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徳川吉宗って実際はどういう人物?

1 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:49:07
暴れん坊将軍はやっぱ美化されてるよね?

2 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:51:55
(´∀`)さらば〜この世よ〜旅立つ船は〜檜造りの〜お棺〜♪
宇宙の彼方〜十万億土、戒名背負い今旅立つ〜♪
必ず盆に〜帰ってくると〜遺族の皆に〜笑顔で応え〜♪
この世を離れ〜極楽浄土、はるばるのぞむ〜阿倍野斎場焼き場〜♪

3 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:59:55
でかい

4 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 18:10:03
あやしい

5 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 18:52:30
>>1家光のほうが阿保連某将軍ぽい


6 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:12:44
相撲が強い

7 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:18:02
>1

暴れん坊将軍と比べてどうかいうことなのか…

暴れん坊将軍が基準か…

8 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:22:30
みんな兄弟殺して上に行ったんだろ 肖像画見ると悪い奴の顔してる


9 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:23:59
ホテルニュージャパンの横井と同じような悪党顔

10 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 20:59:47
甘えん坊

11 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:36:00
>>1が利口でないことはよくわかった。
将軍が供も連れずに街中を出歩くか?

12 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:48:00
>>11氷川清話はなんかに江戸城の大玄関の近くに小さな玄関がありなんだろうと思って調べたら
家光が家臣に見つからないように抜け出して町に行くためのものだったという話があつたが。。。


13 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:55:41
新田開発に力を入れ、米の増産を果たしたので「米将軍」と言われていた。
入試問題でも「吉宗は何将軍と言われたか。」というのが出ていたが、
あの番組が始まってから「暴れん坊」と答える生徒が続出して、
その問題は出されなくなった。

・・と日本史の先生から聞いたことがある。


14 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 22:43:08
こいつに関しては正直批判する要素が少ない
日本歴代の政治家で五指にはいるんじゃねえのかな
江戸時代において、まともな改革をやったのは田沼とコイツだけ

15 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:14:43
>>14ha?倹約令なんてかなり批判の対象になってるが・・・まあ、紀州藩による乗っ取りが最大の功績だろ


16 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 01:39:51
アバタ面。

>>15
やっぱり紀州を継いだ時の兄たちの相次ぐ死は吉宗が怪しいですかね?その後の親戚や将軍の死も…
何か光の部分と闇の部分が極端な人だなぁ…

17 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 01:50:54
Q.吉宗は家康の何?

@孫
Aひ孫
B甥の孫



18 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 02:20:22
>>17
A

19 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 04:05:14
>>15
倹約令が批判の対象ねえ
脳内批判ってやつか?

あの当時、華奢にふけて、札差に金借りまくって自滅していく旗元があまりに多かったから
それを旗本中心にそれを戒めたわけで、これは至極当然。
おまえだって、子供が無駄使いしてカード破産したら、同じことゆうじゃねえか?
しかも、これが後に裁判訴訟の激減につながって、経済が活性化したという側面を見ていないようだね

また「質素・倹約」を美徳とし、日本人の精神面でも大きく貢献した。日本人の忍耐強さを作り出し、後の日露戦争や太平洋戦争でもその吉宗の改革がメンタル面でも大貢献したのは有名な話

20 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 04:12:34
完璧すぎて欠点が無いのが吉宗の欠点

あれていうならこれくらいだろうな。吉宗の批判するところって

21 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 04:40:00
>>14
幕府ではないけど上杉鷹山は?
天明の大飢饉では藩内に餓死者を出さなかったこともかなりの物だと思うけど

22 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 07:30:30
出世レースの邪魔になる、7代将軍家継、並びに尾張徳川家の4代目吉通と
5代目五郎太、6代継友、ついでに兄貴二人(綱教と頼職)が運良く死んでくれた
幸運な人。

23 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:50:23
>>1はバカ

24 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:19:38
6代将軍家宣を批判し、新井白石らによる法令も
良し悪し関わらず、廃止した。

25 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:24:27

晩年はヨイヨイになっていたそうだが

26 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:35:17

>>16
たんなる偶然。なんでも吉宗陰謀論にしたがる奴がいるから困る

>>24
新井白石の政治は儒教に凝り固まったものが多く、民衆からも不満が多かった
吉宗の時代には百害あって一利なし
廃止は妥当

>>25
後世の創作

27 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:36:26
全く批判する要素が無いね。
吉宗は。

28 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 15:27:59
「風雲児たち」ではちょっと悪く書かれてたな。

29 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 16:24:29
>>18
正解。

30 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:06:33
政をほったらかして、鳥取砂丘をサラブレットで駆けたり、
派手なカッコでサンバを歌うのはいかがなものかと・・・

31 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 02:00:28
マツケン産婆は歌謡曲です
サンバにはほど遠い
風になりたいはサンバと言えるが

32 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 02:35:57
サンバって何だよ
デタセメ言うなよ

33 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 02:54:10
サンバが何のことかはわからんが
信長は、たまに城を出て、村民たちと田楽を踊っていたらしいな
武士の嗜みってのもあるが民と直接触れ合うことで民情を知る目的もあったそうだ

サラブレッドにしたって、乗馬は武士の嗜み
民情知るのが主な目的だな

そうそう、暴れん坊将軍は史実を元にしたフィクションって知っているか?
吉宗ほどの民政家は日本歴史を通してそうはいない。
仕事が非番のときはしばしば城を出ては村人と触れ合い、たまに夫婦喧嘩の仲裁、農民に施したり、ねぎらいの言葉をかけたりしてしている


34 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:49:24
>晩年はヨイヨイになっていたそうだが

これは史実
「吉宗公御一代記」という史料が国立公文書館にあり、筆者は側近の
小笠原石見守政登とのことであるから、晩年半身不随に苦しんだことは
否定しがたい
参考:「江戸人の老い」 氏家幹人 PHP新書

35 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:57:16
吉宗は米将軍とか云われてる。幕府の財政がヤバイっていうので米の大増産をしたの。そしたら値段が暴落して意味ねー。米って良く考えたら野菜だもんね。何処の国で野菜が金の代わりになるって言うのよ、、

36 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:58:32
吉通、五郎太はむしろ継友の方が怪しげですね。
五郎太が亡くなった直後にどんちゃん騒ぎをやってひんしゅくを買ったとかなんとか。

37 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:08:57
>>34
まあ、晩年は病気と闘いながら政務を全うし
あれだけの実績を残したってことだね。ありえないね
>>35
馬鹿はお前。
吉宗ほどの政治家なら米を増産すれば大暴落するなんて当たり前の知識は知っていた
それより、吉宗が主導した国土開発が今の日本の繁栄につながっていることを考えて見れ

38 :美濃高須藩主松平義健:2006/04/03(月) 22:30:10
尾州継友は、五郎太の夭折によって藩主就任となったわけだから、就任祝いにしても、そもそも自粛するか、ごく控え目にやらねばならぬところ、
だんだん盛り上がって羽目を外し、仕舞いには五郎太の柩の見張り役の藩士まで呼び出して大騒ぎをしていたのは有名だったね。
吉通、五郎太の死去に紀州のスパイが関与していたかどうかは不明だけど、このザマでは紀州の工作も随分やり易かったんじゃないのかね
継友の補佐役が竹腰抜とへぼ犬山しかいなかったこともあるが、御三家筆頭の地位に胡座をかき、藩一丸となって継友を千代田城に送り込むんだ、
という気概に欠けていたのは痛い

39 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:38:59
米がどうたらは江戸の貨幣問題に繋がるんだよー。吉宗や田沼なんてデカいジレンマの一コマだろ。当時の経済情勢きちんと考えよう。

40 :長谷川京子:2006/04/03(月) 22:44:24
じゃどのように当時の経済情勢を理解しているのかね

41 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:48:09


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 / X | /:x`Y´, 。|.::・'゚。/./::*.+∧ゞ `、o:: ゞ_,/   ヽ- '゙
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 l  `Y´。.:x・'..xl..::x..l//,/..:::.::x.。.l八/:::i / .ハ. ヽ、 _/ /
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42 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:55:43
>38
 元々尾州自体、一枚岩とほど遠かったんでしょう。
 八代将軍の件に関していえば、竹腰、大道寺といった連中は喪中のどんちゃん騒ぎ
に呼び出されて立腹していたわけだし、成瀬にしても…。
 養子として跡を継ぐのに、乗り込み方がひどすぎて、本家の方でとても押す気にな
れなかったんだから、仕方ないんじゃないでしょうか。

43 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:00:55
藩祖・尾張義直の気風をよく受け継いだ吉通が酒・野イチゴ・和菓子などに淫する性格破綻者でなければ、あっぱれ大将軍の座を得て居たものを

44 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:21:00
>>21
上杉妖山も名君の一人だとおもうが、やはり吉宗に比べると見劣りするかもね
天明の飢饉で餓死者ゼロってのはすごいことだが小藩クラスならそれほど珍しいことでもないしね
後に吉宗の下位互換とまで酷評される白河の藩主も餓死者ゼロだし


45 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:42:12
身分の低い旗本から大岡忠相や田沼意次を見出したのはすごい。
人物眼は確かなようだな

46 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:44:15
>44白河は御家門だから、幕府も援助したしな。
それがなければどうなったか。

47 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:44:24
生類憐みの令を一番最初に再評価したのも吉宗
目の付け所も確かなようだ

48 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:46:39
>>46

当時の幕府は田沼意次が実権を握っていたから、反田沼派の筆頭松平に援助をするのは考えられない
残念。少しはまともな嘘つこうぜ

49 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:54:43
江戸期を代表する政治家であったことは間違いないな
幾分過大評価されすぎな気もするが

50 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 05:26:17
>>46
明暦の大火、富士山噴火、飢饉、疫病で危機的な状況だった幕府のどこに
親戚だからといって、餓死者0の藩に援助を送る余裕がありますか
幕府の援助はないと考えるべきでしょう

まあ、定信が幕府に援助を要請して、財政難を理由に田沼が蹴ったというのならありそうな話
定信の田沼派に対する追い込み方が非常に執拗なのも説明が付きそうですしね。

51 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 05:31:49
人の前で声を荒らげたりすることが一度もなかったそうですね。

とても怜悧な人物だったようです。

52 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 05:32:01
定信を白河に飛ばしたのがそもそも田沼
定信はこのころから田沼を非常に憎んでいる。

この当時から確執はあったと思うが‥

53 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 05:33:44
>>47
綱吉とはとても馬があったようで、お墓までいっしょですw

押し掛けられた綱吉もあの世でびっくりでしょうww

54 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 07:29:22
ちっちゃな綱吉にでっかい吉宗が押しかけるのか…

55 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 08:03:17

綱吉に「発見」されてなければ、家臣の養子になっていた可能性すらw

56 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 08:29:57
低レベルなスレでつね。

57 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 13:15:44
綱吉の治世を吉宗が理想としていたのは確か
この事実をアンチ綱吉、アンチ江戸時代の厨房は隠したがるんだよな。
同時代を生き、政策眼のある吉宗が綱吉の治世を高く評価していたという事実から
綱吉見直し論が起こったわけで

58 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 13:30:52
でも、日本で五指にはいる政治家まではいいすぎ
地味だし。明治の元勲や信長、秀吉に比べれば全然大したことは無い

59 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 13:44:14
日本史といえば、明治と戦国しかしらないバカ発見。
信長を例にだしてくる時点で知能が低い

60 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 13:44:20
元勲は大したことないと思うが
吉宗は暴れん坊のイメージが強すぎるんだよな

61 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 13:48:20
>>57
綱吉は白石の著作が効いているのかなw

吉宗は白石より長生きしたのが良かったのかww

ちなみに荻生徂徠は綱吉と吉宗に重用されてんだよな。

62 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 14:16:53
荻生徂徠は江戸時代を代表する経済通の一人
これに伍する江戸時代の重商主義者は田沼くらいだろう。


荻生の使えていた時期は日本が好景気だったことを考えると
間違いなく手腕があっただろう
こいつを追放した白石はアホ。

63 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 00:48:19
吉宗の吉の字は綱吉からもらったんだよね

64 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 01:19:39
荻生って甲斐国司の松平美濃守の侍講だったわけだから、失脚とともに逼塞はしたが、
白石が公的に追放はしていないでしょ。


65 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 01:24:29
放蕩大名として有名な姫路の榊原政岑公ですけれども吉宗治下において京島原 御峰の方(坂田太夫) 新吉原 高尾太夫を得たことにより
放蕩三昧行跡不善として越後高田に転封されました
かなり緊縮がきびしかったらしくソレへの反骨というのはあったらしいです
姫路は米どころなのと山陽道の要衝なので豊かだったのはありますが政岑公は茶道絵画の造詣が深い傾者でしたので
「緊縮にすぎると文化芸術に悪影響がある」との考えだったようです
姫路に今も伝わる 着の身着のままでおこなうという 「ゆかた祭り」 なる祭りを始めた方ですが
「踊レ 踊ッテ人間万歳 オ上ノ規則モ人ノ心ハ縛レヌモノゾ」という言葉が残ってます

長文失礼 米公方の改革は非情にすぎたのでは?の一例です

66 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 01:44:09
山陽は幕府にとっても重要な要所だから
仮にも譜代の大名が放蕩三昧ではいざというときに使えないだろう。
改革云々ではなく、単なるリストラだろうな。

67 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 01:48:45
>>65
榊原政岑の件は当然の処置だな
他の将軍でも同じ結果だったと思う。
家光や綱吉だったら改易されても文句は言えない。むしろ越後高田は温情采配だよ

68 :前老中首座・酒井雅楽頭忠恭:2006/04/05(水) 02:24:38
さよう。姫路藩主は西国探題の内命を帯びてるわけだから、いざとなったら使い物にならない放蕩大名は、たとえ徳川創業の元勲であっても僻地への移封の憂き目をみる

69 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 02:32:53
吉宗がまだ紀州で部屋住みだった青年期のこと。
 町を近習とともにお忍びで歩いていた時、偶然、商人の夫婦喧嘩を立ち聞きすることとなった。
 隣人が仲裁に入ったが殿様の言葉ならいざ知らず、隣人の言葉は聞かぬ、と言ったのを耳にした。
 翌日、吉宗は家来に「殿様でない吉宗では不足だろうが、仲良くするように。」と喧嘩していた夫婦に伝えさせた。夫婦は恐れ入って仲良く暮らすようになったとのことである。

史実版、暴れん坊将軍の逸話

70 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 02:36:02
吉宗が鷹狩に出かけた時のこと、田の畦を歩いている時、糞桶があって、ひっくり返してしまい、衣服も汚れてしまった。
 吉宗は衣服を着替えた後、「この糞桶の持ち主を連れて来い。」と命じた。供奉の者はどうなることかと心配しながら、その農民を連れてきた。
 吉宗は、農民に次のように言ったという。
 「お前は田を肥やし、実を豊かにしようと、糞を買って苦労して担いできたのに、わしが誤って無駄にしてしまった。その代価としてわしの着ていたこの衣服をつかわそう。」
吉宗の着ていた服は、農民からみても手か届かないほど高額なものであったので農民恐れ多くて平伏したという。

史実版、暴れん坊将軍の逸話



71 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 03:41:43
>>63
そう。将軍の名前の一字は、紀州の当主を継承することではじめて
もらえたんだよね。それまでは頼方。

ちなみに天下人の一字をもらった場合、別の天下人が名前を
くれた場合を除いて、将軍になったからといって勝手にかえ
られないようだね。なので家光後の徳川将軍で「家」がつか
ない人間は、皆、将軍の死後養子の形で継承した人間だね。

秀忠-秀吉から「秀」の字を拝領。「忠」は実は松平家の通字。
   親忠-長親-信忠-清康-広忠-家康-秀忠となってる。

綱吉-家綱の「綱」を拝領。家綱の死後養子。
家宣-前名綱豊。綱吉の養子として世子になった時に綱吉から
   家宣と命名。
吉宗-家継の死後養子
家斉-家治の生前養子で家治に命名される。
家茂-家定の生前養子。家定から命名。
慶喜-家慶から「慶」の字を拝領。家茂の死後養子。
   

72 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:59:45
吉宗は厳しいと一般的にいわれるが
実際はそれほどでもない

親政をとった将軍は六人(家康、秀忠、家光、綱吉、吉宗、家斉)いるが
アホの家斉は論外として、この中で一番大名に対する処分が少なかったのが吉宗
そればかりか参勤交代を緩くしたりして、むしろ大名懐柔策が目立つ

73 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:02:40
どんなに有能でも江戸時代の政治家って過小評価されるんだよな
これも、明治史観、司馬史観の影響か。
吉宗とて例外じゃなく、江戸時代は経済も碌に知らない小物というイメージによって過小評価されている

74 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:11:54
と、大學教授が、厳しく批判しておられる

75 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:13:25
つか、家康のイメージが暗いから
江戸幕府って陰湿なイメージが強い。

76 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:38:36
>>75
そこなんだよな。

でも家康は信長秀吉の路線をほとんど忠実に踏襲している
だけだからね。同じ評価してあげても良いのに。

ちなみに家康って貿易大好き外人大好きだしねw

だけど豊臣滅ぼしたやり方が陰湿だったので物凄く
暗いイメージが出来てしまった。

77 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:51:30
時代劇の影響が…
陰謀渦巻く大奥「きゃー」
御家取り潰し「ぎゃー」
悪代官の陰謀「げげっ」
なぜか切り捨て御免「ぐさっ」


78 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 23:01:52
家康に華が無いのは事実だし、
鎖国もイメージ悪いね。

79 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 23:36:18
鎖国は家光だろ?

80 :ギャグマンガ日和:2006/04/05(水) 23:37:32
酸化マグネシウムごっこするもの この指止ーまれ

81 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 00:22:01
夜の大奥では「暴れん坊」だったらしい

82 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:09:57
>>73
なんでもかんでも司馬史観に結びつけようとすんなよw

83 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:15:30
最近の教科書みたら鎖国なんてしてなかったと書いてあったよ?

84 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 02:33:51
か・・核武装を・・しない・・日本など・・
ひ・・

85 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 02:49:15
まともな話をすると、関東の地盤を身近な地盤で固めて
もともとの譜代の家臣は左遷か一族断絶している。

本当の意味で政権交代した将軍であり、紀州幕府初代将軍。

86 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 04:23:08
まともな話をすると、っていっている割にはいきなり大嘘な件について

87 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 04:30:30
>>85

当時の価値観では
血統の存続よりもむしろ家名の存続が第一優先でありまして
御三家というのはいわばそのための制度ですね


神君家康公も嫡流の子供が生まれなければ、御三家の中から優秀な人物を選び将軍にせよと訓示しています
一度将軍になれば、次に警戒すべきは徳川内部の内輪もめでして
これで一騒動がおきれば、幕府はたちまち外様の餌食になります。これでは家名の存続は確立できません
ゆえに、譜代の左遷や身内の関東配置はきわめて妥当な行為であり、神君家康公の想定した範囲の行為といえるでしょう
主家転覆みたいな言い方はよしてください

88 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 05:17:11
お忍びで悪いやつらたたっ切ってたのは本当だろ。
暴れん坊将軍はデフォルメしてるが基本的にはあんな感じだった。

89 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:34:01
実は陰謀家だったとかいろんな話があるよな。


90 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:37:30
>>1がバカだと住人もバカなのか?
>>1に合わせているのか?

91 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:26:58
>>87
御庭番の締め上げにも力を入れていたらしく
一族断絶まではいかないが、うちの先祖の首もかなり飛んでいる。
妥当な行為なら幕臣の首をいちゃもんつけて簡単に切り捨てるのか。

吉宗は経済体制だけじゃなく、幕府の支配制度そのものを変えた。
その施政には功罪両方あるということを覚えておいてくださいな。

92 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:48:58
>>91
なんどいえばわかるのかこの馬鹿は
統計見れば解るとおもうが
親政をとった将軍の中で処罰は一番少ないのは吉宗
この統計はどういちゃもんつけるの??

吉宗の政治に功はあっても、罪というものはない
仮に、罪があったとしても、それは他の将軍でも同じ結果をだしてにすぎず吉宗の問題とはいえない

93 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:52:56
御庭番の締め上げって悪いことじゃないとおもうよ
犯罪の芽があれば即座に摘み取るのがやっぱり治安の維持という面で効果的
北朝鮮や中国も秘密警察という形であるけどれど
あれとは違って日本の江戸は一切恐怖政治にならなかった。このバランスは吉宗にしかとれない
現代に吉宗がいたらスパイ防止法が成立して、一切犯罪が起きないかつ、民主的な理想国家がうまれていに違いないのは明らかでしょう

94 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:59:37
江戸時代の統治機構・官僚制度は
吉宗、家重親子の時代にほぼ完成したんだよね

この親子は個人の将軍の力量よりもシステマティクな官僚機構を作ることでより合理的な政治をおこなおうとしたわけだ
おかげで、幕末の幕府は、思われているほど無能な人材ではなく、かなり優秀な人材が集い
他国の介入を受けずに、明治にバトンタッチできたわけだ。
吉宗が存在しなかったら今の日本の歴史は大分変わっていただろうね

95 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:03:03
>>94
そうだね。

あと、吉宗が参考にした綱吉も忘れないであげてくらさいw

96 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:06:27
>>94
側用人制度と足し高制度は、人材の流動化という意味で
幕府の寿命をのばし、さらに江戸時代そのものを豊かな
社会にした重要な制度だよね。

前者は綱吉、後者は吉宗が導入した政策だよね。

おかげで幕末の官僚の事実上のトップである勘定奉行
には、父や祖父が庶民階級であった人間が相当いるもんね。

97 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:08:32
>>69-70
これらを読む限り、人心収攬につとめた野心家というイメージだな。
なかなか真似のできることではないが。


98 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:10:54
家重の時代に完成した会計監査院制度も重要
現代の憲法にまで残っているし

99 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:16:39
パチスロやりてぇ!!

100 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:31:17
>>96
側用人はどっちかと言うと負の遺産に入るだろう。

101 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:11:28
だからその発想がおかしいんだよ。
閣僚は石高が決まっているから無能な奴でも家柄があればなれるので、将軍の補佐役として側用人がいるんだよ

102 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:17:47
>>99
ジョンイルへの献金がそんなにうれしいのか?
成敗!

103 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:37:10
>>101
側用人は将軍の補佐役ではないだろ?
どっちと言うと秘書だ。

104 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:38:10
例えば、将軍と大統領に例えるとするなら側用人は
大統領補佐官か?違うだろ。

105 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:45:41
>>101
馬鹿だな
少し違うぞ

側用人はたしかに身分は低くてもなれるが所詮伝達役であって補佐ではない
側用人の意義は例えば新井白石と間部の関係をたとえた方がいい

新井は学者であって、幕府の役職者であったから江戸城にズカズカ入ることができなかった
じゃあ、なんで新井が幕府の政治を左右できたかというと

将軍が、側用人の間部をとおはて新井にお伺いをたて
新井の答申を間部が伝達し、これを将軍が採用することで正徳の治が成立していたわけね

要するに側用人とは役もちでない学者などの意見を取り入れるための制度として確立したわけ

あと家重のように将軍が言語不能の時にも貢献したね

全体的にみて負の遺産であったとはいえないよ 側用人制度は

106 :訂正:2006/04/07(金) 00:49:42
>幕府の役職者であったから

>幕府の役職者でなかったから

107 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 01:35:11
まさに中興の祖といわれるにふさわしい政治家だな
それに引き換え、他の七代目は‥いや、言うのはやめておこう


思うに、長生きする政権とは、中盤に盛り上げてくれる人が必ずいるものだと確信したよ

日本にはこういう政治家が少ない。もしかして吉宗のみじゃないのか

108 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 10:38:03
>>105
なるほどそうなると側用人というは、補佐でもなく伝達役でもむしろ調査官というイメージだな
将軍は城内引き篭もっていているのが常であるから、もし老中と政治で争点の食い違いがっても
情報を多く持つ老中が主導権を握るのは目に見える。

そこで親政をとりたがっていた綱吉は、側用人という制度をつった。
側用人の柳沢を使って、政争があるたびに
「吉保よ。市井の学者はこの件についてどう思っているの? 少し調べてきてYO」
と城外城内を徹底的に調べさせ、後々の政論で老中に論破されないようにしたわけだ。

まさに綱吉の親政がそれなりにリーダシップ発揮できたを側用人という制度なんだろう。

綱吉の制度を散々非難していた白石がしっかり側用人制度を利用しているのは面白い。
白石は身分的には本丸寄合、すなわち無役であるから、御用部屋にずかずかと入るわけにはいかないので、
家宣からの諮問を側用人間部が白石に回送し、それに答えるという形をとっている。

白石の功績をここで賞賛するのはタブーだが、いずれにせよ身分の低い、無役が幕政に参与できる仕組みとしての側用人制度は面白い。


しかし、吉宗は綱吉の行った側用人制度を使わないで親政を採ろうとした。その理由は新井に対する反発かもしれん。
しかし、代わりに身分や石高の低い旗本から流動的に登用できる足し高制度の制度を作った。
この制度が非常に上手く出来ており、幕末で日本の倒壊を防いだ一因と評価されているのは前述されている。
またこの制度により、市井の庶民、学者に大しても有能であれば石高を貸し大名として奉行職なども就任できるようになった。
この足高の制度の確立で、一方側用人制度は実質無意味なものとなって今後は使われなくなった。

側用人が吉宗以降一度だけ復活した例があるが、あれはいわば家重のために復活しただけであり。
全体的に見れば、側用人制度から確立した流動性ある人材登用は、吉宗の足高の制度で確立するに至ったということであろうか。


109 :108:2006/04/07(金) 10:43:07

>吉宗の足高の制度で確立するに至ったということであろうか。


>吉宗の足高の制度で完成するに至ったということであろうか

しかし、吉宗と綱吉の関係はきってもきりはなせない関係といっていいな
なぜ、アンチ綱吉は吉宗は賞賛して、綱吉を非難するのか。
勉強不足という言葉で片付けていいのか。

110 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 10:56:07
側用人制度はメリットがあったが、所詮側用人み人間であることを忘れてはいけない
間部や後の大岡は側用人として忠実に職務を遂行していたから結果的には良かったけど

一方で柳沢吉保のように将軍に介入して
権勢を振るう側用人がでてくる危険性があった。

ゆえに吉宗は、側用人のメリットを生かし、デメリットを無くす方向で足高の制を中心とした官僚的な制度を試みた。
完成の大部分は家重の代だけど、大御所となってもそのあたりは関与していたと思うよ。吉宗は

111 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:26:06
そうですね
吉宗厨の絶賛する足高の制度で抜擢された勘定奉行神尾春央なんて有名ですしね。

 そして名セリフ「百姓とゴマの油は絞れば絞るほど出るものなり」 

また、年貢徴収方式として検見法から悪名名高い定免法に変えたのも有名です
底免法は農民は豊作の時は米価急騰に悩まされ、不作のときは飢えて市ねというすばらしい徴収方法です

農民にとっては鬼のような将軍ですね

112 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:47:03
>>108
>吉宗は綱吉の行った側用人制度を使わないで親政を採ろうとした。

いえ、吉宗は側用人という名前の制度を用いなかったかわりに
側用申次という職を設けて、側用人と全く同じことをさせてますw

悪ですw

ちなみに吉宗は大岡忠相の進言を容れて、貨幣改鋳もしてデフレ
退治に成功してますね。綱吉の時もデフレ退治のために貨幣改鋳
がされてますが、こっちは悪評なのが悲しいw

113 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:53:20
>>111
対農民は子の家重の代以後修正されて、以後基本的に年貢は
低レベルで幕末まで安定してますよね。これの実行者が田沼
意次です。田沼はそのかわりの財源として重商主義に立って
間接税を導入して成功しかけました。後年災害が続いて失脚
しますけど。

田沼の家訓として、これは田沼家中限定の話ですけど、金が
足りなくなったからといってそのつけを領民にまわす(つまり
増税)はもっての他のことだというのがあります。吉宗の政策
の悪い部分を幕府の中枢で見ていて学んだんでしょうね。吉宗
の時代は一揆が頻発し、しかも年貢増徴自体は幕府財政立て直し
には役に立たなかったですから。

114 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:44:35
定免法は、不作のときは年貢を減軽するように規定があるぞ
ちゃんと。だから飢えて死ぬことは無い

それに検見法は、年貢の量が代官の裁量で決まるため
賄賂、接待の押収合戦だった。まさに正直者は馬鹿を見るという徴収方法だったので
農民の方から「定免法にしてほしい」と要請があった。ちゃんと記録にもある

それを採用したのが吉宗

ちゃんと歴史を勉強してくださいね

115 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:50:16
神尾春央の名台詞だって
必ず教科書にのっているけど
この一言に吉宗の時代は農民にとっては地獄だったと教えないでほしい
神尾の真意はわからないけど、酒で酔った上での発言かもしれんし、裕福層の農民に対しての発言かもしれない

統計的にも吉宗の時代は農民の一揆は少なかった。これは統計資料として残っている

116 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:55:19
それに吉宗は重農主義者と誤解されがちだけど実際は重商主義者だよ

実際、経済通の荻生徂徠や蘭学推奨、貨幣改鋳も行っているし

田沼を見出したのも彼なんだから

117 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:10:11
>>116
吉宗に重農主義のこだわりはないね。ただ、年貢増徴に勤しんだ
のでそう思えるだけで。要するに幕府財政立て直し、年貢に依存
していた御家人旗本救済が主目的なので最初は年貢増徴策に走った。

しかし、年貢増徴策で新田開発をすると、結局米価が下がるので
御家人旗本は結局ますます苦しくなる。ここにジレンマがあり、
米相場と闘う米将軍の苦闘となるわけだ。

で、いろいろ試行錯誤した結果行き着いたのが貨幣改鋳。これ
でようやく落ち着いたんだね。

118 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:45:22
しかし後継者は宗武にすべきであったとは思う。
あと、吉宗は太っていたと聞いたことがあるんだがホント?
肖像画をみる限りはそうは思えないが・・。

119 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 02:15:49
>>118
宗武では、田沼はあそこまで登用されなかったろうな。

幕府の滅亡が早まったのでは?

120 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:15:02
>>119>>幕府の滅亡が早まったのでは?
変わらんよ、日本は危急存亡の状態にならないと変わらない。結局黒船が来るまで状態がどうあれ大した違いは無いと思う。


121 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:43:26
>>118
太っていたかどうか走らないが相撲が大好き
長身で力もあったから、プロの力士が相手でも負けなかったらしい

家重は言語不能で失禁症だったんだっけ。吉宗も一時廃嫡を考えたんだよね
まあでも、家重は時代と家臣に恵まれたよな。
むしろ政治的には、吉宗の路線をそのまま引き継いでの格好だから、歴代将軍の中でも実績は大きい部類に入ってたりと
あと親父が大御所やっていたのも大きい。

俺は、家重でも宗武でも大して変わらなかったと思う
ということで、長男優先の原則を維持して家重を将軍に吸えた吉宗の選択は間違ってなかった思う

122 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:53:53
むしろ、官僚制度が完備したのは吉宗の時代よりむしろ家重の時代なんだが
吉宗の時代は官僚制度を作っても吉宗自体が優秀で親政を行っていたから正直あまり機能しなかった
逆説的だが、家重が将軍になって、システマティクな官僚制度の完備が火急の問題として求められねようになった。

123 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 04:10:39
結果論に過ぎないがあれは家重でよかったと思う
結果的に家重の下で多くの人材が育ったわけだし、最後は田沼を重用するようにと遺言もしているしな

124 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:51:53
家茂まで皆紀州系だっけ?

125 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:18:52
左様。まこと、将軍家、御三卿はもとより、尾州藩、紀州藩、福井藩、福岡藩、津山藩、明石藩、川越藩などの有力大名を食い荒らす強大な生命力紀州党

126 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:24:57
>>125
でも、幕府瓦解後は紀州党はいつのまにやら消え去り、
水戸党があちこちの家を継いでますなw

127 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:26:37
長男を差し置いて、なんてことをやるのは世襲制にとっては致命的。
それなら才能有る者なら徳川氏じゃなくても、てことに行き着く。
ヴァカでも長男が嗣いでこそ世襲制。家定みたいなのでも。

128 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:31:43
>>127
家重馬鹿説は最近?とされてきているが(画像で小児麻痺
ではないかという医者がいる)、家定はどうなのかな?

徳川で阿呆将軍候補って意外に少ないよね。あとは家光家綱
くらいかな?家継は幼いから除外で。

129 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 02:24:04
徳川将軍ワースト1は
徳川家宣で間違いないでしょ
生類憐みの令を即日廃止したもんだから、吉宗に「こいつは馬鹿」とはっきり言われている
名君吉宗公に名指しされて馬鹿扱いうけた将軍はコイツくらいだよ

130 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 02:30:46
徳川将軍ランキング


吉宗>家康>綱吉>家治>秀忠>家重>慶喜>家綱>家光>家慶>家茂>家定>家斉>家継>家宣

131 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:05:07
家宣何でこんなに評価低いの?

132 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:14:34
綱吉の再評価が進んでるからその反動かね

133 :間部美濃守詮之:2006/04/10(月) 22:20:52
家宣って歴代将軍の中でもかなりバランスの取れた人物だと思うが?

134 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:44:01
ギャハ!低能徳川の間で上だ下だ言ってるよ。恐ろしい世界やの〜。

135 :土屋山城守:2006/04/10(月) 23:05:03
死ね

136 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 23:22:17
>>134

そう言うおまいは何の為にこのスレに書き込みしてるわけ? この低能!

137 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 23:40:14
低脳に突かせる賭けやってるスレな人〜。

138 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 23:55:11
>>129
英断だろ。
当時は前将軍の遺命に背くことは考えられなかったこと。
家宣は当然、御三家や諸大名、幕閣から批判が来ることと
先代を蔑ろにする汚名を着せられるのを承知の上、綱吉の
棺の前で生類憐みの令廃止を宣言した。
庶民側にたった将軍はこの人だけでしょう。

139 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:14:32
家重の肖像画を初めて見た時は正直ひいたよ・・。
なんかキモイっていうか、これが英明吉宗の嫡男かと・・。
暗い眼差しに憂欝な雰囲気と表情・・。将軍としての威厳は全く感じられない。
大河ドラマでは発育は遅れているが頭は決して悪くはないと描かれていた記憶がある。役者さんもハマってたし名演だったと思う。

140 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:24:01
>>139
おの肖像画は徳川宗家所持の物だから、幕府公式な画なんだろうな。
普通、いい男に画かせるはずだから実物はもっと変なんだろう。

141 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:31:24
>>139
小児麻痺説が有力。

ちなみに小児麻痺は知能に影響しないんじゃ
なかったかな。障害者は外見だけで判断できない。

142 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:42:53
現在の皇位継承だったら、家重のような人だったら
皇室典範第3条(不治の事故)により皇位継承順が変更され、
天皇に即位できないだろうな。

143 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:49:17
>>142
脳に障害があるなど、公務遂行に支障がない限り、
順位変更は無理だと思う。

今は特に障害者を排除しないのが世の流れだしね。

144 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:50:33
143だが、脳に障害があって知能の発達が遅れているとか、
署名ができないとかの類いね。

145 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:53:43
で、閣老筆頭の松平和泉守乗邑が有徳院殿御跡目にあたり、嫡子家重を廃嫡し、田安宗武を擁立せんとした理由は明らかになったの?

146 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:56:37
>>141
なるほどね。では頭が良かった分とまた弟達と比べられての劣等感など家重自身もさぞ悩みや重いものを抱えこんで生きていたんだね。
暗君と決めつけるのは間違いかもね。

147 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:59:36
>>145
そこらへんはわからん。

ただ、吉宗と家重の合意のもとで、乗邑を罷免したことは
各種記録からみてはっきりしているらしい。

研究者によっては、乗邑を罷免させるきっかけにすることも
吉宗隠居の一因という人もいる。吉宗は有馬が死亡後、乗邑
を統制できなくなっていて、乗邑から主導権を奪回したかった
らしい。

148 :板倉佐渡守勝清:2006/04/11(火) 01:02:30
本当に暗愚ならばあれだけスタティスティックな官僚機構の整備はできなかったであろう。言語に障害はあっても頭脳は怜利であったとみるべき

149 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:04:10
>>148
でも当時は障害者に対する理解なんてなかったから、
外見や挙動で軽蔑されて本人は辛かったと思う。

ちなみに将棋は物凄く強かったらしいぞw

150 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:12:14
家重お気に入りだった大岡忠光って忠相とはどういう関係?
忠光しか家重の言葉理解出来なかったらしいね。
あと、家治も頭は良かったらしいからやはり吉宗の系統は頭は良かったみたいね。

151 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:13:58
しかし史実によれば、家重は大奥や浜御殿に引きこもって
昼間から大酒を食らい、表にあんまり出なかったのでしょ?
だから吉宗は、初め大御所として政務を取り仕切ったのでしょ?
官僚組織も家重がやったのではなく幕閣では?
史実通りなら暗愚の部類に入ると思うが。

152 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:16:19
大岡忠光と大岡忠相は遠縁だというのに、つながりの痕跡がないな

153 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:16:50
>>148
別に家重の発案ではあるまい。
家光も幕府組織を固めたと言うが、実際にやったのは大御所の
秀忠だったしな。

154 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:18:15
>>151
いや、有徳院殿は大御所になった以降は本当に引退してしまってる

155 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:19:59
>>150
祖先が同じ一族です。遠い親戚くらい。忠光の方が傍流で
確かもともとは300石。最終的には大名になってますから、
かなりの出世ですな。老中寸前だったそうです。

>>151
吉宗は隠居後すぐ、まじで中風になり、政務できなく
なりますた。なので吉宗隠居後はすぐ家重時代といえる。
若い頃の愚行は知りませんが、側用人システムは、肝心の
将軍が無能なら機能しないとおもいますけどね。なぜなら
大岡とか田沼とか身分のない者を引き上げるシステムなの
で、人事権者が阿呆なら有能な者を抜擢できませんから。

156 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:46:05
吉宗の御側御用取次役って実質は側用人?

157 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:50:39
>>156
んです。名前が違うだけ。

家重時代からはまず取次役になり、そこで成果を上げた
人物が側用人に昇進って感じになりますね。

158 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:29:51
綱吉見直し論に続いて家重見直し論か
江戸賛美厨には際限が無いね

159 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:32:41
ここでいわれるよりは家重は書籍ではコテンパに叩かれることがやはり多いみたいね。
酒色に溺れ大奥に籠もり政務をかえりみず父の偉業を傷つけた不肖の息子とかって。一般的には暗愚な君主の評価は拭えないね。

160 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:41:02
>>159
あと田沼意次を採用したこととかが叩かれる理由になる

161 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:50:18
どんな頑張っても再評価できない家斉

162 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:56:11
>>160
わりと簡単な構図だね。

田沼が悪政治家ならそれを採用した家重、家治は暗君だ。

田沼が評価できる政治家ならそれを採用した家重、家治は
名君ないし、評価できる君主。

最近まで田沼は悪代官の大将みたいに言われてたから、
前者の書籍が多いってことだろうね。

163 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 16:38:59
紀州頼宣−光貞┳綱教
。。。。。。。┣頼職
。。。。。。。┗吉宗
。。。。。。。。宗直

164 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 18:04:00
改革の流れをつくったと言う点では評価できると思う。けどまあまあかなー。

165 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 18:09:17
良子゜゜゜゜゜゜゜゜゜┣━━━━━━┳明仁・裕仁・・・・・┣正仁・

166 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 20:16:19
紀州頼宣−光貞−綱教−頼職−吉宗−宗直−宗将−重倫−治貞−治宝−斉順−斉彊−慶福−茂栄−

167 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 22:15:45
余の顔を見忘れたか。

シャーーーーーー! シャーーーーーーー!

168 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 03:02:19
マジレスすると日本最高の政治家
なにせ日本で一番安定していた時代の最高の政治家だもの間違いないでしょ

169 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 21:31:55
       __                                        _,,
      _.ノ, `ヽ                 r、          ,.-、    r、, -'"rァ `)
   ∧,.=、l /      r,       _    く ヽ {,_ヽ_,..、    /`) ,ノ ,r'、  r' ノ,コ ヾー'
   {. r='_ ,'_     /r'.,イ,}  .ノ.〉    l. 〔_,.- '  ,r'  ノヽ'! l'ニ'、.V ノ  `'^_=' r,`ヽ
    ヽ ー' r'   r_´ `ノil ;_/, '   ヾ´ /.ヽ  '‐、   ヽ-1 l_,ヽ`' `,ン   ヽ ニ r /
   く..ク ''_ r’   / ,〈 ヽ,´,r'  ,,   ,>,冫/.ノ } r'   / .iゝ-,ヾ l´     _ーァ ,.. =ヽ
  (`~_ ,. ヽ>\  ` ヽ' .〈_rヽ..ノ }  く_r' .,r',ハヽ/./  く_,r1.lヽ ..コ |.  r‐'´-┐|
  ` /,rァ, {(<ヽ`ヽ、     `ー'    ノ_/  ヽノ      l_} ` ヽ..」  `'´ .、l l
  `ー'ゝ' J `'゙ `~´                                 ヽ'  

170 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 23:05:46
家斉みたいな生活がしたい

171 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 04:08:03
>>170
若い頃は性生活まで管理されるんだぞ

172 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 04:43:31
家斉は間違いなく暴れん棒将軍だったね

173 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 08:13:14
>>170
生姜は好きなだけ食えるぞw



174 :170:2006/04/13(木) 16:27:08
バターも好きじゃなかったっけ?

175 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 19:09:11
牛乳を大量に費消して、夜のプレィに備える絶倫将軍一橋豊千代

176 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 19:12:09
>>175
しかも、その結果としてなした大量の子が、子孫繁栄にまったく役に
立ってないと言う皮肉な結果にw

177 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:30:06
解せぬのは、豊千代の子らをあちこちの藩に養嗣子として送り込んだはいいが、大半が養子先で
夭折している点だ。先方の藩としては家斉の子を迎えて加増や化粧料をふんだくったので
後は用済みとばかりに始末したのであろうか。

178 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 21:11:26
>>177
それ、ゼロってことはあり得んよね。

他の藩にしてみたら、男系の藩主一族がいるのに徳川の人間に
継がせるのは納得いかんからね。証拠が残らんとかわからん
なら当然そうするでしょう。

179 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 21:58:40
すごい不細工だったらしい・・・。

180 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:35:29
体に良いと聞いて生姜ばかり毎日食ってたというのは家斉らしくて好きなエピソードだな
アホっぽくて

181 :お美代の方の義父の中野サンプラザ石翁:2006/04/13(木) 22:37:12
家斉に抱かれた側室たちは本当に快感を感じたの?

182 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:47:21
>>178徳川家から来た人間がバカ殿になったら困るからかな?

183 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:58:32
じっさい、尾張藩に養子いりした徳川斉荘は藩財政をいたずらに浪費し、明石藩に入った松平斉宜に至っては住民を殺傷して恨みを買って火縄銃であぼん。
家斉の子を押し付けられた藩は津山藩の松平斉民、阿波藩の蜂須賀斉裕を除いて暗君大杉。浜田藩の松平右近将監、川越藩の松平紀五郎の若死にも不審といえば不審

184 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:26:33
明君が来て、いきなり改革とかされても困るんだろうな〜


185 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:40:31
あきらくんがんばれ〜

186 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:48:55
カワジトシアキラ君ガンガレ

187 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:42:39
>>184-186
ワロスw

188 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 05:36:29
こいつとチャールズ皇太子は真正のブス専

189 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 15:50:26
吉宗の経済政策は失敗。
財政再建も何もやってもうまくいかず彼が一番嫌っていた通貨の発行量を増やすことによって
しかできなかった。

こんな男が名君って言われるのはオカシイ。

190 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 19:50:03
家斉、にんにくは食わなかったの?

191 :美濃部美濃守茂育:2006/04/14(金) 23:12:12
家斉は愛妾お美代の方との終夜プレィのために、女しょうが、牛乳、あんず、鶏肉などで精力を養うセックスマシーン

192 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 12:54:50
NHKの松平定○さんは、白河藩末孫?

193 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 13:45:08
松平キック守は伊予松山に本家がある久松系らしい

194 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 14:13:57
本人は旗本の子孫だけどな。

195 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 14:18:23
NHKでアナウンサーやってる松平定智さんって
定信に名が似てるので直系子孫?

196 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 14:25:14
松平足蹴守

197 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 17:18:27
米の相場に悩まされて米将軍と呼ばれてたらしい。

198 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:50:13
でかい、ブ男、ブス好き、おかあさんもブサイク、大女。

199 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:02:58
徳川と主だった松平(水戸系を除いて)は、吉宗の子孫に乗っ取られたねぇ。悪い事の記録なんて残せないね。

200 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:15:58
幕末はほとんど水戸頼房系ですが、なにか?


201 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:21:58
さん候。幕末の大名や名家は、水戸系が多い。
武州川越侯・松平大和守直侯、石州浜田侯松平右近将監武聰、
野州喜連川侯喜連川右衛門督縄氏、因州侯池田相模守慶徳、
備前侯池田備前守茂政、常州土浦侯土屋山城守学直

202 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 08:51:40
美濃高須経由を含めれば、尾張、一橋、会津、桑名。
将軍はもちろん清水もそうか。

203 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 15:22:54
烈公は相当なエロジジイだったらしいからな。
ワイ談大好き!だったらしい。そりゃ、子も出来るわな。

204 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 15:30:25
>195は、直前のレス>192-194すら嫁ない池沼。久松松平も通字は「定」だ!

205 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:49:12
>>204
お前が必死に見えるがな。
現代ネタなんてどうでもいい。

206 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 03:59:51
大奥改造したのってこの人だっけ?
器量のいい人は町に返して
悪い人だけを残したって言う

207 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 04:01:56
“しょこたん”の愛称の人気のタレント、中川翔子(20)が東京MXテレビで放送中の
アニメ「吉宗」(水曜深夜2・0)で声優に挑戦することになり24日、都内で会見した。
同オープニング曲「Brilliant Dream」を担当している縁から実現したもので、
6月20日放送の回に“しゃべれる赤ちゃん・きる坊” として登場。
「工夫して声を変えなきゃ!」と意欲を見せた。

ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_04/g2006042504.html
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_04/image/g2006042504nakagawa.jpg

アニメ吉宗 公式ウェブサイト
http://www.yoshimune-anime.com/index_content.html

208 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:01:47
大嘗祭再々興(綱吉がニニ一年ぶりに再興したが以降行なわれ無い)これ以降現在まで続く。
新嘗祭二八〇年の中断を経て再興。
三〇二年ぶりに七社奉幣使、四二五年ぶりに宇佐・香椎奉幣使を復興。
当時の関白、一条兼香も伝説的行事が粗復興に興奮。
本人の思惑は知らないが尊王論の基盤創った最大の功労者。
戦前では水戸以上の評価。



209 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:33:04
御三家で尊皇というと、水戸や光圀が師と仰いだ
義直の尾張(「皇命により催されること」の遺訓)で、
紀州はむしろ朝廷の目付役というイメージがあるんだけど。
やっぱり尊皇将軍綱吉の影響なのかなあ。


210 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 11:08:53
俺は徳田新之助、貧乏旗本の3男坊だが何か?
俺は、ドラマではいい年こいて嫁も側室もいなさそうな設定だが何か?
大河ドラマではかなりの好色男に設定されたが何か?
大岡越前殿とは親友だが何か?
大身の旗本でも「予の顔を見忘れたか!」って言うまで思い出してもらえ
ない程の覚えにくい顔だが何か?


211 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:49:56
今日、吉宗で二万もすった

212 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:53:32
>>206
田沼も大奥の緊縮財政に成功
吉宗は将軍の立場だったが、家臣の分際で、飴と鞭を巧みに使い大奥改造に成功した田沼の方がすごいよな
しかもなぜか大奥がなぜか田沼を気に入って後ろ盾になっているし

213 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 12:53:57
竹姫の彼氏

214 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 14:28:26
>>210
小悪党をぶった切る暇があるならまじめに政治をしろよ

215 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 20:27:46
>>211
いいからパチンコやめろ

216 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 15:23:09
変なサンバも止めよ

217 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 22:45:17
時代劇チャンネルで明日から大河・吉宗の放送が始まるらしいね

218 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 00:08:28
すごい

219 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 00:22:46
成敗!、、ふ〜

220 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 10:03:42
>199
吉宗ー家斉系の子孫は他家に養子に行っても早逝が多いよ。越前松平の春嶽は実子いるのに秀康系の糸魚川藩の血筋に跡目返してるしね

221 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:06:15
吉宗は北海道は1週遅れらしい
結構面白いが学校があるから疲れる
しかもビデオが壊れていて録画できない(T_T)

222 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:32:10
レンタル屋へ行け!

223 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:53:08
行ったが・・・

224 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 01:15:09
ほっかい

225 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 03:46:29
YouTube - 北斗吉宗遠隔(日テレ060615)
「スロット遠隔操作で摘発」NNNニュース動画
http://www.youtube.com/watch?v=nqcxbe8Dp2w

ニュースではパチンコ台と言ってますが動画の中では「吉宗」「北斗」が押収された不正台として映ってます。
つまり遠隔操作の改造がされてたのはスロット台ということになります。
また台の規模から推測して店は中小規模店だと思います。
複雑なプログラムのスロット、しかも北斗に遠隔があるならパチンコは余裕で遠隔でしょう。
しかも小規模店が導入してるならチェーン店は当たり前のように導入してるでしょう。

【番外編】大海物語設定表【違法基盤】
http://monoganac2.sakura.ne.jp/src/milktea10444.jpg
山口県内の経営者ら、遠隔操作容疑で逮捕
http://www.p-world.co.jp/news2/2004/9/3/news1109.htm
『新海』を遠隔操作、店長ら逮捕
http://www.p-world.co.jp/news2/2004/7/23/news1066.htm
ネットで出玉を調整 店長ら逮捕
http://www.p-world.co.jp/news2/2004/7/22/news1062.htm
遠隔操作でパチンコ店経営者らを逮捕(茨城)
http://www.p-world.co.jp/news2/2003/3/4/news552.htm
遠隔制御!経営者ら3人逮捕(千葉県)
http://www.p-world.co.jp/news2/2001/9/10/news165.htm
パチンコ出玉玉も遠隔操作の疑い?店長再逮捕(愛知県)
http://www.p-world.co.jp/news2/2001/7/6/news147.htm
出玉遠隔操作、猶予付き有罪判決(高知県)
http://www.p-world.co.jp/news2/2001/5/11/news97.htm
ホール遠隔操作、摘発
http://www.p-world.co.jp/news2/1999/5/12/news1.htm

226 :日本@名無史さん :2006/07/11(火) 04:14:42
貧乏旗本の三男坊を名乗り、火消しの元締めの家に入り浸って、
町奉行と力を合わせて江戸の治安と、か弱い人々を守るために尽力した人だっけ?

227 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 05:03:09
>>220
だが、その糸魚川藩の血筋は久松松平になっているので、秀康の血筋ではない。

228 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 06:42:28
暴れん坊将軍の吉宗(松平健)は名君に演じられているが、
大岡越前の吉宗(山口崇)は短気なわがままな将軍に演じられている。

229 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 07:56:49
大岡越前のドラマ化を決断した人の話を聞いてみたくはある。
ちょっと、こりすぎてるんでないかい、と思わされたこともあったので。

230 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 10:29:38
大岡越前も十分美化されている

231 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 12:23:14
越後屋さんは代々悪人しか出ないんでしょうか?

232 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 15:41:35
越後のチリメン問屋がいるじゃない

233 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:46:32
徳川吉宗は時々政治を放り出したくなる癖があったというけど、ホントに?

234 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:19:13
綱吉が批判されるのは、吉宗のように幕府の維持のための
政策を行ったのではなく、公私混同をやったからでしょ。
生類憐れみの令は動物保護と言うより、自分の子供がほしかった
からでないの?
鷹狩を推奨した吉宗が憐れみの令を賞賛したとは考えられない。
吉宗が賞賛したのは堀田が殺されるまでの綱吉の親政ではないか?

235 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:30:47
>>233
晩年は大御所になった。
でも放り出したというわけでもない。

236 :ナレーター:2006/07/13(木) 02:50:59
吉宗が行ったのは幕府の再建ではなく、崩壊のスピードを少しでも緩めるための苦しい跳躍にすぎなかったのである

237 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:57:36
>>236
幕府崩壊など夢にも思わない時代の将軍だよ。

238 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 06:46:22
とりあえず西田敏之ではないな

239 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 12:09:57
松平建でもないな

240 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 16:37:07
山国祟でもないからな

241 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 17:45:08
バリバリ体育会系の将軍

242 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 11:58:26
徳川宗武、徳川宗尹、徳川宗勝、徳川宗直

243 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 01:11:09
>>197
米の問題について悩まされるという点では十数年前の細川元首相みたいだな。

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