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【江上】騎馬民族説は今。。。vol.6【波夫】

1 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:57:27
☆前スレ
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.5【波夫】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143731063/

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ     江上波夫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121001478/qid=1068485710/sr=1-4/ref=sr_1_2_4/249-2208796-7626727
騎馬民族は来た!?来ない?!               江上波夫・佐原真
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096260665/249-2208796-7626727

騎馬民族は日本を征服したか
http://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html
辰王の系譜、天皇家の遠祖     −騎馬民族は来なかったか?
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku1.htm
第208回 新春講演会「騎馬民族は来なかった」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm
第209回 特別講演会 「古代日本の馬文化   『江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説を考える』 」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku209.htm
是か否か「騎馬民族征服王朝説」
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub19.html

404 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 10:47:08
>>399 卑奴母離=鄙守り、とするとOV型の文法を持ち、動詞の連用形が名詞化
するという日本語と同じ文法を持っていることが分る。

 卑弥呼、卑弥弓呼などは固有名詞なのか一般名詞なのか分らない。ヒミヒコと
するとヒコは一般名詞になる。

 イキマ>イクメ入彦、都市牛利>栃木入彦、と後世に対応する人名があるという
説もあった。




405 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 11:31:23
>>403
仮に狗耶韓国が扶余に支配されたとしてもだ。
それが扶余による倭の支配に飛躍するのがおかしいと言ってるんだ、俺は。

406 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 15:31:33
>>405
狗耶韓国が扶余に支配されたことは認めるのか、けじめをつけてから
次の話をしよう。

407 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 16:04:05
>>406
認めるも何も、どこの誰が言ってるんだ?

408 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 18:31:18
>>狗耶韓国が扶余に支配されたことは認めるのか、けじめをつけてから
次の話をしよう。

討論する気ないだろ?おまえ頭沸いてのか?



409 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 22:19:37
>>399
だって、五〜六世紀の馬具なんて実用的じゃないお飾りでしょ。
ヤマトは諸豪族の連合だし、大王家自身は大して軍事力持ってない状況でしょ。
先進性を武器に、地方豪族の力を上手く使ったけど。

「為人勇み悍し」

島国日本の軍事制度は特殊。
律令の軍制が結局破綻したのも、地方頼りで中央の軍事力が弱いから。

それで、何が奴隷民なんだ?

410 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 22:49:39
しばらく見ないうちにスレがどんどん進んでいるな

>>350
そのスレを閲覧したのは今日が初めてだしどの部分が
私の文と似ているのかわからないが

>>353
おそらく倭人とは雲南同様羌・苗・タイ系の各部族の事を指していたのだろう
これに加えて山東半島や河北にいたツングースもこれに入るではなかろうか
倭国大乱はおそらくこれらの部族間の抗争によるものだったのだろう
彼等が呉越や楚として団結したのは外敵がいたからに他ならないが
日本列島では外敵は無きに等しかったのでこうした抗争が発生したのだろう

>>354
鳥居氏はおそらくまだ北方系=先進民族、南方系=後進民族という
戦前の価値観によるものから言われたものではないか?鳥居氏や岡氏のころは
まだ長江文明も発見されていなかったのでそう判断したのではないだろうか
HLAのモンゴル東部起源遺伝子はわずか13%のみでしかも西日本にしか
発見されてないとするならば倭人部族集団におけるツングースの割合は
それほどではなかったのだろう。日本人の北方系の遺伝子はむしろ
チベット系(弥生人)やブリアード(縄文人)から来たものと考えられる
もちろんタイ(弥生)、クメール(縄文)、オーストロネシア(縄文)の
遺伝子や言語もみられるのも付け加えておこう

411 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 00:15:20
>>404 都市牛利>豊鍬入(トスキイリ)彦・姫もありました。


412 :白馬青牛:2006/06/08(木) 00:24:13
>>409
馬具が実用的でないとするのは、鞍橋が狭すぎて乗れんと云うことか?
西洋鞍のように尻をペタッとつけて乗るんと違い、モンゴルでは、
尻を浮かし中腰で乗る。騎乗下手な平安期の武士と西洋の例を挙げても
しょうがない。
島国日本の軍事制度が特殊とは笑いが止まらんよ。真っ当な神経は
持ち合わせておるんかのう。そういう中華思想はどっから出てくるんか。
カルト新興宗教じゃあるまいし。世界の普遍性から判断するんが当たり前の
事じゃに、日本は世界と違う特殊な国か?韓国のナショナリストの人達と、
レベルは違わんようじゃ。遠征する際、イングランド人はウェールズ人を
使わんかったか。モンゴル人は西方遠征でトルコ人を、元寇では、女真、
高麗人を使い、日本でも征服した辺境地の兵を使う。
それが地方頼りか?支配者の軍は督戦だけでよい。近代の軍隊制度と
混同して妄想するとはねえ。つまり、近代と違い、辺境地奴隷兵を前線に
おいて、退却すれば後方の味方兵が撃ち殺すのは当然のこと。
20世紀においても、支那軍や露西亜軍は後退する際、兵隊の足を鎖で
つなぎ捨石にしておいたのに。古代なら尚更兵士は奴隷と変わらんよ。

413 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 00:32:30
相変わらず白馬青牛はアホだな。

414 :白馬青牛:2006/06/08(木) 00:52:01
>>409
409氏のような、こういう思い上がった独善思想が、先の大戦で
我が国を破滅に導いたんかと思うと笑い事じゃのうて、怒りを禁じ得ん。
>>410
長江のを文明と定義するのも、どうかと思う。B52−DR15は、
西日本に多いが、本土全域に及んでおる。遺伝子や形質で日本人において
北方系が優位であることに変わりない。南方系は少数派であろう。
チベット(弥生)ブリアート(縄文)と云われる根拠は?
弥生のタイの遺伝子?とは何かさっぱり解らん。弥生以降は概ね
北方新モンゴロイドが渡来した。古墳期と違い、弥生期の文化は
南方系ではあるが。


415 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 00:59:15
894年9月に対馬が新羅軍兵2500人・船45隻による侵攻を受けている。
この時は文室善友率いる日本軍が弩で新羅軍300余人を射殺して撃退。
新羅船11隻を拿捕。

416 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 06:01:19
>>412
山川草木の起伏の富んだ日本列島で、腰を浮かした中腰で
馬に乗るのは、非常に危険で命知らずな行為だと思われるが。
戦国時代の武将が、そのような乗り方をしたという話も聞かない。

417 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 07:04:20
>>414
弥生人の形質が北方なのに、なぜ文化が南方なのかについて、
今までに納得の行く話を聞いた事がない(涙)
たとえば、ツングースが渡来したが、周辺諸国の稲作文化に
従っただけとか、縄文人の生活スタイルを取り入れただけとか…
どれもこれも無理がある過ぎるような気がする。
北方渡来人が、高床式住居の建築技術をどこで学んだのかが
問題になると思う。

418 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 07:10:01
だから、形質の優位性だよ。
古モンゴロイド集団に、新モンゴロイド一滴と
新モンゴロイド集団に、古モンゴロイド一滴
それぞれの集団は、形質的にどう変化するw

419 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 08:12:04
>>408
>>407
「扶余が狗耶韓国を支配した、というのは怪しい」と言い出した
のはそっちだ。
それに対して「支配していないとすればどんな状況を考えるのか」と
私が聞いているのに対して、答えを提示できていない。
その段階で「支配したとしても日本を征服できない」と問題を拡散させて、
このスレの本質的な問題に進もうとするから、その前に自分の言い出した
問題:「扶余は狗耶韓国を支配したか」にけじめをつけよ、と言っている。
討論になっていないのはそっちだ。

420 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 08:49:37
>>417 弥生人というのは白装束にミズラを垂らしているスタイルだと
思うが、倭人のように文身してフンドシを穿いていたのだろうか?


421 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 08:54:05
魏志倭人伝に出て来るミミという役職はミズラを垂らした奴のことかも
知れないな。


422 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:27:48
>>418
知らんよー。

ただ、吉野ヶ里遺跡などでは、身分の高い連中が高床式住居に住み、
身分の低い一般人が縄文の伝統を受け継ぐ竪穴式に住んでいるので、
この辺がちょっと気になっている。支配階層は、どこの出身なんだろう?
(縄文時代の住居は円形の竪穴式で、弥生になると長方形や正方形に近く
なっていたと思う。)

>>420
弥生時代の人骨で、顔面にべったりと朱が付着したものがあったっと思う。
分身はしていたと思う。

423 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:28:32
>>419
支配したという根拠は何だとずっと聞いてるのだが?

424 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 14:02:16
>>423
君がそれを質問しているというのははじめて聞いた。
その根拠は何回も出ているが、労を厭わずもういちど書いてもよい。

ただし君が先に私の質問に答えるのが順序だろう。
もういちど聞く。
扶余が狗耶韓国を支配していないというなら、それに替わってどんな状況を
考えるのか?

425 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 18:17:02
>>424
>どんな状況を考えるのか?

とっくに倭の配下になってたとか。

426 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:13:30
>>425
どうどうめぐりだな。
私が聞いているのは金官の内部での扶余と狗耶韓国人との関係だ。

427 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:04:56
>>426
狗耶韓国自体がよく分かってないんで意味ないかもな。

428 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:39:52
狗邪韓国の彌烏耶麻国というのはどう見ても倭人の国だったのだろうな。



429 :白馬青牛:2006/06/08(木) 23:28:23
>>410
書き忘れたが、岡氏は、出血供儀、内臓供犠(心臓・肝臓・耳・鼻・
眼球・頭も含む)を南方系とし、無血供犠(馬の献納・白兎絞殺等)が
牧畜文化圏に見られる慣習とされる。(モンゴルの例で羊を殺すとき血を
大地に流すのは穢れるとし、チベット系遊牧民が羊を殺す方法は窒息死
させる。農耕民、例えば支那人家畜の咽喉を切って血を流すのは、羊が
長く苦しみ残酷を極まり、大切な血をこぼすのは勿体無い、そして大地を
穢す)岡氏は、殉死が北方系で人身供犠(人柱・耕作際における女、子供・
旅行者、乞食、奴隷の生き埋め)の風習は江南〜東南アジアの農耕地帯に
広く分布するとされる。これらの習慣を考察されて云われるので、偏見では
無い。喜田貞吉氏は「元来天孫民族は黥面を賤とし(中略)良民罪あり、
黥面して鳥養部となすこと雄略紀にあり。(中略)本来ウラル・アルタイ
語族間には、この俗なかりしものなるべく、わが天孫民族もまた夙に
これを賤しとして、土人と区別せし所似なるべし」倭人は呉越系統の民族で
大和民族と異なるとされる。それをふまえ岡氏は、「支配者の側には
これが乏しく、僻遠の取り残され、圧服されたような者たちにの間に、
これが行われた。日本民族を成立せしめたものは、満洲から朝鮮の方を
経由して列島に進出したものであり、それに従属させられていった一群は、
もっと古くからこの列島上に占めていた文化程度の低いもので」と誤解を
招く文もあるが、岡氏の昭和九年にウイーン大学に提出した学位論文
『古日本の文化層』(ドイツ語)の訳本が未だに刊行されてない。

430 :白馬青牛:2006/06/09(金) 00:39:47
>>416
日本では、普段の乗馬よりも重装騎兵の時の乗り方が、後世普遍化
したんか、判断は難しい。
>>417
弥生人の形質のごく一部が北方形質であった訳で、全体の事ではない。
渡来系弥生人も航海の軸線から江南から直接渡来した可能性は低い。
江南の大型構造船の船文化も伝えられてない。江南と日本の直接的な
航海ルートも唐代まで、待たねばならんし。行き帰りが出来、交易が出来る
航海ルートでないと。我が国に江南の文化影響が強いとされる伊藤清司氏も
江南〜山東〜朝鮮半島は往復至便とされ『「波立たず、油の如き黄海は」と
いう昔の軍歌の文句ではありませんが、黄海は比較的おだやかで、
江南から直接九州本島よりも、往復するのにはむしろ朝鮮を回った方が
楽であった。だから遣隋使でも朝鮮〜山東を経由させている。そういう
コースで日本は江南の南朝と交流をしている。』とされる。
倭人習俗が朝鮮半島南部にもあり、倭人自体も様々な民族も混合で
あったろう。山東自体で南方北方両民族、文化要素が混じったんかも
知れんが断定出来ん。
>>420421
ミズラ(美豆良)は、古墳期の北方系の髪型。モンゴル帝国時代でも
髪を二条に分け、耳の下に垂らすのは、ラシード「集史」の挿絵でも
描かれておる。南方習俗である『魏志』倭人伝の断髪とは違う。

431 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 01:03:54
このスレの人は枝葉の議論が好きだな。

432 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 01:09:38
>>431
枝葉を拾い上げて大樹と思い込ませる広島県人。

433 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 03:33:33
枝葉ばかりを見ていると迷路に迷い込むぞ。

434 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:21:22
>>430
ミズラだかタブサだか知らんが、
そんなもん一つのファションだろ?
七三分けの多い中国人のルーツは
七三分けが活発だった一昔前の日本か?
丸刈りにしていたら坊さん認定か?
パンチパーマが流行した時代のヤンキーらは
皆アフリカ人か?w
何度も言う、日本人は外から入ってきたモノを
自分のモノにするのが上手いんだよ。
論語読みより、答えは周りに幾らでもあるな。

435 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:03:31
>>427 >>428
狗耶韓国は発掘もされていて、吉野ケ里と共通する文化を持っていたことが
わかっている。
この國の人が倭系だったというのは私も賛成である。

436 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:57:03
列島ミズラのパイオニハ半島倭人です、はい。

437 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 06:36:19
倭人に採り立てられた売国奴の扶余人
倭人に採り立てられた亡国奴の百済人
倭人に採り立てられた売国奴の朝鮮人
倭人に採り立てられた亡国奴〜?

いやな悪寒・・・・

438 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 06:44:15
>>430
>弥生人の形質のごく一部が北方系質出あった訳で、全体の事ではない。

じゃぁ、やはり、渡来形弥生人は一種類ではなかったのか…
海路、江南→半島→列島と移動すると、「形質が北で文化が南」の理由
も説明が付くのかも。確かに、遣唐使船もそのコースを辿っている。

しかし、博物館に展示されている「のっぺり長顔」の弥生人は、
何なんだろう?博物館や文献によって顔つきが微妙に異なっているが、
復元者の個人的な思い込みが大いに反映されているような気がする。
特に古墳時代人。殆ど全ての復元図が、輪郭が縄文でつくりが弥生
(よって丸顔の一重瞼)というパターンばかりを描き出している。
当時の列島の住民が皆あの顔をしていたとは、到底思えないが…。

「ごく一部」の現象をあたかも全てのように紹介するのは、大きな罪
であると思う。

439 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 11:17:58
>>430 胡座をかくのも相撲が盛んだったのも北方系の影響かも。シナには古代から
相撲のような格闘技はなさそうだ。



440 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 19:11:43
体と体でぶつかり合う競技は世界中にある

日本 - 相撲
沖縄 - シマ
インド - クシュティ
チベット - チベット相撲
ベトナム - ベトナム相撲
モンゴル - ブフ
中国 - シュアイジャオ
朝鮮半島 - シルム
トルコ - トルコ相撲
ロシア - サンボ
ギリシャ - レスリング
イラン - コシュティ
セネガル - ランブ

それこそ部族や地方単位になると腐るほどあるんジャマイカ?

441 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 19:46:23
古代から服属癖があるのは半島人?か列島人か?
その逆をいくのは、つまりは滅ぼされるまで闘うのは
半島人か?列島人か?
大海原を恐れたヘッピリDNA、死をも恐れず渡海した列島DNA
の違いはあると思う。
もしかすると半島の倭人は列島を視野に入れていたフヨ人に服属したのかも
んで上記からいくと列島征服無理だったと、まあ簡単な推測。

442 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:09:29
>>438
「春秋・戦国時代人、前漢時代人(男女合わせて二九体)の中にはあっと驚くほど
弥生人に似た人もいて、一同とりあえず安堵。人骨を計測し、推定身長も算出し、
統計学的に分析したところ、きっちり縄文人集団のワクの中におさまった。〜略〜
mtDNAの抽出も成功し、分析にあたった遺伝学者の篠田(前出)によれば「春秋〜前漢
時代人と渡来系弥生人の配列がよく似ており、とくに春秋時代三体と弥生人が一致した。
ただ、解析できた固体数が少なく配列部分も短いので、確定的なことを言える段階には
ない。」
「日本最古とされる絹製品は福岡県有田遺跡から出土(二千数百年前)している。青銅製
武器(銅戈)に付着していた。〜略〜古代絹に詳しい京都工芸繊維大学の布目順朗名誉教授は
繊維断面を顕微鏡で約2000倍に拡大し、その扁平度から、この絹が華中の絹であることを
突きとめた。〜略〜北部九州の一部の地域では華中系の蚕を飼育し、その糸で絹を織っていた
ことが推定された。」
「勢いづいた呉はその後、大船団を率いて北進し、山東半島の斉の国をも討ったとされている
(BC四八四年)。山東半島まで広がっていた呉の人々は韓半島へ逃れた。この呉越の戦いには
大船団が活躍し、造船技術はかなり発達していた。実際、呉は黄河への運河を造り、越は海の
道を開いた。」(道方しのぶ『日本人のルーツ探索マップ』)


弥生人のルーツの「一つ」として華中は濃厚ではあるが、確定的なことはまだ言えない、
という感じらしい。その他の地も可能性に満ちているっぽい。

443 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:26:44
>>440 しかし、裸でまわしを付け、土俵があって、体の一部に土がついたら
負けというのは相撲だけだろう。

 外国のものはレスリングに近い。

 それから拳闘という殴り合いも世界中にあってもよさそうな競技だが、
日本にもシナにも無かったのが不思議だ。


444 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:39:32
>>442訂正
【誤】縄文人集団のワクの中におさまった。

【正】弥生人集団のワクの中におさまった。

445 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 23:13:12
>>443 あ、すまん、シナには拳法というのがあった。


446 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:37:17
>>399>>414罵倒牛ちゃん
最近罵倒が無いから、ちょっと釣ってみたわけよ。

戦犯とはなw

447 :白馬青牛:2006/06/10(土) 00:48:40
>>434
また、支離滅裂で具体性もない独善思想厨の戯言か。現代を例に出しても
意味がない。現代の判断基準の偏見で空虚な文を書いとるのう。
>>438
弥生期の北方形質は、北九州・山口・山陰では多く、遠くは関東でも
斥候的存在として少数の移住はあったろう。北方形質が全国的に増大する
のは古墳期。遣唐使は黄海を北上せず派遣した為、難破して大変な事
じゃった。博物館のは、特徴を強調し過ぎで、思い込みが反映されとる。
古墳人のは、広い範囲で北方形質の渡来と土着在来民の混血が視られるので
あのようなパターンとなった。北方形質と云うだけで、弥生期と古墳期の
渡来を合わせて弥生系とするのも、可笑しいと思う。文化要素が違う。
縄文晩期の人口7万6千、弥生期の人口60万、古墳期の人口540万と
して、世界の農耕民族、起源後〜1000年の年平均増加率0、04%の
自然増加率ではどうにもならん。現在の本土日本人の8割が北方系であり、
古墳期の渡来系が日本人の主流となったと考えられる。

448 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:56:21
>>441
では、倭に服属するのをいさぎよしとせず、唐には服属すると見せかけて
百済打倒に利用した後は武力で追い出した、新羅はどうするのか。
この新羅を中心としていまの朝鮮民族ができたのだが。

ついでに言えば日本の遣唐使は新羅海賊のお世話にならなければどうにも
ならなかった。日本人だけが航海に長けていたのではない。時代によって
変わるのだ。
航海能力において御朱印船時代の日本人と、幕末の日本人とを較べて見よ。

449 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:57:59
日本人は本当に枝葉の議論が好きだな〜。

450 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:29:55
>>449
そういうチミの意見はどうなのだ?
騎馬民族説をどう思う?


451 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:34:48
>>447 その北方形質というのが朝鮮顔のことなら、日本人にはそれほど強い影響は
なかったのではないか?

 日本人と朝鮮人は見分けがつかないほど似ているとは言えず、見分けられる人間
の方が多いと思う。8割が北方系といっても北方=朝鮮とは思えない。



452 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:49:32
そして言語が魏志倭人伝の時代から奈良時代まで連続しているということは
異民族の大量移住がなかったか、渡来したのは日本語族だったとしか、
説明不可能と思う。または満州人のシナ征服と同様に、列島の方が文化が
高かったために被支配層の言語が残ったということか。





453 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:24:46
一般庶民の朝鮮顔

ttp://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/pschool/66000/20060426114604801261151100.jpg

454 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:34:35
一般庶民系の朝鮮顔
ttp://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/pschool/66000/20060426114604801261151100.jpg

北方系の朝鮮顔
ttp://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/pschool/66000/20060425114589449675336900.jpg


455 :白馬青牛:2006/06/10(土) 23:32:06
>>446
わしゃは、罵倒するんが趣味じゃないよ。わしの方が根拠の無い罵倒を
受けとる方じゃし。釣りか、暇じゃのう。
>>451
北方形質の高顔が朝鮮顔になるんか。韓国の礼安理遺跡の出土人骨群には
高顔と低顔(縄文系列島在来人や中国南部・東南アジアの基本型)両方
存在する。朝鮮半島の土着民が北方系とは断定出来ん。
日本人に似た顔は、韓国より中国の朝鮮族の方が多いんじゃろうが、
満洲人が一番日本人と似とると思うよ。目が細いタイプの北方系は
満洲人より朝鮮人、特に南の韓国人に多いと思う。
北方系=朝鮮ではないし、北方系にも様々な容貌があることは、この板の、
【HLA】モンゴル人と日本人は同祖【HLA】でも書いたが、
1001まで行ってしもうたよ。

456 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:09:10
木を見て、森を見ず。
細部ばかりを見ていると、物事の本質を見失うよ。

457 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:20:59
>>451
同感。
漏れは関東出身で、数年間関西に在住した事があるが、特に京都などは薄顔だと思った。
が、いわゆる日本風の『しょうゆ顔』であって、エラが張って目の切れ上がった顔では
なかったと思う。典型的な京美人は、顔も小さく細い顔だと思った。四角くない。

実は個人的に思うのだが、関西人は、単純に弥生(倭人)比率が高いのだと思う。
これを言うと、関西人から激しいバッシングをくらいそうだが、邪馬台国(弥生系薄顔集団)
が東遷してきたとすれば、半島とは一味違う薄さの理由が説明できるような気がするのだ。
その後、朝鮮半島や中国からの帰化人が都に押し寄せて住んだとすれば、相対的に薄顔比率は
高まる事になる。
一方、九州、東北、四国に濃い顔が多いのは、単純に縄文比率が高いからじゃまいか?
それは、中世の絵画を見ても分かる。貴族が色白ぽっちゃり形に対し、武士階級は、色黒、
ゲジゲジ眉毛、堀の深いひげ面で描かれている。これは、地方での縄文比率が高いせいだと思うのだ。

よって、古代関西人=倭人≠百済人≠新羅人≠漢人 だと思う。

458 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:30:03
>>455 朝鮮人は北へ行くほど日本人に似てくるとも言われていますね。

 高句麗語と日本語のような関係が容貌にもあるということかも。

 百済、高句麗、渤海が日本と交流があり新羅を敵視していたのも人種のせいかも
知れない。


459 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:31:05
>>457【続き】
関西で弥生(倭人)比率が高いとすれば、もうひとつ納得ができる事があるのだ。
それは、古代より半島南端には、倭人(倭人によく似た集団)が住んでいた事が
分かっているが、時代が下ってからも、倭国や天皇家が、半島南端の倭人の生活圏
に対してだけ、異常なまでの愛着と親近感を見せていた事だ。
もしも、騎馬民族の扶余などの系統だとすると、南端の倭人だけに強い親近感を覚える
事は説明が行かない。
所詮、百済などは政治上の腐れ縁のお荷物でしかなかったのだと思う。帰化人が多くて

それから、言語。
琉球語が日本語と緩やかに分岐し始めたのは、3C以降だと思うが、百済や新羅や
高句麗から来た支配者が、言語に多大な影響を与えたとすると、全くつじつまが
合わなくなる。元々、日本人や皇室が倭系であって、大陸や半島の帰化人が
押し寄せて住んだだけだとすれば、つじつまが合う。
(もちろん、古文書は全て、日本語と中国語(漢文)で書かれている。)

460 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:39:47
>>458
どう考えても政治上の理由だろう。
特に、渤海なんて。

高句麗と倭国は、仲が良かったか?
悪すぎてイクサしまくったイメージがあるぞ。
国が傾いてからの亡命者は多かったと思うがな。

461 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:41:18
>>458
秦氏は新羅出身だが、盛んに新羅を攻めている。
漢人だから祖国に未練がなかったんだろうなぁ…と思う。

462 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:28:52
>>460
>高句麗と倭国は、仲が良かったか?
>悪すぎてイクサしまくったイメージがあるぞ。

白村江戦の前後の高句麗は、倭と同盟して唐に当たろうとしていた。
これなどは、年がら年中戦っていた、同じギリシャ人のスパルタとアテネが、
ペルシャが攻めてくるとたちまち同盟したことを想起してしまう。
そういえば広開土王のときは中国の力は弱かったな。

>>461
>漢人だから祖国に未練がなかったんだろうなぁ…と思う。

新羅の内部だって複雑だ。秦氏も、その出身地のハタンが新羅に
いじめられて恨みをもっていたかも知れない。

463 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:43:13
>>462
出身地のハタンなんて判明してるのかい?

464 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:50:47
>>461
中国人の「祖籍」意識は猛烈だから、
「秦」からの移民であることにこだわり続けたんだろ。
新羅は、漢人の裏庭みたいなもんだからな。

それに、「波多」っつう苗字は、天皇から直々に賜ったもんだ。
それに自ら、「秦」っていう漢字をわざわざ当てたんだよ。
『新選姓氏録』の記述では、秦織物に関係して「波多」を授けた事に
なっている、と思ったが。

465 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:54:47
ところで、馬韓や辰韓(秦韓)はともかく、
弁韓はきれいに無視されとるな。

466 :YAP?:2006/06/11(日) 14:30:07
またまた、3・4日ほど読まないうちに議論が進行しており、個々の書き込みに
コメントもできないので、感想ということで(パソコンに接近できるのが
週1〜2回が限界なので)。

まず、文身=南方系というのが、そもそも間違いだ。
白川静文字学の成果で、商(殷)が、文身の習俗をもっており、これが
本来北方系諸民族の習俗であったことは明らかだ。

ただし、「文身」といっても、「入墨/刺青」と言うよりも、いわゆる
「絵身(かいしん)」すなわち、成人式などの通過儀礼や祭祀に際して、
謂わば、「ボディー・ペインティング」を行うのが主流だったと考えられる。

北方系アジア人集団が起源であることの明らかなアメリカ先住民が、「絵身」
しているのは、昔の西部劇映画でおなじみなのだが、これが呉越の習俗が
入ったなどとは、まさか、だれも考えないだろう?

で、西方から入って伐殷を果たして、中原を制覇した周が、「文身」を行わない
民族だと言うか、そのような文化と無縁だったために、中原から「文身」の習俗が
消えた結果、南方や東方沿海部の「文身」が周以降の中国王朝の史書等に特殊な
風俗として記録された。

要するに「文身」の有無は、南北どちらかの移住の証拠にはならないと言うことだ。

467 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 14:42:11
>>466
なるほどー。

高床式住居などは南方チックですけどね。
弥生人が「薄顔」だとすると、完全なる南方の人では無いんでしょう。
倭人は、海にもぐる時の安全の為にイレズミをしていたようですが、
扶余とかには、こうしたイレズミの習慣はありますか?

468 :YAP?:2006/06/11(日) 14:44:43
更に、恒久的な「文身」すなわち、「入墨・刺青』についてだが、これは
「辟邪」の目的のために、恒に「文身」を必要とする集団、即ち「大魚水禽」
の害を避ける必要のある「水人(海人)」集団や、祭祀荷かかわる集団、例えば
「祭器」(おそらく最初は青銅器、或いは木器や骨角器もあっただろう)を
製作する集団、また、祭祀に際して「供犠」となる「人」(捕虜や、神聖な王族
や神官の出自であることも在っただろう)などで、成立したものと考えられる。

現代の日本で、神社で「お宮参り」の再に、頬や額に「朱」の点を打ったり、紅を
差すのも、「文身(絵身)」の習俗の名残りであり、平安貴族の「あやつこ」とか
「犬っこ」などという儀式もまさに「絵身」の習俗に他ならない。

469 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:01:07
漏れは、複数渡来説・混血説を支持しているので一元説には抵抗がある。
中国中部沿岸→山東半島→半島南部 は『交易』ルートとしては、絶好だと
思う。
「騎馬文化」に絞ると、建築などを含め、さまざまな面で説明しにくくなる
気がする。倭人は概ね北方系ではあるが、騎馬的ではないという感じがする。


誰か、この辺りを説明してくれ〜。

470 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:23:53

殷(BC1600〜BC1046)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7

471 :YAP?:2006/06/11(日) 15:31:27
467氏へ

扶余の「文身」記事には覚えがありませんが、アイヌ民族の入墨(手など)も有名であり、時代の変遷によって(特に中国中原文化との接触によって)
文身の習俗を失ったのは、日本人のみならず多くの東アジア諸民族で認められ、かつてはおおくの北方系諸民族に「文身」の習俗が存在したことは
確実だと思われます。

高床式住居は、南方習俗と考えて良いのではないでしょうか?
弥生時代早期或いは縄文時代晩期は、「民族移動期」であり、民族移動した集団は、北方遼河流域からの日琉祖語集団の他、
「越系海洋民」の一派も当然存在したと思われます。
その中で、高句麗など扶余系諸言語と接触・交流のあった「日琉祖語」集団が、列島内での主導的勢力となったため、弥生時代に
「日本語列島」が少なくとも西日本には、成立したのでしょう。
むしろ、遼河流域の倭人集団が列島に入るためには、その情報を持った「海人」集団の協力が必須であり、是を「ツングース水軍」などとするよりも
もっと南方の江南の海洋民〜沿海民と交流のあったいわゆる「渤海湾沿岸漁撈民」の先導があったと考えた方が良いと思います。
この渤海湾沿岸漁撈民の文化は縄文晩期には、朝鮮海峡・対馬海峡両岸に伝播しているとされています(甲元真之「弥生時代の生業問題」、『季刊・考古学』
第88号、p89)。

つまり、縄文時代晩期には、この渤海湾沿岸漁撈民文化の「逆T字形釣針」や「郭家村型結合式釣針」は、の分布などから、韓国南部沿岸地域と北部九州では、
縄文時代の後期以降に「環対馬海峡文化圏」ともいうべきものを形成していると考えられます。

このような「北方とのつながり」を持った「海洋民文化」が先行的に存在しているからこそ、北方からの「倭人集団」の列島渡来が可能だったのでしょう。
この先行した渤海湾沿岸漁撈民の言語自体が、実は倭人の言語と近いものだった可能性も考えられます。



472 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:03:30
>>459
>倭国や天皇家が、半島南端の倭人の生活圏
>に対してだけ、異常なまでの愛着と親近感を見せていた事だ。

半島南部に鉄があるからだ、等と言ってすましている人たちに較べれば、
あなたは「異常」だと感じる分、正常だ。
で、その愛着は、じぶんたちのルーツだからだ、と考えればなんの異常さ
もない。

>琉球語が日本語と緩やかに分岐し始めたのは、3C以降だと思うが、百済や新羅や
>高句麗から来た支配者が、言語に多大な影響を与えたとすると、全くつじつまが
>合わなくなる。

沖縄語は、恐らく平安末期から鎌倉時代前までの間に、日本語から大きな影響を
受けている。つまり非常に古い層と、その上にかぶさった上記の時代の貴族社会
の言葉との二重構造になっており、後者のほうが圧倒的である。
恐らくこの時代に日本からの征服を受けたのだ。

473 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:43:55
>>472 日本神話に出て来る「根の国」が文字通りルーツの国ということだろうな。

 それは洛東江流域の元彌烏耶麻国周辺、後の任那日本府だろうと思う。


474 :YAP?:2006/06/11(日) 18:18:08
彌烏邪馬国が、倭人集団の南下時、半島南部で成立していた倭人諸部族連合体、
おそらく祭祀同盟の中心的国家もしくは、祭祀の地を領域に含んでいた部族国家
であったことはおそらく間違いないだろう。

倭人諸部族の祭祀同盟=部族連合体は、基本的に天孫降臨(或いは民族の始祖の降臨)
する/し得る聖なる「やま」(山、本来は日本語のyamaなる語彙に[mountain」
の意味はなかったかもしれない)を中心に祭祀を行うことで、民族移動期に倭人諸部族の
団結・連合・同盟を維持存続させ、それが、日本列島への移住・他民族系の諸部族の制圧
を可能にしたのだろう。

或いは、時期的に弁辰彌烏邪馬国や、或いは『魏志倭人伝』にでてくる「邪馬国」は、
『魏志倭人伝』に記載された時期より少し前の時代の、その地域の(弁辰地域や、
或いは北部九州地域の)祭祀同盟の中心領域を含んでいたのかも知れない。
勿論3世紀の倭人世界では、列島倭人世界の中心的な祭祀の場所は「邪馬台国」、
つまり「やま(山)と」国の領域内にあった。

その様に考えると、倭人の主力の連合体の大首長(倭王)が恒に一系と考えられて
いたのも、説明がつきやすい。
中国の『後漢書』などでも、倭奴国から、邪馬台国さらに、同書編纂時の
倭王倭讃まで、一系と捉えているように思える。

475 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:20:44
>>472
しかも、支石墓のうち、直接のルーツである「碁盤式」の出土は、
半島南端に集中していると思った。北ではなくて、あくまでも南
であるところが、ポイントだろうと思ってます。

476 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:31:59
>>474
中国の『唐書』等にも「日本国とは、古の漢倭奴国のことである」
なんていう記述もあったように思います。
少なくとも中国人は「倭人は一貫して倭人なんだ」という風に何の
疑いも持たずにいたみたいです。
これがもし、百済系だったり、新羅系だったりすると、こういった
記述の仕方は無理だと思うんです。

477 :YAP?:2006/06/11(日) 18:46:27
全く476誌の言うとおりであり、基本的に、中国史書では「倭人」の
部族国家連合体の「王」(諸部族国家にも当然、王〜小王は=首長はいた
わけですから)、即ち「大倭王」が、「一系」に属することを疑っている
様子はありません。

この点で、「王朝交代」を考えることは無理だと思います。
勿論江上氏や岡氏の言うような日本の北方〜東北アジア的特徴も確かに
存在するわけですから、是を王朝交代以外で説明する必要はあります。

私はそもそもこの「北方的/東北アジア的」特徴の大半は、弥生時代早期に
移住してきた日琉祖語保持者が、北方出自であると言うことで大部分説明できる
と言う解釈をしていますが。

478 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:10:25
魏志倭人伝では邪馬台国の倭国連合から海を渡って東方地域の住民も皆、
倭種と書いていて、倭人以外の異民族が居たとは書いていないな。

 帯方郡使は国情視察に来たのだから異民族がいたのなら居たと書くだろう。



479 :YAP?:2006/06/11(日) 19:27:27
倭人が列島に移住してきて各部族が各地に割拠する状態になり、
それぞれの地域ごとにまとまって、「祭祀同盟」を形成し、更に
各祭祀同盟間の合従連衡もあるのは当然のことだ。
これらの各地域的祭祀同盟の盟主も、列島渡来に成功した氏族の
中から選ばれたと考えるべきだろう。
それらの地域的祭祀同盟が、より大きな連合体にまとまってゆく
過程の一つが、『魏志倭人伝』に現れる邪馬台国だろう。

日本語の起源を縄文語の求めるのならともかくも、弥生時代に
求めるのなら、日本語話者としての倭人(日本語に母語を取り
替えつつある東日本の倭種も存在しただろう)は、当然、
どこかから渡来した集団だ。

私は日本人の起源についての一元論者ではないが、日本語や
その主な神話体系を含めた習俗は、本来、主導権を掌握した集団
のものが、もっとも影響力が大きかったと考えているだけだ。

480 :YAP?:2006/06/11(日) 19:37:18
尚、異民族云々で言えば、『魏志倭人伝』には記載されていないとも思われるが、
(黒歯国や侏儒国記事の問題はあるが)後代の中国史書には、半島諸国の状態同様
日本でも、「秦王国」などの記事がある。

その帯方郡使の視察範囲内に、異民族の有力な集団が存在しなかったのか、或いは
倭人への同化が、進行した地域を通過したのだろう。

481 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:05:03
>>474
私の言った「ルーツ」の意味が取り違えられているようだが、伽耶の諸部族連合が
日本を征服し得るのなら、それが騎馬戦術を持つ扶余を戴いている場合は、もっと
容易に征服し得ただろう。

482 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:19:08
>>480 秦王国の人民は言語風俗、夏華に同じ、という記録が本当だったと
すると漢人の都市国家のようなものが、瀬戸内海辺りにあったことになる
が、候補地はどこなんでしょうね?

 帯方郡使なら半島人を知っていたはずが、半島人が居たと書いていない
のも不自然さがある。
 

483 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:33:42
稲作が朝鮮半島から渡って来たというのはウソ。

484 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:51:44
日本人で言い合う前に韓国人に真実の歴史を教えてあげて。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/list.php?board_id=thistory

本当に日本人は息苦しいですね..
果して日本が我が国の近代化のためにインフラ整備したのはウソです.
日本は自国の利益のためにだけで思いました.
我が国の開化を助ける口実でしかなかったでしょう.
米を奪って積んで運ぶためでも鉄道マンドンゴッで..
幾多の私たち国民を殺して飢えて殺して..
考えだけしても日本殺したい.
そして日本なくても近代化した..
是非侵略を正当化するな


485 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:52:59
国人の先祖は、韓人(からびと)ではない。
韓人は倭人だった。つまり、日本人の同族だ。韓人は日本語を話していた。
韓人とは、任那人=百済人、そして志良岐人のことである。
彼らは日本語を話していた。
古代のカラ半島東北部に住んでいた濊人(ワイ人)こそが、韓国人の先祖なのだ。
濊人が話していた濊語(ワイ語)が、現在の韓国語の元になったのである。

だから、日本語と韓国語はぜんぜん違う言語なのだ。
ワイ人が志良岐を乗っ取って建国したのが新羅。
建国者の金奈勿は、新羅が高句麗の属国してた頃に新羅の北方のワイ郷から、
さらに多くのワイ人を呼んで、新羅に移住させた。
相対的に新羅先住民だった倭人の比率は下がっていき、ワイ人が多数派となった。
こうして、新羅(元は志良岐=シラキ)はワイ化が進んでいった。


486 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:07:36
またまたしばらく見ないうちにスレが進んでいるな
私もYAP+同様仕事の関係でなかなかPCには接近できず
またどうしても長文になるので携帯からのカキコはあまりしない
>>414
少々誤解を招く文を書いてしまったようだ。私は北方系の縄文人は
樺太・北海道経由で日本にやって来てそれからポリネシア・東南アジアから
南方系の縄文人が来たと言いたかったのだが、どうも遺伝子などと
書かなくてもいい事を書いてしまったようである。これは謝る
ただGm遺伝子は縄文に遡ると貴殿は以前書いていなかっただろうか?
北方系優位なのは同意。ただ高床式倉庫や水田稲作など南方系的要素も
あるのを忘れてはならない。実際華南系遺伝子も日本人にはあるのだから
当然であろう
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/root4.html

>>466
殷人の文身が絵身であったのは初めて聞いた。とすれば殷人は
北方系と南方系の混血ではない可能性がある。さらに弥生人の
文身も刺青ではない可能性も高くなる。しかし刺青の習慣は日本にも
あったのは否定はできない。実際アイヌや琉球でも手に刺青を入れる
風習はあったのだから。おそらく貴殿の言うようにその後は白粉等
化粧道具が伝わったのでその後は廃れたのが実情だろう

>>471
倭人はおそらくはチベット・タイ・ツングースの
混成エスニック集団だったと思う。魏志倭人伝やその後の発掘資料を
見ればわかると思いますが倭人には南方系と北方系との混成が
見られる。つまりいろいろなエスニック集団がいたのだと考えられる
その中で多数を占めていたのは
チベット>タイ>ツングースの順ではなかったのではなかろうか

487 :476:2006/06/11(日) 21:14:55
>>477
こういう言い方はあまり好きではありませんが、敢えて言えば宗主国(?)の
中国人は、漢倭奴国―邪馬台国―日本(大和朝廷)を、完全に一本のラインと
捉えているようです。古文書でも概ねそのような記述になっています。
少なくとも「倭人の倭人による国家」であったことは間違いなさそうです。
ただ、現在の宮内庁や日本人の大部分が、邪馬台国と大和朝廷の同根性を否定
しているようなので、その為、天皇百済説とか新羅説とかが盛んに言われる
ようになったのではないかと思っています。

「弁韓は苗の裔にして楽浪に在り」て言いますが、この「苗」は、越とも倭とも
言われていました。基本的には「倭人」の事だと思います。
こう考えると、南方風俗(苗風、或いは越風)の文化をもつ北方顔の倭人(弥生人)
だということで合点が行きます。

>>482
半島の辰韓は、もともと秦の移民が居住を許されて造られた国だったと思います。
だから、秦王国=秦の移民による王国だと思います。どこにあったのかは、分かりませんが。

488 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:21:29
>>485
百済は騎馬系であって、任那地方にいた農耕系の倭人とは違うんじゃないかな?

489 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:17:42
熱烈な騎馬民族説支持者が消えると普段出入りしない>>485の様な
コピペ房が突然沸いて出てくる、不思議だなあ。。。。


490 :白馬青牛:2006/06/11(日) 23:28:19
>>457459
四角い顔は、広顔でモンゴル人に多い。狭顔は満洲人や華北の漢人と
云える。弥生倭人も山口・北九州の北方形質と九州西部の四角い顔の
在来系があった訳で、倭人は人種集団でもなく、更に漢人や韓人も含め
倭人集団を構成したのであろう。貴族と武士の容貌の違いは、
後に、上級武士は高顔渡来系、足軽は低顔の在来系と埴原和郎氏の云われた
区別にもあてはまる。琉球は低顔で縄文在来系で、弥生系渡来人や古墳人と
人種が違うよ。
>>458
その通りで、北へ行くほど日本人に似ておると思います。

491 :白馬青牛:2006/06/11(日) 23:48:44
>>466
文身の習俗は、北アジアでもアルタイ地方のパジリク古墳のミイラや
黠戞斯族にもあったが一般的ではない。南方の方が一般的であるのは
近現代に繋がって、おることから明らかな事。ネイテブ・アメリカンが
北アジア起源が明らかなとされるが、遺伝子は別として、形質的に
北方系でもない古モンゴロイドである。神話でもオセアニアとアメリカ
大陸は古い形態を残しておるので、北方、南方と云える問題でもない。
殷の北方南方混合の習俗と違い、北方系の周人の文身忌避概念は、
北方起源と云うことであろう。

492 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:19:58
>>455牛ちゃん
まあ、いいやw

493 :白馬青牛:2006/06/12(月) 00:27:24
>>471
日琉祖語集団というても、形質が違うよ。民族移動期とは3500年前後の
気候寒冷期のことと思えるが、列島では縄文南方形質に変化もない。
>>476
そりゃあ、『新唐書』の記述であり、旧唐書は、倭国と日本国が別れて
おり、『旧唐書』の日本伝には奴国と云う漢人の奴隷民の末裔であったと
記されてない。記されておるのは『旧唐書』倭国の方じゃ。
>>477
説明と妄想とは違うよ。あなたの弥生早期に移住して来た日琉祖語保持者?
北方出目?で大部分説明出来る?あなたは説明したことも無いが。
現実的でない、空想的な抽象的論理を展開しとるだけでないか。
自己解釈による空虚な妄想論理で、説明出来ると言い切るのは余りにも、
独善的であろう。具体的な解釈とやらを伺いたい。

494 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:33:11
俺は東南アジアの大学に4年間いたが、国籍を顔で判断するのは難しい。
その大学には、中国・朝鮮・華橋・ベトナム・マレーシア・シンガポール・ラオス・ミャンマー・アメリカ・アフリカから来ていた。

白馬青牛さんは色々な国籍の人間が集まる場所で暮らしたことはあるか?
たぶんないのだろう。
経験がないから、490のようなことが書けるのだと思う。
国籍を顔で判断するのは愚かな行為だ。

例えば、俺の姉妹とソニン(在日)は瓜二つの顔をしている。
海外旅行に一緒に行くと、必ず韓国人から韓国人と間違われて声を掛けられる。
祖父は若いときはトルコのサッカー選手のマハダビキアような顔をしている。
俺はガレッジセールのゴリのような顔をしている。
先祖はずっと鹿児島だ。

留学先で俺とそっくりなヤツがいたが、そいつは中国の少数民族の出身だった。
ちなみにその少数民族は稲作もやっているらしい。
世界ふしぎ発見でやっていたが、顔も習慣も日本人そっくりだった。
夜這いの文化もある。

一緒に留学したやつは同じく中国少数民族のミャオ族出身に間違われた。


495 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:51:34
>>315
遅レスになるが、氏や姓はとりわけ渡来系に関しては天皇家が下賜していた筈(百濟王など)
どちらにせよ古代に余を姓か氏とする集団が居たのは確実だろう。ただ余姓、氏が餘部に関
係しているとするのは確かに無理があったかもしれん。あと>>304を何の証拠もない唯の憶測
やこじつけだと仰るがそれは貴方の手法そのものだろう。というより古代の事象がほぼ確定出
来ない歴史的事項であることは散々貴方の主張が述べてきたし、それ故に古代歴史に関して
ある程度推測と妄想で補完する必要が生じる。扶余が日本にやって来、平和的に「簒奪」或い
は「征服」したのか推測と妄想を積み重ねて「あった」と思うのも信じるのも否定すると信じるの
も扶余が差別民だったと論じるのも状況証拠や推測、妄想等の積み重ねに過ぎない。そうであ
ればまず餘部という制度、というよりその対外的な呼称が差別的な地位にあった人達特に皮・革
系を生業とする人たちの集団を「部外者」と見なす過程に置いて成立したこと、狛系、つまり高句
麗の人々が革に強く革の染作、皮細工として大蔵省に職能集団として存在していたこと、現在の
京都三条、姫路の余部地域に皮・革系を地域産業とする元ヒサベツ民がいたこと、これらはすべ
てある根拠の元に一つの説として推測、成立しうるものだろう。それが扶余の「征服」を論ずる貴方
と大して異なる論調、主張だとは思わないが。ところで「余り者」という言葉には「邪魔者」「部外者」
という意味があるらしく「余所者」という言葉を考えてみても「餘部」の「余」という字には地域のコミュ
ニティから見て「異質」で「部外的」な意味があり、その点からも>>304の解釈は正しいと言えると思う。

496 :白馬青牛:2006/06/12(月) 00:55:10
>>494
旅行した経験からで、様々な国籍の人と暮らした経験は無いよ。
民族集団を全体の集団として考察すると、>490の様な結果となる。
民族別と国籍は違う。わしは、国籍で判断したことは一度も無いのに、
わしが国籍で判断したとは、如何なる文からか?
中国の少数民族で稲作もやってるらしい、世界ふしぎ発見でやってたと、
自己感想のみで、具体性に欠け、抽象的で解らん。何処の民族か云えいや。
留学しても、抽象的言語の乱用で困ったことは無かったか?心配するよ。

497 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 01:32:42
>>495
読み難いが納得w

498 :白馬青牛:2006/06/12(月) 01:39:15
>>486
わしに対してじゃったか。Gm遺伝子が縄文期に遡るとされるのは、
Gm遺伝子を発表した松本秀雄氏であるが、縄文人は、北方説の尾本氏等
南方説は宝来氏等、遺伝子解釈は様々であるが、縄文人は形質的には
南方系であろう。

499 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 02:02:30
>>496

490では具体性に欠け、抽象的で解らん。
日常生活で抽象的言語の乱用で困ったことは無かったか?
白馬青牛の仕事場での人間関係を心配するよ。

具体的に聞くが、民族別に判断した場合
1、ソニン(在日)はどの民族なのか?
2、和田アキ子(在日)はどの民族なのか?
3、西城秀樹(在日)はどの民族なのか?
4、孫正義(中国系)はどの民族なのか?
5、王貞治(中国系)はどの民族なのか?

白馬青牛の主張は間違っていもいいから答えてもらおうか。
顔から民族を判断できるんだろ?

490では具体性に欠け、抽象的で解らん。
白馬青牛は職場で抽象的言語の乱用で人間関係に困ったことは無かったか?


500 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 02:50:31
顔で民族を判断できる???
白馬青牛はすごいな〜。
専門家でも不可能なことができるんだな。

そんな顔で民族を判断できると豪語する白馬青牛さんに教えて頂きたいのだが、
トミーズ雅はどこの民族なの?
本人は在日じゃないって否定してるんだけど、俺達の間じゃ絶対に在日じゃんって認定してるんだけど。

顔で民族を判断できる白馬青牛さんに教えてもらいたいな。
できれば詳しい説明もお願いします。

501 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 02:57:15
>>498
縄文人が南方系ってのは結構珍しい説じゃないか?
バイカル湖周辺の寒冷地適応前の古モンゴロイドだというのが通説の筈だが?

502 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 02:59:34
顔で民族を判断するなんて不可能。
野球選手でメジャーリーグに行った井口はフィリピン人に見える。

503 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:23:27
天皇は朝鮮顔とかよく言われるけど、その根拠はなんだろうな?

俺の友達は耳の位置が低いとか言ってたけど、日本人でも耳の位置が低いやつも高いヤツもいる。

外見で民族を判断するのは難しいよね。

例えば、和田アキ子はどの民族なんだろうね。

在日で有名だが、俺には日本人の顔のように見える。

504 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:45:44
明治・大正の皇族の写真を見ると
二重で南方系みたいな人が結構いたよ。
まぁ今の天皇や皇太子だけで判断してもしかたがない。
そもそも今の天皇の顔も
モンゴル・満州・朝鮮にみられる典型的北方系顔とは違うように思うが。

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