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伊勢大鹿首について語りませんか

1 :日本@名無史さん :2006/03/05(日) 22:28:06
聖徳太子、30代敏達天皇の時代の人です。
その後の末裔の足取りについて、語って下さい。
これが出来た人は、歴史学者を超えてます。

2 :1:2006/03/05(日) 22:34:11
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3 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 23:17:41
末裔が四国に渡った可能性を探ってるんだが。。。


4 :日本@名無史さん :2006/03/06(月) 08:38:36
あれだろ?
敏達天皇に娘を嫁がせたっていう豪族だろ?
新撰姓氏録にも載ってるぜ!!


5 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 09:52:20
今日の皇統には伊勢大鹿首氏の血が流れているの

6 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 12:19:26
いやいや、違う違う。
正妃じゃないよ。
まあ、天皇や最高貴族は、一夫多妻制。。。
いわば、側室の端っこって言うやつだよ。
でも、誰でも良い訳じゃない。
それなりの地位と基盤が必要になるのは言うまでも無い。

7 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 12:25:15
よく調べろ
正妃だけが血筋ではない
舒明帝の女系を見ろ

8 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 12:42:59
平安時代までは、歴史上にいる。
物部氏や蘇我氏と同様、藤原氏に駆逐された
豪族の一つだろう。

9 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 13:00:32
この辺の話題は、皇學館や区内長も口をつぐむ。。。
ここらあたりから攻めれば、日本の歴史は引っくり返るぞ!!!!!

10 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 13:28:24
糠手姫は嶋皇祖母命と呼ばれていた
一方で吉備姫王も同じ尊称をもっている
このことから吉備姫王の母親が太姫ではないかとの推測するむきもある


11 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 17:26:47
伊勢のどのあたりが本拠?

12 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 18:33:23
鈴鹿市あたりか?
新撰姓氏録では、「京都右京」になっている。
藤原氏と同じ、アメノコヤネ命を祖としているが、
姓氏録は、「?」をつけているようだ。
恐らく、伊勢界隈では天皇家と唯一パイプをもった豪族だろう。

13 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 18:39:05
たぶん大鹿(おおか)

だから現在の松阪市相可じゃないかな

とおもうのだがどう?


14 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 20:12:22
伊勢で天児屋命裔といえば荒木田氏がいるが、
大鹿首氏は伊勢神宮ともつながりがあるかもね

15 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:03:42
確かにそうなんだ。
イセジングウと関わりが深い。。。
松坂と鈴鹿の両方の見解がある。
大鹿首から大鹿宿禰・大鹿臣などが末裔にいる。
伊勢地方から平安近辺には京の都にいたらしい。

16 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:19:33
しかし、京都右京の春日神社は、
大鹿首のことなど知らぬ存ぜぬの一点張り。。。
藤原の末裔に気を使っている。あと区内長にも。
こいつらは、恐らく蘇我や物部についても知らないと言うだろうよ。

17 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:23:59
要するに、テンノウケに血を流し込んだ
勢力として、蘇我が有名だが、あとは藤原一辺倒、
それも藤原北家だけ。あと平氏も一時的にあった。
他に色々な勢力があって不思議は無い。
しかし、歴史学者は隠蔽する。
彼らにとって、藤原北家およびその末裔だけでいいのさ!!!

18 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:26:55
時代的には、伊勢大鹿首は蘇我氏、物部氏、聖徳太子、それに秦氏
などと同時代の勢力。
とくに聖徳太子と関わりがあり、
そうなると秦氏との係わり合いも出てくる。。。もちろん蘇我とも。

19 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:31:38
日本書紀』の敏達天皇四年(五七四)の条に「伊勢大鹿首小熊」という人物が見えます。
その娘の菟名子は、采女として出て同天皇の夫人となり、太姫皇女(桜井皇女)と糠手姫皇女(田村皇女)の二人の皇女を生んだというのです。
『古事記』にもほぼ同様の記述があります。
なお、この糠手姫皇女は、のちの舒明天皇の母です。
そうしたことで、大鹿氏は伊勢国では天皇系譜につながる唯一の古代氏族として注目され、
伊勢国のどこを本貫地(律令制で戸籍に記載された地、転じて出身地、本籍地)にしていたのか、古くから議論があります。

20 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:32:52
多気郡の相可(現多気町)を大鹿氏の本貫地とする説は多く、江戸時代から続いています。
外宮神官度会延経の『神名帳』考証を受けた安岡親毅の『勢陽五鈴遺響』では、
相可の相鹿上神社の祭神が天児屋根命で、
「相鹿大鹿相同シキニ拠テ大鹿首ノ始祖ハ天児屋根命ナリ……大鹿ハ今ノ相可ト称スルニ相同ク大鹿首ノ本貫ノ地ナルヲ其祖神ヲ祀ル処ナリ」と記しています。
相可と大鹿の音が似通っていることと相鹿上神社の祭神を主な根拠としていますが、これを受けた記述は多くあります。
平成四年発行の『多気町史』でも、「伊勢大鹿首は、異説もあるが、相可付近に住んでいた当地方の豪族であったと考えられる」としています。
また、伊勢神宮の創祀を考える上で高見峠を越えて大和と伊勢を結ぶ交通の要衝である相可を強調する研究者もいます。


21 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:33:46
一方、北伊勢の河曲郡(現鈴鹿市)に大鹿氏の本貫地があったという説も多く、古くからありました。
本居宣長は『古事記伝』の中で「伊勢大鹿首は、神名帳に伊勢ノ国河曲ノ郡大鹿ノ三宅ノ神社あり、此ノ地より出たる姓なり」とし、
神宮神官の御巫清直も「伊勢式内神社検録」(大神宮叢書『神宮神事考証』所収)の「河曲郡大鹿三宅神社」の項で
「其(大鹿首)子孫久シク連綿シテ……其大鹿氏ノ居処ヲ大鹿村ト称ス。本郡ニ隷セル国分村是ナリ」としています。
これらの説に関係する文献史料としては、『延喜式 神名』のほか、
『太神宮諸雑事記』の治承三年(一〇六七)十二月条に、以前のこととして「河曲神戸預大鹿武則」の名が見え、
『皇大神宮建久已下古文書』では山辺御薗(現鈴鹿市山辺町)内の大鹿村は国分寺領と号すとあります。


22 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:34:12
たとえば、物部守屋は蘇我馬子と仲が悪い事にされてしまっている。
しかし、物部と蘇我は同族で悪くない。
守屋は物部の傍流もいいところ。
つまり、蘇我本家や分家、物部も本家・分家あったはず。
いくら藤原に駆逐されたとしても、全滅はしていないと思う。
そう、細く長く生き残った可能性は有る。
大鹿首もきっと生きながらえたはすだ!!!
蘇我・物部・秦氏・大鹿首すべて歴史の表舞台からは退場したが、
必ず生き残って現代にその血は受け継がれてると思うよ。。。

23 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:34:33
こうした文献史料だけでなく、『神戸史談』や『鈴鹿市史』では、
現国分町付近に大鹿山古墳や大鹿氏の伝承にちなむ古墳のあることを取り上げ、考古学の立場からも言及しています。
さらに、最近では、岡田登氏によって、詳しい文献分析と発掘調査などの考古学的成果を踏まえた論考がなされています。
以下、その概略を紹介することにします。


24 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:35:27
まず、「北伊勢地方の主要交通路(東海道)に本貫をおく伊勢大鹿氏は、景行朝頃に中央と絆を深め、雄略朝には采女(三重の采女)を出し、
さらに安閑朝に屯倉が設置され、その管理者になった」と、書紀記載以前の大鹿氏について考察されています。
そして、前述のように伊勢では天皇系譜につながる唯一の氏族となり、壬申の乱では大海人皇子を助け、
氏寺(大鹿廃寺)の創建に際しては、天皇と関係の深い川原寺に用いた瓦と同式の瓦の使用が許されたというのです。
また、伊勢国府の造営に協力し、国分二寺の創建では「率先して自らの本貫地を提供して、その造営に助力した」とまとめられ、
現在進めている伊勢国府跡・伊勢国分寺跡周辺の発掘調査の成果が取り入れられています。
多気郡・河曲郡のいずれに大鹿氏の本貫地があったとしても、古代伊勢国では重要な働きをしていた有力な氏族であったと考えられます。

25 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:56:42
二朝並立を支持している直木孝次郎なんかは、この時期に欽明側が
対立する尾張を避けて東国へ交通するルートをひらくため
伊勢の豪族と結び付いたと推測している。そうだとすると大鹿氏の歴史的役割は、かなり重要になってくる。

26 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 06:31:30
ほうーー。
新しい説だね。
もっと掘り下げてくれ!!

27 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 06:34:57
雄略朝じゃなく、敏達朝の間違いだろ!!

28 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 09:37:14
欽明が尾張と対立か?
しかし、天武は尾張に助けられてる。。。

雄略もおかしいが、景行なんて時代が違いすぎないか?
第12代ぐらいじゃなかったか?

それとも、伊勢大鹿首の祖先の話か???
掘り下げてくれ!!!!!

29 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 10:08:03
空海が、伊勢から紀伊半島、四国に至る鉱山
を知っていたらしい。。。その資金をもとに唐に渡ったというが。

そのルートを辿って、
伊勢大鹿首が四国に渡った事は考えられないだろうか?

30 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 10:40:59
>天武は尾張に助けられている

大海氏が天武の養育氏族だから不思議ではない
それに敏達の母は宣化の娘だし、壬申の乱まで対立が長期にわたっていたわけでもないでしょう

もっとも二朝並立説自体の検証があれだが

31 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 12:58:00
由緒ある豪族たちが、
歴史の表舞台から一見姿を消したように思われてる。
しかし、これは歴史の勝者だけが歴史を語っているからに過ぎない。

敗者とされてきた勢力が、
実は勝者だったって事も多々あるんじゃないか?
中臣神道や日本書紀、古事記なんてその典型!!!

アカデミックは、歴史の勝者の呪縛から逃れられていない。
歴史学者の中でもマイナーな人々の意見こそ貴重なのだ!!!

32 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 12:59:11
その証拠に
織田信長の末裔が、今持て囃されているではないか!!

33 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 18:28:23
聖武天皇から官位を賜り、取り立てられてるのは
大鹿臣か??
これは伊勢大鹿首の末裔ということかな?

34 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:09:55
【ネタバレ】
ここは1人の住人しかいません。
しかも過去ログをよく読んでください。
なにが言いたいのか理解できないでしょう?
でも当の本人は大まじめなのです。



35 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:23:59
そうでもないぜ
ただスレタイ見て「くび」と読んでしまったが
しかしもうネタ切れ、話題はこれ以上だせない

36 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:37:02
伊勢大鹿首って、天児屋根命が祖先っていうのは、
間違いないのか?何かウソくさいなあ。

まあ、藤原氏の祖先が天児屋根命っていうのも眉唾物だけどな。

37 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:41:31
藤原氏の始祖、中臣鎌足って大陸それも半島から渡って来たらしい。
半島出身の人間が何で日本の神を祖先に持つのか???

古代豪族のほとんどが出自不明。
多くの豪族が祖先としている「武内宿禰」
これとて、架空の人物の可能性大!


38 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:43:29
クビと読む奴があるか
オビトだよ。

39 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:51:22
何言ってるかわからねえんだったら出て行けよ

40 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:56:11
長野県に大鹿村がありますよ。

41 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 22:27:50
大鹿首は、天児屋根命の末裔ではない。
新撰姓氏録には、「天児屋根命の後なり」となっているが、
種別は「神別」ではなく「未定雑姓」となっている。
本当に神々の末裔なら、「神別」に列挙されるはず。
戦国大名の多くが「清和源氏の末裔」を自称したのに似ている。

42 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 06:29:46
だれだ?そんな奴知らないよ。誰も!

43 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 09:43:01
もうやめたら?
誰も来ないよ、ココ。。。。

44 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 12:35:24
19.20.24の人に質問です。
19.20では、「伊勢大鹿首小熊は敏達天皇に菟名子が嫁いだ」と仰ってます。
しかし、
24では、「伊勢大鹿氏は、景行朝頃に中央と絆を深め、
雄略朝には采女(三重の采女)を出し」と述べておられます。

この二つの記述は、別のものなのでしょうか?
教えて下さい。


45 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 19:51:09
>>44
http://www.pref.mie.jp/BUNKA/TANBO/Q_A/02A.htm

46 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:43:58
おい!45
みえすいた手を使うな!!
バーーーーーカ。

47 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 21:19:31
伊勢から京都。
そのあと何処へ行ったんでしょうね。

48 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 23:28:29
それがわかったら
このあとどうするのこのスレ

49 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 06:24:11
48
それが答えられるんなら、答えてみなよ。

50 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 09:10:05
この問題は、学者でも答えられないかも

51 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 09:10:57
なんだ?ここ。
2ちゃんねるも大した事無いなあ・・・

52 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 09:11:42
っていうか、
スレタイがマニアック過ぎる!

53 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:32:33
歴史の表舞台から姿を消せば、埋没してしまうのは当然です。

たとえば、古来から由緒正しい祭祀一族である中臣氏。
百済人である鎌足は、その中臣氏を乗っ取り「藤原氏」とした。
しかし、祭祀一族中臣氏はそのまま存続していった。

こんな見解が書物に出てました。

54 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:34:53
飛鳥時代のことは、よくネットのサイトに出ています。
奈良時代から平安時代はどうなんでしょうか?
三重県のある自治体に問い合わせたら、
「平安時代までは歴史上に残っています」との事でした。

55 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 17:27:26
761年(天平宝字5年正月2日),
正六位上の村国連虫麻呂に外従五位下を授けた。
6月26日,従七位下の大鹿臣子虫に外従五位下を授けた。
の記述発見!

これは、淳仁天皇の時代(奈良時代)。

56 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 17:29:04
大鹿臣子虫は、
伊勢大鹿首と関係有るの?
時代がだいぶ違うけど。

57 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 18:01:22
天児屋根命を祀っている神社にかなり問い合わせたけど、
伊勢大鹿首のことは、宮司も全く知らなかった。
天児屋根命との繋がりは無いと見た。

58 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 18:04:31
【週刊新潮】「王ジャパン」の冷たい舞台裏
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1143016434/l50

焼肉はいりマース

59 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 00:18:36
>>57
暇人ハケーン

60 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 16:54:06
斎王って調べてみるとかわいいよ!
アニメ「斎王タン」だれか作って!


斎王選考会
http://saioh.sub.jp/izen/24/senko/senko.html

斎王のイラスト
http://www.xiangs.com/Saigu/Outyou/viewer.html?file=http://park12.wakwak.com/~jane/Saigu/Outyou/Saiou231.jpg&name=%u7B2C23%u4EE3%u3000%u671D%u539F%u5185%u89AA%u738B
http://www.xiangs.com/Saigu/Outyou/viewer.html?file=http://park12.wakwak.com/~jane/Saigu/Outyou/Saiou251.jpg&name=%u7B2C25%u4EE3%u3000%u5927%u539F%u5185%u89AA%u738B
http://www.xiangs.com/Saigu/Outyou/viewer.html?file=http://park12.wakwak.com/~jane/Saigu/Outyou/Saiou491.jpg&name=%u7B2C49%u4EE3%u3000%u3088%u3057%u5B50%u5973%u738B

61 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 23:26:43
天児屋根命─(7代略)─久志宇賀主命─国摩大鹿島命┬大楯命[中臣鹿島連祖]
                                      ├相鹿津臣命─若子命[大鹿首・川俣連祖]
                                      └臣狭山命─烏賊津使主・・・

62 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 08:31:26
61さん、すごい!
おおー!こんな系図が・・・。
やはり、天児屋根命の子孫なのか。
このあとどうなったのでしょうね。


63 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:12:19
大鹿首の首(オビト)とは、大人という意味で、
豪族の下つまり小豪・族長といったところか。

64 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 19:39:01
19さん
「日本書紀』の敏達天皇四年(五七四)の条に「伊勢大鹿首小熊」という人物が見えます。
その娘の菟名子は、采女として出て同天皇の夫人となり、太姫皇女(桜井皇女)と糠手姫皇女(田村皇女)の二人の皇女を生んだというのです。
『古事記』にもほぼ同様の記述があります。
なお、この糠手姫皇女は、のちの舒明天皇の母です。」

見落としてました。
天皇家にしっかりと「大鹿首」の血が注ぎ込まれてました。
これは、只ならぬ事!!

65 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:56:05
そのまえに俺が>>5>>7で指摘しておいた。


66 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:14:20
65さん。
確かに。ありがとうございます。

67 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:25:59
ある書物に、日本書紀は外部に公表する事を目的として
編纂され、古事記は公表を目的とはしていない、と書かれていた。
特に日本書紀は、その総責任者である藤原不比等が意図的に
歴史を改竄する目的で、欠落させてある事項があるとも。

たとえば、蘇我氏の祖先が武内宿禰であることなどには触れていない。
蘇我氏を徹底的に悪役に仕立て上げ、由緒ある豪族である事を
公表したくなかったのだ。
古事記は、日本書紀の書き落とした部分を補完しているらしい。

伊勢大鹿首が天皇家と深く結びついていた事実を欠落させなかった
のは、藤原不比等にとって伊勢大鹿首が既に恐るるに足りない豪族であった
ということか。

68 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:38:54
古代天皇家は、力で日本を支配していない。
各有力豪族の合議制のもとでの連合体政権。
物部氏・蘇我氏・平群氏・尾張氏・・・・・。

しかし、藤原氏はこれら由緒ある豪族を全て駆逐し、
合議制の伝統を打ち破り、藤原一党独裁制を完成させた。

鎌足ー不比等の悪のリレーによって。。。。

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