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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart18【歓迎】

1 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:00:18
分からないことをスレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
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回答に時間がかかったり、回答がもらえなくても怒らないでください。
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart17【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151923443/

546 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:34:08
時代劇のイメージの

お主も悪よのう、越後屋・・・
いやいや御代官様には負けまする・・・
ウワァ〜ッハッハッハ

の越後屋が三越なのかい?

547 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:50:36
越後屋呉服店が後の三井財閥なのはそうだけど、
そういえば時代劇の悪徳商人と言えば越後屋というイメージはどこから来てるのだろう。

548 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:51:32
越後屋が行った具体的な「悪」
・現金販売
・店頭販売
・反物の切り売り
この程度のことをしただけで、何百年も後まで
「お主も悪よのう」と言われ続けるのは切ない。

549 :国境なき回答団 ◆BoIu6Ei.Mg :2006/12/21(木) 22:32:30
>・現金販売  ・店頭販売

何が悪いの? (′・_・`)

550 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:30:05
>>549
だから>>548さんは、それを「この程度」と言っているようですよ。
ただし、当時の価値観からすれば、掛け値の駆け引きや情実を否定する
やり方は、ある種のネガティブなものと受け止められた可能性はあるね。

551 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:31:11
権力と結びついて悪いことをするとしたら材木問屋だろう?
呉服問屋が権力者に媚売るとしたら大奥ご用達くらい?


552 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:18:42
>>551
お上が関係すると、どんな業界も悪い事をするし、巨万の富を抱く事になる。
呉服問屋が権力者に媚をうるとしたら大奥御用達くらい?というが、
男だって着物を着るし、実際今の世の中で、材木と着物の利益率をちょっと
調べてみろ。あまりの違いにびっくりするぞ?w
しかも着物は日常的に着ている物だから、いくら火事が多くてしょっちゅう新築
がでてたらしい江戸での材木なんかより買われる頻度が高いわけだし、金額も
かなりのものだろう。
材木問屋だけを悪にするなと、家業が材木問屋の俺がいってみるw

553 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 07:02:42
中浦ジュリアンは、日本にもどってきてから厳しい取締の中で、どうして宣教したんですか?

554 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 08:40:03
>>552
いえね、おたくの家業がどうのこうのって気はあっしには金輪際ないんでさ。
当時の公共事業てのはコンクリートがあるでなし、重機があるでなし、
やっぱ、金の大半は材木問屋に行くようなってたんでさー。
どうしたって公共事業は業者と役人との癒着てのがあるんでさ、
今も昔も変わんないってだけですよ。
まあ、昔材木問屋、今は土木屋ってとこですかね。
昔は紀伊国屋文左衛門みたいな巨万の富を得た材木問屋もあったんですがね。
今じゃあ、おっしゃるとおり値切るに値切られてそりゃあ可哀想なもんです。
それじゃあ、あっしはすれ違いとか言われる前にドロンさせていただきやす。


555 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:26:48
>>551
あと廻船問屋な

556 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:00:36
>>昔は紀伊国屋文左衛門みたいな巨万の富を得た材木問屋もあったんですがね。

どっちかっていうと、紀伊国屋はみかん相場とかで儲けてたイメージがあるなぁ。

557 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:02:24
>>556
メインは材木

558 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:13:39
>>552
マジレスすると普段着=木綿・麻織物は呉服屋の仕事じゃないよ太物屋ね。

559 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:57:27
>>558
マジレスっていうか、いわゆる倹約令が出されないと幕府重臣くらいだと絹の着物きてたんじゃないのか?

560 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:13:10
>>559
>>552の文脈からすると幕府重臣が絹織物を着る着ないは関係ないと思うが。

561 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:53:33
歴代の彦根藩藩主は掃部頭を名乗ってますが、掃部っていうのは元々はどんな役職だったんですか?

562 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:53:52
>>560
>>551
呉服問屋がお上と結託することはせいぜい大奥だろうっ。

>>552
当時のお上とからむとどんな悪どいこともするだろうし、着るものは男だって必要なはずで、高い着物を売る特権と
いう意味では利権は絡むだろうといい。

>>558
木綿・麻織物は太物屋だろ?と男の着るものの素材限定。

>>559
男でも幕府重臣は絹の着物着てただろう。

別に流れは間違ってないだろ。

563 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:55:50
江戸はね、火事が多かったから材木屋ってのは買占めなんかで
相当な利益を上げられるような社会構造になってたわけだね。
だから政治権力とも密接になりやすかったと。
そこで不正をするかどうかは別問題として。

564 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:56:13
>>561
掃部頭・・・

その名の通り、掃除係です。


565 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:59:14
>>563
そりゃそうだけど、いわゆる木材問屋の代名詞として>>556の紀伊国屋なんて火事で破産してるしなぁ・・・。
どういう構造だったのか、いまいちピンとこないんだけど。
どなたか詳しい人教えてw


566 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:03:24
>>562

>>552は着物=呉服屋という勘違いから日常的に(みんなが)着る着物と材木とでは金がさが桁違いと言っているんでしょ。
だから極一部の人である幕府重臣が絹織物を着ても関係ないとレスした。

567 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:05:18
>>566
しかし、常識的に見て、流れを見れば、庶民が着る着物ととは言ってないとは分かるんじゃないの?
だって悪徳代官と組む悪徳商人って流れでそ?

568 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:12:31
>>567

>しかも着物は日常的に着ている物だから、いくら火事が多くてしょっちゅう新築
がでてたらしい江戸での材木なんかより買われる頻度が高いわけだし、金額も
かなりのものだろう。

ここの部分からそう判断したんだよ

569 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:31:12
>>564 彦根二十万石のお殿様が名前だけとはいえ、掃除係とはorz

570 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:33:26
>>568
だから、>>552>>551にレス番つけてレス書いてあるんだから、
前後の流れ見ないと意図が分かるはずがないじゃんと・・・・。
まぁ、早合点しちゃったわけだよね。スレとは関係ないからもうやめます。。。。

571 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:43:13
>>570
おまいの理解力のなさに失望した。俺もこれ以上話すつもりはない

572 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:22:00
>>569
縫殿頭=裁縫係
内膳正=給食係
采女正=メイド長

なんてのもあるから気にすんな。

573 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:29:13
日本史版住人から見てたそがれ清兵衛ってどうよ?

574 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:50:26
>>569
井伊家は、家康が遠江を支配した頃から徳川傘下に入った割と新参者。
所謂三河譜代ではないです。上司格の酒井が雅楽助(うたのすけ)を
名乗っていて、徳川の台頭に伴って雅楽頭になった(これはちゃんと
任官)関係で、それを超えるような役職にはなれないでしょう。
江戸幕府では、共に大老格ですが、酒井は雅楽頭、井伊は掃部頭。で
も、伊豆守とか相模守とか(老中格)と比較した場合、地方ではなく
中央の役職という事で格上だという認識だったようですよ。
まぁ、>>572さん風の解説では、おはやし係、そうじ係になってしまい
ますが。
でも、尊王思想が高まった幕末では、伊東甲子太郎などは御陵衛士に
なって大喜び、ですが、衛士は律令では最下位クラスでしょうね。

575 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:01:41
>>573
テレビドラマ板へ行け。そして帰ってくんな。

576 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:05:43
>>574
万葉集に出てくる防人と同レベルなの?>伊東甲子太郎
近藤勇は若年寄格まで出世したけど、律令には無い役なので、
どんな下っ端でも役をもらってるだけ尊皇思想的には伊東のほうが上、
ということでしょうか。

577 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:39:33
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ


578 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:35:10
>>576
防人より衛士の方が、まだ上でしょうか。
衛士は末端とはいえ、正社員(公務員?)ですが、防人はパートかアルバイ
ト、または嘱託職員のような位置づけでしょうね。
江戸時代なら、幕府の組織内で考えるか、朝廷内で考えるかで価値観は別に
なってしまうでしょうね。当初はある程度リンクしていましたし、政権の
安定を図るなら、その間の整合性(大老格と老中格で、律令の官職も格差を
設ける等)も図られたと思いますが、それが乱れてくると、整合性が取れて
いなかったり、むやみに乱発したりということになってしまったんだと思い
ます。
伊東甲子太郎の御陵衛士と近藤勇の若年寄格は、言ってみれば朝廷・幕府そ
れぞれの乱発の果ての結果であり、格の上下は言うだけ野暮、みたいな感じ
なのかも知れませんね。

579 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 14:16:59
>>577
そういうのは、初心者の質問とはみなされないでしょう。
内容については、何もコメント致しません。

580 :576:2006/12/23(土) 14:31:55
>>578
さんくすです!勉強になりました。

581 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 15:05:42
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ

582 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:18:58
初心者の質問に答えるべき者は誰か、という問題があります。

初心者の質問には単純な内容が多い為、深く理解していない中級者であっても、関連雑誌や
関連サイトで聞きかじった断片的な知識を適当に結びつけて想像を交えて語りさえすれば、
回答らしい文章を返すことができる、という事実があります。私は必ずしもそのことが悪いとは
思いません。なぜなら、分野に限らず、人に物事を教えることは回答者自身が自分の断片的
な知識を再整理し理解を深めるための貴重な機会になるからです。

しかしながら、中級者が向上心をどこかに置き忘れ、初心者相手に単に自分の知識をひけら
かしていい顔をしたい、偉そうに振舞いたい、自尊心を満たしていい気分になりたいという動機
だけに陥って不正確な知識を振り回すことに羞恥心を覚えないようであれば、それは本人に
とっても不幸であるばかりでなく、誤った回答を押し付けられる質問者に対しても大変失礼な
行為であると言わざるをえません。ましてや自説を通すために他の正しい回答を寄せた者を
批判中傷するに至っては、論外というほかありません。

単刀直入に申し上げて、このスレはそのような状態になっていると感じます。このスレの回答者
を見ると、二流大学に一浪して合格した大学生が、家庭教師のアルバイトで中学生を相手に
ピタゴラスの定理を偉そうに教えているような哀れな雰囲気を感じます。

むかし暗記した「a^2+b^2=c^2」という公式をもったいぶって披露し、「先生すげえ!」と呼ばれて
鼻を高くしたのもつかの間、「でも、どうしてそうなるの?」と証明を求められた瞬間、内容の理解
も背景の論理も身に着けていないので、「定理の証明は君には難しい」とか「定理はツールなん
だから問題を解くのに使いこなせるかどうかの方が重要」などと言い訳をして誤魔化すのです。

583 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:26:41
>>581
ここにすみついて馬鹿レスばかりしている人の、
一つのコテですね。
不思議な程不用意な発言が多いので、
実生活でも可哀相な事でしょう。
殆どのスレに彼がいると思って間違いありませんよ。
気を付けてください。

584 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:01:54
>>581
・・・・だから?
何か要望があれば、謙虚にお願いすれば良いだけの話。
べき論を振り回すな。しかも結論も書いていない長文は質問者にとっても
回答者にとっても何のメリットもない。

で、結論は出ている。答えるべき者は誰でも良い。質問する人はそれが
分かって書いている訳で、あとは答を見て考えればよい。
それでも情報として不十分だと考えれば「スレ」を立てれば良いだろう。
このスレの主旨を理解してから、使用していただけたらと思う。

585 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:10:35
>>581
ワロタ

もう一度、>>1から読んで、出直せ。

586 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:27:09
>これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
>有り難く思え。
何もいえないよw

587 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:10:46
>>586
ばか

588 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:33:37
10 :日本@名無史さん :2006/12/23(土) 21:09:29
太国さんはどんな役職についてるの?
11 :日本@名無史さん :2006/12/23(土) 21:26:08
>>10
ニートだよw

     貴方のファンですこれは本当ですか?

589 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:31:34
>>567
なんかよく分からんが、余程下っ端でなければ武士の公務に用いる衣装は絹だろう。
幕府の倹約令において武士の場合は金銀などのオプション部分の禁止がメインで絹着用を禁じた法令など出たケースはない。
真綿から作った紬までを絹に加えた場合、絹が着れないのは本百姓の男性以下(名主や本百姓女性は紬までなら可能)。

590 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:36:30
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ


591 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:44:53
>>582
俺もそう思う、思うんだが。
ここで長文書いている人だと思うだけど、
そうやって長文で書いてるお前がどれほどのことを書いているかと
自省したことは無いのか?
それこそお前の言ってる非難している奴と同一だとは思わないのか?


592 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:14:16
>>592

数ヶ月前から彼方此方で貼られているコピペ
某カテゴリーでは全ての板の質問スレに此処二日程のあいだに連鎖して貼られていたのは面白かったw
その板固有のネタがふられていたからね
ああいう専門性と書き手のセンスが感じられるコピペは良いと思う

593 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:18:04
なるほど。こういうコピペは書き手のセンスが感じられるね。

592 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2006/12/24(日) 01:14:16
>>592

594 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:31:39
>>591
私はしばしば回答が長文になってしまう者ですが、>>582は私が書いたもの
ではありません。ここは、スレ立てる前に質問をしてもらうことで、スレ
立て乱発を防止しようというのが主旨でしょうから、論議になる前に収束
するようなら、それでよし。論議が発生するなら、ここではなく、別スレ
立てて、そこでやる、というような流れが相応しいと思います。
私も、回答者は誰でも良いと思います。2ちゃんですから。

595 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:16:56
>>594
>>582と長文でよく書いてる奴って似てるんだよなぁ。
たとえ話を書き出すところとかw
まぁ本人が違うと言ってるんだから違うんだろうけどw

596 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:58:45
すいません。

日本は昔、夜這いが日常的に行われて、性に対しておおらかだったらしいですが、
結婚している女性を夜這いした場合、避妊はしてたんでしょうか?

それとも夜這いしてよその子を身ごもった場合、それはそれとして出産してたんですか?

また、避妊する場合も、コンドームとかはなかったんですよね?
避妊はどういうやり方が一般的だったんでしょうか?

597 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:12:20
ウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンって帰化しましたか?

598 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:23:32
何を持って帰化と呼ぶかにもよるけど、
三浦姓とか貰って日本に住んでるからそう言ってもいいんじゃないかと。

599 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:45:04
>余が古神道の最高権威だぞ。
>余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
太国さんは何を言いたいのでしょうか?

600 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:22:35
>>597
>>598さんの言う通りなんですが、「帰化」という言葉の「帰」という
語に問題を感じる場合がありますね。

それは「帰順」という言葉があるように、屈するというニュアンス
をどう考えるか。
更には、「帰る」という意味の中に「本来的でないものから、本来
あるべきものの中に入る」という部分があること。
それにより、日本史の認識として、かつて「帰化人」と書いていた
ものを「渡来人」と改めた経緯があります。
現代の法的手続きとして「帰化」というものがありますが、その場
合は建前としてそのようなニュアンスは含まれていないとされてい
ます。
現代の「帰化手続き」に近い意味ならば、両名は帰化した、という
表現でも良いかも知れませんね。また「渡来人」という表現は、日
本史においては、古代の場合を指すことが多いようですから。

601 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:00:22
「荘園」とは一体何なのでしょう。
特に寄進地系荘園が盛んになる時代のころについて聞きたいのですが・・・・

開発領主が寺社に寄進したら荘園、寄進せずにいたら国衙領なのですか?

602 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:03:59
ようするに税金のかからない私有地。
建前は土地はすべて国家のものだったからね。
治外法権みたいなもんだ。

603 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:19:41
<お願い>
 ・常時age進行でお願いします。

604 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:32:51
「昭和天皇はマ元帥に命乞いをした」という書き込みを見かけるのですが、この情報の出所は何処なのでしょうか?

605 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:28:25
昭和天皇をどうしても戦争犯罪人にしたい人の脳内ソース

606 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 09:19:39
>>596
夜這いについては知らないが、コンドームは無かった。
当時は馬の腸とか豚の膀胱とかを代用してたみたい。
もともとコンドームは避妊をするために使ってたんではなく、上記のような分厚いものを装着し、性行為の時間を延ばすために付けていた。

607 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 10:04:40
昭和天皇は自分を処刑してくれ、だから他の人間は許してくれと言ったんだよ。

マッカーサーはそれで許したw
ユダヤ人だから天皇殺すの恐れていたという話もあるね。


608 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 11:00:51
それはねえべな。アメリカが対日戦した直後、天皇の戦後利用を立案してるやんけ。

609 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 11:05:44
>>601
こういうことではないか

奈良時代の口分田→課税対象→公領
その後、開墾した荘園→課税対象→公領

有力者に寄進して租税免除された荘園→私領

610 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:44:33
>>596 専用スレがある
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1000638262/l50


611 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:50:22
>>601
ttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/syouen/syou-el1.html
#荘園ってなあに?
用語が分かっていればぐぐった方が早い。

612 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:49:21
>>607
マッカーサーってユダヤ人だっけ?ソースキボン

613 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:57:42
>>604
米田建三という元衆議院議員が酔った勢いで言っちまったらしい。
タカ派でならしていたのになにを血迷ったのか?
http://www.yoneda.ne.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%94%B0%E5%BB%BA%E4%B8%89


614 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 09:02:00
木曜日のTVで、信長の本能寺の変についてやってたんだが、それについて、
どこかで議論してるスレを紹介してください。

615 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:02:26
質問です。
坂本龍馬の肖像(この板もモナーがやってくれてますがw)、これは羽織でも
裃でもないのに桔梗の紋所が打ってあります。
俗に「紋服」というように、それ以外の場合では紋所は打っていないのが普通
ではと思うのですが、どうなんでしょう?

坂本龍馬の場合、特別に紋服でないのに紋所を打ったものを特別に作っていた
のか、幕末ではありがちなことだったのか、紋服でなくても、割とザラにあっ
たことなのか、ご存知の方、いらっしゃいましたら、教えてください。


616 :ちょっと気になりました:2007/01/02(火) 18:06:40
初心者です。質問させてください。
時代劇などで、武士の剣道場のような場所に
神様の名前が書いてある掛け軸のようなものが3プクあるのをみます。

あれは
八幡大明神
八幡大菩薩
香取大明神(?)
と書いてあるのでしょうか?
たしか真ん中が八幡大明神のように見えたのですが
それで よろしいのでしょうか?



617 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:36:18
戦国時代の各地の大名の体制は大名領国制だと聞きますが
その後、戦国時代後半から安土桃山時代にかけて
織田信長や豊臣秀吉は、今までの政治体制を大きく変えたと聞くんですが
その二人の敷いた体制はどういう名前なんでしょうか?
お願いします。

618 :日本@名無しさん:2007/01/02(火) 21:46:47
>>616
普通は真ん中に「天照皇大神宮」じゃないですか?
次に「八幡大菩薩」。それから「香取(または鹿島)大明神」の順かと。

619 :ちょっと気になりました:2007/01/03(水) 04:53:05
>>618
回答ありがとうございます。
「天照皇大神宮」でしたか。
「八幡」が二つあるのはどうしてなんだろう、とか
その二つはどう違うんだろう、なども疑問だったのですが
そもそも私の見まちがいだったのですね。

教えて頂いた名前から、少し調べてみたいと思います。
ありがとうございました。

620 :ちょっと気になりました:2007/01/03(水) 04:55:16
>>618
回答ありがとうございます。
「天照皇大神宮」でしたか。
「八幡」が二つあるのはどうしてなんだろう、とか
その二つはどう違うんだろう、なども疑問だったのですが
そもそも私の見まちがいだったのですね。

教えて頂いた名前から、少し調べてみたいと思います。
ありがとうございました。

621 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:44:58
>>596
遊女は和紙とかを膣の奥につめて避妊してたって話は聞いた事があるよ

622 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:22:45
質問させてください。
秀吉軍が備中高松城を水攻めしていた時、城の西には毛利軍が既に到達していたと聞きました。
しかし、高松城を間に挟んで両群にらみ合っている間に高松城落城。

毛利軍が高松城が粘っているうちに秀吉軍に対して大規模な攻撃をしなかったのはなぜでしょうか?

623 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:02:30
豚ってだれよ?

624 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:31:45
邪馬台国すれの人達は程度が低くすぎませんか?
やっぱり自作なのでしょうか?

625 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:42:02
うちの弟が「秀吉の墨俣一夜城の話は嘘」と言い張っているのですが実際どうなんでしょう?

626 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 07:01:31
中津藩の小笠原長胤が元禄十一年に改易されたのは有名な話ですが、
その原因は寵臣を筆頭家老に任命したために家政が治まらなくなったせいだ
と言われて居ます。
この筆頭家老に任命された寵臣は、たしか秋元とかいう名字の人物だった
かと記憶して居りますが、うろ覚えで定かではありません。
この寵臣の正しい姓名などの情報に関して御教示下さい。
何とぞ宜しく御願い申し上げます。



627 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 07:13:44
実際はどうかと聞かれたらタイムマシンで見に行けという話になるけど、
「嘘か本当か」という二元論じゃなくて、史料にあたっていくしかないからな。

で、一夜で城を作ったという話は後世になって物語的に登場したのが初出で、
同時代の記録にそのような記述はない。これを以って嘘と断定することは不可能だが、
限られた史料と状況を考えて一夜で築城した、という事実はないとみえる。
短期間で築城した話が誇張されたのだろう。



628 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 10:49:51
>>622
司馬両太郎の新史太閤記の話でなんだけど
高松城の水攻めのための堀に櫓や柵を作って、前線陣地のようにしていたと書いてるから
秀吉本陣→高松城→堀と秀吉軍の前線陣地→毛利軍
の形だったと思う

629 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:35:42
>>623
太国

630 :日本@名無しさん:2007/01/04(木) 12:51:44
>>615
「紋服でなくてもよくやっていたこと。特に幕末は」が正解。

江戸時代も下がると、服に限らずそこいらの小物でも家紋は使われていました。
しかもおおよそ名族とは縁の無い遊女や噺家でも、平気で何でも使っていました。
要するに、この頃の家紋は特別なものでも何でもなく只のアートになっていたのです。
ちなみに、お墓に家紋を入れる習慣ができたのは明治の頃からです
古いお墓にはないでしょう?

あの服も、ちょっと寒いからとかちょっと格好をつけるかといった感じで人様のを
拝借したり、あるいは写真館(で撮ったのかどうか覚えていませんが)にあった
貸衣装の類だったのかもしれません。


631 :日本@名無しさん:2007/01/04(木) 13:12:02
>>619-620
武芸の道場がまつる神様は、基本的に鹿島さまか香取さまです。
一社だけまつるなら、どちらかです。武芸の道統がそうなっているからです。
三社なら、必ず天照皇大神宮(つまりアマテラスオオミカミ)が上になります。

なぜかというと、鹿島さま(タケミカヅチノカミ)と香取さま(フツヌシノオオカミ)は
出雲征伐の為にアマテラスオオミカミが任じた、神界の「征夷将軍」だからです。

ちなみに鹿島・香取神宮はいづれも関東にありますが、これは朝廷の
蝦夷征伐における最前線基地(に置くべき神様)という位置づけがあった
からだといわれています。

632 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 13:36:38
>>625
一夜城は誇張された、後の講談などの話だから、当時実際に一夜城ができたかは
Noという答えになる。
当時の資料を見ると、どうやら墨俣の敵方の砦を奪取して、それを補修して
再利用したというのが、一番有力らしい。
その指揮にあたったのは、秀吉ではなく、信長自身であったという事も分かってきている。

633 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 17:12:19
しかしずっと書き込めなかったけど何だったんだ?

634 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 17:20:01
信長の焼き討ちの際に女(遊女?)が比叡山にいたということなんですが
実際比叡山の僧達はどれくらい堕落して乱れてたんでしょうか?
当時の世相としてそんな比叡山でも尊敬を集めていたのでしょうか?

635 :622:2007/01/04(木) 21:08:57
>>628 レスありがとうございます。秀吉軍は本陣と毛利軍との間に陣地を構築していたとは。
うーん。陣地を構築されてしまっては、毛利軍も損害を恐れて攻撃しにくいですね。


636 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:57:59
いや、毛利と秀吉は足守川をはさんで直接対峙する形になっていた。
高松城は完全に水没していて戦える状態にはなく、城兵の支援は期待できない。
戦力的に、秀吉とのガチンコ勝負で勝てるかどうかも分からないかった上に、
秀吉の求めに応じて信長が直接援軍に来るという情報もあって動くに動けなかった。
というところらしい。

こんなかんじ
http://www2.sanmedia.or.jp/xplus/kensyou/bittyu.htm

637 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:38:16
>>623
正しくは
ニートの太国

638 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 15:32:30
古田さんの邪馬台国は福岡にあったの?

639 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 16:16:35
>>638
吉野ヶ里遺跡が発見された折に
「こここそ邪馬台国なんじゃあああああ!」
と断定口調のコメントしていたのを新聞で読んだ覚えがある。
うろ覚えだが。

640 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:27:18
太国さんは毎日正月なの?

641 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:07:50
そんな言い方しなくたっていいじゃん。

642 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:05:48
>>641
さてどういえばよろしいのでしょうか?
例えば
毎日暇なの?
毎日馬鹿なの?
とかご希望の言い方がありましたら、
ずずずいとお申し付け下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。

643 :622:2007/01/06(土) 09:52:05
>>636 ありがとうございます。紹介していただいたサイト見てきました。すごく分かりやすかったです。


644 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:30:23

日本史板の常識

コテ=馬鹿

これは本当でつか?

645 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:40:06
>>644
残念ながら現在そのようですね。

646 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:46:30
>>644
にんにく臭気太国最高権威は、
別コテしててもにんにく臭、
バレバレバレバレバレバレ・・・・・です

647 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:55:15
学校の先生に質問してもよくわからなかったので、質問させてください。
「〇〇の変」や「〇〇の役」などの「変」「役」「乱」という言葉についてです。

出来事の内容によって使い分けていると思うのですが、それぞれどのような定義なのでしょうか?
教えていただけないでしょうか。
まとめてあるサイトなどあれば、教えていただきたいです。

私のイメージではこのように考えています。
 ●「〜の戦い」「〜の合戦」・・・ある場所で行われた戦い。「関ヶ原の戦い」など。
 ●「乱」・・・いくつかの戦いの総称。現在の「戦争」と同意。「壬申の乱」「応仁の乱」など。
 ●「変」・・・戦いまでには至らない、騒動、事件のたぐい。「正中の変」「本能寺の変」など。
 ●「役」・・・日本国外での戦い、日本人以外との戦い?。「文永・弘安の役」「文禄・慶長の役」など。

ですが、合点のいかない名前もあります。
出来事に正式名称がある訳でもないだろうし、歴史の解釈の仕方によって名前が違う場合もあると思うのですが、
そもそもの定義がわからないので混乱してしまうのです。
 ●「白村江の戦い」→「白村江の役」ではないのか。
 ●「前九年の合戦」→「前九年の乱」または「前九年の役」ではないのか。
 ●「観応の擾乱」→「観応の変」ではいけないのか。
 ●「嘉吉の乱」→将軍暗殺の「変」につづく、赤松氏討伐の「合戦」又は「乱」ではないのか。
         これはそれらをまとめて「乱」と名づけているのかもしれませんが・・・

お手数ですが教えていただきたいです。
よろしくお願いします。



648 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:38:19
相当前にヤフで見たな。この話題のトピック。

649 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:32:27
にんにく臭気太国最高権威は、
なぜあんなにえばっているの?


650 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 07:05:11
江戸時代の日本と李氏朝鮮は国交があったのに、どうして
江華島事件を起こさなければならなくなったのですか?

651 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:49:33
>>649
太国は馬鹿だからえばってるんだよ

652 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 13:40:54
平安遷都の詔の全文ってどこかで読めますか。

653 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 13:49:16
>>650
江戸時代の日本=平和国家
明治時代の日本=侵略国家
ということです。

654 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 15:50:18
>>650
「ヘイ!ジャップ、オセロやろうぜ!」とヤンキー野郎に言われて
盤を見たら、既にほとんど白で埋まってた。

「これはあんまりです。黄色が1個しかありません」と言うと隣の紳士が答えた。
「あそこの酔っ払いのコサック野郎と喧嘩して勝ったら3個をひっくり返して
黄色にしてやろう」ヤンキーと紳士はニヤニヤ笑った。

死ぬ気で喧嘩してようやく勝った。黄色は3個増えたが、ヤンキーとコサックは
滅茶苦茶こっちを睨んでた。ヤンキー野郎のニヤニヤ笑いは既に消えていた。
しかしゲルマン野郎が馬鹿みたいに暴れてくれたおかげでまた黄色が増えた。

調子にのって周りもひっくり返して黄色を増やそうとしたらヤンキー野郎に見つかった。
「ヘイ!ジャップ!てめー、それ戻せ。黄色1個に戻せ。戻さねえとこうだぞ。」
4人がかりで鼻と口を塞がれた。苦しかった。

もうさすがにヤバイと思ってヤンキーの顔面に痛烈な不意打ちパンチを喰らわした。
「ジャップめ!卑怯だぞ!」隙だらけだったくせにヤンキーが馬鹿みたいに叫んだ。
結局ボコボコにされたが、ヤンキーは妙に優しくなった。別人みたいだった。

ボロボロだったが、ヤンキーと酔っ払いが喧嘩してる隙に頑張って金を稼いだ。
気が付いたらヤンキーの次に金持ちになってた。
紳士は皮肉を言い、酔っ払いが愚痴をこぼしたがどうということはなかった。
ヤンキーは優しかったが他所では相変わらず威張り散らして喧嘩ばかりしていた。
ターバン野郎がヤンキーを強盗よばわりして滅茶苦茶怒ってた。

みんな大変だけど僕は金持ちだし喧嘩しなくていいから幸せだなあと思った。

655 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 16:59:33
>>650
日本の政治体制が変わったので天皇の名で国書を持っていったら、相手が
「”皇”とか”勅”の字は中国皇帝のみに使用が許された文字です。このような国書は受け取れません」
と断ってきたのが発端。

656 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:09:16
>>654
わかりにくい質問の仕方でした。ごめんなさい。明治時代に
入ったと思ったら、どうしていつの間にか朝鮮と断交しちゃってるのかが疑問でした。
しかし擬人化で説明されると当時の状況がとてもわかりやすかったです!ありがとうございました。

>>655
華夷秩序に起因したということですね。解決しました。ありがとうございました。

657 :日本@名無しさん:2007/01/07(日) 23:44:08
>>647
仰るように、任意の戦乱をこう呼ぶのは立場によって違うし時代によっても変わる。
「認識」の違いで適当に呼ばれているといっていいだろう。

「役」…これは民を肉体労働に使うという意味。「賦役」「使役」「戦役」など。
    民(兵)が動員されるということだから、大規模な戦闘行為である。
    体制(政府)とその外にある勢力とが民(兵)を動員して戦うという意味であって、
    必ずしも外国との戦いであるとは限らない。(例:前九年/後三年の役)

「変」…これは体制(政府)の権力者が殺害・追放・交替するか、しそうになるイベント
    一般と捉えるといい。「クーデター」「レジームチェンジ」という概念もこれに含まれる。
    突然のこと、不意のことという意味もある。「政変」「事変」など。
    いわゆる戦闘行為があるとは限らない。
    ごく小規模の戦闘(つまりテロ)であったり、あるいはないこともある。

「乱」…これは変と似ているが、争う当事者たちが共に相応の正統性や力を
    持っていることと、真の体制(政府)の権力者は第三者的立場なことも多い。
    勝手に争い「乱れている」のだという傍観的概念。

658 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:49:08
>>647
>>657さんの分類はとても的確だと思います。
ただ「乱」というものと、それ以外では「結果」が大きく作用していると
も考えられます。
例えば、「本能寺の変」は明智光秀が織田信長を討つのに「成功」しま
した。もし「失敗」していれば、これは「明智光秀の乱」だったでしょう。
冠につける名称は、人物名(または人物の呼称)の場合と、元号や干支の
場合がありますが、人物名の場合は、乱を起こした「主犯」が際立ってい
る場合(中先代の乱等)で、そうでない場合や、>>657さんのいうように
正当性や当事者が明瞭でない場合が多いかと存じます(壬申の乱、明徳の乱、
応仁の乱等)。それは当時の人の意識や、後の人の位置づけや評価によると
ころが大きいので、見解が分かれたり、複数の呼び方があるものもあります。
(平将門・藤原純友の乱=承平・天慶の乱等)
ただし、当事者として天皇(上皇)が主犯格で失敗した場合は「変」という
評価になるようです(承久の変・正中の変・元弘の変)。承久の変については、
規模感や皇国史観的な観点を排除する為にから、後に「乱」というように変わ
りました。規模感や主観排除の観点により呼び名が見直されるのは、現代に入
ってからで、客観的な評価で変更しようとする主旨でしょう
(西南の役→西南戦争、日華事変→日中戦争)。


659 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:53:40
>>657
【役】
[字義]
セいくさ。戦争。
[解字]
会意。彳+殳。彳は、道を行くの意味。殳は、武器をもってうつの意味。辺地を守りに行くの意味を表す。転じて、つとめの意味を表す。

【変】
[字義]
タ思いがけない出来事。内乱や戦争など。

【乱】
[字義]
セみだれ。(ア)秩序がない。(イ)戦争。騒乱。(ウ)不作法。(エ)反乱。むほん。

以上、『漢語林』より

【役】には、元々辺地での戦争を意味していたが、広く戦争一般を意味するようになったみたい。
【変】には、内乱や戦争の意味があるけど、規模や期間は【乱】より小さく短い感じかな。特に、突発的な面を強調してるのかも。
【乱】には、反乱やむほんの意味が含まれる為、使う人により価値判断が出やすいですね。

660 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 01:00:22
応天門の変

661 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 01:49:45
応天門の変は、内裏の門が放火されたわけで、最初はテロやクーデタ未遂だと思われて変と呼んだんじゃないのかな。
実際は偽装テロで、陰謀渦巻く政治事件だけどね。

662 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:04:50
あの思考能力の無い馬鹿から質問されても、
返事した方がいいんですか?

663 :647:2007/01/08(月) 14:57:54
>>657
>>658
ご丁寧に教えていただいてありがとうございます。
少し理解が進みました。
もっと自分でも勉強してみようと思います。
ありがとうございました。

664 :日本@名無しさん:2007/01/08(月) 15:11:29
>>658
「変」というのは、実権者やその支配体制がイベントの前後で全く「変わってしまった」、
あるいは「変えることが意図された」「もう少しで変わるところだった」という捉え方。

>ただし、当事者として天皇(上皇)が主犯格で失敗した場合は「変」という評価になるようです

上皇は重祚(復位)の有資格者ですから、事を起こせばこれはクーデターといえるでしょう。
また、上皇だからといって必ずしも実権を握っていたわけではありません。
もし、位や実権を求めた騒動ならばこれは「変」と言うべきであると思います。

例えば、「薬子の乱」だと、薬子兄妹が嵯峨天皇を追い落とす騒動だったと見るなら
「乱」になるでしょう。薬子兄妹自身は皇位につけないからです。
しかし近年は「平城上皇(政権)が嵯峨天皇(政権)の追い落としを図っていた」という
見方が出てきたので「平城太上天皇の変」という言い方のほうが理解できる云々…
こんな例もあります。

当事者が天皇の場合、例えば正中の変での後醍醐天皇ですが、直接の動機が
持明院統の皇位継承に反発してのものだったとみるならば、持明院統対大覚寺統
と見做して「変」の扱いをしていいかと思います。

>ただ「乱」というものと、それ以外では「結果」が大きく作用しているとも考えられます。 

結果で区別しているところはありますし、また>>659さんの仰るところから考えても、
騒ぎが大きくなり戦闘が大規模化・多元化すると「乱」とみなされることもあるようです
(例:元弘の変/元弘の乱)


665 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:33:19
みんなの、お薦めの人名辞典ってあります?

666 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:42:42
>>662
太国もどきでした辞めといてください。

667 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:52:30
日本史板全般にafoなレスが大杉なのは、冬休みだから?

668 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:54:14
web上で史料をデータベースにして公開してる所なんかで
「著作権は我々にあるから無断転載とかすんなよ」
みたいなことが書いてありますけれど、
本来の著者は何百年も前に死んでるような古い史料なのに
それをテキストデータとして持ってるだけで
法律的に言う著作権なんて発生するんですか?

仮にそのままコピペして無断転載したとしても
「元の史料から自分で翻刻したんです!」って言い張れば
無断転載だと証明するすべもないですよね?

そのへんどうなってるんでしょうか。誰か教えてください。

669 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:28:59
島流しって島流しされた先の島で町みたいのが形成されたり
そこで子供が出来たりしなかったんですか?

670 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:30:13


671 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:26:46
>>668
著作権法第2条第10項の3により、データベースは著作物として保護されます。
が、その中から抽出したテキストデータに著作権があるかどうかは分かりません。
(多分発生しないとは思うものの断言はできない)
たた、コピペを転載しても全く分からないだろうということと、
コピペしたならそのでどこを書いておくという仁義を切ることが
道義上必要であるとは言えると思います。

672 :日本@名無しさん:2007/01/09(火) 17:25:18
>>669
・・・島では流人は「流人小屋」と俗称される建物に住んでいたが、これもピンからキリまであり、
良いものは島民の住んでいた空き家や片隅の隠居所を借りて住んでいたが、悪いものだと
床と天井としかないような吹きっ晒しの小屋もあったという。流人たちは共同生活をすることは
禁じられ、原則的には一人暮らしだった。また、これらの流人小屋は主に内陸部にあったが、
これは海を見ていると流人が島抜けをたくらむのではないかという恐れだった。

 ちなみに、流人の妻帯は禁じられていた。
 余裕のある流人は「水汲女」という名目で実質的な妻を持つこともできたが、それにしても
流人小屋で起居することは最後まで禁じられており、また多くの流人はそんなことが出来る
ほどの余裕もなかった。そして、女流人もある程度はいるとは言え、流人の男女比は男性が
圧倒的に高い。このような状況下で、しかし男女の性問題を巡るトラブルというのはほとんど
伝わっていない。ここから先は正式の記録に残っていないので断片的な伝承を手がかりに
想像するしかないが、どうやら女流人が多くの男流人たちに共用されていたような状況で
あったらしい。
 そしてこの問題は、実際に子を孕んでしまった時に悲哀を呼ぶ。元々、前述の通り伊豆の
島々は貧しく、島民間でも間引きが儀式的に定式化されていたような状況である。誰の子
とも分からない嬰児は、母親自身の手によって沢に沈められるのが習慣化していた。(後略)

日本流刑史 京都大学歴史研究会 2003年発表
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/030606.html

673 :668:2007/01/09(火) 18:00:01
>>671
ありがとうございます。
予想以上の詳しい回答に多謝です!

ってことはやっぱり、法律の上では
ビミョーな扱いなのですね。

検索できるデータベースじゃなければ
(テキストデータにしただけとか)
少なくとも「著作権」はないようだし、
利用者の良心まかせなのが現状かしら

674 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:50:48
>>668

668が“文献”所有者と交渉し、説得の末に668の責任で公開したとする。
668は“文献”所有者に対して幾許かの薄謝を進呈している。

そうした(交渉に要した)費用・労力を無視して、誰かが自己の管理下にあるべきデータベースを無秩序に
乱用しはじめたら、668はそういう行為をどう考えるのだろうか?

また、そうなったとき668の社会的評価が、“文献”所有者等から失墜することは想像に難くない。
どういったカタチで“文献”を公開するかは、“文献”所有者がその権利を所持していることをお忘れなく。





675 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:56:17
>>668
>>674
674さんとはちょっと違いますけど、テキスト化する行為も労力がありますね。
ただ、それが、例えば翻訳をしたというような場合ほど、それへの「著作権」
が認められるのは微妙に思えます。
これは、法律の専門家に聞いた方が確実だと思いますね。

676 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:27:37
昔の日本で時の権力者が政敵を隠岐や佐渡や東国に流す場合がありますよね。

質問1
なぜ遠方にやるのでしょうか?手元においておいた方が良さそうな気がします。権力者の屋敷に地下牢作って放り込んでおくとか。
遠方にやる→監視の目が行き届きにくい→流人が同志を集め反乱軍結成
手元にいる→監視の目が行き届きやすい→政敵は誰とも会えず一人ぼっちで飼い殺し

質問2 
反乱を起こす恐れのある政敵を処刑でなく流罪にするのはなぜですか?


677 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 05:32:54
>>676
質問1について
罪を犯した者=神の怒りに触れた忌まわしい者
と見なす信仰があったために身近に置くことはタブーだった。

質問2について
処刑したものから祟られる事を恐れていたため。
特に嵯峨天皇の時代から保元の乱まで死刑は廃されていた。

678 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 05:49:44
流刑で思い出したが、平清盛って結局源氏の子供誰も殺さなかったらしいな。
父親が死んだ後も刃を向けた長男次男以外は。

結局常磐御前の美貌と継母の嘆願が頼朝義経が殺されずに済んだ理由ではないんじゃないか?


679 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:19:40
>>676
>>677さんの言うとおりです。特に思想的には。
あと、付け加えるとすれば、当時の考え方として、武士の戦いの焦点が都に移ってきていたと
いう点があるでしょう。
承平・天慶の乱の頃や、前九年・後三年の役の頃は、地方武士の反乱という見方が出来ます。
かつ、それらの乱は、すべて平定されています。
保元の乱・平治の乱は、中央の権力と武士の軍事力が結びついて起きており、かつ、その結
果が政権の行方を左右するような展開になっています。
都は、様々な人間の思惑や陰謀が渦巻いており、誰と誰がいつ結びつくか分からない危うさが
ある訳です。死刑に出来ない事情があれば、僻地に流罪の方が無難です。最悪反乱が発生し
ても、平定できると考えられるだけの自信とノウハウがあったのでしょう(有効かどうかは別にして)。
結果的には、その見通しは甘かった、ということでしょう。

それと、源平という対立の構図は結果的に発生したものであり、平治の乱の頃の発想では、
そのような対立の構図は考えられていなかったのではないでしょうか。
平氏が何故勝てたか、という点では、おそらく、平氏は一枚岩だが、源氏は内部がまとまってお
らず、勝手に内部抗争して自滅してしまう存在だと認識されていたようです。保元の乱では、
親子兄弟(為義・為朝VS義朝)で属する陣営が違っていますし、平治の乱でも源頼政は平清盛
に与しています。
源氏がまとまるという可能性をまったく考えていなかったのでしょう。
源頼朝が流罪になった伊豆ですが、この地は源頼政の知行国になっています。源平の対立の
構図で考えるのであれば、こんな人事や流罪の措置は考えられないことになります。
これも見通しが甘いといえば甘いですが、本質的には当たっています。以仁王の令旨が出た後
も、源氏は決して一枚岩ではなく、やはり内部抗争を繰り返しています。

むしろ最大の失敗は、源頼朝は伊豆へ流罪としたが、それでも中央との結びつきが続いていた
こと(三善康信など)、それと、関東の武士たちの発想と、都との結びつきがある頼朝ガ結託した
時、それは今までの地方武士の反乱とは違った展開になるという可能性を見過ごしていたという
ことでしょうか。

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