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先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレE

1 :先祖マニア:2006/06/07(水) 18:11:08
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしよう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る


361 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 09:04:40

日本全国どこにも絶対に遺漏がない、と思うほうがww

362 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 10:30:38
>>350
もう少し長めのアップローダーに再掲してみては?

363 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 11:17:22
>>359
伊地智(いじち)ですよ。

364 :187:2006/07/13(木) 20:05:52
今日休みだったので出かけたついでに図書館で電話帳を確認したところ、
同市内にて「伊地智」姓を数名確認しました。
伊地智利太郎叔母亡父五郎兵衛で確定ですね。
その地方では少ないみたいですね。
その数名の中に子孫が居る可能性は有りますが、安永・天明期の生まれ
と推定される五郎兵衛から数えて四代目か五代目の方でしょうから我々の様に先祖
に興味を持って調べている方しか知らないでしょうねえ。子孫であっても。
戸主の利太郎の方はまだ孫世代の方が居られる可能性は高いかな・・・。

365 :187:2006/07/13(木) 20:09:07
追記
今度は伊地智利太郎で除籍謄本を請求してみます。年代的には取れるはずなので。
11母の母の名前は解ると思いますが、運が良ければ利太郎の戸籍に祖母として
入っているかも。そうすれば七代前まで解りますね。


366 :先祖マニア:2006/07/14(金) 23:19:35
>>360

>>339の方ですよね?

回収漏れはないでしょう
その壬申のコピーでもUPした正本か控えか分かりませんかね?





367 :先祖マニア:2006/07/14(金) 23:25:14
>>364
安永・天明期ならば7,8代位前じゃないでしょうか?
だったら家系図のある家かよほど先祖に興味のある家でないと
分からないでしょうね、でも戸籍に記載されているくらいの人物なので
おそらく位牌とかあるかも知れませんね?

というか戸主の利太郎は何年生まれなのでしょうか?

今までの経験上ですが推定でも安永とか天明の先祖を戸籍で記載されたのを
見たことがないものですから・・・


368 :先祖マニア:2006/07/14(金) 23:30:18
http://www.myj7000.jp-biz.net/
から

14539 伊地智 約390 伊地知と通ず。越前発祥、清和源氏島津氏流。現在、豊岡市など兵庫県に多い。

369 :187:2006/07/15(土) 00:02:18
祖父(1907-)−母(1882-)−文左衛門(1844-)−母(1814-)−伊地智五郎兵衛(-1834年以前)


1814年生まれの娘の父なら少なくとも天明年間には入ってくると思いました。
利太郎は1830年代の生まれじゃないですかね?除籍が取れるか微妙な年代か・・。




370 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 09:03:57
>>369

いいとこ享和〜文政ぐらいまですな。

享和 1801 〜 1803 2.5
文化 1804 〜 1817 2.11
文政 1818 〜 1829 4.22


371 :浅右衛門:2006/07/15(土) 09:50:57
≫370

安永 1772年11月16日〜1781年 4月 1日
天明 1781年 4月 2日〜1789年 1月24日
寛政 1789年 1月25日〜1801年 2月 4日
享和 1801年 2月 5日〜1804年 2月10日
文化 1804年 2月11日〜1818年 4月21日
文政 1818年 4月22日〜1830年12月 9日
天保 1830年12月10日〜1844年12月 1日
弘化 1844年12月 2日〜1848年 2月27日
嘉永 1848年 2月28日〜1854年11月26日
安政 1854年11月27日〜1860年 3月17日
万延 1860年 3月18日〜1861年 2月18日
文久 1861年 2月19日〜1864年 2月19日
元治 1864年 2月20日〜1865年 4月 6日
慶応 1865年 4月 7日〜1868年 9月 7日
明治 1868年 9月 8日〜1912年 7月29日
大正 1912年 7月30日〜1926年12月24日
昭和 1926年12月25日〜1989年 1月 7日
平成 1989年 1月 8日〜

372 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:30:56
うちの場合

6代前  生まれ 文化十一年九月三日(女性)@
         文化十年二月五日 (女性)A

戸籍上 この2名が生年没月日、婚礼日が記入されていた最も古い先祖 

7代前  @Aの父の名前、入籍前の本籍地のみ

これ以上は壬申戸籍でしか分からないと思う。

373 :先祖マニア:2006/07/15(土) 23:32:02
伊地智利太郎叔母亡父五郎兵衛

ここからご先祖の女性(5代前の先祖)は
利太郎の叔母にあたるのですよね?

だったら

五郎兵衛・・・・・男・・・・・・利太郎
      ・
      ・
      ・・・(5代前の先祖の女性)   となるんですよね?  



374 :187:2006/07/16(日) 00:36:31
>373
文章を読む限りそう思いますね。
文左衛門の従兄に当たると思います。



375 :先祖マニア:2006/07/16(日) 00:40:12
利太郎の戸籍からまた新たな発見があるといいですね!!


376 :七郎右衛門 ◆zg7EMON/NI :2006/07/16(日) 00:48:30
お久しぶりです。
最近忙しくてろくにPCもできません・・・

かなり前に「ショックなことがあった」と書き込みましたが
家系調査を進めていく中で、私の家が伝承で言われるよりも新しいことが分かりました。

伝承では450年前に2人の兄弟が落人として隠れ住んだことが起こりだと言われており、
兄弟の弟の方が我が家の祖になったと言われていました。
しかし私が調べた結果では、我が家は350年に普通に分家しただけのようです・・・

私としては事が明らかになり嬉しいのですが
伝承をそのまま信じていて疑ったことのない祖父に
この史実を伝えるのには抵抗があります・・・

それでも伝えるべきですかね?

377 :先祖マニア:2006/07/16(日) 00:56:09
>>376

かなりお久しぶりです

なぜ350年前に分家したのが分かったのですか?
過去帳?位牌?

私は無理に伝えなくてもいいと思いますが
まあ伝えてもおじいさんも完璧な証拠があれば納得しないですかね?

378 :やすべぇ:2006/07/16(日) 01:10:01
>>376
350年前に分家したときの本家を更に遡ると、
450年前に分かれた弟方の家ということはないのでしょうか?

「伝承が完全に正しいということはないにしても、何らかの真実は含んでいる」
という印象を持っています。

379 :ボンチ:2006/07/16(日) 03:17:47
七郎右衛門さんほど重要では無いかも知れませんが、私にも今までの伝承が
違っていたという事実が、この先祖調査をし始めてからポロポロ出始めています。

例えば、大分前になりますが、「21が夜逃げした」と云いましたが、戸籍を見ると
実は27だったり、17が金貸しをしていたという事実も全く無さそうです。

最初は全て母から聞いた話を鵜呑みにしていたのですが、私的感情も相まってて、かなりいい加減な事を言っています。
(七郎右衛門さんの場合はいい加減ということは無かったでしょうが。)

それと、そんなショックなことなのでしょうか?(軽々しくて済みません。)
一度叔父様には、それとなくサラりと話してみて、やはり信じて疑いたく無いようであれば、もうそれ以上は辞めて置くというのが
よいのではないかと私は感じました。

380 :先祖マニア:2006/07/16(日) 09:42:18
21が夜逃げした」と云いましたが、戸籍を見ると実は27だったり

そうだったんですか?
確か21が夜逃げしたので27が相当苦労していてそれで21を恨んでいましたよね
それが逆だったとは、色々複雑ですね〜

先祖を探していくと色々なところで伝承とは違う場合が少なからずありますが
そこには思い込みや、固定観念、感情もあいまっているのだと思います
また、父と叔母はまったく逆のことを言っているということもありますが
そのような場合でどちらの言葉に選べない場合はその2つの事を記しておけば
いいと思います、父はこのように言っているが叔母は全く逆のこのように言っている
その判断がつかないので2つ記す 父のこの部分には賛同できるがこの部分には疑問点が残る
叔母のこの部分には納得できるがここの部分には納得できない など

子孫としては真実を調べて後世に残すことが一番だと思うのであやふやなとことは
断定せずにあやふやにして置くことがいいと思います。今たとえ嘘を書いても100年たったら
子孫も真実だと受け取ってしまいますからね

381 :勘兵衛:2006/07/16(日) 12:31:59
>>372
うちは
6代前 寛政九年一月七日・生〜
明治23年3月31日・没(93才)

同時に調査している、妻の方は
6代前 文政五年十月二十日・生〜
明治40年8月20日・没(84才)が戸籍上最古の御先祖でした。


382 :187:2006/07/16(日) 13:08:57
戸籍等で調べた自分の家系図をネットに公開してHPを作って居られる方が
見受けられますが、いまの時代ああいう家系図を公開していると子孫の方から
メールとかで連絡とか来て、そこから新たな展開が開けると云うのは無いですかね。

個人情報を世界に向けて公開するという危険性は有りますが、個人の枠を超えて
調査が広がる魅力が有るような気がしますね。


383 :先祖マニア:2006/07/16(日) 17:50:57
私もそれは考えたことがありますが
ほかの親族からクレームとかおこらないのですかね?

自分の家の先祖の場合はつっぱのけれるかも知れませんが
母方とか祖母の祖母の家とかのクレームだったら厳しいかもしれませんね

一応プライバシーに考慮しているHPは祖父母までは実名を入れていないケースも
ありますがそれならありかも知れませんね

あとは自分HPをどれだけ広く認知していけるかだと思います
認知されればされるほどリスクは高まりますが、それと比例して重要な情報も得れると思いますし





384 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 18:31:41
みなさんはどこまでを自分の先祖として調査対象と見做してますか?
私は父方母方は無制限としてそれ以外の系統は四代前までで、
父方母方の出身者の配偶者の親は六代前までとしています。
あと、曾祖母や高祖母の実家等と付き合いのある人ていますか?
私は祖母の実家が限界です。(それも伯父が曾祖父の外孫として相続した為で血縁は実質母方ですが)

385 :浅右衛門:2006/07/16(日) 18:57:52
父方の曾祖母二人の実家の両家と
父方の高祖母四人の実家のうち二家とは、お付き合いしてますよ。
毎年顔を合わせてます。

もちろん世代替わりはしてますが。幸い同一県内居住だからだと思います。



386 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 19:41:10
>>385
すごいですね。
同世代の親族の親等は曾祖母実家だと八親等、
高祖母実家だと十親等ですね。
どうやって交流を申し込んだんですか?
普通そこまで遠いと親族扱いが難しいと思われますが。
(民法上の親等の定義は六親等までだし)

387 :浅右衛門:2006/07/16(日) 20:06:05

そうですか? 何親等になるかとかは考えたこともなかったですね。
「親類」とか「親戚」とか言うより、普通は
「縁家内」と書いて(えんかうち)とこちらの地方ではいいます。
ごく普通の呼び方です。

交流を申し込んだのではなくて、昔から親戚づきあいが続いているだけですよ。

私の8代前の先祖の弟が養子に行った先の家とのお付き合いもあります。
墓所も先方にありますので、毎年先祖祭には参って、ドンちゃん騒ぎしてますよ。
年に一度の楽しみですね。

388 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 20:31:15
私なんか傍系交流はせいぜい従兄弟が限界ですよ。先祖もいいけど傍系も面白いですね。
高祖父から別れた親族なんか百人以上いるはずですが、そういう人達が案外近所にいたらとか思うと飽きません。
因みに私は最近五代前の甥が自分の町の村長(今は町だが当時は村)で私が利用してる県道を整備した人物だと知り驚きました。
しかし自分の家でもないのに高祖父や五代前から別れた傍系の家と交流してるなんて希少な経験ですね。

389 :ボンチ:2006/07/16(日) 20:33:30
話が少し逆戻りしてしまいますが、
>>380 母は、実の父(私から見れば祖父27)の生き方が非常に好きだったらしく、
(夜逃げ後の成功してからの生き方の事)

まあ、祖父の父21が病弱で借金を27が背負ってしまったのは21,27共に仕方が無いことですが、
母としては、気持ちの中でその夜逃げの事実は抹消したかったのではなかろうか、と察しられます。
(少なくとも、殆ど認識の無い曾祖父21が犯したことに仕立てておこうという気持ちがあった様子)です。

私が戸籍を見た結果を母に問いただすと、既に知っていたかのような口調に変貌しましたので。

390 :先祖マニア:2006/07/16(日) 20:58:06
>>384

祖父母までですね曽祖父の実家も縁がありますがそれはたまたま叔父が
養子でその家に入ったので付き合いがありますがそうじゃなかったら
ないでしょうね



391 :先祖マニア:2006/07/16(日) 21:00:38
>>389

色々ありますね、
でも真実が発見できたことは悪いことではないと思いますし
ボンチさんも21,27の方について前よりは詳しく分かったので
良かったと思います





392 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:14:37
>>385
>父方の曾祖母二人の実家の両家と
父方の高祖母四人の実家のうち二家とは、お付き合いしてますよ。

これって同じ二つの家ですか?それとも四つの家ですか?

393 :浅右衛門:2006/07/16(日) 21:31:52

全部で6家のうちの4家ということです。
わかりにくくてごめんなさい。

2, 父の父の父の母の家  (高祖母)付き合いあり
4, 父の父の母の母の家  (高祖母)付き合いなし  
6, 父の母の父の母の家  (高祖母)付き合いなし
8, 父の母の母の母の家  (高祖母)付き合いあり
18,父の父の母の家    (曾祖母)付き合いあり
20,父の母の母の家    (曾祖母)付き合いあり

こんな状況です。

394 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:32:24
高祖母は自分の家と、父方の祖母方の曾祖母方の高祖母の家というわけですか。
後者は特にすごいですね。普通家名もわかりませんよ。
例えば私の息子の息子の息子の息子と、息子の娘の娘の娘が交流するかといえば名前も知らないでしょうしね。

395 :浅右衛門:2006/07/16(日) 22:50:38

すみません。もうひとつ前です。

高祖母は自分の家になりますよね。高祖父の家と言ったたほうがわかりやすいですね。
そうではなくて、その高祖母の生まれた実家です。

同じく、父方の祖母方の曾祖母方の高祖母の生まれた実家です。

私からみると、祖父の祖母が生まれた家と、
       祖母の祖母が生まれた家になります。

祖父母の実家くらいとはお付き合いされている方も多いのではないでしょうか?

私の場合、それが単に祖父母の代から、父母の代へ、そして私の代へと
受け継がれてきているだけですよ。

396 :先祖マニア:2006/07/16(日) 23:11:14
たまたま縁戚が近くにいたからではないでしょうか?

遠い親戚と付き合っているのではなく
家の近くの方と近所付き合いをしているがその方が遠い親戚だったのでは?





397 :先祖マニア:2006/07/16(日) 23:15:35
ただし私の場合は近くでも親戚付き合いしていませんね
(といっても祖母の従兄弟の家で共通の先祖は高祖父ですが・・・)

昨日本家のおばあさんが亡くなりました
これはさすがに今日両親が葬儀に田舎に帰りましたが
私はあまり面識がないので帰っていません(その亡くなったおばあさんの息子と
私がふた従兄弟になります)
香典は父親に立て替えてもらいましたけど



398 :やすべぇ:2006/07/16(日) 23:22:57
>>384
> みなさんはどこまでを自分の先祖として調査対象と見做してますか?
基本的には直系の先祖だけですね。傍系はそれに付随して分かった範囲、ですね。
(なんか、行政書士の先祖調査サイトに出てきそうなコメントですね)

> あと、曾祖母や高祖母の実家等と付き合いのある人ていますか?
無いに等しいですね。
父のはとこに会ったことはありますが、付き合いがあるとは言えないですからねえ。

ちなみに、自分自身のいとこは全員、知っているし会ったこともありますが、
はとこになると、会ったことはおろか、その存在さえも分からない人がいますね。
いったい何人いるのやら。

399 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 23:50:28
初めてレスします。
>>384
父方直系は叔父が家系図作成したので高祖父の祖父まで遡れました。
ただし、曽祖父が早くに亡くなり曾祖母が他家へ行ったため、3あたりの高祖父母から、
母方の祖父も養子縁組で早くに亡くなったため12までの高祖父母は不明です。
20の曾祖母宅と23の曽祖父宅の親族とは今も関わりはあります。

3から12の高祖父母も知りたいとは思う時もあるのですが、後妻に行ったり、養子だったりと
闇をつつきそうです。伯父の離婚先に従兄弟がいるのも初めて知りましたが会った事も名乗った
こともなく、当の従兄弟は伯父が父親とも知らないでしょうから、現在判明しているのだけで、
留めおくつもりでいます。


400 :先祖マニア:2006/07/17(月) 00:00:28
高祖父からの子孫 子供4人 孫9人 曾孫31人でした 玄孫はもう100%は調べれませんが
(嫁に行った先の子孫は戸籍では無理なためなのとここでも海外に移住している子孫がいるため)
でも最高7代目の子孫がいることが分かっています(また幼稚園らしいです)
(うちの子供は6代目なので1世代ずれていますね

でもこれも真剣にしらべたら面白い結果になりそうです。
 

401 :先祖マニア:2006/07/17(月) 00:02:31
399さん始めまして
3から12の高祖父母も知りたいとは思う時もあるのですが、後妻に行ったり、養子だったりと
闇をつつきそうです

よくあることですよ、気になさらずに
ちなみに私の父方の祖父母は再婚どうしですし、母方の先祖は養子だらけです


402 :日本@名無史さん:2006/07/17(月) 00:48:57
>>401
先祖マニアさん、お返事どうもありがとうございます。
最近は、無理にほじくり返すこともないかなぁと思い始めています。
28の祖母が亡くなった際の書類の写しから13-16、21、22と27の祖父の両親名がわかりました。
27祖父は母が子供の頃に亡くなり、私は会った事もないので新鮮でした。

それにしても戦後直後までの人は子供を沢山産んでいて驚かされますね。

403 :187:2006/07/19(水) 00:44:10
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060719k0000m040127000c.html

この記事最初見た時は本人による尊属の謄本請求も制限なのかと思ったけど、
よく読むと代理人等の第三者による請求の制限と云うことですかね?


404 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 14:44:02
いや怪しい
役場は後でトラブルになったら面倒だから直系も拒否するかもよ

405 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 17:55:53
>直系も拒否する

そっちのほうがトラブルになるw
主な目的が、行政書士に対する業務範囲の制限だから。

406 :先祖マニア:2006/07/19(水) 23:45:58
イヤー先祖を探す私たちにはあまりよろしくない事ですね

でも個人情報保護が叫ばれている中ではね〜〜

しょうがないかも

だんだん戸籍で先祖を探す事が難しくなってきますね

今が昭和30年代なら壬申見放題でもう1世代前まで分かるのに

でもそのころってコピー機がないのでどうやって複写したのかな?

407 :やすべぇ:2006/07/20(木) 00:19:00
>>403
記事を読む限りでは、第三者に関する部分については、
「第三者」が「第三者として」戸籍謄本を取るのが厳しくなったというだけで、
「第三者」が本人や直系卑属などから委任状をもらって「代理人として」取るのはこれまでどおり可能だと読みました。

あと、今回、影響を受けるのは戸籍だけみたいで、除籍はこれまでどおりのようですね。
(既に厳しく制限されている、ということでしょうか)
直系についても現行どおりのようです。

ただ、建前はそうだとしても、実際の現場でどう運用されるかはわからないですね。
なんにしても、謄本の取り忘れがないか、今一度、確認しておきます。

408 :先祖マニア:2006/07/20(木) 23:59:03
先日パソコンを再セットUPして危うく先祖のデータを消しそうななりました

危なかったです

CDかDVDにバックアップしておくのと同時にペーパーとしても残しておくことが
肝要ですね!!





409 :やすべぇ:2006/07/21(金) 07:18:24
突然のパソコンクラッシュも恐ろしいですよね。
くわばら、くわばら。

410 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 12:25:03
今から墓参りします

411 :187:2006/07/22(土) 21:04:14
手紙を出していた父方の本家(父の従兄の未亡人)から電話が来ました。
過去帳が有ると言うことで、それには嘉永年間とか安政年間以前の没年の方が多数
載っているそうです。お盆明けに都合が合えば見せてくれることになりました。
俗名が解るかどうかは不明ですが、楽しみです。ついでに以前の菩提寺が解る
かも?
ただ、先代(私の祖父の兄)が38才で亡くなられているので、それほど詳しい
伝承とかは無さそうです。


412 :ボンチ:2006/07/22(土) 22:43:59
期待できそうですね。少なくとも男性に関しては、ある程度の成果が上がるのでは
ないでしょうか。

413 :187:2006/07/23(日) 09:13:56
実際に過去帳を見せてもらいにいかれたことがある方にお聞きしたいのですが

・手土産は持って行かれましたか?その場合はいくらぐらいの物を
・過去帳の内容を持ち帰るにはスキャナーを持ち込むか、こぴーを採らせてもらうのが
 内容複製の手段としては最も確実だと思うのですが、これってマナー違反でしょうか?
・先祖調査とは直接関係無い本家の家族の情報(名前と生没年)を聞くこと

十年ほど前に御主人が亡くなるまでは親族としての交際は在ったし、私も未亡人の方に
お会いしたことがあるので(子供の頃ですが)それほど疎遠な親戚では無いと思ってます
が、皆様はどの程度まで踏み込まれましたか?

414 :先祖マニア:2006/07/23(日) 17:03:24
>>413

手土産は2〜3000円くらいのお菓子かお酒を持っていきました

スキャナーやコピーは相手次第ですね、おそらく痛みそうなので無理なのでは?
デジカメですべてのページを撮ったほうがいいと思います

>先祖調査とは直接関係無い本家の家族の情報(名前と生没年)を聞くこと
いいのでは?そこからあたらしい発見もあるかと思います

>私も未亡人の方にお会いしたことがあるので
だったら全然大丈夫でしょう、真摯な対応をすれば先方もかなり理解はして
頂けると思います。

最初は丁寧に中盤からは冗談のひとつも言えるくらいの雰囲気にすればたいしたもんです
(最後までカチカチでは話も発展しませんし、いい情報も聞き損ねます)


415 :先祖マニア:2006/07/23(日) 17:07:07
それにしても過去帳があるのはすばらしいですね

何回も行けるとは限らないので過去帳や位牌があればすべてデジカメに
撮って帰ることをお勧めします

私も1っ箇所あるのですが、なかなか再度伺う時間がないのでつらいです
(その家に行く場合は叔父と同伴しなくてはいけないので・・・)


416 :やすべぇ:2006/07/23(日) 18:32:00
>>413 187さん
大体は先祖マニアさんのおっしゃるとおりだと感じます。
自分の場合、手土産はお菓子を持っていくかなと思います。
スキャナー、コピーにはかなり抵抗があります。
デジカメが妥当だと感じます。その場で確認もできますし。

あと、せっかく貴重な史料を見せてくれ、話もしてくれたのだから、
聞いたら聞きっぱなしではなく、きちんとお礼をするのが大事です。
悪い印象をもたれたら損ですから。
お礼の手紙を送る、といったことが考えられるでしょうか。

417 :ボンチ:2006/07/23(日) 19:14:24
私は、よくヨウカンみたいな手土産を持って行きます。
コンビにので恐縮ですが済まさせて貰っています。

写真撮影は大体拒否されることは無く、撮らせてもらえました。

418 :187:2006/07/23(日) 20:21:49
>それにしても過去帳があるのはすばらしいですね

過去帳については、父方母方祖父母の家4家すべてに嘗て有ったか、現在も有るようですね。
1父方祖父家:本家(父の従兄)に在り。江戸後期より?
2父方祖母家:本家(父の従弟)に在り。未見。
3母方祖父家:本家(祖父の従弟)に在った。江戸中期より。大正期に焼亡。
4母方祖母家:本家(母の従兄)に在り。江戸末期より?。未見。
あと、1と3は明治・大正期の分家後の物が在り。
2はいまは廃業してますが、呉服問屋だったらしく、ひょっとしたら江戸中期から
在るかも知れませんね。ただ、母の話では気難しい人らしい。。。

>スキャナー、コピーにはかなり抵抗があります。
>デジカメが妥当だと感じます。その場で確認もできますし。

慣れていないせいか、デジカメで文書を上手く撮影できないのですよね。。。
どうやったら室内で上手く撮れるでしょうか。

419 :ボンチ:2006/07/23(日) 20:43:26
接写できるタイプだったら大体うまく獲れませんかね? 

420 :先祖マニア:2006/07/23(日) 21:21:28
>慣れていないせいか、デジカメで文書を上手く撮影できないのですよね。。。
どうやったら室内で上手く撮れるでしょうか。

慣れだと思いますよ
家で何回も練習すれば上手くなると思いますし

あとやすべぇの言っているようにお礼のお手紙を書くと(葉書でもOK)
心証が良くなりまた何かの発見があったときに連絡をくれるかも知れません




421 :やすべぇ:2006/07/24(月) 21:28:33
>>418 187さん
確かにうまく撮るのは難しい面がありますよね。
シャッタースピードが1/30秒を超えたあたりからブレが多くなる感じがします。
デジカメの利点を活用して数を取るというのも手かと。

422 :187:2006/07/26(水) 20:52:29
伊地智利太郎の除籍は残念ながら取得できませんでした。
直系で遡る除籍で取れる物はすべて取り終えたかなと云う感じです。

纏めてみると養家を除いた実際に血が繋がっている方で
四代前:16人中15人の名前が判明
五代前:32人中13人の名前が判明
六代前:64人中 1人の名前が判明

生年の判明した一番古い先祖は1814年生まれでした。
これから聞き取りと過去帳調査をすればもう少しは埋まると思いますが。

除籍を取得していった感想としては
・現在取得できる除籍謄本は1840年代以降誕生の方からかなあ。大正年間の除籍
 を取得できるかどうかは運次第。
・都会より田舎の方がより古い除籍が取得出来た感じ。都会生まれでもっと古い生年
 の方は1841年生まれでした。
・纏めた家系図を母や親族数名に見て貰いましたが、除籍以上の古い事を知っている
 人はいませんでした。過去帳からは数名採取出来ましたが。
以上です。
興味のある方は除籍を今からでも始めないと、十年後に初めても後悔すると思う。


423 :ボンチ:2006/07/26(水) 21:56:47
確かに、今のうちにとっておかないと、後で欲しくても、もう手に入りませんね。

424 :先祖マニア:2006/07/26(水) 23:24:17
今度は位牌や墓、過去帳からの調査になります
32人もこれでもう少し分かるでしょうね
その上になるともうしっかりと記録をしている家でないと
難しいと思いますが・・・・

あと親族に今知っている先祖の詳しいエピソードを聞いとくのもしておいたほうが
いいでしょう、あなたにとって曽祖父はあなたの祖父にとっては父ですので
かなり詳しいエピソードもあると思います

そして あなたに曾孫ができた時にはその曾孫からなら6代前の先祖の詳細な
情報が得られるということです


つまり187さんの  六代前:64人中 1人の名前が判明
のこの1名の詳しい情報が得れるのと同じことです

自分の曾孫なんてあと50年以上先ですが長い歴史のなかではその50年は
とても短いものですしね

 




425 :187:2006/07/27(木) 00:13:07
>423
十年前・廿年前なら取れただろうなと云う除籍が数枚はありましたからね。。。
残念です。

>424
まだ子供も居ないので曾孫ははるか先の話ですね。。。
結婚の日程は決まっているので、その後で奥さんの除籍も取っていってみようかなと
思ってます。相手の同意が無いと出来ないので、微妙ですが。


426 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:29:20
すみません。初歩的なところでいきなりつまづいています。お知恵をお貸しください。

自分の戸籍謄本および母の戸籍謄本を取得しました。
母は離婚しており,離婚と同時に父の戸籍からは除かれているためか,
父の本籍地が分かりません。

どのように父の戸籍を取得すればよろしいのでしょうか。
よろしければご教授ください。
お願いいたします。

427 :426:2006/07/27(木) 22:32:08
なお,父は既に他界しています。


428 :先祖マニア:2006/07/28(金) 00:35:57
>>425

そうなんですか〜結婚したらまあ子供が出来てそうなるとまた変わると思います
うちの子供は4歳と1歳ですが  あと25年もすれば結婚すると思うと
あと30年すれば孫が生まれるんだなと思ったりします

>その後で奥さんの除籍も取っていってみようかなと
思ってます。相手の同意が無いと出来ないので、微妙ですが

私は勝手に取りましたよ(一言言いましたが)

役場では配偶者は請求できますので
請求する人(妻の名前) 受け取りに来た人(自分の名前) 続柄(夫)でOKでした


429 :先祖マニア:2006/07/28(金) 00:39:25
>>426

はじめまして
簡単ですよ 母親の戸籍の生まれてから今までの戸籍を請求すれば
父親の本籍は判明します

おそらく母親の一番最初の記載された戸籍にどこどこの○○と婚姻とあるので
そこのどこどこが父親の本籍です

分からなければ役場に聞いて父親の本籍が知りたいといえばどうすればいいか
教えてもらえるでしょう
(ただし本籍でないと請求はできませんけどね)


430 :426:2006/07/28(金) 08:38:17
>>429
ということは,私自身の生まれてから今までの戸籍を請求すると,父の戸籍も出てくるということですね。
手続きなどは役所に電話して聞いてみます。

ありがとうございました。

431 ::2006/07/29(土) 00:41:24
みなさん、お久しぶりです。

今回、6高祖母実家方面の除籍請求をしてました。
残念ながら廃棄済み証明書をもらいました。
6高祖母父(文政五年生まれ)と母(文政九年生まれ)で止まってしまいました。
(名前は高祖母の祖父まであります)
母方面は結婚前の戸主(甥)で請求しましたが、こちらも廃棄済みでした。

以前もらった、廃棄済み証明書と同じ年月に廃棄されていることがわかりました。
(廃棄年…昭和46年、自治体は別々です)
現在調べておられる方々でもし宮城県の方、おられましたらご注意を。

残りは色々とあります。
デジカメもやっと買いました(動かしてないですけど)。
帰省するまでに動作に慣れなくてはいけませんね。



432 :やすべぇ:2006/07/29(土) 01:07:53
以前、話題になった「いとこ婚」とも関係する話かもしれません。

いまだ市史の調査は十分にしていないんですが、
高祖父1・高祖父3共通の出身地の市史を見ていたら、
明治維新直後の時期、高祖父3(または高祖父3の父)が
藩の役所に提出した文書の内容が載っていました。
その末尾に(証人として?)連署していた他の二人のうち、
一人は高祖父1の兄(またはこの兄の子)で、その肩には「親類」と書かれていました。
つまり、どの程度の親類かは分からないですが、
曾祖父17と曾祖母18が結婚するよりも前から、
高祖父1の家と高祖父3の家とは縁続きだったことが分かりました。

ちなみに、三度目の正直でもないですが、
曾祖父17の甥と曾祖母18の妹が後に結婚しており、
かなり結びつきの強い家同士だったようです。

>>431 藤さん
残念でしたね。いまだに昭和46年で廃棄というのは謎です。
やはり壬申戸籍なんでしょうかねぇ?

433 :先祖マニア:2006/07/29(土) 17:41:47
>>431

そうですか〜残念でしたね でも6代前まで(高祖母の祖父)判明するって
すごいことです、


私も昭和46年破棄の意味が分かりません、壬申戸籍は昭和43年には破棄
(法務局に保管)なのですがもしかしたら地方では数年ずれて保管されたのかも
知れませんね 

昔は80年保管ではなくて50年保管でしたっけ??そうなると壬申ではないかも
しれませんけど・・・

434 :先祖マニア:2006/07/29(土) 17:47:57
>>432

昔は親戚だらけで結婚していたのでしょうね
血縁か地縁ですからね

私の祖父の実家でも
祖父が婿養子に行った先の隣の家の娘が
祖父の兄の息子(本家の跡とり)の家にとついでいる事が判明しました

そのほか9と14が少し関係あったりしました。

435 ::2006/07/29(土) 22:29:04
やはり数年ずれて廃棄されたものと思います。
別々の自治体なのに、日付としては一週間しか違わないので。
前回、付箋で「これ以上ありません」とだけつけてきた自治体にも取れそうな除籍謄本を
請求しましたがどうなることやら…。
(廃棄済み証明が出せないなら、『(戸主の名前と本籍地を書いて)一筆つけてくれ』とお願いしました)

>>432
うちの父方も25祖父と26祖母が結婚する以前から、遠い親戚でした。
これも除籍謄本をたどるうちに判ったことです。
2高祖母の父と7高祖父の母が兄妹でした。
家同士も近所ですし、昔は結構あったと思います。

436 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 03:18:08
ほとんどの人は水呑百姓だった訳だから、
江戸時代までいっちゃうと、姓もないし
そこから上は辿れなくなっちゃうからね。

ほとんどの人は、せいぜい4〜5代しか遡れない。

しかしそうでない人もいるのは事実。


437 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 03:57:22
先祖伝来の土地を離れてないなら簡単なようなキガスるんだが



438 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 08:05:19
うちの一族は土地を離れてないから、少なくとも江戸初期からの墓がある。
歴史に登場している人物が先祖なのか、のんびり調査中・・・
一応本家って名乗ってたけど、ただの郎党って可能性もあるからね〜
親は「江戸時代まで武士(藩士)だった」って言ってるんだけど、(具足一式はあったらしい)
なんとなく、戦国終わってから帰農したんじゃなかなって考えてる。
郎党の出世頭が近所とはいえ国替えで殿様について城下にすんでるのに、
別の大名が来ているのに一族皆土地を離れてないなんて、良くても郷士ですよね。
ただ飛び地があったり、小藩の土地が入り組んでるんで、一概に嘘って言い切れない。
現地調査が待ち遠しい・・・

439 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 10:21:01
平安期の先祖に鬼瓦 又べえ 貫之(たとえです)ってのを見つけたんですが
なんとなく九郎 判官 義経みたいでちょいビビり・・・
昔の人ってみんなこんな風な名前だったんでしょうか


440 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 11:53:49
何に書いてあったか気になる・・・
武士なら普通だね。たとえだからいまいち分からんけど

鬼瓦  又べえ 貫之
(苗字?)(通称?)(名?)

義経の場合は「源九郎義経」で、
源九郎=九郎判官 (義経本人は生きてるとき「義経」って呼ばれたことないと思う)
九郎判官義経って呼び名は後世の講談とかでつかう呼び名だよ。
ただ、義経の場合は
(氏)(通称)(名)だから、ちょっと違う

441 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 14:26:02
初めまして。
源氏と平氏スレから訪ねて参りました。

私の家に、「士族」の証明証書する賞状のようなものがあります。
これは、祖先が武士であったことを表すものでしょうか。

また、私の姓は清和源氏の系譜に登場する姓であり、家紋も同じなのです。
たまたま証明書のようなものがでてきたので、興味を持ちました。

何か分かることがありましたら、どうぞ教えてくださいませ。

442 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 16:56:21
>>441
うp

443 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 17:58:41
>>440
多分武士や公家ではないと思うんですが、こういう名前って農民ではいないのかな
県発行の書物(故郷歳時記みたいなもの)に年月日付きで記述がありました。
鬼瓦(たとえです)は今も名乗ってる苗字です。
又兵衛と貫之のあまりの庶民的な名前と貴族的な名前のギャップにひっくり返りましてw
そういえば義経って大河でも義経って呼ばれたの見たことないですね

444 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:59:55
平安時代の農民がいみな(貫之)をもってたとは思えないから、武士じゃないかな?
当時の武士は普段は農業をして、戦のときだけ武装して集まって、土地をもらったり、
略奪したり、褒美をもらう。苗字は地名?
どうして書物に残ったのかは書いてないの?
まー本名も分からないし、あとは自分で調べるしかないな。
郷土資料館で聞くと簡単に教えてくれるかもね。


445 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 19:44:06
>>441
いつ発行のものか分からないけど、
維新後、平民とされた下級武士(解雇されて平民あつかい)
が、戸籍の記載を「士族」にしろっていう運動があったらしい。
そのときに発行されたものじゃないかな?
ただの思いつきだけど・・・スミマセン・・・
証明書が本物なら士族なんじゃないか?
壬申戸籍みることができないから、調べられないね〜
これも郷土資料館とかできいてみるといいよ。多分・・・

あと苗字や家紋じゃ血筋が本当かは分からないんだよね。
徳川家康だって本当の源氏じゃないし。

446 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 20:28:29
>>444
百姓武士みたいなものだったんでしょうかね。
苗字は地名じゃないと思いますが、はっきりとは知らないです。
田舎で聞けば一発なんだろうけどあまりおつきあいがないので・・・

郷士資料館ってのがあるんですね。行って聞いてみたいと思います
故郷の近隣都市に住んでるんですが、他県の郷士資料館でも大丈夫かな


447 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 20:33:09
あ、>>446>>439です。すみません

448 :ボンチ:2006/07/30(日) 22:54:36
今日、系統図1〜8関係の子孫の方々、及び1の旧村の地元の方々と食事会をしました。
(以前書きましたが、永代供養塔建立記念会のような催しを行いました。)

今日までは、個人的に想像では、名主と思われる方が戸籍関係の文書を持っているであろうと
考えていましたが、現実としてはそれは得られず、代わって他の色々な事が得られました。

1は養子ですが、1の実家の子孫の方曰く、「旦那寺に行けば17代前までの記録が過去帳に残っている」とのこと。
しかし酒の席ですし、叔父にはこの席で寺へいずれ同行してもらう確約を得ました。

私の父の兄(独身で死亡)が先祖調査に興味があったらしく、色々調べていたらしいと知りましたが、
あいにく自分がそれを受け継ぐことなく、また自分がやり始めているようでした。


449 :やすべぇ:2006/07/30(日) 22:56:00
>>438
>戦国終わってから帰農したんじゃ
そういった例は意外に多そうだと感じています。
高祖父1の総本家周辺は江戸初期まで城下町で、
その後、国替えのため、城主がいなくなってしまったのですが、
土地に残されて帰農した旧臣たちの子孫が江戸中期に残した名簿が町誌に載っていました。
今もその土地に住んでいる人たちと同じ苗字の名前が多数載っていました。
名主をしていた人たちが多く含まれているようです。
高祖父1の先祖は・・・いないようです。

450 :先祖マニア:2006/07/30(日) 23:03:36
>>438

江戸の初期の墓はあるって事自体すでにかなりの家では?
武士でもなかなかないですよ
上級武士じゃないともしくは豪農でないと墓は作れないと思います
ということは 絶対に町史や村誌に名前はあると思いますが・・・・

>>441
士族と記載されているのなら武士なのでは?
ちなみに士族=武士と卒があります 武士人口6% 内訳武士(2%)卒(4%)
ちなみに卒とは足軽のことです

451 :先祖マニア:2006/07/30(日) 23:07:02
>>448

お疲れ様でした
これまた17代とはかなり遡れましたね
家を継いだ代数と思いますので直系で17代前とは限りませんが(兄弟で継ぐ場合もあるので)

それでもこれなら江戸初期まで行くのでは?

ちなみに1以外に2〜8の情報は得られましたか?


452 :ボンチ:2006/07/30(日) 23:11:12
系統図6・8が殆ど情報不足でしたが、6・8関係の子孫の方に話したところ、
古文書が家にあるとの事、宴会終了後、その家に行って色々見せてもらいました。
かなり古い家系図(延元などの元号あり)の巻物、その他2点の古文書を、
一回持って帰って色々調べても良い、と言われ、ありがたく一旦持ち帰り調べることに
しました。

他には、26の兄弟さんが戦時中に持っていた日本刀(銃刀法に元ついた登録を20年前に済み。)
初めて日本刀を手にし、生生しい話も聞けました。(ただし大戦中の物で、江戸時代の物ではありませんでした。)

それと、19の名前が墓誌にあり、その上は5ですが5は墓誌にはなく、その間何代か不明であったので墓誌に載せなかったが、
墓誌に「武家」と書かれていました。恐らく19の4、5代上になる?は武士だったようです。

ここの家にもいずれ檀家寺へ同行してくれると言ってもらえました。
家に過去帳はありませんでしたが、位牌を見せてもらえましたが、19の名前とまりでした。

このような感じで、系統図の何処が埋まるとかハッキリはなかったですが、色々収穫が有ったと思います。

それと、遠方信施から来た親戚の方で、やはり数十年前に先祖調査に興味を持って、当時戸籍を収集し、家系図を
作ったことのある方が一名居られました。


453 :先祖マニア:2006/07/30(日) 23:19:44
たしか6,8だけ名前が不明でしたよね?

5の名前も墓誌にないということは当然妻の6も名前なしですよね?
ここは檀那寺しかありませんね?

8も不明ですね?

でもかなり古い家系図(延元などの元号あり)の巻物を持って帰ったのなら
すぐにでも判明しそうですね!!

>それと、遠方信施から来た親戚の方で、やはり数十年前に先祖調査に興味を持って、当時戸籍を収集し、家系図を
作ったことのある方が一名居られました。

この方とは連絡ととって親密になったほうがいいです
色々な情報を持っていると思います(生きた情報、なかなか得られない情報など)






454 :先祖マニア:2006/07/30(日) 23:27:47
>>450

間違えました

士族4%
卒2%です


455 :ボンチ:2006/07/30(日) 23:43:25
はい。6・8だけテンプレ系統図で名前その他情報がなく空白になっていました。
ですので今回埋まることを期待していましたが、無理でした。やはり旦那寺しかなさそうです。

余談ですが今現在、この旦那寺は隣町にありますが、それ以前はこの方の家のすぐ近くにあり(年代は現状不明)
河川災害で寺が流された為、現在の地に移転したそうで、その点は少し心配です。

それと、今巻物を見ますと、ありがたいことに古過ぎて、5以上からかなり間が開いてしまう予感です。
>>452でも触れました、「19の恐らく4,5、代上の武士」なる人の名前も、この巻物には出てこないほど、
この巻物は古いのではないでしょうか? (尚、武士の方の没年等も墓誌には彫られておらずです。)

余談ですが巻物は所々ちぎれております。私は古文書はまだあまり読めなく(読み会にはすでに3回出席しました)
解読して欲しいから今日渡してくれたのでななく、殆ど興味がないそうです。

出来れば1系でこのような巻き物が有って欲しかったとの個人的感想です(贅沢ですが。それに1は寺に期待が持ててます。)
1の実家の子孫の方の話によれば、1系統の蔵は一回焼けて、その前は、(それこそ江戸時代の)刀もあったそうです。
今、1の実家の子孫さん家に残っているのは着物類が一着だけ江戸のが残ってるそうです。
今度見せてもらうつもりです。

すこし話がそれましたが、過去に家系図を作った方は、かなり遠方ですが、付き合いを大事にしたいと思います。
(ただちょっどあれなのは、父の姉の旦那さんなので、私と全く無関係の系図になろうかと思いますが、色々なノウハウは
持っておられるはずですので、今後も色々と聞いてみたいですね。)

456 :先祖マニア:2006/07/30(日) 23:53:17
>余談ですが今現在、この旦那寺は隣町にありますが、それ以前はこの方の家のすぐ近くにあり(年代は現状不明)
河川災害で寺が流された為、現在の地に移転したそうで、その点は少し心配です。

それは心配ですね あることを祈りましょう

>「19の恐らく4,5、代上の武士」なる人の名前も、この巻物には出てこないほど、
この巻物は古いのではないでしょうか?

でもお寺の過去帳がもしあれば繋げれるのではないでしょうか??
まずはお寺の過去帳を拝見するかもしくは過去帳を製作依頼するかでしょうね!!

この巻物をUPしたらどうでしょうか?誰か読めるかも知れませんよ〜

1関係は家には情報がなさそうですね?ここもやはりお寺ですね(17代前は興奮します)



457 :ボンチ:2006/07/31(月) 07:41:01
6・8の寺に関してウェブ上で調べましたが、「河川災害で流された」旨のコメントがありません。
6・8の寺の情報に関しては、再度町史などを調べる必要がありそうです。

巻物家系図ですが、何方か関係者の方、もしくは関連情報お持ちの方おられましたら、情報宜しくお願い致します。
http://www.fileup.org/   [bunnh]

とりあえず最初のくだり部分のみのアップしてみました。字自体は読みやすい方かと思います。
最後の方まで、オレンジ色の線で名前が16人くらい繋がっています。
11人目に「延元3年」と初めて元号が出てきます。一番最後16人目の元号が「永録4年」で終わっています。

1の実家の子孫の方が「17代前まで過去帳がある」と言ったことが、本当に聞き間違えないか?
不安になり、icレコーダを再生してみました。やはり「17代」と言っています。
(「10代か7代前まである」ともしや言ってなかったか?、少し心配になりました。)

何故17代が判ったかというと、前記しましたが、自分の父の兄が生前先祖調査をしていたのを
、この1の実家の子孫の方が付き合いが深かったので聞いていたそうです。

父の兄(要は私の叔父ですが)とは私が中学自分まで少し面識あったので(あまりしゃべりはしませんでしたけど)
、少しでも先祖の話してくれるとかいうことがあれば面白かったかなと思います。

父の兄の代で家が断絶して取り壊したのですが、そのとき色々持ち帰ったのですが、叔父が作成したであろう系統図らしき
書類は無かったので、恐らく寺に見に行った結果をその方に話しただけと推測しています。

458 :ボンチ:2006/07/31(月) 07:46:46
済みません。http://www.fileup.org/fup97990.jpg.html (パス同)



459 :438:2006/07/31(月) 09:30:22
>町史や村誌に名前
一応先祖とおもわれる最初の方は、歴史に登場しています(地元でも超マイナーだけど)
城を落とした記録、戦国大名から本領安堵の記録、他家に普請を命ずる記録など
が色々のこっています。地元資料館のWEB上の資料にも名前があります。
不思議なのはその本人は国替えで他国に移っているにもかかわらず、
地元に残って本家を名乗っていることです。
戦後まで残っていた具足は、大学で歴史学教授をしているという
他国に移った先祖の直系子孫(多分)に譲ったそうです。

不思議なのは同姓の「本家」は近隣に3家あり、それぞれがお互い本家として認めていること。
伝承によれば兄弟で移ってきたそうです。
この姓は元禄時代にも一度名前がでてきて、「兄弟それぞれが」結構高禄(100石〜250石)
で召抱えられるという事件があったことで、自分の直接の先祖が
「この兄弟の一人だったのではないか」ということなのです。
しかし、維新後でも土地持ち、農地改革後も土地が残っている(らしい)
士族で土地持ちなんてことがあったのか、分かりません。
ただし、戦後買った可能性は残っています。今でも田畑の使用料のかわりに「米」を
「年貢」(本当にそう言っている)として小作の方々からもらっています。

もう分からないことだらけ!親戚の話とか嘘か本当かわからないし!
先祖の兄弟で長兄のうちには家系図が残っているんらしいのですが、うち本家の分家で、
東京にでてきちゃってるんで、見せてもらうのも根回しがたいへん・・・

460 :438:2006/07/31(月) 10:18:22
>>459
読み返したら分かりにくい文章でした・・・すみません。
要するに、自分の先祖については

戦国時代、武士だったのは間違いない。
最初の本家は国替えで他国(近所だけど)の城下に住んだ。

今の本家となった直系の先祖江戸期は帰農した「郷士」だったのではないか。
その一族のうち、志あるものが浪士になり、後に武家奉公したのではないか。
(その志のある、元禄期の兄弟がうちの先祖かも・・・親戚なのはほぼ間違いない)

結局はうちの「直接の先祖」が、維新後「士族」なのか「平民」なのか
ってことに集約されちゃうってことです。
私としては、「土地持ち」ということで農家だったと思っているわけです。
ただ、小藩が多く、飛び領地があったことも無視できないのと、
土豪に対して伝統的に禄を米ではなく「土地」で渡した可能性もあるので
むずかしいのです・・・


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