後は学会に認識させる手続きだけが仕事になりましたね。

246 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 21:57:26
>学会に認識させる手続き

畿内説で飯を食っている学者は、どうせ認めないんだろう。
真実よりも、食えることのほうが大事だからね。

247 :太国:2006/10/23(月) 22:02:13
臥海は力関係で説が決まるきらいがあるから、連中の定説とやらを丸々鵜呑み
にはできない。逆の説を無理に主張すると葬られる場合があるはずだ。
もう畿内説は記紀と倭人伝の距離の矛盾があって、確実に破綻してる。
当然女王国は九州にあったのであり、それは九州王朝の氷山の一角である。

248 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 23:50:56
学者の間にだって、九州にあったって説の人はいるし、
そもそも、論文としての形式・体裁を取れているかということが重要。

だから、体裁さえきちんとしていたら、論文としては認められるよ。
内容に対する反論が噴出するだけのことだ。

249 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 00:41:03
>内容に対する反論が噴出

九州王朝説に対しては、マトモな反論が少ない。
無視、トンデモ扱い、剽窃といった態度が普通。

250 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 12:56:12
「内容に対する反論が噴出」してるのは、未だに万世一系・八紘一宇を「定説」といって憚らない旧帝大系説だよな。

251 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/10/27(金) 01:44:24
暫くお休みしていました。

畿内天皇朝廷説は歴史学ではなく思想だと思います。

252 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 02:13:50
天皇の王朝は天武かその前後からだから、畿内で確定です。

253 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 02:14:40
>大好きさん

最近ご無沙汰でしたね。
大好きさんの説で、特に印象に残っているのは
@薩野馬帰還から天武の即位まで
A倭国の中心地変遷史
B大宰府と筑紫都督府
C菊池王朝と古墳
D神武の出自と畿内進出の経緯
です。またお願いします。

254 :一応九州王朝説:2006/10/27(金) 06:43:01
私もご無沙汰でした・・・・・って誰も覚えてないかw

>>251
根本はその通りですが、怖いのは、
・既にできちゃってる箱物の維持のための畿内説
・都道府県や市町村教委の文化財担当

特に後者はとりあえず土器編年で年代を明示することが要求されるから
これが一番実害が大きいと思います。

255 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/10/28(土) 12:56:38

畿内説に基づいた土器編年を組み換え直すのが、
長い時間と多数の人材を必要とする大作業。

C14を基準にするしかないが。


256 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 11:54:06
土器編年などは飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ!

257 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 13:47:55
>>256
偉い人も解ってるよ、
お前ら一般人には、
建前しか云わないだけ。

258 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 01:39:39
ネタにマジレスすんなw

259 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 09:22:34
九州に独立国はあっただろうが
九州王朝と呼べるものはないよ
出雲王朝と畿内・吉備王朝はあったけどね

九州は火山活動が活発すぎて人が快適に住める土地ではなかったことが
隋書からも伺える
交易の要所ではあっただろうが王朝と呼べるような
絶大な権力者がいたという記録も遺跡もまったくない

260 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 09:48:04
もっといえば日高見国を初めとする関東王朝>>>>越えられない壁>>>>九州王朝
むこうはアテルイとか首領の名前も明らかだし
征夷大将軍の名前からも蝦夷勢力がそれだけ強大だったことがわかる


261 :太国:2006/11/10(金) 10:57:48
卑弥呼の女王国は九州王朝なり。

262 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 11:31:56
何年2ちゃんねるに張り付いても>>259がネタなのか、釣りなのか、ホンモノのバカなのか、判別できません。
何かよい方法はあるのでしょうか?

263 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 12:12:05
>259によれば、
今の日本も独立国ではないらしい。
火山活動がさかんな日本列島には人が住んでいないらしい。
滅亡して記録がない国はなかったことになるらしい。

幻想の世界に遊んでいます。

264 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/11/10(金) 23:11:15
>>259
隋書の火山は「雲仙普賢岳」
九州王朝の遺蹟は「大宰府」

265 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:48:03
>>262
回線切って寝ろ

266 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 08:42:07
>>259
つ 三種の神器 出土遺跡
  鉄器、絹、中国鏡
  副葬品の数、内容

弥生王墓も知らないのにこのスレで何をしたいの?出雲や吉備こそ
その痕跡となるモノ自体はまだ僅少なのに。いや、俺はあったと思
うけどね。

267 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/11/11(土) 19:26:59
>>266
259の言う遺蹟とは、巨大古墳のみを指すのだろうな。

268 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 23:45:45
最初の倭王帥升は普通に九州だろ

269 :一応九州王朝説:2006/11/12(日) 07:57:41
他スレにも書いていますね>吉備王朝中心説

卑弥呼の時代から、古田説の最終滅亡の7世紀末まで、5、600年はあるわけで、
畿内でそうであるように、九州に於いても他の地域でも、決して単純な経緯をたどっ
た筈はないでしょう。どのエリアでも規模の大小にかかわらず征服譚、英雄譚はきら
星のように存在したわけで、返す返すも大和朝廷による焚書を呪わずにはおれません。
相当隠蔽したい過去があったんでしょうかね。誠に恥ずかしい政権体質です。

270 :一応九州王朝説:2006/11/12(日) 08:09:26
日本の古代史学者(だけではないですが)の致命的欠点は、政治哲学が
空っぽであるということです。古代史を明らかにし、その精神土壌が
後の世にどのような影響を与えたのか、司馬遼太郎がよく言うこの国の
形にどう寄与したのかが一番重要なはずです。
別に九州王朝なるものが理想の政治形態だとも近畿天皇家が邪悪だとも
言うつもりはないです。それぞれ必然性はあったんでしょう。
ただ、歴史を学ぶ理由がなんなのかをわかってるのかどうか、それが古
代史学の胡散臭いところで、哀れを誘います。

例えば、例の和田家文書、あれはどうにも胡散臭いところが満載でいた
だけませんが、それはどうやら古田さんもわかってる様子。多分墓の中
まで持っていくものがあるんでしょう。でも、子供がいじめに遭うなど
という異常事態をも防ごうとしたその人間性は評価できます。
それに対して、女性のヒスのような安本氏のやり方は、到底容認できる
ものではなかったです。呼ばれたら右翼の集会にでも顔を出していまし
た。その人達が、古田説を万世一系を否定する危険思想として認識して
いるということを、おそらく学者馬鹿の安本氏はわからなかったんでし
ょう。でも、それは安本氏自身の学問的立場、のみならず言論や学問の
自由をも危うくする行為だったということに気付かないのは、どういう
ことでしょうか。
季刊邪馬台国の混乱の収拾方法にも同様の事が言えますよね。
私的には、畿内説の固陋と戦っておられる安本氏「でさえ」こんなもの
なのか、という印象です。もとより古田安本両氏とも何の面識もない門
外漢ですが。

271 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 13:05:02
季刊邪馬台国の混乱の収拾方法とはどういうことがあったのでしょうか。
まったく聞いたことがなかったので概略だけでも教えてください。

272 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:22:02





あの・・・ここの自作君は必死に何を主張したいの?
1レスに要旨を纏めてカキコしてくれないかな?
このスレの方針も主張も議論も、
さっぱり解らないよ。









273 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/11/14(火) 00:58:40
>>260
そんなに単純なものではないよ。

蝦夷(日高見国):九州王朝8番目の弟王大王国
7世紀の倭における畿内朝廷勢力に劣らぬ巨大勢力。
主な統治地域は、仙台平野・北上川流域・阿武隈川流域。
中心地(都)は宮城県仙台郡山。
7世紀前半九州王朝を構成する大王国(蝦夷)として参画。
8世紀の畿内朝廷の侵食により縮小しながら9世紀前半には北上川上流地域以北に追いやられる。
畿内朝廷軍に8世紀末13年にわたり応戦したアテルイがおり、彼と共に処刑されたモレがいる。
モレが日高見国の大王か?

夷(毛野:武蔵勢力):九州王朝7番目の弟王大王国
6世紀中頃までは武蔵地域の勢力。
6世紀中頃より7世紀末にかけて毛野旧勢力(鈴文化)を制圧。
7世紀初頭に常陸国を制圧。
中心地(都)は埼玉県熊谷大里。
朝鮮半島南部戦争への出兵により弱体化し、
701年畿内朝廷成立時にはその配下に編入される。

274 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/11/16(木) 22:21:44
古代九州は?

本題に戻る。
上記レスにあった九州東西二分に同意。理由は異なるが。

西九州は筑紫・肥、
東九州は遠賀川以東・豊・日向。
九州王権弟王前君(景行記)の東九州遠征後の帰着地は筑紫の浮羽。
帰着地は行政実務の中心地。
即ち、都は浮羽。
時は4世紀末。

前君は肥出身の弟王(実務政治王)、倭の5王へと継続する。
卑弥呼の後継者である兄王(宗教王)は弟王前君と並立する。
倭人の二層構造政治体制。
畿内天皇政権は兄王弟王の2王を1本化し、
畿内天皇は宗教王であり世俗王。

275 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:13:25
卑弥呼の墓が未だに発見されないのが、逆に九州王朝の実在を物語っていると思う。
つまり、大和の勢力によって破壊されてしまったのだ。

276 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:25:41
○○の墓が未だに発見されないのが、逆に○○王朝の実在を物語っていると思う。
つまり、大和の勢力によって破壊されてしまったのだ。




277 :倭奴国:2006/12/10(日) 20:56:40
初めてこのスレに来た方は、>>129 から>>217の投稿も参照ください。

Wikipiediaの記事はまた少し追加の記事が増えたようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC


278 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/11(月) 18:54:56
>>277
上記Wikipiedia九州王朝説について
大宰府(倭京)についての記述
「遠の朝廷」として多賀城でもあるとの説で書かれているが、
これは「多賀城」ではなく、「郡山京」(仙台市)ではないのか?
サイズ:東西×南北=6里×6里(短里)の正方形。

279 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/11(月) 20:12:16
上記「郡山京」の「郡山」は現代地名であるので、
正しくは日高見国の「日高見京」であろう。
なお「多賀城」は、畿内政権による日高見国南部(仙台平野・阿武隈川流域及び太平洋岸地域)征服後の
北上川流域部の日高見国に対する最前線基地。

280 :一応九州王朝説:2006/12/11(月) 20:13:06
仙台という、8世紀でも最前線の僻遠の地を朝廷とするのは
無理がある。と言うより、 無 理  ですねw


281 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/11(月) 22:06:45
>>280
仙台(日高見国)を僻遠の地とみなすのは、畿内朝廷的史観に毒された偏見。

北上川流域・仙台平野・阿武隈川流域の経済力から強力政権が存在したことは否定できない。
7世紀の日高見国の経済力は、畿内(1位)、九州(2位)に次ぐ列島3位の規模。
又、7世紀には日高見国は唐へ使節を派遣し、
8世紀末にには北上川流域のみに狭められた日高見国を畿内朝廷が征服するのに13年の戦争を要した。
そして畿内朝廷は日高見国全域の平定は9世紀末には放棄した。
一方、畿内朝廷が九州王朝征服に要したのは僅か3年、
ほぼ全域を鎮圧するのに20年である。

7世紀前期の郡山遺蹟とその周辺遺蹟の解明が待たれる。





282 :一応九州王朝説:2006/12/11(月) 22:17:20
ふむ。それは承知ですが。

でも、「遠の朝廷」という表現自体が同一政治連合内部で使われる
ニュアンスの言葉ではという事が言いたいわけです。激烈な、おそ
らく機内政権が最も厳しい戦いを強いられた相手ですから、そんな
所に「朝廷」を置くわけはなく、また敵に対してそのような尊敬語
のような使い方をするはずもない。
まあ、友好関係にあった場合は考えられないことはないが、この言
葉が出現する当時にふさわしいかどうかということもありますし。

>畿内朝廷的史観に毒された偏見。
ですから、畿内朝廷から見た視点で言ってるわけですからw
政治概念を含む用語の使用の問題と多元王朝論全体を混同して批判
される方法もはなはだ宜しくないかと。同じ九州王朝論者として、
一言申し述べたいと思います。

・・・・・まあご無沙汰しておりましたがw
>7世紀前期の郡山遺蹟とその周辺遺蹟の解明が待たれる。

同感です。

283 :倭奴国:2006/12/11(月) 22:22:24
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nigezaru.html

「3 九州王朝と東北王朝
 ー「曲水の宴」が意味するものー」より


ところが八世紀初めに「曲水の宴」が存在した。こうなりますと多賀城を築く
前に、大和朝廷がここを支配する前に「曲水の宴」が存在した。つまり大和朝廷が
軍事的支配を行う前に、軍司令官が敵の陣地に乗り込んで「曲水の宴」を行った。
そういうことはありえない。そうしますと、これは何か。つまり安倍貞任・宗任と
いう、あの東北王朝側のおこなった「曲水の宴」跡である。そういうことになる。
(中略)

これで問題になるのは、仙台に行く毎に、佐々木広堂さんが言われたのは、どうも
おかしいのですよと。何がおかしいのか。六世紀や七世紀の岩手県や宮城県から出て
くる遺跡に見事な城郭遺跡のようなものが出てくる。それを今まで大和朝廷の城郭遺跡だ
と考えていたが、六世紀や七世紀に大和朝廷が進出していたとは言えないので教育委員会が
困っているようですよ。現地にも連れて行っていただいた。それが年輪年代測定法の概念を
入れますと、五世紀や六世紀となりまして、いよいよ大和朝廷が進出(侵略)した後だと言えなくなる。









284 :一応九州王朝説:2006/12/11(月) 22:30:48
なるほど。そういうのもあるわけか・・・。

しかしやはり敵同士で「遠の朝廷」とわざわざ記す必要は疑問符
ですね。やっぱり九州朝廷の事じゃないでしょうか。
いや、引用の論旨全部を否定するものではありませんが。

285 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/14(木) 00:02:42
>>284
畿内朝廷は7世紀には東北王朝と一緒に唐に使者を派遣していたので友好関係でなくても敵対関係ではないでしょう。
畿内朝廷にとっての後背の東北王朝を敵にすることは当然避けていたはずです。

敵対関係になるのは、畿内朝廷が九州王朝を武力征服した後の701年以降です。
遅くとも畿内朝廷の陸奥進出を開始し郡設置をした和銅年間には東北王朝と敵対関係になっていたと判断できます。
畿内朝廷の東北王朝南部(陸奥国)地域支配の完成は多賀柵設置の724年でしょう。
この後東北王朝北部地域と畿内朝廷との戦いの200年が続くわけですが。




286 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 10:42:51
遠つ飛鳥、近つ飛鳥。


287 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:37:21
>遠つ飛鳥、近つ飛鳥。

??????

288 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:50:41
そんなに長く九州中心の柵封体制が続いていたとは思えないです。
ヤマト王権の実力も侵略意図も既に相当東方深部まで及んでいたのではないでしょうか。

289 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 09:32:57
越でさえ他国の時代にか?

290 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 15:01:15
邪馬台国時代はまだ大和王権と九州は別だったと思うけど
4世紀の初頭には、九州は大和王権の傘下に入ったとみるべき。
ただし、その後にも、何度も大和に対して氾濫を繰り返していた。
これは、九州だろうが、関東だろうが同じで
似たようなことは、記紀の明快な中世にだって
たえまなく、あったこと。

291 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 15:41:07
よく、統一的だとか、地方分権的とか
古代史を語る上で問題にするが
どこからどこまで統一的で、どこからどこまで地方分権的って
境界線が明確なわけがない。
そんなこといえば、中世だって
どこからどこまで統一か分裂か見方が割れるだろう?
たとえば、徳川時代って、一応、統一政権だけど
見方によれば、300の藩という国々による
地方分権的な国家体制なわけだし、
そういうふうにみれば、日本みたいな海という天然の国境で囲まれた島国は
強力な中央集権体制をひいてアイデンティティを強力に主張する必要が無いわけで、
明治維新直前まで地方分権的だといえる。

292 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/15(金) 16:11:13
>>288-289
>そんなに長く九州中心の柵封体制が続いていたとは思えないです。

九州中心の柵封体制といわれるものがあったのであれば、それは663年で終わっています。
僕としては九州王朝は筑紫(九州)を中心とした主な6地域(出雲・浪速畿内・越・尾張・毛野・日高見)の緩い連合体とみているからです。

九州王朝の全国的な体制があったのは、663年の朝鮮半島南部戦争敗戦までとみなされます。
663年〜671年(唐の筑紫占領・薩耶麻帰国)には、九州王朝の実質的な支配地域は九州島及び中四国の一部に限られていたようです。
671年以降は九州を除く地域は其々独立状況になっています。
671年からは九州王朝の九州内での支配能力も徐々に低下し、
697年の文武の軍事侵攻により、政治体制としての九州王朝は699年に滅亡しております。
700年からは九州王朝残存勢力により九州では内乱状態がありましたが717年には完全に鎮圧されています。

ヤマト王権の東方への侵略開始は701年以降です。
年号「和銅」は関東の雄毛野(武蔵は毛野の支配下)を支配したことを祝してつけられたとみなしています。
(毛野では金の産出がない為、金の献上に代わる豊富な銅の献上)
ヤマト王権の関東以北への侵略は和銅年間に始まっています。
日高見国(東北王朝)の現福島県地域へのヤマト王権の侵略開始(出羽国支配後)は和銅年間と見られます。


古田グループ説に重なるところが多々ありますが。

293 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/15(金) 16:16:31
上記修正
誤:武蔵
正:秩父

294 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/15(金) 18:56:47
>>290
>4世紀の初頭には、九州は大和王権の傘下に入ったとみるべき。

逆。
大和王権が九州王権の傘下に入ったのは応神(4世紀)からと見るべき。
大和王権は仲哀まで九州王権から政治的に独立。
継体3代(継体・安閑・宣化)も九州王権から政治的に独立。
最後の政治的独立は斉明直後661年(天武)から持統まで。
文武からは九州王権消滅により大和王権の九州支配。

295 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 00:08:21
トヨトミミとかトヨミケカシキヤヒメとかの「トヨ」って、九州の「豊前」「豊後」と関係があるのか?
邪馬台国のトコで出てくる「トヨ(?)」とは関係があるのか?

296 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/16(土) 02:13:12
>>295

関係ない。

日本語語の「トヨ」は、漢字の「豊」の意。

「トヨ(臺與)」ではなく、「イヨ(壹與)」である。
「邪馬臺國」ではなく、「邪馬壹國」であるのと同様。


297 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:33:49
>>294
独自の想像するなw
記紀を素直に読めよw


298 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/16(土) 17:54:46
>>297

何の先入観もなく、記紀を素直に読みました。
記紀の矛盾点不整合を洗い出すと上記>>294の結論になりました。


>>294の書き間違い修正
誤:天武
正:天智

299 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 19:21:52
>>298
でも、応神天皇は大和王権だろうがw



300 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 19:23:35
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Yさん、
歴史とは素直に読むべきことだ。

自分の空想にひたるなよ。

301 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/16(土) 20:19:13
>>299
崇神朝の仲哀九州遠征軍に勝った九州王権は、
応神を畿内遠征に派遣し、畿内鎮圧に成功。
応神は九州系連合王権として浪速王権を開いた。

302 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 20:34:21
神武を輩出した九州王朝が、畿内大和朝廷の支配下に入るのは磐井の乱の後でしょ?

303 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 20:35:24
>>296
それは証明されたわけではないですよ。古田信者どの。

304 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/16(土) 21:36:58

>>303
証明のない仮説ですね。

古田説に共感はしていますが、信者ではありません

305 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/16(土) 22:14:42
>>302
九州王朝弟王磐井は継体に負けましたが、
九州王朝兄王は継体に敗退したわけではありません。
継体は戦闘には勝ったが戦争には勝てず和睦しています。
継体の死後、欽明は、継体朝3代を倒し、
第二次九州王朝系連合畿内王権を再興しました。

以降の九州王朝と畿内王権の力関係の微妙さを現しているのは、
畿内王権の女性天皇擁立のようです。

306 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:25:22
>>304
仮説ですね。じゃねえよ。間違ってました。すいませんぐらい家。この阿呆。

307 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:01:53
馬鹿を家。文系学問は数学や物理学じゃないだろ。
少ない仮設で多くの事柄を合理的に解釈できれば
真理により近いとするだけだろうが。

308 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:56:22
九州王朝なんてあるわけねえだろ。もちろん倭王朝もない。
あるのは王権。ひとつの王権の中で時期を追って交替するのが王朝。


309 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 09:25:05
だから完成した統一国家後の中央権力以前のものを王朝と言ってるだけだろ。
それもなかったというのか?世界史でも王朝ってふつうに言うぞ。お前の理論
なら、世界統一した国なんてないんだから全部王朝と名乗っちゃいけないこと
になる。

310 :倭奴国:2006/12/17(日) 10:18:51
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin13/onamekei.html

日本書紀で大嘗祭のことが初めてでてくるのは、天智天皇の時だが、そこには、「大
嘗祭に参加した人に褒美をやったという記事だけ」があり、大嘗祭を行ったという記
事がない。一方、持統天皇は大嘗祭を行ったという記事がある。これは、大嘗祭は中
心権力者のみが行えるものであり、それまでは中心権力者である九州王朝があったの
で行えなかったのである。

また、万葉集に「梅の花が散って桜の花になった」という歌がいくつもあるが、この
「梅の花」とは九州王朝の話ではないかと。



311 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 14:59:55
九州王朝というよりも
中世に、京都や鎌倉の政権とは独自の外交を
していた九州の豪族みたいなもんだろう?
つまり、半独立の関係。
一応、畿内は九州を押さえているが
隙あれば、常に逆らうような感じ。
また、中央政権に外交利権を独占させないためにも
常に独自ルートを構築しようとする関係。

312 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:16:31
>>311
そういう話ならここでいろいろと問題にはならないよ。

「天神」というのがなんなのか、とか、そもそもなんで「九州」なんていう、
中国でこの世界全部を表す名前を持っているのか、など、色々不審な事が
多いわけで。今我々が歴史上の常識と言ってる事柄なんて、所詮江戸中期
以後国学者や明治政府が作り上げたイメージだもんね。

313 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:00:49
>九州の豪族みたいなもんだろう?

歴代の倭王が求めた将軍号・大将軍号は、
極東全体を覆うような支配領域を示しているだろ。
どこが九州ローカルだ。

314 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 08:03:19

>>1-313







いも

315 ::2006/12/18(月) 11:19:51
>314だけ池沼

316 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/22(金) 01:47:11
634 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/22(金) 00:01:52
カーゴメ♪カゴメ♪
今テレビで見ていたら滅びた九州王朝が残した歌の様に解釈できた。
日田地方が九州王朝最後の地だったようだ。

635 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/22(金) 00:12:17
九州王朝の最後:716年 日田

636 :日本@名無史さん :2006/12/22(金) 00:48:42
天領地 日田
山に囲まれた盆地で「耶馬」と書く。

637 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/22(金) 01:17:08
かごめ歌「後ろの正面だあれ」
後ろの正面は畿内朝廷奈良政権。
前の正面は九州王朝の繁栄の跡筑後平野方面(天神大宰府)。
716年日田で亡んだのは九州王朝兄王。
699年薩摩で亡んだのは九州王朝弟王。

638 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/22(金) 01:31:39
かごめ歌「夜明けの晩に鶴と亀がすべった」
鶴は天智か?亀は天武か?

「カゴの中のトリ」
日田に幽閉された九州王朝兄王か?

「夜明けの晩に」
白村江戦敗戦か?薩耶麻帰国か?唐の筑紫占領か?


317 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:19:48
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ


318 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:12:22
>>316
笑い話のソースは何処だ?www

319 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:27:13
カゴメケチャップとか言うぜ太国=九州はwwwww

320 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:31:06
くれぐれもケチャップとソースは違うぞ太国w

321 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:29:49
ケチャップもソース、トマトソース。
ウースターソース
ソイソース
等々もあるね。

322 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:03:31
>>316
何処に日田とか薩摩の証拠があるんだ?
やっぱり妄想ですかwwwww

323 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:03:45


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1165828216/321



youtubeのエロ動画集めました

324 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/25(月) 20:21:32
>>322
>何処に日田とか薩摩の証拠があるんだ?

日田に鶴と亀がある。
続日本紀文武4年を読め。(文武2年〜大宝2年にも関連記事あり)

間違い修正
誤:699年薩摩で亡んだのは九州王朝弟王。
正:700年薩摩で亡んだのは九州王朝弟王。

325 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/25(月) 20:36:23

続日本紀を見ていて疑問

畿内朝廷は、701年対馬が金を貢いだ時、大宝を建元し、官名位号を改制したのは何故だろう?


326 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:44:17
701年以前から近畿朝廷に「倭国」があったのは何故だろう?

327 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:38:22
>>324
>日田に鶴と亀がある。
理由はこれだけですか?

カゴメの説明は結構です。

328 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/12/27(水) 00:57:22
>>327
天智天武と鶴亀の関連知見はまだありません。

329 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 08:21:38
しかしあれだな
韓国の歴史教科書や中国の歴史教科書を見たり
それぞれの国の学会の見解を聞いたりすると
例えば「高句麗」一つをとっても自己に都合のよい
位置に堂々と解釈し教科書のみならず一般の書物にまで載せる感覚。
100年前、50年前、10年前、現在と調査研究の結果刻々と歴史が変わっていく。
ひどいねえーと思っていたが。。。。翻って日本の歴史の定説や
教科書も他国から言われているんだろうね(古代部分でも)
科学や統計、調査方法が比較にならないほど発達した現在でも
各ジャンルの中で日本史だけ100年前と変わらない答えをずっと教科書にまで
書いて教えているのは普通の感覚では異常

330 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:18:11
>>328
九州の名を語るな馬鹿!

331 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:19:05
九州王朝大好き=太国 
低脳なのでバレバレだよん



332 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:03:41
>>324
たまには外の空気でも吸ってみたら?www

333 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:18:30
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。



334 :↑ 太国:2006/12/31(日) 19:03:11
コテ無パン大負け王 w

335 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:05:05
頭の悪いコテのオンパレードだな
これぞ養豚場だねw

336 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:42:19
豚野郎にはご注意ご注意


337 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:46:25
豚国

338 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 20:03:17
九州王朝はなかった

以上 終了

339 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 20:54:29
それは勘違いだった>338

ただいまより再開!

340 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 17:25:58
太国妄想は再開しないで下さい。

341 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:10:15
馬鹿だからな

342 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:12:25
九州王朝など無かった

これ以上言うこと無し

343 ::2007/01/04(木) 20:12:30
うぇ

344 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:13:38
>>331
>九州王朝大好き=太国 
>低脳なのでバレバレだよん

このスレ(10)だけでも最初から読んでみなされ。
九州王朝大好き≠太国 だと判るよ。

345 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:17:21
>>340
>太国妄想は再開しないで下さい。

このスレ(10)だけでも最初から読んでみなされ。
太国さんの妄想と思われるものは何処にもないよ。

346 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:18:58
>>344
ご苦労チャン太国

347 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:24:31
この板はお前が人口減らしたからこうなってるだけだぞ!

348 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:32:03
豚国は馬鹿なの自覚しろよ

349 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 11:03:25
>>348
人を寄せ付けない馬鹿さ加減だよなw


350 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 15:11:37

>>346-349

馬鹿なのはおまえらだ。
いや、
おまえらは阿呆ぼけタワケなんだよな。

太国≠九州王朝大好き であることがわからないとはな。

351 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:59:35

日本史板の常識

コテ=馬鹿



352 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 05:05:33

「コテ=馬鹿」とは大方の見方なのか?

353 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:42:56
>>352
大方ってどう返事すれば好いんだ?

354 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:58:55
太国さんと、九州王朝大好きさんは別人。
共通点は九州王朝肯定派であることぐらい。
古代関東の考察などは、大好きさんの独壇場。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1105834872/

355 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:46:40
>>354
2人とも何処が肯定派なんだ?

356 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 19:05:44
九州王朝はあったと思います。

357 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:07:35

日本史板の常識

コテ=馬鹿



358 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:28:34
太国さんと、九州王朝大好きさんは、
九州王朝肯定派なの?
コテもジョークだと思ってたよw
冗談はさておき、
一体何時まで九州王朝があったと思っているんだい?


359 :太国:2007/01/07(日) 08:05:20
文武世前後のころまでですよ。九州王朝大好きさんもそのはずですが。

360 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 09:33:02
九州王朝は神巧皇后に滅ばされました

361 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:30:50
>>359
またまたメチャクチャ語録だな!
ちゃんと記録しとくよw

362 :太国:2007/01/07(日) 10:34:41
いままで何度も言ってるよ。

363 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:39:08
誰かさんが四面楚歌な訳解るよなw

364 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:40:46
>>359
人の事迄何故答えるんだw
同一人物?

365 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 12:23:46
>>359
同一人物確定ですねw

366 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:03:06
太国=九州王朝大好き


367 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/07(日) 16:33:59
九州王朝の滅亡についてはこのスレで太国さんと話したことがあります。
過去スレを検索すれば見つかりますよ。

九州王朝の滅亡はいつを以て滅亡と言うかによって異なります。
滅亡は698年〜717年です。
717年を除いて、九州王朝の滅亡は文武治世であることでは太国氏と意見の一致を見ています。
(717年は宗教王である九州王朝弟王の消滅)


368 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/07(日) 16:44:06
間違い修正
誤:(717年は宗教王である九州王朝弟王の消滅)
正:(717年は宗教王である九州王朝兄王の消滅)

369 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 17:38:42
九州王朝などありません

370 :太国:2007/01/07(日) 19:05:34
>>369
ありましたよ。それに卑弥呼の女王国は九州王朝の氷山の一角です。

371 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:14:22
>>370
継体天皇は九州説の立場から何処に居たんだ?

372 :太国:2007/01/07(日) 19:31:23
>>371
九州説の立場と繼體天皇がどこにいたのかとは、直接的関連はうすい。
つまり九州王朝があっても、畿内を基点として行幸しようと思えば一定の
範囲内でどこだって自在ではないか?w
それとも即位前のことか? 一応福井、滋賀あたりに所在してたようだな。
福井には銅像もあったろう?

373 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:47:19
>>372
仁徳天皇は九州説の立場で何処に居たんだ?

374 :太国:2007/01/07(日) 23:04:37
お前は百舌の耳派等か〜? 何回似たようなことを聞くんだ?
あとは記紀を読むとか、wikiを見るとかしろ!

375 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 23:13:25
そういえば、九州王朝が元号を「継体」に定めたころ
日本海から頭角を現したのが継体天皇。
九州王朝の元号で呼ばれているのが笑える。

376 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 02:38:39

「継体」は九州王朝の元号ではない。
「継体」が九州王朝の元号とすれば、他元号に比して異質な名称である。


377 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:41:58
>>374
結局九州説じゃないから逃げるんだろw
仁徳天皇は九州説の立場で何処に居たんだ?


378 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:03:02
いや、彼は九州説ではなくて、九州王朝説だと思うが。

379 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:12:48
>>378
なんだ?
そんな突っ込みで又逃げるのかwww

太国さんへ
仁徳天皇は九州王朝説の立場で何処に居たんだ?
逃げるなよw

380 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 11:27:55
>>371 >>373
九州説ではなく、九州王朝説の立場から太国さんに代わって答えましょう。

継体は畿内の反九州王朝である大王。
仁徳は九州王朝傘下の畿内大王。(九州王朝畿内弟王)・・・太国氏とは異なる見解。

381 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:29:03
近畿地方じゃないの?
畿内説でも九州説でも同じでしょ。

382 :381:2007/01/08(月) 11:30:41
あ、かぶっちゃいました。
大好きさん、失礼しました。
ちなみに私は、無名の古田ファンです。

383 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:37:25
そっくりだな・・・太国も後で当然返事あるんだろうけどw


384 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:50:25
>383
継体天皇・仁徳天皇の居場所を他人に問いただす目的を説明してください。
想定している「回答」とそれに対するあなたの意見を述べてください。

385 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 12:24:59
目的は、太国さんと九州さんが本当に九州王朝説かどうか?
それを知らないと、当方非常迷惑なのでお聞きしました。
今迄彼らは、九州王朝論者とはとても思えない発言を、
幾らでも繰り返していますので。

想定回答は何故必要なのですか?
九州王朝論者としてもっともの回答をすればいいだけですよ。
ただ今までの発言も少なからず記憶しておりますので・・・
お返事期待しています。

386 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 13:10:58
>>385
>九州王朝論者とはとても思えない発言を、幾らでも繰り返しています

僕は九州王朝説に立っていますが、古田氏信奉者(古田グループ)ではありません。
古田氏及び古田グループ各氏の発言には敬意を持って拝聴していますが。
九州王朝論者≡古田氏及び古田グループ各氏ではなく、
九州王朝大好き(私)∈九州王朝論者∋古田氏及び古田グループ各氏ではないでしょうか。
僕には一方的に古田ファンでもあるところもあります。

ところで、僕の「九州王朝論者とはとても思えない発言」とは何ですか?
それとも古田氏の承認を得なければ九州王朝の概念は使えないのでしょうか?
九州王朝論者の分裂騒ぎがあったそうですが、あなたはその時の古田派ですか?
それとも反古田派ですか?そのどちらでもない派ですか?

僕は、分裂騒ぎに無関心な、どちらでもない派です。(分裂騒ぎの内容については全くの無知)

僕の質問にも答えて下さいね。

387 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:14:35
なんの話してるんだ?
酔っ払ってるのか?w

388 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:26:26
古田氏の周辺で[九州王朝論者の分裂騒ぎ]は起きませんでした。
彼をとりまく人たちの中から、畿内王朝唯一史観を主張する古田説改革派が
分裂していっただけでしょう。



389 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 13:28:55
>>387
僕は酒を飲まなくなりました。

390 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:30:45
>>389
なら本格的だはw

391 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 13:35:13
Q1:僕の「九州王朝論者とはとても思えない発言」とは何ですか?
Q2:それとも古田氏の承認を得なければ九州王朝の概念は使えないのでしょうか?

上記質問に答えて下さい。

392 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:44:54
505 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/11/07(火) 01:04:56
>>502
>その関西勢力に劣る条件が一つもない九州

経済力: 九州<関西
陸戦力: 九州<関西
(海戦力: 九州>関西)


393 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:49:35
あの馬鹿コテ以外に古田なんて誰か使ったか?
馬鹿じゃね

394 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:55:19
【記紀?】畿内の寺社は移設ばかり【米田良三】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1167465329/
このスレの九州だいすきさんのコメント読んでみてw
アホレス三昧もそうだけど、
広瀬大社は奈良発祥だって譲らないんだwww
すげー畿内説な人だよwww

395 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:58:59
九州王朝大好き さんは
奈良在住だそうですねw

396 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 14:01:02
>>394
>広瀬大社は奈良発祥だって譲らないんだ

広瀬大社は筑紫・豊・吉備のいずれかの地方からの移転だと思っていますよ。


397 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:02:00
>>396
いや参ったなーw

398 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 14:06:29
>>392

経済力: 九州<関西
陸戦力: 九州<関西
海戦力: 九州>関西
追加
文化レベル: 九州>関西


399 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:09:50
しかし底掘り下げたら、
浚渫って言って、
湖深くなるだけだよw
水位がかわないんだけどwww

400 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:14:02
こっちの返事もお願い

太国さんへ  
継体・仁徳・推古・仲哀天皇は九州王朝説の立場で何処に居たんだ?
逃げるなよw


401 :太国:2007/01/08(月) 14:20:59
>>400
今帰ってきたところだ。何だというんだ? うるさい奴だな、お前は。

〜当たり前ではないか、畿内にいたんだよ。そんな当然のことをなぜ聞くんだ?
疲れさせるな。仲哀は九州とか角鹿へも行ってるぞ。それともなにか〜、仁徳
あたりが南極でも行ったというのか〜?ww

402 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:21:54
>>399
【記紀?】畿内の寺社は移設ばかり【米田良三】の件か????

湖の出口の川の河床を掘り下げれば水位が下がる。
琵琶湖の水位は瀬田堰で調整できるんだよ。


403 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:22:37




演技上手い!

パチパチパチ・・・・・・・・・・




404 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:25:09
どれ位それで下げられるんだw

405 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:26:26
>>402
琵琶湖をその手で干拓してみなwww

406 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/08(月) 14:30:20
>>395

奈良は出身地です。
今は便利で気候の温暖な阪神間(少年時代を一時過ごした地)に移り住みました。

407 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:34:55
>>401
流石御見それいたします。
貴方の九州説とは何ぞや?

408 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:58:42
太国の九州説って何なのですか?
早く返事ください!
>>401
では畿内説と全く同じですよね。
邪馬台国の扱いも聞きたいですね。

409 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 16:01:59
いくらなんでも本当にあったのならなんらかの証拠が残っているはずだろ。

410 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 16:03:10
>>409
誰に何を言ってるのですか太国さん?

411 :唐松山:2007/01/08(月) 16:52:08
このような 年表が 出来ました  私の年代感です。

神武 西暦 –12 橿原 飛鳥川に都
綏靖 西暦 6 
安寧 西暦 25 
懿徳 西暦 35 8才で天皇
孝昭 西暦 44 弟
孝安 西暦 70
孝霊 西暦 105 31年頃宝物庫火災焼失  領地を広げる
孝元 西暦 138 孫
開化 西暦 163
崇神 西暦 186 飢饉 出雲併合
垂仁 西暦 208 新都 巻向へ都を移す 三輪山も移動?(こちらは、崇神かも)
景行 西暦 239 要請により九州出兵 東海、関東以北を平定
成務 西暦 266 屯倉、国造の設置
仲哀 西暦 290

たたねこ 80才 人間に成れたが
ももそ姫殿が…  今しばらくお待ち下され…
 天皇家の短命は、血液のせい だと思います

卑弥呼は、景行の時代  これで イヨ
五百野皇女=イヨ


412 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:01:15
太国の九州説って何なのですか?
早く返事ください!
>>401
では畿内説と全く同じですよね。
邪馬台国の扱いも聞きたいですね。


413 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:05:47
>412
九州王朝の治外の地で、畿内の天皇が畿内にいることが、なんでおかしいと判断したわけ?
ルイ王朝の時代に徳川将軍が日本にいることがなぜおかしいわけ?
私にはまったく理解できないんですが。

414 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:20:23
>>413
ビビッてコテ無しに変ったのか?www
ちゃんと読めよ全部畿内でいいのか?

太国さんへ  
継体・仁徳・推古・仲哀天皇は九州王朝説の立場で何処に居たんだ?
逃げるなよw
太国の九州説って何なのですか?
早く返事ください!
>>401
では畿内説と全く同じですよね。
邪馬台国の扱いも聞きたいですね。

415 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:24:31
>414
私は日本史盤板でコテハン名乗ったことはないぞ、コテ無しさんよ。
畿内国の天皇が畿内にいて、九州王朝の天使が九州にいるのがなぜおかしい?
ちゃんと説明しろ。

416 :415:2007/01/08(月) 18:27:08
まあ、畿内の天皇は本当は天皇じゃなくて「おおきみ」だけどな。

417 :山田:2007/01/08(月) 18:30:10
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1161867630/201-300
教育板・韓国は「なぜ」反日か?論3

418 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:38:02
>>415
何見当違いな返事くれるの
何処に居たんだって聞いているんですよ!

このピントのズレ方は・・・アンタやっぱり太国だろw

419 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:39:56
流石太国テイストでんな〜

420 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 19:08:45
畿内にいたと言っているのに、どこにいたか答えろってどういう意味だ?

421 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 19:11:22
>418は九州王朝説反対派か?

422 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 19:43:52
国語の授業中!
>畿内国の天皇が畿内にいて、九州王朝の天使が九州にいるのがなぜおかしい?
あなたはなにをなんでおかしいと言いましたか?

423 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:21:46
はあ?
お前>414だろ?
みんなの前で堂々と質問してるじゃないか。
それが主観的には太国さんだけに訊いているのであろうとも。

424 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:24:58
>>423
何言いたいんだ述語しっかりしろ!

425 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:29:53
>424
お前、日本語が通じるのか?

426 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:06:56
>>424
訊いて=聞いて
いるので=いるので
あろうとも=あっても

何が言いたいんだ?
>>423の説明お願いしますよ

427 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:10:54
>426
423の意味がわからないなら、小学校に通ってからにしろ。
話はそれからだ。

428 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:17:04
>>427
そちらの言葉尻切れトンボになっていませんか?
それだからどうしたが○無い○だろ!
自信満々で何言いたいの?

429 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:21:35
太国の九州説って何なのですか?
早く返事ください!
>>401
では畿内説と全く同じですよね。
邪馬台国の扱いも聞きたいですね。



430 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:30:53
にほん ご の 「修辞」 を、がっこうで もっと べんきょう しましょう>428-429

431 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:47:40
>>430
修辞に自己陶酔か?馬鹿も程ほどにしろよ!
あのね何がいいたいのか聞いてるの?まだ解んないの?
>>423 
>それが主観的には太国さんだけに訊いているのであろうとも
そっちが知りきれトンボで、こっちは返事のしようがないの!
いぇすものーも言えないの?解る?

酔っ払い重度?

432 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:01:15
太国お前アル中だろ?

433 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:12:09
>>398
>文化レベル: 九州>関西

文化といっても、大陸かぶれして仏教好きだっただけですよね。

434 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:17:31
>>433
太国=九州さんの自演ですw
まず 誰も構わない事ですよwww

435 :433:2007/01/08(月) 23:28:42
大陸に近い九州より、ある程度離れていてしかも経済力が大きく、しかも、
列島のほぼ中央に位置する関西が最終的に列島の支配者となったことは、
とても良かったですね。その後、日本が独立を維持して偉大な国であり
続けた重要なポイントと思います。

もし、九州王朝が存続していたら、九州王朝はシナ帝国との朝貢関係を
断てず、半島諸国とつばぜり合いを繰り返したことでしょう。それに、
本州辺りでは、別の王朝が成立して、列島の統一はなかったことでしょう。

436 :日本@名無史さん :2007/01/08(月) 23:37:00
>>433
北九州、出雲、高知、南紀(熊野)だけはどうしたことか、仏教が普及していない。
仏教がきてもことごとく、八百万の神に跳ね返されている。
一般庶民は、賢いから何が真実か良く分かっている。
この地域は、古代から神様がすべてに優先する。
畿内はことごとく、仏教寺院に占有されている。
古代から、侵略され続けているから、仕方がないが、>>433の人は
もっと、この事実を認識したほうが良いと思う。


437 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:45:27
九州王朝が突進し続けた、極東の果てしない三百年戦争に
巻き込まれないように回避したのが畿内国。
対外的な野望を捨てて内政を重視したのが国家の安定を招いたと思う。

438 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:57:23
秀吉と家康の違いのようだね。

439 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 09:51:43
>>438
意味不明??

440 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:22:30
日本書記によると、西暦683年に天武天皇が「銀銭」の使用を禁止し、
「銅銭」のみ使うよう詔を出している。

日本書記には、「銀銭」を大和朝廷の誰が作ったとは書かれていない。
中国は、三皇五帝から唐まで、銀はその場で叩き割って、天秤で量って使ってたので、
「銀銭」は存在しない。
朝鮮半島は、昔も今も銀は産出しない。
「銀銭」は誰が作ったのでしょう。

441 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/09(火) 21:58:19
>>436
九州王朝では仏教は宗教ではなく思想哲学の様なものとみていたのではないか。
九州王朝元号に仏教色があるのは、仏教を宗教と捉えていないことを示している。

九州王朝兄王は宗教王である。又、畿内朝廷天皇も宗教王でもある。


>>440
そうですね。
銀銭はどこで作られたのでしょうね?

続日本紀によると、畿内天皇朝廷では金と銅は献上されているのに、銀は献上されていない。

442 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:00:49
そういえば、「鋳銭司」が都の真ん中にないのはどうしてでしょう。

443 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:13:44
隋書には、倭は邪靡堆に都、これ魏志に言う邪馬壹國なり。
とあるんだけど、これって西暦600年ぐらい、聖徳太子ぐらいの記述だよね。
仮に邪馬台国が九州だとすると当時の大和朝廷は実は九州王朝だということか?
だったら、その前の時代、近畿で巨大古墳や遺跡を築いていたのは何者?

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