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 江戸時代の天子様(天皇様)と庶民

1 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:27:55
を語れ

2 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:38:52
江戸時代、「水滸伝」の大ブームが起きたことはあまり
知られていないが、
この水滸伝が民衆に支持されたのは、尊皇派の梁山泊が
悪政(=徳川幕府)に立ち向かうという構図が日本の政治構図
にぴたりとあてはまったからという隠れた理由があったのだ。

つまり、水滸伝を支持した民衆は尊皇派であったのだ。

3 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:39:17
るかどうかは

4 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:41:04
反乱を起こした梁山泊が朝廷に帰順し、逆に朝敵の反乱軍を討つ
というストーリーはまるで明治維新そのものではなかろうか

5 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:41:41
邪魔しやがって

6 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:48:38
第108代の後水尾天皇は稲荷信仰に深甚な関心を寄せ、
非蔵人兼務の上社神主秦親明から「御神符神守之深秘」
を受けています。
一方、2年後の寛永18年(1641)、
後水尾上皇は御所の建物の一部を非蔵人兼務の目代荷田延次に
下賜しました。これが現在に伝わるお茶屋(重文)です。


7 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 18:00:25
江戸時代、天海僧正は遺言で彼の後継者として親王をお迎えするよう
指示したのが輪王寺宮の始まりなのだそうだ。

つまり、輪王寺宮とは輪王寺の後継者であるとともに天海僧正
(=将軍相談役)の後継者であったというわけだ。

8 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 18:53:31
あまり知られていないが、江戸時代の庶民は起床すると京都の御所の方角に二礼二拍手一礼をしていた

9 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 19:26:58
>>6
やはり江戸時代のお稲荷さんブームに
天皇は関係しましたか

とくに新興住宅街の江戸では
古い信仰が少なかったせいもあって
庶民のほとんどが稲荷信仰者になりましたからね

10 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 19:29:50
>>2
うーむ、市井の尊皇家が
任侠を語るのは
江戸時代のスイコデンの影響かな

11 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 19:30:51
俺武士家系だけど、親戚で集まるとやっぱり農民系の人達とは違うなあって思う。


12 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 19:48:25
まあ、大半の武士は廃藩後、人力車夫や開拓農民になったわけだが。

13 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:05:01
農民や町人、公家や朝廷を見下す
武士マンセーの傾向はいわゆる徳川史観てやつだな。

14 :公家さんの暮らし :2006/11/19(日) 20:12:51
江戸時代。
京にくらすお公家さんの暮らしほど、悲惨なものはなかったという。
何しろ…ろくな給料もなけりゃ、勿論ボーナスなんか、ない。
もともとろくな仕事をしていないのだから、入るべきものも入ってこないのが当たり前だわナ。
プライドだけは高いから、「くわねど高楊枝」で自分から生活の構造改革をやろうはずもない。

見るに見かねたのは…近所に住んどる町屋の方々。すなわち庶民と言われる人々だった。

「しょうがないなぁ。これでも差し上げまひょか」
と、持ち寄る食料を、
「うむ」
と高飛車に受け取ったのか、
「いつもすんまへんなぁ」
と、とりあえず礼ぐらいは言ったのか。

とにもかくにも
「しょうがないなぁ」
が都人の口癖になっていたのではなかろうかと、徳川300年の歴史を振り返ると、そう思えてならない。

だから、明治天皇も、あれだけ張り切って討幕戦争にかけたのかなぁ。
いい加減、自分の実力で稼がないと。自分の食費ぐらいは。とか思ったのかも。


15 :おかゆと漬け物:2006/11/19(日) 20:19:10
天皇一族にも輝かしい(頑張って贅沢をした)時期もあったのは疑いないが、
戦国時代には生活自体に困窮し、三代にわたり、おかゆと漬け物を毎日恵ん
でくれた京都の住民によって辛うじて生きのびたり、即位の儀式は践祚
(センソ・天皇の位をつぐこと)後20年以上たって、やっと行なった天皇
もいる。
 明治初年、福沢諭吉が日本国民について「藩あるを知りて国あるを知らず」
と言ったことは有名だが、当時、京都の住民さえ天皇を知らない――顔を見
たことがないという意味ではなく、そういう制度の存在自体を知らないとい
う意味である。まして天皇とは何の関係もない地方においてはなおさらで、
だからこそ、駕籠(カゴ)しかない時代に、また財政窮迫の折にも拘らず、
明治政府は天皇を駕籠に乗せて日本中を引張り廻して国民に紹介し(?)、
「そもそも天皇様とは、いかにおえらいお方か」と宣伝して歩いたのである。


16 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:31:06
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20061119i112.htm
江戸時代の天皇即位式、“観覧券”配って庶民に公開

江戸時代、天皇即位式が“観覧券”を配って公開され、庶民が多数詰めかけていたことが、
森田登代子・大阪樟蔭女子大学非常勤講師(近世民衆史)の研究で分かった。

幕府の政策で民衆から遠ざけられていたとされる従来の近世天皇像を覆すもので、
今週発売される国際日本文化研究センター(日文研)の共同研究報告書『公家と武家3』(思文閣出版)に掲載する。

幕府は、朝廷を統制する法令(禁中並公家諸法度)を定めるなど天皇の力を抑制、管理。
天皇は庶民から隔離され隠された存在、と従来は思われてきた。

森田講師が、当時の京都で奉行所が高札などの形で出した膨大な数の「町触れ」(告知)を調べた結果、
1735年の桜町天皇即位式前の町触れに「御即位拝見之儀、此度者(このたびは)切手札(きってふだ)を以(もって)
男ハ御台所門、女者(は)日之御門より入レ候之条」とあり、
これは、観覧券に当たる「切手札」を発行し、男女別で御所のどの門から入るかを決めていたと判明。
続く桃園天皇の即位式でも切手札を発行、事故防止のためか「男百人、女弐(二)百人」と制限し、
老人や足が弱い人などの観覧を禁じた事実も分かった。

1779年の光格天皇即位式を描いた『御譲位図式』などの絵図も調べたところ、
警備の武士とは別に、庶民の正装である裃(かみしも)を着て御所に入る人、子ども、授乳する母親らの絵柄が確認された。
森田講師は「民衆にとってごく身近で楽しみな行事だった。江戸時代になって急に公開したのでなく、中世以来の伝統ではないか」と語る。

当時の即位式は高御座(たかみくら)に昇る天皇を中心に、公卿ら数十人が出席、
鉦(かね)・太鼓、祝詞奏上、焼香など厳かな儀礼が繰り広げられたことが分かっている。

(2006年11月19日20時18分 読売新聞)


17 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:33:36
屑ウヨの汚染も酷いな。こんな糞スレ。

18 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:41:34
>>16
従来の反日史観を翻す画期的な発見ですね
素晴らしい研究です。

19 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:47:10
将軍家はじめ多くの大名は王朝文化に
かぎりないあこがれをもって
平安貴族よろしく貝合わせなんてやってたぐらいだから

20 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:50:19
>>14
全部推測とはひどいな。
ここは歴史板なんだから
推測を語るにしてもなんらかの歴史的事実なり
データを出してそれを基に話しを展開するのが
基本だろ。

21 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:55:53
>>15
その文章はつまり
天皇=国という制度
であったということだね。

22 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 21:00:01
今後>>16のような研究がさらに進み
反日左翼陣営が政治的に利用するために創りあげた
捏造江戸時代の嘘を暴き
本当の江戸時代の姿があきらかになることを期待します。

23 :農民にとって天皇は価値が無い :2006/11/19(日) 21:34:49
農民にとって天皇は価値が無いし
農民の人生にも生活にも天皇は何の関係も影響も無い
明治時代のように強制されたり現代のように右翼の暴力でもなければ
自分の人生や生活に関係ない天皇なんて興味をひかない
その時代の天皇なんて現代の徳川家のようなもの
現代において徳川家に忠誠を誓う人はいない


24 :天皇制自体は悪用しなければ、毒にも薬にもならない:2006/11/19(日) 21:44:47
江戸時代の庶民にとって天皇は公方様の上にいる関係のない人。
公儀は普通は幕府をさすが、広くは天皇を頂点にして将軍・大名・家臣団と郷村の自治集落も含めた秩序
重層的な支配と重層的な土地所有が続いていた。
支配階級にとっては自分の身分を承認してくれる権威でしょうが、庶民には関係がない。

幕末に国学(平田学派)の門人地方の豪農層が尊王を叫んだが、幕府の権威に対抗する目的があった。
国学を明治になって薩長の官僚が、明治政府の権威付けに利用した。
平田門人はどちらかと言うと弾圧されたり冷遇されてます。その後、自由民権に流れた者の多い。
国学では上代を天皇が治めた理想的な時代と位置づけていますから、日本の本来あるべき姿としたのでしょう。
先の大戦中に戦争遂行のために天皇制を利用したために、大変イメージが悪くなっていますが、
天皇制自体は悪用しなければ、毒にも薬にもならない。

25 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 02:30:54
畿内ではそれなりに有名なはず

26 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 07:47:27
>>16
要するに金が欲しかったから自ら見せ物になって金を集めたってことね

27 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 08:21:28
現代じゃ儀式公開はムリだろうなあ。
爆竹なんか持参する馬鹿が出んとも限らんからw

28 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:16:40
98だけど、俺の勇み足だった。別に専門じゃないんで許してくれ。
ただ神明神社、中世とかはどうだったの。伊勢神宮領である
御厨なんかに建てられていた
と思うんだけど。そういう荘園の農民とかが神明神社についてどう感じて
いたのか?誰か仮説でいいんで教示して欲しい。

29 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:19:27
98まで長いよ

30 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:22:24
ごめんなさい板違いでした。28.

31 :独身ホモ貴族:2006/11/21(火) 14:42:09
江戸初期の軍事力って、近隣諸国と比べてどうだったのか?

32 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:49:59
神明社はたしか明治の
合祀令かなんかの影響が濃いと思う。
ただし神宮大麻はかなり全国の農民に
配られていたはず。
当家にも今でも近くの神明社とは
違う古い村社から神宮大麻が来る。

33 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:57:01
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂

吉田松陰

34 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:59:58
>>2
まさに新発見!

35 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 21:51:57
身はたとひ
下賤の目に晒されても
金が欲しい大御心

凶田小陰唇

36 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 00:09:14
>>23
庄屋同盟など農民の尊皇運動のが数は多い。
>>32
昔は神明に神宮御師が布教に来ていたくらい
明治以降のが乖離
神明社の数は江戸時代の方が多い。


37 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 20:42:41
太平記読みにより
江戸時代、隠れ尊皇派はけっこういました

38 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:12:49
太平記をまともに読めば、下々の者をその場限りで使い捨てをする後醍醐に怒りしか覚えないが?

39 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 16:06:32
帝偏差値の神道臣者
自作自演で馬鹿晒す   強制ID導入して馬鹿駆逐しましょう

40 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 15:13:04
やれやれ、どれもこれも前スレのガイシュツネタばかり・・・


41 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 21:20:57
菊花紋章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:16_Yae_Kiku.png

内痔核
http://www.mediawars.ne.jp/~kik0488y/innhem.html


42 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 21:27:03
>>36
そんな捏造をいけしゃあしゃあと。

43 :独身ホモ貴族:2006/11/26(日) 22:19:28
皇族をネタにできる日本は言論の自由がいっぱい!

44 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 22:20:02


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1164432210/44

おまいらとりあえずこれ見てみろ

45 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 10:09:56
>>42
太平記と尊皇派は確実につながっていますよ。
かの高山先生も太平記を聞かされて
尊皇に目覚めたのでした。

46 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:15:56
高山先生て高山彦九郎とかいう狂人のことか?基地外クソ

47 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:20:17
江戸時代の天皇陵ブームはどういう訳だ?
詳細な絵図までたくさん残してるし。

48 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:38:40
荒廃した山林を前方後円墳に作り変えてやったという幕府の報告書のことか?
朝廷はありがたくてありがたくて大事にとっておいて毎日江戸の方角に土下座してお礼を言っていたらしいな

49 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 01:46:55
「都名所図会」
1780年刊行の、日本初のガイドブック。京都を詳細に描いた京案内は、江戸でも
大ベストセラーとなり、これに倣って江戸や大坂などの図会も刊行された。

京風への憧れは現在も強い。天皇・皇太子・秋篠宮のご成婚で、夫妻は武家装束
を身に着けていたか?違うよね。

50 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 06:49:14

馬鹿

51 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 06:53:07
49の考えで逝けば普段から洋服を着ている天皇家は西洋に強くあこがれていることになる

52 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 07:23:29
49の考えで逝けば皇室の公式晩餐会の料理がフランス料理のはフランス王みたいに断頭台で処刑するのを憧れているから

53 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 07:33:30
他人の命より金に取り付かれた亡者たち
結局今の戦争は鬼畜による支配者が金儲けのためにしている

軍需産業しかり、戦争が長引けばそれだけもうかる。
その正体は↓

http://rerundata.hypermart.net/aum7/2/oz2/oz205.html


54 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:02:11
山県三之助先生は江戸中期の尊皇家

55 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 10:58:45
江戸時代よりはちょっとだけ前になるけど、ルイス・フロイス(1532〜1597)
の著書『日本史』(Historia de Iapan)でも天皇の事が出てくるよね。

外国から商品を携えて取引に来るポルトガル商人は日本の言語を知らず、
日本の諸地方のことも知らず、日本の庶民とも接触もしない。
彼らの大部分は入港する肥後国の諸港の他は何も見ていないので、しばしば
(日本において)「国王」(Rey)とか「王国」(Reinos)という表現を慣用する。
しかし(当地では)そのような称号は考えられもせず決して存在しない。
彼ら(ポルトガル商人)は例えば平戸の国王、志岐の国王、天草の国王など
の他、これに類したことを言う。
しかし、実はこれらの人々は皆、殿、すなわち限られた貴人であって
そのような人は同一国内(日本国内)において無数にいるのである。
本来の日本66ヶ国全体の最高君主であり、国王かつ主権者はただの一人であって
これを皇、もしくは天皇、または内裏と称する。
それゆえ、トノ達はこれに遠慮して公爵(に相当する)自分達の特定の
称号を使用する。

とある。フロイスは天皇が日本66ヶ国全体の君主(o senhor universal,rey e
monarca de todosestes 66 reinos)または真の国王(verdadeiro e natural senhor)
であることを何度も記しており、ポルトガル商人がそれを知らない理由を
日本語が話せず、庶民と接触しない事であるとしている。
ようするに普通に日本に滞在していたらわかること。

56 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 11:20:23
江戸時代前期の尊王は木下順庵(1621〜98)かな?
雨森芳洲や新井白石の師匠で
「近頃、江戸のことを東都などという言う輩がいるが
東の都とは不敬千万。近いうちに義兵を起こし、幕府を廃すべし」とか主張してるからな。

ちなみに弟子の雨森芳洲や新井白石は
朝鮮からの使節を朝廷からの勅使と同じレベルでの待遇していたのを
費用がかかる、朝廷に失礼との理由で御三家が同席しないなどの
降格待遇にしている。

57 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 14:56:59
>>55
戦国時代でも、三好・松永・織田・豊臣などの天下人を始め、
各地の有力大名たちも臣下として天皇には礼を欠かさず、
官位を持つ朝臣として天皇家に貢ぎ物をする事がステイタスだった。

しかし平和な時代になったにもかかわらず、徳川家康だけは露骨に天皇家を
見下して、大名家から天皇家や公家への貢ぎ物を禁止し、天皇家を脅しながら
天皇家の権威を利用できるだけ利用しまくったからなあ。
家康の性格としか言い様が無いが。
徳川幕府がそんな態度だから、民衆も天子を余り尊敬しなくなっただろうな。

58 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 16:07:08
外国人の見た日本人と天皇(1775年8月に来日)

「天皇は町なかに自分の宮廷と城を有し、特別な一区画のように濠と石壁をめぐらし、そこだけでも立派な町をなしている。」

「軍の大将である将軍は、最高権力を奪取した後もなお、天皇には最大の敬意を表していた」

「国民の内裏(天皇)に対する尊敬の念は、神そのものに対する崇敬の念に近い」

伊勢神宮ほか神社に付いても。

「私は、神道信奉者らが祭日や他の日にどのような心境でこの社にやってくるかということが漸次わかってきたが、
そのさい非常に驚くことが多かった。彼らは何かの汚れがある時は、決して己れの神社に近付かない」

「なかでもこの国の二、三の寺社は特に注目されており、あたかもイスラム教徒がいつもメッカを訪ねるように、国のあらゆる地方から
そこへ向けて遍路の旅が行われる。特に伊勢神宮はその一つであり、この国最古の神、すなわち天の最高の神天照大神を祭っている」

「老若男女を問わずすべての信者は、少なくとも一生に一度はここへの旅をする義務があり、そして多くの信者は毎年ここに来る」

『江戸参府随行記』 ツュンベリー(高橋文訳) 平凡社東洋文庫(1994)

59 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 18:56:28
>>55
フロイスは「普通に日本に滞在していた」のではない。
イエズス会というカソリック修道会の中でも最も政治色の強い修道会の宣教師として、
布教以外の政治的目的も担い、日本の政治を観察する立場にあった。
もっとも彼が言う「真の国王=天皇」が制度的なもので、実質的には天皇すら信長の権力の下にある
いう信長自身の言葉を、その著「日本史」の中で書いているから、実体は知っていた。

>>57
「戦国時代でも・・・」「平和な時代になったにもかかわえあず・・・」
この言い回しに、歴史認識の底の浅さがよくわかる。
「戦国時代だから・・・」おのが不安定な立場を権威付ける必要性から、
それも「官位を持つ朝臣として天皇に貢ぎ物を」したのではなく、貢ぎ物をして
官位を手に入れたのだ。
「平和な時代になったから・・・」その利用価値が減り、扱いが権柄づくになったのだ。
信長はまだ天下統一の途上、秀吉は統一後も家康という強大な脅威を抱えていた。
だが、織豊政権のいずれも、長期安定化の道筋が立てば、いずれ家康同様の態度を取っただろう。
事実、信長の朝廷に対する態度の変化(譲位や改元に容喙)に、その兆候が現れていた。

>>58
『江戸参府随行記』・・・読んでみな。
たかが一年半の日本滞在で、偏見や独断ばかり。的外れな指摘のオンパレード。



60 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 19:31:49
>>59

政治の詳しい内情は権力者から聞いていただろうね。
庶民からは権力者ほど詳しい話は聞けなかったにしても庶民が天皇を知らなかったという
事ではないじゃん。天皇が絶対王政を布いていたなんて行っている訳でないし。

61 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:07:02
>>60
ただね・・・
>>55の論旨からすると、「ようするに普通に日本に滞在していたらわかること」って、
最後の一言が引っかかるんだよねえ。
つまり
「彼らの大部分は入港する肥後国の諸港の他は何も見ていないので・・・」
の文中「彼らは」はそっくり庶民に置き換えられるのでは・・・と。
庶民の生活圏、なかんずく百姓の生活圏はもっと狭いから。
朝廷はもとより足利幕府の施政権など存在しなかった当時の地方で、
ポルトガル商人にとっての「国王」は、その地方を治める大名でしかなかったように、
百姓町人にとっては「御領主様」しか見えていなかったはず。
もっとも、「天皇を知っていた?知らなかった?」の議論は不毛だとは思うけど。
知っていたから・・・天皇を尊崇していたことにはならないし、
知らなかったから・・・天皇の存在意義が否定できるってもんでもないし、ネ

62 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:27:08
こんな記事も。

> (日本の)王朝は、キリスト以前の六六〇年がその始まりである。・・・・この年からキリスト紀元一六九三年に至るあいだ、
> すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝達が相次いで日本の帝位についた。
> 
> 彼等は日本人のもっとも神聖な創建者である天照大神の
> 一族の最古の分枝で有り、彼の最初に生まれた皇子の直系の子孫である等々の事を、極めて誇りに思っている。
> 
> 「日本誌」 一六九〇〜一六九三年に日本で勤務したドイツ人医師 エンゲルベルト・ケンペル

63 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:44:15
>>61

言葉すらわからない人間(外国人)と日本人が同列なのはどうかと。
京の都や公家なんか見たことなくても、会話が出来て風聞や歴史とともに暮らしている
なら宗教でいうところの仏の教えとか風俗、宗教、多少の地理や昔話
なんかは地元以外にも色々みれるだろう。


64 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:08:10
朝鮮通信使は天皇(偽皇とか倭皇)のこととかが
かなり書いてあるよね。

李鼎ai1712〜91)は
山崎闇斎(1616〜82)、浅見糸同斎(1652〜82)、若林強斎(1676〜1732)らが
幕府に反対を抱き西京を復興させようと活動していることを忠義の士だと賞賛していたりする。
結構間違いが多いいけれど、
当時の尊王家や反幕府感情の事なんかが割と紹介されていて、
熱を帯びた尊王思想との世評を受けて
このままだと幕府が滅びそうな勢いだけれども日本の皇が実権を握ったら
朝鮮国王は外交上対等な関係が結べない危険性があるなど慧眼な意見を述べる
人もいたりした。

65 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:43:58
あきらかな尊皇派である
崎門一派は幕府から弾圧を受けました。

66 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:26:53
明治や昭和みたいに天皇と一緒に死んだ(自殺)人っていんの?

67 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:45:54
>>59
宣教師なんて朝鮮人の報告と同じで
天皇から聖職者として認められずに謁見を拒否された為に
自らの功名を言いたいがために信憑性は低い。
だから日本の記録に無いことまで創作されてる。
だいたい、それなら信長が天皇の子を養子にする理由がない。


68 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:36:20
>>67
邦慶親王を猶子として迎えた理由・・・
なぜ正親町天皇に何度も邦慶の父、誠仁親王への譲位を迫ったか?
なぜ改元を強要したり、暦の制定権を奪おうとしたか?
なぜ官位官職のすべてを辞任したか?
天正9〜10年以降、天下統一の先行きが見えてきた頃から、信長は
あきらかに天皇を軽んじ蔑ろにしていた。



69 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 23:38:21
>>68
天正9年に譲位の意思を示したのに信長に反対されて潰されたのは正親町天皇の方だが。

70 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:30:46
江戸時代の鳥追いの歌は
はっきりと関白やら右大臣がどうのて
歌ってますね。これが各家庭や道を歌いながら回っていたわけだから
庶民も朝廷についてはあんがい知っていたと思われ。

71 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:40:34
>>62
その記事は極めて重要ですね。
一般的には明示以降の創作ぽく思われる皇紀が
すでに江戸時代初期には
知っている人には知られていたこと。

また天皇が天照大皇神の子孫であるという伝説も
この時代にも残っていた(忘れられていなかった)

という重要な裏付けですね。

72 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:51:22
>>55
その記事は実権や人々の尊敬うんぬんはともかく
当時の人が天皇こそ真の国生である
という認識をもっていたことを裏付ける資料ですね。
今の日本人はまるで自分達こそ
この国の主で、天皇は住まわせてやってる
というような認識のものが多いが
どうしてこうも傲慢な認識をもち謙虚さを失ってしまったのか
非常に遺憾です。

73 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:00:06
たとえ今の主が自分達であるとしても
千年来の国主の家に対して敬意をもって
接するのが日本人としての礼節ではないか。
それが武士道であり日本人の美徳であらう。

74 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 07:33:49
>武士道であり日本人の美徳
ププププ!いかにも低学歴らしい発言だな

75 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 08:18:15
>>71
何年か前に科学博物館で開かれていた「大江戸博覧会」には
江戸期にいたコイン・コレクターの収集品が展示されていたんだが、
その内の「皇朝十二銭」ってやつの箱書きには皇紀が使われていた。
皇紀なんて明治以降のものだと思っていたので驚いた覚えがある。

76 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 08:21:29
>>74
あんたの書き込みも、とても高学歴者のものとは思えないわけだが‥‥

77 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 00:30:04
>>69
ソースは?どうせ小説ネタだろう。
正親町天皇は、結局織田信長の死後も恋々と皇位に居座り続けた。

>>71
母国にはみられない制度や文化に興味津々、過大評価して
現実から遊離したいびつな日本像を描くのは、外国人の常。
江戸参府の経験はあるとはいえ、ほとんど出島に滞在し、
長崎町衆ら有産有識者階層としか接触をもたなかったケンペルの「日本誌」を
根拠にして、当時の庶民の天皇観を語るとは笑止。

78 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 05:54:26
>>77
そういうおまえはなんか必死。
えらそうな口ぶりのわりには全部勝手な思い込みしか語ってないし。

79 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 14:03:17
>>78
必死・・・2ちゃんでは、まともな議論のできないヤツがよく使う捨て台詞。

>>62は、1年も前の他スレにもあって叩かれたレスのコピペにすぎないわけだが、
まあ、日本人の起源を旧約聖書に求め、ユダヤと同根視する異人の著書を
よくもまあ、また性懲りもなく取り上げたものだ。
例えば、生類憐れみの令の評価など、庶民の実情とかけ離れた字面だけの分析・・・
ケッサクだから、読むといい。

80 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:10:39
>>77
宮中の女官日誌である「御湯殿上日記」ですが何か?

ついでに言えば、>>77は譲位した上皇の生活をどうするのかというのを考えていないのもよく分かった。

そもそも正親町天皇は天正年間には病気がちで本能寺の頃には非公式の政務は全部誠仁親王がやっていた。
ついでに言えば、譲位の儀式は仙洞御所の造営や新帝の即位式など莫大な費用がかかる(後土御門・後柏原・後奈良の三帝が当時不浄とされた在位のまま崩御したのも譲位するための金がなかったから)。
天皇の即位式や葬式も諸大名の献金がなければ出来なかった皇室は天正年間当時全国で唯一その費用が捻出できる存在である信長が縦に首を振らない限りは譲位したくても出来ない状況だった。
だから、一連の信長が正親町天皇に譲位を要求したとされる発言のあった少し前の記録を見ると実は全部正親町天皇が信長に譲位の件を無理やり言わせているのがはっきりする。
信長の本音は莫大な費用がかかる譲位に関わるほど天下布武が進んでいない段階で譲位を実際に行われては逆に迷惑だった。
実際正親町天皇の譲位が行われたのは毛利・上杉を味方に入れた秀吉がある程度天下統一に自信が持てる様になって仙洞御所造営を行った後の事。

一応、細かい点は橋本政宣(東大史料編纂所)『近世公家社会の研究』(吉川弘文館、2002年)の受け売りだがな。


81 :80:2006/12/17(日) 01:16:04
忘れていたけど、「御湯殿上日記」天正9年の3月22日には一旦朝議で誠仁親王の譲位が決定して「めでたいめでたい」と書かれている。
ところが、同4月1日に突然譲位の件が中止になった事は「兼見日記」に書かれている。

82 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 06:37:19
>>79
へえ、自分ではまともな議論をしているつもりなんだ?
横から見てると、>>77なんてのはあくまであんた自身の「印象」を語っているようにしか見えないんだけどね。
「外国人の常」だの「恋々と居座り続けた」だの、全然実証的じゃないでしょ。
まぁいいや。
じゃ、あんたの言う江戸時代の「庶民」がどういう天皇観を持っていたのかを、
1つ実証的に語ってくれないかな?

83 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 11:12:02
>>80-81
指摘の件のソースは、出典も含めすべてウィキペでは?
女官が日記に、天皇が信長に退位を強要されていたなどと書くわけがなかろう。
柳沢吉保が家宣に罷免された顛末を、正親町町子が「松蔭の日記」でなんと書いているか・・・側近く仕えた女の日記など。
譲位式から即位式に至る費用についても、捻出できなかった三好氏と同列にして信長の財力を侮ってはいけない。
象徴的なのは、譲位強要のデモンストレーションともいわれる天正9年2月28日と3月4日の洛中馬揃えの後、
左大臣への補任を、信長は3月9日「誠仁親王に御譲位あったのち、拝命したい」と奉答し拒絶している。
譲位を天皇が望み、信長が拒んだ――としたら、このやりとりは起こり得ない。

84 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 11:34:31
>>82
難しいなあ。沢山ありすぎて一つ挙げよと言われても・・・
「狂歌百人一首」「古今四場居百人一首」では天皇を役者になぞらえて誹謗する狂歌が収められ、
「花の幸」「色道禁秘抄」という天皇・皇后を題材にしたエロ本が庶民の間で読まれていた。
浮世絵師西川祐信の「百人女郎品定め」という絵草子や「夫婦双ガ丘」という皇后皇女をもじった枕絵もある。
あんまり不敬だと、逆に幕府が取り締まったほど。

>「外国人の常」云々が実証的じゃない・・だったら前にも出た『江戸参府随行記』 ツュンベリー(高橋文訳) 平凡社東洋文庫(1994)
でもいいや、読んでみろよ。


85 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 11:47:22
いかに天皇が庶民に親しまれていたかって事か・・・

86 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:16:20
>>84
幾つか記事をピックアップしてみよう。

> 正直と忠実は、国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんど無いであろう。
> 強奪はまったくない。窃盗はごく希に耳にするだけである。
> それでヨーロッパ人は幕府への旅の間も、まったく安心して自分が携帯している荷物にほとんど注意を払わない。

> 自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦に流れることなく、法律に準拠した自由である。

> 日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いを嫌い、憎悪を抱いている。身分の高低を
> 問わず、法律によって自由と権利は守られており、しかもその法律の異常なまでの厳しさとその正しい履行は
> 各人を自分の相応しい領域に留めている。
> この広範なる全インド(アジア)で、この国ほど外国人に対して自国の自由を守っている国は無いし、他国からの
> 侵害、詐欺、圧迫、暴力のない国もない。

『江戸参府随行記』 ツュンベリー(高橋文訳) 平凡社東洋文庫(1994)

87 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:17:47

> 天皇は、過去二〇〇〇年に渡るこの国最古の君主からつづく正統な一系の子孫に当たる。最古の時代は闇に
> つつまれていて不確かではあるが、他国と同様、恐らく一族の長または小藩主らによって治められていたものが
> その後一人の頭の許に統一されたのであろう。
> 
> 日本の君主についてのより確かな歴史は、西暦紀元前六六〇年に始まる。その時、統治は(略)神武に委ねられた。

> 皇帝は普通、内裏と呼ばれるが、ごく希に御門、代、帝、天神そして王と呼ばれる。私の日本滞在時までに、一一九人の
> 内裏が王位についた。

> 国民の内裏に対する尊敬の念は、神そのものに対する崇敬の念に近い。

『江戸参府随行記』 ツュンベリー(高橋文訳) 平凡社東洋文庫(1994)

88 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:27:42
まるで、おとぎ話の世界だね。

89 : :2006/12/17(日) 12:50:40
>>83
実はあれ書いたの俺だけど

90 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:11:02
雛人形・百人一首・都名所図会などを通して、江戸の庶民は普通に
朝廷や天皇のことを知っていた。

91 :80=水野白楓:2006/12/17(日) 13:11:36
>>80
ウィキでは端折って書かなかったが、信長自身は左大臣になる事を嫌っていた。
というより、自分と同じように比叡山焼き討ちを行ってその後暗殺された足利義教(極官左大臣)とイメージが重ねあわされるのを嫌っていた。
(足利義昭に出した『殿中御掟』にも義教を「悪い例」として挙げる等、義教の待遇の差はほとんど無かったから慌てて左大臣になる必要性もない(そもそも信長が右大臣時代に朝廷の儀式に真面目に出ていたか?)。
そもそも、前述のように格式の則った仙洞御所もない以上、天皇の意思がどうであろうが譲位なんて初めから出来ない。
(余談だが、東宮御所にはそれほど厳しい規定はなかったので二条御新造でも問題はなかった。東宮の御所は平安期からかなりいい加減だし)

92 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:22:25
>>89
ウィキペは自然科学の分野はともかく、あんまり信用できないと
「2ちゃんねらー」の間でも常識になっている。
けど、歴史の評価は、同じ史実についてさえいく通りもある。
だから面白いと思うんだが、その意味でキミの努力には敬意を払うよ。

93 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:33:07
>>85
>>90
「知っていた?知らなかった?」って議論の不毛さをいい加減悟れよな。
どう捉えていたかが肝心だろ!

>>91
真面目に質問
では、信長が征夷大将軍と太政大臣の誘いまで断わった理由は?
実は引き受ける意志がありながら本能寺で斃れたとか、秀吉が書状の中で大相国様と信長を呼び、
彼に引き受ける意志のあることを察していたという説は、
時系列的に見て、かなり無理があると思うんだが・・・

94 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 12:32:09
ウフォ!生水野!

95 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 01:00:04
やあ

96 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:00:03
>>75
わたくしも皇紀は明治以降のものでないかと
思ってました。本当はいつから使われていたんでせうね。

97 :一院友:2006/12/19(火) 23:04:31
ところで徳川家康の蔵書に
この時代一部の宗教家ぐらいしか
所持しえなかった秘本「日本書紀」
を所蔵していた事実は一体何を物語っていたのであらうか?

おそらくこの時代、天皇本人でさえ
正確には知りえなかった古代天皇と古代日本の歴史を
家康は正確に知っていた可能性があるのだ。

98 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:30:32
>>75,96
ネタにマジスレするが、明治以降の所有者が書いたという可能性を考えることができないのかい?

99 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:06:55
>>97
日本書紀は本居宣長も研究していたらしいが

松坂に帰った宣長は医師を開業し、そのかたわら『源氏物語』の講義や『日本書紀』の研究に励んだ。
27歳の時、『先代旧事本紀』と『古事記』を書店で購入し、賀茂真淵の書に出会って国学の研究に入ることになる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7

100 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:08:45

> 江戸時代までは、官選の正史として記述された日本書紀の方が重要視され、古事記はあまり重視されていなかった。
> 江戸中期以降、本居宣長の『古事記伝』など国学の発展によって、日本書紀よりも古く、かつ漢文だけでなく日本の
> 言葉も混ぜて書かれた古事記の方が重視されるようになり、現在に至っている。

101 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 06:16:16
>>84
で、それらエロ本を元ネタとして、江戸時代の庶民はどういう天皇観があった、と
あんたは言うつもりなの?

102 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:34:21
>>91
>自分と同じように比叡山焼き討ちを行ってその後暗殺された足利義教(極官左大臣)とイメージが重ねあわされるのを嫌っていた。

でも結局同じように家臣に叛かれて殺されるわけかw

103 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:04:52
だいたい信長はそんなことをチマチマ気にするタマじゃないだろ

104 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:18:13
>>103
何を根拠に?小説?劇画?TVドラマ?

105 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:36:26
>>84
色道禁秘抄って、おいw
ああいうものを皇室への「誹謗」と受け取る感覚には呆れる他ないな。
いつの世も、大衆ってやつはそのへんのオバちゃんなんかより、
やっぱり地位も教養もセレブな人の色事の方がハァハァできるってだけの話だろ。
こんなたかがエロ本ごときで「江戸時代の庶民の天皇観」をわかった気になっているとは、
生半可に知識だけはあるようだが、日本人なら当然持っているはずの常識や感性ってやつがまるで無いことがよくわかる。

106 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:39:48
>>84
色々と知識だけはあるようだから、
おまえは「競伊勢物語」って歌舞伎の芝居についても当然知ってるだろうな。
3年前に国立劇場で復刻上演されたから見た奴もいるだろうが、
惟喬親王と清和天皇の皇位継承争いを背景にした話だ。
おまえみたいな奴は、こういうものも
「当時の江戸庶民は、徳川将軍のことは芝居に出来なかったのに、
天皇のことは平気でネタにしていた」などと言い出すのだろうよ。
だが、こんなのは芝居を見ればすぐにわかることだが、
天皇を誹謗するとか中傷することが主眼でも何でもなく、
早い話が、縁もゆかりも無い外国の王族の話にするよりも、
自分の国の昔に実在した高貴なお方の話って設定にするほうが、
観客が思い入れて盛り上がる、という単純な問題に過ぎない。
いいかえれば、それだけ日本という国は歴史の連続した古い国だってことを
「庶民」がわかっていたということでもあり、そうした日本国の歴史の象徴として天皇を捉えていたことにもなるな。

107 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:55:53
>>84
エロ本についてもう一言。
早い話が「尊い存在」「聖なる存在」だと分かっていなければ、
夜のオカズのネタにしたって何もおもしろくはなかろうってことだな。
俗にいう「涜神の楽しみ」「涜聖の楽しみ」ってやつ。
文化が爛熟してくると、えてして大衆はこういう方向に走るものなんだよ。

108 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:01:56
>>98
「マジスレ」にマジレスしてやるが、
あれをネタとはおまえもよくよく失敬な奴だな。
現物を見てもいないくせに。

俺が見たのは、12の貨幣がそれぞれ全部同じ大きさの小箱に納められ、
しかもその箱は華麗に金箔をおした、それはもう見事なものだ。
蓋の裏側には、それぞれの貨幣の御代の天皇の御名、元号と共に
わが国の紀元暦が記されていた。

で、何か?おまえは、明治以降にこれを入手した人間が
わざわざそういう箱をあつらえてきて、しかも紀元暦を書かせた、というわけか?

まあ、その可能性が「ゼロ」とまで言う気は無いがな。
しかしちょっと常識で考えてみるといい。
わざわざ手間と高価な金をかけて、しかもそういうあやしげな作為をほどこして、
所有者には一体何の得がある?
皇紀が明治以降のものだとはっきりしているなら尚更のこと、
そういう作為じたいが、品物の価値を下げることになるんだぜ?
珍妙な想像力を逞しくするより、
もっと普通に考えて、収集者には、
そういう教養なり知識なりがあったと考える方がずっと自然じゃないのかね?

もっとも、これを展示していた科学博物館側が、ろくすっぽ検証も鑑定もせず、
江戸時代のものと勝手に判断して展示した、とまで言い張りたいのであれば話は別だがなw

109 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:05:42
ま、このスレに限った話ではないが、
いくら生半可な知識があっても、常識と感性の無い奴はどうしようもないという典型みたいなバカがあまりに多いな。
どんなにたくさん史料を読もうが、肝腎の解釈する心の方がねじ曲がっているもんだから、どうしようもない。
まぁたぶん日本人の血が流れていないから、文字の上での知識ばっかりで、
感覚としてどうしてもわからんというのも無理は無いのかもしれんが、
そういう人は祖国である半島の研究でもしたほうがいいんと違うか?

110 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:33:26

お前は文字以外からどうやって史実を知ったんだ?w

つまり文字から文字以外のものを読み取るスタンド使いかw

111 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:39:37
>>110
どこからそんな壮絶に頭の悪いレスをひねり出せるものやら。
やっぱり日本語が不自由のようだな。

112 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:22:54
>>105-107
>>109
何をそう昂奮してるのか知らないが、語るに落ちたというべきか。
心から敬愛するものを、ふつう「涜神の楽しみ」の対象にはしない。
なぜなら何も知らないこと以上に、それは冒涜的な行為だから。
制度的に神とか、国主とかいわれていても実態を伴っていないがゆえに、
何の畏れもなく、庶民は狂歌や川柳、枕絵や浮世絵で弄んだのだろう。

113 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:22:54
横レスだが>>110みたいな頭悪いレス見るとイライラする。
>>>109は「文字以外から史実を知ることができる」などとは一言も言ってなくて
ただ単に、
「文字からの知識だけはあってもそれを総合する能力・感性がないと
dでもない結論を導き出してしまうことが、往々にしてある」という
ごくあたり前のことを言っているだけだと思うんだが。

>>110みたいな的外れなことを言う香具師がいるから、
研究者は専門バカだって言われるんだよ。

114 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:25:24
>>112
> 心から敬愛するものを、ふつう「涜神の楽しみ」の対象にはしない。

好きな女の子で妄想してオナニーしたこともないのか?
ちょっと人間としての経験に問題があるのでは

115 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:34:41
>>114
たとえが馬鹿すぎ。


116 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:37:43
>>115
なんで?
「人間は、心から敬愛するものを、しばしば冒涜の楽しみの対象とするものだ」
ということを明確に示す、非常に良い例だと思うが。

117 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:44:34
>>116
おまえのがオナニーする時、好きな女の子を辱め、愚弄するのか?
彼女が可哀想だな。
こっちまで馬鹿が感染する。もういいよ、ガキは寝ろ。

118 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:49:38
> おまえのがオナニーする時、好きな女の子を辱め、愚弄するのか?
そりゃ、しますがな。
セクスというのは女の子の股こじあけてナニをぶち込むことなんだが、
それが「辱め・愚弄」とは全く無関係だとでも思っているのか???

あんたはセクシュアリティーに対する自省が根本的に足りないと俺は思うが、
まあそれは置いておく。
俺がガキだろうと何だろうと、
いずれにせよ、俺のように「心から敬愛するものを冒涜の楽しみの対象とする」人間が存在する以上、
>>112のような論理は成立しないんだよ。
それだけ理解してくれればOK。

119 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:51:32
>>115
たとえは下品だが、それだけに本質を突いているともいえる。
人間ってそういうもんだ。
エロ本なんかを例に出す奴がいるからこういう話になるんだけどな。
>>117
ひょっとしておまえまだ童貞か?
真面目なのはいいが、学術書ばっかり読んでないで少しは文学でも嫁。

120 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:55:29

ここまで次元を落とされては。。。
変態を相手にした自分に、ただ嘆息。。。

121 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:59:32
エロ本の話をしていながら次元を落とすもなにもないもんだ。
江戸時代のエロ本は、現在よりも「高次元」のものだったとでも思ってるのかね?
嘆息なんかしてないでもっと真面目に議論をしてくれよ。

122 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:07:23
おまえエロ本エロ本って読んでみたのか?
名のある文芸人が歴史もわきまえて書いてるんだぜ。
俺は恋闕の情とはもっと尊いものだと思っていたが。
天皇への尊崇が、彼女への性欲と同列とは、たまげた。


123 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:10:30
>>120
あの程度で変態って、おまえ面白過ぎw
もし、まかりまちがっておまえに彼女がいたとしても
早晩振られるのは間違いないな。きっとおまえにすっごく不満抱いてるぞ。気をつけろよw

124 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:13:09
論理のすり替えはいい加減やめろ。
反論にもなっていない、ただの罵り。ホント馬鹿だなおまえ。


125 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:19:13
>>122
> 名のある文芸人が歴史もわきまえて書いてるんだぜ

>>118程度の変態妄想なら、近現代でも谷崎やらマルセル・プルーストやらが
崇高な文学として、作品化してる。事情は全く同じだと思うよ。

> 天皇への尊崇が、彼女への性欲と同列とは、たまげた。
少なくとも俺自身は、皇室への尊崇よりも、
昔好きだった子への恋慕の情の方がずっと崇高で、大きいものな。
別にたまげるほどのことではないと思う。


ってか、12月24日の深夜に、学問版でエロ話の議論をしてる俺ら(俺含め推定3人)って
客観的にかなり面白いぞww

126 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:21:52
>>111
お前は文字以外のものを文字から読み取れって書いてるわけだよな?
だとしたら間違いなく馬鹿の部類だよね

どちらが頭が悪いのやら


>文字の上での知識ばっかりで、
>感覚としてどうしてもわからん

127 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:21:54
最後の二行にだけ同意。
せめてイブの夜は楽しめや。

128 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:22:18
>>122
やっぱり昔のエロ本は今のより「高次元」だと思ってるらしいw
名のある文芸人?
歴史もわきまえて?
そんなの今だったら峰隆一郎みたいなもんだろがw
>天皇への尊崇が、彼女への性欲と同列とは、たまげた。
誰が同列だと言ってるんだ?
エロ本を例に出して「江戸時代の庶民は天皇をこんな風に見ていたんだぜぃ!」なんて
キ印なこと言う奴に、「エロ本ってものはね‥‥」ってわかりやすいたとえ話をしてやっただけなのに。
>俺は恋闕の情とはもっと尊いものだと思っていたが。
だから、エロ本を例にして語れば‥‥って前提だろ。
最初はおまえが得意げに始めたことだぞ。
そもそも彼女を大事に思う気持も、彼女とやりたいという気持も、
どっちも人間としての根源的なものだろ。
やりたいという気持を研ぎすまし、磨き上げていけば、
何があっても彼女を守ろう、という気にもなるってもんだ。
ま、こんなたとえをしても、あんたにはわからんだろうな。
とりあえず、まずは彼女作れ。話はそれからだw
>>125
それはいえてるw

129 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:25:18
>>113
お前、109の文は頭悪く見えなくて110は頭悪く見えるんだなww

これがお前の言う
> 文字からの知識だけはあってもそれを総合する能力・感性がないと
> dでもない結論を導き出してしまうこと

のdでもなくない結論なのかww
ロクなもんじゃねぇなw

130 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:28:32
ま、皮肉を皮肉で返したらマジレスする

113はもっと馬鹿ってことだな

131 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:29:10
で結局俺は>>118だが、

> いずれにせよ、俺のように「心から敬愛するものを冒涜の楽しみの対象とする」人間が存在する以上、
> >>112のような論理は成立しないんだよ。

↑これに対する有効な反論は得られなかった、と今のところ認識している。


ついでに言えば、俺は>>113でもあるんだが

>>129
> お前、109の文は頭悪く見えなくて110は頭悪く見えるんだなww
さよう。
なぜそう見えるかは、>>113に説明した。

もうそろそろ眠くなってきた。おやすみおまいら
(といいつつつい、また覗いてしまうのが2chの麻薬的なところだがww)

132 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:31:34
>>129>>130
あーあ。とうとう壊れちゃったよw
ちったぁ頭冷やして、おとといまた来な。
だんだん糞スレ化してきたことだし、俺もこの辺でそろそろ退散するとしよう。んじゃ!

133 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:31:51
>>122
妻帯者に彼女を作れとは、不倫しろってか?
峰隆一郎って(笑)・・・
男と女の話じゃなく、天皇について語れよ。誰かが言っていたように実証的にな。
ピントのずれた一般論で急に饒舌になるなよな。歴史のことは何も語らず・・・
別スレ行ったら。

134 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:35:11
頭おかしい奴に限って他人にそれを投射し罵る

他人に原因を求めるため
自分の思考停止に気がつかない

135 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:49:02
>>131
個人の嗜好については、良し悪しはいえない。これは認める。
ただ、文脈から言って、彼女へのセックスは彼女を愚弄・嘲笑すると言ってるのも同じことになる。
俺の目から見て、それは彼女を大事に思う気持ちなんてもんとは決して違う。
しかもここは天皇について語る場だ。
庶民が天皇を敬愛し尊崇していたことと、これを冒涜する楽しみに酔うこととは両立しない。
もし反論するなら、彼女がどうたらこうたらって話ではなく、反証を挙げるべきだろう。



136 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 03:26:28
ただ、マリアとセックスしたとか、弁天や観音とセックスしたとか、いう
夢を見たという説話は、意外に批判的ではなく好感をもって伝承されてい
る場合が多い。恐らく宗教的に突き詰めれば、性とは尊いものであって、
否定すべきものではないのだろう。もちろん我々凡人には達し難い境地だが。


137 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:10:51
>>135
> ただ、文脈から言って、彼女へのセックスは彼女を愚弄・嘲笑すると言ってるのも同じことになる。

だから、そういうことは論じていないんだ。よく読んでほしい。
俺が言っているのは、あなたの
「庶民が天皇を敬愛し尊崇していたことと、これを冒涜する楽しみに酔うこととは両立しない」・・(※)
という、その主張の根拠は何だ?ということなんだ。
俺(及びこのスレの他の人)からみれば、それはあなたが自説を説明するために
勝手に導入した規則にしか見えない。
なので、主張(※)を支持する根拠を何か示してもらわない限り、
>>112の主張にも同意することはできない。

で、あなたは(※)を支持する根拠として、
「崇敬するということと冒涜するということとは概念的に相反することだから、
それが両立することはあり得ない」と言っているように見えたから、
「いや少なくとも俺は女に対して、同時に崇敬しかつ冒涜することがある。
だから、セクシュアリティーについてはそういう、単純な二項対立的な論理は通用しないんだ」
と言ったわけだ。

↑こういう流れだから、
上記(※)を支持する根拠を挙げるべきなのはあんたの方だ、というのが俺の認識だ。
(そうでない限り、俺らは>>112の主張を受け入れることがでないから。)

138 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:33:36
>>108
本当に頭が悪いな。w
銭自体に手を加えなければ銭の価値は変わらない。
銭のコレクション自体は江戸時代の人のものかも知れないが、明治以降にそれをそっくり手に入れた人が箱を新調したか、箱に手を加えた可能性を考えられないのかといってるんだよ。


139 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:04:38
通りがかりの新参者だけど。
聖性にエロスとか冒涜は付きものだよ。
文化人類学、宗教人類学、精神分析学の知見などから汲めば上手い
具合に説明できるんじゃないかな?狭義の史学、民俗学だと
共同体を問わない庶民の心性の通有性を原理的には考えたりできないからね。
まあバタイユとかヘーゲル、フロイトを持ち出して説明しても、
学問として説得力がないって言われちゃうかな。この三者の議論も
和合できないから、適当につまみ食い引用になっちゃうんだよね。







140 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 08:22:10
>>138
あんた、文章3行以上あると読まない人?
もう1度よーく>>108を読んで、内容をちゃんと理解してからレスしてね。
バカっぷり全開でかなり恥ずかしいよ。

ああ、そういえば学校ってもう冬休みか。納得。

141 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 18:14:23
>>108
おやおや、坊や、部活前の書き込みでちゅか?
銭のコレクションと箱は別に考えろということが理解出来ないようですね?
コレクション自体は本物でもそれが入っている箱や箱書きの価値や成立時期が同じだという保証は全く無いのだが。
本当に知性の乏しい低学歴を相手にすると疲れるよ。

142 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:22:51
>>138
>手を加えた可能性を考えられないのかといってるんだよ

はぁ‥‥童貞妻帯者の次には、今度は輪をかけて猛烈に頭の悪いのが登場してきやがったな。
しかも>>141で恥の上塗りまでしていやがる。
そんなもん「可能性はゼロではない」って>108にちゃんと書いてあるだろ。
その上でどう解釈するかって話をしているんだろうが。
何よりも>108の最後にこう書いてある、
「もっとも、これを展示していた科学博物館側が、ろくすっぽ検証も鑑定もせず、
江戸時代のものと勝手に判断して展示した、とまで言い張りたいのであれば話は別だがな」

こんな簡単な日本語を理解できないおまえは脳味噌スポンジ状態か?

143 :142:2006/12/26(火) 00:24:19
そもそもおまえがほざくようなことが事実、もしくは強い疑念としてあった場合、
博物館側は、箱は展示すべきじゃないはずだよな?
もしくは「箱は明治以降のもの」って但し書きでも付けるべきだよな?
例えば刀の展示にしたって、刀身と鞘・鍔とで時代が違えばちゃんとその旨書いてあるのが普通だ。
いい加減な骨董屋なんかじゃなくて曲がりなりにも国の博物館なら、当然の話だがな。

144 :142:2006/12/26(火) 00:24:58
とにかく、俺はあくまで自分が見たものについて書いただけの話。
原物を見てもいないのに、一人で勝手にキレているバカがおまえ。
これ以上この件について文句や疑念があるんだったら、
おまえが自分で博物館に電話でもして抗議しろよ。
「皇紀なんて江戸時代にはあり得ないだろ!!いい加減な展示するな!」とか言ってなw

145 :142:2006/12/26(火) 00:27:28
まぁとりあえず、そこまでおまえが言い張るのなら、
まずは江戸時代に皇紀を使われていた形跡なんか絶対無い、といえる決定的な証明でも出来るんだな?
今のところ俺にはどっちともいえないし、ただそういうものが展示としてあったんだよ、って書いただけだけだが、
おまえの論証がこっちにもよく納得できるようなものなら、博物館には俺が問い合わせてやるよ。「誤解を招くような展示はするな」ってな。

146 :142:2006/12/26(火) 00:28:37
> 本当に知性の乏しい低学歴を相手にすると疲れるよ。

おいおい、おまえさんは自分を高学歴だと思い込んで自惚れているようだが、
いまどき大卒なんて腐るほどいるんだぜ。
それよりも、高学歴のくせにおまえ程度の読解力、理解力しか無いことのほうが、
低学歴よりもはるかに悲惨だって現実にそろそろ気付けよw

頼むから、日本語くらいまともに理解できるようになってから出て来いっての。

147 :142:2006/12/26(火) 00:59:49
念のため、もう一度書いておいてやるけど、その展覧会の名は「江戸大博覧会」だ。
つまり、そのコインコレクターが江戸時代の人物であり、
その人物が、どういった風に古銭を収集していたのか、その形態を含めての展示だったわけだな。
それに中身の銭の方は江戸時代どころか、「皇朝十二銭」、つまりもっと昔の、
それぞれの時代の貨幣だ。江戸時代の貨幣じゃないんだよ。
この意味、わかるな?

そもそもこの展覧会は、江戸の博物学的精神ってものをだな‥‥

‥‥って、もう面倒くさいからやめるわ。

とにかく、おまえの言ってるようなことが事実なら、
博物館が嘘ついてるか怠慢行為を犯したことになるってことだ。

以上、せっかくこっちがここまで説明してやったんだから、
おまえの高学歴とやらに相応しい見事な論証を期待しているよ。
それじゃヨロシク。

148 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:42:27
高学歴自慢な奴に限って知性が中学生以下だから気にするな


149 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 03:11:03
>>139
> 聖性にエロスとか冒涜は付きものだよ。
全くその通り。
バタイユや澁澤龍彦あたりの名前を出すまでもなく、
エロティシズムに聖性や禁忌が伴うなんてのはむしろ常識であって、
それがどうしても理解できずに激昂している人が約一名いるんだけど、
彼はおそらく日本史なら日本史の専門書しか読まないような、
糞のつく真面目人間なんだろうね。
本来なら真面目な人間をあんまりからかいたくはないんだけど、
あまりにもピントがズレていると思ったんでねぇ‥‥。

> 文化人類学、宗教人類学、精神分析学の知見などから汲めば上手い
具合に説明できるんじゃないかな?

うーん‥‥その通りだろうけど、そもそもそこまで難しい問題か?
ごく卑近な例ですら、
エロといえば、やれ女子高生、看護婦(あ、今は看護士って言わなきゃいかんのか?)、
女教師、制服、人妻、セレブ若妻etcといった具合に、
近年ではその聖性に疑問符がつくものもあるとはいえw
それでもそれらの言葉が喚起するイメージというのは、
本来なら道徳的にしてはいけない禁忌とか聖性とかと相俟って生じているものであることは明白。
素朴で原始的な、健康的な社会ならいざ知らず、
ある程度の発展をとげた社会は、
必ず聖性を冒涜するエロティシズム文学なり、
退廃芸術なりを生み出している。
近世以降のヨーロッパ文学や芸術を見ても、
教会や貴族や法王を風刺したものだの、性的にこき下ろしたものだの、
醜聞を描いたものなんてそれこそ掃いて捨てるほどあるよ。
江戸時代だってあれだけ文化的に爛熟していたんだから、
そのくらいの本は、むしろあって当然なんだって。

150 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 07:49:45
>>142
は〜〜〜あ、これだから低学歴は困るんだよな。
「博物館の学芸員=何でも知ってる知の最高権威」妄信論。学芸員もピンキリ。本当に何も知らない学芸員なんて掃いて捨てるほどいるよ。あんたはしらんだろうが。
しかも、あんたは日本語がまともに理解できないみたいだし。牛丼の食い過ぎで狂牛病になったのかな?
無知蒙昧な小学生の方がマシだよ。

151 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 12:43:00
日本の博物館学芸員はランク的には大学助手クラスだからな。優秀な人は数年で大学に転職して、定年後に館長として戻ってくるというのがパターンだからね。
企画展も内容を館全体でチェックしているところは殆どなくて、担当学芸員一人で好き勝手にやっているところが多い。国立含めてね。
地方博物館はもっと酷いところもある。博物館は左遷の地で本庁の教育関係部所で失脚したり、無能の烙印を捺された人達が流れてくるところもある。
当然まともな展示なんてする能力も気も無い。地方の博物館にいって、いつも同じ展示なのはこの類。

152 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:25:48

もう、どうしようもないバカだなこいつは。
思い込み、願望、劣等感がないまぜになって完全に冷静さを失っている。

いいか、もう一度、自分のレスをよ〜〜〜〜〜く読み直してみろ。
「恥」を覚えないか?え?無能の高学歴君w

153 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:52:15
冬休みだし厨房は湧くよねw

154 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:53:05
残念中学生ではないよ。

155 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 21:03:20
一人三役お疲れ様
ブルーワーカークソ

156 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 21:28:59
学生なのか?

157 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 21:30:51
NEETで正真正銘のプーですがなにかw
くだらない高校は3日でじゅうぶんww

158 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:02:14
大奥て陰湿だね
姑の和宮いじめ

159 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:20:06
数分間に次々と自作自演の書き込みって相当知的レベルが低い人なんだな
もう一つ、最近博物館の企画展示でもイベント会社に丸投げというケースが増えている。
夏休みによく上野の博物館がやる恐竜ものや、今どっかの博物館がやってるエジプトものなんてのが典型。マスコミの協賛を取り付けるとマスコミが特番で宣伝してくれるから集客は見込める。
もちろん展示はイベント会社が殆どするから学芸員の仕事は殆ど無い。

160 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:34:22
一応言っておくけど中卒じゃない。
フリーターでワーキングプワーだがニートじゃないな。


161 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:58:52
>>159
呆れたな。自演なんぞこっちはしてねえぞ。
そんな必要も全く無いしな。
それよりも、1つ訊いていいか?
おまえの誇る学歴とやらについてだよ。
そこまで自惚れることができる学歴ってどの程度のもんなのか、
ぜひ参考までに教えてくれ。

162 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 01:35:16
>>150>>151

>「博物館の学芸員=何でも知ってる知の最高権威」妄信論。学芸員もピンキリ。本当に何も知らない学芸員なんて掃いて捨てるほどいるよ。あんたはしらんだろうが。

はいはい、学芸員よりも博学で知的な高学歴くんはご立派ですよw

で、そのご立派な人の言いたいことが、
「学芸員=ヘタレ=展示物は嘘」
って、中学生もびっくりの杜撰な三段論法でしかないってのが
またどうしようもなくくだらないんだよなぁw

仮に百歩譲って、どんなにいい加減な学芸員が多いからといって、
くだんの展示物が嘘だという話にどうしてなるわけ?
こんなもん、象さんでもわかりそうな理屈だろうがw

言っとくが、俺は別にくだんの展示会を盲信なんかしていないぞ。
何度も書いたけどな、これ。
しかしだな、現段階まで、おまえは俺が見たものを否定するだけの
有力な論拠を、何1つとして提示できていないんだぞ。
だったら、少なくともどこの馬の骨ともわからんおまえなんぞよりは、
まだしもずっと信頼できるってもんじゃないのか?
それが世間ってもんだろ?

163 :162:2006/12/27(水) 01:36:55
前にも書いたことだが、あまりに無理解なのでもう一度。
俺はただ自分が見たものについて書いた。
それについて、おまえがそんな展示品はガセだ、その学芸員は糞だって主張するのなら、それだけの論拠をきちんと示してみせろ、ってことなんだよ。
「学芸員なんていい加減だから」ってだけじゃお話にならねんだよw

> 無知蒙昧な小学生の方がマシだよ。

ああ、おまえにとってはそうだろうさ。よ〜くわかるぞ。
その杜撰きわまりない屁理屈で、何の疑問も抱かずに納得してくれるのは、
小学生もせいぜい3、4年生くらいまでだろうからなw

いいか?
あんたが仮にどれだけおえらい肩書き持ってようが、立派な学歴を持っていようが、またその逆であろうが、こういう匿名掲示板では一切関係無いのよ。
相手を納得させるのも、説得するのも、純粋に意見のみ。
全てはその内容次第なの。
納得させてくれる論拠を挙げてくれや。な?

ま、権威とか肩書きに弱そうなおまえには、向いていない世界かもねw

164 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 03:27:47
年明けても喧嘩し続けるのか
仲いいなおまえら

165 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 05:52:18
ちゃんと就職しろよ。

166 :150:2006/12/27(水) 07:33:58
>>162
やれやれ、あんたは本当に人の意見を聞けない人だな。
オレは何も嘘だなんて断言していない。その可能性があるし、国立博物館だから絶対正しいと言うことはないといってるだけだよ。
ま、仕事柄博物館の裏側を色々知ってるもんでね。

167 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:44:48
>>149
139だけど。確かにそうだね。

168 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:53:06
>>106
その芝居、観たよ。
猿之助が科白覚えてなくて、舞台袖から科白が聞こえてきたのには
笑ってしまったけど。そうか、あれは有名な清和惟喬の話か。
いわれてみれば。
これは余談だけど、民族派の鈴木邦男もいた。国立劇場に関わらず、
歌舞伎座でもけっこう著名人って見かける。まあミーハー的な
書き込みになってしまったね。

169 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:59:20
>>166
やっとトーンダウンしたね。
あんたが初めからそういう調子だったなら俺もここまで絡まなかったよ。
何せ、ずーっとこっちを揶揄するような口調だったからな。
少なくとも原物をあんた自身で見てない以上、
ああいう決めつけるような言い方をいきなりするんではなく、
まずは「どんな風な展示だった?」とか「どんな主旨の展示だった?」とか、
他に聞きようは幾らもあったと思うぞ。
せめて「それって明治になってから別人が書いたってことは無い?」
くらいにしておけば、俺だってもうちょっと違った対応をしたよ。

いずれにしても、あれがガセだと、はっきり言いきれるだけの根拠はあんたには無い。

これでいいな?
じゃあこの問題はひとまず終わり。
こっちも皇紀の使用がどうだったのかは本当に知りたかったので、
あんたがちゃんと論証してくれるんであればとちょっとは期待していたんだが、
まぁ仕方ないや。

170 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 23:07:54
>>168
今年正月にNHKで放送された中村富十郎(=人間国宝)の芝居もそれがいっぱい聴こえたw
まあ歌舞伎は初日とかそれに近い日だと、役者もまだ台詞覚え切れていないんだろうね。
てか、大物役者ほどその傾向があるような。スレ違いすまん。

171 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:43:30
>>68
暦の「統一」するように要求しただけですが
拡大解釈しすぎですね。 
あと72-78の議論の君の論理だと信長公記は秀吉の後付け小説の類なんですが


172 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:48:49
>>171
朝廷の専権である暦の制定に介入することの持つ意味を
過小評価しすぎですね。

173 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:58:54
歌舞伎にもプロンプターが普通にいるということを知らない馬鹿がいるね。

174 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:33:59
>>172
当時は暦なんて各地域でバラバラに有ったんだけど

朝廷以外が暦を配布してるんだよ


175 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 11:07:54
一応許可されてるけどな

176 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:19:33
政治の実権がなかった朝廷にとって宮中行事はなにより重要です。
その基になっているのが700年以上も続く、宣明暦を基に朝廷が
定めた京暦です。
それを三島暦を基にした尾張暦に変えようとした信長の狙いは、
暦の統一というより、宮中のしきたりや諸行事を変更させ、
朝廷を管理下に置くことにあったと見るべきでしょう。
京暦否定のため、信長は殲法講を中止させたり、土御門陰陽頭を加茂在政と
安土城で対決させたりしています。

177 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:44:11
信長は熱田神宮とか尾張系の神社勢力の影響が大きいからなあ

178 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:04:17
>>173
プロンプターがいることと、実際にその声が観客やお茶の間にまではっきり聴こえてしまう可笑しみとはまた別の話だろうに。
何かというと、すぐに「こいつ知らねえでやんの!ウププ!!」ってなる奴は精神年齢幼な過ぎ。

179 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:05:06
>>176
京暦と尾張暦ってそんなに違うものなの?

180 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 07:06:22
>>176
暦を変える→宮中のしきたりを変える→朝廷を管理下に置く‥‥
うーん、発想としてはありだとは思うけど、
単に普段自分が普段使ってる暦を朝廷も使ってよ、ってだけの話のような‥‥
後年の秀吉や家康を見ても明らかなように、
わざわざそんな面倒なことしなくたって、
自分の権力基盤の安定のために朝廷に尽くしてもらうことは可能でしょ?
かえって反感買うだけ損な気がするんだけど。
もうちょっとこの辺具体的に解説してくれる?

181 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:46:08
あまり知られていないが、明治天皇以前まで即位の礼の時に
天皇や皇族・公家などは古代中国風の服装で儀礼を執り行っていた。
イメージとしては「秦の始皇帝」の格好といえば分かりやすいだろう。


182 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:56:01
中国の皇帝は、天帝から与えられたという「時」の支配が権威の源泉になっていました。
朝廷も同様です。すでに世俗の権力を失っていましたから、時の支配を意味する暦の制定は、
(特に農事に関わる宮中祭祀に深く影響することもあって)固守したかったでしょう。
各地に独自の地方暦や農事暦があったのは事実ですが、もともと封建制の下でそれらを統一するのは
無理な話です。朝廷にとっては、公式暦を定める権限を独占することが重要なのです。
ですから、あらたな権力者にとっては、その専権さえ天皇から奪うことは、権威の移行を印象づける
象徴的な出来事になるのだと思います。
実際、織田信長に限らず足利義満も暦の改変を試みています。(朝廷の抵抗が大きく、頓挫しましたが)
江戸幕府は、当初宣明暦(京暦)を無視して、三島暦を採用していましたが、
のちに渋川春海の大和暦(貞享暦)を京暦に変えるよう朝廷に押しつけました。
朝威回復に熱心だった霊元天皇は、ずいぶん憤慨されたそうです。
まず改元に口を出し、次に改暦に介入する・・・信長も徳川将軍家も、
朝廷の権威を削ぎ、おのれが時の支配者でもあろうとする道筋は同じみたいですよ。


183 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:57:36
ついでに・・・暦の改変は、朝廷VS権力者という構図でのみとらえるべきではなく、
暦の研究の進歩という側面も確かにあります。
ただ、そのタイミングからして、いかにも政治的な意図ミエミエと思えるのです。
また、当時の熱田神宮が朝廷に倣って宣明暦を用いていたか?関東東海の武士階級が
使っていた三島暦を採っていたか?は、以前神宮に問い合わせましたが、明確な回答は
得られませんでした。丹念に調べればわかることでしょうが、まともに相手にされなかったのでしょうねえ(笑)
どなたかご存知なら、教えて下さい(乞)


184 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:40:26
妖狐九尾の狐
の話しは江戸時代、読本や歌舞伎にされたりした。
中国、天竺で三王朝を破滅させ日本に渡来。
鳥羽院の側室かなんかに化けたのを
陰陽師阿部泰親に退治されるストーリー。

185 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:50:50
>>173
プロンプターがいるのは知っている。
これでも歌舞伎マニアなんでね。たぶんあなたよりかは
観ていると思う。
178氏の言うところが正しいです。
余談だけど歌舞伎って稽古時間ほとんどない(数日間)取れないらしいね。
他の演劇(新劇とか)の稽古時間もそんな感じかな?

186 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:58:47
>>185
歌舞伎は毎月1〜25日興業が基本だから
その後の5日または6日で舞台装置や衣装まで揃えるわけだし
だからこそ「家の型」だの「伯父さんに教えて貰った」だの
梨園という世界の中で育つことが重要なんだよね

187 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 20:02:09
>>186
そう、その通りだね。



188 :omikuji 【吉】 !:2007/01/01(月) 20:03:51
omikuji!

189 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 23:32:42
>>173
プロンプターがいるのは知っている。
これでも歌舞伎マニアなんでね。たぶんあなたよりかは
観ていると思う。
178氏の言うところが正しいです。
余談だけど歌舞伎って稽古時間ほとんどない(数日間)取れないらしいね。
他の演劇(新劇とか)の稽古時間もそんな感じかな?

190 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 23:37:38
江戸時代の町人は歌舞伎などで天皇の存在を知っていたんだろうけど、
それを持って「日本の象徴と捉えていた」というのは飛躍しすぎだな。

191 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 02:02:46
しかし歌舞伎ってのもアナーキーな芝居だよね
菅原伝授手習鑑なんてストーリーも何もあったもんじゃないし
○○実は××(と思いきや)実は△△なんちゅう役があったり

192 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:07:49
教会の青年会にいた頃、
『天使祝詞』の「御身は女のうちにて祝せられ・・」という一節を
「女のくせに祝せられ・・」って揶揄していた覚えがあるけど、
信仰ってもんが当時はわかっていなかった。
神にせよ、天皇にせよ、ほんとうに心から崇拝した者の気持ちは
評論家みたいな論評しか出来ない人にはわからないんだろうなあ。

193 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:03:50
歌舞伎を観てるってけっこうヘンじゃね?
マニアでも知らないことなんだが
普通は丸暗記。

194 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 02:22:52
かくして、ここは歌舞伎スレとなった

195 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 16:25:40
>>97
うーむ、家康はむしろ皇室に圧力を加えたもの
として有名だが、

196 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:16:54
「日本書紀通証」
寛延1年成立

197 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:18:43
知っていたからこそ、圧力をかけたって論理も成り立つのでは?

198 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:02:50
たしかに、特に天海は熟知していた
としか思えない。

ところで十返捨一九「宝船桂帆柱」
「ふいご祭の図」の沿書きには
神武天皇からゆうりゃく、にんけん、すしゅん、
さらに聖徳太子へと
この祭の由緒らしきまのがおおっぴらに書かれている。
なぜか江戸の職人は朝廷よりの由緒を好んでいた
傾向があるんですよね。

199 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:13:56
刺青の人気は国芳の水こ伝シリーズ。
水こ伝と言えば反体制の親朝廷派。

水こ伝の刺青を入れた勇み肌のものたちは
反幕府の親朝廷であることを
暗に示していたのでしょう。

200 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:15:09
白波

201 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 05:42:42
>>199
単に英雄豪傑が好きなだけだと思うが‥‥

202 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 09:56:30
いやいや、刺青を入れる
鳶、職人連中は
昔から親朝廷派ですよ。

江戸時代の大工にとって
必須道具の曲尺の発明者は
聖徳太子であることは常識でした。

203 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:24:16
信心深いというか仏ならOK。昭和まで観音とか不動が人気だった。

204 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:09:00
水滸伝の刺青が、反幕府親天皇の暗示って?
飛躍しすぎ。

それも“お江戸”の職人がッ!!!

205 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:10:58
曲尺の発明者が聖徳太子かどうか知らんが、
それだけで大工は親朝廷になるものなのか?


206 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:11:58
九代将軍家重を「小便公方」「あんぽんたん」と嘲っていたのが江戸の町人だが。

207 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:13:48
囃し立てた人間は不審死とかで闇に葬られたそうだ

208 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:16:40
聖徳太子信仰とか七福神信仰とか江戸時代はかなりごっちゃになってる。聖徳太子って
禁教のキリストとかの暗喩だったそうな。

209 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:22:30
フジでやってたバラエティか

210 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:15:12
>>204 そのお江戸の職人のイメージは
鳶職ですね。彼らは職人というより人足ですから。
しかも幕府に町火消しにとりたてられたため
「お江戸の職人」を気取るようになりましたが
それも幕末から明治になってからですね。
ひねくれものですから、和良

211 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:19:37
>>205
いまでも職人の世界では
上方、京都の伝統技術こそ
最高のものとして修業します。
そして江戸の商家の大店の多くは
もともと上方からの出店です。

212 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:41:35
>>191
マンガみたいなもんじゃない?
「銀魂」(題ってこれでいいっけ?)とかさ。こんな感じでしょ。


213 :【特大吉】→【3京円】:2007/01/05(金) 18:16:52
こんな感じじゃねーよ

214 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:45:14
東京大学の山本博文 著「ビジュアルNippon 江戸時代」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%ABNippon-%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%8D%9A%E6%96%87/dp/4096230421/sr=1-1/qid=1168061152/ref=sr_1_1/503-1894472-8621517?ie=UTF8&s=books

を立ち読みしたんだけど、朝廷関連だと「明正院御即位図」と「禁門之変図」があった。

「明正院御即位図」は、>>16の桜町院の即位図のように、庶民が見物していた。
そこには授乳する母親、待ちくたびれて居眠りする女、幟をいたずらする子供なんかが描かれていて、
興味深かった。

「禁門之変図」を見ると、公家門の南側に今は無い小さな門があることが分かる。
地下官人用かな?
また、観修寺邸で割腹する長州藩士なども描かれていた。
迷惑だったんだろうな。

215 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:22:52
>>214
それはおもしろい資料の発見ですね。
長州藩士が寺で割腹してるのは
禁裏を血でけがさないためだと思います。

216 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:24:54
後陽成天皇は
「従神武天皇百余代之孫周仁」
と名乗っていました。

217 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:47:29
長州藩士が切腹したのは禁門の変でのことだと思う。
>>215
寺じゃない、観修寺邸。
長州藩の与党だった観修寺家に藩士がたてこもっていて、
自刃したもの。

218 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:06:28
江戸の職人の話といい、なんでもかんでも天皇崇拝に結びつける
天皇ヲタ。
「イワシの頭も信心から」とはよく言ったもの。

219 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:34:42
>江戸の商家の大店の多くは
もともと上方からの出店です・・・ウソ八百。


220 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:56:49
江戸店(だな)持ち京商人、江戸店(だな)持ち大坂商人。
例えば、伊勢から京へ出てきた三井高利が京都で開業した
三井越後屋呉服店の江戸店(江戸支店)が現在の三越百貨店になった。

221 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:34:10
>>220
例えば・・・って挙げた代表例の三井が、そもそも京・大坂商人じゃないジャン。
三井が伊勢松坂から江戸と京都に開業したのはほぼ同時期。
「江戸に多きもの 伊勢屋、稲荷に犬の糞」とか「伊勢乞食に近江泥棒」などと
いわれるように、近江商人、伊勢商人が江戸で商売を繁盛させていたのは確かだが、
京・大坂商人とゴッチャにしちゃいけない。 



222 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:39:35
近江泥棒か、昔の人は上手いこというな
あのえぐい商売の仕方と、近江商人が通った後はぺんぺん草も生えない
ほど根こそぎ持っていく様は泥棒としか言えん

223 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 12:46:32
>>215
>>217の仰るように勧修寺邸です。
山科の勧修寺ではなく、蛤御門の北側に有った勧修寺家の屋敷。

それと>>214は、
「観」修寺 ×
「勧」修寺 ○ です。
間違えました。

224 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:44:53
上方すげーな。

225 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:00:01
>>220-221
三井高利は、江戸には行かずに伊勢の松坂から遠隔経営してたんじゃ?

「現場の論理」に流されるのが嫌で。

226 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:08:11
千石あれば国が買える。億どころか兆である。

227 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:09:10
300石は今の9億から12億の価値は
あるよ。


228 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 14:57:58
10万石だとどんなもんでしょう

229 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:59:54
227は、水増し過ぎるでしょ。1万石で大名だから10万石なら規模的には10億くらい?

230 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:18:17
江戸期の凶作130回(うち大飢饉21回) → 時代が下るほど慢性的・周期的
     寄生地主の下で農奴的生活を強いられ、生産意欲が減退した。

庶民は地獄のような時代。

231 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:24:37
10万石ってすごいぞ。子爵くらい。

232 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:22:58
トンクス

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