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【九州説】邪馬台国畿内説を議論するスレ2【厳禁】

1 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:53:31
邪馬台国畿内説論者同士で議論を深めませんか。どうも、
九州論者が入ってくると話が拡散して、何時まで経っても
同じ処を堂々巡りしてしまうように感じます。

ちなみに私は邪馬台国畿内論者であると同時に、狗奴国=熊野。
応神が東征してきて河内王権が誕生したと考える者です。
畿内説という共通の地盤に立って、議論を深めましょう。

2 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:56:06
前スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1139060494/l50


3 :俺等05772:2006/03/14(火) 22:59:54
「真珠・青玉・丹」
「真珠・青玉・丹」は邪馬台国を確定する重要なキーワードである。これだけで、邪馬台国が
畿内にあることを証明できる。

 1. 九州説では「真珠、青玉を産し、山には丹有り」を説明出来ない。
 2. 畿内説なら「真珠・青玉・丹」全てについて産出場所の説明ができる。

@真珠: あわび、アコヤ貝から採れる。伊勢・志摩は古来から産地としての実績がある。
  有明海・八代海は干潟の泥海、真珠は採れない。天然真珠 5000個は北九州だけでは無理。

A青玉: 碧玉(青メノウ)、ヒスイ、青色トパーズ
 古代の青玉は、硬質ヒスイ又は碧玉と考えられている。九州に硬質ヒスイは産出しない。
  碧 玉:松江の花仙山、福井県金津町・福井市田ノ頭町。
  ヒスイ:硬質ヒスイは、姫川(糸魚川)ヒスイ峡付近のみに産出。
 トパーズ:滋賀県田上山、山梨県黒平、岐阜県蛭川村田原・苗木,恵那郡

B辰砂: 奈良県桜井市多武峰鉱山、三重県多気郡勢和村丹生鉱山
  日本で使われていた水銀のほとんどが、(勢和村)丹生で採掘されたもの。
  http://www.ma.mctv.ne.jp/~seiwa/nyu1.htm
  九州でも辰砂は出るが、極く僅かで、産地と言える程ではない。

史料1 真珠・青玉を出す。その山には丹あり。
史料2 壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし政等の還るを送らしむ。因って臺
 に詣り、男女生口三十人を献上し『 白珠五千孔 』、青大勾珠二牧、異文雑錦二十匹を貢す。

4 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:59:55
あとはみんなで、前スレの面白かった書き込みなど、適当に貼って下さい。

5 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 23:02:21
いや、俺、15年前から九州説だし。
1990年頃に出土物の圧倒的差を認めて九州説に変えた。
畿内説では、出土物への言及も厳禁ですか?
                              (*^ー゚)/~~ 

6 :俺等05772:2006/03/14(火) 23:06:20
@真珠の検討
『延喜式』には志摩の国から 1000個の真珠が調進された、との記事があります。
でも、九州から、多量の真珠が調進されたとの記事はありません。

アコヤ貝
1. アコヤ貝は房総、男鹿半島以南から九州にかけて分布し、潮間帯から水深20mまでの
「岩礁底」に足糸で「付着生活」する。 ← 砂海・泥海・干潟には生息できない。

2.貝の生活機能は流速が10〜12cm/secで最も活発になり、15cm/sec以上では急激に低下する。
   ↑アコヤ貝は澱んだ海では育ちにくいが、かと言って、外海でも育ちにくい。

3. アコヤ貝の養殖は無給餌養殖で行なわれ、漁場海域の植物プランクトンを摂食する。
日本の沿岸域に多く生息する Nitzschia属珪藻は、アコヤ貝にとって不適な餌であるとされて
いる一方、Isochrysis藻類は、アコヤ貝にとって摂餌や消化のしにくい餌料であるが、栄養価
値が高い。Isochrysisは 10m程度の水深に多く分布する。
↑天然真珠を採るには、潜ってアコヤ貝を取るしかなさそうです。←大量には採れない。

4. アコヤ貝生育の適水温は13〜25℃、最適水温は23〜25℃。←南の海も、北の海もダメ。
5. アコヤ貝から天然真珠が採れる確率は 0.1%強である。
6. アコヤ貝1個の大きさは約 80mm、重量は 40g前後である。

1.から泥海の有明海・八代海では、アコヤ貝は産出しない。
2.から大村湾でも真珠は採れるが、場所として最適ではない。
3.から海女が活躍する場所がその頃の産地。末盧の海は有望。アサリの様に大量には採れない。
5.から壱(台)与が晋に贈った 5000粒の真珠に要したアコヤ貝は約5百万個必要である。
6.から 5000粒の真珠に要するアコヤ貝の量は、なんと2億g=『 200トン 』弱になる。
  (2トントラック百台分)

7 :俺等05772:2006/03/14(火) 23:09:00
古代の真珠は何だったか? それは正倉院の真珠を調べれば判ります。
http://www.tuad.ac.jp/daigakuin/in/essay/essay17.html
>正倉院には、個数にして4000個以上の真珠が遺っており、その大部分は聖武天皇・光明皇后の
>「御冠の残欠」である。調査の結果、これらは現代人の憧れの的でもあるアコヤガイ産の真珠
>であることがわかった。また、天皇が履いたフェルト製の「くつ」にはアワビ産の半円真珠が
>貼ってある。


>天然真珠は『千個の貝の中から一つ』見つかるかどうかの偶然の産物で、さらに色・光沢・
>形の、三拍子そろったものとなると、気の遠くなるほど低い確率でしかできないからです。
http://www.miebrand.jp/pr/isebito_sinjyu.html
>天然のアコヤガイから真珠が見つかる確率というのは『1000分の一』程度なのです。
http://www.hk-plaza.co.jp/col/clm25fuk.htm
>天然の真珠が見つかる確率というのは、『1000分の1』程度なのです。
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/98/3/0301.html

8 :俺等05772:2006/03/14(火) 23:11:21
A青玉の検討
日本の硬質ヒスイは、フォッサマグナの糸魚川-静岡構造線中でも姫川(糸魚川市)付近でしか
採れない。(フォッサマグナ:日本列島を東西に分ける地溝帯、富士川と糸魚川を結ぶ大断層。)
多分、本州の東と西が押し合って、大きな圧力がかかっている場所なので、出来たのでしょう。
http://www.city.itoigawa.niigata.jp/fmm/outline-menu/02outline-fm/02fossamagna.html
硬質ヒスイ:新潟県姫川ヒスイ峡、富山県朝日町の宮崎海岸で産出。ミャンマー:カチン高原

古代のヒスイ加工工場跡
長者ケ原遺跡 (新潟県糸魚川市)
昭和29年、長者ケ原遺跡に本格的な学術調査が入った。その結果、完成品のペンダント2個を
含むヒスイの原石が250点も出土し、さらにその多くが加工途中の半製品或いは破損品である
事が判明し、長者ケ原はヒスイを中心とする一大加工場のムラであった事が判明した。
http://inoues.net/ruins/itoigawa.html

寺地遺跡第1号址 (新潟県青海町)
縄文中期中葉の玉作工房址で、円形の住居址からは、ヒスイや蛇紋岩などの原石やヒスイの玉や
石斧の未成品が発見され、ヒスイを加工するための工房施設があったと考えられている。ヒスイ
を加工するのに用いられた砂や砥石、敲石(たたきいし)などの工具類も出土している。
http://homepage3.nifty.com/himegappa/iseki/teraji/teraji.html

浜山玉作遺跡 (富山県朝日町)
昭和42年に国学院大学教授の大場盤雄博士を団長とした調査団が、浜山台地を発掘調査し、
ヒスイの工房跡を検出した。滑石とともに硬玉ヒスイを採取し、加工製作した遺跡である。
http://www.town.asahi.toyama.jp/site/nature/hisuikaigan.shtml

9 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/14(火) 23:44:11
なるほど。ここが有名な彼女いない歴=年齢で
おまけに邪馬台国が畿内だとかいう基地外じみたことまで
言い出す人が集まる痛いスレですかw

10 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 23:47:00
彼女いますが何か

11 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/14(火) 23:59:36
邪馬台国ヲタの彼女ですか。
谷亮子さんといい勝負なんじゃないですか?w
なんか気持ち悪いんですけど

12 :俺等05772:2006/03/15(水) 07:27:46
B辰砂(丹)の産地の検討
水銀鉱は、領家帯上で、中央構造線近傍の破砕帯沿いから多量に産する。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03.htm
大和鉱床群;伊勢〜紀ノ川河口の間(丹生の民俗;神奈備)
 辰砂は硫化水銀鉱。水銀と硫黄からなる。中央構造線付近の破砕帯に伴って、熱水鉱床と
して産出する。主産地は三重県勢和村の丹生鉱山で、日本の産出量の大部分を占めていた。
http://www.ma.mctv.ne.jp/~seiwa/nyu1.htm

中央構造線上
三重県勢和村丹生鉱山。・・・主産地
奈良県奈良市丹生町、吉野郡下市町丹生。和歌山県伊都郡かつらぎ町丹生。
阿波鉱床群;阿波吉野川沿い若杉山遺跡、
香川県東かがわ市大内町丹生駅。
大分県大分市丹生。臼杵市丹生島。

九州の鉱床
中央構造線は九州では不明瞭になるため、そこからの多量の産出は期待できない。
九州鉱床群;大分市坂ノ市〜姶良郡溝辺町丹生附、
九州西部鉱床群;佐賀県多良岳〜嬉野町、松浦市、

稀に変成マンガン鉱床(例.長野県浜横川鉱山)などから産する。

(参考)丹生の付く地名
辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には、丹生・丹生川・丹生神社の名前がある。
山形県東田川郡朝日村丹生鉱泉。 同県尾花沢市丹生村
群馬県富岡市丹生。 千葉県富浦町丹生。 東京都奥多摩町丹生神社
福井県三方郡美浜町丹生。同県丹生郡。 滋賀県余呉町丹生。
兵庫県北神戸 丹生山田 丹生山系。和歌山県龍神村丹生神社。
鹿児島県姶良郡溝辺町丹生。

13 :俺等05772:2006/03/15(水) 07:46:33
放射式記述説(コピペ)
1. 伊都国までは「方位、距離、国名」の順に記されているのに、奴国以降は「方位、国名、距離」
  の順になっている。
2. 伊都国までは「里」と表されていた水行(狗邪韓国まで水行七千余里)も「何日」という形に
  なってる。「余」や「許」で表されていた戸数も、「余」と「可」に変わっている。
3. 簡潔、明瞭、的確に描写していた国々の解説も省略され、無愛想な紋切り型になる。
4. 「到」と「至」を使い分け、基準になる土地に着いた時には「到」を用いた。「到」が使われ
  ているのは「狗邪韓国」と「伊都国」の2箇所のみ。従って「邪馬台国」には行っていない。

14 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/15(水) 11:38:12
>>1
スレ立て乙です。
>>13
放射式の読み方だと、「投馬国」は邪馬台国よりも遠くなってしまいませんか


15 :1001:2006/03/15(水) 13:57:08
>>14
横レスします。
私は放射説自体に否定的です。
文体が伊都を境に微妙に変化するとしても
それだけで位置関係を示す始点の表記法が変わったことを
読者に認識させるのは困難でしょう。
改めて始点を表示するとか、目的地を主語に立てるというような
文章上の処理が必要でしょう。
榎説は子細な点にこだわり過ぎ。
倭人伝の地理的叙述部分の文体や用語法の不統一は、
この一連の文章(魏志以前にほぼ成立していたと思う)が、
複数の原資料から作られ、それらの調整すること無く、
生に近い形で用いられたつぎはぎ文だからと思えば、
納得できます。

16 :俺等05772:2006/03/15(水) 17:30:00
>>14
言っている意味がよく分りません。放射説と、(水行十日 or 陸行一月)とは
別個の話です。放射説で (水行十日+陸行一月) はありですよ。

投馬國への水行二十日、邪馬台国への水行十日、陸行一月、各々の距離と移動速度を調べた。
始点は伊都國の港(博多)、水行から陸行への中継地には徳山と広島の2つを候補に選んだ。
陸行の距離は、JRの時刻表を使って求めた。中継地は広島より徳山の方が適当なようである。

E 南 至投馬國 水行二十日。
 ・博多〜出雲間: ENE 340km。(コンパス) 340km/20day = 17.0km/day
F 南、水行十日。
 ・博多〜徳山間: E 150km。(コンパス) 150km/9day=16.7km/day
 ・博多〜広島間: E 280km。(コンパス) 280km/10day=28.0km/day
G 南、陸行一月。
 ・徳山〜桜井間: E 501km。 (時刻表) 501km/29day=17.3km/day
 ・広島〜桜井間: E 413km。 (時刻表) 413km/29day=14.2km/day

17 :俺等05772:2006/03/15(水) 17:33:13
方位・距離に関して、次の仮定を設ける。
仮定1 距離:魏志倭人伝の編者は、得た距離数をそのまま採用した。
仮定2 方位:編者が不案内な倭国域には、判からないが故に、そのままの方向を記した。
仮定3 方位:編者が熟知していると錯覚した倭国域に対しては、方向を90°時計回りに修正した。
     (ある程度知っていても相対位置が不明な場合は、そのままの方向を記した。)

@ 朝鮮半島については、方位・距離共に、信頼性が高い(半島の地理)。
A 郡使が体験で得た距離については、陸路の値は概略信頼でき、海路の値は不正確。
B 倭人から聞いて得た距離は、信頼性が高い。
C 郡使および倭人から得た方位には、そのままのものと 90°時計回りに修正したものがある。

@ 郡より海岸に循って水行し、韓國を歴て、乍は南し、乍は東し、その
 (倭の)北岸狗邪韓國に到る。七千余里。  南→南、東→東北東、七千余里→正確

A 始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。 ×→南南東、千余里→不正確
A 又南に一海を渡ること千余里、一支國に至る。 南→東南、 千余里→不正確
A 又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。   ×→南、  千余里→不正確
A 東南陸行五百里にして伊都國に到る。    東南→東北東、五百里→正確

B (伊都國より) 東南、奴國に至ること百里。        東南→東南、百里→正確
B (伊都國より) 東行、不彌國に至ること百里。       東行→東行、百里→正確
B (伊都國より) 南、投馬國に至る。水行二十日。      南→東、水行二十日→正確
B (伊都國より) 南、邪馬台國に至る。水行十日、陸行一月。 南→東、日程→正確
B 女王國より以北は・・・。                以北は→以西は

C 奴國有り。そ(奴國)の南に狗奴國有り。        南→南、○→隣接
C *女王國の東、海を渡る千余里また國あり、皆倭種なり。 東→東、千余里→不正確
C また侏儒國あり、その南にあり。女王を去る四千余里。南→南 四千余里→倭種〜侏儒三千余里
C 裸國・黒歯國、その東南にあり。船行一年にして至るべし。東南→東南、日程→概略正

* 仮定:邪馬台国時代、箱根越の道は未だ未開発で、伊豆半島を船で廻って東国へ行った。

18 :俺等05772:2006/03/15(水) 17:34:32
邪馬台國の全体像(改訂版)
仮定1 3世紀には箱根越の道は未だ無く、東国へ行くには伊豆半島を船で廻る必要があった。
仮定2 当時の魏の中国人には、日本は朝鮮半島から南に広がった島国という先入観があった。
 仮定2から、@〜Aのように方向を修正できる。
  @ 編者が熟知している地域に対しては、方向を90°時計回りに変えた。
  A 編者が不案内な地域に対しては、不案内が故に、方向をそのまま記した。

上の仮定を使うと、以下のような概略図を描くことが可能である。

   _            邪馬台國の全体像を、簡略図で示す(文字サイズを小に願います)。
─-┘ \倭と韓の国境    (末盧・伊都・奴・不彌は都市名(点)、後出の奴国は国名(面))
狗邪韓國\           (末盧=唐津、伊都=博多の南、奴=大宰府、不彌=宇美)
 \
  ↓(南南東)
 対馬
  \ (東南)                                   女王圏の東境
    \     (東、水行二十日)                         |
    一支 ┌→−−−−−−−−−→投馬國                  |千余里
    |  ↑→−−−−−−◎────────→邪馬台國────◎ −−−→倭種国(南関東)
    |  ↑     (東、水行十日、陸行一月)                 |       ↓
    ↓  伊都→不彌                                 |       ↓
   末盧/   \                                        三千里↓
        奴    奴                                           ↓
        国                                               ↓
  −・−・−・−・−奴國と狗奴国の境                              侏儒國(八丈島)
     狗 奴 國

19 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 18:38:28
伊都国と奴国の比定地が解せないです。


20 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 18:45:14
>>11

藻前はいるのか?
俺の彼女は綾瀬はるか似ですが何か

21 :俺等05772:2006/03/15(水) 18:56:15
>>19
里程の距離を重視した結果であり、暫定的な比定です。伊都国と奴国の比定地
は改訂する余地ありです。出来れば遺跡と距離の双方を満足する地を選びたい。

距離の問題については、文献を捏ね繰り回すより、実際に測って比較した方が楽なので、
ディバイダー(コンパス)を使って測ってみました。半島や島にぶつからない事を考慮に
入れて、可能な限り直線距離で測ります。

A の「渡一海」の距離は、各海毎に皆バラバラ。したがって、正しい値を示していない。
なお、「コンパス」とは「コンパスで測った距離」です。>235とはかなり違いますね。
皆さんも、地図で確かめてください。

@ 從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
 ・仁川〜半島南西間:S 400km, 半島南西〜金海間:ENE 300km, 計 700km。
    (コンパス)(S →S, E →ENE, 一里=100m)。

A 始渡一海千餘里 至對馬國。又南 渡一海千餘里 至一大國。又渡一海千餘里 至末盧國。
 ・金海〜上対馬間:SE 75km,   (コンパス)(× →SE, 一里=75m)。
 ・上対馬〜芦辺(壱岐)間:S 90km, (コンパス)( S → S, 一里=90m)。
 ・芦辺〜唐津間:SSE 50km。   (コンパス)(× →SSE, 一里=50m)。
 ・金海〜唐津間:計 215km。 直線距離では 金海〜唐津間:200km。

陸行の場合、コンパスで測ると、どうしても実際の距離より短くなります。伊都國には
博多の南を仮定しました。須玖岡本遺跡の北西に当ります。

B 東南 陸行 五百里 到伊都國。
 ・唐津〜博多〜博多の南:ENE 50km。(コンパス) (SE →ENE, 一里=100m)。
C 東南 至奴國 百里。
 ・博多の南〜大宰府間:SE 10km。(コンパス) ( SE →SE, 一里=100m)。
D 東行 至不彌國 百里。
 ・博多の南〜宇美間: E 10km。(コンパス) ( E → E, 一里=100m)。

22 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 19:13:16
古代地名や学史が無視されています。
楽浪土器の集中と王墓が続く糸島が伊都でしょう。倭人伝の記事と整合性があります。
また那珂郡で金印があり、志賀島は古代は那珂郡です、大遺跡の那珂遺跡や須玖岡本があるところが奴国でしょう。
奴国は2万戸の大国ですが、大宰府付近とかそれほどの大遺跡はないですが。

せめてこのくらいは共通認識にしないとついて行けません。



23 :俺等05772:2006/03/15(水) 20:01:13
>>22
上古音の読みは【伊都: i(e)[v]r-tag】ですから、伊都=イタ≠イト でしょう。我々は
漢字の類似面に騙されて、古代の"伊都"=現代の"伊都" と思い込んでいますが、一旦は、
そうした概念をチャラにして、全く別の地名として扱うべきです。

とは言え、遺跡も考慮する必要は感じてますよ。あくまで暫定的な比定です。
あと大宰府に大遺跡はないと言っても、昔からの都ですので、古い遺跡が
既に破壊されている可能性もあります。

24 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 20:22:53
大宰府は地形を全て削った訳じやないから、盛土整地だったりしますから、古いのも結構残ってますが。
大宰府市はかなり発掘してますが、弥生末の特に大きい拠点遺跡はないと思います。
あの今の前原市の遺跡群に国の中心がないというのはちょっと。楽浪土器や漢鏡の集積はいったい何でしょう?
またイトの音もこっちでも変化した可能性はあるわけで。
それだったら邪馬台国はヤマトとは音が完全に一致するのか?
倭人の言葉を聞いて漢字表記したわけだが音が完全に一致してるか疑問ですが。
他の記事内容と考古学的所見から伊都国はイトとし、多少音がずかに違っても許容内でしょう。
今は倭人伝と地図だけで机上で邪馬台国を探す時代じやないですよ。
まさに机上の論理なので、ついて行けません。賛同しかねますが。
佐伯有清の『邪馬台国論争』岩波新書でも読まれて学史を勉強して下さいな。


25 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/15(水) 22:18:28
ほら、やっぱりイタでいいじゃないか。

26 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 22:39:29
九州説を駆逐してまでスレ立てしてるのに、何で魏志倭人伝の話に
固執しているのか?
畿内説なら、邪馬台国=マキムクで決定だろ。
九州説みたいに比定地が沢山ある訳じゃなし。

27 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/15(水) 23:51:57
チョット横レス

『…曰伊蘇國今謂伊覩者訛也己亥到儺縣因以居橿日宮…』
《書紀:仲哀紀八年正月》
昔からイトだから伊覩の文字、伊覩の近くに儺縣なの

28 :俺等05772:2006/03/16(木) 01:43:07
>>24-27
九州説の方が大分湧いていますね。前スレの >2を見てもらえば分りますが
伊都・奴・不彌の位置は、現在思考錯誤中です。ただ畿内説に立った場合、
筑紫内のどこであろうと、大勢(大枠)には影響ないと思っています。

29 :俺等05772:2006/03/16(木) 07:23:22
>>24
誰だって伊都を比定するのに前原を真っ先に考えるよ。でもそれをすると、それ以降の里程
や方角がめちゃくちゃになってしまう。皆さんは距離を実際に測らず、どんな値になろうと
頓着しないから、気軽に色々文句を付けられる。少なくとも、五百里、百里、百里、になる
伊都の場所を見つけなければならない。

30 :俺等05772:2006/03/16(木) 07:26:13
畿内説より見た旁国比定(三訂版)
邪馬台国の旁国を、倭人伝の列挙順に全部比定した。全部比定したにも係らず、空白域になった
領域も挙げている。面白いのは、空白域はほとんど出雲を除く山陰・北陸諸国であることである。

@ 東海・中部・北陸
斯馬(しま)國    志摩国=(志摩+伊勢の海側)
         伊勢:7世紀に、志摩、伊賀を含んだ国として成立。
己百支(じはき)國  尾張国=(尾張+三河+遠江)←前後の関係より推定。
伊'邪(いや)國    伊那国 ←那(da)の誤記と推定。
         8世紀以前の中国人には、daと naが、同音に聞こえた。
都支(たき)國    土岐国=(美濃の東半分)
彌奴(みな)國    美濃国=(美濃+飛騨)
         飛騨:風土記に云はく、この国は本(元) 美濃の内なり。
好古都(こかた)國  越後国 ←小潟国。信濃川の河洲には干潟が多かった。
         新潟:信濃川の河洲に新しく出来た潟。400年以上前の古い名前。
不呼(ほこ)國    信濃国 ←葉木(はこ)国。山地で葉や木の多い国。
姐奴(つな)國    駿河国=(駿河+甲斐) ←津の国。清水辺から東国へ船で行った。

A 四 国
対蘇(つさ)國    土佐国
蘇奴(さな)國    讃岐国
呼邑(こお)國    阿波国 ←嗚呼ロ巴(あぁわ) の誤記か?
華奴蘇奴國     伊予国 ←讃岐の対の国は伊予(金讃岐:銅産出より推定)
(つづく)

31 :俺等05772:2006/03/16(木) 07:28:25
>>30 (つづき)
B 畿 内
鬼(き)國       紀伊国
為吾(いが)國    伊賀国=(伊賀+伊勢の山側)
         伊勢:7世紀に、志摩・伊賀を含んだ国として成立
鬼奴(きな)國    近江国 ←鬼奴彌(生海)國の誤記か?
邪馬(やま)國    山城国
躬臣(こじ)國    河内国=(河内+摂津+和泉) 摂津・和泉を含め汎河内国と呼ぶ。
         摂津:7世紀に津国として分離、和泉:霊亀二年(716)河内より分離。
C 西 国
巴利'(はり)國    播磨国
支惟(きゐ)國    吉備国=(備前(+美作)+備中+備後)
烏奴(あな)國    穴 国=(穴城(安芸)+周防+穴門(長門)) 鍾乳洞から付いた名か?
奴(な)國      筑紫国

D 敵 国
狗奴(くな)国    球磨国=建日向日豊久士比泥別
         狗奴国連合:日向+日(肥後+肥前の一部)+豊の一部+阿蘇山
−−−
E出雲連合(共立国)
空白域1=石見+出雲+伯耆+因幡+但馬+(丹波+丹後)+若狭?+越・・直接の従属国ではない。
 (ただし、投馬(づま)=出雲 のみ記載あり) 越は(越前+加賀+越中)国。
F不明国  空白域2=豊国


32 :俺等05772:2006/03/16(木) 07:30:08
畿内説から見た邪馬台国、全見取図
@中部・・・畿内の近い方から遠い方へと、数え上げている。
A四国・・・対角線状に、数え上げている。
B畿内・・・邪馬台国を囲んで、反時計回りに数え上げている。
C西国・・・瀬戸内側のみを、東から西へ数え上げている。
D山陰+豊国(空白域)

       空白域1                                  好 古 都( 越 後 )
   ┌→ (石見−出雲−伯耆−因幡−但馬−(丹後,丹波)−若狭−越)   /        \
   ↑                                        彌奴←都支(土岐)  不
         烏奴(穴)←支惟(吉備)←C巴利(播磨)   邪馬(山城)   (美濃)  ↑      呼
  奴(筑紫)/                          /   \         伊邪(伊那) (信濃)
   ↓                            躬臣  邪 鬼奴(近江)    /        \
国境 ------  華奴蘇奴(伊予) ┐蘇奴(讃岐)     (河内) 馬  ↑    己百支(尾張)   姐奴(駿河)
   ↓              ┌┼┘↓              台  為吾    /
  狗 奴      A対蘇(土佐)└呼邑(阿波)            (伊賀)   ↑
 (肥・日向)                               /     @斯馬(志摩)
                                  B鬼(紀伊)

33 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/16(木) 08:18:22
>>27前原にはイト国はあったがイタ国はなかったです。

34 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/16(木) 17:44:46
というか、いくら数字をこねくり回しても意味がない。洛陽ー遼東間が四千里
なのに帯方郡から女王国まで一万二千里とする「三国志」の記述を鵜呑みにし
たら邪馬台国は日本には無い。やはり日本の地名も参考にしないと。

35 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 18:02:07
対馬壱岐末羅の間も各千里だが、距離に幅がある。かなり誤差があるとすべき。
対馬壱岐は南とするが東南が正しい。

伊都国まで一万五百里だから、残り千五百里だ。ならば大和までは行きつかない。しかし他の考古学的所見や日程からは大和が有力。だからこそ俺等氏も邪馬台国大和説のはず。
また邪馬台国まで南だが実際は東。
伊都国奴国のところだけ無理に厳密にしようとして、自己矛盾になっていますよ。

36 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/16(木) 18:10:08
妄想ですが狗奴国の後の「万二千余里」と最初の行程記事は別物として扱った
方がいいと思われます。

37 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 18:19:06
【百済の歴史】

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、最初は乾馬国(コマ)と呼ばれたようだ。



38 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 19:03:30
全く根拠のない妄説

ていうかコピペやめろよ

39 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 19:44:55
これですか?

【百済の歴史】

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。


40 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 19:54:34
いいかげんせい。アクセス禁止依頼出すぞ。

41 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 20:44:38
全部のスレに貼り付けたら誉めてやるw

まあその場合は間違いなくアク禁、全てあぼーんだろうけどねw

42 :俺等05772:2006/03/16(木) 21:50:46
>>24
もう一度、検討し直しましたが、今のままで、問題なさそうです。
伊都の読み方は「イタ」とすると、博多の「板付」が考えられます。
遺跡はありますが、残念ながら豪華ではない。ただ、距離的には
非常に良く一致します。「板付」に豪華な遺跡があれば万歳です。

43 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:01:19
板付は弥生前期には中心地だが弥生後期にはさびれてます。あの地域は那珂郡、那の津であり奴国とすべきです。
伊都国奴国だけ方位や里に厳密になるのに、
邪馬台国への方位や里程、狗奴韓国対馬壱岐末羅の間の方位や里の問題には、
目をつぶるのか理解不能です。
こう言ったら身も蓋もないですが、倭人伝の行程記事はかなりアバウトで誤りも含むものでしょう。
また地名などの音写も、完全に一致する厳密さはなく、大体のものでしょう。

44 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:09:54
板付は弥生前期までにかぎればある意味、もっとも豪華だが。
頼むから考古学を多少は勉強してからやってくれ。
伊都国は倭人伝の記事との符合から糸島以外あり得ないよ。
倭人伝の国々 小田富士雄編 学生社
古代を考える邪馬台国 平野邦雄編 吉川弘文館
このあたりは読んで欲しい。

45 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:24:55
卑弥呼の時代 吉田晶 新日本新書
王権誕生 寺沢薫 講談社
古代を考える稲・金属・戦争 佐原真編 吉川弘文館
少し足しとく

46 :俺等05772:2006/03/17(金) 07:38:49
>>24 >>44-45
文献のご教授、ありがとうございました。暫くは役に立ちそうなホームページや投稿文、
特に考古学関係のものを漁るのに専念したいと思いますので、暫くは姿を消します。


47 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/17(金) 07:42:51
邪馬台国までの正確な行程については、倭国歴訪 後藤幸彦 明窓出版をおすすめします。

48 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 08:17:11
近年の研究では縄文時代には陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることがわかってきています。
つまり朝鮮半島よりも日本の方が早期に稲作が行われてきたということです。
また遺伝子考古学により稲の伝来方法も朝鮮半島よりも「長江周辺から直接伝来したルート」が有力視されている。

1、縄文後期に属する南溝手遺跡の土器片中からプラントオパールが発見されたことにより、約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることが明らかにされた。
さらに朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、稲作は縄文時代前期から行われていた。
また、水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつある。
さらに近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが紀元前9世紀まで遡る可能性が出てきた。
朝鮮半島よりも早期に稲作が行われていたことを示すデータとして注目されている。

2、大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析を行なったところ、日本と中国にしかない固有の(朝鮮半島には存在しない)水稲の品種が発見された。
これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠となる。

3、弥生時代の稲作の跡と言われている所から出土する稲は、熱帯ジャポニカと言われる種類は縄文時代に伝わった稲が弥生時代になってもそのまま栽培されていた事を示しており、古墳時代にもこの傾向は続き、江戸時代になっても熱帯ジャポニカの稲は出土します。
結論として、弥生時代に朝鮮半島からやってきた稲はあったとしても極めて少ないと考えられる。

49 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 08:19:50
自著の宣伝は2chでは広告料を請求される可能性があるが。忠告しておく。
またここは畿内説スレだが。トンデモ九州説は出てくるな!

50 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 08:43:08
縄文に陸稲があったのはいいし、その稲品種の一部は水田にも適応しただろうけど。
ただ縄文の稲のうち縄文中期末以前のプラントオパールは種子そのものの存在が確かめられず、コンタミ、混入の疑いが強いとの評価が多い。
また遺跡出土の古代米の品種や遺伝子情報の蓄積が不十分でまだ安易な評価は×

51 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 10:31:34
女王の都があるとこが邪馬台国であり
女王国=邪馬台国 とは断定できないのが
ポイントだと思いますね。畿内に邪馬台国があり
女王国は九州にあったと考えるのが妥当なのですが
そうすると南を東にするしかないw

52 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/17(金) 11:52:56
>>47
あなたの本首都圏の千葉でも見たこと無いです・・・



53 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/17(金) 12:55:03
大量に印刷して全国の書店におくったようですが、店にならばずに返本されてきたようです。
売り場に本を並べるかどうかは、店長に絶対の権力があり、店長は瞬時の判断できめるようです。ほとんどの店ではじかれたようです。


54 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/17(金) 13:00:36
尚古本屋にも置いていません。古本屋にもちこんで売ろうとしたのですが、
奥付をみて内はあつかいませんからとことわられました。
共同出版と言うなの自費出版だとだめなようです。

55 :16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/17(金) 13:34:44
論文を書いてどこかに送ってみたらいかがでしょう?評価されればどこかの大学講師くらいやれるんじゃないですかね?自費出版で本出すより実力で勝負したらいかがです?ガキの僕がいうのも生意気ですがm(_ _)m

56 :208 ◆GmgU93SCyE :2006/03/17(金) 18:20:58
言語学に疎いのでよくわからないが、「邪馬台国」は正確に音を拾っているのだろうか?
漢民族が周辺異民族に付けた名前を挙げると
「匈奴」=不吉な奴、「烏孫」=カラスの子孫、「穢貊」=汚いイタチなど
かなりの悪意が感じられるのですが・・・。

57 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/17(金) 18:26:27
割り込みレス失礼します。

>>56
『ヤマタ』⇒広大な地

58 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 22:10:31
邪馬台国=マキムクで議論を進める場合、
「巨大都市マキムクがいかにして誕生したか」の話になると思いますが。


59 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/18(土) 14:21:04
>>56
「邪馬台国」は民族の名前として使われているわけではないのでまあまあ正確
に音を拾っていると見て間違いないでしょう。

60 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 16:03:29
954 :日本@名無史さん :2006/03/13(月) 23:37:54
マキムクの段階で、西日本全体をまとめ上げるような統一国家の成立を見るのは、
寺沢の単なる夢想ではないのか?
前方後円墳体制とは、強力な統一王権が誕生したことによるためではなく、
各地のオウたちがそれぞれ自発的に、魏のバックアップを受けた畿内文化を
取り入れたに過ぎないと思われる。
この頃の畿内王は三輪山の宗教的権威(鬼道)で君臨し、軍事的に圧倒していたとは
思われない(鉄の分布からも)。あくまで紛争の仲裁者、各国間の利害調停者ぐらいでは
なかったか。

倭王に任じられた畿内王は、対外的に倭国の代表となり、外交権を掌握。
半島を通じて得られる舶載の文物・技術などは畿内王により一括管理され、
相対的に北部九州の緩やかな地位低下をもたらす。
各地のオウたちは前方後円墳を造ることで、「自分たちのバックには倭王=畿内王
がついているぞ」との権威付けになり、各々が地域支配権強化に積極利用したのではないか、
と思う。

61 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 16:04:24
955 :1001:2006/03/14(火) 01:06:15
>>954
私もそんな感じだったと思います。
ただ、倭人伝で語られる「倭王」の権威は絶大です。
その権威は遅くとも三世紀初頭には確立されていたとも思います。
そして、それは宗教的要素だけでは生み出されないとも思います。
私は畿内勢力が権威を掌握できた原動力を私は生産性の向上に求めます。

相当程度の治水・土木技術を有し、中河内で低湿地の水田化に成功した集団。
九州・瀬戸内との交通・輸送手段も有し、瀬戸内ルートで鉄器を確保できた集団。
八尾に多い龍刻土器などのように外来の神仙思想を弥生文化に取込める集団。
庄内式を生み出した高い技術力を持つ集団。

そういった条件を満たす集団が、河内や播磨などから大和に進出し、
唐古などの在地勢力の抵抗の少ない未利用地(纏向)を開発。
多大な生産余剰を生み出せる新興「国」が誕生したとします。

その「余剰」を求めて、開発が飽和状態になっていた周辺地域から
さらに人々が集い、再び技術力・生産力が飛躍する。
そうして出来た大勢力が、西日本全体の求心力となり「権威」も獲得した。
そんなところが私の描く邪馬台国モデルです。

62 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 16:06:19
957 :日本@名無史さん :2006/03/14(火) 05:58:30
なぜ巍のバックアップを北部九州を通り越し受けれたか疑問>>754
北部九州や吉備、山陰の他の勢力が田舎の畿内勢力の王にすんなり服するのが疑問
外交、交易を掌握する過程も疑問を

63 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:24:29
★ 百済は日本人が建国した ★

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。

百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。


64 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:46:58
前スレで、ガス抜きは終わったか。

65 :俺等05772:2006/03/18(土) 18:25:17
史学の徒さんへ
纏向遺跡は卑弥呼以降か? 橋本輝彦氏によると、出土する土器は布留Tであり、卑弥呼の
死後に出現した遺跡の様にみえる。つまり、倭→大和政権移行に伴う遺跡ではないのか?
http://mailpal.hp.infoseek.co.jp/0504miwa.shtml
もしそうなら、纏向は邪馬台国の都とは言えないと思うがどうか。

史学の徒さんは「神武東征」を否定した。ただし、纏向遺跡への吉備の影響は認めた。
吉備は特殊器台や特殊壺のような支配者に直接係りのある文化の発祥地であり、吉備から
畿内(纏向)への「東征」ないし「東遷」は考えられる、としてよいか?
http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/syozou_index.html

記紀によると、「神武」は長期間、吉備の高島宮に滞在している。つまり、自国領として
確保した後、畿内攻めに向かったことになる。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku228.htm

瀬戸内海沿岸には、防衛的性格の強い高地性集落が出現する。この集落はちょうど神武の
「東征」経路に沿って存在している。この事実をどう考えるか?
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/5-6miya-kouti.htm

もし、九州の影響が吉備の遺跡に認められる時は、「東征」ないし「東遷」を容認するか?

以上について、答えてください。よろしくお願いします。

66 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:28:19
>>纏向遺跡から出土する土器は布留1であり布留2は出ない。

「土器は布留1まであり」が正しい
庄内も多く布留0が最も多い

67 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:29:07
>九州の影響が吉備の遺跡に認められる時は、「東征」ないし「東遷」を容認するか?

ありますか?

68 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:31:12
http://mailpal.hp.infoseek.co.jp/0504miwa.shtml
のうち「コメント」は聴講・引用者による

69 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:45:52
2 :出土地不明 :05/03/11 17:07:56 ID:B9ucQQpQ
「王権の誕生」は、かなり幅広い時代を扱ったむものですが、ここでは、邪馬台国関連の時代について、紹介します。

1:二世紀の段階では、包括的(畿内、九州を含む)王権は誕生していない。

2:三世紀初頭、纏向遺跡が誕生する。これこそいわゆる大和政権(寺沢説の用語では、「新生倭国」)の成立によって建設された、王都である。

3:纏向政権(新生倭国、普通にいう、大和政権。面倒なので、纏向政権で統一)は、九州から、瀬戸内、畿内にいたる諸勢力が共同で樹立した、「対等連合政権」(この語を寺沢は使用していない。私が寺沢説を理解するために使用する語である。妥当なものと思う)である。
寺沢説の特徴は、纏向政権を、それまでの唐古・鍵遺跡とは断絶した(発展ではなく)「対等連合政権」であるとるところに、特色がある。つまり、大和勢力が、他地域を屈服させた、とう従来の立場に真っ向から対立するのである。
また、纏向政権成立の段階に、北九州(つまりは伊都国)が参画しているとするのにも、注意したい。




70 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:47:02
さらに、寺沢は、諸地方勢力が、纏向に出先機関を置いていたとする。

4:さて、大陸との関係である。
寺沢によれば、三世紀初期においては、大陸系文物(公孫氏系)の量は、北九州が畿内を凌駕する。「対等連合政権」とするのも、そのためだろう。北九州伊都国の隆盛は、三世紀前半を通してつづく。

5:卑弥呼は、むろん、纏向政権の女王である。「倭韓郡に属す」で公孫氏に属した倭は卑弥呼であり、公孫政権滅亡とともに、卑弥呼は魏に属することになる。
「卑弥呼の鏡」は、画文帯を中心としたもの。△鏡は、三世紀後半以降の倭
4 :出土地不明 :05/03/11 17:09:26 ID:B9ucQQpQ
6:ここで、問題なのは、伊都国が、寺沢説では、「畿内と対等」になって
しまうことである。三世紀初期において、伊都国が纏向政権の勢力圏にあり、
しかも大陸文物の優位を誇るとなれば、このような解釈とならざるをえない
のだろう。纏向政権初期においては、伊都国が大陸通交のメイ
ンとなっていたということになってしまうのだから。しかし、

「世々王有り、皆な女王國に統屬す」の記述上、大いに問題である。
しかも、「大率」というのは、
伊都国が纏向政権の一員として管掌した役職だというのだ。
7:その後の纏向政権について。
対等連合政権の諸勢力首長は、畿内に常駐し、やがては畿内豪族と
なった(!)巨大古墳の密度が畿内で高いのは、実に、彼らが本国
ではなく、畿内に古墳を建設したためだという。
つまり、伊都国が三世紀後半衰退するのは、伊都国王が、本拠地を
畿内に移したためらしい。他の地域でも、同様だとのこと。


71 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 22:12:56
>ただ、倭人伝で語られる「倭王」の権威は絶大です。

倭人伝を都合よく使い過ぎ。
考古学重視なら、考古学で「倭王の権威の絶大」とやらを証明してみな。

72 :208 ◆GmgU93SCyE :2006/03/18(土) 23:02:20
>>59
有難うございます。
モンゴルが「蒙古」、ウイグルが「回鶻」、チベットが「吐蕃」
この辺りは、現地語の音に近いんですかね?

73 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:03:40
>>71
無理。
考古学的には、むしろ逆の結果になる。
マキムクは画期的だったとは思うけど、
所詮「大和川水系の連中が結束して女王を共立した」程度の事象だろう。
マキムクは過大評価され過ぎなんだよな。

74 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/19(日) 11:24:28
>>72
専門家ではないので詳しくはわかりませんが差別的用法の名前が付けられてい
るのは主に騎馬民族系統のような気もします。(北部の)

畿内説の人でも三世紀に西日本を統一するかのような政権ができていたと考え
る人がいるようですが巻向が九州の諸国に比べて優れていたなんてことはあり
得ないでしょう。あくまで同盟関係だと思われます。

75 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 11:50:24
★ 百済は日本人が建国した ★

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。

百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。


76 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/19(日) 13:02:04
>>71 安曇さん
以前『到官』への返信

到官⇒ 着任・赴任・官に着くと、解釈されてる様ですが
(着任・赴任)には『到任』が主に使用されるようです。

(到)官⇒ 着手
到(官)⇒公の仕事
意味解釈は
(公務を行う)

…大漢和辞典 第二巻P251から引用… 諸橋氏…

77 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/19(日) 13:04:26
訂正

>71⇒>>74 でした
失礼しました。

78 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/19(日) 14:54:32
「到」が「着手」という意味にされているのがよくわかりません。むしろ「ゆ
きとどく」を使って「役職がゆきとどく(いた)」とした方が自然だと思われ
ます。

79 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/19(日) 15:21:18
>>78
「着手」⇒手という範囲を限定するポイント(点)に注目しました。

『至官』⇒(職務期間)
至⇒範囲
官⇒公の仕事

80 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/19(日) 15:34:50
>>79
言ってることがよくわからないので漢和辞典の意味をコピペしますね。

「到」・・・遠方から来る いきつく とどく 達する 極限に達する ゆき
とどく さかさま

「至」・・・来る 到着する とどく 及ぶ 行き着く 極まる 十分な点に
まで達する およぶ・・・まで

出典・旺文社刊「漢和辞典」(1981年の重版の物)

81 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/19(日) 16:05:13
それでは安曇さん

『至』⇒到着する

この到着するは
点ですか?それとも面ですか?
それとも『そんなの関係ない』ですか?

82 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/19(日) 16:10:25
>>81
その議論は別スレでやってるんじゃないんですか?ここでの議論は「到」の字
に「着手する」という意味があるのかどうかじゃなんでしょうか?

83 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/19(日) 16:13:48
誤なんでしょうか  正ないんでしょうか

84 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/19(日) 16:26:18
>>83
同じステージ上(倭人伝)ですので
基本的には同じではないでしょうか?

もしよろしければあちらにて!

『到任』も、任務地(点⇒仕事場)に着く ですから

85 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:07:17
史学の徒は反論できなくなって逃亡したね。

86 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:32:11
すいません。畿内説に転向しますw
考古学的にみても当時の都はマキムクでしょう。
そこが邪馬台国、投馬国は吉備、吉備から
水行10日、又は陸行1月でちょうど畿内です。
方角のずれは末櫨国から伊都国まで東北なのに東南と
書かれているところからも伺えますので本来なら東なのに
南だと認知していたとしても間違いではないでしょう。
ただし女王国は九州の宇佐ですwそうしないと12000余里や
女王国の東の海の説明がつきません。つまり女王国と邪馬台国は
別物です。旁国は熊本から鹿児島の西にかけてあり
狗奴国は大隈〜日向にかけてあったと考えます。

87 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:56:21
>65
>史学の徒さんは「神武東征」を否定した。ただし、纏向遺跡への吉備の影響は認めた。
>吉備は特殊器台や特殊壺のような支配者に直接係りのある文化の発祥地であり、吉備から
>畿内(纏向)への「東征」ないし「東遷」は考えられる、としてよいか?

何度も言っているが、特殊器台は布留から。△と同じで後から出てくるもの。
そもそも、倭王権の王権祭祀の中核は、明らかに北九州の系譜で、両者の
類似は「楯突は円と言ってよいか分からないくらいの不正円で高い山の上に
あって突出部が2つもあるけど、それでも前方後円墳の祖形」だというよう
ないいかげんな類似とは訳が違う。
どうしても「吉備東遷」を主張するなら、近藤のように「箸墓=最初の古墳で、
マキムク古墳群は箸墓と併行して作られた。」という驚異的な年代観をでっち上げ
るしかない。
これがトンデモであることは考古学者なら明らかだと思うのだが。

88 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 01:04:30
>73
>マキムクは過大評価され過ぎなんだよな。

なことはない。
伊都国、奴国地域を除いてこの時代これに匹敵する遺跡は皆無。
前スレで吉備の遺跡なんぞ挙げている奴がいたが、そんなものは論外。
直前まで広域を支配する権力者の存在が全く証明できない大和盆地において、
突如マキムクが建設されることの意義は大きい。



89 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 01:13:08
>61
>そして、それは宗教的要素だけでは生み出されないとも思います。
>私は畿内勢力が権威を掌握できた原動力を私は生産性の向上に求めます。
考古学的事実として、後期の畿内は、鉄器はほとんどないし、石器も減少している。
集落のほとんどが解体していくのだが、どこに生産性が向上する要素があるんだ?

>相当程度の治水・土木技術を有し、中河内で低湿地の水田化に成功した集団。
後期に大和盆地と河内が同一の政権内にあったというホラ話は、一度も証明
されていない。

>九州・瀬戸内との交通・輸送手段も有し、瀬戸内ルートで鉄器を確保できた集団。

畿内勢力(といいうようなものは証明されていないが)がそんなものを確保した
証拠はどこにもない。だいたい。瀬戸内ルートの鉄器というのはあるにはあるが、
日本海側より遥かに貧弱。

>八尾に多い龍刻土器などのように外来の神仙思想を弥生文化に取込める集団。
>庄内式を生み出した高い技術力を持つ集団。
>そういった条件を満たす集団が、河内や播磨などから大和に進出し、
>唐古などの在地勢力の抵抗の少ない未利用地(纏向)を開発。
>多大な生産余剰を生み出せる新興「国」が誕生したとします。
マキムクは、農地ではないのだが。
住居址すらほとんど見られない。


90 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 01:16:33
僕ももう少し考古学関連の本を読み
整合性を高めねばなりませんね

91 :1001:2006/03/21(火) 02:08:24
>>89 「マキムクは、農地ではないのだが。」

纏向大溝は何の為の設備だと思いますか?

92 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 04:39:06
>直前まで広域を支配する権力者の存在が全く証明できない大和盆地

相変わらず極端な意見だな。
唐古鍵の大型建物跡発見とか知ってるだろ。ある程度の権力者はいたと
考えるのが普通。
それが直接ヤマト政権に繋がる勢力かは別問題。

93 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 08:34:35
>>91
横レスですが、巻向大溝は運河でしょう。

94 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 10:30:34
>92
>唐古鍵の大型建物跡発見とか知ってるだろ。ある程度の権力者はいたと
>考えるのが普通。

考古学的な事実からは、大和盆地東南部を領域とする共同体の中心集落だろう
と「推定」(証明ではない)する学者がいるというに留まっている。
大和盆地全体はおろか、唐古の支配者が和泉の池上曽根を支配していたという
ような証明は全く不可能な状態にある。
つまり、祭祀など文化的共通性はあるものの、政治的には小権力が分立していた
可能性が高く、既に帝国化?していた北九州や山陰とは政治的な発展段階が全く
違っている。



95 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 10:37:09
>纏向大溝は何の為の設備だと思いますか?

資材搬入など土木用と言われている。祭祀のためかもしれんが。
農具が出てこないのに、農業用水だという珍説はこのスレッド
ではじめて聞いた。



96 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 11:17:07
>>94
北部九州で権力の階層化が進んでいたのは事実だろうが、帝国化って
はあ?
帝国ってどういう意味で使用してるんだ?

97 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 11:47:02
>96
伊都国・奴国地域を中心として、威信財の配付の範囲等において、広域的な政権が誕生していると
いうことだが。



98 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 12:30:20
君の言う「広域的な政権」が、伊都王を盟主とした玄界灘グループの
意味なら、否定はしないが。
帝国ってねえ。諸国連合がせいぜいだろ。

99 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 12:40:48
伊都国東遷を主張したいがため、畿内地域を権力の空隙にしたいのだろう。
もう単純な東遷史観は古いよ。

100 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 12:46:07
>98
>君の言う「広域的な政権」が、伊都王を盟主とした玄界灘グループの
>意味なら、否定はしないが。
伊都国奴国を中心とする威信財体系は玄海灘に限定されていないので却下。
考古学を一から勉強しろ

101 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 12:51:26
>99
>伊都国東遷を主張したいがため、畿内地域を権力の空隙にしたいのだろう。
>もう単純な東遷史観は古いよ。

したいんじゃなくて考古学的に(広域権力が)空白であるということ。
畿内の集落をずっとやってる清水や寺沢がそうであるといっている以上、
信じるしかないよね。



102 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 12:59:54
前レスの年輪年代法を必死になって否定する考古ヲタは怖かった。
ああいうのが藤村事件の温床なんだろうなあ。

103 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 13:02:45
なんでさあ、考古ヲタって考古板に帰らないの?
考古ヲタのせいでスレに閑古鳥が鳴いているよ。

104 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 13:04:16
>>100
威信財配布を帝国と言い切る、君の妄想には付き合い切れない。

105 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 13:11:30
もうちょっと、建設的な議論を進めよう。

マキムク建設の意義。他地域の干渉の有無。
初期ヤマト政権の権力基盤。支配領域。
記紀の崇神垂仁景行の記述は、どこまで信用できるのか?
なぜ膨大な労働力を集めて古墳を築造し続けたのか?

106 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:06:57
>なぜ膨大な労働力を集めて古墳を築造し続けたのか?

宗教的には首長霊祭祀。
実質的な意味合いでは、当時希少であった人的資源を徴発するために利用されたのだろう。
労働力は治水や軍事にそのまま転用出来るしな。

各地に古墳が造られたのは、ヤマトで行なわれたこのような「前方後円墳支配体制システム」を、
各地の首長たちが、サイズの大小こそあれ、模倣していった、ということなのだろう。
別に、西日本を包括するような中央集権的統一国家を想定する必要はない。

107 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:14:03
>>106
江戸幕藩体制の「御手伝い普請」みたいなものじゃないか。

108 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:20:46
威信財配布から読み取れるのは、政治的連携まで。
帝国とか言う奴はアホ

109 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:33:01
>104
>威信財配布から読み取れるのは、政治的連携まで。
>帝国とか言う奴はアホ

アホはお前。
北九州の広域政権は伊都国、奴国地域という頂点が存在し、その首長は
「倭国王」として、国際的承認を受けている。このことを否定する学者
は、文献、考古学者双方とも皆無だ。
一から勉強しなおすんだな。


110 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:36:25
108は、考古学の基礎が身についていない。
文献なら西嶋、考古なら高倉、柳田といった基礎的文献を読んでから
書きこみするように。



111 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:37:38
>>106
はあ。各地に古墳が造られていることは、首長霊祭祀を執り行うオウが
各地に存在していた、ということ。中央集権には程遠いということなんですね。
寺沢の言うような、西日本統一国家としてのマキムク政権とかは
夢想に過ぎないと。
では大和と対等的同盟関係だった、筑紫の、衰退の契機は何だったんでしょうか?

112 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:39:32
>107
>初期ヤマト政権の権力基盤。支配領域。
庄内、マキムクの外来土器、マキムク型前方後円墳の広がりから
九州から東海までとされている。
マキムク型前方後円墳の配置から拠点的には関東まで行っている。

113 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:39:44
>>109
倭国王は卑弥呼が最初だろ。

114 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:42:19
>>112
だからさあ。前方後円墳造ってたからって、支配領域とか言うのは
どうかと思うぞ。
本気で信じてるの?

115 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:51:18
>106
>各地に古墳が造られたのは、ヤマトで行なわれたこのような「前方後円墳支配体制システム」を、
>各地の首長たちが、サイズの大小こそあれ、模倣していった、ということなのだろう。

全然だめ。
各地の前方後円墳を含む古墳の形式や大きさに倭王権が起立した非常に画一的で階層的な
序列が存在するというのが「前方後円墳体制」というもんなのだが。
言葉の使い方がおかしい。

>111
>寺沢の言うような、西日本統一国家としてのマキムク政権とかは
>夢想に過ぎないと。
>では大和と対等的同盟関係だった、筑紫の、衰退の契機は何だったんでしょうか?

上記体制の骨格は、既にマキムク型前方後円墳段階で完成しているので夢想だというなら
前方後円墳体制自体を否定することになる。そんな学者はいないと思うが。
それから北九州が衰退するというのはデマ。
九州の学者でそんなことを言う奴はいない。


これもだめ、


116 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:52:56
結局のところ、畿内説の議論の焦点は、マキムク以前はショボイ畿内勢力が、
突然倭国有数の勢力に台頭したこと。
唐古鍵とマキムクとの隔絶から始まっているのだろう。

で、外部勢力侵入・征服説となる訳だが、その侵入主体が、
吉備か東海、播磨・阿讃の東瀬戸内地域、はたまた筑紫か?で揉めてる。

117 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:00:39
>>115
「マキムク型前方後円墳」体制自体が仮説だろ?
大和の技術者が各地に行き、技術伝播したとすれば形が似てくるのは当たり前だし、
それだけで、全領域が中央集権的に支配されていた、と断言するのは
かなり無理があるのでは。
形が同じということから宗教的意味合いは読み取れるかもしれないが、
政治的統合がなされていた、とは別物だと思うよ。

118 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:00:48
>113
>倭国王は卑弥呼が最初だろ。

それって、シャレかよ?
こんなの基礎だろ。

>114
>だからさあ。前方後円墳造ってたからって、支配領域とか言うのは
>どうかと思うぞ。
>本気で信じてるの?

ほとんどすべての考古学者は本気でそう考えているが何か?
そうでないという珍説はこのスレッドで初めて聞いた。

一部「関東大王」や「九州王朝」を唱える古田というアマチュアは
いるにはいるが学者ではないしね。


119 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:05:53
ちっとは勉強しろや。

後漢書東夷伝

「安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ請見を願う。」
 

120 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:09:01
で、この後漢書の「倭国王」の所在は、ほぼすべての考古学者が伊都国地域
と主張している。



121 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:12:30
記紀を無視する考古オタうざい。
マジで板違いだと思う。

最近では考古学者の一方的な記紀無視に耐えかねて記紀を学ぶ
文献の学者がいなっているそうだ。
まさに「考古栄えて記紀滅ぶ」だ。

122 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:13:27
史学の徒はどこに消えた。

123 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:16:38
>>118
>ほとんどすべての考古学者は本気でそう考えているが何か?

もしそうだとするなら、専門バカにはなりたくないものだ。

124 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:27:41
宋代の范曄が倭国王と書いたからと言って、帥升が倭国王として
後漢から承認されていたかどうかは別(少なくともそのような記述は無い)。
そういう説もある、が正しいところ。
で、帥升が伊都王であったのかも、議論が分かれている。
確実な倭国王の初めが卑弥呼である、というのは正しい。

125 :208 ◆GmgU93SCyE :2006/03/21(火) 15:27:56
>>105
西都原や生目古墳群をみると、日向とは関係があったと考えていいと思いますが、
支配と言う表現がふさわしいか微妙ですよね。

126 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 15:32:54
>>124
それ以前に帥升が一固有の名詞であることも疑問だ

127 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 16:16:10
古墳時代の黎明期に西日本を統一していた国家なんてあるわけがない。いくら
初期古墳に鉄の武器が大量に埋葬されるようになっても、九州の古墳もそこま
で埋葬されている量が変わる訳じゃない。そう考えると九州の軍事力と大和の
軍事力は変わらない。

128 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 16:18:37
旧説の「伊都国東遷」になんかに釣られて、おまえらおめでたいなw

129 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 16:23:18
>>128
ご指摘どうも。

130 :史学の徒:2006/03/21(火) 16:29:58
えーと・・・
私も含めて3月から4月というのは誰もが忙しい時期だと思いますので
逃亡とか消えたってのはナシにしてくださいよ(苦笑)
むしろ毎日2chに書けるほうが、私にとっては不思議です。

それとね、文体から推測してとあるコテハンが名無しで投稿しているのは見え見えなんですが
文献のみを扱う歴史学なぞ、存在しませんよ。
これは古代のみならず飛鳥、室町から江戸、明治、昭和に至るまで
資料として残されたものが本当に実在したのか、また資料どおりのシロモノなのか
総て考古学(発掘調査)によって証明されるものなのです。

どうやら文献から邪馬台国の位置が解けると主張する方々は
考古学どころか、よほど文献史学の蓄積すらお嫌いらしいが
よく言われるようにあらゆる史学家は「史料だけでは特定は不可能」と結論付けているのですよ。
それこそ幾千幾万のプロ・アマを問わず、それに携わり一生を賭けてきた研究家が、何代、何百年に至る論争の結論として。



131 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 16:33:47
>>130
降臨乙です。できれば九州の初期古墳について教えを乞いたいのですが
・・・

132 :史学の徒:2006/03/21(火) 16:37:17
おそらくはそのような馬鹿げた主張をする方は
これも考古学どころか、文献史学から提出された膨大な論文をほとんど知らないのでしょうね。

「今までの学者はみんな間違い、我こそが真実に到達した」と主張するトンデモさん達は
歴史学よりも物理や化学、数学の世界に多いのですが、彼らの共通項は
「皆、不勉強の一言に尽きる」というものです。
もしくはグラハム・ハンコックやチャーチルのような確信的でっちあげか。

ですので「考古学はスレ違い」との指摘は全く正鵠を射ていません。
ただ、あまりに専門的な用語に終始するのは不本意ですので
私自身は平易な言葉を使用するようにしています。
(逆に考古プロパーの方にすれば、それ故に若干もどかしく感じられるでしょうが)



133 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 16:38:23
古代の大和vs筑紫って、中世の細川(堺)vs大内(博多)ってイメージだな。
一時期共存時代が続いても、最終的にこの二つの経済圏の衝突は避けられない
のだろう。
古代の場合は最終的に畿内が勝ったみたいだね。


134 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 16:41:42
>>132
前置きはいいので、早く続きを書いて下さいよ

135 :史学の徒:2006/03/21(火) 16:41:44
安曇連浜子さん、あまり時間が無いので・・・
1、初期とはいつの頃か?墳丘墓かそれとも文字通り古墳か?
2、おそらく北部玄界灘湾岸のことを指すと思われるが、それでいいのか?
3、また宇佐や西都原などにも初期と見られる前方後円墳があるが、それも含めてか?

このあたりをまとめておいていただければありがたいです。
宿題にさせていただきますので。

136 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 16:45:18
>>135
了解でつ 忘れない内に書きます。

1、文字通り古墳です。
2、具体的には北部九州の前原や春日あたりです。
3、西都原81号墳についてお願いします。

137 :史学の徒:2006/03/21(火) 16:48:22
>>134
ごめんなさい、本当に時間が取れないのです。
前スレにて中断している発掘と研究の歴史も、まとめてアップしますのでお許しください。

ですので本日はお願いと、スレ進行に関して・・・。

一部考古プロパーと思われる方々が書き込まれてますが
出来るだけ分かりやすい言葉を使用してあげてください。
講演の時と同じです。
参加者の基本知識や理解度には大きな差があるようですので。

それと「判ってる者同士」で議論する場合は、当然のことながら(相反する意見でも)相手も知ってて書いているというのを認識しておいてください。
以下例を挙げます。

138 :史学の徒:2006/03/21(火) 16:54:21
前スレで寺澤氏の83年の論文を知らんのか?とのツッコミがありましたが
もちろん知っております。
ただ、突っ込んだ方もその後寺澤氏と柳田氏が1年間に渡り新聞紙上で交互連載し
それをまとめた本も出版され、そこでお互いに多大な影響を受け合っていることもご存知のはずです。
ある程度の内容をここに書けるということは
ぶっちゃけ「相手も自分と同様の知識を有している」ということに他なりません。
判っている者同士ならば、それは前提として議論しましょうよ。
そのうえで皆にわかりやすい平易な文体にすれば、なおよろしいかと。

139 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 16:54:54
飯島Iさんは、本当に女子高生コンクリート詰め殺人事件の殺人者達と一緒に、
被害者の女の子に虐待を加えて、面白がっていたのでしょうか。
ぜひ、出演しているサンデージャポンの、 自称青木ゆうこりんに
事情説明して欲しいです。
この番組に出演しているので、説明義務があると思います。
ぜひ、サンデージャポンの放送中に、自称青木ゆうこりんさんが、
女子高生コンクリート詰め殺人事件の疑惑の件に関して、
飯島Iさんに質問してください。


140 :史学の徒:2006/03/21(火) 17:02:08
反対に(決して見下しているのでも揶揄でもありません)
俺等さんのように「あまり詳しくない方」に説明するときは
(質問には後ほどまとめて答えます。ここは一点だけ)

仮に吉備の影響が畿内にあったとしても、それが軍事的行動に伴うものか
それ以前に「なぜ神武をそこで持ってくるのか?はじめに神武東征ありきで考えていないか?」を問いただしたいのです。
(私自身は主張しませんが)これがなぜ応神東征に適用されないのか?
考古成果も軍事力も、はるかにそちらのほうが想定しやすいはずなのに、なぜ無理に神武なのか?
これをまず考えねばなりません。

雑談ばかりで申し訳ありませんが、継続してマターリやらせていただきます。
あくまで仕事や家庭などに影響しない範囲で(笑)
皆様もそのペースでやっていただければありがたいですね。


141 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:11:03
いやね。
東海や畿内で一斉に環濠集落の環濠が埋め立てられる時期が、卑弥呼共立の時期
なんじゃないでしょうか?
邪馬台国=初期ヤマト政権の支配領域を知る上で重要じゃないでしょうか?
銅鐸文化圏とも重なってるのは興味深いっす。
吉備や筑紫は遠過ぎますよ。

142 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 17:16:41
>>141
古墳の副葬品に鏡が入っているのは北部九州の伝統。

143 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 17:19:51
史学の徒さんに横レス質問致します。

『平原一号墳』についてです。

女王卑弥呼の墓として現在(発掘途中・済)の墳墓の中で『平原一号』が
一番可能性が高い位置に有ると考えていますが
史学の徒氏のお考えは如何でしょうか?

144 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:21:09
>>141
「環濠が埋められた=政治的統合がなされた」までは、皆が言ってること。
要は、その大事業を主導したのはどの勢力か?ってのが議論の主題なわけ。

145 :1001:2006/03/21(火) 17:23:23
【纏向大溝】
>>93 「大溝は運河でしょう。」
>>95 「資材搬入など土木用」

 北條芳隆の話では、
『分水溝の為の出っ張りや堰も在り、運河として機能したとは思えない』
らしいです。
 北條の所見が纏向2期以降の転用・改造の結果だけに着目したもので、
開削時の主用途は、寺澤説のように「運河」目的だった可能性はあります。
 しかし、遺跡内にある複数の支溝の存在を考えれば灌漑用にも利用されて
いたとして間違いじゃないでしょう。
 近隣の「芝」や私が注目する「大和川下流域」でも同様の設備はあります。
喩え「運河」機能があったとしても、多目的に使うでしょう。
 それに、大溝の深さは1mチョッとでしょう。
 平船や筏を通すくらいのことはできても石材などの大きな資材の搬送には
不向きですよ。

>>95 「農具が出てこないのに」

ハァ?石包丁だって鋤・鍬だって出てるじゃないですか。
纏向から水田址が出てこないことからの連想でしょうか。
だとしたら大和盆地全体がそうでしょう。
確実なものは四分遺跡くらいでしょうか?唐古は確認されてるんでしょうかね。
でも、水田址が出ないのは、度重なる河道の変遷と後世の再水田化で
痕跡が見つけられないだけでしょう。

146 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:27:28
余り史学の徒さんを祀り上げ過ぎると、本人も書きにくいだろうから、
適当に馬鹿にするくらいがいいのでは?



大上段に構えやがって。お前の言う有力説とやらを書いてみやがれ。
突っ込んでやるからさあw

147 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:57:54
>>143
平原1号出土鏡は、魏から送られた鏡とするには古過ぎるんじゃないでしょうか?


148 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 18:17:51
>>147

鏡が埋葬された時期と研磨痕がどぅどかこうとかの話ですが
新し時代の物では話になりませんが!

149 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 18:20:49
>>147
魏から送られた鏡だけが鏡ではないでしょう。
後漢朝のからかもね

150 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 21:08:15
>>147
それはだいたいの人が知っていること。
>>148
鏡の年代ではなく共伴土器の方で年代を決めています。

151 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 21:28:23
ちと電波出してしまいました。「共伴土器」ではなく周溝の土坑墓から出た西
新町式土器が平原の築造年代の下限を示しているそうです。

152 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 22:19:35
>>151安曇さん

周溝から出た共伴土器って、一・二号共用周溝から出た『古式土師器のこと?
年代的にはどうなのよ
弥生終末前後に絞り込まれたって話だけど

それに、周溝内出土の鉄鏃は弥生時にはあまり例がなく弥生終末以降の銅鏃に類例があるだけ
ノミ状鉄器の他の出土例は、弥生終末から庄内式に限定されるって言うじゃない
どおなの?

153 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 22:28:14
>>152
弥生終末は西暦200年前後。

154 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 22:54:53
弥生終末って三世紀後半じゃないの?
列島は細長いから、場所によって年代的ズレはあるけども その辺どうなのよ

平原一号だって
後から三世紀中期と訂正したとかしないとか
その辺どうなの?

鉄鏃やノミ状鉄器もAD200年前後なのかい?

155 :安曇連浜子:2006/03/21(火) 23:17:51
弥生終末が三世紀後半?いつの話をしているのですか?

156 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 23:25:07
別におかしくはないが。あんたはいったいいつの時代の人だ?

157 :安曇連浜子:2006/03/21(火) 23:28:06
弥生終末が三世紀後半でおかしくない?どうやら漏れは変な本を読んでるみたいですね

158 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 23:36:10
>156が変なだけだろう。

159 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 23:51:28
弥生の始まりが500年も遡っちゃう世界だからなぁー
でも、このパターンて
弥生の時代設定だけで流れちゃいそうな予感?

160 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 00:00:28
>>157
そうだね。まともな本読んだほうがいいよ。

161 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 02:52:25
プラムな、どこからのコピペか知らんが意味判って書いてる?
>>152を正しいと考えているのなら3c中葉以降の築造である卑弥呼の墓とは全く一致しなくなるぞ。
反対に>>154の弥生終末期が3c後半というのも誰がそんなこと言ってるのですか?
これもあなたがそれを正しいと考えているのなら、同様に卑弥呼の墓では有り得なくなるよ。

162 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/22(水) 07:17:08
>>161
>>152のカキコは
詳しいことが判らないから“どうなのよ?”って聞いてます。

163 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 07:30:55
九州説はスレ違い。
スルーよろ、 >皆の衆

164 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 07:32:36
九州説はスレ違い。
スルーよろ、 >皆の衆

165 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/22(水) 08:05:59
柳田康雄?の「伊都国を掘る」ってまともな本なんじゃないんですか。

166 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 08:28:49
>>165
まとももまとも、思いっきりまともな本。
ただし5年前の学説が通用しなくなるほどサイクルの早い世界だから
同じ柳田でも最新の論文を入手して読んだほうがよいのも事実。

167 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/22(水) 08:32:26
>>166
最新はちと難しいかも・・・でもトリアエズ「伊都国を掘る」は信用して大
丈夫そうですね。

168 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 08:39:56
>>162
聞いてますって・・・現代国語不得意だったのですか?
決してそうは読めませんよ。
あなたの書き込みが受け入れられない大きな理由のひとつに
文章が独りよがりで、相手にいいたいことが伝わらないというのがあります。

もしかするとあとで言い訳するためにわざとそういう文章を書いているのかもしれませんが
それはそれであまりにも不誠実すぎて、人間性そのものを疑われても仕方ないです。

荒らしを嫌いなようですが、あなたの態度そのものが荒らしをを招きいれているのですよ。
彼らは説の内容など関係なく「イタイ人」を探してネットをさまよっています。
あなた自身が彼らに格好の餌をあげていることにそろそろ気づいてください。
1年以上も2ちゃんにいるなら、それくらい理解してくださいよ、いい大人なんでしょう?

169 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/22(水) 08:47:50
プラム氏への返信ですがヒッキースレの595に書きますた。
>>168
同じようなことは名無しの人たちが何回も言っていますが、独特の書き
方は変わりません。それでもいいのでは?奇抜なことを書いたりしてれ
ばそれなりに人気はとれるので。

170 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 08:52:33
>>169
ああ、つまり自説の証明や議論が目的ではなくて
単に変わったことを言って目立ちたいだけなんですか・・・。
バカニュース板やハングル板によくいるタイプですね。
以後NGワードに指定します。

171 :安曇連浜子:2006/03/22(水) 10:47:29
別に漏れは議論を好まない輩ではありません

172 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:46:57
プラムについて思うことが二つある。
一つは、彼自身認識していると思うが、その独特な思考法である。
彼は論理的な思考をしない、と言うか出来ない。
何か彼自身が定めたキーワードのようなものがあって、
それを適当に繋ぎ合わせたような文章を書く。
後はキーワードから連想してイメージを理解しろと言うわけだ。
他人の文章に対する読解も又同じこと。
対面での会話であれば、相手の顔色を見て、通じなければ言い直せばよい。
しかし、こう言う掲示板で同じことをするのは甚だ面倒である。
二つ目に、彼は議論や探求のためにここに来ているわけではない。
単に同好の士と邪馬台国や倭人伝をネタにまたりと雑談を楽しみたいだけ。
彼の振るトンデモ説は、単なるネタ提供である。
私もまたりと雑談まじりで進行するのは嫌いではない。
しかし、スレに何の関わりもない株談義などをアゲでやるのは不快。
そして、彼の振るネタも陳腐なものでレスの食指が伸びない。
ネタに対する嗜好が違うのである。
その嗜好の違いを理由にスレを分立させたにもかかわらず、
あちこちと立ち回られるのは困ったことでもある。

173 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/22(水) 20:26:11
>>172
あんま攻撃すると逆ギレしてアンカー間違えたり人に「天狗になってる」とか
云ったりしてるので気をつけてください。

174 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 21:28:52
じゃ、「攻撃」じゃなくて「嘆願」しよう。
お互いの精神の安寧の為だ、こちらのスレには出没せんでくれ。
頼む!じゃなかった。お願いしますです。 >プラム様。

175 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:34:52
>165
>柳田康雄?の「伊都国を掘る」ってまともな本なんじゃないんですか。

柳田は神武東征に史実性を認める皇国史観コヴァだよ。
あの有名な電波アマチュアの原田大六の弟子でもあり、畿内の学者から
は相手にされていないそうだ。安本美典のようなものと思えばいい。






176 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:40:40
>>175
貴方
昨晩からおかしなことばかり書き連ねてますが、
何か変なものでも食べたのですかw

177 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:40:52
>>174
情けない奴。しね

178 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:43:25
ここでは一次資料に基づいた実証を欠いた空想的な推論が
跋扈していますね。みなさんに弥生時代の集落研究からこ
れまでに判明している考古学的事実を説明しましょう。

まず、古墳時代前期の首長は弥生時代の農業共同体の領有圏
の一単位を基礎としていること、かつ当該領有権の範囲が古
墳時代にも継続していることがこれまでの弥生集落の詳細か
つ膨大な発掘調査及びそれに基づく厳密な考証により判明し
ています。

加えて農業共同体を超える政治的結合体である首長自身も
このような特定の農業共同体の長であるとされていること
からも、東遷論のような全く実証を欠く結論ありきの空想
は否定されるでしょう。

学問は、机上で作られるものではありません。
威信財や鉄器の見せかけの豪華さに目を奪われ、弥生集落の一
次資料に基づく血のにじむような地道な調査や厳密な考証に基
づき、畿内経済社会=下部構造のあり方や変動を解明してきた
先学達の研究成果を無視することはおろかなことです。




179 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:50:30
>>178
じゃあ、お前は今すぐ邪馬台国を探しに旅に出ろ、低能!

180 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:59:30
>>178
じゃあ、唐古鍵とマキムクの関係はどうなんでしょう?

181 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 00:45:48
>176
柳田康雄の「伊都国を掘る」が、アノ大和岩雄の「神々の考古学」
という噴飯ものの電波本を引用していることを知らないのか。
師匠が師匠だけにトンデモに走るのはやむおえないと思うが、
「実在した神話」と大差ないだろう。

182 :1001:2006/03/23(木) 00:57:03
>>178

私も「東遷論」のようなダイナミックな政治的変動が有ったとは考えません。

ただし、
>古墳時代前期の首長は弥生時代の農業共同体の領有圏
>の一単位を基礎としていること、かつ当該領有権の範囲が古
>墳時代にも継続していること
 と、あっさりと断定的に言われていますが、そのようなモデルばかりではないでしょう。
 弥生後期から古墳前期に渡って存続した集落もありますが、
廃絶したもの、新たに出現したところもあり、その比率は5割くらいでしょうか。

 また、仰るように古墳祭祀を行った集落でも、その被葬者の実態は、
依然として農業共同体的首長と変わらないケースも多いです。
 数世代に渡って古墳築造が行れていても、各被葬者間のDNA判定で
血族関係を立証できることは少ないでしょう。

 ただ、近畿・東海等で旧来の環濠を捨てて新たな耕地を開拓した集団に
(主体は地元勢力だと考えますが)新天地を求めて移動してきた九州からの
移住者も関わっているとも思います。


183 :俺等05772:2006/03/23(木) 07:16:36
考古学者や歴史学者が「弥生時代」の定義をはっきりさせてくれなきゃ本当に困る。
昔は「弥生時代」の始まりは米作の始りでも、渡来弥生人の出現でも良く、互いに
整合性を持っていた。今や縄文人が米作を行う時代になっちゃった。笑

「弥生時代」の終りもまた同じ。昔は卑弥呼の死を契機に古墳が作られたはずなんだが、
今は寺沢と佐原で、百年も古墳時代の始まりがズレている。どっちを信じれば良いの?
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku238.htm

184 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 09:52:24
かつて津田左右吉は神武の東征は作り話だと言った。
その根拠のの1つが
「生駒山の麓まで船で行き」「戦に敗れた後、南方を船で逃げた。」
の2点だ。
津田左右吉と本居宣長は
「生駒山の麓まで船で行くのは不可能だし、奈良からいきなり船で南方を通って逃げるのは無理だ。」
と言った。
(奈良の南方は山脈だから。)

しかし、現代の地質学の研究によって、4世紀〜5世紀までは、今の大阪はほとんどが海だったことが判明した。
地質学という他の学問で生駒山の麓まで船で行けることが証明されたわけだ。
そして、今の大阪城から西中島南方までが半島のように突き出していたことも証明された。
そして、その半島の先端にあるのが、現在の西中島南方になることも分かった。
つまり、南方とは「なんぽう」ではなく、「みなみかた」と言う地名だった。

地質学という観点から神武の東征の「生駒山の麓まで船で行き」「戦に敗れた後、南方を船で逃げた。」
ということが正しいと証明された。
発掘や史料を読み解くだけで、これが証明できるか?
津田左右吉は史料を読んだ上で、神武の東征は作り話だといったのだ。
発掘・資料至上主義ではこのような証明はできないだろう。


185 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 10:04:43
私は神武の東征に似たような事件があったと思っている。
もしも、神武の東征が全くの作り話だとしたら作者は、シェークスピア並の才能の持ち主だろう。
大正時代の文豪の佐藤春夫は「小説とは根も葉もあるウソ八百」と言った。
物語には何か元ネタがあるということだ。
何もないところから神武の東征を作るのは、この時代には不可能に思える。
源氏物語でさえ、日本人があの時代に成立させたのは奇跡的だ。

当時はすでに埋め立てられ陸地になっている大阪で
「生駒山の麓まで船で行き」「戦に敗れた後、南方を船で逃げた。」
と、埋め立て以前にピタリと一致する物語が書けるであろうか。
やはり言い伝えが残っていたのだろう。
「生駒山の麓まで船で行き」「戦に敗れた後、当時は半島になっていた西中島南方を船で通って逃げた。」

この記述は真実だと思うがいかがだろうか?

186 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 10:15:23
>>181
なるほど、そういう意見もあるんですか・・・ただ柳田はかなり第六の批判し
てますけどね。ところであなたはだれが書いた本が「まとも」だと思っている
んですか?

187 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 16:59:59
内容云々以前に、新聞コラムを寄せ集めた本を、
学問板の議論に持ち出してくる神経が信じられない。
正直、呆れた。

188 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 17:50:54
九州から東へ動く文化や遺物を神武東征と結びつけるのはいいがその陵墓についても
言及するべき。神武天皇以下開化天皇までの3人までが畝火山周辺と記され比較的
限定されてくるのは剣池御陵の場合だが崇神陵や景行陵のある山辺の道近辺と違って
有力な古墳が見当たらないことも説明が必要だろう。

189 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 18:03:57
>>166
>ただし5年前の学説が通用しなくなるほどサイクルの早い世界だから

一度、考古学板の初心者質問スレへ行って、これが事実であるかどうかを聞いて見たら?
強く、強く、お薦めするよ。


190 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 18:22:05
>>187
どうして新聞コラムに掲載されていた物を加筆修正して出した本を議論に持ち
込んじゃいけないんですか?

191 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 19:01:20
ブルーバックスを読んだだけですべて分かったつもりになり、
得意満面で学会発表する、と言えば分かってもらえるかな。
分からないようならしょうがない。あんたもNGに入れさせてもらう。

192 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 19:08:47
>>191
すみませんが「ブルーバックス」ってなんですか?そこだけ教えてください。

193 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 19:25:12
>>191
わかりました。ありがとうございます。

194 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 19:36:38
>得意満面に評論を
>楽しむ人生のNGワード>がいるのも2CHだが

195 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 21:38:04
休み

196 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 21:48:28
近頃、なんか1人タチの悪いのが入り込んでいないか?

197 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 23:42:45
寺沢の外部主導説、劣勢だな。

198 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 00:07:34
217 :日本@名無史さん :2005/09/25(日) 20:32:05
大和在地勢力が自ら推戴したのか、させられたのかということ。
後者と見るわけ。
それまでの拠点集落の衰退や、唐古での庄内甕の不在を見ると、旧在地勢力は主体ではないと。
また大和東南部(それまでまともな勢力がない)に集中して墳墓が築かれるのも、在地性とは無縁の原理が働いていると。
その上にその築かれた墳墓は外部要素のオンパレード。
外部勢力による在地秩序の改変、再編成を考えた寺沢説がもっとも実際的だが。

199 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 00:10:52
528 :日本@名無史さん :2005/11/28(月) 18:43:27
>>510
>>卑弥呼共立、拠点集落の再編、外部勢力土着して畿内豪族化、庄内土器製造開始、
>>マキムクの造営、前方後円墳祭祀の創始。
>>色んなことが10-20年位の極めて短期間に、畿内で起きたんだねえ
「卑弥呼共立」→これは考古学では直接論じられない。
「拠点集落の再編」→纒向1式期(=5様式末期〜庄内式初頭)に起こった事実。
寺沢の1979年の論文で指摘され、現在も追認されている。
纏向遺跡の造営開始と唐古鍵などの拠点集落の縮小化、あるいは廃絶が一斉に起こっている。
かろうじてある程度規模が続きそうなのは平等坊岩室のみか。
中河内でも、奈良盆地ほどの激変ではなさそうだが、庄内式初頭に大規模集落の再編・移動が起こるのが注意される。
亀井遺跡などの伝統的拠点集落が廃絶し、中田・東郷遺跡群や加美・久宝寺遺跡群が大規模集落となる。
これと同時に庄内式が生成されるが、微妙に大和より早い可能性がある。
とすれば、奈良盆地の激変は直接には河内からの波及かもしれない。
ただし河内の再編自体、中田遺跡の土器群から、吉備の大きな関与があった可能性が高い。
なお、纒向以外の奈良盆地東南部山麓扇状地でも柳本から萱生古墳群ができる地域でも集落群が開始するようである。
「庄内式土器製造開始」→纒向遺跡造営開始後、しばらくして庄内甕や小型器種成立(纒向1式末)
庄内甕の技術は5様式の甕に吉備の技法が融合して突然変異的に生まれたものである。
小型器種群は、吉備と東海の影響とみられる。
ここまでは1型式内で起こっているので、20年程度以内としてもよい。

200 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 00:13:18
529 :日本@名無史さん :2005/11/28(月) 18:44:24
<前レスの続き>
「外部勢力土着して畿内豪族化」→これは難しい問題だが、纒向遺跡の造営自体が外部勢力による後押しとすれば、纒向1式期から始まるのだろうか。
吉備の土器がすでに纒向1式後半に一括してある(辻土壙3)。
諸地方の外来要素の多い纒向型古墳の造営開始(纒向2式か)には在地化したと解釈も可能だ。
(「解釈」も可能ということで。)
「マキムクの造営」→すでに述べた通り。運河的機能を有する纒向大溝がまず作られ、その周囲から集落が形成されるのが纒向1式。
「前方後円墳祭祀の創始」→石塚は不確定だが纒向2式前半の可能性が高い。
弧文円板は吉備の弧帯石と共通している。前方後円形の発想も吉備から播磨、讃岐などとのかかわりだろうか。
埋葬祭祀(主体部)が不明なのが惜しいが。ここまでで30年前後か??
次に勝山、矢塚(纒向2式後半から3式前半)と続き、纒向3式後半(布留0式)にはホケノ山、東田大塚、箸墓古墳がある。
この段階では確実に北部九州系祭祀(銅鏡祭祀、破砕鏡と完形鏡、反復儀礼)があり、また鉄器多量副葬や木棺(北近畿?)、主体部構造(東瀬戸内)が入っている。
これがいつまで遡るかが問題。
また布留0式には、萱生古墳群(オオヤマト北部)でも大型古墳が作られる(中山大塚古墳ほか)。
庄内式の間に何があるかもう少し詰める必要があるだろう。

>>色んなことが10-20年位の極めて短期間に、畿内で起きたんだねえ
10年というとオーバーだが、意外と短い間にいろんなことが起きているのも確かだ。
また問題は、纒向にいた王が、「倭王」として列島の代表者として君臨したのが、いつからかということだ。
初めからなのか、たとえば、ヒミコははじめ別の場所にいて、他から途中で遷都してきたということもあるかもしれない。
これは思いつきだが、纒向が当初から大規模ではなかったことを考えると(箸墓築造時に最大規模になる)、いろいろな可能性を考えてもよい。



201 :1001:2006/03/24(金) 01:53:45
こんな感じで考えて見る

1 平原王墓、北部九州・西瀬戸内ネットワーク
2 楯築築造、備中津寺等での治水・製鉄・土器製作技術の昂進。
3 加美等中河内の集落再編、河内庄内の誕生
3 纏向大溝開削、大和庄内の製作開始
4 西新等拡大、九州庄内の製造開始
5 纏向大規模化、畿内・東瀬戸内ネットワーク、
6 萩原1号墓、綾部山39号墳、石塚築造
7 西日本ネットワーク、ホケノ、箸墓

202 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/24(金) 10:11:12
神武東征は天武のヤマト入りとだぶらせてるだけでしょ

203 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 19:31:20
◆◆『2ちゃんねる』と朝鮮総連 ◆◆

在日朝鮮人が、戦後の日本で組織的なスパイ活動を展開していることは、
国際政治に詳しい人々の間では、常識として知られている事実だ。
スパイ活動の中心的役割を果たしているのは、もちろん朝鮮総連と韓国民団である。
とくに朝鮮総連は、情報収集と宣伝工作活動のために、インターネット上でいくつもの
掲示板を運営している。それらの掲示板の中で最大規模のものが、皆さんもご存知の、
あの『2ちゃんねる』である。
『2ちゃんねる』は、とうぜん防衛庁や公安調査庁から監視されているのだが、
ここで気になる事がある。それは、『2ちゃんねる』の管理スタッフは、防衛庁や公安などの
国家機関が、『2ちゃんねる』が朝鮮総連の運営するウェブサイトであることに気づいていると
いう事を、知っているのかという事だ。
『2ちゃんねる』の管理人たち、つまり、朝鮮総連=インターネット工作班の朝鮮人たちが、
自分たちが日本国家当局から監視されている事を承知の上で、『2ちゃんねる』で反日宣伝工作を
展開しているとしたら、「いいコンジョウしている」と言えるだろう。
Xデーが来たら彼らは終わりだが、その日が来るまでは『2ちゃんねる』上で反日宣伝工作を続けて
いくつもりなのだろう。逆に言えば、『2ちゃんねる』が運営されている間は、
朝鮮総連はまだ大丈夫である。しかし、朝鮮総連が日本当局に潰される時になれば、
『2ちゃんねる』は何の予告もなしに、ある日、とつぜん閉鎖されるであろう。


204 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 22:32:20
神武東征は、豊臣秀吉の中国大返しとだぶらせているのですよ。

205 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 01:07:48
庄内の出現期の政治変動は議論されているのに、
庄内の突然の消滅→布留の発生は何故問題視されないのでしょうか?
庄内が遡るとされている今、布留0の時期に卑弥呼共立があったと考えた方が
自然ではないでしょうか?

206 :1001:2006/03/25(土) 01:38:38
>205
庄内から布留は極自然な変化で劇的なものではないと思います。


207 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 08:31:49
庄内式は吉備の強い影響を受けているが、あくまでも畿内様式がベース。
その生産は河内、大和の一部など限られた地域で行なわれており、
特定の技術者集団が存在したはず。
これが、徐々に進化して布留式の時代になると広域に普及しはじめる。
つまり中心は畿内。
庄内式の誕生から布留まで、わずか2〜3世代の間の動きであるが、
実年代をいつ頃に比定するかは議論の残るところ。
ただ、遅くとも3世紀の初めごろまでのことと見る人が多い。
東遷説など主張する方は、庄内期の直前辺りで九州と畿内、
又は吉備と畿内の関係に大きな変化(鉄器の普及とか、
弥生集落の解体など)があったと考えるようだ。

208 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/25(土) 08:35:33
卑弥呼の時代と庄内式が重なると見てもよろしいのでしょうか?

209 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 09:35:15
>もしそうだとするなら、専門バカにはなりたくないものだ。
考古を無視するんなら、九州説スレッドに行けよ。

>宋代の范曄が倭国王と書いたからと言って、帥升が倭国王として
>後漢から承認されていたかどうかは別(少なくともそのような記述は無い)。
>そういう説もある、が正しいところ。
なことはない。今のところ西嶋の解釈が定説。三雲等の金銅四葉座やガラス
壁という考古学的な物証が存在している。ある意味こういう物証がない倭王
権よりも完全に証明されている。

>で、帥升が伊都王であったのかも、議論が分かれている。
これは完全なデマ。この点においては考古学者の間では見解はほぼ
一致している。





210 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 09:50:37
>140
>(私自身は主張しませんが)これがなぜ応神東征に適用されないのか?
>考古成果も軍事力も、はるかにそちらのほうが想定しやすいはずなのに、なぜ無理に神武なのか?
>これをまず考えねばなりません。

こりゃ素人丸出しだな。
当然、神武東征はそのまま事実ではないが、特定個人墓すらない畿内の弥生社会
にいきなり列島で最大級の規模・副葬を持つ前方後円墳が発生する庄内期と、ほ
とんど内容的に差異がない古墳が先行する古墳がほとんどない耕作不適応地に現
れるにすぎない(近藤、寺沢、広瀬等)4世紀末とどちらが「東征」的行為が想
定されるかといえば、庄内期に決まっている。
少しは考古学を勉強しろ。



211 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 09:58:17

>ハァ?石包丁だって鋤・鍬だって出てるじゃないですか。
>纏向から水田址が出てこないことからの連想でしょうか。
>だとしたら大和盆地全体がそうでしょう

通常の弥生集落の鋤・鍬比率に比べ、鋤が9割以上を締めることから農具ではなく、
土木用と想定される(寺沢等)というより、その前提となる住居址がなく建造物
としては、祭殿施設程度しかない。

212 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 10:28:14

>183
>「弥生時代」の終りもまた同じ。昔は卑弥呼の死を契機に古墳が作られたはずなんだが、
>今は寺沢と佐原で、百年も古墳時代の始まりがズレている。どっちを信じれば良いの?
>http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku238.htm

今時、佐原編年なんか使う学者はいない。はっきり言ってこれは造り方
からしてトンデモ。
土器編年を実年代に当てはめる方法は、実年代がある程度判明している
青銅器との共伴(○○年頃の青銅器と一緒に出てきたから○○式土器の
年代は○○年)とするのがスタンダード。
ところが、佐原や小林のは「四世紀初頭に没した崇神天皇が初代大王」と
いった津田や井上など文献の学者の誤った解釈を無批判にそのまま取り入
れたり、倭人伝の倭国大乱等をこれまたいいかげんに土器の変遷に割当て
るなどといった考古学の常識を外れた方法をとったことから、現実の実年
代よりも100年以上遅くなる年代観をもっていた。
こういうトンデモな編年が近畿では80年代まで定説化していたことは非常
に遺憾なことではあるが、森岡や寺沢の研究や年輪年代法の進展により、現
在ではまともな編年になっている。
ちなみに九州の学者は、昔から現在とほとんど変わらない編年観をもっており、
ここで出ている柳田は80年代(もっと前?)から古墳時代は3世紀初頭と主
張していた。




213 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/25(土) 10:31:19
>>212
長文乙です。

214 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 11:11:58
>181,186
なことはない。土器編年がいい例だが、基本的に九州の学者と近畿の学者が
言うことが違っているときは、基本的に九州の学者の言う方が正しい。
弥生に関しては、青銅器等の物証が九州に集中するのでやむおえないところ
はあるが。

加えて、近畿の学者は昔は大学の学者中心(今でもそうかも)なので、
・端的に物を知らない、
・アクロバティックな理屈を捏ねないと出世できない
(穀霊祖霊首長霊、伝世鏡から副葬へ)
・津田や山尾のようないい加減な文献屋の思い付きを無批判に取入れる
(崇神天皇は神武天皇、幻の瀬戸内鉄器ルート奪取、河内大王など)
・偉い人と違うことを言いにくい(佐原編年が80年代まで通用していた)
・考古学的な事実が覆ってもなかなか認めず、理屈でカバーしようとする
(溶けた鉄器、特鋳説など)
・なぜか九州のことをしらないor自分の国家形成理論に邪魔なので無視する
(近藤など)
など非常に問題が多いと思う。近畿というより大学という組織における学問
のやり方の問題かもしれないが。

それから原田については、主著の「実在した神話」の骨格は今でも十分通用して
いる。もちろん間違っている部分も多数あるが、小林の主著の「古墳時代の研究」
の骨格が今ではほとんど通用せず、学問史の世界に旅立っていることに比べれば、
立派なものと言える。実証の人(原田)と理屈の人(小林)との違いだね。

215 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/25(土) 11:19:38
原田は電波ですが、柳田は少なくとも原田よりは電波では無いと思います。
>>214殿は「伊都国を掘る」についてはどう思っているのですか。「ブルー
バックス」のようなものだと思いますか?

216 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 13:24:38
ます

217 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 16:36:08
>>210
庄内開始期に「東征」的行為があったとか言ってるのは、
伊都国東遷説さんだけですよ。
今までのスレの流れでは懐疑的な意見が多かったです。

>とどちらが「東征」的行為が想定されるかといえば、庄内期に決まっている。

思いっきり主観的。

218 :1001:2006/03/25(土) 20:04:52
>>217 「思いっきり主観的。」

 と言うよりも、その前に完全に「東征有き」が前提の意見。

>>210
 と、言うわけで「東征有き」説の立場で
 相手が吉備であるにせよ九州であるにせよ
 「軍事的行動に伴う」痕跡の提示をお願いします。

219 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:34:59
>>214
「実例」を挙げないと単なる罵倒だけの文章にしか見えない。


220 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:58:12
>>210
ちなみに史学氏は(私自身は主張しませんが)と断って書いているので
この批判は完全に筋違い。

皆が共通認識しているのは
@マキムクが各地のクニの、いわば寄り合い所帯だということ
Aそこでどこかのクニが主導的役割を果たし、オウとして君臨した可能性は低いこと
B短期間における祭祀変遷だけからしても、どこか突出した勢力が支配した形跡がないこと
Cなのに終末期から古墳期にかけて最大の集落遺跡であり、しかも年々急激に拡大しており
古留などの新技術も次々と生み出されていること
(古留生誕を播磨に見る説もあるが、これは後にでも検証、議論すればよい)
Dマキムク型前方後円墳が後の定型前方後円墳の前身であることは、もはや疑いようもないこと
E同時に石塚の周濠が馬蹄形であることが確認されたことにより、この時点で
千葉の神門4号墳、福岡市の那珂八幡古墳、宮崎の西都原81号墳などとの
少なくとも技術提携がなされる関係にあったこと

ほかにもまとめとしてあったら、続けてください。

221 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 13:30:48
>>184-185
電波だと思い読み飛ばしていたが、改めて読むと無茶苦茶書いてるなw

>かつて津田左右吉は神武の東征は作り話だと言った。
その根拠のの1つが「生駒山の麓まで船で行き」「戦に敗れた後、南方を船で逃げた。」の2点だ。

それは根拠でもなんでもないし、当時も今も生きている話。
むしろ津田が重要な根拠としてあげるのは
1、その後の八代の和風し号の新しさ(6世紀以降のもの)と内容のなさ
2、葛城や橿原に未だ墳墓も遺跡も存在しないこと。
記紀の指定した陵墓はすべて後世のものだということは、後の研究で判明した。
少なくとも紀元前660年あたりには、そういうものはなかったというのが津田説の骨格。

では佐原や小林じゃないが、崇神が3世紀後半あたりとして1,2世紀はどうかとしても
これまた一切痕跡がない。
これを信じろというほうが無理。

期せずして>>214が書くように
原田の特に晩期のものは確かにトンデモに走ってはいるが
現在でも通用する部分の再評価は確実に行われている。
ただそれを近畿の学者や大学がまったく無視しているかのような書き方には問題がある。
むしろ九州の研究者より、若手を中心とした関西出身の学者のほうが、大六の功績を称えている。
小林の理論がもはや通用しないというのは、同意。
ただ三角を様式ごとに分類するとの基本案を提示した(今では相当に再分類されているが)のは功績だろう。

222 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 13:34:20
>>220
>Aそこでどこかのクニが主導的役割を果たし、オウとして君臨した可能性は低いこと

ここは重要。
倭人伝の卑弥呼共立と符合する。
一斉に行なわれた環濠集落の解体は、軍事的強制で行なわれたモノじゃなく、
宗教的に平和裡に行なわれたと見るべきだろう。

大和で初期古墳が集中するのは、ある時期より(布留0?)前方後円墳を築造することを
初期ヤマト政権が規制したからに他ならない。つまり、規制のかかった地域が
初期ヤマト政権の勢力範囲であると言えるだろう。
これは従来語られているところの「マキムク型前方後円墳体制」とは完全に逆の結論となってしまうが。

4世紀末、吉備や葛城で巨大古墳が造られるのは、そのタガが外れた為とも
考えられる。

223 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 14:02:18
>>222
>大和で〜以降には賛同できないが、それはまた後に議論するとして
共通認識の補足。

何人かの煽り的ツッコミにあったが
「近代国家じゃあるまいし、この時代に平和的連合だとw」
との疑問は誰もが持ってしかるべきだろう。
実際これは学者も含めて、どこかの征服か入植と見る向きは多かったのだ。
ところが出るもの出るもの、すべてがこれを否定するものばかりで
先に(史学氏だったっけ?)が述べていたように、当時の武器を復元したところ
とても実戦で威力を発揮したとは思えないものばかりであり
また征服後の領地管理なども経済的にも人的にも不可能であろうと思われるほど
各クニの経済基盤が拡大路線を取れるようなものではなかったとの推察がでなされるような遺物と遺跡しかない。
これなど弥生中、後期に九州で、大小問わずの環濠集落が群雄割拠した理由でもある。

結論としては、どこかの勢力が一方的に侵略が可能となる軍事力そのものが存在しなかった。
しかし各クニがある程度まで大きくなり、お互いの存続と安寧を望むがゆえに
取り引きの共通ルールと会場が必要になった。
そのために各地で共同作業として建設されたのが、マキムクであるとの考え方ができる。
こればいわゆる「市」説。
そして取り引きに際して、不正が行われないように各々の神に誓い合うとの趣旨で
各地の神が集合する「聖地」が隣接に必要だった。
これが後の三輪山祭祀やもっと後の神道に通ずる、「神々の合祀」

だからこそ、マキムクに派遣された各クニの外交官たちの墓が、各地の祭祀や技術の集合体となっているのだろう。
ここからマキムクがいつ、何を契機に元々の各クニやオウ達を凌ぐ権力を手に入れたかが問題であって
たとえばこの話などは2chでは「邪馬台国は大和朝廷になったのか?」スレなどで討論されてきた。

このあたりまでは「共通認識」としてもいいと思う。

224 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 14:06:39
>>220に追加します
F巻向石塚古墳が築かれた年代は三世紀初頭であり魏の使者が倭国に来た頃は
古墳時代に突入していた。
G弥生時代はともかく、ホケノ山古墳が築かれる頃から、畿内勢力も大量の鉄
を入手し、一部が千葉まで流れていった。

225 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 14:08:59
>>184 への突っ込み
>そして、今の大阪城から西中島南方までが半島のように突き出していたことも証明された。
そして、その半島の先端にあるのが、現在の西中島南方になることも分かった。
つまり、南方とは「なんぽう」ではなく、「みなみかた」と言う地名だった。

おーい。上町台地の北端が大阪城あたりで、南北逆だよ。
地下鉄の駅名にもなっている「西中島南方(にしなかじまみなみかた)」の由来は
江戸期の淀川改修(道頓堀築造)か大正期の小椋池(伏見)埋め立てによる航路変更に付随した際のもの。

226 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 14:46:35
>>184 への突っ込み2
>地質学という観点から神武の東征の「生駒山の麓まで船で行き」「戦に敗れた後、南方を船で逃げた。」
ということが正しいと証明された。

仮に紀元前7世紀の時点でも「生駒山の麓まで船で行き」は不可能だと、地質学は証明している。
神武がどうとか関係なくね。
上町台地と古代大阪湾の間の湿地帯は、とても航路があったとは考えられないし
ましてやそこで戦闘があったなどは論外。
ちなみに加美遺跡あたり(現在の大阪市平野区や東大阪市)は決して生駒山の麓ではない。
めちゃくちゃに離れている。

>何もないところから神武の東征を作るのは、この時代には不可能に思える。
この物語には、逆にリアルな記述もある。
大和川よりさらに南方に再上陸して、北上コースを取ったくだりだ。
池上・曽根以南の小規模集落(現在の泉佐野、泉南市あたり)から、和歌山、吉野には
相当に古い弥生小規模集落が、まるで「宿場町」のように点在し
遺物の関連からも、このルートが古くから存在したことは明確である。
この1点からでも、完全な机上の創作ではないことが判る。
だが佐藤春夫ではないが「物語にリアリティを与えるための設定のひとつ」と捉えるべきであって
これをして史実だと強弁することは出来ない。
同様に「源氏物語」も驚異でもなんでもなく、当時の噂や色事を下地にした
「事実に基づいたフィクション」であるとの見方が有力であり、もう定説といってもよかろう。
例えに出すのはおかしい。

つまりは
>当時はすでに埋め立てられ陸地になっている大阪
この「当時」を記紀成立あたりと解釈するが、埋め立てられてなどいないというのが事実であり結論。


227 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:15:52
庄内が2世紀半ばまで繰り上がるのであれば、倭人伝の言う卑弥呼以前の男王は
伊都王ではなく、箸墓以前の石塚などの被葬者・マキムクの大王であったと考えられるだろう。
伊都王が代々仕えたという記述とも合致する。

228 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:17:27
>安曇連浜子氏

>F巻向石塚古墳が築かれた年代は三世紀初頭であり
これは初頭と言い切るのはまだ早いかもしれない。

>魏の使者が倭国に来た頃は古墳時代に突入していた。
これもマキムク型をして古墳時代の開始と見るかどうかは、もう少し慎重になるべき。
俺もどっぷり畿内説だが、まだそこまで先鋭的な見方はしていない。
少なくとも参加者の共通認識とするのは時期尚早ではないか?

>Gホケノ山古墳が築かれる頃から、畿内勢力も大量の鉄を入手し
これもまだ疑問あり。ホケノ山の鉄鏃が吉備産の可能性が高いことからも
マキムクをこの時点で「畿内勢力」と位置付けていいかどうかは議論の余地がある。

>一部が千葉まで流れていった。
これはちょっと待ってくれw
近畿経由のルートかどうかはまったく不明。
むしろ日本海から北陸を経て入手された可能性も考えねばならない。
形式や素材の類似性に関しては、まだ研究者の間でも意見が分かれている。



229 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:26:03
>>227
それは現時点では考えにくい。
伊都国東遷説氏ではないが、ここは彼の書き込みにもあるように
マキムクのオウ(?)の副葬品や祭礼関連物が配下の伊都国王よりしょぼいのは、あまりに不自然。
そのような従属関係よりも、やはりここは連合であり
マキムクは最初から王都として建設されたものではなく
経済特区的な繁栄が先にあり、それを基に力をつけていったと見るべきだろう。

前にその契機となったのが卑弥呼の女王認定だとの意見があったが
これは相当に面白い仮設だと思う。


230 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:38:54
>配下の伊都国王よりしょぼいのは

庄内開始が遡及すれば、その前提自体に疑問が生まれるのだが。

231 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:42:05
>>230
いっしょに引きずられて九州の土器編年も遡らない?
それとも庄内「のみ」の遡及を主張しているのですか?

232 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:55:42
>>231
あなたの言う「畿内<<<伊都」がいつの頃と考えているかによる。
少なくとも、庄内の開始期にはその差はかなり縮まっていたのでは?

233 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 16:07:56
庄内開始を2世紀前半とするなら、マキムク王権の成長過程に無理がなくなる。
100年くらいをかけて、マキムク王権は強大化し、他国を差し置いて、
魏皇帝よりの倭王承認得るに至る。
今までの2〜30年でのマキムク王権成立説は、かなり無理のある解釈ではないだろうか?

234 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 16:18:14
>>233
年輪年代やAMSとの整合性はどうなんですかね。
特に他の畿内における年輪年代との整合性に齟齬が生じるのではないかしら。

話はそれるが、多くの人はこーゆーまったりした議論を望んでるんだろうなあ。
九州説は皆「俺が!俺が!」だから議論もへったくれもあったもんじゃない。

235 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 16:58:43
>>228
ご意見ありがとうございます。現時点では>>224は撤回します。「千葉云々」
というのは、神門古墳群から(何号墳かは良く覚えていませんたしか4か5)
鉄の鏃が出土し、さらに神門は巻向型前方後円墳だということで書いてしま
いました。スマソです。皆さんのレベルの高い議論について行けるよう勉強をし
たいと思います。

236 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:46:27
>215
>原田は電波ですが、柳田は少なくとも原田よりは電波では無いと思います。
>>>214殿は「伊都国を掘る」についてはどう思っているのですか。「ブルー
>バックス」のようなものだと思いますか?

別に原田は電波ではない。逆にこの時代の考古学者で言っていたことが原田ほど
今でも通用していることはまれだね。伊都国を掘るは、一般向けだが、無論まと
もな本。平原報告書と「九州弥生文化の研究」もお勧め。

>216
>庄内開始期に「東征」的行為があったとか言ってるのは、
>伊都国東遷説さんだけですよ。
>今までのスレの流れでは懐疑的な意見が多かったです。

東征的行為の可能性は多くの考古学者が指摘しているし、逆に
畿内弥生社会からの単一線的な倭王権成立モデルは完全に破綻
している。

>思いっきり主観的。
なことはない。考古学的に当然の帰結。

237 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:55:22
>218
>相手が吉備であるにせよ九州であるにせよ
> 「軍事的行動に伴う」痕跡の提示をお願いします。

戦闘の証明というのはこの時代に限らず考古学ではほぼ不可能なので
軍事的の配置等により可能性が指摘されているということだ。
一般的には畿内弥生集落の解体、高地性集落の分布、畿内弥生文化の
痕跡が突如として祭器レベルに至るまで根絶していること(のこるもの
もあるが)等が挙げられている。



238 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 18:08:30
>>236
ありがとうございます。

239 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:09:16
>220
>ちなみに史学氏は(私自身は主張しませんが)と断って書いているので
>この批判は完全に筋違い。
彼は応神東征の方が考古学的に想定されやすいと言っている。
文献の立場からどうかはよく知らんが、考古学的には明らかな間違い。

>皆が共通認識しているのは
>@マキムクが各地のクニの、いわば寄り合い所帯だということ
>Aそこでどこかのクニが主導的役割を果たし、オウとして君臨した可能性は低いこと

こりゃウソだ。畿内弥生社会から倭王権への単一線的な発展を否定する以上、王権祭祀
そのものがほぼ北九州そのままなのに「オウとして君臨した可能性が低い」なんて言える
はずがない。

>B短期間における祭祀変遷だけからしても、どこか突出した勢力が支配した形跡がないこと
王権祭祀については、圧倒的に北九州。どう考えても「突出」している。
特殊器台による首長霊継承なんてのは実際は証明もされてないし、布留から。

>Cなのに終末期から古墳期にかけて最大の集落遺跡であり、しかも年々急激に拡大しており
>古留などの新技術も次々と生み出されていること
だいたい正しいが、伊都国、奴国地域は庄内までは栄える。

>Dマキムク型前方後円墳が後の定型前方後円墳の前身であることは、もはや疑いようもないこと
これは全く正しい。100メートルが200メートルになったからとかB級葬送具を配付しだしたから
名前を変るというのはお笑いとしか言いようがない。

>E同時に石塚の周濠が馬蹄形であることが確認されたことにより、この時点で
>千葉の神門4号墳、福岡市の那珂八幡古墳、宮崎の西都原81号墳などとの
>少なくとも技術提携がなされる関係にあったこと
地方編年はいい加減なところがあるし何でも古くしたがる傾向があるので留意が
必要だが、大体正しい。


240 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 18:15:12
>>239
@は少なくとも正しいです。一応魏書には卑弥呼を「共立」したと書い
てありますから。さらに倭人伝の行程では各々「国」と表記されている
ことから各国に行政府があったのは確実かと。

241 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:38:38
>211
>1、その後の八代の和風し号の新しさ(6世紀以降のもの)と内容のなさ
>2、葛城や橿原に未だ墳墓も遺跡も存在しないこと。
>記紀の指定した陵墓はすべて後世のものだということは、後の研究で判明した。
>少なくとも紀元前660年あたりには、そういうものはなかったというのが津田説の骨格。
>では佐原や小林じゃないが、崇神が3世紀後半あたりとして1,2世紀はどうかとしても
>これまた一切痕跡がない。
>これを信じろというほうが無理。
文献は良く知らないが、書紀の紀年がおかしいというのはそれこそ昔から
言われていた話で何ら斬新じゃないと思う。古事記はなにも書いていないし、
崇神の没年干支は妥当なもの。
一部記述におかしいところがあるからと言って全否定したことが古墳時代
4世紀説の根拠になってしまったわけで罪は重いんじゃないの。津田らの
問題というより、これを検証もせず鵜呑みにした小林ら考古学者の側の責
任かもしれないが。
反対に、例えば原田のように全否定でなく、春秋年により長すぎる宝年の解決
を提案したような学者もいることは高く評価されるべきだな。



242 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:40:07
>期せずして>>214が書くように
>原田の特に晩期のものは確かにトンデモに走ってはいるが
>現在でも通用する部分の再評価は確実に行われている。
>ただそれを近畿の学者や大学がまったく無視しているかのような書き方には問題がある。
>むしろ九州の研究者より、若手を中心とした関西出身の学者のほうが、大六の功績を称えている。
最近の状況を言えばそうだが、かつてはほぼ無視ないし電波扱いされていたと言って
よい。寺沢のことを言っているかもしれないが、あそこまで九州のことを知っている
のは例外的。彼の最大の理解者はやはり柳田だと思う。電波扱いされていた原田の主
張を一貫して擁護した(当然批判もしているが)ことが、柳田自身の高い評価と相俟
って原田の再評価をもたらしたということだと思う。

>小林の理論がもはや通用しないというのは、同意。
>ただ三角を様式ごとに分類するとの基本案を提示した(今では相当に再分類されているが)のは功績だろう。
一般的に言えば。緻密に研究がなされることはいいことだろう。
しかし、△鏡はどう見てもかなり時代の下るB級葬送具であって、あそこまで熱心な論争に
値するものなのか疑問だ。明らかに最上位に位置する鏡である大型内行花文鏡について
、それこそシンポジウムでも開いて△の数分の1でも議論すべきじゃないの?



243 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:41:01
>>210
>ほとんど内容的に差異がない古墳が先行する古墳がほとんどない耕作不適応地に現
>れるにすぎない(近藤、寺沢、広瀬等)4世紀末

内容的に差異がなくても不思議じゃないでしょう。全国各地で前方後円墳祭祀やってる
わけだから。

244 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 18:44:32
>>242
一応魏の年号が入っている鏡もあるから議論は重ねるべきだと思いますがどう
ですか?

245 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:49:35
>223
>実際これは学者も含めて、どこかの征服か入植と見る向きは多かったのだ。
>ところが出るもの出るもの、すべてがこれを否定するものばかりで
>先に(史学氏だったっけ?)が述べていたように、当時の武器を復元したところ
>とても実戦で威力を発揮したとは思えないものばかりであり
デタラメ。そんなことは一度も証明されていない。
ちなみに史学のナントカの言っていることはほとんどトンデモ。

>また征服後の領地管理なども経済的にも人的にも不可能であろうと思われるほど
>各クニの経済基盤が拡大路線を取れるようなものではなかったとの推察がでなされるような遺物と遺跡しかない。
>これなど弥生中、後期に九州で、大小問わずの環濠集落が群雄割拠した理由でもある。
これもデマ。北九州内については、経済的流通と政治的連合の範囲が一致することが
完全に証明されている(そういうことの分かるほぼ唯一の地域でもある)。
群雄割拠ってのもデマ。後期に至っても伊都国、奴国を中核とした連合という性格は
何ら変わらないし、むしろ強化されている。


246 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 18:52:43
>>245
平塚川添遺跡なんかはどうなんですか?奴国の支配下にあったと245氏は考
えているんですか?

247 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:56:01
>244
>一応魏の年号が入っている鏡もあるから議論は重ねるべきだと思いますがどう
>ですか?
それは当然だ。
ただし、一部の学者のように特鋳ありきな議論にはついて行けない。
穴が方形だからと言って、魏鏡だとか言うもの強引だと思う。
柳田が国産鏡と言う平原の■鏡の穴も方形だったと思うが(間違っていたら
スマン)
また、「中国で出ないのは特鋳だから云々」という仮設の立て方が学問の
やり方としていいんだろうかという気がしますが。


248 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 19:06:50
>>247
返答ありがとうございます。確かにあなたの仰るとおりです。個人的に
は卑弥呼がもらった銅鏡は画文帯・TLV・内行あたりだと思いますが
・・・どうなんでしょう?

249 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:15:39
結局、東遷説が衰退した原因っていうのは、征服を思わせるような大規模戦争の
痕跡が何も見つかっていない。これに尽きるよな。

集落が環濠を埋めたのは自主的で、初期ヤマト政権に参画したためと。
倭人伝の卑弥呼共立の記述ともぴったりくるし。

250 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:17:06
>228等
>これもマキムク型をして古墳時代の開始と見るかどうかは、もう少し慎重になるべき。
>俺もどっぷり畿内説だが、まだそこまで先鋭的な見方はしていない。

別に普通の見方だと思うが。違うと言っている連中ってのは、たいていB級葬送具である
△配付を画期的だと言う人とか、マキムク型は箸墓と併行するという驚異の編年を信じて
いる人とか、桜井茶臼山が最初の古墳だと主張している人たちなんだが。

>それは現時点では考えにくい。
>伊都国東遷説氏ではないが、ここは彼の書き込みにもあるように
>マキムクのオウ(?)の副葬品や祭礼関連物が配下の伊都国王よりしょぼいのは、あまりに不自然。
>そのような従属関係よりも、やはりここは連合であり
>キムクは最初から王都として建設されたものではなく
>経済特区的な繁栄が先にあり、それを基に力をつけていったと見るべきだろう。

あそこが弥生時代に経済的に繁栄した証拠なんてない。
妄想だ。

>庄内開始が遡及すれば、その前提自体に疑問が生まれるのだが。
九州も併行して上がるだけ。

>庄内開始を2世紀前半とするなら、マキムク王権の成長過程に無理がなくなる。
>100年くらいをかけて、マキムク王権は強大化し、他国を差し置いて、
>魏皇帝よりの倭王承認得るに至る。
>今までの2〜30年でのマキムク王権成立説は、かなり無理のある解釈ではないだろうか?
編年は上がる可能性はあるものの、だからといって大きな権力のなかった畿内の先行遺跡
がほとんどないマキムクが突如誕生したことに何らは変わりないし、最初から伊都国、奴国地域
を除けば圧倒的な遺跡であることにも変わりない。




251 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:21:52
>249
>結局、東遷説が衰退した原因っていうのは、征服を思わせるような大規模戦争の
>痕跡が何も見つかっていない。これに尽きるよな。
またウソを言う。
当時の高地性集落の分布は、戦国期の山城の分布に次ぐ。
各地で戦闘が行われていた可能性については、誰も否定していない。
大規模戦争の可能性がなかったというのはデタラメも著しい。



252 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 19:30:21
>>249
残虐な戦争の本場・中国では、「史記」には長平の戦で白起は四十五万
人を殺戮したはずなのに長平ではまだそこまで見つかっていません。
規模が明らかに小さい日本では見つかる可能性も比例して低くなると思
いますがどうでしょう。

253 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 19:32:18
須磨楚。日本語おかしいですね。
「殺戮したはずなのに」・・・殺戮したと書いてあるのに

254 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:40:32
東遷説の奴は決め付けばっかりでぜんぜん論理展開がないな。
ここは、素人が多いようだから、一応説明しとく。
東遷説ってのは学問史的には中山平次郎、原田大六皇国史観コンビ
が小林行雄の伝世鏡論、同範鏡論によって完膚なきまで論破される
とともに、森浩一らの三角縁神獣鏡国産論が同鏡の特鋳説によって、
同じく論破され、福永伸也らの詳細な研究によって完全否定される
に至ったことによって、現在では主張を停止している化石のような
存在だ。以来、森は学会傍流、原田は電波とされ、完全無視されて
いる。もちろん津田右左吉以来の文献批判により文献史学の立場
からも否定されている。
「新しい教科書を作る会」と同様に皇国史観ウヨの撫留史観という
べきオタンコ茄子学説だ。

皇国史観野郎は、顔を洗って出直して来い!






255 :ゴジンム:2006/03/26(日) 19:48:08
神州ハ不滅ナリ

256 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:59:37
論破=誤りとの認識しかない「(>_<)」奴

257 :1001:2006/03/26(日) 20:06:20
>>254 

私は別に「東遷」論者ではありませんが・・・・

 「伝世鏡論、同範鏡論によって完膚なきまで論破」
 「福永伸也らの詳細な研究」

数の多い△鏡を仔細に観察・検証した研究の過程、
そして、その成果がすばらしいのは認めますが、
「伝世」とか「特鋳」というのは、「すばらしい成果」から先の「推論」部分でしょう。
例えば「特鋳」ですが、△は楽浪出身の技術者集団が倭に移住してきていれば、
国内在来の青銅鋳造施設でも作れる程度のものですので、
他説を「論破」したなどと豪語できるものではないと思いますが?




258 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 20:13:40
>>251
高地性集落は政治的混乱を示しているだけでしょ。実際戦争のあった痕跡が無いとね。
環濠集落・高地性集落は防御施設でもあり、もし北部九州の大規模遠征が本当にあったのなら、
それらしい戦争の痕跡が出てきてしかるべき。

また、本当に北部九州が畿内を征服したのなら、戦火の燻る中、拠点集落の環濠を
一斉に埋めるなんてことはしないだろう。

やはり、庄内初めに征服などのような物々しいモノじゃなく、政治的安寧が達成された
と考えるべき。それが、豪族たちの連合(プレヤマト政権)の誕生なのだろう。

259 :1001:2006/03/26(日) 20:16:54
>>237
>畿内弥生集落の解体、高地性集落の分布、畿内弥生文化の
>痕跡が突如として祭器レベルに至るまで根絶している

でも、それって「畿内」に限らず、他の地域でも多かれ少なかれ存在する現象ですよね。

260 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 20:30:12
>>239
>王権祭祀そのものがほぼ北九州そのままなのに

その割には発生期の前方後円墳が、北九州では少ないですね。
前方後円墳はやはり畿内(東瀬戸内?)で誕生したのではないでしょうか。

261 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 20:41:03
>>259
実際、青銅祭器を棄てて古墳祭祀に移行するのは、畿内だけじゃなく全国的に起きている現象。
遠隔地交易の活発化で、地域ごとの連携、豪族連合が進んだためだろう。
吉備、筑紫、出雲などのように、一つの政治勢力に収束してくる。
庄内初めに、大和川水系(河内・大和)でもそのような現象が起きたに過ぎない。

262 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/27(月) 08:09:26
>>254
東征はナンセンスだと思いますが、東征説が窮地に立たされたのは古墳時代の
始まりが遡ったからでは?

263 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:51:41
>258
>高地性集落は政治的混乱を示しているだけでしょ。実際戦争のあった痕跡が無いとね。
>環濠集落・高地性集落は防御施設でもあり、もし北部九州の大規模遠征が本当にあったのなら、
>それらしい戦争の痕跡が出てきてしかるべき。

北九州内に高地性集落はほとんどなく、あるのはそのおもに周辺なので明らか
に関連している。
第一次(瀬戸内)の高地性集落の後、銅釧など北九州形の青銅祭器が拡散し、
第二次(畿内周辺)の後、北九州の王権祭祀が拡大しているので関係ない
というのは考古学的に成り立たない。


264 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:55:55
>261
>実際、青銅祭器を棄てて古墳祭祀に移行するのは、畿内だけじゃなく全国的に起きている現象。
>遠隔地交易の活発化で、地域ごとの連携、豪族連合が進んだためだろう

時期や終わり方の様態が全く違う。
銅鐸は末期には意図的に破砕されている。
銅矛は庄内でも続いてるし、銅鐸のように存在が忘れられたというものではない。


265 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:57:56
>260
>その割には発生期の前方後円墳が、北九州では少ないですね。
>前方後円墳はやはり畿内(東瀬戸内?)で誕生したのではないでしょうか。
前期古墳は、大和以外では圧倒的に北九州に集中。
なんでも瀬戸内という学者は多いが、
明らかに過大評価。


266 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:11:11
みなさん、冷静に議論しましょう。
ところで、魏書三十巻の構成をあらためて、一見したく存じまして書くと
第一が武帝紀、第二が文帝紀、第三が明帝紀、第四が三少帝紀ですね。
卑弥呼が俾弥呼という字体ですが、卑弥呼の初見は第四の三少帝紀です。
ご承知のとおり曹操が武帝、曹丕が文帝、曹叡が明帝です。
三少帝紀という意味は、3人の幼いもしくは若い帝という意味であり
斉王、高貴郷候、陳留王です。陳留王が魏の最後の皇帝で帝位は晋に簒奪されます。
さて、第五巻は后妃伝です。
第六巻から第二十九巻は、いわゆる人物列伝です。
そして第参十巻が烏丸・鮮卑・東夷伝ですね。倭人伝はその最末ですね。
西域伝もありませんし司馬イやその子の師や昭及び孫の炎の伝はありません。
洛陽遼東間の里程は四千里と明帝紀に記してあります。
高句麗は遼東郡の東千里と東夷伝の高句麗伝に記してあります。
つまり実際の地理と整合しています。
しかるに帯方郡から朝鮮半島の狗奴韓国までが七千里と陳寿はあえて記した
のです。誇張であることは、ここにおいて明白だといえるものなのです

267 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:37:11
>>266 圭角さん、長文乙です。
でも、その割には、何が言いたいのか全く判りませんが・・・まあ、おやすみなさいです。

268 :1001:2006/03/28(火) 00:51:35
>>263 「北九州内に高地性集落はほとんどなく、あるのはそのおもに周辺なので」

 そんなこと言ったら畿内だって「周辺」が多いでしょう。
 もともと、狼煙台、見張台のような機能が中心の施設だと思われるので
 領域の周辺、高みに集中するのは当然。
 ただ、高地性集落の消長=緊張関係の消長であることは確かでしょうね。

>>265 「前期古墳は、大和以外では圧倒的に北九州に集中。」

 前方後円墳の成立に与えた影響の有無が問題なので
 「成立」後の完成物の存在を主張されても・・・

269 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/28(火) 04:57:56
古い話題だが

>>225-226
君は古地図を全く知らないね。勉強しなさい。

河内湾が上町台地の東側にあり大和川(現在の石川)は北上して八尾あたりで湾に流れ込んでいた。
堺方面大阪湾に大和川を付替えたのは太閤秀吉の時代。
神武が上陸した「日下(くさか)」の北方にある「枚方(ひらかた)」は河内湾に流れ込む淀川河口にあった「ひら潟」である。
大阪城北側の低地は、河内湾の排水をよくするための仁徳期の人工水路。後に淀川本流も流す。
上町台地は中之島大川を越えて北に伸びていた。
8世紀初頭の西中島近辺には未だ淀川大和川共通河口部で島がいくつか(中島・柴島(くにしま)・淡路島・飛島等々)あった。
そのひとつの島(名前を忘れた、続日本紀に書かれている)に薩摩隼人が大和朝廷に招待されて一時住んだところ。
神武の上陸地点である「日下」は第一阪奈道路を生駒山越えして降りてきた所。
神武の時代の「日下」は河内湾の海と生駒山の山裾の狭い砂浜地帯。
近くの石切神社も近辺の多くの神社同様(住吉・今宮夷・天神・西宮夷等)に、海(河内湾)に接面した神社である。

南方(みなみかた)は南潟で上町台地の北端にあったのではなく、
中島の南側にあった潟とも考えられる。

270 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 00:00:57


271 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 00:02:48


272 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/29(水) 04:02:07
>>269
間違い修正

@大和川の付け替え工事は17世紀末。竣工は1704年。太閤秀吉期ではない。
A河内湾の時期:2世紀迄は湾であったが、2〜5世紀では河内潟と呼ぶ説もある。5世紀以降は河内湖。
いずれの説であれ神武が日下まで船で行けたことに変わりがない。
B上町台地から北に伸びる陸地は長柄砂洲と呼ばれている。仁徳期の放水路は長柄砂洲の付け根。(大阪城の北側=上町台地の北端=長柄砂洲の南端)
 南北に長い長柄砂洲は2個から数個の島に分断されることもあり、淀川大和川共通河口の中の島のひとつが中島。

273 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:06:30
神武東征伝承については、全くの架空ということはないでしょう。
少なくとも、記紀編纂当時には事実として「記憶」されてた訳だし。

しかし、日向発という辺りが非現実的だな。瀬戸内海での動向も、ただ単に北部九州→
畿内への実際の停泊地を並べているだけで信憑性は薄いだろう。

だが、畿内上陸からは物語は急にリアルになる。

葛城王朝初代大王の畿内征服の記憶の残滓か。もしくは応神の時の、
河内王朝による王位簒奪戦争の頃のそれか。

274 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:20:27
旧態依然の東遷議論で話が逸れてしまいましたが、そろそろ
>>223さんが提示された「マキムク市説」の妥当性について議論を再開
してはどうでしょうか?

275 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/30(木) 22:27:31
大和には、他の国々が欲しがるような物資があったのでしょうか?何か無けれ
ば、わざわざ大和盆地に人が来ることは無いと思いますが・・・

276 :1001:2006/03/31(金) 00:43:46
>>275
だから、生産地ではなく、「市(流通拠点)」なのであろうということでしょう。
東海や瀬戸内から物資を持ち寄って交換し合ったのではないかと。
そこで交易された「商品」ですが、宝飾品や石製・青銅器製利器の類は、
「埋蔵」と言う形で残るものもありますが、大部分は農産物等の消費財でしょう。
米や塩、それに皮革製品、油脂類などもあったと思われます。

277 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 07:20:34
当時の最大の『商品』は人間。

278 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 10:31:57


279 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 19:29:49
>>1どこにあったか、よりもどんな国だったかの方が重要じゃん?www

280 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 22:22:54
>>276
>大部分は農産物等の消費財でしょう。
>米や塩、それに皮革製品、油脂類などもあったと思われます。

それじゃあ、唐古鍵とかの、地域経済圏の拠点集落と変わらんでしょ。
地域経済内部で賄い得る範囲だ。
遠隔地交易でしか入手出来ない鉄資源の枯渇でしか、庄内期以降の激変は
語れないのでは?
マキムクの卓越性は、「市」仮説では説明出来ない。

281 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 23:14:08
>>280
鋭い指摘だね、確かによほどの大量需要が各地に発生しないと
そういった従来から近隣でまかなえるものに対して、ここまでの大事業を敢行しない。
しかも各地域が温度差こそあれ、いくばくかの積極性を持って参加しているのは間違いない。

ただそれがストレートに鉄資源に繋がるかどうかが疑問なんだ。
確かに鉄確保のルートを本州の各クニが渇望していたとは見てよい。
だが伊都国氏のいうように、もし主導的役割を北部九州が演じていたとするならばその見返りは何だ?
何のメリットがあってわざわざ北部九州は、東西の架け橋のような場所を新設したんだ?
これがまず第1の疑問。

282 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 23:20:39
従来同一時期と言われていた、
・卑弥呼共立
・マキムク(庄内)開始
この2つの事象は、庄内開始期の遡上により、数十年の開きが出てくる
ようになった。

畿内王権飛躍のプロセスには、実は2段階があったのではないか、と思われる。
@河内・大和の大和川水系豪族の連合政権成立、畿内王の誕生(庄内開始期)
A東海、吉備、筑紫などとの卑弥呼共立。中国皇帝による畿内王の倭王承認(布留開始期)

卑弥呼の墓と言われる箸中山古墳が布留0であることからも、充分推測された
ことであるが。

283 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 23:26:12
>>282
この場合、卑弥呼の鏡は、布留以降にしか出土しない三角縁神獣鏡になる。
一周回って旧説に回帰した感じだな。

284 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 23:26:14
さりとて、北部九州を除くいわば本州四国南九州連合が既得権の開放を迫ったとも
これまた考えにくい。
ちょっと前まではこれも立派な仮説だったが、やはり纏向の最初期祭祀形態は相当に北部九州を踏襲していると見るべき。
だがホケノ山で出土した鉄鏃の出所が問題をややこしくした。
特殊器台もそうだが、途中から北部九州の影響が次第に薄れており
代わりに吉備が影響力を強めている。
そしてその吉備さえも、こんどは纏向そのものに飲み込まれていく。
無論、阿讃や出雲、東海、関東、南九州それに畿内も程度の差こそあれ、それは同じ。
要するにいつ、なぜ、纏向が逆転現象を起こしたのかが第2の疑問。

それに畿内自生説は確かに考えにくくなったが
銅鐸などと絡めて外部武力により根絶したとする形の外部主導説も、これまた考えにくい。
実際のところ両者とも極論過ぎて、ほとんど支持されていない。

285 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 23:49:46
現在有力仮説として構築されつつあるのは
@各クニが近隣との地域間交易では立ち行かなくなった。
A肥大化によってクニそのものの維持が極めて困難になった。
B土木、建築、工芸その他の新技術をどのクニも渇望した。
Cもちろん公孫氏の滅亡などの半島情勢や大陸の後漢滅亡も大きく関係している。
Dそれにより北部九州の絶対的優位性が崩れたのも事実だろうし
同時に小規模ながら独自交易していた出雲、丹後などの日本海側の重要性も高まったのだろう。
Eいわば各クニは積極的な鉄器ルート簒奪よりも先に、緊急避難的な要素もあって連合(提携)せざるを得なかった。
Fこれはまだ仮説中の仮説だが庄内開始直前あたりに、深刻な冷害が続いたとの可能性も指摘されている。
Gつまりはどのクニも、お互いが生き残るために提携したのであり
よもやその後に纏向の一巫女が「女王」に認定され統括権を与えられるとは思っても見なかったのではないか?
Hましてやハイテク都市となった纏向が、元の各クニのオウ達を実力的にも凌駕するとまでは考えても見なかっただろう。
Iただし、いつ凌駕したかはぶっちゃけ判らん。考古的には纏向以降、文献的には応神以降の可能性だってある。

こんなところですが、どうですかね?



286 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:02:18
>>279
まさにそのとおり。
かつての九州説の根幹は「3世紀に西日本を包括していた権力は存在していなかった」というものだった。
その前提が完全に崩れ去った今、邪馬台国がどこにあったかなどよりも
「西日本どころか東海、北陸、関東にまで及んでいた仮称『倭王権(初期ヤマト連合でもよい)』がいかなるものであったかの方がより重要な課題。
文献をあれやこれやと自己流にいじる推理ごっこの時代など、とうの昔に終わっている。
これは九州説だろうが畿内説だろうが東遷説だろうが
暗号パズルがやりたい者は、専用スレ内で思う存分やればよい。


287 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:17:16
>286
そりゃまた、楽なお話になってきてるんですね。
で、初期王権の中心が大和になかろうと、
自分たちのやってきたことは正しかったと
言い張ろうとする気なんだろうなー。

自己批判できないって、こういうこと?


288 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:21:17
>>286
>西日本を包括していた権力は存在していなかった

これは今も変わらないでしょう。
少なくとも筑紫の繁栄は古墳時代前期まで継続しますし、卑弥呼は、
倭人伝でも書かれているように、あくまで共立王。各地の有力なオウたちに推戴された
ものであって、軍事的王者であった訳ではない。せいぜい宗教的権威くらいだろう。
倭人伝でいうところの鬼道、記紀では三輪山祭祀、考古学では前方後円墳体制か。

当初マキムク王権の支配領域は大和川水系を中心としたもので、西日本を包括し得たとは
思えない(というか証拠がない)。
伊都、奴、不彌、投馬などは、あくまで邪馬台とは別国として倭人伝でも記載されている。
邪馬台とはかなり対等同盟に近いものではなかったか。

289 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:28:55
>>285
庄内開始が2世紀前半まで遡れば、GHは成り立ちませんな。

290 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:29:09
>倭、なんてモロ文献使用じゃん。考古学を重視しそこから推論するなら
>一切文献捨てようぜ
>都合の良いとこだけ使用するから文献厨の横槍が入るんだ

291 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:35:32
>>290
当たり前のことだが、考古学だけ文献だけでは限界がある。
それらの融合が必要であるのに、それぞれの専門バカが、お互いを軽視し合い、
自分たちの専門分野を引用されると、「中途半端なつまみ食いはやめてくれ」と怒り出す。
本当に救いが無い。

292 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:43:44
>>291
>中途半端な融合ならしないほうがマシってもんだぜ>中途半端+中途半端=明るい古代史なんてチャンチャラもん、よりいっそうな中途半端な理論が出来上がりそうだ。

293 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 07:31:08
>>286
わたしは、比定というのは一種のパズルだと
思いますよ。考古学がそういう方法を
使っていないとは、思えないのですけど。
いや、方法論に関して言えば、現代のパズル
のほうが考古学より高級な気さえする。

>>292
恣意的に文献を使っていたのは誰でしょう。
それで、話が合わなくなると文献不要ですか。

中途半端にやってたのは誰でしょう?
中途半端にやらなきゃいいんじゃないの?
それができないのは実証的じゃない方法を
考古学者と歴史学者が使っているからじゃないの?
そりゃ、かみあわなくもなる。

294 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 09:02:28
>286
>わたしは、比定というのは一種のパズルだと思いますよ。
んなことはない、それは知的遊戯なのかも知れないが、少なくとも学問ではない。

>考古学がそういう方法を使っていないとは、思えないのですけど。
使っていません、全くね。

>いや、方法論に関して言えば、現代のパズルのほうが考古学より高級な気さえする。
単なる気のせい。
はっきり言えば、あなたは考古学はおろか文献検証の基礎さえ出来ていない。
古代史に興味があるようだが、今のあなたは1kmさえ走れないのにフルマラソンに挑戦するようなもの。

>恣意的に文献を使っていたのは誰でしょう。
誰ですか?安本ですか?古田ですか?
それとも今頃、本居や内藤や白鳥や榎なんかの批判ですか?

>中途半端にやってたのは誰でしょう?
>中途半端にやらなきゃいいんじゃないの?
あなたにその中途半端でない知識と見識があるようにはとても思えないのだが。

>それができないのは実証的じゃない方法を
>考古学者と歴史学者が使っているからじゃないの?
つまり学者がぼんくらばかりだが、自分は真実を知っているというやつですね。
妄想です、早期治療をお勧めします。

つーかわざわざ名無しを装って畿内説スレ荒らしにくるあんたの卑怯な性格はどうにかならんのか?
どんなに文体やアンカーで偽装しても、ホストが同じだwww


295 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 09:27:55
>>289
>庄内開始が2世紀前半まで遡れば・・・
このあたりを詳しく調べたいのですが、誰のなんという本を読めばいいですか?
また誰が提唱している説ですか?教えてください。

296 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:02:03
森岡秀人とか読めば。
AMSと年輪年代による科学年代の普及による。

297 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:04:56
>>294
まぁーまぁー
それも後僅かの辛抱、暫くすれば静になります
そうすれば貴方も小手として復活と、いう流れで如何でしょうか
めでたしめでたし。

ではではw

298 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:08:07
森岡は石野、寺沢、柳田と並んで200年頃の開始を提唱していなかったけ?
光谷も年輪年代との整合性から、同意見だったと思うが

299 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:18:14
どうでもいいが、2006/03/32(土)になってるな。
 

ミステリーだw

300 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:23:00
今頃気付いたのかよ・・・orz
今日は四月馬鹿だ
謎はすべて解けた

301 :1001:2006/03/32(土) 10:35:30
>>285
>Cもちろん公孫氏の滅亡などの半島情勢や大陸の後漢滅亡も大きく関係している。
>Dそれにより北部九州の絶対的優位性が崩れたのも事実だろうし
>同時に小規模ながら独自交易していた出雲、丹後などの日本海側の重要性も高まったのだろう。
>Eいわば各クニは積極的な鉄器ルート簒奪よりも先に、緊急避難的な要素もあって連合(提携)せざるを得なかった。

4の半島情勢の変化は、重要な(最大の?)ポイントだと思います。
弥生後期以前は、主として列島側からのアクセスで交易関係が成立していたが、
漢朝の混乱や公孫氏の興亡に伴い、半島側からの浸透力が増大したと言う点でです。
庄内期の直前辺りからは吉備・畿内等にも韓式(舶載・在地)土器が出現し始めることから
対半島交易は、日本海側だけでなく(中・南九州、東海を含む)西日本全体で活性化した
ように見えます。
これは、モノだけの移動の例もあるでしょうが、やはり人的移動による場合もあったはずです。
つまり、より広範囲ですが、5のような半島勢力と西日本各地との直接交易の拡大です。

しかし、いずれにしても北部九州の地位は「相対的」に低下しているわけですが、
6の「緊急避難的な要素」と言う表現は如何なものでしょうか?
変化は、それなりに緩やかで、極自然に推移したように思えます。
新ルールの構築と言うことでは同じですが、「交易ルートの多様化に伴う再編」くらいが妥当かと。









302 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 16:18:11
簒奪は帝位を奪い取ること。
鉄ルートは奪取って書いた方がいい。

303 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:02:47
後漢の影響力の低下、遼東の公孫氏の台頭で、北部九州の絶対的地位の
低下が起きたのだろう。
北部九州による半島との外交窓口独占が崩れ、畿内の新興をもたらす。
後漢よりの独立を目指す公孫度が、後漢の冊封を受けていた北部九州ではなく、
新興の畿内に肩入れした可能性が高い。
画文帯が畿内を中心に分布するのは、そうした経過によるものだろう。

304 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:09:53
190 公孫度、遼東、玄莵、楽浪の3郡を領有して自立
204 公孫康、帯方郡を設置(倭韓遂に帯方郡に属す)
238 魏、遼東の公孫淵を滅ぼす

305 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:40:00
>>294
287と293をかいたものだけど、このスレに書き込みしたのは
この2回ですよ。だれかと勘違いされてます?

ぜひとも「比定」とはどんなことなのか
教えてほしいです。私は勘違いしているの
かもしれません。
文献や遺物で位置を絞って、確実な物証を求めること
ではないのですか?私にとってそれはパズルです。
そのあとそれらのデータをもとに、秩序だった
一般性のある理論を組み立てていくのが
学問という感じです。

あと現在の実情を知らないので質問なんですが、
考古学者の大半は邪馬台国の位置論争はくだらないと
本当に思っているんですか?(データなしで理論を?)
それと畿内説にこだわらない(決め付けないほうがいい)
という人はどのくらいの割合いるのでしょう?

ちなみに私は畿内説でも九州説でもありません。

306 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:02:08
マキムクについての有用な文献を教えて頂けないでしょうか。

土器の編年についても、学説ごとにかなりの違いがあり、畿内説はマキムクを古く見ようと
する傾向が強すぎるように思いますが、この方面の有用な文献も教えて頂けないでしょうか。

307 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:31:14
>>306
>畿内説はマキムクを古く見ようとする傾向が強すぎるように思いますが

これって、畿内説の学者が、中国の文献、倭国乱や卑弥呼共立の時期と
整合性を持たせようとしているからだよな。
今までの絶対年代がいかにいい加減に決められていたか、だ。

308 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:24:52
かなり前ですが、ある大きな博物館で有名な遺蹟の遺物の年代をどのように決めたのか?と聞いたところ、カンセイによる。
と力強く答えてくださいました。

309 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 10:47:00
いい加減に決めるしかなかった、だろ。
貨泉とかが共伴すればともかく、実年代の測定は、ある程度文献との妥当性から推測
するしかなかった。ていうか、それしか方法がなかった。
考古学者の責任じゃない。

310 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 12:48:47
>>304
おそらく204年の「倭韓遂に帯方郡に属す」の時に、
筑紫→大和への政権移譲があったんだろうな。

311 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:12:46
>268
>そんなこと言ったら畿内だって「周辺」が多いでしょう。
>もともと、狼煙台、見張台のような機能が中心の施設だと思われるので
>領域の周辺、高みに集中するのは当然。
はあ、後期の畿内の高地性集落は大和盆地や和泉平野にあるんだが。

> 前方後円墳の成立に与えた影響の有無が問題なので
> 「成立」後の完成物の存在を主張されても・・・
北九州に前期古墳が少ないというデマを言う奴がいたので教えてやっただけだ。
>しかし、日向発という辺りが非現実的だな。瀬戸内海での動向も、ただ単に北部九州→
記と紀の一書は、「筑紫の日向」「韓国に向かい」とある。
考古学的にも北九州以外ありえない。

>の畿内征服の記憶の残滓か。もしくは応神の時の、
>河内王朝による王位簒奪戦争の頃のそれか。
葛城王朝や河内王朝なんてのははるか昔の珍説で今では誰も支持していない。


だから、生産地ではなく、「市(流通拠点)」なのであろうということでしょう。

東海や瀬戸内から物資を持ち寄って交換し合ったのではないかと。
そこで交易された「商品」ですが、宝飾品や石製・青銅器製利器の類は、
「埋蔵」と言う形で残るものもありますが、大部分は農産物等の消費財でしょう。
米や塩、それに皮革製品、油脂類などもあったと思われます。



そんな基本的なことも知らないのかよ。





312 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:17:40
>274
>>223さんが提示された「マキムク市説」の妥当性について議論を再開
>してはどうでしょうか?
後期にマキムクの地に市があったというような物証は一切ない。
考古学的な物証が一切ない妄想をどう論じるんだよ?


313 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:48:54
少なくとも、征服を思わせるような物証もないわけで。
征服じゃなくて、マキムクがどうやって突如発生したかの議論。


314 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:50:54





315 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:51:56
>283
>@河内・大和の大和川水系豪族の連合政権成立、畿内王の誕生(庄内開始期) ちょっと前まではこれも立派な仮説だったが、やはり纏向の最初期祭祀形態は相当に北部九州を踏襲していると見るべき。
「大和川水系豪族の連合政権成立」「畿内王」なんてものは一度も照明されたことはない。




316 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:52:28
>285
>現在有力仮説として構築されつつあるのは
>@各クニが近隣との地域間交易では立ち行かなくなった。
こんな証拠はどこにもないし、そもそも証明不能。

>A肥大化によってクニそのものの維持が極めて困難になった。
もっとも肥大化している北九州の王権は相変わらず繁栄(平原等)し、
他地域への影響を強めている可能性が高く(潤地頭給遺跡)、
鉄器、土器から見て半島との海外との交易は相変わらず続くので却下。

>B土木、建築、工芸その他の新技術をどのクニも渇望した。
証明しようがない意味のない仮説。

>Cもちろん公孫氏の滅亡などの半島情勢や大陸の後漢滅亡も大きく関係している。
>Dそれにより北部九州の絶対的優位性が崩れたのも事実だろうし
平原の副葬は圧倒的だし、半島との交易の衰退はほとんど見られない。
考古学的証拠が一切ないデタラメな仮設だな。

>同時に小規模ながら独自交易していた出雲、丹後などの日本海側の重要性も高まったのだろう。
日本海側の交易は、圧倒的に北九州経由。



317 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:55:47
>>315
祭祀形態は北部九州だけじゃなく、各地のそれのパッチワークでしょう。

318 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:57:48
>Eいわば各クニは積極的な鉄器ルート簒奪よりも先に、緊急避難的な要素もあって連合(提携)せざるを得なかった。
>Fこれはまだ仮説中の仮説だが庄内開始直前あたりに、深刻な冷害が続いたとの可能性も指摘されている。
>Gつまりはどのクニも、お互いが生き残るために提携したのであり
>よもやその後に纏向の一巫女が「女王」に認定され統括権を与えられるとは思っても見なかったのではないか?
>Hましてやハイテク都市となった纏向が、元の各クニのオウ達を実力的にも凌駕するとまでは考えても見なかっただろう。
>Iただし、いつ凌駕したかはぶっちゃけ判らん。考古的には纏向以降、文献的には応神以降の可能性だってある。
前提が間違っているので、論評しようがないな。
ひとつ言えるのは、纏向の一巫女が「女王」なんて物証はどこにもない。
そもそもマキムクに先行遺跡はないし、その祭祀形態は北九州ほぼそのまま。

319 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:01:27
>>318
>その祭祀形態は北九州ほぼそのまま。
畿内は公孫氏から入手した画文帯を尊重したからな。北部九州がそのままという
のは違和感がある。

320 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:07:11
まあ、伊都国東遷説さんが何と言おうと、北部九州が畿内を征服した物証なんて存在しないわけで。
北部九州の葬送儀礼がマキムクで採用されているにしろ、それは採用されたに過ぎない、とも言える。
征服とか入植じゃないと説明出来ないわけじゃない。

それを踏まえた上で、征服ではなく、マキムクが突然誕生した理由を考察すべきなんじゃないか、と。

321 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:10:16
>301
>4の半島情勢の変化は、重要な(最大の?)ポイントだと思います。
>弥生後期以前は、主として列島側からのアクセスで交易関係が成立していたが、
>漢朝の混乱や公孫氏の興亡に伴い、半島側からの浸透力が増大したと言う点でです。
これも物証がない意味のない仮説だな。

>庄内期の直前辺りからは吉備・畿内等にも韓式(舶載・在地)土器が出現し始めることから
>対半島交易は、日本海側だけでなく(中・南九州、東海を含む)西日本全体で活性化した
>ように見えます。
北九州に比べれば、微々たる量。残念ながら楽浪土器等は、マキムクにすらあまりない。
土器の交易が活性化するのは庄内以降(北九州及びその周辺は別だが)。

>これは、モノだけの移動の例もあるでしょうが、やはり人的移動による場合もあったはずです。
例えば、潤地頭給遺跡には山陰の人間が玉器という威信財を作らされているらしき遺跡がある
わけだが、畿内にはもちろんそんなものはない。そもそも王権がないんだから当然なんだが。

>つまり、より広範囲ですが、5のような半島勢力と西日本各地との直接交易の拡大です。
これも妄想。北九州経由が圧倒的。

>しかし、いずれにしても北部九州の地位は「相対的」に低下しているわけですが、
これも妄想。物的証拠が一切ない。



322 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:12:10
>ひとつ言えるのは、纏向の一巫女が「女王」なんて物証はどこにもない。

マキムク=邪馬台国と考えた場合、卑弥呼は三輪山の神妻であった蓋然性が高いと思われるが。

323 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:14:50
>288
>少なくとも筑紫の繁栄は古墳時代前期まで継続しますし、卑弥呼は、
>倭人伝でも書かれているように、あくまで共立王。各地の有力なオウたちに推戴された
>ものであって、軍事的王者であった訳ではない。せいぜい宗教的権威くらいだろう。
>倭人伝でいうところの鬼道、記紀では三輪山祭祀、考古学では前方後円墳体制か。
三輪山祭祀は、もっと後。最初の祭祀は平野部だが。少しは勉強しろ。

>当初マキムク王権の支配領域は大和川水系を中心としたもので、西日本を包括し得たとは
><思えない(というか証拠がない)。
これはデタラメ。マキムク型前方後円墳及び庄内の分布等から北九州から東海に及ぶ。

>伊都、奴、不彌、投馬などは、あくまで邪馬台とは別国として倭人伝でも記載されている。
>邪馬台とはかなり対等同盟に近いものではなかったか。
考古学的には、そもそも弥生の畿内に王権の存在は証明できない。


324 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:21:53
>>323
三輪山は禁足地があるから。マキムクが三輪山山麓に造られたのも、
弥生時代より三輪山祭祀があったためと普通は考えられている。
考古学を重視し過ぎるというか、専門バカというか。

325 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:26:10
>>323
マキムク型があるから直接支配した、って無理あり過ぎだろ。
せいぜい、影響力を持っていたくらい。
倭人伝の言うところの共立の意味をどう捉えているのか?


326 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:28:10
>306
>土器の編年についても、学説ごとにかなりの違いがあり、畿内説はマキムクを古く見ようと
>する傾向が強すぎるように思いますが、この方面の有用な文献も教えて頂けないでしょうか。
今は、そんなに違いはない。
安本がよく引いている関川編年とか嘗てスタンダードだった(非常に残念なことだが)
佐原編年は過去の遺物で誰も使っていない。
>307
>これって、畿内説の学者が、中国の文献、倭国乱や卑弥呼共立の時期と
>整合性を持たせようとしているからだよな。
>今までの絶対年代がいかにいい加減に決められていたか、だ。
それは昔の話だし、主に近畿の学者だけ。九州の学者の土器編年は青銅器の年代
との凸合で決めていたし、昔から今とあまり変わっていない。

>309
>いい加減に決めるしかなかった、だろ。
>貨泉とかが共伴すればともかく、実年代の測定は、ある程度文献との妥当性から推測
>するしかなかった。ていうか、それしか方法がなかった。
>考古学者の責任じゃない。
九州の学者はそんなことをしていないのだが。
四世紀初頭の大王とある文献にある崇神天皇は、10代目の天皇であると記紀等の
文献にははっきりと書いてあるわけで、文献屋が勝手に古墳時代は4世紀初頭開始と
「解釈」しただけだろ。こういう間違った「解釈」をそのまま鵜呑みにして、「伝世鏡説」
なる珍説を編み出した小林らの責任がないわけがない。




327 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:28:28
>>323
>考古学的には、そもそも弥生の畿内に王権の存在は証明できない。

卑弥呼の時代は、庄内や布留の頃だろ。


328 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:32:46
>319
>畿内は公孫氏から入手した画文帯を尊重したからな。北部九州がそのままという
>のは違和感がある。
平原の時点でそういうものが入っていないだけの話。
別の奴が言っていたように、確実に庄内の画文帯がほとんどないことから、
そもそも△の前に画文帯というのは岡村の仮説にすぎず、他の鏡と一緒に
後で入ったと見るべきだな。
それに、布留段階でもあくまで最上位は、内行花文鏡でありこれは一貫している。


329 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:32:47
>九州の学者の土器編年は青銅器の年代との凸合で決めていたし、昔から今とあまり変わっていない

青銅器の実年代はどうやって分かるのでしょうか?

330 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:37:54
>322
>三輪山は禁足地があるから。マキムクが三輪山山麓に造られたのも、
>弥生時代より三輪山祭祀があったためと普通は考えられている。
それは君の妄想。
考古学者は、三輪山祭祀はもっと後ということで一貫している。
弥生時代に禁則地があったという証拠を出せよ。
>考古学を重視し過ぎるというか、専門バカというか

記紀にも、三輪山祭祀は、崇神からと書いてあるのだが。
考古学にも、文献にも反している珍説としかいいようがないね。

331 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:40:37
>>330
禁足地は現在の話。だから発掘調査が出来ない。

332 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:46:56
>>330
崇神の実年代を知っているなら教えてもらいたいものだ。
行灯山の築造年代じゃなくてね。
記紀では紀元前の人物になっているが。


333 :1001:2006/04/03(月) 00:14:55
>>318 「祭祀形態は北九州ほぼそのまま。」

そんなこたあ無いでしょう。
逆に、直接的な影響は、ほとんど見えない。
墳丘は畿内を含めた東瀬戸内から、箱式石棺は吉備から、
鏡や剣の副葬は、河内・播磨などにも見られる。
その他、貴方が「北九州」的と思もっているもののほとんどは、吉備等を経由したもの。

>>321

何度も「物証が無い」とか「妄想」、「妄想」とか念仏のように繰り返していますが、
「庄内期の直前辺りからは韓式(舶載・在地)土器が出現し始める」にだけは、
「北九州に比べれば」と逃げてますね。
誰も庄内期以前に畿内が北九州を凌駕していたなどとは思っていませんよ。
態々そんなことまで説明してくれなくても結構です。
そんなことより、他人の一つながりの文章を勝手に切り刻んでまで手間ヒマ掛けて
ご苦労なことですが、「北九州に比べれば」少なくても「瀬戸内・畿内」にも「物証」が
登場したことを「認めて」いるなら、それが前提の後段の部分について
『物証が無いから妄想』と決め付ける論法は矛盾の極みでしょうにw






334 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/03(月) 10:21:29
>>328
ホケノ山の画文帯神獣鏡はどう説明されるんですか?

335 :pulm ◆RvhHf7kqyY :2006/04/03(月) 16:40:45
>>334
参考になれば ホイ!
http://mb.mobile.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=bcygobf9qoc0aha4ac9a5a4ada4jbfmbd8a4dea4la1aa&.sid=1835208&mid=39321&k=0ufdj8l1lbjgf1hz4bcf

336 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:24:53
ホケノの木棺、放射性炭素で年代測定してたよな。
三角縁の布留、箸墓より先行してたのは間違いないだろう。

337 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 11:48:16


338 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/05(水) 13:21:11
>>336に禿胴。

339 :1001:2006/04/06(木) 07:12:51
ホケノと言えば堂の後との先後関係はどうなったのでしょうか?
以前、別スレで『春になったらトレンチが入る』
と言う関係者ぽい書き込みがありましたが。

340 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:04:05
>320
>まあ、伊都国東遷説さんが何と言おうと、北部九州が畿内を征服した物証なんて存在しないわけで。
>北部九州の葬送儀礼がマキムクで採用されているにしろ、それは採用されたに過ぎない、とも言える。
>征服とか入植じゃないと説明出来ないわけじゃない。

これは逆。
高地性集落の配置(一次→二次の東遷、畿内中枢地への配置)から征服説は、倭王権
の外来説の中では唯一の考古学的な物証のある学説。
一部の懲りない文献屋が唱えている(らしい)、
@マキムクOR大和盆地(弥生時代の)の流通ネットワーク中心説
A精神的求心力説(三輪山祭祀、唐古・鍵の女王卑弥呼など)
は、今のところ考古学的な物証が一切ない。
@については、むしろ後期の畿内は流通が崩壊した状態(石器の減少、集落の高地化)
にあることから考古学的に全く成り立たないし、Aについては三輪山祭祀が四世紀以降
であることから成り立たないという調子だ。

>それを踏まえた上で、征服ではなく、マキムクが突然誕生した理由を考察すべきなんじゃないか、と。
別に征服でいいよ。




341 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:06:38
>331
>禁足地は現在の話。だから発掘調査が出来ない。
こりゃ、とんでもないウソだ。
とっくに発掘例がある(山の神等)。
これらは、弥生時代なんかではなく古墳前期以降のものというのが証明されている。

>332
>崇神の実年代を知っているなら教えてもらいたいものだ。
>行灯山の築造年代じゃなくてね。
>記紀では紀元前の人物になっているが。
これもひどいデマ。
記の崇神没年干支は、一般的に318年とされている。

>333
>そんなこたあ無いでしょう。
>逆に、直接的な影響は、ほとんど見えない。
これも完全なデマ。
前期古墳の条件として必ず挙げられる鏡、鉄器などの大量副葬や
割竹型木棺は、北九州。加えて平原の大柱、新嘗との関係など神社
祭祀との一致は否定しようがない。



342 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:09:07
>墳丘は畿内を含めた東瀬戸内から、箱式石棺は吉備から、
前方後円墳の祖形については、諸説あって統一した見解がない。
ざっと見ても、
○形が似ているから突出部が2本でも吉備だ(近藤等)
○方形周墓の通路が発展したんだ(都出)
○平地でにあるところが似ているから近江だ(丸山、福島)
○そもそもそんな円に突出なんてのは、どこでも発生するので
 弥生墳墓からでなく中国の天円地方だ(寺沢等)
○神仙思想で壷だ(清水、原田等)
○天才的イデオローグの創作だ(広瀬)
と主要な学者を見てもこの有様。
そもそも弥生時代の「東瀬戸内」に統一した政治権力など全く認められない。
それに箱式石棺は、九州特有の形態なんだが、そんなことも知らないとは呆れるな。

>328
>ホケノ山の画文帯神獣鏡はどう説明されるんですか?
ホケノ山は土器や鉄鏃から見て、庄内3か布留0くらいの微妙なところで
箸墓の直前くらいでしかない。仮にホケノ山が庄内としても庄内の画文帯
は非常に少ないことには代わりはない。





343 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:11:37
>>341
>記の崇神没年干支は、一般的に318年とされている。
お前、文献知らな過ぎ。恥かくからやめとけ

344 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:23:49
旧態依然の伊都国東遷説が来ないとスレが伸び悩む、っていうのも
悲しい話だ。

345 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:39:41
>318
はあ、一般的な見解だが。
田中卓258年をとる奴もいるが、一般的ではない。



346 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:43:06
>344
論理的に反論できないからって、中傷に走るとは哀れだな。
そんな暇があったら「マキムク市論」とやらの物証を早く出せや。


347 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:48:17
ここでは一次資料に基づいた実証を欠いた空想的な推論が
跋扈していますね。みなさんに弥生時代の集落研究からこ
れまでに判明している考古学的事実を説明しましょう。

まず、古墳時代前期の首長は弥生時代の農業共同体の領有圏
の一単位を基礎としていること、かつ当該領有権の範囲が古
墳時代にも継続していることがこれまでの弥生集落の詳細か
つ膨大な発掘調査及びそれに基づく厳密な考証により判明し
ています。

加えて農業共同体を超える政治的結合体である首長自身も
このような特定の農業共同体の長であるとされていること
からも、東遷論のような全く実証を欠く結論ありきの空想
は否定されるでしょう。

学問は、机上で作られるものではありません。
威信財や鉄器の見せかけの豪華さに目を奪われ、弥生集落の一
次資料に基づく血のにじむような地道な調査や厳密な考証に基
づき、畿内経済社会=下部構造のあり方や変動を解明してきた
先学達の研究成果を無視することはおろかなことです。



348 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:52:17
鉄器流通については、出雲は北吉備経由で瀬戸内との関係が、
丹後は畿内との関係が推定される。
時代は少し新しいが、赤坂今井墳丘墓のように鉄の流通王みたいな勢力があった。
丹後の場合は消費人口も少なく、その多くを大消費地である畿内に流したのでは?

で、丹後はどこから鉄を入手したのか?
北部九州からでは無いと思います。
九州が輸入元であるなら消費地である畿内へ鉄を流すの瀬戸内経由が至当。
丹後を経由させる利点はないでしょう。
当然、韓人からの直接輸入だと思います。

弥生後期には、西日本全域に渡って韓人系の活動痕跡が増えます。
この時期に、九州の鉄独占状態は破綻したのではないでしょうか?

この時点でも鍛冶技術や前代からの蓄積量では九州が優位なのは間違いないですが。





349 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:59:01
自生説テンプレ
1.弥生時代の畿内勢力が倭王権の主体であり、鉄資源ルートを掌握して後漢の
  衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。
2.畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した
3.畿内の方形周こう墓は、墳丘墓文化に発展しうる。
4.個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
  となった。前代までの威信財が乏しくとも王権形成の母体となりうる。
5.初期古墳文化は、九州〜東海に渡る幅広い文化の集成であり、吉備や北部九州などといった
  単独地域の文化の担い手が遷移したとはいえない。



350 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:38:49
>>346
筑紫が東征したという説の最大の弱点が、筑紫地方に庄内期の
発生初期のマキムク型前方後円墳が存在しないこと。

351 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:42:54
>>345
だからさー。その没年がいかにして推定されたか知ってる?
いかにいい加減に決めたかが分かると思うのだが。

352 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:49:45
崇神崩御が318年だと、邪馬台国東遷説に有利なんだけどね〜

353 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:51:51
伊都国東遷説のアホが、意外と記紀重視だったことを知って驚いた。
見直したぞ

354 :1001:2006/04/07(金) 01:02:17
>>340

>高地性集落の配置(一次→二次の東遷、畿内中枢地への配置)から征服説は、倭王権
>の外来説の中では唯一の考古学的な物証のある学説。

庄内期になると畿内・東瀬戸内では防御的高地性集落のピークは過ぎている。
『一次→二次の東遷』とやらは、弥生後期に起きたと言いたい訳ですか?

それと、アナタ、他人の文章は、都合よく切り刻んでからでないとレス付けられないのですかw

355 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 06:20:06
東遷は東四国からだよ。
遺跡、遺物などのデータが少ないときは、
少ないことを考慮して作業仮説を立てて
もらわないとなあ・・・。

356 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:48:31
東征の総大将“五瀬”が、四国から岡山に渡り
岡山に本陣を設営し「出雲を攻略」大阪を攻めたが、大阪は中々しぶとく、播磨にて立ち往生!

357 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:04:40
>>350
>筑紫が東征したという説の最大の弱点が、筑紫地方に庄内期の
>発生初期のマキムク型前方後円墳が存在しないこと。
キムクでも確実に庄内といえるものは石塚、勝山矢塚など数基しかない
一般的に那珂八幡は庄内とされるし、畿内以外では圧倒的に前期古墳
は北九州に集中する(柳田)。

>351
>だからさー。その没年がいかにして推定されたか知ってる?
>いかにいい加減に決めたかが分かると思うのだが。
四世紀前半であれば、別に考古学的に齟齬はないが。
斎藤忠が崇神陵の年代から4世紀後半としていたが、今は全体的に
年代が上がっているので問題なし。

>352
>崇神崩御が318年だと、邪馬台国東遷説に有利なんだけどね〜
全然関係ない。崇神=神武説や九州説は滅亡したので「邪馬台国」
の「東遷」を唱える考古学者はいない。

>354
>庄内期になると畿内・東瀬戸内では防御的高地性集落のピークは過ぎている。
>『一次→二次の東遷』とやらは、弥生後期に起きたと言いたい訳ですか?
何が言いたいのかよく分からんが、第一次は中期、第二次は後期(石野)。
こんなの常識だろ。

>それと、アナタ、他人の文章は、都合よく切り刻んでからでないとレス付けられないのですかw
学問板でウソを書けば誤りを正されるのは当然のこと。もう少し考古学を勉強することだ。



358 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:18:31
@奴国⇒規模:二万戸
(現:博多を中心とする地域)

A不彌国⇒規模:千家
(現:宇美)

B投馬国⇒規模:五万戸
(現:玉名市を中心とする熊本県一帯)

C狗奴国⇒規模:?
(現:鹿児島県一帯)

D女王本国⇒規模:七万戸(現:宮崎・大分・福岡県東部一帯)

※奴国(博多湾)を起点に、反時計周りで水行二十日にて、奴国の南に位置する投馬国(現玉名市)に、
※投馬国から水行十日にて、投馬と狗奴の国境(現:県境付近)に、



359 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:19:08
県境付近から、陸行し、薩摩半島⇒大隅半島を経由し、宮崎海岸を北上⇒大分を通過し、
女王の都の有る (一月)
豊前国周防灘沿岸A地点に、

※女王の都(王宮)から⇒隣の斯馬国へ……諸国を経由し……⇒烏奴国⇒そして起点の奴国(博多)に、

これで九州島の規模の概略がつかめる
【水行三十日+陸行三十日+1500里弱】
※これは、女王の王宮への行程ではなく、あくまで九州島の規模の紹介文章です。

いい加減ちゃんと把握しよう。
最低限の常識です。



360 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:19:45
【女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國……】
※女王国の東、渡海すること千餘里に(四国)て
復有国(女王国の分国がある
四国の規模は
人長(手を広げ)三四尺を基準に測量すると四千餘里ほどだ
そして、邪馬壹国三十国体制の一員侏儒国(淡路島)がある
※四国・淡路島は、皆倭種である

『渡海千餘里』
九州と四国の最短距離地点(佐賀関⇔八幡浜)
当時佐多岬には道が存在していないので。



361 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:20:30
范曄は、陳壽の記事を見て、後漢時の四国を
【(自)女王國東(度)海千餘里至(拘奴國)雖皆倭種而不屬女王自女王國南四千餘里至侏儒國人長三四尺…】と、
『自』⇒女王の王宮が有る地点
『拘(狗)奴国』⇒一固有の国名ではなく倭種の営む社会と言う意味

後漢時の四国は、侏儒國と言っていた。皆倭種であり女王国に拘束支配されていたので、范曄は
狗奴國と書かずに、(拘)奴国とカキコし当時の状況を説明した。




362 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:31:12
毎度、コピペのような決め付けだけ。
議論にならん。
伊東さんと梅さんにはスルーしかないな。

363 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 05:32:17
東四国説を信ずる理由

1 大域的構造(24国)
畿内説も九州説も倭人伝に記された24国が
どこにあるのか、国名と地名と弥生遺跡を
対応させた詳細な比定地図がない。
大抵、21国の順序を保っていないか、
地名が対応しないかのいずれか。
さらに、なぜ24国しかないのか説明できていない。
「説」というなら以下のような地図を提示してほしい。
http://www.geocities.jp/yamatai4/

2 局所的構造(都)
東遷説の場合は記紀とのすりあわせのため、
記紀地名と地形と地名と遺跡が対応する必要がある。
時代については、卑弥呼を記紀の誰に対応させるかで異なる。
卑弥呼=天照大神だと弥生後期〜古墳前期の遺跡となる。
さらにイザナギ、イザナミ〜神武における婚姻、闘争の内容から、
偶然とはいえない狭い地域で対応すると考えられる。
たとえば、山と平地と海が近接している。
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/syuhen.html

3 東遷の考古学的証拠(墓制)
東四国の弥生末期の墓制と畿内との接続。
前方後円墳のルーツとされる萩原墳丘墓が近接する。
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2001/0920.htm
卑弥呼の墓の位置(鳴門市大麻山)は推測しているので、
知りたければあとは発掘するだけ。
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

他の説の方も、理由を挙げてもらえますか?

364 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:50:28
>363
読みました。力作ですね。
このスレッドでもっと詳しく説明してもらえませんか?



365 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:56:19
鉄器のない畿内王国が、朝鮮半島で列強を相手に戦争した?
ありえない。
九州王朝がなくて、日本列島の誰が当事国か?
法隆寺も、九州から移築した可能性が濃い。
九州元号も実在したと考えるほうが自然。
阿蘇山と金印も九州。
九州王朝の完全否定はまず無理だ。




366 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:58:27
九州王朝は確実に存在していた。彼の諸説はおかしな箇所が多少あるが、
畿内病者よりずっと正解に近い。
本国の記紀に自国の女王の話が猫の額くらい?しか記述が無くw
他国遠方の魏志倭人伝に本国の記紀と極端に違うはど詳細なる記述があ〜る。
当たり前だ。超遠方にある恒星の実態が記紀に記述が見えない。当然だ〜。w
遠すぎて誰も機内人が飛行できず、地球表面の機内にその情報が伝達できない。
だから載ってないわけだ。書こうにも書けな〜い。
機内病者は大和秘境からUFOにでも乗って中原に飛ンデモし、倭人伝にシナ人
に記述のお手伝いをさせた古代人がいるとでも思っているらしい。ww
もーそろそろ機内説者も断末魔の叫びをあげる頃合となった。
これを救うには遠い星から地球へやって来た奇跡の男の到着を大和奥地の
前人未到の秘境国にて、ひもじい論をしながら早く速くと待つほかはない。
おぉ、いつ現れるのか?ww クリプトン星か〜?はっはっは〜
スーパーマン、クラーク・ケントはいまいずこに〜〜?ww




367 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:59:33
邪馬台国畿内説は、大新聞が後援し、国や官が税金を投入して近畿の遺跡を
隅々まで繰り返し掘り返しても出土品は貧弱なありさま。

 民間で盛んに研究されている九州説優位はあきらかだ。この分では九州王朝も現実味を帯びてきた。
 最近は、古田武彦氏だけでなく弥生、古墳期の大和朝廷の九州支配に疑問を持つ人が
増えてきている。

 安本美典氏の研究も九州に倭国の中心があったというから、九州王朝の存在を
しだいに確かなものになってきた。




368 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:15:46
倭の五王は各天皇ではなく、主題で論じられている
女王国等の九州王朝とはまた別の、もう一つの九州王朝の王であり、二つの九州
王朝は互いに係わり合いがあった可能性があります。
それで、おおむね應神〜雄略、あるいは〜武烈世のころ、日本は
畿内の大和朝廷と、本筋の女王国とかの九州王朝と副次的ながら第二の九州王朝
たる五王朝の3本鼎立状態にあったということで、これが真であります。



369 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:18:07

結局、史学の徒さんは逃亡しちゃったんですね。
残念なことです。


370 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:21:36
>>357
>一般的に那珂八幡は庄内とされるし

三角縁が出土してるのに庄内かよ。
主体が…とかは、君がよく言う、「考古学的証拠がない妄想」

371 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:28:21
>>357
>四世紀前半であれば、別に考古学的に齟齬はないが。
>斎藤忠が崇神陵の年代から4世紀後半としていたが、今は全体的に
>年代が上がっているので問題なし。

だから、行灯山が崇神陵だと考古学的に証明されたのかよ。墓誌とか出てるのか?

「4世紀前半で問題ない」って、4世紀前半でない、たとえば258年ならどんな問題が
あるのか?

372 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:32:12
>288
>当初マキムク王権の支配領域は大和川水系を中心としたもので、西日本を包括し得たとは
>思えない(というか証拠がない)。
>伊都、奴、不彌、投馬などは、あくまで邪馬台とは別国として倭人伝でも記載されている。
>邪馬台とはかなり対等同盟に近いものではなかったか。

非常に重要な問題提起だと思います。
近年、古代の倭が中央集権国家ではなく、ギリシャに見られるようなポリス
的社会であり、軍事的にも倭王の統制というよりもポリスを構成する英雄達
の集団という性格を持つものであったということが認識されるようになりま
した。一時的資料に基づく武器を初めとする鉄器の流通、分布の詳細かつ緻
密な研究もこのようなポリス的社会論に大きな根拠を与えていることも見
逃せません。
一部に鉄器の東西格差を過度に強調し、鉄器による各地の流通の再編及び
これに伴う社会変革のダイナミズムを過小評価する動きが見られるようですが、
一時資料に基づかない結論ありきのものであり、評価には値しないと考えます。

373 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:37:31
>370
>三角縁が出土してるのに庄内かよ。
>主体が…とかは、君がよく言う、「考古学的証拠がない妄想」

それは第2主体部。これも常識。

なんで君は柳田、久住くらい読まないわけ?
どうせ安本や古田あたり読んで考古学分かったつもりに
なってるんだろうけどさ。
あまりにレベル低いよ。



374 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:40:34
大陸から直接畿内入りというのは出来にくい。九州内部へ行くのも畿内へ行く
のも、どちらも九州北部を通過するのが通常妥当な考えでしょう。
畿内の大和王朝と九州王朝は別であり、政権移譲的なことは神武が畿内へ行って
即位したときとなる。そこんところは古史古伝のウガヤフキアヘズ朝があったか
否かにかかわって来る。今んところ研究中です。
女王国系の九州王朝は崇神世のころで、五王国の始まりは應神世のころです

古田先生の説が臥海をひっくり返すことは時間の問題だ。
かなり、長い年月はかかるだろう。先生の説が天下をとることは太国が保障する。
従って、いずれこっちのほうは臥海は断末魔の様相を呈するときが遠い将来
に眼に見えている。w



375 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:42:58
范曄は、陳壽の記事を見て、後漢時の四国を
【(自)女王國東(度)海千餘里至(拘奴國)雖皆倭種而不屬女王自女王國南四千餘里至侏儒國人長三四尺…】と、
『自』⇒女王の王宮が有る地点
『拘(狗)奴国』⇒一固有の国名ではなく倭種の営む社会と言う意味

後漢時の四国は、侏儒國と言っていた。皆倭種であり女王国に拘束支配されていたので、范曄は
狗奴國と書かずに、(拘)奴国とカキコし当時の状況を説明した。



376 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:45:23
>>373
だから、那珂八幡が庄内だという考古学的証拠を明示してもらいたい。
それがないと、妄想なんだろ?

377 :太国:2006/04/08(土) 10:47:23
>>374
余の書き込みではないです。w

378 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:53:35
>>374
>大陸から直接畿内入りというのは出来にくい。九州内部へ行くのも畿内へ行く
>のも、どちらも九州北部を通過するのが通常妥当な考えでしょう。

何度か書いたが、東瀬戸内と北部九州は、後代に至っても大陸交易での利害対立関係にあって、
けっして北部九州が独占していたわけではない。
少なくとも、庄内、畿内王権が誕生して以降は。

379 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 12:31:16
昨日からの惨状をみるに、ここはもうダメだね。

380 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/08(土) 12:41:23
>>358-361そして>>375
コピペ乙!

しかし、こんな所で垂れ流してもムダだからヨシナ。

381 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 12:48:12
津古生掛は庄内だろうが、小さいし玄界灘から遠過ぎるし。
千葉の神門と同じような存在なんだろう。

382 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:16:49


383 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:19:32


384 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 20:36:48
那珂八幡の三角縁は椿井大塚山の同笵鏡。
那珂八幡を前方後円墳の走りとするのは、どだい無理な話。

385 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:01:02
平原王墓は内行花文鏡と方格規矩鏡の出土のみ。大和に簒奪される以前、
北部九州での権力の象徴は方格規矩鏡であった可能性が強い。

政治の中心が大和へと移動、前方後円墳が造営され始めると、
画文帯神獣鏡の出土が急増する。

画文帯神獣鏡はそもそも呉の領域で成立したもので、
呉と魏に対して両面外交を展開した公孫氏の支配する楽浪郡からは特異的に画文帯同向式神獣鏡
が出土する。
画文帯神獣鏡を権力の象徴として重要視したヤマト政権は、楽浪郡との深いつながりを有していた、
というのは間違いない。

386 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:22:32
伝統的な史観では、「大宰府」は7世紀以降設置されたものと思われているようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%B8%A5#.E7.99.BA.E6.8E.98.E3.83.BB.E8.AA.BF.E6.9F.BB

しかるに以下の資料があるようです。

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/sci/top/nendai_data/html/nendaisokutei.xls

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/sci/top/nendai_data/index.htm

放射性炭素による年代測定によれば、太宰府遺跡の焼け土層は1600年ほど前のものであるらしい。測定誤差を考慮すれば、1500年ほど前のものとなり、今までの理解とは異なる姿を示している。

九州で、6世紀の重要な事件と言えば、「磐井の乱」である。このとき、すでに、太宰府が存在し、この乱の時に焼失したのではないだろうか。
(No.2578を参照。)






387 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:26:33
邪馬台国の女王の都跡が遂に発見されました。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が出土しました。
近くに倭国王帥升の王墓をふくむ32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが伺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣の三種の神器、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。正式発表はこの春のようです。

参考HP 中段お知らせのトップ

http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html







388 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:15:19
畿内自生説用の本を考えました。

「実在した鉄器」 −見えざる鉄器は、あった!−

「十五対一」   −精神力で勝った!畿内とスパルタ−

「唐古・鍵の女王卑弥呼」−銅鐸を捨てた奇跡の宗教革命−

「前方後円墳を作った天才的イデオローグ」−倭製イムホテプの生涯−

「特攻野郎英雄チーム」−チョー攻撃的英雄軍団のあれこれ−





389 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:59:51
>363
倭人伝の言葉遊びからは何も生まれないと思う。

>376
君は意味が良くわかっていないようだが、△の出た第二主体部の埋葬は、
古墳築造期より送れるため、このため那賀八幡の築造自体は庄内に遡る
とされているということだ(柳田)。
これ以外にも前期古墳が圧倒的に北九州に集中すること、きわめて局地的にしか
出ない庄内式土器の古いものが出土することから、マキムク誕生時に倭王権の範囲に
北九州が入っていないことはありえない。

>384
>那珂八幡の三角縁は椿井大塚山の同笵鏡。
>那珂八幡を前方後円墳の走りとするのは、どだい無理な話。
そんなことは言っている学者はいないのだが。今のところ日本最古の
「古墳」(と呼ばない学者もいるが)は、マキムク石塚でほぼ確定している。

>385
>平原王墓は内行花文鏡と方格規矩鏡の出土のみ。大和に簒奪される以前、
>北部九州での権力の象徴は方格規矩鏡であった可能性が強い。
平原の最上位は、超大型内行花文鏡であるということで考古学者は一致し
ている。

>画文帯神獣鏡を権力の象徴として重要視したヤマト政権は、楽浪郡との深いつながりを有していた、
>というのは間違いない。
少なくとも△より重要視されていることは確かだが(おそらく宝器として)、
面径、扱いから最上位は相変わらず内行花文鏡だ。






390 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:09:00
「庄内」「遡る」


聞き飽きた

391 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:27:58
>>389
>△の出た第二主体部の埋葬は、
>古墳築造期より送れるため、このため那賀八幡の築造自体は庄内に遡る
>とされているということだ

なんでこんなことになるのか?

392 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:49:20
>>389
全国各地に同笵鏡が分布する椿井大塚山。
そのうち1枚が那珂八幡から出土。
奴王が大和の大王から下賜された、っていうのが普通の解釈。

393 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 02:54:28
魏志倭人伝(三世紀ごろ)の邪馬台国は畿内というのはもはや動かしがたいと思うが、
畿内の勢力が徐々に大きくなって九州を圧倒したというのは、成り立ちがたいと思う。
やはり、記紀の記述どおり、九州の一勢力が畿内に侵入して、畿内の一大勢力となって
九州の他勢力を圧倒したというのは、事実であると思う。




394 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 03:04:21
畿内自生説は、記紀を否定するために左翼が生み出した妄想だと思う。
応神天皇東遷(5世紀)や崇神天皇東遷(3世紀)は、現在の考古学的
状況から言って成り立たない。

395 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 10:59:36
>>394
少なくとも、神武東征伝承の非現実的な内容をそのまま史実と信じるのは、
皇国史観と叩かれても仕方が無い。


396 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 17:44:17


397 :363:2006/04/10(月) 20:22:31
ひさしぶりに覗いたんだけど、納得する答えは
何も書かれていなかったよ。
どうして邪馬台国がどこどこだって主張できるのか、
本当に知りたかったんだけどなあ。
私には畿内説と九州説の論理が分かりませんので。

本気かどうか分からないけど364のために
なんか書いてみよう。

邪馬台国を神奈川県に置き換えてみよう。
今から1750年後の世界を想定しよう。
そのころの日本の首都は札幌だ!(たぶん)
そして現在のアメリカ人が書いたという
「米書極東伝日本人条」という文献に書かれている
KANAGAWAとその中心都市YOKOHAMAを探してみよう。

その文献にはKANAGAWAにある市や郡が書かれていて
その当時の生活習慣が書かれている。
さらに野球やサッカーのスタジアムのことが
書かれていたとする。
さてどうやって、KANAGAWAを日本の中から探すのか?

398 :363:2006/04/10(月) 20:25:08
まずは地名じゃないの?だってKANAGAWAは地名だよ。
それと同時に、KANAGAWAにあったという市や郡の
地名をそれまでの文献から探し出して位置を決めるでしょう。
それから横浜ベイスタジアムや三ツ沢球技場を掘り出して、
そのサイズを文献の記述と比べてYOKOHAMAも確定すると・・・。

地名を言葉遊びと言われてもなあ・・・。
まあ、地名辞典の由来には絶対に「3世紀からある古地名」
とは書かれていないから不安かもしれないけど。

東京ドームやさいたまスーパーアリーナを見つけても、
YOKOHAMAはそこにはありません。
これくらいの論理はわかりますよね。
すくなくとも、そのまわりに市や郡があったというのだから
その構造くらいは提示しないと。

でも不思議なことに、邪馬台国論争の場合、この最も
価値のある情報を棚上げにしているんだよね。

399 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 20:32:57
植生
風土
風俗

関西ではダメ
奈良盆地の冬は寒いぞ


400 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:16:29
>>397
何が言いたいのかさっぱりわからん。
馬鹿な俺にもわかるように書いとくれ。

401 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:24:45
このスレでは、邪馬台国=マキムクが前提だから。

で、マキムク王権がどのような経過で、どのような勢力が中心となって誕生したか、
が議論になっている。

402 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 03:37:45
那珂八幡の築造時期の土器は庄内式並行とされる。
>>373のいうように久住が詳述している。氏の1B期で平行が寺沢の庄内3という。
第2主体はこれより下るとする。久住の2A期が布留0式平行で、三角縁の副葬自体は確かにこれ以降だろう
なお別に柳田も久住も九州が前方後円墳自体の起源とは言ってない。
また同型鏡の副葬時期が全て同じというのは無理。椿井は土器からは新しいのではという意見が最近は強い。
権現山51号や安満宮山はこれら2古墳より確実に古いし、大量に持っているからって配布者ということ自体が怪しい話だが。

403 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 18:26:44
363はここでドゾー
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1140100181/901

404 :363:2006/04/12(水) 21:47:56
>400 
地名を使わずに現在の神奈川と東京を1750年後に
見分ける方法を考古学はもっているのだろうか、
ということです。
まあ、全部の球場を掘り返すという手があるか。
効率は相当に悪そうだけど。

>403
どうもご親切に。ここは、邪馬台国=マキムクが
前提らしいのでこれ以上は書きません。
ただそれを前提とした理由を簡潔に教えてほしいだけ。

405 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 22:32:36
>>404
邪馬台国=マキムクの確証はないよ。

ただ、近年の考古学の成果で、卑弥呼の頃には既に、畿内で後のヤマト政権に
繋がる大王権力が生まれていることは証明されている。
卑弥呼が平原王家に連なる女王であって、畿内王権の台頭に危機感を持ち、魏に遣使したと
しても不思議はないと思う。可能性はかなり低いが。

406 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/13(木) 11:32:04
>>405
>可能性は低い

※いやーっ 可能性は 0
卑弥呼が魏に遣使したのは、早く金印が欲しかったからだよ!
『何でか?』
倭人伝にも書いてある通り【相攻伐歴年】を再現したく無かったし、お姉ちゃん見たいな絶対性を早く確立したかったワケ!
金印は、黄門様の印籠以上に効力があったからだね!だから、半島情勢の不安定な景初二年でも、難升米を行かせたワケです。


チャーンとツジツマが合ってるだろう。

407 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:54:36
239年以前の卑弥呼は公孫氏に属してます

408 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/14(金) 00:05:18
>>407
その証明は?

409 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:33:59


410 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:31:22
>>408
204年 公孫康、帯方郡設置(倭韓遂に帯方に属す)

こんな基本的なことも知らない住人がいるとは…
このスレのレベルも

411 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/15(土) 07:22:08
>>410 オイオイ

レベル低いのさらけ出すなよ
204年現在 公孫康は独立政権では無く 後漢王朝の旗下
参考文献には不十分だろう

412 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 09:22:06
それは中国側の認識として管轄担当が移ったというだけの事で、
実際に属しているたどうかはわからないねぇ。
だから>>407みたいに言い切ってしまうのは問題がある。

こんな基本的なことも知らない住人がいるとは…
このスレのレベルも

413 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/15(土) 10:18:40
>>412
確かに>>407のように言い切ってしまうのは問題ですが、遼東の勢力がほぼ独立
していたのは確かだと思われます。詳しくは三国志の公孫度伝を御覧ください。
>>410
「二百四年に帯方郡設置」は三国志では確認できませんでした。
出典を明記してもらいたいと思います。

414 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/15(土) 10:20:47
須磨楚。>>413の前半部分は>>411に対する反論になっていますね。

415 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/15(土) 11:08:58
>>414

“公孫氏”でググれば!
後漢王朝に反旗をひるがえしていなければ、自ずと旗下

416 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/15(土) 11:21:56
>>415
「公孫度伝」嫁

417 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/15(土) 12:11:14
>>416

嫁は一人で十分

バイバイ!

418 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 12:32:03
190 公孫度、遼東・玄莵・楽浪の三郡を領有して自立

と一般的にはされています。
董卓以降の後漢の動乱を知らんのか、プラムは。

419 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:52:15
>392
>全国各地に同笵鏡が分布する椿井大塚山。
>そのうち1枚が那珂八幡から出土。
>奴王が大和の大王から下賜された、っていうのが普通の解釈。

いまだに小林の珍説を信じる馬鹿って存在するんだな。



420 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:07:14
>405
>邪馬台国=マキムクの確証はないよ。
なことはない。
考古学的には確定した。


421 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 05:36:05
>420
どのように確定したのか書いてほしい。

422 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 08:04:39
纏向ではなく、もうちょっと北の天理市域だという人もいるしな。

423 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 09:57:28
>>419
画文帯・三角縁神獣鏡が畿内を中心に出土しているのは確か。
畿内が一括輸入して、各地のオウに配布したってのは間違いないだろ。

424 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 10:09:10
>>422
巻向プラス天理、じゃないでしょうか?

425 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 10:18:09
>>421
横レスですが、「邪馬台国=畿内」は、確かに確定していませんが、「邪馬台
国の東征・東遷」は完全に没です。だから自然と安本は没ですし、柳田の伊都
国東遷も没です。

426 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 10:46:39
>『邪馬台国の東征 東遷』は完全に没

記紀をトンデモ本として位置付ける暴挙にでるつもりか?

427 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 10:49:54
>>426
そんなことはもちろんしません。むしろ、自分としては「南九州から近畿への
移民」は確かにあったと思ってます。臣が言いたいのは「邪馬台国の東征・東
遷」に関してで、「記紀」を否定するとかいうことではありません。

428 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 11:05:54
>確かに有ったと思ってます。

貴方が何を思うが、考えようが関係ない。古代史学は書いてあるものを検証するだけだ。想像は何処まで行っても想像だろう

429 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 11:33:07
>>428
「確かにあった」というのは確かに想像ですが、そういう伝承があったこと自
体はあなたも否定しないでしょう?

430 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 11:35:54
★★任那の真実★★

任那問題・・。これは重要な問題である。
下記のサイトの文をよく読んで、考えよう。
日本古代史について研究するとき、カラ半島南部諸国=志良岐・任那・百済との関係を
考えるのは当然であるが、それに加えて、半島中部の駒国(コマ。すなわち楽浪郡)と
古代日本の関係がどうであったかも研究する必要がある。
また、日本-駒国の関係に、中国北朝=魏が与えた影響、その魏の政治情況が、
古代日本と任那の関係にどのような影響を及ぼしたのかも研究しなければならない。
魏が、公孫度領=楽浪郡を攻め滅ぼしたことがきっかけで、任那は古代日本(崇神天皇)に
助けを求め、日本領となった事実。日本がその任那を通じて魏と交流した事実、
これらの事実をふまえた上で、日本列島とカラ半島の古代史を研究することで、
古代における日本とカラ諸国の関係が、どういう形であったかが見えてくるはずである。

■任那問題と古代日朝関係■
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/0415b.html
■好太王碑 最古の拓本発見■
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145111903/l50


431 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 13:54:46
>>429
その様な伝承はない。
二次東征は、四国より発生し瀬戸内海を渡り、岡山に本営を置き、まず
出雲を攻略後畿内に進攻するが抵抗が激しく播磨にて足止めを、後に四国からの迂回作戦を遂行
紀伊半島に上陸後、大阪の敵本営を破る。
この期間がざっと二世紀程の期間を要した


全部『記紀』と『中国正史』と『伝承』で解ることで、推測する余地はない。

432 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 14:03:22
>>431
四国厨の方ですか。仮説も大事ですが論証してから書きましょうね。426=428=
431だとしたら、臣は見事に釣られたわけですねw

433 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 15:10:22
>431
一次東征と二次東征の時期は西暦で
云うとどのくらいと推測してます?
あと一次、二次というのは記紀で云うと誰?

434 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 15:24:21
馬鹿な四国厨と一緒にするな。単に東征が四国から始まっただけの話しさ
紀を読めば解るので、貴方の想像とは訳が違う(史実だ)
東征の総大将は「帝」ではなく「五瀬命」……彼は事半ばで戦死するがな

435 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 15:28:36
>>434
げえっ。やめてくださいよ。何かの冗談ですか?

436 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/16(日) 16:50:09
>>434の援護射撃
>>435には一生理解出来まいが

【斉王正始中卑弥呼死立其宗女壹與為王其後復立男王並中國爵命晉武帝太始初遣使重譯入貢】
…通典倭国より…

この男王か壹與が四国よりだろう。

437 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 17:25:37
>>220の続き
F巻向二式の頃に、外来系の土器が一式の頃の二倍(?)近くに増える。この
ことは何らかの要因で、巻向に大勢違う地方出身の人が集まったことを示唆し
ていると思われること

どうでしょうか?

438 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 17:57:09
>>437
良いんでないの。
ついでに
G記紀説話には何らかの史実が投影されているかもしれないが、
まだ、具体的な事象は何も実証されていない。
も入れとけ。

439 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 18:01:38
>>438
了解。

皆が共通認識しているのは
@マキムクが各地のクニの、いわば寄り合い所帯だということ
Aそこでどこかのクニが主導的役割を果たし、オウとして君臨した可能性は低いこと
B短期間における祭祀変遷だけからしても、どこか突出した勢力が支配した形跡がないこと
Cなのに終末期から古墳期にかけて最大の集落遺跡であり、しかも年々急激に拡大しており
古留などの新技術も次々と生み出されていること
(古留生誕を播磨に見る説もあるが、これは後にでも検証、議論すればよい)
Dマキムク型前方後円墳が後の定型前方後円墳の前身であることは、もはや疑いようもないこと
E同時に石塚の周濠が馬蹄形であることが確認されたことにより、この時点で
千葉の神門4号墳、福岡市の那珂八幡古墳、宮崎の西都原81号墳などとの
少なくとも技術提携がなされる関係にあったこと
F巻向二式の頃に、外来系の土器が一式の頃の二倍(?)近くに増える。この
ことは何らかの要因で、巻向に大勢違う地方出身の人が集まったことを示唆し
ていると思われること



440 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/16(日) 18:02:19
プラス
G記紀説話には何らかの史実が投影されているかもしれないが、
まだ、具体的な事象は何も実証されていない。


441 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 18:40:44
>>437
>巻向に大勢違う地方出身の人が集まった事を示唆していると思われる

何度言ったら解るんだ。
「思われる」とか「地方出身」とか、推測域を出ない会話は古代史学ではない
書かれた物 見た物が全ての世界、推測の入り込む余地などない。

>>438
>記紀説話には何らかの史実が投影されているかもしれないが

>「何らか」…?
そんな史実は無い
>かもしれない…?
歴史に「かも」は無い。

こんな会話毎日繰り返しているから、何時まで経っても結論の見えないスレなんだ

442 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 22:53:52
>>441
古代史を語る時は、常人は謙虚な姿勢を取るものだ。
分からないことだらけなんだから。
この人はかなりおかしい人みたいだね。

443 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 00:01:08
>>442
何を寝ぼけた事言ってるんだ。解らない事だらけなら【お花畑】で
妄想の大輪を咲かせてほしい。

444 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 01:21:36
>>443
「無知の知」という言葉を知らんのか。

で、お前はこのスレに何しに来てるんだ?
自説があるなら開陳してみたらどう?



445 :簡単な話:2006/04/17(月) 02:23:49
 中国の魏志倭人伝の中の「邪馬台国」を当時の中国人が
 どう発音していたか?(調べるのは案外難しいかもしれないが)
 外国の地名は、現地の呼び名をそのまま当て字にする場合が多い。

446 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 22:40:23
441=443=445なのか?
だから何が言いたいの

447 : :2006/04/18(火) 09:21:07
ジャバン

448 :16歳中卒ヒッキー◇HCmIhYMlyc:2006/04/18(火) 12:57:06
次スレ・・・・
【畿内説】邪馬台国九州説スレッド2【厳禁】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145332099/

449 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/18(火) 18:32:27
>>441
あのさあ、意見書き込んでるのがおそらく住人中最年少の卜であるということ
を認識してくれる?決めつけて他の人が簡単に受け入れるんですか?

450 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:31:05


451 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:03:01
友人が古田史観にはまって困っています。
別に古代史が専門じゃないので、いいかもしんないけど、
古田系雑誌に投稿とかし出す将来に傷つかないかと心配です。
どうしたらいいんでしょうか?






452 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:11:30
>439

全然だめですね。以下をちゃんと読んでください。

「優曇華花咲く邪馬台国」 倭人伝では邪馬台国は解けない

日本人のアイデンティティを問い直す時、邪馬台国の問題は
避けて通ることができない。古代日本社会の姿とは。魏志倭
人伝が正史「三国史」の一部であるという認識を得て、邪馬
台国の真実に鋭く迫る。

原田 実著
http://www.bk1.co.jp/product/1069787

453 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:13:38
>443
分からないことは分からないという勇気が必要だ。
生半可な知識で知ったかぶりをするあんたのようなのが学問の大敵といえる。


454 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:30:08
原田 実の幻想研究室

◎と学会著『と学会年鑑YELLOW』、楽工社より発売!!
 原田実発表タイトルは「古きをたずねて新しきトンデモを知る」です。
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 前売り券はこちらにて、2500円で発売中。ローソンでも買えます。
◎「『東日流外三郡誌』関連論考」を増補しました(2006年4月7日)。
 
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/




455 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:36:33
>449
なにが言いたいのかさっぱり分からないが。



456 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 00:00:22
また、学歴詐称野郎がきちゃったよ。


457 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:11:01
四国です。

458 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/19(水) 18:12:02
>>457
こちらにどうぞ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145365560/1

459 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/19(水) 20:58:31
>>458
比定地問題は“行橋”で決着しているので 比定地論争ヤシを飛ばさないでね!

460 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 21:52:40
>>454

原田実って、いまだ九州説なんだよな。
恥ずかしくないのかな?


461 :太国:2006/04/20(木) 10:28:37
沖縄です。間違い有馬セン。

462 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:51:35
邪馬台国は、畿内にあったようだね。

倭奴国・・・・・・ワのクニ=大和

狗奴国・・・・・クィのクニ=木国

かもしれないね。
古代日本では、「の」を「ぬ」と発音した可能性がある。


463 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:54:11
卑弥呼と対立してた狗奴国の男王って、紀国造だよね。

紀氏は、稲飯命のシラキ建国も手伝っているが、
やはり天皇家の分家か・・。




464 :太国:2006/04/20(木) 22:00:03
>>461
みどもではありません。

465 :太国:2006/04/20(木) 22:34:21
↑偽物は去れ!

466 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:37:46
九州は来るな

467 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:43:23
畿内もあっち行くなよ。

468 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:41:36
>>462
当時の漢字表現は中国語読みをしなければいけませんよ。

469 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 01:21:52
倭奴国・・ウィドゥ
狗奴国・・クィドゥ

こう呼んだに違いない

470 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 10:38:59
ゃかなやなかゆききかかかかか

471 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 15:02:54
>>469

んなわけねーだろボケ

472 ::2006/04/21(金) 18:47:43
倭奴国・・わやっこく
狗奴国・・くやこっく

こう呼んだに違いない

473 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 20:31:57
冷奴國つーのも有ったんだろうな。

474 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 21:39:36
貞奴国もありそうだなw

475 :太国:2006/04/21(金) 21:56:38
んなわけねーだろ

476 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 17:37:40
世紀末を感じ始めたのは俺だけか?

477 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:13:33
やっぱり、銅鐸文化圏→初期ヤマト政権になったのではないかと思う。
銅鐸を遺棄し、前方後円墳体制を始めたと。
東瀬戸内、畿内、近江、東海など。
これら領域の中心がマキムク。
吉備や筑紫が政権担当者にいれば、マキムクが王都に選定されることはない
(本拠地から遠過ぎる)

478 :太国:2006/04/22(土) 23:33:46
んなわけねーだろ

479 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:43:32
>>478
まともな反論は出来んのか

480 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:15:55
>>477
>銅鐸文化圏
銅鐸について説明してチョ。・銅鐸は何に使われた?
・銅鐸の絵柄の読み方は?
・銅鐸についてる「×」印、あれは何?
・銅鐸の大きさの違いは何?

481 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 02:39:50
邪馬台国は九州の王朝で、畿内の天皇王朝に滅ぼされました。
ほぼ全国を統一した天皇王朝は、畿内を中心に全国に公共事業(古墳)を造った。
350年頃、強大な仁徳天皇政権、その前後の時代だったと考えられる。
239年→卑弥呼が中国に使いを送っている。
邪馬台国は30国余を支配。←九州にあった国の数に相当する。
卑弥呼没後の邪馬台国は力が衰退し天皇王朝との戦いに敗れ滅亡。
金印や銅鏡はおそらく出てこない。金印は没後中国に変換された可能性も高い。
大和朝廷(ヤマト)は奈良時代に付けられた名称でヤマタイとは無関係。

482 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 03:22:32
>>481
倭人伝の記述や鉄の出土状況を分析すると、その解釈が一番無難な気が俺もするんだがなぁ。
巻向からは九州系の遺物があまり出ないし、鉄も少ない。
3世紀前半に成立した大和朝廷と北九州勢力はあまり仲がよくなく、
大陸との交流を大和勢力はもてなかったとする方がすんなり理解しやすいんじゃないか。
んで、その後大和朝廷が北九州の邪馬台国を併合して・・・という解釈やね。

483 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 08:45:19
大和朝廷が北九州の邪馬台国を併合してって、簡単に言うけど、
九州と畿内が仲が悪くて、九州に鉄が多くて武力も勝ってるとしたら、
どうやって併合が可能になるんんだ?
併合があったなら、卑弥呼のときに併合されてるんだよ。
倭国大乱で、畿内が九州の主権を奪ったのさ。





484 :三光作戦:2006/04/23(日) 09:05:34

日中戦争時、抗日ゲリラに手を焼いた日本軍は、強圧的に拡大して
満州と中国との国境とした万里の長城線一帯を無人化する作戦を実施した。
指定地域内の住人を総て強制収容所に移住させ、ゲリラと住人との接触を断ち
ゲリラ出没地域での耕作を一切禁止するというものである。
その過程において、首を切り落とすなどして殺害した農民は8万1千人、
拷問のため施設送りの後処刑した者4万6千人。合計127000人を殺害した。
集落によっては村民が殆ど皆殺しになった所もある。
人囲いと言われる強制収容所は粗末なもので、宿舎は無く、移住させられた住民は露地に藁を敷き、露天で寝るしかなかった。
宿舎としてのバラックや要壁などは住民の手で作らされた。
農期には収容所近くの耕地で農作業を強制された。
収容所の環境は劣悪で、満足な食料、薬もなく、病気や飢えで何万もの人が命を落とした。

表題の三光とは、殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くすと言う意味である。

幾つか例を挙げると

豊潤県潘家峪では一度に1230人が虐殺された。
密雲西白連峪では、全村落を破壊し、最後に破壊から偶然逃れていた一軒を発見し、そこに居た70歳重体老人を家ごと焼殺、幼児2名を銃殺。
王廠溝、南大門一帯では、580人を逮捕し、380人を虐殺し、残り200人を強制労働の為、東北へ送り、内80%が死亡。
石柱子村では、村民700人中300人を虐殺。
興隆県秋木林、大莫峪では、全130戸から180人の青年壮年男を逮捕し、虐殺。寡婦の村とする。
興隆県ではその一帯に多数の寡婦の村が出来た。
更に寡婦の村を襲撃し、逮捕した者で使えそうな者を日本兵の慰め者にし、残りは処刑した。
興隆県では、人口16万人が戦後、10万人に減少していた。
大帽峪の村人など120人を後手に縛り、虐殺。
引っ立てて来た魯家峪住人を一人ずつ目隠しをして井戸の前に座らせ、
日本刀で首を跳ね飛ばしては井戸の中に放り込んだ。


485 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 10:53:06
中国では文化の低い後進地域が天下を獲るんですが、どうなんでしょう。

486 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:06:06
>>481
>ほぼ全国を統一した天皇王朝は、畿内を中心に全国に公共事業(古墳)を造った。

近年の考古学の成果を完全に無視してますね。
少なくとも、スレの上の方の議論をざっと読んでから書き込みしては?

487 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:13:17
>>480
>銅鐸について説明してチョ。・銅鐸は何に使われた?

聞く銅鐸は村落レベルの農耕祭器。
見る銅鐸で、地域首長連合のシンボルに採用される。

488 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:16:49
文明レベルが高い方が戦に勝つってのは、火砲が戦場に現れた近世以後の話。
それ以前は人口とライフスタイルで戦争の勝敗は決していた。
3世紀の大和と筑紫では大和の側に遥かに巨大な動員力があったことは
橋墓を見るまでもなく明白。多少の技術的格差など、数の力で押し切ったんだろう。

489 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/23(日) 11:20:51
>>488
激しく同意します。「蛮族」秦が天下を統一した事実からすれば、文化的に後
進国が天下を獲るのは自明の利かと。

490 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:26:24
>>487
銅鐸の数は集落の数、サイズは集落の規模に比例
各集落毎に祭壇を設け輪のある銅鐸は個々の祭壇に吊され鳴らされた

神社の鈴は銅鐸の生まれ変わりです。だから鳥居等に吊される事等なかった。

491 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:46:20
邪馬台国は畿内だろう。間違いなく。

ただ、邪馬台国=大和が、なぜ木国と対立していたのか、が気になる。
皇位継承問題がこじれたのか。

それから、卑弥呼と崇神天皇の関係が気になるね。


492 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:55:58
神武の大和入りを手助けしたのが木国のヤタガラスだったように、
畿内と木国は昔から仲が悪かったんだよ。


493 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:18:15
はいはいチョンチョン

494 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:02:11
>>480
謎だらけの銅鐸に、銅鐸文化圏もクソもあったもんじゃーねぇ

495 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:04:48
>>494
お前、銅鐸に幻想持ち過ぎ。
北部九州の広形銅矛と同じような役割だったんだろう。

496 :本田:2006/04/24(月) 07:24:44
>>489
> >>488
> 激しく同意します。「蛮族」秦が天下を統一した事実からすれば、文化的に後
> 進国が天下を獲るのは自明の利かと。


秦の始皇帝陵はペルシャ式の墳墓で、
秦はセレウコス朝の流れを組む勢力だ。
決して蛮族ではない。

>秦

>春秋時代、周の東遷を助けた功績として中国西部に起こった国。
>恵文王のとき王を名乗り、一王国となる。
>紀元前221年に始皇帝により、中国史上、初めて中国を統一した王朝。
>この項で詳述。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6

>セレウコス朝

>アンティオコス3世の遠征とローマ共和国
>紀元前223年、アンティオコス3世が即位すると、縮小を続けたセレウコス朝は再び拡大期に入った。
>アンティオコス3世は即位するとすぐ、国内の反乱勢力の多くを鎮圧した。
>プトレマイオス朝と戦った第4次シリア戦争では紀元前217年のラフィアの戦いでは一敗地に塗れたものの、
>紀元前212年に開始した東方遠征では著しい成功を収めた。
>まずパルティアへ向かったアンティオコス3世はアルサケス2世を破った。
>続いてバクトリアへ向かい、アリエ川の戦いでバクトリア王エウティデムスの軍勢を破り、
>更にバクトラを2年間に渡って包囲し、セレウコス朝の東方における影響力は飛躍的に増大した。
>東方遠征から戻ったアンティオコス3世は再びプトレマイオス朝と戦って勝利した(第5次シリア戦争)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%82%B9%E6%9C%9D

497 :太国:2006/04/24(月) 12:16:39
んなわけねーだろ

498 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 16:38:03
毎度乙

499 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/04/24(月) 19:15:07
>>496
あ、蛮族っていれたのは、あくまで中華認識を表すためなんですが。

500 : :2006/04/24(月) 21:16:19
銅鐸の合金技術はすばらしい

501 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:25:40
>>495
銅鐸は明らかに神社の鈴

502 :太国:2006/04/24(月) 22:01:50
んなわけねーだろ

503 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:15:51
>>502
輪っかに紐かけ祠にぶら下げ、鳴らしてたんだよ。
常識だ

504 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:45:42
>>503
見る銅鐸は吊るしてないだろ

505 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:56:56
出雲大社には出雲大社用のデッカイ銅鐸が。

>見る銅鐸ってなんだ?

506 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:04:00
>>505
後期銅鐸。
巨大過ぎて吊るすことができず、鳴らした痕跡も無い。


507 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:05:42
>>505
詳しくは「見る銅鐸」「聞く銅鐸」でググッてくれ

508 :太国:2006/04/24(月) 23:23:26
UFOを呼ぶ道具です。

509 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:28:17
>>506
3式までは鳴らしていたと思うよ。
特に、三遠式にははっきりとした摩滅痕かある。

510 :太国:2006/04/25(火) 02:08:50
UFOが来なくなったので、使うのを止めたに違いない。

511 ::2006/04/25(火) 08:20:15
余にあらず。>>508も余にあらず。

512 :太国:2006/04/25(火) 11:25:14

偽物は去れ

513 :太国:2006/04/25(火) 16:47:38
↑余が本物じゃ

514 :太国:2006/04/25(火) 17:15:55
↑余がモノホンじゃ

515 :クリントン元米大統領 :2006/04/25(火) 17:27:20
おにぎりはシーティキンだよな〜

516 :太国:2006/04/25(火) 17:36:38
お勧めは本場のバーカーがウマーの
USAです応神は卑弥呼の子ニダ

517 :太国:2006/04/25(火) 18:29:12
偽物は失せろ

518 :安東大将軍:2006/04/25(火) 18:54:34
呼んだ?

519 :太国:2006/04/26(水) 00:14:33
邪馬台国=九州

520 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:26:16
銅鐸って纏向の布留期遺構から出土したのもあるんですよね。

521 :太国:2006/04/26(水) 17:31:04
俺様が本物じゃ

522 :太国:2006/04/26(水) 17:32:23
銅鐸はUFOを呼ぶ為の道具なのじゃ!

わかったか! アホども!

523 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:53:29
>>520
>銅鐸って纏向の布留期遺構から出土したのもあるんですよね。

ないよ。奈良時代の川の跡な。

524 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:56:43
何で奈良時代に銅鐸がでるね?

525 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 20:13:39
>>524
出土した銅鐸を見て使い方が判らずみんな困ったとの史料があるw

526 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 22:41:24
平成に出た銅鐸もあるぞ。奈良時代ならかわいいもんだ。

527 :太国:2006/04/27(木) 02:15:09
余がほんものじゃ

528 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 07:51:13
>>525-526
発掘された時代の話じゃねーだろうが。

529 :太国:2006/04/27(木) 07:53:26
>>522
余にあらず。

530 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 08:55:37
発掘された時代の話でしょ。でる=発掘される。

531 :太国:2006/04/27(木) 10:06:47
>>529
余にあらず。

532 :太国:2006/04/27(木) 13:15:29
>>531
自演乙

533 :太国HG:2006/04/27(木) 16:15:41
邪馬台国フォー

534 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 16:18:25
          ___
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535 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:04:13
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536 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:07:37
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537 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:12:40
    l|..;' .r''Yj .|'ン_,,,_ナ'‐/ |  _ j゙ l l |l, ', '; ゙
     l |. | (;!.| l<f;':::::j`゙    ,、/ヽ!.| |.|! l l,.リ 
     | lヽ!.l .|'┴‐'      /ィ:ハ リ.j.ハl .j| .j.| 
      l | :| い|      , ヽ/ ゙ィ゙|//.ノ|/j /ノ  素敵な 太国のお兄さん!!
    j .| .|. l' 、      。   /j| j  / ソ      畿内説批判頑張ってね。
     l  | j |  \,_    _,..ィl,ノj.ノ         サービスしちゃうわ
    ,'  j ,r'iノ ./ _,、..Yj'T´l,. | l,    
   /,.- '´:::::l, |  ,.-‐'.ド、;: l,. l,.';、   
  /,ヾ;.、:::::::::::::ヾ!   ´ ノ:::::::「ド、'l l,
/´ ゙\'、'、:::::::::::::l     「:|::::::l.l| ゙l,l,'、
|     \ヽヽ、::::|    j:::|::::/,イ  .j.'、ヽ
l、     ヾ'7-、,.;゙   l、::j;/ト;l,  l, ヾミ、
ト、     .|  ゙'j   Fj.ヒ;'_ノ l   l, ヾ、
 !   ,,...、、.ヽ, /   |´  f/ .レ‐―:、 ヾ;.\
  l,/:::::::::::;;;;;Y    .f7''ト!  〉-‐-、l,  い,.'、
  l;::::;r‐''´  ./    |'  !.!  /   Y゙    ! |. l,
  ヾ;ム   {       |.   |  |    l,
    .|lヽ  l     j   ! ,.ィ'´゙ト-、 l
    l,.|. \     .ハ, /'´.,n i.゙'ヽ. j
      L_ |\,_ .,ィ゙  l/j, .j:r' ノj ,'.ド!
     .j`゙゙'7'''''フ'ーr‐:ッ'/7::l゙ト-:<ノ.ノ
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538 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:16:29
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........  | ::::::::/   \    、_, _.,.,_ ノ::: !   どうかロリコン太国が死滅しますように。
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........     !:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.゙、:.::/:.:.:.:.:.:.ヽ, / ,!:.:`、


539 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:51:08
             ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |   いつも頑張って
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |     畿内説批判をしてくれる
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |       太国のお兄さんに
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!       サービスしちゃうわ
         |/ | ',    ゙        /  |  |     さあ、今日も、サービス、サービスぅ!!
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  |
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   |
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /


540 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:53:06
              , -―-―- 、
            , '´    ´      \
         /                 \
       /  /  /{ i ヽヽ ヽ   `ヽ_ハ
      ノ  { / { i ヾ \\ヾヾ i ,-、i
      {   ハ {,  ヾ、ー\込_ヾノハ }   |  
      i i {'´〉-,、  `ゝ,ーr-、` }/  , |  
       ヾ、 ヽ'゙}r'_}     "k'_j } ゝ/ //.!
         }`T`‐'丶   `ー-' ノイ / i  
        ノ 介 、" ヽフ  "" /' /|  |         太国さん てステキ黶@  
        7´/y-‐ゝ、     イ / / |  |
.       / /r' ̄`ーナ^:j´  .|/ /\ i  |
     r‐/ ̄`'' -、::〉::{ー、 ,-/{ {::::::::\ !|
    / ノ      }:::::i==/::::ゝヽ:::〃∧!
    //       /::::::l  /::::::::::) )/ /l 〉
   ,'/       /==.| /=====' |/|
   {!       /  ゝf^jっ   `ヽ.  | |
   ヽ      /___//i^i\     ) | |
    `ー--r‐'´i/  / i !ヽ.\ヽ  j l !
       |  |\ ./ l l }  }`ー‐'´ |l
       |  | | `  | | ⌒'i |   |
       |  | l :  | |  : | |   |
       'ー、_l‐l :  |__|  : l__.|_,r‐'
        / 7ー‐‐' i`ー‐´ ヽ \}


541 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:41:24
瀬戸内海航路を押さえた者が、古代倭国の最初の覇者となったのだろう。
そう考えれば、初期ヤマト政権の大王は、東瀬戸内沿岸部を勢力下に置く、海人族の長
と考えた方がしっくりくる。

542 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:42:06
では、その海人の大王が内陸部であるマキムクに王都を築いたのは何故か?


543 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:16:20
>>530
バカか?
『〇〇時代の遺溝から出る』だろ。
低レベルな脳内変換で駄レスかますな!

544 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:22:07
邪馬台国畿内説って東大に対抗する目的で京大系が必死になって持ち上げてるだけの説で
感情と学閥の都合で立ってるだけの説
チョン学者の好太王碑文捏造説みたいなもんでしょ

545 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:34:06
>>543
じゃあ、もう一度元の文を見てみよう。

>何で奈良時代に銅鐸がでるね?

奈良時代に○○がでる=奈良時代に○○が出土する

しか、解釈のしようがないわなwwww


546 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:37:48
     \    |       ,,...-‐‐‐--、,      l    /
     |、  /  |   ,.べ;;;;;::、--- 、:::;;`ヽ、   ''‐-‐'゙/
   、,_,.! ゙'-'゙(.    //::/´       ``ヾ、      l 
    )    (.  /:,`!ヾ、.      ,      ゙>-    ヽ、_,,
   '゙"`ヽ, /``/::;:゙;゙::!:.:| ``'''‐--‐''゙   '-‐'゙ ゙、       /
     ヽ ヾ /:;'/:.:!:::l  、,r''"゙`'ヾ    ,:',-‐-、,'l      /
   -=,'゙   ./:::/:.:.|::::l  /  (・),.    ヾ,_(・) ,'゙l      (
     `ヽ ,゙:::,'::::;':!::::l   `"´ ''"´     | ̄__,,l,,...,,_   \ええっ 今日も
     -='゙ l::::l::::;':. l:::::l               ` ゙、.,,_,,.``ヽ、
     __) l!゙,l:::;'-、 ';::::!          ,.-‐‐:、    l `ヽ、  \   太国は妄想を連発だわ!!!
      ヽ. !:l:::l/-ヽ.゙;::',    U    /:::::::::::r=‐'''"´`''‐,.-゙'‐-、ヽ.
       ) ゙!::l l"''、l ヾ゙:、   u     l:::::::::::::::`'''‐‐''''‐i'゙  ,,..、  `\
         l:::l,ヽ、_,  ヾ;\       ゙、.,,_ノ/ ̄ ̄ノ /ヽ. `   \     ____
     /    !::l:゙ヽ、. ,、 ヾ、;、         ゙'‐''"7'゙/ /゙ヽ       \ _,./´-、ヽ
   / /  l::l``;::,`´:ヽ、  `ヾ:;、.,__   ::::   / `'''゙  \   ゙、   ヾ;‐、''-、゙;
    /  / l:l ";'::;'::';';! `''‐ 、.,_` ̄      / r'゙´ ̄ ̄``'''‐、 ゙、    ' l  l:::!
.       /  l:!  !:;'::!::::;!     ``'''‐‐---┬'゙   `'''''''''‐-、 


547 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:39:33
                ry'´:::::,、:|\::::::::、:::::::::::::、:::ヽ
               i:::::::::::::|-‐''~\::ト\、::ヽ:::i\:゙i
                |!:::i:::リ:|,,,,,,,__  ヽ!∠!-ヽヾ!:::|ヽ
                  |:|:::|リ^i-‐─-、,-{    ゙ ゙iヽi
              |:::!:|::|´     | !     | ト、
              |::rリヽ,      ノ  ゙ヽ---‐'´i.ノ:ヽ
        _,,,,,,,,,,,,_ ,r┴‐-、ヽ---‐' _,,,..-─、   i::::::ヽ   えー!? マジで…?
     ,,,r ''~.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:`゙ヽ、.:.:.:.:゙'ヽ、  i´    i  ノ::::::::::゙、 世の中 太国 のような糞糞糞人間がいたの?
   /.:.:.:.;.:.:/!ヽヽ,,、.:、.:.:.ヽ.:.:.:..:.:.:.\ |     レ':::::::::::::::::'、
‐''~/.:.:.:..:i.:.i.:./ | ゙ヽ、_\ヽ、ト、!.:.:.:..:.:.:..ヽ‐----‐イ `~"゙''',ク┬----
.:.:.:i.:.:.:.i.:!iA|/    i'⌒゙i! Y゙'i‐---,- ┘ヽ   |   //  |
.:.:.i.:.,.:.:|.|!r'⌒ヽ   ヽ- '  ゙, |/ヽ、   \‐'''~| r==┘ヽ、i
.:.:.:!ト、.:|゙!ヽ,,,,ノ    _,,,,_   Y \ ゙ヽ、ヽr≫\ |/>   \
.:.:.:.i⌒リ     ,,r‐''~   ゙ヽ ノ,,r-───‐┬t'''フi´      i──
.:.:.人 ヽ    i         レ'!´|       ii,/ 只.      l::::i
/  ゙ヽ-‐ 、_ i,    ,, r'^リ、.|   _,,,..-‐'~´  | \     i':::::|
     /、`゙┴.t‐''~´|r=' ゙i -‐''i       |  \  〈:::::::|


548 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:42:56
             /       ヽ     さすが太国さん!!
          //         ',      おれたちにできないことを
            | { _____  |      平然とやってのけるッ!
        (⌒ヽ7´        ``ヒニ¨ヽ
        ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′     
        /´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {.  ヽ     _ _      
         `r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ )  (  , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
         {(,| `'''7、,. 、 ⌒  |/ニY {               \
           ヾ|   ^'^ ′-、 ,ノr')リ  ,ゝ、ー`――-'- ∠,_  ノ
           |   「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
    , ヘー‐- 、 l  | /^''⌒|  | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
  -‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ  !‐}__,..ノ  || /-‐ヽ|   -イ,__,.>‐  ハ }
 ''"//ヽー、  ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿!  , -===- 、  }くー- ..._
  //^\  ヾ-、 :| ハ   ̄ / ノ |.  { {ハ.  V'二'二ソ  ノ| |    `ヽ
,ノ   ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<.  /  |.  ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/    <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ  \ `丶、  |、   \\'ー--‐''"//
\___,/|  !  ::::::l、  \  \| \   \ヽ   / ノ


549 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:46:49
        〈 、             ┌(⌒)┐                 ,.〉
         ヽ ` ー-  .. __      ヽ::::::::/        __  ..  -‐ "  /
           \       ` 、    ヽ:ノ    ,  ' ´         _/
   ヽ        ` ヽー-  ..,,_  `丶、    ,   ´    _ ..   -‐  ´|
    ヽ         |        ̄`丶、ー__´,.. -‐ "´ ̄        _|
     ヽ        `|` ー- 、.. _________ .. 、. -r‐ '"| ̄|
       ヽ          |l   |ハ |"'トl 、ト、    _/|_/-ァ|:ノ''|  |    |  |  太国さんに、でっかい応援です。
        ヽ         ||    |、_lテzt.、、 ヽ  /`~ノr,.. 、z、,._| /    !  | でっかい畿内説批判、期待します。
   ヽ.   ヽr‐、     || 、  |彳{:::t;;が  \/   `仆:f;;こ!ヾ/  /  i   |
    ヽ   |   j\  | ', ト、 ',.ヽ.ゞ⊇゙       ゞ:z'ジメイ  /  ,  │
     {ヽ  | 、 / ̄lヽl ヽトヽ. '、  ̄            ̄ / /   ,'   !
     ヽヽ  ー'{ /"ヾ\ |ヽ \'、       、         /ィ/  ハ     ',
      ヾヘ   |│  j__ノ\!  ヽ.丶      ,.. .,       ノ//  /∧    ',
       ヽヽ. し! /`ヽ  l|   |: iヽ、            ,. イ:   /_:_:_!.     ',
         } ∧ } l  ノノ_ |   |.l.;r‐ |`丶、  ,. ‐"/    /´   `丶、 ゙,
        l  ゙ し  / ヽ. |   || /ハ    ̄  /    / ,.  ´ ̄ 丶ヽ '、
         ヽ、 ヾノ   ヽ |   | l ノ_    /    //        ヽ ヽ
       /  `ヽヽ.   ヽ!  | //⌒ \ /    / /           l ヽ
   ‐'´`/     ゝ_ヽ   ヽ  l|´ノ⌒ヽ  ン    / ´  /          |  ヽ
     |       | ヽ     ヽ |´    /    /   /          |   ヽ


550 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:50:07
          /^ \  ,ヘヘ、
          l/, 二=‐宀ー〜-、
         l /          ` ヽ、
         l i /  /  / i  i    ヽ
        l i/ i /  /  iハ i i    ヽ
.        l i  i/  _厶L/_i iハi i  i  i
        | レi i ///∠/ノ i ナナトi i  i|
.       l  |i  i レ欠}f^   テマト||  i  ハi
        l  ハ  ト`辷ソ    .じ:ソソ  iノ / i 
       l  l  i ヽ     、 ゙^' /ノ ///   太国の兄さん畿内説批判がんばってネ
.      l  i  i  i|\  ー'  , イ「//
      l ii  ハ  |  ` -r 'i´ハ i | 
      l i i i__i .<    | ノノ i i |
     l i i/  i | \ 、 iヽ\;iハ |
     l .<,,__   il  \r=ーl iハ ト、
.    /ム ̄`'' ミヽ     \  l  | | ヽ
   /⌒  、   \\    \ l  | ト、  i
  /     ヽ::::ー `ヽヽ、   \l. | l \i
 /       ヽ,.    ` ミ = - l/   \
/     ::::-::::イ      /⌒ T^〉~\  l
     ー:::::::人ー'::::::: /  ::: :::::〉、ヽ \ l
   :::::::::::./  ヽ:::::::/    ;; ∧:::::::   \
    イ´     }::::\ ....::::  ::::i  i:::: :: /


551 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:51:58
                   _ -─ ¬く  ̄  ‐- 、
                 /    _==-ミァ-─‐-、 \
                /  , ‐''"         \ \
               /  /     /   |      \ ヽ
               / /  /   / /    ||  |  i  ヽ i
              i /  / /  / / /    ||  ||  |│ |ノス
               |//  / /___, -一ァ|  /! |ト、|│ | | く」
                |,-‐¬  ̄---┘'7 |!  ハ! |,、-┼十|! | | |
          , -‐ ''"  し' '´_ /,ィ二l |ト、/!ヽト、\_ヽ!|!l | ハ |
       ,r/      __   ,イ|リ ヾハ! ヽ!  ,ィ⌒ヾミリノ!/リ  |
      / ||ヽ  -'     / ̄ )` __      |ヒノ:} '` ,イ/ |  |
    ,r '   ヾ、  ,-、____ , イ ̄,r==-      ==-'  レ' /|  |
  / ヽ    `ーソ  ' | |ト、,ヘ ′""          "" / / || |        太国さん!!
. /    \_  /  | ハ ヽ`゙'ヘ       ' '__. ィ  / / | |  |
           /   / / |  ヽ 川\    ヾ三ニ‐'′//! |  | |  |   畿内説批判お疲れです
        /    / / 八  \川| |`ト- ..  __ , イ‐ァヘ |  | ||  |!
      /    / / /  \  \ 「`ー- 、    /  .〉  ト、|  ヽ、
     ,イ    /-─=¬ニヘ、_  \   厂\ 厂ヽ /!|   | `ー=ヘ
 -‐  ̄ /─ '  ̄     ├- ヽ\  \ノ\ \ 人 ハ!ヽ ||  |-┤ ヽ


552 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:56:57
                     |/       \
                     |フ-─___─__- 、 l
                   __,.ィ''"´ヘヘY: : : 二`ヾ,
                 ノ:r/: : / /: . |´_: . : . -‐ゝr‐、
                 〉/: /   / :.|´ ̄ヽィ: : : ハーi`ヽ
                 Vl:/: /: . :   :.ノ: :.|    マ: ノ: :| ヽ〈
                ∧|: /: : :/: : / /.ノ!     〉:/: l  〈: 〉
                ,X V: : /:/ヽ //'" ̄ `  z: :./  ハ
                ∨ ヽ:./セc、 ノ  、ィcぅtr;_ レ、;'    ∨    
                〈.〉 jハゝこソ    ´ 辷'ゾ` ユ }   〈 〉 恥ずかしいこと言うの禁止!!
                ハ ヽ.l    ,         ノO'     ハ   でも、太国さんの畿内説批判は許す。
                ∨  `ヘ          ィヾ´丶   ∨
                〈.>   `ヽ、 ‐     /:|  }      ∧
                /|       |>‐ '´  :|、       ∨
                Vr、-── ''冫     /`ヽ、_  〈 〉
               ,rf'"l:.:l    /_     /    /::ラt,ハ
               / l ヽ:ヽ   { `__  /     /::/ /^ヽ
              /   、  ヽ:ヽ  |´ニ三/    /:::/  /    ム
             ノ7  l! //:::\ |  /  ,..‐'"/7´    ノ   /ヘ、ヘ
            /ィ    V/:::::::::::::\、/、 '´:::::::://   /     |{ィヘゝ\
            /丿    /|」_::::::::::::fc;;)):::::::::::::::l |  /        \ノ{  ヽ〉、


553 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 10:20:17
チン      ☆  チン       ☆
       チン    マチクタビレタ〜   チン     ♪
           ♪
    ♪          ☆チン    .☆   ジャーン!   マチクタビレタ〜!
        ☆ チン   〃  ∧_∧  ヽ         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ  ___\(・∀・ #) /\_/ <  質問まだー?
        チン    \_/⊂    つ    ‖     \__________
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|     ‖        マチクタビレタ〜!
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|   /|\
        |             |/


554 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 11:52:56
1000取り合戦ですか

555 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 14:34:57
                ,、.'"     __,,,,,_    ゙' 、
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.            ,>' .:r"l  ',.l,、‐''''i-     ''i;'   .:::::::::::::::::::,'    ここは、太国さんが頑張って畿内説批判するスレ
           〈-、::::゙'‐!. ,. '、ゝ;;;:j      /.   .::::::::::::::::::::,'      ちぃ、覚えた
.            ゙、 ゙''‐-l  ', .ヽ`.´    ' ,.'   .::::::::::::::::::::/  
             `,i‐、..}i  '.;:. ゙ヽ   ヾソ'   .:::::::::::::::::::,.'
.             / ;. ゙,゙,   ';:  ノ,,、-''"   .::::::::::::::::::,r'
            / ,.'-‐゙'',-,、,i'"゙! "     .::::::::::::::::,r'"',
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.           / .,、'´ ::、 .:,r'"        ゙、:::::'::::::',.   ',
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         / /,', ...::.:::::::,'    ゙'i.       ゙、:,',:::::. ゙、 '゙、
.        / , ', ' .i、:::::::::,r'     ',        ゙、':::::::::. ゙、 ヽ


556 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 18:11:28
< 二‐ 、ー-_/ ,   /  /    l      ヽ_ニ―<_
       /:::::_/::::_/ ./ /  ,'   !       !  !  ',   ヽ :\::::__`‐-、
     ∠ィ-,‐'´l// ./ | .|   l      |  l  !    !、::_ヽ_、 ̄``
      /./   / l  !l| l!  l,イ  ∩ | ,l ,l !l |  l    !l ヽ`ー 、_
.   / /     | l | ! -l┼'ト ll ',  .`乂/|ノ廾ナノイ.!|| l !  ヽ、  `ー-、
.  /   /     ,!',! l | |ヾl‐!lニ、ヽ ヽノ/'´r'イΞトlィノ|ノ / !/ |   `i   /
 ,'   !     ,' ´ヽ|`ヽ! ` いソ`     ヽ)〈ヘ'ly''/'|/l ノ'   !   ,'  ./
 ヽ 、_.ヽ   /   .| ,l l   ̄       `ヾ='<´\||    !   / /
     \ヽ /    |  !〈|         ′     、ノ' /l |    レ' /   
       )ヽ   l  l'ー、     ─-       /,r||  /.,ィ'     太国さん、もっと気合を入れて畿内説批判をしなさい。
      / 〉  |  |  |\              /|  ! |  / / ',    お父様がお怒りです。
    _/  /   |  l|   ! _r‐ヽ、     _, -'ヽ、_|.  l|〈  \ ',
._, -' ,, -'" /    l  l.|  .Κ._ ヽ.__`ーィ'"冫 __,∠   l !  `‐ 、_`ー─ ----
‐''´    /     l  !.|  く :::`:´:::::::L 'y-, -': : _> |.l      `', ̄ ̄ ̄
     ,' ___.l  .! !   l``,ー、 ::::::::ヽ_:::::: .<ー|   l.l     ____L
. ┌―'匸__    ̄``ヽ、_,-'´  :::::::::._-、_!、:::::::::: `‐-、__|└' ´ ̄    ` ー/
  !     ヽ_ __      `   /`<y`t!\            `ー--、:_  /
  l        :l. `ー ー-    `iヽ/)l∠ィ'"     :ヽ、         /  / /
  !        `ー--、    / ,‐、`ヽlン   ヽ      ノー'   ー '   / /
  ヽ:::::         :::ン--‐-、__、 `l ー' `ーr`'ー---<´:::        / / ::::


557 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 18:14:06
             r=-、      _,.......、
               }|   ``ヽコァ' ´´ ̄`l}
           r'  r== 、}j_}'´__,r==、゙、
        _  r'\  〉  ,.イ_j、>``  fr'
       //`´`ヽ ヽ'=テ'´ー' ー'`ーヽ=r'´
       j {_,. - '´ ト=彳 l !     !  l ヾ
      、j ,イ    {  ,.{-!-|、   l__l_l | lト、
     r=、{ ヽ    ト、l、l,r=、N、ノ=、ノ`//'  〉
     {{__, ト-`= r'__}_イヒソ   ヒソ}ィ''´_ノ
        `=-<ヽ_ニ〉、 ,.、__,'_ ノニヽ、-'    太国のお兄さん、
        く fr'´ くくヽr/_::::::::::_Y   畿内説批判ご苦労さまなのー! 
         ト、`´  )´7´r'-;::::r(ヽ〉 ̄    雛も応援するなのー!!
        〉' `` く,イ{   7ァ{`_ノ  
        /`ヽ  /〈{ヾr'´ト|{ / }
      〃  ヽ   ヽヾ!八ヾノ
     //     ``フード'  ヾ、__
    / /      >'´!|    ヽ`丶、
   ヽ、/      , ' |:l !   }  ノ, -'-、
    /-‐、   /  //,ヘ__ノ//_ /、 }、
    ヽ   ヽ,、{〉`Y:://'´  ,r`)'´/⌒j'´}-'
      \く ``rァ、`゙   ∧` ̄>'`´_ヽ=、
         `ー'  'ーr‐イハ>ノ ヽく_ニ7マ
             /7lN´}=|   lヌ 7/ ヽ
             ヾrl!ヽノl   └ヽ'ニ==lトァ'"⌒ヽ
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              {ヽ'    ヽ
               ヽ、___,.イ


558 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 18:20:57
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     :. |i .i i  .i /  ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ}
       |i .i l  :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:}
    :. |i∧ ', :{ ,ィjモト \  イjミトイイV :.  な…
       .|  :メヽ.', `ozZ}      izN。ハ::{     なんなんですか?
      :. |  :ヾ_! ゝ "゙゙    '  `゙ ハ.:', :.太国さんは、どこですか?
      |  :.:_イ .:.ヽ.   (二フ , イ :.:.:!:.ヽ     なんであたし
   :.  / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:.  ここに居るんですか?
      / ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\
 :.  / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^`  |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
   / /  ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{   ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
  ./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、  : : : l:.:.: .ハ ',
  { /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : }( ´ω`).:.:/ }:.}
  V | .:.:/:.:|_,ィ' ̄  ヽ三{ `ー-ノ : イ : : :/:.:i.:{  リ
    ヽ:.:{、.:.V     : : ヘ     : : {: : :/:.::∧|
     ヽ! )人    : : :人      : : : / \! :.
      "  ヽ : : : : :/イ{     :.ノ: : : :.\ :.
       :.  \__///: :\______/: : : : : : : ヽ
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          / `Y;{. . . .|;|. : : : /i: : : : : : : : :l


559 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 22:16:53
いろんなAA持ってるなぁ。素朴に寒心。

560 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 22:44:49
>>558
お前、アク禁決定な

561 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 17:54:41
>>542
>では、その海人の大王が内陸部であるマキムクに王都を築いたのは何故か?

結局、農業国家の陸軍力には敵わなかった、ということでしょ。
海商国家カルタゴが内陸部のローマに敗れ去ったように。
瀬戸内海交易路を掌握したヤマトが、初代天皇として即位したのだろう、と。

562 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 19:30:46
削除依頼出した方がいいんじゃねーのか?

563 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 20:26:03
吉備が東遷して大和王朝を築いたという説が主流になってきたね。


564 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 23:56:52
ちぃのAA久しぶりに見たw。

ということは、これを貼った奴は結構な年だなw。

565 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 00:32:28
>>563
吉備の影響が強くなるのは布留以降。
つまり、大和と吉備の政治的連携は3世紀後半以降ということになる。
吉備の協力なく、大和の大王は瀬戸内海の覇者とはなり得ない。
よって邪馬台国≠畿内。

566 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:12:17
>>565>>541
畿内王権の飛躍の契機として、吉備の協力による瀬戸内海航路の掌握ってのは
確かにあるだろう。
しかし、「大和・吉備連合が布留以降」ってのはいいとして、
庄内開始が2世紀中頃まで遡るとすれば、
布留初期が3世紀前半としても良いだろう。
そうなれば、邪馬台国=畿内説でも、なんら不都合がなくなる。

567 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:21:42
吉備との政治連携がなければ、大和政権は瀬戸内海交易路を掌握出来ないし、
魏への使いや、魏使を自国へ迎え入れることも出来なかっただろう。
大和=吉備連合が初期ヤマト政権になったのであって、
その連合が成立したのが、吉備の特殊器台が前方後円墳祭祀に採用された
布留(3世紀後半)以降のことだと考えられる。
つまり、大和政権は邪馬台国ではない、ということだ。

568 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 04:50:59
吉備で最古の大形前方後円墳である浦間茶臼山古墳。
卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳の2分の1相似形墳だ。
吉備・大和連合が卑弥呼共立により成立したことを物語る。
それは庄内じゃなくて、布留初期に達成されたものだろう。

569 :河童:2006/04/30(日) 07:04:46
>>568
>吉備の浦間茶臼山が箸墓の1/2相似型墳
>>
だから何。1/3や1/4だったら意味が変わるのか
>吉備畿内連合
>>
妄想或は受け売り

570 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 07:43:03
箸墓古墳には、吉備と東海の土器が祭祀されてるから、吉備東海連合=畿内王権だろう。


571 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:29:35
>>570
・土器の分布と連合体の相関関係はなに
・連合体にならなければ土器の分布はないのか

572 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 09:09:59
>>571
土器の分布?

箸墓古墳には、吉備と東海の土器が祭祀されてるから、
葬式に呼ばれた首長は、友好的に連合していただろうという話なのだが。


573 :河童:2006/04/30(日) 09:29:55
>葬式に呼ばれた首長
>>その事実を知る方法は?
推測で繋ぎ合わせれば何でも語れるぞい

574 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 10:36:01
>>573
古代史を推測以外で語れるのか?


575 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 10:36:25
首長が呼ばれずとも、箸墓をつくったクニが、葬儀のために用意する道具を、
吉備や東海から調達したことには変わりない。


576 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 10:47:07
>>575
箸墓が前方後円墳の最初じゃないし。

577 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:48:04
>>576

関係ない。

578 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 13:05:51
>>576
何が?
箸墓云々よりも石塚・勝山の方が重要だろう。
布留の開始が2世紀初頭なのか中葉以降なのか?
ポイントはその辺りのはずだが。


579 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 13:21:29
>>578
吉備と東海が、箸墓の葬儀の中心を仕切っているということは、
吉備と東海の首長が、ともに畿内の首長の死に敬意を表し、
3者の生前の交友関係が、ずっと過去から長く続いていたことを示している。
墓が出来たと同時に連合したのではない。


580 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:49:38
布留の開始が2世紀初頭か中葉以降で論争になっていたとは……

でも、布留の開始が2世紀初頭になったら面白そう。
1世紀を弥生後期と庄内の幾つかの形式でさらに細分することになるから
ごっついツメツメの編年ができあがるはず。1形式十年ちょい。

581 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 19:04:33
>>578は庄内式の書き間違いだろ?

582 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 19:41:56
> >>578は庄内式の書き間違いだろ?
そうですね。幾らなんでも布留がどんなけ長いねんて話になりますからね

583 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:20:36
どちらにしても、庄内期の倭国で統一国家への胎動があったのは事実。
葬送儀礼の画一化は、各地のオウ族たちの祖霊・神話伝承の共有化=同族化への歩み
なんだろうし。
日向〜関東までの倭国の世界観が生まれ、伊勢=聖・出雲=穢の東西線が引かれる。
それまで各地で持っていた開闢神話・始祖王伝承も、西日本全域を舞台にした大規模な神話に作り変えられる。
この頃に、日向三代、神武東征、欠史八代などが発生したのだろう。

584 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:44:20
>>583
>葬送儀礼の画一化は、各地のオウ族たちの祖霊・神話伝承の共有化=同族化への歩み

まったくその通り。「前方後円墳があるから、ヤマト政権の支配下にあった」とか、
真面目に信じている輩が未だにいるからな。

585 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:55:12
>>583

北九州だけが連合の流れに乗れてない。
これをどう見るかだな。

1.北九州は独立性を維持した=邪馬台国があった。
2.北九州の独立性は2世紀に消滅し、畿内の支配下となっていた。

九州説派は1と考えたいだろうが、それは無理。
大勢力に発展しつつある畿内連合を無視したまま、菊池郡のクナ国に手を焼いてたことになる。

九州説派は、畿内の古墳の編年が古く見積もりすぎていると主張したいだろう。
しかし、その論法も無理。
古墳時代の始まりが、4世紀初頭でも、
古墳に埋葬された首長は3世紀中期に畿内連合結成に寄与したということだからだ。


586 :河童:2006/04/30(日) 22:00:25
>>585
>北九州だけが連合の流れに乗れていない
>>
当たり前だ
最初から連合などという組織は存在していない。
連合などという痕跡すらない。何処から連合という単語を引っ張り出したか確認したいものだ
どうせ、何処かの書籍からの受け売り知識だろうが

587 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:22:52
>>586

ならば、「北九州だけが、祭祀や交易の関係から外れている」でいいかな?

588 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:35:52
>>586
倭人伝の卑弥呼共立の記事。

>連合などという痕跡すらない。

考古学ではまったく逆の成果が出ています。もっと勉強すべし

589 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:23:28
庄内の開始が2世紀初めとか、寝言だな。
鏡の年代からは2世紀半ばでも古すぎ。布留0も、いいとこ3世紀半ばまで。
鏡は記年鏡を基準に詳細な編年がある。
それを無視したら論外。

590 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:45:42
筑紫勢力は、マキムク王権より外様扱いされていたのだろう。
筑紫は、丹波や東海、越、吉備とは異なり、崇神の四道将軍の入植地にも
選ばれていない。
また、マキムク遺跡に九州系土器が殆ど出土しない事からも補強される。
大和からの三角縁流入も、3世紀後半に一旦途切れる。
筑紫は、ヤマト政権中枢から一定距離を置かれており、この時期、冷遇されて
いたと思われる。

591 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:47:11
>>589
>鏡は記年鏡を基準に詳細な編年がある

このあたり、もっと詳しく書いて下さい。


592 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:50:42
鏡の「詳細な」編年も、庄内開始を3世紀初頭とする思い込みを基本と
してるからな。

593 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:58:28
庄内の始めは二世紀初頭。
これ常識。

594 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:59:19
布留の始めは三世紀初頭。
これ常識。

595 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:38:42
布留開始を3世紀初頭とすれば、卑弥呼の墓と言われる箸墓との整合性が
出てくる。
従来の説・庄内開始を3世紀初頭とするなら、畿内が卑弥呼共立で突然勃興したことに
なり、かなり不自然な印象であった。

596 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:52:29
ネタスレに突入か・・・・

597 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:53:21
庄内期に大和川水系豪族が連合し、マキムクに都を築く。
箸墓に先行する数基の古墳は、大和川水系豪族連合の王墓である。
3世紀初頭、吉備、丹波、東海、越、淀川水系と卑弥呼を共立。
邪馬台国体制が誕生する。土器編年で言えば、布留開始期に当たる。

598 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:58:05
>>596
まともな反論が出来ないのなら、旧弊を打破していけばいいじゃないですか。


599 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:59:51
省内開始が2世紀初頭なんて馬鹿話にまともに反論するキにならんよ。

600 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:00:35
おっと、600ゲット。

601 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:36:57
庄内開始が3世紀初頭ってのは畿内の話であって
庄内は九州が起源
よって九州の庄内はもっと古いと考えられる。

602 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 05:34:26
庄内・布留の話がよくでるけど、
弥生後期の存在自体が希薄になってる感じ
期間も庄内・布留より短いという認識みたいだし

吉備の楯築墳丘墓なんかどう認識されているのだろう
当然、庄内より前?

九州の庄内が古いかどうかは専門家に聞けば分かると思う
古くなかったはず……


603 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 07:43:24
庄内並行

604 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 07:48:22

2世紀後半までの方格規矩四神鏡・内行花門鏡が北部九州を中心に、
2世紀末以降の画文帯神獣鏡などが近畿中心に分布する。

このことから、2世紀末に政治権力が筑紫から畿内に移ったことがわかる。
当然、卑弥呼が欲した鏡とは、画文帯神獣鏡のこと。


605 :本田:2006/05/01(月) 12:34:25
>>585
> >>583
> 北九州だけが連合の流れに乗れてない。
> これをどう見るかだな。

九州北岸には狗邪韓國。

>郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、
>韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、
>その北岸狗邪韓國に到る七千余里。

606 ::2006/05/01(月) 12:37:53
そんなもん解釈次第です。

607 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 18:24:39
卑弥呼の時代=庄内式じゃないのか?

608 :本田:2006/05/01(月) 23:12:46
>>606
> そんなもん解釈次第です。

じゃあ邪馬台国九州説以外の人は、
狗邪韓國をどこに比定してるの?

韓国から離れて倭にあるんだけど。

609 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:10:39
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610 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:28:53
>>604
弥生中期までの日韓交易の担い手は北部九州玄海諸国が中心。
倭人側が渡海して半島南端の勒島等を拠点とした交易ネットワークに参加していたと思う。
これが、後期前葉になると韓人側が渡海のリスクを負って倭地に赴くことも増えてくる。
おそらく、倭地内の交易網が整備されて商品価値の高い交易品の集中量が増したのだろう。
壱岐の原の辻等がその新たな日韓交易の拠点となったようだ。
さらに、後期中葉以降になると韓人系の活動が西新や瀬戸内方面にも進出する。
この段階に至り、北部九州の独占的地位は崩壊(相対的な優位は変わらないが)し、
倭地内での新たな交易ネットワークの構築が始まったと考えるべき。
この時代が正に庄内の開始時期であろう。


611 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:45:41
韓人系の西日本侵出の要因としては、漢朝の衰退と公孫氏の興亡などを原因とする
楽浪方面での需要の不安定化も考えなくてはいけない。

612 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 07:56:47
>>610

庄内土器は、韓国でも出土してるんですか?

613 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 23:15:14
>>611
中国の歴史書で言うところの、倭国乱の終結・卑弥呼共立が2世紀末〜3世紀初頭。
で、この変革期を、土器編年で言うところの庄内開始と同一視したのが、従来の年代観。
庄内開始直前に起こる、高地性集落の消滅・環濠の埋め立てなどは倭国乱終結と
同一時代である証左とされていた。

614 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 08:15:44
邪馬台国の女王卑弥呼は偉大な呪術師であったことは有名だけど
その手法が現代のおっぱい占いの源流であることは意外と知られていない

615 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/04(木) 14:57:26
「倭人伝」に出てくる国々の位置・行程

狗邪韓国(現金海)→南千余里・対馬国(現対馬島)→南千余里・一支国(現壱岐島)→千余里・末廬国
(現唐津){ここまで水行}→東南五百里・伊都国(現前原)→東南百里・奴国(現春日)→東百里・不彌
国(現飯塚){ここまで陸行}→南水行二十日・投馬国(瀬戸内沿岸に地名の一致があるかが疑問。山陰
では投馬ーツマーヅモー出雲と言われるが疑問。)→南水行十日陸行一月・邪馬台国(現巻向)

傍国:わからない国名が多いが、考えられる物をいくつか。
斯馬国・肝炎に「伊都に届り、傍ら、斯馬に連なる」とあるのを根拠に、前原の隣の現志摩町だと考えられ
     る。
鬼国・おそらく、紀伊のこと。音は一応一致する。他にも九州のキイ郡も可能性はある。
支惟国・上記の紀伊・キイ郡が候補地。
彌奴国・三根郡が候補地だと思われる。(あくまで推測)


616 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/04(木) 17:06:45
倭の政治体制について

「魏志」には、倭国の官が五種類出てきます。「大官(官)・副・大夫・大倭
・一大率」です。
邪馬台国時代に、各国に王が存在した可能性は低いと思います。(伊都国・狗
奴国は別)根拠としてはやはり前半の行程に出てくる国々に「王がいる」と書
かれていないことです。よって、伊都国・狗奴国以外は「大官」が国の中で一
番偉かったのではないでしょうか。しかし、卑弥呼を「共立」したとき、伊都
の「王」と「大官」の地位で対等に話し合えたのだろうかと僕は思います。こ
こからは推測ですが、九州の「王」たちは、卑弥呼共立と同時に、「対外的な
地位」のみ下げられたのかもしれません。各々の領域内での権威はさして変わ
らなかった。だから邪馬台国の勢力は、北九州の勢力を押さえるために、伊都
国に「王」を残し、軍事的には「一大率」を配置した。この推論の形は、北九
州では二重権力に近いです。おそらく宗教的な権威などは「倭王」に求め、実
際には各国がほぼ均等な力を持っていた。邪馬台国時代は、こんな構造だった
のではないでしょうか?そこで国の統治機構。
             倭王
              |<伊都国王・一大率
             大官
              |
              副   


617 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:45:38
邪馬台国の時代に各地に官が置かれたというのは、かなり眉唾だと思うが。
後世、応神〜雄略期に整備されたという国造にしても、かなりの政治的自主性を保っていたし、
実際は各地のオウの権威を、ヤマト政権が追認にしたに過ぎないとされている。
伊都国にわざわざ王がいたと記載されているのは、中国に遣使した帥升の係累であった
ためだろう。おそらくヒラバルの王権が最初、後漢のバックアップで倭国王としての権威を
保持していたという歴史を物語っているためでは?

618 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/05(金) 11:32:58
>>617
一応「魏志」の記述を優先しました。ですが、あなたのレス内容については激
しく同意します。

619 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:21:33
>567
>吉備との政治連携がなければ、大和政権は瀬戸内海交易路を掌握出来ないし、
>魏への使いや、魏使を自国へ迎え入れることも出来なかっただろう。
>大和=吉備連合が初期ヤマト政権になったのであって、
>その連合が成立したのが、吉備の特殊器台が前方後円墳祭祀に採用された
>布留(3世紀後半)以降のことだと考えられる。
>つまり、大和政権は邪馬台国ではない、ということだ。
特殊器台が畿内に現れる布留より前に庄内の段階でマキムク型前方後円墳
や政治的意味をもつとされる庄内式土器が拡散しているので却下。
そもそも特殊器台出現の意味を過大視するのはかつて学会に大きな影響
を与えた近藤の影響だが、供献土器自体はホケノ山に西瀬戸系(土は地
元だが)の壷があるし、布留になると山陰式の器台も現れている。
箸墓=最初の古墳だった70年代ならともかく、今の時代に単に形が変
わっているからといって、吉備の特殊器台だけを過大評価して、吉備と
大和との「政治連合」を大げさに強調するのは時代錯誤といえる。
また、明らかに折口のパクリであり、何ら実証的な検証がなされていない
「特殊器台を媒介した?首長霊継承」とやらも無批判に引用するのは止め
るべき。

>571
>・土器の分布と連合体の相関関係はなに
供献土器の分布は政治的関係の可能性を示す。
ただし、上記に書いたようにこの時期の古墳には各地の土器が供献
されているので、吉備の特殊器台だけを特別視するのは間違い。
雑器ならば、強制労働、貢納の可能性を示す(東海系土器については、
この見解が多い)。
>・連合体にならなければ土器の分布はないのか
そんなことはないが、外来土器が異常に多いマキムクについてはそのように
解釈されているということ。

620 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:25:51
>585
>北九州だけが連合の流れに乗れてない。
>これをどう見るかだな。
これは明らかな間違い。
畿内を除けばマキムク型前方後円墳や庄内式土器は北九州に集中している。
なので北九州が入っていることを照明できないなら、他の地域はもっと照明不能
ということだ。


621 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:31:57
>602
>庄内・布留の話がよくでるけど、
>弥生後期の存在自体が希薄になってる感じ
>期間も庄内・布留より短いという認識みたいだし
>吉備の楯築墳丘墓なんかどう認識されているのだろう
>当然、庄内より前?
一般的には前とされる。

>604
>九州の庄内が古いかどうかは専門家に聞けば分かると思う
>古くなかったはず……
古いのがあるというのが最近の動向。

>604
>2世紀後半までの方格規矩四神鏡・内行花門鏡が北部九州を中心に、
2世紀末以降の画文帯神獣鏡などが近畿中心に分布する。
>このことから、2世紀末に政治権力が筑紫から畿内に移ったことがわかる。
>当然、卑弥呼が欲した鏡とは、画文帯神獣鏡のこと。
画文帯が入っているくるのは確かだが、内行花文鏡等から変わったというのは
間違い。大きさや扱いから、むしろこちらがメイン。
岡村の説を鵜呑みにするのは愚の骨頂。


622 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:39:54
>610
>弥生中期までの日韓交易の担い手は北部九州玄海諸国が中心。
>倭人側が渡海して半島南端の勒島等を拠点とした交易ネットワークに参加していたと思う。
>これが、後期前葉になると韓人側が渡海のリスクを負って倭地に赴くことも増えてくる。
>おそらく、倭地内の交易網が整備されて商品価値の高い交易品の集中量が増したのだろう。
>壱岐の原の辻等がその新たな日韓交易の拠点となったようだ。
>さらに、後期中葉以降になると韓人系の活動が西新や瀬戸内方面にも進出する。
>この段階に至り、北部九州の独占的地位は崩壊(相対的な優位は変わらないが)し、
>倭地内での新たな交易ネットワークの構築が始まったと考えるべき。
>この時代が正に庄内の開始時期であろう。
大筋正しいが、交易については後期にあっても北九州が圧倒的。
日本海側の地域勢力の大陸との独自交渉の過大視については、村上ら
によって、圧倒的に北九州経由であるとして、徹底的に批判されている。
主に大学の学者が勝手に言っている畿内勢力の独自交渉に至ってはほとんど
物証がなく、仮説の域を出ていないもの。


623 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 08:26:47
>>615
倭人伝の位置と行程は判った。 それでは 規模は?

624 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 09:12:38
>>622

北九州では、鉄器などの物量は古墳時代になってもあいかわらず畿内より多いわけですが、
王都が北九州ではなく畿内に置かれたのは何故か説明できますか?


625 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 09:26:23
>>624
その前に、王都である条件は何?

626 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 09:38:49
>>625

では、何世紀に日本の王都は畿内に置かれたのですか?
平安時代ですか?

627 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/06(土) 10:56:09
>>623
国土については、おそらく九州の国家の方が小さいです。人口は、漢書地理志
で一戸が平均何人か調べてから書きます。ちなみに>>615の「肝炎」は太宰府
天満宮?所蔵の本のことです。ヘンな書き方してすみません。

628 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 11:22:51
翰苑ね

629 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/06(土) 13:59:03
>>628
ありがとうございます。

630 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:49:45
誰かこの前の考古学研究会に行った人いる?
このスレ的には久住氏の話はどうだったかなと。

631 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:23:15
この時代の倭人たちが、どうしてこんなに銅鏡を欲しがったかが、よく分からないな。
信長「茶の湯政道」の名物みたいな印象だ。
中国から伝来した神仙思想が倭国中で流行していたためとも言われている。
中国の五斗米や太平道の隆盛が倭国にまで波及していたのか。

倭国での銅鏡の利用方法はやはり古墳祭祀で、「王の死→新しい王の誕生」
という、国家の一大セレモニー(いわゆる首長霊祭祀)を後押しする呪術具
だったのだろう。破鏡などの埋葬方法からも、単に生前に愛用した器具を
副葬しただけとは思われない。

632 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:31:59
首長霊祭祀に銅鏡が必要不可欠であったとするなら、倭人たちにとって
黄巾の乱以降、華北からの鏡供給が途絶えたことは一大事だったのかも
しれない。破鏡の風習も、鏡の絶対数が少なく、割ることでその数を増し
呪術力を増幅し得ると考えたためともいう。
倭国の鏡不足は、現代の我々が考えているより、余程深刻だったのかもしれない。

633 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:39:22
オウたちは首長霊祭祀を執り行うために、鏡を欲求した。
卑弥呼が多くの鏡を欲したのは、このような各地のオウたちに配布するためと考えられる。
で、239年以降、オウたちは各地で前方後円墳を造り、卑弥呼より配られた銅鏡を
副葬した。
この場合の銅鏡=初期の三角縁神獣鏡になるだろう。土器編年で言うところの
布留の時期にあたる。

634 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:44:45
楽浪とは途絶えてないよ。
本当に鏡の供給も途絶えたのかな?
あと鏡重視は紀元前1世紀後半の北部九州からなわけだが。

635 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 19:38:58
楽浪経由で、呉の鏡が入ってたみたいですね。画文帯神獣鏡でしたっけ?
少なくとも、黄巾賊以降の戦乱で、華北の鏡工房が破壊されたのは確かなようです。
卑弥呼が公孫氏の傘下に入ったのも、鏡目当てだった、とか。

636 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 20:26:08
>>635

赤烏(せきう)元年(238)の呉鏡
東京国立博物館で常設展示されてるからみてくるといい。

ttp://5526.net/asumiko_ryujin/Jyofuku/1mai-no-kagami-osada/osada-kaneo03.htm

637 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 21:15:25
神獣鏡が呉の鏡、っての間違いないでしょ。

638 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:05:49
全て呉の鏡というわけではない。
日本列島に来てるのは周辺部の亜種鏡がむしろ多い。

639 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/07(日) 12:01:51
確か画文帯が公孫系列でもたらされたっていうのは岡村の説でしたよね?でも
画文帯って二世紀前半から来てるんでしょうか?確か庄内でも後ろの方だった
はず。

640 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 12:31:57
>確か庄内でも後ろの方だったはず。

いったい何処からでたデマだろうか?
こういうデマがいかに発生し普及するかに興味がある。

641 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/07(日) 13:08:24
>>640
確かホケノ山は赤塚氏の編年によれば廻間二式の時期だったはず。庄内だと
二〜三式が同時期。で、ホケノ山は一般的に箸墓の直前ぐらいだと考えられて
いるはずだから庄内三式じゃないんですか?

642 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/07(日) 13:15:46
つけくわえると橋本氏あたりは布留ゼロだと云っている。そしたら、余計に公
孫との関係は薄れてしまうんじゃないでしょうか?

643 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 13:22:23
僕も>>640がどの画文帯神獣鏡を根拠にデマだと広言したか知りたい

確かに中国では庄内の後ろの方以前でも画文帯神獣鏡はあるのだから
日本に入ってきても不思議ではないとは思う……

>>640はいったいどの古墳が画文帯神獣鏡が出土する最古の古墳だと考えているのだろうか

興味あり

644 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/07(日) 13:36:03
とりあえず>>640に画文帯出土の古墳名と、出土した土器の形式名を求む。

645 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 13:37:20
萩原は庄内1か2だがなにか?

646 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/07(日) 14:03:51
>>645
有り難う御座います。そうなると、画文帯は二世紀前半から日本に来ていた
と見てよろしいのでしょうか。

647 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:08:28
>>645
それは各地の豪族が個別に入手したものだろう。
後に、畿内王権が一括入手、配布したと。

648 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:33:49
>>645
萩原1号墳。てっきりホケノをそう遡らないものだと思い込んでた...
ちゃんと画文帯神獣鏡が庄内初から出ていたんですね

画文帯神獣鏡(漢鏡7期2段階)は庄内初と併行。勉強になりました

649 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:04:12
歴史関係のTVが始まるので今のうちに書いておくけど……
>>648の発言は皮肉だよ……

【萩原は庄内1か2だがなにか?】なんて初耳だ!

いったい誰の説だか……

650 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 21:48:44
ずいぶん前からいわれてるんだけどなー

http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2001/0920.htm

そろそろ東四国を見直してくれんかね

651 :363:2006/05/07(日) 22:08:38
650はいつもどこか行くようにいわれる
東四国説の私です。

鳴門市の教育委員会によい人が
近年いらっしゃったようなので、年代と墓の形状などの
再調査が進められている模様です。ありがたい。

最近は、天河別1号、萩原2号の調査を終えたところかな。
できれば阿王塚も調べてほしいところ。
円形積石塚 画文帯神獣鏡2面 箱式石棺
土器による方形区画、大石室を中心に左右前面に小石室と
萩原1号墓に相通じるらしいのでね。

この内区欠の舶載画文帯2面は宮内庁に保管されている
らしいのだけど、詳細をご存知の方はいらっしゃいますか?
萩原と同じような優品ですかね。見たいのだけどなあ。

652 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 22:56:28
>>650
リンク先には萩原が庄内の1〜2という文章はなかったけど
そこに登場する【北條芳隆さん】って方が、ずいぶん前から
萩原が庄内の1〜2であると言っていると言うことですか?

四国。注目されるべき地域なのに、何かガッカリ...

653 :なんでだろ?:2006/05/07(日) 22:58:04
「九州北部」と「奈良県南部」の方言アクセントが、
共に「東京式アクセント」なのはなんでなんだろう?

654 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:35:47
248年に卑弥呼が死亡し、台与が13歳で即位。265年には晋に朝貢している。
崇神天皇の没年は、古事記の干支を信用して318年。

卑弥呼、台与の時代と、崇神の時代が近すぎる。
神武〜開化までの9代は架空天皇の疑いが強い。

卑弥呼=天照大神説、神武=崇神説を採用してみる。
東征説を支持するなら、邪馬台国は九州になる。

が、卑弥呼=天照大神と、神武=崇神の間に血縁関係がなかったとしたら、別の解釈が可能になる。

邪馬台国は大和盆地にあり、3世紀は卑弥呼〜台与が支配した。
4世紀初期に、九州勢力の天皇家が邪馬台国を攻略し、新王朝を立てた。

卑弥呼はこの時代の人としては長寿だったので、かなりの長期間、女王として君臨してた。
王朝交代後も、卑弥呼の伝説は各地に残ってたはず。
記紀を編纂する際に、天皇系の正当性を高めるために、卑弥呼の伝説を天皇家の系図に取り入れた。

----------

台与がいつ死んだのか分かりませんが、晋に朝貢したときは既に30歳前後であったと思われるので、270〜300年の間だと思います。
神武=崇神の東征を300年前後と考えると、台与の死後、政治空白が生まれた可能性が考えられます。
これをチャンスと見て神武=崇神が大和へ攻め入ったと考えられないでしょうか。

天皇家の前に統一国家があったのではマズイということと
天皇家と卑弥呼、台与の間に血縁関係がないので、神話の上の人物、という形で挿入したのではないでしょうか?


655 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:43:55
>>654
ってことは、先生の考えでは弟王=長脛彦ってことになるのですか?
それか、台与のあとを長脛彦が統治していたということですか?
それをもって、物部氏が神職と武門を兼任していた証拠とするのでしょうか

656 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:02:39
邪馬台国畿内説って東大に対抗する目的で京大系が必死になって持ち上げてるだけの説で
感情と学閥の都合で立ってるだけの説
チョン学者の好太王碑文捏造説みたいなもんでしょ

657 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:13:02
スレタイの字を読めない人がいるのでびっくり



658 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:27:12
結局、邪馬台国の連中はスレタイなど無関係に人がいるところに集まって
好き放題にわめくだけだから、スレは一つあれば十分。
連中にスレを使い分けるなんていう高度な知恵はない。

659 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:26:04
>>653

ワイは、
そんな事より、
どうして佐渡島は、
東北弁じゃなくて、
関西弁なのか、
の方が気になる。

660 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:29:07
関西から送られた人が多かったから。そんだけ。

661 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 11:43:16
>>653

奈良南部は関西弁圏内で唯一東京式アクセントなんだそうだ
おそらく北九州に有った王朝が奈良に東遷した名残だろう

662 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 12:26:11
>北九州のアクセントは東京式w
どのようにして聞いたらそう聞こえるのか小一時間ry
つか北九州って小倉とか八幡のあるソレか?
それとも九州北部全域のことか?
まぁどちらにしてもカンチガイだろうけどw


663 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 13:05:03
>>662
便宜上関西弁に分類される地域でも、
十津川村を中心とする奈良県南部では東京式アクセントが用いられ、
ほかの関西弁との類似性が低いことが知られる。

664 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 13:07:47
>>662
北九州弁は、博多弁と同じく東京式アクセントであるが、
博多弁よりも更に東京式アクセントに近い。
九州方言の中では、最も標準語に近い方言とされる。

665 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 13:20:56
方言なんて関西から円形に遠ざかるようにして類似してるだけだよ。
同じように南九州弁と東北弁のアクセントは似ている。

666 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 13:23:44
南九州・沖縄と東北・北海道は、縄文系だからにてるんだよ

667 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/08(月) 19:13:24
>>649
ご指摘有り難う御座います。画文帯神獣鏡はホケノ山古墳の物が日本において
最古の部類に入る、ということになるのでしょうか?

668 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 19:31:51
聞いたことがないのは、>>649が不勉強なだけ。
萩原が古いというのは、ほぼ通説。

669 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 19:36:46
> 最古の部類に入る、ということになるのでしょうか?
僕が知っている範囲では綾部山39号の画文帯神獣鏡が一番古いです。
結構、有名な古墳?墳丘墓?なのでネットで検索すればすぐ見つかります。

ただ、これがどの年代になるかは
いろいろと情報を集めて判断すべきだと思う。

僕自身は『庄内でも後ろの方』という意見に賛成だけど……
異論はあるかも知れません

670 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/08(月) 19:39:47
萩原が古いというのはわかりましたが、結局庄内何式並行なんですかね?
>>645氏の云うとおりなんでしょうか?

671 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/08(月) 19:42:05
土器形式がわかれば、赤塚氏の轍に沿って並行関係を決めるのですがw

672 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 19:46:49
発言がクロスしてしまった……
僕は萩原やホケノより綾部山39号の方が古いと思ってます。

素人なので正確ではないかも知れませんが、
萩原はホケノと並ぶくらいで纏向Vという認識です。
ただ、ホケノと並ぶだけでも古いのでは。

萩原の年代の通説については……各々の判断に任せます。

673 :363:2006/05/08(月) 21:07:07
萩原が古いというのは25年ほど前から
土器を調べれば分かっていた話。
四国というと片田舎に扱われてしまい、
前方後円墳の起源という考えには至らなかった。
現在のところこの墳丘墓の年代は200年前後
とされているらしい。

>652
なぜにガッカリ?
古いといって邪馬台国にすぐにつながる訳では
ないので、いろいろやることはありますよ。
まともな考古学者は、直接関係付けるのを
避けているみたいだし。

674 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:31:19
前方後円墳を考案した勢力=邪馬台国とは言えない。

畿内王権が、四国の祭祀を導入したということ。


675 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:38:30
> 現在のところこの墳丘墓の年代は200年前後
200年前後という意見なら通説という見解もあり得ると思う。
ホケノの年代をそのくらいの時期に考える人も多いので……

> なぜにガッカリ?
四国は前方後円墳の起源ともいうべき重要な要素(積石塚など)を結構、
持っているはずなのに、北條芳隆さんが絶対年で語っているせいで
胡散臭く思えた点。

絶対年はまだ大きくズレる可能性があるので、絶対年で書かれると
数年後には土器編年のどこのことを指しているのか分からなくなる
可能性あり……

例えば、200年という言葉だけでは
庄内前なのか庄内後なのか分からなくなる可能性あり……

676 :363:2006/05/08(月) 21:55:39
>675
TVだから分かりやすく話しただけでしょう。
庄内式併行期とかいっても、分からないだろうし。
年代はそれほどずれていないと思いますよ。
土器だけでやってるわけじゃないだろうから。

>674
それが大和中心主義という魔物なんだけど。
四国説という自然な作業仮説が生まれない。
若手の考古学者は少しずつ何が問題なのかが
分かってきているんだろうけど。
大変ですな、こういう分野は。

677 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 22:44:19
少なくとも伊都国東遷よりかは、四国の方が可能性がありそう。
瀬戸内海交易路が、畿内王権の生命線であった以上、東瀬戸内を抑えることが
第一条件。
見る銅鐸の出土が紀伊や阿波などに多いのも、その証拠になるだろう。

678 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 14:35:14
んなもん証拠になるかよwプッ

679 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:42:24
瀬戸内海交易路の安全保障こそ、初期ヤマト政権の成立の要因であったの
だろうと思います。
各地のオウたちの鉄資源の渇望が、遠隔地交易の活性化を呼び起こし、
瀬戸内海の航海の安全を保障しうるような、強力王権(この時は宗教的権威で代用)の存在が
希求された、ということ。
更に言ってしまえば、筑紫による供給独占に対し、需要側諸国(瀬戸内海経済圏)が
団結し、筑紫独占の打破を目論んだのでは?と。

680 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 23:00:39
>>650
>そろそろ東四国を見直してくれんかね

つまるところ、○○説って250年あたりに卑弥呼が何処にいたかって話なんで、
250年だと東四国はちと厳しいんでは?

前門の楯築、後門の纏向。

畿内王権の成立に東四国が重要な役割を果たしたというだけでなく、
中心となる勢力の一つだった言ってしまってもそう大過ないとは思うけど。

681 :363:2006/05/10(水) 05:35:10
>680
250年頃に築造された卑弥呼の墓が見つからない
(径百余歩、魏鏡100枚、殉葬100人)からということですか。
たぶん徳島の大麻山周辺から見つかると思いますよ。
遺物に関しては盗掘にあってないことを祈ってます。
まずは、大麻比古神社裏の墳丘状の丸山を調べるべきでしょう。
(径80歩くらいはありそう。)

この地域は弥生末期〜古墳期にかけて、
大きな勢力を持っていたことが明らかになりつつあります。
残念ながら開発が遅れていたので、それほど知られて
いなかったということです。

繰り返しになりますが、自説の宣伝もさせてください。
24国比定案(大域構造)
http://www.geocities.jp/yamatai4/

大麻山周辺=卑弥呼の都
および記紀とのすり合わせ(局所構造)
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

卑弥呼につながる墳丘墓?=丸山(一点絞り)
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/maruyama.html

682 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 11:19:46
↑リンク先を見れないんですが

683 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 12:49:55
んなもん、見る価値無いよ

684 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 19:59:24
> そろそろ東四国を見直してくれんかね
こんなことを言う人に限って四国の編年観が見えてこない。

古い、通説、不勉強、田舎だから不当扱いされている 
といったようなタカビーな発言を続けるよりも...

四国の古墳・墳丘墓の前後関係や
楯築、纏向石塚、ホケノ、綾部山39との併行関係のことを語って欲しい

685 :363:2006/05/10(水) 20:36:24
邪馬台国がどこにあったかという
微妙な問題を議論してるわけだよね。

まず東四国がその当時の日本での最大勢力
とは思ってはいない。
記紀を信ずるかどうかは知らないけど、
神武東征だって寝返りがなかったら
負け戦だったような記述がある。

逆に聞きたいのは、なぜ邪馬台国をその当時の
日本の最大勢力だと思い込んでいるのかということ。
魏使は吉野川の巨大な河口(1.5〜2km)
を見てそう思い込んだかもしれないけどね。

併行関係を語れば、何か見えてくるのかな?
微妙な問題を大雑把に考えても
仕方がないと思うんだけど。

686 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 21:11:14
> 併行関係を語れば、何か見えてくるのかな?
大雑把ですらない考え方
そんな状態で邪馬台国とか古いとか言っても
> 仕方がないと思うんだけど。

687 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 12:32:30
畿内に卑弥呼は居なかった。が大正解。

688 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 17:33:39
それよっか邪馬台国関連スレ全体が、瀕死だな。

689 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 22:20:51
>>685
>逆に聞きたいのは、なぜ邪馬台国をその当時の
>日本の最大勢力だと思い込んでいるのかということ。

いやまあ、倭人伝を読む限り、出てくる国の中では最大戸数だし。
少なくとも、北部九州勢力は凌駕してた訳で。
東四国の少ない平地でそれだけの人口を養えたかは疑問。
あくまで、ヤマト大王家のルーツのひとつとだとするなら、甚だ同意だが。

690 :363:2006/05/12(金) 04:19:50
>689
これは「空海スレII」で書いたんだけど
奴国2万戸との比較では
そんなに妙じゃなかったですよ。

まず奴国の範囲を定めないといけないけど、
それはどう考えられてるのかな?
私は、那珂郡、早良郡、粕屋郡をあわせたくらいかと。
ちなみに自説の邪馬台国の比定範囲は
徳島(阿南除)+香川東半+淡路
(投馬国、傍国を除く旧四国)

あとよくでてくる小山氏の人口推定のデータは、
『全国遺跡地図』(昭和40年)を使っているようです。
これだと精度にはあまりにも大きな問題があることは、
しばしば指摘されていることです。
http://ao.jpn.org/toron/articles/seifukusetsu/908.html

691 :本田:2006/05/12(金) 07:25:58
>>689
> >>685
> >逆に聞きたいのは、なぜ邪馬台国をその当時の
> >日本の最大勢力だと思い込んでいるのかということ。
> いやまあ、倭人伝を読む限り、出てくる国の中では最大戸数だし。
> 少なくとも、北部九州勢力は凌駕してた訳で。

東夷伝の作者は、狗邪韓國の詳細を知らなかったみたいなので、
狗邪韓國が最大勢力の可能性がある。

あと津軽から南部かけてにも最大勢力が居た可能性がある。

692 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 07:44:07
荒吐王国

693 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 10:38:12
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   '゙"`ヽ, /``/::;:゙;゙::!:.:| ``'''‐--‐''゙   '-‐'゙ ゙、       /
     ヽ ヾ /:;'/:.:!:::l  、,r''"゙`'ヾ    ,:',-‐-、,'l      /
   -=,'゙   ./:::/:.:.|::::l  /  (・),.    ヾ,_(・) ,'゙l      (
     `ヽ ,゙:::,'::::;':!::::l   `"´ ''"´     | ̄__,,l,,...,,_   \ええっ 今日も
     -='゙ l::::l::::;':. l:::::l               ` ゙、.,,_,,.``ヽ、
     __) l!゙,l:::;'-、 ';::::!          ,.-‐‐:、    l `ヽ、  \   本田はキチガイだわ!!!
      ヽ. !:l:::l/-ヽ.゙;::',    U    /:::::::::::r=‐'''"´`''‐,.-゙'‐-、ヽ.
       ) ゙!::l l"''、l ヾ゙:、   u     l:::::::::::::::`'''‐‐''''‐i'゙  ,,..、  `\
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694 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 15:49:06
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        _,,,,,,,,,,,,_ ,r┴‐-、ヽ---‐' _,,,..-─、   i::::::ヽ   えー!? マジで…?
     ,,,r ''~.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:`゙ヽ、.:.:.:.:゙'ヽ、  i´    i  ノ::::::::::゙、 世の中 本田 のような超アホ人間がいたの?
   /.:.:.:.;.:.:/!ヽヽ,,、.:、.:.:.ヽ.:.:.:..:.:.:.\ |     レ':::::::::::::::::'、
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695 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 15:50:27
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........  |::::/.      _ l`': 、_     ///;ト,゙;:::::./
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696 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 16:05:51
たとえ畿内にあったとしても東日本は絶対含まれてないと思うぞ。

697 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 16:33:53

絶対の根拠を述べよ

698 :オカルト板からきたんですorz:2006/05/12(金) 17:13:53
広辞苑に初期の大和王朝は西日本を支配云々・・・て書いてあったから
それにまだ蝦夷が東日本にいた可能性が高いし、それになんか国の名前
は皆1文字だったけど2文字にする政策があったらしい。だから倭が大和
になった(読み方は一緒)から。後は出雲大社かな。
byここまで書き込んでから邪馬台国全く書いてないことに気づいたスレ

699 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/12(金) 17:37:54
萩原が庄内並行なんでしょ?そしたら前方後円墳の起源だというのはますます
ありえないですね。

700 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:07:20
>>698
>皆1文字だったけど

それは間違い

上毛野→上野
下毛野→下野

701 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 00:00:51
前方後円墳祭祀自体が、各地の首長霊祭祀のパッチワークな訳で。
前方後円墳祭祀のルーツが東四国というのは、明らかな北條の勇み足。
畿内中心史観に一石を投じた意味はあったのだろうが。

>前方後円墳を考案した勢力=邪馬台国とは言えない。
>畿内王権が、四国の祭祀を導入したということ。

「邪馬台国捜し」は男のロマン。自分の地元だったらいいなあと思います。
やっぱり四国出身の方なんでしょうか?

702 :363:2006/05/13(土) 04:57:10
>699 >701
北條氏は徳島起源とは断定していません。
西播磨、香川、徳島の3ケ所が同様なところが
あるらしいから、徳島起源の可能性は
33.3%とTVで冗談っぽく言ってます。

自説の場合は香川+徳島+淡路だから66.6%
この際西播磨も比定範囲にいれれば
99.9%になるなあ。(冗談です)

文献を使わなければ、あとはより精密な
測定と推測が必要ですね。
別に西播磨でもいいんだけど、24国の
比定地図がかけないと思いますよ。

「各地の」というと、他にどこがあるか
具体的に挙げてもらえますか?

703 :363:2006/05/13(土) 04:58:58
最近の報告です。

考古文化研究会より
http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=kobunken&dd=14&p=1

また、綾部山39号墓の報告書(芝・中溝ほか2005
『綾部山39号墓発掘調査報告書』揖保郡御津町教
育委員会:御津町立室津海駅館で頒布)も刊行されました。
石積み囲いや、祭祀、画文帯神獣鏡など、考察が充実しています。
考察は中溝氏の報告を中心に、画文帯神獣鏡は岡村氏、
土器は森岡氏と、執筆陣も充実しています。画文帯神獣鏡は
岡村編年漢鏡7期第一段階で広漢郡で2世紀第3四半期に製作され、
入手からほどなくして副葬されたようです。土器の内、小型鉢は
庄内式第3小期を遡るものではなく、紀元220年前後と想定されています。
下川津B類も出土しており、全体的に阿波・讃岐・西播磨、
いわゆる「阿讃播」の強いつながりが伺えます。墳形は多角形の
楕円形墳丘墓とした上で、新たに前方後円形になる
可能性を示唆されています。

704 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 08:59:22
>>703が参考で提示してくれた内容が凄くまともな意見だと思う。
これに加えて四国でも萩原よりも古い古墳・墳丘墓の位置づけを
整理すれば、もう少し四国全体の位置づけも見えそうな気がする。

> 自説の場合は香川+徳島+淡路だから66.6%
> この際西播磨も比定範囲にいれれば
> 99.9%になるなあ。(冗談です)
淡路は入るけど播磨が入らないってのは地元民として屈辱!

巴利國を播磨に当てちまえ…

705 :がいやまん:2006/05/13(土) 09:04:06
漏れはこの広域連合を投馬国、イワ大神、神武、孝霊、ヒミコの出たところと見ている。

706 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 09:16:35
> 各地の首長霊祭祀のパッチワーク
僕もそう思う。

特殊器台・特殊壷は間違いなく吉備の影響
庄内式土器などは河内の影響とも言えなくはない
鏡の埋葬は九州の影響か……
葺石は四国の積石塚、あるいは山陰の影響かも知れない
墳形は四国の鶴尾神社4号があげられたりするけど微妙なところ……

707 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:05:23
首長霊祭祀自体が、出雲・吉備・筑紫で始まり、それらを模倣する形で、
畿内の前方後円墳が生まれたんだろうと。


708 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:27:46
筑紫は関係ないだろ。


709 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:32:46
九州の鏡は、破砕して埋める。
これは、死者が亡霊としてよみがえるのを恐れている。

一方、古墳時代の鏡は完全な形での埋葬。
これは鏡の力で死者を守る、壁邪と見られる。

鏡を副葬するという点では表面的には類似性のようにみえるが、
その本質は全く異なっている可能性が多分にあり、
鏡があるから九州の影響というのはあまりに短絡的過ぎる。。

ついでに言えば、単なる装飾品として副葬する中国とは、
弥生、古墳時代ともに、文化的に全く異質のもの。

710 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:45:23
ホケノも破鏡してるよ

711 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:55:37
あれは土圧で割れたもの。破砕じゃない。

712 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 13:19:02
> これは、死者が亡霊としてよみがえるのを恐れている。
> これは鏡の力で死者を守る、壁邪と見られる。
これほどの憶測ではないけど、
鏡の埋葬が九州の影響かどうか断定できないってのは分かってるよ

寧ろ鏡の埋葬が何処にルーツがあるかの意見を出して欲しい

もちろん憶測の域は出ないだろうけど、
たとえば四国など九州以外のルーツを示すだけでも
それはそれで意味はあると思う……

713 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 13:26:08
ホケノの内行花文鏡って本当にパーツ全部揃ってたの?
九州にだって完鏡はあるよ!

714 :がいやまん:2006/05/13(土) 14:37:14
破片だよ。平原の形見分けかなー。仲哀が伊都国のウルサン出身のイトデから
貰うのが正式の内行花文鏡であって、崇神のもっていたものなんかはたいしたもの
じゃないのと違うかな。この辺は三種の神器スレでちょっとのぞいてみる。

715 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 14:47:49
当時の大王は、自分が生きてるうちから、古墳作らせてるの?


716 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 15:12:07
248年に卑弥呼が死亡し、台与が13歳で即位。265年には晋に朝貢している。
崇神天皇の没年は、古事記の干支を信用して258年。

ほぼ同世代だな。


717 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 15:29:35
崇神の崩年については318年説の方がよく聞く
どちらにしても近いには違いないけど……

718 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 16:03:28
崇神天皇の271年没説ってのは、どういう計算ですか?

719 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 16:54:00
>崇神天皇の271年没説ってのは、どういう計算ですか?
日本書紀とも違うから誰かのオリジナルでは?

2〜10倍年で計算した年代に『60をX倍したもの』で調整し、
+αしたような年代なら、本人に聞かないと分からないと思う

その説を唱えている本人に聞くべき

720 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 17:09:09
> その説を唱えている本人に聞くべき
秀真伝などの古史古伝って可能性もあるかも

721 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 17:11:08
なんだ、個人の妄想かw

ということは、258年で決まりですね。
七枝刀が369年に作られて神功49年(372年)に贈られてるわけだから、
祟神が318年没では、合わないからね。

722 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 18:07:49
> 七枝刀が369年に作られて神功49年(372年)に贈られてるわけだから、
> 祟神が318年没では、合わないからね。
なぜに合わない? もう少し説明を……
もともと雲を掴むような時代の話ではあるけど……

確か古事記のよると仲哀の崩年は362年、応神の崩年が390年。
崇神−垂仁−景行−成務−仲哀が44年では短いという意味かな?

723 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 19:50:47
>>722

>崇神−垂仁−景行−成務−仲哀が44年では短いという意味かな?

短すぎる。
後の天皇の在位期間くらい調べてみろ。


724 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 21:50:05
最初に三輪山山麓に居住したと記紀に記載されている崇神。
マキムク開始期の大王と考えるのが、至極妥当。
ハツクニシラスという呼び名にも相応しい。

725 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 22:17:11
>> 723
危うい推理。安本美典の平均在位年数とほとんど変わらん考え方。

5代分の在位期間が統計的なもので決まると思っているとは……

726 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:18:28
>>722-723
仲哀は崇神の曾孫、系譜は無視して崩年だけ採りますか?

727 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:29:28
>>726
>仲哀は崇神の曾孫

はぁ?
顔洗って出直して来い。


728 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:26:29
>>726
僕も系譜を無視すべきではないという意見に賛成です。
ただ、崩年記事ですら絶対的ではないとも思っています。

>>723
> 後の天皇の在位期間くらい調べてみろ
と言えるくらいに在位期間を知っているわけではないので
完全な例を挙げることはできませんが、

崇神天皇の崩年318と成務天皇の崩年355の直系4代37年の差なら
誰でも知ってそうなところでありました。

天智天皇〜文武天皇が
在位としては天智、天武、持統、文武の4代
血統としては天智、持統、草壁、文武の4代

天智天皇の崩年671と文武天皇の崩年707は4代36年の差

つまり、これって……あり得るということでは?
>>723の論理って怪しい……

>>727
曾孫と玄孫の間違いくらい優しく訂正してやれよ
(崇神−垂仁−景行−日本武尊−仲哀)

729 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 02:23:29
草壁、文武とも二十代で死んでるからな。かなり特殊な例だと思うぞ。
崇神〜成務で早死にの可能性がありそうなのは、世継ぎに恵まれなかった成務くらいか。


730 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 05:49:37
>草壁、文武とも二十代で死んでるからな。かなり特殊な例だと思うぞ。
崇神〜成務にどんな特殊な要因が潜んでいるかは誰にも分からないこと
崇神〜成務が想定外にないと仮定したら、想定内になるのは当たり前

この場合、何歳で死んだかというよりも、何歳で子を作ったかが重要
でも、そんな個人的なことは統計では導き出せないはず……

だから、統計的なもので在位期間を決める安本美典のようなやり方は
落とし穴があると言いたかっただけ……

731 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 07:21:41
>>730
>この場合、何歳で死んだかというよりも、何歳で子を作ったかが重要
>でも、そんな個人的なことは統計では導き出せないはず……

いや、この場合、在位年数と関わってくるから。
それに早死にした大王の子供は幼少だから、大王にはなれない。中継ぎの女王とかを
即位させるなら別だが。
持統以降の皇位継承はかなり特殊だから、それを例に出されてもな。

732 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 07:28:11
崇神に深く関わってくる、箸墓やマキムク遺跡の造られた年代を
考えれば、318年では年数が離れ過ぎている。

733 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 07:59:43
>>728

おまえこそ系譜をよく理解してるのか?

>在位としては天智、天武、持統、文武の4代
>血統としては天智、持統、草壁、文武の4代

ぜんぜんでたらめ。

血統としては天智と天武は兄弟。
持統は天武と結婚し草壁−文武を生む。
したがって「文武」は「天武・持統・天智」の孫の世代。
このあたりは、近親で即位しあってるから、
計算するなら、「天武・天智」の親の「舒明」から計算すべきだろ。

舒明没641年から玄孫の聖武没756年まで115年。崇神没258年から玄孫の仲哀没362年の4代で104年。
崇神没318年から玄孫の仲哀没362年の4代で44年。

系譜と照合しても計算上は、崇神没258年で問題ない。


734 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:07:10
この時代の系図はアテにしないほうがいいと思う。
記紀に父子関係と書かれていても無視していい。
この時代に親子5代もスムーズに権力継承が行われたとは考え難い。
樹立間もない大和政権が、それほど安定してたとは思えない。


735 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:07:56
318 崇神没
??? 垂仁没
??? 景行没
355 成務没
363 新羅出兵
368 高句麗、百済へ侵攻
371 百済、倭へ七支刀を寄贈
391 高句麗、好太王即位
394 応神没
----------
413 倭王[賛]遣使
421 倭王[賛]遣使
427 仁徳没
----------
430 倭王遣使
432 履中没
----------
436 倭王[珍]遣使
437 反正没
----------
443 倭王[済]遣使
454 允恭没
----------
462 倭王[興]遣使
??? 安康没
----------
478 倭王[武]遣使
489 雄略没


736 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:11:42
362 仲哀没
を書き忘れた。この翌年に新羅出兵がある
三国史記の記述だと364年になっているが、好太王の即位年が碑文と1年ずれているので
三国史記の記述が全体的に1年狂ってるとすると、363年になる。

737 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:29:22
>>735

なるほど、系譜を無視すると、
394 応神没−489 雄略没 まで95年で、1代15.8年に見えるな。
系譜上は、応神の曾孫が雄略であって、1代31年なのだがな。

それと、倭の五王が親子関係にあることは(多少の系譜相違はあるが)中国も認めている。






738 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:35:40
そもそも仲哀の父が日本武尊という時点で仲哀の系図は疑わしいわけで。
古事記の干支を信じるなら垂仁、景行、成務は37年or97年。
この時代で、3代で97年は長すぎると思う。

739 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:39:42
>>738

没年は信じて、系譜を信じないという取捨選択の根拠を述べよ。


740 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:28:59
>>738
>この時代で、3代で97年は長すぎると思う。
僕も率直にこの意見に賛成。(あくまでも系譜・崩年は絶対視しませんが)

例えば……以下のようなモデルなら崇神崩年318もあり得ると思う

崇神が20歳で垂仁誕生
崇神が40歳で景行誕生
崇神が60歳で成務誕生
崇神が60歳で死亡、成務がそれから37年後に37歳で死亡

別のこれが正しいというのはなく、
この一例を示すだけで崇神崩年258年が絶対ではというのは明らかと……
(これが3代で97だとどうなるか具体例が見てみたい)

寧ろ、>>732の様に箸墓の年代は決まっているからと言った理由の方が
それは特殊とか系譜がデタラメとか言って難癖つけるよりはまだまし

天智、持統、草壁、文武の血統、それぞれ何歳の時の子かを考えれば、
それほどこれが特殊でもデタラメでもないことが分かると思う

741 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:37:47
畿内説限定だとこうなるのか。これも困ったもんだ・・・・

742 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/14(日) 12:46:25
日本書紀の系譜・没年などは「そういう伝承があった」ぐらいに考えておくの
がベストかと。
>>703
資料有り難う御座います。

743 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 14:04:20
古代大王は死ぬまで大王だから、在位期間は長くなる。
親子関係があろうがなかろうが。
20代30代での即位なら、在位30年でも不思議は無い。
持統は生前譲位してるし、特殊というのはそういう意味だよ。

744 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 16:11:29
邪馬台国東四国説は、マキムク開始時期が3世紀初頭以前とされている以上、
かなり苦しい。

745 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 16:26:00
東四国は海部氏に代表されるような、海運小国家群であったのだろう。
内陸部の国家である大和とは利益共同体であったのだろうと思う。
大和が吉野の木材資源を抑えている以上、東四国が独自に発展したとは
考えにくい。
畿内勢力と東四国を分けて考えるのは厳しいんじゃないか。
東四国も銅鐸文化圏の一部だしな。

746 :363:2006/05/14(日) 20:11:28
>744
マキムクはニギハヤヒの系譜という考えです。
3世紀初頭でちょうどよい感じなんですが。
ニギハヤヒの系譜のほうが先進的な要素が
あったと思います。

>745
独自にということはないでしょうね。
中国に使いを出すくらいだから近辺とも
交渉はあったはずです。
しかし海に囲まれているため
他国が支配することができなかった。
それくらいのことでしょう。

747 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 22:51:46
>>738
>>740
ジサクジエンか。
ageてるのは君だけだからすぐわかる。

748 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/15(月) 18:44:28
363氏の邪馬台国東四国説には賛同できませんが四国が邪馬台国を中心とする
「倭国」の中に入っていたことはほぼ確定でしょう。

749 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:18:14
アマチュアでは、畿内説支持者って、九州説支持者の5分の1しかいない。


750 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:23:03
畿内説の負けw

751 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:28:20
九州説の勝ち。

752 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:28:49
当たり前の事だろ

753 :本田:2006/05/17(水) 22:52:13
>>746
> >744
> マキムクはニギハヤヒの系譜という考えです。

私は、秦氏だと思う。
秦王国か?


754 :本田:2006/05/17(水) 22:56:29
>>748
> 363氏の邪馬台国東四国説には賛同できませんが四国が邪馬台国を中心とする
> 「倭国」の中に入っていたことはほぼ確定でしょう。

豊日方言が、西九州と東四国の両岸に分布してるけど、
公孫卑弥呼が遼東半島から倭を侵略するのに、
西九州と東四国の両岸に上陸した可能性がある。

755 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:11:01
けど、マキムクには「環濠」が無いんだよねえ。戦乱後なんだよねえ。

756 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:39:57
>650
>ずいぶん前からいわれてるんだけどなー
>http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2001/0920.htm
>そろそろ東四国を見直してくれんかね

巻向型の古墳というのは、それこそ南九州から関東まで全国に展開している。
だいたい、そこの北條という人は相変わらず、箸墓こそ画期で石塚は畿内の
地元豪族の墓と考えているどちらかと言えば古くさい考えの学者なんだが、
何をトチ狂ってそんなことを言っているのやら。
地元の遺跡を過大評価して目立とうとしているだけだろ。

757 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:45:19
>709
>九州の鏡は、破砕して埋める。
>これは、死者が亡霊としてよみがえるのを恐れている。

>一方、古墳時代の鏡は完全な形での埋葬。
>これは鏡の力で死者を守る、壁邪と見られる。

これは明白なウソ。
ホケノ山、桜井茶臼山は破鏡あり。
だいたい弥生期の九州でも破鏡もあれば完鏡もある。

758 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:52:15
>712
>寧ろ鏡の埋葬が何処にルーツがあるかの意見を出して欲しい
>もちろん憶測の域は出ないだろうけど、
>たとえば四国など九州以外のルーツを示すだけでも
>それはそれで意味はあると思う……

「庄内以前」で、「特定個人墓」への鏡の副葬ってのはほとんど九州しかない。
過大評価されている楯突からも、四隅(だいたい個人墓ではないが)からも出ない。
北條という人が宣伝している東四国の萩原なんかは、庄内以降で石塚等の影響にす
ぎない。

759 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:53:54
>741
>アマチュアでは、畿内説支持者って、九州説支持者の5分の1しかいない。

考古学者では、九州説支持者はほぼ0。


760 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:11:03

キチガイばかりの考古学者は0で良いの。

761 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:11:33
>>756
北條の箸墓に対する位置づけは、東海大に移籍してからはかなり素っ気無いものになってるよ。


762 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 01:31:30
また、唐突ですみませんが、史学云々よりも一般論の応用で考えてるんですけ
ど、系譜と在位年数について。

伝承とそこにある系譜をある程度信用する立場から考えますと、景行天皇は子
沢山だったわけで、王子に関して考えるならば、長兄〜末弟の年代にもかなり
の開きがあるんだと見ます。
で、伝承というのはバイアスがかかるので、在位年数がぐちゃぐちゃだったり、
生没年に歪みがあったりします。これは隠蔽とかじゃなくて、単に、伝承とい
うのは、そういうものなのです。
なので、伝承のエッセンスや系譜のエッセンスから考えるに、景行天皇の在位
年数が少々長めであった上に、軍事系の家臣に受けのよかった小碓王子は、景
行天皇在位の後半に誕生した王子であり、そして若くして薨去。先の大王の在
位が長かったために、成務天皇は当時では結構な年で即位。と推測します。
現代よりも平均寿命がぐっと短い時代ですから、そのあたりも考慮します。
となると、仲哀天皇の即位はかなり若年になるんではなかろうか。
何らかの政治的理由で、他の景行天皇の王子やその王子に代表権が移らず、小
碓王子系の足仲彦王子が即位することになったんだと考えるわけです。

以上、世界的に帝王一家に見られる傾向を元に考えました。

763 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 01:43:04
そして仲哀天皇の若年即位を認識すれば、神功皇后&応神天皇の勢力と、一部の
仲哀系王子との戦争も、自然に考えられるんではないかと思うのですがね。
忍熊王子達は、既に王族として既得権を持ったベテランの存在だったのでしょう。
「父上の最後の子?亡くなってから産まれたの?あやしいなあ。誰なんだそいつ。
そんなのを奉られたらたまんないよ。俺達の権力が・・・。」と思ってたのでし
ょうな。
少し、邪馬台国論争から外れてしまいましたが、こう考えると、大和説で考える
のが、スマートに思えてきます。

764 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 01:55:33
ただし、あえて脱線したまま書きますが、決して応神天皇が邪馬台国を
滅ぼしたという立場では考えていません。
本当に仲哀天皇の遺伝をPRできる、誉田王子の存在があってこそ、
皇后派が強気になれた部分も一部にはあるかと考えます。
いくら軍事的政治的に優位であっても、捏造連発で押え込めるほど、
当時の倭国の政治事情は甘くないわけなのですから。

765 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 07:09:27
応神を邪馬台国時代に絡めると、その後の天皇の在位期間が長くなるが、それでいいのか?

766 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 12:45:48
>>757
相変わらず、「割れた鏡」と破砕鏡の区別がつかないようだ。

ホケノ山は、写真を見れば一目瞭然。破砕ではなく土圧で自然に割れたもの。
茶臼山はひどい盗掘を受けており、故意に割られたものかどうかの判断そのものができない。

767 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 17:51:24
759 :日本@名無史さん :2006/05/17(水) 23:53:54
>741
>アマチュアでは、畿内説支持者って、九州説支持者の5分の1しかいない。

>考古学者では、九州説支持者はほぼ0。

考古学者って、権威に擦り寄って、真実をまげることに人生をかけているのか?
アマチュアは、失うものがないから、真実がよく見えるんですよね。

スサノオの出雲征伐に船で行ってるし、
九州では、大量に発見されている鉄剣も、畿内ではほとんど出ていない。
銅剣と鉄剣では、戦にならないのは、子供でも分かる。


768 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 19:34:37
>>767
考古学者が専門バカなのはそうだが、その専門分野での成果を軽視するのは間違い。
自説に都合が悪いからと無視するのは逃げだよ。

769 :363:2006/05/18(木) 20:21:28
考古学者は遺跡や遺物から考察すると
九州からの東遷は認めがたい、ということなんでしょ。
その論理は分かるわけだけど、じゃあ東四国から
だったらどうなのか聞きたいわけです。

なお北條氏が邪馬台国とかいってるわけでは
ありません。あくまで自然な推測によって4つほど理由を挙げて
前方後円墳のルーツは徳島、香川、西播磨に認められると
いっているだけです。

>758
萩原は庄内以降ってどの文献を見たら書いているのですか?

>767
畿内と九州がその当時戦をしたのですか?

770 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 20:51:40
>萩原は庄内以降ってどの文献を見たら書いているのですか?
>>768の人から何か回答があるかも知れないけど

僕が持っている『シンポジウム三角縁神獣鏡』って本のP149の
岡村秀典作成の表に萩原が纏向Vのところに位置づけられています

但し、鏡がテーマの本だから鏡で編年した表だとは思うけど……

771 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 21:11:46
その表、粗すぎるだろ。

772 :363:2006/05/18(木) 21:27:40
保育社の「日本の古代遺跡 徳島」では、p.68に
「庄内式併行期から古墳時代後期末にかけての
墓群、萩原墳墓群」
「庄内式併行期のいわゆる墳丘墓ととらえられる
一号墓を中心に22基の小さな埋葬施設」
とあります。
やはり個々の遺跡を解説した文献を
あたるべきだと思うのですが。

一号墓の副葬品の画文帯神獣鏡は、同笵鏡として
北朝鮮の大同江区域で出土した鏡がありますね。
先日、この優品が徳島の埋文センターで
展示されていたので、目の保養になりました。

773 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 21:28:52
>その表、粗すぎるだろ。
でも、別に精密にしたからと言って庄内から大きくズレることはないと思う

774 :363:2006/05/18(木) 21:33:41
話が分からなくなってきたのだけど、
萩原、ホケノ以前に、後の畿内の墓制に影響を及ぼした
可能性がある重要な墳丘墓があるということですか?
具体的にはどこですか?

775 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 22:14:20
影響で考えたら楯築は? この位置づけが気になる。
前方後円形だけに限れば、やはり畿内の纏向石塚が最古級では?
これに比べれば、萩原、ホケノはやや新しい方になると思う

776 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 02:05:15
東遷は神武東征が下敷きにあると思うんだけど、
神武の行動にはとても鉄器の優位性があったとは思えないんだが。

777 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 03:01:44
山直郷は既出かな

778 :363:2006/05/19(金) 05:23:43
記紀によると、神武に先駆けてニギハヤヒの系譜が
天から降っていることに気が付きます。
つまり降臨は何度かあったことになります。

問題はその時期がいつかということです。
紀では天磐船にのって天から下ったというのです。
天磐船がもし記の「鳥之石楠船神またの名を天鳥船」
(あるいはその係累)であれば、天鳥船はイザナギ、
イザナミの次の世代になり、天照大神=卑弥呼の
位置づけだと3世紀初頭あたりということになります。

蛭子を乗せた天鳥船が最初に東遷、
ニギハヤヒはその後(あるいは天鳥船の一族)、
そして神武がその後という推測もあるのではないでしょうか。

実際にその時代に墓制の変化(東四国からの影響)が
あるわけですから、可能性は考えたくなります。

779 :363:2006/05/19(金) 05:59:35
楯築の弥生墳丘墓も貴重ですね。
吉備、東四国の勢力がどのように畿内王権の成立
に加わったかは、興味深いですね。

纏向石塚古墳は、どうも年代に困るようですね。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/makimuku/makimuku.html

私の位置づけとしては、萩原1号200年頃、綾部39号220年頃、
その後にマキムクの初期古墳というものです。

780 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 07:25:08
僕が知っているところでは以下のような順番

楯築−纏向石塚−綾部39号−ホケノ−萩原1号−箸墓

綾部39号−ホケノ−萩原1号の順番は画文帯神獣鏡で決めてるっぽい

781 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 09:47:41
綾部山ってなんで年代を決めてるの?
それほどはっきりした理由がないみたいだけど。

ttp://www.keyton-co.jp/gensetu/03ayabe39/doc1.htm

782 :363:2006/05/19(金) 20:21:47
>781
>703にだいたい書いていますよ。

「古墳時代像を見なおす」の北條氏の文章
から少し引用します。

p.99
奈良県纒向石塚古墳については、発掘調査の結果、
周溝内出土の土器群は箸墓古墳とほぼ同時期の
年代的位置にあることが判明したので、巨大前方
後円墳との共存関係も指摘されることになった。

p.100
寺沢1987,p197
「萩原1号墳と鶴尾神社4号墳は、
才ノ町2式相当の土器を伴出し、
庄内2〜3式に併行する。」

あとp.105の図は見ておいたほうがいいですね。
年代観も分かるし、2群に分けた前方後円墳
の墳形や石室の形がまとめて見られます。

783 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 20:49:12
>>782
日本語わかる?

つ 綾部山

784 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 21:07:25
>「萩原1号墳と鶴尾神社4号墳は、
>才ノ町2式相当の土器を伴出し、
>庄内2〜3式に併行する。」

やはり、そのあたりの時代に考えるのが一般的なんですね

以前、この掲示板で
>萩原は庄内1か2だがなにか?
と言って、ただ罵るだけで何の証拠も示さない人がいて
呆れてしまいましたが……

蓋を開けてみりゃ、やはりこの見解が通説なんですね

785 :363:2006/05/20(土) 05:58:55
萩原1号(200年前後)が庄内2、
引き続いて鶴尾神社4号、綾部山39号、ホケノ山
(220年前後あるいは以降)が庄内2〜3という見解では?

土器だけじゃなくて墓制や遺物の影響を考えると、
この位置づけが自然に思えるのですが。
そのため北條氏のように前方後円墳の成立過程
を追求するのは大事なのでしょう。

それにしても文献を使わずに邪馬台国を探すのは
骨が折れる。ストイックだなあ。
地名って大事なものだと思うのだけど、妙な由来が
あとから付けられてしまっているから胡散臭いのかな。
3世紀に集落があったとしたら、その場所の地名は絶対に
存在したはずだけど、地名辞典には決して
「この地名は3世紀以前にさかのぼる」なんて書いてない。
由来は近世の確証のあるものだけを使って、
音韻に絞って地名を比定に用いれば、あとは統計上の
有意性があるかどうかということのみ・・・なんだけど。

>780
鏡の製作年代と墳墓の築造時期は
一致しませんよね。
その順番はどうやってきまるのですか。

786 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 09:48:11
>鏡の製作年代と墳墓の築造時期は
>一致しませんよね。
>その順番はどうやってきまるのですか。
基本的に一致するかしないかは土器で決めているのではないでしょうか
綾部山39号、ホケノ山、萩原1号は画文帯神獣鏡の形式順ですが、
入手から埋葬までに若干時間差があればズレることはあると思います。

特にホケノ山と萩原1号の差は異論があるところだと思います。
同じ7期2段階の鏡ですから……

ただ、これらの順を土器だけで決めるのは難しいと思います。
だから、寺沢さんも庄内2〜3と幅を持たせているのではないでしょうか?

個人的には仮に萩原が庄内2になったところでそれほどの驚きはありません。
土器だけでは判断が難しいので鏡の形式順でその築造順を考えていますが、
鏡の年代=築造時期が絶対とは思っていませんし、
これら3墓の時期差は非常に微妙だと認識しています。

綾部山39から画文帯神獣鏡が出るまでは、
綾部山39はホケノより新しいと言われていました。
考古学者が石囲いだけで危うい判断をしたからだと思います。

この認識が変わったのは数年前です。
この変更をまじかに見てしまった僕としては
上記3墓の築造順をまだまだ絶対視する気にはなっていません。

ただ、萩原が庄内1とかいった話になれば話は別です……
世の中はどうかは知りませんが、
僕の中では庄内1と庄内2の違いは大きいです。

787 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 10:40:06
>土器だけじゃなくて墓制や遺物の影響を考えると、
>この位置づけが自然に思えるのですが。
この墓制という言葉の中に内部施設までもが含まれているのであれば
萩原1号を越えて、天河別神社1号や西山谷2号なども考えるべきかも知れません

人によっては墳丘の形よりも内部施設の方を重視する人もいますから……

788 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 12:32:10
日の丸は、朝廷に貢献した大名などに下賜して有り難がらせて
またバカをやらすことに使われたもので、
いわば天皇家の象徴。
その朝廷は日本を征服支配した朝鮮人が作ったもの。
つまり、日の丸は、朝鮮人による日本支配の象徴なのである。


789 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/20(土) 13:03:50
>>782
その文を見る限り北条氏は自説に都合がいいようにあわせているだけ。巻向石
塚は巻向一式新〜巻向二式古だと石野氏あたりは云っている。報告書みたいな
のを見る限り、寺沢説は根拠に乏しいです。

790 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 20:28:31
つーか、吉備の土器を介して併行関係を決めてるんだからそんなにきっちり決まるはずない。
庄内2併行を基本に少し前に見れば庄内1〜2になるし後ろ目に見れば庄内2〜3になるって言う話でないの。

791 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 21:26:37
専門家が来ましたよ。
萩原の阿波型小型丸底壷にそっくりなものが寺沢の庄内1の辻土坑2に出てますが。
萩原は庄内1平行の可能性は十分ありますが。

792 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 21:34:37
マキムク石塚は、盛土内に僅かだが庄内カメの破片と庄内1式頃の壷や高杯がある。
したがって、庄内1式より古くなることはないですが。
どこまで下がるかは難しいです。
後円部が正円ではないので、庄内3式頃の勝山や矢塚よりは古いでしょう。



793 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 22:40:33
専門家が“平行”なんて用語を使うとは思えない。

794 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 22:42:46
閉講よりは善かんべ。

795 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:06:15
辻土坑2は庄内1?

796 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:13:48
閉口しています

797 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:48:41
>766

そんな見解はないが。どちらかというと吉備の影響を過大評価している
寺沢ですらホケノ山の内行花文鏡について、破鏡として平原の儀礼を引
き継ぐものとしているくらいだ(王権誕生)。
破鏡については、別のやつがよくまとめているので、読んで勉強することだ。

27 :日本@名無史さん :2005/09/07(水) 22:24:11
>>24
平原遺跡は破砕鏡と完形両方ありますが。
これについてはすでに前スレに指摘あり。

28 :日本@名無史さん :2005/09/07(水) 22:24:37
738 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:2005/08/28(日) 02:50:17
>>737
そう簡単にはいかないよ。
まず、北部九州だけど、中期後半の副葬は基本的に完形鏡。
後期前半のどこかで破砕鏡が出現し、棺内副葬とともに棺外副葬も出て来る。
後期中頃以降は破砕鏡が増加し、終末には多数を占める。
破砕鏡は古墳前期になると減少するが、確実に存在する。
なおこの間も、完形鏡副葬も並行して存在する。時期により破砕鏡が多いことがあるだけ。
平原遺跡をみると、棺内の完形鏡と棺外の破砕鏡と言う組み合わせ。
ここで注意されるのは棺外に多量の鏡を用い、破砕するものの四隅を囲むもの。
破砕の有無の違いがあるが、前期古墳の多量の三角縁神獣鏡を棺外に、棺内に一部の鏡を副葬するという反復行為の源流とみるべき。
さて破砕鏡だが、早くに後期中頃には濃尾の瑞龍寺山で内行花文鏡の破砕鏡がある。
その後、庄内直前ぐらいから破砕鏡は東に広がり、庄内期には多く九州以外でもみられる。





798 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:50:35
続き

35 :日本@名無史さん :2005/09/07(水) 22:37:59
>>35
事実を列挙しているだけだけど、、、違う根拠示してね。
平原遺跡も後の報告の方がよく検討してあり妥当。
百歩譲って、九州には完形鏡副葬も中期後半から後期いっぱいずっと続いています。後期のある時期から破砕鏡が多くなるだけ。
これは事実。
よく調べてくれ。


799 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:53:42

>スサノオの出雲征伐に船で行ってるし、
>九州では、大量に発見されている鉄剣も、畿内ではほとんど出ていない。
>銅剣と鉄剣では、戦にならないのは、子供でも分かる。

なことは川越、下條、柳田らの「考古学者」がとうの昔にいっていることだが。
一部の近畿の考古学者の発言を考古学会全体のように言うのは論外。



800 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:02:10
>スサノオの出雲征伐に船で行ってるし、

こんなことは誰も言ってないと思うが

801 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:02:34
>782
>「古墳時代像を見なおす」の北條氏の文章
>から少し引用します。
>p.99
>奈良県纒向石塚古墳については、発掘調査の結果、
>周溝内出土の土器群は箸墓古墳とほぼ同時期の
>年代的位置にあることが判明したので、巨大前方
>後円墳との共存関係巻向型と定型化した前方後円墳が並行することもあることはそのとおり
だがも指摘されることになった。

その後、石塚の年代についてはもめたので、墳丘を断ち割ってまで再調査
し、やっぱり古いことになっている。それを無視して、こんなことを書く
とは悪質極まりない。
どうしても箸墓=最初の前方後円墳にしたくてこんなことを言っている
のだろうが、近藤並みの守旧派だな。

巻向の年代については、桜井市の橋本氏が一般向けに表にしているので
参照のこと。


802 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:04:10
>800
そりゃそうだな。
鉄器部分についてだけだね。

803 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:14:56
>>797
>そんな見解はないが。どちらかというと吉備の影響を過大評価している
>寺沢ですらホケノ山の内行花文鏡

寺沢は九州からの権力の東遷論者だが。
で、いつまで内行花文鏡といいつづけるんだい?

804 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:20:49
>>797
>平原遺跡は破砕鏡と完形両方ありますが。

平原は馬鹿第六のおかげでそいういう意味での資料価値がない。
極めて残念なことだ。


805 :363:2006/05/21(日) 05:59:10
これが石塚古墳の最近の調査結果と認識というべきかな?

よって、現在纏向石塚古墳の築造時期に関しては、
西側周濠の出土土器を評価する考え方(庄内0式期 3世紀初頭)、
盛土内出土土器を評価する考え方(庄内1式期 3世紀前半)と
導水溝出土土器を評価する考え方(庄内3式期 3世紀中頃)3説があります。

纏向石塚古墳第9次調査
http://www.keyton-co.jp/gensetu/060325makimuku144/doc1.htm

806 :363:2006/05/21(日) 06:33:15
>791 >792
どうもありがとうございます。
萩原1号を庄内1とする文献は見つけられず、
上のように書いてしまいました。
石塚古墳も少しずつ状況が分かってきました。
両者に関して現時点で文献で確認できるのであれば、
教えていただけますか?

>787
もちろん内部施設も含んだ上での考察でしょう。
石室、石棺の構造、形状、材質、
副葬品の質、種類、組み合わせ、配置も重要でしょうね。
このあたりになると現物をじかに手にとって
見られる専門家がうらやましいです。

807 :363:2006/05/21(日) 06:57:36
以前に書いたのですが、宮内庁が管理している
阿王塚古墳出土の舶載画文帯神獣鏡2面は
どういったものなのでしょう。

萩原1号−阿王塚の対照が私には重要なので、
もしご存知の専門家がおられれば、
よろしくお願いします。

808 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/21(日) 07:54:31
>363氏
石塚古墳については「大和・纏向遺跡」がbestです。

809 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 08:22:02
杵築の小熊山古墳 九州最古級か 「3世紀後半」の可能性
 あす県考古学会で発表

http://kiji.i-bunbun.com/read/read.cgi?1148050800=11480852713321=1

これについてどう思う?
大分県の史跡が遡る可能性があると思うが。

810 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 10:17:56
>阿王塚古墳出土の舶載画文帯神獣鏡2面は
>どういったものなのでしょう。
萩原1号が古いの結論ありきでそれらを調べてみても意味がないのでは?

すでに見つかっているホケノ、綾部山39の画文帯神獣鏡についてだって
恣意的にしか理解していないでしょ?

811 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 12:20:25
>小熊山古墳
埴輪・葺石という時点である程度までしか古く見積もれないのは確か……

しかし、九州が畿内などの文化をどのように受け入れていったかを
考える上では意味あるニュースだと思う

812 :363:2006/05/21(日) 17:42:30
>808氏
大和・纏向遺跡 石野博信編 学生社 2005 9,870
ですね。ありがとうございます。
面白そうなので購入します。

>810のような具体的な内容がない発言に対しては、
以前も以後も基本的に無視ですけど少しだけ。
もしかすると議論の仕方を知らないのかもしれないので。

1 萩原が古いというのは、私が決めたことではありません。
あなたは何かの新証拠か論理を持っているのですか?
2 具体的に恣意的な箇所を示さないと答えようがありません。

まあ、2ちゃんだといわれればそれまでです、はい。

813 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 20:09:26
>>363さん
綾部山39と萩原の画文帯神獣鏡では綾部山39の方が古いと言われています。
363さんは萩原−綾部山39−ホケノの順を考えているということは
綾部山39などは伝世か何かで片付けられているように思われます

しかし、そのあたりの説明が全く見えてきません

また、萩原が庄内1では画文帯神獣鏡が出土する古墳の中で
萩原だけが極端に古くなってしまうのも違和感を感じます

萩原の土器はこの掲示板に挙げられただけでも庄内1か庄内2か庄内3になっています。
萩原の庄内1で全く問題が生じなければ萩原の庄内1でも問題はないと思いますが、
現状だとまだまだこの年代観には疑問を抱くべきだと感じました

本当に客観的に見ているのならば、
少なくとも綾部山39と萩原の順番は迷うと思います

萩原が古いとした場合、
画文帯神獣鏡については恣意的に解釈しているに違いないと勘ぐりましたが、
このあたりについて何か理屈めいた説明があったのでしょうか?

814 :363:2006/05/21(日) 22:17:06
>813さん
私自身は萩原1号の出土土器を調べていないので
詳細は分かりません。
しかしこういうことは発掘現場に近い専門家の
判断が頼りになると思っています。
もちろん各方面から問題視されるような方なら
信じようと思いませんが、北條氏の経歴、論文、発言
から判断して、かなりの確証があって
200年前後にしているのだと思っています。
その論理がわかれば紹介もできるのですが、
素人なので時間がかかりそうです。
なお、どのような推論をするかについては、
北條、溝口、村上3氏の「古墳時代を見なおす」
を読んで、感じをつかもうとしています。

基本的には出土土器で比べているのでしょうから、
そのことで迷うのが普通とは思いません。
鏡の製作年代から墳墓の上限は分かるとして、
なぜ築造時期そのもの(しかも10年単位くらい)
に関係するのか、その論理は分かりません。

それから画文帯の恣意的解釈という意味が分かりません。
どのように解釈したら恣意的なのでしょう。
年代や配布についてですか?
私自身が知りたいことは、阿王塚の鏡は2面とも
萩原と同様なものかどうかです。
時期も場所もかなり近いので。

815 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 22:38:30
邪馬台国畿内説だと邪馬台国は大和朝廷の前身ってことになるの?

816 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 23:03:49
>それから画文帯の恣意的解釈という意味が分かりません。
鏡には伝世があるので、ある鏡は伝世、ある鏡は伝世なしといったように
恣意的に解釈がされがちな世界だと思っています

もし、鏡における年代の矛盾を安易に伝世などで解釈してしまう場合、
たとえ阿王塚の鏡がどんな形式であっても見解に何の影響を与えない
のではないかと危惧しました

予想どおりなら伝世なし、予想以外なら伝世といった感じで……

でも、確かに専門家と称する人が萩原=庄内1を示唆し、
素人である僕がその結論に検討の余地があると言うのは
変な現象かも知れません

僕が単に専門家より疑り深すぎるだけかも知れません

817 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 00:10:57
畿内王権はマンパワーが取り得の大土木国家。内陸部の農業生産性に裏打ちされた
陸軍国家だな。

東四国の海洋民族とは性質がまるで違う。

818 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 00:29:02
大和と河内はセットだから内陸国とも言えんな。

819 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 00:36:36
大和と河内がセットなのは、西=カワチ、東=ヤマトと後世読んでいることからも分かるな。
要は、初期ヤマト政権は大和川水系を基盤とした首長連合だということ。


820 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 00:52:57
>>818
崇神の頃より始まるとされる華鎮祭は、初期ヤマト政権の大王が執り行った
穀物霊祭祀と言われる。
まさに農業の祭りそのもの。
少なくとも、河内に陵墓が移るまでは、大和>河内だろ。

821 :河内音頭:2006/05/22(月) 01:01:13
>>820
いや、別に河内が本拠とか言ってないですよ。
ただ、大和川河口部の港湾機能と政治的一体化が為されていただろうと言う事。
余談ですが、弥生時代に限れば河内>大和でしょう。
中期から終末期の直前までは、その傾向が続いていると思いますよ。

822 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:11:36
>>821
>弥生時代に限れば河内>大和でしょう。
確かにそうなんだよな。
しかしマキムク成立初期は、河内は前方後円墳築造を許されてなかった。
初期ヤマト政権の主体となったのは、河内や東瀬戸内の海商業国家じゃなくて、
近江・山城・大和の内陸部の首長連合じゃなかったのだろうか?

823 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:18:17
三輪山山麓に王都が築かれたのは、内陸国家や三輪山の霊的権威にすがったとかいうより、
対東海対策の実利的なものだと思う。
初瀬川の川沿いの道が、この当時、結構重要だったのだろう。
当時、東海は交易相手でもあり油断ならない競争相手でもあった。
東海は畿内と同じく銅鐸文化圏だから、婚姻政策を通じた同族化はかなり進んでいた
とは思うが。

824 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:21:21
>河内は前方後円墳築造を許されてなかった。

古墳時代開始期、河内も大和もひとつのクニだから。
大和>河内とか言うことがすでに間違い。


825 :363:2006/05/23(火) 06:02:04
うけうりだけど巨大前方後円墳の認識としては、
知識・思想・技術に関しては北九州、吉備、東瀬戸内から
労働力は東海地域からじゃないの?
広域の力があったからこそ、技術的に先進的であったわけだし、
以降の発展が爆発的だったわけでしょ。

自説の主張はその中から東四国からの一族
(天鳥船、蛭子、ニギハヤヒ)が持ち上げられたということ。
前方後円墳の外槨、内部主体という基本的な部分は
東瀬戸起源が多いと考えられているわけだし。
ふつう先祖代々の形式のお墓を好むでしょ。

826 :363:2006/05/23(火) 06:18:42
>816
編年の現状を理解するとよいのでは?
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

萩原は以前から報告書で黒谷川II式で
庄内古段階とされていました。
この黒谷川郡頭遺跡(弥生後期後半〜庄内式併行期、
大規模な沖積低地、極度の低湿地に展開)
はとても大事な遺跡だと認識しています。

827 :盗撮:2006/05/23(火) 13:11:01
|
| ∧
|ω・)誰もイナイナ…
|⊂ノ写真撮るんだ…
|u'
""""""""""

|∧∧
|・ω・) そ〜…♪
| o【◎】
|―u'
""""""""""

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|∧∧  /
|・ω【◎】パシャッ
| っ 9  \
|―u'
""""""""""

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|  ピャッ♪
|)彡
|
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""""""""""


828 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/23(火) 14:12:40
>363氏
吉備の墓がそこまで影響を及ぼしていたのだろうか、と思います。前方後円の
形が吉備起源かどうかは?だと思うし、特殊器台にしてもしょせんは「土器」
じゃないかなと思いますがどうなんでしょう。

829 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 18:06:25
特殊器台って見たことあるの?
つくるの大変だろあれ。

830 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 19:09:45
>萩原は以前から報告書で黒谷川II式
土器の編年参照しました。畿内と四国の土器編年の併行関係はよく分からなかったけど、
黒谷川U=庄内1が正しいのなら、萩原1号は前方後円墳のルーツと言ってもいいのかも知れませんね。
規模はともかく萩原1号はそんなにも早くから注目すべき要素をいっぱい持っていたことになるから……

831 :363:2006/05/23(火) 19:56:38
考古学者の考察をを示すのに
良さそうなので北條氏の表から
引用させていただきます。
「古墳時代像を見なおす」pp.88-89です。
右側が列島における起源地・搬出地です。

1外槨
 墳丘 列島各地(東瀬戸内)
 段築 不明(吉備か東瀬戸内)
 葺石 東瀬戸内
2内部主体
 竪穴式石槨 吉備・東瀬戸内
 排水施設 不明(朝鮮半島か東瀬戸内)
 割竹形木棺 丹後・東瀬戸内
(北頭位 中国諸王朝・近畿)
3副葬品
 朱・ベンガラ 魏王朝・東瀬戸内・東海
 三角縁神獣鏡 魏王朝・近畿
 後漢鏡・倭鏡 中国諸王朝・諸勢力
 玉類 不明(北部九州・山陰・北陸)
 石製模造祭具 北部九州・山陰・北陸(東海)
 武器 北部九州・丹後・瀬戸内
 武具 不明(中国・朝鮮半島)
 工具 北部九州・吉備・丹後
4外表施設
 墓壙上祭祀 東海諸地域・東瀬戸内
 白色円礫 東瀬戸内
 円筒埴輪 吉備
 壺型埴輪 東海諸地域

832 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 21:02:51
>>831
興味深いけど、各々の見解にはいろいろと異論も多そう

朱・ベンガラって広い範囲で埋葬に使っているように思える
楯築の朱はちょっと異常な量だけど……



833 :363:2006/05/23(火) 21:28:13
>828氏
東瀬戸内というと、阿波・讃岐・西播磨
周辺のことだと思います。

前方後円墳に関して、東瀬戸内から
の影響が基幹部分にあまりにも多いので、
東瀬戸内起源説が自然に思えるのです。
しかも、萩原から庄内の古い段階で
画文帯神獣鏡がでている。

他地域に比べて強大な勢力ではなかったけれども、
海洋航行に優れた東瀬戸内地域が中国と交渉を
主体的にもち、魏書東夷伝に記されることになった・・・
この仮説はそれほど不自然なものとは思えないのです。

別の話ですが・・・天鳥船こと鳥之石楠船神・・・
いったいどのくらいのスピードで航行できたのか。
楠の材質で堅固な船で、風をうまくとらえ、
月を読んで潮流もうまく利用して航行したに違いありません。
少なくとも北九州〜畿内、東瀬戸内まで10日で
航行可能だったわけで、自然力利用の航行技術を
真面目に考えるというのもとても楽しそうな気がします。
現代の英知を集めてこの船に対抗できるでしょうか?

834 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 01:07:10
>少なくとも北九州〜畿内、東瀬戸内まで10日で
>航行可能だったわけで

いったい何処にそんな事が書かれているのかな?
30日位だろ。


835 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 02:49:13
卑弥呼の没年が248年で、台与は266年に西晋に朝貢しているので、
崇神が258年没だとすると、卑弥呼・台与の時代と思いっきり重なる。
卑弥呼と台与は女王だったことははっきりしているので、崇神ではない。
卑弥呼の没後、男王が立つと争いが起きて、台与が立つと争いが収まった。
台与の即位は250年前半だと思われる。
日本書紀は卑弥呼を神功に比定したが、この解釈だと時期も一致しないし
応神の代で大きな争いも起きてないし、応神の次(仁徳)は男王だ。
女−男−女の順番で天皇になってるのは、推古−舒明ー皇極だが、あまりに時代が違いすぎる。
持統−文武−元明ってのもあるけど、もっと時代が合わない。
もし崇神が258年没なら、卑弥呼と台与は天皇家に関係ない人物ということになる。
つまり邪馬台国と天皇家が同時期に存在したことになる。


836 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 02:58:04
崇神318年没説だとどうか。
卑弥呼・台与の時代が終わった邪馬台国を
九州の崇神が東征して乗っ取った。
開化以前の天皇は捏造。

卑弥呼=天照大神で、崇神とは血統のつながりはないが
伝説的な女王だったので、
後代の史家が箔付けのために結びつけた。


837 :363:2006/05/24(水) 05:29:12
>834
邪馬台国論文集IIIにある高橋善太郎氏の論文
「魏志倭人伝の里程記事をめぐって」
の論旨を批判できますか?

「南至投馬國水行二十日(中略)
南至邪馬壱國女王之所都水行十日陸行一月」

この部分は専門家が他の中国正史と比較して
以下のような結論になるわけです。

直線・四至の区別は「又」「復」「乃」の有無による。
そのため以下のように解釈するのが普通。

1 北九州から投馬国へ水行20日
2 北九州から邪馬台国へ水行10日
2’北九州から邪馬台国へ陸行30日

中国語ですから中国語として読まなければ
意味がありません。

なぜ2と2’で日数の差がこれほどあるのか。
それは倭人が瀬戸内海航路で潮流を上手に
利用できたからでしょう。
素晴らしいことだと思います。

838 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 12:06:51

貴方の言う「邪馬台国」が「畿内大和」であるなら、

>北九州から邪馬台国へ水行10日

は、ありえません。

中世頃の帆船の勉強してみれ。

キチガイの言う事を鵜呑みにしないように。


839 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 12:15:45
>>835
>卑弥呼の没後、男王が立つと争いが起きて、台与が立つと争いが収まった。

祟神記には、民が反逆するのでトヨスキイリビメに天照大神を祭らせたとあるが?


840 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/24(水) 14:28:28
>>829
作ったことないんでわかりませんね。でも大きさは結構ありますよね。あと特
殊な模様などがあることからして、かなりの労力は必要だったかもしれません。
>>831
資料乙、なんですが「墓壙上祭祀」って出雲でもありませんでしたか?
>>837
いや普通「又・或」などが入ったら起点が同じだと解釈するんじゃないんでし
ょうか。できれば用例気盆です。

841 :363:2006/05/24(水) 20:37:00
>838
中世は残念ながら古代ほど海洋航行に
得手ではなかったのでしょう。
航行技術の断絶があった可能性が高いと思います。
海よりも平地での生活が大半になってしまった
ためだと考えられます。

現代の英知を集めて、自然力利用のみで
10日間で北九州−畿内が無理なら、
私の主張は撤回せざるを得ないでしょう。
しかしもし可能なら、古代人にできて
決して不思議はない。なぜなら彼らは、
自然力利用のみの航行が必要であり、
技術を培う時間は十分長かったから。

航路を直線に近いコースにとれるほど熟知し、
しかも潮読みが出来れば、500キロを10日間
1日8時間航行だと時速6.25キロとなり、
無理な数字ではありません。
ちなみに潮読みできないと瀬戸内の潮流は
最大時速2〜4キロ、幅が狭いところだと
時速9〜18キロ。読めなければ悲惨です。
記録に残っている中世の航行では、航路のとりかた
や潮読みに問題はなかったと断言できますか。

842 :363:2006/05/24(水) 20:38:09
つづき

後世になれば全てが進化するなどというのは
あまりにも単純な思考です。
現代の漁師が自然力利用のみの航行技術を
漁猟を糧とした古代人と争ったら、間違いなく負けます。
なぜなら現代の漁師には「自然力利用のみ」という条件は
必要ないからです。必要ないことは退化するどころか
消えうせることもあります。

火をいますぐおこせる人はどのくらいいますか?

843 :363:2006/05/24(水) 21:23:53
>840
単にあったなかったではなく、推測される
「起源」ということでしょう。
時期が大事になるということです。
もちろん異論がある考古学者はぜひ北條氏
とレベルの高い議論をしてもらいたいものです。
(私には無理です。)

高橋氏の論文の個々の用例は書くのが面倒なので、
結論の文章で許してください。
水行・陸行の用例もあるので、読んだほうがいいですよ。

論文集p.267
「元来直線行程の記述は、四至の記述に比して
正史の外国伝や地理志にも少ないが、そのすべてに
亘って「又」・「次」・「乃」などの接続詞の使用
その他によって直線行程を明示していると言える。」

論文集p.274で考察されているけれど
末盧−伊都−邪馬台国(直線)なのか
末盧−伊都、末盧−邪馬台国(四至)なのかは、
接続詞の使用がないけれど、
伊都が「郡使往来常所駐」だから悩ましい。

844 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 00:24:18
倭人伝の行程の話は不毛だからヤメレ。

845 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:28:11
まったくだw

846 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 10:35:33
>>841
んな理屈言ってると誰にも相手にされなくなるよん。

847 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:47:30
>>841は、サガミと同類だな

848 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:10:05
>>536
全てねつ造なんて誰がいいきれるんか?
おまえらの妄想だろうが!


849 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:10:37
サガミよりはまだマシだけど、自説を強弁するのは他人を白けさせるだけだよ。

850 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:11:01
>>836
全てねつ造なんて誰がいいきれるんか?
おまえらの妄想だろうが!


851 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:13:06
漏れは崇神は2世紀ころ、卑弥呼の時代は
景行天皇の時代とかぶると思うのだが



852 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:18:23
崇神(四道将軍時代)がいつであったか
それがこの謎を解明する最大のポイントであるわけね。

853 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:24:15
会津の古墳群が4世紀初頭だから、
その豪族が生きてた時代は3世紀末。
会津が大和に組み込まれたのが3世紀中頃。=四道将軍時代

854 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:30:36
また『古事記』によれば、北陸道を平定した大彦命と、
東海道を平定した建沼河別命が合流した場所が会津である。
(会津地名の由来)。このときの両者の行軍経路を阿賀野川(大彦命)
と鬼怒川(武渟川別)と推察する説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/四道将軍
邪馬台国スレだからと言ってすぐこういう話を排除しようとする
から的はずれな遠回りな議論になる。
崇神は3世紀以前の人間でほぼ確定。
銅鐸文化圏の人間でほぼ確定。


855 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:44:04
>会津の古墳群が4世紀初頭だから、
>その豪族が生きてた時代は3世紀末。
>会津が大和に組み込まれたのが3世紀中頃。=四道将軍時代

すうると崇神の四道将軍は派遣命令はそれより少し前
3世紀初頭か。西暦AC200年前後である。
崇神朝の拡大はAC200年前後である。

856 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:49:48
855の崇神朝ほぼ確定とすると
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/tennouichiran.html
景行、仲哀、神功、応神ラインがこの少し後
トヨの時代こそがまさにこの面々と重なる。


857 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:54:10
景行天皇とは見借征伐した
大屋田彦(大彦、建沼河別命の子孫)では

858 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:07:12
神話が必ずしも史実を伝えているとは限らない。

859 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:07:48
どうみても畿内中心の本州政権と
九州の小国分立女王国連邦が
同じ時代にあったとしか思えない。

遺跡、伝承、史書、地名、苗字、神社全てにおいてだ


860 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:10:03
>>858
神話は大きな嘘まではついてない。
畿内政権は出雲政権の後裔であろう。

考古学的にみて明らかだ、
ようは畿内出雲の朝鮮人が畿内を中心に本州全域を支配していたという事だ。

861 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:14:57
>>859

九州には女王がいっぱいいたからな。
勝手に魏と通商して倭国の王を名乗ったかも知れんが。





862 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:37:12
大きく分け列島は3つの権力に別けられていたと思う。
一つは出雲大和政権(山口から福島)
二つ目は出雲大和政権に属しながらも
自治権が認められた政権(八幡を中心とした邪馬台国)
三つ目は大和出雲政権と完全に対峙した九州
中南部の政権。(熊襲政権)
この三つ。

863 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:56:38
思う・思わないが多いスレだ。

864 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 18:33:59
>思う・思わないが多いスレだ。
それはある意味まともなのでは?
妄想を断定口調で話すよりは……

もともと精密な分析をやっても絶対とは言えない分野
その中途半端な指摘から予想するに>>863は学問に疎いのかな?

865 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 18:53:41
>>864
>妄想を断定口調
>>緩やかな妄想は認められると言うのか

思う・思われる 緩やかであろうと断定であろうと妄想に変わりない。

866 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 19:52:24
>思う・思われる 緩やかであろうと断定であろうと妄想に変わりない。
思う思われるの言葉尻をとっての指摘は中途半端な指摘……
大事なことはそれなりの根拠を示しているかどうかでは?

まともに指摘するなら『根拠は何か?』となるはず

867 :363:2006/05/25(木) 20:05:31
不毛なあ・・・
単にまともな論文読んでないか、
きちんとした議論ができていないだけだよ。
論文読んでないし、論旨も批判できない。

「大王のひつぎ」実験航海
巡航速度は単船で約4ノット(時速7.4キロ)、
石棺を載せた台船を引いた状態で約2ノット(同3.7キロ)。
5時間で18.5キロ進む計算だ。潮や帆の助けを借りれば、
古代でも1日30キロ程度の航海ができた可能性がある。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/kaio/da_ka_050820.htm

単船なら5時間で1日50キロの航海も可能。
十分実証的な話なんだけど。

868 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:20:42
>単船なら5時間で1日50キロの航海も可能。
>十分実証的な話なんだけど。
こういうのは実証的と言うよりは屁理屈のような気がする。

1日1mしか進まないということが物理的に有り得ても、
10日で10mと言う人はいないだろうし…

ある程度の常識も必要なのでは?

そんな値が仮に可能だとして魏志倭人伝はギネスブックではないのだから
そんな殆ど無理に近い値を旅程記事に使わないと考えるのが普通では?

>単にまともな論文読んでないか、
>きちんとした議論ができていないだけだよ。
それも大事だが、まともな考え方も大事だと思う

869 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:25:48
>>866
根拠なぁ
その根拠とする材料の信憑性も問題だ
どの辺迄の疑惑なら信憑性有りととらえてよいのやら「定説」だからといって、それを根拠の材料にするのも、チト軽率過ぎる行為と考えるが。
定説と真実は決して「=」ではないからな

870 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:51:24
>定説と真実は決して「=」ではないからな
そこが難しいところですね 定量的に信憑性が出せれば嬉しいのですが

でも、妄想的な根拠でもちゃんと示してくれれば、判断材料になるので助かる
一番良くないのは、それは定説とか調べれば分かるといった発言で曖昧にすること

871 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:03:21
そもそもが、「伊都〜大和が500キロ」って直線距離だろ。
航路も陸地に沿ったものだっただろうし、風や潮の流れを利用するなら
ますます直線的航海は無理だろう。

872 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 01:43:28
だいたい700キロくらいは有るね
10日で行き来してたなんて有り得ません

873 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/27(土) 12:28:48
>>841
瀬戸内海には「灘」が多いはずですが、そこらへんはどうなんでしょう。あと
技術の断絶とありますが、何かソースはあるんでしょうか?僕は中世に詳しい
わけではありませんが、純友や中世の「水軍」なんかは、海を知っている集団
じゃないかと思いますがどうでしょう。


874 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 13:18:29
技術の断絶とかは妄想だろ。

>海よりも平地での生活が大半になってしまった
>ためだと考えられます。

とか言ってるだけだし。
ていうか、「海より平地の生活が大半に」ってどういう意味で書いてるのか?

875 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 19:09:10
松の廊下の刃傷事件の一報が
江戸を発ったのは14日正午で赤穂着が19日未明と言うから
江戸赤穂は陸行5日。

876 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 20:22:57
>江戸赤穂は陸行5日。
早馬としては妥当な速さ

877 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 20:35:14
>>875
当たり前の事ですが、なにか?

878 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 20:49:46
>>872
陸行10日なら東北だな。これは決定的だ。
八幡平でファイナルアンサー!

879 :363:2006/05/27(土) 21:36:53
>873
ソースは魏志倭人伝(九州説の方ごめんなさい)、
根拠は実際に舟を復元して航行実験をした方の意見です。
復元の時代は少し下りますが、生の声もきいてみましょう。
http://www15.ocn.ne.jp/~daioh/report/kokainisshi814-820.html

ちなみに船の形は埴輪から復元できます。
材質は鳥之石楠船と呼ばれるように楠(巨木)でしょう。
また天鳥船と呼ばれたからには、風を用いること
ができたか、形からいえば櫂が長かったのかも。

中世の水軍や漁師たちの航行速度は
知りたいところです。
しかし、そういうことが史料に残っているかどうか。

>874
少なくとも遣唐使の航行技術は低かった
としか思えません。

880 :363:2006/05/27(土) 21:37:58
ぜひ下のようにご自身の想像される数値を
書き込んでもらえますか?

北九州−畿内(自説は徳島板野郡大麻山)
直線距離 500キロ
実際の航行距離 700キロ

1 通常航行(漕ぎ手は数年の経験)
1日の航行時間 7時間
平均速度 時速7キロ
潮流と風の利用 時速10キロ
航海日数 10日

2 快速走行(漕ぎ手は10年以上の経験)
1日の航行時間 7時間
平均速度 時速10キロ
潮流と風の利用 時速13キロ
航海日数 7.5日

881 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:10:21
>>879
そのリンク先読んでも、休養日は必要。海が荒れた場合の予備日を、
とか書いてるし。あなたの自説に余計不利じゃないでしょうか?

882 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:26:47
畿内バージョンに九州バージョンネェ‐ 結局はどちらかがトンデモ的な議論をSamo真実で有るかの様に語り相手を罵倒し中傷している。
結末はいかに

883 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:42:30
>>880
>ぜひ下のようにご自身の想像される数値を
>書き込んでもらえますか?

論点がずれていると思います。

仮に幾人もの人が1日の航行時間などを想像だけで書き込んでも何の意味もなさないし、
不毛な展開になるだけ……

まだ、他の文献から自説に都合の良い日数表記の旅程記事だけを抜き出した方が意味あり

>平均速度 時速7キロ
>潮流と風の利用 時速10キロ

根本の問題は、
旅程として採用される数字として上記が明らかに非現実的という点にあると思います

そもそも平均速度の7キロも荷を積まないという前提をしているように思えるし……
潮流と風を利用したら本当に10キロになるかについての説明もなされてないし……
10日間常に潮流と風が利用できるということについての説明もなされてないし……

884 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:06:11
名無しだとNG機能が効かない・・・・

885 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:21:53
つか地中海は知らんが日本海だと風と海流に
乗って進む場合はほとんど漕ぎません
帰りの海流に逆らって進む場合は漕ぎますが
行きも帰りも漕いでたんじゃ漕ぎ手の体が持たないのだよ

886 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:51:52
考古学的な事実からすると

3世紀中葉には、大和マキムクの地に広範な勢力をもった政権が誕生していたと考えるべき。
その周辺から魏の鏡がでてきている状況。
一方、3世紀の中葉には北九州の遺跡を見る限り、その勢力が衰えている。
つまり、列島の中心は九州から畿内に移っている。

こういう状況のなかで、
邪馬台国の比定地として、もっともらしいのは、大和、マキクム。


887 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:55:28
あと、魏志倭人伝の距離や方角から
邪馬台国の位置を比定しようというのは無理。

中身に、どう考えても矛盾がある。
もともと、倭国は南方にあると、当時の中国人が勘違いしていて
それがもとで、へんてこりんな方位や距離の記述になったんだろう。

考古学的な状況証拠を集めていって、そのうえで
もっとも矛盾が少ない、もっともらしい場所を邪馬台国の場所だと
考えるしかない。


888 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 22:56:06
>>885

×地中海

○瀬戸内海

でしょ

889 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:11:58
>>885
瀬戸内海は、日本海流や黒潮のような一定方向の流れは存在せず。
もっぱら潮の満ち引きによって生じる潮流が支配してるそうですぞ。



890 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:19:30
倭人伝の記述をどうこう言うのは不毛だとは思うが、
少なくとも、「北部九州〜大和を水行十日で航行可能」は無理があるだろ。
自説を通さんがために、「中世における航海技術の断絶」とか、思いつきは
言わんでくれ。

891 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:33:32
万葉集か何かに、北九州⇔近畿が船で30日と、記述があったはず。

892 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:50:20
北九州⇔近畿が船で30日
全く別の文化圏だろう。


893 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:34:55
庄内土器、前方後円墳の九州における受容から、別の文化圏とは言えません。
少なくとも庄内期以降は。

894 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:51:38
だから、倭人伝の行程を云々するのは無駄な作業だつーの。


895 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:57:47
古来、九州人は本州人なんか眼中になかったのだが
何時しか近畿出雲人に支配されるようになったのだろう。

それまでの南方風習を止めて、能面チックな
お公家チックな文化に染まったのです。
中世以降は関東の侍文化に染まります。


896 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 02:01:36
本当は、真っ先に新モンゴロイド化しなきゃならん土地だがよ九州はw
近畿出雲人が北方種ならなばな、半島の足場に近いとこを野放しは考えられん。
どんどん入植させてるはず。生物学的な本能からしてもw


897 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 02:54:06
>>880
>ぜひ下のようにご自身の想像される数値を
>書き込んでもらえますか?

嫌だね(w

898 :363:2006/05/29(月) 06:58:01
>889 にあるように、瀬戸内海では往復で
潮流を利用できるわけです。月を読めばいいわけです。
きっと潮待ちの時間が漕ぎ手の休養時間
になるでしょうね。

「海王」にしても船頭、漕ぎ手ともにまだ
経験豊富とはいえません。
十年近く海洋航行の経験をつめばどうなるか。
最適航路も次第に分かっていくのではないかな。

自説にもどりますが、考古学上の遺物の移動から
当時の「阿讃播」のつながりが指摘されています。
阿波−讃岐−西播磨での物資輸送は
海上によるものでしょうし、鳴門の潮流の激しさは
世界でも屈指の場所です。だからこそ魏志倭人伝で
「また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。
船行一年にして至るべし。」
という一見とんでもないことが書かれているのだと
推測しています。

この記述は与太話でしょうか。
少なくとも魏までは行けたようですが。
倭人伝の旅程の読み方は、中国正史に基づく
専門家の意見があるわけです。
さらにそれが可能かどうか、船を復元して実証的に
調べる方法もあるわけです。
それが考察しても意味がないことなのかな。

899 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 11:47:37
瀬戸内海の潮流は、大きく分けると2つあり
潮の満ち干に関係なく、それぞれ
常に一定の方向に流れています。
1つは、伊予灘から鞆の浦までは東に向かって流れ、
1つは、播磨灘から鞆の浦までが西に向かって流れ、
この二つの潮流が鞆の浦辺りでぶつかり、
南に向かって流れて行きます。

900 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/29(月) 21:45:40
たしか延喜式では北九州ー畿内は船で三十日だったはず。これが一番妥当な数
字では?多分魏の使者が乗った船にも水・食料(もしかしたら下賜品も)は乗
ってただろうし。ただ、この問題に関しては>>887>>894両氏の言われるよう
に、無駄なことのようにも思われます。どの説も決定的な証拠がありませんか
らね。話は変わりますが、「棺有りて(木郭)無し」は、畿内の方形周溝墓の
ことを指していると思いませんか?

901 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:28:35
江戸時代の廻船なら北部九州から大阪まで数日だよ。

902 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:28:56
>>899
それは大潮の時だろ

903 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 23:46:38
2つの大きな潮流は、干満に関係無く凡そ同じ流れです。

904 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 00:01:20
九州<>畿内の中継点として投馬國を位置づける説では、
鞆の浦が瀬戸内航路で大きな潮目になると言うのは、
投馬國比定の傍証の一つとされている。

905 :363:2006/05/30(火) 05:25:28
>899 >903
うそはダメ

潮流推算
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/TIDE/curr_pred/index.htm
これで瀬戸内沿岸を選んで6時間ずつ動かしてみる。

906 :363:2006/05/30(火) 05:58:32
>>900
方法論の大きな違いかもしれません。
だからこそ取り上げてみたということもあります。
というのは、どうも多くの史学者は「史料」のみを
判断材料にしているように見受けられるのです。
自分たちで物事を実証的に調査するという考え方が乏しいのでは?
30日説、10日説それぞれの論拠を列挙しますので、
足りない部分は足してください。

A1 平安時代に30日かかった。弥生末期もその程度かかると推測する。

B1 復元船では時速7.4キロ程度の航行速度がある。
B2 当時石棺などの大量の物資の移動が潮流の激しい場所であった。
B3 倭人伝によると東南に1年で裸国、黒歯国に至るとある。
B4 *倭人伝によると10日で「北九州−邪馬台国」とある。

*「又」「乃」「次」などの接続詞が用いられていないため、
この旅程は四支と見るのが中国の正史をよく読んでいる方々の
普通の読み方。水行陸行も同様。

907 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 07:21:41
>>900
>、「棺有りて(木郭)無し」
とりあえず石野、寺澤などの考古畑もそうだが
文献学者(佐伯、三品など)がそれをどう解釈しているかを踏まえた上での発言なのだろうか?

それに同意するかどうかは別として、定説が何であるのか
またどのような検証を踏まえたうえで定説化したのかくらいは調べておいたほうが良い。

そういった当たり前の作業を怠って、歴史読み物や擬似歴史本のみを読んでばかりいると
北九州の弥生墳墓の墓室形式をして、棺やら郭やらと見当違いのことを刷り込まれるからね。


908 :がいやまん:2006/05/30(火) 07:22:40
>>899
倭人伝投馬国というのは鞆のことですかね。基本的にこの辺から吉備が始まり
吉備の土器と近畿の土器で庄内式土器ができる。それを一つの広域的政治経済
地域として投馬国と総称したのかな。倭人伝で各論に入ると投馬国は出てこない
からね。

909 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 08:11:35
九州の古墳は、木棺が無いのかい?

910 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 10:28:45
>>905
何処の馬鹿が作ったのか知らないが、
そのデータはまったくのだたら目です!
瀬戸内海の潮流は間違い無く
常に一定の方向に流れているのです!
本当に間違いありません!

911 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 10:38:57
>*「又」「乃」「次」などの接続詞が用いられていないため、
>この旅程は四支と見るのが中国の正史をよく読んでいる方々の
>普通の読み方。

じゃ他の文献でも、「又」「乃」「次」が無いものは、
すべて、四支と見なければならない事になるのですね。

912 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 10:57:55
>>906ワイの知ってる、「中国の正史をよく読んでいる方々」は、
そんな読み方しませんw

913 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 11:01:12
>>905
>うそはダメ

貴方もね。

914 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 11:13:42
>>906そろそろウザイ

915 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 12:18:01
>中国の正史をよく読んでいる方々の普通な読み方


↑ここで言う「普通」とは、「ヘンテコ」という意味である。

916 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 14:43:52
キチガイの書き込みは、スルーしろよ。
相手にするから、調子に乗るんだよ。

917 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:46:45
ちょっとこのスレの高飛車でデタラメな発言は目に余りますね

918 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/30(火) 19:48:59
>>907
木棺(本当はこの言い方も変だが)の外側に木の外箱があるのが「棺有りて(木郭)
有り」  棺の外側に外箱がないのが「棺有りて(木郭)無し」じゃないんでしょうか。
文献の先生については知りませんが、石野、寺沢両氏は(ホケノ山古墳に関して)
中国人からすると小さすぎて「(木郭)」にはならないと言っております。僕が>>900
のように思ったのは、巻向で木棺墓タイプのものが発掘されているからです。

919 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:16:55
>>910
海上保安庁のHPじゃねーか。
お前、頭おかしいだろ。

920 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 22:59:26
>>919
海上保安庁なんか信用してはいけません!
みんなデタラメです!
真っ赤な嘘です!
間違いありません!

921 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:20:36
釣りのつもりか、阿呆が

922 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:21:41
>>919
>お前、頭おかしいだろ。

その言葉。
そっくりそのまま、お前に返してやるよ。

923 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:26:29
海上保安庁なんか社会保険庁とおんなじで、みんなデタラメ。
ウソの塊。捏造。>>921と同じアホの巣窟。

924 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:26:31
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925 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:20:24
このスレも質の悪い奴が出入りするようになったな。


926 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:24:31
>>1も居なくなったことだし次スレはいらんだろうな。

927 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:47:12
九州説のアホが撹乱目的で荒らしてるだけだから。
>>910とかプラムだろ、多分。

928 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 17:59:55
邪馬台国は北九州です。間違い無い。

929 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/05/31(水) 19:21:59
>363氏
「又」が無いことで「北九州から邪馬台国まで水行十日陸行一月」だと主張するなら、
>>843のようにマツラ国から四至の読み方をするべきでは?でもそれならばさらに
距離が伸びてますますありえない航路に成ると思いますがどうでしょうか。

930 :363:2006/05/31(水) 22:12:33
なるほど、そこはスルーでしたか。
でもまあ、潮流図をみてもらいたかったので
その潮に乗ってしまいました。

>929氏
そうです。この部分はおかしいです。
高橋氏はおかしいとしながらも
以下のように見ています。

水行 郡−・・・−末盧国 (直線)
陸行 末盧国−伊都国、奴国、不彌国(四至)
水行 末盧国−投馬国、邪馬台国(四至)

しかし、伊都国は郡使が往来するときに
常に駐まるところだから、伊都国には
行っているはずなので、ここは「普通」ではないです。

931 :363:2006/05/31(水) 22:19:07
ひとつの仮説は、末盧国から直接邪馬台国に
むかう自然な旅程もあったので混乱した。
確かになぜわざわざ途中陸行しなくては
ならないのか、意味がわかりません。
なぜ船を末盧国においていくのか。

ただ、伊都国、奴国の従来の比定位置を考えると、
以下のようになってしまいます。
水行 郡−・・・−末盧国−伊都国(直線)
陸行 伊都国−奴国、不彌国(四至)
水行 伊都国−投馬国、邪馬台国(四至)

確信はないのですが、私は今のところ
伊都国で潮待ちし、倭人の船に乗り換えた
という考えです。
倭人が航路をよく知っていたことおよび
潮流の危険性が理由です。
もっとよい仮説があれば、提案してください。

932 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:25:12
で、363は、邪馬台国はどこだと言いたいわけ?

933 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 23:07:48
四国だってさ。

笑っちゃうね(w

934 :363:2006/06/01(木) 05:29:12
10年以上前から東四国説です。
http://www.geocities.jp/yamatai4/
上の24国比定案はほとんど変わっていません。
この地域の弥生末期−古墳前期の
遺跡、遺物の状況を知る考古学者は、
あまり笑えないのでは?

以前は実年代がずれていたので、
都の比定ができませんでした。
しかし近年では実年代もかなり
信頼できるようになってきました。
女王の都は徳島県板野郡の大麻山周辺
でほぼ間違いないと思っています。

935 :363:2006/06/01(木) 05:30:57
しかし、私のこの確信は倭人伝や記紀の文献
によっているので、考古学者には確信とはならない。
特に記紀(神代)に関しては「年代」「地名」
を文字通りに解釈すると史実とは思えないので、
難しいところです。

私がここで書き連ねているのは
「文献調査も大事で、実証的な話題もありそうだ。」
ということを、ここを見ているかもしれない
少数の考古学者に知ってほしいからです。
補助的な手段という認識でよいと思います。
実証は従来の考古学の方法しかないでしょう。

936 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 13:55:29
ホント、うぜーなー

937 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 14:35:45
四国説ならば、別スレ立てて、そっちでやって。

938 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:29:01
四国で無い事を証明してやれば、現れないと思う。

939 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 16:04:58
証明なんかしなくていいぞ

940 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 16:17:18
西都原(宮崎県西都市)である証拠。
1、地名の語末に「都」という文字を使うのは、実際に首都であった場合に限られる。
  類例、京「都」、東京「都」。宇「都」宮のような音借とは違う。西都の「西」、方位のことではなく、西洲(九州)という固有名の
  地の都という意味(原文に沿わせるとこうなる。)
2、西都のオサホ・メサホ塚は宮内庁の管理化であるため発掘ができない。
  9割5分以上が手付かずらしい。発掘調査の実施を強く宮内庁に要求したい。
3、現在、長岡京や藤原京の場所は特定できるのに、同じく古都である邪馬台国の所在が何故特定できないのか?政治的意図
   (天皇制)による組織的な隠蔽工作が行われたと思量する。これに荷担する畿内説は不快である。
4、国内最大級の古墳群が西都にはある。また、九州で一番大きな帆立貝式古墳(オサホズカ)がある。
5、神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地は西都。
6、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は人口密度が一番高かった。
  人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠である。
7、朝鮮総督府修史委員会の「黒板を中心とする焚書のウワサ」は、畿内説による歴史改竄を思わせる。
  オサホ塚に後方部をつける改修は、卑弥呼の墓が円墳であることから、これを隠蔽する行為である。
8、好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も歴史改竄であろう。記紀による天皇家の出自も歴史改竄、現実は神武も卑弥呼も朝鮮からきた。
  これの隠蔽行為によって邪馬台国の所在は不明とされている。西都の発掘調査が行われれば一気に論争も解決するだろう。

941 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/01(木) 17:36:22
>363氏
このスレで強硬に「東四国説」を主張するのは間違いです。四国説に関しては
邪馬台国はどこですかスレに書いた方が良いと思います。

942 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:46:50
>>940
>1
「西都(さいと)」は、訓読みではないので古代からの地名ではない。
>2
西都原に他にも古い古墳はあるが、大和の古墳よりは古くない。
>3
妄想
>4
古墳の数や大きさは無関係。
>5
神話伝承は日本中の土地ごとにある。
>6
人口密度は無関係。
>7
妄想
>8
なんでも朝鮮が起源かよ。チョン必死だな。


943 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:15:38
3世紀の東四国が、畿内や吉備などから無関係に独立していたとは、到底思えない。
むしろ、同じ利益共同体として連携していたと見るべき。
「卑弥呼がどこにいたか?」となれば、同時代のマキムクが相応しいであろう。

庄内土器や、画文や三角ら中国鏡が畿内を中心に広域に分布すること。
マキムク遺跡の開始などから、少なくとも3世紀初頭には、瀬戸内海交易路を
掌握する王権が大和に誕生していたと考えられる。
東瀬戸内地域の首長たちの協力無くして、マキムク王権の誕生は無かったであろうと。

944 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:03:17
>>943
マキムクどころか、唐子・鍵の頃から王権の基礎ができつつあったと見るべきだね。





945 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:04:59
>>944
全く同意見だが、君は唐古鍵からマキムクへの飛躍をどう考えているのか?
是非意見を聞かせてもらいたい。

946 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:15:23
画文帯は東四国からも多く出土するんだよね。吉備からは殆どない。
時代が下って、三角縁になると、東四国は殆ど無くなり、逆に吉備からの出土が増える。

つまり、最初、畿内王権は東四国と連携していたが、布留期に吉備と連携。
東四国の立場は相対的に低くなった。もしくは、東四国の首長たちは畿内王権に完全に
併合されたのかもしれない。
布留0の箸墓が吉備の影響が強いことなども、上の意見の証左となるだろう。

947 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:30:54
少なくとも、東四国さんが言うような広域の東四国を包括的に支配していた
ような王権は、少なくとも古代にはなかったでしょう。
地形的な縛りがあったためでしょう。衛星写真で見れば、
東四国さんが言うような、淡路・阿波・讃岐を統一的に支配するのは困難
であっただろうと推測出来ます。山あり谷あり海ありですから。
歴史的に見て、東四国を広域に支配出来たのは、室町幕府の威光を受けて
侵入してきた細川氏が最初ではないでしょうか。
細川(その後継の三好は)四国の兵で、畿内に覇権を築きましたがね。

948 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:33:31
で、東四国独自の威信財が存在しないのもイタい。銅鐸とか銅鏡とか、基本的に
畿内文化の影響受けまくりです。



949 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:37:16
古墳時代を通じて、東四国に巨大前方後円墳が造られなかったのは何故か?
それは、大きなクニが無かったためだろう。
古墳造りに投入出来る労働力を集中的に使役出来るオウがいなかった。
つまり東四国は、豪族たちが割拠する状況であったのだろうと


950 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:26:51
>>940キチガイ

951 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 14:55:30
10年以上も研究続けて四国とはアタマ悪すぎねーかw

952 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:08:49
俺なんか、20年以上研究して沖縄だぞ!

953 :木村鷹太郎:2006/06/03(土) 18:08:23
俺は100年以上研究してエジプト

954 :がいやまん:2006/06/03(土) 19:55:46
東漢と書いて「ヤマトノアヤ」って読むから、ヤマタイ国というのは「東国」じゃない
かな。

955 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:00:56
俺は一年半で説き明かした

956 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:17:05
>>954
西漢(カワチノアヤ)が九州などの西国を意味しない限り、
それはないかも…

957 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:10:22
>>954

ヤマタイ国×

ヤマト国○

ですよ。

958 :363:2006/06/04(日) 07:32:53
もう少し勉強した上での具体的な異論なら
答えたくもなるのだけど、残念ながら
印象論といわざるを得ません。
このあたり読んでください。

保育社 日本の古代史 
徳島 pp.81〜86, p.195
香川 pp.108〜111, pp.157〜185, pp.206〜214
キーワード 弧帯文、積石塚、阿讃播

959 :363:2006/06/04(日) 07:36:53
「日本の古代史」ではなく「日本の古代遺跡」でした。

次スレは「畿内説以外厳禁」?

960 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:11:00
>>959
まあ、私は個人的に参加してもらっていいと思いますが。
そもそも、畿内やら九州やらでスレを分けるのにも反対でしたし。

>>958
マキムクがあるのに、東四国を邪馬台国というのは無理があるんでは?
少なくとも、東四国はマキムク畿内首長連合の一部だったでしょうし。

961 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:21:16
畿内説以外厳禁でいいよ。

安本とか原田信者は、自分の勉強不足を棚にあげて、
考古学上、常識的なことにまで反論してくる。

たとえば、箸墓から馬具が出土したから箸墓は古くない、とかな。
もうアホかとバカかと。
そのほか多くの出土物の編年から、箸墓は3世紀中葉〜末なのは確定的だというのに。

962 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 12:04:23
つーか、JISレいらね。あるもの使えよ。

963 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:19:58
>畿内説以外厳禁
ってトンデモだけを集約したスレかい。

964 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:11:01
↑アホはすっこんでなw

965 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/05(月) 19:33:32
なんか俺等氏以降、体系的に邪馬台国を説明した人がでませんね。

966 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 01:56:54
>>965
安曇さんが体系的に説明してみて下さい。コピペでも可。
次スレはそこから話を始めましょうか。

967 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 02:31:41
魏志倭人伝から邪馬台国の位置を特定するのは永久に不可能な事です。
やるだけ時間の無駄。

968 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:22:30
>>967
それはアンタの努力が足りない為。

969 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:25:53
魏志倭人伝が無ければ、3世紀の日本の中枢は大和になるわけだが。

970 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:46:49
どうしても大和にしたいのか?

971 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 14:10:07
>>968
努力なんかしても無駄無駄。

972 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 15:08:26
大和じゃなければどこ?

まさか四国とか九州とかじゃないよね?
せめて吉備って言ってくれたらインテリっぽいけどね。


973 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 15:50:21
吉備でインテリなら、エジプトは神童で、世田谷はセレブか?
アキバはオタクで浦安はミッキーだな。

974 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 16:21:25
>>972 沖縄です

975 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 18:14:43
種子島だよんw

976 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/06(火) 19:10:47
>>966
一応>>615-616を参照してください。駄文ではありますが。

977 :966:2006/06/06(火) 23:30:56
レス、ありがとうございました。

978 :@@@ ◆CSZ6G0yP9Q :2006/06/06(火) 23:32:54
恐らく間違い。
そんなに単純じゃないんだよ。

979 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 23:48:13
邪馬台国=ヤマト=初期大和政権、定説。

980 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 06:34:48
「邪馬台」を中国人に古代の発音してもらえばいい。
多分「ヤマタイ」じゃなくて「ヤマド」になると思う。

981 :@@@ ◆CSZ6G0yP9Q :2006/06/07(水) 10:49:57
3世紀の、倭人の発音は恐らく清音ですから、ヤマトで良いと思われます。

982 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:37:37
>981をNG設定しました。

983 :@@@ ◆CSZ6G0yP9Q :2006/06/07(水) 23:12:30
上等です。

984 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:13:55
ところD、倭面土国はヤマト国なのか?

985 :@@@ ◆CSZ6G0yP9Q :2006/06/08(木) 00:46:01
でしょ。

986 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 06:51:05
素朴な疑問。

魏志倭人伝の記述によると倭人はかなり南方風俗している。
機内が南方的であったというイメージがあまりない。(寒そうだ)
畿内でも、刺青して酒を喰らって野菜を生で食べたりしていた
んだろうか?

987 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/08(木) 07:29:20
あれは倭国全体の記述だから、そこまで気にする必要は無いと思います

988 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:34:30
なるほど…。
畿内説の人は、風俗など細かい点を完全に無視する傾向があるように思う。

989 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 11:12:52
魏志倭人伝の記述から、どこが南国的なんだね?

アイヌだってイレズミしてるし、日本中の海人は真冬でも海に沈没して漁をする。
寒いからって海人が漁をしなかったら飢え死にするだろ。


990 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/08(木) 11:46:42
別に無視する訳じゃなく「邪馬台国の風俗」として重要視する必要は特に無いということでごわす

991 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:00:29
>>990
??

992 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:34:18
?

993 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/08(木) 12:44:32
>>991
何がわからんのです?

994 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 14:17:14
>>990
一応は心に留めておく、ってこと?
でも留めておくだけで、重要視しないと。

>>989
>アイヌだってイレズミしてるし、

前から思っているのだが、アイヌの民族衣装はどう見ても防寒には
適していない気がする。シベリアやアラスカの北方民なんかは、動物の
皮をなめして着ていたりするが、アイヌは着物に若干防寒処理を施した
ような感じで、厳冬の北海道を生き抜くには、甚だ心もとないような。

995 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 17:27:29
>>993
畿内機内と妄想する思考回路 アテンションプリーズ

996 :安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/08(木) 17:38:53
>>995スレタイ嫁

997 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:13:34
997

998 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:15:03
998

999 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:16:35
999

1000 ::2006/06/08(木) 19:55:24
神州不滅!

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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