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♪邪馬台国、ドンと来い♪ 10

1 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:37:15
                 くまー
                r -、,, - 、
            __    ヽ/    ヽ__
  くまー     ,"- `ヽ, / ●     l )
         /  ● \__ (● ● i"
        __/   ●)      ̄ )"__ "`;
      .(_i  ●    ' __, '"  ̄`'(___/.i⌒i
        丶_ ,i⌒i,,_(_/    ● i ̄ ̄ )_|__
      __, '"   ̄ ヽ! ● ●)  ミ~ ̄_● ヽ)
くまー   (_/     ● i    ∪  / ⊂{●  | くまー
       l ●( _●) (  ̄)-    /   -'  i
     /ヽ、   |∪l   T      i     ● '")

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!


♪邪馬台国、ドンと来い♪ 9(どうでもいいが実は10)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1165304668

邪馬台国畿内説を議論するスレ10
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1165300615




2 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:40:04
<<<邪馬台国は宇宙人が作った都市だった!!!>>>

      _人人人人人人人人人人人人人人人_
        >      な、なんだってー!!    <
        ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
   ∩___∩              ∩____∩
   | ノ     u ヽ            / u     u └|  ∩____∩
  / # ●   ● |           | ●   ● # .ヽ/  u    └|
  | u   ( _●_)  ミ          彡   (_●_ ) u  |●   ● # ヽ
 彡、   |∪|  、`\        /     |∪|    彡  (_●_) u   |
/ __  ヽノ /´>  )       (  く   ヽ ノ   / u   |∪|    ミ
(___)   / (_/        \_ )      (  く   ヽ ノ     ヽ



3 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 01:20:38
前スレは神武東征の話題で終わったよ 
東征というか婿養子の旅。

果たして彼はなぜに日向を出たのかな 熊襲に追われたか?


4 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 01:29:44
しかも立寄った宇佐の比売大神は航海神

社殿には大神は天照大御神と素戔嗚尊のウケヒ(宇気比、誓約)と表現 
物実はスサノオの剣 これってどういう意味だ

5 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 04:13:38
なんか勝手に婿養子に帰結したい奴がいるな
東征もあやしいが婿養子も怪しい

6 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 07:19:21
婿養子論なら1世紀には天皇に先立つ支配勢力が大和に居た事までは認めるんだよね

7 :太国:2006/12/10(日) 08:00:43
未明の夢はゴーゴン(語黄金)の顔の絵の古紙を誰かが発見し、取り合いに
なって破られたがムー誌らしい編集部に電話をかけて記事に役立つとかの幻
だった。w
メドゥーサ(面土宇佐)か〜? 顔を見られないで、鏡の反射でこの顔を
見る、その様相が分かる女だたよな? 比売大神も顔が知れない。
倭面土国か〜。卑弥呼の鏡〜?

8 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 08:31:25
岡山を出て速吸の瀬戸(鳴門海峡)を抜けるまで交戦の様子もまったくない。

つまり大阪湾にはいるまで、神武隊は天毎氏の同胞か同盟氏族の勢力圏内
にあったという事だ。これは鉄器の分布ともほぼ一致する。
河内湖畔で大敗し、兄弟まで失いながら、紀伊半島を迂回した行程をみれ
ば、河内に強力な抵抗勢力が存在した事が見て取れる。これは同地の高地
性集落の存在を裏付けるものだ。大阪湾〜河内湖は当時の最前線だったの
だろう。

問題はそこまでして大和盆地に行こうとした動機だろう。
記紀では日向にいた時に、大和盆地が"山垣に囲まれたよい土地"だからだ
という事だけだ。彼にとって今いる日向を捨ててまで東の見も知らぬ土地
に行く動機には弱いとしかいいようがない。
しかし、それは彼がその必要に迫られていたとしたらどうだろう。
"山垣に囲まれた"=防衛に適した土地だと考えれば、彼は誰かに追われてい
たのではないかと思われる。九州に彼を訴追する動きがあり、その追捕の
手の及ばない大阪湾の東の処女地への「逃避行」が本当の事実ではなかった
のか。「八」の因縁のある"ヤタガラス"の導きとは大和盆地に定着していた
「ヤマタ」「ヤハタ」を奉じる出雲系豪族の手引きの事であったのではない
か。
つまり、九州王朝の勢力圏からのエクソダスが神武東征の本質であったのだ
ろう。そしてその逆襲は"磐井の乱"鎮圧であったのだろう。

九州では女王国と奴国が対立していたと魏志にはある。奴国こそ南部九州の
日向ではなかったのか? 筑紫と豊前・豊後・日向の対立の中で生まれた逃避
行なのではないか?時期的に女王国が東遷すべき必然はないという事は、アン
チ勢力の一部であったと神武の行動はみるべきだろう。

9 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 08:38:32
>>6
そのとおり。そしてその勢力とは出雲に起源を持つ大国主(大物主)でしょう。
ちなみに出雲時代の王の名前は「須佐の王」でしょう。

10 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 09:28:54
スーサ(アケメネス朝ペルシア帝国の首都)の王=ペルシア(イラン)の王
まあ、実際古代にイラン人来日してるけどね。

11 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 09:32:23
氷川ひろしじゃないんだ・・・

12 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 09:52:29
>>5
多分、その人自身、婿養子なんだよ。

13 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 10:14:17
>>10
AAもちゃんといれろよ。w

14 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 10:30:08
【妄想】邪馬台国 ドンと来い【オカルト】

15 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 10:52:04
朝鮮人のWikipedia(ウィキペディア)捏造に対抗せよ 15
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1163475222/

16 :一応九州王朝説:2006/12/10(日) 11:28:58
>>8

ありそうな話だが、違うと思います。
大倭の称号を後生大事に抱えていることからして逃亡者や罪人では
無いだろうし、それならば先行して同様に三種の神器を擁する(?)
ニギハヤヒに取って代わる理由もない。或いはニギハヤヒ系と合体
或いは吸収されたのかもしれないが、それならばもっと明確に「物部
王朝」を誇示したはず。

私の考えは、やはり人口増の圧力だったと思います。一時的なミニ氷
期その他の要因による気候変動、九州の限られた耕作地、海産資源の
枯渇・・・。

それぐらいの必然性がなければ、大勢を引き連れての決死の戦いは考
えにくい。逃避行なら途中経由地でもすぐに追撫の追っ手はかかるだ
ろうし、それは神武記の滞在記録が仮に二倍年歴だとしてもやはり長
すぎる。やっぱり植民、それも各地での植民も飽和状態な中でのある
意味それしかない的な、メイフラワー号のような感じだったと思いま
す。それも、九州王家全体のコンセンサスの下直接支配領域を拡大す
るという大義名分の下の。確かに激戦の中3人の兄も失って、後世巡
礼者に死地とまで言われた熊野道を遙か奈良盆地まで、例のうちして
やまんの勝ちどき(?)など、生き生きとした戦いの様子は逃避行か
ら生まれるとは思えない。

17 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 12:03:29
6世紀初めから7世紀初めの遺跡だが、兵庫県小野市の焼山古墳群が木棺直葬。


18 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 14:25:27
神武東征の理由についてはずっと考えてきたのだけど、日本書紀によると、
神武天皇は、『東のほうに良い土地がある。青い山が取り巻いている。
そこに都を作ろう』と言って東征に出かけた。

景行天皇が熊襲征伐で日向にやってきたときも同じようなことを言っている。
『大和は最も優れた国。青々とした山が連なって、垣のように包んでいる』

宮崎と奈良の両方に住んだ経験のある人はピンと来るものがあるんじゃなかろうか。


19 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 15:48:55
>>18
奈良の自然は確かに日本じゃ独特だと思う。ひとことで言えば「重厚」

20 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 16:20:57
考古学をまじめに勉強していたら
神武東征がどうやらこうやらよりも
崇神以降をまず考えないといかんわな。
マキムク遺跡と崇神以降は繋がっているんだから
これ以上、記紀と考古学が一致する話は無いわけだから。
中国の史書に少ししか出ていない邪馬台国がどうたらこうたらの話は
まず、記紀の詳しい古代の天皇の崇神がどうのこうのから
話を始めなきゃいかん。

21 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/10(日) 18:12:18
>>20

真面目に勉強していたら、『記・紀』と(神武や崇神)を一緒に語らないよ

22 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:00:48
>真面目に勉強していたら

何をもってマジメというかって問題があるがな。

23 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/10(日) 21:39:34
こっちのドン来いが本筋なのよね。
ここのスレレベル高いんだから。みんな知ってた?

24 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:56:36
卑弥呼:年長大なるも夫壻なし
卑弥呼を日本書紀の天皇にしたら血統絶えたことになる。で、神功皇后
とかでごまかしたってどう?

25 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:06:52
>>24
その説は無理がある...


26 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:12:08

>神武東征の理由についてはずっと考えてきたのだけど、日本書紀によると、
>神武天皇は、『東のほうに良い土地がある。青い山が取り巻いている。
>そこに都を作ろう』と言って東征に出かけた。

それは、結果的に神武の子孫たちがスサノヲから続く出雲系大国主から、権力を
かすめ取る事に成功したからではないでしょうか?九州以外からも、神武のようにして
畿内(おそらくはマキムク)に入った人たちがいたんじゃないかと思います。

27 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:13:21
>>26
神武はマキムクに入ったのか?



28 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:17:56
>>24 たしかに、日本書紀では神功皇后 を卑弥呼と見て、239年の干支に合うように
神功年代に挿入している。これも紀年の延長の結果。
書いた人は、紀年が延長していることに気付かずこれが正しいと思ったんだろうね。

女王(女性神官)の記載は180年頃から中国の史書に出てくるけど、そのころから
女性神官の歴史が始まり、魏志の卑弥呼は5代目位と考えている。
魏志の卑弥呼は238年頃に選出されて247年頃に死亡。だいたい1代10年位。

平原の卑弥呼が3代目位でその子孫が各地に天下りして、日向に天下った子孫(王族)が
強大化して、神武東遷をしたと考えれば、記紀と魏志とが整合する。

29 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:20:19
もちろん、神武は美和の大物主のもとに身を寄せたわけですが、
マキムクと三輪山は同一生活圏内と逝って差し支えないとおもいます。

30 :太国:2006/12/10(日) 22:21:10
>>28
挿入されてますが、神功皇后を卑弥呼と見て とは決まらんですよ。


31 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:30:55
マキムク遺跡は、「最後に北部九州がやってきた。」といわれてるそうですね。
記紀神代で、大国主が譲った国は出雲から、日本海を北上し、信濃川を遡り、諏訪に
いたるまでの広大な領域です。神武が東遷の際、吉備にも立ち寄っているので、
吉備も既に美和マキムクと何らかの関係ができていたと考えていいのでしょう。
とかんがえれば、神武が東遷した時代、畿内には美和マキムクを中心とする出雲〜弥彦〜諏訪
(ここには奇しくも大社がありますよね〜。)に及ぶ大国があり、最後に大物主に神武が九州
から招かれたと考えて矛盾はあまり無いのではないでしょうか?

32 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:34:24
107年に朝貢した倭国王「帥升」については、スシと読む見方がある。
つまり、「スシのミコト」である。これは、「スサノウのミコト」と関係しないか?

魏志の狗奴国の王を「ヒコミコ」と読む説だと、神武の祖父や神武に「ヒコ」が含まれているので、
どちらも「ヒコのミコト」で「ヒコミコ」の候補者になる。

狗奴国の「ヒコミコ」を倭国の王族の一人と考えれば、ヒコミコ=神武が高天原(北部九州)を
平定して、ヤマトの後継者の地位を獲得して東遷したと見ることもできる。
この見方だと、魏志が王の擁立の前後に1000人が殺されたとしていることも説明し易い。
また、神武東遷は、高天原の旧勢力の本拠地から、都を移したという見方で必然性も付与される。


33 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:38:04
>>32
その説も無理がある。
神武が畿内に入ってからの初期は
本当に狭い領土の国主って感じ。
そんな華々しい東征があったのなら
その後、崇神以降の苦労しての国内平定はないだろう?

34 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/10(日) 22:44:44
恵也さんが来てないけど、いないと労力が倍以上いるね。
自分で引用するのって疲れる。

35 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:47:05
>>33  
確かに、崇神天皇で再度平定し直している感じになるのが、神武神話の難点。

神武東遷って畿内では敗戦続きで、迂回路をさまよっている間に難破したり、
山の中で遭難しそうになったりして、ボロボロなんだよねww

けど、それでも王として擁立されたのは、「血筋が良かったから」と逆にも見れる。
アマテラスの系譜を引き継ぐ、血筋の良い王が、少しずつ支配権を広げたと見れば、
なんとか説明可能。

あと、神武は東遷で崇神天皇は支配地域の拡大と別のレベルで見ればOKとも言える。


36 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:47:07
>>33
禿げしく同意です。

37 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:53:07
崇神天皇が注目されるのは、初めての天皇らしい天皇の記述だけじゃなくて
マキムクとセットになっているからだろう。
年代的にいっても同じぐらいだし...

神武の実在性は分からん。仮に実在していたとしても特定は不可能。
実際、記紀には冒険小説みたいな東征と
その後の畿内の小領主としての日々。
その後、崇神まで、子孫の記述が殆ど無い。

目だった政治形態としては、どうしても崇神からということになる。

38 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 23:01:57
おそらく、美和マキムクの主催者は出雲の出身だったのでしょう。
記紀神代は「天孫族が出雲に国を譲らせたのはやましい事ではないのだ。」という
文献作りに苦心します。その結果、「イザナミ、イザナキ」という夫婦神を作り出します。
(なんと、創作能力に乏しい名前でしょう! もう少しなんとかならなかったのでしょうか?
逆にかんがえれば、記紀の記載はよほど変で無い限り、何か過去の事実を反映してるといっていいのでしょう。)
その夫婦神の生んだ兄弟として、天照大神とスサノヲを兄弟として登場させ、スサノヲは罪を犯したから
と言う事で高天原から追放してしまうのです。そして、大国主はその追放されたスサノヲの子孫としてしまいます。
そういう大国主に、天照大神の子孫が国をゆずらせてもなんらやましい事は無いというわけです。
(まあ、実際は出雲大社の大きさが、やましさの大きさを具現化しているのですが。)

39 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 23:11:32
>>37
>目だった政治形態としては、どうしても崇神からということになる。

そのとおりですよね。その崇神は国が乱れる原因を大物主の祟りとし、これを祀らせています。
その次の垂仁も子供の口がきけない原因を大物主の祟りとし、またまたこれを祀らせています。
これだけ恐れ、祀るのは、「覚えがある」からでしょう。
存在が確実で、政治的にも大きな働きをしたとされている崇神が「覚えがある」
のだから、大物主も、神武以降の権力収奪(国譲り)も「存在した可能性は極めて高い」のではないでしょうか?

40 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/10(日) 23:23:54
>>39
賛成です。

41 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:24:50
神武〜崇神までの妃って
どこの出身が多い?
出雲系なの?

42 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:44:48
近所の県主系豪族とか、伴造系豪族

43 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 02:00:24
「崇神の実在は確実」。

ミマキイリヒコイニエという始祖「伝承」は
後代の造作ではなかっただろう、ということで、
実在確実というのはどうなのでしょうか?

44 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 03:18:50
華々しい東征などないよ、明らかだろ。多分、地元を熊襲か何かに
追われたとか居づらくなって、家来20人位で「俺は王だ」とかいうので
点々としながらもそれなりの待遇を受け伝説を残しw、何年もかけてやっと奈良盆地に
たどりつく。そのころにはプライドはどうでもいいのでサッサと
地元の豪族の娘と結婚してメデタシ、のサクセス・ストーリー

実際はこんなとこ。神話ぽく格好つけて書いてある、実はこんなもんだ。


45 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 08:55:16
第33代推古天皇まで架空説があるけど、みなさんどう研究して日本書紀
が史実だと証明されて使ってるのか、教えて?

46 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 09:57:43
記述の通りの遺跡が発掘されてるから。

47 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 10:37:41
>>46 そだね。
捏造説の根拠は、発掘で否定され続けている。
1、雄略捏造→ワカタケルの鉄剣で実在が証明
2、出雲の活躍あり得ない→大量の銅鐸、銅剣が発見される。
ヒスイの大量集中でヒスイと銅の取引が想定できる。
3、朝鮮征伐→百済王族の墓誌で日朝の史書の正しさが証明される。
その他色々。



48 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 10:50:06
昔聞いた話だから反論は受け付けません。

「平成」という元号を決めるのに東大の人間を中心にプロジェクトチームが組まれたらしい。
当然急を要する出来事なので、急遽東大でチームを組むことになったのだと思う。
チームの人間が皇居の中で過去の文献、書物から全ての事柄を調べ上げ、「平成」という元号に決まったらしい。
皇居の中には一般の人間が見ることのできない、日本の生い立ちから何から何までわかる資料が山ほどあるらしく、
そのときに邪馬台国の場所もほぼわかったらしい。
がしかし、発表できなかったらしい。
なぜなら東大閥のいう場所ではなく、京大閥のいう場所らしい。
これはほんとにそのチームにいた人から聞いた話。

49 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 10:50:48
>>47
崇神天皇の九代前の神武天皇の実在性は
徳川家康の七代前の先祖・松平親氏の実在性と同じで
まだ勢力が小さいから分からない。

でも、崇神天皇からの歴史は全国勢力の一角として
踊りだしてくることから
遺跡も大規模になるので分かりやすい。

50 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/11(月) 10:51:59
>>35
>けど、それでも王として擁立されたのは、「血筋が良かったから」と逆にも見れる。

無理!
血筋とかアマテラスとか言う言葉が値打ちを持つのは、情報網が発達して幼い頃から
洗脳を受けた人間にとってこそ力がある。

古代の世の中で、交通の便も悪いし、方言も凄かった世に情報網の発達はあまり考えられぬ。

神武天皇が王として擁立されたのは、最終的に軍事力で相手を圧倒できたからこそ。
アンタは戦術的な敗戦と、戦略的敗戦を混同してるよ。

漢の劉邦が楚に勝利できたのは敗戦続きだったが、戦略的敗戦を喫しなかったからなんだよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
その時に楚軍を囲んでいた漢軍より楚の歌(四面楚歌)が聞こえ、楚軍のほとんどが降伏、
項羽は勝利を諦め、翌日に残った800騎を率いて脱出し、南下した。

途中湿地帯に迷い込むなどした項羽たちは数千騎の漢軍に追いつかれ、ついに意を決して
戦いを挑んだ。
28に減った騎兵を4隊に分けた項羽は漢軍に切り込み、大将1人を切り伏せると、山の東側
に部下を終結させ、再び切り込むと、100人もの兵を斬った。
この間、項羽が失ったのは2騎のみであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%85%E7%BE%BD%E3%81%A8%E5%8A%89%E9%82%A6

51 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/11(月) 11:05:21
>>44
>地元を熊襲か何かに 追われたとか居づらくなって、家来20人位で「俺は王だ」とか
>いうので 点々としながらもそれなりの待遇を受け伝説を残しw

20人というのは日向を出発するときの、同士の数でしょう。

ブッシュ大統領がイラクを占領するときにも、最初の方針を決め動き出したときには
その位の人数から相談し、大量破壊兵器とか自爆テロ集団との関連を捏造し、マスコミ
を動かし占領までこぎ着けたのでしょう。

最初の頃はセイゼイ20人がいいところじゃないの。
確かにアマテラス政権の中では開戦主義者として居づらくなったのは、事実だと思うけど・・
最終的には大威張りで九州まで凱旋してきた事だろうな。

52 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:38:20
>>51
恵也 ◆o4NEPA8feAは、なぜ、そんなに想像で歴史を創作するんだ?
最初の頃ではなく、最終的に20人しか残らなかった。
日向からの出発の時点も、少数のお供しかいなかった。
しかも、河内に入って戦闘したというのに
何故か裏手に回って、山奥の熊野から目立たないように
入って王をなのっている。
その後、狭い領域だけでの事柄で終わっている。

神武天皇が東征したというような歴史的遺物は
存在しないから、全く判断しようが無い。
また、神武が実在したとしても、徳川家康の初期の先祖と同じで
全くの弱小勢力だから、遺跡が残りそうに無い。
神武天皇も記紀から判断して、小さな土地の地主程度って感じ。

53 :日本@名無史さん :2006/12/11(月) 12:56:22
>48 名前:日本@名無史さん :2006/12/11(月) 10:50:06
>昔聞いた話だから反論は受け付けません。
>なぜなら東大閥のいう場所ではなく、京大閥のいう場所らしい。
>これはほんとにそのチームにいた人から聞いた話。

こういうデマが一番たちが悪い。



54 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 13:44:52
>>48
それは事実かはどうかとして、天皇制信奉者は、邪馬壹國=大和国
卑弥呼=神功と思わせたがってるからそれもひとつの「主張」ではあるな。

55 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:04:25
>>52
>なぜ、そんなに想像で歴史を創作するんだ?

自分のほうが創作していることには気づかないらしい。


56 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:11:05
http://up2.viploader.net/pic/src/viploader367438.jpg

57 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/11(月) 16:04:56
>>52
>最初の頃ではなく、最終的に20人しか残らなかった。

何でそんなに断言できるんだい?
俺に調べさせようとして、そんな20人とか言う話をでっち上げてるのかな。

まあ俺が調べた範囲ではそんな馬鹿な「神武天皇の軍勢が最終的に20人だった」
とか言う記紀の文章はない。
HPにはあったけど、信頼性はゼロ。
ないものを検索するなんて、本当に難しいものだ。時間の無駄!

58 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 18:04:31
二倍年暦で計算したら...

なぜ、神武(BC64.5-BC27)から崇神(217-251)の間が
欠史八代になったかというと
その間のことを詳しく書くと、まだまだ天皇家が、
九州王朝か出雲王朝が地方に派遣した軍司令官程度
の存在だったのがバレルからだろう?
中国の考古学者たちは、素直に記紀を研究して
だいたい、記紀に書いてあることは間違いないと認定している。

とくに、倭国王師升の頃は西暦107年だけど、
この頃は、欠史八代の考安天皇の頃だけど、
倭国王師升と考安天皇が同一人物なのか?あるいは、
倭国王師升と考安天皇は別人で、倭国王師升に考安天皇が朝貢していたのか
そのどちらかでしょうね。

59 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2006/12/11(月) 18:28:49
>>58
上位十代は二倍ではなく、三倍区間です

日本書紀神武天皇治世元年(BC660年)=建武中元二年(AD57年)

日本書紀懿徳天皇治世元年(BC510年)=安帝永初元年(AD107年)

日本書紀崇神天皇治世十年(BC88年)=正始八年(AD247年)


よって倭国王師升等は日本書紀では懿徳天皇と同期しています。


因みに、神武〜崇神は、十世代ではなくて、七世代が記紀以前のオリジナルです

60 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 20:42:46
>>59
普通に考えたら、神武〜崇神の間では
直系じゃなくて、一部、兄弟継承があったのかもね。
それに関しては、もっと詳しく調べよう。

でも、上位10代は3倍区間にするわけ?

61 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 20:50:13
>とくに、倭国王師升の頃は西暦107年だけど、
>この頃は、欠史八代の考安天皇の頃だけど、

根拠はなに?

62 :一応九州王朝説:2006/12/11(月) 20:54:54
うーん・・・。
このところ三倍歴の話題が出てますが、私的にはちょっとそれはどうなのかなと
思うのですが。大陸からの最新の太陰暦がどんどん入りつつあるのにあまりに
複雑な3倍なんてものを使うのかどうか。

>>57
同様に、出発当時20人というのもどこにも無いw
「うちてしやまん」の唄が鯨の唄かどうかはともかくとして、敗残の兵士が
大勢で唱和して気勢を上げるわけだから、最終的に20人の方が、まだしも
と思いますがね。同郷の兵士達ならではの唄だろうし、最初20とすると、
記述通りの激戦なら全滅ですかね。四人兄弟の三人死亡ですでに残り17人。
それに、先行王族クラスで同様の王の証(三種の神器?)を持つニギハヤヒ
に取って代われるだけの何かが無ければ最終的に正統として後世に残される
ことも難しいだろうし。物部の本貫から考えると、やはり神武も筑紫でニギ
ハヤヒと同格かそれより上のクラスの何かを持つ存在では無かったのか。

まあ、ブッシュ政権などといったややこしい例を出す事で何かを証明した気
になってるんなら、何を言ってもしょうがないんだろうが。

63 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2006/12/11(月) 21:15:29
>>60
現時点の検証結果では、綏靖・安寧・懿徳が同一世代ですよ

もう一箇所は孝元と開化を同一世代だと思っていましたが、
先代旧事本紀との整合性を考えれば、
孝霊と孝元を同一世代に考えた方がイイカモしれません。

まぁ、何れにしろ、神武〜崇神で7世代が記紀以前のオリジナルの姿だと
云う事だけは断定して良いと思います

今の直系十世十代の姿は、年代引き伸ばし作業後に、
オリジナルの七世から改変された物に過ぎません


日本書紀より先に出来た筈の古事記も、
日本書紀が年代を引き伸ばした際に直系十世十代に書き換えた系譜と
同等の物を使っている訳ですから、そうなると

・古事記の712年と云う、日本書紀より早い成立年代が偽られているか、
・日本書紀の年代配布の方針が少なくとも712年以前に決まって居たのか

等々と云う事が考えられますよね

64 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2006/12/11(月) 21:49:16
>>60
三倍区間だとして、比例定数のaを3に
日本書紀年代の神武元年BC660をAD-659としてYに、
実年代の倭奴国遣使の建武中元二年のAD57をXに
これをY=aX+bに入れて、

-659=3*57+b
-659=171+b
-659-171=b
b=-830
これで切片が確定

Y=3X-830
これに倭迹迹日百襲姫命の没年の日本書紀年代の崇神十年BC88=AD-87が、
実年代では西暦何年に当たるかを求めると

-87=3X-830
-87+830=3X
743=3X
X=247.66666666666666666666666666667

西暦247年が列島史上(漢籍上)の何の特別な事象に当たるかと云えば、卑弥呼没でしょう

ついでに考古学での箸墓古墳の築造年代の限界も250年程度ですか

箸墓の真の被葬者が誰かは別に措くとしても、
日本書紀を設計した人間は箸墓が3世紀中期頃の物と云う知識がなければならないし

神武元年が讖緯説で書紀側をBC660年に設定したとしても、それを実年代でAD57だとした場合に
3倍で計算すると倭迹迹日百襲姫命没のBC88年が、卑弥呼没のAD247年になると云う事は

この区間は3倍区間として設計されていると見て良いでしょう

65 :一応九州王朝説:2006/12/11(月) 22:00:15
>>63
横レスですいません。
私は、物部の主張と神武派=天皇家の主張とが違う
可能性もあるのでは、という風に考えたことがあり
ます。
初期の天皇の妻としてほぼ志木(=磯城)県主の娘
があてられましたが(書記、一書曰)、それ以外の
妻帯者を外すと七代となるので。

ニギハヤヒとの格や上下関係が興味深いところです
が、物部にとってはある時代まで自分の方こそ王統
だという主張と自負があったとも考えられないでし
ょうか。八尾の志紀も同様に物部の本貫ですよね。
また、女系こそが王統という考え方や政治形態、ラ
イフスタイルの可能性もありますし。
また、ほぼ物部、尾張の文章だけが天皇家の焚書の
追及の手を免れた事も興味深い。蘇我にとことんや
られたといえど、全ての一族の一掃とまでは行かな
かったのも面白いところで。

66 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 22:21:20
日本書紀の二倍年暦って
いつから計算したら良いんですか?
一応、継体天皇の崩御年から計算したんですが、
その以後の天皇も二倍年暦使ってそうで分からないです。
誰か、そのへんの情報を教えてください。

67 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 03:19:40
>>55 = 恵也 ◆o4NEPA8feA

だんだん匿名で自作自演や自己擁護にまで及んできたか
お前の脳内物語の歴史話には誰もがうんざりしてんだよ。

想像でなく、理論的に考えることをコイツは知らねーw マジうざ

68 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 03:31:33
>>48 がデマかどうかはどうでもいいが
 
>居の中には一般の人間が見ることのできない、日本の生い立ちから
>何から何までわかる資料が山ほどあるらしくそのときに邪馬台国の場所もほぼわかった

これは当然だろ。歴史をみれば一部に限られた権力者達は一般庶民の及ばない
歴史の裏を知っていたに違いない。でなければ、国家規模で発掘しまくってるぞ。
宇佐の亀山も奈良の三輪山もとっくに掘られているよ。
掘らないのは知っているからだ。





69 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 06:13:30
だからといって宮内庁という名のカルト狂信者がなんちゃって指定を
続けていい理由はない。とってもじゃないが近代国家とは思えないで
すね。

70 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 07:39:40
>>48京大閥の
確かにそうですね。
天皇家の本拠は奈良県だし、書紀には卑弥呼を暗示するような記事もあることから、
奈良県を邪馬台国としている史料資料があっても不思議ではない。

71 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 08:11:04
倍年暦から通常暦に変わったのって、欽明天皇かららしいね。

それ計算したら、神武天皇が即位したのは、BC49年。


72 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 08:42:36
あれ、日本書紀ただしいのでしょ?発掘で証明されたって。なぜ、年代
いじるの?日本書紀はただしいのに?矛盾では?
雄略の実在の証明ってなに?倭の5王と剣の一致点ないですよね?
武という字も、ブという音も剣にないですよね?

73 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 08:55:26
日本の歴史愛好家って、無理に年代をいじりすぎてないか?
あと、古事記の曖昧な干支年に振り回されていると思う。
もっと、日本書紀の記述を信頼するべきだ。
日本の古代史研究が過度に迷走してしまったのは
曖昧な中国の史書や古事記に捉われてしまったのでは?
何のために日本書紀が大人数で長い時間をかけて編纂され、
古事記に比べて年代も具体的に書かれて、
古事記と異なって正史にされたかを考えるべきでは?

74 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 09:05:29
>>72
欽明天皇の途中から通常暦から倍年暦へ移行したのは確かなので
(『帝紀』を元にした『上宮聖徳法王帝説』の欽明の在位41年
書紀の在位が32年。 の誤差から算出)
そしたら、倭王武が本当に雄略天皇か疑わしい...
雄略天皇とは違う天皇なのではと思う。
なにせ、このへんの皇室は、応神天皇以前の直系相続から
兄弟、従兄弟継承に変わっているから、混乱している。


75 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 09:06:36
>>69
>だからといって宮内庁という名のカルト狂信者がなんちゃって指定を
>続けていい理由はない。

いやまだ続けても良い。
今の日本の考古学的技術は世界最低クラスの、無責任体質。
この状態で発掘させたら、未来の子孫に残せなくなってしまう。

高松塚古墳を見てみろ、カビだらけにしてその挙句解体処分だ。
この大失敗を誰か責任を取って処分されたかい?

ーーーーー(引用開始)−−−−−
1300年綺麗に現代にその姿を伝えた 『高松塚古墳』

考古学者が入って僅か 30年で壁画ボロボロ

肩書きばかり振りかざしてアホウばかり

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1115818587/


76 :太国:2006/12/12(火) 09:24:16
>>72
倭の五王は天皇じゃぁないからだよ。

>>75
たまにはいいことを言うな。w

77 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 09:31:17
>>73
>古事記と異なって正史にされたかを考えるべきでは?

正史とは、正しい歴史じゃないんだよ。
これは上げ底で、本当は権力者の都合よく書かれたオメガネにかない許可された歴史。
そこまでするのに莫大な労力とお金を使って、弄り回された虚構の歴史というべき。

しかし歴史の真実の部分も大量に含まれて入るから、歴史の探求には不可欠。
その探求に2倍暦なんて道具は、有害無益なゴマカシの道具に過ぎん。
砂上に楼閣を作るような、無駄な労力をかけてるだけ。

おれはむしろ安本氏の年代の方が信頼できる。
こちらだったら基礎のしっかりしたお城が築ける。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
しかし、即位、退位の時期などを歴史的事実として信頼できるのは、第31代用明天皇
ごろから以後である。用明天皇からあとの天皇の在位年数などは、『古事記』と『日本
書紀』とでも一致している。

安本先生は、用明天皇以後、大正天皇にいたる98天皇(南北朝の北朝の天皇をふくむ)
について、その在位の期間を算出し、ついで、時代を5〜8世紀、9〜12世紀、13〜16
世紀、17〜20世紀の四つにわけ、おのおのの時代に即位した天皇の平均在位年数を求めた。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/10nen.htm


78 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 09:43:53
>>70
>天皇家の本拠は奈良県だし、

天皇家の本家は九州だよ。
ところが九州の本家が衰弱して安楽死したから、天皇家が主導権を取ってしまったもの。

今のイギリスが本家で、アメリカが分家なのに分家の方が軍事力も経済力も発達しすぎたのと
よく似てる。分家を何とか利用しようとしても限度があるからな。
でもイギリスはなかなか上手くアメリカを利用してるぜ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
イギリスの巧妙なところは、自国が最も得をする体制作りを

「共産主義の脅威から、民主主義と自由を防衛する」という

アメリカの国家理念の表出に転換し、うまくアメリカ人に信
じさせるとともに、冷戦体制が続いた方がアメリカ企業が欧
州大陸の市場で儲けられるという経済的な仕掛けも作ることで、
まんまとアメリカ人を何十年もイギリスのために動かせたことである。
(田中宇氏より)

79 :太国:2006/12/12(火) 10:06:16
>>77
お前は天皇を農民を同視したような感じで暦を観るから、おかしなことに
なるのだ。当時の天皇は神道者だから農作より神道の行事で歴史を考えること
のほうが優先なのだ。2倍暦は、大祓いのシメが6月末日からして当時は半年が
1年としたのであり、現今の1年は当時は2年計算に相当するのだ。

お前の10年計算はデタラメ王の象徴である。w

80 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 10:29:10
何のための神道?

社=土地神=オオクニヌシ
稷=穀物神=ニニギノミコト

81 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 16:27:43
>>77
安本氏の年代が信頼できるってw
あれは統計学の基礎知識も無視した暴論だよ。
専門家から、かなりア○あつかいだよ。
まあ、心理学専攻のただのアマチャの愛好家の憶測だからな。
そもそも、あの天文学の日食時期というのは、今では否定されている。
日本の九州や畿内でも日食が見えない。

82 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 16:36:59
とにかく、古代天皇の年代が混乱してしまった原因は
あの倭の五王の時代に中国の朝貢した時期に大きな要因がありそうだ。
あの時代に中国方式をいろいろ採用したはず。
その大きなものとは中国方式の暦(通常暦)だったはず。
しかし、これは日本国内での反発があった。
中国に朝貢することにも大きな反発があったし...
昔から、日本の時空(暦)を操れるのは、皇室の専権事項だった。
だから、中世の織田信長が暦を変えようとした時も大反発があって、
それが本能寺の変の要因にもなったはず。
また、足利義満も中国に朝貢したから暗殺されたという説もある。

とにかく、中国への朝貢・暦の改変。これが大きなキーワードだ。
おそらく、仁徳天皇以降の誰かの時に暦を改変(通常暦へ移行?)し、
傍系の継体天皇以降に再び暦を戻した(倍年暦に戻す?)けど、
その子供で、生母が仁徳天皇の男系子孫である欽明天皇の時に
再び通常暦にしたとか...


83 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 17:41:28
>天皇家の本家は九州だよ。
>ところが九州の本家が衰弱して安楽死したから、天皇家が主導権を取ってしまったもの。

前半は同意です。
九州の本家は、そのまま存続し、後代、筑紫国造(磐井が有名ですね。)と呼ばれるようになったのではないでしょうか?
九州から畿内(美和マキムク)に招かれた神武の子孫は欠史八代のどこかで、クーデターを起し、大国主の地位を乗っ取って
しまったのではないでしょうか?(タケミカズチの神話などはそれを反映したものでは?)

84 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2006/12/12(火) 19:40:22
王統と思っていたかまでは解らないですけど

先代旧事本紀なんかを見ると、
先に天降った先駆者の子孫としてコレだけは主張させて貰いたひ!
と云うような意地みたいなものは感じますが♪

記紀の裏表を知りながら知らない振りで書いている事が見れて面白いです

磯城系は集中してますね、七世だと本文の側が一番辻褄が合わないですから
一書の方が重要になって来ますよね

蘇我氏の場合も、蘇我氏こそが本当の王統だった!みたいな事が云われますが

仮にホントに蘇我氏が武内宿禰の後裔だとして、武内宿禰も孝元天皇の後裔だとすると
今度は孝元天皇の出自が怪しくなりませんか?

>>63で書いたように、孝元天皇は七世から十世に改変された時に直系に組み込まれたとすると
逆に考えれば、そもそも孝元天皇がなくても世代的には問題無い訳で

筑紫国造なんかも出している訳ですし
更に、新撰姓氏録では100氏族以上が孝元後裔に分類出来、最大派閥を形勢しています。

四道将軍とかが居るにしても、欠史八代で影の薄い孝元が最も由緒が正しく最大勢力なんて、
孝元後裔を称する氏族集団こそが大和朝廷の影の支配勢力のような気がしてきませんか?

これこそが大和朝廷に帰順した
旧倭国勢力側や旧邪馬台国勢力側の一大集団とは考えられないですかね

本当に大和朝廷の皇統を乗っ取る積もりで居た旧倭国/邪馬台国勢力の筆頭勢力の蘇我氏が、
遂に孝元天皇裔と出自を詐称する国記・天皇記を創る所まで登りつめた!

いえ、妄想です。

85 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 20:40:09
>>84
成る程! 孝元天皇の時代に神武の古郷、筑後川流域から大量の移民があったという事ですね!
妄想どころか、一理も二理もあると思います。魅力的な説ですね!

神武が美和ムクマキに入った時代は出雲系の氏が一番勢力を持ち、「国の主」も出していたのでしょうが、
神武の奥さんが大物主の娘だったり、近親婚が多かったりで、系図や出自は混沌としており、
都合のいい部分だけを主張していたのかもしれませんね。

86 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 20:53:35
>>79
>当時の天皇は神道者だから農作より神道の行事で歴史を考えること

逆だよ。
神道者は農民の「豊作祈願」をする事で農民の支持を受け国力を発展させたの。

そのために農民の為に知識を総動員して、天文学を研究し、天気を読み、季節を考えて
「農民の為の暦」を作成してタダの占い師から大和朝廷に脱皮したの。

いつ耕したら良いか、いつ種まきしたら良いか、いつ肥料をやったら良いか、いつ雑草取りし、
イノシシに食い荒らせない為にいつ収穫したら良いか、すべての基本が暦。
そして収穫が出来たら神様に感謝の行事をするの。

神を怒らせたら、雨が全く降らなかったり、大水になったり、台風で根こそぎお米がパーだ。
農民から離れた神道は存在しない。

2期作でも耕す時期や種まき、収穫時期すべて当てにされて暦が出来てんだよ。
間違ったことを神官が言ったら、即廃れてしまうよその神道は。
許容範囲だったら付いて来てくれるけど・・・・・

87 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 21:12:53
>>81
>まあ、心理学専攻のただのアマチャの愛好家の憶測だからな。

心理学専攻というのは事実だが、統計学もアマチュアの域を出てるよ。
それを判断できるくらい前提である、あなたは数学は得意だったかい。
俺は高校時代は数学に関しては自信があったけど・・・

その俺が見て、安本氏の統計学は本物だよ。
読んだことがあるが批判してるHPの著者は、統計学の基本を知らないド素人。

安本氏は高校生のころから統計学を勉強してた、統計学の草分けの部類に属する人で
統計学の根源的理解が出来る人間。
あなたとは違う!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
しかし、幸いなことに、高等学校の数学の先生が、仮谷太一先生であった。仮谷先生は、統計学者
で、現在は、川崎医大の教授をしておられる。仮谷先生は、統計学の新しい動向なども語られた。

そのころ、統計学の分野では、増山元三郎氏や、北川敏男氏が、さかんに活躍されている時期で
あった。推計学(推測統計学)ということばが、新鮮なひぴきをもっているころであった。

高等学校の先生が、ひとつのしっかりとした専攻をもつ学者で、その分野で活躍しておられる方で
あるということは、ひとつの刺激であった。

この刺激は、第二の転機をもたらした。入試の勉強に追われながら、私は、むさぼるような気持
で、推計学(推測統計学)の本を読んだ。
http://yamatai.cside.com/yasumoto/watasi.htm

88 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 21:16:37
>>81
>そもそも、あの天文学の日食時期というのは、今では否定されている。

否定はされてません。
日食時期は天文学の発達と、パソコンの普及で素人でも計算しようとしたら可能な領域。
なんだったらアンタも、自分で現在地の日食でも過去にさかのぼって計算したらどうだね?

89 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/12(火) 21:53:55
>>82
>継体天皇以降に再び暦を戻した(倍年暦に戻す?)けど、

あんたね、根拠もなしにそんな事書き連ねても屁みたいな話。
暦が値打ちを持つのは、それによって農民が利益を得るかどうかなんだよ。

だから足利義満にしても中国の暦には、当時の日本の暦にない値打ちを見つけていたから
明との勘合貿易を熱望してたの。
こういったことは為政者としての義務というべき事。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
博多の商人肥富と僧祖阿を使節として明に派遣する。ようやく明の建文帝により、それまで
の懐良親王に代わって日本国王に冊封され、明の大統暦が授与され、国交が正式に樹立。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%BA%80

『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来た
との記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されて
いた暦法は元嘉暦であるので、この時、伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E6%B3%95

90 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:10:25
新スレ。古代史の年代の解明に役立てたい!

■■倭の五王・仁徳天皇の皇胤たち■■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1165928837/l50



91 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:14:39
魏志倭人伝には
大倭(=大和?)
と邪馬台と
どちらもヤマトと読める文字が出てくる。

これはなにかあるなにかある!


92 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:15:34
>>86
農期・天候を読む「鬼道」政治のかつての通説ではそうだろう。
しかし現在、考古学ではその領域から一歩踏みこんで実態的な農耕生産経済に
もっと深く為政者達が介入していたのだと考えている。
魏志の邪馬壹国の記述にも色濃く関わるのだが、当時の農耕生産に当たって最
先端の農具は鉄器だった。武具だけでなく農具に鉄は需要が高かった訳である。
つまり鉄の流通経路・安定供給を司ることは農業生産の良し悪し・・・国力に
直結した。農耕具の青銅器から鉄器への素材革命が背景としてあったのだ。
たたら製鉄集団であった須佐の出雲系豪族は砂鉄の産出する出雲国斐伊川
流域を本拠としていた。

後に美作国讃容郡號鹿庭山、近江国追坂峠等、各地に出雲系の忌部・秦・
氷川等の氏族が鉱山・砂鉄場を開いているが、ヤマタノオロチ説話が河川
鉱毒による農耕民と鉱山民の対立を描いている中で、これらの鉱山開発は
逆に為政者達は積極的に進めている。

和銅4年に関東のたたら製鉄の開発の為、甘楽郡織裳・韓級・矢田・大家、
緑野郡武美、片岡郡の山等6郷を割いて多胡郡を設置した。
ここには「俘囚郷」もあり、鉱山労働に従事するために強制移住させられ
た蝦夷のコロニーが作られ、半島からの渡来人もここに収容された。多胡
郡とはそこから取られた名前である。
天皇や豪族達は、鬼道の信仰の主催をしながら、実態的な農耕生産経済の
中に深く介入していたのだ。

93 :きのうのジョー:2006/12/12(火) 22:19:03
大倭と書いてやまとは後世の当て字だよ。
問題は邪馬臺(後漢書)邪馬壹国(魏志倭人伝)を
本当にヤマトでいいのかってこと。
ヤメイ(八女説)、ジャメイ、とも読める。
むしろこれをヤマトと読むことがなんか裏がありそうな気も


94 :きのうのジョー:2006/12/12(火) 22:21:03
どころか大穴で、ジャパンだったかもしれん

95 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:34:17
どっちにしたって
大和はヤマトじゃねーな。


96 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:36:42
なぜ大倭にヤマトの読みが充てられたか。
あるいはヤマトに大倭が充てられたか。

97 :きのうのジョー:2006/12/12(火) 22:36:44
いや、それはヤマトを無理矢理当てたから、結論先にありきで
ヤマトでいいんじゃない?

98 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:41:06
ヤマトって日本語でどういう意味かってことさ。
山人、山都、いずれかの意味が考えられる。
言ってる意味わかる?
ヤマトだってちゃんと日本語の意味があってヤマトということさ
どうみても大和じゃないだろ


99 :太国:2006/12/12(火) 22:46:41
>>86
農作は生きていくために必要なものだが、日本においては、戦前の軍隊ほど
ひどくはないが、すべては天皇の命令、朕から始まるのだ。今は、それは
民主主義というやり方だから、お前のような不心得者が主客転倒したような
現今の暦のつもりをして農作が一辺倒の脳作w主張をしているわけだが、しかし
朕は皇祖皇宗の御威霊の御威光によって皇位が成っているのが日本という国
であり、それでだ、農作物にも黴菌、悪虫、悪神等にやられぬためには禊と
大祓いが特に大事なのだ。それは当時黴菌というものは不知だったろうがね?w

だから農作での畦放ち溝埋めとか這ふ虫の災いといって天津罪国津罪を極めて
嫌うのだよ。大祓祝詞の文面は農作と遊離してるものではないから、
半年ごとにやる6月晦日の大祓いの神道の行事で2倍暦をやることは、お前の
脳作w主張と、そこんところは相反するものではない。
つまり2倍暦は当然あったのである。お前の単純10年の脳作算は笑い止めだ。w

100 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:55:16
大倭は、「大Japan」とかいて、「にっぽん」とよませるようなもの。

101 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:01:16
二倍歴だと卑弥呼の時代は何天皇になるんですか?
崇神、景行?

102 :太国:2006/12/12(火) 23:04:57
>>101
神功皇后の時代とその前後です

103 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:06:35
景行の少しあとか、微妙。

104 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:10:41
恵也 ◆o4NEPA8feA は無視でOK?

倍年暦は、日本に限らずに世界中であった暦の考え方。

日本でも、中国でも、欧州でも、どこでもそう。
最初、倍年暦から始まり、やがて通常暦へ変更する。


105 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:18:39
大倭って、魏志にでてくるものですよ。市を監する官名?

106 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:37:36
大倭と大和はほぼ同義
しかし
大和とヤマトは同義じゃない。
後で読み替えただけ

107 :きのうのジョー:2006/12/13(水) 00:16:23
ヤマトそのものの原意はいくつか考えられる。
今、一番説明に引用されるのは「やまのと(山門、山戸)」でやまとだが、
ずばり、日本=イァモト がなまってヤマトも捨てきれない。
日は韓国の発音でIL、広東語でYAだからね〜。
あと、魏志倭人伝の邪馬壹國見て、「なんか昔こんなのが倭を支配してた国だから
これにすべい」といった超トリックも考えられる。

108 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/13(水) 00:16:30
>>106
その主張しか知らないけど、とりあえず同意。

109 :きのうのジョー:2006/12/13(水) 00:30:00
あと、俺の友人では
浪速い(ナミハヤイ)が難波(ナンバ、ナニワ)で
明日香る(アスカオル)が飛鳥(アスカ)だから
この線で
山遠い(ヤマトオイ)だから大和(ヤマト)つう奴もいるな。

110 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/13(水) 00:32:32
>>99
>農作物にも黴菌、悪虫、悪神等にやられぬためには禊と 大祓いが特に大事なのだ。

難しい字を知ってるだけの馬鹿か、お前は!
禊とは、自分自身を清める行為。
大祓いとは、無病息災を祈る行為。

農作物には、種まきの時期や気温、日光、雑草取りなど現実的行為が一番大切。
五穀豊穣を祈るのは、神官としては当然の行為。

111 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:38:40
筑後山門は昔海だったんじゃないですか?

112 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:40:16
106 :日本@名無史さん :2006/12/12(火) 23:37:36
大倭と大和はほぼ同義
しかし
大和とヤマトは同義じゃない。
後で読み替えただけ

これって魏志倭人伝読むにあたって大変重要なポイント

113 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:44:11
奈良の大和はヤマトではなくダイワ。
後で読み替えただけでしょ。
全国の大和はダイワ(みんなに恐れられた大倭)の名残

これとは別にヤマトというのがあった。
大和はヤマトを乗っ取ったんだニダ。

114 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:48:17
>>109
おもしろい!
でも山門ってどういう意味?


115 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:50:40
神武のいた場所は本来隼人の住んでる地域でしょ。
神武の祖先の母系が全て隼人の系統だからね。
神武の父系は出雲出身のハズだけど。



116 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:51:04
>>113
大和は、大きく和合するだろう?


117 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:52:35
>>116それは後付け、元は倭人伝の大倭でしょ。
漏れは四道将軍の軍隊の系統だと考えてる。

118 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:55:30
考えたら近畿の地名って読みと字が合ってないのおおくね?


119 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:01:34
神武の母系隼人を祀る
総本山は宝満山にある竈神社です。
タマヨリヒメ(玉依姫)です。
これを素直に受けると神武は宝満山出身で
この地域は同時に隼人の拠点だったということになるわね。

120 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:05:37
九州各地の謎の遺跡、神籠石、これこそが卑弥呼時代の戦闘の名残だと考えてる。


121 :きのうのジョー:2006/12/13(水) 01:07:58
>>114
このスレで面白いって言ってもらえるのはめったにないからうれしいな。サンクス。
山門、山戸は交通的な玄関、関所の意味だと思うんですよね。
神戸とか水戸とかもそうでしょう。
あと奈良のどっかの古い寺に「山東」って石に刻まれた文字があって、
これをヤマトと読むならこれが最古の文献になるとかも何かで読んだな。

122 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:11:58
八万戸

123 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:38:37
畿内と西九州は文化的に凄い開きがあるから
大規模な民族移動はありえない。
古代から全く違う文化圏(九州VS近畿=本州)

124 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 03:02:54
まずね、日本全国に「やまと」と発音する地域が点在する。特に盆地などの山の中。

だから奈良が「山渡」とか「山戸」とか「山都」だったとして、そのままヤマトを
大和に当て字にしたって考えるのが普通。九州にだってヤマトと発音する場所が
複数ある。筑後もそのひとつ。山だらけだからね。ただそんだけ。

>>121

>奈良のどっかの古い寺に「山東」って石に刻まれた文字があって、
>これをヤマトと読むならこれが最古の文献になるとかも何かで読んだな。

つーことなら、普通に奈良も初めからヤマトと発音する地域だったんだ。
邪馬台国とは関係なくなるなあ、これは都合が悪い。
畿内説のカルト信者が最古の文献 山東を焼却処分しないように宮内庁は見張る必要があるね。

東の山で、山東(ヤマト)か・・・うまいな。九州から来た天皇家がつけた可能性も大有り





125 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 03:12:43
>>123
今ググッたら、元明天皇が奈保山東陵っつーところ。
時代は8世紀。
古代大和(ヤマト)は山東(ヤマト)だった、つまり筑後と宇佐周辺の
耶馬とか山戸(ヤマト)とは別モノだったわけか。

126 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 08:15:12
ヤマト、大倭、大和をハッキリさせれば邪馬台国比定に光明がみえてくるきがする

127 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 08:16:12
ちなみに素人に言っておく必要あるけど
宇佐と筑後は全く文化圏が違うよ。

128 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 08:22:22
山東でヤマトはあまり早合点しない方がいい、
そういうのは対外早合点。
その早合点の辻褄合わせの為にアンポンのように
オオウソツキにならなければならないようになる。

129 :日本@名無史さん :2006/12/13(水) 09:26:35
平安の昔、福岡の山門郡の一角に女王山と呼ばれる小高い山
が存在した。その山の上には神籠石があり、3世紀頃の壷が
あちこちに埋蔵していたが、土地の人はほとんど無関心でした。

桓武の時代、女王山の王の字が意識してはずされ、それ以後
この山は現在も女山(ゾヤマ)と称されています。
近くには、大塚という中規模の古墳もありますが、未発掘の
まま、放置されています。



130 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:29:10
>>129

>平安の昔

今はその山残ってねぇのかよ?三世紀の壷ってよく解ったな?


ネタか?

131 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/13(水) 10:31:54
>>123
>古代から全く違う文化圏(九州VS近畿=本州)

文化で古代から現代まで残るものは、建造物の古墳や遺跡くらいのもの。
指導者クラスのお墓である古墳が、宮崎県と畿内で非常に似通ってる。

畿内の纏向型古墳のミニサイズが宮崎に存在してます。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
西都原81号古墳:後円部の長さ約33m、前方部が約19m前方部が短く
ばちの形に開いた纒向型前方後円墳
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_81/pano.htm

1号墳(墳長136m)は、古墳時代最古期(3世紀後半)の大王墓で
ある奈良県、箸墓(はしはか)古墳の半分の大きさに設計した相似形とされる。
http://www.pmiyazaki.com/ikime_kohun/

132 :太国:2006/12/13(水) 10:56:16
>>110
お前がそんなに重要視する農民と農作と脳錯wとやらは、その意に反して記紀
にはあまり記述が見られない。あるのは天皇、皇后、太子、姫、皇族、大臣らと
多少の敵さんばかりで、農民がリーダー的にわんさとどうのこうのだとかいう
記述は殆どそれがな〜い。だから朝廷の暦が農作が主人公になってできたとは
考えにくい。やはり天皇とその取り巻きが天皇の関わる神々の何かから考えて
暦法を選択したというのが正である。勿論農耕も参考にはしただろう?

それに高天原には天平田、天安田とかの田んぼがあるし、スサノオの横暴で
畦放ち、溝埋め等の大祓いを必要となる混乱記事とかもある。
これも6月末の大祓いに関係があ〜る。農耕でせいぜい記載があるのは
仏伝以前では崇神62年 7/2の農事の勧めであり、これでさえも2倍暦の
正月に相当するもう一つの正月の7月の始め頃であるから、2倍暦を農作で
やったていたとの論拠になる。つまり恵也の云う神武頃のみ2倍暦を使って
いたとか九州の一部のみ2毛作をやっていたなどの論は、出鱈目の2盲作説
なのであ〜る。卑弥呼=アマテラスとかに両姫を恣意的に年代近寄らせしてる
レスビアン的説とともに、彼のデタラメは日増しにその正体が暴かれる。ww

133 :日本@名無史さん :2006/12/13(水) 10:57:57
>123 名前:日本@名無史さん :2006/12/13(水) 01:38:37
>畿内と西九州は文化的に凄い開きがあるから
>大規模な民族移動はありえない。
>古代から全く違う文化圏(九州VS近畿=本州)

たしかに、当時の畿内は文明が開けていない未開地域だから
当時の先進的な北九州地域からすれば、移動するとは想像も
できなかった。
当時の奈良盆地は沼地で、大規模集落は無理ですから。


134 :日本@名無史さん :2006/12/13(水) 10:59:37
>>130
新井白石でも読めば!??

135 :太国:2006/12/13(水) 11:02:20
>>132
これは飽き飽きせんだろ?ww

136 :日本@名無史さん :2006/12/13(水) 11:11:29
>>135
別スレで2倍歴厨を集めて、思う存分議論して下さい。
はっきり言って、邪馬台国や記紀と無関係。

137 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 11:46:31
>>136
俺も同意。「二倍暦で古代史の謎を解こう」とかいうスレたてたらいいのに。
そんな末梢的なものさしのこと延々と連続して書かれたら面食らう。


138 :サガミハラハラ:2006/12/13(水) 12:03:01
二倍年暦が末梢的なものさしですか。
しかしまずそのものさしで紀の年代を計らなければならないのです。

139 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/13(水) 12:08:06
>>104
>日本でも、中国でも、欧州でも、どこでもそう。

何が倍年暦がどこでもそうだ。
脳内妄想や又聞きを素直に信じるのはやめなさい。

「何で倍年暦が出来たのか?」から出発する癖をつけときな。
暖かい場所の2毛作から、種まき等の目安を作るために考え出されたもの。
寒い場所では無縁の思想というべき。

邪馬台国では当時としては異常なお年寄りの話が書いてあるので、倍年暦の
可能性はあるけどね。鹿児島や宮崎の暖かい地方独特の暦だったんでしょう。

140 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 12:33:30
>>138
いや、だからその測らなけばならないてのはいつも長すぎてうんざりするからさ。
専門スレたててやってくれよってこと。

141 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 12:35:59
実際のところ、邪馬壹國に興味もったりする人間のどれだけが
二倍暦に興味持ってると思う?それでも、二倍暦が解く鍵だってんだろうけど
だったら、それはそれであれだけいろいろうんちくがあるなら別スレで語るべきだ。

142 :日本@名無史さん :2006/12/13(水) 12:44:17
>>141
同意
二倍歴でしか、日本書記が読めない(天皇の在位期間が説明
できない)のであれば、専用スレで思う存分議論してね。
ここには来ないで下さい。

143 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 12:44:42
俺も同意、太国は大人毛ない、つるっぱげ爺だと思う。
老人だからって何やっても許される訳ではない。少しは空気嫁。
この糞ジジイ。

144 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 13:33:07
>>139
日本は、鹿児島や宮崎から畿内まで
たいして南北差無いのにw
なんだよ、おまえ。


145 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 13:35:32
>>139 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/13(水) 12:08:06
> 邪馬台国では当時としては異常なお年寄りの話が書いてあるので、倍年暦の
>可能性はあるけどね。鹿児島や宮崎の暖かい地方独特の暦だったんでしょう。

日本は南北差無いんだよ。あほか?
おまえが必死なのは分かるが、もう君は一杯一杯w
いい加減に、自説の無理さを認めたらどうだね?


146 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 17:30:24
>>143
ワロタ

147 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 17:40:58
バイレキ キライでつ。
バイレキクルナ バイレキデテケ

148 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:05:02
二倍年暦の起源は殷にあったのではないかと考えられています。
倭では春耕秋収であるが、中国では春収秋収つまり、春の麦、秋の粟や高粱
の収穫となります。


二倍年暦については、以前ずいぶんと賑ったものですが、時とともに人もいれかわったのでしょうか。

149 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:38:30
知るか、そんなこと

150 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:40:17
しかし、二倍暦って言葉を出すなとまでは言わないが、
マジ、どっか詳細の話や、ましてや論争は他でやってほしい。
それとも、新スレの立て方知らないとか?


151 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:41:29
>>143
古代史スレのコテハンは確かにジイサンが多そうだ。

152 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:07:57
>>150
そっか! 新スレの立て方、きっと知らないんだ。

代わりにキミ、倍暦スレ、立ててやってくれよ。
「二倍暦で古代史が変わる!」、とか何とか惹起文句つけてさ。
もち実質は、ユーガトーかGホイホイなんだけど…

153 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:10:28
いや、俺も知らないんだw

154 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:20:30
二倍暦の連中なんざ、女の歳まで二倍暦で読んでビンタでも食らってるといい。

155 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:25:36
三倍暦だったら、出刃包丁で刺される、か

156 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:38:38
>>154うまいうまい、パチパチパチ。
ところで女の歳で、神功皇后の結婚した歳の24歳は二倍年暦なので普通暦で12歳だったって話知ってますか。
そして、12歳の少女の体を抱いた仲哀天皇はロリコンだったてこと。

157 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:41:42
二倍暦って、やってる当人は真剣なんだよ、きっと。
倍暦レスは、俺には理解できんが、なんかずいぶんと生真面目な感じでやってるのは、何となく伝わってくる。

だがな、そのぶん傍で見てても、ちっとも面白くないわけだ!
おおむね計算と数字の羅列だしな。飽き飽きする!

158 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:49:04
二倍暦馬鹿にしてたけど、少なくともアンポンの説よりは数段説得力ある。
なぜかというと二倍暦だと卑弥呼時代が景行とかと重なるから。
漏れの説とおんなじ。
大倭は四道将軍の名残ね。
アンポンの説は出鱈目といっても過言じゃなかろ、
大嘘つき!


159 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:11:26
それとさ、邪馬台スレの常連コテたち、みんなユーモア精神が乏しいと思わないか。
一人がちょっと「ば〜か」なんて言っただけで、
 「馬鹿はアンタだッ!」
 「ケッ! 人のことを言える立場かよ、低脳ッ!」
とか、すぐ罵り合いになるだろ。はなはだ見苦しい。子供の教育にも良くない。

160 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:15:22
>>159
それは言える。
信長・秀吉あたりをやってるスレは、なんというか、楽しさがある。

161 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:17:18
>>129
これって、ソースあるの?
それともネタ?

162 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:18:51
信長・秀吉とは違いここは真剣勝負!

163 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:22:21
>>159
つまりはそういうとびきりイタい人たちだからこそ
毎日毎日飽きもせず常駐して罵倒合戦してんじゃね?
歴史好きというより、俺が俺がのタイプでしかも世間から浮いている怨念を
ここで発散させているだけのように見えてならない。

164 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:28:52
>>114
「ヤマト」という地名は、川が山の中へ入って行く手前あたりに多いような気がします。
昔は、川は水上のみならず、徒歩での山中への立ち入りの際も重要な道だったのではないでしょうか?
ですから、本来の意味を漢字で表記すると、「山門」がもっとも近いのでは?

165 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:32:02
>>159
ユーモア精神がないのは、同意。だけに何マジメにやってんだと思う。
特に一部の九州説派のカタサと独善ぶりといったら不快なほど。
多分、これは九州人の歴史的怨念の爆発という側面があると思うんだな。
まあ、そういう意味では真剣になってユーモアがないのも分からないでもない。


166 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:35:14
>>165
それ、似てるのは京都人や大阪人の東京に対する頑なな敵愾心に似たものがある。
東京人は、「おまえらも東京から見たらただの地方都市」ってハナで笑うだけだけど。
東京人の場合は、実はイナカモンがほとんどなのが、この関係と違うところだが。

167 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:35:25
あのさ、
「魏志倭人伝」にある「邪馬台国」と、畿内に存在した王朝は別物、
というところまではみんないいんだよね?

168 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:36:14
>>167
みんなって誰と誰のことさ?

169 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:44:32
>>168
君と僕のことさ。 ラララ〜♪

170 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:56:20
くだらねー。
そんなことよりアンポンはアンポン

171 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:56:42
九州人はね。秀吉のときに畿内勢に負けてるからね。それで近畿に恨み持ってんだよ。
ちなみに、この九州戦の前に島津に統一されなかったのが大分なんだな。
これは前スレで大分は九州じゃ言葉も近畿に近くて異色とあったレスとも
符合している。

172 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:00:04
中世の時代でも大分はちょっと違うけど、
古代から大分中心とした豊前豊後地域は遺跡が違う。
神功の時代も神功の攻撃は筑肥中心だし、
現代でもそう大分中心の豊前豊後と
筑肥は方言がまったく違う。


173 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:03:26
本州と九州の境界線が宗像から大分と宮崎の県境
地域を結んだ線上にあると考えてよいのよ。
おおむね、古代から遺跡とかが違ってるし
現代でも方言が違う。


174 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:06:47
九州人はね、大分人じゃなんだから
近畿人と同族とみなされるとカチンときちゃうのよ。


175 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:09:06
宗像って言えば、魏志で、末櫨(字が違う)伊都、那と行ってそこで
あとは適当な描写になって切れてるところだよね。この断層は関係ねえのかしら。


176 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:19:20
アンポンタン用の隔離スレ立てたほうがよくね。

177 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:21:13
「九州ですが」さんは今夜は寝てるの?

178 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:21:52
>あとは適当な描写になって切れてるところだよね

微妙にウケタ、魏の人があんまり行ったことがない
地域だったからテキトーになったんじゃないかと

179 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:23:56
しかし倭人伝真に受けてたらマツロ→イト→奴国と、この方向は東南とあるじゃん。
とするとあとの記述の南は東南東の方向になるんだよね。
すると四国の松山になる。つまりは邪馬壹國は松山なんだよ!
あそこはなんて言うか知ってるかい。古くはイヨ。いまはエヒメだ。

180 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:27:16
>>177
おい!やめてくれよ、九州ですがの奴がこっちに来ないから
俺はこっちに座り込んでるのに。あいつなら畿内説批判のすれにいるよ。

181 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:32:44
そのちょと後に筑紫の東に秦王国というのが中国の史書にでるけど
これは大分四国、吉備地域で確定だろう。
そして邪馬台国も宇佐から東の地域にあってこれが
秦王国につながり、現代でも八幡、京都太秦(ウジュマシャ)
と地名として残ってるのである。
トヨ、イヨは大分四国地域を基盤とし同時に
半島の秦氏と同盟関係にあった一族。


182 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:58:31
宗像地方(むなかたちほう)とは、福岡県の北九州市と福岡市の中間に
ある地域(北部筑前地区)の呼称。宗像市・中間市・宮若市・古賀市
などがある。また、古代に神郡だった事から神郡(かみのさと)
という美称で呼ばれる事もある。

宗像は 企救八幡や大分という瀬戸内文化圏地域と
筑肥の九州文化圏を結ぶ要衝にあるんだよ。


183 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:16:00
邪馬壹國が松山なら、斉明天皇が百済加勢に行く前に寄った理由も分かる。
女王のおわした国で禊をうけられたのではあるまいか。
自分レベルで考えない今のオッサン学者は、女帝はお歳のため、道後温泉で
療養していたのではあるまいか、などと自分の願望をそのまま言っているが。

184 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:17:25
×自分レベルで考えない
○自分のレベルでしか考えない

185 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:34:04
ところでよ。邪馬壹國って倭人伝の書き方だよな。
これじゃ邪馬台国じゃなくて邪馬一国なんだよな。
後漢書のほうは邪馬台国ともいえるが、出展が違う。
これを最初に邪馬台国ってしたのはどこの誰の何の本?

186 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:52:36
クナコク東進(実質婿入り)が正しいと思います
根拠はヤマトタケルは実はクマソタケルだと記紀が白状しているからです。

187 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 05:47:28
>>185
古田武彦「邪馬台国はなかった」を読んでみろ

188 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 11:16:05
>>187
昔読んだけどそこまで書いてあったっけ?

189 :日本@名無史さん :2006/12/14(木) 12:47:43
>>183
聖徳太子が、病気療養で松山に2年ほどすんでいたというのは
聞いた事がある。
邪馬台国の松山説は今まで、読んだことないが、文献があれば
紹介して下さい。
宇佐説、甘木説、筑後山門説それぞれ、昔からの文献もあり、
読み漁ってきましたが、松山説なる文献は見たことがない。
私の無知を恥じますので、是非お願いします。


190 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 13:22:43
>>181
秦王国は赤穂の坂越だろ
秦河勝が没したところ

191 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:59:39
別スレで倍年暦の話をしたら怒られたけど、
外国の日本書紀の解読者は
日本書紀も古事記の年代は、倍年暦と通常暦の移行で
混乱したんだと認識しているよ。

>>186
天皇家の出自の最大のタブーは、天皇家は男系で見たら
当時、日本の中では野蛮と目されていた熊襲の出身だったから
ということだろう?
だからこそ、神武天皇は畿内に熊野みたいな地名をつけた。
おそらく、神武東征というのは、卑弥呼よりも大分前の話だな。

あと、応神天皇の出自に関しては、古事記と日本書紀とでは書き方が違う。
古事記(少人数で書いた)は何の疑問も持たないで書いてあるが
日本書紀(七世紀の律令体制下の官僚)は
わざわざ后が出産を遅らせて産まれたと書いている。
おそらく、日本書紀の編纂者は、倍年暦から通常暦への移行を考慮してなくて
普通に疑問に思ったんだろう?応神天皇について。
倍年暦で考えたら、応神天皇の出産の経緯は何にもおかしくない。


192 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 15:44:23
>>191
ここの住民もバイ暦嫌いなんだよww
>>142から読んでみろ

193 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:41:48
普通に考えたら、流産か早産になると思うが?

倍暦スレ立てなさい。

194 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:57:55
>>189
松山説は俺のオリジナル(か?)文献は知らぬところにはあるかもしれないけど
俺は知らない。すまん。
ただ、松山が邪馬台国なら投馬国は徳山かななんても思ったりする。
しかし、水行とあるんだから九州じゃないと思うな。

195 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:33:10
それと、古事記の最初のほうで
伊豫(いよ)は愛比売(えひめ)という。とある。
この伊予はけだし壹与、愛比売は卑弥呼だ。

196 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/14(木) 23:29:54
>>180 九州ですがの奴 とはご挨拶だなあ。「ドン来い」はあくまで僕のホームグラウンド。
もうすぐ、あっちが終わるから帰ってきます。
あちらも、こちらもクママークが付いてるでしょ。どういう意味か知ってる?
邪馬台国王、クマクマスレスレノミコトなり。

197 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 03:29:11
>>156
十分有りえるが?欧州の王族においては、中世でさえ12、13歳位で結婚した姫は
大勢いるぞ。政略結婚とはそういうもの。

自分九州説だが東遷説ではなく、4世紀ごろ力をつけた畿内政権に武力で併合されたあと、中国地方と
九州・畿内の王族同士の政略結婚において、各地の王族の娘を大和朝廷に集めて
西日本が畿内政権に統一されたものと考えているんだ。中世のヨーロッパにおいてよく
あったパターンで、古代日本でも十分考えられる。


198 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 06:14:15
今度、誰か本を出すという書き込みがあったけど例の二倍年暦のやつ。

日本書紀だけじゃなくて、古事記も二倍年暦の干支没年らしい。

で、古事記は淡々と書いてあるだけあって、干支没年に関しては
倍年暦で計算した倭の五王って一致するみたいで正確みたいだ。

逆に日本書紀はどうも神功皇后を無理に女王卑弥呼に合わせようとしたらしい。
そういうのから、年代が狂ったみたいだ。

まあ、日本書紀も古事記も一長一短あるわな。

199 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:42:53
だから二倍暦の話はよそでやれっての。おまえら、もう脳みそが異邦人なんだからよ。

200 :太国:2006/12/15(金) 10:47:55
2倍暦は卑弥呼の時代を特定するためには必要です。
一寸、女王国、卑弥呼から論がはみ出ているようですが、無関係では
ないので書きこみはよろしいと存じます。

201 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:51:55
二倍暦がひとつのファクターであることは否定しない。
でも、あんたら、レスが長いし多いんだよ。
そういうときは専用スレたててやるべきだ。
なんか、オープンカーでカーステがんがん鳴らして人に自分の好みの
音楽聞かせたがってるニーちゃんかウヨみたいだぞ。


202 :太国:2006/12/15(金) 10:56:47
レスは1000まで入力できます。それに欠史八代とか神武のころとかの2倍暦等
の話は、卑弥呼が当時の生存ではないことを遠回しに貴殿らに分からしめるため
にも、ドンドン書きこむのがいいでしょう。

203 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:57:40
>>202
>貴殿らに分からしめるため
にも、ドンドン書きこむのがいいでしょう

それをみんなウザがってるて分かりなさいよ。

204 :太国:2006/12/15(金) 11:00:05
>>203
君の考えが否定されるのがイヤなのか?
とにかく畿内、マキムクにはないよ。w

205 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:09:45
俺は中立。
畿内説認定って、自分以外はみんな敵って感じだな。ウザイ

206 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:13:41
あんたが二倍暦の根拠の一つにしている大祓えが6月と12月に
行われるようになったのは平安時代からなんだけど?

オープンカーでカーステ。 上手い!w

207 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:18:48
二倍暦は専用スレでたんとやりあってさ。それでいいセンのあっと言うような結論が出たら
教えてくれればいい。そのときは、その結論。喜んで拝聴させてもらうよ。
いや、皮肉ではなしに。
だから中間討論は、他スレでやってほしい。いや、マジで

208 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:33:22
>>204
大国さん。
年代のことはひとまず措くとしてもさ、
マキムクが古代史上の重要遺跡である、てことは、
べつに異論はないんだろ?

それとも、ホケノ山とか箸墓古墳とかはつまらん遺跡だから、
ぶっつぶしてマンションでも建てればいい、とか思っているの?

209 :太国:2006/12/15(金) 11:34:12
>>206
そんなようなことは聞いてるよ。歴代途中中断があったかもしれないぞ。
なにしろ佛教を信じた天皇もいるんでな。

>>207
珈琲店、喫茶店にもコーヒー以外に紅茶もある。
3度の食事で好き嫌いをやってては、体によくない。同様に歴史でも自論の
間違いを知るためにも聞きたくないことでも耳に入れるべきだ。自分のうまい
と思うものばかり喰ってたんでは駄目。えり好みはするな。
将棋も相手にイヤな手を指されて強くなる。
さぁ、まずいものでも昼飯だ。またあとで・・・。

210 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:38:32
大祓えが神道儀式となったのは律令時代。
6月と12月と決めたのは平安時代。


211 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:41:08
>>209
だったら、もう少し手短にしてほしいね。
それと、あんたがどれだけ歳いってるか知らないが、
命令口調は嫌われるぞ。

212 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 12:31:24
>>206 :日本@名無史さん :2006/12/15(金) 11:13:41
>あんたが二倍暦の根拠の一つにしている大祓えが6月と12月に
>行われるようになったのは平安時代からなんだけど?

>>210で突っ込まれています。

213 :すみませんが、名無しです:2006/12/15(金) 12:48:47
邪馬台国の話が、いつの間にか、倍歴の話になってるから、
今度、倍歴の書きこがあっても、無視するべ。
喫茶店のメニューでいうなら、コーヒー通のみのスレで
充分で、そこに紅茶の良い点をグダグダいわれて、紅茶を
飲まない奴は、外道みたいな話をされても困る。

214 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:00:37
>>213
確かに、ここは邪馬台国の話であって
倍年暦ではないんだよね。
ただ、この問題は古代史の研究では避けては通れないよ。

あと、魏志の邪馬台国は、やはり九州にあったとみるべきだよ。
狗奴国の名残は、熊本の宇土半島にあります。
よって、狗奴国は熊本・鹿児島・宮崎あたりでは?

215 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:02:25
平安時代に固定化される前は、必要に応じて大祓えは行われていた。
年の区切りとして行われていたとして、2倍暦の根拠にするのは無理。
206、210、これ、同じ人間が書いてます。

216 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:39:23
>>215
魏略に、「倭人は四季を知らず」
「長寿の人が多い」「春耕秋収で一年」っていうふうに書いてある。
なぜ、二倍年暦を避ける?
そんなに真実が迫られるのが嫌なのか?



217 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:50:39
>>216
>そんなに真実が迫られるのが嫌なのか?
はあ?それはあなたが自分の語るところ真実だとみせかけたいから
そういうだけでしょう?俺は別に邪馬台国がどこにあってもいいし、
イヤじゃないよ。ただイヤなのはわけの分からぬ自己陶酔的な長い二倍暦レスだけです。

218 :太国:2006/12/15(金) 14:36:28
中断はあったかも知れない。神武以前の記録に、イザナギノミコトがアハギハラ
で禊、祓いをやっている。その後生まれでたのが、衝立船戸神以下12神で
ある。この前後の神々の誕生説話は殆ど8神ばかりだが、ここんところは12の
数字であり、12月を想起する。然るに先頭神はまた 月経つ2・7戸神 とも読
み解されるか? 月の経過で7月が第2の先頭、つまりしょっぱなの月、第2の
正月だとの言い分にもとれうる内容である。まぁそれは反論もあろうが〜

紀の記述の 崇神62年7/2 には農耕を勧める説話がある。7/2は後半の1年の
7/1 に次ぐ始まり(7月は第二の正月)の日であることから、当時2毛作を
やっていた可能性が観てとれる。農作を恵也の云うとおりとするならば、彼の
主張の地域(彼は神武のころは九州で2倍暦をやっていたと説明)だけでなく、
崇神の世に農作にて2倍暦的考えがあったようだと云えることになる。

しかし余は崇神世は2倍暦でなく3倍暦としていたと観ているから、次代の世
での2倍暦運用の肯定材料にはなりうる。たとえば景行世は2倍暦としている。


219 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 20:58:03
>>208  マキムク重視が多いけど、初期の天皇の宮があったとされる橿原はどうなの?
マキムクから橿原までは4、5キロですぐ近くなのに橿原では大規模な発掘はやっていないのかな?

マキムクを畿内王権発祥地とすることができるのは、橿原である程度以上の規模の発掘が行われて、
何も出なかったという結果がないと、「マキムク以前」の存在を否定できないはず。

@記紀では初期には橿原に宮があったとされる、A橿原は盆地の中心でマキムクは外れにある、
B神武廟の伝承地も橿原にあるというレベルでは争いはない。

特に畿内説論者が橿原を無視して、マキムクのみを論じていることが、いつも腑に落ちない。


220 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 20:58:14
>>216
>「春耕秋収で一年」
西日本一帯は冬がなかったんだろ。
二期作とも書いてないのだから
2倍暦の根拠にはならない。

221 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:05:58
トヨの全盛期  :AD260年頃(トヨ、266年に晋に使いを出す。)
神武東遷    :AD295年頃(トヨの孫だから。)
崇神天皇の全盛期:AD330年頃(戌寅の年に崩御、とあるが、若干ずれ?)
応神天皇の全盛期:AD390年頃

かな、と思うのですが、皆さんどう思われますか?

222 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:10:41
>>219
神武天皇が橿原で即位した事と、畿内でムクマキが栄えていた事は別物ではないでしょうか?
そもそも、神武は「即位する」などと言える状況ではとても無かったのでは?

223 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:18:59
日本書紀が正しいなら、暦をいじることは、してはいけない。いいとこ
だけ、利用するのは、改竄だと思う。

224 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:19:08
>>219
それが常套手段だからね。
何かが出るたびに一方的キャンペーンでマスゴミを利用するだけ。
マキムクに飽いたら次また何か掘り出してはそればっかり言う。
とうてい学問とは思えない。そうやって反対意見を時間をかけて
封殺していくのが狙い。

それが証拠に、ほんとに畿内なら、もっと真剣に陵墓発掘の運動
をやるはず。でもやらない。

225 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:58:36
>>222
神武東遷を認める九州説の年代観からは、マキムクには確実に邪馬台国時代に遡るモノがなくて、
むしろ300年以降のものしか出ていないといえる。

ほぼ全部が古墳から出土する画文帯も最近は280年以降という説の方が有力。
最近の調査で庄内式、布留式の古墳出土の鏡と墳墓等の鏡で同位体比が異なることが報告されている。
つまり、庄内、布留には、古墳時代とその前に使用時期があり、しかも両者の並行関係も想定できる。

そもそも、伊都国、奴国から出土しない画文帯は邪馬台国時代ではあり得ない。
私は、ホケノ山は310〜330頃で箸墓は350〜370頃と見ている。

その立場から見ると、300年頃以降に開発されたのが、マキムクといえる。
記紀の伝承のとおり、崇神は古墳時代以後であり、1〜9代までは前古墳期と考えられる。
となると、神武東遷から崇神までの間は別の場所に宮があったと考えられる。これも伝承とおりである。


226 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:46:59
>>224
どんな運動したらいい?
誰に圧力かけたらいい?

227 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:54:51
以前は、箸墓よりも崇神天皇陵のほうが古いというのが常識だったんだけど、
箸墓に注目し始めてから、崇神陵の方は無視された格好になっている。

箸墓を卑弥呼の墓に比定し、崇神陵がそれよりも古いとなると、では崇神陵は
誰の墓だということになるからかな?



228 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:59:01
12 :日本@名無史さん :2006/12/15(金) 20:42:01
神武天皇の即位年は、干支を意識したものだから信じられないが
(そもそも、彼は皇帝というよりは、三輪山の一領主で人生を終えた)
古事記、日本書記を倍年暦で計算して
また、日本書紀の仁徳天皇の即位が、神功皇后の生存期間を
卑弥呼にぶつけるためにやったことを考慮して計算したら
一応、紀元前106年の日向の国で産まれたことが分かった。(誤差はあるかも?)
いつ即位したのは分からん。というか、彼はただの地方豪族。
だから、日向からの遠征前に即位したみたいな訳の分からんこと言ったんだろう?

ちなみに、崇神天皇の在位期間だが、西暦206年から240年だ。
彼が生まれたのは、西暦156年。
マキムク遺跡の古墳が3世紀後半だから、彼の死後
古墳が作られるのと見事に合点が行く。


229 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 03:42:38
とりあえず、2chで教授を自称するような香具師にろくなのいねーと
言うことは肝に銘じておいたほうがいい。どうせ4流私立奈⊆大あたりのパート講師が
いいとこ

230 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:03:39
バーチャル世界で、教授とか博士とかいうのは悪者に決まってる。

231 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:25:17
相手の素性なんてどうでもいいんだよ
問題は中身だ中身、おまいらニートよりもよほど存在価値はある。

232 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:01:48
>>231
なんでいきなりニート認定なんだよ。おまえ教授だろ。自演乙

233 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:02:47
>>231
つか冗談分かれ。石頭。

234 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:16:37
おまえら哀れすぎ、大人毛ないジジイめが。

235 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:56:18
>ホケノ山は310〜330頃で箸墓は350〜370頃と見ている


あははははは

236 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 13:37:35
願望が学問になるのですね、古代史学って

同じ研究者として恥ずかしいです

237 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:18:12
考古学の偉い先生は
卑弥呼のことなんて興味ないみたいですw

ただ単にマキムクのことが知りたい。

ただ、それだけだと、誰も注目してもらえないので
マスコミに適当に卑弥呼の話をして、世間に興味をひかせていますw
なにせ、金を生まない学問ですからね、発掘調査ってw
だから、常に世間を注目させる必要がある。

238 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/16(土) 20:49:44
暇潰しに書き込みしてたが、最近フリーソフトのJWCADで家の図面を
作ろうと素人がてらに挑戦を思い、しばらくお休みする。
俺の現在の所の邪馬台国の結論を書いときます。

リニューアル恵也説

●1里は何kmと計算すべきか?
 倭人伝では韓国から壱岐まで2000里となってる。
 釜山から壱岐まで160kmとして、1里=0.08km

●水行する距離に関して、数百人の人間が移動するには、漁師や運搬船を総動員しないと無理。
 本隊が着く前に先遣隊が大金を使って段取りしても、4日間くらいのタイムラグがあるとする。
 風を待つという待機もあるし、酒宴もあるし、船もピストン輸送とし段取りでマイナス4日も
 しくは2日とし 1日平均5km進むとする。

●陸行する距離は、段取りでマイナス4日とし1日4kmとする。
 江戸時代の朝鮮通信使は12回も、江戸まで往復6ヶ月もかけて旅行してたという。
 下関から東京まで900kmを90日間かけたとしたら、1日に10km。
 日本との親善が目的なんだから魏志倭人伝とよく似てる。交通網の発達や初めての見せびらかし
 旅行と、地元との宴会・意見交換を考えると1日4kmでも良いだろ

●船を乗り換えてるので、漁業者のテリトリーが変化したものとし三角港を投馬国とす(熊本平野
 八代平野も領土とする)

韓国80km南→対馬80km南→壱岐(一大国)80?km→唐津(末盧國)40km東南
→小城町(伊都国)8km東南→佐賀市(奴国)8km東→千代田町(不弥国)80km南→
三角港(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→宮崎市・・「ここが邪馬台国」
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

239 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 20:58:07
>>238
>最近フリーソフトのJWCADで家の図面を
作ろうと素人がてらに挑戦を思い、しばらくお休みする

そんな個人の都合なんか書かないでよろしい。誰も知りたいと思わん。


240 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 21:07:55
>>238
>大金を使って段取り
>酒宴もあるし
>初めての見せびらかし
>地元との宴会・意見交換

てめえのレベルで考えるなってんだ。べらぼうめい。

241 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/16(土) 22:11:04
しかし老教授とやら、とのやり取りが途中で終わってるのは残念。
それより、驚くのは、何人かの畿内説論者が、海の底から、
浮かび上がってきたかのように、亡霊か、海坊主のように現れて、
九州説とまるっきり反対の、全く逆さまな主張で、論筋を組み立てているのには
正直驚いた。世の中には物事が全く逆さまに映る網膜を持った人間がいるものだなーと。

242 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:41:31
>>241
いちおうリアルタイムでロムってたのね?

243 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/16(土) 22:45:19
>>242
ほわっちゅうみーん?

244 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:51:48
恵也氏休養ということだし、
このスレはますます九州ですが氏が引っ張っていかなきゃならんな。

245 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:06:33
九州の某説だが、
九州説の大嘘ツキ、ペテ公あいつよりは
畿内説の方がマシ!!



246 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/16(土) 23:23:32
>>244えっ。「恵也氏休養ということだし」ってほんとですか?
僕は彼のように色んな分野にわたって物知りではないですよ。努力はしますが。
とくに2倍歴などは面白いけど、立証が困難な内容はどうしても敬遠してしまいます。
だからコテハン全員が揃ってのほうが楽しい。意見が違ってこそ盛り上がる。
プラムさんに言ったように、漢書も読みたいしね。年末は忙しくて、正月休みに読んでみるかな。



247 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:36:04
>>246
九州ですが氏。

ドンと来いスレこそが「レベルの高い、あなたのホーム」
みたいな書き込みを前に見たような記憶があったので。

どうでもいいがちょっとだけ失望


248 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:59:57
>>241 >何人かの畿内説論者が、海の底から、
>浮かび上がってきたかのように、亡霊か、海坊主のように現れて、

どう見ても、1,2名が書いているようにか見えなくて痛々しかったんだけどww
あれをみて、10人くらいと思ったのですか?


249 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 00:03:05
>>247 理想を言ってる部分もありますよね。
ドン来いスレこそ最高、というより、
みんななかなか鋭い事を、議論し合ってるんではないですか?
少なくともそれは事実だと思いますよ。

250 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:03:43
そうですね。わたしもそう思いました。
某教授になど負けるなよ! 九州ですがさん!!

251 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 00:08:47
>>248
何人か、とは思いましたよ。微妙に言ってる事が違ってるかなと。
よくわかりませんが。名無しなので見分けがつかないのは困ります。

252 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:11:31
つかスレの棲み分けは大事だよなあ。

あっちだって、たぶん九州氏とかの反論なくて
ホッとしてると思う。

253 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:28:37
>>250
だから2chで「教授」を自称する香具師に教授はいないって。
簡単にだまされるんじゃねーよ。

254 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:32:13
>>252
だろーね。偉そうに書いたわりに、質問に全然答えられなくってさ。
簡単に論破されてやんの。
だから考古学と言いながら自説がいえない。言ったら論破されちゃって畿内説自体が
危うくなるから。この繰り返し。ふう


255 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:42:30
>>251
名無しを批判されてるようですが、コテハンと名無しを使い分けるのもどうかと思いますよ。
>>254は、あなたでしょう?あなたは「だろーね」とか「いるものだなーと」とか「ー」を多用するのですぐ分かります。
他にも癖ありますけどね。まあ、みなさんには周知のことでしょうからわざわざ指摘するまでもないことでしょうけど。

256 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 00:45:25
>>250
ご声援はありがたいのですが、某スレで、僕に質問が集中すると、
味方が誰もいなくなってしまったのです。結局、助け舟を出してくれたのは、
恵也さんでした。論の正否はともかく、彼のかましで、相手がひるんだようで、
多くの質問を同時に受けていた混乱から脱し、落ち着いて、反論の態勢に入れました。
異論はありましょうが、僕にはあり難い存在です。僕は新参者ですので、
太国さん、プラムさん、などコテをつけた人たちが頼りです。
意見の対立はあっても、互いに役を演じながら、邪馬台国の謎に迫っていければ、
最高です。


257 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 01:01:42
>>255コテハンと名無しを使い分けるのもどうかと思いますよ。

私はそんな姑息な事はしたことないです。又、する必要もありません>。
>254さんの言う論破とは、どこを指すのかは知りませんが。


258 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/17(日) 01:16:50
話を戻して、初期天皇のあり得ない長寿(倍暦)について・・・・・ポイントは
A、記紀編纂当時に長寿伝承があったのか。
B、神武即位年を辛酉年としたのは、意図的か。
C、神武即位年は辛酉革命思想から「定点」とされているのか。

(私見では)
A、紀年を意識しない古事記でも長寿であること等から、長寿自体は伝承である。
神武即位年(定点)を先に定めて、そこから初期天皇を長寿にしたわけではない。

B、意図的とは、言い切れない。紀では、特に辛酉年を特別視する思想がなく、神武即位年以外で
辛酉年を特別視したと考えられる部分がない。朝鮮征伐、聖徳太子、仁徳天皇などを辛酉年に
関連付けるという一貫性があれば、神武の辛酉年も意図的ということになるが、神武のみである。

C、「定点」であるとすると、さかのぼる「始点」が必要であるが、しかるべき「始点」があるようには
思えない。革命周期についても争いがあり、その点でも「始点」が決めにくい。

・・ということから、現時点では
1、長寿の伝承が存在し、そのなかから寿命を推定して書いているうちに、たまたま辛酉年になった。
2、「辛酉年の即位」という伝承が存在し、それに合わせて初期天皇の長寿伝承のなかで調整した。
3、「辛酉年の即位」になるように、初期天皇の寿命から推定される近い時期の辛酉年を選択した。
4、辛酉信仰に従い、神武即位年を「定点」として、初期天皇の長寿伝承をさらに引き伸ばした。
の順で可能性が高いと考えています。

私自身も考えが定まらないので、タタキ台にして検討していただければ幸いです。

259 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/17(日) 01:17:09
>>257
質問には冷静に即答
掲示板は速さが命

一年間に10000レス目標に頑張れば即答なんて楽チン楽チン

260 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/17(日) 01:48:48
いままで「名無し」でしたが、今後はこのコテにしようと思います。
「倍暦」の話が出ていたので、>>258を書いたのですが、那珂の「辛酉革命説」は
論理の美しさを感じますが、納得できない部分が多いですね。

「倍暦」の考えを導入すればある程度の解決になりますが、
1、それでも5〜13代天皇が連続して、50歳以上の長寿になるのは不自然。
2、記紀での寿命の差が2倍に近い天皇もいるが、そうでない例もある。
3、欠史8代について寿命のみが正確に伝えられたとは思えない。
という点で、少なくとも「正確に」倍暦の伝承があったととするのは、無理だと思います。

但し、倍暦でうまく説明のいく天皇もいるので、倍暦自体はあったように思いますが、
その伝承は、特に初期の天皇ではかなり不正確であったと思います。長寿伝承は2倍暦の
名残であると思いますが、初期の天皇の寿命の多くは後の推定ではないかと思います。

神武即位年が、後世の暦法に基づいているのは事実ですが、暦法の違いにより、干支に
違いが生じないので、神武=辛酉即位の伝承の可能性も十分にあると思います。
帥升の朝貢の前後から干支が伝わった可能性もあります。

偶然に辛酉年に即位したというのはあり得ることです。キリスト誕生(伝承)も辛酉年です。


261 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:00:13
何か、九州説の畿内説に対する被害妄想は酷いな。

>ほぼ全部が古墳から出土する画文帯も最近は280年以降という説の方が有力。

何回も否定されてるのに、いつまでも同じこと書くなよ、まったく…

262 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:04:01
>>261
被害妄想じゃなくて、実際過去に被害を受けた怨念の潜在遺伝子が引き継がれているのだと思うよ。

263 :古代史トーシロー:2006/12/17(日) 02:20:56
年代推測の手段として、古事記の没年干支はどうなの。
江戸時代でも生年を干支でいう習慣があったね。

264 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/17(日) 02:40:32
>>263  私は、半信半疑。
本文ではなく、異説の一つを紹介するという形になっているので、信頼性が劣る。

ただ、記紀編纂の時代は、架空小説(源氏物語とか)を創る文化やその土壌もないから、
没年干支を異説として創作した可能性は小さく、「そのような伝承を持つ氏族がいる。」と
いうレベルの伝承を異説として書いた可能性が最も高いと思う。
この考えからは、没年干支を信用する学説も根拠があると思う。

書かれている年代は、ちょっと微妙で、あり得るけど後世に比べて在位期間が長い点が
気に掛かる。この点で、信頼性が低下する。

ということで、没年干支を確定定点にすることはできないので、結局は無視しています。
没年干支は一括して確定定点にできないと意味がないので、オールオアナッシングです。

265 :古代史トーシロー:2006/12/17(日) 02:49:33
>>264
応神天皇は庚午で405年になるわけで、崇神天皇は戊寅378年と推定してるけど、
これだと、纏向遺跡との年代差が出てくる。318年、258年も候補に上がるけど、
応神天皇との世代で少し長すぎるしね。伝承として不確かなものが残ったという
位かな。

266 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:50:47
742 :日本@名無史さん :2006/12/16(土) 23:34:56
天照大神とは誰か

>天文学者によると、BC138年、158年、247年、248年、454年に
>日本で皆既日食が観測されたというのである。

http://www.nagaitosiya.com/a/amaterasu.html


743 :日本@名無史さん :2006/12/16(土) 23:36:44
>>742
安本は、247年、248年って騒いでいるけど
もし、本当にアマテラスが実在の人物をモデルにしたものなら
BC138年のが一番、可能性ありだな。

267 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 10:34:55
>>252
でも、畿内説にも入ってきてもらわないと、九州説が勝利するもなにも無いと思います。
>>261の画文帯についても、僕が畿内説の誤りを否定した格好になってると思ってますが。


268 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 10:38:30
>>259
僕はプラムさんのようにはいきません。質問されてから、ええーっとなんだっけ?
とドタバタしますよ。

269 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:37:45
>>267
>画文帯についても、僕が畿内説の誤りを否定した格好になってると思ってますが。

同向式が中国から出土してない、とか誤った指摘はあったと思うが。
それにまだ気づいてないのか?
それとも、完全に読み飛ばしてる?

鄂城、同向式とかでググってみろよ。

270 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:53:49
九州ですがとプラムにはウンザリだ。
一人二役はもう止めて。

271 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:39:06
↑コテの区別も出来ないトーシロー

272 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:53:33
プラム=九州ですが=言語虫なのは、このスレの住人みんなが知ってることだよ

273 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 13:58:40
>>269
そうではなく、画文帯鏡が卑弥呼の鏡の可能性は殆ど無い事を今まで色々説明してきた。
そうである以上、論議に持ち出すのも意味無い事と思われる。
ちなみにプラムさんと、僕は当然別人です。

274 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 14:06:32
>>272
そんな事も推察できないようでは、邪馬台国に関しても、
的外れなことばかり言っていることを自ら証明いているようなもの。
私は言語虫ではない。彼は凄く研究してますよ。
僕は学校で習う程度で判断しますが。

275 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 14:31:41
九州ですがは、なれなれしくて粘着性があってキライ。主張そのものより
人格臭ぷんぷんさせてるのがキショイ。うざい。

276 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 14:31:56
画文帯同向式を国産とかいう暴論は引っ込めたのか?
それならそれでいいが。

中国で画文帯の紀年鏡が出土している以上、画文帯を280年以降とする根拠は、
まったく無くなるが、それもOK?

277 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 15:12:36
>>276画文帯同向式を国産とかいう暴論

僕は画文帯鏡が国産だとは断定してはいない。中国南方系の銅を使った鏡、と主張している。
中国で作られたとしても、倭で作られたとしても、呉鏡であることに変わりは無く、
一番可能性が高いのは、呉が滅亡した後、280年以降に、呉から倭へと逃れてきた
鏡職人かなにかが倭で作った可能性が高いということ。呉でも作られてはいただろう。 


278 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:19:49
>>275
やめとけ。ジジイというのは、ツラの皮が厚くなってて、人格攻撃しても引っ込まないよ。

279 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:35:22
>>277
分からん奴だな。
中国で黄初年号入りの画文帯紀年鏡が出土してる以上、
画文帯の製作年代を280年以降とする根拠は無いわけ。

いい加減無知な発言を繰り返すのは止めてくれないか?
2ちゃんの邪馬台国スレはレベルが低いとよく言われてるけど、君たちの責任だよ。

280 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:39:55
黒塚古墳などの発掘調査を見てみると、明らかに画文帯神獣鏡の方が三角縁神獣鏡
よりも格が上という印象を受ける。しかし、黒塚古墳の発掘責任者、この人は
バリバリの畿内説なのだが、画文帯神獣鏡が卑弥呼の鏡だとは言わない。
卑弥呼がもらったのは、内行花文鏡か方格規矩四神鏡だろうと言っていた。

これは、中国で見つかった画文帯神獣鏡の大部分が呉の領域で発掘されて
いるからだろう。
呉が滅んでから、日本にやってきた人がいて、その人たちの持ってきたもの、
作ったものが画文帯神獣鏡であり、三角縁神獣鏡なのでは?

281 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 15:43:56
>>276
問題は、画文帯鏡が、卑弥呼の鏡かどうか、それが論点なんだよね。
要するに卑弥呼が魏王から貰った鏡は、
魏と敵対している呉の影響を受けた様式の鏡だということは絶対あり得ない。
「中国で画文帯の紀年鏡が出土している」とそちらが指摘するように、
紀年鏡自体が、呉の様式。であるから、魏鏡には当てはまらない。
魏の領土からは一枚も出ておらず、呉の領域からのみ出土する。
日本でも、時代の下った、前方後円墳から多く出土する。
などから、倭人伝のいう道教100枚は、この鏡ではない。


282 ::2006/12/17(日) 15:47:52
>>279
>中国で黄初年号入りの画文帯紀年鏡が出土してる以上、
画文帯の製作年代を280年以降とする根拠は無いわけ。

ここで解ることは「黄初年号」が入っているということは、「黄初年」以前に製作されては
いないということと、黄初以降なら何時でも製作可能状態にあるということだろう。


283 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:49:16
呉が滅んでから来た人が、魏も滅び晋の時代になってるのに、
わざわざ魏の年号の鏡を作るか?

倭国に持って来た可能性は否定できないが。伝世鏡という考えだな。
まあ、畿内説バッシングのつもりで、伝世鏡説批判をする九州説が
このスレにいるけど、結局自分自身に返ってきている。
天に唾するとはこのことだ。

284 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 15:53:39
>>283
その答えは簡単。ちょっと出かけるので後は後ほど。

285 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:55:44
九州ですが、は画文帯同向式は国産だと言ってたよな。
中国から出土しないという事実誤認を根拠にしていた。

まずそこから誤りを認めないと。


そんなこと言ってないって?
そんな見苦しいことを言うなら、過去スレから君のカキコを貼りつけるよ。

286 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:59:43
>>282
中国で作るのに、製作年を黄初に偽る必要があるのか?

画文帯の年代を無理矢理280年以降に持っていこうとするのは止めよ。

287 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:01:05
>>282
A氏の慎重な態度を賞賛。
他の人は、鏡式や紀年銘からの憶測が多すぎる。
鏡はいつでも踏み返し鏡(コピー鏡)がつくれることをお忘れなく。

288 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:03:38
年号の書かれた鏡は全部で13面見つかっているらしい。

魏の年号が
青龍三年(西暦235年)の方格規矩四神鏡が3枚。
景初三年(西暦239年)は三角縁神獣鏡と平縁神獣鏡が1枚づつ。
景初四年(西暦240年)の三角縁盤龍鏡が2枚。
正始元年(西暦240年)の三角縁神獣鏡が3枚。

呉の年号が
赤鳥元年(西暦238年)と赤鳥七年(西暦245年)の平縁神獣鏡。

さらに、晋の元号である元康○年(291〜299年)の平縁神獣鏡が一枚。

という具合らしい。 赤鳥の年号が鍵かもしれない。

>283
伝世鏡というのとはちょっと意味が違う。卑弥呼の鏡の場合は、景初三年とかに
まとめて日本にやってきたもの。画文帯神獣鏡の場合は、いつ作られてもおかしく
ないわけだから。


289 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:04:51
慎重な態度を称賛するなら、根拠もなく画文帯を280年以降とする輩はどうなの?

九州東遷に不都合な庄内のマキムクを、無理矢理四世紀に持っていこうとしている。
結論有りきの出来レース。
あほらし

290 ::2006/12/17(日) 16:06:46
>>286
>中国で作るのに、製作年を黄初に偽る必要があるのか?

主観となる回答しか出来ないので遠慮しておくよ

> 画文帯の年代を無理矢理280年以降に持っていこうとするのは止めよ。

実にくだらない憶測、「黄初年」以降なら何時でも製作可能であることは事実だ
それとも無理なのか?



291 :287:2006/12/17(日) 16:11:09
>>289
いや、キミと同意見だよ。

292 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:13:31
画文帯が後世作られた可能性を否定してる訳じゃないので。
私自身、画文帯を卑弥呼の鏡と考えていないしな。

庄内開始を4世紀とする九州東遷説の連中が
余りにもいい加減なこと書いてるので訂正しただけ。
今後それを踏まえた上で議論を続けて下さい。

私自身、畿内説>九州説なのだが、九州説を棄て切れていない。
ただ、東遷説はないな、と思っている。

あと、安本ホームページを過信するのは止めた方がいいよ。

293 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:14:36
>>288
ついでに、島根県の神原神社古墳から出土した景初三年銘の三角縁神獣鏡の銘文は、
稚拙だといわれている。韻のふみ方が全くなっていないらしい。
魏の時代は、銘文にかなり気を使う時代だったらしく、こんなものをよその国に
やることはありえないといわれる。

つまり、この鏡は日本製である可能性がかなり高いといわれる。
ということは、日本で中国の年号が入れられたことになる。

294 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:21:18
>>292
庄内開始が4世紀だとどうしていい加減なのかその理由は?

何度も言っているが、東遷説は、明治時代の末期の白鳥庫吉から示唆されている。
さらに、学者でも、東遷説を取る人は多い。和辻哲郎や井上光貞など。
安本説はむしろ後発に属する。
安本説で目新しいと思えるのは、地名の類似だけで、そのほかのことは先駆者の
説を取り入れたものが多い。

295 ::2006/12/17(日) 16:21:48
>>293
>ついでに、島根県の神原神社古墳から出土した景初三年銘の三角縁神獣鏡の銘文は、
稚拙だといわれている。韻のふみ方が全くなっていないらしい。
魏の時代は、銘文にかなり気を使う時代だったらしく、こんなものをよその国に
やることはありえないといわれる。

その様なこと誰が言ってる?


296 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:25:00
「東遷説」とだけ表記するから話が混乱する。

・邪馬台国東遷説… 九州の邪馬台国が東遷し大和朝廷となった。
・九州勢力東遷説… 九州の勢力が東遷し、畿内に邪馬台国をつくった。

下の説の代表格は故原田大六氏。
また両方をミックスした説(奥野氏)もある。

297 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:29:13
>>295
森博達氏。

面倒なのでコピペすると、

中国の詩や銘は韻文であり、原則として韻を踏なければならない。
後漢に流行した方格規矩四神鏡の代表的な銘文を見ると、音符と四声による
平仄(ひょうそく)の法則が当時すでに確立していたことがわかる。
ところが、方格規矩四神鏡の後に現れた三角縁神獣鏡には、
魏で押韻(おういん)しなくなった字を押韻字とする銘文が少なくない。
神原神社古墳出土の景初三年鏡に関して言えば、かすかに押韻の跡が
見られるところが一箇所あるが、平仄の韻律は全く無視されている。
卑弥呼が使者を遣わした魏の明帝の時代は、まさに詩文全盛の時代である。
押韻の意識すら持たない拙劣な銘を刻んだ鏡は、皇帝自身の権威を
傷つけるものであり、こんな銘文の鏡を特鋳して賜わるはずがない

298 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:34:19
ついでに、神原神社古墳出土の三角神獣鏡の銘文を記すと、

景初三年 陳是作鏡 自有経述 本是京師 杜地□出 吏人■之 位至三公 
母人■之 保子宜孫 壽如金石兮 

299 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:35:39
>>297
三角縁の銘文が漢詩であるという根拠は?

300 ::2006/12/17(日) 16:41:49
>>297

>森博達氏。

なんだい、日本人のしかも現代の人の見解ですか
せめて魏代から伝承されてるものを掲示願えると、期待していたんですが
残念です。
それでは受け売りのリピート合戦です。


301 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:42:36
>>299
>>297をもう一度よく読むこと。

302 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:45:29
>>300
そんなに偉そうなことを言うなら、銘文も示してあるのだから、
自分で判断したら良い。
自分で判断できないくせに、人の意見にけちをつけるのはどうかと思う。

303 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 16:48:12
鏡の銘文が総て漢詩という前提が間違ってると思うのだが。
間違った前提から導き出した結論に、何ら信憑性はない。

304 ::2006/12/17(日) 16:58:45
>>302

>そんなに偉そうなことを言うなら、銘文も示してあるのだから、
自分で判断したら良い。
自分で判断できないくせに、人の意見にけちをつけるのはどうかと思う。


いつもそうだが、著書の文言に頼っているから著書の範囲の中で右往左往する
スレに という意味なんだがな

305 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:00:25
>>303
>鏡の銘文が総て漢詩という前提が間違ってると思うのだが。

一番最初に、中国の詩や『銘』は韻文であり、原則として韻を踏なければならない。
と書かれているのだが。つまり、鏡の銘文が全て漢詩とは言っていない。
鏡の銘文も韻を踏むと言っている。

方格規矩四神鏡は、平仄の韻律に基づいて作られている。
中国で一枚も出土していない三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡であるとすれば、
それは特別製ということになる。日本にやるためだけに特別に作られた鏡が
そんな稚拙な銘文であるわけがないということになる。


306 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:09:06
>>304
言葉のやり取りになってしまうけれども、あなたの場合は、内容が正しいか
間違っているかについては一言も言わず、誰の意見かだけで判断している。
ちょっとおかしいのではないだろうか。

それとも、結論が気に入るか気に入らないかで判断しているわけかな。

307 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:29:02
>>281
>魏と敵対している呉の影響を受けた様式の鏡だということは
>絶対あり得ない。

これは、当時の魏と呉の美術や様式の区別がちゃんと分かっててしている発言か?
それとも、ただ単に敵国同士→文化影響ないという短絡指向からくるものか?

はっきり言って歴史上、美術様式ってのは政治を超えてるぜ。
こんな例いくらでもあげることができる。
WW2の日本みたいに、敵性の者は排除するということはあって、野球の
「セーフ」も「よし」とか言ってたが「野球」そのものはやってたんだぜ。戦争中も。

邪馬台国は九州かもしれないが、このスレの九州厨の説は狂信レベルだ。


308 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:36:48
こうやって都合悪いところだけ否定したり肯定したりしてねじ曲げて
行った結果がぐだぐだな古代史学会なんだよね。

>>297さん(つうか森氏)の論で大事なのは
>押韻の意識すら持たない拙劣な銘を刻んだ鏡は、皇帝自身の権威を
 傷つけるものであり、こんな銘文の鏡を特鋳して賜わるはずがない

という部分だって事は誰が見てもわかる話なのに、すり替えたりしち
ゃって。

309 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:50:16
ただ、歴史ってのそのようにいつも捻じ曲げられるからな。
今、目の前にある証拠だって、かつてどこかで捻じ曲げられたものではないと
誰が断言できよう?

310 ::2006/12/17(日) 17:55:24
>>306
>>293から始まる一連の流れを見てくれ


>>293はレス最後に「〜になる」と、断言文で締め括った。
だから私は>>295で、その断言の裏付けを要求


出てきた回答が受け売り発言
だから私はそれを批判したのだが


いけないことなのか?
別に私も>>293が「断言」でなければヤリ入れるつもりはなかったのだがね

こちらとしても「断言」だから期待感もあるだろう。

311 ::2006/12/17(日) 18:09:44
>>309

>ただ、歴史ってのそのようにいつも捻じ曲げられるからな。
今、目の前にある証拠だって、かつてどこかで捻じ曲げられたものではないと
誰が断言できよう?


かつてどこかで、捻じ曲げられたのではないかと推測する裏側では、同時に
捻じ曲げは行われていないと、する推測も成立するのではないか?

312 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:13:54
>>305
>つまり、鏡の銘文が全て漢詩とは言っていない。

漢詩じゃなくて単なる慶賀文なら、あえて韻を踏む必要もないかと。


鏡2枚で結論出すんじゃなく、もっと多くの中国鏡の銘文を検証した上で、
「中国鏡の銘文は必ず韻を踏む」ということを証明してくれれば、
話も違ってくるがな。

313 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:28:04
画文帯が中国でも出土していることは、どの学者も否定していない。
>>269氏は画文帯同向式神獣鏡が中国でも出土していると述べているが、ソースは不明。

ソースに基づかずに議論を進めても仕方がないのでは。
少なくとも、彼にはソースを提示する責任がある。ぐぐれでは言い訳にもならない。

提示されなければ脳内ソースが確定。

314 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:51:58
>>311
まあ、いちおう皆さん、その前提に立っていらっしゃるわけで。

315 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:53:34
>>313
何でも教えてもらえると思うのもどうか。

グーグルくらい使えるだろ?

316 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:56:57
(画文帯同向式が中国で出土していないというソース)
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/shiten3yamatai.htm
の上から10行目あたり。
>同向式鏡の出土が日本列島以外では楽浪郡でのみ確認されている事実は
>見逃しがたいといえます。

反対のソースがあるんなら出して欲しい。
どうせ「画文帯同向式神獣鏡と類似の鏡は中国でも出土しており、・・」というごまかし
しか出てこないと思うが。ぐぐれでは負け犬の遠吠え以下だよ。

317 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 19:17:26
>>283呉が滅んでから来た人が、魏も滅び晋の時代になってるのに、
わざわざ魏の年号の鏡を作るか?

倭国には文字が無く、殆どが漢字を読めない。「倭人は四季を知らず」と、
四季の概念さえ無かった。まして、倭人に関係の無い他国の元号など、
あわせることは無く、倭人の求めるままに、今までの古い鋳型をそのまま用いて、
鏡をつくったところで、何の差し支えがあるだろうか。無い。


318 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/17(日) 19:46:32
>>288 (三角縁について)
1、中国では1枚も出土しない三角縁は、全部が日本製と考えた方がいい。
2、古墳の築造時期により出土する三角縁の種類が異なり、紀年鏡は後記以降に分類される。
3、鏡自体の変遷からみても、紀年鏡は後記以降と考えられる。ただし、この点は紀年鏡を変遷の
基点にする学者もいる(これは本末転倒の考え)。
4、埋納時期により出土する鏡に違いがあること(内向花文→画文帯→三角など)は、伝世がほとんど
行われなかったことを裏付ける。
5、従って、三角縁の紀年鏡は350〜400頃に239年頃の魏の年号を用いて製作したと思われる。

三角縁の製作、流通年代については、330〜450頃と考えている。
三角縁の始点は、古墳時代が始まってある程度経過した時期の古墳から出土することから想定。

(画文帯について)
画文帯は、三角縁より前に流通が始まり、三角縁の初期の種類と同伴するので、300〜350頃か。
画文帯の始点として、280年頃まで遡ることもありうるとは思うが、起点を早めると画文帯のみ出土
で三角縁のない時期がそれほど長くないと思われることに整合しにくくなる。また、画文帯のほぼ全部
が古墳から出土することにも整合しにくくなる。
奴国、伊都国から出土しない画文帯は、邪馬台国時代とは全く別の時代の製作、流通であると
思われる。従って、画文帯が250年以降であることは動かせない。


319 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 19:56:09
>>283呉が滅んでから来た人が、魏も滅び晋の時代になってるのに、
わざわざ魏の年号の鏡を作るか?

倭国には文字が無く、殆どが漢字を読めない。「倭人は四季を知らず」と、
四季の概念さえ無かった。まして、倭人に関係の無い他国の元号など、
あわせることは無く、倭人の求めるままに、今までの古い鋳型をそのまま用いて、
鏡をつくったところで、何の差し支えがあるだろうか。無い。


320 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 19:58:20
>>あら間違っておんなじの入れちゃった。>>317と同じ内容です。

321 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 20:50:07
>>287「他の人は、鏡式や紀年銘からの憶測が多すぎる」
>>307
鏡の様式は大事です。呉の影響と言ったが、呉鏡そのものである。
当時、呉でもてはやされた模様だという事。
銘文を刻むのは、呉の様式であるということ。
呉で産する銅を使っている事。出土例も呉の領域から出土する例はあっても、
魏の領域からの出土例は無い事。日本で150枚、大陸からは80枚ほどしか出ない事。
などから、呉の職人によって、日本で作られ、倭人が活躍していた大陸に運んだのではないか。





322 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 21:03:04
記紀に書かれてる天皇の年齢って、早く死んだ(20代)か、普通だった(40前後)か、
長生きした(60位)かぐらいの意味しかねーんじゃないの?
で、持統天皇の時代の官吏が、干支など参考にしながら、筆をなめなめ決めたんでしょ?
天武持統の時代に、古代天皇(とくに欠史八代)の正確な寿命が伝わっていたとは
考えにくいのでは?

323 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/17(日) 21:13:45
>>321続き
公孫が滅び、卑弥呼は魏と親交を結んだが、魏にも倭国と結んで、
呉を挟み撃ちにしたいという思惑があったともされている。
親魏倭王の称号を与えた卑弥呼に敵国の呉の様式の鏡を与えるはずも無く、
中国考古学の、王仲殊も、三角縁鏡を、「魏でなく、呉の鏡である」
と言っている様に、明らかに違うものである。

324 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 21:22:32
邪馬台国の頃、近畿は、銅鐸の末期らしい。日本書紀に銅鐸がでてない
ので、3C以前の記事はデタラメというべきでは?
あと、景初3年は、正月に明帝が崩御されてる。1年喪である。つまり、喪中
の年号の鏡を外国にあげるはずがない。3年と書いてあるなら、それは
日本製を自供したも同然。

325 :太国:2006/12/17(日) 21:28:50
>>322
将棋の棋譜を考えて頭をひねって下さい。記の不充分、誤認等の反省の上に
紀を編纂したもので、紀には年だけでなく月日までも記入があるのは、
かなり正確だと認容できます。それが仁徳以前の天皇らの超長寿なのは倍暦
での記述ですから、みかけでそう見えるまでのことでおかしくありません。

史容疑の疑念は舎人親王らが紀譜の文書偽造したということに行き着きますが、
それとも親王がそれに関与した根拠があるのでしょうか?

将棋の棋譜も保存が有効ならば、永く未来まで保存でき、よっぽどのこと
がない限り棋譜の数字は確保できます。ありうるのは焚書とかで、可能性と
して壊滅に向かうことは充分言えます。
古代マヤ文明の場合、文書棄損は、ランダ神父の関与により4書くらいしか残
っていません。かように破壊が古史を不明に導きます。

326 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/17(日) 21:41:21
>>322   >古代天皇(とくに欠史八代)の正確な寿命が伝わっていたとは考えにくい

基本的にはそのとおりだと思うのですが、
1、2代(84歳)、3代(57歳)、4代(77歳)は、2倍暦だと普通の寿命なので信用できそう。
2、5〜13代が連続して100歳以上であるのに比べると、2〜4代は短命で伝承がありそう。
という理由で私は、初期天皇の一部に部分的に寿命の伝承が残っていた可能性の方が
高いと考えています。

干支の点は、神武即位を辛酉にしたことに体系的な辛酉革命思想があったようには思えないと
>>258で書きましたが、「天命による革命は辛酉年に起きる。」という素朴なレベルの知識は
記紀編纂当時の日本に存在したとも考えています。

よくよく考えてみると、東遷開始の「太歳申寅」と、即位の「辛酉」の両者が偶然と考えるのは
無理があるので、>>258は結論部分は、3の「辛酉年の即位」になるように調整したの方が
いいですね。記紀で東征開始から即位までの期間が異なるのもこの方が説明できる。

327 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2006/12/17(日) 22:04:37
始点は661年

328 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 22:39:46
>>325
寿命が100才以上がゴロゴロいる時点で、月日の記入など、なんの信憑性も無いんだよ。

329 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 22:41:34
>>323
あなた中国の古代の鏡の知識どれほどあるの?

330 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 22:55:11
古代の文献なんか間違いだらけ。物的証拠こそ優位。
そうなるとやっぱり畿内。
ただ、なんか宮内庁が隠してる気はするな。

331 :太国:2006/12/17(日) 23:09:33
>>328
そんなことはないね。君は津田病にかかってるんだろう?ww

ごろごろはいないでだろうが。倍暦で実際は100歳未満だ。
例外的のようななタケウチノギネスも3倍暦で95歳だ。

それに事実、現代でも100歳の長寿はいる。数日前は116歳の米国の女性の記事
もあったしな。さらに倍暦だとほぼ、記紀には事実的に100歳以上はいない。
だから全然おかしくはない。

お前ほんとにゴロゴロいると思ってるのか? お前が単純だから、等倍暦で考
えてる頭の賢さの程度のため、そんなもやしのような書きこみになるわけだ。w


332 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:10:28
>>330
物的証拠って何?
一つでいいから挙げてみて。

333 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:16:20
>>331
馬鹿は死んでいいよ


334 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/17(日) 23:17:07
実に悲しい現象だね〜

百二十五歳と125歳の区別の出来ないヤシの多さに。

泣けてくるよ    たく〜っ

335 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:18:50
>>334
泣け泣け、バーカ そのまま死ね


336 :太国:2006/12/17(日) 23:24:54
プラムさん 「邪馬台国は大和朝廷になったのか?part21」に、倍暦での年表
を欽明の始めから遡って神武世まで書きこんであります。参考にされたい。

あとは今後「2倍念暦の真実」のスレにいろいろ書きこむつもりですが。
まもなく寝ます。w

337 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:30:30
>>336
今すぐ寝て、二度と起きるな、この糞バカ低能野郎!!


338 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:30:32
寿命とかそういうのは、現代が特異であって、現代の感覚で考えるのは
間違っていると思う。
たとえば、明治天皇は、孝明天皇21歳、中山慶子16歳のときの子供だから。
こういうのが普通だったと思う。
ちなみに、豊臣秀頼は、15歳で父親になった。
平均寿命も、江戸時代でさえ40歳代だったとされるし。

339 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:31:36
>>338 邪馬台国と関係ねーぞ。うぜー

340 :太国:2006/12/17(日) 23:34:55
>>338
倍暦で考えると当時の天皇はそんな感じになります。

>>336で告げた別スレ(>411〜>499)に断続で年表をこさえてあり
ますので、各天皇の父親のなった歳とかがわかります。ご覧下さい。

341 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:39:10
>>340
わ、また起きた。三倍暦を、地で言ってるね。

342 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:40:34
>>332
鏡、古墳、遺跡、ってとこ。まあ、いずれ分かるか。
もう分かっているけど隠してる感じがするんですよね。

343 :太国:2006/12/17(日) 23:41:34
おやすみ。言いたいことは書きこんでいてこれな。w
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・

344 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:41:52
だって、九州説者って、最初から九州って決め付けて
倭人伝をもとに創作小説書くからさあ。笑えちゃって〜

345 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:42:28
>>343
二度と起きるな、ハゲ

346 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 00:08:22
>>319
九州ですが氏が良く間違う弱点だな。
海外通の倭国の知識人なら知っている事だろう。

347 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 00:11:58
>>346
ちゃんとした日本語で書け、インチキ野郎め。死ね禿


348 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 00:19:23
>>336太国さん

了解さました。



>>335>>337のカキコは
今の2ちゃんの本当の姿(象徴)でしょうな
いや!
2ちゃんはこうある可き
お手本かと 考える次第です。

349 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 00:42:07
>>348
お舞のようなインチキ馬鹿が生きていけるのも2chのおかげ。

せいぜい感謝しろ、低能め


350 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 01:01:11
>>349

なに?

VIPとお友達になりたいだって


紹介してあげようか?

351 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 01:03:42
>>350 
バーカ

352 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 01:05:42
プラムが見え見えの罠を張ったようです。

353 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 01:45:19
>>太国さんプラムさんへ
太国さん、プラムさん罵倒を気にする事はありませんよ。
僕がお二人を頼りにしてる事を知って、僕を勢いづかせまいとする策略かも。
僕が、画文帯でも根底から打ち破ってるにも拘わらず、ああいえばこういうの連中ですから。
ここはお二人のホームですから、安心してどうぞお入りください。
罵倒しか出来ない人間こそ、ペルソナ ノン グラータ。


354 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 02:04:23
>>349「九州ですが氏が良く間違う弱点だな。 海外通の倭国の知識人なら知っている事だろう」だって。

江戸時代にも文盲率はかなり高かったとされているのに、ましてや弥生時代の、文字が無い時代に一国に数名しかいなかったような
特別な存在を指して「九州ですが氏が良く間違う弱点」だって。
王と名のつく人でさえ恐らく理解できなかったでしょうに。

355 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 02:16:29
>>349
特にあんたはどういう人?人を批判する前に自分の考えを言うのが礼儀でしょう。
それも僕よりずっとカキコ人生の長い常連さんに向かって。
この人たちは格が違う格が。クマスレのミコトがお怒りじゃ。

356 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 02:19:32
それでは便所起きしただけなので、おやすみなさふぃ。

357 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 11:17:01
>>328  >寿命が100才以上がゴロゴロいる

倭人伝でも「その人たちは皆長生きで百年、若しくは八、九十年生きたりする。」
とあるので、2倍歴(1年2歳)のように、年齢の数え方が異なっていたと思います。

年齢の数え方が長くなる方法としては、2倍歴が最も単純明快なので、2倍暦が
一番可能性が高いと思います。

この理屈だと台与が6歳で即位したことにるけど、それもありうると思う。


358 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 11:39:25
>>357

じゃあ 二倍暦を採用した期間は梅の花や桜の花が、今の一年に換算すると二回咲くか
或は二倍暦時は、二年に一回花が咲いたのかい?

359 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 12:05:47
いい光景だ、もうココから出てくるなよ。

360 :太国:2006/12/18(月) 14:10:08
>>357 最下段
安徳天皇なんかそのようですね。

>>358 プラムさん
1ヶ月経ちますか? TVで秋に咲く桜でしたか、確かやってたと思いました。
そんな植物もあるのやも知れません?

361 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 14:31:19
日巫女は太陽神を崇拝する巫女様であり。
その源流は伊勢にあり、間違っても宇佐にはありません。
いい加減にしてください。

362 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 14:40:28
これが、ほんまの宇佐憑きや。

363 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 15:48:02
>>360太国さん

四節を知らないと言われる倭人が、朝賀に訪れる


>秋に咲く桜

春にも咲くのでしょうか?私は秋咲く山櫻を見たことがありませんので何とも
今でも山櫻は田植え開始を知らせる目安ですので
欅の葉っぱの付き具合、木蓮の花による豊作予想
当時はみ〜んな半年一度繰り返されていたのでしょうか?
一年に二度雪がふり、一年に二度も蚊に悩まされ、熊や蛙は二度冬眠し、渡り鳥も大忙しですね

364 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:13:14
>>238
文献重視するのはいいんだが、それに自分の説をあわせる為のこじ付けに一日4km移動とかおかしいだろ。
人間の歩く速度3〜4kmだぜ?一日一時間しか移動しないのかよ・・・

365 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:17:07
>>357
魏の使者が、40代の人たちを8、90と間違える事はないだろう。

366 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:19:08
>>365
それが間違えたんですよ!何度言ったら分かるんですか。
私ら何度も宴会で道中シラフのときがなかったんですから。

367 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:37:11
ナンジャソリャ?

368 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:50:12
当時の日本に年号があったかどうか。
もし、年号がなかったとしたら、年齢はなかなかわからないと思う。
皆さん、よく考えてみたらいい。
○○年生まれというのを知っているから、何歳というのはわかるが、
もし○○年生まれというのを知らなかったとしたら、
自分の年齢がわかるかどうか。

卑弥呼の年齢も『長大』と書かれているだけだから。
帯方郡の使者が、当時の日本人に、卑弥呼の年齢について聞いたけれども、
ちゃんと答えられなかったのだろう。

ひょっとしたら、古代は年齢の感覚がうすかったのかもしれない。

369 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:12:54
そろそろ次の話題に移れよ。
ぶっちゃけ2倍暦に興味もってる椰子って一人か二人くらいじゃねえか?
文体はジエン臭いし、歴史板のコテハンどもは基本的に頭でっかで自分勝手なんだよなあ。
妄想馬鹿のトンチンカンだけが凝縮しちゃー誰も寄り付かないって。



370 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:14:32
強かったり賢かった王(天皇)の時だけ、2代目・3代目も同じ名前にしたんじゃないの?
内外にも威光が通じるしw
倭人は長生きだよって、言いたかったのかも?(徐副の所為?)
んなわきゃ無いかww

371 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:19:02
一種の荒らしだろう。九州ですがやプラムは確信犯。太国は論外つか真性。

372 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:10:17
年齢がいいかげんなんだから、いつ生まれた、いつ死んだも
当然いい加減だとおもう。
ちょうど、年齢を2倍したとか3倍したとかの規則性を求める
のは無理だと思う。

あ、太国荒れるなよ。w

373 :太国:2006/12/18(月) 20:44:45
>>372
いい加減なら、紀は年か月の記述までで済むんだから、なにも月日の日数まで
も書く意味が無い。つまり年か月までで記述は止めけばよいはずだ。
事実、日までの記載が殆どである。だからいい加減ではない。

ところが紀には神功〜應神世の記載は月までしか書かれていない記事がかなり
の数ある。このことはこの時代を記述する大陸の古文献がわりかし多数あって、
それとの照合に編纂者側が戸惑って完璧に出来なかったので、誤謬を避けるために
月までの記載に留めて誤りの危険を回避したためであ〜る。

2倍暦、3倍暦の規則性とは、何の意味だか明確ではない。何のことだ?
2倍、3倍は1年が半分とか1/3のことだから、そういう意味なら割ればいい
ことで規則性がないとは言えない。

374 :太国:2006/12/18(月) 20:59:55
>>363 プラムさん
熱帯などの常夏の国の民族とか、逆にエスキモーのような厳寒の地に住む人々
ならば、それぞれ外国旅行をしたとかの特別の事情がない限り、貴殿の主張
のとおり、夏なら夏だけ冬なら冬だけで四季をしらないのが当然であります。

しかし古代の九州がそのような1年中上のような熱帯とか寒帯の気候が単一に
なっている気候だったのかということは大いに疑念と思いますし、当時でさえ
現今のように九州の1年は四季に分別できる気候であったと思いますが?
となれば、倭民らは十年、数十年当地に生存していて、四季の体験はしている筈
であり、言語の違いなどから、大陸の九州派遣者が倭民の意思がよく伝わらず、
そういう四季を知らぬという誤解をしたのではないですか? たとえば文字
を解する者が少なかったとかのことで、そういうことだと思考します。

それとも当時の九州は1年中夏が続いたりしてたんでしょうか? そうでは
ないとそれがしは思いますが?

375 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 21:32:54
確かに縄文人も食料としてのクリの栽培などをしていたから、
弥生人も四季の概念こそ無けれ、何らかの自然現象をもって
季節の変わり目を感じていないと、稲の収穫は困難なので、中国人の言う
四季の概念が無かっただけであって、倭人ならではのものはあったであろうと思われる。

376 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 21:34:10
太国!
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1161169598/8

377 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 21:45:10
376提示のは実に下らんスレ。
太国さんは二倍歴に関して凄く執念を持っている。
歴史のロマンを追いかけているようで羨ましい気さえする。
みんな、自分の考えはこうだ。と言うものがあったら、本当はそれだけでいいんだけどね。


378 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 21:47:31
>>377
おまえの説教なんかどうでもええ。

379 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 21:55:59
>>374 太国さん

>大陸の九州派遣者が倭民の意思がよく伝わらず、
そういう四季を知らぬという誤解をしたのではないですか?

倭人伝の植性から判断しても当時の列島に四季が存在していたことは間違いないでしょう。
しかし、四季の存在と四季の認識は違います。
唯一の史料となる【魏略】に
【其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀】と
(四季によっての年を知らず、植物の変化にて年を記した】とかいてあります。

この「春耕秋収」というのは、なにも種まきから収穫までを一年としたなどという事が書いてあるわけでは
ないということを、付け加えておきます。
♪当時の倭人も「一年」という単位は存じていた
ただ漢人と違うのは、漢人は一年を(四節)に分け、一年の区切りとしたのに対し、
倭人は、植物の生育をもって一年のサイクルとした違いがあるのです。

漢人は四節の変わり目を(春正月)としたが、倭人は種まきの時期を(春正月)としたちがいだけです。

その事を、魏略にて
【其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀】と記載しました

「不知正歳四節」=漢人のように四節で以って正しく年を表す事を知らない
「ただ、」
「春耕秋収年紀」=植物の性質を利用して年を記することが出来た

だから当時の年始めは、種まき時期(桜の下での花見は、新しい年の始めのお祝い行事)

380 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:02:31
普通、自然科学の面から考えて
2000年前と工業化社会が始まる直前までとは
さほど気候の変化はしていない。

よって、普通に、四季を知らなかったんだろう?
というか、学会では、普通に倍年暦は当たり前になっている。

プライムは何をおびえているんだ?

381 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:06:46
プラム ◆TOfHBAKZgMさんへ、

何を二倍年暦に関して、びくびくしているんだ?
普通、人間が最初に季節の区切りを感じるのは
春分、秋分でしょう?
これらを境に、日が長くなったり、日が短くなったり...
天岩戸神話なんて、まさにそうでしょう?

382 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 22:07:34
>>380

>よって、普通に、四季を知らなかったんだろう?
というか、学会では、普通に倍年暦は当たり前になっている。

プライムは何をおびえているんだ?


別におびえてなんかいない。 魏略を解釈しただけ

383 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:11:57
二倍暦の奴らはこれだけヨソでやれと嫌われてもまだ続ける。
かまってジイサンの集まりだな。

384 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 22:14:38
>>831

>何を二倍年暦に関して、びくびくしているんだ?
普通、人間が最初に季節の区切りを感じるのは
春分、秋分でしょう?
これらを境に、日が長くなったり、日が短くなったり...
天岩戸神話なんて、まさにそうでしょう?


別にそう考える人の意見を潰そうなんて考えてもいない。
その様に考えたならまず、根拠探しに精を出し確定事項にすればいい
私は文献頼りに書いてあることだけまずは、追求するから

385 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 22:22:40
>>383
別に爺さんなんか一人も居ない。そちらこそ世間知らずのオシメの取れない
青二才の若造、というところか?


386 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:28:21
あんたはオシメをまたつけるってところか?

387 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 22:44:41
神社の古い建築様式は中国南部や、東南アジアの影響を受けていると思うが、
倭人の暦は、古くは、温暖で、一年に何度も作物が取れ、
倭国に稲作をもたらしたそれらの地域の影響を強く受けた縄文の暦と、
寒い地域の弥生の暦が錯綜した、暦の混乱期にあったんじゃないのかな?
その二つを加味して、古代の天皇の在位をはじき出したとしたら、
さぞかしややこしいものが出来ただろう。

388 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 22:51:01
>>387

>倭人の暦は、古くは、温暖で、一年に何度も作物が取れ、

倭人伝の植生見てそう感じるかい?

389 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:54:07
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1047142091/521-
可哀相な程興奮しているppp

390 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 23:01:25
>>387

米の二期作についてだが

米の二期作はよほど気温が確保できない限りほとんど無理だし
多少低温でも二期作できる米は、品種改良の賜物なんだよ
例え可能であっても、田んぼを休ませなければ直に弱い品種の苗では
病気になり、次の種籾すら取れない状態になる。

だから、以前恵也氏の言っていた宮崎の二期作は、机上の空論になるのだよ
嘘だと思ったら、自分で米作りしてみれば体で覚えるよ

391 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:02:34
新年に伊勢の方から、北九州のある神社に挨拶するらしいよ。

392 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:07:51
>>391
こいつ、江戸の敵を長崎でとったろか。

393 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:08:11
月の満ち欠けでも解るけど、日本では、女性の生理で暦作ってたと
思う。だから天照みたいに女性を祭る。

394 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/18(月) 23:08:46
>>388 倭人の暦は、古くは、温暖で、一年に何度も作物が取れ、 で、切らない様に。

「一年に何度も作物が取れ、倭国に稲作をもたらしたそれらの地域」でひとつながりで、
それらの地域とは中国南部や、東南アジア、を指します。
そこが二毛作など温暖で、縄文人はそれを受け継いでいたのでは。
そこに弥生人の暦が稲作文化とともに入ってきて、両方をまぜていたのでは?
あくまで可能性ですが。


395 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/18(月) 23:25:31
>>394 なかなか興味をそそる考えですね。
稲作の起源地である中国南部とかの二毛作に倍暦の起源を求めるというのは、
あり得ることですね。

「黥面文身」で潜って魚を取るとか、木弓の上が長くて下が短い(東南アジア風)
という南方要素が強いことから、暦も南方的というのは、風俗、文化として
一貫していますね。

396 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 23:27:20
>>394

>それらの地域とは中国南部や、東南アジア、を指します。
そこが二毛作など温暖で、縄文人はそれを受け継いでいたのでは。
そこに弥生人の暦が稲作文化とともに入ってきて、両方をまぜていたのでは?
あくまで可能性ですが。


可能性は何時までも可能性のままだよ
先に進みたければ せめて「性」ぐらいは取ろうよ・・・・・・。
話が前に進まない


それに
途中で切ったのは、レスを読んでる最中に「恵也氏」の二期作談話を思い出したので
、その事が机上の空論であることの話をしたかったから
丁度いいところで切ったと言う訳

誤解を招く引用   スマソ


397 :太国:2006/12/18(月) 23:32:09
>>390 >>379 プラムさん
さすが白眉の知識ですねぇ。参考にさせてもらいます。

ところで 崇神62年7/2 の紀の記事は如何ですか? これによると半年過ぎ
ての第2日目に、畿内にいる天皇は農作を奨める詔を出したということです。
だから畿内のほうは(当然四季はあるも)2毛作をやってたんではないで
しょうか? で、畿内のほうでは暦に合わせ2倍暦を意識して2回戦を
おっ始めたと考えられるのです。ということは、当時は現今よりも暖かかったと
いう可能性がこの記事で想起されます。そこで畿内より西側の九州の地はもっと
温暖だったということになろうし、2毛作の線は捨て切れないのですが?

まもなく寝ます。w

398 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 23:33:06
>>393

>月の満ち欠けでも解るけど、日本では、女性の生理で暦作ってたと
思う。だから天照みたいに女性を祭る。


私はこのレスに興味を引かれます。
女性は新しい命を生み出す存在。原始宗教の初期対象物でしょう。

399 :太国:2006/12/18(月) 23:34:42
追伸
崇神世は3倍暦です。農耕とからんでの為と前代の開化(2倍暦の世)
の影響がこのころになっても残ってたという解釈にあります。

400 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 23:46:40
>>397 太国さん

>ところで 崇神62年7/2 の紀の記事は如何ですか? これによると半年過ぎ
ての第2日目に、畿内にいる天皇は農作を奨める詔を出したということです。
だから畿内のほうは(当然四季はあるも)2毛作をやってたんではないで
しょうか? で、畿内のほうでは暦に合わせ2倍暦を意識して2回戦を
おっ始めたと考えられるのです。ということは、当時は現今よりも暖かかったと
いう可能性がこの記事で想起されます。そこで畿内より西側の九州の地はもっと
温暖だったということになろうし、2毛作の線は捨て切れないのですが?


ものすごくムズイ質問です。
その対象となる作物が解らなければ 答え様が
一般的に野菜は、ある程度の低温に耐えますし(特に地中系)

ただ、野菜も連作になると直に病気が発生します。
そんなこんなの知恵がやがて 保存食へと・・・・・・ 寒い時期畑に無理をさせずに
休ませる  因みに、胡瓜やナスは無理をさせれば一年で三度作れますよ

401 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/18(月) 23:50:32
因みに>>400の  胡瓜やナスが当時に存在していたかいないかは別な話ですので
あしからず

402 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 00:01:29
二期作ではなく二毛作を二倍暦説に関連付けられてもなあ。

403 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 02:50:25
無の状態から暦を創るとしたら
重要な要素になるんじゃないかな?

難しく考えなければ
米を収穫した回数を暦としただけな訳で


404 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:06:25
米が無くても植物の変化を見てれば一年の経過を知ることが出来るだろう。
特定の山を目印にして、太陽が何処から昇るかを見るというのもあり。

405 :すみませんが、名無しです:2006/12/19(火) 13:00:09
卑弥呼の時代は、隣国の中国では光武帝が全土を統一して、漢文化
が成熟期を向かえ、紙も発明されている。
当然、歴についても詳細な記述があり、その漢文化の影響を帯方郡
を経由して、すくなからず受けていると思われる。
奴の国王の金印授受は卑弥呼より200年も前だという事実を忘れて
いませんか?
倍歴などのまやかしは、記紀の記述があいまいなのをコジツケている
以外に考えられない。
無視していいと思う。

406 :太国:2006/12/19(火) 14:33:00
>>405
倍暦がまやかしならば、仁徳以前の天皇の超長寿をいかように説明するのか?
倍暦論者はまやかしを隠して説を張ってるんではない。

それに何故卑弥呼より200年前の計算となったその算出が、まやかしでないと
の自信はどこからに由来し、何故その計算が正確だと云えるのか?

どういう点があいまいなのか? むしろ>>405の内容こそ、倍暦がまやかしで
あるとの論説としては不十分過ぎ、これこそあいまいではないか?

407 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/19(火) 15:05:08
>>405

>卑弥呼より200年前の金印


その金印ってなんですか?

408 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/19(火) 15:11:37
>>406太国さん

>仁徳以前の天皇の超長寿をいかように説明するのか?


一百七十九萬二千四百七十餘歳の様に

いひぃひぃひぃひぃひぃひぃ〜い

409 :太国:2006/12/19(火) 15:51:29
>>408 プラムさん
確かにそれは   卑奴国支邦齢   とは読めますが、当時は支那という
言い方は無かったならば、偶然でしょうね?

あのぅ〜、>>397の崇仁62年7/2の日付は後半の半年の2日目ですが、この数字
は2毛作の数字の示唆はないでしょうか? つまり1日にやればいいところ、
2日に農耕を天皇が奨めており、第2回目の農作に因んで2日を選んだと
想いますが? 結局当時の九州では(天皇はそっちには居ませんが)、プラム
さんの示した古文献と紀のここの記事から、いずれも(1毛作、2毛作双方)
やっていただろうと考察するのが至当のように感じます。

当時大陸から女王国へ来た連中が、たまたま1回しか農作していない地ばかり
を見ていて、2毛作を執り行なっている九州の他の一定の地域を見落としていた
と想う次第でありますが?

410 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 16:07:52
邪馬台国卑弥呼=倭姫命(垂仁天皇皇女)だろ?
鬼道を為しというのは、神託を受けて伊勢神宮の建立
唯一面会を許された一族の年下の男というのが日本武尊で、
大乱というのは、景行天皇期に相次いだ熊襲や蝦夷の反乱で日本武尊が鎮圧した
戦闘のことだろ。

411 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/19(火) 18:33:54
>>409太国さん


ご質問の件ですが、
何せ、その様に意識して読んでいないので何とも……
否定も肯定も出来ないのが正直な気持ちです。


それに、当時の一月一日が何時に当たるかも考察しなければわからないことでもあるし。

412 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:34:16
>>410
それが今度の小説でつね。てんて。

413 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:04:55
日本の古代史研究が大きく停滞した最大の理由は
戦前の皇国史観と戦後のマルクス主義史観。

そこで大きくネックになったのは、
年代の解明が出来なかったことに絞られる。

たとえば、欧米でも、古代の歴史を探るのに
その当時に書かれた書物ではなくて、
何百年か後に書かれた書物で歴史を探っている。
その場合、二倍年暦の補正をやって歴史を解読しているんだよ。

日本の歴史研究は、そのへんが全くお粗末だった。
いったい、何をしているんだ?って感じ。

414 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:08:01
ただ、それが記紀とつながるならもっと早く結論出てね?
大きな答えは出てるので、細部をつめるためにここにたくさん書き込んでいるのか?

415 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:41:23
来年、記紀の年代測定の本が出るらしいけど (450ページ以上で、値段は高い)

それによると、古事記の干支没年などが、解明へのヒントになっているらしい。

年代がああなった理由...

雄略天皇のときに、倍年暦から通常暦へ移行した。

日本書紀の編纂者が、中国史書の記述に合わせるために
二倍年暦だったことを全く考慮しないままw、
一部の天皇の年代を水増しにしている。
(しかし、これは古事記の干支没年・寿命や、
前後の天皇の年齢・在位から
どれだけ水増ししていたのか分かった)

天皇の在位期間と、没年などを計算して合わなかった理由は
必ずしも、天皇が死ぬ=次期天皇の即位 ではないからだそうだ。
つまり、皇位継承というのは、記紀の明確な時代でもそうだったんだが
たえず、一族で骨肉の争いなどをしてきたわけで。
そういうわけで、年代確定で狂いが生じてきた。
記紀には、皇位継承争いの模様がちゃんと書いていることと
古事記の干支や天皇の寿命などから、それも十分に補正できるらしい。

そして、最後に、これまでの多くの学者のミスなんだが
古事記の干支没年も、途中から倍年暦から通常暦へ移行していること。
これまでの学者の多くが、通常暦に一貫して計算していた。

そういう結果、11代目の垂仁天皇の没年(西暦314年)までは、
ほぼ確定できるとか...

416 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/19(火) 23:53:48
>>413  戦後は古代史に限らず、歴史学会の全体にマルクス主義史観
が跳梁跋扈して、学会全体が停滞したというのは、そのとおりですね。

特に、古代史では記紀が後世に天皇の権威を高めるために捏造されたとの見方から、
記紀に書いていない歴史の探求に没頭する学者があまりにも多かった。
それが「空白の50年」とか「失われた50年」と言われる停滞になったのも事実。

未だに畿内説論者の多くはその域を脱していない。過剰な年代遡上に没頭したり、
三角縁の大部分を舶載としたり、同位体比データーは無視したりと、理解不能なカルト
宗教的な言動にはあきれ返るばかりですね。
「神武東征だけは認めない。」という「宗教」に成り下がっている。

紀年論(倍暦とか)も突き詰めると、欠史8代の実在性に繋がるから停滞していた。
倍暦の考えを認めれば、かなり解決できるのに、とは思う。

417 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:14:18
2倍暦の証明が出てから言いな

418 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:31:56
つうか、皇国史観つう色眼鏡で見て間違った、唯物史観つう色眼鏡で見て間違った、
つうよか、記紀そのものが間違ってる、or捏造って疑うのも可能性としてあるんだぞ。
つうよか、記紀はまず正、という見方こそ皇国史観に近い教条主義、権威主義だとオモ


419 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 02:08:47
>紀年論(倍暦とか)も突き詰めると、欠史8代の実在性に繋がるから停滞していた。

欠史八代の実在まで行ってしまうからインチキ臭いというのが素朴な感想。
崇神以降の皇統譜のみを問題にしてる紀年論とはだいぶ印象が違う

420 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:05:37
伊勢は、天皇家が自分たちの家系の正統を訴えるために作った神宮。

天照という元々は男性神だったものを女性神にすることで、
そこから万世一系(男系一系)が始まったということにして
それ以前の家系(物部氏ら)と自分たちを差別化・断絶化させた。
実は、天皇家の本当に大事にしている神社は、高天彦神社や出雲大社など。

天皇家の先祖というのは、高天原(高天台・奈良県南部・和歌山近く)から
山門の日向(北九州)に派遣された分家の家系で
それが天照のモデルになった男性であった。

しかし、高天原の本家の男子が断絶したので
急遽、日向の分家から入り婿に入ることが決定した。それが神武天皇だった。

いわば、伊勢神宮やら天照(本来は男)の女性化は
古代的南北朝時代そのもの。


421 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:41:41
>>419
>しかし、高天原の本家の男子が断絶したので
急遽、日向の分家から入り婿に入ることが決定した。それが神武天皇だった。

ここの意味がよくわからないです

422 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 04:09:53
物部氏の伝承では、天照大神は男である。

そして、物部氏と天皇家は同じ男系の血筋で繋がっていて
物部氏のほうが畿内(高天原)本家、天皇家のほうが日向分家だった。

しかし、日向分家の神武天皇が、本家に入婿に入ることになった。

そして、記紀の作成時に、天照大神を女にする必要に迫られた。
何故なら、天皇家の万世一系・男系一系はそこから始まったということにするためである。
つまり、本家筋の物部氏と天皇家を男系では全く違う家系にするためである。

そのために、天照は男性ではなく、女性にすることになった。

423 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 04:13:06
今夜は物部の末裔がいろんなスレ荒らしてるぞ

424 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 05:31:56
>>415>>416
2つのこの謂いは永久保存しておこう。筋が通っている。

425 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 05:44:34
>>420 「天皇家の先祖というのは、高天原(高天台・奈良県南部・和歌山近く)から
山門の日向(北九州)に派遣された分家の家系で
それが天照のモデルになった男性であった。」

そもそもこの根拠は何?
それに、神武の東征の観点から見ると、天皇家の先祖は九州の出身と言う事になっている。
このことを完全に無視する理由は何?
時代が新旧ごちゃ混ぜになっていると思う。
大和朝廷の統一後は、ありえた話だろうが・・。
ではお仕事ですのでゴメンなんしょ。

426 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 05:48:43
>>423
でも言っていることは間違いではない。

たとえ、物部氏が本来の本家だったところで、
2000年たった現時点で天皇家の優位性はもはや動かないし

また、天皇家だって物部氏・出雲国造家と同じ同族(男系)なんだから
十分に正当性があったわけだ。

普通、古今東西、どこでも太陽神というのは男らしい。
しかし、日本の場合は、太陽神の天照は女性ということになった。

何故かというと、天照を女にすることによって、
万世一系の天皇家の男系(Y遺伝子)はそこから始まったことにするためである。
つまり、天照以前の家系とは、男系で見たら全く別の家系だということしたかったわけだ。

よって、物部氏・出雲国造家などは、天皇家とは別系統にされたわけ。
でも、天皇家の中では、同族たちの信仰を捨てられなかった。
だからこそ、天皇家は天照には代々関心が薄く、本来の重要な信仰である
高木神、出雲大社、熊野のほうを重要視したり、真の祖先神として大切にした。


427 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 05:52:22
>>425
皇室は代々、伊勢神宮を大切にしていません。
皇室が本来の皇祖神として大切にしているのは
高木神のほうです。

また、日本最古の系図といわれている海部氏系図でも
天照は九州に派遣されたと言っています。

神武は天照よりも数代後の子孫で、再び畿内の本家筋へ入婿に入りました。


428 :サガミハラハラ:2006/12/20(水) 09:27:58
天照大神がスサノヲといさかいを起こし天石戸に籠もるという職務放棄をしたことにより、高天原の実権が高木神(邪馬台国の王)に移り、
出雲国譲り天孫降臨とう高木神の差し金であるとみております。

皇室が本来の皇祖神としているのは高木神とありますが、上記の点からみて関心があります。
詳細を教えてください。


429 :otuorisod:2006/12/20(水) 09:40:59
>>425
おまえはつくづくバカだな〜
ニニギは高天原から隼人の拠点九州に降臨して
九州の隼人娘(玉依姫)を娶って天皇家の祖先になってるのだ。
神武自体は3/4は隼人なんだぞ。
おまえは本当に救いようの無いバカだ・・・・
消えろ、頼むからら消え失せろ!
この地上から!



430 :otuorisod:2006/12/20(水) 10:41:07
>>427
すごい、すごい。
それ!、それ!
これで九州の神社の謎
宝満神社、玉垂宮も解決できる!


431 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 10:44:34
テスト

432 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 10:45:12
テスト

433 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 10:49:55
隼人娘(玉依姫)を祀る神社=宝満神社

434 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 11:11:43
>>427
>皇室は代々、伊勢神宮を大切にしていません。

じゃあ伊勢神宮にある天皇三種の神器の筆頭、「鏡」も皇室は代々大切にしてないってこったな。

435 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 11:15:13
>>425
九州説者というか、九州人はすぐに、今の皇室の祖先は九州、九州って
さわぐが、実際は皇室は九州を重く見てない。記紀もね。そりゃ、舞台としては
出てくるが、「おらが故郷」ってことで重く見てるニュアンスはない。
なぜだか分かる?文や政策の裏側が読めない人には分かんねえだろうなあ

436 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 11:24:47
今時「海部氏系図」を元ネタに、ストーリー語るヤシの方がよっぽど国宝級だよ。

御愁傷さま

437 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 11:35:27
海部でも児玉でもないんだな。それが。

438 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 11:44:28
じゃあ中曽根か?

439 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:32:09
いや、いいよ。君たちは君たちの自説をやっていたまえ。

440 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:14:59
太陽神はサルタヒコ、光り輝く顔面が素敵なお兄さん。大和土着の典型でもある。

神武東征 → 出雲崩壊 → 倭国連合誕生 → 未教地に官派遣 → 成敗又は融合→
→ イワレビコ誕生 → イワレビコ上京 → イワレビコクーデター →
→ ハツクニシラス即位 → 終

441 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:07:32
>>436 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 11:24:47
>今時「海部氏系図」を元ネタに、ストーリー語るヤシの方がよっぽど国宝級だよ。

海部氏系図は一部、トンでもが入っている。
長い歴史の間に事実が錯綜したのかも?
でも、似たような伝承は物部氏のほうにも残されている。

自分は、天皇家はスサノオの男系の子孫なんだけど
彼の姉の養子にして、その子供ということしたのでは?
そして、その姉の伝承はやがて、伊勢の太陽神(男性)と融合させて
アマテラスという女性神を作り出したんだと思う。

442 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:17:07
>>428
サガミハラハラさん、皇室の宮中祭祀では
高木神(高御産巣日神・高皇産霊神)を重要視していて
アマテラスには思い入れが少ないと聞きました。

グーぐったら、いろいろ出てきますが、

自分はこの天孫降臨した最初の神様も、その後、いろいろ意味付けされたんだと思います。
高皇産霊神は産業の神様ですが、
元々は高木神という木の神様から出発したのだと。

アマテラスとスサノオの親であるイザナギらは和歌山の話ですから
あの辺りが天皇家の故郷なんでしょう。
イザナギとイザナミ以前の神話は、親子関係が無く、男女の区別が無かったりするので
おそらく、イザナギとイザナミ以降が実在の人物をモデルにしたんでしょう。

よく、神武が畿内を東征して、前の王家を征服して、その王家の魂を沈めるために
その祭神を祭っているという話を聞きますが、自分はそうは思いません。
その前の畿内王権も神武も同族だったんだと思います。
だから、神武東征とかいって入婿に入って、あっさり転がり込めたんだと思う。


443 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:33:16
もう、邪馬台国や卑弥呼の話なんて、どうでもよくなってしまったよ。



444 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:54:32
>>443
どうでもよかねえだろ。
話を邪馬台国・卑弥呼に戻せよ。ここはそのためのスレ。

445 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:56:23
高木神(高皇産霊尊)は、記紀では何回も登場するが、天照大神とともに登場
するときが一番重要だと思う。
それまでの高天原中心から、葦原中国の平定、邇邇芸命の日向降りと全国展開を
主導しているわけだから。

また、高木神の娘と天照大神の息子(忍穂耳命)の間に生まれた子が邇邇芸命
なので、高木神も皇祖神と言うことになる。

東遷説を前提にすると、高皇産霊尊が最も重要な人物になる。

446 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:04:27
>>444
そう吼えても、一向にかまわぬ鈍感な連中がレスを進行させているので
いつも笑ってしまうよ。

447 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:07:47
邪馬台国の話は面白いけど
日本の場合は記紀の話はマスコミは取り上げない。
なぜなら、あんなのは嘘っぱち、皇国史観と教えられているから。
戦前、皇国史観のせいで、記紀の研究が遅れたのは不味かったが
戦後は、マルクス史観のせいで完全に記紀の研究が遅れてしまった。

448 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:09:40
お互い様って言葉しってるか?www

449 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:09:52
>>446
ま、そういや、そうだな。
ここは、鈍感連中さまご専用スレッド、か。

450 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:44:37
>>447
>あんなのは嘘っぱち、皇国史観と教えられているから

と言うより、いまだに神聖ニシテ侵スベカラズだから
とりあげられないんでしょ。

451 :すみませんが、名無しです:2006/12/20(水) 16:57:09
そうだね、とりあえず宮内庁指定の天皇の墓と称されている
墳墓を、プロジェクトチームを結成して、発掘・研究すれば
相当にすごい発見ができるでしょう。
それを、天皇が反対するとは思えない。
平成天皇は天皇家の由来は朝鮮となんらかのつながりがある旨
の発言がマスコミを通じて流れていますから。

452 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:22:27
>>451
今の天皇は、朝鮮半島と皇室は全く関係ありませんと言ったのだよ。
桓武天皇の生母の何百年も前の先祖が百済の武寧王というわけだから。
桓武天皇は第50代天皇。武寧王は、第26代継体天皇より前の人だから。

しかも、生母の高野新笠は、息子が天皇になるまで天皇の妻とは認められて
いないほど身分が低かった。そんな低い身分では、天皇の生母としてふさわしく
ないから、もともとは百済王の子孫なのだと捏造したことも十分に考えられる。

にもかかわらず、韓国の新聞などは、「日本の天皇・朝鮮出身を認める」となる
わけだから、あちらの感覚はわからない。


453 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:27:43
>>452
>あちらの感覚はわからない

ここの九州厨と一緒の感覚。

454 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:24:16
まあ、プ臭はキムチの薫りだな
ブサヨここにありて九州成る、ってとこだろう。

アヤフヤな古代史を自己解釈でちょいと吹けば
>>451みたいなアホが誕生する。


455 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:31:24
恐らくここの九州厨はたかがか2〜3人だと思うぞ。
そいつ等が毎日毎晩必死こいて喚いてるだけ。ジサクジエン。
つかお仕事なんじゃないか?w


456 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:41:01
>>455
君こそどうして畿内説に拘るの?
九州説っていっても全然一枚岩じゃない
むしろ畿内説以上に敵対的

457 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:55:58
>>455
まるでアレみたいに劣等感丸出しというか、ちょモチツケバ?
っていっつも思う、俺はね。

458 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:58:02
普通に集計とれば畿内説の方が多いんじゃないか?

459 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:05:00
>>458
畿内派は正直どうでもいいと思ってんじゃない?
結局これといった遺跡が無い九州派は文献至上主義に陥って妄想を膨らませる。
それがむしろ邪馬台国論争の面白いところでもあるんだが。

460 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:12:06
>>459
それは理解はしてるんだけどね。
幼稚園のお遊戯会を眺めながら笑っているような、なんともまあ
飽きのこない展開というか、面白可笑しく拝見してはいるんだけどね。

461 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:29:56
邪馬台国自体がもうファンタジーだよ。後世まで影響ある主権国家という
ものではない。天皇制の問題は現代日本人にも関係のない問題ではないが
邪馬台国ははっきり言って「御伽噺」それが九州だったらなおさら関係ないのだ。

462 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:39:01
長臑彦の抵抗でなかなか難波に上陸できず、熊野を回って背後から攻めるという
奇策をとっているよ?
それで、すんなり迎え入れられたことになるの?

463 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:55:00
高天原は近江だろ、九州全土は玉依里姫(隼人)か
隈襲か土蜘蛛(見借)の領土

464 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:02:00
>>445
高木神は、特定の人物を指してないんじゃないのか?
古事記の神話の記述を読んでみよう。
イザナギとイザナミ以前の神様は、親族関係とか見えんわけで。

よって、高木神の娘というのは、ただ単に
高天原(奈良県金剛山高天台)出身の娘という意味かもしれない。

イザナギとイザナミ以降の神様は、アマテラス(元々は男性のアマテル?)とか
スサノオとかから特定の人物をモデルにしたように思われる。


465 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 21:05:25
>>429
低能児のパターンは勝者によって作られた歴史を鵜呑みに信じてしまう事。
天皇家に都合のいいように作られた裏に隠された真実を思索してるのであって、
そんな、何とかのいっちょ覚えをあれこれ言い合うようなあんたのレベルこそ
ここのスレには合わない。隼人は熊襲の系統だと思う。
大和朝廷によって征伐されていた側。宮崎方面は別である。


466 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:14:07
真の低能児パターンとは、根拠も品もない罵倒を書き散らすこと。
それと見え見えの自作自演を飽きもせず繰り返すこと。
どっちかつーと、基地外パターンのほうが正しく言い当てているかな。

467 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:21:39
>>465
>低能児のパターンは勝者によって作られた歴史を鵜呑みに信じてしまう事。

じゃあ、あんたは日本人のほとんどを 低脳児と思ってるんだ。

468 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 21:28:36
>>420天皇家の先祖というのは、高天原(高天台・奈良県南部・和歌山近く)から
山門の日向(北九州)に派遣された分家の家系で
それが天照のモデルになった男性であった。

そんなのは、後に作られた作り話。神道の八幡と仏教の菩薩を混ぜて、八幡大菩薩とし、
その垂迹を応神天皇としたり、色んな理屈付けが試みられている。
その段階の話を真に受けてはならない。何故アマテラスの天岩戸伝説があるのかと考えたとき、
卑弥呼の没年に日蝕があったとされることから、この両者が同一とまでは言わないまでも、
何らかのインスピレーションを弥生の人々に与え、天岩戸伝説のモチーフに
なった事は十分考えられる。

469 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 21:33:35
>遺跡が無い九州派は・・・

剣や矛は圧倒的に北九州が多い。
4世紀以降の墳墓の多寡を3世紀に当てはめるのは
無知でしかない。
つまり、3世紀は北九州、出雲が圧倒している。
畿内説のひとは、東を南といったり、遺跡がないといったり
しまいには、墓墓古墳の年代で、簡単に1世紀もサバよんだり
もうむちゃくちゃです。

470 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/20(水) 21:34:36
>>390
>だから、以前恵也氏の言っていた宮崎の二期作は、机上の空論になるのだよ
>嘘だと思ったら、自分で米作りしてみれば体で覚えるよ

一応ご指名だから書いておく。
俺は今四万十市にいて、今年はお百姓さんの残った稲を植えてみた。
今回は日蔭においてた為か、小さな実のままで食べる所じゃなかった。

お米は温度だけじゃなく、種まき時期も、水も、日当たりも、土の栄養、害虫、気候、
収穫高も関係する複雑怪奇な農産物。

あなたの方こそ、単細胞の脳内妄想に過ぎん。
実体験の上にカキコしなさい。
宮崎の日当たりの良い場所で、種まき時期、水、日当たり、土の栄養など判っていれば二期作
は不可能じゃない。
アンタよりは俺の方が実体験は豊富そうだぜ!

ちなみに俺はこれでも、実用新案は1件持ってるし、特許申請は3件ほどやってる実体験重視の
人間ではある。
アンタも他人に米つくりを薦めるのなら、脳内妄想じゃなく実体験の上でカキコしな!

471 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 21:35:56
AD247年の井沢の日食説ですか?
248?かな
その日食は畿内では、日食ではなかったらしいですね。

472 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:36:51
>>468
皆既日食であたりが真っ暗の状態は、何時間ほど続くの?
体験したことないから、教えて。

473 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 21:39:29
二期作がなんで2倍暦になるのか、春夏秋冬
星座の位置からして、暦を2倍にするのは、人間を
バカにしている。


474 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:41:32
>>968
後付の作り話なんていったら
じゃあ、おまえの考えは現在に作られた作り話だろう?

なぜ、男性神のアマテルが、アマテラスという女性神にされたのか?
前から不思議に思っていたんだが
要するに、天皇家の男系(Y遺伝子)は、アマテラスの父なし子から
始まったという風に、皇室はしたかったんだと分かった。

これは、自身の家系の神格化だけじゃなくて、
ライバルで同族だった物部氏などを、自分たちの家系から断絶する必要があったと。


475 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 21:42:17
>>468
例えば、ヨーロッパでも、元は古代フェニキアではアスターテ、バビロニアでは
イシュタルと言う豊穣と、多産の神であったのが姿形を変え古代ギリシャの
美の女神ビーナスとなっていく。、元々の姿と、後に、人が手を加え、
本来の姿と違うものになっている事に気付かず、ごっちゃにするのは、
歴史が狂っているのではなく、そう解釈する人間の脳が狂っているだけなのである。

476 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:43:14
上のほうで、247年の日食云々って騒いでいるけど
あれは家庭用PCソフトで計算したものであって
2000年前だと誤差があって、違う結果らしいですよ。

477 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:44:04
ヤマトトトヒモモソヒメのいわゆる箸墓伝承は
なんらかの史実との関連はあるのでしょうか?

478 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 21:46:34
>>470
おっ。恵也さん。返ってきたウルトラマン。
今夜は馬Xが多くて疲れてるところでした。
バシーッと言ってやってください。バシーッと。

479 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:48:08
>>471
246年と247年の日食はそれぞれ金環食と皆既日食だった。
共に日本列島では観測できなかったことがとっくの昔に判明している。
246年のほうは能登半島から新潟にかけてで部分的に観測できた可能性はあるがね。

そもそも言いだしっぺは安本だが、彼の根拠はDOS時代の
アスキーのアストロノーツというソフトの計算によるもので、XP対応のVer7.03は上記の結果となる。
95対応のものでも同じ結果だったはずだ。
ということで、この説は完全に消えた。当の安本でさえ今では言っていない。

480 :太国:2006/12/20(水) 21:49:10
>>470 >>478
恵也氏は暴論が多いが、たまにはいいことを言うぞ。w

481 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:53:52
>>478
そこまで品の無い罵倒ができる神経が分からん。
もうひとつ、自作自演で自分に呼びかける神経もな。
もしかしてお前、わざと低レベルの九州説を書き連ねて混乱を呼び込もうって魂胆か?
畿内説はおろか、まともな九州説からもウザがられているんだぜ、お前は。

482 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:54:33
>その段階の話を真に受けてはならない。

どういう観点でこういうことを言うのか分からない。

483 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:55:29
>>478
なんだ。おまえらは同盟なのか?キショイぞ。九州の男色は。

484 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:01:51
>>474
そんな話は、まとめて作り話。大和朝廷が全国を統一する過程で、
それぞれの地域の祖先神などを祀って、懐柔策とした為、八百万という
とんでもない数の神々に膨れ上がってしまい、それを系譜だてて、
創作したもの。いわゆるシンクレティズムの結果。それを
面白おかしく、時には人間くさく描く事で、親近感を得させながら、
天皇家の権威付けに、利用したのである。

485 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:02:26
アマテラスは実は女性ではなく
アマテルという男性神だったという説は
安本氏はどう考えるんでしょうね?

あと、スサノオが出雲じゃなくて北九州に派遣されていたとか。

とにかく、これらの謎は、物部氏が握っていた。

現代人が記紀の解釈で右往左往する原因を作ったのは
持統女帝と藤原不比等。かれらの罪は大きい。

486 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/20(水) 22:03:17
>>483
>なんだ。おまえらは同盟なのか?キショイぞ。九州の男色は。

同盟じゃないよ。
「九州ですが」氏は北九州説。
俺は宮崎説だ。

しかし俺とは馬が合いそうだが、まだJWCADで設計の勉強をせんとイカンから
これで失礼する。



487 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:03:40
とにかく見え見えの自作自演はやめてくれよな
プラム=九州ですが=恵也さんよ。
あんたら一緒に出てきて一緒に消える時点でまるわかりだし
ホストが同地域だってことで確定しているんだからな。
大方以前にすべての住人からこてんぱんにやられた仕返しで荒らしてるのだろうが
何の復讐にもなってないどころか、2chに毎日貼りついているお前自身が自滅の道を歩んでいるんだぞ。

488 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:03:46
>>484
おっ!さすが赤い九州軍団は言うねえ。

489 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:04:14


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1150543737/62

亀田vsランダエダ

またもや不正疑惑

490 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:04:31
>>484
そういうのをマルクス史観っていうんだよ。
じゃあ、おまえの論法でいったら、全部がそうなるじゃん。
たとえば、戦国時代だって江戸時代だって、もし記紀が少なかったら
そういうことになる。
そんなことばっかりいって、記紀を研究しないと
そのうち馬鹿にされるよ。

491 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:04:43
>>486
どうか同盟じゃなくて。ホモか。
JWなら俺、一級建築士だから教えてやってもいいぞ。

492 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:05:22
× どうか
○ そうか

493 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:06:23
>>484
そんな誰でも心得てるようなことをさも偉そうに……

494 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:06:30
>>480
太国さんもいたんですか。心強い。
なんだか精神病棟にまともな自分ひとりが放り込まれている気分です。
特に悩乱の酷いのが今夜は集まっているようです。

495 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:07:16
>>494
ベタベタするな。

496 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:09:12
九州ですがの歴史をみる根拠はなんなんだろうか、記紀は別にいいんだが
かといって考古学的なことも言わない。自分の妄想だけですか?

497 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/20(水) 22:10:15
>>484
>地域の祖先神などを祀って、懐柔策とした為、八百万という
>とんでもない数の神々に膨れ上がってしまい、

追伸
俺が四国88ヶ所徒歩遍路をしたときに、霊が見えるという方にお会いして
実際に話を聞き、膨大な日記を読ませてもらった事がある。

その方は御自分の死んだ息子の霊や、土地の神様の霊をよく見ておられる。
俺は見ることは出来ないけど、何とか感じるとこまで位は出来るときがある。

だから俺は八百万の神を信じてるし、仏も森の神も河の神も存在すると見てる。
人間にも力の優劣があるように、神にもあるのかも知れんがね・・・・

498 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:11:54
>>497
その人が邪馬台国は宮城県にあったと言った訳か。
そりゃ俺らでは太刀打ちできんな、霊能力ないから。

499 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:12:36
で、プラムは日食説を撤回せんのか?
証拠を目の前に突きつけられているだぞ、お前。

>>490
プラムは一応記紀や倭人伝は読んでいるらしい。
ただ隠されたメッセージを探すダビンチ・コードかドロニズンもどきの暗号解読という
トンデモ読みをするうえ、人の忠告を無視や曲解したりするので、すべての住人から嫌われたんだ。
その意趣返しが複数ハンドルによる荒らしってわけだ。

500 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:15:25
>>497
>だから俺は八百万の神を信じてるし

その割には言い方は独善的だな。

501 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:16:15
>>494 >>497
精神病棟に収容されているのはお前だよ。
でな、そういう話はオカ板でやれ。
まさかそこでも無視された挙句、居場所をなくしたんじゃないだろうな?

502 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:17:49
>>499
芸風から見て九州ですがの正体はヒッキーじゃまいか?

503 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:18:21
ここのコテハンは2ちゃんのセンスねえ。ってかコテハン名乗る時点で痛い。

504 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:18:22
>>479
だから、卑弥呼がいた時代に、又、死んでからでも日蝕と結び付けられる、
と言う事を言ってるのである。シンクレティズムとはそういうもの。

505 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:21:14
つまり邪馬台国は北九州。
それでそれは魏の支配下にあった。中国だったんだ!
だから大和民族とは異民族でその怨念の遺伝子が受け継がれていて
反天皇、反中央、反日本になりやすい。島原の乱なども根はそこにあると見る。

506 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:21:45
>>497
そうかもしれませんね。

507 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:21:58
ただし何度も出ているが鹿児島と大分は違うと思われる。

508 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:24:20
>>504
散々考えてその程度のごまかしかよw 相変わらずのプラム思考だなw
実際に無かった日食を誰が結び付けたんだ?記紀編纂者か?違うだろう。
あったと勘違いした安本が結び付けたんだ。
しかも本人はすでに撤回しているのだから、お前は安本を結果的に貶めているだけだぞ。

509 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:25:29
>>493
ほう。ではどういう意味合いで、シンクレティズムを使っているのか
お分かりかな?説明してもらおうか?

510 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:26:29
邪馬台国論争はいまだ結論を見てない。
なのに、断定的に云うからけんかになるんだよ。

511 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:26:58
>>510
そういう気持ち悪い奴がいるから面白いんだよ。

512 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:27:35
ま、所詮2ちゃんだからな。

513 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:28:11
3世紀から8世紀はじめくらいまでのあいだで
大和とか九州で見ることができた皆既日食って何回くらいあったの?
一度もなかったのかな

514 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:31:17
なんかいつも思うんだけど
このスレのレスには、それこそ弁証法的な流れと、単発レスの流れが
あって、ちぐはぐなんだよね。
正直コテハンさんたちのは弁証法的にやってるから途中から参加すると
よく分からない。そういうのは本来、正式のHPでやることだと思うのだ。
自説をのせて、それで論客をBBSで迎え撃つってカタチ。
それが強引で2ちゃんでやられてるのがここ。なんか不可解なんだよね

515 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:32:13
>>509
いやお前の言葉選びは普通と違うから、言っても無駄。
どんなに正解を教えてやっても、誤魔化しと罵倒で逃亡して次の日何食わぬ顔で出てくるのがお前の変わらない芸風。
>>510
断定口調が問題なのではない。
本来の住人はきちんとした議論がしたいんだよ。
俺が言いたいのは、複数ハンドルによる荒らしをやめろってこと。

516 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:34:00
>>514
だから俺が>>503で言ってるでしょ。

517 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:34:18
記紀には、隠されたコードがあるというよりも
単純に一部、記述操作が加えられているから
全体を読み込んで、どこに操作が入ったか
年代や普通の記述も修正していく作業になるだけだろう。

518 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:35:07
>>517
一部とはまたお人よしな査定だな。

519 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:36:08
>>508
頭が悪いのも程ほどに。今まで言ってきた事をもう一度よーく読んだら
おたくの脳でもこちらが言いたい事の片鱗でも理解できるかもよ。

520 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:37:42
>>513
結構あるよ。一番有名なのは推古天皇の侵食記事に出ているもの。
これなどは記述の正しさが天文学的にも証明されている。
>>514
それ何度も言ったのよ、ホムペかブログでまとめてやれって。
せめてSNSでやれってね。
ところがそういう手順は一切踏まずに、だらだらと書き込みやがるんだ。この阿呆梅は。

521 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:37:47
>>519
この人はすぐ他人をして頭が悪いという。
どれほどご自分は頭がいいと思っているのだろう。

522 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:38:42
>>518
一部といえば、一部だろうが...
一箇所という意味ではない。
さいわい、日本には古い由緒ある神社関係だと
そういうのが残っていて、すでに国宝に指定されていて
その整合性から判断していくわけだ。
あと、なぜ、記紀と出雲神話が違うのか?とか
そういうのからも大分判断できる。

おまえに聞きたいが、記紀を見ないとか行って
お前の言う説って、お前が現在に考えた想像だろうがw

523 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:39:53
>>522
はあ?何言ってるのか分からん。

524 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/20(水) 22:43:06
>>470

必死に自慢しているな〜

>あなたの方こそ、単細胞の脳内妄想に過ぎん。
実体験の上にカキコしなさい。
宮崎の日当たりの良い場所で、種まき時期、水、日当たり、土の栄養など判っていれば二期作
は不可能じゃない。
アンタよりは俺の方が実体験は豊富そうだぜ!

ちなみに俺はこれでも、実用新案は1件持ってるし、特許申請は3件ほどやってる実体験重視の
人間ではある。
アンタも他人に米つくりを薦めるのなら、脳内妄想じゃなく実体験の上でカキコしな!


期待に応えられなくて申し訳ないけど
家、農家で農協組合員  来年は農家組合長なんだよ俺
農業は一応 半プロ


今、耕作面積最低10町歩ほど担当しなければ専業だけでは無理なので
普段リーマンしてるけど


525 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:43:07
>>521
これは答えに窮したときに阿呆梅が使う常套手段。
こういうことをするから皆に嫌われたんだ。
で、ご本人はそれを逆恨みしてるってわけさ。
九州ですがのハンドル使用時だと、さらに品が悪くなるという芸風なんだろうね。
案外このあたりのやりくちは、ヒッキー16歳の手法を真似したのかもしれないが。

526 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:45:45
>>524
ほらほら今度は否定自演で疑惑回避を目論み始めたぞ。
まったく分かりやすいやつだなw



527 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:48:23
>>514
2ちゃんだからこそ、この程度で済むんだから。
これで分かんないなら、3ちゃん、4ちゃん・・・10ちゃんレベル。
僕だって、難しい言葉を連発すると誰も解らないから、このようにわざわざ
赤ちゃんことばレベルで話してるんだから。

528 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:48:51
>>515
>断定口調が問題なのではない。

断定でももう少しユーモアと余裕、ウイットがあったほうがいいよ。
本の中みたいに、まず即座の反論が帰ってこない場合は断定してもいいけど。
以前、九州弁で書いてた人のは面白かったね。

529 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:50:25
>>527
赤ちゃん言葉って、あなたね。
そんな言い方するからみんな「コイツ、やっつけてやる!」ってもう
スレがメチャクチャになるんじゃん。
あなた、普段もそんな言い方してるのか?

530 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:54:03
だいたい、人間ってのは「言ってる内容」より「それを言う動機」のほうを
見てるもんだ。

531 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/20(水) 22:54:37
>>526

以前知り合ったお友達紹介しようか?
たぶん 俺が呼びに行けば大挙して来てくれるかも?
流石に三年もコテさらしていると知り合い増えるよ

>>526のリクエスト

532 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:56:10
>>527
ほう、だったら難しい言葉でいいから書いてみな。
それよりお前、どうして自作自演がバレバレなのか考えたこと無いのか?
レスポンスタイムをよく見てみな。それと鳥を間違うなよw
>>528
そういうまともな人たちが嫌気さしていなくなっちゃったのよ。
俺もたいがい愛想尽かしているが、プラムの目的は議論じゃなく荒らしなんだから、とりあえず排除したいわけ。


533 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 22:56:55
うーん。さすがコテハン組みは言う事が違うね。
恵也さんの文に出てくる、「>あなたの方こそ、単細胞の脳内妄想に過ぎん」
は今夜出てくる二束三文の連中に言ってやって。
と思ったけどコテハンのみんな二束三文の連中なんか全く眼中に無いのね。
僕だけ相手するのも馬鹿みたいだし、みんなを見習って、僕も相手するのやめようっと。


534 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:58:42
>>531
もっと具体的に言ってくれんかねw

またAA荒らしをするぞってねw

535 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:59:41
史板もID公開したらどうだ。もう。

536 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:01:49
>ID公開
俺もそう思う。これはあまりにひどすぎる。

537 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:04:11
もう、それこそ最後は殺し合いでしか、かたがつかないって雰囲気じゃん。

538 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:04:55
>プラム
俺が呼びにいけばだとさw
あんたこれが犯罪行為の予告に当たるって気づいてるのかw
いい年して情けないったらありゃしないw

539 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:07:15
なんか、このスレ、あれまくりだな。

誰なんだ?いったい。

>>523
そうそう。おまえみたいなやつ。

540 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/20(水) 23:08:09
>>533

>みんなを見習って、僕も相手するのやめようっと。


それがいいよ
「名無し」と言う名のコテハンと考えれば、全て自演に見えるよレベルもな。


541 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:10:31
単なる罵倒の応酬になっちまったらいかんよ。
罵倒するにしてもちょっとくらいは「古代史」に触れてほしい

542 :539:2006/12/20(水) 23:11:07
× >>523
○ >>522

543 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/20(水) 23:11:33
>>538

つまらん書き込みするからだろう

544 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 23:11:39
今夜のレスは程度の低いのに乗せられたって感じ。
どうせ僕らにやり込められた畿内説の誰かがやってるんだろう。
まともな議論では勝てないもんだから。
まあそうやっていればいい。天罰覿面という言葉があるように、
目に見えないからと言って誤魔化せるものではないことをやがて思い知るだろう。
天罰、仏罰、神罰、あわせたようなものが降りかかって来るだろう。
天網恢恢祖にして漏らさず、だ。その時になって、後悔してももう遅い。

545 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:13:12
>>540
>全て自演に見えるよレベルもな
このあたりも変わらんなw
興奮するとタイプミスがそこかしこに現れる。
それでも追求すると、こんどはアンカーミス。
しまいにはハンドル間違いで書き込んでしまう。
そして住民の失笑をさらに買う・・・その繰り返しだw

546 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:13:18
>>544
寝言はベッドの中でいえ。オカマ野郎。


547 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:14:35
みんなage。ここは目立ちたがり屋が多いのは分かったw

548 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:15:19
また罵り合いですか。うぅ(泣)。
マキムク専用、倍暦専用スレが出来て、やっとここも落ち着いてきたな、て思ってた矢先なのに…

549 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:16:34
いや、全然落ち着いてないと思いますよ。前よりひどくなってる。

550 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:17:09
>>543
で、いつ呼んでくれるんだwそのスパーハカー達はw
>>544
お前らいやお前にやり込められたやつなど、畿内説どころか九州説にもいないってw



551 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:17:31
つまりだな、考古学や文献史学の先生から言わせれば

邪馬台国論争なんて、馬鹿なマスコミを相手にするのに
ちょうど、適当なお話らしいw

なんせ、金を産まない学問だから、そういうものでも興味をつって
適度に周囲を煽るしかないらしい。


552 :太国:2006/12/20(水) 23:18:25
>>520
推古の件、同意。
それは倍暦の研究に効果をもたらしました。

553 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:18:51
コテの人はなんでsageないの?

554 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:18:59
まあ、何だな
とりあえずジサクジエンはいかんよな

555 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:19:11
そう邪馬台国なんてミステリアス・ファンタジー。
だから、ある意味、ケンカしてウサ晴らしができるのだ。
おっと「ウサ」は例のものにひっかけてねえぜ。

556 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 23:20:18
>>546
正体を現せ。この負け犬。まともな議論も無く、あほな書き込みばかりしやがって。
お前のようなねずみ一匹に、このスレは押しも押されもせぬわ。
お前が滅んでいくだけじゃ。

557 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:21:12
>>556
2ちゃんじゃ書き込み自体が正体。

558 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:21:43
>>554
基本的にここのコテは荒らし目的で常駐しているから。
だからいつまでたってもマトモにならない。

559 :サガミハラハラ:2006/12/20(水) 23:22:15
サガミハラハラなんかは
人を低能呼ばわりするの、見た事ないな

560 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:22:36
>>559
コテハン取るの忘れてるよ

561 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/20(水) 23:23:04
>>479 、>>508 ソース希望。
安本は天文学者のデーターを紹介した形で述べている。
3〜5年位前の著作ではも九州で皆既日食、畿内で部分日食という結論で書いている。
元々が安本の自説じゃないから、最近の連作では書いていないだけでは?

画文帯同向式神獣鏡が中国で出土しているというソースもついでに希望。

なお、私はこの日食は重視していない。日食の時間帯が日没の少し前で事件としての
インパクトが弱い。天気が曇りだったら、日食も見れないという不確実性もある。

562 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:24:39
>>556
あほな書き込みでスレ汚ししているのは
どうみてもあなただと思いますよ


563 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:26:50
>>561
ソースは
>アスキーのアストロノーツというソフト
と明記されているんじゃありませんか?

564 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:27:05
もう、コテハン・カルテットのスレでも作れ!

565 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:29:04
もうここが隔離スレでいいんじゃね?
ほかのスレはどうにか機能してるんだし

566 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:30:30
「正体を現せ。この負け犬。」とか言われてもなあ。

567 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:31:56
急に言い方が時代小説調風になるしなあ。

568 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:34:02
しっかし・・・何故に複数ハンドルまで使って毎日粘着するのかねえ
前にやりこめられたってだけで、ここまで人間は駄目になるものなのだろうか

569 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:34:03
>>565
隔離スレにされたらされたで
他所のスレにしつこくやってくるから

570 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:34:39
>>566
負け犬はふつう、しっぽを巻いて遠ざかっていくから、勝ち犬は気にも留めない筈なんだけどな。

571 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:36:53

か、勘弁してくれ、ペテンの話題だけはしないでくれ!
都合の良いデータと見解を繋ぎ合わせてるだけだろ・・・
捏造だってやりかねん奴だ・・・
そういう顔しているし・・・・


572 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:37:07
どっかで負け犬の潜在意識があるから、噛み付いてくるんだよ。
九州が畿内に征服された怨念がそうさせるのかもしれん。

573 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:37:22
>>565
NGワード指定が一番効果的ですよ。
誰も読まずにレスすら返ってこなかったら
そのうちあきらめるかもしれません。
よしんばハンドルを変えても
このへたくそな文体ですぐに判りますし

574 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/20(水) 23:40:42
>>561 あらー。奴国さんもいらしたんですか。お恥ずかしい。
低脳相手に無駄な時間を使ってしまいました。
口からデマカセ。の連中ですからソースなんて出せっこない。
僕は、日蝕が卑弥呼のイメージと重なって、アマテラスのモチーフとなった可能性は
あると思いますけどね。卑弥呼がアマテラスそのものとは思いませんが。
いくらなんでもアマテルは無いでしょう。義経がジンギスカンになったという
伝説を真に受けるようなものだと思います。



575 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:41:31
九州ですが氏は、その説ではなく、人格で嫌われていると知ったほうがよい。
あなたは自分を攻撃してくる人を「論争に敗れた畿内論者」と決め付けてるが
そうじゃないと思うよ。

576 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:44:20
>>575
禿同

577 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:44:44
プラム=九州ですが=恵也は確定ってことでおk

578 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:45:25
「二束三文の連中」呼ばわりはやめてください。


579 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:46:41
九州ですがは消えてくれないかな・・・
この世から消滅ほしい・・・

580 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:48:05
だいたい中学レベルの知識しかない
九州ですががなんでえらそうにコテ名乗って
レスしてるの?
頼む消滅してくれ!


581 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:48:28
>あらー。奴国さんもいらしたんですか。お恥ずかしい。
低脳相手に無駄な時間を使ってしまいました。

なんだこの云い方の醜さは

582 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:48:53
>>581
コテハン全員に言ったぞ

583 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:50:26
>九州ですが
こいつたぶん、2ちゃんなら何書いてもいいとか思ってんじゃないのかね
それとも本当に荒らし目的での常駐なのか?
そこんとこだけは、きちっと説明してから消えるべきだと思うが。

584 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:50:26
>>577
違うよ。3人は別々のはず。
文体、主著の違いで、明瞭に判る。

585 :古代史トーシロー:2006/12/20(水) 23:51:33
崇神天皇を3世紀中頃とすると、卑弥呼、臺与の時代とかぶるんですが、
纏向遺跡と邪馬台国の所在地との関係を教えて。

586 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:51:51
九州ですがはえらそうな割にデータも知識も
興味をそそるような書き込みもない。
うざいだけ。

587 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:52:41
>>584
主著× → 主張〇 スマソ

588 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:53:44
>>577
おまえのような自分の敵は同じに見える
という症状はなんとかというビョーキらしい

589 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:54:01
>興味をそそるような書き込みもない。

これはコテハンの特徴。

590 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:54:38
>>584
文体は表面的には変えているが、使用語彙はおなじなんだなあ、これが。
主張はわざと微妙にずらしているみたいだし。
…って君も奴等と地域ホストが同じなんだが…これも自演かよw

591 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:55:35
>>585
>纏向遺跡と邪馬台国の所在地との関係を教えて。

纏向遺跡=邪馬台国。 わかりやすいでしょう。

592 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:56:26
>>590
君、地域ホストみれるの?!
なんか証拠みせてくれない

593 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:58:33
>>588
いや指摘しているのは俺だけじゃないってw
どっちかっつーとスレ内共通認識だ。
みんな鬱陶しいと思っているんだよ。

594 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/20(水) 23:58:39
今調べたら、安本の『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』(平成15年)で日食を詳しく
述べていた。目次前のカラー4頁でも日食の状態を説明してる。
カラーには、潟Aストロアーツ社のパソコンソフト『ステラナビゲーター』による、とある。
本文には東大の天文学者斉藤国治と加藤真司の2名に問い合わせて確認とある。

247年3月24日は午後6時頃で日没直前に最大の食で、福岡の方が食が大きい。
248年9月5日は、午前6時頃の日の出直後に最大の食で、福岡の方が食が大きい。
247年は福岡で皆既日食、248年は福岡で「ほぼ」皆既日食。

日没直前と日の出直後なので、インパクトの弱い日食だったと思う。

595 :古代史トーシロー:2006/12/20(水) 23:59:48
>>591
大和政権と邪馬台国は並存してたのかなあ。

596 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:00:07
>>588 >>592
こんどは名無史で参戦ですか、プラムさん。

597 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:03:42
>>594
へぇ、いまだにそんなこと書いているのか。
つーか典型的な詐欺師の手口だね、こりゃ。
どの辺が詐欺なのかは、奴国 ◆BdeghU15Mk氏のリクがあれば書きますよ。

598 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:03:48
>>594
日の出直後の日食ってインパクトが強いと思うよ。
この時代の人は日の出前に起きるから、すぐに太陽の異変に気づく。」

599 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:06:34
>>592
ギコ使え

600 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:08:15
http://ja.wikipedia.org/wiki/日食
これが大嘘ペテン師の常套手段!
日食なんてもんは歴史でみれば頻繁に
起こってる。歴史上の人物ならそうそう
驚くべきことではない。
カス、人間のカス、ペテン師、大嘘ツキは
人間のカス!!うんこにんげん!


601 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:10:29
>>594
記にいう、「高天原皆暗く、葦原中国悉く闇し」が
卑弥呼死去前後の日食と、ひとまず無関係だということでいいのかな?

602 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:11:22
>>600
名無しになるとさらに下品になるプラムさんでした。
うんこにんげんってw

603 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:12:48
>>602
質問していいでしょうか?
貴方は599様ですか?

604 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:15:23
>>595
畿内説は、基本的に卑弥呼=倭迹迹日百襲姫という考えらしい。
倭迹迹日百襲姫というのは、第7代孝霊天皇の娘で、兄弟が8人いる。
どう考えても、卑弥呼のように『倭王』といわれる立場ではない。
まして、この人がいるからといって、日本が魏から女王国なんていわれるわけ
がない。ちゃんと大王がいるわけだし。

歴史的にもおかしい。倭人伝には、伊都国は代々王がいて皆女王国に
属しているとあるが、では九州を支配下に置いたのはいつだということになる。

まあ、畿内説は都合が悪くなるとどんどん変わっていくので、それをみるのも
楽しいかもしれない。とにかく、「最近の畿内説では…」、と来るから
始末が悪い。

605 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:16:09
>>594
>パソコンソフト『ステラナビゲーター』

2chの天文学系の板で聞いたら、このソフトで調べても
誤差が大きいからアウトだって言われた。
安本氏が言っていた年代は、日本では皆既日食は見られません。
見られたのは中国とか海の上だそうですw

606 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:16:24
文字はないとはいえ
先人の教えを伝え聞いてる当時の権力者が・
数年に一度観測される日食を
天変地異の出来事のように思うんだろうか????!

ペテン師の常套手段。。



607 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:17:18
>>594
日の出の皆既日食なら相当なインパクトでと思うが。
黒い太陽があがる訳だから。

608 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:17:31
自作自演はともかくとして、九州ですが氏には猛省を促したい。
出来ないのなら二度と現れないで欲しい。

609 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:19:53
>>607
インパクトはあるが日本全土、海の上も含めて
なおかつ先人の観測までちゃんと伝え聞いてる
当時の権力者が果たして日食ごときで
天変地異の驚異みたいに感じるもんだろうか?!


610 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:21:15
>>606
数年に一度の日食を日本ではどの程度みられるのだろう。

611 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:22:20
ペテンは都合のいいことは強調するが
都合の悪いことは押し黙る。
脳の弱い脳ヨワビトは直ぐコロッと騙されちゃう。

612 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:23:40
黒い太陽の日の出は、それなりにビックリでしょうねえ。
天岩戸譚のとは違うビックリだと思うけれど

613 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:23:43
>>604
邪馬台国は佐賀県でしょう?たぶん。
でも、その後、邪馬台国は畿内王権にはなっていない。

神武の東征も卑弥呼よりも前の時代。
じゃあ、邪馬台国って何だったの?って話だけど

畿内王権の分派がその時代、九州でかなり独立的な存在になっていたんでしょう?
倭国大乱があったと言われていたぐらいだし...
その後、独自に大陸と交渉を持っていた。
そういう意味では、畿内本家以上の繁栄だっただろうね。
ちょうど、戦国時代、京都の足利政権が弱体化したときに
九州の大名が独自に大陸と交易し、九州の大名たちは動員兵力で
畿内・中部の大名たちを上回る動員兵力で戦争をしていた。

ちなみに、その倭国大乱は神武の東征以後だろうね、年代的に。

614 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:27:02
>>612
そりゃ、そこらの脳の弱った雑魚共ならビックリだろうが
まあ、権力者ともなれば全国にそれなりのブレーンはいるし
先人の言い伝えもある。
発狂、半狂乱になるほどのこともあるまいて


615 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/21(木) 00:28:35
>>607  たしかに、日の出直後でも相応のインパクトがあるとは思うけど、
一番インパクトが強いのは昼頃だから、それに比べると劣る。

日食が太陽神信仰の巫女(神官)の死亡との相乗効果で記憶された可能性は
否定しないけど、天候に左右される不確実性もあります。

616 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:29:56
>>613何を根拠に佐賀県と言えるのか?


617 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:30:05
最近、畿内説を結構面白いけど、疑問があってね。
単純なんだけど、記紀に九州の地名が頻出すること。
倭人伝の記述も北九州中心なんだよね。
畿内説はまずこれに対する明確な論証が必要だと思う。

618 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:32:14
だ・か・ら脳ジャクを数人集めれば
日食は半狂乱だろうが
権力者はそうもならんて・・
その位頻繁に天候にもよるが観測されうる可能性のあるもの。

619 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:33:17
それって神武が実在していたとの物理的証拠が挙がってから考えるべきだと思いますよ。
東征も然り。倭国乱はまがりなりにも高地性集落の増加という物証がありますが
それさえも昨今では否定的な見解のほうが多いですしね。

620 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:34:36
俺の経験上だけど、部分日食くらいじゃ
普通の人の日常生活に何のインパクトも無いよ。
黒透明のシートで見ないと、日食しているのが分からないくらいだし、
ちょっと日が弱くなって涼しくなったか?程度だし...
これさえも、現代のように事前にニュースで部分日食がないと
分からないわけだから何の変化も感じないと思う。

古代人にインパクトを与えようと思ったら、完全な皆既日食じゃないと無理。

おそらく、アマテラスの話は冬至についての話が進化したものだと思う。
これと、高天原(畿内南部)本家を継承していた兄のアマテラス(いや、本当はアマテルか?)と
日向(北九州)分家の弟のスサノオの家督相続争いの話が合体化したんだと思う。

621 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:36:12
今の感覚で当時の日食を語られてもね。
農耕民族にとって、気象は最大の関心事だと思うよ。
それこそ、雨が降らないだけでその年の収穫はゼロ。
餓死の危険すらあるわけですから。

622 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:39:33
>>621
それは分かるが、それでも皆既日食だってそんなに長時間じゃないしなあ。
あまりインパクトがあるとは思えない。日が隠れるなら雲のほうがコワイわけで。
あと記紀の後半は地震の連続なんで何事かと思う。

623 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 00:41:49
>>615
卑弥呼は日蝕の責任を取らされて、殺されたと言う説もあるんです。
舟での航海などもうまくいかないと責任を取らされ、殺される役の人がいたんですよね。
それと同じように。鬼道を持って衆を能く惑わす、とされているので、
宗教の力によって国を治めていたわけですから、不吉なことがあれば、
抹殺されてもおかしくありません。
仕事に備えてもうねますが。

624 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:42:39
>>616
福岡には山門という地名が残っているが、
邪馬台国の記述だと流石に上陸して直ぐの福岡・博多湾沿岸じゃ無理だろう?
福岡は奴国ぐらいか?

だから、佐賀県か大分県ぐらいだと思う。
佐賀県・大分県にも、それぞれ、山門、山戸という地名が残っているし
戦国時代にも、このへんは竜造寺氏、大友氏のここを拠点に勢力を拡大させていた。
もしかしたら、佐賀県ではなく、宇佐のほうかもしれん。

ちなみに、狗奴国というのは、宇土半島くらいじゃ?
あのあたりは熊襲がいたわけだし...

ちなみに、戦国時代の勢力伸長から参考にしたもの。
地政学的見解から参考になるでしょう?


samRAI web!の中のcartogramから見る「日本戦国勢力」をご覧あれ。
これで5年毎と移り変わりが確認できます。

http://www5.airnet.ne.jp/samrai/war_jp16c/carto/crt1540h.htm​

625 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:45:17
>>622
なんとなく納得したような、しないような。
安本信者にとって、あの日食話は結構気に入ってるわけで。

626 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:46:23
>俺の経験上だけど、部分日食くらいじゃ
>普通の人の日常生活に何のインパクトも無いよ。

それはある
しかし、天候にもよるが昼間
日本のある特定の地点でも50年で概ね2−5回、
日本全土でみても5−10回程度は観測されうるのが
皆既日食らしい。しかも有能なブレーンを抱え込んでる
権力者が驚くことだろうか?
実際、古今東西皆既日食で半狂乱になった例はあるのか・・?

627 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:47:22
>>621
おまえ皆既日食ってどの程度の時間か知ってる?
数分だよ長くてw

628 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:47:54
>>621-622
古代人が日照に対する関心ごとと言えば
冬至なんかも関心ごとでしょう?

古代人は不思議だったと思うよ。
なんで、この世って、日がくれるのが早い時期と
日が暮れるのが遅い時期があるんだろう?って。
一年中、日が暮れるのが遅くて温暖なら、一年中
農耕が出来て豊かになるのにな...って単純に思っていたはずw
これは太陽の神様の悪戯だ!って思ってたんじゃw

629 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:50:05
623 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 00:41:49
>>615
>卑弥呼は日蝕の責任を取らされて、殺されたと言う説もあるんです。
>舟での航海などもうまくいかないと責任を取らされ、殺される役の人がいたんですよね。
>それと同じように。鬼道を持って衆を能く惑わす、とされているので、
>宗教の力によって国を治めていたわけですから、不吉なことがあれば、
>抹殺されてもおかしくありません。
>仕事に備えてもうねますが。

馬鹿馬鹿しい!
おまえの100%主観レスはツマラン、本当にツマラン!

630 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:50:30
井戸尻考古学館の小林氏などの説からすれば
中期縄文人ですら天文の変化に非常に敏感であったようにも思われます。

井戸尻人から数千年あとの弥生ー古墳時代人が、日の満ち欠けと言う現象に
それほど衝撃を受けたとは考えにくい。

むしろ日や月はなぜ満ち欠けするのかを
わりかし思弁的に考察した結果が天岩戸神話的な説明を編み出すに至ったのではないかなあ

631 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:50:53
アマテラスの話は、この太陽神の話を
古代王家(天皇家の先祖たち)に当てはめて出来た話だと思うね。
ただし、持統天皇の時代に、天皇家と同族で大族の物部氏を
差別化するために、男性の太陽神・アマテルをアマテラスという女性神にして
系統を断絶化させたんだと思う。

632 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:51:53
>>624
たまらん!なんちゅー幼稚な説だ・・・
おまえ、佐賀県と大分県の区別さえついてねーだろ・・・


633 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:53:08
よって、アマテラス神話を季節的なものとして見た場合は
日食よりも冬至のほうを神格化させた感じかもね。

それに古代の特定人物を当てはめたと。

634 :古代史トーシロー:2006/12/21(木) 00:55:57
太陽神によるシャーマニズムが祭礼の中心とすると247年、248年の2度に渡って
日食が続くというのは、農民にとっては相当の心理効果はあったかもしれないね。


635 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:56:15
>>九州ですがさま
>卑弥呼は日蝕の責任を取らされて、殺されたと言う説もあるんです。

おもしろいけど誰の説でしょうか? あるいはその説のバックボーンを

636 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:57:27
>>634
かもしれないが、それが起こったかも未確定な上
それに動揺したかも未確定な上
なんもかんもわからんちんのうんこちん
の幼稚園お遊戯。

637 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:58:15
>>632
佐賀県と大分県が離れているぐらい知っているよw
ただ、魏志倭人伝の作者って、どうも直接
邪馬台国に行ってないみたいだから、記述が曖昧で分からん。

下のソースを見たら、大分に拠点がある大友氏も
福岡一帯や佐賀県を勢力圏に置けたこともあったみたいだから、
佐賀県でも大分県でも、邪馬台国の記述みたいな力を
蓄えることが出来たのかな?って思っただけ。
結局、邪馬台国がどこなのか分からないんだけど
北九州のどこかだということは分かる。
(ただし、博多湾は上陸して直ぐなので、おそらく奴国なんだろうね。)


samRAI web!の中のcartogramから見る「日本戦国勢力」をご覧あれ。
これで5年毎と移り変わりが確認できます。
http://www5.airnet.ne.jp/samrai/war_jp16c/carto/crt1540h.htm​

638 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:00:02
>>635
説というより
えらく有名な人のえらく有名な妄想です
おまえ相当な初心者だなw


639 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/21(木) 01:03:11
今、検索して調べてたら、248年頃の日食については、地球の自転速度の変化など
についての天文学者の見解の違いで、部分日食という説もあった。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku216.htm 
安本のページを見る限り、谷川説のほうが正しいような感じですね。

ぐぐるとその他にもリンク先多数。めぼしいものを以下に。
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/afjphimiko.htm
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-4.htm

ぐぐったりしてソースを出しながら、議論したほうがいいと思う。

640 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:03:46
>佐賀県と大分県が離れているぐらい知っているよw

あらあら皮肉を真に受けちゃってw

>下のソースを見たら、大分に拠点がある大友氏も
>福岡一帯や佐賀県を勢力圏に置けたこともあったみたいだから、

↑中学生レベルの知識のヤシに・・

>結局、邪馬台国がどこなのか分からないんだけど
>北九州のどこかだということは分かる。

なんて断言されてもね・・・
たまらんって!本当にたまらん!
アホの溜まり場!



641 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:05:46
太陽と星の動きについては
古代人は詳しかったと思いますね。
たぶん現代の俺らより500倍詳しかったであろう。
知識人というのではなく、生活民のレベルで
だから日食に際してもあわてふためく人など
むしろ現代よりも少なかったのではないか?

ぜんぜんあわてふためくことはなかっただろうと思し、

642 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:07:13
やめよ、大嘘ツキのペテンの説を検証するのは。
脳の弱い連中のすること。(鵜呑み鳥頭)

643 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:18:18
未確定なことが多すぎると自由度が上がりすぎて
もうなんでもありの世界になるよ。
馬鹿馬鹿しい。
様々な批判に耐えうる
完璧とまではいかずとも納得いく説を提示してほしい。
中学生のレベルに
妄想の部分だけ尾ひれ付けたような知識の連中の
一方的垂れ流しの都合の良い説は信用できない。

644 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:21:21
そんなことより
スレの状態を知りつつageてる人の感覚が疑問だ。

645 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:23:16
気が利きませんでした、ヒートアップして

646 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:32:03
きょうは荒れまくりだったね。
あとの方でちょっと日食についてのやりとりはあったけど、
でも、倭人伝の本筋じゃないしな。
否定論者も含めて、みんな安本説に引っ掻き回されてる感じ。
なんか、ムナシイなあ。

647 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:35:04
妄想の検証は無駄な作業。
それ以前の批判に答え切れてから検証しても遅くはあるまいて。
鵜呑みしてるからそういう無駄な作業に没頭する。
そもそも知識がないんだからか知識を入れることが先だよ。
垂れ流しの都合の良い妄想だけ鵜呑みしてるようじゃ終わり。
中学生の妄想レベル!

648 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:38:52
九州説だがあいつだけは死ぬほど嫌い!
まだ畿内説の方が可愛げがある。

649 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:43:01
でも、どうして妄説を2ちゃんに書きたくなるのか、
その心情には、ちょっと興味あるんだ。
「これは、自分にだけ真相がわかっている闇の歴史ナノダ」
と、オナニックな気分になれるから、かな。

650 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/21(木) 01:46:12
>>524
>農業は一応 半プロ

それなら、俺よりは経験がある。
しかし何処の場所で、稲を作ってるのかくらい書きなさい。

暖かい鹿児島や宮崎で、2期作に挑戦した経験があるというなら本物だけど、新潟の
美味しい稲の産地じゃ・・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
■森のくまさん情報
一般の田んぼは二期作・二毛作なのですが、うちのは一期作なのと球磨川の豊富で
きれいな水を利用していますので、味は保障します。
http://www.arrownet.co.jp/kome/index.html

651 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/21(木) 01:53:16
>>561
>日食の時間帯が日没の少し前で事件としての インパクトが弱い。

1700年前の日食じゃ、時間帯の誤差はプラス・マイナス20時間くらいはあるでしょう。
時間まではっきり言うのは、その著者の科学的知識がチョッとおかしい。
誤差を全く考えてないド素人じゃないかね。


652 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:53:42
うわ、恵也さん、まだ起きてたんだ。
「アンタは子供!」とか言われる前に、眠っちゃお。Good Night

653 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:28:29
恵也氏へ

20時間誤差があるという根拠は?

654 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:40:29
社会思想でさえギリシアの時代からそれなりに説得力があるのに
なぜ古代史の関係はこうも説得力に欠けるのか

655 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 05:41:05
夕べからこのスレを穢した人間、否、下等動物はみんなで無視しよう。
相手になると増長する。どうせこんな人間は社会でも通用しない。
必ずコヤツの周りにいる人間がコヤツを酷い目にあわせて、
夕べの敵をとってくれるだろう。「アンタは子供!」ぐらいで済むか。
お前は永久追放。ここのスレからも、そして社会からも。

656 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 05:57:41
日蝕が、何故関係してるかと言うと、天岩戸伝説に何らかのインスピレーションを与え、
神話のモチーフとして利用されたのではないか、と想像出来るのであって、
それを否定するのであれば、どういう意味合いで、天岩戸伝説が出来上がったのか、
何を象徴してるのかを説明しなければ、納得のいく説明とはならない。
それを説明しないのは、夕べのけちを付けるだけの馬鹿坊主のようになってしまう。
そういえばアレは倭人伝の内容も、卑弥呼が殺されたと言う説も知らない全くの無知だった様だ。
あんなのに答える気もしない。スレをいいように弄ばれてはならない。


657 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 07:19:24
このスレ、もう無茶苦茶だな。

アホばっか...


658 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 10:12:52
冬至説は面白いね。
中国では太陽が10個あるとゆう信仰で十干があるし、
衰えた太陽の再生の為の儀式が岩戸の前での宴会かも。

659 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/21(木) 11:34:33
>>653
>20時間誤差があるという根拠は?

根拠はない。
俺の理論では、地球の運行速度に0.0001%誤差があれば1700年間に15時間の
差が出てしまう。

金の純金と言われるものでさえ0.01%は不純物を含んでても、純金として流通してる。
それの100倍の精度でさえ15時間の差があるんだよ。

だから卑弥呼の時代における日食の時間なんて、計算する数字に誤差があり当てにはならないよ。
タダの素人が暇潰しに適当にやっただけの、ドンブリ勘定の数字に過ぎん。

660 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 13:41:35
174 :日本@名無史さん :2006/12/21(木) 13:16:06
>>172
物部氏というのは、天皇家と同じで、イザナギの末裔を名乗っていて、
どちらも、元々は高木神を祭っていた。

そして、物部氏は日本全国に分家が多く居て
そういう意味では、神武天皇後胤の天皇家や蘇我氏や
中臣氏から分派した新興氏族の藤原氏を遥かにしのぐ勢力だった。

ひとつ違えば、神武天皇の後胤である天皇家を
屈服させる力があった。どちらも、同族だしね。

だからこそ、天皇家は自分の先祖にアマテラスという女神を挿入することによって
男系では物部氏と家系を断絶させる必要があった?


175 :174の続き :2006/12/21(木) 13:21:21
本来、高木神が皇祖だったはずの天皇家が
アマテラスという新興の女神を作り出すことによって
世間では、そちらのほうが皇祖ということにした。
そうすることによって、物部氏を皇祖の子孫から外した。
ただし、宮中祭祀では未だに高木神を皇祖と扱っている。

また、高木神のほうも昔と同じままではなく、
様々な神様を合体させることによって
高皇産霊神という意味合いが少し違う神様を作り出すことによって
元の原型を隠す必要があった。

661 :太国:2006/12/21(木) 14:51:37
>>659
10年の単純計上もドンブリになるんじゃないかい?

662 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 19:21:37
>>659>>660
恵也さんの謂いももっともだし、660の人の話も、説得力があると思う。
大和朝廷の祖先神とされる天照大神が、元々、卑弥呼と、日蝕をモチーフとして、
作り出された、大和とは無関係の神で、それが何らかの理由で、朝廷の神として崇められるようになった。
その最大の理由は、統一の過程で、朝廷側が取り込んでいった事に由来する。
又、神は時を経ると、拡大解釈され、本来の意味合いと違うものになる事も多い。
インドラ神も、リグベーダでは単なる雷神だが、のちに、シャクラデーバナームインドラハ、つまり
帝釈天は次第に軍神の性質に、変貌していく。バラモン教なども、釈迦をバラモンの神の
分身としたりして、本来の宗教神の正確まで変える。
天照大神にも同じ事が起きた可能性は高く、各地に、異なる伝説が残るのはその為である。


663 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:32:53
>>660
物部氏に関しては、持統天皇の藤原京まで
宮中の祭祀の重要な位置にいたんだよね。

それが、持統天皇と藤原不比等が記紀の編纂を始めたころ
宮中の祭祀の座から外されたはず。
たしか、元明天皇のとき、平城京に移ったんだけど
物部氏はそのまま藤原京に取り残されたことが分かっている。

また、何かの史料で、持統天皇が、大国主神さまが怒っている...
って藤原不比等に不安をぶちまけたか何とかみたいな
記述があったように思う。(ちょっとソースを忘れたが...)

また、記紀では、10代目の崇神天皇が、大国主神のことを崇拝している
一説があるんだわな。

つーことで、天皇家って、元々は男系で見たらイザナギと同じで
イザナギこそが自分たちの氏族だと思っていた感じ。

それが記紀の編纂以降は、女神・アマテラスが処女妊娠して
そこから天皇家の男系(万世一系)が始まったようになっている。

664 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:28:38
アマテラスの処女懐胎は、独身の卑弥呼と暗喩的につながるかもしれない。


665 :太国:2006/12/21(木) 20:56:25
皆さんはどうしても、卑弥呼と天照大御神とをレスビアンさせたい、ウッウーン
させたいんかねぇ〜?ww

666 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:01:50
それはレスビアンって言うんじゃないと思う。
そういう下品な挑発、お尻ぺんぺんみたいな言い方するから
ここのコテハンは嫌われるんだよ。

667 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:02:52
それに「皆さん」という言い方に「特権階級」的な自意識を感じる。
これも相手を怒らせる理由だ。

668 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:03:58
おっ、おっ、また戦争かーッ

669 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:08:35
】♪邪馬台国、ドンと来い♪

670 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:12:36
しかし、暗喩的に語るってことはあるさ。
邪馬台国がもし日向なら日向に降臨したアマテラスの孫とは
関係なきにしもあらず。もしかしてないかもしれない。
しかしそれを100%の言い方で否定するのは紳士的態度ではない。

671 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:13:39
>>665
こういう言い方は、このスレを穢してないのかよ。

672 :太国:2006/12/21(木) 21:17:53
お前たちが卑弥呼とアマテラスの時系列の断層をイコールゼロ化
させようとたくらむから、そういうのは間違いだよと比喩的に
言っているわけだ。

卑弥呼=天照大御神

は、断じてあるべからず。

673 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:21:36
>>663
物部の「物」は、大物主の「物」ではないでしょうか?
そうですよねー。持統天皇も崇神天皇も何故そこまで大国主(大物主)を
恐れたのでしょうか?この頃の人たちは、自分たちの祖先が、大物主に対して
行った仕打ちを知っていたんでしょうねえ。
そして、実在が間違いない持統、崇神が、それほど気にしている「大国主(大物主)」
の実在も間違いの無い事でしょうね。

674 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:22:46
>>672
いきなり何言ってるのかよく分からないが、俺は別に何もたくらんでいないよ。
だいたい

>断じてあるべからず

って言い方は何だよ?それは現代語訳すると「断じてあってはいけない」
という命令文だぞ。君に俺たちに命令する権利などないよ。


675 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:24:44
>>674
やめたほうがいいよ。ここのコテハンは独裁主義で、絶対謝罪しないから。

676 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 21:25:13
>>665「卑弥呼と天照大御神を・・・」

少しニュアンスが違うんじゃないかな?例えば、卑弥呼が天照の直接のモデルとなって、
そのまま、邪馬台国=神武の東征により、天皇家の祖先神となった。と繋がっていくのに対し、
卑弥呼が、アマテラスのモデルになったとはいえ、天皇家とは元々関係なく、
朝廷側が、後に取り込んで、祖先神としたという説とでは。
太国さんは卑弥呼と天照大御神一体どういう見解を持っているのか
今ひとつよく解らないので、そこんとこ良ければ聞かせてください。


677 :太国:2006/12/21(木) 21:27:18
>>674
お前も 卑弥呼=天照大御神 だと思っているのか?
どうしてもこの二人を手をつなぐ意図があるわけだな?
諦めたほうが懸命だ。ピッタリと双方を合体だなんてあろうはずがない。w
まるで印度の歓喜天のような論だぞ。ww

678 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:29:53
太国、酔っぱらってるのか?w
絶好調じゃないか。w
そろそろ寝たらどうだ?www

679 :太国:2006/12/21(木) 21:31:08
いや今宵はまもなく寝る。www

680 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:32:03
>>677
伝説でもなんでもいいがある一人の人物の各要素を分解して複数の人間に
置き換えたり、逆というのも神話、伝説上ではいくらでもある。小説や漫画のキャラでもね。
ところが君の言ってるのはは、まるで推理小説の一人二役みたいだ。
まるで、卑弥呼が駅の女子トイレでアマテラスにあわてて変身してるかのような
錯覚さえ覚える。

681 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 21:33:15
それから一言、「断じてあるべからず 」は、この場合
断じて無いのである。という断定を表します。


682 :太国:2006/12/21(木) 21:35:15
>>680
お前さんもそう思うだろう?w
その一人二役をやってるのが他ならぬ彼らでないの?ww

683 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:37:38
>>681
「断じてないのである」なら古文調だと「断じてなし」でよい。
別に俺はフロイトの信奉者ではないが、「断じてあるべからず 」という
命令調には、支配願望的な潜在意識が出たと思う。

684 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:38:49
>>682
彼らって誰さ?仮想敵の話されても分からん。

685 :太国:2006/12/21(木) 21:41:33
>>684
ここに書きこむ(異恋ふる)イコール説の連中。ww

686 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:41:55
>>676
いや、だから、卑弥呼と神武じゃ
神武のほうが100年以上、前の人間なんだよ。

それと、アマテラスは、記紀の内容から考えて
どう考えても、男をモデルにした感じ。

687 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:43:36
>>673
物部氏の伝承では、天皇家と俺たちは
同じ一族だって感じだろう。
また、物部氏の初期って、皇族待遇なんだよな、どうみても。

688 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:45:58
>>686
もしアマテラスが元来男神だとしたら、どのへんで女神と読み替える作為が出てきたんだろうね。

689 :太国:2006/12/21(木) 21:47:39
>>676 九州ですがさん
今宵はもう寝ますので、話は後日にzzzzzzzz・・・・・・

690 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:54:01
>>689
いったい何だろうね。この人をバカにした態度。
何か特別の主張があるなら(たかが2ちゃんで!)
ホムペ開くか、その主張に見合った専用スレでも立てろよ。


691 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:57:45
>>688
現代の日本人がこの問題を理解できない最大の理由は
氏族制度を知らないのが最大の要因。

皇室典範の時も問題になったけど、天皇家の万世一系というのは
男系でひたすら繋がっているという意味。

もし、アマテラスが男か女かで、天皇家の家系に対する概念が
100%変化してしまう。

アマテラスが女なら、その次の代から皇室の血統が始まっているという意味になる。
アマテラスが男なら、それよりも前の代から皇室の血統が続いていることになる。

692 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 22:03:08
>>689太国さん
わかりました。年末は何かと忙しいので、体をいたわりながら
風邪など引かぬよう、仕事にがんばりましょう。お互いに。

693 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:07:23
>>688
それは分からん。皇室に限らず
氏族制度の社会では、男系一系で同族と見られる。
婿養子が入ったら、そこから別系統になったと見られる。

皇室がアマテラスという女神を先祖に添えたということは
そこから系統が変わった、王朝が交代したということになり、
それ以前に出てくるイザナギ王朝とは全く違う系統になったことになる。

つまり、皇室は、イザナギの男系一系の子孫である一族と
自分たちは血統が違うんだと主張したくなったと思われる。

694 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:13:00
>>681>>683
うーん、お二人とも近似の観点なんで失礼ながらまとめレスさせてもらうが、
でもアマテラスはイザナギの子でしょう。別系というのはちょっとピンとこないな。
スサノヲとアマテラスが別系というのなら分かるけど。
それと皇室は男系で、はっきり中継ぎとか政治的策だけど女帝はその後もたててるわけで


695 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/21(木) 22:19:15
>>683
手紙など相手がある場合、「断じてあるべからず」を「断じてなし」
とすると口調が強く、相手に失礼に当たる場合もある。
そういった口語調では、断じてないのです。とか、断じてありません、
と訳すほうが自然で好ましい。

696 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:20:49
>>691
関係ないだろwww。日本書紀ちゃんと読めよ。
アマテラスは初めから天皇家とは関係ない。神話の時代だって。
女でも別にかまわないんだよ。系統違うんだから。

697 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:21:24
>>694
たぶん、君は皇室典範改正論議のときに
女系と女性の意味の違いが分からなかったのではないだろうか?

当時の氏族制度・系図学を一から勉強しなおす必要がある。

天皇家は万世一系だから、父方のY遺伝子を重要視する。
これは、天皇家以外の豪族たちも同じだ。

アマテラスは、イザナギの男系女子だが
その子供の代から、Y遺伝子が入れ替わって王朝交代になる。

よって、天皇家の先祖は、アマテラスが女神の場合、
その子供の代からY遺伝子(男系)が継承されていることになる。

しかし、天皇家の先祖は、アマテラスが男神の場合、
それ以前のイザナギからひたすら男系が継承されていることになる。

アマテラスが男か女かで、全く違う家系になってしまう。

698 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:23:03
おいおい、男系女系の意味が分からないやつらが歴史を語るなよw

皇室典範改正論議のときも問題になったけど
こういう初歩的なことを知らない連中が
皇室典範や歴史を語るから、おかしいことになるわな。

699 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:24:56
>>695
詭弁だ。
手紙や小説の微妙なニュアンスの言い回しなどの言葉のあやの存在を含めても
上記の場合とは違うと思う。


700 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:25:06
>>696
古事記では、神話と人間界を区別していない。

701 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:26:30
>女系と女性の意味の違いが分からなかったのではないだろうか

じゃあ今から変えればいいんだよ

702 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:27:23
>>694
アマテラスは関係ないって。何度いったらわかるんだよ。


703 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:27:42
論理のために人間や王室があるのではないからな。

704 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:28:32
>>702
なんかアマテラスは刺青してるイメージないねw

705 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:28:43
>>701
男系というのは、要するに精子という意味だろうがw
そういえば、おもえにも分かるだろう。

というか、そんなことすら知らない奴が
歴史板で語るなよw

706 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:29:27
>>705
じゃあ皇室は女帝たててるから男系ではないんだな。

707 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:30:46
>>694
アマテラスは、イザナギの男系女子だから
イザナギとは同じ系統だよw

ただ、その次の代から、アマテラスの夫の系統に変わる。
まあ、アマテラスは旦那がいないという設定けどねw


708 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:31:22
つか、皇室厳格に男系になったのは明治以降だろう。
あそこでキリスト教的父性原理を取り入れてからだ。
その前までは曖昧な日本の私だった。

709 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:33:23
>>706
皇室は過去に出て女性天皇は
全部、男系女子の天皇でした。
女系男子、女系女子の天皇は一度も出ていません。

というか、これって、皇室典範改正論議の時も
分かってなかったじゃんw

710 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:34:59
>>708
皇室は昔から万世一系(男系一系)です。
皇室に過去に出た女性天皇は
男系の女性天皇です。

711 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:35:07
話はそれるが、正直、皇室典範改正論議のときは、ただ単純に
「女が天皇ってのはマズイ」というのしか根本になかったキガス

712 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:36:29
足利尊氏は、

家制度から考えたら、足利尊氏という名称だけど

氏族制度で考えたら、源尊氏というのは名称。



713 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:36:49
なるほど、じゃあ、いずれ近代的一夫一婦制をとってる皇室はいずれ
男系としては早いうちに滅ぶかもしれんな。つか滅びかけてるわけだが

714 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:40:45
>>711
もし、君がそういう考えなら、
アマテラスが男か女かで
皇室の家系が完全に変わってしまうことが理解できないだろうね。





715 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:41:14
>>714
で、アマテラスはどっちなわけ?

716 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:43:02
>>714
そんなこといつまでもこだわってるから、つうか保守しようとするから
コクミンがしんどい目にもあうんだよなー。

717 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:53:26
>>715
女神アマテラスは、一応、イザナギの胤から出来た子供なので
イザナギ王朝の神様という設定になる。

しかし、女神アマテラスの子供の代からは、
アマテラスの旦那の胤によって出来た子供だから
その旦那王朝に入れ替わるという解釈になる。

記紀では、アマテラスには旦那がいなかったから、
誰も見知らぬ男の子供が、天皇家の祖という解釈になるな。

718 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:56:01
>>717
面白い。マリア様ってわけだww

719 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:00:03
アマテラスは神話で史実じゃないからどうでもよい。日本書紀で
そういっているんだから。ほっとけや


720 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:03:21
神話こそあからさまにできない真実が語られているのは神話学では常識。

721 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:04:20
倭人伝の卑弥呼をモデルに書いたんだろ。そんだけ。

722 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:19:32
記紀神話上で天皇家の祖として明らかなのはのはアメノオシホミミからで
アメノオシホミミ自身はアマテラスの子なのかスサノヲの子なのかハッキリ書かれていない。

723 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/21(木) 23:28:02
>>686
>神武のほうが100年以上、前の人間なんだよ。

逆だよ。
卑弥呼が死んでから(西暦248年)41年後に神武天皇は死んでる(西暦289年)計算になる。
血が繋がってれば、孫かヒイ孫ってところだろう。

記紀の年代は信用できん!

神武天皇を、第50代桓武天皇(781年〜806年)を基準にしてハシゴをかけてみる。
第31代用明天皇は西暦585年に即位してる。その間221年を20人の天皇が即位した。

1人当たりの平均即位年数は
221/20=11.05年

傾向として安本氏の天皇の平均在位年数グラフを見ると5世紀から9世紀にかけて
1.36年延びている。100年間に0.34年だ。
用明天皇と桓武天皇の中間地点は696年

神武天皇が300年頃の即位だとすると、中間地点は553年
中間地点の差が143年ある。
143/100*0.34=0.486
11.05−0.49=10.56
これを平均在位年数として計算すると

初代の神武天皇の死亡年は
806−(50−1)*10.56=289

卑弥呼の死亡年は西暦248年
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/nendai.htm

724 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/21(木) 23:28:50
>>697
>天皇家は万世一系だから、父方のY遺伝子を重要視する。
>これは、天皇家以外の豪族たちも同じだ。

誰にそんな洗脳をされたんだい?

男というのは自分の本当の子供かどうかは、死ぬまでわからないもの。
その点、女は子供の父親が誰かは大体見当がつく。

それを男の遺伝子で万世一系だなんて、ヘソが茶を沸かすよ。

少なくとも神功皇后の子供の代で、血縁は切れてる。
母親が石を抱けば、出産が遅くなるなんてトンチンカンな言い訳をせざるを得なかったんだからな。
現代医学では第15代応神天皇は、第14代仲哀天皇の子じゃ断じてないぜ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
仲哀天皇が筑紫(九州)で亡くなった後、子(後の応神天皇)を宿した腹に石を結んで出産
を押さえ、表筒男命(うわつつノおノみこと)、中筒男命、底筒男命ら住吉三神の助力で、
福岡玄海町から新羅討伐にみずから船出したと伝えられています。
http://miyosida.hp.infoseek.co.jp/saki/jinguukougou/jinguukougou.html

725 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/21(木) 23:47:03
オシドリ夫婦なんていうけど、以外とオシドリは浮気してるようだぜ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
個体識別が可能となった1960年以降、鳥にも不倫があるということがわかってきた。

いわゆる「婚外交尾」(extra pair coupulation、EPC)というものだ。これに対しつがい
同士の交尾を「婚内交尾」(pair coupulation、PC)という。
http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/memodata/1000/m1005.htm


726 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 00:08:14
ーーーーー(引用開始)−−−−−
神功皇后伝承は、西暦400年前後の事件を伝えているとみられる。神功皇后を、
400年前後の人とするとき、『三国史記』『三国遺事』『広開土王碑の碑文』など
朝鮮がわの史料の記すところと、『古事記』『日本書紀』『風土記』など、日本がわ
の史書の記すところとは、よく合致している。

http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo82.htm


727 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2006/12/22(金) 00:40:20
>>717 イザナギ、イザナミからアマテラスという流れは、事実としてありうると思う。

1、伊都国、奴国の領域から、初期型の銅鐸(鋳型も)が多数発見されている。
2、翡翠の交換交易で北部九州と出雲は親密な関係にあった。
3、翡翠と銅の交換で出雲に大量の銅が供出されたと考えられる。

4、イザナギ、イザナミの活躍の舞台は出雲近辺である。
5、そのイザナギ、イザナミから、アマテラスにつながる。

つまり、出雲の王族の子弟が北部九州に送り出されているという関係は考古学的にも
十分ありうることではないかと思う。
北部九州の王族が出雲から嫁をもらったら、それが巫女的な活動を始めたというのが
180年頃の「初期の」卑弥呼という可能性もある。
なお、私は「卑弥呼」は複数人いたという考えです。

728 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:26:05
>>727
北九州ー出雲(ー丹後ー越)のつながりはもっと重視されてもいいと思っています。

>4、イザナギ、イザナミの活躍の舞台は出雲近辺である。
↑ここがどうもよくわかりません

729 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:33:35
物部氏と天皇家の戦いって
古代の南北朝時代みたいなもんでしょう?

物部氏の伝承では、アマテラスは男で、
物部氏も天皇家も男系一系の子孫で同族同士。

しかし、天皇家は、自分の先祖に独身で子供を産んだ女神を入れることによって
事実上、イザナギ王朝から自分の家系を断絶させ、新しい王朝を創作したことにし、
物部氏との差別化を図った。
そういうことでしょう?

730 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:34:26
>>727
イザナギは、和歌山じゃないのか?

んで、イザナミが出雲の黄泉の国へ行った話しでしょう?

731 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:49:50
ちなみに
×イザナギ
○イザナキ だからみんな気をつけて

732 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:57:45
イザナキの話って和歌山県でしょう?
たしか、和歌山と出雲を又に駆けた話だったと思う。
あと、皇室の本来の皇祖神は、高木神。
つまり、木の神様。

皇室や物部氏などは、和歌山の木材利権を握っていた豪族が
西暦2千年ころ、急成長した一族でしょう?
だからこそ、あういう神話が出来た。

733 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 02:00:58
天照大御神

>宮廷に関わる神様の祀り方が書かれている「延喜式」によると、
>天照大御神が登場するのはごくわずかでそれも「伊勢にいます神」と
>いう名で登場するのみだそうです。

>また天皇の即位の後行われる重要な祭りの一つである新嘗祭
>(にいなめさい)でも古くから天照大御神を祀ったという記録はありません。
>「延喜式」によれば新嘗祭の準備のためにもうけられた斎場の中心は
>高御産巣日(たかみむすひ)神となっているそうです。

http://www.loops.jp/~asukaclub/hmemo/hmemo013.html

734 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 02:10:03
>>723
おまえ、安本氏の平均在位説を本当に信じているのか?

おまえさ、天皇家の代数から年齢から考えたら
いかに安本氏の平均在位説が馬鹿だと分かるぞ。

735 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 02:12:20
>>724
日本書紀の編纂者が二倍年暦だということが分からなかったから
応神天皇の出産に対してイチャモンをつけたんでしょうが...



736 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 02:18:38
恵也 ◆o4NEPA8feA はマルキストか?



737 :太国:2006/12/22(金) 07:53:24
>>723 逆ではない。
それは大間違い。>>686の主張が正解なのである。

紀の編者が卑弥呼らしき人物の件を神功39年に当てているのは、よくここの
スレ人が  卑弥呼=アマテラス  の引力効果を百倍にも千倍にも増加させて
印度あたりの歓喜天の真似をしたい為の理屈から、紀の編者側にもその抱き合い

神功皇后=卑弥呼

をさせたい為神功年代にこの記事を挿入させたんだとか勝手なことを言って
いる連中の論が浸透している。そうではなく卑弥呼の生存年代が神功の
時代の前後あたりに近接していたことを編者らが把握していて挿入したと
いうのが正なのである。(勿論双方別人だから、年代が完全に一致はしない。)
つまり卑弥呼が神武以前の姫という恵也の主張はまったくデタラメであり、
大きな単純計算の間違いの推量を真だとした時代錯誤そのものである。


738 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 09:10:21
>>736
>恵也 ◆o4NEPA8feA はマルキストか?

俺は右翼だ。
たとえ皇族の血統にいろんな疑問があったとしても、日本国家の
ためには一番大切にしなくてはいけないお方だ。

日本の天皇よりも歴史的には長かったエチオピアは、社会主義かぶれした
軍人のクーデタで廃止した為に、大変な混乱の中に入り込み、まとまりの
ない並みの国家に変質してしまった。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
ロイター通信などによると、判決は「反対勢力を破壊し、殺害、拷問
するための暗殺団を組織した」
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1166047654/l50

739 :太国:2006/12/22(金) 10:26:48
ここ数日、近隣スレとこのスレとを眺めていると、アマテラスが男神から女神に
転じたとか転じさせたとかの類の説が流布されている。これはまるで>>680氏の
言っているとおり探偵小説にでも採用されるべきであって、過去の某TV忍者
番組にあった藤林長門守が百地三太夫であったなどのと似て 卑弥呼=日神
の次くらいに面白おかしく、諸説は変幻自在、百花繚乱の感がある。w

まぁ、通例でいう皇紀656年以降はアマテラスは三重の伊勢神宮に鎮座されて
はいるが、確かに神功皇后は三韓征伐は別として近所の畿内住まいだったこと
は紀の記載のとおりである。男女転換の二役よりもうるさくスレを賑わすのが
先述の 卑弥呼=アマテラス という論であり、恵也氏も間違いなのを盛んに
双方の人物をアイラブユー化の歓喜天式抱き合いとしたく、これを目論んでいる。

さらにひどくなれば 神功=卑弥呼=日神 の三人同一化、時代イコール化
紀元前化の論法に行き着き、宗像三神はまぁいいとして、まさに「三重過縄文」
の迷推理の頻繁出現となり、記紀はいいとするも某氏からの吟味の少ない論文の
採用等による神武以前への邪馬○国卑弥呼の設定などは「悪馬の文証」であり、
この迷探偵ぶりを早く覆さなければ、一般人が信じてしまうという禍が起こり、
まことに看過できない状態にある。

740 :太国:2006/12/22(金) 11:07:29
恵也氏は神武のころに九州では2倍暦のあったことを肯定し、その理由は2毛作
が当時九州で行われたからだとの見解をもっているようである。
そして、神武以降の天皇のいる畿内では2毛作はないとし、2倍暦の使用は当時
行われていなかったと主張して倍暦を認めていない。彼の論は終始単純10年計算
こそが真であるとの主張であるようだ。

が、しかし、これはおかしい。プラム氏にも話したが、
紀の崇神62年7/2の文には、天皇が農作を奨める詔を出したとの明文があり、
7/2と云ったら1年を半年計算とするときの第2日目であり、現今の1年での
半年を過ぎた直後に農耕を行いなさいと言った崇神の積極性ある詔勅である。
この2日目の2という日数にも2毛作の数字が相対しており、2倍暦の2数
とも数字が奇しくも一致している。

ということは、少なくとも畿内は当時2毛作が行われる地面と気候の状態に
あり、さらに2倍暦等の使用も否定し難く恵也の説はここに崩壊するのである。

しかしながら、同氏はスレにおいてなかなかクリーン・ヒット的批判をすること
が、これまで2〜3回あり、それがしは大いにこれを good と評価している。


741 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:08:54
>>738 :恵也 ◆o4NEPA8feA

日本書紀の編纂者は、二倍年暦だったことを気がついてないんだよなw
だからこそ、二倍年暦だったことを考慮しないままw
神功皇后の年代を卑弥呼に合わせるために
仁徳天皇の在位期間を二倍にするみたいな馬鹿なことをしたw

よって、応神天皇の出生も、二倍年暦だったことを考慮すれば
何の問題も無いんだけど、当時の日本書紀の編纂者はそのことを知らなかったから
凄く疑問に思って、あういう記事を書いたんだとw


742 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:19:07
アマテラス自体がよく判らん存在なんだよなあ。
つか崇神以前の人物の存在自体が怪しい。
個人なのか、身分や地位なのか、はたまた勢力の総称なのか良くはワカラン。
男だと性別を断定できるほどの確信って一体なんなんだろうね?

因みのスサノオに関わるアマテラスは普通に神官だったと思うなあ、女子の。
例の誓約では御神託だということでスサノオの子を産み、女子は神官として彼に託し
男子ならそのまま自分が貰い受け育てる、と。

結果、スサノオは女子が3人も産まれたことに大喜びして、自惚れ、再び傲になったと。。。

記紀に描いてある、この一連のストーリーは、実は当時の常だったんじゃないか?

743 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:22:46
次スレから右翼とマルキストは書き込み禁止でよろしく。

744 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:32:17
古代の神話の時代の解明

アマテラスは男性で高天原(畿内南部の高天台)で家督を継いでいたが
跡取りの子供が居なくて、弟のスサノオ(須佐で分家していた)に家督を奪われるのを恐れていた。
で、兄弟は争ったみたいだが、最終的には仲直りして
その弟の子供の一人を養子に貰ってたみたい。

スサノオの須佐は現在の宇佐で、神武天皇もそこの出身でその子孫。
西暦1〜2世紀頃、神武はその須佐(宇佐)分家から
畿内(高天原)本家に婿養子に入った。
また、須佐(宇佐)は山戸の州都であり、その山戸は
後に魏志では邪馬台国と言われている。

西暦3世紀の邪馬台国は、高天原(畿内南部の高天台)本家の
宇佐分家の王朝であり、卑弥呼はそこの巫女だった。
宇佐(須佐)は、男王が政治をし、巫女が祭祀をする、政教分離体制を整っていた。
魏志に出てくる邪馬台国の時代は、スサノオや神武より後の時代。

745 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:40:06
邪馬台国=宇佐は推理作家の高木彬光が言い出したんだっけ?

746 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:42:44
でも、宇佐はないと思う。北九州陸行一月を一日の間違いとしてもおおげさ。
倭人伝の最初にあるように「水行」は「沿岸沿いを行く」(海を渡るではなく)と
定義するのが妥当と思われるし。

747 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:47:55
>>744
一見説得力あるようにも思えるけど、中身が完全過ぎて
逆に胡散臭く思えてしょうがない、すまんな。

748 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 12:01:26
>日本書紀の編纂者は、二倍年暦だったことを気がついてないんだよなw

こんなところに書いてる奴より日本書記の編纂者のほうがずっと頭がいいと思うのだが

749 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 12:05:20
>>748
今度、本が出るんだよ。
それを読んだら、仁徳天皇の在位期間だけ
綺麗に二倍にしている。
そしたら、神功皇后と卑弥呼の年代がきれいにかち合う。

ただしw これは二倍年暦だったことを一切
考慮していない場合だw



750 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 12:06:59
>>744
中身が完全すぎて、胡散くさくみえるな、たしかに。
ただ、言われて見れば、そうかな?と思う。
今後、検討価値が大有りだな。

751 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:02:30
1〜2世紀頃の畿内って土人だらけじゃねーか?w
何が高天原だよ、マルチしまくるやがって、アホかコイツ。

752 :すみませんが、名無しです:2006/12/22(金) 13:04:07
高木彬光の宇佐説を読んだが、なかなか面白い本です。
特に、伊都国に到着するまでは、一読の価値があります。
宗像が神の湊であった、と推理するあたりは、さすがですが、
その後、の伊都国の記述があまりにも、簡略すぎます。
伊都国が行橋あたりだといわれても、納得できません。
不弥国が邪馬台国の玄関だとする記述は納得できます。
推理小説の範疇では面白いですが、少なくとも伊都国は
帯方郡の役人が駐在しており、朝鮮半島から、便利な国
じゃないと理屈にあいません。

宗像を神の湊とした、根拠が下関の海峡が海の難所だったと
して推理しており、つじつまがあわなくなってきます。
残念ですが、もう一歩の本でした。

753 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:06:34
>>751
それが固定観念っていうやつだよ。
前近代って、近代の工業化革命の時代と違って
成長率の低い時代だから
1世紀も5世紀も大差ないんだよ。
7世紀から1世紀の社会の発展の格差って
21世紀〜19世紀の成長の格差よりも遥かに小さいものだ。

754 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:07:08
バカにされてるのにさあ、いい気になってるところが面白いね。

755 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:09:41
>>751
おまえらは近代の価値観で物事を見すぎ。

近代というのは、ここ100年でも物凄く社会が変わったけど

前近代というのは、1000年以上たっても
近代の50年間の進化よりも小さいぐらいだ。



756 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:19:19
これといった遺跡が無いのに高天原だって?w
アホやコイツ。
何も無いところに婿に逝ったんだ、良かったじゃん
お幸せに。

757 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:30:38
>>756
あくまでも文献史学上の話だろうが...
考古学上は3世紀中期のマキムクまでが限界。
文献でも、この時代に相当する崇神天皇が
葛城からマキムクに宮を移して、勢力を拡大させたとしか書いていない。


758 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:39:45
>前近代というのは、1000年以上たっても
近代の50年間の進化よりも小さいぐらいだ。

そういった固定観念がペテン師の基となる。


759 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:11:22
邪馬台国問題に興味津々の古代史ファンだが
みんなも少し魏志倭人伝を引き合いに出して
邪馬台国を論じてもらえんだろうか

邪馬台国を記述しているのは何はさておき魏志倭人伝だ
このスレの住人はなんだか魏志倭人伝を避けたがっているように見えてしまう

760 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:18:42
>>758
おまえのそれが固定観念。


761 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:21:03
ネット中に、魏志の綺麗な原文と
口語訳ってちゃんと無いんですか?



762 :太国:2006/12/22(金) 14:25:13
>>759
近隣スレにマキムク関連スレが出来、多数人がそっちのほうに関心が
ムク状態にある為、ここも関心がずれてそっちに集中しているようです。

>>761
ググれば有るでしょうね。

763 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:25:42
確かにみんな固定観念がある。なのに自分だけ例外というのはカタハラいたい。

764 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:33:16
記紀の翻訳って、厳密に
原文、口語訳、現代語訳しているのって、
結構、高いんだよね、全部、そろえようと思ったら。

安本氏なんかの妄想本とかは、著者の思想が入っていて
参考にはならないんだけど、こういう本は値段が手ごろだから
買いやすい。で、その本の思想に影響されてしまうw

でも、本当に客観的に研究しようと思ったら
値段が高い、原文・口語訳・現代語訳が見比べられる書籍じゃないと
無理だったりするわけだな。

765 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:36:29
日本も、中国政府みたいに
金をかけて記紀の解読に金をかければ良いんだよ。

戦前は、皇国史観で研究が進まず
戦後は逆に、マルクス史観で研究が進まなかった。

麻生大臣ぐらいに進言してみたら、どうだ?
あの人、記紀を結構、読み込んでいるように思う、
中国のも、日本のものも。

766 :759:2006/12/22(金) 14:39:09
>>762
レスありがとう
邪馬台国の位置だけではなく
魏志倭人伝には倭人の風習や
魏との外交などの記述もある
じつに面白いと思う
ドンと来い・・・だからそういうことも論じ合ってほしいのです
他のスレでは無理だと思うから

767 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 14:40:56
>>746
>一見説得力あるようにも思えるけど、中身が完全過ぎて

全く不完全!
人間に与える宗教の面を全く考えてない。
今の世の中でも公明党の政治支配が、日本のあらゆる面に影響し検察庁腐敗まで起こしてしまった。

卑弥呼の時代には、出雲や畿内は銅鐸信仰が、流行っていて九州の多くは鏡信仰だ。
まったく信仰心の異なる指導者間に、養子縁組なんて考えられん。

銅鐸信仰が突然、出雲や畿内でなくなったのは神武東征が関係してるとしか思えないよ。
天草の乱や一向一揆を弾圧した、歴代の指導者が反乱首謀者と婚姻関係を結ぶはずがない。

現在のイラクを見ても判るように、宗教ほどコジレたら血で血を洗う修羅道はない。
銅鐸信仰の弾圧も凄かったと思うよ。
銅鐸をどうやって使ってたのかもわからないほど、全く宗教がなくなってしまったんだからね。

768 :太国:2006/12/22(金) 14:45:27
>>767
不明でしょうが、有力な銅鐸の使用の目的とは貴殿は何だと思いますが?
それがしは全く?です。w

769 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 14:49:54
>>761
>このスレの住人はなんだか魏志倭人伝を避けたがっているように見えてしまう

おれもそう思う。
このスレで一番、魏志倭人伝に素直に従ってる論者は、俺くらいのものだろう。
畿内説にしても、北九州説にしても方向と、距離と時間を適当に間違ってると断定して
自説に有利なところだけをツマミ食いしてる。

その点、俺のは全部、食べた上での宮崎説だ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
魏志倭人伝の原文は、「倭人在帯方東南大海之中依山」のように句読点の無い漢字の羅列です

魏志倭人伝に出来るだけ忠実に、原文どおり和訳してみました
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

770 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:54:16
うんこスレット

771 :太国 :2006/12/22(金) 14:59:23
それがしはうんこマンです。

772 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:02:23
恵也 ◆o4NEPA8feAが、このスレのレベルを
著しく下げている。



773 :太国:2006/12/22(金) 15:06:26
>>771
余のニセ者です。妨害に来たようです。

774 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 15:12:21
>>772
>恵也 ◆o4NEPA8feAが、このスレのレベルを
>著しく下げている。

レベルは下がった方が面白い。
なんか文句があるか?

775 :759:2006/12/22(金) 15:16:31
>>769
同意していただきありがとう
たとえば 有屋室父母兄弟臥息異處
これは家に間仕切りがあったということか
それとも別々の家屋に分かれて住んだということなのか
また 他人就歌舞飲酒
喪中にどんな歌を歌ったのかどんな舞いだったのか
何を飲んだのか何を食べたのか
せっかくのドンと来い・・・だからいろんな意見を知りたい

いまのは一例
ともかく魏志倭人伝を大いに引き合いに出して論じてくださいお願いします

776 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:21:20
方角を45度から90度反転させると、畿内でぴったんこ。
それと倭人の風俗は長江以南地方と激似する。
日本を南国の島であると想像したとしても、何ら不思議ではない。
南、温暖、倭人、南、温暖、倭人、、、南の奥ばった処に卑弥呼がいる
当然、南、温暖、倭人、、、うん、チンの固定観念だなw

777 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/22(金) 15:21:23
>>768太国さん

銅鐸は現在でも神社に形を変えて残っています。

778 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:27:07
>>769
それ読んで思ったが、
邪馬台国は福岡市・博多湾ではないが、北九州のどこかは確かだろうが。

邪馬台国の東の海の向こうにも倭人種の国があるとか
南に従わない狗奴国とあるから、
これって、大分県の宇佐じゃないのか?

また、その邪馬台国の80年くらい前に戦争があったと書いてあるが、
これは邪馬台国ではなくて、倭全体が戦争になったと書いてあるから
おそらく、その時代は戦国時代みたいな感じになって、今に至ったという感じ。
よって、倭(日本列島全体?)は戦争になって
各地が独立傾向を強めて、そして、現代、九州では
邪馬台国が覇権を握っているという感じで
まあ、邪馬台国は戦国時代の大友家みたいな状態じゃないのか?
つまり、倭が80年前くらいに戦国時代になったけど
その結果、邪馬台国が統一したのではなく、邪馬台国はあくまでも
その有力地方政権(九州で覇権?)になっている程度じゃないの?

どうよ?

779 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/22(金) 15:30:43
>>769

>このスレで一番、魏志倭人伝に素直に従ってる論者は、俺くらいのものだろう。


自我自慰行為ですか?



日本は平和だよ。

780 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:32:42
>その国はもともと男子を王としていた。七・八十年前、倭国は乱れ、
>何年もの間攻撃しあっていた。

この七・八十年前が倍年暦で正しかったら、35〜40年位前ということだなw
よって、西暦でいうと、西暦200年前半に倭国で5年くらい戦争があった。

781 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:35:16
ところで一人何役こなしてんだ?そっちの方が邪馬台国よりも気になるが。
昼間だけでもコテ無くせよw

782 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:37:18
>女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。
>みな倭と同じ人種である。

これって、大分県の宇佐から瀬戸内海を渡って本州に行ったらと読めないか?


>その南には小人の国がある。身長は三、四尺である。女王国から、
>四千余里はなれている。

この国って、四国のことじゃないのか?w

>また、裸の国や、黒い歯の国があり、東南の方角に船で
>一年ほどでいける。

本州を太平洋航路で船で旅行したら、東海地方・関東ってところか?


>倭の地を参問(人々に問い合わせてみる)してみると、海の中にある
>島々の上に絶在していて、くっついたり、離れたりして、
>周旋すれば五千余里ほどである。

日本列島そのものの地形。

783 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:42:44
>>769 :恵也 ◆o4NEPA8feA

きみは嫌いだが、きみが紹介してくれた原文ソースはありがたい。
参考にするよ。

784 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:44:44
>>782

>女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。
>みな倭と同じ人種である

三重から伊勢湾を望む東海もまた倭人ばかりである

>その南には小人の国がある。身長は三、四尺である。女王国から、
>四千余里はなれている。

伊豆諸島、もしくは夢を見た。

>また、裸の国や、黒い歯の国があり、東南の方角に船で
>一年ほどでいける。

知らんがな。東南アジアの事を又聞きしたんじゃね?

785 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:45:50
>>782
>その南には小人の国がある。身長は三、四尺である。女王国から、
>四千余里はなれている。

これは四国の可能性もあるが、和歌山辺りの可能性もある。

786 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:51:24
とにかく、魏志倭人伝によると、西暦200年前後に
約5年間くらい戦乱があった模様。
まあ、5年間ほどだから、戦国時代というよりも
比較的短期間の政変か?

787 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:51:48
なんだかネタスレの様相を呈してきたな。

788 :太国:2006/12/22(金) 15:57:25
>>777 プラムさん
神社に銅鐸っていうのは、もともと有ったとかいう話は無いと思いましたが?
形状変更って鏡のことですか?
しかし、本来の銅鐸には何らかの使用機能があったんではないですか?

>>780
卑弥呼の時代が200年と観てるんですか? 間違いだと思います。
神武のころの姫だとお考えなんですか?

789 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/22(金) 16:20:40
>>788 太国さん


神社に行っておさい銭
さ〜って 次なにします?ガラガラ

反対意見募集します。

790 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:20:47
※天照大神の語源解明から性別不問である。
・「天」⇒“a-ma(me)”=東の山(水生む聖地)の意=「高天原」。
・「照」⇒“딸리다”(ttal-li-da)=付く、属する、の語幹=所属、出自。
・「大神」⇒尊、日子。
∴「高天原出自の大神」、である。
卑彌呼も「最高位の尊」であり、性別を問わない。


よって、天照大神とは

高天原出自の大神、
東の山に出自をもつ、あるいは属する日子。
水生み聖地に出自を持つ、あるいは属する日子。

みたいな意味。


高天原=東の山、水を生む聖地ってどこよ?

畿内南部のことをいっているんじゃ?
三重県とか和歌山県とか十津川周辺とか?

791 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:23:49
>>788
いや、倭国が乱れたのはいつか?って話で...
それが西暦200年前後か?と。
卑弥呼が神武の頃の姫とは言っていません。
神武は卑弥呼の生存時期よりも前でしょう?

あと、>>790の語源の一つの例。

792 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:26:29
マルチのコピペ、うざい

793 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:36:15
>>792
>マルチのコピペ、うざい

そう。逆効果だ。
中身がどうであれ、マルチ連発は、多くの人に反感を持たれてしまう。
戦略的にも稚拙そのもの。

794 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:51:28
マルチをする理由。自分の意見を共通ネタスレで
早く吟味してもらいたいからだろうけど、
やられたほうからすれば、ウザイと思われるだけ。


795 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:52:30
戦略て・・・

796 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 16:56:57
しかもマルチて・・・工作員そのものじゃんかよw

797 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:02:33
マルキストだかんな。文句あっか?

798 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 17:19:22
>>768
>不明でしょうが、有力な銅鐸の使用の目的とは貴殿は何だと思いますが?

俺はヨガで瞑想を教えてもらいやったことがある。
ろうそくの光に精神を統一して、集中し心がコロコロ動き回るのにブレーキをかけるのだが。

銅鐸は錆びたら青銅色だが、新しいと黄金色に輝き美しい色だと聞く。
キラキラ光る銅鐸からの反射を利用して、精神集中させ神主らの潜在能力を引き出し超常現象
を起こさせるものに使ったのじゃないかな。

透視や予知、サイコネシス、政治判断、商売繁盛から病気平癒まで必要に応じて。

小さな銅鐸ならぶら下げて、音に精神を集中させる事も出来るが大きな銅鐸では、まず
ぶら下げるには重すぎて金具が壊れるし、音もろくな音にはならんだろう。

799 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/22(金) 17:22:15
>>776
>方角を45度から90度反転させると、畿内でぴったんこ。

それでは「会稽(上海)の東の位置が邪馬台国だ」という記述にあわない!

800 :太国:2006/12/22(金) 20:01:07
>>789 プラムさん
銅鐸を鋳潰して鈴を作ったとおっしゃるのですか?
それとも、銅鐸自体が仏寺の釣鐘の役目だと主張されるのですか?

>>799 恵也さん
精神統一用ですか? そのへんの可能性もあります。

上部の空いた丸のリングは吊るすためかなぁ?

801 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/22(金) 20:44:18
>>800 太国さん

神社の鈴

銅鐸は各集落に奉られた祠脇にぶら下げられたと考えます。
銅鐸の数だけ集落と祠が存在 ある時期異質集団に支配が変貌、各村に宗教的意味合いで置かれた銅鐸は集められ、纏めて埋められた

支配者は変われど民は代わりません 銅鐸文化は新しい支配者に代わり信仰対象が代わっても、民は鈴という形で後世に本来の信仰(銅鐸文化)を伝承しました。

802 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:43:00
本物の右翼は本質的に論争なんかしない。実力行使あるのみさ。

803 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:48:04
「右翼とは論理や思想ではなくて、純粋に心情の問題である」

                       三島由紀夫

804 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:49:34
 ところが、九州の人はあまりこの心情が分からない。

805 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:54:51
しかたねえよ。九州は九州で中央と違う倫理感覚持ってるからな。

806 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:02:58
いんや、神風連の乱もあったし、福岡は玄洋社の発祥地。
九州男児の志を侮っちゃあ、いかんタイ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%B4%8B%E7%A4%BE

807 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:08:21
熊本の神風連の乱か?笑わせちゃいけねえな。
あんなのただの自己保身じゃん。本物の右翼精神じゃねえよ。

808 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:09:18
とにかく、九州が、反皇道ちゅうのは、このスレ見ててもはっきりしてるんだよ。

809 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:10:44

亀田興毅暗殺計画


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1166184756/49

810 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:14:03
むしろ森鴎外も描いた阿部一族の自己陶酔ぶりが、
自己都合的な脆弱さを現してると思う。

811 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:21:39
日本史板だからべつに文句は言わんが
ここ、ホント間口が広いね

812 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:23:13
んだ、間口の広さだけなら京都の三十三間堂なみだな。

813 :太国:2006/12/22(金) 22:45:13
>>801プラムさん
参考とします。

>>808
古神道皇道派がいます。

814 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/22(金) 22:45:40
>>778
うーん。当たらずとも遠からずって感じ?

815 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:47:52
>>813
そんなもん、もう、とうに実際の皇室のご意思ともずれてるんだろう。

816 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:49:41
おれ自身、実際に九州の人間に接することが多いのだが、
はっきり言って、畿内の人間の感覚と全然違う。
むしろ、畿内と関東のほうがシンパシーがあるね。

817 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:59:29
はっきり言って、近畿の人間と九州(特に福岡)の人間が仲良くするのは無理。
もう、これはこのスレと同じく絶望的な断層があると考えるべきだろう。
鹿児島の人は好きだけど。

818 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:06:43
近畿地方の人間もウダウダ言っているだけのような気もするが…。

819 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:09:32
九州は基本的に言語にアクセントが無いし
大分だけは本州近畿とシンパシーが合うけどね。
九州人は本州人のアクセントを聞くと
蕁麻疹走ると企救し

820 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:10:10
だったら、さっさと独立宣言でもすりゃいいんだよ。

821 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:11:48
近畿人と西九州人は言語のパタンが違うから
波長が合わない。

822 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:13:31
だろう。鹿児島の人はボキャブラリーは違うが関西人は会う。
福岡は特に敵対的な感じがある。これは多分お互い様なんだろう。

823 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:15:53
アクセントが無アクセント系でぶっきらぼうに聞こえるからじゃね?
福岡佐賀あたり、
大分は関西語彙が多いので大分人と近畿の人は波長があうと思う。

824 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:19:55
だからどうみても
近畿人と九州人が同族ってことは無いよ。
東征なんてのもない、今も昔も近畿人は出雲人の後裔。
銅鐸は鈴、鈴木は物部だし銅鐸は今でも生きている。



825 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:20:15
アクセント云々より最初から敵愾心があるって感じだな。
確かに大分、宮崎、鹿児島はそんなに違和感ない、
とにかく一番、近畿に居て衝突があるのは福岡人だな。
まあ、九州一の都会人というプライドがあるのかもしれないが。
九州から大阪に来る新入社員諸君は気をつけたほうがよいよ。

826 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:27:38
筑後風土記逸文には大和政権への怨念が描かれてるじゃん。
大和との戦いで荒廃しきった筑後地域の様子


827 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:31:25
南北朝の頃だが、後醍醐天皇の息子の懐良親王が九州へ将軍として派遣され、
けっこう南朝方勢力を一定期間、保つだろう、阿蘇氏や菊池氏を味方につけてさ。
おれ、あのときの記憶が、現在の九州人にちょっと残ってるんじゃないかと思うことがある。
肥前・肥後、それに筑後の旧家の家風には、あんがい尊皇的なところがある。左翼ではない。

吉野ヶ里遺跡のすぐそばに、東妙寺だったっけ、中世からの古寺が今もあって、
懐良親王自筆の書状なんか、たくさん伝えているということだ。
……ま、邪馬台国論とは、ほとんど関係はないけど。

828 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:38:26
>>827
いや、現在の邪馬台国論にも反映してると思うよ。
戦国時代だって、九州は秀吉にやられーの、キリシタン撲滅されーの
してるから。そういうのが卑弥呼の鏡よろしく今の邪馬台国九州説に
反映してると思う。

まあ、正直魏志倭人伝の邪馬台国が九州である可能性はあるがな。

829 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:39:38
懐良親王擁する菊池と太宰少弐との戦いしかり
維新時の田原坂の戦いしかり、
神功の戦跡しかり、土蜘蛛討伐記しかり
すべて中部九州が舞台じゃん。
パワーバランス的に筑後地域が陥落したら
九州なんてほぼ全滅。人口比で考えれば
バカでもわかる。
九州は人口で考えると久留米あたりに中心があって
久留米が陥落したら九州全土が落ちる。
大和を悩ませたクマソが大隅にいるなんて
いう固定概念は捨て去るべきだよ。
ハッキリと記紀にクマソ征伐は筑後地域中心に
行われていると書いてある。


830 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:43:32
吉野ヶ里町のホームページに、東妙寺のことがちょっとだけ載ってた。ご参考まで。
http://www.town.yoshinogari.saga.jp/html/oideyo/midokoro/crossroad.html#yoshinogari

831 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:46:01
>>829
それは俺も思うんだよね。
確かに倭人伝読む限り、邪馬台国に一番地理的に無理ないのは
宮崎平野だと思うんだけど、これを九州王国の首都と考えたら、ちょっと
端っこすぎないかと思う。
邪馬台国が九州全体、あるいは北部九州だけだとしても
熊本〜久留米あたりの気がするんだ。

832 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:46:49
縄文時代から西九州と近畿は遺跡が違う、弥生時代ももちろん違う。
源平、懐良南北朝時代、秀吉、家康、明治維新
常に近畿本州東北VS九州は別の道を歩んでいる。
元々遺伝的に全く違うからウマが合わないんだよ。


833 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:48:42
>>832
ウマが合わないのはもう分かってるよ。俺九州人と殴りあいのケンカしたもん。実際。

834 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:55:00
有名な一句、撃ちてし止まむ
が生まれたのは筑後地域でしょ


835 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:56:45
ついでに言うと鹿児島県人vs福岡県人のケンカもあったぞ。

836 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:00:05
>>832
あなたは九州人をどうその他の日本人と考えておられるのですか。
よければお聞かせ願いたい。

837 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:01:33
>>832
>>832
間違えました。
あなたは九州人をどうその他の日本人と「違う」と考えておられるのですか。
よければお聞かせ願いたい。




838 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:07:49
九州人は秀吉に従わなかったし、
秀吉は従わなかった九州人を皆殺しにしたんだよな・・・。

839 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:10:52
懐良菊池の南朝と少弐の北朝がぶつかったのは
ちょうど神功がクマソ征伐をした地域とダブってる。

840 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:14:10
>>838
それ言うなら、徳川幕府の原城皆殺しはもっとスゴイ。
単位面積あたりの死者は、人類史史上最高と言われている。

841 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:28:59
>>840
島原の乱は、仕方ないだろ。
禁止した筈の耶蘇教で団結して乱を起こされちゃ、
治安はメチャメチャになる。為政者の権威ガタ落ちだ。
天草四郎らに改宗の気がまったく無いんだから、殲滅も仕方あるまい。

842 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:48:58
いまキリシタンからの連想で、思いついたことだが・・・
魏志倭人伝で、卑弥呼の事跡の最初のところに、「以婢千人自侍」、とある。
この「婢」とは、単なる召使いや御殿女中のようなものじゃなかろう。
きっと卑弥呼の鬼道と関係があるんじゃないだろうか。
ひょっとしたら、鬼道の予備軍的な存在では?
それなら、婢1000人というのは、すごい威力じゃなかったかな。
女だけで、武力もなかったかもしれないが、なんとも侮れない力が…
……うん、卑弥呼が女王に共立された意味が、すこし分かってきたぞ。

843 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 00:50:43
>>800
>上部の空いた丸のリングは吊るすためかなぁ?

小さな銅鐸は、吊るせますが大きな銅鐸は自重を支えきれません。
変形して壊れてしまうという話を見たことがある。

初期のもともとの銅鐸から、使用目的が変わったもの。


844 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:56:09
島原は単に極悪領主にキレた農民が蜂起したわけなんだが
宗教はせいぜいオマケ

845 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 00:59:09
>>803
>「右翼とは論理や思想ではなくて、純粋に心情の問題である」

そんな事を言い出したら、右翼の言葉が壊れてしまう。
言葉とはイメージを伝えるための不完全な道具に過ぎん。

極左と心情的に同調して「天皇に関して以外は、考え方がわかる」といった
妄想から出た言葉。

右翼とは、天皇を特別の存在として大切にする思想。
左翼とは、すべての人間を平等にする思想。


846 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 01:03:28
>>816
>はっきり言って、畿内の人間の感覚と全然違う。

まだ人間修行が足りん。
同じ畿内の人間にも、千差万別ということさえ判らんのかね。

847 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 01:27:11
>>827
>あのときの記憶が、現在の九州人にちょっと残ってるんじゃないかと思うことがある。

もっと昔から大和朝廷と九州人とは血族関係があります。
天武天皇(大海人皇子)の妃は九州人で、その子供が長良王として悲劇的死を迎えてます。
権力闘争に敗れたんだろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
高市皇子(たけちのみこ)は、大海人皇子(おおあまのみこ)とその妃尼子娘
(あまこのいらつめ)との間に生まれた子供であり、その妃尼子娘(あまこの
いらつめ)こそは宗像君徳善(むなかたぎみとくぜん)の娘です。
http://d-munahaku.com/okinoshima/05.htm

848 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 01:35:54
>>831
>宮崎平野だと思うんだけど、これを九州王国の首都と考えたら、ちょっと
>端っこすぎないかと思う。

中国の戦国時代を制した始皇帝の秦は、中国の端っこだったんじゃないかね?
端っこにあることと、軍事力とは全く関係がない。

逆に純朴な精神で、勇猛果敢な精鋭の軍事力を養成することが出来やすい。
明治維新の原動力の薩摩藩は、日本の端っこだったんじゃないかい。
関が原では西軍の中でも、極端に強かったとか・・・・

849 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:43:40
>>845
恵也さんは右左、どっちかというとどっちなんですか?

850 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 02:01:38
>>834
>有名な一句、撃ちてし止まむ
が生まれたのは筑後地域でしょ

これは知らない。興味あるのでソースお願いします



851 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/23(土) 05:08:17
倭人伝、記中のヤマタイ30カ国の諸国
「次有斯馬國次有己百支國次有伊邪國次有都國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國
次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國
次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有鳥奴國次有奴國此女
王境界所盡 」
この和訳の発音には疑問がある。漢人がどう聞こえたかを音写したものと考えた方がいい。
今のところ、自分としては、華奴蘇奴國{かなそな}はかんさきなくに=神埼=吉野ヶ里。
躬臣國は くじ、ではなく、くす で{玖珠}。邪馬國 は、耶馬溪の耶馬で、
巴利國は、杷木。「奴國此女王境界所盡 」は、ここにあげつらったところまでが邪馬台国
連合諸国だとも考えられる。なぜなら、「北の近隣の国々は簡単に名を挙げることが出来るが、
そのほかはとても遠くにある為、それが出来ない」{主意}と、倭人伝にある為で、
そうとすれば、邪馬台国連合は、長崎県、佐賀県、福岡県、大分県の四県に、またがっていることになる。

852 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/23(土) 05:26:31
>>851に追加。
当然漢人の聞き間違もあろうし、漢人自身が発音出来なかったものは、近い音で補ってある事も
考慮すべきだろう。イングランドの事を、日本でイギリスと言っているのは、聞き間違いによるもの。
サンフランシスコを桑港と言うのは当時の人が、ソーホーシスコと聞こえた為であるのは有名な話。
先日挙げた、シャクラデーバナームインドラハは釈提桓因と中国では音写される。だいぶ元の発音とは
違っているようだ。

853 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:14:21
恵田!
宗像が本州と近いということも知らないカス!
カス!カス!

854 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:17:41
ウチテシヤマムは
神功が筑後地域のクマソを征伐した時に吐いた有名な言葉。
ソウスなど不要。
他に万葉集で筑後のクマソが四肢切断されたという記述もある。
クマソだけど北部九州には
クマがつく地名が至る所にある。

855 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:21:13
宗像から東の大分地域は本州と近縁。
そんなことも知らない

恵田。



856 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:23:16
恵田は相当な低知能。
言い切っておいて最後は推測に過ぎないというような事を
抜かす。人格的にもカス。カス。カス。

857 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:31:35
>漢人がどう聞こえたかを音写

これが間違い。卑弥呼の時代はすでに奴国の遣使から百年以上経ている。
奴国も邪馬台国も中国へ外交文書を持っていっている。政府中枢は漢字を
使い出して久しい。邪馬台国という表記にしろ、その他各国の表記も、全て
倭国側の自己表記。もちろん文筆を司ったのは帰化系の人々であろうが。
いずれにせよ、これらの表記は倭国側が中国に示したもので、中国人が何も
倭人から聞き取って記したものではない。

どうも邪馬台国とか卑弥呼とか言うと、原始時代で粗末な衣服をまとった
原始人みたいなイメージを持ってる人が多いが、その実はるかに高度な
政治姿勢・外交戦略を持った(よく言われるように遣使の時期など)
高度な文明国・国家政体なのである。欧米人が土人から聞き取り調査をし
たのとは訳が違う。

858 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 08:24:56
>>854
おおぼけかますなw

>>850
忍坂の大室屋に 人多に 来入り居り 入り居りとも みつみつし 
久米の子が 頭椎 椎もち 撃ちてし止まむ みつみつし 久米の
子等が 頭椎 石椎もち 今撃たぱ良らし (以下略)

記紀の神武記で、はるばる熊野から奈良盆地南端の宇陀に侵入した
ときの久米の子らが唄った唄です。東遷というと既に確立した王権
の移動ですから、久米部だけしか連れてこなかったなんてのはあり
得ない。日本の古代史学者は半分文学者ですからすぐ東遷などとい
う妄想をそれらしく造語するんですよ。いわば戦前皇国史観の亡霊。
五瀬も狭野も、軍を組織するだけの力は持つが王家でも王弟でもな
い一族。

久米郡は、和名抄では九州に三つですが、「神風の伊勢の大石」「く
じら」「鵜養」等から見て、筑前志摩郡と言われます。これらの問題
は、等しく大和の即席唄として論争してきた難問中の難問ですが、別
に九州から来たのなら無問題。伊勢も志摩も筑紫にあるわけですし。
神武の父が「鵜葺草葺不合」ですが、糸島地方は鵜の繁殖地で、鵜飼
いに使う鵜はそこで取るそうです。筑後川が発祥とも言われますよね。

まあこういう際には都合よく「記紀完全造作説」というのが狂信的畿
内派の常套手段ですが。なら神武自体捨てたらいいと思いますがw
しかしながら、神武記に登場する地名は、全て現存しますし、記紀編
集当時は意味のわからない河内湾地形もセットですから、神武を承認
する限りは故地の九州および途中経過地、長脛彦との対立関係なども
無視できないでしょう。


859 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 09:46:51
>>854
>神功が筑後地域のクマソを征伐した時に吐いた有名な言葉。

熊襲とは鹿児島地方で大和朝廷に対抗した人々のこと。
筑後の北九州とは全く違う。

鹿児島地方で逆に大和朝廷に味方した人のことを、薩摩隼人という。
下のHPは単細胞でエコヒイキが好きな方のようだけど・・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
ここに、居を構える熊襲族(隼人族)の大将、川上梟師(カワカミノタケル・川上武)
の寝台が完成し、その祝いに熊本、鹿児鳥、宮崎の南九州に、またがる五十五の部族
の主将達が参集して酒盛が催された。
http://www.isihara-kk.co.jp/kanichiro/page9.htm

860 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 09:48:54
>>855
>宗像から東の大分地域は本州と近縁。

大分と宮崎はもっと近縁だろう。
そんな事も知らないのかアンタは!

861 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:07:45
宮崎たってね、児湯とかは南九州。後世まで薩摩とのつながりのほうが強い。
大分はすぐ東が四国で、そこを経由して多くの氏族が、摂河泉などへ上陸して
いるのは周知の事実。

862 :太国:2006/12/23(土) 10:09:40
恵也さん
銅とかは、そんなに弱い物なんでしょうか?

863 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:10:15
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。



864 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:10:49
昔は陸路より海路のほうが遙かに重要。
出雲と越、阿波と安房の例を挙げるまでもない。
九州を歩いたことのある人間なら誰でも分かる。
陸路でのつながりなど薄い。

865 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 10:20:18
>>853
>宗像が本州と近いということも知らないカス!

宗像は魏から来た使節団が通過した「邪馬台国同盟国」の末盧国にもっと近いだろう。
宮崎と奈良じゃ宮崎の方がはるかに近い。
当時の宮崎と、奈良の勢力関係をアンタはまったく無視してるよ。

中国との貿易量では宮崎の方が畿内よりは、はるかに多かったよ。
畿内で後漢皇帝が王侯に与えるという、玉で出来た「穀璧」なんて見つかったかい?
宮崎県の串間市今町で見つかってるんだぜ。

北九州ではガラスの穀璧が見つかってるようだけど・・・・・
奈良が発達したのは、そのずっと後世の話。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
日本でも福岡県前原町三雲遺跡・須久遺跡など弥生時代の遺跡から
発見されている
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page027.html

866 :太国:2006/12/23(土) 10:25:06
>>853 → >>739

867 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 10:37:52
>>862
>銅とかは、そんなに弱い物なんでしょうか?

大きな銅鐸のぶら下げる穴のことを言ってるのかい?
強度的には、紐があたる部分の面積を大きくしたら壊れはしないけど発見された銅鐸は
あまりにもその面積が小さすぎる。

小さな銅鐸を、そのまま大きくした物で面積は2乗に比例するが、重さは3乗に比例する。
小さいと強度的に大丈夫だが、大きくなると無理。

恐竜の足が馬鹿太いのも同じ理由。
荒神谷遺跡から発見された、小さな銅鐸はぶら下げられても、大きなのは穴がもたなく無理。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
昭和59年には一度に、358本もの銅剣が見つかり、大ニュースになりました。

しかも、その二年後の1996年10月には、この遺跡からたった3.3kmしか離れていない加茂町で、
史上最多の31個の銅鐸が見つかったのです。銅鐸は、一度に何個も見つかることはなく、それ
までにたった6個しか発見されていなかったということです。
http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kojindani-iseki.htm

868 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 10:44:06
>>864
>陸路でのつながりなど薄い。

もちろん海路もあるよ。
でも船を作り航行できる、技術とお金があるかということだ。
当時の船は今でいう新車の値段よりは、はるかに高くて手が出なかったんじゃないかね。

大木を切ってカヌーを作るにしても、普通の人間には大仕事でしょう。
豪族の方なら持ってたかも知れんけど、使わせてもらえたかどうか・・・・

それより石器時代の昔から通いなれた道を、高価な品物もって物々交換が自然な感じだけどな。

869 :太国:2006/12/23(土) 11:39:40
恵也さん
博識ですね。仏寺の釣鐘はもっと重いはずで、落ちたり変形したり
することは、ぶら下げる綱が弱かったとか故意に傷つけたとかがない
限り、各寺の釣鐘は頑丈で永続的に壊れがないようですが、如何ですか?
作り方によっては銅鐸も落ちない、曲がらんと思うのですが、当時は
そんなに技術が劣っていたんですかね?

870 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:48:37
>>868
魏志には当時、倭人は海での産物での生計を立てていた事がわかる。
海女の描写もあるし。森林資源が豊かだったことは当時の住居建築
からも想定される。丸木舟はいくらでも作れたろうし、なければ生
計はなりたたなかった。海岸の木材は保存されにくいので発掘で発
見されにくいだけ。
朝鮮の記録でも倭寇は遠く平壌付近まで進出している。当時の人々
の行動範囲を勝手に狭くしているのは、現代人の想像力の欠如のせ
い。

871 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:46:15
>>848
うーん、宮崎説は保留だが理由付けとしてはそれはあまり説得力ないと思うよ。
江戸時代の薩摩とかギリシアのスパルタみたいに尚武を尊ぶ風潮が
辺境(失礼)になりやすいのは分かるんだけど、道路交通が発達してない当時、
九州支配には不適は不適だと思うんだよね。宮崎は。
おっと、言っとくけど∴邪馬台国は宮崎にあらず
って結論してるんじゃないぜ。

872 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:31:12
>>860
おまえは本当にカスだな。
宮崎と大分はイントネーションが全然違うよ。


873 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:35:12
何故みんな過去を現在の感覚でこうだ、ああだ断言できるんだろう。
日本書紀で神代と天皇家を何百万年間に時間を広げたことを、「天照と天皇は関係ないと言ってる」とかそりゃ現在の感覚ならそうなるけど、過去の人はそれでもっと天皇家を権威あるものと見る可能性だってあるんじゃないかと。



874 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:41:43
現代だけではなく過去も遺跡が違う!


875 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:52:34
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。

これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。

これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。

                       太国語録

876 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:56:23
でもコテの中では他国が一番説得力あるよ。
九州が一番アホで、恵田が一番の基地。

877 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 20:58:34
>>869
>作り方によっては銅鐸も落ちない、曲がらんと思うのですが、

俺が言ってる事が判ってないようだ。
銅鐸と釣鐘は使用目的が違う。

銅鐸には音を聞く銅鐸と、見るための銅鐸と2種類ある。
大型化した銅鐸のヒモでぶら下げる場所(紐)は、装飾化して実用になりません。
技術の問題じゃなく、美を追求する芸術の問題!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
銅鐸の鈕は初め厚身で実用性を備えていたが、祭器の要素が強くなり大型化すると、鈕は
扁平化し実用性を失い、単なる装飾と化した
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko10doutaku.html

878 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:00:13
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

879 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:02:37
>>873
同意。だがひとつだけ。
「古人も一度は現代人だったのだ」(芥川龍之介)

880 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:02:44
邪馬台国が銅鐸を使っていたなら、魏使は書き記したはず。
また下賜品は銅鏡ではなく、銅鈴か鐸だったはず。

881 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:05:26
>>880
まあ、ひとつの仮説としてはなあ。でも魏使は邪馬台国に行ってない可能性も
あるわけで。

882 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/23(土) 21:40:54
>>880
>でも魏使は邪馬台国に行ってない可能性も

それは無い!
邪馬台国に行ってなければ、邪馬台国が上海(会稽)の東だという記述は出来ない。

実際に邪馬台国に行って、星座の観測から初めて断言できる言葉だ。
行かないで書ける言葉じゃない。
そんな可能性を言ってるのは、魏志倭人伝をマトモに読んだことの無いド素人!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治の東にあたる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

883 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:44:44
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。

これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。

これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。

                       太国語録


884 :太国:2006/12/23(土) 22:05:14
>>877
フムフム! あ〜そうですか。はい。

885 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/23(土) 22:22:59
>>857 倭は、
「木綿の布を頭からからかぶり、束ねて結んだだけで、ほとんど縫うことはない。
   婦人も髪は垂れたところを曲げて、束ねている。一重の布を真ん中に穴をあけて首から通してこれを服とする」
と言う風体であり、時代が下って、遣隋使の時代にさえも、その遅れた文化の故に、
およそ文明国とは認められず、帰国している。倭人伝の記述の中にも、発展
穣熟した様子は見られない。倭の使者は裸足で、一番みすぼらしい姿で描かれている各国の使者の絵を見たことがある。


886 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/23(土) 22:50:43
>>857
倭人は、ワカタケル、と言う雄略天皇であろうと思われる文字を残しているが、
それを、ひらがなに直すとはっきり読めるが、漢人の表記は、異論があって、読み方が他説に分かれる。
倭人は漢字を表記文字として、当て字して、それを元にひらがなを完成させた。のですぐ解るが、
漢人が、音写したものは、何と読むのかよく解らない。故に、
「これらの表記は倭国側が中国に示したもので、中国人が何も 倭人から聞き取って記したものではない。」
と言うのは誤り。

887 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/23(土) 22:55:02
>>886
「倭人は漢字を表記文字」 は
「倭人は漢字を表音文字」に訂正。

888 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:06:27
結局、倭の5王の表記は

1.日本側から字を選んで中国に提示した
2.中国側が日本人の発音を翻訳した
3.大和政権下につかえる渡来人が翻訳した       正解は?

889 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:18:08
ヤマトタケルとか武烈とかもそうだが
「タケル」てのは固有名詞性が希薄なんですよねえ。

雄略だってワカタケル=雄略ではなくて
「オホハツセノ」を冠してはじめて、それを雄略と同定できる。


宋書上表文で
ほんとに「雄略」を表現したかったのなら
「ワカタケル」の部分から「武」を選ぶのではなく
「オホハツセ」の部分から文字を選ぶのがふつうではないのか

890 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/23(土) 23:28:00
>>886

>倭人は漢字を表記文字として、当て字して、それを元にひらがなを完成させた。

それ、本当なの?
(安 → あ)の様に?

891 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:37:57
>>890
例外があるのか知らないが原則的にはそうじゃないの?

892 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:41:04
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ




893 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:49:45
こういうコピペする馬鹿のほうが明らかな馬鹿だ

894 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:55:48
古事記の「仮名」使用法は
たとえば犬飼氏によればそうとう厳密で思慮深いというなあ

895 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:05:20
>>889
確かに前も言っていたが、卑弥呼というのも固有名詞じゃないんじゃないかと
思うときがあるな。倭人伝読んでたら。

896 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:08:43
>>882
資料の一部から帰納して、邪馬台国の位置を特定する。
その特定された位置から、資料の他の部分を演繹する。
この演繹が強引で独善的なんだよな。めぐみやは。
それであとは、アホとかど素人とか言葉の暴力振るうのみ。

897 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:37:12
>>872
筑紫と宇佐は全く文化圏が違う、言葉も違う。大分と宮崎南部も全然、違う。
しかし、大分南部と宮崎北部はほとんど同じ。この辺りかなり怪しいと思う。

話がかわるが、学問一筋の奴らっていうのは世間知らずというかまともに社会で働いたことが
ないせいか、情報処理能力、専門外の分野などと掛け合わせて判断する能力に非常に
欠ける人間が多い。ここを読んでつくづく思うね。倭人伝でも情報処理はマジで大切。

898 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 03:29:05
南九州独特の墓制に「地下式横穴墓」というのがある。
宮崎市、西都市あたりから西に伸びたラインで鹿児島まで分布している。
もう一つ、鹿児島県の志布志湾沿岸地帯にも分布している。

西都市や宮崎市には、前方後円墳などが多数存在する一方で、地下式横穴墓も
共存している。

どうも、違う文化を持った二種類の人々が共存していたようだ。

ちなみに、地下式横穴墓は保存状態がよいらしく、多数の人骨が出土して
いる。男性大人の平均身長は157cm、女性大人の身長は、149cm。
顔立ちは縄文系らしい。

899 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 03:33:26
そりゃ縄文系だろ・・・自分も親戚一同、縄文顔だ、というより熊襲系か・・。


900 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 04:18:43
>>890
最初、漢字の崩し字が平仮名になっていく過程では少なくともそうでしょう。
インドも確か あいうえおの50音でしたよね。
倭人が元々使用していた言語は、ポリネシアなどの影響も受けていると思う。
倭人が元々使っていた言語があり、それに似た音を表す漢字を一字一字くっつけていっただけ。

901 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 05:33:22
画期的な年輪年代法

この大型建物は、有名な吉野ケ里遺跡の建物よりも200年ほど
古い時代のもので、中国の影響を思わせるように、
建物の向きは東西南北にきっちりと合わせて建てられています。

しかも、出土した柱根のなかには最外年輪まで残っているものがありました。
さっそく光谷さんが柱根の年代を測定したところ、
やはり思わぬ結果が出ました。
紀元後1世紀後半と予想されていた建物の年代が、
年輪年代法では紀元前52年と出ました。
定説よりもやはり100年も古いのです。
前年の二の畦・横枕遺跡のケースとまったく同じです。

考古学関係者はここで、年代論にまで踏み込んだ徹底的な検証を開始しました。
じつは、年輪年代法の結果は、かねて少数の若手研究者が
主張していた年代観にかなり近いものでした。
「近畿の年代はもっと古いはずだ」という主張です。
権威ある「定説」の前では「異分子」の扱いでしたが、
もはや、彼らの主張を無視することも、
年輪年代法の結果を無視することもできませんでした。
定説を根本から再検討する必要があったのです。
そして、出された結論は、まさに衝撃的でした。

これまでの定説を覆し、近畿の年代観を従来よりも100年も古くとり、
先進の北部九州と並行する時間軸で捉えたのです。
弥生時代の近畿と九州が、同じ年表に並んだ瞬間でした。

http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/yamatai03.html

902 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 06:31:43
>>885
>倭の使者は裸足で、一番みすぼらしい姿で描かれている各国の使者の絵を見たことがある。

俺もそんな感じがする。
中国風文化からは、島国である日本では文化の伝播は最も遅いもの。
逆に利点は、強大な国家が中国に出来ても、侵略を受けるのも遅いから対応策が取れる。

良いところばかりを欲しがる奴が多いが、世の中は長所と短所は裏表というべきかも・・・

903 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 06:49:00
>>896
>資料の一部から帰納して、邪馬台国の位置を特定する。

俺の思考法は逆だよ。
素直に末盧国→伊都国→・・・→邪馬台国を方向、距離、日数を計算したら宮崎県になり
最後の上海の東が邪馬台国というのは偶然の一致。

むしろ上海の東というなら鹿児島市になるけど、そこでは南に狗奴国という存在が無い。
宮崎県を邪馬台国とすると、南の方に鹿児島県というライバルを想定する事が出来る。
緯度的には宮崎市と鹿児島市は20kmくらいの差だが、上海から1000kmくらい離れて
るのだから「まさに東だ」といっても誤差の範囲だろう。

あなたの方が人の話を理解せず、言葉の暴力を使ってるよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治の東にあたる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

904 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 07:29:19
>>898
>西都市や宮崎市には、前方後円墳などが多数存在する一方で、地下式横穴墓も共存している。

面白いですね。
古代の昔から宮崎では「信教の自由」が認められていた地方だったのかな。

逆に出雲や大和では、銅鐸宗教から鏡宗教に激変してるから「信教の自由」はなかったようだけど。
銅鐸は山陰から最初になくなってるみたいだ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
考古学の先生方はなぜか製作は畿内で行われたと主張されています。非常に奇妙です。
こういう所から見ても、冒頭(『はじめに』)で書いたように、『銅鐸は近畿を中心にして分布する』
という言葉によって、“近畿の中心は畿内だから、近畿を中心にするなら当然畿内が中心である”
というように無意識下で呪縛されているように思えてなりません。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku08.html#ryokan

905 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 07:51:54
>>901
>年輪年代法の結果を無視することもできませんでした。
>定説を根本から再検討する必要があったのです。

興味深く読ませてもらったが、根源的思考が足らんHPだ。
三谷氏のモノサシは「材木の使いまわし」が存在しないという前提がなければ成立しない。

言い換えれば、材木の伐採年代は確定できるが、建物の建造年は伐採年代のあとというだけの話。

とくに巨木は手に入れて、伐採してあとに何年も寝かせる事で「割れ」などを完全に出るだけ
十分に出させるもの。
新木では急激に乾燥すると大きな「割れ」が生じてせっかくの建物の美的センスが台無しになる。

逆に言えばよそで使っていて、完全に乾燥した使いまわしの中古の巨木のほうが値打ちがある。
その根源的思考がまったくこの作者には存在しない。

906 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 08:04:19
>>901
>中国の影響を思わせるように、建物の向きは東西南北にきっちりと合わせて建てられています。

ここにも根源的思考力のなさが露呈してる。

中国の影響と、建物の向きとは全く関係の無いこと。
方向を北にあわせる技術なんて、中国の影響のずっと前から日本にも存在したはず。

日本人の先祖は、ポリネシアやインドネシア方面から船で来た連中も多数いたはず。
船の航海技術では星座の観測技術がなければ、迷子になって餓死してしまうよ。
だから北極星の位置くらい、中国からの影響のずっと前から日本人は知ってるのが常識。

日当たりのいい南面を利用して、人がくつろげる場所に建物を作るのは常識だろう。

907 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 08:04:56
>>902
その通りです。いい事を言いますね。
ついでに言うと、自分は邪馬台国北部九州説だけど、宮崎説も当然考えられる事であって、
けして偏頗な主張ではない事。それにこのスレでは北部九州の鏡文化が軽視される傾向があるように思うが、
邪馬台国を考える上で非常に大切な要素だと思う。

908 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:14:45
ローマとかカルタゴの例を考えればよいな。

カルタゴのほうが、当時の先進地域であるアフリカの国で
先進国だったけど
軍事力・政治力では、ローマのほうが上だった。

九州と畿内の関係もそうだろう?

九州はカルタゴ、畿内はローマ。

909 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:40:56
狗奴国は、其の南 だから その が何をさすか。私は、奴国(博多)だと
思う。そうすれば、狗奴国は、熊本県になる。
邪馬台国宮崎説でも、無理なく説明できる。もっとも、国名のみの21か国
は、邪馬台国でUターンして、奴国まで戻ったとする説とるけど。

910 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:50:41
いや、当時の九州は南部と北部で民族的にも異なるものがあったのではないか。
葬法の違いもそのひとつかも知れないが、熊襲・隼人は明らかに記紀の中で異端
として表されている。
同じ海洋民でも朝鮮半島〜日本海沿岸・瀬戸内海を勢力圏にもつ邪馬壹国と、沖
縄諸島〜南九州〜太平洋沿岸を勢力圏にもつ狗奴国に分かれていたのではないか。
魏志倭人伝は魏が記した現存する写本があるため我々は議論できるが、当時、魏・
呉・蜀の三国に分かれていた中原勢力に邪馬壹国が朝貢したのは偶然のものでは
なく、海洋王国でもあった呉の影響があったのではなかろうか。
地理的に台湾・沖縄諸島・南九州は黒潮の道が開けていた。邪馬壹国が魏の役職
名を欲しがったり、争乱の際、魏の御旗を請うたりした背景には、呉の役職・御
旗を持ち多数派工作をしていた狗奴との確執があったのではなかろうか。
呉の記録文献はないといわれているが、中国大陸からの発見も期待したい。

その前提にたてば、神武のいた日向は、両陣営の合間見える最前線であったのか
もしれない。戦国時代でも豊前・豊後をめぐり島津・大友は代理戦争を繰り返し
た。ここは瀬戸内海西側出口の制海権を押さえる上での要衝であり、海洋貿易に
とって重要な拠点であった。文禄5年7月大地震で沈んだ別府湾の瓜生島は、古
くから開港され西瀬戸内海での交通の要衝として栄えていた。中国からの公使や
ポルトガル船も訪れていた。ザビエルの記録にもその盛況ぶりが記されていた。

神武は両陣営の狭間でもまれる北九州の一族の一人だったのではないだろうか。
そしてその環境の中で、北九州の朝廷からある不審をかけられ、追捕を受ける事
になったのではないだろうか。彼の「東征」はどうみても国を挙げての大軍団で
もなければ、その道程も"身を寄せて"回っている感である。最後にはわずかの部
下をつれて大和盆地に出雲系豪族の食客にありつくような程度なのである。
とても大和を平定という「東征」ではない。これでは「逃亡」である。


911 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:11:54
62)2002.8.26 弥生時代へ

琵琶湖の湖南地域に邪馬台国の主勢力があったとする推理があります。
滋賀県の守山市・栗東市一帯で近江富士を望む地域です。
野洲町・大岩山からは1〜2世紀に東海勢が作った「三遠式」と
近畿勢の「近畿式」銅鐸が混在するように24個出土している。

この推理を組み立てているのは次の点です。

紀元前三世紀...丹後・扇谷遺跡の鉄屑ー中国との交易が推定される

紀元前一世紀...丹後・奈具岡遺跡の玉類加工していた大規模集落
            針などの鉄製工具も大量に出土している

紀元前後...若狭湾ー琵琶湖北西岸地域…塩の道として機能し鉄製品の交易ルートか

          滋賀・熊野本遺跡の高地性集落で大量の鉄が出土
          土器の交易と重なる鉄の交易ルートー琵琶湖の湖南経由か
       
紀元一世紀前半...丹後・三坂神社墳墓群の中国製太刀ー朝鮮半島では鉄の技術低い頃

          当時、鉄の交易先は東海・北陸方面と考えられている

紀元1〜2世紀末...湖南の伊勢遺跡群などの都市ともいえる大集落群

http://www.geocities.jp/arashiyamabungaku/tango6-6.html

912 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:23:29
>>910
考古学は年輪年代法なんかの導入で凄く発展しているけど
文献史学のほうは、戦後に記紀が否定されたので全く発展していない。

普通に記紀を読んだら、神武天皇の東征をみたら、
九州分家の神武天皇が、畿内本家に養子に行った話では?

むろん、記紀の書いてあることを鵜呑みにするべきではないが、
だからといって、全て否定していたら、何を研究材料にしたら良いのだろうか?
まさか、現代人の想像?

物部氏伝承とか海部氏伝承とか記紀とか、書物によって解釈が違うけど
全て一貫しているのは、元々は畿内に中央王家が存在していて
天皇家も物部氏も海部氏も畿内王家の分家として各地に派遣されていたんだけど
その中で九州で分家していた天皇家が畿内本家に入婿したということ。


913 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 09:32:37
>>908当時の先進地域であるアフリカの国?

ケチを付けるわけじゃ無いが、後の文章はいいとしてもこれはどうかな?
エチオピアなどは古くからキリスト教国として、発展したが、
この時代の一番の先進地域は、ペルシャなど中近東だった。{エジプトは別にして}
そもそもカルタゴはシリアあたりの中近東の民族と同一の海洋民族フェニキア人が
建てた都市国家。そこで誰か、詳しい人に質問。フェニキアの神アスターテ
について、アスターとは、海洋民族、フェニキア人が航海の頼みとしていた
星の事で星型、ひとで形の、と言う意味があり、昔見た洋画で、頭がひとでのような
形をした邪神像を見た記憶があるが、この考えは正しいのかどうか、誰か教えて欲しい。
邪馬台国とは関係無いが。

914 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:51:34
恵也は青臭い割に論理性は悪くないが、宮崎はねえだろw

>>912
そんな古くに「中央政権」なんて発想も用語も馬鹿丸出しなわけだが
じゃあ「くさかのたてつ」で長脛彦と戦ったことはヌルーなのか?3人の
兄が死んだことも?

そもそも分家が本家に突入なんてわかりにくい話なら、なんで輝かしい
初代なんだよ。神話の流れからすれば大国主あたりが大和王権の初代で
もいいわけじゃん。せめてふつーに読んでから来てよ、あんた。

915 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 10:12:24
>>908
>軍事力・政治力では、ローマのほうが上だった。

確かにそうだとは思うが、例えが悪い。
経済力で北九州がカルタゴ、軍事力・政治力で宮崎がローマ、畿内はフランス・スペインというとこだろ。

畿内はまだまだ後の世界で活躍する世界だよ。
神武天皇が占領してから、100年以上は経たないと日本で主導権は取れん。

916 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:15:21
>>914
そりゃ、分家が本家へ入婿に入る場合
たいがい、内部で喧嘩があるだろう?
直系相続ではないわけだから。

んじゃね、天皇家はさ、なんで、その後、
大国主とか、出雲とか完全に否定しなかったか?
そりゃ、同族だからさ。系図にもそう描いているし...
ただ、物部氏という同族の大族がいたから
彼らと差別化を図らなければいけなかったんでしょう?

917 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 10:30:05
>>910
>呉の役職・御旗を持ち多数派工作をしていた狗奴との確執があったのではなかろうか。

これは確実にあったでしょう。
国の存亡に関する事だから、邪馬台国の行動を座視して世界情勢を無視してる
ような国では狗奴国は長生きできん。

軍事バランスを考えれば呉と狗奴国は、国交があったと思う。
でも卑弥呼の死後15年ほどで、呉は晋(魏の禅譲国)に武力で滅ぼされてる。

1700年以上昔の武力で滅ぼされた国の公文書は、チョッと残ってはいないでしょう。
魏志倭人伝でさえ、原文はなく書き写した品物。
あなたの考えは無理な希望だと思うよ。

918 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 10:38:35
>>910
>大和盆地に出雲系豪族の食客にありつくような程度なのである。

食客なんて言い過ぎでしょう。
そんな分際じゃ、ご主人である相手を殺すような事は出来ないよ。
ご主人の弟の密告で、ご主人を部下に殺させるかい?

ーーーーー(引用開始)−−−−−
「私の兄は、天つ神の御子の使いを射返し、軍を集めようとしましたが失敗しました。
そこで殿の中で罠を作って、あなた様を殺そうとしております。そのために私は参っ
て事を打ち上げる次第でございます。」と言った。
http://shrine.s25.xrea.com/jinmu.html

919 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:42:59
>>915
おまえ、神武はいつぐらいの人間だと思っているんだ?


920 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:44:53
>>915
きみは、まさか
安本氏のあの数学理論とかいう
トンでも説を信じているのか?
ありゃ、統計学の知識がない連中を騙さす
トンでも説だぞ。

921 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:49:27
62)2002.8.26 弥生時代へ

琵琶湖の湖南地域に邪馬台国の主勢力があったとする推理があります。
滋賀県の守山市・栗東市一帯で近江富士を望む地域です。
野洲町・大岩山からは1〜2世紀に東海勢が作った「三遠式」と
近畿勢の「近畿式」銅鐸が混在するように24個出土している。

この推理を組み立てているのは次の点です。

紀元前三世紀...丹後・扇谷遺跡の鉄屑ー中国との交易が推定される

紀元前一世紀...丹後・奈具岡遺跡の玉類加工していた大規模集落
            針などの鉄製工具も大量に出土している

紀元前後...若狭湾ー琵琶湖北西岸地域…塩の道として機能し鉄製品の交易ルートか

          滋賀・熊野本遺跡の高地性集落で大量の鉄が出土
          土器の交易と重なる鉄の交易ルートー琵琶湖の湖南経由か
       
紀元一世紀前半...丹後・三坂神社墳墓群の中国製太刀ー朝鮮半島では鉄の技術低い頃

          当時、鉄の交易先は東海・北陸方面と考えられている

紀元1〜2世紀末...湖南の伊勢遺跡群などの都市ともいえる大集落群

http://www.geocities.jp/arashiyamabungaku/tango6-6.html

922 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:11:04
>>903
違うがな。あんたの言ってるのはまるっきし帰納法。
それであとで水行20日もかかったのは宴会があったからって言ってるのは
演繹された、あとづけ説明だろってこと。
それと暴力というか、あなたみたいに長文をみっつもよっつも連発するのだって
ほとんど力づくって印象与えるぞ。文字の数を兵隊に見立てた帝国的侵略主義って
感じだな。

923 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:16:28
>>910
九州の北と南は別民族つか、人種が別って感じはするね。
民族と人種は混同しちゃいけないんだけどね。
甲子園なんか見ててもいつも九州の北と南の顔が違うので笑うぐらい。
鹿児島は色黒で縄文系、福岡なんか色白で弥生系。
まあ、越境入学もあるだろうけど、あそこまでそろうとね。

924 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:28:06
自分は、邪馬台国は九州のどこか?(大分県ぐらい?)
だと思うけど

考古学会では、邪馬台国かどこか?というよりも
同時期に畿内に大きな政権があって、それによって
全国統一が成し遂げられたのは確からしい...
この考えは、ほぼ90%以上の学者が賛成している。

まあ、自分も、そうかな?と思う。
邪馬台国かどこかは別として...


925 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 11:37:07
本家、分家から派遣したりされたりというのを、言う人がいるけど、
それこそある程度広い範囲で統一されてこそ出来得るものだと思う。
邪馬台国前後は国土の混乱期にあり、国同士で争っていたわけだし、
遠くまで派遣されても、地元民の激しい反発を買い、物凄い攻撃に晒されるだけ。
異文化を持った異質なものへの敵愾心は今よりも想像がつかないほどであったろう。
国家として統一され平和になった後、神話の創作人が、派遣などの話を、
何らかの史実に基づき、出来事の新旧を取り混ぜて作ったものと思われる。



926 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:07:10
>>924
考古学は実証主義だから「邪馬台国はどこか」って命題は中心には据えないよね。

邪馬台国論争が感情的になりやすいのは
魏志倭人伝の言う邪馬台国=日本統一政権
って皆無意識に考えているところだと思う。

927 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:29:13
考古学者にも二通りのタイプがあって
遺跡や遺物を扱うのは、もちろん考古学者だから両者に共通してるが
邪馬台国のことを言う人と、全く倭人伝や記紀に触れない人とに分かれる。
マスコミは、前者タイプの考古学者にしかインタビューしないね。
それで一般の読者は、「考古学者はみんな畿内説なんだな」って、思ってしまっている。

928 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:32:23
>>925
>異文化を持った異質なものへの敵愾心は今よりも想像がつかないほどであったろう。

これはそうとは言えないと思う。むしろ、古代のほうが、開放的、流動的な部分もあったと思う。

929 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:43:55
>>928
妄想なんだから突っ込んでやんなよ。

930 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:47:41
久しぶりに覗きました・・・全く変っていませんねw

>>925
>今よりも想像がつかないほどであったろう。










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931 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:52:58
>>925
>異文化を持った異質なものへの敵愾心は今よりも想像がつかないほどであったろう。

とアナタは想像してるわけだ。(笑)
身内の分裂、とか、激しい内部抗争、なんてのも、歴史的には山ほどあった。
それで「異文化」とくっついちゃうことも、あったんじゃない?

932 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:06:39
>>931
つか
異文化(畿内説)を持った異質なもの(畿内人)への敵愾心が今あることを正当化してるように見えるが。

933 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:13:13
というか、想像ついてるわけで

934 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 13:17:32
>>928「これはそうとは言えないと思う。むしろ、古代のほうが、開放的、流動的な部分もあったと思う。」

倭人伝に曰く 「その国はもともと男子を王としていた。七・八十年前、倭国は乱れ、何年もの間攻撃しあっていた。
        そこで、国々は協議して一人の女子を王にした。」
       「あらためて男王を立てたが、国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。」
       「倭人たちはまた、卑弥呼の一族の娘で十三歳の台与(とよ)を王に立てた。国中はようやく、定まった。」
などとあり、邪馬台国前後は、戦乱が続いている。当然、他所から派遣されてきた者の話など出てこない。
それどころか、「女王国の北にある国々、邪馬台国連合{北部九州}以外は、とても遠くにあるため、詳しく述べる事が出来ない。」
と記している。さらに、倭人伝に出雲、吉備、などの古代に勢力のあった国の名が出てこない。
などから、派遣したり、されたりなど人的な交流などが、殆ど無かった事を表している。
遺跡の遺物から九州と、出雲、畿内との交流が指摘されているが、
それは、少なくとも邪馬台国時代の事ではなく、それより時代が遡るか、下ったかのいずれかの時代の交流によってである。









935 :931:2006/12/24(日) 13:21:15
ひとつ著名な例を挙げるとすれば
アレキサンダー大王の将軍だったプトレマイオス1世。
最初は大王の部下として、エジプトを倒す側だったのに
内部抗争で心変わりしたのか、後年はエジプト・バンザ〜イの立場。
古代エジプトの風習に同化して、あらま、自らファラオ(神聖王)になっちゃった。(笑)
これが古代エジプト最後の王朝、プトレマイオス朝の始まり。

936 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:28:27
>>934
>遺跡の遺物から九州と、出雲、畿内との交流が指摘されているが、
>それは、少なくとも邪馬台国時代の事ではなく、それより時代が遡るか、
>下ったかのいずれかの時代の交流によってである。

えっ、と思うが、大事な点だ。
もっと具体的な例証をキボン。

937 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 13:49:30
>>928
派遣などと言うのは、八百万の神の系譜が、創作で作られる時に、つじつまを合わせるために、
大和朝廷の各地への派遣をモデルとして、派遣などと言う言葉を使い出したもの。
邪馬台国時代前後、各国が、環濠を掘り、物見櫓で監視し、敵に常に警戒している中で、どこへ派遣するのやら。
派遣と言うのは、自分達と同じ勢力下であってこそ出来るものだ。
それはまるでトラやライオンのいる草原の中を、始めてのお使い に行くようなもの。
山内一豊が、高知に入った時、激しい地元の反発があったように、地元の勢力図を塗りかえる他者の侵入には、
命懸けで、抵抗するに違いない。


938 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 14:13:17
>>930
こちらの「異文化を持った異質なものへの敵愾心は今よりも想像がつかないほどであったろう」
と言う言葉にこだわっているのがいるようだが、これは当然の事だ。
倭国大乱ではクニとクニが戦争をしていたわけで、当時のクニは
今の郡ぐらいの大きさであり、それによって、肉親を殺された者も
多かっただろう。今の、レバノン、イラクのように、敵に対する
恐れや、敵愾心を持っていたのは想像に難くない。
「今よりも想像がつかないほどであったろう」と言ってるように、
今現在はそんなことは無い。隣の県同士ころしあってるわけでも無い。
そのどこが大笑いなのだ?




939 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:25:47
倭人伝の内容から考察したら
卑弥呼よりもずっと前は、だいたい
多くの国がひとつの連合体にまとまっていたのが
40年くらい前に、5年くらい大乱があって、喧嘩状態になって
また現在、一つの連合体になるように
努力している最中です...みたいな記述だよな。
だから、神話のモデルになった時期というのは
ほんまに、だいたい一つの集合体に中央集権化していたのかもしれん。

940 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:34:08
>>937
>各国が、環濠を掘り、物見櫓で監視し、敵に常に警戒している…

もし各地域の集団が、お互い口もきかないほどいがみ合っていたら、
たとえば、「和議を提案し、使者を送る」、ようなことも、まず不可能だろう。
しかし、歴史の大きな流れを見れば、次第に(?)クニグニはまとまり、
最後は日本は一つの国家となって、現在に至っている。

いがみ合うクニグニが、厳しく激しい対立関係にあっても、
それらの間を自由に通行できる人々の存在、──それを考慮してみては?
そういう人々は、情報収集の点からも、各地の首長たちに重宝され、
場合によっては、「講和の使者」ともなり得た、と思う。
中世史だが網野善彦さんの論考なんか、とても参考になる。

941 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:40:59
つづき

倭王卑弥呼の「共立」は、どのようにして各クニグニの合意が得られたか──そこが大問題、ということです。

942 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 14:42:22
>>920
>ありゃ、統計学の知識がない連中を騙さす トンでも説だぞ。

そう言ってる方たちが、統計学の知識や根源的数学の基礎が出来てないの。
俺はこれでも数学だけは得意だった人間だ、語学は苦手だったが・・・・。
安本氏の理論は、素晴らしい理論だよ。

俺の自己流の計算では、神武天皇は西暦290年頃に死んでおられる。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
神武天皇を、第50代桓武天皇(781年〜806年)を基準にしてハシゴをかけてみる。
第31代用明天皇は西暦585年に即位してる。その間221年を20人の天皇が即位した。

1人当たりの平均即位年数は
221/20=11.05年

傾向として安本氏の天皇の平均在位年数グラフを見ると5世紀から9世紀にかけて
1.36年延びている。100年間に0.34年だ。
用明天皇と桓武天皇の中間地点は696年

神武天皇が300年頃の即位だとすると、中間地点は553年
中間地点の差が143年ある。
143/100*0.34=0.486
11.05−0.49=10.56
これを平均在位年数として計算すると

初代の神武天皇の死亡年は
806−(50−1)*10.56=289

天照大神の死亡年は
806−(50+3)*10.56=246
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/nendai.htm

943 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 14:48:18
>>922
>あなたみたいに長文をみっつもよっつも連発するのだって

アンタね、国語は苦手だったんじゃないの?

自分の意思を伝えるには、順々に書くのは日本人の常識でアンタは非常識。
2chの圧倒的多数は短文で断定するだけの方が多いが、断定の理由が一番大切なもの。
断定するだけなら幼稚園児並みの知恵でも出来るのを知らないのかね。

あんたは幼稚園児並みの知恵しかない!

944 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:50:29
でました!恵也ブシ。ふふ。

945 :太国:2006/12/24(日) 14:56:43
相変わらず、妄僧お陀仏! ww

946 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:57:22
>>942
数学が得意だった人間?きみが?
唖然...

947 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:57:26
誰か、このスレの登場人物の相関図書いてくれ。

948 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:00:51
つーか、安本氏の平均在位説というのは、考古学とか文献史学の権威の両方から

「この人、大丈夫か?」と思われているんだろう?

だいたい、彼がこの無謀な説を言うきっかけになった
皆既日食の話も、今では、当時はそんなもんは日本では観測されませんでした
という結論になっている...

949 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:02:54
>>947
まず卑弥呼を中心にして(片思い→)って書きゃいいのかしら?

950 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 15:04:29
>>922
>行20日もかかったのは宴会があったからって言ってるのは

俺が言ってるのは可能性の問題で、宴会のほかにもいろいろあるだろう。
魏の使節団は200人以上の規模と推定されるから、宴会だけでなく船の手配だって
必要量の船舶確保は簡単にはできんだろう。

小さな船だと思うが、漁師の船や運搬船の所有者だって、飯を食う為の仕事をしてる人間。
親善のために来て、彼らの反発を招くような事は出来んから仕事の合間に確保するのが関の山。

たぶん一度に使節団の大移動はできず、ピストン輸送を余儀なくされただろうな。
卑弥呼の頃の有明海には、200人以上の人間を運べる船なんてなかったでしょう。
そのほかにも水行に時間がかかった理由はあると思うが、まああくまでも推定にしか過ぎない。

951 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:10:16
よく、神武天皇と崇神天皇を同一視する説があるけど、
これとて、その後、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に、
孝元天皇の第一皇子大彦命の実在を示す系譜が刻まれていたことから、
孝元天皇自身も実在の人物とみなす見方が出てきている...
しかも、マキムク遺跡はもろ、崇神とかとかち合う話し出し...

そもそも、安本氏の平均在位説で無理にやったら、その間の
皇族の世代間がギュウギュウになってしまうw
だから、安本氏は、その間の皇統譜の直系継承の箇所に
イチャモンをつけているんだろう?w
つまり、自分の説を押し通すために、存在している史料を
「昔の人は改竄したに違いない!」といって、
どんどん、自分自身が現代、改竄しているんだろうw

どうみても、安本氏の説は無理でまくりなんだが
一度、それで押し出してしまうと、ひっこみが付かなくなる。

まあ、安本氏は考古学の権威でないから、マスコミ向けに
適度に商売をすれば良いんだけどね...

952 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:14:11
資料を自分の考えにあわせて書き間違いと主張する人
資料を自分の推測とをあわせる為に妄想理論を持ち出す人
このスレは後者が多いな

953 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:18:08
安本氏は、考古学の権威を批判しまくっているがw

考古学のえらいさんは、誰も「邪馬台国はどこか?」みたいな
しょうもない話に熱中していない。

ただ、マキムクに出来た遺跡について、純粋に研究しているだけだろう?

邪馬台国かどこか?崇神がどうたら?というのは、文献史学の世界に入っているから
純粋な考古学だけなら、そういう話はあんまりしないだろう?

954 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 15:19:52
>>923
>九州の北と南は別民族つか、人種が別って感じはするね。

あなたにそんな多くの人間と付き合った経験があるんだろうか?

俺は広島生まれの福岡県大牟田育ち。
大牟田にも熊本にも長く居たことがあるし、親戚も数件ずつある。
鹿児島にも俺の従兄弟が結婚した相手が生まれ育ってる。

東京や大阪にもいたが、人種が別と感じた事は全くない。
ただ沖縄の方と個々に3人くらいと友人になった時に、ヒゲが濃いのと発音に少しナマリが
標準語を話してても、残っていたくらいが記憶に残ってる。
鹿児島の従兄弟の嫁さんには、そんなことは全く感じれないぜ。
まあ、俺の実体験から言えることだけど・・・・

955 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 15:33:48
>>923
>甲子園なんか見ててもいつも九州の北と南の顔が違うので笑うぐらい。

北九州は炭鉱地帯で、日本中あらゆる所から人間が集まってる。朝鮮人も部落民も多かったという。むしろ近代の混血児の地方というべき。
その点、南九州にはそんなに大きな鉱山がなく、人間的にも移動は少なかったんじゃないかね。

今の麻生太郎外務大臣のご先祖は、石炭堀で大金持ちになられた方だ。
そのお金を元手にセメント会社を作り大財閥になられたが・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
数十年に渡って強制労働用の奴隷として日本に連行された100万人もの朝鮮人に
は、日本の外務大臣、麻生太郎一族の会社が所有する炭鉱で非人間的な状況下で
労働を強いられた12,000人の労働者を含む。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-February/005595.html

956 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 15:39:03
>>924
>同時期に畿内に大きな政権があって、それによって

その大きな政権が、ライバルである九州政権に占領され、植民地になり、その後で
異常な経済成長を遂げたという事。

アメリカが植民地から出発して、経済力・軍事力でイギリスを凌駕したのと同じ事。
卑弥呼以前は、経済力では九州がダントツ。

957 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 15:44:50
>>928
>古代のほうが、開放的、流動的な部分もあったと思う。

2つの形式のある古墳を持つ、宮崎県以外は開放的だったとは思えない。
あれほどたくさんの銅鐸を持つ文明が、伝説もなくなって殲滅され鏡文明の大和政権に
統一されてしまった。

開放的なら銅鐸文明も残ってるはずだが・・・・

958 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:47:41
>>953
発掘をやり、遺物の整理・実測をやり、報告書を書き、
遺跡の保存に頭を痛めている多くの考古学者たちに向かって、
 「キミの考えは、平均在位の研究の結果から否定される」
 「キミたちはもっと平均在位を研究せよ!」
とか、
 「キミたちはもっと2倍暦、3倍暦を研究せよ!」
なんて言われてもね…。(苦笑)

959 ::2006/12/24(日) 15:54:35
まぁピッチャーにキャッチャーをやれってことですかな?w

960 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 15:55:24
>>937
>地元の勢力図を塗りかえる他者の侵入には、
>命懸けで、抵抗するに違いない。

おれもそう思う。
下っ端の奴隷として他者が来るのならともかく、税金を集めて指図する指導者になるのじゃ
旧指導者に対する恩義や親戚関係からも、命がけの抵抗にならざるを得ない。

旧指導者が自ら身を引き、他者の配下になるというのでさえ、山内一豊を見ても凄い抵抗がある。
利権構造が大変革するんだから、儲け時でもあるかな!

961 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 15:58:44
939[だから、神話のモデルになった時期というのは
ほんまに、だいたい一つの集合体に中央集権化していたのかもしれん。]

それでは、歴史が全く逆。元々、小さなムラ、から始まって、それらが
次第に大きくなり、幾つかのムラが集まって、クニが出来ていく。
そのクニも郡ほどの大きさだった。争いが殆ど無かったのは縄文期で、
弥生時代は米などの収穫高もグンと伸び、豊かになる事が逆に争いを招き、
鉄器などの武器も発達して、戦争が激しくなっていく。
学校でもそう習ったはず。その例外は正論としては聞いたことが無い。

962 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:26:48
>>961
戦争が最も激しく、かつ残虐だったのは、第二次世界大戦だろう。
旧日本軍のような軍事組織を、あるいは中近世での職業的武力行使集団である武士階級などを、
古代においても同様だった、と想像してしまう人には、
「そりゃ、ちょっと違うんじゃない?」
と言ってみたくなる。

また、古代の戦乱といっても、中国大陸と日本列島とでは、ずいぶん様相が異なっていたのではないだろうか。

963 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 16:30:23
>>938
>当時のクニは 今の郡ぐらいの大きさであり、

これは何か根拠があるのかい?

俺には利権の集積地、大きな都市がある人口の多い国は利害が絡み合い国の大きさも小さく
なってしまうと思うけど、過疎の地方はずいぶん大きな国だったんじゃないかね。

今のヨーロッパを見てもピンからキリまで大きな強国と小国が混在してる。
1000戸の国と7万戸の国を面積で、同列してもね。

964 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 16:30:29
>>941「倭王卑弥呼の「共立」は、どのようにして各クニグニの合意が得られたか」
それが、「それらの間を自由に通行できる人々の存在」によってなされた、と考えるのは、正しくない。
当然お互いに使者のやり取りはあったかもしれないが、それが、
「もし各地域の集団が、お互い口もきかないほどいがみ合っていたら、
たとえば、和議を提案し、使者を送る、ようなことも、まず不可能だろう」ということで、
「それらの間を自由に通行できる人々の存在」があり、それほどいがみ合ってはいなかった、
とする結論に持ち込もうとしているようだが、何故、争っているのか、もう一度考えて欲しい。
因は穀物、土地、水資源、などであろう。中学生の喧嘩じゃあるまいに、
いがみ合ったからと言って口も利かないなどあり得ない。
むしろ、戦いながら、どちらが引き下がるか、やり取りするネゴシエーターがいただろう。
が、「古代のほうが、開放的、流動的な部分もあったと思う。」 事ではない。
モンゴル帝国も、統一されて始めて、帝国内の自由な往来が可能となっている。
ように、戦争しあってるクニ同士、相手に捕まれば、殺されるか、もしくは
奴隷として生かされ、貴人が死んだとき、殉死などの対象となったりするのは、
洋の東西を問わず、行われていた事だ。

965 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 16:34:31
>>948
>時はそんなもんは日本では観測されませんでした という結論になっている...

よくこんな断定口調をカキコする方がいるが、誰が結論を出したのか
全く判らん書き方だ。
あなたが個人的に結論を出したのかい?

966 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/24(日) 16:40:53
>>951
>そもそも、安本氏の平均在位説で無理にやったら、その間の
>皇族の世代間がギュウギュウになってしまうw

世代がギュウギュウだと何か都合が悪いのか?

確認できる実績がギュウギュウなら、それを認めるのが常識と思うけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
中国、西洋、および、世界の王についての平均在位年数の調査の結果から、
つぎのようなことがいえる。

時代をさかのぼるにつれて、平均在位年数のしだいに短くなる傾向は、天皇
についても、東洋の王についても、西洋の王についても、かなりはっきりとみられる。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/10nen.htm

967 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:45:27
>>962
先の大戦を、戦争というものと定義つけてしまうのは、空想的歴史推理者に
多い悪癖だね。日本だって、長く戦闘は武士のするものであり、国民皆兵は
近代国家が成立したのち。具体的に言えばフランス革命直後のナポレオンから
なんだよな。みんな、色めがねで見すぎ。まあ、自分が、その偏見に
自分が気づいてないことも認めていいがね。そこまで完璧に勉強しきってるわけでないからな。
誰だって。

968 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:48:04
しかし、小学生のムチャクチャな理屈とつきあって人生の浪費をするのは愚か。
呆れて無視したら「勝った」だの「論破した」だの。フセインかっての。

969 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:48:59
>>966
安本氏のやっていることは、

「記紀は自分の推測と違うから信頼できない!
そうだ!記紀は改竄されているのに違いない!」とかいって

更に自分たち(安本氏たち)が自分の推測に合わせるために
改竄しまくっている行為だからねw

安本氏らは、自分たちこそが改竄しているということを分かっていない。

そもそも、安本氏の主張は幼稚で、次から次へと破綻している。
皆既日食なんか、正しい天文学筋から
「3世紀は日本では観測されてませんよ!」って馬鹿にされているしw

970 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:53:16
まあ、心配しなくても

安本氏の平均在位説なんて、考古学会の権威から殆ど無視されている。

よって、安本氏のような愛好家(専門家ではない)は、
自分たちで趣味の会を作り
マスコミ向けに興味を引く発言をして、かねもうけしているわけで。
アホなマスコミなら第一人者として扱ってくれるから。

971 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 16:53:41
>>963
学校でそう習ったものを、そのまま今日まで受け売りしてるもの。
でも、当然大きさは一定では無いのが当然でしょう。
八代市みたいに宮崎の県境まで行ったのがあったかも。
ただし、当時は合併ではなく、戦争による併合で。

972 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:54:06
>>954
いやあ、やっぱ差はあるよ、肉体的特徴の差は。

973 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:01:55
DNA研究では、日本列島には
大陸経由で縄文系のあと、弥生系が2,3種やってきて日本人になったらしい。
南方経由ってのはほとんどないらしい。
んで、縄文顔が多いのは、鹿児島の薩摩、和歌山の熊野、青森の南部なんだそうだ。
全部端に追いやられてる。

974 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:04:10
倭人伝から。
>倭の女王卑弥呼と、狗奴国の男王卑弥弓呼とは前から不和だった。
>倭は、載斬、鳥越などを郡に派遣して、相攻撃するさまを説明させた。
>郡は、塞の曹幢史の張政らを倭へ派遣して詔書と黄幢を難升米に与え、
>檄文をつくってこのことを告喩した。

どうしてこの記録に、倭へ与えたものとして、
「鉄刀1000口」、とか、「鉄鏃1万個」、などといった
戦いにすぐに役立つはずの武器提供の記述がないのだろう?
本当にノボリとか檄文しか、くれなかったのかな?

975 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 17:11:06
>>962>>967
何が言いたいのか今ひとつ解らないが、大和朝廷が国家統一してからは、
為政者は変わるが天皇はあり続けた。
この時代は、倭国とは雖も、統一どころか、やっとムラからクニが出来てきた
段階で、その後の日本の戦争とは様子が違う。今でいう国と国を、小さくして
郡と郡に置き換えてみるとその間の戦争と言う事で解り易いかもしれない。



976 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:23:40
>>975
九州ですがさんは、「大和朝廷が国家統一してからは」と書いてるが、
大和朝廷は、いつからと考えておられるか? ぜひお聞きしたい。
また俺は考古学的には、大和盆地の大型前方後円墳の出現をもって、
大和朝廷(大王権、でもいい)発祥のメルクマールと考えるのだが、
それには同意してくれるのかな?

977 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 17:24:47
>>974
魏は邪馬台国に戦争が起きてもらうと困るからじゃないの?
卑弥呼が後ろ盾として魏を選んだのは、クナ国をおとなしくさせるためであって、
戦って領土を増やし、相手を滅ぼす為ではない。
魏側も、それを解ってて、単に仲裁の形をとっている。それだけ先進国たる魏の威力は
大きかったのだろう。それに、魏は敵対している呉を挟み撃ちにする狙いを持ち、
邪馬台国と結んだと思われる。

978 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:29:03
>>977
>魏は敵対している呉を挟み撃ちにする狙いを持ち、邪馬台国と結んだと思われる。

鑑真でさえ必死決死での東シナ海横断だったのに……
魏にはよっぽど空想力の逞しき人がいたと思われる。

979 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 17:47:37
>>976大和朝廷は、いつからと考えて・・

何をもって発祥、何をもって統一、とするか微妙ですが、
大和盆地の大型前方後円墳の出現をもって、ほぼ統一されたのではないでしょうか。
自分達の力を誇示する為、古墳が大型になったのでしょうから。
そこのところおたくの意見に異論はありませんけど。

980 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:50:46
俺はね、日本の古代の乱とか戦いとかは、
そんなに激しい武力衝突があったようには、
あんまし思えないんだ。

記紀には詳しくないんだが、リーダー同士の言い合い、とか、呪詛とか、
そんな面も大きかったんじゃないか、って気がする。
中世になっても、武将同士が名乗り合いして一騎打ち…それで勝敗は決着、
なんて実際にあったんだろう?
テレビドラマの信長勢や秀吉軍のイメージとは、きっと古代は違うんだと思う。

981 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:55:34
>>980
>言い合い、とか、呪詛・・・

まさに、このスレそのものだwww

982 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 18:00:05
>>978
当然、当時の航海は命懸けだったでしょう。遣唐使の舟でさえ、何度も難破している。
当時の魏の舟はどうか知らないが、多少は堅固な造りだっただろう。
何度も行き来があってるところをみると、対馬から、朝鮮半島が見えるので、天気のいい日を
選んで、めがけてくれば、より安全だったかもしれない。

983 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:05:06
>>980
それって、結構戦史研究家では常識ですよ。
戦国時代だってそんなにたくさん死んでない。
とにかく大量死が始まったのは、世界史的に見てもナポレオンが始めた
近代軍隊、国民皆兵以降。それでも第一次大戦なんか第2次大戦から見たら
おもちゃの戦争っぽいところがある。

984 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:06:52
>>981
罵倒合戦となると、恵也には、誰一人かなわんW

985 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:18:27
>>983
おお、やっと味方が。(嬉)

昔のハリウッド映画には、ものすごい超大作があって、
「ベンハー」とか「クレオパトラ」とか、
古代大戦乱絵巻、っていったらいいのかな、
ああいうもので、われわれの歴史観や、古代のイメージが、
摩り込まれてしまったんじゃないかな、と思うことがある。

986 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/24(日) 18:46:36
>>983「それって、結構戦史研究家では常識ですよ。
戦国時代だってそんなにたくさん死んでない。 とにかく大量死が始まったのは・・・。」

当然でしょう。破壊兵器の威力が違う。ダイナマイトの出現で、殺傷能力がグンと上がった。
戦国時代の死者数が解りますか?関が原の合戦では、何万人もの死者が出ている。
弥生時代は、激しい戦闘があったものの、殺傷能力がある武器があまり無く、
現代の戦争とは比ぶべくも無いことはいうまでも無い。
後の世の、刀 も2−3人斬れば刃が曲がり、刃こぼれなどして使えなくなる。
中国の青龍刀も、斬るのではなく叩いて殺したもの。
弥生時代はなおさらであり、死者の多さが即、戦闘の激しさを物語っているとはいえない。

987 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:57:49
やっぱり、邪馬台国って畿内じゃないのか?
そういうふうに思えてきた...
卑弥呼(ひみこ)=御真津比売命(みまつひめのみこと)
台与(とよ)=豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)初代・斎宮。

狗奴国は熊襲かもしれんが...
ということは、当時の大和王権は、畿内〜北九州まで
一応、緩やかながらも連合体を構築していたんじゃないのか?

988 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:58:37
238 :日本@名無史さん :2006/12/24(日) 18:31:06
サガミハラハラさん、
107年の倭国王・「帥升等」って、全部、人名じゃないでしょうか?
「シシト」と読むように思います。どうでしょうか?

実は、これと近い名前の天皇が一人居ます。
第六代孝安天皇(大日本足彦国押人命・オシヒト)です。

実は、あなたの倍年暦で計算で、欠史八代の天皇を計算したら
孝安天皇の在位期間が、83年〜133年になるんです。
(計算間違ってたら、ごめんなさい)

どうでしょうか?
あなたは欠史八代には、違うやり方を適用しようとしていますが、
むしろ、愚直に崇神天皇以前も倍年暦で計算したらどうですか?

107年の倭国王・「帥升等」は、前の57年の奴国王と違って
倭国王というふうに認定されていることに意味があります。

後漢書に「倭面土國王」とあり、ヤマトの国王と読めるかもしれません。

989 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:15:17
>>985
うん、同意。ハリウッドのスペクタクル映像による現代人への刷り込みは
戦争に限らずすごいものがあったと思う。もちろん今でもね。
日本でも、戦国時代の戦記を表した「甲陽軍鑑」なんか誇張が凄いんだよね。
でも別に驚くに値しないかも、第2次大戦のレイテ海戦でも、日本軍は
メチャメチャ敵艦沈めたことになってるしー。
ついでに言うと多分、今も似てることやってんだと思う。気をつけにゃあよ。

990 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:20:18
デミル監督の「十戒」でのユダヤ、エジプト脱出なんか、
民族大移動ってたら、あの場面イメージする人が多いんだってね。

991 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:34:02
>>989
前近代の戦争って、死者が5%死んだら
その軍隊が離散していたそうだねw
兵士や民間人が大量死していたのは、近代になって兵器が発展してから。

あと、戦国時代のイメージも、テレビや映画のイメージが大きい。
だいたい、当時の戦争なんて、今で言う
警察の武器くらいで、少し小競り合いをする程度。

倭国大乱とかいっても、いわれているほど死者は出していないでしょう?

992 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:39:33
>>989
平家物語や太平記も、決して史書ではない。
その辺りは中世史家はよく心得ていて、古記録(日記)や書簡等こそ、第一級の史料とする。
司馬さんは博識だったが、小説を書いたのであって、史書を書いたわけではない。

テレビや映画の、歴史物プロデューサー、ディレクターなんかが問題だな。
NHKの「そのとき歴史は動いた」は面白いし、ためにもなるが、
あそこで流される「イメージ映像」は、どうなんだろう。
知らず知らず、われわれに「刷り込み」をかけて続けているんじゃないかな。
番組監修に大学史学科の先生を加えてはいるみたいだけど。

993 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:47:16
コンピュータ・グラフィックス(CG)の技術レベルが上がって、
最近なんでもかんでもCGでイメージを見せたがる傾向大、と思われ。

994 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:35:37
 

995 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:36:32
 

996 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:37:22
 

997 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:42:26
 

998 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:44:51
>>994-997
なんか書けよ。もったいないぜ。

999 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:45:31
太国、次スレたてろよ。

1000 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:45:47
1000

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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