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【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】

1 :秦氏末裔:2006/12/17(日) 01:39:59
全国の秦氏末裔、マニアよ、日本建国に貢献したわりに地味な秦氏だが、逆襲といこう。
秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
宇佐吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷成立、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、中国に独立宣言?
17条憲法、12階位制度で天皇ヒエラルキーを祭司政治経済で確立。豪族の隷属民を
解放し、機織、須恵器、竈、文字を普及。テラや神社に束ね、律令国家経済を模索?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東文化は、ユダヤ景教徒説秦氏の証明?

前スレ【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/

2 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:43:53
それがしがAGETでござる

3 :1:2006/12/17(日) 02:11:19
古墳研究から断定されるのは、3世紀前半の大和マキムクの中心は吉備勢力。
その前の1〜2世紀の最大の初期墳墓は吉備タテツキ。古墳文化は吉備が主導。
4世紀以降の半島、日本列島の古墳巨大化を技術的にも資金的にも推進
できたのは、渡来系殖産国際組織をもつ秦氏&応神大王の吉備河内連合
大和朝廷派。
族長太秦の任命権は天皇が所持していたらしい。
天皇の祭祀を司する少子部も「秦氏の子供たち限定」だったらしいので、
神道、仏教整備以前から秦氏が呪術的な天皇祭祀のマニュアルを管理か?

4 :1:2006/12/17(日) 02:21:30
東大京大の不毛な学閥(邪馬台国候補地合戦)対立の中で、無視されてきた吉備に注目。
日本で最初の「ハダ(秦)」は、日本書紀他にみえる。応神天皇が后の兄媛(吉備)を
追って吉備国まできて、ハダ(総社市秦村)の地に逗留し、ミトモ別(妃の兄)の接待
に預かり 吉備の地を与えるという日本書紀の話。
私はその地の一族の末裔だ。

2世紀最大の墳墓は吉備のタテツキ。それが大和のマキムクに引き継がれる(邪馬台国首都論争で有名)
4世紀当時最大の造山古墳 (非天皇陵では国内最大、墳墓全体でも4位)は吉備の王稜。
河内にいたとされる応神、仁徳から急速に古墳が巨大化するが、この土木技術は、他の堤工事実績から
秦氏以外には候補はいない。各種資料から当時の「ハダの支配地=吉備」なので、
少なくとも380年当時、応神の時代には、日本書紀の弓月王の渡来を応神が兵を出して助力したのは史実
だろう。秦氏京都移住は後年の話。初期の秦氏コロニーは宇佐、吉備、瀬戸諸国だろう。

5 :1:2006/12/17(日) 02:27:54
「仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。
后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
金銀玉はく等の宝物を献上す。 」日本書紀、古事記

後に天智天皇の時代に、白村江の会戦に、秦氏は吉備のニマ(吉備真備生誕地)
に国内から2万人!の将兵を結集し、秦水軍をつくり派兵している。
一夜で敗北した後に、多くが中国まで捕縛されるが、後に2000名ほどが吉備にも
帰郷してる。そのときに唐から進駐軍が福岡まで来たらしい。
そういうのをみると、秦氏渡来は、単純な難民亡命じゃないだろう。

6 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:47:26
聖徳太子の活躍した時代、「日本独立」
を認めさせるための日中軍事協定を提唱したブレーン=自称始皇帝末裔の秦川勝と小野妹子。
彼らの盟友たる隋大使が招かれ、帰国後わざわざ隋書倭人伝に残した「秦王国」記述にも
「ハダ(秦)=吉備」は符合する。この時代の瀬戸内の軍事交易権力は、まだ吉備が保持していた。

早くからの開拓地である吉備には「紀元8年頃の新時代の王蒙の貸せん」も大量にでるし、
邪馬台国時代の朱(水銀)も、国内に例のない大量使用の痕跡が発掘されている。

ちなみに、聖徳太子の顧問だった秦河勝(末裔の世阿弥うつぼ船モデル)と日本一有名な
桃太郎伝承は、共通の河から流れてきた卵誕生伝説。
ダビデと同じ葦船バージョンもある。日本書紀の聖徳太子=イエス伝承混入と同じか?

7 :1:2006/12/17(日) 03:32:44
8、9世紀の木管発掘の人名の多くが、秦氏名。文字を独占していた天皇官僚、祭祀、
建築、金属、機織職人=秦氏=納税者=天皇臣民 だから当然といえる。
福岡在住の住民(奴隷でなく市民)の8割が秦氏説。
初期納税者の大半が秦氏。ていうか、欽明天皇時代に創設した初代大蔵は太秦の
秦大津父卿で、彼らが模範となり律令制度と天皇直轄領地を全国に広げていった。
軍事は抵抗する在地豪族がもつが、経済殖産、祭祀宗教、文化芸術は秦氏が優位。

つまり、もともと華僑や海人らの交易コロニー都市が河川主要地にあり、
そこを拠点に半島南部、北九州〜西日本の倭人と秦氏が、周辺の古い地元民
(縄文と原弥生混血)と混じっていき、現在のわれわれに繋がる
「日本民族のプロトタイプ」を形成していったとみたほうが自然ではないだろうか?

8 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:48:52
>>4
日本で最初の「ハダ(秦)」〜
日本書紀では「吉備の葉田」とあるので、ハダと呼ばれていたことがわかる

>>5
日本書紀、古事記ーー誤記(若干異なる記述)
秦氏系神社解説ーー訂正   だったと思う

>>6
隋書倭人伝ーー誤記
隋書東夷伝ーー訂正

9 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:52:30
秦氏族でわかりやすいのは旧住友財閥系企業や新日鉄などです

住友財閥の住友家の起源は越前・福井県にある。
越前は白山信仰の大元の地
「白」は斯羅、即ち新羅という意味
白浜は能登国鹿島郡田鶴浜の西に隣る
『延喜式』白比古神社此所にあり(『神祇志料』)

白日神、白比古神社、白山神社、白浜、白山信仰、白水など

住友グループ主要企業の社長会=「白水会」

もともと秦氏は古代から鉱山に深く関わっており
経営者というよりも採掘技術や加工技術を知っている氏族だ。

鉱山資源を必要とされた時に
住友家の養子となって大きくなったが
住友家は桓武平氏だろう。

新日鉄だって昔は官営だった。

10 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:53:10
秦氏は技術者集団であると同時に
朝廷の財務官僚としての活動もしていたり
かなり多芸多才な氏族っぽい

秦といえば、京都の蚕ノ社の再建をした三井や幕末に土佐勤皇の
秦河勝系譜の長宗我部遺臣の蜂起集団、竜馬や岩崎の三菱だろ、普通。

秦氏は三菱三井住友安田いわゆる四大財閥すべてに
深く関わっているでしょ…恐るべし

西武コンツェルンの堤一族も秦氏(近江秦氏=依智秦氏)
秦氏族だから旧宮家の邸宅や別荘跡地にホテルを建てる特権得られた
だからホテル名はプリンスホテルとなった

上流社会と下層社会を同時に支配してるのかよ
いったいなんなんだよ秦氏ってのは
超すげー!最強

皇宮警察だけでなく、普通の警察も秦氏が支配してるよ。
秦氏族による「秘密結社」を利用して治安を維持してるのが日本の警察庁。
秦野章なんて警視総監もいたしね。あいつは秦氏。
東京オリンピックの時に治安を強化する必要があり、秦氏のボスの秦野章を警視総監にした。
そして現在の学習院の院長は波多野敬雄、やっぱり秦氏だね。

11 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:56:03
能登半島は越の国や山陰地方及び北九州と並び、古代大陸や朝鮮半島の先進文化を直接に吸収し、大陸や半島と同質の文化圏を形成していた地域である。
従って、当地方は渡来系といわれる人々が多く住み着いていた。
中でも新羅・加羅系の文化が栄え、渡来人の中では新羅系の秦氏が多かったようである。
神社については、能登半島の神社の八割が渡来系の神であるといわれている。
新羅神社に関係が深いといわれるのは田鶴浜町の白比古神社で、古くは新羅神社といわれていた。
中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社も、新羅の天日槍と同一人物といわれている都怒我阿良斯等神を祭神としている新羅(加羅)系の神社である。


能登を含めた越前・越中の地方は古代、越(高志)の国といわれ、対馬海流を北西の季節風に乗り対岸の朝鮮半島から多くの渡来があった。
なお、当地方も越の国と同様に、弥生時代には水稲耕作と玉造りの兼業が行なわれていたようである。

能登半島の神社で有名なのは気多神社(羽咋市)、白比古神社(田鶴浜町)、久麻加夫都阿良加志比古神社(中島町)、更に渡来人の子孫といわれる秦澄の創建した白山比刀iしろやまひめ)神社である。
白比古神社と久麻加夫都神社の由緒は夫々新羅系と高句麗系といわれているが、現在に残る祭りの形態等から考えると、二社は共に新羅系の渡来人が祭った神社であると思う。

12 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:56:46
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。

当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、越前・若狭地方と関係している。
両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。

継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。

13 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:15:26
新潟県は弥生時代の古代から新羅(加羅)系氏族が勢力を持っていた。
越の国といわれ、中でも新潟県は越後と称された。

新羅明神を祭る神社は頸城(くびき)郡妙高村関山の関山神社である。
妙高村関山は、正式には新潟県頸城郡(久比岐)妙高村関山といい、長野県との県境に近い。
妙高山の麓にあり、妙高山やそれに連なる山岳地帯を流れる関川に沿った街である。

元々当地方を開拓したのは日本海を渡って移り住んだ朝鮮半島や中国大陸の人々であり、
新羅(加羅)系の人々が本格的開拓を行ない、従前の信仰の対象である妙高山や関川と共に祖神を祭ったのであろう。
従って、当地方の開拓神は恐らく素盞鳴尊であった。
つまり出雲族と同族である。

14 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:16:14
京都府には北部から南部まで新羅の神々が祭られている。
北部では丹後地方、南部は山城地方の宇治市である。
南部の京都盆地には「新羅牛頭(ごず)山に座す素盞鳴尊」を祀る八坂神社や新羅系渡来人秦氏とつながりの深い賀茂神社がある。
丹後地方は古来、大陸や半島との往来が頻繁にあり、弥生時代には王国があったといわれている。
特に弥栄(やさか)町の新羅明神(溝谷神社)は渡来の人々(特に新羅系、或いは秦氏系の氏族)が祭ったといわれる。
丹後地方は但馬の出石郡に隣接しているが、出石郡は地理的には丹後の一部であり、新羅の渡来人、天日槍(あめのひぼこ)と縁の深い土地である。
また、京都府の太秦や園部町から続く丹波地方も新羅系渡来人の痕跡が非常に濃い。

15 ::2006/12/17(日) 04:17:10
秦氏のあまりに有名な京都平安京開発の300年前に、すでに河内のまんたの堤、
吉備秦にも高梁川のたたら堤がある。吉備平野の水利開拓という土木工事や
田園開発を行ったのは秦氏。秦風の川の神を祭祀した巨大な20メートルを超える
イワクラと12村に水流を整備した堤は今でも活用され健在だ。

天文機関でもあったタテツキ遺跡で暦を導入し、水の管理と農場開拓指導
をしたから自立経済市場が登場し、テラを拠点に中国産の貨幣なども使用するようになった。
秦氏渡来で文字、竈、須恵器が普及し、家族が自宅で食事をしるスタイルが一般にも
誕生し、鉄の鍬や牛馬の増産で水利の計画生産が向上した。

延べ150万人動員規模の造山古墳など墳墓の巨大化、殉死の悪習を吉備誕生の
埴輪で中止させて「豪族間の戦争経済」から公共事業経済に転換し、経済成長、
人口増加が日本でもいよいよ開始していく。

380年当時の秦氏渡来は、1250年も早い「古代日本のメイフラワー号」だ。

16 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 09:42:41
日本民謡とヘブライ語
ttp://www.sun-inet.or.jp/usr/hiro7733/public_html/minyo/minyo.html

角笛
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/

日本語に残るへブル語
ttp://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/heburu.html

三神たけるのお伽秦氏
ttp://www.kitombo.com/mikami/back.html

聖書と日本
ttp://www.geocities.com/Heartland/Lane/7662/nihon/nihon00.htm

17 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:47:01
>「仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
>日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。
>后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
>百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
>金銀玉はく等の宝物を献上す。 」日本書紀、古事記


これは日本書紀、古事記の文章じゃないだろ。
大酒神社の由緒書きで、後世の創作だよ。

そもそも九州の半分しかない偏狭な百済に127県もあるのか?
百済・高句麗滅亡時の亡命者でも数千人規模なのに何で18000人も来るのか?
18000人も持っていかれるのを百済が容赦するのか?

完全に創作だよ。

18 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 19:03:35
■失われた古代日本領=耽羅国は倭人の国であった■

 済州島は7世紀まで日本領土だった。もともとは倭人が住んでいたのだ。言葉も日本語が使われていた。
古代においては「耽羅(タンラ=タムラ)」と呼ばれていたが、タムラとは、「タムロ(屯)の地」という意味であり、
人間が大勢集まる場所ということから、そのように呼ばれたのだ。
 耽羅の最高行政官は、日本の天皇によって任命された。また、日本天皇の代理人である百済国主によって
任命されることもあった。
 耽羅国の最高行政官は、政主、または祭主と呼ばれた。韓国式の表記である「星主」は、セイシュの当て字であり、
オリジナルの称号「セイシュ」の名残りなのだ。島の統治者を「星主」と呼ぶのは不自然だが、もともとは「政主」
「祭主」と呼んだのである。
 星主は、日本語「政主」の当て字だと言われているが、別の説では、日本語の「村主」の音、ソンジュに間違った漢字を
当てたものという説もある。
 当時の記録によれば、耽羅には星主と呼ばれる支配者が存在していた。朝鮮・韓国では、この称号は新羅=文武王が与えた
とする中世朝鮮の文献を根拠に、新羅王が耽羅の支配者に与えた称号だと信じられている。
 いずれにせよ、耽羅支配者は、耽羅星主(ソンジュ)と呼ばれていたのである。韓国では、この称号が耽羅王を意味すると
信じられている。

 三国史記(韓国の歴史書)には、耽羅が476年に百済=東城王に服属したと書かれているが、以後百済に朝貢したという。
しかし、本当は百済ではなく、百済の宗主国である倭国(ヤマト)に服属したのだ。
 660年、百済が唐軍の侵攻によって滅亡すると、日本領=耽羅は大混乱に陥った。日本書紀によると、
このとき唐から帰国する日本の遣唐使船が、耽羅に寄港したところ、唐軍の侵攻を恐れる耽羅は日本に保護を求め、
朝貢を続けた。だが、新羅が半島を統一すると、新羅の勢力は耽羅にも及び、耽羅は統一新羅に服属することになった。



19 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 19:14:56
>9
>住友グループ主要企業の社長会=「白水会」

この白水というのは、豊臣秀吉の時代に中国の明の王族の「白水善」というのを
招いて、金山の開発精錬をやらせた それによって産金量が飛躍的に上がった
そのとき、住友の初代が「白水善」から精錬技術を学んだ
住友はその後、別子銅山で当てて財閥に成長した
住友は「白水善」の恩義を忘れないようにと、白水、泉、泉グループとも呼ぶ
白水会の白水は白水善から来ている 白山とは関係が無い

20 :月光仮面:2006/12/22(金) 14:25:35
ほだれ祭りレポート cf Baydara 頭付きの馬毛皮(アルタイ馬生贄儀式)を指すアルタイ語。
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/hodare/hodare.htm
「つぶろ」さしレポート cf Tubalaryとはアルタイ・トゥーバ人の呼称。
ちなみにアルタイの銅山は埃及・シュメールに並行するBC2800年代の世界最古級で
あり、鹿児島・東北・佐渡の産金地帯にナマハゲ、百足など類似風習伝承の残るのが
気になる。
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/tsuburo/tsuburo.htm
鼓を持ち、歓喜躍動たる姿の魔多羅神と二童子像。頭上に北斗七星を配している左の
童子・爾子多(にした)はシシリシニ、シシリシと歌う。右の童子・丁令多(ていれいた)は
ソソロソニ、ソソロソと歌う。これは殊勝の本尊である生死や煩悩の極致を行ずる姿を
舞い歌うのである。は殊勝の本尊である生死や煩悩の極致を行ずる姿を舞い歌うので
ある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyougyou.html
たませせり、スセリ姫、ササラなど多くの古代語にでてくるs*s*r*
はそそるという言葉にもあるが励起するといった意味であろうか。
秦氏と古代鉱山冶金技術集団になんらかの関係があるようだ。

21 :月光仮面:2006/12/22(金) 14:34:03
秦氏牛祭り呪文シシリシニ、シシリシ、ソソロソニ、ソソロソは何語なのか、何の意味な
のかと考えているうちに佐渡のツブロサシでかなり見えてきた。佐渡の対岸とか表日本
川崎にファロス祭典のあること、川崎ではこれを金山神の祭りとしていることでかなり
しっくりしてきた。

22 :月光仮面:2006/12/22(金) 15:20:38
今思いついたんだが、「ハタ」とは白い衣装をまとった神官、古代においてはシャーマン、
を意味した言葉ではなかっただろうか。さもないとあまりにも多様な職業に関連してくる
理由がわからない。


23 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:32:23
四国高知の土佐郡に秦泉寺(じんぜんじ)と言う一族が今も集落をなしていると言うが、これも秦一族とつながっているのだろうか?
ちなみに長曾我部の家臣秦泉寺掃部が落ち延びた末裔と聞いている。
又、高知市秦泉寺町内付近では飛鳥時代の遺跡として秦泉寺廃寺跡というものが発掘されているが、これは何教の寺だったのか気になるところではある。
土佐の秦泉寺は現在神道系であるようだが、このあたりについて何か見識のある方はいらっしゃらないだろうか?

24 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 19:14:15
>>18
最近コンビニの回りに、数人の若い奴らがタムロして邪魔だな。

25 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 20:26:40
羽太氏は働き者で立派な業績を残したがいまひとつ表彰されないでいるのはおかしい

26 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:37:43
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ

27 :月光仮面:2006/12/23(土) 14:57:50
今朝のNHK三徳山・御幸行列・投入寺などを見ているとこの辺にも秦氏のルーツ
を見る気がした。出雲鰐淵寺の摩陀羅神社にも秦氏の秘密が隠されているはずだ。
多分それは秦氏が信奉した摩陀羅神の神話構造が吉備楯築墳丘墓の後卑弥呼により
銅鐸文明と共に政治的に葬り去られたことの反映にあると見ている。このとき卑弥呼は
狗奴国との深い対立を抱え込んだのではないかと見ている。

28 :月光仮面:2006/12/23(土) 15:23:11
卑弥呼は多分九州と本州の宗教的統合をアメンホテップ4世のように唯一の太陽神、
銅鏡、古墳、土器の規格統一で実現しようとし、従わないものに対しては吉備津彦が
見せた鬼退治のような仮借ない懲罰行為を行ったのであろう。そうした余韻の残る時代
に倭国に入った魏使は、卑弥呼はよく人を惑わすという風評として聴取、歴史に残した
のではないだろうか。アマテラスはそうした伝説を基に誕生するのであろう。


29 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:00:10
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ


30 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:24:56
波田氏はまじめにこつこつと働いたがむくわれなかった、

31 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:58:58
>>29
有名人はコテ変えても何も変らんよねwww

32 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:28:35
羽田氏は不幸なのか

33 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:54:24
矢田亜紀子の矢田は八田、秦だよな。確かに不幸だ

34 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:50:40
菊池ももこなんかは幸せなんかな、正確がびびりでこわい話はいやらしい

35 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:45:58
>>月光仮面この話どう?

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。こ
れをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」という
結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説と合わなか
ったからだ。

 さらに同遺跡の下層には別の遺跡があり、推定で二万dから三万dにものぼる鉄滓(て
っさい‖製鉄した後の残留物)が発見されたほか、縄文式とも弥生式とも異なっていて、
中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土し
ている。
http://www.minyu.co.jp/shasetsu/0305gatsu/0523s.html


36 :桃太郎:2006/12/26(火) 05:38:37
1986年 岡山県岡山市江道遺跡(えどう)で、紀元前4世紀の水田跡などが発見される。
1992年 以前から、九州では縄文土器の中に稲のモミの圧痕(モミが押しつけられた痕跡)があるものが発見されていたが、新たに岡山県総社市の南溝手遺跡(みなみみぞて)で、縄文時代後期末の形式の土器にモミの圧痕が発見された。、
  ※寺沢薫著『日本の歴史02 王権誕生』(講談社 2000年)P22−24

 これらの結果、以前の「紀元前3世紀初めころ水稲農業が伝わり、弥生時代が成立した」という説明は改められ、次のようになったのです。
 
○ 水稲耕作の伝来と弥生文化
遅くとも紀元前5世紀には、水稲稲作農耕が中国長江下流域から朝鮮半島南部を経由して九州北部に伝わり、各地に伝播。「短期間の試行段階」で、西日本院定着。
紀元前4世紀初めころには、西日本に水稲農業と弥生式土器を作る文化、弥生文化が成立。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n01-6.htm

37 :桃太郎:2006/12/26(火) 05:49:34
>>27
吉備楯築王説もある吉備の英雄、鴨(カモ)別の伝承では、隼人ら薩摩勢力
(狗奴国か)に侵略された阿蘇の皇女から助けがあり、鴨は女装して敵陣に
乗り込み平定し、阿蘇=吉備同盟が成立するらしい。
造り山か楯築じゃなかったかな、墓石が阿蘇産出。
この逸話は、大和朝廷のヤマトタケルの英雄伝としていまに伝わる。

38 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:10:21
>>25
鉄はアッシリア時代のコーカサス南麓で始まり、ヒッタイト時代に拡散が開始、
東方草原のノマドを経由して東トルケスタンで広まった後又西方に向かう。
一部は東トルケスタンから日本海沿岸、朝鮮半島、九州経由、呉・越に至った
のではなかろうか。極東の通過地点においては全くの異民族として周辺とは
交流せずに移動したのだろう。消滅した情報としては沿海州におけるBC10世紀
頃の鉄、東是人等、又、博多湾方面の杭の加工遺物等がある。

39 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:47:26
殷商の青銅器文化に距離的に最も近いのは中国・アルタイ・モンゴル・
カザフスタンの国境の交差する南アルタイ山脈の西麓にある:
BC3千年紀のチュド銅山遺跡中のズメイノゴルスク地区銅山遺跡
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph2.jpg
ズメヨーワ銅山遺跡出土採鉱工具
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph3.gif
BC17-15世紀アルタイトレチャコフ地区の青銅器
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph4.jpg
この地方にコーカサスから鉄が伝わる可能性はある。


40 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:57:47
中国における五山信仰、スサノオにおける蘇民将来、楚国はアルタイ鉱山文化の
南進を意味するのではないかと思わせるのがChudと言う知名だ。ロシア語にも
類似の言葉はあるがこの場所としてはつながらず、語源は不明とのこと。

41 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:59:27
地名が知名になっていた↑

42 :月光仮面:2006/12/26(火) 11:25:16
岡目八目であるが、アルタイのこの時代はオークネフ彫刻石像↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image009.gif
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
の時代だ。そしてこの神像の不可思議を説明するのは↓この下にある
銅の考察という行だ。
http://members.jcom.home.ne.jp/4313532601/page006.html
神像の髪型は百足のようで後のパジリクミイラの髪型、銅鐸の耳飾と似ており、
日本における百足・俵藤太伝説、スサノオ・オオクニヌシの百足と符合する。
早い話がアルタイ鉱山族は岩手の金山にまで来ているのだ。

43 :月光仮面:2006/12/26(火) 11:42:56
ベツのスレなんだが、ご参考まで↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066237353/529
>529 :月光仮面 :2006/12/18(月) 11:20:45 ID:rdnk/Pnb
>燕人衛満時代列島に到着した馬韓月支族の中にはアルタイ・パジリク時代
>のクマン(白鳥人)がおり、そのシャーマンの髪型に銅鐸の飾り耳
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
>飾耳 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko10doutaku.html
>を見ることができる。刺青もこの頃のアルタイにはあるし、
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/tatu.jpg
>後の後漢・魏志韓伝でも三韓に刺青の到着していたことは読み取れる。
>この時代アルタイは馬の犠牲が活発でスサノオの馬皮生剥ぎはナマハゲ
>等の伝説になったのかもしれない。
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/pogreben1.gif
>
>


44 :月光仮面:2006/12/26(火) 11:55:45
日本人・チベット人とユダヤ人がなぜYAPなのか。YAPは縄文時代以来ずっと日本
にいて分岐したと言うが、そうではなく分岐したのは中央ユーラシアでではないのか。
そして日本には移住してきたのではないのかと言うのがこの話の出発点であった。
今、約12000年前のヤンガードリアス時代に中央ユーラシアで細石刃の元になる
遺伝子の突然変化が起こり、東南アジアとレバントから米・むぎなどの農業が始まっ
たのではないか。日本のYAPは中央ユーラシアで分岐の終了した集団が朝鮮半島で
中国オリジンの遺伝子と合流して弥生時代の日本に入ったのではないかとの推論
を持つに至った。

45 :月光仮面:2006/12/26(火) 12:49:46
>>37
>阿蘇の皇女
こういうお方ではないでしょうか。パンジャブ方面の美女といった感じ。↓
熊野座神社の神像(プルダウン)
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-Higo.html
「木葉山は石灰岩の山、稲佐の近くには白木村や白木八幡宮も存在する。
白木は『新羅』となると、木葉山も豊前香春岳と同じように新羅からの渡来人
が鉱物資源を探索、採掘した山。そして、稲佐に伝わる女神の御神像!
香春岳の阿曾隈の女神もこのようなお姿だったのではないでしょうか?」
参考 http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#新羅

46 :月光仮面:2006/12/26(火) 14:27:46
>>39
アルタイに背衛銅器文化をもたらしたのはアファナシエフ文化ではないかと言われるが
この文化の後は大体:
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
・・・モンゴロイド
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800・・・モンゴロイド
パジリク(盛土クルガン墳)以下の2時期に分かれる:
パジリク・クルトゥースカヤBC800-600
パジリク・マイェミルスカヤBC600-500
パジリク・ボリシェレチェンスカヤ(パジリク最盛期)
(石囲い・積石土盛クルガン墳)BC600-200
パジリク・シビンスカヤ BC200-0
と言う風にモンゴロイド・コーカソイドが交代に入れ替わっているが、これが
楚・蘇・倭の祖先であって、西周から燕の時代に内蒙にいたのように山海経が
言っているのが朝鮮半島・日本に入ったのではないかと思う。パジリクはコーカソイド
のようだ。

47 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 15:13:37
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-2.htm

雲南省の古墳から出た貯貝器のレリーフ鳥・家(2千百年程前
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/senga1.jpg

奈良県の古墳から出た銅鏡絵の鳥・家
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/senga2.jpg

雲南省タイ族の民家(高床で千木、かつお木、テラス?がセット)
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/houce1.jpg

48 :月光仮面:2006/12/26(火) 15:35:18
>>35 >>38
参照を>>35とすべきを間違え、25とし、しかもとんでもない脱線をしてしまいました。
平にご容赦、ご理解賜り度。
さて、九州北東は箱式石棺墓、石蓋土坑墓と、アルタイ、モンゴル方面の文化が
いち早く集中しており、古代の海洋交通の要所であったのではないかと見られる。
墓制の変遷と題して箱式石棺墓、石蓋土坑墓、方形周溝墓の分布を研究した↓
http://www2a.biglobe.ne.jp/~haruki/homepage/story/b0002.html
これは大分県の国東半島にある重藤遺跡からの鉄剣、鉄滓を考える時に、これら
の文化を残したのが箱式石棺墓、石蓋土坑墓文化であったのではないかと考えたく
なる。この箱式石棺簿は沖縄に波及しているのでその直ぐ先の会稽・呉越へと技術
移転が行われた通過地点と解釈することもできる。ちなみに、東海に迦葉原ありという
高句麗の地名命名方法と香春というのがよく似ている。これは渡来したものが
そうした神話を持っていたということだろう。




49 :月光仮面:2006/12/26(火) 15:53:36
>>47
日本に千木・堅魚木の神社建設が始まるのは奈良時代だが、当時既に雲南省とは
文化的に完全に分断されており、技術交流は不可能。では、なぜこうしたパラレルが
見られるかを説明するには雲南省・日本は弥生時代の末辺りに中国西部の同一文化
を持つ民族が二派に分かれてそれぞれ渡来したと想定するしかない。

50 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:22:03
羽田氏はまじめにコツコツ働いたが、あまり出世しないままやや不幸せな
退職後生活を送ってるのかもしれない

51 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:38:27
>>50
羽田氏よりアンタの方が大変不幸な人生を送ってるんじゃないか!
幸せな人はストーカーみたいな事しない。

52 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:52:49
迦葉原=香春=カバラ=カッバーラ  ?

53 :桃太郎:2006/12/27(水) 06:18:29
秦氏と応神八幡神・天日槍・神武東征伝説(日本の中の朝鮮文化(10)、金達寿著、講談社文庫、1993年)
 「宇佐在来の比売神と合休して七世紀以後の応神八幡神ができあがった」ということには、
大変大きな意味が含まれる。安藤輝国氏や小島信一氏は「応神天皇は秦族の大王」で、
「女王国を征服したのは秦族の誉田別命、のちの応神天皇である」というのである。
応神天皇は秦族の大王であったといわれると、奏氏族がそれから出た新羅・加耶系渡来人集団
である天日槍集団の天日槍と、応神とのからまりが気になる。

---- う〜ん、金達寿だからな
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor1961849

54 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 06:20:11
まず、「古事記」応神段に天日槍(天之日矛)の渡来伝承がながながと書かれていて、
息長帯比売の神功皇后はその天日槍の外孫であるとしていることがある。そして、
「神武東征」伝説というのは、九州で生まれたという応神の「東征」または「東遷」のこと
をそのような形で語ったものではないかとみているが、すると、さきにみた(筑前の
「九州における天日槍」の項など)林屋辰三郎氏の「天日槍と神武東征伝説」という副題
をもった「古代の但馬」に、「私は、はっきりいって天日槍伝説というものは、神武東征
伝説という日本の国の、また、日本文化の最初にどうしても理解しておかなければならない
伝説と同形のものと考えている」とあるのも気になる。

55 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:12:58
応神と神功が、宇佐の比売大神の両隣だよな・・・
本当に謎が多い・・
しかし大分は秦性本当に多いよ〜


56 :月光仮面:2006/12/27(水) 08:05:35
神武東遷、神功帰還、天日矛は急激な前方後円墳の発生、それの瀬戸内海における
日向、吉備、大和間の移動と関係するもので、それ以前の箱式石棺墓、四隅突出型
墳丘墓、方形周溝墓と違い、三韓の支配層であったスキタイ騎馬民族、特にサカ族、
を含むもので、アルタイ西麓のサカ族の千木を持ち、樹皮で屋根を葺いた木造家屋
型の神殿が秦氏と共に登場するのは、この前方後円墳時代で、最初が天日矛、本格的
なのが神功皇后・応神時代であろう。

57 :月光仮面:2006/12/27(水) 08:14:24
しかし、これは三韓征伐により百済との関係が深まり、移民の形で神官・傭兵を受け入れ
大王の配下に置いたということであり、国内的には大和朝廷内部で相続争いがあったと
言うことに過ぎないのだろう。

58 :月光仮面:2006/12/27(水) 09:47:32
>>35
>中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土

これは、時代的に見て多分燕の領域を通過したか、あるいは、山海経において倭は燕に
属すとされた燕の北方の内蒙綏遠地方にあった倭人が燕を経由して西周が殷から継承
してきた土器デザインを継承したものではないかと思われる。古代の製鉄は最近吉備
http://www1.harenet.ne.jp/~sugi/kouko/tetuiseki.htm
でも鉱石を融解する製鉄の遺跡が出てきたようであるが、砂鉄-タタラではなかったようだ。
こうなると倭人が弥生時代の日本のように裾野産業というか、窯業の伝統のないところで
いくらノウハウを持っていても生かしきれず、古代より窯業の発展している長江下流域
に生産基地を求めたと考えてもおかしくはないのではないかとおもわれる。中山和敬著
三輪神社でも天理教敷島大教会、三輪小学校辺りが磯城瑞垣宮あとである公算が大で
付近からはカナクソ、ふいご口などが出土するにもかかわらず考古学調査を経ずに
建設の行われたことをくいておられる。列島に到来したものはノウハウは持っていたの
ではないだろうか。

59 :月光仮面:2006/12/27(水) 09:58:50
呉は大分県人の末裔と言うことになり、陳寿さんには気の毒だが考古学的
物証があるんだからなー。

60 :月光仮面:2006/12/27(水) 11:36:24
沖縄の久米島 http://www.town.kumejima.okinawa.jp/kumejima%20no%20iti%20rekisi.html
これって正に東冶会稽の東に当たるのだが、島の名前の語源を米とするのはチト浅すぎる。
重要なことは養蚕を古くから行うことであり、三韓、阿蘇方面へ呉の養蚕を導入したのは
気候的にこの地を中継地とするのが最適である。島の名前は大和朝廷の警護兵と同様
山岳戦闘民族久米部隊であろう。それはこの島が倭国の最前線であった頃の名残だ。
つまり、四郡、弁辰に鉄を残した倭人はこの島を経由し、呉越に製鉄ノウハウと鉱石
サンプルを導入した。この記憶が斎の孔子、秦始皇帝、徐福、呉の銅鏡工人の脳裏に
残っていたのだろう。


61 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:49:05
>>59
いや、十分ありそうだな。。。。

大分は九州の北中部とでもいうのかな。それにしても不思議なのは
中世のフランシスコ・ザビエルやオランダの商船など.....
瀬戸内海向いているのに、初めて日本に上陸した場所が大分なんだよ。
大分北部。

どうしてわざわざ大分北部の瀬戸内海まで回り込んで初上陸したのか本当に謎。
長崎、鹿児島じゃなく国東辺りで上陸してるんだよ。
数年前かな、オランダの皇太子が来日してわざわざ再現したよww

中世まで日本に入港するのに国東、ってルートがあったのかな?と思うんだが。
しかし決して穏やかなルートではない。宮崎を北上したりする必要性が感じられない。
不思議なんだが。



62 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:05:53
「唐や大和の船が銭・黄金を持ち寄せる城(具志川城)・・・
この久米島伝承により、具志堅、串木野、クシフル峯が金に関連することがわかる。
同時に鹿児島、香具山、香具土などのカグには鉱山とか、鍛冶屋、ふいごの意味が
あったのではないか、また、カワという言葉には交わす、交易という意味があるという線が
出てくる。トルコ語でカワチには鍛冶屋、ジプシーの意味があるとの説もあり、河内に
ついては未だはっきりしないが、交易地点の意味も捨てきれない。

63 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:08:44
>>61
今でも外国船の検疫は関門の六連、これって海流の関係かな。

64 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:17:56
>>62
しからば、神武の祖は甑島あたりを橋頭堡として串木野の金鉱を探査し、霧島連山
を縦走、高千穂に天下りしたことになる。逆矛は敵地占領の印、又、鹿児島、大分
にはタンカンサーが多いが、トルコ・モンゴル語で天神はタンリ・タングリ・テングリ、
ジンギスカンのジンギスとは大洋という意味でバイカル湖などを指すようだ。北部
九州の渡来系が九州南部を征圧したと言うことだろうか。神武関連の山口県タギリ
宮は天神宮ということになるんだが。

65 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:20:46
神武の嫡子、タギシミミとはモンゴル的に解釈すると大洋の国の国王と言うことになり
鹿児島あたりの出身かと言うことになる。

66 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:28:24
これは日本人が三韓及び縄文国を征圧するプロセスであって、当時朝鮮族というのは
漢の植民地で呻吟していたと言うのが実体であることを付言しておかないと曲解される
恐れがあるなー。

67 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 04:10:06
意味不明。一レスに纏めてくれ

68 :月光仮面:2006/12/30(土) 08:47:10
神功三韓征伐の後秦氏がどっと押し寄せたように、帥升の後漢訪問の後にも
多くの渡来人が随伴してきた。これは当時山彦と海彦の抗争の時代で、特に
九州南部の戦場に渡来した山戎傭兵が投入されたのではなかろうか。博多勢と
友好関係にあった出雲勢が周防灘勢力に外人傭兵でもって襲い掛かることも
あり、戦闘は吉備に移り、一度は吉備を中心として安定するかと思われたが、
最終的には海部系が大和に首府を移すことになった。とりあえずこの線で行こうか。

69 :月光仮面:2006/12/30(土) 11:00:19
山戎文化のルーツは北京から瀋陽に向かう途中の山中かな↓
http://www.shanrong.com.cn/g7.htm
これは牛頭天王とか、鳥居のルーツだと思う。
詳しくは↓
http://www.shanrong.com.cn/

70 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:00:20
>>68
秦氏好きは、
思考回路に欠落が多いのかな?w

71 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:06:37
いや
豚肉は美味しいだけじゃないよ
頭をよくするからお勧めだよ

72 :月光仮面:2006/12/31(日) 08:49:39
高千穂の天孫降臨という焼酎を飲み、夢で神楽を見ることにする。翁のお面のしたから
上野が原の博物館の先生が出てきて、鹿児島・大分の照葉樹山岳民こそ三内丸山の
子孫ですたいというような夢を見るだろうか。

73 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:53:01
豚肉食べてないんだねきっと・・・

74 :月光仮面:2006/12/31(日) 09:16:43
>>72 高千穂神楽↓
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kaguratitle.jpg
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kagura.htm
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kagura_gosintai.htm
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/kagura8.jpg
http://homepage3.nifty.com/muzina-press/kagura/photo/douke.jpg


75 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:36:52
豚タコだな〜

76 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:58:35
豚は頭がよおくなるのか

77 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:00:03
>>72
意味が分からない

78 :月光仮面:2006/12/31(日) 14:09:26
今年は天孫が降臨された年なのでそのほうもいっぱい呑んだらどうじゃ。
意味がわかるぞ。

79 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:13:54
>>78
馬鹿大将太国さん!
別コテでご苦労さんw
馬鹿さ加減がそっくりですね。

80 :月光仮面:2006/12/31(日) 14:29:46
↑神罰てきめんじゃわい。

81 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:31:05
>>78
あなたの書きこみはスレ違いなので消えて下さい。真面目に議論したい人達に迷惑です。

82 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:53:57
肉ダレダレじゃん

83 :月光仮面:2006/12/31(日) 16:03:20
http://homepage3.nifty.com/mori2/up/480/siromi_20.jpg
そこには霊芝が生えていて、宮殿や楼閣が目に入り、仙界の使いの者がいらっしゃり、
銅の色をしていて龍の形をし、体から発する光が輝いて天を照らしておりました。
そこで、わたしは再び拝してお尋ねしました。『どのような品物を御献上致したら宜しい
のでしょうか。』と…。すると海神さまは、『良家の少年少女たちと、さまざまな横械や
道具類を献上すれば宜しい。そうすれば延命長寿の薬は、得ることができるであろう。
』とおっしゃったのです。」と。秦の始皇帝は、非常によろこばれて、少年少女三千人を
送りだし、そのうえに五穀の種々と機械や道具類をそえて、貢ぎ物として、大神さまの
ところへ行かせた。徐福は、平らかで広い平野と、豊かで湿潤な沼のあるところにたど
り着き、その場所に留まって、そこの王となり、再び還ってくることはなかった。
・・・これが徐福が八幡神から貰った秦王国なのか。
http://www.soc.hyogo-u.ac.jp/tosuzuki/data/jyohuku.htm


84 :月光仮面:2006/12/31(日) 16:16:29
大分県人は霊芝・椎茸販売にかけては古来からかなりのノウハウを持っていたという
ことなのであろうか。

85 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:36:44
馬鹿大将太国さん!
別コテでご苦労さんw
馬鹿さ加減がそっくりですね。


86 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:43:45
>>84-85
意味不明。誰も読んでないからオナスレでも立てて一人でやってくれ。

87 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:44:41
訂正
>>83-84

88 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:47:17
>>83
千木と鰹木についての歴史がよく分からん。

がいやまんの知っている限りの知識を教えてくれ。



89 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:50:30
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。


90 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:50:01
羽田氏はまじめに働きすぎて嫌われてたみたいです、いまは畑仕事をやってよすてびと
として元気でやったはるのやろか

91 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:56:16
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。

92 :月光仮面:2007/01/01(月) 17:02:04
>>88
謹賀新年

BC2300年頃までバサラビア(ジプシー発祥地とされることもある)にあったトリポリエ
の神殿は千木付で八幡、日吉方式、BC5世紀頃のアルタイ西麓に到来したサカ族の
住居は檜皮ようの樹皮で葺いて千木を持ち、峡谷部に立地、清水寺の坂上田村麿、
飛鳥バレーの蘇我氏と立地が似ている。小河墓遺跡の棺の上には横板が並べてあり、
棟持柱のようなものがあり、牛皮で包まれ、スサノオがアマテラスの小屋に上げた
ぶち馬の生剥の毛皮と同じで、現在も突厥系に習俗が残るようだ。これに関して
コーカサスに同様の牛の生贄を描いた青銅器があるようだが、墓制としては小河墓
より西部では見られないのでアルタイの旧石器、マンモスハンター時代からの葬礼
形式で、ウクライナのコステンキ・マンモスハンターキャンプなどと同じ起源ではないか。
アルタイ・トルケスタンには未発見であるが相当早くから鉄器文化があったのかもし
れない。雲南に千木高床が入るのはトルケスタン・甘粛方面から南下するのだろう。
小河墓遺跡には小麦の他に粟もあり、崑崙の蛇紋石も入っており、被葬者は西部
欧州人のようであるが、実際に作業をしたのはアルタイ人であった可能性が強い。

93 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:07:09
スレ違い。いい加減にしろ

94 :月光仮面:2007/01/01(月) 17:07:27
正月の獅子、龍、これらは共にスサノオの生剥(頭付き)風習が中国西部から日本、
江南に分流したことによるもので、倭人と呉人の風習の類似もこの辺にあろう・・・
今年はこの辺で走るか。

95 :月光仮面:2007/01/01(月) 17:25:58
小河墓遺跡の横木はアルタイ地方であれば箱型石棺墓とするべきところ、タクラマカン
には適当な石材がなく胡楊を加工し、AD HOCな、そしてユニークな葬制様式が出来上
がったと言うのが自分の所見だ。これがひょっとして堅魚木になるのでは?

96 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:38:08
羽田氏は真面目にきっちりとごまかしなしで働いたので嫌われたが、立派な人でした

97 :月光仮面:2007/01/02(火) 09:40:23
古墳とは石器環境における神社・仏閣であり、特に首長・豪族の埋葬されるものを
指したが、完全な宗教的用途のものとしては秋田・唐松神社、吉備・熊山遺跡などが
ある。出雲の形式が拝殿と本殿を階段、橋立でつなぐ前方後方墳である。後方という
のが本殿、前方と言うのが拝殿。拝殿がなく本殿の前に鹿石、神木、回向柱を配する
形態もある。後方部分はお賽銭箱がおいてあると考えるとよかろう。前方後方墳は
方形周溝墓、四隅突出型墳丘を基に出来上がり、後にモンゴリア西部・新羅・西都原
等を経由する西戎の太陽崇拝宗教の持ち主、これが秦氏の先祖で円墳をもたらし、
円墳をモンゴロイドの大地崇拝の方墳に置き換え前方後円墳ができる。古墳時代が
終わると八幡・日吉などの形体となる。つまり拝殿、橋立がない。さて、ポイントを
抑えると、秦氏とは前方後円墳祭儀を持ち込み、AD250年頃、箸j墓を建設、日本の
国土を築いた民族と言うことになる。


98 :月光仮面:2007/01/02(火) 09:50:14
で、出雲系統は縄文人かというととんでもない。これも渡来人なんだが宗教が大地と
天(太陽でなく)を崇拝するもので、言語的にアルタイか、形質的にモンゴロイドである。
秦氏のほうは言語的に印欧語、形質的にはコーカソイド。この2つの対立する集団は
二大政党のように対立を含有したまま朝鮮半島を南下、三韓に到着。最終的に統合
が完成したのは日本建国、箸墓の完成時であろう。自分は箸墓着工は卑弥呼の使い
が初めて公孫を訪問した時でそれはAD240年頃、これが布留式土器の開始と見ている。

99 :月光仮面:2007/01/02(火) 10:02:53
なぜ二大政党かと言うと、氏子、檀家といったものがなければ神主、僧侶、サムライ
だけでは経済が成り立たないからだ。インドにアーリア族が侵入したりする際、
ダリウス、アレキサンダーのように多国籍編成とするのと同じで、その際カーストと言う
階級制度が生まれるのであろう。軍隊の階級とも似たところがある。

100 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:15:32










月光仮面=豚















101 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:44:22
>>100
空気よめ

102 :月光仮面:2007/01/02(火) 14:00:30
さて、楯築墳丘墓、これには拝殿が2つある。月神、日神だな。これはフン、タタール
のヒゲ・クルガンとしてカザフスタン方面に残る。日本では月読命が失脚、月山関係は
裏日本と東北、例外として、土佐の西端に限定される。伝承的にはキビツヒコによるウラ
の征伐があり、どうやら、このフン、タタール的連中は東北に追っ払われたようだ。で、
秦氏はというと豊前から西都原に至る九州東岸から吉備に入ったと考えるのが順当。
吉備において出雲と国土分掌(神主の地割と言うか)が成立したようだが、もう一つ
銅鐸宗教勢力をたたいて鏡作りに転換させなくてはならない。秦氏は琵琶湖周辺で
豪族を口説き落とし、その結果息長氏などが生まれる。こうしたことが神代紀の裏に
あるんだろう。

103 :月光仮面:2007/01/02(火) 14:02:19
ただ裏日本の出雲その他にコーカソイド要素がまったくなかったかというと、そうでは
なく、関西神武、賀茂氏などの鳥トーテム(安倍氏のアビというのが極地水鳥の意味
なら安倍氏もそうなるが)ウグロフィン又はアルタイ語を話すコーカソイドであった
可能性は残る。九州神武はちゃんと奥さんもおり、秦系の人であって、関西神武とは
別人であろう。九州神武の嫡男がどこかで殺されると言うのはありえる話だなー。

104 :月光仮面:2007/01/02(火) 15:38:37
記紀の神武紀は単に資料を集めただけの感じが強い。やはり魏志倭人伝の描く
女王国を持って建国とする記述が正鵠を得ているのであろう。倭人伝では卑弥呼の
後継をイヨとし、その後も女王が元首のようであり、崇神は引き続いて、男王のような
存在を脱却できていなかったのであろうか。

105 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:33:16

>>101
どのように空気よむの?


106 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:40:30
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ



107 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:15:13
テレビ放映あった皇室のポロ・打毬
http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-02.html
http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-02-01.html
http://www.sportpolo.com/History/default.htm
はサカ族(大避・大酒)の風習なのであるからその起源は言われているよりも
古い可能性があり、少なくとも西欧の王朝よりは日本の皇室の方が古いのには
間違いはなかろう。

108 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:19:22
サクソンと言うのはサカ族がなまったもの、あるいはサカ族の末裔と言えるのだろうか。
東方起源のノマドであろう。そうすると出雲のウルフ(狼)神社というのは英語よりも古い
英語であったのかなーと思うのであるが。

109 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:29:59
日本の天皇陛下は馬術部の主将ということであるから、国際王族の位を決定するのが
馬術であるのなら、世界の元首の主将ということになる。格式にマッチしているのかな。

110 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:38:42
ちょっと言い過ぎたが、昭和天皇が騎馬民族説ファンであったということは、こうした
宮内庁行事を見るにつけよくわかる気がする。

111 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:50:27
継体、その昔の、綏靖(カムヌナカワミミ)等は皇統が八ヶ岳の黒曜石、姫川のヒスイを
基にした中部・越・縄文文化につながることを示唆している。三韓・高句麗の日本亡命とは
日本史における一瞬の出来事であり、渡来系は一切臣下として大王に仕えたという
事実には揺るぎはないであろうが。

112 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:39:13


頭わりー


113 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:53:33
>>92
THX

ふーん、千木はBC23C頃にはベッサラビアなどの黒海北部に既に
出現していたのだな。

だったら地理的に近い西シベリアの高床式倉庫文化には余裕で
伝わっているわな。

そうなると東シベリアやアムールの高床式倉庫文化にも西シベリアから
千木は伝わっていたと見て良いだろう。

114 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:32:40
波田氏はさべつされてしまい つらい人生を送ったのでしょうか

115 :月光仮面:2007/01/04(木) 10:05:48
>>113
夏場の永久凍土地帯は熱帯雨林同様高床、ボート暮らしだし、ツングースは
湖南オリジンとも言われるしなー。生活環境にアドホックに適合させたとする
考えもできるし、高床をもって判断基準とするのは難しいところもあるね。で、
ベッサラビアはジプシー、これはロマ、コヴァチ、ルリなどいろいろ呼ばれるが
ナイル川の石工がスピンオフしたとも考えられる。昨夜の吉村さんの番組にあった
ピラミッドのうねる蛇は纒向の繞道祭、香港の龍踊りを見る想いだ。アステカ、
アマゾン(2つの隼人紋様)等にもこれを感じている。

116 :月光仮面:2007/01/04(木) 10:13:24
相当ずれるかも知らんが天日矛というのはアメンの日置部であり、アスカ・ナスカ
の石を大洋の天測の基に置いていたシャーマン、これが東上線比企で島津の祖と
なる。こういう因果で昭和天皇の御陵などもこの方面となっているのかな。

117 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 14:06:51
どうでもいいけど、普通に読めば理解できるように文章を書けよなぁ。。。

118 :月光仮面:2007/01/04(木) 16:57:14
大避神社の井戸と関連するのは秦氏関連でヨセフということになるが、アメノヒボコ
という言葉だけで考えるとウラルの殷並行時代のヨセフと同一視されるアミンベクという
発音の方が近い。アバーシェフ文化は独自にエジプトと接触しており、同じ話をユダヤ
人と共有している可能性がある。秦氏はユダヤ人であり、大避;大酒、サカ、アミンベク
とは関係ないとは言い切れない。中国の開封へユダヤ人が到達するのは相当遅れる。
エジプト文化はジプシー系ラピスラズリ商人、青銅器・石材加工関係民族などによって
日本に伝えられ、秦氏とはジプシーをも含む多様な集団であったとした方がよさそうだ。

119 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 22:16:27
渡来人がやって来なくても文化は伝達すると何度教えれてやれば良いのかね。

渡来人がやって来て定着すれば確実に渡来人の文化は伝達するが、

隣人から隣人へと何百年何千年もかけながら文化自身の移動でも伝達されるし、

こちらから行って持ち帰っても文化は伝達されるし、

渡来人がやって来て短期滞在で帰ってしまっても文化は伝達される。

120 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 00:49:49
太国鯖落ちさせるなよ
いつもながら馬鹿だな

121 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:48:45
この大国って奴は何者なの?
職業は?

122 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:55:09
古神道の権威w

123 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:01:15
捜聖記 みんな読んでるんだねぇ・・・

124 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:57:34
秦氏がもたらした技術で代表的なのは養蚕・機織、醸造、土木技術なので
日本の大企業のほとんどが波田氏なのかもね


125 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 11:00:55
>>121
月光仮面=太国
馬鹿コテ連合自演中w

126 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:12:35
ここではふといくにはぜんぜんでてないので、関係がないとおもうけどもさ

127 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:26:19

日本史板の常識

コテ=馬鹿



128 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 09:33:20
池田市の即席ラーメンの神様の安藤氏が天才だったのは偶然ではなく、池田市と言えば
呉服神社があり渡来人の古里みたいなとこで、酒もごしゅんと言う名酒があっていずれも羽田氏ががんばったのかも

129 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:50:57
語源:Hat= アイルランド語 hatter (帽子)から 中英語 h ae t → hatt 頭のための覆い
(形作られた王冠及び縁を備えたもの) ... この偉業を達成した人に
「栄誉を称えシルク.ハット ( Silk.Hat ) が贈られた事」に由来します。 ...

秦氏=ハタ氏=埴輪の帽子、とんがり帽子(ハット、Hat)をかぶった人物??

130 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 05:30:06
糞コテといい>>128といい、日本語下手な奴が多いスレだな。

131 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:17:29
呉の国の春で、ごしゅん

132 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:39:38
月光仮面さん
おめでとうございます

>>102
ここらあたりは勉強になります

応神天皇=秦氏 説というのは、実際どうなんでしょう?
彼らは広い意味での「古墳好きな一族」でしょうが、かなり性急に
半島を南下してきたのか、その速度はどうなんでしょう。

>>118
大避神社=ダビデ祭神 はどうみればいいのか? 単純な聖書伝承ではないだろうし
歴代末裔神主、宮内庁雅楽秦氏一族のいうように血統的にもユダヤ末裔なのか?

133 :月光仮面:2007/01/10(水) 08:05:01
>>132
おめでとうございます。
エジプト経済と言うのが今で言えばアメリカ経済。これに隣接するメソポタミア
シュメール経済。こうした消費地と金属・色石等のミネラル資源供給地であった
パミール・ウラル・アルタイとの間にシルクロードのような通商メーンストリート
が形成された。つーか、草原ノマドの風習が統一化される傾向が生じた。これに
インダス、ガンジス、黄河、長江といったものが次第にジョインを始めた。
そうしたノマドの一つがユダヤ人であり、長江方面黄河方面との間に入った羌、姜
等の部族だった。黒曜石、細石刃、青銅器、鉄器といった技術改革を基にして
鉱山開発、石切、土砂を使用したドルメン、メンヒル工法等が発展、エジプトにあった
ホルス、ラー等の神々とか、中近東の神々、神話の交流が行われた。と、こういう
序曲があって、秦氏が登場すると思うんですね。

134 :月光仮面:2007/01/10(水) 08:18:16
秦氏がやってきた新羅には単に中近東と言うのではなくローマ・ケルト方面
の西欧との交流の痕跡があるが、これは古代においてバルカン・カルパチア・
ブリテン等とも交易があり、その頃からのしがらみでいわゆる白人種も相当
ステップ地帯に入り込んでいた。これとは別に旧石器時代にマンモスを追って
シベリアに入り込んでしまっていたのもいる。そういうものとモンゴロイドが
共存しながらインダス峡谷、中国、朝鮮半島に入り込んだ。特に有名なのが
サカ、賽族であり、これが大避、大酒の語源でしょう。ところでウラルにある
アミンベクというヨセフと同じ話はユダヤ人とウラル人が同じイベントを共有
していたと言うことかもしれません。アメノヒボコというのはヨセフと同じくらいの
存在が次第に神格化されたものかなと思います。

135 :月光仮面:2007/01/10(水) 08:29:35
トルコ等には多少アジア系も見られるが、ハンガリー、フィンランド等は言語が
膠着語ではあるのに完全な白人であると言うことは、いわゆるフンと呼ばれるものが
アジアに古い時代に侵入してきた白色人種が騎馬民族として里帰りしたと言う方が
適切なのかもしれません。ところが、日本に入ってきた坂上田村麿等は名前からして
サカ族ターメルラン、チムールといった感じなのに加えて、形質も、肉食傾向も
白人であった模様です。今でもほんのわずかですが大鵬親方のような古い白人系
と見られる人がいますね。

136 :月光仮面:2007/01/10(水) 09:03:00
毘沙門天像にエリツィンそっくりなのがいて、多分、ロシアを追われたエリツィン
の先祖がオホーツクから日本に亡命して毘沙門天になったのではといわれますが、
ことさように、ウラル方面にはモンゴロイドの痕跡が残るし、フィンランドとの国境
沿いのロシアカレリア地方には7000年前からモンゴロイドがコーカソイドと共存
していたようです。つまりユーラシア北部では白人・黄色人種が相互乗り入れを
やっているようですね。

137 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:12:09
確か日本海北部(秋田とか)の一部の人からは白人が持つ遺伝子が出てるよ。

138 :月光仮面:2007/01/10(水) 09:55:56
>>134
アメノヒボコは単にアメン日神、つまり、エジプト起源の太陽神アメンということで
アミン・ベクもそうした意味があったのかも。こうなるとアマテラスがアトンということに
なるんだが。秦氏は歴史の台本も用意していたのかもしれない。


139 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:06:09
115 名前: 名無しのひみつ 投稿日: 2007/01/05(金) 00:28:38 ID:cPctGueS


福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)
黄泉の国と、黄泉の国へ向かうための船
http://cyber.infoware-d.jp/kikaku/pictures/uzu02006.png
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat2.gif

エジプトのピラミッドの壁画
死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat1.gif
ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。

ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。
これはキリスト教の聖母子像の原型とされる。


両者が全く関係ないというほうが無理がある。
珍敷塚壁画を描いた人々は、どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の
構図を知っていたのか

140 :月光仮面:2007/01/10(水) 12:12:27
布留の御霊がホルスの御霊でないかと思っていたんだが、ありそうだな。

141 :月光仮面:2007/01/10(水) 15:29:41
秦氏のマダラ神、そのシンボルは茗荷というが、これは女性性器、佐渡でみられる
類似の神事からしてそれは性行為を表すようだ。そして牛と関係するこれは小河墓
遺跡の墓標が男性は軍配型女性性器、女性は赤いとがった六角柱。極めて生殖
を重視。これは綏遠の山戎が女陰と手の形を崇拝するのと同じ。又、小河墓の埋葬
形態は基本的に箱式石棺墓に似ている。そして小河墓は数百年後のトカラ族の故郷。
トカラ人は飛鳥時代の推古・斎明時代に大挙来日している。記紀によれば形質が白人で
キモイために海に捨てようとしたが、須弥山、石橋等の建造能力を売り込んだとある。秦氏はこの民族とさほど遠い関係にはなかったと考ええられる。現在ロシアの学者には
このトカラ人はカラスク青銅器文化を殷に導入したものとしている。サカ族というのは
これより時代が下るスキタイ時代のイラン系の部族であり、秦氏をサカ族とするのは
問題があるかもしれない。ただ、秦氏が古代の銅鐸、つまり、出雲とは何らかの関係が
あるようであり、出雲大社の裏に鰐淵寺というマダラ神の神社がある。

142 :月光仮面:2007/01/10(水) 15:46:32
イラン系、特にサカ族ではイラン神話のフマイという太陽の鳥、これがなまって
ウマイと呼ばれモンゴル高原のモンゴロイドの神様になったが、これが女性の
太陽神であるという。日本語にもウマシマジとということbがあるがこのウマと
いうのはサカ系の言葉かもしれない。そしてテングリというのが天神地神であり、
方墳なのに対してウマイの方は円墳、盆踊りも輪踊り、天神地神は二列縦隊
だそうである。

143 :月光仮面:2007/01/10(水) 15:54:59
ここでちょっとアルタイの考古学タイムラインを見ると↓
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800
パジリク(盛土クルガン墳)以下の2時期に分かれる:
パジリク・クルトゥースカヤBC800-600
パジリク・マイェミルスカヤBC600-500
パジリク・ボリシェレチェンスカヤ(パジリク最盛期)(石囲い・
積石土盛クルガン墳)BC600-200
パジリク・シビンスカヤ BC200-0
ここでカラスクの上と下はイラン系統のようであるが、オークニェフというのが
非印欧系であり、セト神、スサノオのように百足に絡んだステラが多い。これが
銅鐸をもたらしたのであればカラスクとは人種が違っていたのかもしれない。


144 :月光仮面:2007/01/10(水) 16:33:33
生殖重視・女陰崇拝の山戎文化、これとエジプトのピラミッドで見られる磐舟
これには生殖を通り越した太陽の再生という概念があるようだ。顕著には加賀の
潜戸のキサカ姫、タケルガ峯近辺の岩戸を含む物部遺跡、熊本のトンカラリン
等で秦族も教義を理解しない縄文人にはさぞや閉口したのではないかと思うが
釈迦の嘘も方便の気持ちで地域住民に溶け込んでいったのであろうか。

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