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家康は、秀頼を滅ぼすつもりだったのだろうか。

1 :1:2006/04/02(日) 17:56:48
大阪の陣で家康は、秀頼を滅ぼすつもりだったのだろうか。
豊臣家を残すメリット・デメリットは?
家康の真意が知りたい。

2 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 18:08:46
後顧の憂いを絶つためにも残す気さらさら無いと

3 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 18:23:33
秀頼じゃなくて「豊臣家」を消し去りたいだけかと。
秀頼が北伊勢30万石に移って「北畠秀頼」とでも名乗れば滅ぼすまではしなかったんじゃないの?

4 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 18:37:02
徳川家の臣下となって大坂城を出て二条城で関白家として
対朝廷政策の先棒を担げば存続するかも・・・

5 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 19:13:44
 どちらにしても徳川家光の代に取り潰しにあうのは確実かと

なんせ家蜜の背後にゃ明智光秀縁の春日の局がおる。
実弟すら罰するような豪腕なのに・・恨み重なる秀吉の家を
存続させようとすると思えん。

6 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 19:17:47
大阪の陣が始まる前に、国松を地方に隠しとけば良かったのに。

7 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:16:36
>>4
晩年の愚行で豊臣自体が見限られていたからね。

8 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:04:25
秀頼の領地召し上げて豊臣家を公家にする道はだめだったのかな

9 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:09:59
「関白」秀頼誕生の可能性は家康が征夷大将軍になったのと同時に浮上していた。
もし関白になっていたら徳川はなかなか手を出せなかっただろう。

10 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:27:32
家康としては豊臣家を残すために頑張ったらしいよ。秀頼は秀吉の実の息子ではなかったって説もあるよね。そうなると秀吉との約束を守る義理はないんじゃないかな。

11 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 13:18:19
http://hp27.0zero.jp/533/sengokudai/

12 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 14:08:52
>>10
大野秀長の子だっけか
160cmにも満たない秀吉が180cm超えの秀頼の親だというのは…

13 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 16:43:22
母親の血を濃く受け継いだとすれば祖父が浅野長政だなあ

14 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 16:56:11
浅井長政?

15 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 17:06:58
>>8 奈良の郡山城への移転命令{?}が公家への道を示唆したことじゃないの?
領土を削ることで配下を大量放出させて大名としての性格を軽減。
京都ともあまり離れてないし、荘園持ちの裕福な公家って位置につけたんじゃないかな。
豊臣家も既に公家の家として立ってたわけだし。

16 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 17:33:44
秀頼は浅井家と織田家の血を引くから危険なわけであって
もし、ねねの子だったらム豊臣家を潰すコトはしなかっただろう。

17 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 17:52:32
勝手な想像だが、
大坂→郡山
→取り潰し(秀頼はどこかの公家の預かり)
→数年後、高家として復活


18 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 17:58:02
公家化を提案して反体制派を刺激し一掃
秀頼は生きてたら公家として死んでたら南無というだけの話だろ

19 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 18:14:20
公家として残って、もし綱吉とかの時代に豊臣家があっても問題なし? 隠し財産の噂とか浪人とか…


20 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 18:25:20
一公家に成り切れてれば大丈夫なんじゃない?
隠し財産とか問題になる前に幕府が難癖つけて取り上げるだろうし。
浪人も財産と土地が無くて、実質の力が無くなれば寄り付かないのが普通だし

21 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 18:29:30
担がれて潰されるとかは、他の誰にでも言えることだしな
それでも、公家なら朝廷が働きかける気があれば、
家名だけは残せるんじゃないのかと思うから特かも。

22 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:17:50
んじゃ秀頼がおとなしく一公家として生きる事を承諾してれば、家康は豊国神社を壊したりはしなかったのかな?

23 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:41:46
 そうだろ。
豊国神社の破却は豊臣家を滅ぼしたためなのだから
現に前田利家やら上杉謙信やらの神社は残されてるし。

24 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:58:23
自分の家が残ってれば神社の維持費とか雑務はそこで処理されるだろうけど
居なくなったら幕府関係者がやる羽目にw
そんなのも壊した一因だし、残された方の要因かもね

25 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:30:27
秀吉が遺言で秀頼を家康の猶子にしていればよかったのだ。
家康の偏諱を受けて改名していればなおよし。
羽柴の名字を返上して松平を名乗っていれば万全。

26 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:00:09
神社の維持費とか家康がケチるために豊臣神社を壊したのかどうか分からなんが…まー義昭で懲りてたりしてねー。面倒な事はイヤだ!とか?

27 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:00:37
>>25 孫になるようにって腐心してたのにね。
実際に千姫とも結婚したし、後は家康の懐に入るだけだったのにw

28 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:11:22
豊臣朝臣松平康頼

29 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:13:25
織田家もどこかの小名として細々と江戸時代を乗り切ったんだから豊臣家も
淀が頑なな態度をとらなかったらどこかの小さな村で生き残っていたかも知れんよ。

30 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:24:59
方広寺鐘銘問題で妥協していれば、最低限家名存続はできただろうな。

31 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:55:41
淀君と取巻きが滅亡の最大の原因。
豊臣家と言う名に過信し時代を見誤った。
まあ、秀頼が北政所の実子なら、あそこまで徳川と対じしなかった
だろうし、家康もそれなりの待遇を与えたと思う。

32 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:59:20
「雌鳥鳴いて、国滅ぶ」の典型


33 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 21:01:17
北政所の子だったら慶長五年すでに成人の域に達しているだろうから、
大坂の陣以前に関ヶ原の戦いすら起こりえないわけだが。

34 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 23:42:44
秀吉・秀長兄弟が種無しなのがすべての元凶

35 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 23:54:52
最初から豊臣家を滅ぼすつもりだったのは確かだな、
なんせ信康とその家臣団が岡崎で独自の勢力をもち、統が及ばなくなったと見るや、
武田信虎のように追放されるんではないかという不安で、
「信長の命」ということにしてもらい信康を殺害したほどの男だからな。
(息子殺しは信玄をマネたわけだ)

36 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 03:51:29
>>35 信康の話は築島御前と嫁の不和が直接原因と言われてるんだけど。
加えて、信康については家康は相当無念だったらしく、
配下や秀忠にも後々まで名を出して悔やんでいたと様々な記録に残ってる。
豊臣家についても、千姫を嫁がせたり、実力・名声で圧倒した後も
数々の懐柔策をとってることなど、潰そうと決めていたにしては不自然なことが多すぎる。

37 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 04:25:34
ただ豊臣家が大坂城を出なかったのが痛い。
退去すればおそらく一大名家としての名目は保てたのではないか?
しかし大坂城に立てこもったまま、反徳川を掲げられて
浪人を集めているようじゃ、潰すしかなかっただろうな

38 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 06:42:27
上総に移封されてればよかったのにね

39 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 07:07:29
淀が全面降伏。一地方で淀や千や秀頼や秀頼の子供らが豊臣の名で静かに暮らす、ってのは家康にとっちゃ痛いような…

40 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 09:01:14
家康は、一時は、豊臣家を残そうと思ったでしょう。
自分の孫でも一番に寵愛した千姫を豊臣家に差し出してるから。
下世話な話かもしれないけれど、北の政所の寧々と家康は昔からのよしみで仲もいいから、もしかしたら、秀頼が秀吉の子ではないことが解ってしまったのではないかな。


41 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 11:15:34
従ってても福島みたいに改易のパターンか
それとも前田みたいに上手くやって逃げきるか
うーんでも国松まできってるからなぁ
今川形式や北条形式で残せば評価が変わるんだが
うーん

42 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 14:18:11
>北の政所の寧々と家康は昔からのよしみで仲もいいから

それは司馬小説の読みすぎです。

43 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 14:50:10
豊臣家を残すなら公家衆に位置づけられるはずだったろ
そういえば豊臣家て公家衆の中でどれくらいの位置づけだったんだ?

44 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 14:56:54
関白家。



45 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:02:31
秀頼の代は右大臣家。

46 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:09:08
>>43 関白を出せる位置だったから一条とかと同列だったはずだよ。
氏の長者を名乗ってなるはずだから。
ちなみに、征夷大将軍は源氏の長者と一氏の長者。全部の氏の長者だからかなり上だね。

47 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:44:13
近衛家の養子として関白になったはずだから五摂家並か
そのまま公家衆として残っていれば秀頼も五摂家中最高位になった時点で関白就任だったわけだな

ちなみに徳川は征夷大将軍と源氏長者を兼ねていたけど
基本的に別物
足利義満が武家としてはじめて源氏長者になったわけだが
その後足利将軍家で世襲したわけでもない

徳川家だけが征夷大将軍と源氏長者を世襲していたからセットにするのはいかがなものかと

48 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:08:39
まぁいくら公家にされても幕府に不満もつ者達には、いい神輿だね。
幕府出来た頃には、あぶれ浪人たちが全国にあふれていたろうし。
義経の例もあ。
大城塞の大阪城と全国のあぶれ浪人、そして神輿の秀頼この3点が全部
無くならない限り家康も安心して死ねなかったと思う。


49 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:41:25
秀吉が秀次を殺してなければ家康も出て来れなかったのにね
しかし秀吉死後、応仁の乱のようになっていたとは思うが

50 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 02:22:33
親族が秀頼しかいないんだから、
さっさと城を出てしまえばよかったのに。
淀さんは人質として、妹夫婦のとこに居候させてもらえばよし。

51 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:33:41
誰の子であろうと、家康としては自分が死ぬ前に
豊臣を潰したかったに違いない。
後顧の憂いをなくすためにも情けをかけて残すわけにはいかない。

家康がまだ若ければ豊臣はもっと生き長らえただろうけど
家康自身が生い先短かったから やるなら今 ということだろう。
その気持ちはよくわかる。

自分が偉大(自分の人生を省みるとそういう気がする)だと、
子供が頼りなく思えてくる。豊臣を残して大丈夫か? と。

話が飛躍するけど、アメリカがイラクに攻撃したのも似たような感じ。
アメリカに力があるうちに理由の正当性なんか関係なく攻撃したのだろう。
アメリカが衰退してしまったら誰もイラクを止められないからね。
やるなら自分に力があるうちに! という気持ちは本当によくわかるよ。

52 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:49:10
最低条件が大阪城から出ること

その上で公家衆として一切武家のこととは関わりを持たないことか
小大名として徳川家に従うこと

これでは条件出してても飲むのは無理だろw

結論からすれば豊臣が負けたのを知ってるから滅びるくらいならなんとかなるだろと
後世の我々は思うけど
当時からしてみたら自分の家来がオヤジが死んだ途端手のひらを返して
主人に対し そこどけ 武装解除か子分になるかどっちかなら生かしてやるよ
と要求だしてるようなもんだからな

つまりこれは 豊臣滅ぼしてやる という宣戦布告のための理由付けだわな

53 :暗黒兵長 ◆TclDh3O3UM :2006/04/06(木) 14:19:53
>>1
秀頼様厨がくだらんスレ立てたか・・・
遠まわしなスレ作らんで秀頼スレ作って語れ!!

54 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:19:35
関ヶ原の1600から大坂の陣まで14,5年も経ってるんだよな。
いくら家康が死ぬ前に豊臣を潰したかったという説を唱えても
14,5年はかかり過ぎだろう。

方広寺事件も1614年だし、豊臣家を関ヶ原から潰す意図があった
証拠とはどうもいいがたい。
関ヶ原と大坂の陣はまず分けて考えるべきだと思う。

55 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:35:20
前田は百万石でも旗頭にはなり得ないが、豊臣家は存在自体が危険だから。

56 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:54:09
関が原でやっとこさ自分の政権を作るきっかけができたんだろ
足場が固まった頃に将来の不安材料である豊臣家にいちゃもんつけて暴発させてる

いくらなんでも関が原以前にいきなり豊臣家をぶち壊すというとまとまるものもまとまらない
あくまでも公家衆である豊臣家に配慮した形で自分自身は幕府を作ったんだろうしね

57 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:12:35
秀頼を殺したことは普通のことで三法師を生かして家臣とした秀吉が悪趣味なのかも

58 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:52:34
三法師じゃなくて信孝だろ

59 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:52:52
秀頼を殺せば主家に背いた汚名をかぶるし、
生かしておけば後々に揉め事の種を残す。
どちらも好ましくないが、両天秤にかけて殺したということ。

60 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:02:06
>>52 大野{当初}や有楽斉など近くの男性達はその条件を進めてるという内容の文書があるようだよ。
それを冬の陣では、出る手はずになってたのを淀が秀頼を人質にとって拒否。
夏の陣は、浪人達が出られないようにしているうちに非戦だった秀頼が心変わり、主戦論者へ。
淀は千姫を介して上層部の脱出を画策し、承諾を得るも浪人隊の出撃でw

>>59 家康にしたら主家筋じゃなくて親戚筋はずなのにね。
なんで、主家だということになったの?
そこがわからないんだけどw


61 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:02:27
>58
信孝?
信孝は秀吉にほろぼされたぞ
三法師=秀信のことじゃね家臣になったのは

62 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:02:28
>>60
いつの間にか主家ということになったのが秀吉の上手かったところ

いつの間にか徳川の従家になってしまえばいいものを、
女というのは、一度味わった絶頂は決して忘れないからな

63 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:07:18
信長なんていうのは子供や兄弟が沢山いるから
跡目で分断できるけど

秀吉は居ないからな

64 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:41:03
追放を恐れ、信玄の真似をして息子(信康)を、信長の命ということにしてもらい、
殺したほどの男だから、心配症なんだろ。
それにしても、滅ぼし方はえげつなさすぎ。

65 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:45:41
>>64
あほ?

66 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:16:30
>>65
家康が信康を殺したのは自分の意思。信長の強要によるものではない。いまや常識。


67 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:51:22
信康が殺されたのは、お家騒動みたいなもん。
信長とか、他家の人は関係ないよ。

68 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:53:31
家康が信康の事を終生悔やんでいた、ってわりには天下を取った後も信康の墓は質素なままとか、徳姫に2000石与えたとか。イロイロ風説あるみたいだね

69 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 07:24:29
信康については、岡崎を任され、三河衆をまとめる立場にあったけども、その三河衆に対して専権を振るおうとして対立し、結局信康が処分される事になった、と聞いたけど。


70 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 07:38:23
太閤殿下の愛妾、前右大臣の母っていっても
所詮は誇大妄想にふける無位無官の女
秀頼よりもこっちを抹殺したかったんだろ

71 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:18:38
茶々が、旭姫みたいに家康と偽装結婚して徳川家側から秀頼をフォローするというのは?

72 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:32:53
>>71
千姫の件をお忘れか?

73 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 13:28:43
>>69 古参の三河衆からは頭ごなしで嫌われてたらしい。
それに加えてで武田内通容疑がかかり、三河衆はそれに乗って否定せずとかw
三河物語だか忘れたけど、家康が処断に数日間伏せってたとか{それまでこういうの無かった}
で、結局「お家騒動」ということで処断・・・沈痛の面持ちのあまり、三河衆は声を掛けられなかったとか
後にその容疑を否認しなかった水野やらが息子を推挙したところ「お主らも息子はかわいいか」といわれ推挙取り止めw
ま、どこまで真実か知らんがこういう悼む話が出てたよ。

>>71 秀吉が家康か利家に茶々をやるという話があったらしいけど、どうなのかな?
で、石田三成が五奉行を説得して握りつぶしたとかいうw

74 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 16:48:56
秀吉は、豊臣家の行く末がなんとなく予測できてたような気がする

75 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:12:22
淀と秀頼は戦争責任者だから仕方ないとして、国松まで殺さなくてもなー。
出家させるなり、豊臣を返上させて羽柴を名乗らせて監視するなり、徳川家の姫を娶らせるなりすりゃ、秀吉との約束の一端だが守ったって権現様イメージアップになったのに

76 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:37:28
>>75 国松処刑って土井とかの幕府閣僚の専断じゃなかったっけ?
家康の意思と離れて行われてたような印象うけたんだけど。
確か、発見の報告と処刑の報告がほとんど同時に家康に届いたとかって・・・

77 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:43:18
ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/sonota/s-kunimatu.html
前田家に処刑された話ならある
ttp://johokan.net/history/Rekishi/blood/contents/toyotomi.html
あと耳寄りなネタを投下

78 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:43:44
国松を生かしておくと、必ずそれを担いで徳川に反逆を
企てるやつが出てくるから殺さざるを得ない
最後の詰めを誤るほど家康は甘くは無い

79 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:46:58
まったくの想像だが、当時の人達は秀頼が秀吉の実子でないとうすうす
気付いていたのではないかなあ。秀吉の実子でもないものが豊臣を
名乗って太閤の子孫として後世まで存続していくことが許せなくて
抹殺してくれたのではないだろうか。国松にはかわいそうだったけど。

80 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:54:11
太閤秀吉に恩をうけた
家康の次男坊
越前少将秀康が生きていれば
豊臣は滅ばなかったかもしれん・・・・
そのわりに倅の忠直は大坂の陣で大活躍しちゃってますが。

81 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:13:50
>>76
本当は殺す気は無かったけど部下が勝手にやってしまったって話はよくあるけど
大抵は作り話と思われ
いくらなんでも家康に無断で処刑ってのは考えられない

82 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:31:15
家康は源頼朝を尊敬していて吾妻鏡を愛読していたから、
国松の処刑はやむをえんだろうなあ。
平家は頼朝や義経を生かしておいたがために、源氏に滅ぼされたわけで。
逆に頼朝は、清盛の嫡流の男子を根絶やしにしてる。
ただ一人、六代だけは一旦助命されてるけど、のちに処刑。

83 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:34:51
8歳の子を市中引き回しか。落ち延びたって噂がたたないようにデモンストレーションかな?。後で豊臣の子孫とか言う人が出るかもしれないし

84 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:39:46
天草四郎が大坂の陣で九州に落ち延びた
秀頼の子供だったという説があるが、あれって・・・・

85 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:42:06
>73
酒井忠次だったと思うよ。
信長に呼び出されて、五徳の手紙の件を問いただされたけど、全く弁解しなかった、と言う話は聞いた事がある。
徳川家と縁戚で、三河衆の筆頭に見放されてたんじゃ、よっぽど三河衆に嫌われてたんだろうな。

で、忠次が隠居したあと、家康が関東入封した際、酒井家は4万石程度しか与えられず(本多や井伊らは10万石前後)、家臣筆頭の自分ちが、こんなのでは情けない次第、
とか忠次が家康に恨み言を言ったら「お前も息子は可愛いのか」と家康が言った、と言う流れだったかと。
このとき、忠次が「せめて伊豆一国くらいは頂戴しても」とも言ったって話もある。

86 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:50:15
徳川信康、自分の長男殺してるよ。

87 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 20:08:15
>>82
「伝えるところによると、この不敵な小児は、最後に望んで内府様の太閤様と秀頼様に対する背進の罪を責め、勇ましく首を首切りに差し延べたという事である(日本切支丹宗門史より)」
幼児とは思えない壮絶な最期だ。報復する気満々だな


88 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 20:43:43
>>75
源頼朝の例があるので、男子の子は年齢に関わらず処刑をするのが
原則です。
国松の妹は女子だったので処刑はされず、出家した。

89 :73:2006/04/07(金) 21:23:40
>>85 詳しく説明ありがとう!

>>75 淀と秀頼は自害したことになってる。
浪人衆の隙をついて落城中に城の納屋だか倉庫だかに淀の供回りと武士数名と隠れてた。
で、千姫が脱出して助命嘆願。受け入れられ、迎えが行くことに。
で、迎えが「戦場にて籠は無いから馬で」と言うと淀が「晒し者にするか!」と出て行くのを拒否。
家康にその旨が行くと、籠を用意し自ら向かうとのこと。
それを伝えるも取り囲みその態度に怒った井伊{?}の部隊が「催促だ」と鉄砲を発砲。
家康到着で中止させるも納屋から火が・・・・
まあ、後世作りだとは思うけど、処刑など罪人的な扱われはしなかったようだよ。
あくまでも戦死か、自害という体だったとか。

90 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:13:15
>>74
邪魔者を殺しまくったからね
徳川にとっては秀頼が最大の邪魔者

91 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:18:35
冬の陣が起きるまでは、家康としても穏便に済むならそれに越した事は無い、と考えてたと思うけど。
ただ、徳川家あるいは幕府に楯突いて軍事衝突までなれば、もう容赦は出来なかった、って事でないかな。
冬の陣以降は、豊臣家を残す、と言う選択は無かったと思う。


92 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:58:40
>>91
「穏便に済むならそれに越した事は無い」?
えげつない、いいががりで(国家安康・君臣豊楽)開戦したのは家康なんだが

93 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 02:19:07
>>88
成田氏腹の秀頼の姫は京極家に保護されていたが、
匿いきれずと判断され、二条城に出頭させられた。
千姫の懇願により許されて出家、
鎌倉松ヶ岡東慶寺の住持となり正保二年に死去
今も同寺の境内に墓があり、参拝可能です。

しかし、実際は日光江戸村で大活躍し
姫将軍となって諸国行脚の世直し旅に出たのであった!
ご存じ「姫将軍大暴れ!」本倉さつきは今どこに・・・


94 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 08:21:23
>>92
そうやって無茶な難癖つけるのも外交の一手ではあるんだよ。
方広寺事件から即開戦になったわけじゃなくて、あれは最後通牒だったわけでしょ。
惜しむらくは、その最後通牒をうまくかわす知恵は片桐且元にも大野治長にもなかったし、
最後通牒の条件を受け入れることは淀殿が絶対に許さなかった。

95 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 08:48:17
>>92
江戸幕府が出来て以来、事を穏便に済まそうと思ったら他の大名同様に従う姿勢を見せなければ、徳川家にしてみれば示しがつかないだろうしね。
色々無理難題を要求されたような言われ方してるけど内容は他の大名と同等だし。
“君臣豊楽”は今まで散々(一大名として生き残る)チャンスを与えてきたのに悉く無視してきた豊臣家に対する最後通牒だろう。
だがそれ以前から出していた要求も以後の要求も豊臣家が臣下としての自覚があるなら決して無茶な内容では無かったもの。
無茶な、というなら他の大名同様に無茶な、と言うべきで他の大名達は無かった筈はない不平不満を押さえて従ってきたわけで、
ならば余計に豊臣家を特別扱いは出来ない、したら他の大名達は納得しない、てとこじゃないかな。
“淀を人質に出せ”なんて江戸時代の政策として普通のレベルのものだし。(大名の妻子を江戸に住まわせるって奴)
殊更潰す事に執着する程お前等はもはや大それた存在じゃ無い、だが逆らうなら潰すしかない、ってとこだろう。

96 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:17:20
北条の例もあるし何も始末しなくてもなぁ
国外に追放するなり、出家させるなり、身分を落とすなり選択肢がなぁ
後世にしこりをのこしたなぁ


97 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:43:07
>>96
平清盛が源頼朝を助けて失敗した先例があるって上の方でも言われてるじゃん。
当然の処置だよ。

98 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:44:31
でも助けたのはいるじゃん

99 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:45:33
>>96
えげつないやり方は

100 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:48:10
>>96
時既に遅し、覆水盆に帰らず、じゃないかな、と。
一つには(冬はともかく夏は)敵味方(殆どは豊臣方だけど)に出た大量の戦死者への責任の所在(小田原は兵糧攻めだったから戦闘による死者はいてもごく少数だったのでは?)
一つには秀頼が反権力の象徴としての御輿役という明確な役回りがいつのまにか出来上がってて、
(夏の陣の大坂城内は浪人連中のやりたい放題になってて秀頼ですらコントロール不可になってたみたいだし)
秀頼(及び息子)を殺す事がそういった連中を一網打尽にする事に繋がり、平和の幕開けの宣伝材料としては打って付けだったのかもしらん。
開戦前は、“潰す程の価値は無い”で、
開戦後は、“存続を許す程の価値は無い”にシフトしたんだろう。

101 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:02:30
>>20
なにせ“豊臣”は姓だしね。
“徳川”は苗字(姓は“源”但しいかさま)
いくら“養子に入られて由緒正しい姓を名乗られるぐらいなら新たな姓を取って付けてやれ”てな目論みがあろうと平身低頭おねがい☆すれば公家の端には加えて貰えたかも知れんのにね。

102 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 13:18:30
秀頼は、いっそのこと生まれてこないほうがよかったのかも

103 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:15:44
だな、秀吉の子に生まれなければ

104 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:14:11
話はちょっとそれるけど、伊達政宗のところも
ずっと子供ができなかったのに、
側室に生まれたら、すぐに正室にもできたんだよな。
で、最初は女ですぐに男。

ぁゃιぃ。

105 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:31:13
秀頼生存説の信憑性は??

106 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:33:23
まぁ、16人子供いたみたいだから、それなりに・・・


107 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 12:38:36
age

108 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 13:06:07
つまんねえ、ネタスレ。
秀頼を生かしておいてどうするんだよ。
大坂城は出ません、人質も出しません、という特例を認めるわけがない。

109 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 10:42:26
>>108
そう正論を言われてしまうと返事のしようもないw

110 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 10:52:04
生かしておくメリット
淀が死んで夢枕に立つと怖い

111 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 11:21:17
実際の淀と秀頼には何の権限もなかったような気がする。

112 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 11:24:38
そりゃ淀とか秀頼じゃなんの権限もないだろw
担いでるやつが実権握ってるんだもん
ただ放置するとまた担がれる恐れがあるから問題なんだがな

113 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:09:42
メリットは「家康の律儀に筋が通る」ってとこじゃない?
殺しちゃったから狸親父というイメージがついちゃって印象があんまり良くないけど。
「信長・秀吉の意思を通し、日本を平和に。更に、故人の約束を守り通した」
律儀という特性は戦国時代の権謀術数の世界からすると絶大な人望収攬術になる。
関ヶ原の戦況とか、そこが戦勝の大きな理由とする人も多いよ。

114 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:50:05
大阪落城後に自害せず投降した場合も
やはり斬首か切腹は免れなかったのだろうか

115 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:59:37
大阪落城後はもう生かしておけないだろ


116 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 15:25:10
徳川が殺さなくても、他からので殺されただろうね。良くて完全無力化。
問題は、家康がそんな汚名を被るような汚れ役を好んでやるかってことだね。
腹黒だの言われてるような人がメリットの薄いことを徳川に行わせるとは思えないのだが

117 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 16:28:32
いや
大阪の陣では公然と幕府に反旗を翻したわけだから名目も立つよ
逆に生かしておいた方がおかしい
だからこそそうなる前に無力化したかったんだろうがね

118 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:16:03
無力化については大阪夏の陣で行えてる。
更に命を奪うってのは人望に傷をつけるからデメリットの方が大きい。
命を助ければ>>116が言うのではないが、腹黒とかのイメージはかなり薄くなる
逆に度量を示すこともできるし、親豊臣の忠誠度も高くなる。
蛇足だけど、徳川家世襲政権も夏の陣の失態を引き合いに出せば十分まかり通るしね

119 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:44:22
大坂な。

120 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:47:38
>118
ただ、それ以上に諸大名への悪影響が大きいよ。
あれだけの叛乱(徳川方からすると)起こしておいて命拾いできるんじゃ、少々の事なら、って。

親豊臣云々と言っても、大坂の陣当時、元来親豊臣大名と言われている諸大名も、御家大事で豊臣家の存在は迷惑な部分大きかった。
関ヶ原の時に西軍に組した者でも、島津の「豊臣家には関ヶ原で恩は返した」ってのが本音でしょ。

また、当時は戦国末期に頑張った当主からの代替わりの時期で、徳川幕府の構築した秩序の中で代替わりを円滑に行うのが大目標。
徳川家への忠誠を競い合ってた状況であって、(代替わりへの円滑な承認のため)豊臣家への忠誠なんて個人的な部分はともかく大名家としては無いよ。

121 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:05:40
「恩は返した」
戦国の反動かね。江戸時代の、思いっ切り忠臣奨励

122 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:14:02
>121
そうかもね。
戦国期の反復常ならぬ状況から、徳川幕府を頂点とした秩序への。

123 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:13:26
島津は豊臣に恩を受けてないよ。受けたとしたら徳川に。
朝鮮出兵の引き上げ時に船を与えたりと助けてるし、帰国時期を早くさせてるし。
ちなみに、関ヶ原では徳川に着こうとしてる。
ただ、伏見城に増援しようとしたら、城主{?}の鳥居元忠に拒否され追いやられてる。
他にも、本田正信に打診してたが、工作員の不首尾でご破算にw
その手の文書が残ってるので博物館で見てみるとおもしろい。

124 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:57:31
>>120 戦国が収束した時に育った幕府閣僚と同じ意見だね。
確かに一理あると思うよ。見せしめの脅しと憂いの排除ってことで。
ただ、別の見方もある。
豊臣を残せる度量を示すってことは、豊臣を歯牙にもかけないという意味でもある。
つまり、豊臣が再び来ても叩き潰す自信があるって意味。
信長の松永への仕置きを一緒。
あれで反乱勢力の牽制、度量を示すことでの懐柔への信頼性増。
松永が裏切り、許されるほど、支配地や支配勢力が増加してる。
家康は真似が多いから、これを目指していると見た場合は、滅ぼさない方を選択しようと考えるのでは?

125 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:28:09
>>124
松永の場合はまだまだ四面楚歌状態の時だから、
豊臣家の事例には当てはまらない。
>>123
恩を受けてるとすれば石田光成にだろう。

その昔、御家騒動を未然に防ぐために、信康を粛清したように、
かつて、家康自身をも含めてすべての大名が、
主家と仰いでいた家がまだ存在する危険性(徳川にとって)を考えて、
かつての主君(秀頼)を殺害するということを敢えてしたのだろう。



126 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:28:17
人の話を聞かないで我を通すだけの人がいる

127 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 07:25:49
>124
>>125氏のおっしゃる通りで、松永の頃とは状況が違い過ぎると思うけど。

大坂の陣の頃は豊臣家を除けば、徳川家の統治が行き渡り始めた時期で、その統治の正当性を担保するのが平穏無事な徳川家の治世。
どんなに豊臣家に対して自信があったとしても、戦乱となれば(起きる可能性)、平穏と言う大前提が崩れる訳で、厄介事の方が大きい。
それに、どんなに有利な戦役であっても(が起きる可能性)、戦争である以上、不確定要素が大きくリスクが出てくる。統治する側からすれば避けたいんじゃないかな。

で、大坂の両陣が起こった訳だけど、そう言う意味で、一度戦乱を起こした者(大坂側)を生き延びさせるってのはリスクが大きいのでは?



128 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:26:35
ここって「家康が」どういうつもりだったかって考えるとこじゃないの?
家康の思考的には>>124氏のがわかりやすいと思うけど。
そういう復古主義的な前例のある手段を家康は常套的に使ってきてるし。
そこからいきなりオリジナルの強硬手段を使うとは考え難い。
>>127氏や>>125氏のはあくまでも効率とかその当時で効果的な手段でしょう。
そこまで家康が政治行動に対して先進的なことをするとは考えられないんだけど。
特に、関ヶ原から死ぬまでの動きを見てると

129 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:35:55
>>125 石田三成への恩があるから西軍に口説かれたわけだけどね。
ただ、石田三成への恩と家康へのを比べたら、後味とかその後の対応とかで考えれば
三成<家康 じゃないの?
特に、島津の上方工作では家康の方が継続的に交流あったし。
三成への恩もそもそもが三成の親分の秀吉がやった結果に生じたのをかばったってことだし。
ま、島津の関ヶ原前の動きを見てればどっちに気があったかは明白でしょう。

つか、ここの人って家康を買いかぶってるの多いね。
それなりにすごい人とは思うけど、老年の交渉とか動き見てればわかるけど
信長や秀吉に比べたら妙手が少ない。
ここで示されるようなことは妙手が多いからそこまで買かぶると本当に神かかり的過ぎて
実像と離れちゃうよ。

130 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 22:07:18
豊臣を滅ぼしたのはやむを得なかったというのしか出てこないんじゃないの?
秀頼を生かしておくとすれば、どういう「妙手」があったのかね?

131 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 22:19:23
つ【朝鮮国王】

132 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 22:30:14
秀忠は恐妻家で有名だった。
淀はその秀忠の妻おごうの姉である。
淀とその息子を生かしておくのは、
家康にとって相当にやばいことだろ。


133 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 23:20:00
>128
生かす、って方法に前例があるとしたら、反逆した相手を滅ぼした、って前例も前者と同様程度にはあったと思うけど。
信長の浅井家への対処とか。
秀吉にしたって、徹底的に反抗した信孝は滅ぼしてる訳だし。
秀信は、すんなり秀吉の下につく事で生き延びた訳だけど、反抗してたらどうだったか知れたもんじゃない。

秀頼にしても幕府成立後、15年ほどは時間は与えられたけども、結局軍事衝突を選んだ訳だから、大坂の陣以降、家康に秀頼を助ける、って言う選択肢は無いと思う。
豊臣家が存続できたとしたら、最低限、大坂の陣までに大坂城を出るとか、徳川幕府に服従する姿勢を見せなきゃだったろうね。

134 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 00:57:45
>>133大坂の夏の陣前に服従姿勢を淀と秀頼は示してる。
ただ、それがバレ、家臣団{?}に郡山城焼かれて無理やり会戦されてる。
で、戦中にも下る旨を送り続けてる。
で、ここの会戦の認識を「秀頼達の不本意」ととれば秀信と同じ位置。
「望んだ会戦」ととれば浅井と同じ位置。
ちなみに、浅井の処遇についてはお市の方の悲劇と軋轢を産んでる。

135 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 01:00:50
ちなみに俺が勝手に思いついた妙手は、「兄弟であり、恩ある太閤の遺児故に許す」
と言い、太閤派を掲げて「遺児殺し」を攻める連中の機先を制する。
で、「そもそもの間違いは、大坂城に居ることと女達ばかりの中で育ったせいだ」
として、「不審者を近づけないため」と称して、関東へ移俸。
加えて、「戦争参加者への恩賞を与える手前、秀頼の土地が無いがいかがいたすか」
といえば、太閤恩顧を唱えてた連中は恩賞を諦めるか、削減を申し出るしかない。
自分の地歩と名声などのためにね。
で、削った分で関東にバラバラに土地を与えて居させる。
もちろん、徳川の守役つけて徹底的に洗脳及び家臣団をつけさせずにいる。
一ツ橋家とかの扱いと同じ感じで。
で、時期が着たら「親戚だから家光の子どもを養子に」で、関白と征夷大将軍の位を徳川独占
しかも、与えた土地は自然消滅的に幕府の直轄地へ
途中問題が起きた時は盾に使える上、朝廷に対しても「関白の命」で天皇以外は抑えられるし。
絵空事だがどう?

136 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 02:37:05
>>134
浪人衆を押さえきれなかった時点で、可哀想だが、大坂方の、秀頼の責任。
また意図が無くても周りに担がれる人物ならば、それはそれで危険因子。

137 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 05:23:33
滅ぼされたんじゃなくて自滅したんすよ

138 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 06:55:57
>134
俺が言いたいのは夏の陣では無く、冬の陣が始まる以前。
冬の陣以後は、もう交渉の余地は無いと思うよ。軍事衝突がおきてしまった後だから。

夏の陣直前に切羽詰って服従を示すんじゃ、今更でしょう。


139 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 07:37:49
>>130
絶対逆らえない石高での公家や高家待遇、島流し、国外追放、寺送り、身分を落とす、旗本

140 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 09:34:44
そういや夏の陣の段階でも既に恭順を示してたって話もあるな
浪人が暴発しそうだからうまく逃げ出すとかって
結局は予想時期よりも早く暴発した上、戦中に離脱する前に戦が終わっちゃったとかで駄目だったとか
更に総堀についても上の連中が徳川と示し合わせての狂言だったとか
こっちも結局失敗して浪人たちが出てく所か居座って腰据えちゃって余計逃げ出せなくなったとか

>>135家康だったらそれやりそう・・・特に領地のと関白奪うの
関東に来た親王と関白がくっつけば朝廷を半分抱えたも同然だし、その気になれば南北朝
まあ、そこまでは目論んでないだろうが、幕府は磐石になっただろうね

141 :140:2006/04/12(水) 09:35:32
誤植 夏の陣→冬の陣

142 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 14:05:39
>>140
初耳だけど、なるほどとは思うものもある。
正直秀頼に徳川相手に戦おうという気概があったとは思えない。
淀殿にしても両親共に落城で死んでいるから、自らもその道を進みたがるとは思えない。
私見だが、豊臣方は徳川の武力発動の可能性を考えていなかったのではないか。
徳川を怒らせている事に気付いて慌てて恭順しようとしたら、忠義を気取る輩・功名を臨む輩がわらわらとよってきて、
A「なあに、徳川がいかな大軍で寄せてこようとも敵ではござらぬ」
B「秀頼様の御身は我らがお守りいたす!」
C「今こそ逆賊徳川に一泡吹かせるとき!」
秀頼・淀殿「え、ちょ、おま・・・」
A「つきましては戦費が必要にございます。お出し頂きたい」
B「事成った暁には○○国○○万石の知行を下されますよう」
C「戦は我らの分野。口はお出し下さいますな。ただ必要な時には出陣して頂きますので」
秀頼「え〜・・・」
ABC「よろしいですな!?」
秀頼「は、ハイ・・・(´・ω・`)」
って感じならありそう。

143 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 14:53:32
>>142 その説がかなり説得力あると思う。実際に秀頼の名君説、暗愚説両方見ても好んで構えそうに無いと思うし。
その話と似たような説もあるよ。
織田有楽斎や片桐 且元など徳川との折衝に当たった臣の言について信用せずに居たとか
代わりに、家康の真意を探りに行かせた老女への対応が良く、政治向きの話が一切出なかったことから
冬の陣直前で謀反の疑いで金庫番でもあった片桐 且元を追ってしまった。
そして、大野も言いくるめられ、主戦派に蔵の黄金で浪人を大募集させてしまったとか。
気づいた時には城を占拠されてるし、戦準備が整っちゃった。
で、徳川への折衝に老女と妹を送るも、折衝してるのが明るみに成り、強制的に開戦される。
まあ、ソースはそこら辺を研究してる学者肌の小説家の話だからこれは眉唾だけどねw
でも、あながち大外れでもないように思えるんだよね、流れから。片桐 且元

144 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:34:26
そういう一連の流れが御輿に担がれるって意味なんじゃないの?
それがたとえば他の大名では無理なわけでしょ
毛利や島津では他家や浪人からしてみても御輿にならない
前権力者でありその息子であるから正当性もあるし人が集まる
本人の意思で制御できないなら余計に家康としては潰さないといけないわけで

145 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:41:00
>>144 御輿は切り離せば無力化する。
で、先に数人が述べてくれたように御輿の意思が非戦で屈服なら利用できる。
無理に汚名をきる必要性がない。
手だって>>135とか>>139がいってるみたいなのも十分有りだし。

146 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:50:19
>>144 
幕府が潰したからって家康の意思と思い込まなくてもいいんじゃないの?
秀忠への書簡とか愚痴みたいの送ってるの結構あるから幕府閣僚と意識の隔たりあったようだし
既存の事実だけに固執してると捉えられなくなる。

147 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:54:56
>>145
やり方はいろいろあると思うけど
もし家康が秀頼を殺したくなければやはり暴発前にしなければならなかったと思うんだが

関が原で目こぼしをもらってるのになぜに大阪の陣でもまた目こぼししてやらにゃいかんのだと

148 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:01:31
>>147
関ヶ原直後に秀頼を殺したら、第二戦国時代が勃発する。
恭順の意を示した毛利・上杉・長宗我部・島津が反旗を翻す。
家康は、南北朝時代の足利将軍のような位置づけになるだろう。

149 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:16:32
性急にやらなかったのは
明智的なものを避けたんだろうな

150 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:16:42
>>147 鐘銘問題他、近臣たちを使っての大坂城受け渡し工作は続行してたよ。
北方はじめ、子飼いの七本槍とかも書簡攻撃してるし。
>>143の出してる片桐且元や有楽斎は日記を鵜呑みにするなら相当説得してる・
それを全部取り巻きの老女衆と主戦派が握りつぶしたとか。
城から出る際に家老格が完全武装で退去したとか尋常な状態じゃない


151 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:29:26
関が原直後にやらなかったのは、秀吉の残した軍資金が
まだ大佐城にたくさんあったから、本気で勝頼が闘うと
徳川が負ける可能性があった
その後、巧妙に軍資金を使わせて、最後に冬の陣、夏の陣で
浪人を大量に抱え込ませて、全部使わせた 最後はすべて無くなった
ある面では経済戦争といえる

152 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:32:10
話がトップに行かないのは有りがちだわさ。本気で説得したかったら別ルートを探さんと〜。無かったんかね

153 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:33:22
豊国神社や地震被害の起こった寺社の再建なんて金ばら撒いてるって感じだもんな
あの金で工作すればかなり有利になったんじゃないのかな

154 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:39:18
結局御輿である秀頼の意向なんて関係なく
食い扶持がなくなった元豊家ご恩と称する団体に祭り上げられ
秀頼自身ではどうしようもないままに大阪の陣開戦
しかし問題は一応建前だけでも豊家ご恩とあるもんだから
終戦後はなんらかの処分をしなくては格好が着かなかったことだな

しかし御輿を担いだ連中は家康といい条件で和平して食い扶持を確保
しようとは思わなかったのかねえ

155 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 17:13:57
>>154 その元豊家ご恩と称する団体で有名どころをあげると
後藤又兵衛:黒田長政との不和から長政と交誼のある所へは配属不可。長政は徳川贔屓
明石全登:キリシタンで家康は信仰の敵
真田幸村:父と共に徳川方を離反。大坂の陣まで幽閉身分{?}
長宗我部盛親:関ヶ原で反徳川として領地没収。大坂の陣まで軟禁

現存する大名家には仕えられない訳有りや
時代の変遷に取り残された戦だけの浪人が多かったという話だよ。
ある程度善戦して条件掲示できて和解だったら秀頼に取り立てられて安泰だったろうが
国崩しなどの攻撃で惨敗じゃ条件出せない。
まあ、当初の腹積もりは>家康といい条件で和平して食い扶持を確保 だたんだろうけど
あれじゃあ、出す間も無いよねw

156 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 17:37:36
>>155
本気で豊臣が勝てると思っている奴は、浪人衆でも少なさそうだ。
善戦・講和で所領ゲッチュが浪人衆の構想、と。

しかし、ならば徳川方で陣借りした方が効率的だったような気がする。
後藤・真田・長曾我部あたりなら
よければ一万石クラス、悪くても数千石クラスの旗本には取り立ててくれるだろう。
特に後藤は家康と面識があるし、長曾我部は親からの親徳川で関ヶ原も成り行き西軍組だからね。

157 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 17:43:50
毛利輝元が悪い。


158 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 17:53:47
>>156 正直陣借りができなかったんだと思うよ。
というのは、徳川方の軍勢のほとんどが自分の配下や褒美を多く取ろうとしない
豊臣恩顧の衆を起用してるから。
陣借りさせて手柄を立てた場合、褒美を配下より多くしなければいけない。
あなたが言うように悪くても数千石クラスの旗本には取り立てw
また、戦乱期が過ぎ、世代的にも戦一本という人は少なくなってる。
特に徳川の中核を見ると武辺者から政治家系へ移行してる。
そんな中で新参の武辺者を大きな出費をかけて手に入れるか・・・
尚且つ、戦の無い時代を築こうとして{豊臣を攻める実質的意味?}ことから
戦闘員はお払い箱かと・・・・
まあ、後藤は小領地で済むなら抱えたかもしれないが、
長曾我部は元大大名だった手前もあって小禄でってのは難しいかもねw
秀吉みたいなお伽衆が居れば召抱えたかもね・・・個人的に残念

159 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 10:47:56
>>149
当時は、まだ秀頼の家臣という立場だから、そんなことが出きるわけがない。
毛利・上杉・長宗我部・島津以外にも、加藤や福島さえも離反する。

160 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 18:41:28
秀頼の存在の是非についてってなると
もしも秀次がいたらって話も多少は繋がりそうだな

161 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 18:56:03
戦国時代は実力主義の時代
汚名だとかタヌキだとか忠義だとかは後世の人が勝手に言ってるだけで
当時の大名は実力ある人が天下を支配して当然という意識だったと思うよ
秀吉にしても実力で天下を取ったわけだしね
家康にしてみれば実力一番の自分が天下を治めて当然という意識で
行動したと思うよ 秀頼に実力が無かったというだけのこと

162 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 19:34:59
>>158
なるほど、武→文の転換は頭にあったつもりだけど失念してたな、その通りだ。
幕府はもとより、この先領土拡張が見込めなくなる諸大名にしても大盤振る舞いしてまで召し抱えようとは思わないだろう。
身を立てようと思えば、確かに大坂方に入った方が良さそうだな。

しかしまあ、元大身の長曾我部は除くとして、
後藤・真田あたりは数千石あれば充分じゃないかなあ、と思う俺は志が低すぎるみたいだw

163 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:22:42
>>160
ちなみに秀次の娘は大阪方に馳せ参じてるんだけどね

164 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:32:17
いかに家康が気が長くても関ヶ原から15年は待てないだろう、それまでに死ぬ可能性は高かった。
大和に国替えに応じれば滅ぼさなかったと思える
尾張・紀伊・水戸・加賀前田家・そして大和右大臣秀頼で5大老

165 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:11:52
秀頼なんて秀吉の子かどうか禿しく微妙だと町人ですら言ってたのに
天下の家康が危険視しますか?
家康が恐れていたのは秀頼を擁立して刃向かってくる反徳川勢力だろう

166 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:13:07
逆に言えば秀忠に対する親心か
それとも秀忠の器量がってことに

167 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:05:42
個人の器量というより、反徳川のシンボルとなりうることが危険なんだろ

168 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:13:03
抱き込んで甥っ子かつ孫の婿ってちゃんとした身内扱いすれば、反徳川のシンボルにならなくなるよ。
徳川を否定する=自分も否定って立場におけばいい 
いわば、御三家を反徳川として立てられないのと一緒

169 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:26:58
大坂城を出れば、いろんなやり方あっただろうけどな

170 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:40:52
大阪城が強固過ぎたのが仇になったんかな。何かあったら10年位籠城して、とか考えてたかも。でも堀がアレヨアレヨと埋められて…

171 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:57:42
天主にも砲弾が・・・時代の流れと新兵器って大きいんだなw

172 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 03:38:41
しかし今でこそ信長、秀吉、家康の三英傑って事になってるけど、
項羽と劉邦みたいに「信長と秀吉」の二英傑で、劉邦の漢のように百姓出身の
秀吉の豊臣政権がその後300年続きました、みたいな展開になっていた可能性
だってあったんだよな。つか秀吉が天下統一したときはそういうのをイメージ
した人のが多かったんじゃないかな。そんな日本だったらどうなっていたか…。
そっちの歴史も見てみたかった気がする。

173 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 09:34:54
>>172
秀吉は世襲に失敗してる
関白になって後自身は太閤、秀次を関白でそのままならば
大きなみだれなく世襲できたものを秀次を殺してしまった


174 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 10:53:29
そうだね、一時期は後継者という立場が確立していて、
家康を始め、伊達、最上にいたるまで、みなペコペコしていた。
秀頼が生まれなかったほうが、結果的には豊臣はよかった。

175 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 14:12:45
秀次の評価って、一部じゃかなり高いよね。
まあ秀吉の一族なんだから無能ってことはないだろう。



176 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 16:50:57
秀吉の家系で子沢山は貴重だったのにな。

177 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 17:12:41
秀頼=劉禅か・・・

178 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 18:43:35
秀次は有能ではないよ、それに直接対決で家康に負けている弱みがある
秀長と秀次が両方生きていれば家康も天下とれなかったと思う

179 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:00:04
>>178
1行目と2行目の辻褄があってないwww、何これ

秀長の補佐があれば、秀次でも家康と対抗できたという意味なのかw

180 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:18:14
秀次は地元滋賀じゃ評価高いって聞いたことあるけど

181 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:49:28
秀頼は庶民に支持されていたの?


182 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:56:32
>181
地元・大坂の連中と京の連中には、秀頼と言うよか豊臣贔屓って感じで人気があったんでない?


183 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 22:27:52
>>172 平和な時代が少なくてずっと戦を続けてそうなイメージが・・・
特に外国へ侵攻し続けてとか。なんか止まったら死ぬ回遊魚のいめーじがあるから

184 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 22:40:07
史学ってなんですか?

185 :日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:53:19
仁和寺で最近見つかった文書に家康が豊臣 虐殺 の 指揮を 長嶋家に指示した

186 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 08:37:27
2代目秀次、3代目は秀頼ってできなかったのかな。秀次が信用できずに
殺してしまったのだろうが赤の他人の大名達に「秀頼の事頼みまする」
なんてするぐらいなら秀次に頼んでいたほうがよかったと思うが。
わが子かわいさに耄碌してしまっていたのだろうか。

187 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:44:59
>186
最初は秀次の娘を秀頼に娶らす事にしてたんじゃなかった?
そんで、秀次→秀頼ってする構想だったようだが。

188 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:45:40
秀吉が再三「秀頼の事お頼み申す」と言ったのは、
自分が家康の立場だったら間違いなく秀頼を殺しているので、心配でたまらなかったから

189 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:48:59
小田原の後に因縁つけて家康やっつければよかったのに、いくらおさめにくい土地とは言え自分よりも高い石高やるなんて秀吉もつめがあまかったなぁ

190 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:08:07
>>186
秀吉も当然最初はそう考えていたよ。
秀頼が生まれたとき、秀次の娘を秀頼の嫁に迎えることにより
秀次のメンツを保ちつつ豊臣家の安泰を図ろうとした。
両者の対立が決定的になったのは、秀次が秀頼のことを、
秀吉の子でないと言ったからとされる。
事の真相は定かでなく、秀次を亡き者にしたい勢力による
でっち上げかもしれないが、
とにかく秀吉はかなりプライドを傷つけられただろうし、
秀次がそう思ってる以上、秀頼と秀次の豊臣家での共存はもはや不可能で
あると考えたのは自然な成り行きだろう。

191 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:18:57
>>189
Q太郎が死んで家康以外やる大名がいなくなってしまった。
統治者不在のまま放っておいたらいまのイラクのようになって
しまってただろうしね。そしたらかえって豊臣政権の不安定要因に
なりかねない。

192 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:24:38
蔵入地にするなり、他の多くの大名に分割して加増するなりって手段も

193 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:45:01
>>189
信雄のように因縁をつけてつぶす(家系は残してるが)ことも出来たし、
豊臣家臣内では、北関東はかつて上杉と同盟していた領主が多いこともあり、
上杉を旧北条領に移封するという案もあり、結構有力だった。
まあ、秀吉としては、畿内に近い所に、
かなりの所領を持った大名がいるのがイヤだったんではないかな。
但し、家康のほうが秀吉より先に死んでいたら、丹羽長秀や蒲生氏郷
のように領土は十分の一くらいにされてただろ。

194 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:01:15
子供と家臣で分割相続させせて独立大名化して個々に懐柔ってとこかね

195 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 09:33:07
宇喜田秀家に豊臣を継がせていたら

196 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 13:27:35
>>193
秀吉・家康はたえず相手を意識し、緊張関係にあったかのように
よく言われるが、それは後世の脚色だろう。
当時秀吉は家康を忠実かつ有能な家臣と見做していたし、家康も
秀吉の期待に答え豊臣家のためによく働いた。
まだ秀吉自身若かったし、家康の脅威をそれほど意識していなかったと
思われる。秀次という跡取りも健在だったし。
秀次に順調に権力が移行してれば、家康も敢えてリスクを犯してまで
謀反を企てなかっただろうし、豊臣政権下のトップ250万石の大大名で
満足しただろう。
秀次の失脚や幼い秀頼を残しての秀吉の死という予想外の出来事によって
初めて、徳川250万石が豊臣政権にとってのリスクとして顕在化した。



197 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 16:37:34
>>196 禿同

家康が後世、狸親父と言われるように肥満したのは50歳前後から関ヶ原直前の59歳
の間と思われ、関ヶ原後、ダイエットに励んで数年で肥満する前の状態に戻り、大阪の
陣の頃は、かなり痩せていたとも言われる。
つまり秀次が後継者に指名され、秀長も健在な豊臣政権を見て「人生楽しまずば、これ
いかん」って調子で節制するのをやめ、大食に走った可能性がある。
だから秀長死去、日明戦争(文禄・慶長の役)、秀次虐殺と豊臣政権が秀吉の自爆的
政策で破綻した状況下で政権No2の実力者の家康が、豊臣破綻政権の潜在的脅威と
して奉行派に潰されると認識した家康が自衛のため政権奪取に動いた可能性があると思う。

198 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 23:37:11
小泉の後は福田という中朝に対する反動が、秀吉→家康。土下座外交の始まり。

199 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 00:16:29
福田は中国の属国を目指しますよ。

200 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 00:58:26
劉邦が天下統一後韓信を誅殺したように秀吉も家康を殺しとくべきだったろうね。
朝鮮出兵させた兵力を理由は何でもいいから家康征伐に向けとけばできただろうし。
それが朝鮮出兵で兵力消耗させて恨みも買って家康の兵力は温存させて、
ってちぐはぐな事やってればせっかく取った天下が転がっててしょうがないわな。

201 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 11:36:55
>>200
でも、そうなると家康だけをつぶしても心配だな。
秀頼の後見役の前田利家も、天下を狙うかもしれん。
畿内に近い場所に大領を擁する宇喜多も心変わりするかもしれん。


202 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 14:50:40
淀殿がハプニングで自害もせず捕まってたら、
生き延びるチャンスはあったのかな?
息子とは訳違うし。


203 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 14:58:14
>>198
家康は善隣対等外交を朝鮮王朝との間に展開している。
捕虜送還には努力したけど、賠償とか謝罪とか何もしていない。


204 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 15:05:05
>>200 秀吉が死んだらまた世が乱れちゃうw
利家では実力的にやや不足だし、他の大老だと似たり寄ったりだし・・・
世が乱れたら、豊臣家が危機にあうは必至
だから、家康を潰しておくというのは自家保存のためにも、
自分のやってきた業績を守るためにもできないと思われるよ。
そこまで食い込んで自力をつけた家康がうまいってところかもね

205 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 15:20:28
秀吉の目が黒いうちは、250万石だろうが北条のように簡単につぶせるが、
家康には野心が無いと、秀吉は思ってしまったんだろう。
家康と利家の2巨頭(とはいえ秀頼後見の利家が有利?)で、
秀頼の成人までいければ問題はなかった。

206 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 15:23:23
>>203 悪くないから賠償や謝罪なんてしないでしょ。
そもそも開戦の原因は半島の外交官と宗氏たちが二枚舌で甘い汁吸ってたのだし。
それに先に襲い掛かられて被害を受けたの日本軍だし、捕虜の送還をするだけでも家康の好意
だからこそ、江戸幕府は朝鮮と友好関係でいられたんだし

207 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 15:44:32
秀吉は多分臨終の間際では豊臣の天下はないとわかってるでしょ
わかってはいても未練たらたらだったんだろうが
後継者問題で見事に自爆してしまったわけだからなあ
秀頼にどうしても継がせたかったのはわかるがここでぐっとこらえて
秀次系で後継することを認めていればしばらくは豊臣の天下だったものをねえ

208 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 22:09:20
秀吉が死んでも清正、正則の2枚看板が秀頼を支えてれば他は戦をしかけ
なかったように思うな。さらに知恵袋として三成がいれば万全だったはずだ。
それが朝鮮出兵で瓦解した。さながら関羽、張飛と孔明が反目するような
ことが起こってしまったわけだ。そりゃ滅ぶわ。

209 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:21:26
>>202
大河板なみのタラレバ疑問。

210 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:48:33
>>203
朝鮮通信使(実際は幕府から連絡取ってるから格上の答礼使)の歓待費用が勅旨遥かに
超えてるのを白石が屈辱として減額。
勝利宣言してる国の答礼使様>>>>>>>>>>>>>>>勅旨が実態。
ようは初期将軍様は朝鮮王>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>天皇てことだ。

211 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 01:17:45
釣りは学問版にはいらない。
幕末は天皇>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>>>朝鮮王

212 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 01:46:49
>>211
極東板かハングル板にでも行ってくれ
君の言うとおりここは学問板だから

213 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 02:46:09
>>210もね

214 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 08:56:52
不等号とかwを使うヤツの書き込みって

215 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 18:32:05
>>210
客をもてなすのは当然だし、対内対外でパフォーマンス的な意味合いも強い。
国の威信を示すと共に、友好関係をアピールしたりする必要があるんだから。

今だって、天皇が首相官邸に顔を出すのと米国大統領が首相官邸に来訪するのとでは、
後者の方が金をかけるに決まっている。

216 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:58:34
自称戦勝国(明・朝鮮)に何も言えず友好と言うのが初期幕府。
米国は現実に戦勝国。比較対照では無い。
宮内庁と内閣、朝廷と幕府も別次元。
当の幕府の政策も白石以降、朝鮮通信使は縮小、中止している。


217 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 00:03:10
家康がいなかったら誰が豊臣をって話も出来そうだな

218 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 00:28:04
初期の朝鮮通信使への扱いって中国が属国へ行う扱いと一緒だったらしい
なので、朝貢という形からお土産を与えたりそれなりに歓待する必要があったからとか


219 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 12:08:38
なるほど、朝鮮は日本の属国ってことか?
まあ、日本の顔を立てとかんと、また日本に攻められたら困るしね。

220 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:14:08
秀頼を滅ぼさず生かしておくメリットはなに?


221 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:21:39
後世に汚名を残さない
親豊臣系の勢力を心服させる

222 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:32:07
かつて家康は秀頼の家臣だったからね、
主殺しの汚名はなくなるわけで。
秀吉のように主家(三法師)を残しておけば腹黒ジジイの評価はなかった。
戦闘状態になったからといって、降伏したら相手を許した例はいくらでも
あったから、20万石程度で残しておけばよかった。

223 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:33:13
>>220
豊臣家存続を願う大名への褒美代わり
しかし大阪の陣辺りではもうその褒美代わりも賞味期限が切れたかと

224 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 15:12:33
孫の旦那だしなあ。


225 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:08:38
まあ、いろいろと家康の腹黒さはあるけど、ともかく秀頼という「火種」を
完全に消したことで、その後の何百年間という平和があったのだから、
結果的には前向きに評価するとしましょう。
秀頼一人が死んでくれたおかげで、世界的にもまれなほどの平和が訪れ、
誰も戦死せずにすんだのだもの。

226 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:12:37
秀頼死後も島原の乱で浪人が出てくる辺り
まだまだ平穏無事というわけにはいかなかったんではないかと想像できるが

227 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:25:17
この人の言ってる通り行われた方が平穏無事かつ活気ある幕府になった気がする。

135 :日本@名無史さん :2006/04/12(水) 01:00:50
ちなみに俺が勝手に思いついた妙手は、「兄弟であり、恩ある太閤の遺児故に許す」
と言い、太閤派を掲げて「遺児殺し」を攻める連中の機先を制する。
で、「そもそもの間違いは、大坂城に居ることと女達ばかりの中で育ったせいだ」
として、「不審者を近づけないため」と称して、関東へ移俸。
加えて、「戦争参加者への恩賞を与える手前、秀頼の土地が無いがいかがいたすか」
といえば、太閤恩顧を唱えてた連中は恩賞を諦めるか、削減を申し出るしかない。
自分の地歩と名声などのためにね。
で、削った分で関東にバラバラに土地を与えて居させる。
もちろん、徳川の守役つけて徹底的に洗脳及び家臣団をつけさせずにいる。
一ツ橋家とかの扱いと同じ感じで。
で、時期が着たら「親戚だから家光の子どもを養子に」で、関白と征夷大将軍の位を徳川独占
しかも、与えた土地は自然消滅的に幕府の直轄地へ
途中問題が起きた時は盾に使える上、朝廷に対しても「関白の命」で天皇以外は抑えられるし。
絵空事だがどう?


228 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:27:51
>>227の補足
幕府内部で微妙に揉めてた方が人事異動とかで活性化するし。
他家からというか豊臣恩顧も豊臣系が幕府内に居れば
それとなく幕府に意思疎通しやすいだろうし。
それでいて、幕府として一体で御三家とかいるから割ることもできないしって

229 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:33:06
豊臣家を担いだのは何も豊家恩顧の大名ばかりじゃないでしょ
浪人が戦力のメインで、さらにその浪人が担げそうなシンボルが秀頼
だから秀頼を生かしておけなかった
大阪の陣が終わったとはいっても浪人が消滅したわけではないしね

天草四郎ですら浪人がわらわらと終結してきたんだからもしそれが
秀頼だったらと想像してみると恐ろしいと思うんだがね

230 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:42:01
>>229
だから浪人と切り離して幕府管理下で無力化するって話じゃないの?

浪人についても、秀忠以降の徹底鎖国政策ではなく、海外への移民を推奨すれば良かったのにね。
シャムも中国も兵力まだまだ必要としてたんだから。それに日本人町もいくつもできてたんだしね。
行き過ぎ政策でなんか大きな損を・・・

231 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:26:08
>>230
だから切り分けができなかったんだから大阪の陣が起こったんじゃない?
しかも2回目も

232 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:35:59
>>231 >>135の内容も今話題にしてる話も大坂の陣以後のこと
大坂の陣までと状況が違うからこそできるってこと。
そら大坂城出ないで一個の独立勢力として存続したままなら切り離せないだろう

233 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:36:47
  ∧ ∧     ┌─────────
  ( ´ー`)   < 秀頼? シラネーヨ
   \ <     └───/|────
    \.\______//
      \       /
       ∪∪ ̄∪∪

234 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:40:35
何で、幼い国松までも殺す必要があったの?


235 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:45:27
手柄顔で引き出してきた某がいるからじゃないの?
手柄認めなきゃ周囲へ不満を募らせるし、
秀頼殺した手前幕府としては助命って沙汰はできなかったんじゃないかな。
せめて秀頼が引き出されてちゃんとした切腹処置とかになってれば助命しても統一性あっただろうけど

236 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 20:00:28
>>221が秀頼を殺さないメリットとして、
>後世に汚名を残さない
>親豊臣系の勢力を心服させる
というのを上げてるけど、どうかなぁ……。
この頃の家康は自分の死後も徳川家が安泰であることを最大の目標として
生きているわけで、自分が死後悪く言われようが言われまいが、
そんなもん考慮のうちに入らないと思うけどね。

旧豊臣系の勢力を心服させるっていうのも、効果は疑問だな。
そりゃあ少しは豊臣恩顧の大名の忠誠を高めるかもしれないけど、
同時に「幕府は反逆者に甘い」という印象を与えかねない。
それよりだったら、反逆者秀頼を厳罰に処することによって、
諸大名に対して「幕府に逆らうものはこうなる」というイメージを
強烈に植えつけ、統制を強めた方がよっぽどプラスになる。

頼朝の先例もあるから、最後に秀頼を殺したのは正解だったと思うし、
結局それが260年の太平につながったんだと思うよ。

237 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 20:40:54
俺は殺さない方が良かったって考えだけど
>>221の>親豊臣系の勢力を心服させる は違うと思う。
>後世に汚名を残さない  については
家康が儒教と写経を熱心に勉強しだしたことからあながちあったと思うけど

というのも、親豊臣系勢力とは言え、大坂では徳川に与力してるのがほとんど。
それに親豊臣といっても淀を嫌ってる人が多いし、北の方を粗末にする秀頼と距離を取ってるのが多いから。
滅びなくて良かったという安堵と多少の感謝の念はあるだろうけど心服までは無理かと。
もちろん、担いで反幕府する気概もあの幕府への心使いからみると無さそうだしね。

238 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:29:55
夏の陣頃の豊臣恩顧の大名も、豊臣家に恩義を感じてるのは僅かでしょ。
それも当主が個人的に感じてる程度では?
ほとんどの大名家は豊臣時代からの当主から代替わりしてるか、代替わりまじか。
代替わりした大名家では、家内整備に必死で、幕府に睨まれたく無いだろうし、代替わりが近い家は、すんなり代替わりしたいだろうから、やっぱ幕府に擦り寄る。

幕府に対する忠勤合戦で、大坂の陣なんかは逆に幕府への忠誠心の見せ所になってる。
幕府が豊家を滅ぼさないなら、別にどうでもいいけど、存続してて、痛くも無い腹を探られるのは迷惑、ってトコでは?


239 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:32:18
忠誠というのは現在の自分の所領を保証してくれる相手に対して向けるのが正しい在り方

240 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:02:44
秀吉は家康に対して室町幕府の鎌倉公方みたいな役割を期待したのだろうか?

241 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:14:05
>>202
国内でも切り取り強盗当たり前、
朝鮮半島で強姦殺人繰り広げた戦国時代の話だよ?
高貴な女を目の当たりにした雑兵と
貞操をかけた死闘を繰り広げる事になるな(藁

242 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:29:14
>>241戦国期の雑兵・足軽と夏の陣の時の職業軍人を一緒だと思っちゃダメ
質の他に、後々のこともあるから無茶できない。
加えて、朝鮮半島の町での被害は中国兵と朝鮮兵がほとんど。
日本兵が行く頃には町はもぬけの空で隠し食料の調達すらできなかったとある。
普通は戦利品とかで自慢して残す所がかかれてないのだから

243 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:33:01
大坂の陣では、女中衆が落城のとき酷い目に遭ったらしい。
薙刀振り回して戦う淀の方なんて、ビジュアル的に映えそうだけど。

244 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:39:04
>>243 
それは攻め入ってきた兵のからの話でなく、確か野伏せりなどの被害じゃなかったか?
正規軍については、その場でというのは無かったはずだが・・・

245 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:41:52
>>243それは落城して落ち延びる時の話じゃなかったっけ。
落ち延びる過程で山賊など、戦国時代の足軽と同じようなのから受けた被害。
職業軍人からの被害じゃない。

246 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 14:01:31
ここの奴らっておきく物語や大坂夏の陣図屏風も知らないのか?

247 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 17:31:11
>>246
大坂夏の陣図屏風は俺も見たが、今までの書き込みで違和感ないけどな。
どこがおかしいと思うん?
ちなみに、おきく物語ね
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/nihon/okiku.htm

248 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:00:18
秀頼滅ぼすのつもりだったのか?なんての家康礼賛、山岡荘八信者だろ・・・
秀頼の子は徳川により滅んでる。
普通に滅ぼすつもり有り。


249 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:06:03
誰かタイムスリップして秀吉に言ってやれ、どう考えてもオメェの子じゃねぇよ、
と。

250 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 10:33:02
秀頼が秀吉の子でないって、豊臣系大名含め皆内心思ってたんだろうな。
だから家康も強硬手段を取れたと。


251 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:20:44
>>245
正規軍に多数の「無頼」が含まれているの、分からないか?
平和ボケの感覚で語るなよ(TT)

252 :匿名希望:2006/04/23(日) 11:55:14
秀頼・国松を出家させておきながら、毒殺という手段でも良かった気がするが。
秀吉も家康を含め大大名を毒殺・暗殺しておき、領地削れば安泰だったろうに。
秀吉は自分の死後も皆が自分に従ったように秀頼に従うと思いこんでいたのだろうが。

253 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:01:25
誰が毒を盛るんだよ……


254 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:02:04
裏柳生とか・・

255 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:07:44
薩摩にも豊臣子孫と称するのが居ないの?

256 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:54:58
         ハ,,ハ  
        ('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
      /ヽ   〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
     /| ̄ ̄ ̄|.\/
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257 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:27:28
>>251ちゃんと勉強したから言いなよw

258 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:48:47
>>248 思考が単純すぎだよ。
結果がそうだからって、そのように思って行動してたとは限らない。
意見を読めばわかるが、山岡荘八信者はここにほとんど居ないぞ。
そんな気が無いって意見は山岡の意見と全然違うし。
山岡の意見を信じるなら家康をもっと神がかって善人という捉え方じゃなきゃだめだろ。
とりあえず、本読んでから言いな。

259 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:46:41
ていうか山岡つまんねーよ、面白いとか言ってるの懐古厨だろ。
昔の名作がいつまでも名作だと思うなよ

260 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:15:52
最初から滅ぼすつもりはなかったろう。
店を乗っ取った番頭(家康)が、前の大旦那の息子(秀頼)が成長し、
バカではないらしいと気づいたら......

家康は心配症だからね、バカのふりをしてればよかったかも?

261 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:20:51
墓までぶっ壊してる奴が、滅ぼす気無い訳が無い。
秀忠のせいにする奴が居るが、家光継嗣問題等考えれば家康の意向無しで出来ない。



262 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:32:13
墓をつぶしたのってかなり後だろ。
「最初から」滅ぼす気はない、という主張と矛盾しないぞ。

263 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:57:17
そんなつもりはなかったって言ってたよ

264 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:07:08
まあ、豊臣の首を絞めたのは豊臣側の態度も一因なのは間違いないわな。
もっと這いつくばっていれば。

265 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 18:59:12
上で言われてるように公家としてなら生き残れたんじゃないか?
2万石くらいなら徳川も文句言わないだろ。
清華だと近衛大将をかけられるから微妙な問題もあるだろうけど
純文官の大臣家なら幕府も気にしないと思う。
2万石あれば近衛家に匹敵する収入を確保できるので、体面も維持できるだろうし。

266 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:02:02
信之の嘆願を無視して真田親子は処刑、もしくは一生戻れない離島に島流し
後藤の仕官を邪魔する黒田を叱り飛ばして適当なところに再就職させる
勝永もどこかに仕官させとく
長宗我部は改易せず減封くらいにしておく
これらは鐘の字に言いがかりつけるよりも遥かに無理なくできること
こうしておけば豊臣もおとなしく大阪を退去したかもしれない

267 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:40:24
秀頼は形式的には近衛前久の孫ってこと?


268 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:40:02
>>262
秀頼殺した後、速やかに豊国破壊に神号剥奪。
ここまでやる奴は特殊。
薩長鬼畜等の主張有るが東照宮はそのまま。
鬼畜以下が家康。
ようは生来の性質だから全く矛盾しない。

269 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:43:44
>>勝永もどこかに仕官させとく
>>長宗我部は改易せず減封くらいにしておく
なぜ毛利家だけ改易?

270 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:48:52
>>268 >速やかに豊国破壊に神号剥奪。
崇伝の献策じゃなかったっけ?

271 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:45:23
>>268
かつて自分の正妻や長男を、自分の意思で殺したくらいだから、
なにをやっても不思議ではない。


272 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 03:43:49
豊国破壊に神号剥奪。
一見ひどいように見えるが、決してそれほど悪辣な行為ではない。
秀吉は豊臣家の守護神として豊国に神号というものを得ていたので
その政権と豊臣家を抹殺した以上
その守護神を放置すれば祟り神になると言う呪法的な懸念があった。
秀吉は一般民衆のように仏として祭られるのは許されてるしね。
 
>>東照宮はそのまま。
旧幕府の勢力も結構温存されて徳川一門は枝葉をいれれば
ものすごい数に上っており討幕派にも徳川家のものがいるくらいなのだから
到底破却など無理でしょ。
豊臣家とは事情が違う。
 

273 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:27:13
信長の死後と秀吉の死後を知っている家康が自分の死後を心配するのも無理はない
家康の立場になってみれば誰だって豊臣を壊滅させなければならないと思うだろ

274 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:21:45
>>272
一番最初は一宮♪の三に数えられる程の佐倉宗吾神社を将門山に創ったのが当の佐倉藩。
祟り神は自分が悪役であろうが大々的に祭って鎮めるのが普通。
特殊な信仰だね。


275 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 00:12:53
山岡の『徳川家康』を暗記するほど読んでから司馬遼太郎の『城塞』読んで凄くショック受けたw

276 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 08:28:14
小説w

277 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 14:06:48
>>275 わかるわかる。好対照になほどに受け取り方や作り方が違うからね。
精神衛生上、山岡作品の方が俺は好き。好意的にとってくれてるから。

278 :274:2006/04/29(土) 01:24:24
一番最初ではなくて一番初め・はじめ、でした。

279 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 19:50:13
日光には家康の他に、頼朝と秀吉を奉ってるんだろ。
潰せるわけない。

280 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 23:31:52
明治政府に頼朝と秀吉に対して尊崇の感情なんて殆ど無い。
豊国再建も関ヶ原当時の親豊臣系大名が集まってした事。
徳川の暴挙を見無いフリした後ろめたさが260年超えて在ったんだろう。
壊すのが特殊であって壊さないのが普通の日本の信仰。



281 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 03:22:27
千姫が男子を産み、秀頼が若隠居、大和郡山に転封、徳川家から付家老派遣というシナリオなら生き残ったかも


282 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 21:46:02
>>54
オカルトネタwではあるが果たして関ヶ原〜大阪〜ともに<ホンモノ>の家康だったのか!?
てのが介在すると益々複雑怪奇!?にもなる訳だが。
ついでなオカルトネタで云うと木下家(日出!?)分家の国松(秀頼!?)生存説てのはスルーなのかね。

283 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:17:48
天海って光秀の子供?

284 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:42:12
本人説
息子説
一族(親戚縁者)説

とございます

285 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 18:25:02
天海は弟の秀満のような気がする。
年齢がぴったり一致するし(本人だと多少ずれてしまう)
不思議発見(だったっけ?)では、筆跡鑑定で本人ではないけど近親者かごく近い間柄って結果が出たし。

286 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 19:09:49
筆跡鑑定ってそんな事まで分かるのか

287 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:48:46
芦名氏だったのでは。

288 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 00:29:23
まあ秀頼ブレーンが優秀なら生き残り戦略は4つほど提案できただろう。
その1 淀殿、お江様ご夫婦を訪問のためと称し、江戸に赴き江戸城西の丸に長期滞在というか同居する。
    これにより実質人質だが、他の大名衆とは違うのだと言うことを強調。江戸屋敷は造らない。
その2 秀頼に千姫以外のおなごを持たせないで、千姫一本槍でやりまくらせ孕ませる。孕まなくても家康や
    秀忠の心証が良くなるし、徳川政権と豊臣前政権の融和と結合を世間にアピールでき、秀頼を担ご
    うという勢力ができにくくなる。
その3 千姫に女の子供が生まれたら、家光の妻にしてくれと秀忠に申し込む。男の子が生まれたら、秀忠の
    娘を妻にしたいと申し込む。

そして最終の秘策はこれだ。  

その4 70万石の領土のうち60万石と大阪城も併せて朝廷に献上して天皇の行在所として大阪城を難波宮
    と号し、次期天皇たる東宮をご養育するとの名目で大阪城に預かり、秀頼が左大臣として、大阪城を
    預かるという形にする。その際、本丸に東宮を住まわせ、自身は天守閣のある西の丸に居住

この策を用いたら、いかな家康でも手が出せないだろう。


289 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 03:01:27
その4は蛇足かな。
折角1〜3で徳川に媚びてるのに、これでは警戒されてしまう。
ベクトルが他とあまりにも違うので、単体としてはともかく合わせ技としては×。
朝廷内の意見も割れるだろうし、割れれば徳川に突っ込まれる。
逆に提案する。

その4
徳川家に70万石のうち60万石と大坂城、そして秀吉遺産全てを差し出す。
10万石の知行地も大坂から離れ、土地を貰わずに、10万石相当禄を幕府から直接貰う形にする。
その収入も幕府派遣の官僚に運営を委ね、基本は江戸在府。
その代わり、高家筆頭の地位と、無役を要求し、準一門格として儀礼や朝廷工作から徳川家をサポートする。

290 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 17:03:39
生き残り戦略・その5
夏の陣で家康が窮地に陥ったことからわかるように、
家康は戦術家としては決してAクラスでない。
よって、神社仏閣へ湯水のように寄進するのを止め、
常に、事が起こるのに備える。
淀殿は政に口を出さず、一旦、事が起こったら
有能な武将に一時的に全ての権限を与える。

291 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 17:14:15
生き残り戦略・その六
後に駿河大納言になった人を、あの段階で養子に貰っておけばよかった。
で、養子が豊臣宗家を継ぐ。
秀頼は分家扱いで清洲を貰えばよかったんじゃ。


292 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 18:00:24
しかしマジで秘策その4を実行されたら、家康は困っただろうな。
東宮在住の御所を攻めたら、マジで賊軍扱いされるからな。

293 :形式的民主国家:2006/05/04(木) 18:02:18

米軍が日本に駐留することはアメリカ自身の極東防衛の前線基地を確保出来ることで
米国にとって相当な利益があるにも拘わらず、在日米軍の再編成費用3兆円を日本からせびり取る積りらしい。
本来なら、基地使用料を米国が払っていてもおかしくない。
それでもそう言うことをしようとするのは、民主主義が未発達で未定着な
国を米国が負担までして守りたくないからだ。
本当は軽蔑しているからだ。

下っだらない天皇なんか信奉しているからそう言うことになるのだ。
世界中のどの国だって日本を本気で尊敬してる国なんてありャしない。
民主主義の発達を阻害している天皇制は日本の国益を著しく損ねている。
こう言うところで本音が見え隠れする訳だね。


294 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 18:25:48
>>290
豊臣家存続の最低条件は豊臣家の軍事的無力化だろうから、
合戦を前提にした戦略ではどのみち滅ぼされると思うよ。

>>292
天下人の座はすでに徳川家のものだって朝廷もわかっていたはず。
斜陽の豊臣家のために、朝廷が大坂城に東宮を置くはずがない。


295 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:37:59
>>291
その後の駿河大納言の運命を思えば、家康亡き後幕府が忠長の大坂をどう処分する
かは目に見えている。
忠輝でも同じ事だったと思うが、頼宣だったら話は違ったかも。
千姫と秀頼の間に男子が生まれていたら、どうなっていただろうか?


296 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:41:25
家のためなら正室・長男すら犠牲にする家康の事だから
例え千姫と秀頼の間に嫡男が出来て、それが豊臣家の後継者となっても
構わずに豊臣家を滅ぼしただろう。
当然、自分の目の黒いうちに。

297 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:01:25
>>295
自己レス
頼宣だったら→頼房だったら

298 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:54:07
得たりかしこと難癖つけて秀頼を隠居させて大和(状況によっては相模
か駿河辺りに捨扶持でもやって)追い払って
頼宣が当主となって、家康の側近を家老として送り込んで徳川家の実質支配。
家名だけは辛うじて存続ということになるんでんねえの?

299 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:48:30
金城湯池の城があり、経済の中心地に所領があるから徳川家と対抗できる。
国替えや、減封に応じたら、大阪城を明け渡してしまった毛利輝元のような
もので、減封あるいは改易、はては因縁をつけられて御家断絶なんてことにもなる。
自分の所領は自分で守るしかないわけなので、戦時体制に即応できる環境
を作っておくべきだった。

300 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:55:43
何を馬鹿なことを……。
自分の所領を自分で守ろうとした結果が大坂の役じゃないか。

301 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:08:57
豊臣政権で散々転封・減封してきたくせに、自分の所領だけは守るのか?

自分の所領と言うよりは、豊臣の天下を守ろうとした結果だろうな。

302 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:57:56
大坂城に不落信仰のようなのがあったらしいからね。
加えて、城から出たら殺されるって思い込んでたんじゃないの?
豊臣傘下だった大名達は関ヶ原の後、徳川になびいちゃうし、朝廷からも半分無視されるし
取り残された感と戦国期の不要者の末路を見てると怖くて外に出られなかったんだろう

303 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 18:44:08
秀吉からしてみれば豊臣家が大名として細々と残るか天下を取られるくらいなら滅亡するかどちらが本望だったんだろうな

304 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 20:23:48
紀州大納言頼宣は家康に大阪城と100万石を得られるよう
家康におねだりしていたと言う。
それを危険視されて駿府から紀州に移されてる。


305 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 20:46:11
>>304
はあ?
おねだりしたのは家光の弟の忠長だろ。
頼宣が紀州に移されたときは家康は既にこの世におらず、秀忠が将軍。

306 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 21:12:51
俺も忠長が大坂移封を望んだ話は知ってるが頼宣は知らん

307 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:22:26
「豊臣恩顧の武将には豊臣氏の領地から恩賞を与え、豊臣氏の所領は200万石から摂津・河内・和泉65万石へ大幅に削られる結果となった。」
というのは、諸国に散在し諸大名に預けていた太閤蔵入地―もともと諸大名から割譲させたもので、諸大名に預かり領にしていた―
を、どさくさにまぎれて山分けにしたということですか?


308 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:26:48
>>307

Yes、概ねそんな感じ。
だから豊臣家の御為と言いつつ石高を削るような一聞して矛盾するような裏技ができた。

309 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:28:24
>>307

Yes、概ねそんな感じ。
だから豊臣家の御為と言いつつ石高を削るような一聞して矛盾するような裏技ができた。

310 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:31:00
>>308
豊臣家の支配体制って脆そうだな


311 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:04:52
>>305>>306
漏れの知ってるというか聞いた話では
大阪城を望んだのは子供の頃の頼宣のほうが先と聞いた。
それは無理だと答えたようだが
そのあと家康が100万石を駿府で与えるという約束をしたようだ。
 それが秀忠の不興を買って後の強引な強引な紀州移封の遠因になったとか。
頼房も子供の頃天下を望んだと聞いたので、それもありだと思ってた。

忠長の話は逆にその後聞いたよ漏れは。

その後、家光の弟の忠長が同じく大阪を望んでそれが忠長
の末路を決定したとか。

312 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:17:19
>>300
自分の領国は自分で守るのが当然。
「運は天にあり」ってところだが、勝機はあった。

313 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:25:10
 あったと思ひますね。別に拙者の獨創に非ざれど

1.ほんの一年か二年、駿府翁が世を去るまで待つ。
2.冬の役で講和しない
3.夏の役で伏見城に籠り、京を抑へ、日本列島を東西に遮断し西國を率ゐて立つ
4.秀頼が陣頭に旗を立てる

 何れも有望です

314 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:38:50
>>33
1は下手すりゃ影武者立ててでも強引な大阪攻めやって滅ぼして
1年ほどほとぼり覚ましてから家康死去させたようなきがする。

2それは一番マシだと思うが、最終的に篭城は背後の援軍無くして
 希望が薄い戦略だと思う。もともと内部の意思統一がとれない
と言う弱点はそのままなのだし。

3冬の陣の時点ぐらいでやらなくては意味ないし西国諸侯が
協力してくれるという確固たる保証がないと無理。
細く伸びた防衛線を前と後ろから攻められてアウト

4秀頼が陣頭に旗を立てるのも、もはや時代が違いすぎる。
関が原の際なら効果絶大だったんだけどねー。


315 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:56:35
>>313
率いて靡く可能性のあった勢力がそのまま忠誠を誓ってればね。
加えて、関ヶ原以後の所領の配置が為されてなかったら言うとおりの手があっただろうね。

316 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:19:53
秀頼は何で官位無かったの?

317 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 07:46:12
>>312
そりゃあ「〜だったら」とか「〜してれば」とかそういう都合のいい
希望的観測を積み重ねたら、大坂の陣のような圧倒的に不利な合戦にだって
「勝機はある」って言えるだろうな。

そもそも援軍の見込みがない籠城戦というのは、負けるための戦いである。
味方をしてくれる大名が皆無な状況でいくらがんばってみたところで、
最後はジリ貧に陥るのが目に見えてる。


318 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:21:07
徳川方に裏切りそうな連中が居て、それに期待

319 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:25:21
>>318 思いつかんのだが、例えば誰あたりが居る?
所領をなげうってまでの大名クラスや幕閣は思い当たらないし、
個々でってのなら既に大坂城に入ってるしで・・・・

320 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:45:35
>>318
 無理無理! 最も裏切ってしかるべき立花宗茂を秀忠付き参謀として起用してる時点で
 他の大名連に裏切る気なんか起きようがない。特に島津は立花絡みでの関ヶ原一件があ
 るし、、毛利もしかり、前田も関ヶ原後の一件で恥をさらしてる。今更、豊臣方にお味方つ
 かまつるなんて動きをしても犬畜生扱いを受けるし、そんな島津や毛利、前田に味方する
 大名なんか出ようはずもない。島津が動いて、仮に清正没後の加藤家が味方しても、田
 中、鍋島、黒田、細川の連合軍に阻止される。福島正則がいない状況で毛利が動いても
 山陰の堀尾、山陽道の池田連合軍に阻止される。四国は、加藤も蜂須賀も山内も生駒
 もなびかないから毛利は水軍も使えない。さらに前田は、越前松平、彦根井伊、越後松平
 に包囲撃滅されるから裏切りようがない。



321 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:03:10
 そうでもないでしょう。

>314・7
 粘れば家康の寿命が尽きます。
 これが何よりの援軍です。
 これを活かすには避戦が一番ですが、開戦後でも籠城すれば良いのです。
 武田信玄の死を想起されよ。

>320
 そういうことを考えて大名配置してるのですが豊臣家の衰亡時も徳川家の滅亡時も役に立ちませんでした。
 大名は様子を見てゐるのですから、大阪有利と見れば雪崩を打つでせう。
 


322 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:26:16
>321
家康が死のうと既に家督と征夷大将軍を秀忠に譲ってるから変わらないのでは?しかも秀忠は秀吉死後の秀頼と違い立派に成人しているし。


323 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 17:29:30
>>321 大坂有利って状況そのものが考えられない。
だからこそ、周囲の大名の決起が必要になるし、決起によって打開するしかない。
順番を逆にしたら何でもありになってしまうよ。
加えて、大名配置も初代、二代目までは有効。恩義もあるし、恐怖もあるしね。
だから、幕末とは異なる。
また、豊臣家については、各家への懐柔策で家康に負けたのが主要原因にあげられてる。
もっとも、豊臣への恩義にしても、少しの手柄でもらってるから吝嗇の家康から受けるのと意識が違うんだよね。
その辺で、秀吉の人心術は心理学的に失敗してるんだよね。

324 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 17:38:02
秀吉って馬鹿だろ、朝鮮出兵するなら家康滅ぼせたろ。
しかも関東200万石くらいあげたんだろ?天下とってくださいって言ってるようなもの。

325 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 17:42:44
義弟ってことと味方になってからの働きを見て安心してたんじゃないのかな。
ずっと豊臣・徳川一体で動いてたから。
敵視してたのは、豊臣の五奉行くらいで生前はしっかり政治の補佐もしてれば、家族の関係も良好だし。
また、反乱防止の為に温存させてたって話もあるくらいだしね。

326 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 17:57:00
藪をつついた五奉行が豊臣家失墜の原因じゃないのかと思う。
>>325が言うように秀頼との面会とか身内として扱おうとしてたから
そのままなら、なだらかに吸収されて安泰だっただろうに

327 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:02:52
>>321 >>322に賛同
加えて、秀忠の近習に家康の近習が残ってれば、家康が死んでも勢力が動揺するほど変化しない。
また、他の兄弟に伊達も健在。
間違っても秀頼に勢力が傾くとは考えられない。

328 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:27:18
関八州入国時は150万石だっけ?

329 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:35:49
特に攻め立てる理由も無かったしね、小牧長久手とかは
その後の小田原攻め関東転封でちゃらだし

下手に突付くと他の外様に総スカン喰らう可能性もあるわけだし

330 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 19:51:39
三戦版の義好き風に言えば、関ヶ原までの家康は、まさに義将。
信長との同盟を結んで20数年裏切らず、同盟の約定に従い三方原で玉砕。
信長死後、信雄を助けて簒奪者秀吉と戦う姿は、まさに義将そのもの
秀吉と同盟後、節義を守って従順そのものに振る舞い豊臣政権の重鎮として
誠実そのものの振る舞い。まさに、まさに義将。
こんな家康を殺したら、他の大大名たちが反乱を起こすぞ。

331 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 20:35:15
>>322
可愛い千姫の婿殿に対して、秀忠は非情になりきれるかな?
関が原遅参もなんか影響しそう。

332 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 21:19:51
別に秀忠が戦上手で有る必要はない。
それをきちんと補佐できる人材と体制があれば無問題。
カリスマで言えば家康には劣る事は当然だが、十年近く将軍位について居ることもまた事実で、
比べるまでもなく公的な実績のない秀頼よりは上の存在。

あと確かに秀忠には甘い面もあるが、厳しく対応すべき時には冷然と対応出来る人でもある。

333 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 21:51:09
家康ってやり残したことがある以上どこまでも生き延びる人間だから
豊臣が篭城を続けている限りどこまでも生き延びて滅ぼすまで死なない気がする
あくまでイメージに過ぎないが

334 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:44:28
楽勝と思われた夏の陣では本多隊を初め、各部隊が壊滅、
家康の本陣も攻撃を受け、藤堂高虎もしばらくは家康の安危がわからなかったほど、
家康は、秀頼を滅ぼすつもりだったか?どころではなく、秀頼に滅ぼされるところだった。
総指揮が大野治長でなければ、可能性としては、家康、秀忠親子の首が取れたかもしれない。
そうなれば、後継者争いで徳川家に内訌が起き、豊臣家を滅ぼすどころではなくなる。


335 :日本@名無史さん :2006/05/06(土) 23:11:22
>>334
大坂夏の陣における最終戦闘は死を覚悟した豊臣方の突撃で本陣前まで
突破するも、それにより側面を曝す事になり立て直した幕府方にそこを
突かれ壊乱した展開だから、戦術もくそもない状態であれ以上の結果は
得られまい

336 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:07:57
日の本一の武士真田幸村も、秀康様以下の糞には仕えたくないと御宿勘兵衛に馬鹿にされた
忠直に率いられた弱兵越前軍団に横腹を突かれて粉砕されたんだから、逃げ出した家康を殺せ
る余力なんか無かったってのが実情だろ。そもそも家康は伊賀超えや三方原や小牧長久手の際
の逃げっぷりを見てもわかるように、逃げる際は恥も外聞もなく逃げらることに執心するから、家康
逃走後の本陣に突撃した時点で側面が丸裸の真田軍に追撃できるはずもない。

337 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:19:44
>>336
あの時の家康は逃げずに「もはやこれまで」っと自決しようと
していたんじゃなかったけ?
それを家臣らが止めさせて、突撃してきた真田軍を奇跡的に
避けて助かったのでは?

338 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:21:45
 勝算無き程衰微してゐるなら、そもそも豊臣氏を滅ぼす必要が無い。
 信玄が倒れた時、家督は直ちに諏訪四郎が継いだが、武田氏はそのまま衰微した。
 今川氏も同じ。
 本能寺の時も、跡目は決まったが織田氏は滅びに向ふ。
 丹羽氏も同じやうなもの。 

 元々武家の棟梁は豊臣氏であり、権臣家康死せば主家に靡くは当然である。
  

339 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:42:36
 豊臣家は、滅ぼそうと思ってたのでは? 秀頼自身には、天下を統一できるほどの器量は、なかったし
家康は怖かったのかもね。

340 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:43:34
>>336
それは江戸時代の御用学者が、神君家康公を潔い武士道の鑑として宣揚するための作り話。
大久保彦左衛門の家康の旗印は倒れていなかったという話と同断。
あの糞漏らしの狸親父がいさぎよく切腹を覚悟するものかw

341 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:52:17
>>340
作り話と言う証拠があるのか?

342 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 01:13:57
>>334
大坂夏の陣って少数精鋭が大軍に敗れる典型的なパターンだと思うけど。
1.少数側、序盤は奮戦。大軍相手に捨て身の突撃でおしまくる。
2.大軍側、体勢を立て直し、包囲する。
3.少数側、序盤の突撃により疲労困憊。退路を経たれ、各個撃破され始める。
4.少数側、壊滅。
こんな感じ。
さらには、大坂方はやる気満々の歴戦の猛者ばかりで、
徳川方はやる気も経験も少ない若僧ばかりということで、
大軍側が予想以上に苦戦したと、ただそれだけのことでしょう。

あと、>>337
家康って実はすごくキレやすい人で、すぐに「もはやこれまで」って言っちゃう。
三方ヶ原もだし、本能寺の変の直後にも堺で「信長様の後を追って自害する」なんて言ってる。
だから大坂夏の陣の際も、実際は討死の危険性はそれほど高くなかったんじゃないかなと思う。


343 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 02:49:18
>>338
今川に関しては何も言わないが、武田に関してはそのまま衰微したとはいいきれない。

344 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 12:39:34
真田幸村w
本当に学問日本史板なのか?

345 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:36:31
つーか、大阪の陣って大筒つかってたな・・圧倒的な強さだったからだろ?
 

346 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:51:26
大筒は攻城戦で使われただけだから、野戦とは別。
大坂城を最大限に活かして篭城しながら戦おうとしてたのが駄目になったので
奇襲的に野戦でというのが、真田とかの突貫の話になったわけだし。
その前に、真田幸村が一武将として指揮をしてたって記録って残ってるの?
戯曲とか後世の小説のようなものでしか知らないんだけど

347 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:53:35
 秀吉の死後秀頼が16年以上力をもてたのは、秀吉が残した蓄財にあるだろうね。

 家康は秀吉の死後、秀頼や淀殿に、神社や仏閣などの寄進をさせまくったてたらしいよね。それで力をそいだんだろう。



348 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:01:47
>>347 家康ではなく、片桐且元が献策してということになってる。
そのせいで片桐は内通者呼ばわりされ、大坂から逃げる羽目になってるので

349 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:12:25
夏の陣終結前夜。

5月5日 徳川軍、大阪に進軍。
5月6日 道明寺・八尾・若江の戦い(後藤又兵衛、木村重成討死)
5月7日 天王寺の戦い(真田幸村討死・大阪城陥落)
5月8日 秀頼、淀殿自害 

350 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:32:11
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351 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 18:26:45
片桐且元の忠節をたたえる茨木小学校の石碑。
イミフ。


352 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 20:59:05
>>335
桶狭間では成功したけどね。大軍が必ずしも勝利するとは限らない。
義元が氏真に家督を譲っていたのは家康が秀忠に将軍位を譲っていたのと同じで、
東と北は3国同盟で何の不安もなく、松平元康などの家族も駿府にいた(人質)のに、
義元の首をとられた今川は2度と西上できなかった。
関ヶ原時、中仙道でまごまごしていた秀忠は氏真と同じレベルだろう。


353 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 21:20:45
>>352
だから主戦場である天王寺口に自身を置き、岡山口に秀忠を配したかと。
考えてみれば桶狭間の戦いの時、直ぐ側にいたのが家康だからその点は良く解っていたと思うよ。

確かにどんな状況でも負ける可能性がある。しかしその時身一つで逃げれるのが名将で、踏みとどまって
しまう者が討ち取られてしまうのである。
信長、秀吉、家康は全員その道の達人である事を考えると、あの時も家康はどのような状況でも逃げ仰せ
だだろうよ

354 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:59:53
>>353 家康とは密談ができてたとか言う人も居たな。
成功した場合は、深追い戦闘はせずにいるようにって。
見返りは家康の行動の黙認とかって・・・・個人的に怪しいと思うけど

355 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:35:31
大軍をもっていても陶や今川や竜造寺のように討ち取られる場合も
あれば、富田城の戦いでの元就や三方が原の家康のように逃げ切る
場合もある。
>>どのような状況でも逃げ仰せだだろうよ
なんてことはありえない。

356 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 22:50:25
>>355
逃げれない可能性は低いと思う
陶の様に逃げられない場所ではないし、義元・隆信の様に
無駄に踏ん張らずにトットッと逃げるし

357 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 08:24:59
まあ、実際逃げたからね

358 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 13:45:17
スーパーマンじゃあるまいし、確立の問題。

359 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 14:09:04
上の方に出てたけど
家康を関東に配置したのは北条討伐後、関東を治められる人間が他にいなかったから
候補としては元関東管領職である上杉家か一応清和源氏で新田氏を名乗っている徳川家
関東の歴史を知っていればこの土地が中央の人間にとってどれほど治めにくいかがわかると思うんだが

360 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 14:58:33
長尾上杉は後北条麾下にしてみればバリバリ敵国だからな。
まだ十年来の同盟国である徳川の方が下も心情的に受け入れやすいだろうよ。

しかし、秀吉は関東に叛乱でも起きよう物ならそれを口実に家康を潰すくらいのつもりだったと思うがどうだろう。
現実は北条の遺臣と政治をうまく継承した家康が無難に治めちゃったわけだけど、
失敗する公算も高かったと思う。

361 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 17:20:08
>>360
北関東の領主たちは、上杉のほうを望んでいたらしいよ。

大きな一揆でも起きたら、佐々みたいに潰す気だったかもしれないね。
まあ、家康が死んだ時にもし三成が政権の中枢にいたら、
丹羽、蒲生のように大幅減封か、悪くすれば改易されていただろう。



362 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 17:35:04
>>361
北関東の括りにもよるが、南上野の地侍層はかなり北条より。
城と所領を指しだして氏政の直臣になりますという兄弟がいるくらい。
下野・常陸の大半はそもそも北条領ですらない=仮に上杉が入ってきても上杉領にはならない。

勘違いしてると思うけど、
上杉を望んだのは北条領以外の連中、もっと言えば北条と戦っていた連中。
徳川は長年の敵である北条の同盟国だから、彼らにしてみれば徳川より上杉に入ってきて欲しいのはあたりまえ。
北条領内に限れば、上杉は長年の敵でしかも出稼ぎの対象にされていた連中。
しかも北条はかなりの良政を敷いていたから、徳川以上に反発される可能性も高い。

363 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 21:08:57
群馬の尾島町(現太田市)が徳川氏の出身地ってことになってるけど、
これ言い出したのっていつ頃からなんだっけ?関東治めるにあたって
先祖が関東出身の方が受け入られるだろうと思ってのことなんだろうか?
それとも関東入府の前から言ってた?

364 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:30:39
その前に秀頼ってマジで秀吉の子供なのか?実際どうなん

365 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:38:00
>364ガイシュツだが、当時から疑われてたらしいよ。
何百人とヤリまくって、淀の方にしか子が出来ないって………

366 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:48:10
>>363
系図引っ張ってる新田氏がそこからだからだね、系図作った時についでに
出身地にしちゃったんじゃないかな。

367 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 23:34:56
>>365
かと言って天下人の秀吉の女だろ他のやつが手だせるか?

368 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 23:55:44
>>367 大野修理や石田三成の父親説とかあるぞ
というのも、江戸期の大奥制度のように表と分かれてない上、男の出入りも可能。
北の方への清正らの奉公の話と同様、ご機嫌伺いなど密室でもできる。
だからこそ、細川ガラシャの悲劇みたいに過度の嫉妬や拘束がなされるようになる。
加えて、老女に賂を払うか、淀からのお召しと成れば、秘密も守られるようなシステムだしね

369 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 00:51:20
家康とも噂になったらしいぞ。
秀吉の死後、茶々が女の子を産んだという説もあるとか…

370 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 01:25:54
>>365
そんなことはない、早世したようだが長浜城主時代に側室との間に子が出来てる。

371 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 10:13:37
>>370
その側室の子だって、
秀吉の子で無い可能性はあるわな。

なんせ、側室の数に対して子供の数が少なすぎる

372 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 09:45:39
>>370
秀頼が生まれるかなり前だから、アテにならないよ

373 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 11:24:04
関東支配の話が出てきたのでちょっと口バサミ

徳川が関東入りしてからの従来の豪族では太田の一人勝ちだと思うよ。
江戸城の道灌掘という名称といい、太田資宗の家光6人衆入りといい
北条や成田と比べて扱いが違う

374 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 17:12:44
北条は、一応大名だからなあ・・・

375 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 19:24:50
>>364
徳川方も豊臣方も一部を除いて疑っていただろう。
なんせ北政所があまり秀頼救済に動いていないからねえ。
自分の実子でなくとも夫の唯一の子なのだから、本当に
秀吉の実子ならば、豊臣のためになんとかしたでしょう。
もし、北政所に秀吉とも間に息子がいたら家康は天下を
とれなかっただろうね。(加藤、福島、前田、黒田、山内は
絶対にその子だけしか仕えないだろうしね)

376 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 19:27:54
家康の側室に太田家の姫がいたな

377 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 19:37:23
>>375
そう言う小説ありましたね。「金鯱の夢」
豊臣家による名古屋幕府。

378 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 19:40:08
>>376
お八・お勝の英勝院だろ。
太田家にとっては養女という説もある。

379 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 22:37:32
>>375
それは単に知られてないだけ
北政所は大坂の陣開戦間際の10月1日、大坂へ向かうために鳥羽まで来たところ既に徳川軍に道が封鎖されていたため入城を断念した。

380 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 22:45:23
あくまでも仲介だろ?
本当に何とかしたいのなら、開戦寸前じゃなくだいぶん前から
秀頼をよろしくと駿府に出向いてまでをしてでも家康に頼んだでしょ。

381 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:20:26
せいぜい大阪退去を説得する程度の目的なんだろうね。
「官位を返上し豊臣姓を捨てて、浅井姓に変えて大阪を出なさい」ってねw

家康から、「遅すぎる」って怒られたんでしょ。
関が原での好意的中立は申し分なかったが、その後が中途半端すぎた。
加藤や片桐が変に気を使ってしまい、それを家康側は不審に思い大阪の
陣に発展した。

大阪の陣を起こさず浅井旧領辺りに、前田家と隣り合うように拝領出来た
ら存続できたかも。(暗に秀吉の子じゃない意味で浅井氏を名乗るので
あれば、諸侯が豊家を立てて徳川に弓引くことも無い)

382 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 10:13:15
織田家は織田のまま存続できて
なんで豊臣家は豊臣のままで存続できないんだ?

383 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 10:25:51
織田に力が残って無かったからとか

384 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 11:07:33
加藤、福島、信康、忠長が潰されて無事なわけないじゃん

385 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 11:36:29
織田が力無くして放置されていたんだったら
豊臣も力をなくしてしまえば放置されてたってことだろ?

386 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 14:33:02
>>382
苗字と姓の違いを把握した上での発言か?

387 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 16:38:25
農民だから殺されたんじゃないのか?おまけに織田の血を引いてるから
家康は秀吉の天下泰平をある意味受け継いだんじゃないか。秀頼を生かしておけば
将来織田信長のような人間がまた現れ今度は世界進出するとか、それに武士より農民
の方が数多いから秀頼およびその子孫が圧政をした場合武士レベルの下克上ではなく
農民レベルの下克上が起こってまた日本中が混乱すると見抜いてたと思う。
家康は本当に秀吉の言った事を守ったんじゃないか?秀吉は秀頼だけしかみてなかった
が家康は秀頼(織田家の血筋)のその先の子孫まで見抜いていたと思う。
愛知県の人ってブランド好き(愛知県のかた御免なさいorz)けど(関係ないと思うけど)
織田家がすごすぎたから秀吉は欲しがったが家康は逆に恐れただと思う。
あの戦国時代生き抜いてきたんだから天下統一後の将来設計も視野にいれてたんじゃ
ないのか?最後に愛知県の方そして現在活躍中の織田の子孫の方勝手な電波をお許しくださいorz

388 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 17:50:18
自分の頭が悪いんだろう。
上のレスの文意がいまいち読み取れない・・・

389 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 17:52:44
まあオカルトだから気にすんな

390 :387:2006/05/12(金) 17:57:18
家康は平和を維持したかったから已む無く滅ぼしたと言いたいだけです
朝鮮出兵もあったことだし。

391 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:27:29
>>387
織田家ったって、信長以外はたいしたやついないが。


392 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:31:52
>>373
そういえば関東土着の諸侯はほぼ壊滅か他の地方に追いやられてるな。

393 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 23:57:56
秀吉が天下統一ごめちゃめちゃなことをしたから、何百ともいうわれる側室を持ったりして。
 武士として天下人としても尊敬できなかったからでは?あと、関東に左遷されたからでは?


394 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 00:07:44
一庶民としては秀吉うらやましすぎるヤリまくり

395 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 00:36:25
>>1
豊臣家が徳川家の下風に立つのを、許容したらお家だけは残したろう
家康の言うとおり、大坂城を捨てるか、淀君を人質として江戸に
送るかすれば、お家だけは残ったわな

徳川家としては、官位をくれる天皇家を主筋としているのに
この上、豊臣家にまで主筋顔されたら困る訳です
主筋はニ家も要らないし、豊臣家が徳川家に官位をくれる訳じゃない

396 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 03:53:00
>>394
精子が薄いのでやりまくって、命中の確率をたかめるしかない

397 :カマヤン:2006/05/14(日) 00:21:17
自分の子どもでも邪魔だからと殺した家康が、秀頼に情けをかけるわけがない

398 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:44:06
>>386
実の所大坂の陣で滅亡したのは羽柴という“苗字”で
豊臣“姓”は木下氏が江戸時代が終わるまで維持し続けてたんだよね。

399 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:02:10
家康は、石田三成の子供(男)に関しては出家させたが殺しはしなかった

家康は、秀頼の子供のうち、女の子の方が殺さずに出家させた
しかもその女の子は、鎌倉の名刹である東慶寺の住職になった

秀次の側室や娘まで殺した秀吉よりは、家康の方が、女は殺さないという
武家社会の伝統を守っている

400 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:11:26
んな伝統あった?

401 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:17:00
家康のほうが無益な殺生はしてないということだろ

402 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:28:52
>>400
少なくとも源平の戦いの頃から
女(娘)は殺さないと言う伝統が
武家社会にはあった

例えば頼朝は平家一門の嫁や娘達は殺していない
また義経の子供も女だったら殺す積りはなかった
しかし男だったから殺した

403 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:31:33
秀頼の娘は助命した家康
秀次の娘を処刑した秀吉

やっぱり器量は秀吉より家康の方が上だわな

404 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:43:58
秀次の娘も、先に嫁に行ってた二人は助かったんじゃなかったっけ?

405 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:51:13
淀君が馬鹿杉。

406 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:31:58
では徳川家に対してどのように対応すれば良かったのだ

407 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:42:02
>>398
関白になった時点では藤原秀吉で、その後豊臣姓を賜ったの?


408 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:44:05
親分が大名辞めますから君たち解雇ねって言って、家臣らがはいそうですか
ではさようならってなわけにもいかないから手詰まりな感はあるな。

409 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 22:32:21
部下には
ほな!さいならぁ〜 
って言って大坂城出りゃよかったんだよ

410 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 23:22:34
>>402
信長もやはりもとは神主で武家の伝統なんぞ
知らなかったからアラーキの娘女房を殺したのかね?

411 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 01:31:53
>>407 そうだよ。 でも苗字が羽柴なので、羽柴になる。 

412 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 09:19:23
>>410
浅井の時は男子の子は殺したが、茶々を初めとする3姉妹は
助命しただろ。

413 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 09:31:47
敵がやらなくても落城の時、城主が妻と子を殺すってのもあったけどな。もしくは自刃の強要

414 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 10:35:52
軍師にきたばたけあきいえがいたなら

415 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 16:49:41
もし国松は千姫が産んだ子だったら?
家康でも自分のひ孫は殺せんでしょう
きっと監視の届く関東のどっかの寺に出家で
秀忠か家光の時代に養子縁組みで小藩の大名だったのでは?
もちろん姓はそこの藩代々のものだろうけどね

416 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 17:36:14
家康なら殺すね

417 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 18:17:18
俺も殺すと思うな。
既に妻も息子も殺したことがあるんだし、
必要なら孫だって殺すだろう。

418 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 19:11:04
>>406
@早い時点で淀殿が江戸に屋敷を構えて住む。
A秀頼が大和転封を受諾。
B秀頼にがんがって男5人ぐらい作らせて
 その子のうち一人は公家として摂関家に
 一人は高家筆頭にして
あとは3家ぐらいに所領を分けてしまう。
Cあと娘も何人かがんがって作らせて時期将軍の御台所は豊臣家の娘とする旨約束
 できるならしかるべき時期に御三家の正室も豊臣家からだす。


419 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 19:49:52
軍師にきたばたけあきいえが

420 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 20:00:58
>>418
BとCはないほうがよいのでは?
そんな特別な存在になるよりも、純粋に「ただの大名」になったほうが、
可能性があると思う。豊臣政権下の織田家みたいに。

とりあえず、豊臣の姓は放棄して羽柴か木下にもどろう。

421 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 00:55:21
いや、Bの子供を作りまくって所領分割しまくりは意外に言い案かもしれん。

422 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 22:21:08
>>420
>とりあえず、豊臣の姓は放棄して羽柴か木下にもどろう。
とりあえず、>>398をお読み下さい。
豊臣姓は放棄というより“隠す”ぐらいしか出来ないだろな。

423 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 23:59:19
豊臣姓って朝廷から特別に作ってもらった、名前だろう。徳川と同じ

424 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 00:12:13
徳川は確か神になりたかったんだよな、秀頼殺して
だけど手痛い反発くらって本陣蹂躙されて結局、
真田の信繁が神にナチャッタ
悲しいピザさ


425 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 00:14:49
>>423
まだそんなことを言っているのか?
豊臣は「源」「平」「藤原」「橘」と同類。
徳川は苗字で朝廷から下賜された物ではない。
豊臣(羽柴)秀吉=源(徳川)家康。

426 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 00:51:28
正しくは とよとみの ひでよし と読むらしい。

最近、本で読んだ。

織田とか徳川はとは、違う。

427 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 12:47:02
だから豊臣は姓だと散々既出だし、直前の425がそう語ってるだろうが。
姓と苗字の区別くらいつけてから来い。

428 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 21:37:20
姓は天皇から賜るもの。
苗字は勝手に名乗れる。丹羽長秀と柴田勝家から一字もらったことは
あまりにも有名。


429 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 03:00:11
豊臣秀頼としては、亡父秀吉が遺産をひそかに移転させて、しかるのち大和転封と淀殿江戸在住を受諾して恭順するへきであった

430 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 09:43:01
今みたいに客観的な情報がわかり辛い時代で、しかもトップの秀頼なんてのは
もう本当のお飾りだろ?恐らく自分で豊臣家を切り盛りできる程の実力も無い
し、恐らく権力も無いに等しい。今の天皇家見れば解るだろ?当人の知能レベ
ルとはかけ離れた次元の話。
何が言いたいのかと言えば、秀頼は悪くないと言いたい。何代も続いてる何か
の家元の人が言ってたが、「自分が今育ててる弟子は、自分の息子の代で要約
一人前になる。自分も親から、立派な高弟を引き継いだので今がある。」この
様に、家臣団を育てきれなかった秀吉が悪い。もっとも、石田三成や片桐且元
など、それなりの人物は育てて居たんだろうが…やっぱ淀君が悪い?

431 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 11:01:10
もし現代の知識を持って過去にタイムスリップし、
秀頼になり代わるのなら、籠城戦を進めるね、
もうすぐ家康は死ぬわけだし。
家康が死んだら有利な条件で講和すればいい。


432 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 11:31:31
>>430
秀吉が淀を偏愛したのが悪い
つまり、秀吉の女癖が悪い

>>431

大坂方は籠城戦だっただろ
籠城戦といっても、城から一歩も出ないで戦えるわけないw

433 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 11:42:25
>>432
籠城戦は城から一歩も出ないで戦えるけどね。
まあ、十分な補給物資を準備して家康が死ぬまで籠城していればいい。


434 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 11:51:05
たとえ秀吉が生きていても秀頼がボンボンになった可能性は高い
なんせ秀頼が気に入らない侍女は殺せと指示しているからな

435 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 13:25:21
自分一人が歴史を知っていても
他のやつらがあわてふためくから結果は一緒だ


436 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 14:00:17
たとえ大坂方が買っても統治能力ないし。
秀忠は一応将軍だし。

437 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 16:14:04
>>432
それは仕方ないだろうな。
成長した子が秀頼だけなら、その母が重用されるのは当然のこと。

438 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 18:02:31
篭城戦やるよりも交渉でのらりくらりと時間稼ぎしたほうがいいな


439 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 18:40:41
>>433
牢人衆への統制が万全だと思うのならそうすれば?

440 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 19:06:46
>>436
統治能力があるかどうかは不明?
徳川も寛永年間ころまでは不安定。

441 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 00:20:08
>>431
秀忠は恐妻家であったといわれる。
そして淀は彼の妻お江の姉である。
浅井三姉妹は幼少の頃から苦楽を共にし仲もよく
結束が固かったといわれる。
そのことを考えたら、大阪の陣の最中に家康が死んでたら、
予想もつかないような展開になっていたのではないか?


442 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 01:00:16
家康の独断で動いていたわけじゃないから秀忠に突然代替わりした
としても大どんでん返しとまでは行かないと思うな。

嫁も政治にまで口は挟めないだろう

443 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 10:59:33
>>441
淀・お江姉妹は、既に縁が切れてたんじゃないかな

444 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 22:13:01
鶴松も秀頼も秀吉の子じゃない、初代秀勝もいたとしてもねねが浮気してつくった
子供だろう。

445 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 09:42:04
信長から養子もらってなかったっけ?

446 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 11:40:13
信長の4男御次を養子として迎えて秀勝と名乗らせている。
1585年に亡くなっています。

447 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 13:43:42
>>家康は、秀頼を滅ぼすつもりだったのだろうか。


そうだ。そりがなにか?

448 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 14:24:19
一応、政略結婚してるから、その部分だけを見れば選択肢があったと受け取れる。
滅ぼす意図のある相手に人質を出す必要も無い。
秀頼が諸侯に率先して江戸に下って平身低頭していれば存続できたかもしれない。
上下関係が発生する世の中だから、家名の存続を優先すれば必要不可欠な儀礼
ともいえる事。

家康が秀吉に対してしたことを、立場が変わった以上する必要があった。
大阪を動かず君臨していれば、恭順の意図が不明なので討たれるのは当然。

江戸に下向した場合に、かつて家康が秀吉にしてもらったように、諸侯の前で挨拶
する前夜に家康のほうからお願いに行ったかどうかは不明だが、悪いようにはならな
かったかもしれないw
ただ、熊本の加藤家のように、数代後に廃絶の可能性も出てくるけどね。

449 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 19:52:33
>>448
当時は豊臣恩顧の大名も侮り難い状況だったから、政略結婚は当然のこと。
必要なら滅ぼすつもりの相手にだって人質くらい送るでしょう。

450 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 23:08:33
>>448
関が原では徳川勢がほとんど活躍しなかったため、論功行賞では
西国はほとんどが豊臣恩顧の大名になってしまった、
そのため政権基盤が磐石ではなく、
関が原の直後は豊臣を滅ぼすのは無理なので融和策をとったのだろう。
徐々にいろんな理由での改易、加藤などの有力武将が死ぬのをまったりして、
時節到来を待っていただけ。


451 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 23:27:33
家康がやったように、当面恭順の態度を示して時節到来を待つという
芸当ができなかったということは、やっぱり豊臣方は無能だったということ

452 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 07:03:29
ろくな身内もスタッフもいなかったんだもの。
滅んで当然。

453 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 07:45:29
むしろ、関ヶ原後も家康が約束どおり千姫を嫁に送らなければならないほど、
豊臣家に影響力があったことが問題だった。
豊臣政権成立期の織田家みたいに、なし崩し的にその影響力を失っていってしまったなら、
当時の織田家と同じように、普通の大名家として生き残ることも可能だったかもしれないが、
そうはならず、かなりの影響力を残してしまったから、
家康としても何らかの対処をしなければならなくなり、
その対処として、もっとも安全で確実だったのが滅ぼしてしまうことだったと。

454 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 08:33:33
確かにそれは否定しないけど、
一度も恭順の姿勢を見せなかったこともいたいと思う。

455 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 09:43:27
織田家はなんだかんだ言って天下人の足元を固める前に本能寺が起こったからね
信長がとっとと征夷大将軍なり関白なりになっておいてすぐに信忠に譲ってしまっていたら
いくら本能寺が起こっていてもああ簡単には崩壊しなかったよ


456 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 09:49:44
家督は既に信忠に譲ってたわけだが




457 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 10:11:44
家康は孟子の革命思想を信じていた。
「革命」とは、天の命令が改まること。

また、
「天が私に天下を預けたのだから、もし政治が邪道に変われば、天は必ずそれを取り返すだろう」
とも言っている。

家康は天の命令が「豊臣」から「徳川」に変わったと信じていた。
秀吉の(特に)晩年の政治はよこしま以外の何ものでもなく、
自分はより公正な政治をしてきたという自負があるので、
豊臣を潰しておくことは天の命令を実践することになるという考え方だった。

458 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 11:36:51
↑なんかの小説にでも書いてあるのか?


459 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 11:49:16
>>455
>>456
家督を譲られていた信忠と信長が少数の護衛で京にいたから、
光秀は本能寺の変をおこしたわけで、
つまり信長を倒すことが目的ではなく、旦那と若旦那を殺した
混乱のなかで織田家を乗っ取るのが目的。
あれ、スレからズレできた。

460 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 12:16:55
>>454
二条城の会見が思い浮かんだが明確に臣従したわけじゃないな
清正たちが存命なら恭順するよう説得できたかもしれん

461 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 15:23:52
>>458
小説なんかじゃないな。
1段目と2段目は客観的事実として知られている。
3段目は、家康は自分の行為を正当化するためにはそう考えざるをえないということ。

462 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 22:50:07
>>450
>西国はほとんどが豊臣恩顧の大名になってしまった

それはわざとじゃないか?
万が一恩顧が決起しても江戸までたどり着けないように
また自分たちが大阪まで攻める途中で障害にならないように
福島とか山内とかを不満を言わないように加増して西国に追っ払った
そもそも徳川自身が250万から400万へと最も加増されているはず

463 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 07:46:45
>>462
同じ西の方に移封するにしても、
あれほど手柄を豊臣恩顧に独占されていなければ、
徳川配下の将にももっと加増してさらに有利な状況にすることも出来たはずだってことでしょう。

実際秀忠の遅参がなければそう出来たはず。

464 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 11:10:50
>>463
「遅参」というか、家康があわてて大急ぎで西上したため結果的に遅参になったので、
秀忠は悪くない。
疑い深い家康は福島らが西軍に味方するのではないかと疑って一ヶ月近く
江戸を動けなかった。歴戦の部隊指揮官(榊原康政、大久保忠隣、本多正信、酒井家次ら)
がいる主力(秀忠軍)は、当初の予定ではじっくり西軍拠点をつぶしなが西上する
予定だったのだろう。
ところが、動かない福島ら東軍に旗色を明らかにするように迫ると、
たちまち竹ヶ鼻城を攻落、岐阜城を攻略し、大垣城にせまった。
岐阜城が一日で落ちるなどと思わず、このままだと家康抜きで東軍が勝利してしまい、
自分の影響力がゼロになることを恐れた家康が急遽西上したのが真相。


465 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 11:12:56
たしかに大坂の陣以降は中国に水野、九州に小笠原など配置してる
西国に領地があるに越したことはない

466 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:00:43
戦国状態になった原因の応仁の乱でも結局大内や細川などなど
当時の天下人があっという間に没落していった結果なわけで
もし関が原がもっと長引いていたらまた戦国時代に逆戻りだったろうね
家康もある程度短期で決着をつけるつもりだっただろうがまさかあそこまで
早く決着がつくとは思ってもなかっただろうね

467 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 20:47:23
>>464
秀忠が遅参した理由は家康からの使者が秀忠のもとにつくのが遅れたからだよ。
しかし、責任の所在はともかく秀忠が決戦に遅れたのは紛れもない事実だし、
もし遅れなければ、戦後処理の内容が、
相対的により徳川に有利になっただろうことも間違いない。
秀忠の下にいた徳川譜代の武将たちにも恩賞を与えることが出来たはずだからね。

468 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:29:46
>>467
つか、佐竹・上杉の侵攻に備え、すぐに江戸に引き返せるよう、
わざと中途半端な地点でうろうろしてたと言う説もある。
毛利がどう出るか読めない以上、家康としても早めに決着を
つけたかったという事情はあるにせよ、秀忠の到着を待つこと
くらいはできただろう。
はなから秀忠を戦力に加えるつもりはなかったのでは?





469 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:06:51
中途半端な位置というか宇都宮
秀忠が大将で秀康が副将ということだろう

470 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 11:04:46
陣形が有利+人的にも有利の西軍で、実際の決戦ではしばらく洞ヶ峠だった秀秋も
もし、徳川軍主力である秀忠軍が間に合っていたら兵力的にも西軍を上回り、
最初から東軍側で戦った可能性が高い。
但し、そうなって完勝すれば秀秋の加増をもっと増やす必要があり、
豊臣の血縁である秀秋が大大名になってしまう。
福島ら豊臣恩顧武将への加増を減らせたとしても、
かえって豊臣権力が強化されてしまっていたかもしれない。


471 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 19:55:38
>>470
秀忠が間に合っていたら・・そもそも関が原で戦ったかどうか

472 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 01:31:24
秀忠の徳川本軍が間に合う前に、
大津城攻めの精鋭部隊が間に合いそうだが。

473 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:16:44
>>472
それを懸念して、徳川本隊(秀忠)を待たずに、強行突破....決戦を
しようとしたのだろう。

474 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:49:41
なんで韓国だかでは平秀吉っていわれるの?
藤原とか豊臣なら分かるけど

475 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 19:23:14
>>468
家康からの使者がつくや一目散で美濃を目指しているのに?
最初はそういうつもりもあったかもしれないが、
美濃の情勢変化によって作戦を変更、
しかし連絡が遅れてしまった為に本戦に遅参したというのが妥当なところ。

476 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 19:32:40
>>468
まず、もし本当に秀忠隊を最初から当てにしていなかったなら、
そもそも宇都宮から動かすべきではない。
次に家康には秀忠がなぜ遅れたかその時点では分からない、
当然どのくらい待てば来るのかも分からない、
だから到着を待つことも出来るとは判断できない。

477 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 08:44:26
>>1
まあ秀吉より長く秀長が生きていたら、秀次の処刑はなかったんでわー
せいぜい秀次の後継を解消するぐらいで、秀長に秀頼の後見させて
徳川が変な動きしたら、鎧袖一触、あっさり打ち破ったと思われ。
島左近や雑賀衆、藤堂高虎などそうそうたる面子がおるし
合戦いしても家康かてねー!

478 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 09:52:33
嫡子変更もそれはそれで揉めるんだよ
秀次から秀頼に簡単には変えられない
だから秀頼を秀次の養子として送り込んで3代目にという計画だったんだがな

479 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 10:22:28
秀次も一応関白だからな。

480 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:42:27
なんで関白にこだわったんだろう?
将軍と関白同じ家から出しておけば死後家康に将軍位名乗られる事もなかったのに

481 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 19:14:18
秀吉、天皇御落胤説を流布した張本人だからな 
武家の最高位 征夷大将軍より、公家の最高位に拘ったんだろ。

482 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 19:21:16
両方就任することはできないのかな

483 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:40:58
実際は秀吉が基地害になったから無理だったけど、秀吉がまともなら、
秀次→関白 秀頼→将軍として武家と公家それぞれを抑えて豊臣政権の
要にして盤石する手があったんでは?五大老のような有力外様政治より
よっぽとマシだとおもうんだけど。

484 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:47:07
>>477
いつも思うんだが島左近ってそこまで凄いのか?
ほとんど逸話だけで強いとされてるもんだろ

485 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 22:40:40
>>484
家康は堅実に見えるが敵を輝かせる戦をする
まず城に篭る相手を引きずり出して野戦に持ち込みガチの武力衝突を起こす
そして派手に突撃死させて決着するので見栄えがいい
そこまでの戦略にも「敵はこうすれば良かったのでは」という穴を用意しておくことで後世の人が妄想を膨らませやすい
信長や秀吉の敵にも左近や幸村に匹敵する実力や気概を持った奴はいただろう
だがこの二人は意外と堅実な戦略を取るタイプだし自分のやることを派手に見せるので
信長・秀吉が凄いという感想に行き着いてしまい敵が輝かない

486 :日本@名無史さん :2006/05/30(火) 22:40:45
例え秀頼が関白になっていたとしても、豊臣家(公家)は
いずれ武家(徳川家など)より潰されていたと思う。
それが徳川家康でなくても、別の有力武将(武家)が現れ
武家の権益保護のために公家政権を潰しに掛かったと思う。

487 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:11:12
秀長が秀吉よりいきていたら、家康が関ヶ原までごぎつけたとしても、
小早川秀秋も吉川広家も裏切らない、毛利、島津自体洞ヶ峠を決め込む訳にもいかず
全力で戦う、藤堂高虎も最初から秀長の家来のまま。 島左近が史実どおり暴れるし、
徳川敗退→駿府包囲陥落→江戸城夏の陣→家康・秀忠五条河原で斬首、さらし首、
秀康に家督を継がせるも、減封必死、北条氏が大阪の狭山市で細々と続いたように
関東から遠く離れた地で小大名として生きる羽目になっていたろう。

488 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:14:47
>>485
というか、三成も馬鹿すぎるんだよ。 家康は攻城戦苦手なんだから、佐和山城を中心に守り固めていれば東軍の方が
動員数少ないし、まず落とせない。 じっくりと戦えば良いのに三成のセンスのなさは絶望的。

489 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:28:38
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490 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:45:23
>488長期戦は西軍に不利だろ

491 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:25:19
>>488
囲まれてしまっても不利だな。
後詰が見当たらない。

492 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:27:23
>>488
三成がそんな消極的なことすれば、西軍のほとんどが東軍に寝返る。
あれだけ前線で戦ったのに史実ではあのザマだったんだぞ?

493 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:46:33
長期戦を望むにしても尾張まで抑えて形上優勢にならないと
きついだろうな。

494 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 01:44:14
それだけに岐阜の即時陥落は痛かったな。

495 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 05:09:01
でも一日で雌雄が決するとは、全国の大名の大半が夢にも考えて
なかった。直江や黒田ですらだ。
ケリがつくとしてるとしても数ヶ月〜半年単位だろうと思っていた。
三成の家康包囲網の構想は雄大だけど、肝心の実力がからっきし
だめだろ。 

496 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 05:19:22
西軍は日和見・内通が続出したからな
まともに戦ってたのは石田・大谷・宇喜多ぐらいじゃないかね?
陣立てから見れば小早川か毛利どちらかが裏切りや日和見やらなきゃ十分勝てる体勢だったんだが…

497 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 05:27:02
島津の夜討ち献策を三成がうけいれていれば、広い絵や秀秋も
意外と小心者だから、状況に流されてそのままいっていただろう。
島津が関ヶ原で前半ほとんど働かなかったのは、三成に侮辱されて
もうどうでもよくなっていたから。
器量もなければ度胸もない、そんな三成に実利を超えた義理なんて
でるはずもない。

498 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 06:18:08
器量無しだったとは俺も思う。
恨み買いすぎだ。
だが、度胸無しにあそこまでのことが出来るか?
必要以上に貶める事はないと思うが。

499 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 07:48:31
>>497
夜襲案はただの与太話。

500 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 09:28:04
一応上の方に将軍の話が出ていたんで書いておきますね

義昭が征夷大将軍を持ったままですので義昭が死ぬ1597まで将軍があいていません。
幕府の権威が失墜しまくっていたので幕府中心でなく朝廷中心の建て直し政策。
信長政権の後継政権なんで天下統治方式も信長式にならた。

などの理由があるかと。
ついでに、秀頼をもし征夷大将軍にしたくてもすでに豊臣氏を名乗っている秀頼を清和源氏ということにするのかね?
そりゃ無理だべ

501 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 11:31:55
秀頼の生母、淀の方の生家ー浅井家には入ってねーの?古そうな家だけど源氏の血。

502 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 11:41:06
平氏を名乗った信長にも「征夷大将軍拝命」の勧めの
勅使が来ているんだから
必ずしも清和源氏に連なる家系でなければ将軍になれないわけではないだろ。

頼朝以降に限っても、藤原(摂家)将軍や皇族将軍(宗尊親王、 後嵯峨天皇の皇子) の例があるし
実際に清和源氏に限られていないからね。
現実的には源氏でなければ将軍になれないというのは根拠がない。

形式的に言えば、朝廷が正規の政府で幕府は地方における仮の政府であるわけだから
時の実力者、つまり武家の棟梁=将軍といえるだろう。



503 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 12:44:42
同感。
ましていわんや秀吉は藤原氏の養子に入って関白になっているので、その子の秀頼が将軍になることは、前例からすれば何も問題はない。

504 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 12:55:11
秀吉が征夷大将軍になれなかったのは、小牧・長久手の戦いで家康に負けたかららしいが、本当?

505 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 13:46:30
なれなかったんじゃなくて、ならなかったんでしょ。

落ちぶれた征夷大将軍を目の当たりにして、信長も秀吉も違う権威を欲した。
で、統一を果たせた秀吉は太閤になった。

家康は「幕府」と「征夷大将軍」のブランドを好んだが、信長も秀吉も、それらが
時代遅れの古い物としてしか見てなかったのでは?
天皇に準じて神格化された絶対的なものを模索してたんだろうが、信長は制度
を作る前に光秀に討たれ、秀吉は不安定な形で制度作ってしまい、死後に家康
の台頭を許した。
そんな感じじゃないのかなw

新しいものを定着されるより、古い前例を利用したほうが良いと考えたのが家康。

506 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 15:20:59
信長は天皇に征夷大将軍欲しいって嘆願したんじゃなかったけ?

507 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 15:46:20
とりあえず秀吉生存中は征夷大将軍がまだいるわけで欲しかろうがなんだろうが義昭を殺さないと無理

それと征夷大将軍に関する話がごっちゃになっているが
鎌倉期の宮家将軍では結局統治能力がないと武家将軍を望んで清和源氏将軍(足利)が天下人と認識されたわけだが

征夷大将軍自体は別に伝統的に何氏でも就任できるだろうが信長や秀吉は単純に義昭の問題で将軍を
あきらめてるっぽいし
周囲からしても義昭が征夷大将軍を持ったまま放浪している姿をみて将軍=天下人ではないと認識されている
わけだから将軍の権威大失墜時代ではあるわな

家康はその点、運よく新田系の清和源氏を名乗れており政権の中枢で実力者でもあったし
以前の天下人である秀吉が関白→太閤になっていたので自分が関白になると簒奪になるが
義昭亡き後の将軍職をついで幕府再興という別の形で天下掌握を狙ったわけさ

そのギャップを埋めるのが関が原から大阪両陣にいたるまでの十数年
掌握過程を見るにやはり当初は豊臣氏に気を使っているとは思うからこのスレ的には当初は滅ぼすつもりはなかったのだろう
しかしある程度天下を掌握できてからは散々語られている通り目の上のタンコブを除去しにいっただけだと思うが


508 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 15:46:54
嘆願した記録は無いでしょ
右大臣職すら辞職したぐらい
朝廷のほうが却って慌てた。どんな権力者も名目上朝廷臣下、という建前が崩れるわけだから

509 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 19:25:19
>>507
義昭が生きている頃から、
朝廷は信長に関白でも太政大臣でも将軍でもなりたければすると言っていますがね。

510 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 20:11:21
とりあえず、当時の信長や秀吉は、権威が失墜していた将軍職には
魅力も利用価値も感じなかったんだろうね。
官位がそれほど高くもない征夷大将軍、徳川幕府や足利幕府が長く栄えたがために権威の象徴のように見られるが
それは結果論に過ぎない。
たまたま強い者が将軍であっただけ。

仮に秀長、利家が長命し、二人で秀頼を補佐したなら豊家は安泰
関白家として長く栄えていただろう。
まぁこれも仮定の話ではあるんだが・・




511 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 20:20:51
>>510
室町幕府は全くぼろぼろで不安定極まりない政権だったし、
鎌倉幕府にいたっては創始者一族は3代で断絶、政権は簒奪されてしまった。
まともに考えたらこれから自分の政権を打ち立てようというものが、
間違っても目指すようなものじゃあない。

なりたかったがなれなかったというよりも、
そもそもそれほど熱心になりたいとは思わなかったというほうが自然な話。
実際秀吉が将軍になろうとしたがなれなかったというのは、
将軍位の権威を高める為の江戸幕府の捏造だともいうしね。

512 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 20:24:23
秀吉がいきていたら、秀頼の嫁には天皇家から降嫁させたんじゃないのかな?

そうすれば、実際に家に権威がつくし、何事につけても殿中好みの秀吉の
思想にぴったり。 
女の好みから成り上がり者として関白につきたがったこととか、聚楽第とか
全部公家趣味なんだし、実力だけでなく、権威ほしかったと思われ。

513 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:13:26
関東を拠点とした家康にとっては、朝廷をイメージさせる関白なんかより
独立したイメージの将軍職のほうが魅力的だっただろうな
まあ、趣味の問題かもしれんが

有名無実化していた将軍でも、使いようによっては有効だということを家康は示した

514 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 23:36:41
まぁ滅ぼす名目は無かったよね、浪人集めたりしなけりゃ

515 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 00:08:44
集めるように、巧く仕向けたのが家康だろ。

516 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 00:16:54
>>514
前田利長を味方にしようとした件

517 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 00:18:43
キリスト教徒堂々と受け入れたり、幕府に対抗するように官位奏上したり安堵状発したり
もう無茶苦茶だったからな豊臣側

518 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 04:52:20
やはり豊臣側の態度も大いに問題有りだよな。
幕府に尻尾を振っていた上で、滅ぼされたのなら家康の所為だろうけど、
いつまでも慣れず噛みつく犬はお灸を据えるなり、処分するなりの決断が必要になる。

519 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 09:55:26
>>518
時系列的に関ヶ原以降の豊臣徳川の動きってどうなるのかな。

例の鐘の件とか、板倉勝重がご謀反と駿府にちくったのもツーカーだろうし、
幕府開いた時点で、豊臣家滅亡は既定路線だったと思う。

520 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 10:05:29
主君信長の後継者はほとんど無視したくせに、自分の後継者は立ててくれ、
と病の床で哀願する秀吉。甘い、甘すぎる。
でも広台院の意向によっては加藤や福島は豊臣存続に真剣に取り組んだろ
うな。淀と三成が悪いな。

521 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 10:08:18
>>518信雄みたいに尻尾振りまくって後世まで凡庸扱いされるのもイヤだなぁ

522 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 10:14:59
広台院がなんで自分を追い出した淀とその息子の為に一門の加藤や福島を
説得するんだか。

死ねよ淀の腐れ○○コっていうのが落城時の本音じゃね?

523 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 10:34:09
この時点での日本の統治機構は3つ

・院政
・摂関
・幕府

院政は天皇でないとできないため秀吉も家康も選択できず

秀吉は摂関政治を選択した
信長時代、義昭を奉戴し幕府復権を目指したが失敗した経験が
信長→秀吉ラインで幕府政治ではなく摂関政治を選択させたのだと思われる

家康は幕府政治を選択した
清和源氏名門新田系の系図をうまく取得できたということ、関東を本領としていること
義昭の死により征夷大将軍があいていたことなど偶然が積み重なるわけだが
秀吉死後、名目を保ったまま天下を狙うには最適な方法

豊臣側は実権のなくなった摂関家を演じていれば取り除く必要はなかったろうが
そうできないのであれば前政権の名残は処分する、これは当たり前の行為だわな

524 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 13:54:13
秀吉は織田秀信を殺さなかった
家康は結局無理難題をふっかけて秀頼の血を根絶やしに
形式上はあくまでも豊家が格上で主筋を明確に否定したわけでもないから、家康としては陰険な手を使わざるを得なかったんだろう

525 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 14:15:07
秀吉が織田臣下でありながら関白について織田家を超越してしまったのと同じ事で、
秀忠が将軍職に就く事で徳川家は豊家を超越した。

もし超越していない、主筋はあくまで豊家というのなら、諸大名や朝廷の動向はどう説明が付くんだ?
秀吉にしても家康にしても政権奪取自体は悪いことではないし、
周囲が認めてしまえばそれで既成事実ができあがる。

政権が移ってしまった事に気付き従順に従った秀信一党と、
時勢を見誤った秀頼一党は同列に語って良いものではない。

526 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:17:24
>>524
秀信が秀吉に抵抗しなかったからだ。
秀頼とその周辺は大人しくしていたか?

527 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:35:53
関ヶ原の敗戦後の恩賞からつぶす気マンマンだから、座して死をまつよりはって
ことじゃないかな

528 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 16:23:05
秀忠の智謀が糞だったから
残したくなかったんだろ

529 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:29:50
征夷大将軍って義昭の代までで価値暴落してたでしょ
要するに家康が面と向った意思表示をせず、回りくどいやり口と釣鐘へのイチャモンという誉められない手段ばかり講じたから血が流れた
普通に「特別だけど一大名」としておけば、それこそ豊臣政権下の織田宗家みたいになってただろう

530 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:32:35
もしも徳川が豊臣を優越した、という正当性が素直にあるのなら
例えば江戸参勤しないとかの点を堂々と違反として指弾すればよい。
だけど家康が口実にしたのは、誰が見ても?な方広寺の鐘の文言
豊国神社潰した江戸幕府すら、結局潰すどころか文言改変すらさせなかったから見ても、徳川の底意は明白でしょ
秀頼が徹頭徹尾土下座しても殺したんじゃないかね、ここまでやったということは。逆にそこまでの決意がなければ意地汚いやり方との整合性が取れない

531 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:47:29
>>530参勤交代は3代家光時代に義務ずけられたはず、
それまではくるかこないか各大名自由

532 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:50:35
秀頼は右大臣・家康は前右大臣。秀忠は秀頼の後の内大臣。大坂の陣直前でそんなものだから格式で言えば同等・秀忠と比べるとやや上か。ぐらいだしな…

533 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:52:33
無理難題吹っかけての主虐め殺しでしょ、結局は
下克上は戦国の習いだけど、やり方はやっぱり汚いな家康

534 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 18:03:14
秀頼が暴君だったりしたら、家康には打倒の口実が事欠かないことになる
だけど秀頼は別に乱行があったわけではなく、学問を学ぶ一方で肥満体になるほど武芸とかはやっておらず(一応指南役はいたはずなのに…)
皮肉な事に家康が実権持ってったから暴政したくてもできない、みたいな状態
形式上の主筋としての体面っつーのが尾をひきまくってるね

535 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 18:24:36
浪人集めたり真田やらちんぴら迎えたり、もうどうしようもないね

536 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:09:25
関ヶ原浪人がたくさんいたんだろ
彼らは徳川に恨みをもっていただろうから、
彼らを一掃するためもう一度戦をやる必要はあったな

537 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:14:33
>>533
人質も国替えもどの大名も普通にやっていること、無理難題でもなんでもない。
豊臣家もそれに従い淀を人質に出して、大坂から転居すればよかった。
仮にそのように普通の大名並みに振舞ったのに滅ぼされたというならともかく、
時勢も見えずに特別な存在であり続けようとしたのだから、
滅ぼされて当たり前。全く自動自得。

538 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:17:40
自業自得。

539 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:54:55
方広寺の件で相手の面子を潰し挑発しておいて、そこから他大名並に振舞え、というのは異常
せめて順序を逆にするのが手順というもの
殺すために、怒らせるためにやったんだろ
だいたい関ヶ原浪人を抱えてるのは豊臣家だけじゃない、徳川家すら改易大名その人まで召抱えてるじゃないか(立花・丹羽)

540 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:58:26
豊臣家を特別扱いしたのは他ならぬ徳川
筋目からいっても君臣関係を解消していない
格式でいえば未だ豊臣家が上
穏便に豊臣家を支配体制に組み入れる努力を放棄しやったことといえば挑発とイチャモン
どう見ても狸が父を、夫を失った母子をいびり殺そうとしたとしか思えん

541 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:02:32
国家安康…の鐘の文言に文句つけてから国替えしろ、人質出せだからな
これが逆なら家康が穏健を実は考えていたという理屈も通るかも知れんが
相手を一応立てて傘下に迎えるのと徹底的に虚仮にしてからひれ伏せ、では対応が全く違わざるを得ない
老齢の家康が若い秀頼の芽を摘むためになんでもやったんだろ

542 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:05:10
関ケ原スレのコピペ
毎回論破されては似たようなレスを繰り返すM


543 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:06:55
ああ、家康の肩を持つ江戸史観の遺物が毎度論破されてるネタだな

544 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:10:38
江戸史観とは新しいでつねwwwwwwwwwwww

545 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:16:27
江戸史観とは?

江戸時代の江戸の町の風俗・情緒を言い表わす。

これだからニワカは・・・徳川史観さえわからないとは。

546 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:24:42
ホント、楽しませてくれる。
何の根拠もなく知識もないのを自ら曝け出すなんて。
次は釣り宣言か反論を則すぐらいか。

頑張り給え。
江戸史観を駆使する論客との議論を楽しみにROMらせてもらおう。

547 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:37:07
>>545
江戸史観は江戸の町民文化からの視点による歴史観だと思う
元禄期からが多いかと
どちらにしろ噛み合わないが

548 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:52:18
>>539-541
豊臣恩顧の大名も多くいる時期に、
豊臣に対して強圧的な態度に出ればそれらの反感を買って世が乱れる。
要するに徳川体制を磐石なものにするまでは豊臣を臣下扱いをするなんて出来なかった。
それをいいことにいつまでも時流も知らず主君面していれば、いずれ滅ぼすしかなくなる。

549 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:55:28
挨拶に来いといっただけで、
自殺するとまで言って拒絶するような気狂い相手に穏便になんて無理。
挨拶に来いといわれたなら、素直に平身低頭して挨拶に出向けばよかったのだ。

550 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:07:51
伏見で家康と応対したはずだが。

551 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:12:26
二条じゃなく伏見とは凄いな

552 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:48:57
あげあしとりうざい

553 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 07:36:25
>>550
その前の話。

554 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 09:34:39
二条城での対面って加藤清正が仲介したんじゃないのか。
その後駿府まで出向いていって身の安全を誰が確保するの。

555 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:11:09
何のための片桐や大野兄弟なんだ?
65万石もありながら、駿府へ赴く主君一人の護衛もできない能なし集団ならば、滅びた方が良い。

あと家康だって上坂して臣下の礼を取ったのに、
秀頼が江戸に下向して臣下の礼を取れないわけは何だ?

556 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:26:37
>>555
臣下だと認めたくなかったんだろ

557 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:34:43
片桐且元? って、確保できなかったけど・・・

558 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 18:19:14
 象徴天皇

 ↓委任

 象徴豊臣家

 ↓委任

 象徴徳川家

 ↓委任

 議会とか内閣とか

という制度に現代がなってたらちょっと萌えるよなあ、と妄想。

559 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:17:57
>>556
多分その通り、
だから滅ぼされた。
ごく当たり前の流れ。

560 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:49:38
>>558
たぶんWW2で象徴豊臣家 だけは徹底的に否定されるだろう。
大陸侵略の責任は天皇じゃあなく豊臣家にありってかんじで

561 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:11:53
徳川としては、淀のような世間知らずが実権を握っていたおかげで豊臣を潰せた

徳川は淀に感謝すべき

562 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:19:20
いや、淀は自分の命を賭して父母の仇を討ったのだろう。

小谷、北の庄での「お市」の姿は生涯のトラウマになっていたに違いない。

秀吉に父母を虐され、自らは貪られた淀。
大坂城の落城をほくそ笑みながら死んでいったと思う。

563 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 09:04:30
淀が秀吉に怨みを持っていたとすれば、大野冶長あたりの子を秀吉の子と偽るくらいのことはやるな

564 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 09:18:01
関ヶ原後の豊臣は、天下を夢見ていたようだ。いずれ衝突したんだろうね。


565 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:19:16
小田原征伐の北条よりは勝ち目もあったと思うけどな

566 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:51:14
小田原よりないぞ、味方になってくれる存在がないのだから。

567 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:45:28
そもそも冬の陣で講話しなければ良かったのに。
堀うめてなきゃ・・・・・

568 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:58:04
交渉が上手な秀吉じゃないと、大阪城を使いこなすのは無理だったんだな

569 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 14:51:45
冬の陣も落とせる様子がなかったのに、淀が家康の空手形信じて和平にのりだしたのも
ちょっとなあ・・・・
家康が和平やぶって堀うめても実力で阻止できないなら講和などしなきゃよいのに。

570 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:09:52
堀埋めたりしたらその後どうなるかなんて馬鹿でも分かると思うけどな。
淀が、淀がと言うが秀頼もいい加減成人だったわけで、所詮その程度の
器だったということだろうな。

571 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:16:55
むしろ講和せずに何ヶ月も難攻不落でいた方が幕府の権威揺さぶる絶好の機会なのにな。
現実に家康の寿命がつきるのは夏の陣の翌年、1616年なんだから駿府の狸親父は死んだが、
大阪城は健在となればだいぶ流れがかわったはず。

572 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:31:22
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=ms_d_p_1_p1/249-9084775-5269145?a=B000F72NTY&uid=NULLGWDOCOMO&edi=tAh%2B%2BxJ1h6YFbP1Tyc4PLNPo5C%2B9CvbjVGSheYUUNdI%3D

573 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:33:27
アフリエイトはっても誰も買わないよ。
URLけずるだけ。

574 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:06:38
淀を暗殺していれば

575 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:08:56
徳川にとっては馬鹿な淀を暗殺する理由がないな。
ほっとっても自滅していくんだから。

576 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:14:41
いやいや、豊臣方が淀を暗殺する
これは徳川が困る

577 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:18:27
淀なんて、いようがいまいが関係ないよ。
秀頼だって、ただ名前使われてるだけの存在だし

578 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:24:34
講和せずに粘り倒れてれば攻め手の被害もでかかったろうから
恩賞振舞わないといかんかったろうから嫌がらせにはなったよね。

579 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:39:37
冬の陣いそいだ時点で、家康自身はすでに体調わるかったんじゃないのかな。
だからあんなにいそいだんじゃないのか。
豊臣としては家康が死ぬまでの2年間がんばれば風向きもちがったろうし、
講話して掘うめさせなきゃあ、どうにもねばれた。

580 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:56:33
冬の陣の時点で体調悪かったら外堀なんぞ埋めずに
力攻めするんじゃないの

581 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:16:09
真田が頑張ってたからなぁ

582 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:19:26
>>577
秀頼は思いっきり主戦派ですが

583 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:48:52
>>580
ちから攻めでおちるような城じゃななかったから、家康が和平と称して、堀うまさせたんだろ。
あれだけの軍勢で落ちないんだから、何千何万人も死んで城が落ちませんでしたなんて
幕府そのものの威信に関わる。

584 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:19:06
大坂城落としたから安心して鯛のあげもの食って死んだわけで、
落とせなかったらそう簡単には死ななかった気がする

585 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:47:12
最近の研究では家康の死因は食あたりではなく、胃ガンだったと聞いたような。

586 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:09:47
内堀っつってもあの規模じゃ埋めるにゃ相当の期間と人員がかかると思うけど、
その間大阪方は何してたんだろうか。


587 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 10:48:47
実際、大阪城の前身は周知のとおり本願寺の根拠地だったわけだが、信長がこれを屈服させるのに
どれだけの歳月かけたか考えたら、本願寺のように10年は無理でも、2−3年は持つだろ。
秀吉の三木城の干し殺しでも、3年かかっていたし、力攻めでそうおちるような城ではない。
和平なんて最悪の愚策だろ。

588 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:23:43
>>587
和議自体は別に愚策でもないと思うけどね。
城内に内通者が多かったから、あのまま篭城してもいずれ内部崩壊していただろうし。
ただ、堀を埋めさせるなんてアホな条件を受け入れたのが愚劣極まりないと思う。

589 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:31:36
つうか本願寺は孤立無援じゃねぇだろ

590 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 12:13:17
現代にある工事機械もない時代では大阪城の巨大な外堀を埋めるだけでも膨大な時間がかかるだろう
さらに和睦したとはいえ城内には豊臣軍がまだ残っている
通説では大阪方が驚いている隙にあっという間に内堀を埋め尽くしたように言われているが
本当にそんなことができたのだろうか?
そもそも外堀だけでも埋めていいという和議自体よほどの劣勢でなければ飲めない案だろう
冬の陣では徳川軍が攻めあぐねて苦戦したと言われてるがどうも謎が残る

591 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 12:51:19
堀埋めさせる交渉をもちだしたのは徳川方だろうが、豊臣側は誰が交渉担当したんだ?
<和議条件の席で。

592 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:13:34
徳川方:本多正純、阿茶局
豊臣方:常高院
※阿茶局は家康の側室。頭の回転が早く、家康からの信頼も厚い。
※常高院は淀殿の妹。

常高院が出張ってきてるということは、
この和議が完全に淀殿の手によって進められたことがわかる。


593 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:25:06
本多正純、阿茶局が徳川方の交渉人として出てきたのか・・・・・
京極高次の室(側室だったかな)の常高院じゃあ歯が立たないだろ。
他にまともな人材だせなかったのかよ 

594 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:33:57
秀頼なんて苦労知らずのおぼっちゃまだし、それを指導補佐する命も
惜しまぬ家臣もいないし、早かれ遅かれ豊臣は終了だ。


595 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:59:54
豊臣政権における織田家の位置ならば、
家康も滅亡まで追い込まなかったと思う。
(勿論、徹底的な従順の態度が必要だろうが)

596 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:13:48
>>590
大坂城三の丸の遺跡から堀中に土砂の搬出路を造ったり、周りの町屋・櫓
を叩き壊して埋めたり、幕軍のみならず周辺の住民まで動員し、馬や牛も
喰って全軍総出で埋めたとの事

この辺の役割分担の煩雑さを考えると、当時の幕府の統率力の高さが伺え
る。

597 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:19:23
あれだ、蝦夷地でも与えて植民させればよかったんだよ
で、黒船きたら豊臣の旗印あげて雄藩に名乗り出て、薩長や会津と構想しながら、
豊臣新政府つくればよかった!

598 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:16:43
>>593
秀吉が生きてた頃から豊臣家には、ろくなスタッフがいなかった気がする

599 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:38:59
秀吉は家康と比べて情実人事がひどくて、人材を活かす努力をしていないと思う

600 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:56:29
常高院なんて淀や崇源院、つまり有名な浅井三姉妹だからな。
姉妹の情でなんとかしてもらおーなんて淀の甘すぎる考えがすけてみえるようで、
狸親父や本多狐はさぞかしわらっただろうな・・・・。

601 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 17:27:22
お初さんも、内心ウンザリしていたに違いない

602 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 17:34:25
木村重成と常高院じゃなかった?使者
そいでその頑固さと忠誠心、
立振舞いが見事なことで家康を驚嘆させてなかったか?

603 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 17:58:04
つまり空気読めない奴がきて驚いたってことか

604 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:08:15
和睦交渉が行われたのは徳川方の京極氏の陣。
豊臣方参加者は常高院。徳川方は本多正純と阿茶局。

木村重成が参加したのは、後日開かれた和睦調印式。場所は秀忠本陣。

605 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:22:30
調印は名目上とはいえ総大将のところか

606 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:36:06
和睦調印式は、大坂城でも行われているけどね。

607 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:55:09
本多正純って哀れだな。いいようにこき使われた挙句用済みでポイかよ。
源義経にもいえるけど、彼らがもう少し賢い人間だったら、走狗に徹することもなかったろうに。

608 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:07:16
強烈なスレ違いもわからないヤツも哀れだな。


609 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:48:57
走狗は煮られるものだと韓信の頃から分かっています。

610 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:20:30
>>349

あんたって、あちこちで珍説披露してる人?
某スレの161とか。
(http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145427487/l50)
何か似てるよ。

611 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:38:25
何百も前のスレにキレてるのも間抜け

612 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:30:09
>>609
だな。
大坂方も朝鮮のように徹底的に服従するか、ベトナムのように中国の謀略の裏をかいていれば滅びずにすんだものを。

613 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:21:21
>ちなみに秀次の娘は大阪方に馳せ参じてるんだけどね
これホント?

614 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 07:41:32
家康の落胤も大坂方に馳せ参じている

615 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 09:52:35
小笠原権之丞のことか?

616 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 17:44:57
そう

617 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 11:02:15
ほろぼすつもりだったに決まってるじゃん

618 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 12:15:10
>>1
もともと隠し子だったしな。
敵の秀吉の所に猶子に出して
そんで成長したら小大名の跡取りに…
下手に人気もあるし、豊臣方に担がれると困る。
やはりアレは暗殺だったのではないか?
裏柳生使ったりしての。


619 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 13:21:41
秀頼と秀康の区別がつかない、スレタイだけ見て勘違いしている阿呆発見。
本人はきっと満足してるのだろうな。幸せなやつ。

620 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 18:53:52
>>613秀次の娘って幸村の側室の?
「馳せ参じたくない!」んじゃない?普通は…


621 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 19:54:04
お菊のことでは。生後間もないため父に連座せず死なずにすんだ

622 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 21:42:46
頼朝だと義経のやや子でもころしたものな。


まあ家康も国松(8歳)を市中引き回しの上、磔、獄門だけど

623 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 22:18:38
国松とか
ローティーンの秀頼が腰元に手をつけて生ませたガキなんてどうでもいいだろ
処理がめんどうだからついでに殺しただけだ

624 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:45:00
>>619
ネタとマジの区別がつかない、字面だけ見て釣られているアホ発見。
本人はきっと満足してるのだろうな。幸せなやつ。

625 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 05:56:10
所詮庶子だしな。ガキは殺すのが当たり前の時代。
うらむなら親をうらめ(爆笑)

626 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:30:47
>>624
本当はマジだったのに弁明に必死な見苦しいアホ発見。
2ちゃんは字面だけなんだよ。他になにか見られるのかな?
ネタなら面白くやろうね。


627 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 11:17:15
>>625秀頼はれっきとした跡取りだぞ

628 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 15:43:49
国松のことをいっているんだよアホ

629 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:23:19
国松なんて隠し子だからな
徳川家にとっての小笠原権之丞と同じかそれ以下の存在

630 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:03:17
仮に国松が秀頼と千姫との間の嫡子であっても
家康なら打ち首を命じただろうな。

631 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:19:12
豊臣は秀忠の代まで命運をつなげるべきだったな。
そうすればまだちょっと望みがあった。

632 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:33:40
大坂の陣のときには腹は固まっていただろうな
問題は、何時どうして滅ぼすしかないと決めたかだろう

633 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 07:46:36
伏見城で秀頼とあったときは滅ぼす気なかったような気もする。
従属前提ではあったろうけど

634 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 10:26:16
>>631
家康が思いのほか長生きしちゃったのが誤算なんだろうね。
豊臣が残存してれば福島も加藤も改易しずらかったろう。

635 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 11:14:58
やっぱ実も滅んだんだろうか。名だけてのもあり!?

636 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 13:39:39
秀忠の正室 於江与の方は発言力が強かったというし、家康が早死にしていたら、
妹や甥の滅亡を許さなかったと思う。

大阪城退去はあるだろうが、滅亡はなかったと思う。

637 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 13:40:55
当時の日本の状況を理解しないと上だけの政治的な話じゃないんだよね
かつては農民が徴用されて軍隊が編成されていたが戦国終盤には
かなりの規模の職業軍人が発生してしまう
秀吉が天下人となり平和な時代になると検地などでだれの土地かをはっきり
させるようになる
つまり武士と農民を区別する作業というわけだ
この辺りで帰農した職業軍人も多いが当時それだけでは吸収しきれない数の
軍人がいたわけだ
それが浪人

朝鮮出兵も浪人の求人対策だという見方もあるわけで
その浪人がさらに徳川の世になってさらに領地替えやらさらなる検地などで
減っていかない世の中でそれが反体制側と目される豊臣側についたわけだ
豊臣氏ももし争う気がないのならとっとと浪人と手を切らなきゃいけなかったんだがな

638 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 16:50:38
>検地などでだれの土地かをはっきりさせるようになる
>つまり武士と農民を区別する作業というわけだ
kwsk
初めて見る見解なんで

639 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 18:58:15
検地で分けた、というのはどうかと思うが、
秀吉は農民(百姓)と武士、そして浪人を乖離するよう仕向けているのとは
確か雑兵たちの戦場あたりで書かれていた事だと思ったが、
いかんせん手元に無いので確認できない。

藤木翁だったのは間違いない。

640 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 03:18:09
浪人といっても失業者というより土豪、富農という印象だが、、、
神官、僧侶も多く大坂城に入ってるけど、彼らも地元の顔役といったところだろう。

641 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 04:27:42
大阪城は
時代遅れの不穏分子をゴキブリホイホイみたいに集めて一掃するのに役立ったな

642 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:26:01
>>641
大坂の陣と島原の乱はゴキブリホイホイだよな。

643 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 12:46:25
>>639
見地が身分制度を確立するための政策なんて教科書レベルの話だと思うが?

644 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:08:50
加藤、福島、浅野とかいった連中は、
冬夏でなんで豊臣につかなかったんだろう?
次は自分たちの番だという考えはまったく無かったのかな。
家康と縁戚になったから絶対に大丈夫と思ったのかな。

645 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:19:51
検地じゃなく刀狩と身分統制令だろ
大丈夫か?

646 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:19:16
>>643
639の一行目をしっかり嫁。

647 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:53:53
国松さまのお通りだい

648 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:39:03
>>644 
三成憎しで東軍についたものの、関ヶ原後にここまで家康の権力が高まると彼らには
想像できなかった。
関ヶ原の戦後処理で、徳川方の諸大名が日本中にできてどうにもならなくなった。



649 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:53:49
>>644
秀頼が秀吉の実子でない疑惑、北政所が豊臣方につかなく、
中立だったこと、三成憎しの要素があったからだろう。
北政所が豊臣方につけば100%彼らは西軍になっただろう。
側室淀が正室である北政所をないがしろにした、ツケがまわって
来たと言うことだろう。

650 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:02:22
淀は信じられないぐらいの馬鹿女。
こいつが実権をにぎらなきゃまだやりようがあった。

651 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:10:42
>>649
そうか?
 秀頼が秀吉の実子でなかろうと、秀吉本人が
自分の子として後継ぎに示している段階で
豊臣二世なのは違いなく、別段実子じゃない疑惑云々で
どうこうなるもんでもないでしょ。

 北政所は立場上どっちに味方するなど出来んと思うぞ。
家康は秀吉の遺言で政務代行やってるわけだし
西軍は家康の専横が豊臣にとって危険と主張してんだし

 側室淀が正室である北政所をないがしろにした
ないがしろにするほどの立場だったかどうか
北政所は中立で
それに淀は家康に味方していたのだから敵対していたとはいえないのでは?

652 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:17:14
淀っていつ北政所をないがしろにした?
司馬遼太郎の脳内?

653 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:21:30
>>651
秀頼が実子なら北政所は普通に西軍についたと思うぞ。
北政所と淀が犬猿の仲と言うのは事実だし。
何にしても、秀吉が淀を側室にした時から豊臣家滅亡の
カウントが始まったのだろう。

654 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:23:20
>>652
その時歴史は、でもそう紹介されていた。
番組最後に北政所が最後まで淀に渡さなかった物として
関白宣下の宣旨が紹介されていた。

655 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:26:39
>>652
普通に事実ではないのか?
秀吉とねねの手紙のやり取りの記録も残っているし。

656 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:28:58
関が原はともかく、大阪夏、冬の陣でも彼らや北政所が
豊臣に味方しなかった事実を踏まえるべきだろう。

657 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:36:50
しかし、本当に秀吉は臨終のさいにも家康を信じていたのかねえ。
だとしたら本当にボケていたとしか思えん。
自分が信長の死後に天下をとったことを考えれば信じれる
わけないはず。
家康は信長、秀吉の死後を見てきたから、幕府が完璧になるまで
なるべく長く生き、不安材料が徹底的に叩くことに徹して
来たからなあ。

658 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:42:43
>>652
お茶会で淀が北政所の上座に座ろうとしたことがなかった?

659 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:52:50
講談ソース?

660 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:57:15
むしろ淀が北政所を丁重に扱ったと言う、事実を聞きたい。

661 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:02:39
>>659
お茶会の際は淀と別の側室の席順争い
さすがに正室相手に席順で揉めてない。

丁重に扱ってないにしても、お義理にも正室なのだから
して表向きはそれなりの対応をとってただろう。
まあ、女の争いってのはむちゃんこ陰湿になるしな
内実どうなってたかはわからんが・・

662 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:03:54
この時代に限らず、何時の時代でも正室と世継ぎの生母は
犬猿の仲だろう。淀にとって北政所はじゃまな存在には
違いない。彼女を慕う福島とかもじゃまだったんだろう。
実際、自分のまわりはイエスマンだらけで意見を言う者は
スパイ扱いだしな。滅びて当然と言うことだろう。

663 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:06:00
淀も北政所も互いに関心なんてないだろ。

664 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:12:15
>>663
そんなことはないだろう。
北政所はともかく、淀にとっては目の上のたんこぶだったと思うよ。
江戸時代にも天英院VS月光院もあったからね。

665 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:17:06
北政所に秀吉の嫡子がいて成人していたら徳川の世には
ならなかったのは事実だろう。
淀の子では味方にならなかった秀吉恩顧の武将がいたのも事実。

666 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:20:11
淀に全責任をおっかぶせたほうが
都合がいいよな
すべては淀のせいですませられる

667 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:03:02
北政所=善玉 淀=悪玉だもんな

ひょっとしたら北政所が淀に嫉妬してイビりにイビってたって事もあり得るのに

668 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:22:58
>>651
秀秋に対して最初西軍、途中で東軍につけと助言したのが北政所なわけだが

669 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:23:16
>>660
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/〜togetsu/chacha/saisyou.html
ここでも参考にしたら

670 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:52:33
豊臣家が滅んだのは淀のせい、秀頼は悪くない
それこそ家康の大儀のような気がしないでもない

671 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:50:03
>>670
身分の高い女性を悪く言うクセがあるからな
あの爺さんは

672 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:54:40
淀が馬鹿すぎ!
2代将軍秀忠は、お江に頭が上がらないんだから、ちょっと巧く立ち回れば生き残れたのにな。
サバイバルシチュエーション
1,「秀頼ちゃん、お千(千姫)と寝るんですよ。しっかり小作りがんばってね。ママが付いてるわよ」
2,「千姫が孕んだですってラッキー!秀頼ちゃん、ママと一緒に伏見城の家康おじいちゃんに知らせに行きましょ」
3,女の子ですって、ヤッター!早速お江に手紙書きましょ「お江へ竹千代のお嫁さんにしてくれないby淀」
4,「秀頼ちゃん、ママちょっと江戸のお江のところに遊びに行ってくるわ。後は、お千と仲良くね」
5,さすが征夷大将軍のお城ね。江戸城って凄いわ「お江、お城の外に屋敷作るとおまえに会いに来るのに時間が
  かかりすぎるわ。うちでお金出すから、お城の中に屋敷作らせてよ〜」
6,「秀頼へ、ママはすっかり江戸城の暮らしが気に入りました。当分帰りません。by淀」
7,「お千が男の子生んだですって。ばんざーい豊臣の家もこれで安泰だわ。でもお嫁さんが〜、そうだ大御所の市姫
   をお嫁さんにすれば万事解決だわ」
8,「秀頼へ、ずいぶん長い間、おまえの顔を見ていません。ママは寂しいの、一度、江戸城に来てください。by淀」
こんな単純なことを淀はできんのだ?

673 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:40:47
頭が上がらないと言ったってレベルがある
秀忠がここ一番で徳川政権に関わる事でマイナスになる選択をとるようなことはない

674 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:03:33
お江は、姉と甥のことなんてすっかり忘れてそうだ…
表にほとんど出てこなかった人だし、
豊臣家に何か働きかけた様子もないし

675 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:50:16
淀は二度の落城をトラウマにするどころか病み付きになってしまった
二度味わったことを三度味わいたくなっただけなのさ
妹たちもそれを知って表立って助けなかったのである

676 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 03:02:52
>>658 >>661
醍醐の花見の宴席での諍いは、席順争いではなく
杯をいただく順番を巡っての争い。
争い当時者は淀と京極竜(龍)子で、とりなしたのがねねと(前田)まつ

677 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:27:19
>>668
そんな事実ありません。

678 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 14:52:15
>>677
ないよね。

北政所は石田三成と懇意だった。本当の息子のような感覚だったらしい。

679 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:42:46
三成の遺児を、北政所が引き取ったというのは本当ですか?

680 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:00:13
豊臣家対徳川家のように見えて、実は浅井長政遺児同士の対立の構図があったので、
高台院は知らん顔を決め込んだ。
「どっちが勝っても、浅井家の血脈が残るのだから、どうでも構わない」w

家康の台頭を見ても高台院が積極的に介在しなかったことを、「家康への好意的中立」と
解釈したものが家康の側に付き、家康嫌いの連中は家康放逐をたくらみ挙兵した。
優柔不断な秀秋は、毛利一門の立場から抜け出せずに西軍へ。その後黒田から「高台
院様縁戚の者が東軍に居並ぶのを見て何も思わないのか?」と高台院が徳川寄りであ
るかのように言われ裏切った。
後日、秀秋は高台院が一切介在していないことを知り、人間不信に陥り気が狂って死んだ。

高台院は、大阪方が折れることを望んだものの、下手に介在して淀殿の逆切れを誘発させ
たくなかったので、幕府に仲介を頼まれた場合以外、引き続き知らん顔を通した。
高台院の意を汲んだ加藤清正・片桐旦元等が、大阪の説得に当たったが失敗したうえ、加
藤家・片桐家は幕府の覚えを悪くした。
高台院は、豊臣家滅亡後に豊国神社が破却されたことに苦言を呈したが、反幕府的な動き
は無く、高台寺への介入のみを防ぎ秀吉を弔った。






と、見てきたような事を言ってみる。

681 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:39:01
結局北政所はどっちが勝っても良かったってこと?

>>678
三成って出仕したの18のときなんでしょ?懇意はともかく
息子みたいに、っていうのは無理があるのでは…
それに、そういう決定的事実があるんならむしろ北政所
西軍説が通説になってると思うんだが…今は西軍説が通説なの?

682 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:00:52
>>681
そういう説も有力視されている。ただ、いずれも決定的ではない。
というか、別に何が何でもどちらかに組みする態度を取らなければならない分けでもないし、
決定的な証拠がないなら、中立的立場だった可能性が高いと判断するのが妥当だと思うよ。

683 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:41:44
>>677-678
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%B0%E9%99%A2
人間関係としては意外なことに、自らの親戚であり、台所飯で育てた筈の福島正則・
加藤清正らとは、彼らの成人後親しくしていたという証拠がない。
しかし小早川秀秋に関が原の戦いの時どちらにつくか相談されたとき、
「西軍についたあと東軍に寝返よ。」など秀吉亡き後家康に積極的に協力するなど。
先見の目が有ったと伺える


684 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:49:15
ウィキはソースにならんぞ。


685 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:56:42
>>684
反論できないからソースにならんというのはやめようね。
すくなくとも2ちゃんのレスよりはましだけど。

686 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:02:41
ソースとは史料名とか引用文だ
ウィキ鵜呑みにする阿呆はお前だけだ

687 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:05:38
秀吉の正室だから政治的価値は高いものの緒戦は女
家の存亡がかかった戦いに女の意見を鵜呑みにして行動するなんてほとんどの武将はやらない
数少ない例外人物が今の大河ドラマだけど・・・

688 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:07:00
反論するほうもソース示してないから似たようなもの

689 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:08:39
>>686
反証もってきてから主張しろ。
文句があるならあんたが編集すれば住む話でしょ。

690 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:12:04
>>685
↑朝鮮征伐スレで捏造してたお子ちゃまにそっくり。
最近ウィキを持ち出してくるグーグル知識の知ったか君がいるよな。
今まで2ちゃんでウィキを根拠にするレスなんてなかったから、全部同一人物か?


691 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:12:23
>>682
おそいけどありがとう
678見て北政所と三成が懇意だった決定的資料が出たのかと思った
中立的立場っていうのは実際可能性高そうですね

692 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:13:40
ウィキで書かれてる内容の引用元は?

693 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:19:34
>>690
確かに最近だな>wiki
春先からぽつぽつ見かける

694 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:30:50
見てきたが文体や煽り言葉も同じ。
同じ人間として考えていいかと。

695 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:12:58
>>683が編集してソースとしてたとするなら笑うなw

696 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:43:58
>>690
関係ないよ。
君は自分とちがう意見が出てくるとそうやってレッテルをはるわけ?

697 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:51:19
いったこともないようなスレの椰子と同一人物認定してまで中傷している輩がいるようだが、
woki意外にも言及しているサイトもあるぞ。

http://blog.livedoor.jp/mansaku21/archives/50405221.html
関ヶ原blog





698 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:58:23
>>696-697
>>692


699 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:03:57
ある資料に何々と書いてある←ソースになる。
ウィキにある、サイトに書いてある←話にならない。

情報元の資料が書かれて無ければ根拠なりえない。

700 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:14:25
デジャヴかな?朝鮮スレも同じ展開だったような。

701 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:22:18
>>697
ちょwwwwwwwおまっwwwwwwwwww

702 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:30:21
おまいら釣られすぎ
お、俺はこんな餌でクマー(AA略

703 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 04:07:17
珍獣見つけて得した気分を味わえる今日この頃。

704 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 17:45:54
つまりだな。
おねは三成と寝たってことだ。小姓と奥方ってのはありがちな情事だからな。
淀は幼なじみの大野と子作りに励んで大野鶴松と大野秀頼を生んだわけだな。
だから関ヶ原は、おねにとって愛人三成が不義の子を担いで正義の戦をするって
生き地獄な戦な訳で、積極的に愛人三成を支持することができなかった。
そこにつけ込んだのが糞もらし家康だ。不倫にふける三成に対して反感を持つ清
正や正則を操って天下を取った。だから清正も正則も成人後、おねの元に通わな
かったのだ。

705 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:08:48
>>689
証拠というのは何かの存在を主張する方がまず提示しなければならないのよ。
ウィキに書かれていることが真実だと主張したいなら、
まずはそれを示す根拠を提示しなければならない。
好き勝手に書き込んで、否定する根拠がない限り真実だなどと主張するのは全く無茶苦茶。

706 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 21:30:22
秀頼って結構早い段階で右大臣の職解任されてるよね

これはなんか意味あるの?

707 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:51:34
大坂城で会見した、家康から見た豊臣秀頼の評。

「他人の下知には乗らぬ人・・・・・賢き人なり・・・・・・」

 家康は自ら老いて行く身・・・・・。アセリ


708 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 07:35:11
豊臣家の運命は、秀次を自害に追い込んだ時にきまったかもね。

頼朝が身内を殺して、源氏将軍が三代で絶えたのと同じ。

弟の秀長が生きていたらね・・・

それに、秀吉が織田家から政権を奪うために、信孝などを殺したのも大きい。

秀吉がやった前例があるから、家康が同じ事をしても文句は言えない。

709 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 09:59:50
>>708
文句言えないわけではないよ
家康は秀吉が織田家に対する不義を大義名分にして天下を取ったわけじゃないからね

710 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:23:56
>>709

俺が言いたいのは、秀吉は織田家の家臣でありながら、天下を奪い取ったわけ。

秀吉には大義名分などなかったよ。

家康も一応は豊臣家の家臣だった。

それなのに主家を滅ぼして、天下をとった。

同じ事だよ、



711 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:49:31
いや豊臣厨の論理では、信長は天下を統一したわけではない、
天下を統一するには政権を簒奪する必要があった。

家康は秀吉が天下統一した後だからそれを支えるのが当然、
ということらしい。

ま、秀吉を中心にものごとを考えないと納得できない論理だが。

712 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:32:30
凄い論理だな・・・。

まあ簒奪なんて実力のある証左だから別にそこまで必死にならなくても良いのにね。

しかし、半生を織田に仕え続け、草履取りから城持ちに引き立てて貰った秀吉と、
十数年外様として仕え、加増とはいえ本貫地から敵地に転封された家康と、
どっちが酷いと言われれば秀吉の方だ、という見方も有ると思う。

713 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:58:57
たしかに家臣と言っても温度差がある

714 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 17:11:37
>>710
三法師を立てて織田家維持に努めたじゃん
その三法師を出家させ追放したのは家康なんだが

715 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 20:37:46
敵陣営まで保護しなきゃならんのか。だったら信孝も生かすべきだった
本当に秀吉中心だな

716 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 21:52:17
>>714
追放は妥当と思われ、態度によっては大名への復帰もありだし
…まあ早死にしちゃったけどね

>>715
信孝を引き合いに出すのは可笑しいよ
奴は一度許されての上での事なんだから

717 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 06:30:10
信長が天下統一してようが、してまいが・・・秀吉は織田家の家臣であることは、間違いない。

信長と信忠が死んだら、それを支えるのが本当では?



718 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 06:31:07
>ま、秀吉を中心にものごとを考えないと納得できない論理だが。

たしかにね。

719 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 09:29:13
>>717
だから三法師をちゃんと立てて織田家存続させたじゃんって
三法師は一応中納言にまでなってるし、岐阜でじっと長生きしていればそれなりの官位にまでなっていたと思うぞ


720 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 09:43:29
>>719
だから秀頼をちゃんとたてて17年間豊臣を存続させたじゃん
秀頼は一応右大臣にまでなってるし、幕府にたてつかなければそれなりの官位にまでなっていたと思うぞ

って返して良いですか?
結局、その立場を奪取したのは秀吉も家康も変わりない。

721 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 10:01:04
>>720
はい、よろしいです
織田や羽柴が世襲を失敗しただけのことだし

722 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 10:37:21
>>719
普通それを三法師を立てたとは言わないよ、
三法師を利用して織田家を乗っ取ったと言う
のだと思うが。

723 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 11:01:45
織田家を乗っ取った??
織田家後の主導権を予想以上にしっかり固めてしまって
スムーズに関白になれてしまったから乗っ取ったというほどの
ことはしてないと思うんだが
そういう意味では家康も当初は豊臣家に対し同じような立場だったよね

724 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 11:15:25
家康は信長と同盟関係にあり、信長の家臣である秀吉より格上。
信長の死の直後でもせいぜい同格。

725 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 11:45:23
織田家を乗っ取ったからこそ関白になれた
のだけれど、まさか関白就任時、60万石
の大名にすぎなかったとでも?

726 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 13:10:46
織田家を乗っ取ったというより
織田家崩壊に伴う混乱を見事に収めたという秀吉個人の功績の方が大きいのかも
だから織田家云々抜きに秀吉が関白になれたわけだろ
乗っ取りなら主家を出世させて傀儡にするもんだ

727 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 13:27:59
まだ戦国時代だった織田→豊臣の場合と、天下統一後の豊臣→徳川の場合では世間の印象も違ったと思うよ。

けど信長と違って寿命で死んだ秀吉の場合、世襲に失敗した言い訳はできないだろう。
悲しいけど、そういうところが百姓なんだよな…

728 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 14:01:26
傀儡だろうが主家を立てている以上乗っ取り
とはいわない、しかし主家をその座から下ろ
せば明らかに乗っ取り。

729 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 14:07:15
秀吉は家康とちがって主家の捌き方がうまかったんだろうな


730 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 14:21:07
秀吉より家康のほうが印象が悪いと言うのは、
明治政府によるプロパガンダや小説などの影響
だと思う。

731 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 15:46:26
過ぎた事は忘れろよ
大事なのはこれからだ

732 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:30:46
流れが落ち着いたところで…
スレ違いかもしれんけど
秀吉はなんで家康を放っといたんだろう。
秀頼にとって、秀次よりよっぽど危険だと思うんだけど。


733 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:43:19
出来なかったのです。


734 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:44:22
家康を放っておくどころか後を頼んでいるじゃないか
死を悟ったときに秀頼に継がせたい個人的な感情と
幼い秀頼ではまた戦乱の世に戻ってしまうという公的な感情と
なんかこう人間味を感じる瞬間ではあるんだが

残念なのはこれがおれの妄想でしかないという事実かなw

735 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:58:54
口実が無かったんだろうな。
関東転封を家康が拒否すれば信雄のように処断できたろうし、
関東統治に失敗すればそれ口実に処分出来ただろうがな。
付け入る口実を与えなかった家康の保身センスに軍配が上がったと感じる。

736 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:13:26
でも秀次の時は、かなり強引に事を進めたじゃないですか。
何が何でも秀頼に後を継がせるという事で、
一度、泥をかぶったのだから次も遠慮なんかする必要ないと
思うんだけどな。
方広寺じゃないけど難癖なんていくらでもつけ様があるんだし。
まぁ、家康と秀次では役者が違いすぎると言われれば
それまでなんですけど…。

737 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:31:35
秀次の場合は、あくまでも身内だから秀吉に
抵抗する者も少ないだろうが、家康を処分し
ようとしたらその抵抗は半端ではないはず。

738 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:26:46
家康は秀頼の引きこもりを治そうとしただけだよ
自分が京都まで足を運んで二条城まで外出させたのにまた引きこもり
環境を変えればもしかしたらと思い国替えをしようとしても引きこもり
戦になれば出陣して外に出るだろうと汚名を被ってまで戦を仕掛けたのに引きこもり
本丸を破壊すれば外に出るだろうと考えて大砲を使って破壊したのに引きこもり
堀が邪魔で外に出るのが大変なのかもしれないと考えて堀を埋め尽くしたのに引きこもり
火事になれば外に出たがるのが人間の本能だと考え城を炎上させたのに引きこもって自害
四百年前の精神医学が未発達な時代に家康は良く頑張ったと思うよ

739 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:11:46
とにかく家康は豊臣家について、思慮深く考えたと思う。
最後の判断は天海あたりの助言があって決断しただろう。

よって秀吉の悪行を陽に陰に見てきた家康は
秀頼のまだ幼い子の首を切り落とす時、
秀吉の今までの行ってきた罪を責めながら
斬首したらしいからね・・・・・

家康も幼い子の・・・・・つらいものがあったと思う。




740 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:50:34
平和ボケの現代。今の世に生きる人間は、現在の価値観でしか
物事を見れないし考えられない。
乱世の価値観は乱世に生きた人間にしか解らない。

741 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:31:30
最近>>739の様な家康ファンを装ったアンチ秀吉が、
家康好きと秀吉好きの対立を煽ってるから気をつけてね。

742 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:43:35
アンチ心理だけでそれほど手の込んだことをやるとは思えんが、
煽ったのだとすれば逆効果だろう。
ちょっとしんみりしすぎる。

743 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 04:17:33
>>720
その織田直系を潰したのは徳川、豊臣氏を滅ぼし、神社を破壊し、墓を暴いたのも徳川。
徳川のほうが悪辣だと思うがね。ただ「国家安康」の銘を潰さなかったところは脇が甘い。
もし徳川が中国にいたら恐らく初期段階で抹殺されていたことだろう。

744 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:49:18
家康は朝鮮出兵の際も名護屋までしか行かず、結果的に勢力を温存できた。
渡海させておけばよかったんだ。半島に転封すればいい。

745 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 13:06:18
>>744
功績上げて領土ごっそり持って行ったら余計危険じゃん

746 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 14:49:31
>>744
秀吉「関東八州は召し上げて、代わりに朝鮮を与える」

家康「敵は大坂城にありっ!」

747 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 15:17:25
>>745
朝鮮半島の土地なんか誰も欲しくないじゃん。
ぐだぐだな異文化民族だから簡単には統治できない。

748 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 15:26:32
家康が渡航大名を束ねたらすごく危険じゃん

749 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 16:48:30
ちょっと上の方に秀吉が織田家崩壊後の見事な仕切りで旧織田家遺臣をまとめ天下人になったと書いてあるが
家康も同じようなもので不毛な朝鮮出兵を切り上げ指導力を発揮
さらに不満を秀吉の統治機関であった奉行にぶつけさせることによりさらに大名の求心力を得ている
そしてその不満の対応策として本来の武家統治機構である幕府を復活させたことで天下人になることができた

で、このスレで問題になっているのが残った豊臣家という抜け殻
奉行制度が否定され統治機関を失った状態で一大名として存続するのかそれとも公家として生きていくのか
どちらかをうまく選択できていれば滅ぼすことはなかったんだろうと希望を持てるんだがな
まあ家康がうまく劇的な変化でなくじわりと変化させたので大阪城内がいつまでも空気が読めなくても仕方ないとは思うけどね

750 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 17:56:25
>>749
うまいこと言いますね、
秀吉厨はのちに家康が天下を取った結果から
の後付けでやたら危険視する意見しか言わな
いが、実際は家康がいなければ秀吉死後の混乱
を治める事が出来ずに豊臣家はさらにはやく
に滅びていただろう。

751 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:56:27
だから家康は豊臣の政権が崩壊しないように支え続ければいい(てか)

752 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:29:42
関東入部は家康の意思だろ。
岩松(新田宗家譲らないから20石)や世良田(得川)遺臣、庄(正)田(300石)との茶番劇・・・
新田氏族イベント失敗含めて充分用意できた上で関東入部。
無理にでは絶対無い。

753 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:02:24
>>752
>関東入部は家康の意思だろ

あの時代の関東平野なんてほとんど未開な荒地なのに
家康が好き好んで当時の関東なんかに選んで行くかよ
秀吉、一流の家康にたいする嫌がらせだよ。


754 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:08:07
あの、堀を埋めなければ何とかなったんですか?

755 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:16:28
>>754
物理的なことはそれなりに強い。
何とかなった思う。

756 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:08:01
なったから埋めさせたんだろ

757 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 10:39:36
外堀だけなら埋めていいという条件で和議する狂った脳みそこそが最大の問題じゃないか

758 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:34:38
狂っていなければ最初から徳川に従っていただろう

759 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:34:55
>>757
いや、最初から内堀も埋めるという条件だったよ。
ただし、外堀は徳川方で埋めるが内堀を埋めるのは豊臣方でするという条件だった。
つまり徳川の手で内堀まで埋めたという点では確かに約束違反ではあるが、
埋めること自体は条件どおり。
だからこの件に関しては、それほど酷い騙まし討ちをしたって分けでもないんだよね。

760 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:52:14
堀が有ろうなと無かろうと
城外からの支援が無ければ
落ちるのが早くなるか遅くなるか位の違いしかないけどね

761 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:12:41
>>759
それは一説としてそういう話があるだけ。

762 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:13:27
>>759
それは一説としてそういう話があるだけ。

763 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:23:09
あと余命幾ばくかという家康にとっては、早いか遅いかは大問題
巷説では、一度講和して堀を埋めるのは秀吉が漏らした攻略法らしい
いずれにしても有効な攻略法には違いない

764 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 16:06:02
>>760
秀吉得意の兵糧攻めを秀頼が喰らうわけだね。

765 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 01:34:56
三木城攻めはかなり残酷らしいね、食料が尽き
ると城中では草の皮や死骸まで食べたらしい、
それに開城してからも、城中の人たちは、あわ
てて食事を取ったために死ぬ者も多かったそうだ。

766 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 12:00:08
篭城は外からの支援なくても相手が諦めるか分裂するかすれば効果的なんだがな
幕府軍も長期滞陣となれば一枚岩ではいられなかったろうに

767 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 20:44:42
それ以前に城内が一枚岩じゃないとな。

768 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 11:41:20
秀頼が滅ぼされてなにかまずいことでもありましたか?

769 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:51:06
いえ、なにも。

770 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:47:39
豊臣厨がうざくなった

771 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 10:17:41
久々にこのスレ見てみたが>>749のようにまとめられると
別に豊臣家なんてなくても仕方ないかと思えてくるから不思議だなw

772 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:07:57
ですな・・・

773 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:05:13
保守

774 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:52:18
ろくに身内もスタッフもいない家だから、
ほっといても自滅したでしょう

775 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 23:25:09
まだ子供じゃないか!?戦国じだーい…

776 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 00:01:27
淀君が千代みたいな女性だったら

777 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 08:52:31
毛利の殿様は関が原でも幕末もへたれ。
大坂の陣でも豊臣方の味方しろよ。最大の裏切り者。


778 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 11:03:51
大坂の陣で徳川方につくのは仕方ないよ。
でも家臣に金を持たせて大坂城内に送り込んでいる二股作戦はしてるけどな。

779 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:28:47
>>778
毛利家は戦後そのことがばれた時、
責任を全てその家臣に擦り付けて、残っていた子供まで殺したそうですね。
幕府はそこまではしなくていいと言っていたのに。

780 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:58:28
>>779
やはりお家存続が第一ですからな・・・

781 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:32:55
もし秀頼と千姫との間に子供が生まれていたらどうするつもりだったんだろう。

782 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 00:37:09
女なら助命の可能性はある。
男なら間違いなく殺すだろう、良くも悪くも家康だからな。

783 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:24:01
千姫が泣いてすがっても果たして殺せるかな?
家康も義の人だからな。

784 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:19:31
自分の曾孫で、秀忠の孫だからねぇ。

785 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 06:16:54
下手に仏心出して後に超大物に育って領土奪われたりする可能性もあるからなぁ
 
家康みたいに

786 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 10:59:26
秀吉は秀次さえ殺さなきゃよかったのにな
秀次ってどうして殺してしまったん?


787 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 14:14:37
>>786 三成の策謀って話を言ってた作家が居たよ。
秀次が秀頼の後ろ盾だかに収まって関白辞退するってのを周囲の損得からしばし待たせ。
その間に、秀吉への不信感を煽って、何をやっても一家皆殺しにされると吹き込んだとか。
そして、本人以外を燃えさせ、引くに引けない状態に・・・って
面白い話だったよ

788 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 15:38:26
>>783
殺すでしょう。
家康はそれが必要悪なら淡々とこなすからな。

789 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 19:00:46
>>786
普通に考えて、秀頼を後とりにしたいと思ったなら、現在の後継者、
というか既に関白位についているものなぞ邪魔者以外の何物でもないでしょう。
仮に相手が身を引くといったとしても、早々すんなりいくはずもないし、
後々火種になるなら殺したほうがいい。

むしろ問題は、火種を消したのは良かったが、
代わりに幼君を補佐するだけの体制を整えることが出来なかったこと。

790 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 21:01:30
>>783
>>788に同意
家の為なら嫡長男と正室ですら殺した家康なら尚の事。
仮に生かしておいても自分の死後に豊臣の血筋(男系)を残す禍根を
あの家康が選択する筈が無い。

791 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 08:26:53
>>789
でもさ
あの件で結局関白=天下人というイメージをぶち壊してしまったわけじゃん
天下取りって結局のところ世襲と統治システムの一般化作業だと思うんだが
その世襲の一般化作業に必要な関白の地位を貶めてしまったんでは
自分の血統で天下を治めることはかなわなくなると思うんだけどね
それとも世襲させたくないなんぞ他の勢力の謀略説とかかな?

792 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 19:27:34
>>791
単純に世襲の相手をどうしても秀頼にしたかったってことでしょう。

793 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:10:31
一般論的には秀吉は秀頼にどうしても跡を継がせたかったため
盲目的に邪魔なものを排除したということに落ち着くんだよね
それのおかげで家康様の天下が訪れるわけだが

794 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:15:16
清盛と頼朝

795 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:46:40
>>793
はっきり言ってそれ以外に理由らしい理由がないからね。

796 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:15:43
私情を政治に持ち込みすぎ、秀吉

家康曰く、
天下は天下の人々のための天下であって、己一人の天下にあらず

797 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 03:43:16
>>796
家康がその考えに至ったのは、信長&秀吉の失敗を見ていたからでしょ?
仮に家康がいきなり天下人になっていたら、同じ事をしていたかもしれん。

798 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 09:06:18
老齢期の秀吉は単なるボケ老人だな
壮年期の秀吉と比べると、別人じゃないのかとさえ思えてくる
アルツハイマーを疑うほどだよ。
自らが、豊臣政権の瓦解を招いたと云える。

799 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 09:19:43
ちょ、このスレいつからマジスレになってんのよwww
クソスレ再生利用度が高い日本史板とはいえ良スレになりすぎでしょwwww

800 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 15:53:26
思うに秀吉は自己抑制が下手な人間じゃないのか、と。
武将時代までは、金銭的な制限や恐い上司が抑止力となっていて、それらが許す範囲だった。
しかしそれら制限が無くなるや、じょじょに暴走を始めてる。

なんか庶民が宝くじで三億当てて有頂天になっている様子にかぶるな。

801 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 16:51:18
>>798
壮年期は壮年期で御子田や尾藤といった連中を殺しているけどね

802 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:19:39
秀吉が家康並みに子供を作れれば、もしかしたら歴史は変わってたかもしれんね。
何しろ秀吉は天下人で種を蒔く畑には不自由しなかったろうしね・・・

803 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:23:39
試みたけどできなかった。
そういうイフを言い始めるとキリがない。



804 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:30:25
上杉謙信が天下を取っていたら、思いっきりつまらない日本になっていたろうな

805 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 03:15:57
足利義輝が殺されていなかったら
武田信玄が上洛していたら


806 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 09:35:48
上杉がどういう名目で天下を治めるかだが
想像するに京は幕府復興として自分に都合のいい将軍を立て安定させ
自身はやはり関東管領として関東の支配を強めるだけだろ
応仁の乱以降と同じプロセスなんで一時は影響力があっても関東メインにシフトした時点でまた荒れる
武田に関してはもっと畿内安定後のプロセスが読めない

畿内から遠い場所から畿内に影響力を与えようと京中心にすると
巨大大名の大内みたいに崩壊してしまう可能性が高い
そう考えると織田は本当にいい場所に位置していたね

807 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 09:42:41
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808 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 14:35:59
織田 羽柴 徳川 以外に話を広げると止まらなくなるから気をつけろ

809 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:52:52
ここは書けるのか?

810 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:23:54
書けるよ

811 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 12:19:07
結局は秀頼は秀吉の子では無かったのかな?
秀吉と秀頼の毛根付き頭髪でも残ってればDNA鑑定出来たのにな・・・
ショボ━(´・ω・`)━ン!!

812 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 16:20:44
秀吉、他にも娘がいたんじゃなかったっけ?
秀頼の体格が立派なのも、淀殿の
父ちゃんや母ちゃんが大柄だったからでは。

813 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:15:31
豊臣恩顧の大名家が秀頼を担ぐと頼りない秀忠では収拾がつかなくなりそうだからなぁ。秀頼が誘いに乗らないほどの切れ者だったら生き残る道もあったのだろうが、中途半端に『まとも』だったのが運の尽き。
マザコンだし。

814 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 22:55:49
秀吉が後10年長生きしてたら、かなり面白かったのにな・・・

815 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 01:40:49
10年長生きしても変わらなかっただろ

816 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 02:01:23
>>815
10年長生きしてたら秀頼は15歳くらいだし、
関ヶ原があったとしてもそれから5年で家康は死ぬし。
さすがに色々変わると思う。

817 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 02:21:29
ぶっちゃけ秀頼は秀吉の子供じゃないだろ?
あんなに多くの側室がいたのに晩年に淀君の腹にだけ生まれるんだ?
当時の周りの武将もそう思ってたんじゃねーの?

818 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 09:27:40
すごく初歩的なレスご苦労さん

819 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 14:01:03
もともと孕みやすい体質とか。
母親も末の妹も結構な数産んでるし。

820 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 17:51:52
秀頼が本当に秀吉の子かどうかはあまり問題でないと思う
問題は、秀吉が自分の子として溺愛して、何もかも滅茶苦茶にしてしまったという事実
まあ、大野冶長あたりの子だったとしたら、淀は大した女だけどな

821 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:09:48
>>814
その仮定だと「鶴松が死ななかったら」でもできるとおもう。
鶴松が死ななかったら慶長の役あったのか?
それに、秀次の処罰自体成立しなくなるんで秀次一族健在
秀吉薨去の段階では結構な年齢(まああの時点の秀頼よりマシ)
子供が二人というのも結構心強いところで、一人は元服した男だし
関が原の合戦も起きなくなる。
家康もやすやすのさばれんし・・

822 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:17:41
>>817
誰の種であれ、秀吉が息子として接し後継者としたからには
秀頼は秀吉の子である。

ってな内容のレスは今までにも書かれてるんだけど、読んだことない?


823 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 19:01:19
家康秀頼親子説というのもある
秀頼は姪と結婚したのだ

824 :携帯からです:2006/07/03(月) 20:42:37
家康秀頼親子説ははじめてききました
詳しく教えていただきたい

825 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:20:04
過度のセックルでむしろ側室が多い為に子供が出来にくくなったんだろ

826 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:20:14
家康家光親子説もあるから両方あわせると姉妹丼だな
となると京極の嫁の方ともやっていたかもな

827 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:46:02
姉妹丼w

828 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 11:11:06
「説」ってさw
2ちゃんでの憶測推測妄想レスも説としてまかり通るんだろ?

829 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 12:12:10
>>828
家康実父説は、かなり昔からあるよ。
淀が家康と再婚するプランがあったらしいので、そこから出た話だと思うが

830 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 18:44:00
 確かに大河ドラマで秀頼が淀殿に
「私は家康のこではないのですね。太閤の子ですね」
と確認してから切腹するシーンもあったシナ。これはNHKの大河徳川家康の話でね。
この説は少なくとも日本にインターネットや2ちゃんが普及する以前からある。

 そういえば2ちゃんで以外に出てこない俗説として
「秀吉が手の指が6本だった」というのもあるな。
前田利家がわざわざ秀吉の名指しで「6ツめ」と罵倒してる書簡を残してる
事からくるおぱなしだが。


831 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 19:05:21
家康と秀頼って【 でぶ 】以外に共通点があったのか?


832 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 19:50:08
>>831
生殖能力

833 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:15:24
秀頼の父親候補として
家康、前田利長、石田光成、京極高次、豊臣秀次、大野治長説を見たことある。
どれも、三流歴史関連本に載ってたので根拠は一切なし。


834 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:44:03
>>833
Mr.オクレもお忘れなく。

835 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:13:42
>>826
大河の葵徳川三代で想像すると怖い

836 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:57:53
>>833
秀頼の父親候補として
一番根拠のないのが豊臣秀吉だがな・・

837 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:21:13
>>830
>「私は家康のこではないのですね。太閤の子ですね」
>と確認してから切腹するシーンもあったシナ。これはNHKの大河徳川家康の話でね。
嘘つくなよ
そんな場面も台詞もなかったぞ

838 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:35:08
>>837
独眼竜政宗に、そんな感じのシーンがあった気がする

839 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:52:54
家康の性癖から考えて
淀殿タイプの女性に食指を動かすとは思えないけど…
もちろん真相はわからないけど

840 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:09:35
>>837
徳川家康を演じていた滝田栄が秀頼助けたさに狼狽してるシーン
とあわせて
セリフの内容はうろ覚えだが
「私は太閤の子、しかとそうですね?」
と淀殿を演じる夏目雅子が微笑みながら強く肯くシーン
確かにあったぞ。
 その前か後で秀忠に秀頼は父上の子か?と詰め寄られるシーンもあった。


841 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:40:05
>>839
側室=好きなタイプってわけではないよ。
政治的な理由とか、自分の仕事や立場によって付き合う人も変わるし。


842 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:50:51
晩年の家康て意味じゃないの?

843 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 11:06:09
天下様!

844 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 11:22:09
ぶっちゃけ秀頼が誰の子でもそれほど問題はない
豊臣の名と財産と地位を引きついだのがよろしくないわけで

845 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 14:36:19
関ヶ原で負けた時点で、徳川家に吸収合併されてればよかったのに。
他に身内もいないし。

846 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:43:49
いや、日本を滅ぼそうとしたんだな。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/7933/mou_damatehairarenai/

847 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 03:13:55
保守

848 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 10:02:48
徳川に吸収は無理だろ
お取り潰しもあの時点では無理だし
無難な処置だとは思うけどな


849 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 10:58:55
秀頼は世襲に失敗。
ジョンイルは世襲に成功。


850 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 11:00:54
正日の後が問題かもね
世襲させたくない中国とさせたい軍部

851 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 15:38:47
秀忠が将軍に就任した時点で
豊臣が完全に服従の姿勢を見せれば
家康は豊臣を残しただろう。
ただ大坂城は要衝すぎるから
別な場所に転封で。
丹後・但馬か伊勢・大和とかだとBEST。



852 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 15:58:44
大和60万石とかそんな話なかったっけ?

853 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:24:05
>>851
父親が天下人で家臣同然の家康なんだから秀頼(淀殿)は当然反発するがな(・ω・`;)


854 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:44:27
挨拶に来い、と言われて断ったりしてたね。

855 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 22:39:57
秀頼は身分上は公家だけど、実質は武家であり秀頼(豊臣)の存在そのものが大名としての面を持ち合わせている以上、政治的判断において家康が秀頼(豊臣直系政治勢力)を生かしたとは考えにくい
仮に秀頼が出家したとしても、同様の理由において生存は難しかったと推察します。

856 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 00:41:30
>>855
それは豊臣を買かぶりすぎ。
現に大坂の陣では現役大名は誰一人
豊臣派で参戦していない。
豊臣が地方で30万石ほどの身代なら
徳川にとって全然脅威でもなんでもないよ。

857 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 11:32:54
地方で30万石なら毛利がそれに近いが、脅威になったじゃんか。
置き場に困る豊臣は自滅してくれて家康は万々歳!

858 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:00:23
変な連中に担ぎ出される可能性があるわけで

859 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:56:52
伊豆に流された流人の頼朝でさえ、鎌倉に幕府を開いた。
例え30万石でも秀頼の血が続いていくかぎり、何代後かに
徳川を脅かす可能性はある。

860 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 13:07:55
それで秀頼ころしておいて250年後にノーマークだった天皇を担がれたわけですか?


861 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 13:21:13
250年も続いたんだから家康も満足してるだろ

862 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 13:29:36

天皇を担いだか、、おもしろい。
そういえばそれ以前は将軍か関白が日本を
治めるのが通例だった。
天皇がそれをしないのは失政した時、天皇に
責任が及ばない日本古来の知恵だったんだね。
それで太平洋戦争の敗戦で問題が生じたわけだが。
古来の制度には深い意味があるんだよな。


863 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 14:12:37
>>862
太平洋戦争は敗戦責任は内閣総理大臣にあるんじゃね?
統帥権問題で天皇云々と軍部が暴走はしていたけど
実際に一般選挙で選ばれた政治家と議会で運営されてたんだし

スレ違いごめんね

864 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 14:30:22
例え徳川家に引き取られたとしても、
家光の時代あたりで殺されてた気がする。

865 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 15:20:28
秀頼はひ弱だから長生きできないだろう。
問題は秀頼の息子だ。特に千姫が男子でも産もうものならさあ大変。
秀忠の外孫だもんな。

866 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 16:56:53
やはり偉大な父親を持つ息子は大変だはね。


867 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 17:11:52
秀頼が生まれない方が豊臣家のためだったのかもしれないな
秀次が後を継いでれば、淀が出しゃばることもなく違った結果になっていただろうに

868 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 18:07:12

齢70過ぎの老いぼれが、戦場に出てきた理由はただ一つ。
秀頼の成長を確かめにきた。そして情けない若者だと落胆した。

「これが太閤秀吉の子とはのおぅ…宇喜多秀家を見よ、敗れたといえ、
男として戦ったではないか、小早川秀秋を見よ、裏切ったとはいえ、
機を見るに敏な働き、まことに天晴れ。秀頼よ…」


869 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 21:23:37
>>868
今まで過保護に育てられた上に、いくさ場に出た事ないんだから仕方がないべさ!
せめて関ケ原に秀頼が形だけでも出陣すれば、小早川の裏切りも無く毛利も渋々いくさに参加したかもね。


870 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 21:40:18
微妙な時期に生まれたもんだね…秀頼は。

871 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 21:41:04
>>863
大日本帝国憲法の時の内閣総理大臣は現在と違い、国会議員では
ないし、選挙で選ばれてない。
内閣総理大臣は天皇が元老や枢密院の諮問した上に任命だ。
この任命を「大命勅下」とも言う。

872 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 21:43:14
訂正 大命降下

873 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:08:13
>>870
やはり偉大な父を持つ二代目は、ある程度現場を知っとかないと父の代で有能だった部下に家を追われる。
信長に対してそれを実践したのが秀吉で、それを見た家康が学んで今の歴史になったんだろうな

874 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:22:44
信長や秀吉の死後とその子を見て家康は幕府が安定するまで
生きれるように、人一倍健康に気をつかっていたからなあ。
豊臣滅亡後、すぐ家康は死んだが生まれてからの緊張の糸が
切れてすぐ逝ってしまったのだろう。

875 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:54:46
大阪城には、外堀の外に惣堀と言う物があり、講和の条件はこの惣堀を埋めるだったのが、
総堀(すべての堀)を埋めるに捻じ曲げられたと言う説もある。

876 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 23:19:29
あそ

877 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:27:15
では夏の陣後に投降してたらどういう扱いを受けてたのかな?
一庶民に落とされてたんじゃないかと思うが。

878 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:36:43
>>873
信長の二代目は信忠

879 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 12:03:49
>>860
250年間ずっとマークしていましたが?
実際戊辰戦争の時もどっちが天皇を担ぐかで暗闘が続き、
最後は薩長に偽の錦の御旗を掲げられ驚いて逃走、
そのままなし崩し的に本当に天皇を担がれてしまった。

天皇の権威は徳川政権にとっても危険なものでしっかり管理していたが、
さすがに豊臣家と違って滅ぼすことは出来なかっただけのこと。

880 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:50:33
権威というものは一度刷り込まれたらなかなか払拭できないもの
信長でさえ当初は足利将軍の『それ』を利用していた
ましてや 幕末の動乱期に徳川幕府の権威失墜も伴って【天皇家】というのは抜群のネームバリューがあった事でしょう

881 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:11:08
そもそも家康自身、天皇から征夷大将軍の地位を受けることによって、
「天下人」となって主君であったはずの豊臣家を乗り越えてしまったという実績があるからねえ。
実力のなくなった豊臣家から天皇の権威を利用して自分が権力を奪い取ったのだから、
今後徳川家の実力が低くなった時に他の誰かが同じことをする可能性は考慮していたはず。

882 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:21:01
つまり権威だけの存在でも、状況によっては、具体的にはこちらの実力が低下すれば、
大きな影響力を持つようになる危険性がある。
そういう危険性があるからといってさすがに天皇家を滅ぼすのは無理だが、
豊臣家なら実力に大きな差がある今なら問題なく滅ぼせる。
だから滅ぼした。至極当然の話。
要するに豊臣家が生き残りたかったなら実権のみならず権威も捨て去らなければならなかった。
国替え・人質など当たり前、もっと積極的にへりくだって徳川にゴマをすらなければならない。

883 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:45:02
家康は天皇廃絶を起案したことがある(俗説かもだが)
天海僧正が家康と推し量って天皇を伊勢神宮の祭司に専念させ
いわゆる神主の長として規定してしまおうとしたそうだ。
これに反対したのが藤堂高虎で天皇の権威をもってすれば
そんなことしたとたんに逆賊の汚名を徳川が受けて逆に徳川の世を乱し
縮めると諭したとか。

884 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:52:24
それと>>879
 その辺は家康は想定内だったはず。
輪王寺宮が東の天皇として東国に徳川を割拠させるって最後の手段とか
あったんでないか?

885 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:59:28
スレ違いだが天皇家は一体何者なんだ?

886 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 00:33:24
比叡山延暦寺を模した東叡山寛永寺を天海に建立させ、京の宮様を住持
としたのは、京で皇統が絶えた時の予備としてだった。
六代家宣に仕えた新井白石も同じことを懸念して、幕府に閑院宮家を創設
させたのだが、後にこの閑院宮家から出た光格天皇が朝廷の優位を幕府に
突きつけることとなる。
徳川と京都の結びつきは必然的なのかも知れない。家康は葵の紋を将軍家の
紋所と定め、譜代の本多家以外にはその使用を厳禁した。葵の紋を使用した
武家は皆無だった。なぜかといえば、葵は京都の賀茂社の神紋だからだ。
徳川発祥の地である松平郷は賀茂社の領地であった。そして、唯一葵の紋の
使用を許された本多家は、松平郷では神官の家柄だったのだ。
新田氏の紋所を使わず、賀茂社の紋を将軍家の紋とした家康。

887 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 15:53:25
葵の紋と秀頼になんの関係が?


888 : ◆DeWWLc93GM :2006/07/09(日) 19:44:28
こんちわ

889 : ◆DeWWLc93GM :2006/07/09(日) 19:45:18
ごめん

890 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 11:41:29
すでに権威すらあやしくなってきた秀頼を怖がるくらいなら
権威バリバリある天皇の方が怖かったんじゃないか?

891 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 22:29:51
>>890
だからいろいろ手を打っているでしょう。
さすがに、滅ぼすわけにもいかないからねえ。

892 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 10:50:35
逆に天皇家を残せるくらいなら豊臣家だって残してもいろいろ手をうてばいいだけなんじゃね?

893 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 12:43:03
天皇家と豊臣家では存在意義が全くことなることもわからいやつ。


894 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 15:39:28
天皇家と豊臣家を同列に捉えるとは…
ある意味スゴイ(笑)

895 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:07:16
もし豊臣が生き残ってたら大坂城からは追い出されるだろうが、千姫の影響や東
照神君の孫の家ということで扱いは徳川家の準一門格で10万石くらいにはなったと
思う。位階は従3位ぐらいで家格は城持ちか国持ち格。ただし江戸定府で領地は天領で
実際は家格に見合う金や扶持を出す、家来は徳川家からの出向者が多数という具
合かな。役目は豊国神社と東照宮の祭祀とか。


896 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:11:30
城の席次は溜の間扱いくらいか

897 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:07:10
>>892
滅ぼせるなら滅ぼした方が後腐れがなくて楽。
というか、残しておこうとする動機が全くないよ。

898 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 02:06:26
【豊臣秀頼】(1593〜1615)
最後の戦国武将。5歳の若さで豊臣家の当主となり、広大な領地に覇を唱える。
早くから大老徳川家康の野心を見抜き、石田三成らに監視させるが、家康は
1600年に兵を起こしてしまう。謙虚な秀頼は決戦に際し、総大将の地位を毛利輝元に
譲り、その度量を見せる。しかし彼の才能と地位を妬んでいた親戚筋の小早川秀秋の
裏切りにより、関ヶ原合戦は惜敗に終わる。
だが、この後の人生こそ彼の真骨頂と言えるだろう。巧みな外交術により家康の
追及をかわすだけでなく、家康の孫千姫を人質としてとる事に成功。また、若くして
戦国の覇王織田信長と同じ地位、右大臣に就任。片桐且元ら旧臣が専横するにも
かかわらず、家中を纏め上げ、徳川方が羨むほどの蓄財を成す。
また一方で、方広寺改築など、父の菩提を弔う事に財を惜しまないという仏心に
厚い面もあった。
1611年、二条城にて家康と今で言うサミット会議を行う。その際、秀頼の見識の高さと、
その先祖からの威容を受け継ぐ出で立ちに恐れをなした家康は1614年、またもや兵を
起こしてしまう。それに際し各地から、秀頼の人柄に惹かれて戦国を代表する知将、豪傑が
彼の元に終結する。秀頼の指揮の下、形成された軍団は家康の本陣を揺るがすほどの
勇猛さを示す。この戦いの中、徳川方の工作で、戦場に秀頼を誘き出して討ち取ろうと
するために彼に出陣を促す報が何度もあったが、そんな罠にかかる秀頼ではなかった。
善戦空しく、場内に敵兵が雪崩れ込んだ時、天守閣北側の山里丸にて爆薬を仕掛け、
家康を誘き出して自爆という最後の策を立てるも、千姫の裏切りにより無念の自害を
遂げる。
これは余談になるが、蒲鉾を現在の形としたのは秀頼の発案である。このような日常の
食品への細やかな気遣いからも、彼の遺徳が偲ばれる。


899 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 07:43:13
ものは言いようだなw

900 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 23:10:45
捏造はやめてくれ

901 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 21:34:04
【徳川家康】(1542〜1616)
簒奪を企む秀吉に対し織田家は無力だった。そこに敢然と立ち上がったのが信長の無二の同盟者家康である。
小牧長久手の戦いでは家康は敵の作戦を見破り、秀吉の後継者秀次・四宿老池田恒興・鬼武蔵森長可を倒す。
この快挙に愕然とした秀吉は母と妹を差し出し、家康と敵対しないように努めた。
一方、家康も無能揃いの織田家と共に戦うことに限界を感じ、独力で豊臣を倒すべく豊臣内部に潜り込んだ。
家康に脅威を感じた秀吉は関東の僻地に家康を左遷するが、家康は江戸に眠る可能性を見抜いていた。
片田舎の江戸をその辣腕によって日本一の大都市へと変貌させたのであった。家康のみが成しうる奇跡である。
秀吉の死後、秀吉の許可なしでは結婚できない諸大名に不安が広がり、彼らを安心させるため家康は婚姻政策を進めた。
家康排除を目論む三成は利家に糾弾させようとするが、家康の論理的な説明に感動した利家は逆に前田家を託してしまう。
その後、自分への暗殺計画を鋭く見抜き、逆に暗殺されかけた三成を救う心の広さを見せつける。
1600年、越後奪還のため軍備を増強する上杉の野望を阻止せんと家康は会津征伐を決行するが、間隙を縫い三成が謀反を起こす。
関ヶ原で東軍を包囲した西軍だが、家康の毅然とした態度に恐れおののき西軍は戦意を喪失してしまう。
黒田如水・真田昌幸・直江兼続ら知将たちはこの戦いが長期化すると信じて疑わなかったが所詮は凡人の予測に過ぎなかった。
彼らをあざ笑うかのように家康は八万もの大軍をわずか半日で撃破してしまった。日本史上これほどの完全勝利を成し遂げたのは
後にも先にも家康だけである。そして公明正大な論功行賞で全国の大名が家康に忠誠を誓うようになった。

902 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 21:36:22
幕府を開いた後も引き篭りの肥満児と化した秀頼に家康は油断せず、自分を呪い殺そうとする計画を見抜く。
慈悲深い家康はどれか一つの条件を飲めば豊臣を救おうと情けをかけたが、
北朝鮮のように話が通じない豊臣家は交渉を無視して謀反を決行した。
家康は古田織部の京都放火計画を看破して京の町を守り抜く。
さらに難攻不落で落とすのに十年かかるといわれた大阪城をたったの半年で落城させたのであった。
家康は野戦だけでなく城攻めにおいても天才であり、豊臣家は赤子のように遊ばれただけだった。
家康の強さは海外にも伝わり朝鮮は戦わずして臣従の使者を家康に差し出すが、
そんな使者にも家康は手厚くもてなすことで、朝鮮人は深く感銘したと言われている。
家康の築いた泰平は260年も続いた。後に家康の業績を否定しようとした大日本帝国が、
その稚拙な軍事戦略により80年で日本を焼け野原にしたのとはあまりにも対照的である。

903 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 22:00:31
捏造はやめてくれ

904 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 00:23:36
松風=黒王

905 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 02:50:33
家康は秀康を嫌っていたが、殺すつもりは無かったと思う。
むしろ秀忠が自分のライバルという事で殺意を抱いていた。
じっさい、配下の柳生者を用いて暗殺を試みたりもしている。

906 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 21:19:00
家康は滅ぼすつもりはなかったのに秀頼が自爆したんだよ。

907 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 16:35:09
みられまくっちゃ

908 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 17:31:58
>>905
貴方は慶一郎先生ですか?

909 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 22:30:25
>>886>>898>>901-902
京チョン、邪魔だ!
脳内で閉じこもっていなさい!

910 :日本@名無史さん:2006/07/17(月) 20:54:29
小早川はまだ動かぬか?


911 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 00:38:01
>>910
この時代、名前の一部に「秀」という字を持つ大名が多い(秀吉、秀忠、秀康、秀秋、秀家、秀信…)
「他人より抜き出ている」という原義以上の、時代を反映した何か特別な意味があったのだろう。

912 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 00:56:14
秀吉から一時貰っただけじゃん。

913 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 09:26:03
元はといえば丹羽長秀の秀じゃないか。

914 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 11:10:54
存在感の薄かった丹羽長秀がこんなところで生きていたのか

まあ秀の字よりも豊臣姓の大名を数えた方が笑える

915 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 16:18:01
「信」とか「義」とかの方が絶対多いと思うが

916 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 02:41:20
「義」って足利はじめ、源氏に伝わってる名前の字じゃなかったっけ?
で、室町幕府も献金で売ってたってので広まったんだよね

917 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 14:10:32
清和源氏って「義」「頼」「朝」「家」「満」「信」なんかが使われてますがやっぱし「義」なん?

918 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 21:34:47
源氏じゃないのに秀頼の「頼」は、どこから持ってきたんだろう?

919 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:16:39
○家もけっこう多いね


920 :日本@名無史さん :2006/07/21(金) 00:35:24
平氏側の「時」を継承してる武家はいずこに?


921 :日本@名無史さん:2006/07/21(金) 10:11:00
清和源氏ってより足利や新田が主に「義」を継承でしょ

>>918
秀を頼みます ってことじゃないんか?

922 :日本@名無史さん:2006/07/21(金) 14:31:29
まあ生き残っても徳川から嫁とか養子とか入れまくって
豊臣の血を薄くしていったかも

でも尊氏もほとんど北条の血だったろうけど

923 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 00:05:53
保守

924 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 02:09:26
前田家も嫁は将軍家や
御三家、連枝松平一門だから母方から見ればほとんど徳川だよ。
 前に調べてびっくりした

925 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 19:26:40
跡継ぎが正室腹の方が珍しいんだけどね。
利家の息子の利常ですら正室まつの血統ではない。
秀頼も側室腹だろ。

926 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 03:32:21
戦国末期の頃から、
側室腹の子が跡継ぎになるケースが増えてる。
親が正室腹でも、息子は側室腹とか。

927 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 08:58:52
そんなん頼朝と義家が存在したからだろ
秀頼は関係ないよ

928 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:14:08
後顧の憂いを絶つためにも残す気さらさら無いと

929 :日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:45:20
というより、「天皇」から下賜された豊臣の姓があまりにも大きかったからなぁ。
摂政・関白の上位である太閤として世に君臨した先例を既に創り、なおかつ
武家の棟梁でありながら、制度上は完全に天皇の下におかれている状態。
幕末の公武合体なんて目じゃない恐ろしさだよ。
巧い奴が鼓を打ったら・・・旗印としてこれ以上無いほどの反徳川の姓になるから。

930 :日本@名無史さん:2006/07/25(火) 10:46:40
秀吉存命時には豊臣姓ばらまきまくりだったが
豊臣にあらずば人にあらず
を狙っての行動なのかね?

931 :日本@名無史さん:2006/07/25(火) 22:58:54
徳川の世になったら
今度は『松平』の姓を
外様の大名に下賜しだしましたね

932 :日本@名無史さん:2006/07/26(水) 00:21:53
>>930
ばらまいたの羽柴。
豊臣と羽柴は、あいまい。
一方徳川は一族でも(主)徳川、(従)松平と整備されてる。
家康のやることは綿密に計算され抜かりは無い。


933 :日本@名無史さん:2006/07/26(水) 09:32:58
さすが羽柴だ
100人乗っても大丈夫!



934 :日本@名無史さん:2006/07/26(水) 15:14:04
豊臣姓は天皇から賜った姓だから、養子にでもしないと名乗らせられ
なくね? 羽柴なら好き勝手にできる。

935 :日本@名無史さん:2006/07/26(水) 16:20:50
豊臣姓は普通に名乗らせてるよ

936 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 09:56:32
>>935
羽柴?豊臣?
文献をナナメ読みしたところ小早川秀秋には豊臣姓
まあこれは親戚だからいいんだが
他の血縁関係ない大名とかに姓を名乗らせた記録があまり見つからないんだが

937 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 21:35:42
>>935
例えば、だれ?


938 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:44:06
上杉景勝他

939 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 23:21:29
みんな姓と苗字を混同してないか?


940 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 00:36:13
しょせんは当時、周りが畑ばかりだった尾張の小作人の息子
本名、木下藤吉郎だろっ!で一族崩壊か・・・・

941 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 01:36:50
木下という苗字も怪しいんだが。

942 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 01:42:51
木下はねねの生家の木下では?
木下家から浅野家に養女に入って、秀吉とケコーン

943 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 02:56:29
ねねは杉原だろ

944 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 04:40:25
杉原はねねの父親の苗字、そして彼が木下家に婿養子になった。

945 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 09:26:36
>>939
それをわからないやつが多すぎだね。
秀吉だって一時は藤原姓だったのだ。

946 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 12:49:15
近衛家へ養子に入って
関白職を奏請したんだっけか?

947 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:54:30
〔age〕

948 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 19:02:51
苗字 木下→羽柴
姓 平→藤原→豊臣

949 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 10:20:10
伊達て豊臣姓もらったんだっけ?
昔なんかで読んだ気がするんだが文献が見つからん

950 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 22:28:57
>>949を見て、夏を実感するのはオレだけか?

951 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 10:53:06
せみ、スイカ、ひまわりと同じくらい夏の風物詩だな

952 :携帯からです:2006/08/01(火) 18:46:00
903だけど(すまんがアンカー付け方がわかりません)
本レスに戻してくれ

953 :日本@名無史さん :2006/08/01(火) 19:06:05
結城秀康が徳川将軍になっていれば豊家は生き残れた

954 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:49:03
秀康が将軍になっていたとしても
家康の意向次第で政局は推移していたと思われるが
そのあたりはどの様にお考えか?

955 :日本@名無史さん :2006/08/01(火) 20:27:08
秀吉の朝鮮行きを押し止めた家康のように
父親薨去まで何かと理由を付けて上方出兵を引き延ばす。

というかそういう事するのが秀康だから
家康が政治から努めて遠ざけたのも分かるが。

956 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:19:49
とほほだね。
家康と秀康、先に死んだはどっちでしょう?


957 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:30:08
秀康

958 :日本@名無史さん :2006/08/01(火) 21:44:30
大御所、長生きし過ぎ。
漢方書を手放さなかっただけの事はあるわ

959 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:36:24
>>958
家康は信長や秀吉の死後を見てきたから無理やり長生きしたんだよ。
自分が長生きしたいので長生きしたのではなく、幕府の行く末を
案じていたから、1年でも長生きしようとした。
最大の不安材料だった豊臣滅亡後、すぐ死んだのは気が抜けたのも
あるのだろう。
5年早く家康が死んでいたら、全然違う世の中になっていたし、
3年でも早く死んでいたら、徳川幕府が倒されていた可能性もある。

960 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:56:47
そんなこと言ってもねぇ


961 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 08:32:04
本当にバカなスレだなw

962 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 09:35:20
>>959
さすがに3年早く死んだだけでは幕府はもう潰されんよw
5年早く死んでいたとしても同じかな
まさか幕府の政策全てを家康が決めていたわけでもあるまいし
家康が将軍になってその後すぐに秀忠に譲った時点で徳川の世は変わらんよ
家康が死んでいても秀忠が豊臣をけしかけて滅亡させるだけさ

963 :日本@名無史さん :2006/08/02(水) 09:43:28
三種条件の内
淀の人質と参勤交代に比べたら
秀頼の城出が現実的かな

自身で母親や治長の手を振り切れるかどうかだが。

964 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 14:28:33
よしわかった!
信長より秀吉より家康のが凄かった
これでいいだろ
もう勘弁してくれ!

965 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 15:02:18
まあ
結局はそうだよな

966 :日本@名無史さん :2006/08/02(水) 16:11:32
>信長より秀吉より家康のが凄かった
つまり、今川義元が
松平元信(徳川家康)を先陣にして織田と戦ってれば
緒戦で信長は滅び、
今川の天下だったって事だな。>964

967 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 17:09:44
>>966
おいおい、実際前線で使われてたろ
いきなり本陣を落とされて大将が死んでしまっただけで

968 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 04:47:27
>>957
肖像画はあるんだろうか・・・

969 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 22:20:15
ある

970 :日本@名無史さん:2006/08/04(金) 10:16:58
話は桶狭間に戻り
そして気がつけば今川スレに変貌しているというパターンが見えます

971 :日本@名無史さん:2006/08/04(金) 18:59:10
家康は豊臣家(秀頼)を滅ぼすつもりだった
以上

972 :日本@名無史さん:2006/08/04(金) 22:30:48
家康の意思は関係ないよ
江戸幕府は日本の統治機関である以上
江戸に行かない、人質を送らない、大阪からの国替えに応じない、揺さぶりをかけると浪人を集めて武装する
こういう連中は武力制圧するしかない
現代でも公園にテントを張るホームレスを退去させるのにどれだけ交渉しても最後は実力行使になるのと一緒
単にそれが一昔前は偉かった一家だっただけ

973 :日本@名無史さん :2006/08/05(土) 00:19:00
偉かったなんてのもたった17,8年間そこらだからな
ナポレオン以上に短命天下

974 :日本@名無史さん:2006/08/05(土) 15:23:30
僅か十数日で滅んだ明智が三日天下なら、
僅か数数年で滅んだ羽柴は三年天下だな。

975 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 19:30:49
明智は天下でもなんでもないがな

976 :日本@名無史さん :2006/08/06(日) 21:52:00
天下の定義が
京都支配/全国制覇の二つに分かれてるからな

前者だけで言えば大内、三好は信長より遥かに長い天下人

977 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 11:18:25
>>976
実際天下人として認識もされてただろ

978 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 12:59:32
>>977
主語って知ってる?
ここは秀頼と家康のスレなんだがね。

979 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 14:22:18
秀頼なんぞ天下人と認識もされてなかったじゃん
元天下人の息子ってだけだな

980 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 15:37:10
大野の息子

981 :日本@名無史さん :2006/08/09(水) 16:48:12
煽るために三日もレス待ちしてたのか>978

982 :日本@名無史さん:2006/08/10(木) 13:21:22
>980
それが真実かどうか永遠の謎だな

983 :日本@名無史さん:2006/08/10(木) 21:01:18
>>981
意味の通る日本語で書いてくれ。
夏まっさかりのお前の脳内が見えるわけではないんだよ。

984 :日本@名無史さん:2006/08/11(金) 14:01:02
現在夏休み中なんでスレも休み?

985 :日本@名無史さん:2006/08/11(金) 15:25:21
もともとネタスレだからね。
ずっと消化試合中。

986 :日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:35:59
>>930-949
朝鮮の役の講和会議の時、加藤清正が、「豊臣朝臣清正」を秀吉に無許可で名乗って、それを三成に讒言されて、秀吉の怒りを買い、伏見屋敷に蟄居申し付けられたんじゃなかった?
伏見蟄居のお陰で、慶長の大地震で伏見城が瓦解した時、秀吉は清正に救出されたわけだが。

987 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 17:59:28
諸々の意見はあるがどれも秀吉の子ではないというところに帰結するね。

988 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 20:12:32
>>949
伊達の本姓は藤原。伊達政宗も正式には「藤原政宗」。
藤原姓を捨てて豊臣姓に変えるなんてありえないのでは?

989 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 07:05:18
羽柴を族滅した勢いで島津・毛利も族滅すべきだったといえよう

990 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 11:55:01
>>989
できるモンならな。


991 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 12:26:30
島津はともかく毛利は吉川の直談判を無視すればよい
ただそれはそれで一騒動が起きてしまうことになるが

992 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 17:29:00
>>990
北条家は政敵の比企・畠山(元祖)・三浦・安達・吉良など
数多くの御家人を族滅したり謀殺してきたし、
それどころか平頼綱一家をも皆殺しにした。
自らの権力基盤を守るためにはあらゆる手段で脅威を滅する、
このような冷酷非道さが徳川にもあってしかるべきだった。
甘すぎる徳川がよくもあれほど長期間にわたって倒されずにすんだものだ。

993 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 20:17:11
>>992
その北条のやり方が不味かったから、短期間で政権が崩壊したと思わないのかね?
悪いけど敵対者なんてものはどこからでも出てくるものだから、
完全に消滅させるなんて不可能。
実際その北条だってそれだけ滅ぼしたのに、結局他の敵対者に滅ぼされただろう?

994 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 20:47:02
そもそも薩摩・長州に滅ぼされたからって、
先に滅ぼしておけば良いってのが短絡的だわな。

995 :日本@名無史さん :2006/08/13(日) 21:35:47
参勤交代や異国船防備負担を以ってしても
薩長の経済力を削ぎ切れずに滅ぼされる徳川アマー

996 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 21:55:33
経済力なんてぼろぼろですよ?

997 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 21:57:43
ぶっちゃけ徳川幕府崩壊のきっかけは外圧およびそれへの対応の悪さであって、
あの状況になったら相手が薩長でなくともいずれは滅びただろう。
少なくとも「徳川政権」の存続は無理。

998 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:00:14
とりあえず、結論としては滅ぼすつもりだったし滅ぼしてよかった。
ということで。

999 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:01:46
結論だけなら>>2で既出だな。

1000 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:02:49
1000

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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