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【江上】騎馬民族説は今。。。vol.6【波夫】

1 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:57:27
☆前スレ
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.5【波夫】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143731063/

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ     江上波夫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121001478/qid=1068485710/sr=1-4/ref=sr_1_2_4/249-2208796-7626727
騎馬民族は来た!?来ない?!               江上波夫・佐原真
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096260665/249-2208796-7626727

騎馬民族は日本を征服したか
http://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html
辰王の系譜、天皇家の遠祖     −騎馬民族は来なかったか?
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku1.htm
第208回 新春講演会「騎馬民族は来なかった」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm
第209回 特別講演会 「古代日本の馬文化   『江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説を考える』 」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku209.htm
是か否か「騎馬民族征服王朝説」
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub19.html

506 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 04:52:54
>>464
>『新選姓氏録』の記述では、秦織物に関係して「波多」を授けた事に
>なっている、と思ったが。

秦氏が持ち込んだ「織機」を、その持ち込んだ集団にちなんで「はた」と
呼んだ、ということも考えられる。
ちょうど、鉄砲をその最初の輸入の地にちなんで「種子島」と呼んだように。

もっと近い例で言えば、綾をなんで「あや」と言うか。これは「漢」氏が
その織り方を始めた、あるいは持ち込んだからであろう。
しかしその「あや」という「漢」の訓は「安羅」に由来すると私は思う。
これは必ずしも漢氏が安羅人であったことを意味しない。安羅経由で来たかも
しれないし、適当な外地の地名を持ってきてつけただけかもしれない。



507 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 06:04:55
>>493
そうでしたか?ごっちゃになっていたみたいです(汗)

ただ「日本国に国名を改めた」という記述の際に、古の倭奴国
と日本国をダイレクトに結んだものがあったと思っていましたが。
もう少し時代が下ってからの文献だったかなぁ…

すみません。ちょっとこれ調べてみます。

もしもわかる方がいれば、誰か教えてください!

>>504
これを言うとどうなんだろう?て思うけど、漏れは個人的に、
タイのタクシンさんと皇太子がかぶって仕方がありませんw;

508 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 06:08:04
>>506
本人が漢人だといっているのに、そこまで疑う理由はなんですかね?
純粋な新羅系だったらそう言えばいいのに。別にそれで差別される
理由はなかったと思う。

509 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 06:21:54
>>505
正直これは意外!

明治の天皇家は、顔が濃い!
薄いのは全て、婦人の方(殆ど似たような浮世絵美人の顔)。

漏れが思うに、美人の典型(浮世笑顔)と結婚し続けた為に
現在の皇太子などが薄顔になられただけかも…。本来は、
バタ臭い家系だったりして……。

510 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 10:25:17
秦氏も日本渡来前からすでに自分達のルーツ
(実際は混血もしているのでルーツの一つに過ぎなかったが)を秦人だと考えていたのでは?
中国だか朝鮮の史書だかに
半島に秦人の難民が流入し文化が発達した〜とか記述がなかった?

511 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 11:15:53
秦氏のルーツを朝鮮なん言ってる人は、
「弓月君」をどう解釈してるのだろう。
素直に弓月国と捉えた方がいいんじゃないの?

512 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 11:41:31
>>507 戦前だったら不敬罪で死刑になるところだったね。



513 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 11:53:53
>>505
男性も女性も鼻筋が綺麗な人が多いな。
有栖川熾仁親王の夫人と伏見貞愛親王の夫人は
これだけ美人なら、髪の毛を下ろせば今でも通用する。


514 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 11:59:32
>>505の明治帝を見て
「そういえばタレントのなすびって今どうしているんだろう」
と思った俺は
戦前だったら不敬罪で死刑になるところだったね。

515 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 13:17:33
>>510
『後漢書東夷列伝』のこと?
半島の古文書にもそのことが書いてあったハズ。
秦の始皇帝の暴虐に耐えられず逃亡した者の子孫がいたことにも触れて
いる。

>>513
有栖川家の男性方は、顔が濃過ぎてまるでベトナム人みたいだ。
そのぶん妃が薄顔美人。皇族の薄顔傾向は、ひとえにお妃の力と見た。

「有栖川家の縄文顔をナントカして上品な薄顔にしなくっちゃ〜(悲鳴)!」

な〜んて。

女性人が殆ど同じタイプの顔立ちなのは、そういう「美意識」が働いて
いたんじゃまいか?雅子妃も紀子妃も濃い目の顔だから、今後のロイヤ
ルファミリーは「縄文顔」の事大に突入すると思う。なぜなら、美意識
が変化しているから。

516 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 13:26:55
>>511
弓月氏と秦氏は、実際には同郷じゃないと思った。


517 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 15:43:31
http://yushodo.co.jp/pinus/6/meijiphoto/photom2.html
とりあえず張っておこう。
明治・大正期の皇族のバタ臭い顔を。↑


518 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 15:47:33
まちがえた。
http://yushodo.co.jp/pinus/61/meijiphoto/photom2.html

519 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 16:33:50
>>505に貼ってあるものを12レス後で貼りなおす意義は何だ
しかも>>513-514あたりのアンカー先だぞ

520 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 17:03:52
508 :日本@名無史さん :2006/06/12(月) 06:08:04
>>506
>本人が漢人だといっているのに、そこまで疑う理由はなんですかね?

別に漢人が中国人である可能性を否定していない。それを含めて言っている。
つまり、安羅を意味する「あや」が訓として与えられているからと言って、
安羅人であるとは限らない。中国人が安羅経由で来たかも知れないし、
まったく漢とは関係のない外国の地名を単に字にあてただけかも知れない、
ということだ。

そのくらい、外国の国名、氏族名に対する訓読みの与え方はいいかげんなのだ。
例えば高句麗の訓「こま」は百済の「熊川(こむなれ)」に由来するという説は
有力だし、後の「唐」の訓「から」は「加羅」に由来するのだから、何をか
いわんやである。
最も多い誤りは「秦」の「はた」、「漢」の「あや」などがこれらの漢字の
本来の訓だと考えることである。



521 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 17:09:38
逆に言えば「あやひと」は本当に「安羅人」なのであり、単に「あや」を表す漢字と
して「漢」をあてた、という可能性も同じだけある、ということになる。

522 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 18:32:50
>>506
>しかしその「あや」という「漢」の訓は「安羅」に由来すると私は思う。

正論。


523 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:11:13
加羅カラ・カヤも安羅アヤも半島の倭人居住地域を指す単語だということか。


524 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 21:11:00
>>520
ないと思います。

本人(秦氏)が「始皇帝の子孫」(←古代呉の民は等しく「太伯の子孫」を自称するなど、
古代の人々は、王様の子孫を名乗る事が多々ありました。直接の子孫ではありません。)
を名乗り、『新選姓氏録』にもそのように書かれています。
もしも、新羅人が倭国内で激烈な差別を受けていればともかく、わざわざ民族を偽る必要
がどこにありましょう?!ありませんね。敢えて疑う理由が知れません。

525 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 21:15:28
このスレは騎馬民族説は今?という事ですが、古代中原で騎馬戦が流行し始めたのは、
騎馬民族が中原へ流入し始めてからだと思いました。
騎馬民族が馬を乗り回しているのを見て、本格的な騎馬戦を取り入れたのだと思います。
個人的には、半島や大陸の連中が馬を乗り回してイクサを有利に進めているのを見て、
「オラも騎馬戦を取り入れてぇなぁ・・・」と羨ましがって、馬を導入した可能性があるん
じゃないかと思っています。

526 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 21:18:55
>>522
秦氏は「漢人」じゃなくて正確には『秦人』(新羅出身)でしたね。

私が勝手に「漢人」(つまり中華民族)と呼んでいるだけなので、
気にしないでください。m(_ _)m

527 :白馬青牛:2006/06/12(月) 22:35:53
>>499500
その他にも工作活動に熱心じゃのう。わしの言を受け売りし、抽象的で
解らんじゃカバチ(文句)たれとるわい。
http://www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/data99b.html
の●関西顔?●作者から に、埴原和郎氏の引用が出ておるが、
『公家顔』『公家面』『瓜実顔』が北方系で、「弥生〜古墳時代に百済や
高句麗からの移民が多くあったことを指摘」された。薩摩型とは、
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1041/kodai.html
の★ベルツ(明治期のドイツ人の医学者、)の日本人分類に長州型と
薩摩型が出ておる。昔の価値観で高貴な長州型(本州西南部や日本の
上流階級を形成する貴族的風格を持った高等なタイプとする)に
嫉妬し、>494のように薩摩人が、南方系不細工顔と思われるのが
不満で、このスレで面長、高顔が多い上流階級まで南方的じゃと偽って
熱心な工作活動を繰り返すよのう。


528 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:07:50
薩摩は、堀が深くて今風のいい男が多い土地ですよ。
細面で糸を引いたような細い目が流行る時代でもないでしょう。


529 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:12:14
>>527

だから、白馬青牛の説明は具体性に欠け、抽象的で解らん。
日常生活で抽象的言語の乱用で困ったことは無かったか?
白馬青牛の仕事場での人間関係を心配するよ。

具体的に聞くが、民族別に判断した場合
1、ソニン(在日)はどの民族なのか?
2、和田アキ子(在日)はどの民族なのか?
3、西城秀樹(在日)はどの民族なのか?
4、孫正義(中国系)はどの民族なのか?
5、王貞治(中国系)はどの民族なのか?

白馬青牛は顔から民族を判断できるんだろ?
判断できないなら、「私はウソを言いました。」って言いなさい。
上顔から民族を判断できるんだから、上の5人はどの民族なのか教えてくれよ。

俺は顔で民族を判断するのは不可能だと思っている。
しかし、白馬青牛は顔から民族を判断できるんだろ?


530 :白馬青牛:2006/06/13(火) 00:12:23
>>501
縄文人は、寒冷適応前の古モンゴロイドであろう。北方説・南方説と
様々あるので決め付けられん。
http://www.dai3gen.net/jinruigaku.htm
にも、様々な見解がある。
ほいで、明日は忙しいんで書けん。

531 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:16:33
白馬青牛は顔から民族を判断できるんだろ?
判断できないなら、「私はウソを言いました。」って言いなさい。
上顔から民族を判断できるんだから、上の5人はどの民族なのか教えてくれよ。


532 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:36:06
サッカーがこけたので漏れはヤケクソ気味です・・(ぶつぶつ)
守れよー(涙)!

いずれにしても、「公家顔」なので高貴な「騎馬民族顔」という
ような事はナシにしようと思いました。意外にも皇族にも濃い顔
が多いというようなことに気が付いたので。ソニンや和田アキ子は
女真顔なのか?とも思いますが、西城秀樹に到ってはわけわかりま
せん。孫正義が中国系だとは思いませんでした。北朝鮮だと思って
いたんですが…。

533 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 02:42:45
>>532
そもそも、韓国人=女真っていう認識がどうかと。

534 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 06:53:17
女真の血は入っているでしょう。
特に北の方は。

535 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:28:14
ん〜、清の時代にどれだけ交わったかどうかよくわからないけど、
韓国人=女真は明確に間違いですねえ。基礎語彙も一致せんし。
そもそも高句麗、百済の支配層は扶余系だし、新羅は半島南部の韓系。
現在の朝鮮人の基礎は韓系の人々でしょうねえ。

536 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:29:22
まあ女真というより、ツングースというほうが正しいね。
言語学的な区分じゃなく、人種的。

537 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:36:30
>>524
まあそうだけど、結構出自の偽造はあったようだよ。
このことは神皇正統記とかにも書かれていて、主に「天皇家」であると虚偽を付くのが絶えなかったそうだ。(笑
新撰姓氏録、皇別には新良貴ってのがいるけど、こいつ、どうみても新羅系だからね。で出自の欄見ると
案の定、新羅を建国したのは天皇家です、なんて言ってる。まあこれは三国史記等もあるようにかなり含みもあるかもしれんが。
三国で言うと、新羅と対立した時期は新羅人に対する差別は凄かっただろう。また三国出自の人々は基本的に身分が低く、
出自を尊くするために嘘をつくこともあったとされる。

538 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 09:20:44
>>531 民族の容貌は平均的な傾向という程度のもので特定個人が何民族か
などというのは意味がない。

 昔の朝鮮人が日本人よりやや背が高かったというのも平均値の話で、数人
の個人を比較した話ではないだろう。

 日本国内でも沖縄顔とか○○顔と呼ばれる地方別の容貌がある。


539 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 11:00:40
>>537
シラキ人てのは新羅人とはちゃうのか?

540 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 11:35:05
>>537
秦氏が帰化した時代に『新羅差別が激烈だった』 というソースをヲクレ。
それに、秦氏が倭国に協力して新羅攻めに精を出しているのも、漢民族
出身で、新羅という国家自体に未練がなかっただけではないか?

新羅は、元々秦の移民が住み着いた場所。その新羅の漢民族が圧迫され、
日本に亡命。←普通はこう考えるのが筋だと思うが、なぜに曲解を?

541 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 13:39:06
騎馬民族(扶余)に圧迫された漢民族が、祖国(新羅)を捨てて日本に
亡命したとすれば話がわかる。新羅に恨みこそあれ愛着が全く無いのも
わかる。


542 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:28:04
3王朝交替説とは、古代日本において
T、3C中葉〜4C中葉 三輪王朝(崇神・垂任朝)
U、4C後半〜5C    河内王朝(応神・仁徳朝)
V、6C以降        越前王朝(継体朝)
の3つの王朝が交替したという説で、ほぼ現在通説となっています。
3王朝交替説を取り上げる場合、その直前の時代(邪馬台国連合の時代)、その直後の時代(いわゆる欽明朝の内乱の時代)との関係も問題になります。

騎馬民族説とは、江上波夫氏(故人、つい最近ご逝去されました)が初めて唱えた説で、古代日本、ちょうど3王朝交替説の時代に大陸系騎馬民族による征服王朝が存在したという説です。
騎馬民族説は日本古代史を広く東洋史の視点から位置づけるもので、通説とはなりませんでしたが、画期的な説です。

後の調査・研究の進展により、3王朝交替説、騎馬民族説とも修正意見や異論も提起されています。


543 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:31:18
>>542

王朝渡来説には必ず「痕跡を消し去り」と文言が入ります。
逆に考えれば、この文言がなければ成り立たないとの事になります。
でも、王朝を立てるほどの民族なら消すことはないと思います。
なぜこそこそする必要があるのか私には疑問が残ります。


544 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:35:54
>>543

> 王朝を立てるほどの民族なら(痕跡を)消すことはないと思います。
> なぜこそこそする必要があるのか私には疑問が残ります。

王朝を立てるほどの民族だったからこそ、消さなければならない過去もある。
「タレントになるほどの人なら風俗嬢だった過去を消す必要はない」ってことはないでしょ?

おそらく、騎馬民族の漢民族に対するコンプレックスはすごく大きかったと思うんです。
明治時代の日本人が欧米人に対して抱いたものとは比べ物にならなかったんじゃないでしょうか。
なにしろ同じユーラシア大陸に住みながら、中国人は巨大な文明を築き、膨大な文化を蓄積していたのに対し、騎馬民族は文字さえなかったのです。
だから匈奴、鮮卑、突厥、扶余などが「自ら記した歴史書」が残ってないわけで・・・。

そもそも騎馬民族が王朝を建てるという行為は、主要産業を牧畜から農業へシフトし、定住化を目指すものですから、とりもなおさず「脱・騎馬民族」を意味しています。
だから、制度も風習も、次々に中国のものを採用していったわけです。

でも、ちゃんと大王の墓には馬の埴輪が祀られてたりする(笑)。
痕跡は残ってないようで、ちゃんと残ってると思うんですが。

545 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:39:54
>>544

騎馬〜遊牧民というのは、誇り高く農耕民をどちらかというと馬鹿にする・下に見ると司馬遼太郎氏をおしゃっています。
勿論農耕民も遊牧民を文字なき民、禽獣のごとき存在と感じていたことも確かですが、
一般的に騎馬民族の征服王朝が特に出自を隠したということもないように思います。
勿論鮮卑拓跋部〔北魏)は漢化政策を採りましたが結局それによる辺境守備の同族の反発を招き亡国を早めたのも確かです。
また唐公李淵は鮮卑か漢族かはまだ決していないように思います。
私個人としては鮮卑だろうと思っていますが、すでに隋末に漢民族化して自らを漢族と考えていたのではないでしょうか?
司馬遼太郎氏の著書などではモンゴル人は遊牧民族であることに強い誇りを持っているように書いてあります。

546 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:46:17
>>543
モンゴルも女真も「痕跡」を全く消していませんでしたね。
日本においてのみ、なぜに痕跡を消す必要があったのかがわかりません。
倭人て強くて有能だったのだろうか?それで、びびったとか(苦笑)

547 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:52:47
>>544

大量の弥生人が渡って来たと思いますが、それは一度にではないと思います。
例えば、一度に1000人と100年間に1000人とは事情が違います。
又渡海の目的が交流や亡命と軍事目的でも違うと思います。
軍事目的なら、まず朝鮮半島を占拠し、そこに前線基地を作ることが必要だと思います。
そこでは兵糧と武器のの確保、渡海用の多数の舟の造船、それ用の技術者や労働者の確保(元寇時と同じ様に)。
いざ進軍の時は、留守用の守備隊に戦力を分けなければならないでしょう。
戻るところがなくなる恐れもありますから。

タレントと王朝とはレベルが違いすぎますよ。
タレントとは、すでに完成されている芸能界という社会を前提として成り立ちます。
そして、その中の一員にすぎません。
コンプレックスも中国に対してであり、日本人に対してではないと思います。
ですから、もしそうであるなら、こそこそする必要はないのです。
コンプレックスの大きい人は、強い人には低姿勢だが、弱い人には威張るものです。
漢字を使用していても、日本人は中国人ではありません。


548 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:54:19
>>544
>>546

ジンギスカンの墓が未だに行方不明であるように、ある意味刹那的です。
彼らには、自らの痕跡を消すことに美意識があったのではないか、などと考えます。
それは、永続的なものに対し、軽い嫌悪感を感じざるを得ず、桜の散り際に美を見い出す、日本的な価値観とある種共通するようにも思います。

劣等感故に痕跡を消したのではなく、その高い誇りが、彼らの美意識を貫徹させたのだと考えるコトが可能です。

549 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:58:19
>>547

海の民にとって、海は障壁ではなく道路です。
しかし、騎馬民族にとってはどうでしょうか。
馬は海を怖がるそうですね。
そのため、馬を船に乗せるのは多くの人力を要すると聞きます。

一人あたま数等の馬を引き連れ、交代で乗るという扱いで、人より馬が多い騎馬民族にとっては、海は絶大な障壁です。

騎馬軍団を主力とする華北の王朝が長江を渡るだけでも、そうとうの難事業です。

対馬海峡は長江よりは広いんですよ。

550 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:09:42
>海の民にとって、海は障壁ではなく道路です。

そうなんです。
現代のわれわれは、車を常用しているせいか、ついつい「陸の視点」からものを見てしまいますね。
「海の視点」からみると、「目からうろこ」ということも、ままあります。

われわれサラリーマンも、スーツにネクタイ。
しかし、「西洋人」が渡来してきたわけじゃありません。

私自身は「騎馬民族王朝説」は「ちょっとねぇ・・・」という否定的な眼で見てしまいます。
「王朝」は建てなかったけれど、「騎馬文化」が渡来したことについては、どなたも異論はないと思いますが・・・。


551 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:21:45
形質人類学や遺伝学のデ−タから日本人、日本民族、日本語、日本国家の起源に迫れないかと考え、いろいろ思案して楽しんでいます。
HLAハプロタイプのデ−タから日本人とモンゴル人での最多ハプロタイプがA24B52DR2と言う共通性があります。
この集団の日本列島流入の時期が(数次に分かれて移住してきたのですが)古墳時代とは考え難く、
縄文晩期〜弥生時代初期がもっとも可能性が高いように思われます。

一時期日蒙共通祖語集団が蒙古高原東部に居住していたところに、
後のチュルク(トルコ)語の祖語を持つ騎馬遊牧民がおよそ6000〜10000年前に東進して、
この集団を南北に二分しその北方集団が騎馬民族化して後の(東部)モンゴル語集団の祖となり、
南方集団がいわば騎馬民族化を拒否して遼河流域に南下し(漁撈、採集、畑作に従事、ただし一部の支配者層は乗馬技術を採用した可能性あり)、
東夷諸族の中の一集団として(北方集団は北テキと見做される)3000〜4000年前ころには日本語の祖語を形成し『倭』と呼ばれるようになり、
殷周革命前後の民族移動期に遼河流域より南下を開始し、比較的短期間に朝鮮半島を縦断し日本列島に入って、
前後して列島に入った韓族、江南系諸民族〔越系)や先住の縄文人(北方系と南方系で出自が異なる)を圧倒して日本列島を日本語列島とし、
弥生時代を切り開き、後の国家形成の主力となったという仮説を立てたことがあります。

ただ証拠もなく証明不可能なので遼河以前については現在は仮説を放棄し、
前10世紀以降については一応いまでも成立し得ると考え、
韓国・北朝鮮・中国などの考古学や人類学のデ−タ集積を待ってもう一度再検討するつもりです。
皆さんのご意見も伺いたいのですが。

552 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:27:08
「古代に国境は無い」まったく同感です。当時は日本人も韓国人も居やしない。
民族としての日本人と韓国人が形成され始めたのは、663ADの白村江の戦い以降の話だと私は思ってます。

三王朝交代説については、

(1)日本列島に土着していた騎馬民族の出自を持つ一族の資産(領土・領民)を、
   朝鮮半島にいた同族が「乗っ取った」ケース・・・三輪/河内王朝
(2)日本列島に土着していた騎馬民族の出自を持つ一族の資産(領土・領民)を、
   同じく日本列島に土着していた、この一族の遠縁(と思われていた一族)が
   継承したケース・・・継体王朝

などと想像しています。あくまで想像ですよ。私は素人ですから。

神武天皇というのは、「騎馬民族の出自を持つ一族」の当主で、王権とまでは行かなくても、
大和の地方勢力としての基盤を最初に確立した人を象徴しているのではないか?
などと想像しています。
それが(実態はどうだったか分かりませんが)葛城王朝なんて呼ばれてるのかな〜、な〜んて。

継体天皇の出身地の北陸地方って(実は出雲地方もそうなんですが)、
高句麗と同型の四隅突出型古墳が多数出土してるんですよね。
私は継体天皇の出自に高句麗の影響を感じています。
(高句麗族は扶余族の末裔を名乗ってました。


553 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:35:01
>>547

軍を渡海させることは、その背景に国内の統一(動員力)があります。
統一なくして兵力を分散する事はできません。
軍を一旦渡海させると、国内で何かあったとき簡単に戻ってこれない。
まとまった軍を出兵させるには、出発と受け入れ地にそれぞれ前線基地が必要と思います。
その後の百済亡命者の受け入(多くは武蔵野国)れなどを考えると、統一国家がないとは言い切れないと思います。
又唐は、戦後の朝鮮半島処理で、日本進駐どころではないでしょ。
もし唐が日本に兵を送ったら、新羅に補給路を絶たれ、もっと簡単に朝鮮統一がなったと思います。

554 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:36:56
>>552
>高句麗と同型の四隅突出型古墳が多数出土してるんですよね。

あれは無視していい。
江上・森ご一行様に対して、
北朝鮮が国賓級待遇で迎え、「さぁ、見てください!」だったし。
考古学なんてない国ですから。

555 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:44:23
>>552

三輪王朝の箸墓古墳と、河内王朝の応神や仁徳の墓は、どちらも前方後円墳ですよね。
それぞれが民族の異なる王朝だったら、墓制もそれぞれの風習を重んじるはずだと思うのですが・・・。

556 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:54:38
伽耶地域では、3世紀末くらいにいきなり騎馬民族的な文化が出現したそうです。
ところが5世紀になり高句麗や新羅の圧力が強まると、
この騎馬民族的な文化をもった人々が突然、姿を消してしまったらしい。

新羅王室は朴・昔・金の三氏があったそうですが、一番新しい金氏には謎が多いらしい。
卵生神話を考えると、古い王(おそらく朴・昔氏)は船でやってきた可能性が高く、
このあたりが始祖は倭国から行っている、という話になっているんだと思います。
ただ、金氏に関してはスキタイ系遊牧民の流れを汲む騎馬民族ではないか?
という話もあるそうです。
よくは知らないのですが、百済や高句麗には見当たらない新羅独自の「黄金文化」や
慶尚道に残るコーカソイド風の石人像等が、このような説の背景になっているそうです。


557 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:55:53
>>549
>海の民にとって、海は障壁ではなく道路です。
>しかし、騎馬民族にとってはどうでしょうか。

遊牧騎馬民族ではないが、ここで言う「騎馬民族」である扶余は
あなたが言う「海の民」たる狗耶韓国人を支配したのです。
海に関することは狗耶韓国人にやらせることができます。

>一人あたま数等の馬を引き連れ、交代で乗るという扱いで、人より馬が多い騎馬民族
>にとっては、海は絶大な障壁です。

一人あたま数頭というのは後のモンゴルのことです。扶余の軍隊はそのようなものでは
なく、装甲騎兵、軽騎兵、歩兵からなる、ごく普通の軍隊です。
重要なのは同時代の倭に、騎兵というものがなかったことです。

>対馬海峡は長江よりは広いんですよ。

康煕帝が満洲北端のアルバジン城を攻めるのに、どうやって軍隊を
送ったか、ご存じですか? 内陸の吉林を基地として、第二松花江〜松花江
〜黒竜江と、延々千キロ以上の河上輸送を行ったのです。なぜか?
当時の満洲は山と湿地と密林で、とうてい陸地の通過が不可能だからです。
17世紀にしてこの有様。扶余のころはなおさらでしょう。
扶余は東部満洲の広い領地を治めるのに、河上輸送に頼ったに違いないのです。
もちろん馬も含めてね。



558 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:59:41
>>556

新羅の王家朴・昔・金三氏の内、最初の3代は朴氏で四代目が昔氏の脱解尼師今です。
彼は倭国の東北1千里のところにある多婆那国(但馬・肥後国玉名郡などの説あり)の生まれと「三国史記」に記載されています。
この他建国以来の重臣として瓢箪を腰にぶら下げてやってきた倭人「コ公」がいます。
どうも新羅の建国には土着の6部(韓族?古アジア族?)に倭人や扶余か馬韓人の支配者、中国の楽浪郡の遺民などが関わっているようです。


559 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:07:00
>>552

騎馬民族征服説では一般に河内王朝と目される倭の五王は征服王朝(扶余系騎馬民族)とみなされています。
しかし、中国南朝に朝貢した百済や、高句麗にしても皇帝への上表文で、王家の出自を堂々と扶余の出身と述べていますが、
倭王武の上表文では扶余の文字は全くでてきていません。

これはこの王朝が扶余出自でないことを意味していると思われます。
扶余の王家であれば東明・朱蒙説話(神話)を持ち、誰はばかることなく中国王朝に宣言したはずです。
数百年〜1000年以上前におそらく日本列島に入ったのでしょうが、
扶余〜ツング−スではなく、倭人(北方系)の出自だったと思われます。


560 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:10:39
>>554
すごくタイムリーなコメント、ありがとうございます!

漏れは、江上が北朝鮮に招待され、北の高官から「これからも頑張って
ください。」と言われた件について、ちょうど白馬青牛氏に尋ねようと
思ってたところですよ。


江上波夫が北朝鮮とズブズブな本当の理由て何なんですか?

561 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:15:41
鳥越憲三郎著書 古代朝鮮と倭族(中公新書)

以下引用

「稲作を伴って日本列島に渡来した弥生人は「倭人」と呼ばれ、先住の縄文人を
征して「倭国」を形成した。彼らの渡来は紀元前400〜450年ころの縄文晩期と
みられている。

ところが同じ倭人の称をもつ部族が中国大陸にもいた。「論衡」によると
紀元前1000年(今から三千年前)、周代初頭の記事として、例えば
「周時天下泰平にして、越裳白雉を献じ、倭人、ちょうそうを貢す」などの文が
3ヶ所にみえる。(中略)

中国大陸にいたという倭人は、一体どこに住んでいたのであろうか。その倭人の
住地を捜し求める調査研究の結果、長江(揚子江)上流域の四川、雲南、貴州の
各省にかけて、いくつもの倭人の王国があったことを知った。「史記」が記す
てん、夜郎、しょ蘭、きょう都、昆明、ずい、し、さく、ぜん、ぼう、蜀、巴などの国々
であるが、秦始皇帝と前漢武帝の征討をうけて、多くの王が殺され、滅亡していった。

彼ら倭人は新石器時代の初めごろ、雲南省のてん池か、または周辺に点在する湖畔で
水稲の人口栽培に成功したとみられる。生産様式の異なりは、それに伴って
特殊な文化を育成するが、その文化的特質の中でもっとも顕著なものは、
水稲農耕という生産様式から高床式建物を考案したことである。(中略)


562 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:16:24
彼らはその稲作と高床式建物を携え、雲南から各河川を通じて東アジア、
東南アジアへ向けて広く移動分布した。そうした文化的特質を共有する民族、
つまり日本人と祖先を同じくするものを、先年来「倭族」という新しい概念で捉え、
これまで幾多の論所をもって提唱してきた。

それら倭族の中で、長江(揚子江)を通じて東方に向かった一団の中から、
さらに朝鮮半島を経由して日本列島にまで辿り着いたのが、日本における
弥生人、すなわち倭人である。

長江を経て東方に移動した倭族については、約七000年前の長江下流域における
ホムド遺跡をはじめ、そこから山東半島に向けて北上し、その地でいくつもの王国を
築いていたことや、また東南アジアへ移動分布した倭族についても、すでに他の
論著で詳しく考証し、本書でも簡略に紹介しておいた。

しかし日本列島に渡来した倭族を理解するためには、径路となった朝鮮半島に
おける倭族の足跡について、ぜひとも学問的に論証する必要があった。
本書はそれを果たす目的で書いたものである。


563 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:20:24
>>561
>>562

「越」を蔑んで「倭」の字を当てたという説があります。
どちらも音読みで「wo」なのだそうです。
春秋時代の越が滅び、日本列島に落ち延びた遺臣が、北陸地方に越を再興。
中国がこれを倭(あるいは東倭)と呼び、それ以来、列島を「倭国」、列島の住民を総称して「倭人」と呼んだというもの。

私は、北陸の越の勢力が奈良盆地に達し、ここを「大越」と呼んだのが「大和」の始まりではないかと想像しています。


564 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:26:16
少し質問させてもらってもよろしいでしょうか?

二世紀末から四世紀中期までの遺跡である纏向遺跡の外来系土器についてです。
土器のうち、東海、吉備、山陰が主で、北九州の土器がほとんど出土していないのは何故でしょうか?(後半は多少増えてるそうですが・・)
民族が移動すれば、土器も移動すると思うのですが?

逆に北九州の遺跡からは大和系の土器が出土しているそうですが、その辺りはどのように考えたらよろしいのでしょうか?


565 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:29:14
>>564

纏向遺跡の搬入土器は総数の15%以上を占めるが、
この内半数は東海系、北陸と山陰で17%、河内10%、吉備7%、関東系5%、近江系5%、西部瀬戸内系3%、播磨系3%、紀伊系1%、他に韓式土器も出土。
北九州のデータはありませんでした。

また、白石太一郎氏によると
「最近著しく進んだ初期の土師器の研究では、この時期の土器の移動や影響関係が明確に東から西への動きを示し、
九州の土器が吉備や畿内へ動いた証はほとんどみられない。」

566 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:32:29
>>561
>>562

雲南省での水稲栽培云々は、かつての水稲耕作の起源地をアッサムから雲南のいわゆる「東亜半月弧」に求めた中尾佐助氏らの所説の影響下に成立したものだと思われます。
だが、現在水稲耕作・ジャポニカ米の起源は長江中下流域にほぼ決定し、黄河文明に先立つ「長江文明論」も盛んに議論されています。
「倭族論」を認めると、黄河文明の担当者だった「夏人(華人)」の出自もタイ族や苗族、南島語族も全て「倭族」ということになります。
そもそも人種や民族を東アジアで論ずること自体無意味になります。
せめて黄河文明成立後の長江流域の非漢族を「越族」と呼ぶならまだしも議論になり得ると思います。
「倭族論」は「倭」「倭人」の探究には無益だと思います。

「倭族」の代わりに「越族」という用語を使用するならば、「百越」という中国史上の語彙があり、議論の対象となり得ますが、
鳥越氏しか使用しない「倭族」を安易に使用すれば、ただ混乱を招くだけでしょう。
私は鳥越氏の意味するような「倭族」ではなく、「漢族」「韓族」「越族」「満族」「回族」といった文脈で使用される「倭族」は勿論認めますが。

567 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:35:13
>>566

東アジア、特に中国大陸で人種を論ずることにあまり意味は無いと思いますが。。。
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-55.html
民族は文化・習俗の集合体ですので、まだ意味はありそうですが。。。

鳥越氏は「古代中国と倭族(中公新書)」の中で長江文明論について検証てましたね。
長江文明の担い手は倭族ではないか? と。
同書はまた、苗族は紀元前ニ四00頃に黄河流域から長江中流域にやってきた部族ではないか?と言ってます。
彼等は今でこそ水稲耕作民ですが、床式でなく土間式の住居やその他の生活習俗から見て、倭族とは明らかに異なるそうです。
苗族が長江中流域に土着した時点(苗族が長江中流域にあった倭族の王国を滅亡させた時点)で、
倭族文化圏は長江上流域と長江下流域に分割されてしまった、と言ってます。

現代中国でも上海語や広東語はタイ語系統の言語で、北京語とは言語系統が全然違う、
と岡田英弘氏は言っていたような気がしますが。
そもそも中国大陸で人種を云々すること自体、あまり意味はなさそうです。
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-55.html

鳥越氏の著作を見る限り、倭族とは、
*水稲稲作
*高床式建物
*村の境界の結界門(鳥居の起源)
*注連縄・〆縄
等の一連の習俗を持つ人々であって、人種は決定的なファクターではないように思われます。
倭族が拡散した領域は大変広いので、倭族発祥の地(長江上流域)から遠く離れた地に住み着いた倭族が
人種系統が異なるグループと混血したのに習俗は捨てなかったとしても、別に変な話ではないと思います。
(なんせコメほど人の口を養えるものはありませんから)

568 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:36:18
>>566

鳥越氏はタイ人は倭族であると言ってますが、南島語族を全て「倭族」とは言ってなかったと思います。
南島語族の一部は倭族と同じ習俗を持っているので倭族である、とは言ってたような気がしますが。
言語に言及するのは気がひけるのですが(笑)、日本語にはタイやモン・クメール系の語彙が結構入ってる、
らしいじゃないですか。
(鳥越氏はモン・クメール族も倭族に分類してましたね)


>鳥越氏しか使用しない「倭族」を安易に使用すれば、ただ混乱を招くだけでしょう。

定義はしっかり書いておくべきでしたね。


>私は鳥越氏の意味するような「倭族」ではなく、「漢族」「韓族」「越族」「満族」「回族」といった
>文脈で使用される「倭族」は勿論認めますが。

それじゃ、「倭習俗グループ」とでも呼んでおきますか?(笑)
インド・ヨーロッパ語族と似た感じで。


>せめて黄河文明成立後の長江流域の非漢族を「越族」と 呼ぶならまだしも議論になり得ると思います。
「倭族論」は「倭」「倭人」の探究には無益だと思います。

鳥越氏ならおそらく、「越族」とは倭族の一バージョンで、「越族」には多くの下位バージョンがある、
と言い出しそうだ。

569 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:41:03
>>547
漏れは、弥生期以降における騎馬民族の襲来はなかったと思ってます。
というのは、弥生の集落は、主に堀を廻らすだけで、中国のような
馬鹿高い城壁を廻らす事がなかったからです。その他の時代において
も(奈良・平安)、高い城壁を廻らす習慣は根付かなかった。これは、
純粋な「騎馬民族」の「征服者」が来なかったせいだと思います。
内戦はあったが、基本的には、純粋な騎馬民族の征服者によるもの
じゃなかったんじゃないかと思います。素人だから、わからんけど。

>>548
満州族は、漢民族に風俗まで強制してますよ。
漢文化の継承者となる一方で、満州文字も使い続けていた。

>>552
漏れは、神武天皇は、単なる邪馬台国から派生した勇敢な開拓者だと
思ってます。騎馬民族の征服者などという御大層な出自じゃないと
思う。

あと、陵墓の出土品などから見て、継体帝は海にも関係してませんで
した?

570 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:44:54
>>566

>「倭族論」は「倭」「倭人」の探究には無益だと思います。

とりあえず背景知識として知っておいても損はないと思いますけど。
「倭国」「日本国」はいかにして形成されたか?
を知る上で、日本列島だけでなく、中国本土、満州、朝鮮半島での倭国形成に関連する
動きを幅広く知っておくことは、視野狭窄を避けるためにも有益だと思います。

571 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:49:15
>>565

レス、ありがとうございました。

纏向遺跡って、
外来系土器では、東海
古墳の特殊器台では、吉備
鏡の埋葬では、北部九州(?)
三輪山の大物主では、出雲(?)

多くの出自ルートが絡み合っていて初心者には、訳がわからない状態でしたので・・・

でもよく考えてみたら、在地系の土器が85%近くあると思えば、在地の人々が造った遺跡なのかなあ・・・
あと、朝鮮半島の土器が0.0%以下で、紀伊系1%なので、紀伊よりも少ないんですね。

詳しく調べるほど、朝鮮半島の影響は少ないですね。


572 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:55:03
>>566

岡田英弘氏の著作は、私も早くから読んでいます(「倭国」「倭国の時代」の他チンギズ・ハーン、妻も敵なりなど)し、
その黄河流域での後漢末期から隋唐までの間に人種交代が起こったとの主張は正しいと考えています。
しかし周辺諸民族(漢民族も含めて)の成り立ちを考える時、形質(自然)人類学や言語学・民族学的なことを無視してよいはずはありませんし、
私は岡田氏の著書からは、日本国の形成に華僑が大きな役割を果たしたが、民族を規定する最大要素とも言うべき言語については、
はっきり「倭人」の言語を(華僑や倭人の首長層など支配者が)採用したとしていると理解しました。
彼は倭人と華僑の二つのグル−プの異質性は明確に認めています。

是に対し鳥越氏の説は(狭義の)倭人も越人も南島語族系も韓族も一緒くたに「倭族」と称し、
自然人類学からの反論を予め受けないように、いわば「逃げている」と私には思えるのですが。
人種は基本的に形質・遺伝などの概念が重要であり、民族は言語と歴史的共同体意識が重要ですが、
ある程度古代に溯れば集団の人種的特徴が民族的なそれと重なる部分が多く、
言語記録などがない場合、人類学的、遺伝学的デ−タに基付いて定義された集団を民族集団と同一視しても
そう間違っていないと思っています。

573 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:01:27
>>569

失礼ですが、「思っています。」だけでは反論できないです。
その論拠を示してくれた方が、より具体的な反論ができます。


574 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:03:47
>>573
やっぱ、まずいっすかね?
問題があれば、ドシドシ指摘してください。

575 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:06:11
>>566
>>567
>>568
>>572

「倭」「倭人」が後漢書烏丸鮮卑東夷伝、三国史記高句麗本紀などで、部族名、国名、地名などの形で、列島外に現れ、
しかも満州〜朝鮮半島北部に比定されることは明白です。
列島の倭人とこれら北方の倭人がどのような関係にあったかが議論の対象になるべきです。
後漢書の「倭人国」は遼河流域に在り、且つ漁撈に巧みで、少なくとも1000余家以上
〔三国志魏書弁辰伝によると弁韓・辰韓24国の人口は大国4〜5千家、小国6〜700家)だったと記載されております。
北方からの倭人集団の南下と列島進入に同行しなかった部族と考えて良いと思われます。
これを側面から支持するのが、日本人とモンゴル人でのHLAハプロタイプA24B52DR2が最多グル−プであるという事実です。
日本列島から蒙古高原への移住が考え難い以上、蒙古高原、満州あたりに拡散の中心を想定(少なくとも列島への進出の前には)するのが合理的で、
満州、沿海州あたりの少数民族の同ハプロタイプの分布が確認されていない(将来の可能性は残りますが)以上、
日本列島に入ったこのハプロタイプ所有者は主に半島西海岸を通過して日本列島に入った蓋然性が大きいと考えられます。
要するに(北方系の)倭人が日本語(の祖語)を持ち日本列島を倭人の支配する地域と化したからこそ、
日本列島が「倭」「倭国」と呼ばれるようになったのです。

576 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:08:05
>>552
「古代に国境は無い」まったく同感です。当時は日本人も韓国人も居やしない。
民族としての日本人と韓国人が形成され始めたのは、663ADの白村江の戦い以降の話
だと私は思ってます。
・・・・
魏志倭人伝によれば3Cにはすでに日本列島は倭人だけの領域で日本民族は形成
されていたと思う。この時代に既に倭人と半島人の区別はあっただろう。対馬海峡
が自然の国境を形成していたとも思われる(半島南部には倭人も居たが)。

 朝鮮は新羅統一以前は三国時代で、それ以前には漢四郡が置かれていた多民族
地域だったので朝鮮民族の形成は7世紀以後のことというのには同意。




577 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:20:50
「倭」関係記事の表記について−新羅本紀の「倭」観−という論文が「東アジアの古代文化」113号(2002年秋)〔大和書房)に載っていました。
著者の糸永佳正氏はAD500以前の新羅本紀の「倭・倭人・倭国・倭賊」記事を分析して、
@新羅本紀には新羅来襲の主体について「倭人・倭賊」と「倭兵」の表記間に区別があり
A「倭兵」は東方の国家的勢力を、「倭人・倭賊」は北九州周辺の国家的勢力と非国家的勢力の両者を、指すのに使用されていると結論されています。

「倭兵」を派遣した「倭国」は大和朝廷もしくは新羅より東方の列島内勢力を意味し、「倭人・倭賊」を派遣した勢力は大和王権の連合勢力の一部なのか、九州王朝なのかは不明としています。
三王朝交代説をとるとしても(新羅本紀の年代修正が必要でしょうが)三輪王朝かそれ以前に列島東方の倭国?が新羅の東辺を襲い麦や人の略奪をしていた可能性があることになります。
皆さんはどうお考えでしょうか?

578 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:29:05
古代史の基本史料に『魏志』倭人伝と、倭王武の上表文があります。
勿論、『日本書紀』よりも遙かに信頼性があります。
仮に邪馬台国が大和にあった(纏向)としますと、
卑弥呼は畿内から九州までの諸王(?)から共立された倭王だったということになります。

一方、倭王武の上表文は、東西121国、海北95国を征伐したと主張しています。
一級史料だとしても、必ずしも史実を反映しているという保証はありません。
自分でそう言っているだけのことです。
しかし、ある程度は史実を反映しているとすると、倭王武に近い時代に征服戦争があったことになります。
つまり、五世紀の王朝は倭の諸国にとっても歓迎されざる王朝だったことになります。

どうも河内王朝は、邪馬台国・纏向の王権を継承するものではなかったようですね。
下克上か、騎馬民族の征服か、或いはその中間か、シナリオはいろいろ考えられますね。




579 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:32:06
>>577
>>578

江上波夫氏の騎馬民族説の根幹の一つは「倭」王の血統は全て同一氏族であるということにあったと思うのですが、この点についてはどうお考えですか?

私は倭人北方起源説論者ですが、倭人は騎馬民族化を嫌って遼河周辺より南下を開始して日本列島に入って邪馬台国連合などの諸部族(連合)国家を形成したと考えており
移動時には権力集中が必要なことから早くに倭人全体のいわば大君長家(王の氏族)は確立したのではないかと思っているのですが。

580 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:35:20
>>579

糸永論文によると「倭人」の新羅侵攻の最初は新羅建国の王赫居世の8年〔BC50年)に、
「倭国」記事は脱解尼師今元年の即位に関連して脱解が倭国東北一千里にある多婆那国の出身というのが初出で、
その3年6月〔AD59年)「与倭国結好交聘」とあります。

このあたりの新羅本紀の記事の信頼性については日本の記紀の開化天皇以前と同様かそれ以上に慎重に扱う必要がありますが、
ともあれ

@新羅建国の最初は倭人かその類似種族が馬韓よりの自立に協力した
(倭人コ公の記事)ことと王位にも脱解の即位に見られるように倭人らしき国の出身者が就いたこと

A新羅は東方の「倭国」(倭兵の出兵主体)とは当初友好的に見えること

B「倭人」が糸永説のように北九州勢力と仮定されればですが、この「倭人」とは建国当初より敵対関係にあったこと

C当初友好的だった(糸永説の)東方の「倭国」との関係が敵対関係に変ったのは倭王の求めた婚姻を新羅が断ったことが原因らしい、

といったことが「三国史記新羅本紀」から読み取れます。

新羅本紀の年代観の修正が必要と思われますが、糸永説の新羅東方の国家的勢力「倭国」と北九州勢力「倭人」の二分が成立するとすれば
邪馬台国問題や日本建国についての有力なてがかりになると思われます。

581 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:37:21
>>580

「同一氏族」という意味が解りませんが・・。
江上氏自身はどのように書かれておりましたでしょうか。

「倭王の血統」ということでは、扶余族の分流と理解しています。
しかし、江上説の、崇神・応神に関しては、両者とも虚構の人物と考えています。

「新王朝」は北陸から近江出身の可能性があり、その血統は、河内王朝とは異なり、HLA−B44−DR13ハプロタイプかも知れませんね。
結局、騎馬民族説は皇室、その周辺のDNA鑑定で決まってしまう問題だと思いますよ。
皇族のDNA分析が無理なら、次善の策として京都人のDNA分析も意味があると思います。
そのような研究はないのでしょうか?


582 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:41:52
>>579

倭人の主流は、呉越地方からの渡来稲作民である、というのは動かし難いと思いますよ。
そういう流れを否定されるわけではないと思いますが・・。
そこに北方系倭人を加えるわけでしょうか。
その場合、それは弥生のどの段階でのこととされるのでしょうか。



「黒竜江、松花江、遼河、鴨緑江、豆満江、(略)内陸河川における漁撈民というものが成立していて、それが船に乗った。船に乗ったときから新しい段階が始まる。
(略)これが高句麗国家の成立からのちの渤海まで全部続くひとつの柱になる」(梅棹忠夫)
これは、水谷慶一『知られざる古代』にありました『魚と人と海 漁労文化を考える』日本放送出版協会からの孫引きです。

一口に北方系と申しても、北方系海人というものもあるようです。
古代の海人族には宗像と安曇があり、水野祐氏によると、宗像は北九州から山陰、安曇は瀬戸内に分布するということですが、
もしかすると宗像は北方系かも知れませんね。

中国人には倭人=海人という観念があり、北方系海人を、非倭系であるにもかかわらず、倭人としたという可能性もありますね。
北方系海人族も追求しようと思っているのですが、そのままになっています。

騎馬民族説は馬賊の頭目が倭王になったようなもの、北方系海人説は海賊の頭目が倭王になったようなもの、と言えるかもしれませんね。
(仮に北方系海人が四世紀末に来たとして)
どちらであっても不思議はないと思いますがね・・。
乱世とはそういうものでしょう。

583 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:34:27
>>581
京都人のDNA鑑定は難しいと思いますよ。

弥生系に加え、縄文系、漢民族、新羅系、百済系、高句麗系、烏丸など色々な民族が
入り乱れていましたから。

584 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:39:35
>>582
倭人が江南から北上し、斉や燕のあたりまで来ていた事が考えられませ
んか?
倭人が献じた香草(ウコン?レイシ?)というのは、東北地方でも採れ
ますか?あまり北方の植物では無いように思いますけど。

ウコン=沖縄
レイシ=雲南

といったイメージですが。

585 :YAP?:2006/06/14(水) 16:42:39
またまた3日ぶりの書き込みであ、いちいち、コメントできないので感想という形になるがご勘弁を。

白馬青牛氏の「論拠を」(No493)というご要求は、ごもっともだが体力・気力・時間が許さないのでね。

ところが、どうも昔、私が投稿したのとほぼ同じ論旨の書き込み(Yahoo!掲示板など)が、あった。
551、566、572、575、577、579,580といったところだ。
心なしか、文体までそっくりのような気がするが・・・。

どちらにしろ、「倭人」を現在の日本人の祖型となった「民族集団」と考える場合、最重要な問題は「言語」即ち「日本語」の問題だ。
この言語の由来を北方におくか、或いは南方に置くか、又その形成時期を何時と捉えるのかが、論議の焦点になる。

板橋義三氏(九代)のように、南島祖語、日本語祖語、高句麗語などを含む扶余系諸語が、「中国中南部」に隣接して存在し、後二言語が、北上して、
列島や、満洲方面に入ったという考えも在る。
どつらにしろ、扶余系言語と日本語の「類似」は疑うべくもないが、それが「北方」(遼河流域〜大興安嶺周辺)とかんがえるか、「長江中下流域」と考えるか
と言えば、私は前者を採る。
で、その結果が、「倭人北方起源説」ということに成る。
扶余系諸言語の祖語と、日琉祖語の濃厚な接触(或いは同源?)を認め、且つ、『魏志倭人伝』の時代の「倭人語」が、開音節その他上代日本語荷連なる特徴
を持っており、すでに「古代日本語」であったと考える(森博達氏、長田夏樹氏ら)ならば、古墳時代の「扶余系騎馬民族」の征服など、仮定しなくとも、日本の北方的要素の
大部分は説明できると言うのが私の考えなのだが。

尚、「骨の形態」に拘りすぎるのは、無意味だと思う。
「思う」根拠は、医学生として解剖学実習で無味乾燥な「骨学」とやらを学んだ個人的感想だが。


586 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 18:06:28
YAP?さんの意見に一番近いサイトかも…
僕もここが分かりやすいと思う。

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku1.htm

587 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 19:01:22
ある中国人によると魏志倭人伝の中の国名で「身弓」臣国というものだけが
日本語とは思われず、漢人の国の可能性がある、という説があった。


588 :YAP?:2006/06/14(水) 19:09:01
586さん、

ご紹介有難うございます。
時間さえ許せばぜひとも、拝読したいのですが、近日中に転居予定ですので、
ちょっと無理なようです。



589 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 19:14:57
>>585 日本語とトルコ語の文法上の類似を見ると北方系が強いのだろうな。

安本説の江南ビルマ語系というのは唐突な感じがする。インドネシア語、
カンボジア語との頭音の高い一致率というのはどれほどの信頼性があるの
だろうか。


590 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 22:04:54
>>585
「扶余系」の言語と日本語との関係は、本当に深いんですか?
当時の「扶余系」が、現在のどの民族に当たるのかも不明だそ
うですよ。

591 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 22:06:57
それから、魏志の倭人伝などを見ても、倭人を扶余系と見る
記述はありませんよ。全く関係のない?越風俗との近似性を
挙げています。

592 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 22:19:19
百済語=扶余語、
伽耶語=弁韓語

とした場合、倭人の言語はどちらになるだろう?


593 :白馬青牛:2006/06/14(水) 22:42:34
>>585
「民族集団」を考える場合、最重要な問題は言語と断定しとるが、言語
だけじゃのうて、民族集団を構成する様々な要素を多面的に考えんと
いけん。言語要素はその一部に過ぎんよ。日琉祖語があったかどうか断定
出来んが、日本、特に西日本と琉球では、形質、体質で大いに異なる。
耳垢の分布でも、琉球はアイヌ人や中国南部、アメリカ先住民並みに
湿型が多い。本土日本人は、モンゴルやツングース、中国北部、朝鮮と
似て乾型が大部分を占める。腋臭者の分布も琉球の27%〜35%は
台湾の22%〜48%と近いとして、本土日本人の10、5%華北人の
2,9〜3,2%等と較べると、琉球は南方体質であり、仮に琉球が
日本語族?であったとしても、民族(人種的)集団の形成に関与した要素
は、少ないと云えよう。骨学とやらと云う言で形質要素を低く見て、
「無意味」という言まで使う。こうなると、もうカルト的学問と云わざるを
得ん。あらゆる学問、分野の多様な要素から考察すべきものを、
自己の感想で、形質的考察を考慮せず遮断するのは、新興宗教のカルト
信者となんら変わらん。あなた自身が偏見や先入観でものを視とるんを
自慢したいんか?
あなたは、医学生であったと云うことは、専門家教育を受けた訳か。
学問とは様々な要素から総合的な判断するジェネラルなもので、
幅広い分野から考察する方が誤差が少ないであろう。しかるにあなたは、
特定な分野の見解は拒絶し、自己の研究室的?狭い見解から解釈しようと
する。専門馬鹿の状態に陥っておらんかと心配するよ。専門家を尊敬し、
一見識で妄想に発展する思考を持つ東日本的な考えと違い、もっと現実性を
重視する西日本と民族性の違いもあるとは思うがねえ。

594 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 22:56:36
カレー臭が漂うと元の駄スレに戻ります。

595 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:17:46
>>593
案外、独断と偏見に満ちた人ですねぇ。
倭人が奴隷民だとか、騎馬民族顔が高貴だとか、
鹿児島人が不細工だとか。東日本が妄想的だとか。
ひどい人種的偏見だ。

倭人が奴隷民とのことですが、当時の大陸が
不安定で極端な労働力不足にあったとすれば、
大量のクーリーが必要となったはずです。
現在の日本がアメリカのために自衛隊をイラクに
派遣しているように、労働力を提供する必要も
有ったのかもしれない。案外中国に泣きつかれた
可能性を疑っています。

現在の日本の対中無償援助もそうですね。中国
政府を崩壊させない為には、日本の金が必要だ
ったりします。

596 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:38:14
>>593
あなた自身が、新興宗教のカルト信者となんら変わらん。
あなた自身が偏見や先入観でものを視とるんを 自慢したいんか?


597 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:57:06
>一見識で妄想に発展する思考を持つ東日本的な考えと違い、
>もっと現実性を 重視する西日本と民族性の違いもあるとは思うがねえ。

何言ってんだかw
わけわからん。


598 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:59:45
マンネリ化?

599 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 00:03:56
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135082630/l50

333 :白馬青牛 :2006/06/14(水) 23:47:43
>>329
恣意的な資料選択で粉飾されたと断定するんなら、東西武士団の構成要素に
差がないとする意見を聞きたい。どのようなものか?罵倒だけで、あなたの
意見や考察もない。
>>330
東国の習いに女子童子を捕らえ売買する族が多かったが、梅棹忠夫氏の
ような西日本=海洋国家、東日本=大陸国家とは違う概念。海上交易には
奴隷売買が不可欠であり、海洋国家=民主的とは言い難い。
東国の上下の差の激しく、村落の代表も世襲制であり、社会的に
隷属奴隷制度であったのと違い、西国の村落の代表は選挙制、
武士団も横の連合で構成される社会と違うと云うこと。
東西日本の社会構成を同一視するのが、そもそも可笑しい。

600 :白馬青牛:2006/06/15(木) 00:32:22
>>595596
倭人が奴隷民で無いなら、自国奴隷派遣民としたい訳か?
騎馬民族顔?が高貴とするのはベルツ氏見解。鹿児島人が不細工で
あったのは、貴族的で無い容貌やベルツ氏のような西洋人から見ての話も
あるが、わし自身も薩摩や東日本に美形が少なく、古モンゴロイド的
ギョロ目と思える目のパッチリした大きい人(小学校の頃ギョロ目は蔑視の
対象であった)は、美形とは思わんだけで、現代では様々な価値観が
あろう。苦力(クーリー)、奴隷は、東南アジアからの献上でも良い訳で、
中国に泣き付かれたと云う根拠は何処から出て来るんか?
まあ、四隅突出墳を北朝鮮の国家体制と絡めて、政治的問題として
否定したり、航海の軸線でもない江南から直接九州へ渡ったと
妄想要素が強いが、その人達に独断と偏見とされてもねえ。
仏教を弾圧した、朝鮮と同類の朱子学儒教国家の薩摩人が今日も吼えとる。
薩摩人の論理では、隠れ念仏でもしとれ。見つけたらただでは済まさん
と云うことか。朝鮮李朝のコピー国家(藩)が偉そうに云うとるのう。

601 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 00:39:02
>>600
典型的な広島人顔を挙げるとしたら誰?

602 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 00:59:09
>まあ、四隅突出墳を北朝鮮の国家体制と絡めて、政治的問題として
>否定したり

北朝鮮の四隅突出墳なんて発掘調査もしてねえのに何言ってるんだか…

603 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 00:59:12
>>593 例のGm型遺伝子とやらの図では沖縄も日本本土以上に北方系という
色分けがされているようですが。



604 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 01:13:12
じゃぁ、北方系とやらはどっから北方に移動したんだ?
時系列に移動経路の証明できてんの?w

605 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 01:54:17
アイヌ語地名研究者には沖縄西表島にまでアイヌ語地名が分布している
という説もあるな。

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