5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【逃げるな】武将の出家って・・・【戦え】

1 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 23:29:38
ずるいとオモタ。










2 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 23:37:35


3 :日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:46:20
昔から疑問に思ってたのだが3天下人以前は出家して隠居というのが王道なのに
3天下人以降は在家のまま家督を譲るのが増えたような。

4 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 19:55:15
へえー

5 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 21:34:39
元就とか後北条家はどうだったっけ?

6 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 21:43:29
女色を捨てて、男色一本の衆道に走っただけでしょ。

7 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/08/01(火) 12:20:11
近世に入ると減少したというのは確かでしょうが、信長の場合49歳で横死
していますし、秀吉・家康は吉田に神に祀られた事も(家康は吉田→山王)
関係しているかもしれません。

8 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:03:54
信長も家康も生前に家督譲ってなかった?

9 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:14:38
信長は信忠に家督相続済み。だから本能寺の変は織田家の天下をのがす大事になった。


10 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 20:09:24

・・・それはともかく、 >>3の主張は気のせいって事だな。

11 :ににな:2006/08/11(金) 07:13:34
かな

12 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 08:23:46
意外と、即物的な要素もあるのでは?
例えば、ハゲ。脱毛。
はげてくると、烏帽子も被れない。髷も結えない。
故に出家してしまう。威儀が正せない、とかで。

13 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 19:18:40
ヒント:月代

14 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 22:00:55
還俗した武士は?
よくぞ戻った?
それとも、未練がましい?

15 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 18:35:14
やっぱり、人殺しを仕事にしてると
「タタリが怖い」とか「俺って、死んだら地獄行きだよなー」とか
考えちゃうんじゃない?

16 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 21:04:45
カプッ!

17 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 21:22:39
足利義満や武田信玄の例など見てもわかるが
「出家」というのは決して「世を捨てる」ことでも「政治・戦さから逃げる」ことでもない。
むしろこの時代の出家というのは、
禅の修行を真面目にやりますよ、という求道心の現れに他ならない。

江戸期になると、鎌倉末以来の臨済禅の流行がやや沈静化して
必ずしも前の時代のような 上級武士=禅の修行者 ではなくなったから、
それに応じて出家者も減ったものと思われる。

18 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 21:26:49
>>15 地獄?場所が存在してたらな

19 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 21:27:34
そういや武士や公家って臨済宗や曹洞宗が多いね
禅と関係してるのかな

20 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:06:20
>>19
いや、曹洞宗はかなり少なく、圧倒的に多いのが臨済宗。
何故かと言うと、臨済宗は開祖栄西が、当時の鎌倉幕府と癒着することで
宗派を広めようとしたから。
癒着というと、悪いイメージがあるけれど、それまでの仏教宗派が貴族や
皇室と癒着してきたわけだから、それに対抗して新勢力の武士階級に目を
つけた訳だ。
しかし、当然「禅の道」を志す人の中には、それが「不純」に見える
人もいる訳で、そのひとりが曹洞宗の開祖、道元なんだね。
だから曹洞宗は、むしろ権力に背を向けて「修行」に集中するという
立場なので、安易に入門させてくれない。
臨済宗からすれば、世の役に立つにはある意味、俗世に関わるべきと
いう考え方なので、むしろ「政治顧問」的なことを志す。
だから、出家して臨済宗に帰依した武士というのは、例えて言えば
現場のプレーヤーを引退して、コーチや監督の立場になったと考えれ
ば良いのではないか、とぞ思ふ。


21 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:29:38
>>20
うーん勉強になった
くわしくアリガトン

22 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 07:28:09
>>20
その通りだと思うが、
信玄や謙信のように、出家後もコーチですらなく
依然として現場のプレーヤーだった人も多い。

23 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 08:20:21
>>22
まぁ、コーチや監督的表現は、強引なので、多少の齟齬は
斟酌ください。
それでもなお? 言ってしまうならば、信玄や謙信は、
さしずめ「プレーイング・マネージャ」ではないでしょうか?
これは多いようでいて、少数派です。というよりよほど
能力や人望がないと勤まりません。
古くは、平清盛(入道相国)や北条時頼(最明寺入道)、
足利義満もそうでしょうが、このレベルだと仏事も、政治も
トップレベルをキープできたでしょう。血筋も含めてです。
ただ、元々仏教に帰依する大きな「動機」は、血筋という
自分ではどうにも変えることが出来ないものに対して
「俗世」の人間関係を超越する為にそういった手段を選ぶ
というのが多数派なんですね。
これは枚挙に暇ないのですが、例えば安国寺エケイや今川
義元の政治・軍事顧問で、当時人質だった徳川家康の教育
を担当した雪斎などが挙げられます。この辺りもかなり上
の方なので、一般的な武士ならば大半はこういった傾向
にあります。家柄という枠組みを打破したいという気持ち
は多くの武士の中にあったもののようです。


24 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 08:26:30
勉強になるなぁ

25 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 16:53:15
>>23
19へぇ。

26 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 10:26:53
>>23
武士の掟は結構いろいろあって、そのしがらみで苦労している武士は
たくさんいただろう。ある意味、出家はそのしがらみを絶つ手段。
そういった意味では、>>23のいうことも解る。

織田信長は、そういったものに囚われずに、実力で家臣を評価したが
明智光秀や、羽柴秀吉に対して、やっぱり譜代の柴田勝家なんかの
風当たりはやっぱり強かったし、そんなぎくしゃくが組織の中で
起きるんだろうね。

織田家以外では、やっぱり家柄で評価するから、それを超えようと
すると「出家」という手段が必要になる。

ただ、武田信玄や、上杉謙信、あるいは平清盛なんかは、殿様な
訳だから、お仕えする立場でのしがらみはない。
ではなんで出家するかというと、それは「年齢」というしがらみ。
当時の武家社会では、40過ぎるともういい歳。50過ぎても現役
なんてトンデモない。さっさと家督を譲って引退せいという無言の
圧力が内外からかかる。でも一方では、能力が秀でた主は一部から
まだ続けて欲しいという人望もある。それをうまく回避する方法
として「出家」があったんだと思うが。

27 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 11:30:08
でも中には武士が嫌になって、仏門に入るために出家した人もいたんじゃない?
平家物語に出てくる熊谷直実(って名前だったかな?)は、一の谷の合戦の時
自分の子供くらいの少年(平敦盛)を討ち取ってしまった事で落ち込んでしまい、
実際出家して法然の弟子になったって事を聞いたことがあるんだけど・・・
これは、特殊な例なのかな?

28 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 11:33:01
西行は武士が嫌で遊びまくりたいから出家したんじゃね?

29 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 12:48:12
>>27
>>28
熊谷次郎直実は浄土宗の開祖法然に入門しているのはその通りです。
西行は元々佐藤義清という朝廷を守備する武士(北面の武士)で
厭世的な意味で出家している。
禅に入門するケースは、鎌倉時代以降の話で、それとは分けた
方が良いかも知れないが、共通するのは、武士という掟に縛られた
部分から解放を望んだということでしょうか?
ただ、解放された後、なおも政治や戦争に違う立場で関わろうと
するのか、それともそんな立場すら嫌で、俗世と完全に決別したい
と望んだのか、それはもう「個人の選択肢」という話だと考えます。
俗世と決別した後も、悩む直実と、いっそ花鳥風月と共に過ごそうと
した西行も、共に厭世的とは言え対照的な生き方ですよね。
また、そんな西行ですら、鎌倉殿(源頼朝)と奥州藤原氏が対立した
際に、その調停を引き受けたりもしているので、人間の生き様という
のはなかなか一筋縄には行かないものです。ただ、西行がもし、北面
の武士佐藤義清のままだったら、そんな事は絶対出来なかったはずな
ので、やはり立場を変えてみた事には、意味があったのではないでし
ょうか?


30 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 14:03:32
西行の庵に、当時荒くれ法師として知られた文覚という僧が
頭をぶち割ってやると言って押しかけたが、逆に逃げ帰った
という話がある。西行は全身が筋肉質で、特に顔の頬の筋肉
が凄く発達していて、目の下から頬の端まで筋が通っていた
らしい。想像するに、ゴルゴ13デューク東郷みたいな感じ。
文覚はそれを見て恐れをなしたというオチなんだが、やっぱ
り武士として鍛え上げられた部分を持っていたら、遁世しよ
うが、迫力はあるんだろうなあ。
僧は「勉強ができる」ってイメージだから、文武両道を求め
たら、当時は武士が出家、というパターンになるのでは。

31 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:12:11
>>29
なるほど・・・

32 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 23:41:27
熊谷次郎直実が出家したのはその通りだが、動機は平敦盛を討った時の
厭世観ではなく、所領争いに負けたからだとされる。厭世的な出家であ
ることには違いないが、そんなにドラマチックな展開ではなかったのが
事実で、敦盛云々は平家物語による脚色である。
直実の法名は蓮生。法然に師事したが、その後については明らかではな
い。

33 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:30:59
>>26
うーん、異論というわけではないですけど・・・。
信玄や謙信の場合、常に戦争を戦い続けていた訳で、特に戦国の社会では
室町幕府はとっくに無力化しており、公権力を味方につけても大した効果
は期待できない。とするならば、「大義名分」として仏教に帰依するとい
う選択肢もあったと思います。信長なども実は例外ではないのですが、
戦いに赴く際は、熱田神宮などに参詣していますね。これは、神様のご利
益(ごりやく)というより、大義は我にあり、というアピールなんですね。

家臣に対してだけでなく、社会に対するアピールなんです。
信玄は、善光寺の本尊を無理やり甲斐に持って来ようとしたり、また高名
な快川禅師(心頭滅却すれば、火もまた涼し、という言葉と共に、武田氏
滅亡後に織田信忠の焼き討ち時に本堂で焼死)を甲斐に招いたりしていま
す。神仏が大義名分になる、というのは、当時の一向宗もそうですが、中
世の日本社会では結構あったケースのようです。
本当は、「大義名分」は儒教(朱子学)の言葉ですから、概念としては
結構日本人は、ファジーな部分があるのですが。


34 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:52:45
>>20
そう言えば信長の政治顧問的な役割だった沢彦和尚も臨済宗の坊主だったっけ。

35 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 08:32:29
>>34
その通りです。沢彦和尚は信長に対して諫死した平手政秀の菩提を弔った
政秀寺の開山ですが、政治顧問を務めるのは、半ば臨済宗の宗旨に近い
状況になっていました。いわゆる「五山」という考え方です。
>>33とも関連するのですが、臨済宗の禅僧は、だからこそ、曹洞宗のよ
うな禅そのものの修業というより、広範な理論や知識を習得することを
要求されるようになっていきます。仏教には、本来「政治理論」という
考え方は希薄なのですが、そうした事から政治理論の一環として「儒教」
も対象になって来ました。かつ、これは日本だけでなく、中国で禅が
始まった時からそうだったようです。
鎌倉時代以降の「新仏教」は、比叡山で修行した学僧が、そのアンチテー
ゼとして新宗派を興したものが多い(法然・親鸞・日蓮)のですが、
禅宗は、宋から(モンゴルの侵略により)亡命した僧や、海外留学した
僧(栄西・道元)が持ち込んだ(持ち帰った)ものです。
ですから臨済宗の政治顧問の技術としては儒教(特に朱子学)の色彩が
強いですね。「岐阜」の基になった「岐山」の話や、天下布武の印など
信長の施策に儒教的な要素があるのは、その影響と考えられます。


36 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 21:02:28
age

37 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 15:17:13
信玄や謙信や元就が出家したのは、
別にプレイングマネージャーになったんじゃない。
出家した理由は、戦で仏の加護を得るという宗教的な意味もあるが、
最大の理由は、出家したら露骨には側室を持てないから、
家臣が出家するように奨めたんだよ。

戦国大名は長生きなほど圧倒的に有利。
元就が中国地方を制覇したのも、家康が幕府を開いたのも長生きしたから。

当然ながら戦国大名は若い側室を沢山抱えていたが、
ジジイが若い側室を抱けば、寿命が縮むのは当たり前。
SEXによる消耗を避けるため、家臣達に「殿、出家されよ」と言われて
出家したんだよ。

38 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 16:46:39
>>37
m9(^Д^)プギャー

39 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 00:04:58
>>37
上杉謙信は、側室どころか正室もいなかったが、武田信玄は
出家後もSEXしていた。

でも謙信の方が若く死んでる。

北条早雲は、88まで生きたが、側室もってたよ。
大体、志を持って東国に赴いたのが55の時。それから戦国大名に
なって、跡継ぎも作って・・・って感じだからな。

余り説得力はないな。



40 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 00:44:10
普通のセックスとアナルセックスって、どっちが消耗するんだろう?

41 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 13:00:56
>>39
>武田信玄は出家後もSEXしていた。

SEXしてる事は百も承知。正室となら、坊さんでもちろんやっていい。
ただ法体にすれば、新しい側室を増やしたりは露骨には出来なくなる。

> でも謙信の方が若く死んでる。

抗生物質もない時代だ。若死にする大名なんていくらでもいる。確率の問題。

> 北条早雲は、88まで生きたが、側室もってたよ。

早雲は遅咲きだし、ただの浪人上がりで係累が不足していたから、
子孫をできるだけ増やさなきゃいけなかった。

42 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 13:15:47
>ただの浪人上がりで
ここは笑うところでしょうか?

43 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 21:55:07
>>42
そう鴨知れない。

>>41
早雲は政所執事伊勢氏の流れを汲んでいて、備中国内に領地を持っていた
という説が有力。
諸説はあるが、それでも、今川家に嫁いでいた妹のつてを頼って東国方面
へ移っていった説もあった(異説=家督相続介入の為に下向=が有力)。

メチャメチャ係累だらけやんか。

秀吉みたいに係累はいても身上が低いのとも、訳が違う。

コジツケは、止めようね。


44 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 07:29:19
>>41
>SEXしてる事は百も承知。正室となら、坊さんでもちろんやっていい。
>ただ法体にすれば、新しい側室を増やしたりは露骨には出来なくなる。

なんで?べつにいいじゃん。若いのとセックスしたい場合はどうすればいいのよ?
稚児小姓とのアナルセックスで我慢しなきゃいけないの?

45 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 13:44:15
久しぶりに来たらいつのまにかセクロススレになっていた

46 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 11:32:02
>>44
セックスはいいかも知れないが、避妊もない時代、余計な子供が
出来ちゃうと、いろいろ面倒な事になったんじゃないかな。

特に、もう隠居したような大殿が子供作っちゃうと、家督は譲って
るのに、別に子供が出来て、それなりの待遇は必要だろうし。

徳川家康みたいに、天下取っちゃえば、いくらでも大盤振る舞いは
できたかも知れないが、誰も彼もがそうできたわけじゃないし。

で、出家。

47 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 11:36:06
戦国大名が「出家」して法体になった場合、女色は絶つのか?
正室との夫婦関係も表向きは解消?

それとも姿かたちだけ坊主になるだけで、正式には在家の俗人のまま?

48 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 11:57:41
>>47
今の坊主と一緒で妻とはやってもいいが、妾を持つのは不道徳行為。
新規に若い妾を持つのは無理(ここが坊主になるポイント)。
既存の妾ともおおっぴらにはできなくなる。コソコソやる。

49 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 13:25:48
そうか?
当時の坊主は一向宗とかの例外を除き、基本的に妻帯はしない。
出家前に妻がいても、出家後はセックスはしないもの。それが「出家」。
じゃあ武将のような偽坊主はどうかというと、所詮は偽坊主、別に縛りはなかったはず。
信玄なんかもおおっぴらに既存の妾を囲い続けていたはず。
(新規に妾を採用したかどうかは知らない。)


50 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 00:29:00
ケプッ!

51 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 03:52:19
逆に坊主が還俗して武将になるのも多い、謙信や護良親王、今川義元、etc.


52 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 04:01:17
謙信は、まぁ、そう鴨試練名。

しかし今川義元は・・・。
足利義教とか義昭と同じ、政治家、貴族に近い鴨。
欲得、煩悩に満ち満ちてる。


53 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:35:33
今川義元は同母兄が後を嗣いだので慣習として出家した
しかし、その兄が急逝したので急遽担ぎ出された

54 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:37:05
護良親王って武将なのか。
まぁ、元天台座主で、鎧とか来てる画像もあるしね。征夷大将軍。
でも、その履歴も足利義教と酷似してる。
けーんしーんて法名とちゃうの?

55 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:54:08
>>54
ちがう。うえすぎかねのぶ通称けんしん

56 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:38:59
>>55
謙信って、高野山から送られた法名だと思ってたけど。
法名ではないのですか?
位牌の「為権大僧都法印謙信」って通称が書かれてるの?

57 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:57:13
>>56
ちがうよ。その位牌は「ごんのだいそうずになっちゃったよ〜byかねのぶ」という意味。

58 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 03:02:58
そういえばどうして謙信は「けんしん」なんだろう?

59 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:22:37
ええと、ソースは毎日新聞のサイトなんですが、
ttp://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/hero_kenshin.htm

それによると、上洛して「臨済宗」から在家のまま「宗心」という法号を
授けられ、その後曹洞宗林泉寺住職の宗謙に師事した際、「宗謙」にあや
かって「不識庵謙信」と号したらしいです。謙信は名前の方は景虎、政虎、
輝虎とか頻繁に変えていますが、「かねのぶ」って名乗ったのでしょうか?

60 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:27:01
>>59
そうだよ。ふしきあんかねのぶ。


61 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:18:26
>>60
うそつけ。

62 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 10:22:31
謙信は「法号」です。法名とは頂くものですが、法号は自ら号した
ものです。由来的には、尊敬するような人に因んだり頂いても良い
し、そうでなくても構いません。自分の事ですからね。自分が相応
しいと思えれば良いのです。ただ、単なる「号」と違い、仏教に帰
依するという意味でのリスペクトは必ずあります。
法号は、訓読みはまずあり得ないでしょう。漢籍的な知識の上に
「号」というものは成り立っていますから。元々「号」は中国の字
名の系統で、儒学者や詩人から始まっています。従って、読みは
「けんしん」が妥当です。


63 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:32:23
ケプッ!

64 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 01:24:51
age

65 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:47:27
直実の出家理由
       一ノ谷で幼い敦盛を討ち、人生の無常を感じたから
 は後付だろう

66 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:57:05
6代将軍の候補ながらも満済の不正でなり損ねた足利義教の弟義昭(ぎしょう)と15代将軍足利義昭は紛らわしい
義教の出家時の名義円と義経の同母兄源義円は紛らわしい。
平師盛の子源智は平氏の末裔なのになぜ「源」をつけたか謎
足利義昭が出家時に義○を名乗らず覚慶になったのが謎
そして覚慶が後に義教の弟義昭とダブる義昭(よしあき)を名乗ったのも謎であり、紛らわしい

67 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 17:30:29
足利義澄が出家時に清晃を名乗っていたのも謎

68 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 17:58:48
謎も謎

69 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 19:04:43
>>999

70 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:53:08
足利将軍家は跡継ぎ以外は出家
義持の弟 義円→義教 
     義昭
義教の子 義尋→義視 政知(法名不明)
政知の子 清晃→義澄
義晴の子 覚慶→義昭
そういえば義政が義勝の弟なのに出家しなかったのが謎
あと政知の法名が分からない

71 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 21:11:44
足利政知「勝幡院」あるいは「幢勝院九山」

72 :70:2006/12/02(土) 10:35:09
>>71さんありがとうございます

73 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 13:39:17
武士の出家といえば西行がいる。
北面の武士佐藤義清が出家したときは文字どおり、妻子を捨てて家を出たわけだが、
武将の出家とかはそれとちがうよな。

イメージ的には出家しても妻子がそのままいて、側室まで抱えてるって感じだけど、
前からこれが疑問だったんだよな。

出家した武将は僧になるわけだから、天台とか禅の場合、妻帯や女犯は御法度のはず。
出家した武将の正室は名目上、離縁して他人になるのか?

74 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 19:11:18
正室も習って出家するんじゃね

75 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:43:15
正室が出家したのに夫は出家せずという例もある罠
有名戦国武将じゃないので名前は挙げないけど

76 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 07:21:22
>>73
そんなご法度・・・
現在の滋賀県雄琴が、坊さんの情婦の集落から始まったの知ってるか。

77 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 09:21:06
お坊さんだって射精したい。
俗世のいろいろから遁世しても、下半身はまだ戦いを挑んでいる。

78 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 13:30:26
後白河

79 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:43:46
>>77
昔は衆道メジャーだから、小坊主にでも手出せばオケw

80 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:29:23
またまたセクロススレに・・・

81 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 21:05:35
age

82 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:47:02
室町以降の出家について。
足利持氏とか出家を条件に助命をこうているけど、出家=政治的死亡なんですか?
いったん出家しても、還俗すれば政治的地位を取り戻して再度反抗、なんてこともあるんでしょうか。

83 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 12:20:05
名越光時も出家してかろうじて助命されてるということもあるしな

84 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:45:46
>>82
それはあるでしょうね。再び反抗するリスクはあります。
では、何で出家を条件に助命をすることがあるかといえば、その時点で
最大限の譲歩をさせることが可能だからです。
首謀者を討ち取ってしまうと、勝利は勝利なんですが、周辺のゴタゴタ
を平定するところまで、自分たちでしなければならなくなります。しか
し、相手の首謀者を降伏させると、それに呼応または同調するかたちで
挙兵していた者共も、取り敢えず矛を収めるしかなくなります。首謀者
が命を惜しんでくれたらしめたものです。交渉上完全に主導権をもち、
かつ首謀者に反乱を止めるよう号令を出させることすら可能になるわけ
です。その際、再度反抗させないために、如何なる処遇にするかが、
反乱を平定する側の留意する点になります。


24 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)