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【九州説】邪馬台国畿内説を議論するスレ4【厳禁】

1 :前スレ681でごわす:2006/08/04(金) 16:45:16
邪馬台国畿内説論者同士で議論を深めませんか。どうも、
九州論者が入ってくると話が拡散して、何時まで経っても
同じ処を堂々巡りしてしまうように感じます。

過去スレは>>2


438 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:41:50
讃が亡くなり弟の珍が帝になり、その珍が亡くなると、妻の“彌”が実権を握り
『卑弥呼や壹輿』と同じ宗教的最高位である“キミ”となり“キミ”(女王)制度の復活
この“珍”の嫁が誰であるかは太国さんなら想像がつくでしょう。
この“キミ”制度は、持統天皇で又復活!


ヤマイ国が後の島津が沖縄経由で中国と外交関係を持ったように、大和朝廷とは
別口で中国と関係を持っていたということは大いにありそうな話だなー。しかし、近畿
の朝廷も途切れてはいないからね。


同様にヤマトという言葉は意味不明だが、
本来の意味はひのもとという意味であり、
日本という文字をあてたりするってこと。




439 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:47:24
酷いプラムの荒らしが続きますね!
馬鹿な妄想を発したいが為に粘着して、
我々のマジレスをプラムが妨害しています!

みんなで一致協力してプラムをやっつけましょう!

440 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:50:03
>>439
どのレスが荒らし?

441 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:53:41
>>439
君は執念深いね。
社会に出て悪い方に結び付かない事を祈る
テレビの画面で両脇を固められ、俯く姿見たくないからナ

442 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:54:56
>邪馬台国は何処にあるんだ?

※貴方の質問は、関東地方は何処にあるんだ?と、同じ質問です。

邪馬臺(漢語表記)
ヤマタイ (倭語)

対馬・壱岐を含む九州と淡路島を含む四国

これが邪馬臺国三十国体制の範囲です。

質問に答えて下さい。
Q1 それは国の中に国があると言うお考えですね、当時の中国では通用するでしょうか?
Q2 広域名称ならば、魏志倭国伝と呼ぶべきですよね。なぜ倭人伝となるか説明してください。
Q3 それは想像ですか?証拠はありますか?

キチントした質問かんしゃします。

先ずQ1・Q3

国の中に国ではなく
倭人支配層が支配地域を漢人に対し自称した名称が(ヤマタイ)
正式国名は「日/ヒ」
(現在も 肥後・肥前として一部古地名として残ってる)

伊都国や奴国と言う国名は、漢人達が便宜上使用したもの (後世、国としての記載は一切名残を留めていない 儺の縣 怡土郡

当時、伊都は“いと/いとほしま”奴は“な/なか”投馬は“とま/とあまな)

Q2 の質問は後ほどカキコしておきます。



443 :がいやまん:2006/08/29(火) 12:56:39
水行10日or陸行1月だと、
北九州-本州瀬戸内沿岸部から
宇野−高松と渡って四国に上陸ではないでしょうか。

しかしチョンはだめだな、一度朝敵となった汚名は永久に消えないんだよ
判ったか『チョン州人』


444 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:58:51
九州の西岸部は島も多く地形も複雑、直線的な距離計測困難な為、船を利用した。
一日定則とすることにより、より精度も高まる

河童文化が盛んな地域は県南でありまして県北にはほとんど無いという地域差が
あります。球磨川や緑川流域に特に顕著に見られる次第です。文化圏の違いが
昔から存在したのだろうと考えています。

あなたが相手をしてあげないから
ぷは他スレで自作自演を繰り返していますよ。
飼い主ならきちんと管理してくださいな。





445 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 13:02:21

鏡の出土は、中国地方より近畿が多いので、
シナ系の人(華夏)が住んでいた秦王國の中心は、
畿内と考えます。

偏屈者におじさん呼ばわりされちゃったよ。
釣りだから絡むのやめとこう。
馬鹿すぎてあいてにならんからな

畿内説は無理やり方向を変えて鏡が出たとこに
持っていこうとしてるけど船での航行技術があるので
ちょこっと角度や距離が違うならともかく90度とか180度
方向が違うのはありえない、古代人でも太陽の方向見れば馬鹿でもわかる。




446 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 13:10:30
>>441
まだ荒してくるな、プラム最低!

全く訳が解らないレスばかりだな、
いつものプラム語録だけど・・・
飽き飽きだね!

447 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

448 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 13:29:36
はい。気分転換で次は外に出てみよう
大きな画用紙に今カキコした内容を力強い文字で二枚カキコし、紐で二枚の画用紙を繋ぎ 首からぶら下げ街の中を行進しよう。
君なら出来る。絶対出来る。出来たら「あんたが大将」

話し変って雑談!

漢字の伝来が4世紀中葉というのは本当でしょうか?
少なくとも、1世紀中ごろには、中国と交流(朝貢)していますし、
卑弥呼の時代は言うに及びませんね。

古代日本語は清音だから「ヤマト」でよかろうと思う。

日本の首都は大阪をはじめにどんけつが東京にあるように
  コロコロと変わったので・・・


449 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 15:56:48
吉野ヶ里で絹が出土したというから、馬韓月氏・大月氏・ペルシャ・ローマといった
シルクロードのターミナルであったのではといいたいんだ。熊本近辺の女神坐像
は北部インド型だし、ガラスも出土するというしなー。

漏れは、邪馬台国が北九州にあり、近畿にも何らかの勢力があったことはそうだと思うけど、
邪馬台国の分派が畿内勢と合流して、北九州邪馬台国(本家)を潰して、畿内に凱旋したと思う。

呉の年号の入った鏡は山梨県から出土したそうであるが、魏の情報に
よれば狗奴国という大国が呉のすぐ隣の台湾辺りと信じて旅に出た
呉の代表団があったとすれば恐ろしい難儀をしたはずである。

我々はイスラム教徒が毎日時間がくると一斉に座して、手を前につき、アラーの神に祈りを捧げる風景を見て、
我々とは異なる宗教社会の存在をありありと感じることが少なくないであろう。

名前の類似からしてヤマタイコク=ヤマト朝廷は自然だと思う
イトやマツウラなんて地名も今でも残ってるぐらいだから
今も残るヤマのつく地名で最も繁栄した地域がヤマタイコクだろ普通



450 :がいやまん:2006/08/29(火) 19:07:32
錦旗に向かって唾吐くか?朝敵チョン州人
朝敵チョン州人

悔しかったら靴なめろ。

可哀相なチョン州人
可哀相なチョン州人
可哀相なチョン州人
可哀相なチョン州人
可哀相なチョン州人
可哀相なチョン州人
可哀相なチョン州人

錦旗に向かって唾吐くか? 馬鹿め!
明日も遊んでやるからな
臭せぇぞ チョン臭

馬鹿からかうのは楽しいな

可哀相なチョン州人 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



451 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:16:00
唾吐くのはお前に対してだ。クズさっさと死ねよ

ここは歴史板なんだよ

452 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:21:36
【日韓】 金容雲漢陽大名誉教授「日本語は全て古代韓国語から始まった」★3[08/25]

「お前がいくら嫌いダケド(싫다케도)、私はお前が好きだ。」
ここで「〜ダケド」は「〜だとしても」を短く発音した慶尚道(キョンサンド)の方言だ。
「ダケド」は日本語でも同じ発音と意味で使われる。

 金容雲(キム・ヨンウン)漢陽 (ハニャン)大学名誉教授は、現代日本語が慶尚道全羅道(チョンラド)の方言と
似ており、日本語は韓国語に由来したと主張する。金教授は最近出版した著書『日本語は韓国語だ』
(カナブックス)で、「ダケド」のように現代日本語に残っている慶尚道と全羅道方言を紹介する。
日本語の「〜だっけ」と「申し」は、全羅道方言の「〜당께(ダンケ)」と「마시(マシ、言葉)」に
それぞれ由来したというのだ。
 金教授は7世紀以前まで、古代韓国語の発音が日本語のようにパッチム(終声になる子音字)がなくて
母音が単純で形態がそっくりだったと説明する。また嶺南と湖南地域では、日本の東海(日本海のこと)
隣接地域と往き来してお互いに意思疎通をしたはずだという分析だ。
 金教授は、「言語は文化」と言い「日本語は韓国文化を収容した歴史と一緒に発展した」と強調した。
慶尚道でよく使う方言である「이바구(イパク、話)」が日本語の「イワク (曰く、おっしゃる)」と
変形された例は、韓国人が書く言葉を高級語として崇めた彼らの歴史が盛られているという説明だ。

【日本語は全て古代韓国語から始まった】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156556821/100-1001

トホホ・・・(苦笑

韓国語の「ダケド」は、20世紀になって、日本統治時代に日本語から韓国語に移植された
言葉でしょう。
日本語古語では、「だけど」は「されど」であり、日本語「だけど」が韓国語からきた言葉
という説は、非科学的だと思ふ。


453 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:22:41
漏れは、邪馬台国が北九州にあり、近畿にも何らかの勢力があったことはそうだと思うけど、
邪馬台国の分派が畿内勢と合流して、北九州邪馬台国(本家)を潰して、畿内に凱旋したと思う。

呉の年号の入った鏡は山梨県から出土したそうであるが、魏の情報に
よれば狗奴国という大国が呉のすぐ隣の台湾辺りと信じて旅に出た
呉の代表団があったとすれば恐ろしい難儀をしたはずである。

我々はイスラム教徒が毎日時間がくると一斉に座して、手を前につき、アラーの神に祈りを捧げる風景を見て、
我々とは異なる宗教社会の存在をありありと感じることが少なくないであろう。

名前の類似からしてヤマタイコク=ヤマト朝廷は自然だと思う
イトやマツウラなんて地名も今でも残ってるぐらいだから
今も残るヤマのつく地名で最も繁栄した地域がヤマタイコクだろ普通

吉野ヶ里で絹が出土したというから、馬韓月氏・大月氏・ペルシャ・ローマといった
シルクロードのターミナルであったのではといいたいんだ。熊本近辺の女神坐像
は北部インド型だし、ガラスも出土するというしなー。



454 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

455 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

456 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:46:23
さすれば、その祖地と新たな移住地の間において人々の交流が芽生え発展するは
自然な成り行きとなります。つまり、申し上げたいことは、前漢時代以前から既に
倭人在り分かれて百余国を為す、状況は中国に知られていたということです。

卑弥呼はこの時代の人としては長寿だったので、かなりの長期間、女王として君臨してた。
王朝交代後も、卑弥呼の伝説は各地に残ってたはず。
記紀を編纂する際に、天皇系の正当性を高めるために、卑弥呼の伝説を天皇家の系図に取り入れた。

州説に立てば西は中国江南、畿内説に立てば西は九州。
前者は、卑弥呼が自分たちの先祖は呉の人だと言っていたことと符合するし、
後者は、神武東征伝承と符合する。



457 :がいやまん:2006/08/29(火) 22:47:27
ハングルでいいかもしれません、無から生まれたのではなくハングルの元が
渡来人が使ってたので、当然朝鮮も使ってて、改造してハングルを完成させたと
予想した法が


チョン州人
お前まだ朝敵根性引きずっているのか? 可哀相に。 お前がどんなに頑張っても、一度朝敵となった汚名は永久に消えないんだよ
判ったか『チョン州人』


458 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:14:15
がいやまん=プラム

氏ねよ

459 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

460 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:18:38
飛ぶ鳥のアスカ。
アスカという言葉は意味不明だけど、
その本来の意味は飛ぶ鳥ではなく、
音をあてた。

あと、この時代に倭国を統一するような中央集権国家があったとかは
夢想だから。倭人伝を読む限り、邪馬台国体制は女王を担いだ有力なオウたちの
寄合い所帯というのが実情だろう。
軍事的な華々しい統一劇を語りたがる輩は、光栄ゲーム好きの奴とか
なんだろうな


461 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

462 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:53:25
州説に立てば西は中国江南、畿内説に立てば西は九州。
前者は、卑弥呼が自分たちの先祖は呉の人だと言っていたことと符合するし、
後者は、神武東征伝承と符合する。

近隣の蛮国であっても、皇帝が頂点となって治めるべき天下に、
女性の王が許されるだろうか。

ちなみに姫氏国という表現は太伯が姫氏であることによる。

東治は東冶の誤とする解釈が自然でありましょう。
 計其道里、当存会稽東治之東 東冶は県の名であり会稽は郡の名ですから。

漢文なんて文法があるようでないようなものだとしても、
東冶が地名でないとなんか文章として美しさに欠ける気が……

伊勢神宮最初の斎宮(齋宮)である。皇大神宮別宮の倭姫宮に祀られているが、その創立は大正10年1月4日であり、
神宮別宮としては極端に新しい神社である。


463 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:56:24
先住倭種は、大陸から入ってきた渡来民達を“カミ”の下部として崇め始めた。

暦が普及していないと待ち合わせができない。
例えば、越の人と出雲の人が但馬で行う来年の取引を約束して、
"来年の雪解け月の朔日に、また"といった場合に、月の満ち欠けだけで
日数を数えていては最大1ヶ月(満月〜満月分)、待ちぼうけを食らう恐れがある。

九州邪馬台国は、同族だった畿内の政権と
合併したと。記紀によると4世紀くらいに
畿内から天皇による熊襲征伐の話がありますし
つじつまがあうでしょう

○さん論破されたら2ちゃんから消えるって約束したのに、
まだのうのうと名無しで、馬鹿レス三昧だよな!
しかも朝から晩まで、アホレスして、
返事がアホっぽいと直ぐわかるよね!




464 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 11:37:02
女王に『漢委奴國王』の金印を下賜し 女王に絶対的権限を与え安泰工作をはかった。
これが後に
二代目卑弥呼が慌てて魏に金印の催促に行った理由に繋がる

孔子も倭人を知っていた、との解釈も可能となるのですから大変ですよ。
世間の常識通説が間違っていることも多いという証左のひとつでしょう

州説に立てば西は中国江南、畿内説に立てば西は九州。
前者は、卑弥呼が自分たちの先祖は呉の人だと言っていたことと符合するし、
後者は、神武東征伝承と符合する。

近隣の蛮国であっても、皇帝が頂点となって治めるべき天下に、
女性の王が許されるだろうか。

ちなみに姫氏国という表現は太伯が姫氏であることによる。



465 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

466 :がいやまん:2006/08/30(水) 13:07:23

その以前から稲作は日本に伝来していた可能性をも強く思いますが、この符合には
興味を引かれる次第です。

チョン州人
お前まだ朝敵根性引きずっているのか? 可哀相に。 お前がどんなに頑張っても、一度朝敵となった汚名は永久に消えないんだよ
判ったか『チョン州人』


467 :本田:2006/08/30(水) 19:42:42
>>322
> >>321
> さんざん否定していた漏れはどうなるんです?

あほの相手なんかするな。


468 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

469 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 19:53:49
帯方郡から韓国南岸までの距離何千里と書いてあるので、
1里の長さをその尺度から逆算すれば、1里は70m程度で、
北海道に行くことはありえないということくらいですかね。

中国の正史を書いた人物において、自分の生きたもしくは生きている時代を現代史
として記した正史が、唯一、陳寿の三国志と私は認識しているからこそ、その記事に
当然の作為や真実や虚偽を想い、第一級の貴重な史料と位置付けている次第なのです。

邪馬台国畿内説論者同士で議論を深めませんか。どうも、
九州論者が入ってくると話が拡散して、何時まで経っても
同じ処を堂々巡りしてしまうように感じます。

さて九州から、近畿への東征は事実でしょうね。
途中の強大な吉備勢力をどうしたのかで、説が
分岐すると思われます。



470 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 19:56:31
アマテラスがスサノオを神やらいした際のスサノオの罪科はいろいろあるが、その中で
アマテラスの縫製工場の屋根にまだら馬の生剥ぎの皮をかけるというのがある。アマテ
ラスがどこの国かはお分かりのはず。韓国ではなかろう。

名前の類似からしてヤマタイコク=ヤマト朝廷は自然だと思う
イトやマツウラなんて地名も今でも残ってるぐらいだから
今も残るヤマのつく地名で最も繁栄した地域がヤマタイコクだろ普通

「誤読だらけの邪馬台国 中国人が読めば」(張明澄 久保書店)と
「邪馬台国 中国人はこう読む」(謝銘仁 徳間文庫)では
2倍歴は完全に否定されていたなぁ。

実在の「淡路島」の方の語源は『阿波』路島説が強いですね。
八世紀以降に「大八島」思想が成立したときに員数合わせで入れられることが多いだけです。

帯方郡から韓国南岸までの距離何千里と書いてあるので、
1里の長さをその尺度から逆算すれば、1里は70m程度で、
北海道に行くことはありえないということくらいですかね。





471 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:03:57
三角縁神獣鏡は、畿内から数多く出土するが、九州や関東からも
出土するので、古墳時代の前、すなわち鏡が輸入された卑弥呼の
時代には、大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。
中国で全くこの形式の鏡が発見されないのは、卑弥呼のために特別に
作ったもの(特注品)だからである。

卑弥呼の女王国は畿内にはなく九州にあったことを裏づけるものなのだ。たかが
鏡ではその裏づけというには数歩及ばない。記紀等に記述がないのは、大和朝廷
と女王国が非常に遠隔の地理にあったから女王国の情報が畿内に殆ど流入されず
記述を遠慮する方向に傾き、0に近いほど記紀に書かれて以内のである。
もし女王国が畿内にあったならば、その多量の記述が記紀にあり、卑弥呼と天皇
との交易、朝貢、女王国の風俗習慣戦争等がう〜んと記紀に記載されているよ。

倭国の大乱は、九州地域内の紛争ではなく、畿内と北部九州の
二大勢力の戦いである。九州から瀬戸内海全体、さらには畿内にまで
広がる高地性集落が、倭国の大乱が全国的な戦乱であったことを
物語っている。

日本に多数の国があったことは明らかで、中国に使者を出したのが必ずしも最も
勢力のあった国とは限らないと思う。少なくとも九州北部を押さえていれば、
魏志倭人伝のルートでの渡海はできるわけだし。

倭王とは玄海灘沿岸を「支配」はしていないが「押えて」いられる権能をもった存在、
男王では機能しなくても13歳の女王なら機能する程度の存在とも言えるでしょう。
「押える」とは、単に友好・協調関係の下で利用できる状態とも言えますが、そこまで「解釈」すると
倭人伝の他の記載内容と矛盾が生じるんですけどねw

しかし歴史オタクは文系が多いのだが、
もしかしてどこにも含まれない人?
いずれにしてもすっかり秋風を感じ、
納涼お化け大会の様相をかもしている。

472 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 08:27:31
三角縁を一緒くたに語るのはどうか。初期形式の三角縁の分布から話をするべきじゃないかね。

473 :太国:2006/08/31(木) 10:14:57
>>471
なんだ? これは〜余の論述が入りこんでるではないか。

474 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 10:41:01
>>472
初期形式というか、
出土のしっかりしたもののなかで、
年輪年代法で年代を特定できる初期の古墳のもの、
という言い方の方がしっくりくる。

森浩一じゃないが、遺物研究の人の分類は根拠が弱いケースがあるので。
そういう推定をするのは構わないが、前提資料に持ってくるのは問題。


475 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 10:55:06
やっと荒らし君のメドがついたよんw

476 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

477 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:10:56
さすれば、その祖地と新たな移住地の間において人々の交流が芽生え発展するは
自然な成り行きとなります。つまり、申し上げたいことは、前漢時代以前から既に
倭人在り分かれて百余国を為す、状況は中国に知られていたということです。

その以前から稲作は日本に伝来していた可能性をも強く思いますが、この符合には
興味を引かれる次第です。

このスレは、従来の邪馬台国スレに欠けていたAD3C以前や、ちょっとマニアックな内容を求め立ててみました。
魏王朝からの『假金印紫綬』は倭側が望み朝見し下賜された

その頃の新羅語の影響を受けていたら、今頃の日本語はもろに
中国語くさくなっているはずだが?

ウガヤフキアエズの母=トヨタマビメは、スサノオの娘だという。
ということは、出雲人か。

やはり近畿・四国地方あたりの民族的起源は、日本語のアクセントから見て古代朝鮮系だな

しかしやっぱり畿内説が有力ですよね、なんでも無視出来ますから!
親切な新説無視もありますし、何がなんだか解らない、畿内説ですね!
もう少し定義づけた、解りやすい古代論を待望します!




478 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:24:58
未盗掘の闘鶏山古墳でレアアイテム発見 「朱に染まる卑弥呼の鏡(三角縁神獣鏡)」
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1156932116/l50
【考古学】朱に染まる「卑弥呼の鏡」 未盗掘の闘鶏山古墳
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1156937443/l50


479 :がいやまん:2006/08/31(木) 13:29:29
他スレを荒らしてる奴は
埋め立てか容量オーバーまで荒らすからな
立派なもんだよ
○はチンケな荒らしだよ
どうせやるなら、埋め立てまでやれ!

難民は東広島に逃げて、顔も体もチョンコも黄色くしてたらしいぜ。

おい
それでおしまいか?
半端者のチンカス野郎が。
中途半端なチンカス野郎
意気地無し
だからお前はダメなんだよ!荒すなら徹底的に荒らしてみろ
中途半端で止めるなら最初からやるな……半端者が






480 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:31:37
>邪馬台国は何処にあるんだ?

※貴方の質問は、関東地方は何処にあるんだ?と、同じ質問です。

邪馬臺(漢語表記)
ヤマタイ (倭語)

対馬・壱岐を含む九州と淡路島を含む四国

これが邪馬臺国三十国体制の範囲です。

質問に答えて下さい。
Q1 それは国の中に国があると言うお考えですね、当時の中国では通用するでしょうか?
Q2 広域名称ならば、魏志倭国伝と呼ぶべきですよね。なぜ倭人伝となるか説明してください。
Q3 それは想像ですか?証拠はありますか?

キチントした質問かんしゃします。

先ずQ1・Q3

国の中に国ではなく
倭人支配層が支配地域を漢人に対し自称した名称が(ヤマタイ)
正式国名は「日/ヒ」
(現在も 肥後・肥前として一部古地名として残ってる)

伊都国や奴国と言う国名は、漢人達が便宜上使用したもの (後世、国としての記載は一切名残を留めていない 儺の縣 怡土郡

当時、伊都は“いと/いとほしま”奴は“な/なか”投馬は“とま/とあまな)

Q2 の質問は後ほどカキコしておきます。



481 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:39:16
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
要領肥えるのも次官の門台だね、頑張って掻き子しようぜ!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
タレが掻き子してるのか?面白いよ!


軍事経済歴史等は一緒のカテゴリなのに、
日本じゃ縦割りにしすぎるから、
脳みその繊維が横に繋がらないんだって、
応用利かない奴って以外と日本人に多いらしい・・・


482 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 14:06:57
漢文なんて文法があるようでないようなものだとしても、
東冶が地名でないとなんか文章として美しさに欠ける気が……

国内の歴史は国内の史書からです。
『記紀』の検証材料に『倭伝』を使う方法も有ります
私はよく『神代紀』を利用しますよ! 宝石箱です。

日本側でも平安時代とか江戸時代だとかに、
中国に姫氏国と呼ばれているという認識はあるようだけど、
理由は昔、女性または女神が治めていたからと解釈されている模様。

個人的には、エジプトと信仰が似ているような気がする
(太陽信仰、鳥が太陽の運行を司る、蛇が神聖、方形墳)
んだけど、ここまでくるとムーで扱う世界になるかな。

すみません。学のなさを露呈してしまいましたね・・・。
あの金印、偽造って事はないのでしょうか。
ちょっと出土する場所が不自然すぎませんか。

東治は東冶の誤とする解釈が自然でありましょう。
 計其道里、当存会稽東治之東 東冶は県の名であり会稽は郡の名ですから。

同様にヤマトという言葉は意味不明だが、
本来の意味はひのもとという意味であり、
日本という文字をあてたりするってこと。


483 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 14:42:31
漢字の伝来が4世紀中葉というのは本当でしょうか?
少なくとも、1世紀中ごろには、中国と交流(朝貢)していますし、
卑弥呼の時代は言うに及びませんね。

古代日本語は清音だから「ヤマト」でよかろうと思う。

日本の首都は大阪をはじめにどんけつが東京にあるように
  コロコロと変わったので・・・

飛ぶ鳥のアスカ。
アスカという言葉は意味不明だけど、
その本来の意味は飛ぶ鳥ではなく、
音をあてた。

あと、この時代に倭国を統一するような中央集権国家があったとかは
夢想だから。倭人伝を読む限り、邪馬台国体制は女王を担いだ有力なオウたちの
寄合い所帯というのが実情だろう。
軍事的な華々しい統一劇を語りたがる輩は、光栄ゲーム好きの奴とか
なんだろうな

これこそが、中国側が伊都に与えた待遇(実務執行権者)でしょう。
つまり、中国から観た倭人内での序列は
 親魏倭王>伊都国王>一大率>邪馬台国他諸国の官  となります。

名前の類似からしてヤマタイコク=ヤマト朝廷は自然だと思う
イトやマツウラなんて地名も今でも残ってるぐらいだから
今も残るヤマのつく地名で最も繁栄した地域がヤマタイコクだろ普通



484 :太国:2006/09/01(金) 10:29:27

だとしたら古事記に卑弥呼の事が書かれていないのはおかしいだろ(爆w
それに畿内に阿蘇山は無い(爆w
はっはっはっ(爆w

485 :太国 ↑:2006/09/01(金) 10:56:08
ニセ王者

486 :太国 ↑:2006/09/02(土) 01:17:14
ニセ大王

487 :太国 ↑:2006/09/02(土) 23:25:35
ニセ大王

488 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/09/03(日) 20:59:30
>阿蘇山

※漢人が漢人の為に書いた書に“阿蘇”と書いてもな?
中国漢籍にも「阿蘇」の文字を発見出来るし「阿蘇羅」と言う呼吸の神様がいたはず

太国さん
その辺どうかな?

489 :太国=プラム:2006/09/04(月) 22:35:43
自作自演中 いつも1人でよくやるよ

490 :太国 ↑:2006/09/04(月) 22:37:01
ニセ王者

491 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:36:37
武光誠の説については、誰も検討していないの?

・纏向は九州に発し吉備を経てきた移住者が三世紀初頭に作った。
・吉野ケ里は弥奴国
・邪馬台国は一世紀中葉頃起こり、二世紀初頭の弥奴国の衰退を
 きっかけに強大化して、筑後の盟主になっていった。

色々と議論があってもよさそうに思うけど。

492 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 13:19:23
畿内マキムク王権は他の地域からやって来た、というより、
各地域の首長が合同して、三輪山麓の聖地に都を築いたと考えられている。最近は。

493 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 15:47:27
>>491
議論するほどの価値無しと判断された。
世論の声

494 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 20:49:32
いまや畿内説の相手は九州ではなく
東瀬戸内地域だよ。

香芝市二上山博物館
平成18年度 秋季企画展
邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和
2006年9月16日〜11月12日

萩原の優れた画文帯神獣鏡や宮谷の
三角縁などが展示されている。

495 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:16:44
結局のところ、大陸の先進文物の供給が、筑紫勢力の思惑やら政治的混乱などのせいで、
急に停止したり、再開したりすることに、瀬戸内海経済ブロックの首長連が腹を立てたんだろう。

彼らが筑紫王に対して倭国王不信任案を提出。
それが、倭国乱の真相。

ヒラバル王権に対抗するため、当時の宗教的権威であった三輪山の祭祀者
(最初は男)を担ぎ上げ、三輪山麓にマキムクを築いた。
2世紀半ば頃のこと。

496 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:34:43
>>491
これがホントか嘘かしらんが、

>・纏向は九州に発し吉備を経てきた移住者が三世紀初頭に作った。

すなおに新しい年代を受け入れているところだけは評価できるなwww

497 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:51:01
>>495
妄想のとりこになった哀れな豚発見!!氏ね


498 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:53:32
>>497
まともに反論もできないなら、学問板に来るなよ

499 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:12:10
>>498
お前こそ来るな 低能め

500 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:16:31
>>499
世間から疎まれ、アラシでストレス解消する香具師か。
本当に哀れだな。

501 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:33:22
>>497-500自演乙

502 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 06:12:37
>>494
でもってまたぞろ畿内→他地域という捏造のダシにされるんですね


503 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 12:58:23
畿内=狗奴国ですよ

504 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 07:53:48
3世紀前半に
周辺諸国−>畿内
という構図はもはや動かないでしょう。

畿内、吉備、東瀬戸内、東海、北九州、山陰

3世紀前半にどこが主導権をにぎっていたか?
資料に即して遺物の流通を考察すれば、
分かる話です。

香芝市二上山博物館
平成18年度 秋季企画展
邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和
2006年9月16日〜11月12日

今日からです。

505 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 08:35:37
>>504
土器編年に基づく流通理論自体試論に過ぎないから

近年は冶金や銅鐸、銅器、鉄器等もいろいろ分かってきてるけど。
どうせ都合悪いデータは隠蔽するんだよクズ畿内派は。

鉄器の分布も無視だし。

506 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 11:51:48
>>505
おまえの言うクズ畿内派って、どういう説を言うんだよ。
昔ながらのガチガチの畿内説なんて、最早いないだろうが。

507 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 11:56:01
現在鉄器を無視しているとは思えない。
年代ごとの分布の変化は興味深いけど、
それは邪馬台国の位置論に直結しない。

編年の絶対年代観に大きなずれがあったとか、
土器の搬出地域を取り違えていたとか、
土器の型式を取り違えていたりとか、
・・・全部仕方がなかったのかな。

でも少しずつ進んでいるように見える。

508 :プラム ◆DL6xKyOq9k :2006/09/16(土) 18:58:24
>>507

確かに「最近」の畿内説は洗練されていますね。
三世紀の纏向に確固たる王国が存在していて、
そこに魏志で卑弥呼と呼ばれ、倭人を代表していた女性が居たとしても不自然じゃない。

でもね、玄海諸国>纏向畿内連合であるのも、これは動かしようの無い事実。
問題は、何故、魏がその事実を認めなかったのかってことでしょう。

509 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:10:09
>玄海諸国>纏向畿内連合であるのも、これは動かしようの無い事実。

何にポイントをおくか?時期はいつか?
で、結論がまったく変わってくるが。

ホケノは鉄器満載だし、布留0の箸墓の巨大さは、同時代の他地域と比較して
隔絶している。

510 :プラム ◆DL6xKyOq9k :2006/09/16(土) 21:44:14
>>509

「布留0」って言う時点で「倭人伝の時代じゃありません」宣言ですよねw
それに箸墓については、「周濠外堤」の胎土中にも布留0の土器片が確認されている。
つまり、外堤を築いた時点で、その資材土(周濠を掘った残土)中にも布留0片が散布
されているような時代、布留1の時代に引き下げられる可能性もあるんだが・・・

511 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 22:55:31
当方、歴博の庄内開始二世紀半ばを採用してるので。あしからずw
ところであなたは、布留0の実年代をいつ頃と考えているのでしょうか?

512 :プラム ◆DL6xKyOq9k :2006/09/16(土) 23:11:21
>>511 普通に3c後葉
で、貴方は3c前葉なワケねw


513 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 23:29:12
普通に三世紀後葉の根拠って何?
今までの実年代がいかにいい加減に決められたかが分かると思うのだが。

514 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 07:58:53
箸墓が巨大ってのはもう聞き飽きたよ。
おおきければ統治者かどうかなんてわからない。

今問題になっている彩色壁画は、九州では既に1、2C頃からあったし、キトラなどの
絵も九州の影響が明らかなんだが、そんなのは無視ですか?

515 :プラム ◆DL6xKyOq9k :2006/09/17(日) 09:25:07
>>513

貴方の「布留1」は何時から何時までよ?




516 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:52:53
弥生時代に北九州の影響がないとは誰も言ってないと
思うんだけど。

倭人伝には、3世紀前半に卑弥呼が現れ、
その前に男王がいたということしか書かれて
いないわけで、2世紀終わりから3世紀前半
こそが焦点の時期であるわけです。

最近の実年代観によると、どうもそのあたりで
マキムクという勢力が有力となり、もう少し後
に超大型の古墳も築造される。
だから畿内の可能性が高いという考え。

517 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:54:36
でも、他の地域が邪馬台国であったとしても、
その地域は帯方郡に遣使できるくらいだから、
マキムクに新たな勢力を築いたとしても何ら妙ではない。

卑弥呼の前に男王がいて、しかも卑弥呼は舶載鏡を好物と
したのだから、この男王も舶載鏡を持っていた可能性が高い。
憧れとする鏡があったとするほうが自然だから。
3世紀初めに突如優れた舶載鏡を獲得できたところが
答えかもしれません。

518 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 11:00:11
>最近の実年代観によると

そう書くと如何にも科学的に聞こえるが、所詮土器いじってこねくり回した
年代観ですからw

519 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 12:28:12
畿内論者は、基本的に文化の伝播が分かっていない奴が多すぎる・・・

520 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 12:43:40
北海道だ。

521 :プラム ◆DL6xKyOq9k :2006/09/17(日) 13:12:40
>>516

 >倭人伝には、3世紀前半に卑弥呼が現れ、

そうは書いてないですね。
景初・正始年間に在位「していたということしか書かれていないわけ」です。
即位年は書かれていないので「三世紀前半」は貴方の推定です。


>>517

 >3世紀初めに突如優れた舶載鏡を獲得できたところが
 >答えかもしれません。

「舶載鏡」自体は、弥生から近世まで継続的に輸入され
倭国内での流通も然りである。
「突如」なんて条件をつけるのは「邪馬台国新興成金国説」みたいなのが
前提なのでしょうね。



522 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 15:23:20
>>521
最近プラムのコテ使用している様だけど、笑えるぜ。(キャップ違い)
どおせやるなら、キャップまで真似しろよ。
(笑えるぜ)
(全くもって笑えるぜ)
(マヌケヤロー)
(よりによってプラムとは、しかもキャップが違ってる。笑えるぜ、マヌケヤロー)

523 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:34:04
>>514
>箸墓が巨大ってのはもう聞き飽きたよ。
>おおきければ統治者かどうかなんてわからない。

勉強不足。
浦間茶臼山とか知りませんか?

524 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:39:21
結局のところ、従来の庄内開始を2世紀末〜3世紀初頭に推定する根拠は、
庄内土器の広域拡散を、倭国乱の終結、卑弥呼推戴による邪馬台国体制の成立と
同時期と考えたから。に過ぎない。

525 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:24:06
>>524
そうやって決めていると思い込んでいるとは・・・

一昔前は古墳の推定埋葬者と文献から推定する
という荒業もあったわけだけど、さすがにそれは
考古学者以外も議論に参加している現在では
通用しないでしょう。

土器、年輪、C14、貨銭、鏡などの方面
からのチェックがあり、総合的に判断する。

526 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:45:05
>>511 えっ?庄内式が2世紀半ば?白石説?

年代遡上派でも3世紀初頭がせいぜいだと思っていたんだけど・・・
私は、290年頃から340年頃が庄内式の年代だと考えています。

正直、年代遡上による畿内説の延命は、限界点を超えていると思う。

527 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 21:23:03
>>525-526
具体性に欠ける文章ですが、あなたの信じる実年代観がどのように決められたか、本当に分かって書いてるの?

528 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:25:42
畿内から貨銭が出てること、つまり貨銭が流通していたという意味を考えれば、
もはや畿内説は動かし難いわけだが。



529 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:38:40
>>528
質の悪い釣り乙

530 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 01:55:16
>>528

藤村さんですか?
「ああ!これは、数百万年前の(ry」

531 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 11:09:27
ここは邪馬台国中等科推論部?

532 :太国:2006/09/18(月) 11:17:24
>>531
それは余のことじゃないぞ

533 :太国:2006/09/18(月) 11:25:27
余は九州説2倍年暦並立制を主張している!

記紀の記事の取捨選択を、
定義に縛られずに自由に行う、
今までにない画期的な説である!
是非皆さんもご確認下さい。www

534 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 11:55:29
邪馬台国論に「記紀」を導入すると混乱を招くだけ
だからと言って、無視する訳ではありません。
先ずは基本である倭人伝の考察からでしょう。

535 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:06:30
【存在?】「2倍年暦」の真実【虚妄?】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50
989 :太国 :2006/09/17(日) 21:39:21
津田のデカ口の責任は甚大だ。お前のような盲信者をこさえたのも、もとはと
言えばあいつだからな。
いいかい。紀の神武〜開化の数字は>>482のとおり、日付が1日〜14日まで
しか無いんだよ。紀がデタラメだと言うなら、この数字は月後半までもデタラメ
ランダムに造作追加すればいいことであって、何も14日手前までにスシ詰めに
する必要はない。それが月前半に寄っているのだ。不審に想わんのか?
お前はこれをデタラメ、妄想というなら迷探偵の推理だぞ。ww



記紀の扱いどーするんだ、やっぱりご都合主義か?
太○さん大丈夫破綻寸前だよ・・・
破綻してもゴリ押し続けるのが、
有名人たるゆえんだよ・・・


536 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:55:09
しかし凍りつくね
大○さんは、過去の自分の発言に全くとらわれない、
凄まじい研究態度は評価できるよねwwww



537 :名無し@日本史:2006/09/18(月) 13:04:12
>>526
布留0式が増えているから古墳時代の年代が上がるのは当たり前という
のはおかしいかな?あと旧編年の作成者佐原さんですら、年代が新しすぎたと
後悔していたらしい。俺は庄内一式=三世紀第二四半期だと思うが。

538 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:03:56
>>537
思うのか大○さん 思うだけだろ大○さん 証拠も無しに思うだけだろ大○さん

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