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【古代から】旧国名・旧郡名を語る【近代まで】

1 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 02:03:51
日本史における旧国・旧郡についてのスレです。
国名・郡名に関することや、旧国・旧郡の領域的な変遷(分割・統合や境界の移動)などについて語って下さい。

地理人類学板の関連スレ(こちらは主に現在の郡が話題)
「郡を語る」http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1000193895/


2 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 02:12:39
武蔵国橘樹郡の住人です
武蔵国なのに神奈川県だよ・・・

3 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:30:07
118 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/08 01:03 ID:wpodwOWx
尾張国海部郡は、古代には1つの郡だったが、中世の頃に海東郡と海西郡に分割された。
しかし、近代になって両者は統合されて再び海部郡となった。

4 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:32:15
123 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/16 01:05 ID:p/r3hgu3
>>118
郡の分割併合はよくあること。
岡山県の勝田郡も、一時期は勝北郡と勝南郡に分かれ、元に戻っている。

ところで海部郡だが、
豊後国南北あまべ郡〜阿波国かいふ郡〜
紀伊国(名草郡と合併して海草郡となったので読めぬ)〜尾張国あま郡と
東西に並んでいるのが気にかかる。


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 03:53 ID:xgXcwmZ5
紀伊の海部郡は飛び地だらけってのがポイントだね。


125 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 03:55 ID:xgXcwmZ5
あと、郡の変遷だと安芸国が面白い。

5 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:33:56
128 :またーりさん ◆uVDVObQt1Y :03/08/16 17:09 ID:REnyJz+k
>>118
海西郡そのものが尾張と美濃に分かれているそうです。
ちなみに美濃国海西郡は下石津郡と統合して海津郡になりましたが(ちなみに
上石津郡の方は多芸郡と統合して現在は養老郡)、この度の合併で
ひ    ら    な    み    市
…『海津』も合成郡名とは言え、もうだめぽ。

6 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:36:21
129 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/16 21:47 ID:p/r3hgu3
>>125
これだな。

      安南郡―――――安芸郡
安芸郡<
      安北郡―高宮郡
                >安佐郡
      佐東郡―沼田郡
佐伯郡<
      佐西郡―――――佐伯郡

しかも高宮郡は、高田郡に食われた旧高宮郡とは無関係。
沼田郡もいったいどこから沸いて出たのやら…?


130 :トリなし鷂@携帯じゃけん :03/08/17 15:07 ID:dJ3Cbifj
西白河郡と東白川郡。
たかが一文字違いだが、既に江戸時代から「白河郡」「白川郡」に分裂している。
藩制か何かで対立があったのだろうか?

7 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:37:50
133 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/18 16:38 ID:mLopW9gv
>>130
水系、つまり生活空間が違う(白河→阿武隈川、白川→久慈川)
ので、たまたま同じ「白」が頭についてるだけなんじゃないかな





と思ってました。でも読みが同一なのはやっぱりなんかあるのかな。


8 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:39:05
134 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/19 21:26 ID:+JXmdhHX
>>133
閉館直前の図書館に駆け込んで、駆け足で調べてみた。
(つまり、見落としが多く信憑性はイマイチということ)

白河郡─┬─白川郡─┬─白川郡───東白川郡
       │       │
石川郡─┤       ├─石川郡
       │       │
高野郡─┘       └─白河郡───西白河郡

らしい。
つまり、「白川郡」は石川郡との合成地名の名残で、
「白河郡」は高野郡が乗っ取った地名ということらしい。
だがしかし、白河関は昔から白河市にあったわけだから、
東白川郡と白河関はえらい離れすぎているわけで……。


                   この問題、丸投げしてよろしいか?

9 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:39:58
135 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/20 23:50 ID:tRln1CN0
しらかわ郡の謎は解けないまま、またネタ振り。

東西南北ほど多くはないが、上下に分割している郡は多い。
常識で考えると、古代は奈良、近代は東京の手前が上で奥が下。
古代だと
大和国の添上・添下郡(添下郡は現生駒郡)、城上・城下郡(どちらも現磯城郡)
明治だと
長野県上高井・下高井郡や上水内・下水内郡、青森県上北・下北郡
東西南北を再編した岩手県上閉伊・下閉伊郡などが理にかなっている。
が、
古代郡に手前が下で奥が上になっているのがいくつかある。
対馬国上県・下県郡や、相模国上足・下足(現足柄上・足柄下)郡がそう。
県郡は遣唐使などで強引にこじつけができるが、足郡は説明が難しい。
霊峰大山信仰が関係しているのだろうか?(秦野市域が旧足柄上郡ならそう結論できるが)


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/21 00:01 ID:yvK5lHUm
静岡県の駿東郡も大昔は駿河郡。


138 :トリなし鷂@携帯じゃけん :03/08/21 18:14 ID:SkrpCaow
とりあえず、予想ハズレ
秦野市は中郡であった。
戦国期に相模国は東・中・西・三浦の四郡に統合した名残らしい。

10 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:42:40
141 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 05:41 ID:89dCoYV1
>>135>>138
秦野市の西半分(渋沢駅周辺)は足柄上郡、
東半分(秦野駅付近)は中郡域。
小田原市域は一部(栢山・上曽我付近)を除き足柄下郡域。
酒匂川の上流・下流で上郡・下郡を分けたってのは考えられる?


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 13:51 ID:a7MTDBJu
>>129
古代にも沼田郡は存在したが、中世に賀茂郡(東西条郡)に統合された。
当然ながら、佐東郡(佐伯郡から分かれた)が近世に改称されてできた沼田郡とは無関係。

>>135
対馬については、律令時代に中央から対馬国府へ行くときに、博多湾から沖の島経由で上県郡へ上陸することが多かったから。
相模の場合は、東海地方から相模へ入る場合、箱根山を迂回する御殿場経由の経路が普通だったから。


143 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 13:53 ID:a7MTDBJu
摂津の嶋上郡(現・高槻市付近)と嶋下郡(現・茨木市付近)は微妙。
近代に統合されて三島郡となる。

11 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:46:06
144 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/22 23:15 ID:B5/3UuJ+
>>142
なるほど、よくわかった。

ところで上下にこだわってきたが、「海上郡」の相棒「海下郡」は存在しない。
それはともかく、
銚子市に隣接して今も存在する海上郡のかなり近く、市原市に
市原郡に飲み込まれたもう一つの海上郡が存在したと知って少々驚き気味である。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 11:01 ID:Z+qhJbwg
葛飾郡が下総と武蔵にまたがっている様に見えるのだが?


146 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 12:33 ID:p+cjfRar
>>144
同様の例だが、播磨国に印南郡は存在するが、印北郡は存在しない。

>>145
古代には武蔵・下総国境は隅田川だったが、近世以降に国境が東へ移動したから。
古代の葛飾郡域は、現在の東京・千葉・埼玉・茨城の4都県にまたがる。

12 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:47:38
147 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 12:36 ID:p+cjfRar
国技館のある「両国」という地名が、かつて隅田川が国境だったことを物語っている。
ってガイシュツかな?


148 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 15:24 ID:h3l/5U/2
こういう郡域の変遷とかを専門に扱った研究論文ってないんですかね?


149 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/24 02:31 ID:789Ok7an
律令制度が確立した頃は、郡の規模は1000戸未満と定められ
オーバーすれば分割や割譲によって1000戸を維持していた…そうな。
奈良盆地から浪速津にかけて、博多湾から有明海にかけて、
とてつもなく狭い古代郡が乱立していたのもうなずける。
今でも筑後平野の山門・三井・三池・三潴郡は異様に狭い。
それでいて久留米市への依存度が高いわりに柳川市や筑後市の影響力もあり、
よそ者にはどこがどこだかよく分からない…。

13 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:50:47
151 : :03/08/24 02:43 ID:wixGCnUv
糸島郡を「怡土志摩郡」に改称させたいと思うのは俺だけだろうか?


154 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/24 19:56 ID:wpp+wBmJ
郡の規模を1000戸未満に制限する令制度が
実際に機能していたと想像できる例が、大和国忍海郡(現:御所市)。
葛上郡(南葛城郡→御所市)と葛下郡(北葛城郡)に割り込むように区割りしてある。
葛上郡は飛鳥浄御原宮から徒歩圏内。
当然、人口・戸数は多く、大宝律令以前に葛上と葛下が分割されており、
「葛上評」「葛下評」の木簡は多く発掘されているが、「忍海評」は未発掘。
ということで、1000戸を再びオーバーした葛上郡の戸数を調整するために
忍海郡が意図的に作られたと想像できる。

14 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:53:21
158 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/26 01:39 ID:PReEFgR9
>>151
>糸島郡を「怡土志摩郡」に改称させたいと思うのは俺だけだろうか?

いくら合成前の2郡の読みが完全に残っている稀有な例とはいえ
書くのが面倒、の一言に尽きる…。
おとなしく律令時代に従うが吉。

律令時代の地名改変といえば、やたらと漢字2文字にそろえたこと。
有名どころは「き・の・くに→紀伊・国」だが、郡名はどうかとさらってみた。
曽於郡や婦負郡など怪しいところを調べてみたが違った。
が、岡山県都窪郡の片割れ、「都宇郡」は
「吉備津」の「津」を2音節化したとする説が有力らしい。


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 13:11 ID:lLlkZH/6
>>158
律令時代に2音節化された郡名なら、薩摩國頴娃郡の例もあります。


161 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 14:16 ID:EUMEt4ng
車評→群馬郡

15 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:54:17
162 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 23:39 ID:Bz1sAAgx
東京23区の各区が属していた旧郡の変遷

旧15区(本所区・深川区以外):
豊島郡→南豊島郡→1889年市制施行

本所区(現墨田区西部)・深川区(現江東区西部):
葛飾郡→南葛飾郡→1889年市制施行

渋谷区・淀橋区(現新宿区西部):
豊島郡→南豊島郡→豊多摩郡→1932年編入

世田谷区・杉並区・中野区:
多摩郡→東多摩郡→豊多摩郡→1932年編入

豊島区・練馬区・板橋区・王子区(現北区西部)・滝野川区(現北区東部)・荒川区:
豊島郡→北豊島郡→1932年編入

足立区:
足立郡→南足立郡→1932年編入

向島区(現墨田区東部)・城東区(現江東区東部)・葛飾区・江戸川区:
葛飾郡→南葛飾郡→1932年編入

16 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:57:13
163 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 23:42 ID:Bz1sAAgx
大阪市:
主に西成郡・東成郡・百済郡・住吉郡によって構成。

京都市:
朱雀大路を境に右京側が葛野郡、左京側が愛宕郡。


164 :162:03/08/26 23:59 ID:V32IUFxs
>>162
ちょっと抜けてた。失礼。

品川区(現品川区東部)・荏原区(現品川区西部)・大森区(現大田区北部)・蒲田
区(現大田区南部)・目黒区:
荏原郡→1932年編入


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/27 15:33 ID:QWW8jlJZ
ちょっと質問だけど、沖縄本島の3郡(国頭・中頭・島尻)って、三山時代の三山の領域と一致してるの?


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 01:10 ID:lRKgXgpe
北海道の郡はどうですか?

17 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 02:59:21
168 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/28 02:39 ID:XCnIvcWr
>>166
少々ずれているが、誤差の範囲、といったところだろうか。
宜野湾の「豆腐よう」メーカー「うりずん」のHPに、三山の大まかな勢力範囲が載っている。
ttp://www.tofuyo.co.jp/history/tuusi-koryukyu3.html

>1.今帰仁按司を中心とした山北(さんほく)
今帰仁・羽地・名護・国頭・金武・伊江・伊平屋(伊是名)の各地域。
>いわゆる仲泊地峡以北と近隣の島しょ地域が山北のテリトリー。
>2.浦添按司を中心とした中山(ちゅうざん)
>浦添・首里・那覇・北谷・読谷・越来・中城・勝連・具志川の各地域。
>国場川-南風原-与那原を結ぶ一帯以北から仲泊地峡まで。
>3.大里按司を中心とした山南(さんなん)
>大里・佐敷・知念・玉城・具志頭・東風平・嶋尻大里・喜屋武・摩文仁・真壁・兼城・豊見城の各地域。
>国場川-与那原を結ぶ線以南が南山のテリトリー。

首里区・那覇区が島尻郡エリア(区制ということは郡に入っていないが)なので
中山が少々狭まっている感じだろうか。
と言っても、第一尚氏の始祖・中山の尚巴志は佐敷(島尻)出身なので、
少々の変動はあったはずである。

18 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:01:07
172 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 16:55 ID:MIf39oy5
江戸時代→明治初期

松前地→渡島国
西蝦夷地→後志国・石狩国・留萌国・北見国
東蝦夷地→胆振国・日高国・十勝国・釧路国・根室国
北蝦夷地→樺太国
奥蝦夷地→千島国


174 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/30 00:15 ID:oorBNAzz
>>168
琉球中山王府が浦添から首里へ移ったのっていつ頃ですか?
あと、奄美諸島の大島郡や先島諸島の宮古郡・八重山郡の成立過程も教えて下さい。

19 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:02:34
176 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/30 01:00 ID:Wa0/09ap
連投申し訳ない。
>>174
日本史板の話題ではないかな…と思いつつも
ttp://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/okinawa_history.htm
によると
1361年に中山王察度が浦添城から移ったとする説が一般的だが
1406年に尚巴志が中山王武寧を滅ぼした後とする説もあるようだ。
 察度は首里に移っておらず、武寧が浦添で敗れて尚が移した、と解釈すべきか
 すでに察度が築いていた首里城を武寧が陥とされた、と解釈すべきか、
 自分としてはすっきりしない。

後段は知らないので、他の方に丸投げする(逃


177 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/30 02:59 ID:xJRyJJ23
>>135
千葉県には、上総国埴生郡と下総国埴生郡の2つがありました。
明治維新後、前者は上埴生郡、後者は下埴生郡となりました。
まあこれは、東京からの距離ではどちらが近いか微妙ですが。
なおのちに、上埴生郡は印旛郡に、下埴生郡は長生郡に統合されました。


178 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/30 03:03 ID:xJRyJJ23
ところで律令時代には、備前国に上道(かみつみち)郡、備中国に下道(しもつみち)郡がある。
でもこの間、あのあたりを18きっぷで通ったら、現在の山陽本線の駅名は「上道(じょうとう)」となっていた。
何故なのだろう?

20 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:05:43
183 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/31 01:38 ID:+OHdms9Z
>>178
維新の頃にはすでに音読みになっていた様子。
まあ「やまとことばの地名」→「強引に当て字」→「いつの間にか違う読み」は
しょっちゅうありうること。
>>123で述べたとおり、「海部郡」の読みにいくつかバリエーションがあったり
(今は亡き島根県海士郡も当て字違いだろうか?)
千葉県海上郡も本来は「うなかみ郡」だったりするように、珍しくはない。

質問の本質には答えてないな…面目ない。


197 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/09/06 00:24 ID:iG8jDLvK
郡名に限らず、地名は長い年月で変化したり、
凡ミスで突然変異を起こすもの。
平安期の「延喜式」に「めひのこほり」と記録されていたのは越中国婦負郡。
それが今では「ねいぐん」。
「め」が「ね」に変形するというコザ式改名を遂げている。
「ぬ」ならわからなくもないが、草書体の「め」と「ね」は似ていないが…。
口頭記述の時に聞き間違えたのではないだろうか。


198 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/10 01:04 ID:TnJ/p7Mj
>>197
変体仮名に似ているものがあるという可能性はある。

21 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:11:57
228 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/19 10:07 ID:An3CyMQf
旧国名は「〜こく」ではなく「〜のくに」と呼ぶのが一般的なのに、旧郡名はどうして「〜のこほり」よりも「〜ぐん」と音読するほうのが一般的なのですか?


229 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/19 10:48 ID:9xG/z7uD
>>228
呼び方がいつの時点で定着したか分かると解決するかも


230 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/09/20 19:58 ID:dA5zDpe6
>>229
明治11年の太政官布告からと考えるのが自然かと。


231 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/23 01:36 ID:XNlV29Gd
>>230
具体的に述べて下さい。

22 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:12:55
232 :トリなし鷂@携帯じゃけん :03/09/24 00:36 ID:24MsNIQl
>>231
江戸期の地方官は「こほりぶぎゃう」と呼ぶからには、音読みの習慣はなかったと思われ。
廃藩置県の時に試行した「大区・小区制」が破綻したため、
11年の太政官布告で改めて郡制を律令時代並みに強化し、復活させた。
明治新政府はかなりの頻度で漢語を使っており、
太政官布告で定めた「郡」「区」「町」「村」も音読みであった

…んじゃないかなぁ?


233 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/24 01:11 ID:oKIEdqpa
>>232
明治11年にはすでに旧国名は制度上使われていなかったから
「〜のくに」と訓読みのまま残ったということでいいのかな。

でも232が根拠だとすると
今現在「〜町・〜村」は「〜ちょう・〜そん」「〜まち・〜むら」と2通りあるのはなぜ?
同一県内でも特に統一されていないところもあるし。
「〜区」「〜郡」までしかきちんと浸透しなかったのかなぁ。

23 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:22:24
412 :誘導により転載 :2005/04/25(月) 17:29:05 ID:QpOhwwJL
978 :郡の不思議 その1:2005/04/21(木) 10:44:08 ID:aaTzeKfL
不思議な郡名の変化
摂津国東生郡→東成郡
摂津国中島郡→西成郡
遠江国城飼郡→城東郡
駿河国駿河郡→駿東郡
相模国足上郡→足柄上郡
相模国足下郡→足柄下郡
加賀国加賀郡→河北郡

分割後の郡名が不思議なもの
和泉国泉郡→[(南部)南郡、(北部)泉郡]・・・なぜ泉南郡と泉北郡にならない?
越前国丹生郡→[(南部)南条郡、(北部)丹生郡]・・・なぜ丹南郡と丹北郡にならない?
美作国英多郡→[(南部)英田郡、(北部)吉野郡]・・・なぜ英南郡と英北郡にならない?
美作国苫東郡→[(南部)苫東郡→東南条郡、(北部)苫北郡→東北条郡]・・・意味不明
美作国苫西郡→[(東部)苫南郡→西北条郡、(西部)用野郡→西西条郡]・・・意味不明
美作国久米郡→[(南部)久米南条郡、(北部)久米北条郡]・・・なぜ久南郡と久北郡にならない?

統合後の郡名が不思議なもの
遠江国長田郡→[(南部)長下郡、(北部)長上郡]→長上郡・・・なぜもとの長田郡にならない?

24 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:23:14
413 :誘導により転載 :2005/04/25(月) 17:30:36 ID:QpOhwwJL
979 :郡の不思議 その2:2005/04/21(木) 10:45:02 ID:aaTzeKfL
対になる郡名に見えるが一方しかない
河内国八上郡・・・八下郡がない
伊勢国飯南郡・・・飯北郡がない
上総国海上郡・・・海下郡がない
下総国海上郡・・・海下郡がない
近江国犬上郡・・・犬下郡がない
美濃国郡上郡・・・郡下郡がない
陸奥国北郡・・・南郡がない
出羽国最上郡・・・最下郡がない
丹波国氷上郡・・・氷下郡がない
因幡国八上郡・・・八下郡がない
播磨国印南郡・・・印北郡がない
備前国上道郡・・・下道郡がない
備中国下道郡・・・上道郡がない
備後国三上郡・・・三下郡がない
肥後国蘆北郡・・・蘆南郡がない

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/19(火) 11:46:40 ID:zgY6QmzL
備前国上道郡と備中国下道郡って何か関係があるのですか?
地理的に離れているので、もともと1つだったものが2つに分かれた
わけでもなさそうですが。
あと、海上郡と埴生郡がともに上総と下総の両方にあるのはどうしてですか?

25 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:24:44
415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/25(月) 19:04:39 ID:xqusaBko
>>413
言葉の成り立ちからして「かみ」などという音にたまたま「上」という漢字を
当てたわけだから、必ずしも上が上下の上という意味ではないからね。
地名は古いから漢字の字面では意味は判断できないことが多い。


416 :鷂 ◆Kr61cmWkkQ :2005/04/25(月) 19:26:30 ID:pgTVCjYz
>>412-413
向こうで回答した分を転載しときますね。

987 名前:鷂 ◆Kr61cmWkkQ 投稿日:2005/04/23(土) 00:01:21 ID:L3dFrkxB
>>979
河内国八上郡の対語「八下」は堺市に現存します。
 丹比郡を丹北郡・丹南郡に割ったのち、
 丹北郡から八下郷をはじき出した残りが、主要な郷だった八上郷にちなんで改名し、八上郡になりました。
近江国犬上郡は、朝廷と深い関係にあった豪族の犬上氏に由来するようです。
 景行天皇に仕えた「犬上君」の名が古事記にあります。
駿河郡駿東郡は、戦国時代に初めて記録された新しい郡です。
 幕府からあの今川義元に下された安堵状が初出で、
 確かにあのエリアは今川と北条が激しく奪い合った土地で、駿河守護職の今川領最東端にあたります。

あと、諸説ある当て字の一例を挙げておきます。
播磨国印南郡(←入り波) 備後国三上郡(←御神) 肥後国葦北郡(←網敷)

26 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:27:30
417 :転載 :2005/04/27(水) 07:14:55 ID:JeRt7B6Z
992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/25(月) 01:41:33 ID:SuN7m1Yk
>>974
吉備上道国造はないの?

993 :974:2005/04/25(月) 06:20:37 ID:osBk4lEt
>>992
ごめん。単なる書き漏らしでつ(汗

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/25(月) 17:14:22 ID:eGQyPaZA
>>993
で、海上の件は?

995 :鷂 ◆Kr61cmWkkQ :2005/04/26(火) 01:20:56 ID:fM20A+hY
上総に上海上国造、下総に下海上国造がそれぞれ任じられていたようなので
律令制が確立する以前から何らかの関連付けがあったはずですが
その関連性がさっぱり分かりもはんど…。

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/26(火) 06:53:45 ID:5RuR4+Aj
>>994
上海上国造(上総海上郡(今の市原))と下海上国造(下総海上郡)の間には
たしかに匝瑳郡・香取郡・山辺郡・武射郡があって両者は接していない。
しかしそれは律令時代の郡制でみればでそ。
律令以前の国造時代には、両者の間にどんな国造なり県主なりがいたというのか。

997 :996:2005/04/26(火) 06:58:10 ID:5RuR4+Aj
おっと。武射郡には武社国造があったけど。

27 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:28:56
419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/28(木) 13:29:44 ID:2EdX+Fjw
>>413
播磨国印南郡は史料上では「稲美郡」と書かれることもあるね。


420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/29(金) 13:51:56 ID:dTbRMscH
>>412
「駿河国駿河郡→駿東郡」と「加賀国加賀郡→河北郡」は、国名と郡名が同じで
あったことが郡名が変わる原因の一つだと思うが、「遠江国城飼郡→城東郡」に
ついては確かに意味不明。

>>416
>駿河守護職の今川領最東端にあたります。
戦国期だからなんともいえないが、本来的には「守護職=その国の一円領主権」
とは必ずしもならないので、揚げ足取り的な見方をすると、やや誤解を与える
表現かも。

28 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:30:20
422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/03(火) 00:17:19 ID:4FgsDHvY
>>413に追加
長門国厚東郡・・・厚西郡がない


423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/12(木) 23:21:16 ID:m9SigFqf
厚西郡はあったよ。


424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 21:56:07 ID:sbYwV+dx
>>423 詳しく


425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/16(月) 01:23:59 ID:Da1luC4G
>>424
天保国郡全図に載ってる。

天保郷帳でも厚狭郡だったくらいなので
厚東郡・厚西郡に分かれてた時代は短いと思う。

29 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:31:15
428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/22(日) 01:43:04 ID:hPF8Oy3W
安芸国の郡の変遷は意味不明。

(古代→中世)
高宮郡を高田郡に統合。
沼田郡を豊田郡に統合。
安芸郡を安南郡と安北郡に分割。
佐伯郡を佐東郡と佐西郡に分割。

(中世→近世)
佐東郡を沼田郡と改称。
佐西郡を佐伯郡と改称。
安南郡を安芸郡と改称。
安北郡を高宮郡と改称。

結果、沼田郡と高宮郡は古代と近世以降とで全く違う場所になった。


429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 00:24:30 ID:Wtz8C1Kq
>>425
たぶん17世紀の寛文年間に全国で郡名を旧称に戻すことが行われているけど、
東西が統合されたのって、そのときじゃないかな。
逆に東西が別れた時期だけど、南北朝・室町期には厚東氏という大名の存在や
厚東郡・厚西郡という名称が普通に史料上に現れるので、東西分割は鎌倉期に
さかのぼり得るように思う。

30 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:33:32
430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 23:23:35 ID:ZVtudjGJ
戦国期の相模における東郡・中郡・西郡って正式な郡名なんですか?


431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 03:30:19 ID:cVA+uxBt
ゆるき郡+大住郡で中郡


433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/30(月) 21:36:57 ID:ob9rH9uP
>>431
それは近代の話。
>>430のいう中郡は戦国期の史料上に見える名称。
詳しくは知らないが戦国期の中郡には現在の愛甲郡や津久井郡も含むはず。


437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/02(木) 17:41:43 ID:Xqr7kTvr
>>428
しかも、近世における安芸郡と佐伯郡を合併してできたのが、近代の安佐郡。
もう意味不明。


438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/02(木) 18:52:54 ID:p8v49Zlx
>>437
そして現在、広島市には
佐伯区・安佐南区・安佐北区・安芸区があるわけで


439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/02(木) 21:25:47 ID:/gduppJB
ドキュソすぎてものが言えぬ。

31 :地理板のスレの関連レス:2006/07/11(火) 03:41:09
502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 19:01:08 ID:GJ3aqg+C
下野国寒川郡、梁田郡
なぜこんなに小さな郡があったんだろう


503 :鷂 ◆Kr61cmWkkQ :2005/11/28(月) 00:20:38 ID:+qsv3ECN
>>502
去年書いたレスを転記しますが、関連があるかどうかは分かりません。。。

>149 名前: 鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ 投稿日: 03/08/24 02:31 ID:789Ok7an
>律令制度が確立した頃は、郡の規模は1000戸未満と定められ
>オーバーすれば分割や割譲によって1000戸を維持していた…そうな。
>奈良盆地から浪速津にかけて、博多湾から有明海にかけて、
>とてつもなく狭い古代郡が乱立していたのもうなずける。
>今でも筑後平野の山門・三井・三池・三潴郡は異様に狭い。
>それでいて久留米市への依存度が高いわりに柳川市や筑後市の影響力もあり、
>よそ者にはどこがどこだかよく分からない…。


519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 12:36:50 ID:Y8BOjUmT
さて、古代から近代の郡変遷があるサイトないですかねえ。
それと各時代の郡内の郷と現代市町村との比定とかまとめたやつ(欲張り)
図書館いけば済む話かもしれんが。

あと一つ、郷とか荘園も郡の下にあるもののだと思ってたのだが、
薩摩国知覧郷を給黎郡に併す、とか牛屎院という感じで、
河辺郡や菱苅郡(あるいは薩摩郡か伊佐郡)がなかったりするのは、どう解釈すれば。

32 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 03:41:59
以上まとめage

33 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 14:32:18
>あと一つ、郷とか荘園も郡の下にあるもののだと思ってたのだが、
>薩摩国知覧郷を給黎郡に併す、とか牛屎院という感じで、
>河辺郡や菱苅郡(あるいは薩摩郡か伊佐郡)がなかったりするのは、どう解釈すれば。

どういうこと?

34 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:12:41
たまに国名と郡名が同じところがあるけど、何か意味はあるのでしょうか?

35 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:20:10
関連スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1152274924/l50

36 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 00:45:30
戦国時代に相模国愛甲郡から津久井郡が分離しかし平成の大合併で津久井郡は
相模原市と合併し、その歴史を終える。

37 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:30:13
>>36
津久井郡って、江戸時代には津久井郡じゃなくて津久井県と呼ばれたんだよね?

38 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:37:26
>>37
ハァ?

39 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:37:47
>>37
津久井県(つくいがた)郡です

40 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:44:05
前近代の史料上に出てくる「県」は「郡」の別称と考えていいのでしょうか?
「州」は「国」の別称でいいんですよね?

41 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 03:16:21
>>39
津久井県郡だったのですか。
どうもです。

42 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:28:59
戦国期の相模における西郡・中郡・東郡って、正式な郡名なんですか?
それとも同時期の駿河における山西・山東・河東みたいに、単に郡よりも上位の
広域地名ということなんですか?

43 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 17:07:49
紀伊国牟婁郡と、大和国吉野郡って異様にでかくない?

44 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 23:56:07
牟婁郡は東西南北に分けられた上に南北が三重で東西が和歌山になったが、東西南北が全部揃ってるのは牟婁郡くらい?

45 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 00:20:45
山が多い地方は広くなるよ。

46 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 01:02:12
あとね
PUが多い地方はアホになるよ。

47 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 01:12:58
東西南北中揃っている(いた)郡
陸奥国津軽郡、閉伊郡
下総国葛飾郡

東西南北揃っていた郡
武蔵国多摩郡
伊予国宇和郡


48 :PU:2006/07/13(木) 01:13:58
どうしますか?

49 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:12:48
>>47
中葛飾郡なんてあったっけ?

50 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:35:02
東西南北中に分割された郡
陸奥国津軽郡
陸中国閉伊郡
下総国葛飾郡→西葛飾郡、中葛飾郡、東葛飾郡
武蔵国葛飾郡→北葛飾郡、南葛飾郡
越後国蒲原郡

東西南北に分割された郡
羽前国村山郡
武蔵国多摩郡
紀伊国牟婁郡
伊予国宇和郡
肥前国松浦郡
日向国諸県郡

51 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:37:32
葛飾は東南北しかないな

下総国葛飾郡
明治になって一部が猿島郡となり残りは東葛飾郡に改称
ただし元からの猿島郡が茨城県になったのに対し
葛飾郡から分かれた猿島郡は千葉県に留まった

武蔵国葛飾郡
元は豊島郡の一部
中世に豊島郡・葛飾郡・葛西郡に分かれ後2者は江戸時代合郡して葛飾郡
明治になって南葛飾郡・北葛飾郡に分かれ前者は東京市に編入

北葛飾郡は埼玉県なので「葛飾」は1都2県にまたがっている

52 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 11:09:04
>>51
武蔵国葛飾郡って中世以前は下総国だった地域じゃないの?

53 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 11:25:47
東広島は何郡何郷ですか?

54 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 11:54:46
>>53
安芸国賀茂郡東西条郷かな。

55 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 12:15:53
>>44
律令制下における紀伊国牟婁郡は、基本的には大化前代における熊野国造の
領域を継承したものとされるが、近代の北牟婁郡地域は中世以前には牟婁郡には
含まれていなかったらしい。
律令制下においては、近代以降の北牟婁郡地域および度会郡南部は
志摩国英虞郡の一部だった。
しかし中世になると、この地域は伊勢国度会郡の一部として扱われること
が多くなり、さらに戦国期に新宮城主堀内氏の勢力拡大に伴って、
北牟婁郡地域は紀伊国とされるようになった。
つまり本来的には、近代の北牟婁郡と南牟婁郡の境界(現在の尾鷲市と熊野市の
境界にほぼ同じ)辺りが志摩国と紀伊国の境であったということになる。

56 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 12:22:54










東広島には黄巾族はすんでませんか?







57 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 12:24:30
>>45
日本史上で(北海道を除いて)最大の領域を誇った郡は陸奥国糠部郡です。

58 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 12:29:11







東広島に三国志の残党がいるはずですが、どこにいるんですか?








59 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 12:53:09










東広島には黄巾族はすんでませんか?








60 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 12:38:31
北海道の国と郡が気になる

61 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 16:58:48
>57
糠部郡 約7340km2
津軽郡 約4820km2
閉伊郡 約4220km2
葛飾郡 約0920km2
蒲原郡 約3910km2
村山郡 約2610km2
多摩郡 約1210km2
牟婁郡 約3110km2
宇和郡 約1790km2
松浦郡 約1970km2
諸県郡 約2430km2

62 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 21:29:18
>>61 物知り博士はどっから調べたの?

63 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 08:17:15
大倭が大和に改称されたのは国名の好字化政策の一環ですか?

64 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:22:25
中葛飾郡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%91%9B%E9%A3%BE%E9%83%A1
西葛飾郡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%91%9B%E9%A3%BE%E9%83%A1




65 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:45:42
>>61
糠部郡ってどうして近世になって分割されたんでしょうか?
しかもそのときに、二戸・三戸・九戸だけが分割後の郡名に採用され、
一戸・四戸・五戸・六戸・七戸・八戸は郡名にならなかったのは
何故なんでしょう?

66 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 02:12:44
>>64
wikiの捏造イクナイ

67 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 02:31:31
>>66
そう思ったら買い直しに行けば〜。

68 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 23:32:13
角川地名大辞典で調べたが、複数の人が書いているせいか間違った記述も
目につく。後発の辞書類は角川からの引用が多いので、矛盾が出てくる。
すべての記述を総合・整理すると次の通りとなる。

明治元年、東京府葛飾郡と下総県葛飾郡が成立。
明治2年、下総県葛飾郡は葛飾県葛飾郡となる。
明治4年、葛飾県葛飾郡は印旛県葛飾郡となるが、庄内古川〜中川の
ラインより西は埼玉県に編入され埼玉県葛飾郡となる。
明治6年、印旛県葛飾郡は千葉県葛飾郡となる。
明治8年、千葉県葛飾郡のうち江戸川以西が埼玉県に編入される。

明治11年、郡区町村編成法施行に伴い
東京府葛飾郡は南葛飾郡となり、千葉県葛飾郡は東葛飾郡となる。
埼玉県葛飾郡は明治4年に編入された部分が北葛飾郡となり、
明治8年に編入された部分が中葛飾郡となったが、両郡の郡役所は
北葛飾郡杉戸に置かれ、実質的には1つの郡だった。
明治29年、中葛飾郡は北葛飾郡に併合される。

正解は「東」「南」「北」「中」の4つの葛飾郡があった。

69 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 00:30:56
>>68
茨城県にあった西葛飾郡は?

70 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 02:48:58
>>51がいってることは意味不明だな。
近世における武蔵国葛飾郡というのは、元々は下総国葛飾郡の一部だった地域であって、豊島郡とは関係ない。
例えば、東大寺の正倉院文書の紙背に残っていた古代の戸籍のなかに、現在の江戸川区小岩付近と推定される集落(近世では武蔵国葛飾郡に該当する地域)のものがあるが、その戸籍ではこの地域は下総国葛飾郡として扱われている。

葛西郡というのは、中世において葛飾郡西部を指していた通称的な名称だが、当時は当然ながら葛西郡は下総国の一部として扱われている。
ここを苗字の地とした葛西氏も下総国の御家人(のち陸奥国へ移る)として扱われているし。

71 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:15:47
>68
郡に関しては明治11年の郡区町村編成法施行以前は行政上の意味が無く、
地理的区分に過ぎず、国と同じ位置付けだった。
葛飾郡は下総国葛飾郡と一部が江戸期に武蔵国に移管して成立した
武蔵国葛飾郡が存在したがどちらも大きな変動が無く明治11年を迎えている。
郡区町村編成法施行の段階で下総国葛飾郡は行政的に茨城県庁管轄区域、
千葉県庁管轄区域、埼玉県庁管轄区域に分かれていてそれぞれの管轄区域に
西葛飾郡、東葛飾郡、中葛飾郡が成立した。
また、武蔵国葛飾郡は行政的に埼玉県庁管轄区域、東京府庁管轄区域に
分かれていてそれぞれの管轄区域に北葛飾郡、南葛飾郡が成立した。

72 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 00:07:27
そういえば葛西郡って言い方はするけど、葛東郡って言い方はしないね。

73 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:31:45
葛南とか葛北とかは?

74 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:09:36
>>68は釣りじゃない?

75 :日本@名無史さん:2006/07/25(火) 22:45:21
>>71
>郡に関しては明治11年の郡区町村編成法施行以前は行政上の意味が無く、
>地理的区分に過ぎず、国と同じ位置付けだった。

領国を郡単位に分けて郡代や郡奉行などをおいて管理する例は、中近世において
守護大名・戦国大名・近世大名のいずれにも見られる現象ですが・・・。

76 :畿内:2006/07/26(水) 01:35:52
★山城国★
相楽郡、綴喜郡、久世郡、乙訓郡、
京田辺市、城陽市、宇治市、八幡市、長岡京市、向日市、
京都市(右京区・京北、左京区・広河原除く)

★大和国★
奈良県全域

★河内国★
南河内郡
枚方市(磯島除く)、交野市、寝屋川市、守口市、門真市、四条畷市、
大東市、東大阪市、八尾市、松原市、柏原市、藤井寺市、羽曳野市、
富田林市、大阪狭山市、河内長野市、
大阪市・鶴見区・・・古宮(焼野、浜、茨田大宮、安田)、
  諸堤(緑地公園、横堤、諸口、中茶屋)、
  今津(徳庵、今津)、
 生野区・・・巽、 平野区・・・加美、長吉、瓜破、 東住吉区・・・矢田、
堺市・美原区
 金岡(南長尾、東三国、長曽根、金岡)
 北八下(蔵前、新金岡、南花田、中村、遠野、八下、石原)
 南八下(菩提、引野、野尻) 日置荘
 大艸(関茶屋、草尾、大美野、中茶屋)
 野田(高松、丈六、南北野田、西野)

77 :畿内:2006/07/26(水) 01:36:29
★和泉国★
泉北郡、泉南郡、
堺市(河内に含まれる所を除く)、高石市、泉大津市、和泉市、岸和田市、
貝塚市、泉佐野市、泉南市、阪南市

★摂津国★
三島郡、豊能郡(豊能町・牧、寺田除く)、川辺郡
大阪市(河内に含まれる所を除く)
茨木市、摂津市、箕面市、吹田市、池田市、豊中市、尼崎市、伊丹市、
川西市、宝塚市、西宮市、芦屋市、三田市、
高槻市(杉生、二料、中畑、出灰、田能除く)
神戸市・東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、北区(淡河除く)、
 須磨区(菅の台、竜が台、西落合、神の谷、緑台、弥栄台除く)
枚方市・磯島

☆明治維新まで堺の大小路が摂津と和泉の国境であった。

78 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 15:46:58
堺の大小路って何?

79 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 13:05:11
現在で言えば、南海堺駅、南海堺東駅、JR堺市駅を結ぶ東西方向の道路。

80 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 01:25:39
千葉市緑区土気が上総なのは分かるんですが
緑区大和田・中野・平川・野呂などと若葉区の堺はそのまま旧国境線ですか?
だとしても、そこからどう市原市に接合するのかが、また分からない。

81 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 16:17:40
>>33
この文章俺のだわ…

>あと一つ、郷とか荘園も郡の下にあるもののだと思ってたのだが、
>薩摩国知覧郷を給黎郡に併す、とか牛屎院という感じで、
>河辺郡や菱苅郡(あるいは薩摩郡か伊佐郡)がなかったりするのは、どう解釈すれば。

郷とか荘園は郡の所轄から外れたから、
表記のとき郡を記す必要があるのか、
また所轄から外れていた間の郡の変化はどう捉らえるべきか(相変わらず文章下手)

82 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 22:37:26
http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/02/nmapx_gun.html

83 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 17:25:55
>>81
じゃあ荘園になると郡域から除かれるの?
現代の市制施行みたいに。

あと郷は本来、郡の下部組織じゃないの?
律令制下では、国→郡→郷→里というふうになってるわけだし。

84 :日本史はダメな81:2006/09/08(金) 18:06:09
郷については完全なる間違いです
荘園は…郡の所轄から外れるってのも間違いかも。不輸不入権とかあたりの誤解かな?
住所表記は郡を省くのが多かったようなきがしたんで…
地理の知識も半端なのに日本史板に書き込んですいません

85 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 00:45:32
不輸不入権を完全に持っている荘園なんて実際にはどれほどあったことやら。

86 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 22:44:21
>>78-79
大小路って古市街道の一部だよね?

87 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 00:11:57
大坂城って何郡にあったの?

88 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 15:49:34
東生(後の東成)郡


89 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:19:41
>>80
かつての山武郡土気町は現在の住居表示の土気町だけじゃなくて南の大椎や大木戸、小山なども含む。
更に余り知られていないが一番南端の板倉町はかつては市原郡に属していた。

つまり、土気町が現存していたら南側に市原・茂原両市と隣接しているはず。

90 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:23:49
>>18
千島国はともかく樺太国は脳内妄想。
樺太は廃藩置県後の千島樺太交換条約まで国境画定しなかったから樺太が令制国体制に組み入れられた事はない。

91 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 10:02:42
あの〜
和名抄とかを参考資料に、
勉強されていると思いますが、
和名抄には飛鳥や難波の比定地に
古代の都地名がありません。
どうしてですか?

92 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:47:25
上座郡ってどう読むんですか?

93 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:59:21
下座郡ってどうよむんですか?

94 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:26:42
鎌倉・室町・江戸時代の郡の改変は誰の権限?
朝廷?幕府?現地政権?

95 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:31:01
>>91
記紀に書かれた都の中には、
実はかなり疑いをかけられた都があります。
飛鳥も難波もそういう意味では、
疑う必要を感じますね。

>>92かみつあさくらぐん
>>93しもつあさくらぐん

96 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 21:02:40
>>95
飛鳥に都があった
記紀も出鱈目書いたものだよな

97 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:47:27
飛鳥の語源はなんだろな?

98 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 11:07:55
>>92-93かみ(む)つくら、しもつくら
>>97アは接頭語、スは洲、カは処。
大和盆地は昔は湿地帯だったからね。豊葦原の国と呼ばれたくらいだし。

99 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 11:13:17
そういえば、西安宿(かわちのあすか)と東明日香(やまとのあすか)はどっちが先かな?
凡河内國飛鳥郷の地名が東遷したとの説もあるよね。

100 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:07:26
>>98 大丈夫か?

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