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【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】

1 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:41:09
☆前スレ
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.7【波夫】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1152216234/

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ     江上波夫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121001478/qid=1068485710/sr=1-4/ref=sr_1_2_4/249-2208796-7626727
騎馬民族は来た!?来ない?!               江上波夫・佐原真
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096260665/249-2208796-7626727

騎馬民族は日本を征服したか
http://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html
辰王の系譜、天皇家の遠祖     −騎馬民族は来なかったか?
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku1.htm
第208回 新春講演会「騎馬民族は来なかった」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm
第209回 特別講演会 「古代日本の馬文化   『江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説を考える』 」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku209.htm
是か否か「騎馬民族征服王朝説」
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub19.html
「日本」国の起源説について     騎馬民族征服説説 / 「日本」と名乗った経緯 / 天皇と名乗るまでの歴史
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/kigen/index.html

2 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:41:46
☆過去スレ
1 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1068492251/ 〜981
2 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1096735827/
3 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120222213/
4 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135934774/ 〜982
5 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143731063/
6 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1148475447/
7 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1152216234/

☆過去スレミラー
1 http://2ch.pop.tc/log/06/02/19/0331/1068492251.html
2 http://makimo.to/2ch/academy3_history/1096/1096735827.html
3 http://makimo.to/2ch/academy4_history/1120/1120222213.html
4 http://makimo.to/2ch/academy4_history/1135/1135934774.html
5 http://mimizun.com/cgi/dattohtml.pl?http://mimizun.com:81/log/2ch/history/academy4.2ch.net/history/kako/1143/11437/1143731063.dat
6 http://makimo.to/2ch/academy4_history/1148/1148475447.html
7 http://makimo.to/2ch/academy4_history/1152/1152216234.html

3 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:58:37

魚羊族の祖先は、黒い山ブドウ原人です。

4 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:00:56
まあたやってるのか・・・
チョンがやってくるまでに宿題を出しておくかのう
1港市国家から日本が成立するならばなぜその港市国家の遺跡が
 少ないか?なぜ政治の中心が港市国家ではなかったか?豪壮な
 港市国家の遺跡がなぜ発掘されないか?
2港市国家が邪馬台国と同等以上ならばなぜ邪馬台国の政治機関
 が置かれていたのか?
3騎馬民族が日本を征服したならばなぜ古墳を作り続けたか?
 なぜ騎馬民族の文化が日本文化の中に少ないのか?
 なぜ天皇家や朝廷では古代から日本語が使われていたのか?
 新羅や百済などでは支配階級と庶民の言葉が違っていたそうじゃぞ?
 日本だけ特別なのかのう
4なぜ傷の付いた人骨が食人の証拠なのか?他の理由はなぜ見ないフリを
 するのか?

5 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:54:55
997 :白馬青牛 :2006/11/07(火) 23:35:19
>>992
扶余は、満洲から南下したんで、高顔の北方モンゴロイドであろう。

はい、僕もそう思います。
だからこそ、老司古墳出土の人骨は扶余ではないと思います。
江上さんもそう思ったのだと思います。
だから江上さんは老司の人骨について触れなかったのでしょう。

6 ::日本@名無史さん :2006/11/13(月) 01:00:34
>>4
>Q,1港市国家から日本が成立するならばなぜその港市国家の遺跡が
 少ないか?なぜ政治の中心が港市国家ではなかったか?豪壮な
 港市国家の遺跡がなぜ発掘されないか?

おおよそ同意したいがこの質問へんじゃない?だってさ、奈良周辺には琵琶
湖もあれば東に伊勢湾、西に淡路島があるのよ。江戸までの中心的存在だって
三好が勢力持ってた摂津&堺中心だよ。でも、その頃の遺跡が残ってるかい?
残ってないよ、木造平屋で石造りじゃないから。

7 ::日本@名無史さん :2006/11/13(月) 01:16:58
まずね、都市国家成立する絶対条件は海か湖があるのが絶対条件よ。内陸に大型都市
が成立するには港湾都市が成立してそこを抑えて物流確保できてからの話だよ。
日本は細長い列島で幸いどこにいても基本的に海が近いから大陸ほど困らないね。
戦国で言うと武田信玄が珍しく内陸だけど勿論北条や上杉とそういう流通関係が確保
されてたわけ。だから有名な塩を送る話があるよね。

8 ::日本@名無史さん :2006/11/13(月) 01:26:48
ていうかね、海と湖に囲まれまくってる近畿の奈良に邪馬台国があっても
何の不思議も無いわけ。なんと言っても琵琶湖と河川の存在はでかいよ。

9 :日本のななし:2006/11/13(月) 18:27:56
港市国家は貿易で成り立ってたって知ってる?
木材が朽ちてなくなるならなんで弥生以前の遺跡が発掘されるの?

10 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 19:12:39
横レスだけど、
木材が朽ちず発見されるのは、
土壌なり湿気なりの、
「条件」が整ってるから発見されるのじゃなかったか。


11 ::日本@名無史さん :2006/11/13(月) 19:23:36
>>9
>港市国家は貿易で成り立ってたって知ってる?
6・7・9を読む限り質問の内容が的外れだね。

>木材が朽ちてなくなるならなんで弥生以前の遺跡が発掘されるの?
愚問だな。後世に残すのが目的の墓石が(内部の部分的木材は別として)
木で作られる事があるか?ヒミコの住居の遺跡が残ってるとでも?

12 ::日本@名無史さん :2006/11/13(月) 19:32:53
10の言ってる事が正しいよね。
海沿いの港町は常に潮風にさらされるため木造の保存状態は極めて悪い。

13 ::日本@名無史さん :2006/11/13(月) 19:40:54
>>4
3騎馬民族が日本を征服したならばなぜ古墳を作り続けたか?
 なぜ騎馬民族の文化が日本文化の中に少ないのか?
 なぜ天皇家や朝廷では古代から日本語が使われていたのか?
 新羅や百済などでは支配階級と庶民の言葉が違っていたそうじゃぞ?
 日本だけ特別なのかのう

この質問が興味深い。

14 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:09:39
>>6
>>11
ふー・・・・
港市国家の定義は何かな?
まさか港を中心とした国家だって考えてはないよね?
usc.edu/dept/LAS/history/historylab/.../Sakaehara Summary jpn.htm

東南アジアは中国とインドの中継点にあって中継貿易や内陸の農村から
徴収した特産物で繁栄したのだよ。
いいかい?港市国家に必要なのは貿易だよ。
>>11
いや、じゃなくてなぜに「都市国家」の遺構がないのか?
墓を問題にしてはいないよ。
君の言うように港市国家の遺跡は朽ちてなくなるならば
日本各地の港の遺跡はなぜあるの?
秋田の土佐港だっけか?あれはどう説明するの?
しかも江戸も堺も建造物が建設され取り壊され・・というサイクルを
繰り返して近代都市になったでしょ?
京都もそのように変わってきたよね?{戦乱で破壊されたこともあるが}
太古そのままで残ってる街なんてあるかな?

15 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:33:15
条件が整わなくて木材が朽ちたとしてもだ
さて曲りなりにも国家の中心だった港市国家から
貴金属類、金属類。日常品が出土されないとでも?

16 ::日本@名無史さん :2006/11/14(火) 18:54:25
>>14
ポカーン。。。
僕勘が良い方なんだけど、もう君からは在日朝鮮人か部落の捏造史オタの臭いしかしないね。
港市国家の定義以前に自信満々に語った“貿易”の定義をちゃんと調べ直しなさい。

一つ質問してあげるから答えな。その秋田の漁村港wが貿易相手にしてた最大の相手先は
どこでつか?で、秋田のそれが港市国家と呼べるものかですか?



17 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:31:09
>>17
・・・あんな万年属国の劣等民族と同じにされるのは心外だな。
君は何が言いたいのかな?
「日本は港市国家から成立ちまちた」って妄想を振り撒きたいのかな?
秋田の漁村港が相手してたのはアイヌやら金やらだろ?
俺が言いたいのは
「港市国家が古代日本の中心だったならばなぜそれを間接的にでも
証明する物品が出土しないか?」ってこと。
いくら保存状態が悪くても日本の中心が港市国家だったならば
そのうちのいくつかは運よく「保存状態が良好なうちに」残るだろ?
なぜに木材は必ず残らないって決め付けるのかな?
君の言う港市国家って保存状態の悪い地域にしか存在しないのかな?w

「たとえ遺跡が残っていなくても遺物は残る」
ってことさ。十三湊でも残ってるだろ?三内丸山遺跡でも、吉野ヶ里遺跡
でも遺物は残ってるだろ?
港市国家が古代日本において重要な役割を果たしたならば海沿いの遺跡から
は大量の遺物が出土してもおかしくないよね?

なぜ日本が港市国家から成立したのに海沿いに港市国家の存在を示唆するよ
うな大量の遺物が無いのかな?


18 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 12:57:37
また横レスだが、海沿いの港市国家の存在ならば、
池上曽根遺跡はいかがなものか…?
関係なければすまんが。

http://www.city.izumi.osaka.jp/entry.aspx?id=145

19 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 00:14:01
【日韓】 百済遺民とされてきた唐の将軍、研究の結果「日本の物部氏」出身と判明[11/17]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1163861271/

20 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 13:32:08
>>13
>騎馬民族が日本を征服したならばなぜ古墳を作り続けたか?

答:簒奪だからだ。

>なぜ騎馬民族の文化が日本文化の中に少ないのか?

答:少数者による簒奪だからだ。

>なぜ天皇家や朝廷では古代から日本語が使われていたのか?

答:5世紀にそうであったという証拠はない。


21 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 14:47:20
>>20


ま た お ま え か!




22 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 18:00:48
>>17
まずね、君は港市国家という言葉で頭でっかちになってるし、その頃の国のスケール
ってものを理解してない。当然ながらその頃には列島が日本固有の領土なんて概念も
なければ民族統一もしてない。大型貨物船やタンカーが合ったわけではないから航行
距離も基本は非常に短い。つまり交易、貿易の大半は非常に狭い範囲で行われるのが
当然。

じゃあ例えば君が言った秋田の港町が生活の為に行った交易の99%は何処とのやり取り
かっていうと、君が言ったアイヌかせいぜい新潟の佐渡か能登半島程度までってことな
んだよ。君の言った金が仮に秋田までたどり着くまでには九州あたりから陸沿いに小さ
な港を点々とハシゴしてこないといけないから、直接交易なんてしてないっての。


23 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 18:17:16
当たり前の話だが、朝鮮人じゃなくて日本人が日本人に朝鮮の品物を売るこ
との方が頻度としてははるかに多いのよ。九州で朝鮮の物品を購入した日本
人が珍しいってんで対岸の下関と交易しました。今度は買い占めた商人が周
防人と交易しました。次は呉から松山、松山から〜といって明石、堺、摂津
伊勢という具合に後の出土品が運ばれましたとさ。

当時の堺の最貿易相手国は対岸の鳴門か淡路島あたりだろ。瀬戸の内海では
各地で盛んにこういったお隣近所や対岸の外国と交易、貿易が営まれましたとさ。
これが港市国家じゃなくてなんだよ?地中海ってしってるか?

24 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 18:31:12
>>20
簒奪という答えは非常に共感するが・・・、
何も敵対する北の騎馬民族である必要は無い。

むしろ頭すげ変るには南の長江・揚子江から
画期的な農業技術持ってやってきた来た百済
経由の親密な移民のほうが適切だ。

25 :日本のななし:2006/11/21(火) 21:01:53
>>20
ほうほう
>答:少数者による簒奪だからだ

モンゴル族は100年にも満たないわずかな時間しか中国を支配していないが
中国文化には彼らの影響が多く見られたぞ?
そうそう、エジプトがヒクソスに支配されていたときも彼らの文化の影響があ
ったぞ?

日本だけ特別か?w

答:5世紀にそうであったという証拠はない

逃げるな
たった1世紀で日本語に変えたのか?日本とはずいぶん異民族を同化させる
力が強いんだなw
ていうか5世紀に「日本語でない言葉が使われたという証拠」もない



26 :日本のななし:2006/11/21(火) 21:11:47
>>22
>>23
はあ?
だんだん話がズレてきてるぞ?

まず何について議論していたか思い出せ
そして俺が提示した資料を読め

自分の主張をごり押ししても相手を納得させられないぞ?

で、港市国家から日本が成立したのならその港市国家の存在を
示す「遺物」があるはずだがなぜ見つからない?

まさか遺物は全部交易で引き払われて遺跡は木材「だけ」で作られて
いてしかも都合よく「木材が保存される状況にない地域」だけに港市
国家が建てられていたのか?

別に俺は古代の港町の存在を否定してはいない。
ただヤマト王権がそれから成立したということに疑問を呈している
だけだ

ちなみにあんた満州族の金って王朝知ってるか?



27 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 22:12:44
>>25 :日本のななし :2006/11/21(火) 21:01:53
>モンゴル族は100年にも満たないわずかな時間しか中国を支配していないが
>中国文化には彼らの影響が多く見られたぞ?

中国文化の中のモンゴルの影響を挙げて見よ。

>そうそう、エジプトがヒクソスに支配されていたときも彼らの文化の影響があ
ったぞ?

プトレマイオス王朝の文化にどれだけギリシャの要素が残っているか?

>日本とはずいぶん異民族を同化させる力が強いんだなw

「異民族を同化させる力が強い」からこそ、あれだけ多くの有力な「渡来系」
豪族がいながら結局は「日本」に同化された、というのが反対派の考え方だろう。

>ていうか5世紀に「日本語でない言葉が使われたという証拠」もない

そんならおあいこだ。



28 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 22:27:31
>>26
そうなんだよなんで金が出て来るんだ?いつの話してんの?意味がわからん

29 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 22:28:55
なんで金と大和を同時に話してんの?

30 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 22:41:51
>>ななし
>別に俺は古代の港町の存在を否定してはいない。
>ただヤマト王権がそれから成立したということに疑問を呈しているだけだ

きみ世界史やってないだろ?そもそもこの疑問がトンチンカンで歴史知らず。
河川と扇状の州があって初めて文明や集落が生まれるんだぞ。それらは山奥まで
河川で繋がってるし、ほぼ同時期に成立するものなんだよ。個別かつ独自に成立
するものじゃないの。山奥に突然大和王権が成立したってか?ありえねw

31 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 23:01:27
>>ななし

>まさか遺物は全部交易で引き払われて遺跡は木材「だけ」で作られて
>いてしかも都合よく「木材が保存される状況にない地域」だけに港市
>国家が建てられていたのか?

じゃあ、山奥に石作りの住居跡でも見つかったのか?
ヨーロッパじゃないんだぞw日本は木造家屋一筋で来た文明だぞw
どうせ君は日本に港都市が有ったとするには石の防波堤や港跡でも必要だってんだろ?
それがないなら港市国家が成立しないって発想なんだろ?無知も程々にしな。
今も昔も日本の大型都市のほぼ99パーセントは港町か湖街か河川街です。
世界でも内陸まで輸送が可能になった近代成立の街以外は同じ。

32 ::日本@名無史さん :2006/11/21(火) 23:06:54
で、奈良がそういう港や湖岸の集落や都市と直結して無いと考えてる事が
そもそもナンセンス。

33 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 14:40:59
そういえばマキムクやヨシノガリも、実は河川交通の便利なところにできた、
という話を聞いた。
海で言えば河内王朝は大和と朝鮮を結ぶ海上輸送の要衝にできたのだろう。
河内には大鉄工業センターの遺跡が出ているが、そのための鉄原料の陸揚げ場
があったのは間違いない。
あの、当時の海岸線は現在より内陸に入っていた。

34 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 15:27:34
巻向は円錐形の山・三輪山の麓から発してるので、
縄文時代から続く「聖山信仰」の名残だろうな。
河川交通の便利さという意味では、
かなり北の木津川あたりに遺跡があったと記憶してるが…

35 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 18:47:36
>>34
山があれば川はないと言いたいのか?
巻向にも河川輸送の可能な川はあった。
私が言うのはそれが都邑形成の一つの必要条件だったということ。

36 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 19:28:17
>>13
>なぜ騎馬民族の文化が日本文化の中に少ないのか?

騎馬民族の文化というからややこしくなるが、騎馬民族説はつきつめれば
「伽耶にいた扶余が日本を征服した」ということなのだから、上記は
「伽耶文化が日本文化の中に少ないか?」と、おおいばりで言い換えてよい
のだ。

そういう目で見れば、古墳時代の出土品から見た当時の「日本文化」を、
最近の伽耶の発掘成果から見た「伽耶文化」と較べれば、両者はほとんど
同一ではないか。

このことを反対派の人は「文化受容」で説明するわけだが、「文化受容」
説そのものが、ある時期にその文化が日本に存在したことを認めているわけだ。

>なぜ天皇家や朝廷では古代から日本語が使われていたのか?

「古代の天皇家で日本語が使われていた」ということは全く言えない。
3世紀の魏志倭人伝に日本語の断片がある。
8世紀の古事記、万葉集に万葉仮名が使われたことによって8世紀当時の
日本語がわかる。この中間の日本語の記録はないのだ。
だから古代天皇がどんな言葉を使ったか、ということを知る方法はない。
万葉集に古代天皇の歌があっても、それが本当に古代にその天皇によって
歌われたという証拠はない。8世紀の創作かもしれないし、仮に古代から
伝わったとしても、古代の「被支配階級」の日本語話者が代作したかも知れない。


37 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 19:58:47
>>36
だから上の方でも出てるけど、
老司古墳の出土状況から言える事は、
伽耶文化を受容した倭人の姿なんだよ。

38 :YAP?:2006/11/22(水) 23:52:35
「伽耶」と「加羅」という語彙を、どう考えるかが問題だ。

半島の「韓族」の語彙としては「伽耶」、日本語としては「加羅」
なのだろう。

日本語の「から」は、「うから」「やから」「はらから(同胞、兄弟)」
「ともがら(友輩)」「いえがら(家柄)」「がら(柄)が良い」といった
語彙に現れる「族」の意味だろう。
で、この語彙は、満州から蒙古方面で現れる「カラ/ハラ」(kaia/hala)
という父系血族を表す語彙と同源なのは明らかだ。
韓国語では、「キョレ」かなんかだったと思うが、まあ、
上代日本語の「から」の音写だろう。
そして、語中の琉音(R/L)の発音が、「n,y,r』に
なってしまう韓国朝鮮語の話者が、「カラ」を真似た結果が
「かや」なのだろう。

「伽耶文化」ではなく、後続の倭人集団が、列島に移住した結果。
将来されたのが、日本で発見されるいわゆる「伽耶文化」なのだろう。
つまり、「伽耶文化」が、韓族のものと言ってよいかは問題だ。
むしろ、半島残存倭人の文化だった可能性もある。

39 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 00:11:59
>>38
この糞スレまだ続いてたのか。

ニートが集まってくだらない議論で時間をつぶす低俗スレ。
お前らニートはクズだからさっさと死んでくれ。


40 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 00:46:45
ニイトノミコトっていそうだなw

41 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 04:29:08
ニイトクズダカラシネノミコト
=新渡国栖宝志根尊

42 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 07:40:12
>>36
>両者はほとんど 同一ではないか。

日本の古墳から確かに馬具など発見されるが、
漢鏡や勾玉も発見されてる事を考えると伽耶文化そのものなのか?

43 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 04:16:38
なんかそろそろ決定的なもんが欲しいなあ。
完璧な物証と言えるようなもんを。
肯定論なら、半島あたりの古墳から天皇家とつながる系図が発見されるとか、
否定論なら、天皇陵がそれこそ老司古墳的に、遺骨DNAから縄文系とまで行かなくとも、
非半島系と分かったとか。
そういうのが欲しいんだよ。早く結論を知りたい。
ちなみに俺はどっちでもいいんだ。
肯定論の場合だと、
扶余が朝鮮系と言うなら抵抗があるけど、
あくまで扶余は満州あたりの民族だし、
別に天皇家が扶余系だからどうというわけでもないんだよ。
ただ真相を知りたいだけなんだよねえ。それでこのスレ作ったんだ。

44 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 07:22:08
>>43
古今東西の文書解析、天皇陵の発掘、人骨鑑定

やれば?

隣の国では、始皇帝陵を発掘調査するか否かで大揉めに揉めてるみたいだな。
観光資源になるとか騒いでる香具師もいるらし。
但し、兵馬俑を見ても分かるとおり、遺物を晒し続けるとあっという間に風化
して、彩色などが剥げ落ちてしまう事になるので慎重になってるみたいだ。

45 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 18:46:34
>>43
蓋然性の問題。
例えば、公平な立場の欧米の考古学者に、
釜山・福泉洞に代表される地下式木郭墓を見せて、
この埋葬者達と同じ民族が、
河内あたりの大規模前方後円墳の埋葬者たりえるかと
聞いたら、誰もYESと言わないだろう。

いくら、扶余は行く先々の墓制を採用すると言っても、
それは無理。

46 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 19:32:53
>>42
両文化が「同じもの」というのは語弊があったので、すこし具体的な
話をしよう。まず物を目で見るには、伽耶の出土品のほんの一部だが下記に
写真がある。
金海大成洞の出土品:
http://inoues.net/korea/korea_kimemus.html
釜山の福泉洞の出土品:
http://inoues.net/yamataikoku/korea/korea_fukusendo.html

土器に限って言えば、朝鮮製土器の日本での出土状況は下記のリストにある。
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2000a_41.html

土器に限って、私なりに纏めれば:
いわゆる金海型の祭祀用土器が5世紀前半の大阪周辺の古墳から多数出る。
そのなかには伽耶出土品と非常に良く似たものや、細部まで同一で、同じ
製作者が作ったと推定されるものもある。
また古墳周辺から伽耶系の生活用土器が出る。集団移住があったことが
推定される。
同時期、九州からの伽耶系土器の出土は少ない。すなわち、伽耶の影響は
九州をバイパスして大阪周辺に入ったことが推定される。

以上は土器の話だ。その他に武器、甲冑、馬具等がある。この時代については
「日本文化のなかに騎馬民族文化が少ない」などとはとうてい言えない。

47 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 19:40:52
>>45
背景を説明すれば欧米人は素直に信じると思うよ。
アレキサンドル、バイキング、ノルマンコンケストなど、欧米人には
少数者による征服の物語が染み込んでいるからね。

48 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 19:56:12
>>46
結局、受容の仕方の問題だろうね。
征服されて受容させられたのか、
それとも能動的に自ら受容したのかという問題だろうね。

49 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 20:26:50
>>47
>アレキサンドル、バイキング、ノルマンコンケストなど

だから歴史的に確定してる話を、
資料が何もない扶余の話に当てはめる事自体が蓋然性がないというのだ。

50 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:14:14
騎馬民族説って根本的におかしいんだよね
騎馬民族がどうやったら海を渡って日本に来れるんだろう?
元寇じゃあるまいし あれも騎馬民族が攻めてきたっていうよりは
その属国の水軍が攻めてきたみたいな感じだし 騎馬民族が暴れまくってたのは
大陸だろう それが日本に渡来するなんてありえない バカでもわかる

51 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:37:06
>>43
>肯定論なら、半島あたりの古墳から天皇家とつながる系図が発見されるとか、
否定論なら、天皇陵がそれこそ老司古墳的に、遺骨DNAから縄文系とまで行かなく
とも、非半島系と分かったとか。

ttp://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-414.html
>百済にしろ任那にしろ、そこの王族が日本を征服したといったことが
>事実なら大事件で、日本・朝鮮半島・中国に伝わる歴史書に記録として
>残るはずである。
>ところがそのような記録は一つも無い。
>むしろ日本が大国として4世紀以降、任那諸国や百済・新羅といった
>朝鮮半島の国々に対して大きな影響力を持つようになることが、日本・
>半島・中国の歴史書・碑文に記されている。
>そして日本と高句麗という二大勢力が、間に挟まれた百済・新羅・任那
>諸国を自らの勢力圏にすべく争うようになるのである。

ど素人の方が常識的で頭がいいよ。
今回限りで、このスレ終了すれば?

52 :白馬青牛:2006/11/25(土) 00:17:42
>>51
相変わらず、低脳軍団が前提条件を勝手に付けて吼えとるのう。
老司古墳から、弥生期の九州北部の高顔型渡来人は、低顔の現地民に
吸収されたか、伽耶地域の礼安里出土の人骨群の中には顔の低いものと
高いものが両方とも存在するらしい。(松下孝幸氏)
朝鮮半島南部の煙台島の櫛目文土器人骨は縄文人に似ている(池田次郎氏)
篠田謙一氏は、DNAで縄文人がブリアートや雲南等遠い地域の遺伝子も
含むものの、朝鮮・遼寧・山東等近い地域の遺伝子が多いとされる。
縄文人も多くが朝鮮経由の人達であろう。わりゃは、前スレから同じ言を
繰り返しとるだけじゃろうが。
歴史書の記録など、残された物はごく一部分に過ぎず、文献だけで解釈
するんは文献原理主義(カルト宗教)じゃ。文献を一語一句経典のように
文字面だけで解釈するんは、われの所属する新興宗教団体の中だけで
やっとりゃええのに。

53 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:26:34
>>52
相変わらず読み難い悪文だなぁ。

54 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 10:25:30
>>49
>だから歴史的に確定してる話を、
>資料が何もない扶余の話に当てはめる事自体が蓋然性がないというのだ。

「歴史的に確定している話」から 「資料が何もない」時代に起こった
ことを類推することこそ、歴史の方法ではないか。

>>50
>元寇じゃあるまいし あれも騎馬民族が攻めてきたっていうよりは
>その属国の水軍が攻めてきたみたいな感じだし 

扶余の場合も、扶余が来たというよりは扶余に支配された半島倭人集団が
「攻めて来たみたいな感じ」だろう。倭人が海を渡ることには抵抗は
ないのでは?







55 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 10:54:18
半島ってフヨに支配されてたんだ さすが万年属国なだけある

56 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 15:53:38
>>54
>扶余の場合も、扶余が来たというよりは扶余に支配された半島倭人集団が
「攻めて来たみたいな感じ」だろう。倭人が海を渡ることには抵抗は
ないのでは?




背後の守りはどうすんの?

57 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 15:56:11
半島を捨てて日本列島に亡命して来たってことか。

58 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 16:12:53
>>55
半島倭人と書いたのは、倭人のうちで朝鮮半島に居住していた集団、という意味だ。
朝鮮半島のどこに倭人が住んでいたか、といえばそれは狗耶韓国だ。
その狗耶韓国が3世紀末に扶余に支配されて、金官加羅国になった。
金官加羅国は支配階級が扶余、被支配階級が半島倭人である「多民族国家」だったろう、
というのが私の考え方だ。
だから扶余は航海のために倭人を使役することができた。ちょうど、元国の蒙古人が
高麗人を使ったように。
それと、扶余自体ももともと水に縁があった。その故郷の満洲の遠距離交通は
もっぱら大河に依存していたからだ。

59 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 19:03:05
>>58
3世紀末までには、畿内を中心に、
千葉、福岡、宮崎に前方後円墳が展開してる。
(それ以外にもあった記憶があるが…)
これは原初大和朝廷の骨格と言うべきものだろう。
その「骨格」が、鉄の支配権を扶余に簡単に支配されるだろうか?
支配されたら一戦交えるだろう。
俺の意見は支配仕返したというもの。
もちろん扶余を絶滅させてなんかいない、
むしろ彼らの文化を積極的に摂取したと思う。
だから日本の古墳に馬具と勾玉が出てくるのだ。

60 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 19:17:28
>>54
>「歴史的に確定している話」から 「資料が何もない」時代に起こった
>ことを類推することこそ、歴史の方法ではないか。

歴史的に珍しい例でもって類推する事自体が蓋然性がないと言ってるのだ。

61 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 19:35:16
>>59
>その「骨格」が、鉄の支配権を扶余に簡単に支配されるだろうか?

意味がわからない。扶余は任那の鉄を支配しているのだが・・
それと、前方後円墳の分布から、統一国家、国民国家みたいなものを考える
のは誤りだと思う。三輪王朝の体制は、半独立で互いに異質な小王国の
集合体だ。前方後円墳はその体制のメンバーであるという記章に過ぎない。
ということは、扶余+半島倭人でできた異質な小王国も参加できたと
いうことだ。そしてその場合、メンバーの記章として彼等もまた・・

>>60
>歴史的に珍しい例でもって類推する事自体が蓋然性がないと言ってるのだ。

だから、少数者による征服は歴史的になんにも珍しくないと言っているのだ。

62 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 19:43:54
>>61
扶余が鉄を支配しているのというのは、
主に韓国側の言い分だったと記憶してるが。
倭とどういう関係にあったかは実際よく分からないはず。
倭という大きな連合体の中の一部分を担ったに過ぎないなら、
所詮、倭の支配下にあったと見ても良いと思う。

>その体制のメンバーであるという記章に過ぎない。

それ自体が骨格という意味だ。



63 :日本のななし:2006/11/25(土) 20:28:36
なんかひさびさに見たらスゴイ増えてるな・・

>>27
ja.wikipedia.org/wiki/元_(王朝

ヒクソスってギリシア人なんだ。始めて知ったわ
そんな説

へえw渡来系の有力な氏族って例えば?

で、5世紀以前に日本語が話されていた証拠がないから
騎馬民族の言葉に違いない という考えは正しいのかい?

64 :日本のななし:2006/11/25(土) 20:32:22
>>30
・・・・・
釈迦に説法とはまさにこのことか・・・

>河川と扇状の州があって初めて文明や集落が生まれるんだぞ。それらは山奥まで
 河川で繋がってるし、ほぼ同時期に成立するものなんだよ

古代の日本には物資の流通ルートがあったんだよ
黒曜石や土器に最適な土、弥生には鉄器や大陸の品のな。
まさむく遺跡はどう説明する?

65 :日本のななし:2006/11/25(土) 20:39:10
>>31
・・・・・・
だからさ、港市国家から日本が成立したんならさ
その港市国家が政治の中心だったんだよね?
だったらさ、貴金属やら日常品やら平城京みたいにでてくるでしょ?
なぜ出てこないの?

>どうせ君は日本に港都市が有ったとするには石の防波堤や港跡でも必要だってんだろ?
 それがないなら港市国家が成立しないって発想なんだろ?

どこをどう読めばこういう解釈になるのか理解に苦しむ


>今も昔も日本の大型都市のほぼ99パーセントは港町か湖街か河川街です。
 世界でも内陸まで輸送が可能になった近代成立の街以外は同じ

あれ?平泉は?奈良は?大宰府は?



66 :日本のななし:2006/11/25(土) 20:50:10
>>33
縄文時代じゃないんだから
>>36

こんなに電波な奴は久々だな

>そういう目で見れば、古墳時代の出土品から見た当時の「日本文化」を、
 最近の伽耶の発掘成果から見た「伽耶文化」と較べれば、両者はほとんど
 同一ではないか

どういう根拠でこういう説を唱えるのか教えて欲しいな
お前の言う加羅文化はいつの時代のだ?

「伽耶にいた扶余が日本を征服した」

ならば王朝の象徴たる古墳がなぜ近畿を発生地として広まって
いったのか説明してほしいな
扶余って邪馬台国のような日本の地方権力を征服するほど強かったのか・・
なぜそれほどの力を持っていながら朝鮮を統合できなかったのか・・
ていうか
お前一体いつ扶余族の日本征服があったと考えてる?



67 :日本のななし:2006/11/25(土) 21:03:41
>>36
魏志倭人伝に日本語の原型があったか?
国の名前しかなかったと思うが・・
結局、お前が言いたいのは

「古代に日本で日本語が使われていた証拠がないから
古代日本は征服されたんだ」

ってことだろ?

68 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:15:54
>>61
>だから、少数者による征服は歴史的になんにも珍しくないと言っているのだ。

来たかどうかさえわからない扶余と、
それらを当てはめる事自体が蓋然性がないと言ってるのだ。

69 :日本のななし:2006/11/25(土) 21:29:14
>>68




すごいな・・・・
あんた一体何者だ?






70 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 08:40:17
>>63
>ヒクソスってギリシア人なんだ。始めて知ったわそんな説

物を知らない奴は手間がかかるな。 別の時代の話だ。
プトレマイオスがギリシャ人(マケドニア人)だと言っているのだよ。
もちろんクレオパトラもね。

>へえw渡来系の有力な氏族って例えば?

というより有力氏族はほとんど渡来系だ。じぶんで調べてごらん。

>5世紀以前に日本語が話されていた証拠がないから 騎馬民族の言葉に違いない

この議論ではそこまで言っていない。古代から天皇家が連綿として日本語を
話しているのが騎馬民族が来なかった証拠だ、という人がいたから、古代に
天皇が話した言葉が日本語である証拠はない、と言ったのだ。

>>67
>魏志倭人伝に日本語の原型があったか? 国の名前しかなかったと思うが・・

読んだことがあるのか? 人名と役名があるのだ。そのなかに日本語の断片
らしいものがある。「ひなもり」とかね。
「古代の日本語は、せめてこれぐらいなら証拠がある」という、サービスの
つもりで言ったのだ。「分からない」と言ってしまえばそれでもいいのだよ。
上記の目的に対しては。



71 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 08:50:55
どっちにしろ騎馬民族なんか来てないんだろw

72 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 08:56:12
>.62
>扶余が鉄を支配しているのというのは、 主に韓国側の言い分だったと記憶してるが。

なにも難しいことではない。狭義の任那(金官)に鉄が出て、その金官を扶余が支配
しているということを言っただけだ。韓国人を煩わすこともない。
それ以前は、つまり狗耶韓国の時代は「韓、わい、倭争って鉄を取る」と書かれた
状態があった。その状態が扶余によって中断された、ということだ。

73 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 09:03:36
>>66
>どういう根拠でこういう説を唱えるのか教えて欲しいな
お前の言う加羅文化はいつの時代のだ?

それについてはURLまで挙げて補足説明した。まずそれを見よ。
時代もおのずからわかるだろう。


74 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 09:03:54
騎馬民族さまがどんな大帝国を築いて日本を攻めろと属国に命令した文書でも出てきましたか?

75 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 15:31:12
>日本を攻めろと属国に命令した文書でも出てきましたか?

いいえ。


76 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:34:11
大昔に朽ちた説を未だにとくとくと語るキチーがいるとはマジでビックリ。
フヨは筑紫辺りの海賊に拉致られ東国に売り飛ばされ
山奥にでも配置させられ、強制重働に就かされた皮なめしの職人集団だろう?

その程度の説にはその程度の見解憶測が適当だw

77 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:40:21
>>72
その状態が扶余によって中断されたという事を認めたとして、
さてその後だな。
扶余が鉄の供給源を握ってて、
倭に対してポテンシャルを持ち続けたまま日本に来て、
そして河内王朝を簒奪したというのがあなたの仮説だな。

ただそれを言う前に、
まず扶余が日本に来たという明確な証拠を示していただきたい。
そしてそれから河内王朝を簒奪したのなら、
集団としての扶余が河内平野に住んだと言う何らかの証拠、
例えば地名等をあなたが見つけ出すのが先だ。

そういう事ができるのか?




78 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 20:46:42
>>77
>そして河内王朝を簒奪したというのがあなたの仮説だな。

河内王朝を簒奪したのではない。まず河内に入って、その後三輪王朝の
王権を簒奪した結果、河内王朝ができたのだ。

>まず扶余が日本に来たという明確な証拠を示していただきたい。

「明確な証拠」など、古代に関するいかなる説にもない。
三輪王朝が、騎馬戦術を有する金官を海を渡って攻めて、これを服属させた
という「明確な証拠」があるだろうか?

まあそれは別として、前にも書いたように、大阪周辺の古墳から金官の
祭祀用土器とほとんど同じものが出る。同時にその周辺からは伽耶式の
生活用土器が出る。これは「集団としての扶余が河内平野に住んだと言う
何らかの証拠」と言えるのではないか?。
もちろん、これを征服あるいは簒奪と見るか、単なる移民と見るかは
見方しだいだ。そしてそのどちらにも「明確な証拠」はない。




79 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 21:03:54
>まず河内に入って、その後三輪王朝の
>王権を簒奪した結果、河内王朝ができたのだ

それが応神かな?
集団としての扶余が河内に住んだ証拠(例えば地名)が、
何かしらあってよいと思うが…

>騎馬戦術を有する金官を海を渡って攻めて、これを服属させた
>という「明確な証拠」があるだろうか?

日本の古墳から馬具と同時に勾玉も出土する状況は、
扶余が日本に来た後、勾玉を文化として受容したと考えるよりは、
倭人が馬具等の騎馬文化を受容したから勾玉も出土すると俺は考えてる。
そちらの方が妥当だと思う。

80 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 00:49:41

莫強した騎馬民族
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=73309

81 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 07:20:14
>>80
youaresobed 11-26 01:32
いやいや論点を濁ごさないでください. 小さな馬に乗れば騎馬民族になれない
ことですか?? 朝鮮の騎馬兵がヨーロッパの技師団のように全身に留具で
重武装したのか?? アジアで騎馬戦をするのにどうしてヨーロッパ式言葉の
ように大きい言葉が必要か教えてください. 言葉は大きければ大きくなるほど
良いのですか?? 小さな馬に乗れば騎馬民族になる数負うことですか??
答えてください!!


韓人は騎馬民族ではないし、扶余も半農民族だったはず。

82 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 08:39:45
>>78
>まず河内に入って、その後三輪王朝の
>王権を簒奪した結果、河内王朝ができたのだ。

河内平野において、比較的古い時期の前方後円墳・津堂城山古墳では、
騎馬的な副葬品は見つかってない。
騎馬的になるのはその後だ。
したがってあなたの仮説は苦しい。w

>大阪周辺の古墳から金官の 祭祀用土器とほとんど同じものが出る。
>同時にその周辺からは伽耶式の 生活用土器が出る。
>これは「集団としての扶余が河内平野に住んだと言う
>何らかの証拠」と言えるのではないか?。

無理。しいて言うなら伽耶人と言うべき。
扶余という民族を指し示してない。
逆に、大阪・長原遺跡で発見された韓式土器(5世紀)の器体には、
円筒埴輪と同様の「突帯」が見られるたりする。
これはどういう事だろうか。
いずれにせよ、扶余は関係ないであろう。


83 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 10:11:19
>>70
俺は
「騎馬民族が農耕民族の王朝を征服したとき」の話をしている。
ギリシア人は前800年からシノイキスモスしてただろ?
しかも農耕と貿易営んでたろ?

だからその有力氏族ってのは?秦氏か?東漢氏か?西文氏か?
大きな発言力と経済、軍事力を持っていた渡来系氏族って何だ?
まさか蘇我氏が朝鮮系なんて俗説信じちゃいないよな?

だからたった1世紀かそこらで一つの言語が廃れるのか?
その理由は何なんだ?

は?
あのね、単語だけで当時の日本語が推測できるのかって聞いてるんだよ?
君は「ジョニー」と「カリフォルニア」という単語でアメリカ英語が理解
できるのかい?



84 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 10:15:23
>>73
ここのスレで出した?どこにあるの?
ja.wikipedia.org/wiki/加羅

まずね、君は加羅というものの概念を理解したほうがいい。


85 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:13:28
>>79
>日本の古墳から馬具と同時に勾玉も出土する状況は、
>扶余が日本に来た後、勾玉を文化として受容したと考えるよりは、

勾玉の起源は北九州と考えられており、朝鮮半島南部でも古い時代から
の出土がある。新羅が最も多いが金海、釜山からも出ている。
日本に来た扶余が勾玉を持っていても、あるいは日本に来てから入手
しても、不思議はない。

86 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:20:05
>>82
>河内平野において、比較的古い時期の前方後円墳・津堂城山古墳では、
> 騎馬的な副葬品は見つかってない。
>したがってあなたの仮説は苦しい。w

津堂城山古墳は、その名前が示すように戦国時代に破壊を受けている。
そんな古墳から、○○が見つかっていないことを根拠として△△ではない、
と結論する事はできない。

>しいて言うなら伽耶人と言うべき。 扶余という民族を指し示してない。

伽耶人でよい。私はなにも難しいことを言っているのではない。
伽耶、と言ってもこの場合は金海型の祭祀用土器の話をしているのだから、
狭義の伽耶、すなわち金官加羅を指す。 金官加羅が3世紀末の扶余の征服
によってできたことを認めるならば、自動的に扶余のことになるのだ。
問題は上記の扶余の征服を認めるかどうかに還元される。

87 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:21:33
>>85



あのさ
古い時代の朝鮮の勾玉って何よ?
王冠についてる勾玉か?



ていうかさ、どうにでも解釈できるものじゃなくて
ハッキリ「騎馬民族が来た」という物証は無いのかね?

88 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:22:55
>>86
河内の古墳全部が略奪されたのかね?


89 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:27:28
>>83
>俺は 「騎馬民族が農耕民族の王朝を征服したとき」の話をしている。

議論の流れに沿って話をしてくれ。
この議論は、「日本に騎馬民族の文化が少ない」という人に対して、私が
「少数者による征服(簒奪)だからだ」と答えたことに始まる。
それに対して「エジプトに(征服者の)ヒクソスの文化は残った」という人が
いたから、私が、「(少数征服者である)ギリシャ人の文化が(エジプトの
ギリシャ人王朝である)プトレマイオス王朝に少ない」という話をしたのだ。

>だからたった1世紀かそこらで一つの言語が廃れるのか?

日本語が廃れたというのではない。扶余の言語が日本語に吸収されたであろう
という話だ。
少数征服者である満洲族は、100年か200年でみずから満洲語を捨てた
ではないか。

90 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:32:59
>あのね、単語だけで当時の日本語が推測できるのかって聞いてるんだよ?

資料がそれしかないから、学者たちは苦労して推測してるけどね。大野晋とか。

>>84
>まずね、君は加羅というものの概念を理解したほうがいい。

加羅なんて、「概念を理解」などというおおげさなものではない。
まず加羅と伽耶は単なる発音の違いだ。そして伽耶は、なにかとうるさい
「任那」の代用として、現在日本の学界で使われているようだ。
そして、「任那」が狭義、中義、広義といろいろに使われることを反映して、
伽耶の内容もまた不安定だ。だからその意味はコンテキストで判断する
しかない。私は「金官」をすこしぼかしたいときに使ったりしている。
なぜなら金官は周辺「伽耶諸国」に影響してこれを「金官化」していた
からだ。

91 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:35:55
>>89
あのね・・・・
状況が違うんだよ。状況が。
君の言う扶余とヒクソスは騎馬民族であり、あまり高度な文化を
持っていない。それでもヒクソスの文化的影響は大きい。
そしてギリシア人は文明人であり、完成した国家体制を初めから
構築した。
プトレマイオス朝にギリシアの文化的影響が少ない?
ムセイオン知ってる?ヘレニズム文化知ってる?

満州語は無くなっていないが?
満州人は漢人を優遇し、漢語を操ったが彼らの文化そのものが無くなったわ
けではないぞ?
吸収された?支配者たる扶余の言語が1世紀で?
百済や新羅の例はどうなる?
彼らの支配層もまた異民族、異なる言語だったが?

92 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:38:05
>>90
・・・・・
じゃあ扶余が日本を征服した可能性も低いと。

あのね・・・・
俺の出した資料読んで。
加羅は連合国家だろ?
邪馬台国を知らないかね?

93 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 22:25:23
まだ孔子や天皇が韓国人とほざいている奴がここにいるのか?

94 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 06:30:48
>>85
>勾玉の起源は北九州と考えられており、朝鮮半島南部でも古い時代から
>の出土がある。新羅が最も多いが金海、釜山からも出ている

なんで北九州?
最古は三内丸山だろ。
(それ以前は中国の古代文明と関わりがあると言う説もあるが、
それは置いておこう。)

>新羅が最も多いが金海、釜山からも出ている。

それはそのまま倭人の進出を意味してる。

95 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 09:34:54
ヘーイ、モウ祖先がどこの大陸であれ、ミーたちは同じジャパンステイツの
仲間じゃないか。そうだろベイピー?

96 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 20:46:18
>>91
>吸収された?支配者たる扶余の言語が1世紀で?

征服者、支配者の言語が必ず残るとは限らない。
南イタリヤ/シチリヤを征服したノルマン人たちは、二世代目は
もうイタリヤ語で話していた。

それに、100年とか1世紀とかいうのは君が勝手に言っていることだ。
扶余の征服が想定されるのは4世紀後半〜5世紀初頭、そして資料から
日本語がわかるのが8世紀初頭。300年のスパンがある。

>満州語は無くなっていないが?

それでは聞くが、清末の北京の満洲八旗たちは互いに満洲語で会話したのか?
これも征服後300年足らずだが。

>百済や新羅の例はどうなる?
>彼らの支配層もまた異民族、異なる言語だったが?

それでよい。 新羅の統一のときには新羅語に吸収されたではないか。

97 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 20:52:42
>>92
>加羅は連合国家だろ?

だから? 古墳時代の倭だって連合国家だが。

>>93
>まだ孔子や天皇が韓国人とほざいている奴がここにいるのか?

はて古代に「韓国人」はいないが。

>>94
(半島の勾玉)
>それはそのまま倭人の進出を意味してる。

なんですぐそこに直結するのかな。 交易の可能性は考えないのか?

98 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 20:58:58
日本人にとって怖い異民族、その総称がカラ。

99 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:33:36
>なんですぐそこに直結するのかな 交易の可能性は考えないのか?
 
もちろん、交易もあったろうが、
半島に古くから倭人が進出してた事は事実だろうが。

100 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:57:22
>>96
>征服者、支配者の言語が必ず残るとは限らない

イタリア語?ラテン語のことか?
高度な文化を持ち、完成された行政機構があるイタリアで政務を行うには
ラテン語を使わざるを得ないだろう?
ノルマン人のイギリスノルマン王朝はどう説明する?

>100年とか1世紀とかいうのは君が勝手に言っていることだ

例えの話だ。1000年なら話はわかるがたった数百年で一つの言語が
なくなるか?
ほう、扶余の征服が4世紀後半から5世紀初頭とな?
ヤマト王権は330年から筑紫を征服し、加羅と鉄器の交易を始め、4世紀
中庸には一部を除く日本列島の大部分を征服していたが
この強大な国家をどうしたら加羅が征服できたのだ?

>資料から 日本語がわかるのが8世紀初頭

細かいことだが万葉集は7世紀からだ。




101 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:08:07
続き

>それでは聞くが、清末の北京の満洲八旗たちは互いに満洲語で会話したのか?
 これも征服後300年足らずだが

満漢併用制って知ってるか?漢人も政治に登用されてんだぞ?
漢人国家を満州人だけで支配できないから漢語を使ったんだ。
というのも、中国は文化が高い国だったから。しかも同化力が
非常に高い。匈奴、遼、元や清。全て中国に同化された。
まあ文化的影響を残したが。{辮髪など}
古墳時代の日本ってそんなに文化が高かったのか?
しかも満州人全てが朝廷に官職持っていたわけではないぞ?
満州八旗が中国語を話していたら満州人は満州語を捨てた事に
なるのか?

>それでよい。 新羅の統一のときには新羅語に吸収されたではないか

新羅語に吸収された?何寝言言ってるんだ?
新羅語に関するハッキリとした資料がないのになぜそう言える?



102 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:13:41
さて今度はこちらから質問だ。
扶余の日本征服が4世紀後半にあったと仮定すると
征服王朝の日本の建国は新羅や百済より遅い事になる。
百済は扶余系の征服者だったが、その支配者の言語は庶民
とは異なっていた。
新羅も同じだ。
これは中国の史書に記されている。
翻って日本を見れば、新羅・百済よりも異民族の征服が遅かった
にも関わらずそのような事がなかった。
日本で扶余語が消滅し、百済で残ったのは何故か?
日本だけが特別か?

103 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:15:10
百済語ってどんなのだったの?


104 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:18:12
>>97
>だから? 古墳時代の倭だって連合国家だが

倭と加羅を同じにするな。
ヤマト王権は連合してるといっても強いまとまりを持っていた。
加羅は盟主に対して服従していたのか?
人口、経済力、軍事力・・国力がケタ違いだ。
その加羅がヤマト王権を打破できるのか?



105 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:30:05
>>103
さあ?としか言いようが無い。
なんせ朝鮮最古の文献は「三国史記{1145年}」だから

106 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:32:32
じゃあ、新羅語も同様ですか

107 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:42:12
そう。
まあ三国史記の時代の朝鮮語が古代新羅後から変化していないなら
わかるかも

108 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 07:55:37
>>102
歴史書は?

英語版Wikipediaの古代史で暴れるのは勘弁して欲しいな。
しかも大勢で。

109 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:23:46
>>108
中国の史書の名前を出せと?
『隋書』『旧唐書』『梁書』など{順不同}

?韓国人のことを言ってるのか?



110 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:47:23
言葉の話が出てるが、
今の在日が、普段、家で家族と何語で話してるかといえば、
日本語だよな。
扶余が来てたとしても、
彼らの言葉もそういう風に埋没していったのかもしれぬ。

ただ文化は残ったはずだ。
川べりに住み、牛を徒殺する文化は。

111 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:55:40
>>110
・・・・・
まあ今のように「国民国家」や「人権」の概念があったら
埋没していったかもしれぬ・・・

確かに文化は残ったはずだ!!
川べりに住み、牛を徒殺する文化は!!

112 :倭之五王:2006/11/30(木) 11:17:35
讃、珍、済、興、武

113 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:15:41
>>99
>半島に古くから倭人が進出してた事は事実だろうが。

古くから半島に住んでいた倭人は勾玉とは関係ない。
翡翠は日本にしか産しないからだ。わたしが交易を言うゆえんだ。

>>100
>イタリア語?ラテン語のことか?

土俗化したラテン語、すなわち中世イタリヤ語の、南イタリヤ方言
のことだ。

>高度な文化を持ち、完成された行政機構があるイタリアで政務を行うには
>ラテン語を使わざるを得ないだろう?

とんでもない。当時のイタリヤはいわば「戦国時代」だった。
ノルマン人の最初の段階は地方豪族の傭兵だった。日本人サッカー選手では
ないが、イタリヤ語を使わざるを得ない。彼等はバイリンガルだったが、その
息子たちはもうイタリヤ語だけだった。その二世のなかからシチリヤ王が
出たのである。

114 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:19:36
>>100
>ノルマン人のイギリスノルマン王朝はどう説明する?

イギリスのノルマン人はまとまった勢力だったから貴族階級を形成して、
そのなかでじぶんたちの言葉であるフランス語を守った。それでも300年
と持たなかった。彼等の言葉はアングロサクソンの言葉と融合して英語という
別の言葉になった。すなわち征服者の言葉は滅びたのである。

>例えの話だ。1000年なら話はわかるがたった数百年で一つの言語が
>なくなるか?

言葉は、話す人がいなくなれば滅びる。上記がその例だ。

>ヤマト王権は330年から筑紫を征服し、

根拠は? おおかたの見方は4世紀末でもまだ九州を服属させていない、
ということだと思うが。

>この強大な国家をどうしたら加羅が征服できたのだ?

逆に、吉野ケ里レベルに毛が生えたぐらいの戦術しかない三輪王朝が、
装甲騎馬戦術を持つ金官をどうやって海を渡って攻めて、これを服属
させたのか?

115 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:22:47
>>101
>漢人国家を満州人だけで支配できないから漢語を使ったんだ。

その通り。それが少数の征服者が被征服民の言葉を採用する理由だ。

>しかも満州人全てが朝廷に官職持っていたわけではないぞ?
>満州八旗が中国語を話していたら満州人は満州語を捨てた事になるのか?

なる。なぜなら満洲八旗というのは軍事制度であると同時に戸籍制度なのだ。
少なくとも中国本土にいた満洲族は一人残らず八旗に属したのだ。
満洲語は征服後300年を経ずして滅びた。現在の満洲語は、満洲から直接
中央アジアに行った駐留軍のなれのはて等が保存しているに過ぎない。

>>102
>日本で扶余語が消滅し、百済で残ったのは何故か?

扶余語がそんなに早く消滅したとは、少なくとも私は言っていない。
だいたい、扶余語そのものがわからないのに、扶余語が消滅したのか、いつごろ
消滅したのか、それとも英語のように日本語と融合したのか、皆目わからない。
融合の可能性はないではない。なぜなら高句麗の地名からわかる高句麗語の
数詞が、(8世紀以降の)日本語と非常によく似ていると言われるからだ。
これは高句麗語と同系の扶余語が日本語と融合した結果かも知れない。

116 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:26:10
>>104
>ヤマト王権は連合してるといっても強いまとまりを持っていた。

その証拠はない。だいたい、吉備や南九州など地方の豪族が中央とほとんど同じ
大きさの古墳を築くことじたいが、地方が独立性を持っていた証拠である。

117 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:38:25
三韓は見事に倭軍に成敗されてるじゃん
これってば国力の原則に適わない事象だろうか?
なるほど、やるな倭国。チョウセンヨワ。

118 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:43:27
当時のチョウセンは連合国だったとほざくバカチョンをたまに見るが
当時のチョウセンはズバリザコ国家。
現に完全なる中央集権が確立する以前の倭国に成敗されているしな。
弱すぎだよあの地域は。


119 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:43:44
隋は、高句麗を攻めて国力を弱めた。

120 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:46:04
当時の高句麗と今のチョウセン人は無関係。

121 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:53:20
だいたいシナで変革が起こるたびに避難民が殺到するチョン半島に
纏まった国は出現しにくいだろう、新羅の半島統一ですら、何時の話よ?
その点は玄海灘が行く手を阻む日本が有利だな。

122 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 17:09:19
江上も論破されちゃって
散々っぱら恥かかされて逝ったのに
何を今更って感じ

未だに騎馬民族説をとなえている人間って
在日の工作員以外考えられないんだけど。

123 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 17:50:11
甘く見ていたはずの列島のその実は己を凌駕するまでの存在に成っていた
時代は延々と繰り返す。

124 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 18:59:21
>>113
>古くから半島に住んでいた倭人は勾玉とは関係ない。
>翡翠は日本にしか産しないからだ。わたしが交易を言うゆえんだ。

ヒスイで有名なのは丹波の真岡遺跡?だったかで、
大きなヒスイの勾玉が発見されてたはず。
丹波といえば、新羅建国時の重臣・瓢公が「タバナ国」だよね。
水野祐氏もそれは丹波だろうと言ってた。
交易もあったろうが、進出もしてたと俺は思うが。

125 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 20:34:21
>>113
まあとりあえず付き合うか

>土俗化したラテン語、すなわち中世イタリヤ語の、南イタリヤ方言

なあ、一体いつの話してるんだ?オドアケル王国の前か後か?
イスラム侵攻の後か?

>とんでもない。当時のイタリヤはいわば「戦国時代」だった

オドアケルが東ローマ帝国を滅ぼしてすぐに東ゴート王国ができたが
その統治は493〜552まで及んだし、ユスティニアヌス帝が滅ぼ
したあともランゴバルド王国が774年まで治めている。
十分にローマ文化も残されたしローマ人と共同統治している。
そこに十分な政治機構が無かったのか?

言っとくが傭兵はオドアケル。東ゴート王国は移住してきたゲルマン族。
そしてその後、ノルマン人の一派がイタリア南部を占領し建国されたのが
シチリア王国。傭兵ではない。




126 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 20:46:38
>>114
>イギリスのノルマン人はまとまった勢力だったから貴族階級を形成して、
 そのなかでじぶんたちの言葉であるフランス語を守った

なあ・・なぜ扶余はそうしなかったんだ?
征服者なら特権層を構築するだろ?
百済も同様のことが言えないか?
日本だけが特別か?

>言葉は、話す人がいなくなれば滅びる。上記がその例だ

だから話す人がいなくなるためには長い時間が必要だって

>根拠は? おおかたの見方は4世紀末でもまだ九州を服属させていない、
 ということだと思うが

ヤマト王権の象徴たる前方後円墳が4世紀前半にすでに北九州に存在
していた。それから機内を中心とした強力な王権の存在が確認される。

信じたくないなら信じなくてもいい。

>逆に、吉野ケ里レベルに毛が生えたぐらいの戦術しかない三輪王朝が、
 装甲騎馬戦術を持つ金官をどうやって海を渡って攻めて、これを服属
 させたのか?

??オレは「交易の可能性」を述べたのであって「加羅を征服した」なんて
一言も言ってないぞ?
しかもお前「装甲騎馬戦術」って・・・重装甲騎兵は確かモンゴル帝国の
時代だったような・・・
吉野ヶ里に毛が生えた程度?お前どうしても朝鮮を優位にしたいようだな
そんなら聞くが、後のヤマト王権の朝鮮進出をどう説明する?


127 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 21:01:48
>>115
>その通り。それが少数の征服者が被征服民の言葉を採用する理由だ

だから百済と新羅はどう説明する?

>なる。なぜなら満洲八旗というのは軍事制度であると同時に戸籍制度なのだ
>現在の満洲語は、満洲から直接 中央アジアに行った駐留軍のなれのはて等が保存しているに過ぎない。

・・・・だからさ
「中国にいた」八旗は漢人も続々入ってくるから漢語になってくだろうさ。
商人になるとかそういう場合が絶対無かったのか?
満州語ってのが消滅するのにも何百年ってかかってるだろ?
それなのに扶余語はすぐ滅びたってのか?



128 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 21:08:01
>>115
>これは高句麗語と同系の扶余語が日本語と融合した結果かも知れない

あのさ、だったら日本語と朝鮮語に類似点があるだろ?
最近の研究では6000年以上の開きがあるらしいが・・・

>その証拠はない。だいたい、吉備や南九州など地方の豪族が中央とほとんど同じ
 大きさの古墳を築くことじたいが、地方が独立性を持っていた証拠である

都合の悪い事は無視か?ヤマト王権は鉄器の配給によって各地の豪族に対して
主導権を握っていた。だから鉄器の輸入が困難になった時期には王朝の力は低
下したのだ。すくなくとも「主導権」を握ってはいたぞ?
そして「朝鮮への軍事的侵攻」も行っていた。
同じ連合政権でも質が違うぞ?

129 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 21:27:13
>簒奪説氏

前々スレあたりで、
扶余は日本の被差別民の原型になったのではないかという、
珍説を言った者だが、
余部(よべ)という地名は室町時代あたりまでは見られるが、
播磨風土記の時代にはないという、あなたの指摘を受けた。
播磨風土記を読んでないから何だが、まぁ確かにないようだ。
しかしだ…
俺の珍説も少し進化したw
http://www.vzhyogo.com/vzevent/dentou/himejisirokawa/rekisirokawa.html

姫路の牛革は別名・越たん、古志たんとも呼ばれてたらしい。

ここでまた仮説。
扶余は余部(よべ)と呼ばれず、
別の名前で呼ばれてたのではないだろうか?
例えば越部(こしべ)とか。
そう思って調べたらあったw
http://ns1.shinkin.co.jp/himeshin/tiiki/himebun/himebun06.htm

揖保の郡・越部の里

播磨の在地民から見れば、半島系の扶余であろうが、
日本海側から来た人という意味で越部と呼んだのではないだろうか。

130 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:44:54
>>109
Wiki英文のAsukaPeriodやKofunPeriod等が集中攻撃されている件。

何が何でも日本を百済の支配下に置きたい、という韓国側の無謀な
情熱は伝わってくるけど。
己の願望に事実を近づけようとするから無理が生じる。
当然、文献も無いし。

131 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:17:42
>>130
この部分か?
The number and cultural impact of the refugees during this period was downplayed during the occupation of Korea in the earlier part of the twentieth centry, due to somewhat obvious political reasons.

(この時代(七世紀)における半島から日本への亡命者が日本に与えた文化的影響は、20世紀初頭の日韓併合の間じゅう、政治的理由から軽視されてきた)

132 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 11:11:09
>>130
まいったものだな。
彼らの妄想も・・・・
まあ実際は百済文化=中国文化だったわけだが・・・
日本に守ってもらう代わりに中国の文物を差し出していたわけだが・・

133 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:55:52
>>131
日本の古代史を完全ウリジナル化しようとすると、日本・韓国・朝鮮以外の
国も巻き込む事になるし、実際なっているんだけど、気が付かないんだよね...orz



134 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:50:18
クダラナイの語源はここからきたんだ!

135 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 20:34:29
>>116
>吉備や南九州など地方の豪族が中央とほとんど同じ
>大きさの古墳を築くことじたいが、地方が独立性を持っていた証拠である。

それは違う。
日向には、マバカだったか箸墓だったかと、
ピッタリ同じ比率の少し小さい古墳がある。
それは大和との強い結びつきを意味してる。

そして日向で最古の前方後円墳は3世紀前半だ。
4世紀末でも九州を服属させてないとの見解は古過ぎる。

136 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:02:04
>>125
>言っとくが傭兵はオドアケル。東ゴート王国は移住してきたゲルマン族。
>そしてその後、ノルマン人の一派がイタリア南部を占領し建国されたのが
>シチリア王国。傭兵ではない。

確かに高校世界史ではその程度しかわからないだろう。
私が言っているのは11世紀から12世紀にかけての話だ。このころの
イタリヤは君の挙げたような外部勢力の残党が割拠する、戦国時代だったのだ。
ノルマン人はばらばらに南イタリヤにやって来て、それら豪族の傭兵になった。
そしてその報償として得た領地をもとにして勢力を広げたのだ。
シチリヤ王国は突然できたのではなく、上記のようなノルマン人の南イタリヤ
征服の延長線上にあったのだ。だから単にシチリアという島の王国ではなく、
シチリア/南イタリヤ連合王国だった。長くは続かなかったけどね。

137 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:06:31
>>126
>なあ・・なぜ扶余はそうしなかったんだ?
>征服者なら特権層を構築するだろ?

別にそうしなかった、とは言っていない。たとえそのような二重言語状態が
生じたとしても、300年のうちには吸収や融合が起こっただろう、という
ことを、イギリスのノルマン人の例によって説明したのだ。

>「加羅を征服した」なんて 一言も言ってないぞ?

交易だけでどうやって加羅が大和に服属したり、加羅と大和が一体化
したりするのか? 歴史上、そのようなことが起こった例があるのか?

>しかもお前「装甲騎馬戦術」って・・・重装甲騎兵は確かモンゴル帝国の
時代だったような・・・

装甲騎兵戦術こそが扶余/金官の特徴だ。それは発掘から証明されるからどう
しようもない。モンゴルは軽装騎兵だ。装甲騎兵ではアジアを横断できない。

>そんなら聞くが、後のヤマト王権の朝鮮進出をどう説明する?

だからそれは扶余が河内王朝を築いてさらに強大になってからの逆進出
と考えるのだ。 ちょうど、ノルマン人がノルマンジー半島から発してイギリスを
征服し、さらに強大になってからフランスに逆進出して英仏戦争を戦ったのと
アナロジーをなす。

138 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:09:11
>>127
>だから百済と新羅はどう説明する?

二重言語が生じるかどうかは力関係、数の関係による。イギリスのノルマン人と、
イタリヤのノルマン人とでは現地語との関係が違ったのはなぜか、考えて見よ。

>「中国にいた」八旗は漢人も続々入ってくるから漢語になってくだろうさ。

入って来ない。そんなことをしたら支配民族の権威は保てない。漢人八旗
というのもいたが、それは中国征服以前に満洲に住んでいて、満洲軍に協力した
人達だ。被征服者たる中国本土の漢人は基本的に資格がないのだ。

>それなのに扶余語はすぐ滅びたってのか?

すぐ滅びた、というのは君が言っていることだ。前にも言ったように、
年代的に300年のスパンを与えることができる。これだけあれば十分だろう。

>>128
>だから鉄器の輸入が困難になった時期には王朝の力は低下したのだ。

そうだろうな。その時、鉄資源を握っていたのは金官の扶余なのだから、
力関係はおのずから分かる。扶余が例えば領地を要求したら、断れないだろう。

139 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:34:23
>>134
その通り、実にクダラナイ、というやつだ。

>>138
2chで侃侃諤諤やってる分にはいいが、その個人的な願望をwikiには
反映させるなよ。

140 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:57:24
>>137
>交易だけでどうやって加羅が大和に服属したり、加羅と大和が一体化
>したりするのか?

交易だけというわけではないが、
北方の難敵・高句麗対策として、
連合を組んだ事は大いに考えられる。
支配者が扶余だったといわれる百済と、
大和は友好関係にあった。
じゃぁ、なんで伽耶に居る扶余と大和が敵対するのだろうか。

141 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:22:20
>>138
>扶余が例えば領地を要求したら、断れないだろう。

鉄資源を握っていたのが金官の扶余だと「仮定」しても、
要求しないだろう。
扶余は故郷を追われて半島南部にまで来た。
故郷回復の為に大和と組んでたのなら、
半島南部に住み続けれる状況でとりあえず良かったはず。

それに、もし扶余が領土を要求して、
大和がそれに応じ、彼らが日本に来たのなら、
日本のどこかの地方で、極端に扶余的な考古学的遺物が出土するはず。
今のところそういう地域はない。


142 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 07:07:09
>>136
>このころの イタリヤは君の挙げたような外部勢力の残党が割拠する、
 戦国時代だったのだ

さてさて、11〜12世紀のイタリアは都市国家が林立していたと
記憶するが?ヴェネツィアやミラノなどがその代表である。
ノルマン人が傭兵家業をしていたかどうかは知らないが
シチリア王国はフランス・ノルマンディーの騎士ロベルト・イル・グイスカルド
がイタリア南部を征服したのが始まりだ。
立派な征服王朝だが・・
連合王国など・・どこで覚えたんだ?




143 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 07:21:06
>>137
>たとえそのような二重言語状態が 生じたとしても、300年のうち
 には吸収や融合が起こっただろう

結局「だろう」
推測に過ぎん。
前にも言ったとおり、もし扶余と日本の二重言語状態が続いたとした
ならば、同じく扶余に支配されていた百済にも扶余語が残され、さら
に後の朝鮮にも残ったはずだが、現在、なぜそのような共通点がない?


>イギリスのノルマン人の例によって説明したのだ

いつイギリスを例に取った?

>交易だけでどうやって加羅が大和に服属したり、加羅と大和が一体化
 したりするのか? 歴史上、そのようなことが起こった例があるのか

あのな・・いつオレが「ヤマトと加羅が一体化した」などと言った?
もともと外国同士で対等に交易していたんだろう。
加羅がヤマトに臣従したのは、ヤマトの国力をアテにして新羅や高句麗
から守ってもらうためである。百済と同じようにな。
そして一体化などしていない。
日本と関係する倭人集団が軍事的、経済的利権を持っていたという説
が有力だ。
このような例は世界史を見れば山のように存在する。
例えば11世紀のイタリアだな。

144 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 07:34:27
>>137
>装甲騎兵戦術こそが扶余/金官の特徴だ。それは発掘から証明されるからどう
 しようもない。モンゴルは軽装騎兵だ。装甲騎兵ではアジアを横断できない。

・・・一つ質問していいか?
お前の定義では鎧を着た騎馬戦士は「装甲騎兵」なのか?
騎馬戦術が歩兵に対して有効な一番の理由とは何だ?

>だからそれは扶余が河内王朝を築いてさらに強大になってからの逆進出
 と考えるのだ。 ちょうど、ノルマン人がノルマンジー半島から発してイギリスを
 征服し、さらに強大になってからフランスに逆進出して英仏戦争を戦ったのと
 アナロジーをなす

ほほう
都合のいい解釈だ。
だが河内王朝=扶余ならば当然崇神王朝が征服されたことになるが
一体どこにその痕跡があるのだね?
騎馬戦術は十分な数の騎兵の下に初めて実現されるものだ。
河内王朝を征服するには相当な数の騎兵とそれを輸送する船舶が必要
だが、当時の扶余はそれを成す国力があったのかい?
そうする必要はあったのかい?
北から高句麗・新羅の圧力がある中で。
なぜ朝鮮の扶余と絶縁関係になったのかね?
イギリスノルマン王朝はノルマンディーをしっかりと確保し
そこからフランスに進出したのだが?
なぜ軍事的圧力が無ければ扶余を取り込めなかったのかね?



145 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 07:47:28
>>138
>二重言語が生じるかどうかは力関係、数の関係による。イギリスのノルマン人と、
 イタリヤのノルマン人とでは現地語との関係が違ったのはなぜか、考えて見よ

さてさてノルマンディーとシチリア、どう数と力関係が違っていたのかね?
力関係からすれば、どちらも征服王朝だ。当然、支配者の力が強い。
数を例に出しても仕方が無い。当時の資料が無いのだ。
まあ違いといえばノルマンディー公国がフランス王から{名目的には}与え
られたものであり、シチリア王国は純粋な征服王朝であったという点か

>漢人八旗 というのもいたが

まずは八旗についてよく調べてから質問しろ

>すぐ滅びた、というのは君が言っていることだ。前にも言ったように、
 年代的に300年のスパンを与えることができる。これだけあれば十分だろう。

だからその事実を直接的、間接的に伝える証拠が無いだろうに
同じ時期に{騎馬民族征服説を信じれば}同じ民族によって建てられた
征服王朝が、なぜに一方の朝廷は民間語と異なり、一方では同じだったか?
数が少なかったから・・という事は理由にならないぞ


146 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 07:59:44
>そうだろうな。その時、鉄資源を握っていたのは金官の扶余なのだから、
 力関係はおのずから分かる

ほう、鉄資源を持つ者は必ず強いと?
扶余がヤマトの上に立っていたと?
人口、国力の差を全く考えていないな。
いくら鉄器を保持していたとしても、現代じゃないんだから
結局は数がモノを言う。

お前にもう一つ問いたい

騎馬民族が中国に対して優位を保てたのは騎馬戦術だけではなく
彼らに住民全てを動員できる体制があったからだ。
彼らは平時から馬と生活をともにし、その生活は乗馬の訓練にも
なる。これも彼らの強みだ。

だが扶余はどうだ?彼らは農耕を始めていたではないか?
しかも国家体制もウルスではなく都市を中心としていただろう?
騎馬戦術だけで匈奴が優位を保てたのではない。
なにしろ中国本土にも馬はいたのだからな。

147 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:36:25
日本の歴史で
騎馬戦が主力になったことは一度も無い。
日本列島の地政学では、
歩兵が中心。

日本で騎馬が使われるとしたら
身分の高い人が乗るためのもの、伝令、荷物運び
が主要だ。


148 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:39:06
また、神武天皇は神話上ではない。

神武天皇は、日向(鹿児島・宮崎)の王子だったのが
大和(近畿地方)の王家に婿養子に入ったんだろうが...

目的は、出雲王権(中国地方・北九州)を挟み撃ちすること。

149 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:47:46
中国の一部の教科書「任那日本府」を認めている
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1164190874/

150 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:54:56
>>147
それは違う
武田の騎馬部隊は恐れられていたではないか
>>148
それが事実ならば日本は紀元前660年建国ということになるな
九州王朝説の亜流か?
まあ直接的資料が余りに少ないことが・・・
>>149
中国の教科書は国定では?

151 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:14:00
>>150
武田軍の中身は、歩兵が90%、騎馬が10%未満。
しかも、戦闘中は歩兵が殆ど。
騎馬は、武将・補給の運搬がメイン。
とにかく、小説やドラマの印象が強すぎるのが問題だ。
武田軍は、9割以上、歩兵が中心の軍隊だった。

>>150
二倍年暦を学べよ。
当時の暦の考え方が違うかったのは学会で定説。(2003年に学会が発表)
これで考えれば、神武天皇は2世紀の人物。
崇神天皇が3世紀の人物だ。
ちょうど、卑弥呼の時代が崇神天皇の時期と近い。
よって、崇神天皇は、邪馬台国のライバル国(狗奴国)の国王か、
あるいは、邪馬台国の国王が崇神天皇で、
卑弥呼は国王に仕える日巫女だったのでは?という説が有力。
これは、学会では完全にその方向で進みつつある。


152 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:15:34
とにかく、ここのスレの連中は
学会などの研究よりも遅いはな、進度が。


153 :151:2006/12/02(土) 22:17:59
ついでに言うなら、武田軍が歩兵中心だったというのだけじゃなくて
織田軍は実は、以外に鉄砲兵の比率が
言われているほど多くなかったのも味噌。
織田家が天下を取れそうだったのは
鉄砲のおかげじゃなくて、地政学的に
大きな平野部を所有していただけのことである。

154 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:20:08
>>150
義務教育の教科書は国定だろう?
大学の教科書の場合は
国定ではない。

155 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:28:21
>>151
理解できないかな


神武天皇は神話上である


崇神天皇の存在の可能性があっても
それが神武が存在してたわけにはならんだろ。

>「ハツクニシロシメスミカド」


156 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:31:30
>>155
要するに、神武天皇は
大和王権の現在の天皇に繋がる最初の国王だということだろう?
崇神天皇というのは、吉備・出雲を倒した最初の国王。
つまり、この崇神天皇の時、初めて全国規模の王権になった。


157 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:37:08
>>156
勘違いするなよ。ま、馬鹿につける薬はないな。。。


158 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:39:34
>>157
神武天皇の記述では、日向国から大和国に
入り婿に入ってから後は
殆ど近畿地方での小競り合い程度の話しかない。

それが、崇神天皇の時代に入ると
日本全体規模の話になってくる。

159 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:02:23
神武なんていなかったんだよ。

160 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:13:32
>>150
>中国の教科書は国定では?

厳密に言うと、教科書にはいくつか種類があって、
政府の基準に合格したものがその都度採択される。

こんな感じではなかったかな?

161 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:16:56
あっそ

162 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:17:13
>>149
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1164190874/
>さらに、一部の教材などでは「古代日本が韓半島(朝鮮半島)南部を
>支配していた」という日本学界の一部で主張されている「任那日本府説」を
>事実であるかのように記述するなど、韓国史記述の深刻な歪曲を見せている。
>例えば、上海人民出版社の『世界史講』の場合、「新羅は、半島南方で
>早くから長期間にわたって倭人の基盤となっていた任那地区を回復した」と
>記述している。

深刻な歪曲かぁ......w

163 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:17:26
神武に関しては、実在説と神話説があるが
もし、実在しているとした
西暦180年くらいに即位したというのが有力だわな。
ただ、この時代に関しては、まだまだ畿内限定の政権だったもよう。
中国地方から関東ぐらいまで覇権を確立したのが
崇神天皇の時代だろう?

164 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:24:03
>>164
バーカ。死ね禿ww


165 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:48:37
>>165
ごめんなさい

166 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 09:11:57
戦後の記紀批判は正しいのか?
やはり記紀通り、
日向から神武(あるいは崇神)が大和に東遷した可能性もある。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/006/re_006_040619.htm
>例えば宮崎市の生目(いきめ)古墳群1号墳(墳長130メートル)は
>箸墓(はしはか)古墳(墳長280メートル)の2分の1、
>鹿児島県高山町の塚崎古墳群10号墳(墳長40メートル)は
>行燈山(あんどんやま)古墳(崇神天皇陵、墳長240メートル)の
>6分の1の平面規格という。
>前方部と後円部の長さの比や、
>古墳中央部のくびれ具合までぴったり相似することを
>偶然と見なすわけにはいくまい。

南九州の王が、大和に行って巨大サイズの古墳を作った可能性を否定できない。

167 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 10:38:45
>>166
というか、日本神話は
大きく分けて、日向神話、出雲神話、大和神話に分かれる。

神武天皇というか、日向の王子か何かが
わずか20名くらいの側近を連れて、
大和の王の娘と結婚して、婿養子になったという話だ。

その神武天皇の東征のルートが
日向から殆ど陸地を通らず、北九州や中国の陸地を避けるようにして
瀬戸内海の孤島を渡り歩くようにして、近畿地方に上陸しているんだな。

このことから、当時、
北九州〜中国地方を支配していた出雲王朝と戦うために
日向(南九州)と大和(近畿地方)が同盟したのでは?
その結果が、日向の神武天皇が大和へ婿養子になったのでは?という話。
ちょうど、戦国時代に、織田家が、毛利家を討伐するために
大友家や島津家と同盟を結んで、挟み撃ちにしようと画策したのに似ている。

結局、出雲や吉備などを滅ぼすのに、崇神天皇の時代まで
待たねばならなかった。この時に、四道将軍を配置するなどして
事実上の日本全国規模の政権になり、崇神天皇は
初めて天皇らしき天皇になったのでは?ということ。
ただし、かつての同盟国であり、神武の出自であった日向とは
この後、対立関係になり、大和政権は九州の支配をめぐって日向と戦う。
それが日本武尊のころ。
その2代後の応神天皇の時に、豊臣秀吉みたいに朝鮮半島へ出兵する。

168 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 11:08:11
>>166
神武天皇=日本皇室の確認できる最初の先祖。
     日向から大和へ婿養子。
崇神天皇=初めて日本全国規模で展開した皇帝らしい君主。


169 :166:2006/12/03(日) 12:11:21
俺的には、神話というものを裏付ける考古学的資料がないと、
面白くも何ともないと思うんだ。
この宮崎大・柳沢教授が採用している、
古墳を平面規格の比率で判断していく方法は大変興味がある。
行燈山古墳は5世紀頃に崇神天皇を偲び作られた古墳とも聞いたが、
それと同じ規格の古墳が鹿児島で発見なんて…






170 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:09:54
   円 |  ||   ||
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     .|:::.   ''''''   ''''''  |                 /       :::::::\
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     .|::::::: ノ ,,ノ(、_, )ヽ、,, |               |(●),   、(●)、.::::| 江上さん?古い…
      \:::::.ヽ`-=ニ=- ' /                |  ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::::|
     /   `一`ニニ´-,ー´                  \ `-=ニ=- ' .:::::/
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    /   l | /  | |                     /  ̄`Y´   ヾ;/  |
__/    | ⊥_ーー | ⊥_ _____________,|    |    |´  ハ
   |  `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.}                       |    |    |-‐'i′l
  (、`ーー、ィ   } ̄`   ノ                       |__ |   _|   7'′
    `ー、、___/`"''−‐"       @   @        (   (  ̄ノ `ー-'′\

171 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:09:29
>>141
>日本のどこかの地方で、極端に扶余的な考古学的遺物が出土するはず。

それについては 78 と 86 で、すでに説明した。

>>142
>ノルマン人が傭兵家業をしていたかどうかは知らないが

お前は傭兵という言葉が嫌いらしいが、大抵の資料はその言葉を使っている。例えば:
http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/history/sciria/sciria2.htm
ページ名からして「ノルマン傭兵の活躍」だ。

>>145
>さてさてノルマンディーとシチリア、どう数と力関係が違っていたのかね?
>数を例に出しても仕方が無い。当時の資料が無いのだ。

イギリスへ行ったノルマン人はまとまった軍勢(*)であり、イタリヤへ行った
ノルマン人は個人単位だったことは説明したはずだ。資料はいくらでもある
のだよ。(*騎兵1500〜2000騎を持っていたという)
個人単位の傭兵は雇い主の言葉を使わざるを得ない、という、ただそれだけの
話だ。それがのし上がれば地元語を話す領主や王が出来上がるのだ。
まとまった軍勢はまとまった社会を形成して、内部で言葉を保存できる。
それだけの話だよ。



172 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:15:10
>>143
>現在、なぜそのような共通点がない?

前からそ何回も言っているのだが、5世紀ごろの日本語も扶余語もまったく
わからないのだ。だから日本語と扶余語がどんな関係にあったかは、なおさら
わからない。
また現在の朝鮮語に扶余語の要素が残っていたとしても、それが扶余語である
かどうかを知る手だてがない。なにしろ扶余語は知られていないのだから。
そんな条件でなにを議論しているのか? それがわからない。

>>144
>お前の定義では鎧を着た騎馬戦士は「装甲騎兵」なのか?

違う。この場合は馬も人も装甲した騎兵のことだ。

>騎馬戦術は十分な数の騎兵の下に初めて実現されるものだ。

そうとは限らない。前に何度も書いたが、コルテスのメキシコでの戦いでは
10騎ないし20騎の騎兵が、歩兵の大軍に対して大きな働きをした。

>なぜ軍事的圧力が無ければ扶余を取り込めなかったのかね?

逆に、鉄と馬、騎兵戦術を持つ相手を、どうやって平和的に取り込むのか?
まあ、学者達は面白いことを言っている。それは、扶余からの鉄に対する倭の
「輸出品」は「兵士」だったというのだ。だが相手の要求に応じて兵士を
差し出すのは結局の所、属国の姿ではないか?

173 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:17:43
>>146
>騎馬民族が中国に対して優位を保てたのは騎馬戦術だけではなく
>彼らに住民全てを動員できる体制があったからだ。

魏書東夷伝扶余条によれば、扶余人は家々に自ら鎧や武器を有する。
また六つの「加」という官名があったが、戦争になれば「諸加」は自ら戦い、
下戸は食糧を運ぶ。この下戸とは奴婢である。「加」は満洲族の八旗の
ようなものであろう。
要するに扶余は戦争になれば貴族から奴隷まで、全員で戦ったのだ。
お前の言う「住民全てを動員できる体制」だ。

>だが扶余はどうだ?彼らは農耕を始めていたではないか?

すこしでも農耕をやったらいけないのかな? 満洲族も農耕を行い、豚を飼った
ではないか。ツングースとは豚を飼う人の意味だ。
そういえば東夷伝扶余条の扶余の描写は、まるで満洲族のことかと思うほどだ。
国民皆兵、馬、黒貂、みなあり。足りないのは朝鮮人参くらいのものだ。
恐らく扶余は、その後の満洲の地に伝統的にあった、満洲族的ありかたの
「はしり」だった。

174 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:34:31
>>171

>それについては 78 と 86 で、すでに説明した

扶余の遺物ばかりではないぞ。古墳は

>お前は傭兵という言葉が嫌いらしいが、大抵の資料はその言葉を使っている

まずはイタリア史を少し勉強してこい
話はそれからだ

>ノルマン人は個人単位だったことは説明したはずだ

バカが
「征服王朝」だろうが。シチリア王国は。





175 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:45:59
>>172

>前からそ何回も言っているのだが、5世紀ごろの日本語も扶余語もまったく
 わからないのだ。だから日本語と扶余語がどんな関係にあったかは、なおさら
 わからない。
 また現在の朝鮮語に扶余語の要素が残っていたとしても、それが扶余語である
 かどうかを知る手だてがない。なにしろ扶余語は知られていないのだから。
 そんな条件でなにを議論しているのか? それがわからない

お前は一体どういうつもりだ?
極めて低い加羅の征服の可能性を「推測」で語るのが目的か?
加羅の日本征服を立証したいわけではないのか?

>違う。この場合は馬も人も装甲した騎兵のことだ

????
悪いんだが、そのソースを教えてくれないか?
いくら探しても「加羅の装甲騎兵」が見つからん

>そうとは限らない。前に何度も書いたが、コルテスのメキシコでの戦いでは
 10騎ないし20騎の騎兵が、歩兵の大軍に対して大きな働きをし

コルテスはアステカと敵対していたトラスカラ人と同盟し
さらに追加のスペイン兵・インディオの5万余りの「大軍」
でアステカを征服したが?





176 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:51:35
>逆に、鉄と馬、騎兵戦術を持つ相手を、どうやって平和的に取り込むのか?
 まあ、学者達は面白いことを言っている。それは、扶余からの鉄に対する倭の
 「輸出品」は「兵士」だったというのだ。だが相手の要求に応じて兵士を
 差し出すのは結局の所、属国の姿ではないか

加羅というものの政治形態を勉強してから言え。
彼らが「加羅」という連盟を形成する前に、日本には邪馬台国を
代表とする地域大国が形成されていた。
もちろん同じ連合政権だがその結合度は違っていた。
いくら鉄器や馬を持っていたとしてもアステカやインカのように
棍棒で戦ったり扶余を神と崇めたりしたわけではないから負けた
りはしない。
鉄の見返りに「保護」を頼んだんだろう?
兵士を提供したというのは新羅や百済に対抗するために軍事的な援助をした
と解釈できんか?

加羅の形成はいつだった?
邪馬台国はいつの時代だ?


177 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:02:41
>>173
あのな・・・・
>お前の言う「住民全てを動員できる体制」だ
>すこしでも農耕をやったらいけないのかな?

そのときの扶余はどこに住んでいる?
そのときの扶余の隣に何という国がある?
どんな武器を主としている?
285年に何があった?






178 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:03:31

激しいなw



179 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:05:45
プヨプヨ

180 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:16:17
扶余は支配する先々で、
その土地の墓制を採用するのなら、
何で伽耶を支配した時、
それ以前の狗邪韓国の墓制を採用しなかったのだろう。
本当に伽耶を支配したのか、はなはだ疑問だ。
倭に負けて隔離されてただけだったりしてw


>まあ、学者達は面白いことを言っている。それは、扶余からの鉄に対する倭の
>「輸出品」は「兵士」だったというのだ

その学者って韓国人だろ。
兵が足りなかったって事だよね。
扶余が弱かったと認めてるんだねw



181 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:44:56
>>簒奪説氏

扶余が河内王朝を簒奪したという根拠について、
移住した証拠があるのか?とあなたに聞いた。
それに対し、
「金海型の祭祀用土器が5世紀前半の大阪周辺の古墳から多数出る」
というのでは無理がある。
少なくとも4世紀前半〜中期に移住した根拠を示してくれなければ。

182 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:29:05
>>173
追記

匈奴はまんま騎馬民族。その兵力は大半が騎馬。
そして扶余は歩兵が主。
騎馬戦術?

お前が忘れているのか意図的に扱わないかは知らないが

1 日本側の状況
2 3〜4世紀の国際状況
3 高句麗

の三点を考えて欲しい

183 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:32:23
聖徳太子が東突厥人だったって説があるよね。
だから厩戸で夢殿はパオだってさw
じゃあ騎馬民族説もあながち間違いではない。

184 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:15:06
>>183
聖徳太子の母・穴穂部間人王后が、
ペルシャ系の八頭身美人で、
百済観音のモデルになったという面白い説もある。


185 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:30:12
すべて面白い説レベルだな。

186 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:41:40
河内平野から出る韓式土器を、
扶余の渡来の根拠にするのはやはり無理だな。

出土してると言っても、
韓式土器のみで構成されることはなく、
必ず在地の土師器に共伴している。
これはどういう事か…
文化的隔離がなかったという事だから、
伽耶から帰ってきた倭人がもたらしたと考えるのが適切だろう。



187 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 13:45:47
>>174
>扶余の遺物ばかりではないぞ。古墳は

ほう、「扶余の遺物」を認めるのか。うれしいことだ。

>まずはイタリア史を少し勉強してこい

私が書いたことのどこがおかしいのか、指摘して見よ。
それができないのなら捨てぜりふなど言うな。

>バカが 「征服王朝」だろうが。シチリア王国は。

征服王朝であればその始まりが個人単位の傭兵ではいけないのか。
シチリヤ王朝で完結した征服事業も、始まりは個人単位の傭兵だった、だから
当初から現地語を使わざるを得なかった、という話をしているのだよ。
征服者の言葉と現地語との関係の一つの例として。

188 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 13:51:08
>>175
>加羅の日本征服を立証したいわけではないのか?

どういえばわかってもらえるのか。
この議論は、#4の、「なぜ古代の天皇家は(百済などと違って)日本語
を使ったのか」という設問から始まっている。
つまり古代の天皇家が一般民と同じ「日本語」を使ったことが、騎馬民族が
来なかった証拠、というわけだ。
私に言わせればこの設問自体がおかしいのだ。なぜならそれは、「古代の日本語」
ないし言語状況が分かっている、ということを前提にしているからだ。
しかしその前提は、後世の万葉集などによって我々が持つ錯覚に過ぎない。
古代、例えば5世紀の日本語がどんな言葉だったか、それを知る「同時代資料」
はない。資料があっても全て漢文であって日本語を伝えない。いわんや天皇が
どんな言葉をしゃべったか、知る手だてはない。
だから上記の設問は「成り立たない」。私はこのことを言っているのだ。

古代に、あれだけ大きな動乱、変動、流入があって、言葉が影響を受けなかった
はずはない。むしろ古代は日本語そのものの「形成過程」であったと私は
思っている。そのなかでどんなことがあったかわからないし、どんなことが
あってもおかしくないのだ。

189 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 13:55:11
>>175
>そのソースを教えてくれないか? いくら探しても「加羅の装甲騎兵」が見つからん

私も探してみたが現在、ネットではあまり資料がないね。
次の二つの本にくわしい:「伽耶と古代東アジア」「巨大古墳と伽耶文化」。
また私が#46で示した金海のほうのURLに騎馬土偶の写真がある。残念ながら
銅像と模造品で、展示物そのものではないが、イメージはわかる。
また韓国の金泰植という人の書いた「4世紀の韓日関係史」というpdf資料
に、高句麗、百済、倭、伽耶の武装を比較しており、伽耶が武器において百済、
倭より進歩していて、4世紀後半には「重装騎馬戦術」を持っていた、と
書いている。ただしこの人は扶余征服の立場に立つ人ではないから、なぜそう
なったかの説明はない。

190 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 13:59:02
>>175
>コルテスはアステカと敵対していたトラスカラ人と同盟し さらに追加の
>スペイン兵・インディオの5万余りの「大軍」 でアステカを征服したが?

トラスカラ人を加えた大軍だったことはその通りだが、個々の局面で騎兵が
働いているのだ。第一次のメキシコ(アステカ)市占領の時、コルテス軍は市民
の反乱にあって、兵力の半分を失ってメキシコ市から撤退した。そしてトラスカラ
の勢力圏に逃げる途中で約1万の追撃軍に捕捉された。このときコルテスには、
疲れ切った約400人の歩兵と23頭の馬、それに7丁の銃という兵力しか
なかった。
コルテスは歩兵に陣形を組ませて防ぐ一方で、騎兵には遊撃して敵の将校を
ねらうように命じた。そして長時間の戦闘の後、遂にアステカの司令官が騎兵に
殺されたことで戦闘は終わった。
このとき騎兵がいなかったら、コルテスは終わっていただろう。

>>176
>兵士を提供したというのは新羅や百済に対抗するために軍事的な援助をした
>と解釈できんか?

李氏朝鮮は、清国が満洲でロシヤ人と戦ったとき、清国に要求されて200人の
鉄砲隊を送った。このことを韓国の歴史教科書は「ロシヤ戦役」と称して2頁
を使って誇らしげに書いている。立場によって見方が変わる例だ。

>>177
>そのときの扶余はどこに住んでいる?

お前の得意な高校世界史に書いてあるだろう。
それより、扶余が国民皆兵の戦闘的な民族であったことは納得したのか?


191 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 14:11:36
>>180
>何で伽耶を支配した時、
>それ以前の狗邪韓国の墓制を採用しなかったのだろう。

大枠で言えば採用している。
扶余はそれまでの狗耶韓国の王墓である木郭墓を破壊して、その真上に
扶余式の木郭墓を築いた。
つまり、丘の上の集団墓地であること、塚のない木郭墓であること、
においては狗耶韓国を踏襲している。

>>180
>その学者って韓国人だろ。

その通りだが、その説が出た座談会に出ている数人の日本人学者がだれ一人反対
していない。


192 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:30:10
>>187
>ほう、「扶余の遺物」を認めるのか。うれしいことだ。

扶余系統の遺物が見つかってもそれが騎馬民族征服説の論証には
ならんがな。

>私が書いたことのどこがおかしいのか、指摘して見よ

シチリア王国が「傭兵集団の勢力拡大」によってなされたという点だ

>征服王朝であればその始まりが個人単位の傭兵ではいけないのか

何度言えばわかる?
ノルマンディーの騎士が軍を率いて征服したと

193 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:32:56
>>188

長々と書いてもらってすまないんだが


同時代の資料がない=扶余の言語的影響の可能性もわからない
=扶余が日本を征服したのかわからない

ってことだよな?
結局は

194 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:53:02
>>190

>このとき騎兵がいなかったら、コルテスは終わっていただろう

当時のアステカ兵の装備はどうだった?

>李氏朝鮮は、清国が満洲でロシヤ人と戦ったとき、清国に要求されて200人の
 鉄砲隊を送った

簡潔に言えば、時代状況が異なる。
強大な国が弱小な国に兵力供出を命令する事と
強大な国が弱小な国に兵を提供することは同じではない。

>お前の得意な高校世界史に書いてあるだろう。
 それより、扶余が国民皆兵の戦闘的な民族であったことは納得したのか

だからな・・・・
中国で言う三国時代において、彼らは「満州」に住んでいた。
南は高句麗、東は邑婁、西は鮮卑に接する。
さらに後には公孫氏の配下にもなっている。
このような状況で「騎馬民族の形態のまま」どうやって南に
移動できたんだ?
3〜4世紀のおいて、この地域の大国であった高句麗の領土を
通って南方へ行けたのか?

つまり、「戦闘的な騎馬民族形態」で「集団で」南方へ移住できたのか
ということだ。
お前の好きな「傭兵」になって百済や新羅で勢力を拡大したなら話はわ
かるんだが

195 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:55:05
>>191
>その通りだが、その説が出た座談会に出ている数人の日本人学者がだれ一人反対
 していない。

その日本人教授たちが反論していないからその説は日本人の中で
説得力を持つと?
ずいぶんと学会に影響力を持つ教授達だったようだな



196 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 20:01:00
その座談会に出ていた数人の日本人学者が、
今、騎馬民族説に賛同してるのか聞いてみたいが。
それと、その座談会に居た韓国の申という教授は、
騎馬民族説は日本にはあてはまらないと言ってたよね?

197 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:24:24
WikiのKofunPeriodで悪質なヤツがとっ捕まったみたいだね。
悪質行為が続けば、韓国人が執筆しているというだけで、
信頼性がなくなるそうだよ。

この辺が潮時、手の打ち時だとは思わんか?

198 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 05:01:06
>>166 宮崎市の生目(いきめ)古墳群1号墳(墳長130メートル)

これは邪馬台国のイキマの墓か。



199 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 08:40:44
>>198
日向の場合は、古墳の年代を特定する土器など出土が少ないらしい。
したがって年代特定に苦労するらしいが、
もしかして畿内より古い古墳もあるかもね。

何より『記紀』という強い文献史学的裏付けがあるからな。

200 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:24:25
騎馬民族説をまだ信じている人間がいるとは‥‥
しかも、どうしても征服があったことにしたいという願望が
先に立っているようにしか見えないところがまた何とも‥‥

201 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:52:13
伽耶において、扶余が倭に優位な立場にあったとしても、
それは一時的なものだろう。
まぁ少軍の悲しさというべきか。

騎馬戦術なんて、ないよりある方が良い程度のものだろうし、
大和は扶余なんぞひとひねりで潰せただろうが、
そうしなかったのは、扶余系が支配する百済との関係を重んじたからだろう。
つまり伽耶も百済も大和も連合して高句麗に対峙してたのだろう。

扶余と大和の関係で、
ここで言われてるコルテスやノルマンジーや何だの話出されても意味ないと思うんだな。

202 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:08:07
>>192
>シチリア王国が「傭兵集団の勢力拡大」によってなされたという点だ

「傭兵集団の勢力拡大」というのは私の表現ではないが、「傭兵からのし
上がった複数のノルマン人領主が南イタリヤを支配し、さらにその一部が
シチリアを征服してシチリア王になった」と言う意味なら、その通りだが。
それのどこがいけないのかな?

>何度言えばわかる? ノルマンディーの騎士が軍を率いて征服したと

だからその「ノルマンディーの騎士」の、イタリヤにおける最初の経歴が
傭兵であってはなんでいけないのか、と言っているのだ。
実の所、すんなり傭兵になれた人は幸せだったのだ。お前の挙げたロベール・
ギスカールも一時は弟のロジェール(後のシチリア王)といっしょに山賊を
やっていたというくらいだ。

203 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:12:36
>>193
> 同時代の資料がない=扶余の言語的影響の可能性もわからない
>=扶余が日本を征服したのかわからない

私の言っていることは「設問が成り立っていない」ということだけだ。
「日本語から扶余の征服が証明できる」とは、最初から言っていない。

とは言っても、言葉の問題で少しでも扶余征服説にとって有利なことはないか
といえば、例の高句麗語数詞の一件がある。
高句麗語地名のなかに現れる三、五、七、十にあたる数詞が日本語の「みつ、
いつ、なな、とを」と一致する、と言われる。

>>194
>強大な国が弱小な国に兵を提供することは同じではない。

面積が広く、人口が多く、経済力が大きければ「強大」だとは限らない。
もう一つの要素は軍事力だ。
現に、面積、人口、経済力において比較にならない大国である明国が満洲に
負けたではないか。

>このような状況で「騎馬民族の形態のまま」どうやって南に
移動できたんだ?

馬に乗って行けば「騎馬民族の形態のまま」行ったことになるではないか。
まあそれは別として、鮮卑に敗れた扶余はいったんヨクソに逃れている。
その後一部は故地に戻って西晋の傀儡国になったが、ヨクソから南へ行った
別の一派がいたのだろう。ヨクソからは海岸づたい、または船で、伽耶へ行ける。
いずれにしても「どうやって行ったか」よりも「実際に来た」という考古学的事実
のほうが優先する。

204 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:17:54
>>195
>ずいぶんと学会に影響力を持つ教授達だったようだな

だれがそんなことを言った? 私は、伽耶に関係するが騎馬民族説ではない数人の
日本人学者が、兵士輸出品説に反対しなかった、という事実を言っただけだ。

>>196
>その座談会に出ていた数人の日本人学者が、
>今、騎馬民族説に賛同してるのか聞いてみたいが。

多分、ひとりもいない。

>その座談会に居た韓国の申という教授は、
>騎馬民族説は日本にはあてはまらないと言ってたよね?

申教授が言ったのは、一つは騎馬民族説は伽耶までは成り立つ、ということ。
もう一つは扶余が日本まで行ったかどうかは判断保留する、ということだ。
その理由は木郭墓が出ていないことだ。
しかし私に言わせればこの考え方はおかしい。なぜなら扶余は高句麗、百済では
木郭墓を築いていないからだ。

205 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:52:42
>>204
扶余の木郭墓の影響を受けたかもしれないのは、
隼人の地下式墳墓だけどね。
ただ地下というだけで木郭ではないけども…

あなたが扶余が来た証拠と言ってた、
河内の伽耶的(韓式)土器だけど、
あのあたりの首長墓は横穴式だ。
扶余という民族を特定できるものではないと思うなぁ。

206 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:12:59
5世紀から古墳が巨大化する背景に、
潤沢な鉄があったのは言うまでもないと思うが、

扶余「高句麗が怖い。援軍してくれないか?」
大和「その代わり、鉄は思う存分いただきますよ」

ではないのか?w

207 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:29:37
大和「なんとか鉄を売ってくれないか?」
扶余「売ってやりたいが、買い手は他にもいるのでね。
まあ、どこかに土地をくれたら売ってやってもいい。」

208 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:35:46
>>207
それはおかしいな。
扶余が高句麗におびえてるという観点が抜けてる。
鉄はやるから援軍たのむが正解だろうw

209 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:55:21
>>207
それと鉄の交易を通じ、
大和と同盟し、高句麗対策が一応できたのなら、
扶余は日本に土地なんて要求しないって。
人間学的に考えてみ。
故郷に帰りたいのが人情だよ。w

210 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:37:37
それと、好太王碑なんだが…
何故あんなに遠くまで追いかけたのだというのが、
我々日本人の正直な感想だな。
扶余が絡んでたからではないだろうか。
どさくさにまぎれて扶余は故郷に帰ってたりしてw

211 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:48:32
>>202
>だからその「ノルマンディーの騎士」の、イタリヤにおける最初の経歴が
 傭兵であってはなんでいけないのか

お前は何故「傭兵」から離れられない?
彼らは「騎士」であり、ノルマンディーからはるばる旅をして
征服したのだ。
まあ最も、傭兵になるものもいたかもしれんがな。


212 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:55:17
>>203
>高句麗語地名のなかに現れる三、五、七、十にあたる数詞が日本語の「みつ、
 いつ、なな、とを」と一致する

高句麗も「扶余系統」だったが?対立はしていたが。
扶余が日本を征服し、そのために高句麗と日本とに類似の単語があるならば
なぜに扶余が征服した朝鮮と日本に共通の単語が見られない?

>現に、面積、人口、経済力において比較にならない大国である明国が満洲に
 負けたではないか。

清のように「強力な指導者」と「強固な体制」があればの話だが。

>馬に乗って行けば「騎馬民族の形態のまま」行ったことになるではないか

ほう
「騎馬民族の高句麗の領土」を無断で横断したのか。大集団で。
高句麗もよく我慢できたな。

>ヨクソからは海岸づたい、または船で、伽耶へ行ける

ほう、辰韓は無視したのか。
百済と日本は征服したのに。

213 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:59:13
>>203

>考古学的事実 のほうが優先する。

確かに「扶余文化」の影響は見られるが
騎馬民族征服説の裏づけは発見されていないな

>>204

ふと気付いたんだが
>兵士輸出品説

なぜ軍事的に弱いところから兵士を取る必要がある?



214 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:16:52
兵士輸出品説 って論理矛盾だなw

215 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:45:19
>>211
>彼らは「騎士」であり、ノルマンディーからはるばる旅をして
>征服したのだ。 まあ最も、傭兵になるものもいたかもしれんがな。

お前の言う「騎士」と、私の言う傭兵とは相反するものではない。
たしかにノルマン人たちは故郷で騎馬戦闘の技術を習得していたが、その身分は
南イタリヤくんだりまで来ればただの「素浪人」だ。
だから彼等が南イタリヤで出世するためには、まず既存の領主に、プロの戦士
として雇ってもらうしかなかった。雇うほうは、彼等の騎馬戦闘者としての能力が
めあてだ。それが当時の戦力の中核だったからね。
つまり傭兵と言っても「騎馬傭兵」だったのだ。

216 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:51:09
>>212
>なぜに扶余が征服した朝鮮と日本に共通の単語が見られない?

朝鮮と日本に「共通の単語が見られない」ことはない。少ないだけだ。
「扶余語の単語」という意味なら、それを言う前に、扶余系の高句麗語は滅びて
しまったではないか。
つまり朝鮮と日本ではその後の歴史的環境が違うから比較できない。

>「騎馬民族の高句麗の領土」を無断で横断したのか。大集団で。
>高句麗もよく我慢できたな。

そのように考えるのもまた近代国家の過去への投影だ。
高句麗の領土だと言っても、それはぽつんぽつんとある城市なり集落国家が
高句麗に服属しているということに過ぎない。

>ほう、辰韓は無視したのか。 百済と日本は征服したのに。

百済は別の扶余一派が建国した。新羅は周辺伽耶諸国と同様に、金官建国後は
金官に服属していたと思う。
扶余が新羅をバイパスして、まっすぐに鉄産地の狗耶韓国を目指したのは良い
戦略だと思わないか?

217 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:55:47
>>213
>確かに「扶余文化」の影響は見られるが 騎馬民族征服説の裏づけは

ほう、君は「扶余文化受容」説なのか。
では狗耶韓国が「殉死」の風習まで「受容」した動機を説明してもらいたいね。

>なぜ軍事的に弱いところから兵士を取る必要がある?

兵士輸出品説は申教授が言ったことであって私の説ではない。
それから言っておくが、倭の軍事力が弱いというのは、民族性のことを
言ったのではない。軍事技術が遅れていた、という意味だ。

218 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:54:42
軍事技術は遅れていたかもしれないが、
大和は多軍だしね。
扶余ごときに領地を要求されるほど、
弱くは無いわな。

219 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:16:01
>>212
>清のように「強力な指導者」と「強固な体制」があればの話だが。

なるほど、「強力な指導者」と「強固な体制」があれば小国が大国を倒せるのか・・・
なんか、簡単そう!

220 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:45:27
>>219
ところで扶余における「強固な体制」とは何なのだろう?

221 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:16:03
国民皆兵制度のことじゃないの?

222 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:37:35
>>215
>つまり傭兵と言っても「騎馬傭兵」だったのだ

なるほど、「扶余は傭兵集団であり、剽悍な民族性のままではなかった」
と。


223 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:43:55
>>216

>つまり朝鮮と日本ではその後の歴史的環境が違うから比較できない。

ならばとっくに滅びた高句麗語も日本語と比較できないな。
なんせ「高句麗滅亡時までの日本との歴史的環境が」
異なるからな。

>そのように考えるのもまた近代国家の過去への投影だ。
 高句麗の領土だと言っても、それはぽつんぽつんとある城市なり集落国家が
 高句麗に服属しているということに過ぎない

ほう
せっかく支配した城址なり集落国家に扶余が「大集団」で近づいた「情報」も
高句麗は得なかったわけだ。都市の住民は一体何を食べていたのだろうか?
「扶余迫る」の情報も得たとして、高句麗が扶余の移動を警戒しなかったのか
それほど無用だったのか。楽浪郡の跡地は。



224 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:50:52
>>216
>新羅は周辺伽耶諸国と同様に、金官建国後は 金官に服属していたと思う。

ほう・・・
そのような事実は見られないが?
可能性としてはありえるだろうが、根拠が無ければな・・・

>百済は別の扶余一派が建国した

何度も言っている通り、扶余が支配者だったならばなぜにその王家は
扶余系統ではない?
反乱でも起こしたか?
新羅だけ特別なんだな



225 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:53:12
>>217

>では狗耶韓国が「殉死」の風習まで「受容」した動機を説明してもら
 いたいね。

お前の言うとおり「傭兵」として伽耶諸国に来た彼らの風習が受け入れ
られたとは考えれないか?

>軍事技術が遅れていた

今の世の中なら小国が大国を打ち負かせるだろうな。
軍事技術の優位性によって。

226 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:56:05
>>220

要は大規模な遠征ができるほどに国内を結束させられる体制だ。

>>219
>「強力な指導者」

例えば広開土王のような者。
それだけの人物がいたなら中国の歴史書にも書かれるハズだが・・

227 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:43:34
>>226
国内って
元々ばらばらの寄り合い所帯じゃないか
それが滅びた原因でもある
実に不安定な体制だ

228 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:48:02
>>227

それをまとめられるやつが出て体制を作り上げるんだよ

229 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:18:43
>>228
これから作り上げるんだ
まとまらないんで既に滅亡しましたがw

230 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 10:48:16
>>224
>扶余が支配者だったならばなぜにその王家は
>扶余系統ではない?

百済の王家は、余豊璋(よほうしょう)や余禅広(ぜんこう)
なんて居るんだから扶余系だろう。
これは認めなきゃ。

231 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 12:26:27
>>229
そこが扶余日本征服説の盲点だ
>>230
オレは新羅の事を書いているつもりだが

232 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:04:38
>>222
>なるほど、「扶余は傭兵集団であり、剽悍な民族性のままではなかった」 と。

ごっちゃにするな。ノルマン人の話だ。
それは別として、お前は「南イタリヤのノルマン人は傭兵だから、剽悍なバイ
キングのままではなく、弱かった」と思っているのか?

>>223
>ならばとっくに滅びた高句麗語も日本語と比較できないな。

意味不明。滅びた言葉が比較できないのは当たり前だが。

>「扶余迫る」の情報も得たとして、高句麗が扶余の移動を警戒しなかったのか

武装集団が単に領域を「通過」しただけではっちゃきになっただろう、というの
がすでに「近代国家の過去への投影」だ。
いずれにしても、「どうやって来たか」よりも「実際に来た」という考古学的
事実が優先する。

233 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:07:54
>>224
>可能性としてはありえるだろうが、根拠が無ければな・・・

可能性としてあり得ると考えるようになっただけでも、大きな進歩だよ。
扶余の民族性や金官の軍事力についてお勉強した成果だ。

>何度も言っている通り、扶余が支配者だったならばなぜにその王家は
>扶余系統ではない?

百済の王家が扶余であることは知っていると思うが、新羅の話か?
新羅が「服属していただろう」というのは新羅の王が金官に臣従するという
だけで、新羅王家は存続するのだよ。

>>225
>お前の言うとおり「傭兵」として伽耶諸国に来た彼らの風習が受け入れ
られたとは考えれないか?

扶余が「傭兵」として伽耶に来た、というのはお前が考えた新説だ。
しかしその場合は、狗耶韓国人の金官王が何故に、物好きにも傭兵ふぜいの
風習を真似したのか、その動機を説明しなければならないのは同じだ。

234 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:10:11
>>219
>それだけの人物がいたなら中国の歴史書にも書かれるハズだが・・

「中国の歴史書」を書くべき主体の「中国」がこの時代には存在しない。
だからこそお前の好きな広開土王の南鮮侵攻も「中国の歴史書」に書かれ
なかったのだ。

235 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:15:19
扶余日本征服説って
韓国の記紀や、日本や中国の記紀にも
日本の任那日本府説が有力になるような記述の一致があるから
韓国側が苦し紛れに言い出した珍説だろう?
近年の前方後円墳の発見とかでも
任那日本府説を裏付けるような発掘があったりして...

この辺の歴史問題を研究するのには、日本と中国の協力が必要だよ。

今度、歴史共同研究を日本と中国がやることになったんだけど
今まで、日本と中国の共同研究とかいうのは、政治的に対立する
近代ばかりだったんだけど、
中国側から前近代や現代も提案してきたのが味噌だと思う。

はっきりいって、古代史の研究というのは
日本と中国には対立関係ない。
というか、古代史に研究は、日本・中国VS韓国なんだよ。

中国の教材では、任那日本府が多く取り上げられている。

236 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:56:42
>>232

>ごっちゃにするな。ノルマン人の話だ。
 それは別として、お前は「南イタリヤのノルマン人は傭兵だから、剽悍なバイ
 キングのままではなく、弱かった」と思っているのか?

騎馬民族の強みは「いつでも戦争ができる体制」と言った筈だ。
傭兵になって南朝鮮に来たからには「都市生活」をするしかないだろう。
バイキングとは違うものだな。

>意味不明。滅びた言葉が比較できないのは当たり前だが

自分で言ったことを否定しているのか?

>しかしその場合は、狗耶韓国人の金官王が何故に、物好きにも傭兵ふぜいの
 風習を真似したのか、その動機を説明しなければならないのは同じだ

お前の考えは現代を中心にしている。
古代においてはいかなる種族の風習でも採用する場合があった。

>いずれにしても、「どうやって来たか」よりも「実際に来た」という考古学的
 事実が優先する

その「事実」を裏付けるものが「推測」でしかない事に気付いているか?


237 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 23:01:03
>>233
>可能性としてあり得ると考えるようになっただけでも、大きな進歩だよ

喜んでいるところ悪いんだが
1「高句麗」の領土を通過できた
2南朝鮮を征服した
3日本にその証拠がある

場合で「可能性がある」と言ったんだが?

>新羅が「服属していただろう」というのは新羅の王が金官に臣従するという
 だけで、新羅王家は存続するのだよ。

文脈で読めばそうなるよな。やっぱり・・・
まあいい
新羅王家が存続して百済王家が滅亡したのは何故だ?
お前の言うとおり扶余が「海岸沿い」に来たならば
新羅のほうが影響が大きいはずだよな?


238 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:42:18
>>232
日本を騎馬軍団で制圧することなど出来ない。
西暦13世紀のモンゴル軍ですら、
日本へ遠征する時は、歩兵中心でやってきた。
日本の国土を見れば、モンゴル高原のような
騎馬軍団主体の戦は無理だからだ。

239 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:52:38
>>232
中国の歴史家・考古学会でも
韓国の捏造癖に対して批判が強まっている。


240 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 13:00:04
中国の考古学会も
任那日本府説を支持しているな。



241 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:22:54
中国もどうかとは思うが、資料も無いのに願望を押し通す韓国は
、少し思いとどまった方がいいと思う。

馬鹿げた論争が延々として続く事になりかねない。

242 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:33:14
>>235
>近年の前方後円墳の発見とかでも
>任那日本府説を裏付けるような発掘があったりして...

それは誤り。任那日本府があったとされる安羅の松鶴洞古墳は一時、前方後円墳
と言われたが最近の発掘で円墳が連なったものであることが確認された。
逆に半島西南部には5世紀以降の前方後円墳11基(?)が確認されている。
これは百済に割譲したことが日本書紀にも見える、倭の植民地だろう。

>韓国の記紀や、日本や中国の記紀

記紀というのは古事記+日本書紀のことだ。

243 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:37:56
>>236
>騎馬民族の強みは「いつでも戦争ができる体制」と言った筈だ。
>傭兵になって南朝鮮に来たからには「都市生活」をするしかないだろう。

「都市」とはどんなもののことを言っているのか知らないが、狗耶韓国は満洲の
扶余本国よりも「都市」だったのか? 

>バイキングとは違うものだな。

バイキングの末裔のノルマン人は南イタリヤを征服するほど強かったが、彼等は
「都市」に住まなかったのかな?

>自分で言ったことを否定しているのか?

私が否定した「自分で言ったこと」とはどの発言のことか?

244 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:46:20
>>236
>古代においてはいかなる種族の風習でも採用する場合があった。

なるほど、狗耶韓国人の金官王は扶余傭兵の真似をして殉死を採用したのか。
では、その狗耶韓国人の金官王が、先代の王墓を破壊してその真上に自分の王墓
を築いたのは何故か?

>その「事実」を裏付けるものが「推測」でしかない事に気付いているか?

発掘物に基づいて結論することが「推測でしかない」なら全ての考古学は
「推測でしかない」。

>>237
1「高句麗」の領土を通過できた 2南朝鮮を征服した 3日本にその証拠がある
場合で「可能性がある」と言ったんだが?

それなら扶余が河内王朝を建てたというのも「可能性がある」わけだ。

>お前の言うとおり扶余が「海岸沿い」に来たならば
>新羅のほうが影響が大きいはずだよな?

だから扶余に鍛えられて、百済より生き延びたのだろう。
それは別として、新羅は外部勢力を利用するのがうまかった。引き入れて
利用して、その後追い出す。その気風は現在の半島にも受け継がれているようだ。

>>238
>日本の国土を見れば、モンゴル高原のような騎馬軍団主体の戦は無理だからだ。

「モンゴル騎馬軍団」は要らないが「騎兵」は日本でも有効だ。
義経の鵯越え、そして屋島の戦いを見よ。

245 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 22:46:44
おまえよりにもよって平家物語。
あれは歴史書か?

246 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 00:08:02
そう熱くなるな
源氏物語よりはマシだ。

247 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 08:40:45
伽耶を扶余が支配したとして、
さぁその後が問題だ。

248 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:14:54
>>243

>「都市」とはどんなもののことを言っているのか知らないが、狗耶韓国は満洲の
 扶余本国よりも「都市」だったのか? 

どうやら思い違いをしているらしいな。
「騎馬民族の体制を続けたまま」一つの国家に「傭兵」としてもしくは
「支配者」としていられたのか?
上から下まで戦時に全て徴用できる体制なぞ「農耕社会」でできるのか?
しかも「国家体制が」完備したところで

>バイキングの末裔のノルマン人は南イタリヤを征服するほど強かったが、彼等は
「都市」に住まなかったのかな?

もう一度俺の文章を読み直せ

>私が否定した「自分で言ったこと」とはどの発言のことか?

これのことだ
「言葉の問題で少しでも扶余征服説にとって有利なことはないか
 といえば、例の高句麗語数詞の一件がある。
 高句麗語地名のなかに現れる三、五、七、十にあたる数詞が日本語の「みつ、
 いつ、なな、とを」と一致する、と言われる」

古代に滅びて比較できないものが扶余征服説に使えるのか?

249 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:29:06
>>244

>なるほど、狗耶韓国人の金官王は扶余傭兵の真似をして殉死を採用したのか。
その狗耶韓国人の金官王が、先代の王墓を破壊してその真上
狗耶韓国とは魏志倭人伝の中にしか出てこない国だが・・
しかも何故扶余の墓制の採用と加羅の王が先代の墓を破壊する事が結びつくの
か分からない
>発掘物に基づいて結論することが「推測でしかない」なら全ての考古学は
「推測でしかない」。
わからんようだな
お前の論は「扶余が日本を征服したに違いない」という「推測」を根拠に
進めているということだ
事実を見ていないということだ
>だから扶余に鍛えられて、百済より生き延びたのだろう
ほう
加羅が征服したにも関わらず王はそのままだったと?しかもその後
扶余を利用したと?
ずいぶん都合のいい話だ。
>引き入れて 利用して、その後追い出す。その気風は現在の半島にも受け継
 がれているようだ。
有史以来中国に搾取され続け
近年はアメリカとソ連の各々の防波堤とされている朝鮮が
外部勢力を利用するのが上手い?
李朝末期にはまさしく右往左往していたが・・・

250 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:29:26
>>248
>上から下まで戦時に全て徴用できる体制なぞ「農耕社会」でできるのか?

例えば満洲族がそれだ。「八旗」は国民皆兵の制度だ。
ただし満洲族の「農耕」はじぶんでやるのではない。拉致して来た中国人などを
農奴として使ってやらせるのだ。
扶余もそれだったろう。「下戸とは奴婢である」と書いてあるのがそれを思わせる。
因みに扶余に関する中国語の資料で、扶余のことを「奴隷制国家」と書いてあるの
があった。
好太王碑にも、半島南部に侵攻した高句麗軍が一村まるごと北へ連れて行くくだり
があったと思う。徳を慕ってついて来たように書いてあるが、これも「拉致」で
あろう。
「農耕」と「国民皆兵」とが両立する体制とはこのような姿だ。

251 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:41:12
続き:
>古代に滅びて比較できないものが扶余征服説に使えるのか?

お前は「比較できない」を取り違えているのだ。この議論はお前の:
>扶余が日本を征服し、そのために高句麗と日本とに類似の単語があるならば
>なぜに扶余が征服した朝鮮と日本に共通の単語が見られない?
から始まっている。要するにお前は、日本語の数詞に扶余語/高句麗語の影響
が見られるのならば、同じく扶余に支配された朝鮮にもそれが残っているはずだ、
と言いたいわけだ。

それに対して私が言っているのはこういうことだ。日本語は古代において色々な
要素が混じり合って成立したと思われるが、いったん成立した後は、重大な外的
撹乱を受けなかった。だからその後の日本語の変化は言語の自発的な自然の変化
であった。
それに対して半島の言語はどうか。白村江戦以降に新羅が半島を統一し、それに
応じて新羅語をもとにした言語が成立するとともに、それ以外の言語は滅びて
しまった。新羅は独立心が強い傾向だったから、もともと扶余語/高句麗語の要素
は少なかった。だから半島に扶余語/高句麗語の影響があったとしても、この時点で
ほとんど消滅しただろう。
現代語につながる言語の成立は半島の方が日本よりはるかに遅かったのだ。
しかもその後も、蒙古による徹底的な支配などがあって、朝鮮語は外乱を受け
続けた。
このように両言語の「歴史環境」が違うところで、それぞれの言語における特定の
言葉の残り方を比較して「扶余の支配」を論ずることは無意味だ。
私の「比較することはできない」はこのような意味だ。

252 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 13:44:52
>>244
>狗耶韓国とは魏志倭人伝の中にしか出てこない国だが・・

狗耶韓国とは鉄を産する狭義の任那の別名だ。金官国の前が狗耶韓国なのだ。

>しかも何故扶余の墓制の採用と加羅の王が先代の墓を破壊する事が結びつくの
>か分からない

手間がかかるな。金官の扶余式の木郭墓は、狗耶韓国の王墓を破壊してその
真上に築かれている。
だから、お前の言うように狗耶韓国が扶余から「文化受容」したのならば、
金官時代の狗耶韓国人の王は、墓制を扶余式に改めるととともに、先代の
(狗耶韓国の)王墓を破壊したことになるのだ。

もういちど聞こう。なぜ狗耶韓国人の金官王は先代の王墓を破壊したのか?

253 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 13:47:28
>>244
>お前の論は「扶余が日本を征服したに違いない」という「推測」を根拠に
>進めているということだ

お前の論は「扶余が日本を征服したはずがない」という「推測」を根拠に
進めているということだ。

>加羅が征服したにも関わらず王はそのままだったと?

私が書いたことに沿って言えば、扶余が加羅(狗耶韓国)を征服して金官を建て、
新羅および周辺伽耶諸国を服属させた。
だから新羅および周辺伽耶諸国の王は存続した。
別に当たり前のことだが?

>しかもその後扶余を利用したと?

文脈を考えろ。新羅が外国勢力を利用したのだ。はじめは倭/金官に対して
高句麗を引き入れて利用し、次は倭/百済に対して唐を引き入れて利用した。

>近年はアメリカとソ連の各々の防波堤とされている朝鮮が
>外部勢力を利用するのが上手い?

北朝鮮はまさに外部勢力の利用によって生きている國だ。

254 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:01:08
日本経済新聞 朝刊 2006年12月13日 文化面

山の地名 足で解読
◇チベット語やアイヌ語に由来? 各地を歩き研究◇   
古川純一(ふるかわ・よしかず=登山家)

足柄を発音した時の最後の「ラ」は峠を意味するチベット語に由来し、浅間山の「アサ」は
煙を意味する古代メソポタミアのウル語からきている。

ヒマラヤ登山に挑戦したとき、現地のネパール人の、「名前」のことを「ナム」と言う一言が
気になり、チベット語と日本語のルーツにつながりがあるのではないかと思って30年以上
に及ぶ研究を始めた。

チベット語の辞書や入門書を眺めていて、日本の地名に多くの共通点があることに気付いた。
たとえば、倶利伽羅峠(くりからとうげ)。「峠」は中国にはない和製漢字だが、チベットでは
峠のことを「ラ」という。その他、神原峠、修那羅峠など、「ラ」のつく峠名は枚挙に暇がない。
金太郎伝説の足柄もそうで、「万葉集」などで「安思我良(アシガラ)」「阿之我里(アシガリ)」
などの字があてられ、「リ」はやはりチベット語で山の意味。

宮崎県高千穂町一帯には神話に出てくる地名が多く、それらがアイヌ語で解読できる。
例えば、槵触(くしふる)という地名がこの近辺に三ヶ所もあるが、アイヌ語で「クシ」は
「向こう」、「フル」は「丘」。つまり「クシフル」は「向こうの丘」という意味。現地で確かめると、
三ヶ所とも、川があってその向こうに丘がある地形。有名な高千穂神社も槵触の峯の中腹に
あった。

30年間の研究成果は「日本超古代地名解」(彩流社)に一度まとめたが、さらに内容を精査して
今後も地名の解明に努めたいとのこと。  (以上、内容抜粋)

255 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:02:12
>>254
江上波夫は槵触の「フル」は日本語では意味不明だが、朝鮮語では解読でき、
「ソウル」と同源だとして、騎馬民族説の論拠にしていたんじゃなかったか?
しかし、朝鮮語における「ナラ」や「ソウル」こそ語源が不明で、日本語に由来しているのだろう。
古川氏の方がよほど説得力がある。

256 :日本のななし:2006/12/15(金) 11:10:08
>>250

あのな・・・・
長々と満州族の例を話されてもな




傭兵としてきた民族が国民皆兵の体制でいられたのかということだ
理解できないのか?
雇い主の民族まで国民皆兵制にしたとは
カルタゴも驚きだな






257 :日本のななし:2006/12/15(金) 11:20:05
>>251
屁理屈をこねても何も出ないぞ
>それ以外の言語は滅びてしまった。

ほう新羅語に何の影響も残さずにか

>新羅は独立心が強い傾向だったから

真っ先に扶余の影響下に置かれたのにか?
新羅の独立心が強かったならば唐などの外部勢力の助けを借りてまで
百済や高句麗を滅ぼすなんてことがあるのか?

>現代語につながる言語の成立は半島の方が日本よりはるかに遅かったのだ

新羅の統一国家成立はそのまま日本の半島での権益喪失に繋がる。
新羅は百済。高句麗を滅ぼした時点で現代語の原型を完成させ
日本は百済を失ったことで外来の言語の影響を受けることは少なくなった
{もっとも、中国の文物の影響はあったがね}

確かにモンゴルの支配下で朝鮮語はモンゴルの影響を受けたが
なぜにそれが在来語の消滅を意味する?

258 :日本のななし:2006/12/15(金) 11:22:35
>>252

>狗耶韓国とは鉄を産する狭義の任那の別名だ。金官国の前が狗耶韓国なのだ。

句耶韓国と金官国の連続性は実証されてはいないが

>もういちど聞こう。なぜ狗耶韓国人の金官王は先代の王墓を破壊したのか?

斥前王朝って知ってるか?



259 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:23:52
日本語の氏(うじ)が、朝鮮語でウルで、
モンゴル語でウルクだとゆう説がある。

260 :日本のななし:2006/12/15(金) 11:27:14
>>253

>お前の論は「扶余が日本を征服したはずがない」という「推測」を根拠に
 進めているということだ。

日本の中に「扶余征服」の証拠が見られない以上「推測」といえるのか
どうかわからんな


>別に当たり前のことだが?

なぜ新羅を征服しなかったと何度も聞いているだろう
扶余の南下は何のためだったんだ?
新羅の領土を通っても何もしなかったのか?
王が命乞いをしたのか?
それで百済はしなかったのか?


261 :日本のななし:2006/12/15(金) 11:32:14
>>253
とんだ朝鮮人だな

>はじめは倭/金官に対して 高句麗を引き入れて利用し

要は新羅が日本に対抗できなかったから助けを求めた と

>次は倭/百済に対して唐を引き入れて利用した

そして唐に対して服属しその官制、服装までも唐風にして
後の属国化のさきがけとなった と

>北朝鮮はまさに外部勢力の利用によって生きている國だ

中国の強い抗議に折れて従ったこともあるがな


見方を変えればお前のような言い方もできるにはできる
が、結局は独りよがりだ。
中国も日本も「援助」した
新羅は「弱かった」
そして中国に「事大」した

この事実があるだけだ


262 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 15:23:59
>>261
要するに、諸大国がバランサーに振り回されたという事ですか?

263 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 15:29:27
まだ、こんなトンデモ説が信じられているのか?


264 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:59:52
>>254
【安本美典の説】

日本語については、
(1) 古極東アジア語をもととし、そこから朝鮮語、アイヌ語、日本語が別れた。
(2) 日本語には、江南系(ビルマ語)やインドネシア系が入り込み、(子音+母音)の
基本的音素の組合せや「葉」「目」などの短母音語が多くなった。

簡単に述べれば、以上のようになります。

他の研究者によれば、日本語はアイヌ語を参考にすれば分析できるという。一般的には、
朝鮮語、アイヌ語とは数千年前に別れたので、あまり共通する語彙はない。それ以降に
混じったビルマ語などに基本的語彙との共通語が見つかる。
http://blog.alc.co.jp/d/2000476?nid=20051025123425


ちなみに、ビルマ語は、シナ・チベット語族に属す。

265 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 00:17:37
鹿児島・上野原遺跡は9000年前。
その頃の日本語がアジアに派生したと考える人がいても良さそうなのに、
必ずルーツを海外に求めるんだね。
この凹的自虐思考は不思議だ…


266 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 06:13:15
>>263
このスレ見る限り、信じている奴なんていないだろ。
約1名、必死に信じ込みたがっている人がいるだけで。

267 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 09:24:46
牛って日本にいつ頃から来たのだろ。
牛歩って言うくらい鈍い動物だから、
平和でないと連れてこれないね。

268 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:16:53
縄文晩期に南方系の牛が半島経由で来たと聞いた事ある。
後は古墳時代に百済あたりからもたらされた牛かな。

269 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:40:49
>>266
悲しきチョーセンジン。

270 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 19:13:32
ウシという単語はモンゴル語uher,トルコ語okuz,朝鮮語soと関係があるらしい
ので北方系の単語だろう。

 ウマはシナ語ma,朝鮮語mal,モンゴル語morinなどでアジア共通起源らしい。

 騎馬民族が来たのならウマというのがシナ語起源というのは変だな。手綱や
アブミというのも純日本語で騎馬用語に共通語があるのだろうか。


271 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 21:53:44
>>256
>傭兵としてきた民族が国民皆兵の体制でいられたのかということだ

扶余が伽耶に「傭兵としてきた」というのはお前が勝手に言っていることだ。
私は「征服者として来た」と言っているのだよ。
征服者として伽耶に入った扶余は、自動的に狗耶韓国人という「下戸」を得た。
そして自分たちはその上に軍事組織を兼ねた支配階級を築くことができた。
これが「国民皆兵」だ。
「満洲族の話」はこのようにつながるのだよ。 理解できたかな?

272 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 21:57:48
>>257
>ほう新羅語に何の影響も残さずにか

何の影響も残さなかった、と誰が言ったのか?
なんらかの影響は残しただろう。しかし高句麗語が記録を残さずに消滅した
のでは、どれがその「影響」に当たるのかを知る手がかりがないではないか。

「手がかり」ということで念のため言っておけば、例の高句麗語地名から、
70語くらいの高句麗語がわかるらしい。しかしそれだけだ。
そしてこのなかに、例の数詞の他に地形を表す言葉でいくつか日本語に一致
するものがある。新羅語、朝鮮語との関連は知らない。

>新羅の独立心が強かったならば唐などの外部勢力の助けを借りてまで
>百済や高句麗を滅ぼすなんてことがあるのか?

独立心が強ければ必ず戦力も強いのなら、現在のチベット人、ウィグル人、
北アイルランド人、チェチェン人などの悲劇はなかっただろうよ。

>なぜにそれが在来語の消滅を意味する?

影響を受ければ消滅のチャンスも増える。日本語だって漢語の影響でずいぶんと
倭語が消滅した。我々は漢語を日本語の一部だと思っているから意識しない
だけだ。

273 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:01:04
>>258
>句耶韓国と金官国の連続性は実証されてはいないが

誰が「連続」していると言ったのか。 征服は不連続そのものではないか。

>斥前王朝って知ってるか?

まあ、そう言うだろうと思っていた。しかしその場合は、ある狗耶韓国人の
英傑が出て、それまでの王朝を倒し、どういうわけか新羅、高句麗を飛び越えた
かなたの扶余にかぶれて、騎馬技術を国内に広め、扶余式の武装の製造技術を
習得して軍備を扶余式に改め、扶余の祭祀を取り入れ(扶余式祭祀土器)、あげく
のはては斥前王朝を気取って従来の王墓を破壊して扶余式の墓を築き、殉葬まで
行った、という物語を想定しなくてはならない。
私の立場ならば全ては「征服」の一語で足りる。

274 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:06:52
>>260
>なぜ新羅を征服しなかったと何度も聞いているだろう

何度も答えただろう。王朝を存続させたまま臣従させるのも支配の一形式だと
いうことを。

>新羅の領土を通っても何もしなかったのか?

これも答えた。古代国家を単に「通過」するのはたいしたことではない。
それに新羅の領域は3世紀末ではまだちっぽけなものだ。無理に通る必要もない。

>王が命乞いをしたのか?

しただろうよ。日本書紀を読んで見よ。新羅の王が神功皇后に降伏するときは
みずから首に縄をかけ、手を後ろ手に縛っている。これは「命乞い」の姿だ。
これが中国式の降伏儀礼だったのだ。そして新羅王は許されて存続している。

まあ、神功皇后は架空だし、上記の日本書紀の記述は「中国の歴史書」の引き
写しだ。しかし少なくともこのような概念があったことを示している。
因みに上記の儀式は、近いところでは李氏朝鮮の王が満洲に降伏するときにも
行った。 そして李朝が存続したのは知っての通りだ。

275 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:08:29
>>261
>新羅は「弱かった」 そして中国に「事大」した

それは浅薄な見方だ。中国の正規軍を実力で半島から追いだすのは決して
「弱い」とは言えない。そして新羅はこれほど唐と対立していながら、追い出した
後には唐から册封を得ている。
これは、米国と武力対立しながら体制保障を求めている北朝鮮の姿を彷彿しないか?
それでもって本当に米国の体制保障を得たならば、それは一種の册封だ。

276 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:25:55
>>273
狗耶韓国を扶余が支配したとしてだ…
扶余は大和に対して威圧的態度に出れるほど
力の強い民族でもないよ。
大和と友好関係を保てなければ、
高句麗と大和に挟み撃ちだしな。


277 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:10:45
>>270
>ウマというのがシナ語起源というのは変だな。

残念ながらシナ語起源だよ・・
日本文化史の授業でもそのように聞かされたな。

278 :きのうのジョー:2006/12/17(日) 00:21:59
聖徳太子が突厥人だって主張してた学者がいたな。

279 :白馬青牛:2006/12/17(日) 00:35:35
ご無沙汰じゃったが、スレが進んどるのう。
>>274-275
新羅は、古墳や王冠等、高句麗、百済より北方遊牧民の影響が強い。
新羅も4世紀前後扶余でないにしても、北方外来者の征服王朝の可能性も
強いね。
新羅は統一後も弱くないのはその通り。新羅の海上交易や造船技術は
日本より優れておった。日本側も張保皐親分に頼らんとのう。
現代の北朝鮮との比較が成り立つかどうかは疑問じゃが。
>>276
扶余の玉匣>弥生倭人の玉壁で、扶余の格が倭人より上じゃろうね。

280 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:03:02
馬鹿が出た

281 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:36:13
【英雄】白馬青牛【軍神】
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1162041744/l50

282 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 06:21:06
夫餘(『穢王之印』を持つ)
邑婁(古之肅愼・白山部靺鞨)
高句驪縣(貊夷・諸韓國の臣智に邑君の印綬を加賜す)
東沃沮(漢初にありし燕亡人の衞滿王の朝鮮なり)
辰韓斯廬國(いにしえの辰國・言語は戸句麗に大同なり)

283 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 08:54:49
276氏の意見に対して、
「扶余の玉匣>弥生倭人の玉壁で、扶余の格が倭人より上じゃろうね。」
という意味がさっぱり分からない。

このコテハンさんはアホ?

284 :倭人:2006/12/17(日) 11:36:05
>>279
もう少し以前に遡ってレスを読んでください。
完全に、浦島太郎になっていますよ・・・・・

285 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:37:57
>>257
>新羅の独立心が強かったならば唐などの外部勢力の助けを借りてまで
>百済や高句麗を滅ぼすなんてことがあるのか?

#272で、上記の質問の主旨をすこし取り違えていた。
これは、「独立心が強いならば、そもそも唐などの外部勢力の助けを借りない
はずでなないか?」と言っているのだね。
それに対する答は:
助けに来た外部勢力を、用が済めばたちまち追い出しにかかるところに独立心が
現れている。

286 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:10:47
>>271
やっぱりそう言ってきたか。
何度説明すればいいのかね?
その「国民皆兵」の創造と資料に斉一性が見られないと
満州族もモンゴル族も実質的な「国民皆兵」制度を残したまま
中国に居住できたかね?

定住農耕社会を征服し、定住した騎馬民族は往々にして農耕民に
溶け込むのだよ。



287 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:16:05
>>272
>しかし高句麗語が記録を残さずに消滅した
>例の高句麗語地名から、 70語くらいの高句麗語がわかるらしい

たとえ僅かでも、日本語と関連性があるならば扶余説も説得力が
あるのにな。
いくら手がかりが少ないといっても皆無ではないのだろう?
それで「関連性がつかめない」などとはいえないな

>独立心が強ければ必ず戦力も強いのなら、

チベットやウイグル人と同じにするな。
彼らは「独立」のために戦っているではないか?
新羅はどうだ?高句麗や百済を滅ぼすために外部勢力と結託し、さらには
服属したではないか
言い訳に過ぎんよ


288 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:17:27
>>287
知ったかぶりすんな、このドアホ
貴様の低能ぶりには耐えられん


289 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:18:05
>>273

お前狗耶韓国ってどこにあったか知ってるか?
高句麗の影響を何故考えない?


290 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:19:38
>>289
教えてください

291 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:23:16
>>274
>王朝を存続させたまま臣従させるのも支配の一形式

何度も言っているのにいつもお前は話をはぐらかすな
百済が臣従せずに滅ぼされたのは何故だろうか?
新羅が蹂躙されている様を見て服従しなかったのか?
まあ勝手な解釈ならばそういうことも可能だろうが

>それに新羅の領域は3世紀末ではまだちっぽけなものだ。無理に通る必要もない

お前216の自分の発言を忘れたか?

>しただろうよ。日本書紀を読んで見よ。

俺の言ったのはそういう意味ではない
百済だけどうして滅んだのかと聞いている


292 :素人:2006/12/17(日) 23:56:31
40年以上も前にこんなこと発表した江上先生って凄いな〜
今の時代に読んでも、
言ってはならぬことを言ったみたいなゾクゾク感があるのに、
発表当時だと、鼻つまみ者の異端者として
さぞ寂しい思いをされたことでしょうねぇ
偉大な人物はやっぱり違うな〜

293 :白馬青牛:2006/12/18(月) 02:33:48
>>292
そう、江上説には反発が多かった。当時のことを水野祐氏が、
『柳田国男氏は、「他民族に征服されたこということを国民に教えなくちゃ
いけないんですか」と非常に感情的な反撥を、もっと言えば政治的な反撥を
しています。「天皇家が他民族で、それが日本民族を征服したというのは
許しがたい」と。折口さんも、「これはゆゆしき問題だ。われわれはそんな
ことを信じないということを、ここで明確にいたしましょう」と言って、
それで、その座談会は終わっているんです。
そのあと今度は、藤間生大さん、和島誠一さん、長谷部言人さんといった
人たちが、石田英一郎さんの司会で座談会をする。これもまたひどくて、
東洋史をぜんぜん知らないで、みなさん発言している。そしてその結果、
江上さんに全員がからかわれています。』
柳田国男氏の日本民族が成立しとらん時期に、日本民族と云う空想的概念で
反撥するのも可笑しなことじゃが、(倭人や縄文人が日本人の主流と
するのも甚だ可笑しい。形質人類学的にも古墳期に広い範囲に北方
新モンゴロイド形質が拡散する。)折口信夫氏は、民俗学で虐げられた
人々の日本文化の貢献について等、洞察力も鋭いが、騎馬民族説となると
感情的反撥をされる。まあこのスレに集う江上説反論者も感情的反撥じゃ
ろう。


294 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 06:01:02
>>293
>まあこのスレに集う江上説反論者も感情的反撥じゃろう。

何の証拠もないから反撥してるだけじゃ。
わりゃ読んでる本が古過ぎるんじゃ、ドアホ!


295 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 07:03:48
>>292
>発表当時だと、鼻つまみ者の異端者として
さぞ寂しい思いをされたことでしょうねぇ

そうでもない。江上ブームというのが巻き起こった。
時代はあたかも、左翼隆盛の時期だったし。

296 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 18:37:57
>>275
そりゃ強かった「高句麗」の軍事力を手に入れればなあ・・
なる程、お前は安全保障を受けられるなら冊封と定義するのか。
ならば北朝鮮は中国の立派な属国だな。
同盟を結んでいるからな

297 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:39:50
日本の古代史に日本民族だとかそういう感情をもって研究してる人なんて信用できないし
政治的な理由で江上説を持ち上げた人たちが少なからず居たのは残念でなりません。

298 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:14:41
>政治的な理由で江上説を持ち上げた人たちが少なからず居たのは残念でなりません。

いまだに後遺症が酷いと感じます。


299 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:25:35
インサイダー編集長・高野孟という男は、
江上説を支持してるそうだ。
「朝まで生テレビ」で彼が言った発言は、
「天皇というのは、もともと満州やそこら辺の連中が日本に来て、
たまたま天皇になっただけで…」

典型的左翼の底意がわかる発言ですなw

300 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:50:31
サヨウヨなんて思想による妄想を事実としちゃうカスどもはどうでもいいから
考古学的にはどうなんだよ?


301 :白馬青牛:2006/12/19(火) 00:18:11
>>294
歴史の解釈に証拠なんぞある訳あるまい。多面的要素からどう解釈するかの
問題じゃ。一語一句経典通り解釈するカルト新興宗教じゃあるまいし。
学説に古いの新しいもない。むしろ研究室に閉じこもって妄想する現在の
学者の方が視野が狭いんじゃないかのう。
>>295-297
江上説に反撥したんは、国粋派のみならず、左翼マルクス史観者じゃろう。
江上氏は森浩一氏との「対論騎馬民族説」で、「マルキシズムでは、
世界の各地の民族・文化が、それぞれ縦一線的に進化するという前提が
ある。(中略)日本の民族・文化は初めから日本の文化として始まり、
それが発展したのだ。朝鮮の民族や中国の文化などは、ごく部分的な
影響はあっても、民族・文化の主体は日本にあって、朝鮮などは問題に
ならない。中国からは漢字や律令制度を摂り入れたが、経済・文化は
縄文時代以来、そのまま発展したもので、外界とは関係ない。
日本民族は、縦一線的に日本民族だというマルキシズムと、主体は日本に
あったという民族主義が一緒になった、形を変えた皇国史観で頑張って
いたのです。(中略)世界の歴史を科学的に説明できる時代になってなお、
日本一国中心主義で考えていくというのは、やはり、一種の皇国史観だと
思ったのです。」
わしは、それら国粋派や左翼共産史観を「鎖国史観」と名付けとるわい。
歴史を政治的に利用しとるんは、おどれら左翼?の方じゃ。

302 :白馬青牛:2006/12/19(火) 00:33:21
>>299
わりゃは、世界史板の世界最弱の軍隊のスレでわしにカバチ(文句)
たれた思想中毒患者か?洗脳されて可哀想じゃと同情するが、
ここは歴史を語るところじゃし、政治思想を語りたいんなら、
政治思想板で大物たれりゃあええじゃないか。
わりゃあ、「ですな」云うて、おどりゃあ、何気取っとりあがるんなら。
こん糞外道だきゃ、人をおちょくりあがるわい。

303 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 06:58:32
>>300
>考古学的にはどうなんだよ?

江上・騎馬民族説に賛同してる考古学者なんて1人もいないみたい。


304 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:00:21
ななしが全部同一人物に見えるんだね、可哀想w

305 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:10:30
文献史学的にも、伝承伝説上も全くない。

306 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:43:40
>>301
>研究室に閉じこもって妄想する現在の学者の方が
>視野が狭いんじゃないかのう。

学者が研究室に閉じこもってると妄想するおんどれの視野が狭いんじゃい。
わりゃあほか?

307 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:12:58
書き込み寄生虫は解けたかな?

308 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:17:28
寄生虫のため遅くなった。
>>286
古代に、現在と同じ意味の「国民」はいない。「国民皆兵」というのは実際は
「支配民族皆兵」の意味だ。
確かに以前の説明で、本国の扶余が「貴族も奴隷も全員で戦った」と言ったが、
「諸加は自ら戦い、下戸は食糧を運んだ」と元の文章も示している。
つまり奴隷は後方支援だけだったのだ。だからこれも「支配民族皆兵」だ。
このような体制を、伽耶を征服した扶余は地元民を下戸として築くことが
できただろう、と言っているのだ。

>満州族もモンゴル族も実質的な「国民皆兵」制度を残したまま
>中国に居住できたかね?

八旗制度の話をしただろう? 中国在住の満洲族は一人残らず八旗に属した。
すなわち「支配民族皆兵」だ。
300年の間にそれがどのように弱体化したかは、また別の話だ。

309 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:20:25
>>287
>いくら手がかりが少ないといっても皆無ではないのだろう?

だから地名から約70語(実は約80語)がわかる、と言った。
その他は皆無だ。

>たとえ僅かでも、日本語と関連性があるならば扶余説も説得力が
>あるのにな。

だから、「僅かでも、日本語と関連性がある」という話をしたのだよ。
大野晋は上記約80語のうち30語が日本語と類似だと言っている。
説得力があるかな?

310 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:24:18
>>291
>百済が臣従せずに滅ぼされたのは何故だろうか?

歴史は人間の所業だから全てはケースバイケースだ。
百済が滅亡したときの具体的なことは知らないが、一般論として言えば:
降伏/臣従が成り立つのは、負けた側の「臣従という屈辱を受けても王朝が
存続する方がよい」という思惑と、勝った方の「滅ぼして直接支配するよりも
降伏を受け入れて間接支配した方が有利だ」という思惑とが一致したときだけだ。

>お前216の自分の発言を忘れたか?

216 の私の発言とは、「新羅をバイパスして」という言葉かな?
「無理に(新羅の領域を)通る必要もない(小さいから)」というのは上記と
同じ意味ではないかな?

>>296
>なる程、お前は安全保障を受けられるなら冊封と定義するのか。

「体制保証」と言うべきだったね。
この場合、体制保証とは米国が金王朝の存続を保証するということだ。
もちろん册封とイクオルではないが、册封の機能のうちの重要な部分を果たして
いる。だから「一種の册封」と言ったのだ。

311 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:47:52
騎馬民族説などを今頃言えば、精神病院に送られるぞ。
日本の歴史学者は、左翼も、右翼も、騎馬民族説など言っている者は一人もおりません。

312 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:39:10
>>308
・・・・・お前何歳だ?先生に言ったか?
ちゃんとギョウチュウ検査は受けないとだめだぞ・・

さて・・

>「支配民族皆兵」の意味だ
>このような体制を、伽耶を征服した扶余は地元民を下戸として築くことが
 できただろう

言っていることが解からないか?
新羅も百済も加羅も全て農耕に主軸を置く国家だった。それは中国の史書
からわかることだ。騎馬民族の形態では十分な生産形態を形成できず、必
然的に都市国家と言うものは生まれない。
百済も新羅も金官国も全て都市国家もしくはそれらの連合体から出発した。
扶余が征服したとして、彼らはわざわざ国民皆兵制度を残して支配をしたの
か?そのような事実は残っているか?中国・朝鮮の資料に
満州族は金官国のように自力で都市国家を形成し、その上で都市住民なども
全て国民皆兵制にできたのか?


313 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:41:22
>>308
>八旗制度の話をしただろう?

その八旗は満州族がヌルハチの下で民族感情に目覚め、中国を支配
するために作られたものだ。
状況が違うよ。
話しただろう?

314 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:45:38
>>309
>その他は皆無だ。

渤海はどうした?

315 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:00:28
>>310
>歴史は人間の所業だから全てはケースバイケースだ。

やはりそう言うと思ったぞ。
では、百済は扶余に征服されて王朝交代が起こったのだな?
ならばその事実を伝えるものが何らかの形で残っているハズだ。
文書やら史書などな。
隋書、三国史記などにな。

>「無理に(新羅の領域を)通る必要もない(小さいから)」

ほ〜
新羅の領域が小さい!!辰韓の領域が小さい!!
まあ確かに
「扶余南部に鉄資源の存在を知り」
「その資源を手に入れる必要性があり」
「その資源を手に入れるメリットが混乱している豊かな中国への
侵入より大きい」
等の条件が満たされれば真っ先に向かっただろうな。
「楽浪郡」を通って。
「高句麗の領土を無断で通って」
一つお前に聞きたいのだが
ある騎馬民族の領土を他の騎馬民族が通っても何の問題も
ないのならば、何故騎馬民族間の争いがある?
まあどうせ「家畜の放牧が〜」「高句麗は楽浪郡にいなかった〜」
などと言うのだろうが


316 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:03:25
>>310
>册封の機能のうちの重要な部分を果たして いる。だから「一種の册封」と
 言ったのだ

ほ〜
宋が北方諸民族に多額の金品を贈ったことも「体制維持」を目的にして
いたが、それも「一種の冊封」とイクオルなのか。

地が出てるぞ。


317 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:07:52
扶余が豊かな中国への侵入をやめるほど任那の鉄資源は魅力があり
高句麗の領土を無断で通っても高句麗本人は全く気付かず
百済を通ってその支配者となり新羅だけには存続を許し
海を渡って騎馬戦術の通用しづらい強力な勢力を誇る日本主勢力を
100年もしないうちに倒せるほどの国力を加羅であっという間に
つけたと仮定し
高句麗と日本の戦いも中国の史書も無視すれば

お前の説は正しいな。

318 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:16:01
嘘も100回言えば真実になるを実践しているのだろう。
スルーされれば徒労におワル。実ることなく乙カレってとこだな。

319 :白馬青牛:2006/12/21(木) 02:15:36
>>306
えらいムキになっとるが、わりゃ学者のう。あんたのフイールド・
ワークたァなんあら。
>>317
高句麗と日本の戦い?高句麗広開土王軍と戦闘して負けた倭が日本と云う
根拠は乏しい。井上秀雄氏は高句麗と闘った倭は、南朝鮮の
任那伽耶地方の勢力とされる。伽耶地方なら考古学的に百済、新羅以上に、
武具が出土しとるので辻褄が合うんじゃないか。伽耶勢力が対高句麗の
敗戦で列島へ多くの人達が移住したんじゃろうか。形質人類学的には
そうなるであろう。

320 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 03:00:20
だいたい倭が大和朝廷でなかろうが
海を渡って百済新羅を破ったんだから
任那伽耶地方の勢力じゃないだろう

321 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 06:50:23
>>319
倭が高句麗広開土王軍と戦闘して負けたという根拠は乏しい。
わりゃ学者かのう。
ばってん、あんたのフイールド・ ワークたァなんあら。
教えてつかーさい。

322 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 14:54:46
>>319

>高句麗広開土王軍と戦闘して負けた倭

後には騎馬民族との戦闘になれたがな

>任那伽耶地方の勢力とされる

そんな任那が何故日本の勢力下にあった?

>伽耶勢力が対高句麗の 敗戦で列島へ多くの人達が移住したんじゃろうか

敗戦したのに日本の人種を変えるほど大量の渡海を可能にした大船団を
作れたのか
どんな国だったんだ?

>形質人類学的には そうなるであろう。

前もそう言って逃げたな
形質人類学的には古墳においてすでに日本人は日本人{朝鮮人とは大きく
異なる}になっていたぞ?



323 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 15:21:19
>>321
なまらんでつかぁさい。w

324 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 15:50:12
>>323
おめもなまってるじゃねーけ!!

325 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 16:34:30
>>319
>伽耶勢力が対高句麗の
>敗戦で列島へ多くの人達が移住したんじゃろうか。

負けたのなら伽耶の鉄を高句麗が握ったとでも言うんかいのう。

逆に満州まで高句麗を追いやっているがのう…
満州といえば扶余の故郷じゃけ、
関係あるのかしれんばい。

326 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 18:10:51
シナ、朝鮮がモンゴル、満州の騎馬民族に支配されていたのは事実だがその痕跡は
ほとんど無いようだな。

 いや容貌に残っているのか。


327 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 18:41:11
日本人の大半がモンゴロイドの名がついた系統なんだから
遅かれ早かれモンゴルの影響下にあるんだから・・
騎馬民族にはとても勝てませんええ・・

328 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:51:35
>>312
>ちゃんとギョウチュウ検査は受けないとだめだぞ・・

「寄生虫」は「規制中」の誤変換だ。私のパソコンは古いのでね。

>百済も新羅も金官国も全て都市国家もしくはそれらの連合体から出発した。

扶余が来る前の3世紀後半の新羅や狗耶韓国の「都市」というのはどんなもの
を言っているのか?
例えば吉野ケ里のようなものか?

>騎馬民族の形態では十分な生産形態を形成できず、必 然的に都市国家と言う
>ものは生まれない。

騎馬民族の形態で、十分な生産形態を形成できず、都市国家を作らないという
のは草原を遊牧するモンゴル人のようなイメージだろうか。
3世紀の、扶余本国の扶余族が上記のようなものであったということは、
なんという「中国の史書」に書いてあるのか?
ぜひそれを引用して欲しい。原文でもいいよ。「中国の史書」はたいてい
ネットにあるから、原文で引用するのはなんでもない。

329 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:56:10
>>308
>その八旗は満州族がヌルハチの下で民族感情に目覚め、中国を支配
>するために作られたものだ。 状況が違うよ。

だからなんだと言いたいのか、わからない(もっとも上記の八旗の起源も目的
も誤りだが、それは別として)。

私の答は、お前の>>286
>満州族もモンゴル族も実質的な「国民皆兵」制度を残したまま
>中国に居住できたかね?

に答えたものだ。満洲族が「国民皆兵」ならぬ「支配民族皆兵」制度を
残したまま中国に居住した、それが八旗制度だ、と答えたのだが、
お前はそれに反論しているのだから、
八旗制度は支配民族皆兵制度ではなかった、とか、
八旗制度は満洲族が中国を支配すると同時に消滅した、とか言いたいのか?
念のため言っておくが、上記の>>286の質問に扶余の話は含まれていない。

330 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:58:43
>>316
>ほ〜
>宋が北方諸民族に多額の金品を贈ったことも「体制維持」を目的にして
>いたが、それも「一種の冊封」とイクオルなのか。

まさにその通り!
南宋は金と和睦するときに、「これからは金国に臣従する」という一筆を
書いているのだ。
金国に臣従するということは金国に册封されたということだ。

331 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:28:59
>>327

元寇で蒙古に勝ったじゃんw

332 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:41:50
>>319
>井上秀雄氏は高句麗と闘った倭は、南朝鮮の
>任那伽耶地方の勢力とされる。

おんどれの特徴は、いきなり聞いた事もない学者の説を出してきて、
あたかも事実かの様に言う事じゃ。
おんどれの意見を言えよ外道。

333 :白馬青牛:2006/12/21(木) 23:56:35
>>320
海を渡って百済、新羅を破った云うんは、日本史学者の解釈じゃろう。
仮に列島から半島へ出兵したとして、伽耶地域時点で兵士の多くは
現地民に依存せざる得ん。近代軍隊と違いそれ以前は征服地の住民を
前線に出し、征服行動を取るものは後方で督戦するんが普通じゃしのう。
後世の倭寇も朝鮮じゃあ、済州島や半島で賤視された楊水尺等屠殺業者
後の白丁集団に騎馬遊撃戦闘に依存し彼らも倭寇であったこと。
韓国の学者は倭寇を列島の集団と決めつけとるゆえ認めんであろうが。
何れにせよ現地民の協力なしに遠征は出来んよ。現地民と利益が一致せんと
出来んことじゃ。
>>321
わしの質問によう答えんけえ、わしの質問をそのまま返すたァ、オームか。
「ばってん」たァ、わりゃ、九州か。まあええが、フイールド・ワーク
たァ、まず足を使うて現地の文化に触れることじゃ。文献からは
妄想だけで何も生まれんよ。

334 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:20:02
>>331
朝青龍に勝てない日本人

335 :白馬青牛:2006/12/22(金) 00:32:46
>>322
後に騎馬民族との戦闘になれた云うて、高句麗は騎馬民族か水軍を得意と
する海洋民族か?また、騎馬戦闘に馴れた云う根拠は何を持って
されるんか?任那が列島の勢力化にあったと云うのも議論の分かれる、
史家の文献解釈に過ぎず、それを前提条件に云う自体、カルト教団の
宗教解釈と同じじゃ。
わしが何時逃げたんなら。逃げとるんはおどれら、カルト君じゃ。
形質人類学で古墳期の渡来日本人と大きく違う云うんは誰の説か。
挙げええや。近畿地方を中心とする渡来系古墳人、縄文、在来系でも
あるまいし。
>>325-332
高句麗の鉄があったけえ、重装騎兵、重装歩兵が出来たんじゃ。
鉄は経済力がないと量産出来ん。満洲まで高句麗を追いやった云うんは
どの集団が、何時、どういう事情でが抜けとる。そりゃあどういう根拠
かいのう。白々しいことを云うのう。毎度、九州人の虚言癖か?
江上氏の騎馬民族説反対論者の井上秀雄氏を知らずにぬけぬけと
書く神経はあきれる。倭人が地域民族集団と云うより、海上交易集団で
あり、エスニック集団であることは、後世の倭寇の構成が日本・朝鮮・
中国人であったことからも明らかであろう。

336 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 05:31:05
>>335
おどりゃ、ぼんぎりぼんぎりはぐらかすなこん糞ガキゃ!
>319で、オミャーさんは、
>伽耶勢力が対高句麗の敗戦で列島へ多くの人達が移住したんじゃろうか
と言っとるけん。

伽耶勢力が敗戦で日本に来たのなら、
その後、伽耶の鉄は誰が支配したと聞いてるんじゃ。

5世紀から河内の前方後円墳が異常に巨大化する。
河内勢力が伽耶の鉄を支配していたからこそ出来たんじゃろうが。

朝から血圧が上がったずら…

337 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 10:55:15
>>333
>>336
まずは、落ち着きんさいよ。

ほいじゃけぇ、あんたらは、いけんのんじゃ。

338 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:51:46
>>328
>「寄生虫」は「規制中」の誤変換だ。私のパソコンは古いのでね。

パソコン買い換えろ

>扶余が来る前の3世紀後半の新羅や狗耶韓国の「都市」というのはどんなもの
 を言っているのか?
 例えば吉野ケ里のようなものか?

そんなことも知らないで論じていたのか?
中国の史書には、彼らは穀物と稲を育て、養蚕を生業としていた。頭は扁平短
頭であり、風俗は倭人に似ていたと言われている。
農耕民の都市国家であり、斯盧國、己柢國 、不斯國 ・・等々
分立していた。
ある意味では吉野ヶ里遺跡だな。

>3世紀の、扶余本国の扶余族が上記のようなものであったということは、
 なんという「中国の史書」に書いてあるのか?


その史書には「都市国家」が存在していたのかな?



339 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:54:42
>>329




中華文明に目覚めてから中国農耕社会に居住し目的を持って創設された八旗

騎馬民族形態のまま、異国の土地に移住してから捨てられた騎馬民族の伝統

同じに論ずるなと言うことだ。
わかるか?






340 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:56:43
>>330
>金国に臣従するということは金国に册封されたということだ。

臣従することが冊封されることなら
北朝鮮はアメリカに臣従してないから冊封されてないな。


341 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:06:55
>>335
>また、騎馬戦闘に馴れた云う根拠は何を持って されるんか?

広開土王の出現前は倭が朝鮮半島の大半を勢力化においていたではないか

>任那が列島の勢力化にあったと云うのも議論の分かれる、
 史家の文献解釈に過ぎず、それを前提条件に云う自体、カルト教団の
 宗教解釈と同じじゃ

百済古墳群に代表される朝鮮半島の日本式古墳などによって任那日本府
がある程度{といっても政治機関ではなさそうだが・・}肯定されている。
まあ任那に強力な政治力を持つ倭人集団がヤマト朝廷と関係を持っていた
というのが正しいところだろう。

>形質人類学で古墳期の渡来日本人と大きく違う云うんは誰の説か。

お前は結局「骨」にしか言わなかったな。しかも「ごく一部」の
大多数の人骨は古墳も弥生も変わらん。
お前だけだ。「日本人は朝鮮の子孫じゃ〜〜〜」とわめいてる
カルトは。


342 :白馬青牛:2006/12/22(金) 23:45:08
>>336
キャンキャン吼えとりあがるが、わしの質問にゃあよう答えんで、
はぐらかしょうるんはワレど。
伽耶の鉄は、伽耶の北方系木槨墓の支配階級をもった支配者が、
おそらく日本列島へ移住した可能性は強い。(江上氏やレッドヤード氏の
説もそうであるが。)河内を含め近畿地方は古墳期以降、北方渡来形質の
人達が増加したが、渡来系河内勢力が故国かも知れぬ伽耶の鉄を支配した
かどうかは解らん。鉄と古墳の巨大化が結びつく云う根拠は何か?
河内勢力が伽耶の鉄を支配したと云う根拠も示しとらんのに、
短絡的結論じゃどうしようもないのう。

343 :白馬青牛:2006/12/23(土) 00:14:41
>>341
好太王碑の倭が日本列島の倭じゃ云うて前提条件を付けとるが、
朝鮮半島の倭(伽耶地方)の可能性が強いであろう。
百済古墳群が日本式古墳とする根拠はあるんか?
任那の土着倭人の甕棺墓と伽耶の支配者集団の北方木槨墓とは違う。
朝鮮南端と日本列島を含めて倭地方と解釈したら、木槨墓の北方渡来系も
倭人になる。
骨だけじゃのうて、DNAやHLAでも日本人は北方集団じゃった云うて
何遍も書いとるど。じゃが遺伝子じゃあ、いつ頃渡来したか解らんけえ、
形質人類学からの考察も必要になる。弥生時代の北方新モンゴロイド型は
北部九州や山陰の「ごく一部」の地域であるが、古墳時代となると、
東日本でも見られるが、特に西日本の広い範囲で新モンゴロイド化が
進行する。現代の日本人は、大多数が北方新モンゴロイドであって、
縄文人の直接的な子孫じゃあるまいし。ワレの弥生も古墳も変わらん
云う根拠は何なら?根拠のない妄想でわめいとりあがる、嫌韓カルト君は
よいよ馬鹿たれじゃのう。

344 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 03:35:45
>>342
またはぐらかしとるのう、腐れ外道がw

>>319でおみゃーさんが言うように、
伽耶勢力が高句麗に負けて「逃げて」来たなら、
鉄の産地・伽耶の支配はどこの誰がしたのと聞いてるみゃ。

>鉄と古墳の巨大化が結びつく云う根拠は何か?

古墳の巨大化における財政基盤は何か答えんしゃい。
ばってん、こちとら新聞配達で忙しいけん。

345 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:02:38
>>344
まあ、頑張りんさい。
(ちなみにあたしは、白馬さんとは違うけぇ。)

346 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 14:36:07
>>342
はぐらかしているのはお前だ。
>伽耶の北方系木槨墓の支配階級をもった支配者が、
 おそらく日本列島へ移住した可能性は強い

その根拠は何か?
墓の形が似てるから伽耶の支配者が日本に来たハズに違いないと?
では日本の勾玉より新しいそれが挑戦にあるのだから朝鮮に日本人
が渡来したと考えてもいいな?
似ているものがあるのだから

>河内を含め近畿地方は古墳期以降、北方渡来形質の 人達が増加したが
>渡来系河内勢力

一向にそのソースを見せないな
弥生と古墳において人骨の差異はないぞ?
河内政権が渡来系だと断定されたわけでもないぞ?

>鉄と古墳の巨大化が結びつく云う根拠は何か?

これは俺の言ったものではないな
相手を見極めろ


347 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 14:52:49
>>343
>朝鮮半島の倭(伽耶地方)の可能性が強いであろう
→朝鮮や日本に政権が誕生したときにはすでに
 倭=日本列島
 の意味だったぞ?
>百済古墳群が日本式古墳とする根拠はあるんか?
お前が無知なだけだ
    ↓
ja.wikipedia.org/wiki/百済考古遺跡 -
>任那の土着倭人の甕棺墓と伽耶の支配者集団の北方木槨墓とは違う。
→どうして
 伽耶の支配者手段=倭人
 と考えられない?
 北方の習慣を受容したとは何故考えられない?
>弥生時代の北方新モンゴロイド型は 北部九州や山陰の「ごく一部」
 の地域であるが
→では何故弥生時代の東北地方における稲作遺跡が発見される?
 技術だけが伝播したのか?
 それほど縄文人が飲み込みが早いのかw
>特に西日本の広い範囲で新モンゴロイド化が進行する。
→お前の脳内ソースか?
 邪馬台国の人間は旧モンゴロイドか?
 唐古・鍵遺跡の出土人骨は縄文系なのか?
>根拠のない妄想でわめいとりあがる
→www.town.tawaramoto.nara.jp/8.karako_kagi/index.html
 www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/burial-mound/karako-kagi-iseki-03.htm -
 根拠が無いのか?

348 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 15:03:49
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ

349 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 15:10:23
>>333
広開土王碑文にそう書いてあんだろ

350 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:22:25
>>338
>ある意味では吉野ヶ里遺跡だな。

なるほど。3世紀の伽耶、新羅は吉野ケ里遺跡のようなものであった。
それがお前の言う「都市」だ、ということはわかった。

>その史書には「都市国家」が存在していたのかな?

ごまかしているが、まあ中国の史書を引用できるはずもないから、質問を
変えよう。
お前の見方では、3世紀の扶余本国の扶余は生産力が低く、上記のような
「都市」を形成しなかった、ということでいいか?

351 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:25:34
>>339
>中華文明に目覚めてから中国農耕社会に居住し目的を持って創設された八旗
>(中略)を同じに論ずるなと言うことだ。

お前は>>286 で、
>満州族もモンゴル族も実質的な「国民皆兵」制度を残したまま 中国に居住できた
>かね?
と言っているではないか。

これは反語として、中国に居住した満洲族は実質的な「国民皆兵」制度を残す
ことはできなかった、と言っているのだ。
なぜそれを言うかと言えば、それをもとにして伽耶を征服した扶余もまた
「国民皆兵」制度を維持できなかった、ということを言うためだ。
しかしこのことは、扶余の国民皆兵と満洲族の国民皆兵を「同じに論じ」なけ
れば言えない。
つまり、もともと「同じに論じ」ているのはお前の方なのだ。

352 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:27:26
>>340
>臣従することが冊封されることなら
>北朝鮮はアメリカに臣従してないから冊封されてないな。

当たり前だ。アメリカはまだ北朝鮮に「体制補償」を与えていない。
将来においてもしも「体制補償」を与えたとしたら、それはある意味で册封
と同じ、という話をしたのだ。

353 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:21:32
>>350
>お前の見方では、3世紀の扶余本国の扶余は生産力が低く、上記のような
 「都市」を形成しなかった、ということでいいか?

「都市」という人間の集住状態が恒常的に続き、王などの支配者を戴き
農村ではできない第二、第三次産業を持つものが果たして扶余に可能で
あったか?と言うことだ。



354 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:29:33
>>351
「国民皆兵」制度を残す ことはできなかった
これは古今東西存在した事だ。
フンしかりゲルマンしかり、農耕社会に入り込んだ騎馬民族は
往々にしてそれを恒久的に支配する為、騎馬民族的特性を捨て
ざるを得ない。これは「世界的に共通する事象」である。

しかるに、満州族は騎馬民族とは言っても中国文化の影響を
受け、またその領土には中国人の殖民都市が多数存在してい
た。かつ彼らは農耕民たる中国人官僚の助けを借りて「後金」
という民族国家を成立させ、その後中国に入って征服者となった。

要は「農耕民の影響を色濃く受けた」騎馬民族と
「そのままの」騎馬民族を同列に置くなと言うことだ。

同列には論じていないが?

355 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:33:23
日本を征服した騎馬民族はユダヤ人ですよ

356 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:37:25
>>352

結局は北朝鮮も新羅も
「外部に頼って生きている国」だってことでいいか?


外部の力を無視しては朝鮮統一も建国も不可能だったのだろう?
他国を操るのが上手いというのはお前の主観に過ぎん

357 :白馬青牛:2006/12/24(日) 00:42:48
>>344
わりゃ、わしに腐り外道じゃ?わしが何時外道に等しい行為をしたんか。
おどりゃあ人をおちょくりあがるのう。伽耶の鉄生産に何%の収益が
入るんか明確な根拠がある訳でもないんじゃに、楽浪時代の支配権や
高句麗、新羅の影響が強い時代に明確な答え等あるはずもないのに、
古墳の財政においても確実な根拠がある訳あるまい。それを鉄に違いないと
断定したんはワレど。様々な諸学問から確率論で云うしかない問題を
妄想前提条件で断定する神経は解らん。古墳財政で何%の収益で
巨大化しましたと云える明解な答えがある訳あるまいに馬鹿げた
質問するのう。カルト信者は、一語一句読んだら明解な答えが出る思う
とるんじゃろうのう。

358 :白馬青牛:2006/12/24(日) 01:20:47
>>346
副葬品や殉死の習俗等を含め、総合的に現地民の差異を考えることじゃ。
(墓の形式も現地民の影響を受ける。高句麗の石塚から土塚の変化等。
じゃが南下した高句麗人も石塚のままの場合もある。)
朝鮮南部の甕棺はおそらく倭人じゃろう。日本列島の勾玉も交易品として
朝鮮半島へ伝わったと思うが、韓国ナショナリストは、日本の嫌韓厨と
同じ発想で自文化優越で始末に悪いが、勾玉自体が、玦状耳飾から
発達した要素も強く、満洲の紅山文化の影響となるんじゃが。
形質人類学の弥生人と古墳人の違いか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page2-2.html
池田次郎氏の見解では、弥生期に中国沿岸の華北人型が渡来し、
弥生後期、古墳期は無文土器の半島北部の渡来者とされる。
埴原和郎氏は、ツングースに重点を置かれておられるが、弥生より
縄文系と渡来系の中間的な顔をもつ個体が多くなることから、
古墳期に多く人達が渡来したとされる。

359 :白馬青牛:2006/12/24(日) 01:45:15
>>347
倭が日本列島の意味じゃったたァ誰の説か?
北方の習慣を受容した民族例とは?東北地方の稲作遺跡の人骨が
おそらく縄文系であっても、>>358の池田氏の見解にあるよう、
朝鮮南部の煙台島の人骨も縄文型じゃったし、
顔型も、エラが張った縄文顔型は半島にも列島にもおった訳じゃ。
縄文人を半島と無縁と考える自体可笑しい。

360 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:06:29
埴原和郎が10年ほど前に書いた本に縄文人骨のDNA配列が現代インド
ネシア人と一致したというのはその後、進展があるのだろうか?



361 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 07:29:19
新聞配達から帰ってきもうした。

>>357
おちょくりあがるのは、おんどれじゃい!
5世紀、鉄の産地・伽耶を支配してたのはだれじゃ?と、
何度もおみゃーさんに聞いとるだがや、答えんしゃい!
伽耶勢力が高句麗に「負けて」逃げてきたのなら、
支配したのは勝った側の高句麗という事になるが?

ばってん、それで良かですか?


362 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:18:54
>>358
そのリンク先には、
形質人類学の「弥生人と古墳人の違い」なんか書かれてないぞ。

363 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:26:28
>>353
>「都市」という人間の集住状態が恒常的に続き、王などの支配者を戴き
>農村ではできない第二、第三次産業を持つものが果たして扶余に可能で
>あったか?と言うことだ。

3世紀の扶余本国の扶余は:
恒常的な人間の集住状態を形成せず、
王などの支配者を戴かず、
第二次、第三次産業を持たなかった。

という解釈でいいか?

364 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:32:07
>>354
>これは古今東西存在した事だ。
>これは「世界的に共通する事象」である。

古今東西存在する「世界的に共通する事象」だ、と主張することにおいて
すでに古今東西の騎馬民族を「同列に論じ」ているではないか。

>「国民皆兵」制度を残すことはできなかった

清国の最盛期と言ってよい康煕帝の時代において;
満洲族が漢族を支配するという、民族支配はあったか?
支配民族である満洲族は全員が軍事制度である「八旗」に属したか?

簡単に答えてくれ。

>要は「農耕民の影響を色濃く受けた」騎馬民族と
>「そのままの」騎馬民族を同列に置くなと言うことだ。

「そのままの騎馬民族」とは例えばどんな民族か?
3世紀の扶余本国の扶余はお前の言う「そのままの騎馬民族」か?

簡単に答えてくれ。

365 :白馬青牛:2006/12/26(火) 21:06:53
>>360
DNAの塩基配列で、縄文、アイヌ、マレーシア、インドネシアの間で
一致したサンプルがあるとされたのは、宝来聡氏の研究で埴原氏は、
形質人類学から南方形質の縄文人、アイヌ人と共通性があると云うこと
じゃないか。ご子息の埴原恒彦氏は、頭骨と歯で縄文、アイヌ、ネグリト、
アボリジニに類似性があるとされておられるよ。
>>361
じゃけえ、>>357で答えとろう。高句麗側か列島側かの二者選択解釈しか
ないんか。○×式教育の犠牲者じゃのう。ほいで高句麗が、鉄を室韋に
売ったが鉄は自国だけでなく交易品でもあった。伽耶人は鉄を求めて
中国地方の吉備等、列島へ移住した要素も強い。
>>362
渡来系弥生人、古墳人も同じ北方新モンゴロイド型ではあるが、
弥生系は華北や華中の沿岸部の可能性が強い。習俗でも抜歯という、
縄文、東南アジア、オセアニアに連なる風習で、弥生末期〜古墳期と
習俗も徐々に渡来系北方民族によって、同化させられたと云うことじゃ。

366 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:49:07
征服者は己の出自を隠さない。


367 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:56:09
>>366
良い事言った

368 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 10:15:54
>>366
発掘から、3世紀末に金官を建てたのは扶余である可能性が高いが、その金官の
歴史である「カラ国記」(カラは特別な漢字だが省略)には扶余のフの字も出て
来ない。
じつはカラ国記がはるか後世の創作だから隠しているように見えるだけなのだが。

369 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 23:30:03
>>365
そのコテハン、「白馬鹿青年」の方がお似合いだよ

370 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 09:12:38
>>365
>じゃけえ、>>357で答えとろう

答えてない。
まだはぐらかしてけつかりゅこん糞バカが。

5世紀、
伽 耶 を 支 配 し た の は 高 句 麗 な の か?
誰 な ん だ?


371 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:05:27
>○×式教育の犠牲者じゃのう。

おんどれが>>319で伽耶勢力が高句麗に負けたなんて、
単純○×式な事ぬかしておってから、
自分で答えに困ってるんだろがw

はよ答えにゃーよ!

372 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:13:03
>>365
>弥生末期〜古墳期と 習俗も徐々に渡来系北方民族によって、
>同化させられたと云うことじゃ。

そのソースがどこかと聞いてるんだよ、
ボケてるのかおまえ?
>>358のリンク先にないではないか。

373 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:05:30
>>370
横からだが、広開土王が勝ったから高句麗が伽耶を支配したと言いたいのか?
広開土王碑でも、高句麗は勝った後に南鮮に居座ってはいない。
勝ったと言っても居座るだけの実力はなかったのだ。
南鮮を荒らした後、倭と戦って大勝したのはもっと北の、平壌あたりだったのではではないか?

答は、5世紀に伽耶を支配したのは倭。
そしてその支配権が徐々に新羅に移って行く。

374 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:07:12
>>373
同じ意見。
高句麗に圧迫されて伽耶から日本に移住した人たちもいたが、
高句麗に居座られるほどの敗戦なんてしてない。

>5世紀に伽耶を支配したのは倭。

その通りだろう。
河内の5世紀以降の古墳が超巨大化する経済基盤に、
鉄があったのは言うまでもない。

375 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:35:36
>>373
>平壌あたりだったのではではないか

吉林省に石碑があることを考えたら、
高句麗は平城よりもっと北まで追いやられ、
なんとか盛り返したのが吉林だろう。
大勝ってもそう主張してるだけで、
負け惜しみかもしれないよ。

376 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 10:34:31
5世紀に伽耶を支配したのが倭ならば、扶余による倭の征服が否定されて
一件落着か、と言えばそうでもない。
扶余征服説は、5世紀に伽耶を支配した倭はすでに扶余に征服されて
扶余化した倭である、と考えるからだ。

377 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:09:56
>>376
それはそれで理屈は通ってるんだよ、一応は。
俺の意見は正反対だけどね。

378 :白馬青牛:2006/12/31(日) 01:24:26
>>370-371
わしが何処をはぐらかしとんなら。明確に出来ん問題は推測になるけえ
断定出来る訳あるまい。断定出来る云う者は妄想患者じゃろう。
>>372
わりゃは、読解力さえ無いんか。絹が四眠系蚕(華中・華南)から
弥生中期後半に三眠系蚕(華北・朝鮮)が現れる事。列島渡来人が池田氏の
言で華北人に近い朝鮮南部の人たちから、中国東北部(満洲)北部の
人的特徴が強くなる事等、徐々に北方化すると云えよう。
>>373
倭云うんは、井上秀雄氏の云われる朝鮮半島南部の勢力主体とすれば、
倭と伽耶は同一であり、伽耶を支配と云うんは可笑しい。
伽耶の支配階層は四、五世紀前後の世界的北方民族南下現象や朝鮮南部、
日本列島の北方民族化により、北方的木槨墓人の確率が強いとは思う。
倭人の甕棺の土着民から支配者層が出た確率は低いね。

379 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:30:10
ところがその北方的木槨墓が日本では出ないんだよね…


380 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:32:57
>>378
>わしが何処をはぐらかしとんなら。明確に出来ん問題は推測になるけえ
>断定出来る訳あるまい

なら倭が高句麗に負けたと断定するのもやめろ。

381 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:52:00
>>378
358のリンク先には、
>「倭・倭人の国」は紀元前後頃までにはすでに確立され、
>北方系の血を濃く引く人たちが多く渡来しても
>「倭・倭人の国」の優位は動かしえなかった
>(「漢委奴国王」印により確かめられる)。

とも書かれてるが?

382 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:39:17
>>378
>倭云うんは、井上秀雄氏の云われる朝鮮半島南部の勢力主体とすれば、
>倭と伽耶は同一であり、伽耶を支配と云うんは可笑しい。

広開土王の時代に倭と伽耶(狭義)が同一であったというのは私も同意見。
「倭が伽耶を支配した」というのは書いた通り、5世紀の話だ。
この時には狭義の伽耶すなわち金官の主体は日本列島に移っており、その金官化
した倭が依然として狭義の伽耶を直接支配した、というのが私の意見。

イングランドを支配したノルマン人が旧領のノルマンジーをも直接支配したのと同じだ。

383 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:31:01
それだったら、倭王武は「渡平海北九十五国」なんて表現はしないと思う。

384 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:05:19
倭王武は想定される征服から何世代も後だから、その意識はすでに列島人だ。
また実際に征服後において海を渡って反乱を鎮圧したり、植民地を作ったり
したことがあっただろう。

385 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:10:10

総豚跡A指定されました。ご注意ご注意です。



386 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:41:12
宮内庁が陵墓立ち入り調査容認、古代史研究前進に期待

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070101-00000102-yom-soci

387 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:15:10
>>386
先を越されたかw
但し制約が多いようだね。

388 :月光仮面:2007/01/01(月) 18:18:10
宮内庁、神社仏閣が考古学的に武装した場合、ユーラシア文化・歴史はひっくり返る。
それをビジネスとした場合、赤字国家は大いに救済される。いいことだと思うがなー。


389 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:56:36
記事を読んでがっかり。「見学」を許可すると言うのだから、掘ることなど論外。

390 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 20:00:09

総豚跡A指定されていあます。ご注意ご注意です。




391 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 20:11:45

豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。


392 :白馬青牛:2007/01/02(火) 22:03:03
>>381
自分勝手な解釈すなや。「倭・倭人の国」が確立しただけじゃ。
次第に本土日本も北方系の強い、韓国と遺伝距離ゼロの国になったので
ある。が抜けとるど。同じサイトの「日本人誕生の意味」にあるよう、
http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page6.html
北東アジアの人たちも倭人に少し遅れて渡来し、やがて縄文人・倭人を
はるかに超える数になったのである。772年の坂上苅田麻呂の上奏文に、
高市郡内は8、9割までが「檜前忌寸」である渡来系であったこと
(ここには出て無いが出典は、「高市郡内、他姓なるは十にして一、ニ
なりき『続日本紀』、宝亀三年四月条)。現代の日本人は倭人ではない。
(縄文人・倭人の要素も少しは含むが)現代日本人は北東アジア系の人
たちがその多くを占める国となった。(遺伝子、形質人類学的に)云う
ことじゃ。

393 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:47:53
>>392
>現代日本人は北東アジア系の人
>たちがその多くを占める国となった。
>(遺伝子、形質人類学的に)云う
>ことじゃ。

でも万葉集の言葉と奄美沖縄の言葉が相通じてるのは変だよなぁ…


394 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:56:29
>>392
今の大阪・生野区は4分の1が在日と言われてて、
その生野の猪飼野という所は8、9割までが在日なんだけど、
現代大阪人のほとんどは日本人だ。

395 :白馬青牛:2007/01/02(火) 23:13:29
>>382
ユーラシアの両端のブリテン島と日本列島の類似性はあるね。
共に大陸で負け組になり、移住地の島で、新しい種族が古い種族を
圧迫したと云うこと。最果ては負け組みで迫害された者たちの移住地
じゃしね。その英国でも迫害された清教徒が新大陸へ移住したんは、
後の時代になる。英米と日本の類似点は迫害された者たちの国と云う
ことじゃろう。その伽耶人を含め移住した連中が日本列島の原住民を
支配し上層部にあった云う表現の方が良いと思う。
旧故地の未練は、ノルマンジーも、伽耶も同じで、倭が軍事的実力に
乏しい為か、南朝の権威を借りて南朝鮮諸国に軍事的支配権を主張し、
優位に立とうとしたが、江南政権では、高句麗を第二品、車騎・
驃騎大将軍。百済は、第三品上の鎮東大将軍。倭の五王は第三品下の
安東大将軍と、軍事支配権を主張した百済よりも低い位置に過ぎんかった。
だいたい、負け組が新天地に移住するんに、>>380の様な可笑しげなことを
云う者もおる。ドイツ的ゲルマン拡張主義の影響か?ランケやマルクス
共産主義史観もドイツ思想じゃが、嫌韓厨が信仰する西尾幹ニ氏もドイツ
で学び、ドイツ思想の影響が強い人じゃしのう。大東亜共栄より
異民族排斥のネオナチ派じゃろうが、その影響で景気のええ妄想を云うん
じゃろうのう。ネオナチよりネオ共産主義者であろう。ドイツ思想の
拡張主義者らは。

396 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 00:02:41
>>368
カラ国記は扶余が書いたわけじゃないだろ?
書いたのが扶余なら、その出自を明白にしてるだろ。

倭だって、扶余王朝になってたんなら、
その旨、記録してるはずだ。

397 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 01:02:13
>>395
>その伽耶人を含め移住した連中が日本列島の原住民を
>支配し上層部にあった云う表現の方が良いと思う。

こいつ真性キチガイだなw
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/koukogaku/koukogaku051229.html
>以上の韓式系土器は、
>五・六世紀の河内地域の集落から単位的なまとまりを持って出土しているが、
>これのみで構成されることはなく、必ず在地の土師器に共伴している。

共生なんだよバカw
知らずにほざくなハゲw


398 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 01:07:18
>>395
>最近、百済・新羅・伽耶地域より倭から搬入された土師器や須恵器(すえき)、
>あるいはその模倣土器が見つかっているが、
>これらは朝鮮半島に渡った倭人も相当数いたことを物語る考古資料である。

おまえの言う負けた倭人が何で半島に渡るんだろうね?
答えろやジジイw

399 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 01:16:33
>>395
おまえ句読点ちゃんと打てや、読みづらいなぁ。
何言いたいのか分からないや。
小学校からやり直せやw


400 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 06:17:03
>>395 倭が軍事的実力に乏しい為か、南朝の権威を借りて南朝鮮諸国に軍事的支配
権を主張し、優位に立とうとしたが、江南政権では、高句麗を第二品、車騎・驃騎
大将軍。百済は、第三品上の鎮東大将軍。倭の五王は第三品下の安東大将軍と、
軍事支配権を主張した百済よりも低い位置に過ぎんかった。

・・・これは単に江南政権にとって高句麗・百済の方が自国にとって直接の脅威
だったからだろう。大海の彼方にある倭を優遇しても江南には大したメリットは
ないという軍事戦略的判断による順位付けに過ぎない。





401 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 06:25:03
>>395 日本を迫害された種族というのなら、朝鮮はそれ以上に迫害された
万年属国だな。シナもモンゴルや満州、北方民族に迫害されたし、時代に
よってシナが北方民族を迫害したりする相互関係にあるので、迫害と被迫害
を固定するのは意図的な思考法だろう。


402 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 11:49:09
>>395
伽耶なんて、自国もまとめられない本当の負け組みですよ。
なんで、日本みたいな「大国」(隋書曰く)を支配できるの?
馬鹿?w

403 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:24:50
その人のレスに、
少しでも保守風な空気・雰囲気があれば、
やれネオナチだなんだ言い出す、
白馬青牛ってアホですか?

404 :白馬青牛:2007/01/03(水) 21:22:51
>>397-398
土器の多くを、被支配者の土着民に作らせるんは当然なこと。
それが共生か?
伽耶と北九州東部は、弥生期から甕棺文化を持っとった。
お互いに行き来し、交易関係にあったろう。
伽耶から日本へ移住した者も故地と交易は継続関係があったろう。
弥生末期の倭国大乱で列島から渡った倭人もおったろうし、半島南部の
土着倭人もおった。それだけの事。形質人類学的に考えて、半島から
日本列島へ移住した集団の方が圧倒的の多いんは云うまでもない。
>>400
江南政権にとって脅威なんは、鮮卑族等の北朝であり、高句麗・百済は
懐柔相手じゃろう。倭は相手にされてない。PR外交作戦失敗と云えよう。
>>401
国家、民族が形成された後であれば、そりゃあ、島国たァ大陸、更に
半島の方が、周辺諸国の圧迫が強いよ。イングランドもノルマン朝成立以降
は、異民族の圧迫はあるまい。島国の幸運じゃのう。まあ、英国人は日本の
妄想史家と違い、土着民が国家、民族の主流たァ云わんけどね。

405 :白馬青牛:2007/01/03(水) 21:58:46
>>402
井上秀雄氏は、伽耶地方の小国分立が長期にわたった事を、「地理条件ー
山脈による分断と洛東江の超暖傾斜ーによるのであって、これを大和朝廷の
南朝鮮侵略の傍証とすることはできない。国家形成が進展する限界は、
その水を農業用水として利用できる場合に限られる。洛東江は個々の
小国を分断するだけでなく、弁韓と辰韓に分けられるほど厳しい地形条件と
なっていたのである。」古代淀川と地形条件が違うとされる。
『旧唐書』日本伝は読んどらんのか。小国の日本が倭国の地を併したと。
まあ、文献だけじゃ、どうとでも云えるけどね。

406 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 22:13:49
>>白痴青牛
高句麗に負けた伽耶人が日本に来て、
原住民を支配したと考えてるんだね?
その伽耶の地を5世紀以降、誰が支配したのかについて、
いまだに答えきってないんだけどな。
いつまで逃げるつもりなんだ、このハゲは。

>弥生末期の倭国大乱で列島から渡った倭人もおったろうし、半島南部の
>土着倭人もおった。それだけの事

倭から搬入された土師器や須恵器(すえき)、
あるいはその模倣土器が百済・新羅・伽耶地域から見つかっているんだよ。
須恵器というから5世紀以降の話だよ。
ボケてるの君?


407 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 22:24:20
>>404
>土器の多くを、被支配者の土着民に作らせるんは当然なこと。

在地の土師器に共伴しているという事は、
伽耶人は地元民に奴隷のように扱われ、
土師器を作らされたんだな?
アハハハハハハ!

408 :白馬青牛:2007/01/03(水) 22:50:14
>>403
保守風な空気・雰囲気?保守じゃのうて、狂信的マルクス史観もどきな
雰囲気が同じドイツ思想のネオナチ的国粋主義と云うただけじゃ。
http://www.bund.org/opinion/20041005-3.htm
民族単一論は馬鹿げとる。(渋谷氏は大量渡来を弥生初期とされるが、
実際は形質的に古墳時代が大量渡来期である。弥生人は縄文人に吸収された
んは事実であると思うが。)マルクス史観の共産主義者の影響であろう。
自民族の内的発展論じゃしのう。ネットウヨは、マルクスウヨと名称を
変えたらどうじゃろうか。
http://www5d.biglobe.ne.jp/^tosikenn/tetudy03922kouen.htm
「神戸のシンコウ遺跡、近畿地方の弥生時代の遺跡の骨を調べた限り、
そうではないのではないか。弥生時代は朝鮮半島経由で文化が輸入され
ましたが、実際には人間はそんなに来ていない。山口県の土井ヶ浜、
北部九州は渡来人は大きな影響を持ったことは確かです。国家というものが
形成される前後あたりに影響は強くあったのではないか。そういう意味で
国家形成期、騎馬民族はやってきたという私なりのレトリックで書いて
います。渡来人は日本の歴史に大きな影響をもたらしたと思いますが、
弥生時代の始まりではなく国家が始まる頃、古墳時代に影響があったのでは
ないかというのが私自身の仮説です。」と。わしは4世紀の気候寒冷期に
よる世界的な北方民族南下現象を含め同意するよ。

409 :白馬青牛:2007/01/03(水) 22:54:32
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/tetudy03922kouen.htm
じゃったか。

410 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:14:34
>>白馬青牛

弥生時代と古墳時代の人骨が、
どれほど大きく乖離してるのか教えてくれないか?
ほとんど同じだろう?

411 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:24:07
>>408
4世紀後半、倭が高句麗軍に負けたと「断定」するあなたに疑問を呈しただけで、
何でネオナチ的国粋主義と言われなきゃならないんだ、死ねやおまえ。
なめてるのかボケが!
で、5世紀の伽耶を支配したのはだれですか?
答えられないんだね、白痴君w


412 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:00:18
>>405

意味不明。3行以内でまとめてくれ。w

>『旧唐書』日本伝は読んどらんのか。小国の日本が倭国の地を併したと。

それって日本成立の一つ説じゃなかったか?
倭国がなぜいきなり日本と名乗るようになったか、中国(唐)が色々憶測した
うちの一つであって事実のようには言っていない。


413 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:03:59
>>412
さらに言えば、伽耶が日本と名乗った証拠もないな。


414 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:55:45
4世紀、北方民族が地球寒冷化にともない、
大量に日本にやってきて「主流」になったというなら、
なんで万葉集などの大和言葉が沖縄と通じてるのだろうか。
全然説明できないよな。
北方民族は沖縄まで住みついたのだろうか?

415 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:27:13
応神は金官加羅からやってきた傭兵隊長

416 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:35:35
応神大王は金官加羅からやって来た傭兵隊長にすぎなかった。

417 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:07:31
>>412
>倭国がなぜいきなり日本と名乗るようになったか、中国(唐)が色々憶測した
うちの一つであって事実のようには言っていない。

んだ。その通りだ。

418 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:12:16
なら金官加羅からやってきた傭兵隊長ですと、
はっきり言えばいいのにw
何で遠慮するのだろう?

419 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:16:23
半島出身だと史書に書くと21世紀の国民に罵倒されると思ったので改竄しましたw

420 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:32:17
>>419
古代人は千里眼だな。
スプーンも曲げられると思うぞ。

421 :白馬青牛:2007/01/05(金) 23:28:15
>>410
同じ弥生時代でも山口西部・北九州に多い高顔の渡来系弥生人と低顔の
在来縄文系弥生人とは違うじゃないか。古墳時代は、北方新モンゴロイド
の多くの渡来系が列島に住み、全国に拡散し(特に西日本)在来系との
混血も増える。弥生人、古墳人の在来縄文形質同士を比較すりゃあ、
ほとんど同じじゃ。
>>411
ネオナチ+朱子学攘夷国粋者かマルクス左翼ボーイか知らんが、
新年早々「死ねやおまえ」云う人を呪う言を吐くんは、日本人の
感性じゃないのう。恨(ハン)の精神を持つ韓半島の人間か?
まあ、韓国人でも、真っ当な人達もおるんは当然として、韓国の朱子学的
国粋派は日本の嫌韓厨と同類じゃけんのう。
あんたァ「ハン(恨&韓)民族」と名乗った方がええど。

422 :白馬青牛:2007/01/06(土) 00:32:04
>>412
井上秀雄氏は、「『旧唐書』日本国伝について『続日本紀』巻第一二の
天平七年(735年)二月ニ七日の条に、新羅が国号を無断で王城国と
変えたという理由で新羅使節を追い返しておることから、国号の変更は
外交問題の最重要事項で、白村江の戦後処理、対唐外交の行き詰まり
から、外交を委託していた大宰府(倭国)から外交権を大和朝廷に
移行した。新羅と唐のような軍事的な対立まで発展せず、時期を待つ
ことによって国際関係の責任を回避した。これらの体験が国民性を
作るきわめて重要な要素になったことを忘れてはいけない。」
と、される。

423 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:38:20
>>421
相変わらずゴタゴタ言ってるけど、
5世紀の伽耶を支配したのはだれか答えられないんだねwww
答えられないくせに倭が高句麗に負けたというのは断言するんだね。
君って変態?

424 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:43:26
>「死ねやおまえ」云う人を呪う言を吐くんは、日本人の
>感性じゃないのう

おどりゃ〜や、わりゃ〜のおまえは何なんだ?
偉そうに言う前に、4世紀後半、倭が高句麗に負けた根拠を答えろ!

425 :白馬青牛:2007/01/06(土) 01:13:59
>>414
言語の問題は、思い込みの解釈ともなるし、扶余や高句麗語(中世朝鮮語
よりも日本語と数詞等に共通項が多い。)も解明されとらん状態じゃ。
琉球人は在来縄文形質であるが、北方から南下した可能性は強いね。
http://www.nig.ac.jp/labs/AR98ja/research/A/Ac2.html
「南グループには台湾中国人、インドネシア人とタイ人が含まれ、
北グループには、本土日本人、韓国人、ハルビンの中国人、琉球人と
アイヌ人が含まれた。しかし近隣結合法による系統樹では、
アイヌ人は南グループと北グループの中間に現れるという微妙な系統的
位置を示した。」と、あるよう琉球人はアイヌ人よりも北方系であろう。
九州西部が古墳期においても縄文形質が強く、朝鮮半島南部の櫛目文土器
人が縄文系質の人骨であったことと関連性があるかも知れん。
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no22/index.html
野生マウスでも北方系と南方系があり、日本列島の大部分が北方系で
あるが、東北・北海道に南方系が残っておることは南方系の人達も
列島東北部に残ったんじゃろう。埴原和郎氏も本土日本人の中で縄文形質が
残っておるのは岩手と青森とされる。九州南部の方が北方化しとることも
参考になる。

426 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:14:02
現代日本人の大多数が、
古墳時代に来た北方新モンゴロイドの末裔であるなら、
何で沖縄と言葉が通じ合うのかと聞いてるんだけどな。
答えろや、広島のオッサン。

427 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:20:12
>琉球人はアイヌ人よりも北方系であろう。
そうなんw
こりゃ面白い。
いろいろ突っ込めそうw

428 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:05:22
>>396
>カラ国記は扶余が書いたわけじゃないだろ?

日本書紀だって征服者本人が書いたわけではない。
想定される征服から300年も後の王朝が作らせたものだ。その日本書紀の
メインテーマは何か。三輪王朝からの「万世一系」である。そのためには
少なくとも2箇所で王朝交替を隠蔽していることは指摘されるところだ。

王朝交替を隠蔽するのなら、扶余による征服/簒奪が出てくる余地はない。

>>402
>なんで、日本みたいな「大国」(隋書曰く)を支配できるの?

満洲族が中国という「大国」を支配するが如し。

429 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:07:40
>>406
>その伽耶の地を5世紀以降、誰が支配したのかについて、
>いまだに答えきってないんだけどな。

5世紀の伽耶を支配したのは倭であり、その支配権が徐々に新羅に移った、
ということを横から答えたが、この答で満足できないのか?
どんな答が欲しいのかな?

>>414
>4世紀、北方民族が地球寒冷化にともない、
>大量に日本にやってきて「主流」になったというなら、
>なんで万葉集などの大和言葉が沖縄と通じてるのだろうか。

その一つの理由は「縄文系」という共通因子があるからだ。
(縄文人を北方系とする説があるが、その意味では沖縄人も北方系だ)

もう一つは、沖縄語の表層は平安時代末期の日本語でできていることだ。
これは、この時代に本土人によるなんらかの征服ないし支配があって、
それが言葉の表層に残ったと考えられる。
平安時代の日本語が「4世紀の北方民族」の影響を受けているとすれば、
沖縄語も間接的にその影響を受けている。

>>416
>応神大王は金官加羅からやって来た傭兵隊長にすぎなかった。

金官加羅から来た傭兵隊長が応神大王になった。
つまり河内王朝は金官加羅勢力による簒奪王朝である、と言いたいのだね?
それには私も大賛成。


430 :白馬青牛:2007/01/07(日) 01:05:43
>>423-424
伽耶を支配したんは、木槨墓の被葬者集団か高句麗か百済か確実なことは
解る訳あるまい。後に新羅の勢力が強くなり、半島を統一する訳じゃが、
それ以前が解るんか?例えば伽耶の鉄の生産量の何%をそれぞれどの
政治集団が取得したんか答えられるんか?
倭が高句麗に負けた可能性が強いんは好太王碑文もそうじゃが、負け組が
新天地に移住する確率が高いことも考慮すべきであろう。わしが、変態か
どうか関係ない話じゃないか。
日常使う、おどりゃあ、わりゃあ、云うんと、「死ね」云うて人を呪い、
人の存在を無価値にさせる言葉は全然違うよ。自身の生死を賭す覚悟を
決めて相手に云う以外に使うまい。わしと面と向うて云うたら許さんよ。
こんなァ人様に対して云うたこたァあるまい。もし云うたら大事に
なりよる。人様に対して云えんことをネットで平気で云う神経は
解らんのう。

431 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:22:18
>>428

>日本書紀だって征服者本人が書いたわけではない。
>王朝交替を隠蔽するのなら、扶余による征服/簒奪が出てくる余地はない。

「王朝の話」をしてるんだからな。
元は>>368の、

>「カラ国記」(カラは特別な漢字だが省略)には扶余のフの字も出て来ない。
>じつはカラ国記がはるか後世の創作だから隠しているように見えるだけなのだが。

に対する反論だ。

「金官の歴史書」には扶余が出てこない、
しかしそれは後世の非扶余政権で作られた歴史書だからであって、

>征服者は己の出自を隠さない。>>366

が正しい認識だと言ったんだよ。

だから倭に扶余征服王朝が成立したんなら、それがずっと続いたことになるわけで、
それならば300百年後であろうが、同継続王朝は「己の出自を隠さない」。

満州族は中国征服したのち、自らの出自を隠したか?
そんなことはないではないか。

432 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 07:33:54
>>430
>伽耶を支配したんは、木槨墓の被葬者集団か高句麗か百済か確実なことは
>解る訳あるまい

確実な事は解らないと言いながら、
何で倭が高句麗に負けた事は断定するのだ?このクソハゲ。
高句麗に圧迫受けたのは事実だが、負けではなかろう。
>429が言うように伽耶を支配したのは倭であろう。


433 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:54:22
>>431
>倭に扶余征服王朝が成立したんなら、それがずっと続いたことになるわけで

扶余政権だろうが非扶余政権だろうが、歴史書を作らせた王朝が
「征服以前からの」万世一系(天皇の血のつながり)を強調するのならば、
征服そのものを隠蔽するしかないではないか。
実に簡単なことだ。

434 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:59:48
>>433
万世一系を強調したがる時点で征服じゃないじゃんw

435 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 15:01:59
>>433
征服者が征服地史上における万世一系を主張するわけなどあるまい。
その必要もない。

>征服者は己の出自を隠さない。

ノルマンジーは自らの出自を隠したのか?

それにあんたは「扶余王朝成立」後にも2度王朝が交替してると主張してるじゃないか。

異民族による征服王朝にして、しかもその後2度王朝転換して、
それでもなお「万世一系」をアピールしたというのか?

ちゃんちゃらおかしいですわ。

「万世一系」などを主張するのは、実際につながってるという確信があってこそだ。
でなけりゃそんな発想には最初からならん。
近隣国王朝ではそんな発想は存在しないんだから。

436 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 15:14:37
神武を扶余出身にすりゃいいじゃない?

万世一系の繋がりを強調というが、ホントだろうか。
出雲の国譲り神話やニギハヤヒ神話など、記紀には神武の前勢力の存在が示唆されているよ。
逆にいえば、なぜ神武をニギハヤヒの「子」としなかったのか。

437 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:54:45
仮に応神が扶余で征服王朝であったとして、
継体天皇で代替わりがあったのなら、
応神から続く天皇を悪者にしたて、
継体が正義の味方である神話を持てばいいだけ。
そうなってないのはそうではないから。w




438 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 20:58:06
>>435
>それにあんたは「扶余王朝成立」後にも2度王朝が交替してると主張してる
>じゃないか。

「扶余王朝成立」後に、と私がどこで言ったか、示して見よ。
日本書紀全体の中で少なくとも二度、と言ったのだ。

>「万世一系」などを主張するのは、実際につながってるという確信があってこそだ。

純真だな。その眼で見れば日本書紀が全て真実に見えるのでないか?

>>436
>逆にいえば、なぜ神武をニギハヤヒの「子」としなかったのか。

子にする必要もない。なぜなら神武はニギハヤヒの同族なのだから。

439 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:57:01
>>438

> >「万世一系」などを主張するのは、実際につながってるという確信があってこそだ。
> 純真だな。その眼で見れば日本書紀が全て真実に見えるのでないか?

違う違う。
そういう意味で言ってるんじゃなくて、

そもそも「万世一系」なる思想が生まれる背景のことを言ってるんだよ。
もちろん歴史書には統治の正当性のための脚色・捏造は当然ある。

しかしおよそ継体朝であった混乱他に、
王朝交代を疑うような史実があるなら、
万世一系などにそもそも固執する必然自体がない。
そこまで拘るなら、
最初から継体に不自然な登場のさせかたをする必要がない。

440 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:57:25
継体に変わろうが、
神武の男系遺伝子という意味では万世一系だろ。
なにせ各地の豪族の娘に子種残してるから。w

後の時代の源氏や平家まで、
それぞれ清和天皇や桓武天皇の末裔、
つまり男系遺伝子保持という事で正統性を主張してたしな。

441 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 08:12:47
>>429
>この時代に本土人によるなんらかの征服ないし支配があって、
>それが言葉の表層に残ったと考えられる。

ひとつの島が征服されて言葉の影響受けたとしても、
沖縄・奄美にどれだけの島々があると思ってるの。
石垣など八重山諸島まで通じてるんだけどな。
無理あり杉。


442 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:18:18
>>441
石垣や八重山は沖縄本島の中央政権によって支配されていたのだから、間接的に
本土の影響を受けたのは当然。

>>439
>そこまで拘るなら、 最初から継体に不自然な登場のさせかたをする必要がない。

意味不明。万世一系に拘るからこそ、継体や応神に不自然な登場のさせかたをした、
というのなら論旨が通るが。

443 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:24:23
>>437
>応神から続く天皇を悪者にしたて、 継体が正義の味方である神話を持てばいいだけ。

日本書紀を書いた人(書かせた人)が、君の発明したそのすじがきよりも
万世一系の長さのほうを選んだ、というだけ。


444 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:03:52
>>443
だから長さのほうを選んだんなら征服じゃないってば。
なんで征服にしたがるのだw

445 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:07:37
>>442
>間接的に 本土の影響を受けたのは当然。

もともと沖縄から本土に共通する言葉(大和言葉)があり、
本土は渡来系の影響も受けたとした方が自然だろ。

446 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:08:09
>>445
沖縄と本土に共通する要素があっても構わない。だから私は、少なくとも縄文の
要素は共通したはずだ、と言ったのだ。
沖縄人はアイヌと共に縄文の生き残りだし、本土の大和言葉にも縄文人の言葉は
痕跡をのこしたはずだから。
しかしそれがあったとしてもそれを証明することはできないほど、沖縄語は平安末期の
本土語の影響を深く受けている。
沖縄語は上記の平安末期の日本語が、一定の法則の下に変化したものなのだ。
そして沖縄本島の言葉と離島の言葉とでは、変化の仕方や程度が異なるだけである。

447 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:26:35
>>444
>だから長さのほうを選んだんなら征服じゃないってば。

神功皇后は実在か架空か。両説あるだろうが架空とする説のほうが強いだろう。
もし架空とするなら、その時点で応神は出自不明となる。
神功記の後半は、応神を戴く神功軍が大和の二王子の軍と戦って大和に入る物語だが、
応神を出自不明とするなら上記は王朝外部の者による王権簒奪の物語である。
皇統は一度ここで切れているのだ。
日本書紀作者は神功という架空の人物を作り上げることによって形の上で皇統を
連続させ、簒奪を隠蔽したのだ。
すなわち、簒奪の存在や簒奪者の名前よりも「万世一系の長さ」を選んだのである。
神功は架空、という前提に立てばこのようなことになる。

448 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:02:33
>>447
訂正
簒奪者の名前よりも → 簒奪者の出自よりも

449 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:03:30
>>446 日本語と琉球語の分裂は1800年ほど前という言語統計学上の判定が
あるが、何故平安末期になるのだ。

 沖縄には弥生文化遺跡さえ無いのだろう。それなら分岐は2000年以上前
になるはずだ。


450 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:29:45
>>447
分からないな。
「万世一系の長さ」と言っても、
現代からみれば確かに「長い」かもしれんが、
書紀成立当時からみればそんなに長くはない。
応神が外来者ならば、その通りに書き、
その系統を継体天皇が断絶させたとした方が良いはずだ。
そうなってないのは応神が外来者ではないからだ。

451 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:48:29
>>447
もし応神がその祖先から扶余だというなら、
それこそ扶余の故地・満州から半島を経由して
倭国、大和に至る道程と過程を神話化すればいいじゃないか。
それ以前の倭国の歴史なんて元から大したもんじゃないだろ。
そこまでして必死に事実を糊塗してまで、
王朝の長さを誇る理由などない。
もしろ扶余なら、半島を征服した歴史の方がよほど正史にするにふさわしい。
そうした言い伝えが残ってるだろうから、間違いなくそうしてるよ。

だから上からの流れでずっと語られてることは、
王朝の正当性と永続性を主張するために、
征服者がそこまでして嘘作り上げる必要があんのか?

征服者はそんなことする必要はありません―。
そういう話な。

452 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:01:57
異民族である扶余が、
古来からの倭国支配者だったと強弁するということは、
扶余だった歴史を自ら捨てるという選択になるということだ。
なぜ征服者がそのような判断をしなければならないのか?

一方、カラ国記などが扶余を語らないのは当然だ。
なぜなら書き手とその当時の政権が既に扶余ではないからだ。
だから書き手は、むしろ過去の支配者が扶余だと知らなかった可能性もある。
今の韓国人が、高句麗が朝鮮民族だと考えたり、
いにしえの外来民族の勢力図を無意味に誇って自国の歴史だと主張してるのも、
民族の区分けがしっかりできてないことの結果であり、
カラ国記もまた、その古い実例だろう。

ところが騎馬民族説が正しいなら、
紀記の作者は扶余系自身なのだから、
出自をわざわざ隠す理由などどこにもない。
中国のモンゴル族、満州族の王朝のようにしてたことだろう。
そして扶余も、その征服地では実際にそうしていたわけだ。
日本でだけ特別にする必要なんてないだろ。

453 :白馬青牛:2007/01/09(火) 00:17:48
>>452
出自を隠すんは珍しい事でもあるまい。北方民族が漢を支配し、
明確に出自を示したんは、契丹や西夏以降じゃろう。
鮮卑が北朝を建て、姓を元氏、源氏、賀氏等漢人風に名乗り、
鮮卑系の王朝である唐に至っては出自を隠して漢人に成りすました。
まあ、純粋な漢族王朝は漢・宋・明ぐらいのもんじゃろう。

454 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:34:01
>>453
北朝の北魏だと、鮮卑と漢人とで、鮮卑文化と中国文明とが対立した結果として、
最終的に漢化が進行したわけであって、別に出自を隠したわけじゃないだろ。

唐の鮮卑説というのは、あくまで皇帝の出自が鮮卑がどうかであって、
王朝が鮮卑というわけじゃない。
鮮卑王朝ではないからこそ自らの出自を隠してたかもしれないだけであって、
鮮卑族が侵攻して王朝築いたら隠す必要は全くない。


455 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 04:47:36
騎馬文化も秦氏が持ち込んだものとは考えられないだろうか。
時期的にも合うし。


456 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 04:49:59
騎馬文化も秦氏が持ち込んだものとは考えられないだろうか。
時期的にも合うし。


457 :月光仮面:2007/01/09(火) 08:28:24
>>455-456
実際はそうだろう。しかし、アメノヒボコとか、その前から秦氏系統は入ってきている
みたいだ。秦氏が騎馬文化の一部と言うのがいいのかもしれない。又、秦氏にも
ジプシー的なものとか、神官的なものとか、武人的なものなどがあり、騎馬民族
的というのは一部に過ぎない。が、騎馬民族時代の主役、少なくとも知識人集団
であることは間違いない。

458 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 19:43:31
>>449
>日本語と琉球語の分裂は1800年ほど前という言語統計学上の判定が
>あるが、何故平安末期になるのだ。

「めんそーれ」(いらっしゃいませ)の語源は「参り召しおはれ」だ。
「みじらしゃん」(美しい)の語源は「めずらしゅうある」だ。
これらの語源が平安末期でなくて1800年前の言葉か?

君がこの話題を持ち出したのは、沖縄語と日本語が「通じる」(似ている
という意味だろう)のは、日本語が扶余の持ち込んだ言葉によって影響
されていない証拠だ、と言いたかったからだ。
私はそれに対して、沖縄語は平安末期に強力な影響を日本語(本土語)から
受けているから、日本語と沖縄語が通じる(似ている)のは当然、だから
扶余語の影響を云々することはできない、と言っているのだよ。

>>450
>応神が外来者ならば、その通りに書き、
>その系統を継体天皇が断絶させたとした方が良いはずだ。

日本書紀が現にこのような書きかたをしている、という話をしているのに、
そんな書き方をする理由がない、とか
こっちの書き方のほうが良いはずだ、
とか言っても仕方がない。

神功皇后は実在した、だから応神は直系だ、とか
確かに応神の出自は不明だが扶余ではなくて九州の豪族だ、
とか言って反論するのならわかるが。

459 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:26:04
>>458
また意味不明だ。
応神は九州出身だよね。
神功皇后が架空の存在とはあまり聞かないのだが。
どこをどう考えれば、応神を扶余へと飛躍できるのだ?

460 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:27:48
>>453
だいたい「隠す」って誰に対して隠すのさ?
同時代の人間はみんなわかりきっていることだろうに。
それをわざわざ隠そうとする発想というか、動機がそもそも何から発するものなのかを教えてよ。


461 :白馬青牛:2007/01/10(水) 00:53:52
>>454
鮮卑は北魏の孝文帝の時代から漢化政策じゃったよ。漢人も北方民族の
風習に染まり「胡漢文化」と云う時代じゃ。五胡の一つ匈奴も「漢」と
いう国名をつけたが、皇后劉淵は母親が漢代の皇帝の娘ゆえに、
母親の姓を名乗った。宋代までは異民族が皇帝になってもなるべく出身
民族を隠し、唐代の皇帝のように中原における支配権を正当化する為、
常に漢民族系であると主張した。唐の皇帝李氏も隴西の李氏で漢人で
あると自称したよ。その唐の皇后系列も匈奴、鮮卑系じゃ。
貴族、豪族も宇文氏、独孤氏、禿髪氏等北方民族系が多い。
禿髪氏は鮮卑拓跋氏の同族で、北魏皇帝の拓跋氏の漢人風の姓が「元」
であり、太武帝は、「卿は、朕と源を同くす。今ま源氏と為す可し」と
源氏を名乗った。隋の刑部侍郎の源師民や孫の源乾曜は唐の宰相になった
ように。日本の賜姓「源氏」もその影響かも知れんね。嵯峨源氏、
清和源氏。一字姓の漢人風からして。杉山正明氏は唐朝の影響といわれる。

462 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 08:37:14
>>461
なるほど。
でもそんなにはっきり分かってる中国の例を、
日本にあてはめられてもなぁ。

日本の天皇が出自不明というのなら、
扶余だなんだ、いくらでも推論すればよいけどね。

まぁ記紀では日向となってますので…

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