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謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!

1 :神奈川県民:2006/12/30(土) 21:09:57
女王 卑弥呼とはいったい誰なのか?神功皇后説、熊襲の女酋説、
甕依姫説、倭姫説、倭迹迹日百襲姫説、下照姫説、天照大神説、
日女命説と卑弥呼の候補者は多い!
また、邪馬台国とはどこにあり、日本神話や古代王朝との関係は?
古代史の謎を解きあかせ!

2 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:17:23
あほいな
似たようなスレいっぱいあるし。

3 :奈良県民:2006/12/30(土) 21:35:25
エッヘン! わが県は候補者目白押し!
一人に絞るの、もったいないほどやが、 
ま、わしは倭迹迹日百襲姫説やな。

したがって、お墓はとうぜん箸墓古墳。
最近の考古学の成果にもよく適合する。
うん、これで決まり! 終了!

4 :神奈川県民:2006/12/30(土) 22:31:38
>>2
ほかのは邪馬台国の場所がメインやない?


5 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:41:07
魏志倭人伝より
その国は、もとまた男子をもって王としていた。
7〜80年まえ倭国は乱れ、あい攻伐して年を歴る。
すなわち、ともに一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼(女王:ひめみこの音を写したとみられる)という。
鬼道につかえ、よく衆をまどわす。年はすでに長大であるが、夫壻(おっと・むこ)はない。
男弟があって、佐(たす)けて国を治めている。
(卑弥呼が)王となっていらい、見たものはすくない。婢千人をもって、自 (身)にはべらしている。ただ男子がひとりあって、(卑弥呼に)飲食を給し、辞をつたえ、居拠に出入りしている。


6 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:47:57
お〜い!太国!
出番だぞーっ!

7 :太国:2006/12/30(土) 22:54:09
俺は寝る。明日な。

8 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:59:00
卑弥呼=天照大神
この説が一番自然

9 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:02:08
天照大神説、根強いが、卑弥呼は夫壻(おっと・むこ)なしなんだ。
そこを解決してくれるレス求む


10 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:03:32
>>8
天照大神説なぜ支持する?なぜ1番自然なのだ

11 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:04:44
>>9
天照大神にも夫はいない。

12 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:09:08
どういう意味で天テラスと卑弥呼だ同一なんですか?
元々天テラスってタカムスビノカミっていう
出雲の高麗人の神だぞ

13 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:10:10
邪馬台国=ヤマトの原型です!
邪馬台国問題ははじめ、卑弥呼=天照大神で九州説をとってましたが、
どうやら卑弥呼=地方豪族の娘で畿内説のようです。
ニギハヤヒ大王に代わるヤマトへの養子縁組として
イワレヒコ(神武天皇)が東征を始めましたが途中、長髄彦の反逆に
遭いながらもニギハヤヒ大王を国の守り神とすることを条件に初代
神武が即位したのです。いったんは統一国家に向けうまくいくかと思いましたが、
すい靖、以降の大王では国中が服さず(倭国大乱)、共立された地方豪族の娘、
卑弥呼によって国中が収まり。最終的には豊姫がまとめたんでしょう。
豊姫を経て、大和朝廷の初代王、ミマキイリヒコ(祟神天皇)から
徐々に天皇家によって天下統一されていったようです。

以上が私の考えです。しかし、天照説、百襲姫説もまだ考えれます。
みんなで暴いていこうじゃないですか!

14 :神奈川県民:2006/12/30(土) 23:21:18
>>11
全国各地にのこる神社の伝承よりアマテラスが誓約により3女を
もうけ育てた話などの耳にします。夫ナシといえますかね?

15 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:33:07
>>14
須佐之男命との誓約のとき、須佐之男命の剣を天照大神が噛み砕き、空中に
吐き出すと、三柱の女神が生まれた。いわゆる宗像の三女神で、これは
須佐之男命の持ち物から生まれたので須佐之男命の子となった。

逆に、天照大神の首にかかっていた五百個の玉を須佐之男命が噛み砕き、
空中に吐き出すと、五柱の男の神様が生まれた。これは天照大神の
持ち物から生まれたので、天照大神の子ということになった。

その五柱の男の神様の中に忍穂耳命がいる。これが邇邇芸命の父親になる。
邇邇芸命が天孫で日向に天降る。そのひ孫が神日本磐余彦つまり神武天皇。

記紀ではそういう風になってますね。

16 :神奈川県民:2006/12/30(土) 23:45:59
記紀ではそうですよね。
しかし神社の由来とか伝承・伝説てあるでしょ。
それにもっと詳しく書いてたりする。


17 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:48:17
>>13
>どうやら卑弥呼=地方豪族の娘で畿内説のようです。
なぜ?
>神武が即位した
「神武が即位した」といえるのは、あくまでも結果論であって、当時の神武
(というよりは彦火火出見)は明日の保証もない遠国からの客人にすぎなかった
と思いますが。
>すい靖、以降の大王
と言う事は「綏靖以降の大王」もありえず、大王と呼んでいいのは崇神以降かと。

18 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:58:25
普通に考えてみろよ
邪馬台国(ヤマタイコク)と大和国(ヤマトコク)
日本語が読めるならこれだけ似ている音がなぜ違う国家なのかまずその説明が先でしょ
それに邪馬台国の卑弥呼という女性シャーマンと大和国の天照大神という女神
あまりにも似てるのに否定する方が不自然

19 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 00:03:33
>>18
ついでに言えば、倭面土国。これもヤマト国が訛ったと言えなくもない。


20 :神奈川県民:2006/12/31(日) 00:27:38
>>17
それはいろんな候補(神功皇后説、熊襲の女酋説、甕依姫説、倭姫説、倭迹迹日百襲姫説、下照姫説、天照大神説、
日女命説)があるが「地方豪族の娘(ニギハヤヒ系)」が1番うなずけるから?!
もしその豪族の娘だとあの不可解な日本書紀の年代、各神社の祭神の抹消・名の変更等、
納得できるし、ほかの説もいいだが、天照だと九州になるし、百襲姫だと伝承が少なすぎる。

神武は大物主の娘(大王の娘)をとりの即位した。この娘が大物だ!
この事は古事記、先代旧事本記等により確認がとれ結婚記念碑もある。
大王の娘と結婚して即位したイワレヒコ以降の天皇も大王とみなすのが普通やない?


21 :神奈川県民:2006/12/31(日) 00:28:35
>>12
それも違うwww

22 :神奈川県民:2006/12/31(日) 00:31:58
>>18
それを言うなら、倭迹迹日百襲姫説、という女性シャーマンと天照大神という女神
あまりにも似てるのに否定する方が不自然  でもあるw


23 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 00:59:05
邪馬台国は九州?近畿?

24 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 02:19:20
>>23
卑弥呼の時代には北九州の甘木地方にあり。
台与の時代に大和に遷都し、後の大和王権になった。

これを「邪馬台国東遷説」という。
よく覚えておけ。

ちなみに記紀では卑弥呼を天照大御神またの名を大日孁貴神 (おおひるめのむちのかみ)と呼び、
台与を豊受媛神(とようけびめのかみ)と言っている。

25 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 02:20:56
>>24
朝鮮系の多い京都人の好きな説だな、
関東の朝鮮人もその説が好き。

26 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 02:23:51
人生は何歳で終わるか
0歳:産まれた時点で人生決まる説
3歳:三つ子の魂百まで説
10歳:算数落ちこぼれたらもう終わり説
12歳:英語、数学落ちこぼれたらもう終わり説
15歳:高校入試失敗したらもう終わり説
18歳:大学入試、就職試験失敗したらもう終わり説
20歳:大人の階段昇る
20歳:短大、専門、高専卒で新卒逃したらもう終わり説
20歳:二浪もう終わり説
22歳:大卒で新卒逃したらもう終わり説
22歳:ブラック企業入社したらもう終わり説
25歳:第二新卒逃したらもう終わり説
25歳:勝ち組にもうなれない説
30歳:職歴なしもう終わり説
30歳:未経験の職種に転職できる最後のチャンス説
35歳:職歴なし本当にもう終わり説
35歳:転職できる最後のチャンス説
40歳:経験があれば転職できる最後のチャンス説

27 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 02:24:11
甘木説は小学生の妄想から始まってる。
大正時代のクマソ=南九州説も同様。

小学生的妄想から始まってる。
それを正当化すべく嘘で塗り固めている。


28 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:02:04
邪馬台国は想像以上に強大な国家だぞ
戦乱の中原を魏の都までたどり着き朝貢したんだ
確かにその時は粗末な布と奴隷くらいしか献上できなかったが下賜された高級絹織物を分析し次に朝貢した時にはそっくり同じ織物を織って朝貢したと書かれてる
さぞかし魏の人々も驚いただろうよ
だからこそ金印も下賜され扱いも丁重だったんじゃないか?
そんな強力な国家を倒す勢力があの時代の日本列島に存在すると考えにくいだろ
だからこそ邪馬台国=大和国であり卑弥呼=天照大神と考えるのが自然じゃないか?

29 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:03:51
>>27
ハア?

そもそも嘘で塗り固められてるのは畿内説。


30 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:05:37
何の根拠もない妄想、
小学生に理屈は通用しない

31 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:07:04
>>29
甘木説に比べれば畿内説の方がどう考えても
説得力がある。
漏れは九州説だけどね☆

32 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:08:36
甘木説は天に掛け合わせた小学生の妄想から始まってる。
カス理論、カス、カス!!


33 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:51:30
甘木説というか、筑紫平野全体が邪馬台国連合だったワケさ。
その中枢が甘木だって事よ。
そして後に九州から畿内に移ったのだから、九州説、畿内説どっちも正解。
なお、後期邪馬台国の都は纏向と見て異論の余地はなかろう。

従来の九州説、畿内説には無理が多過ぎて話にならない。
東遷説こそ歴史のミッシングリンクに終止符を打つ説。

カス理論というなら東遷説の矛盾点を挙げて頂きたい。

34 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:58:15
中核は甘木じゃないだろ。
筑紫平野は確かに邪馬台国連合の一つだろうが
すでに崇神は畿内で大勢力に発展してるわけだから
東遷はない。
いまさら矛盾点と逐一挙げるほど必要はなく
邪馬台国のスレで崇神、景行の記述をみれば
小学生でもわかる。


35 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 06:27:39
おまえらコンパスあるかーぁ?


36 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 06:41:09
どう考えても北九州だろw
対馬、壱岐、北部九州のクニを細かく記して、なんでいきなり畿内に飛ぶんだよw
邪馬台国はそんなに大きなクニでなくていいよ。
1世紀に博多の奴国が漢に朝貢し、金印もらってるぐらいだから。
三国のひとつである魏ならどこぞの田舎の誰が来ても喜ぶってw
3世紀には出雲、吉備、原大和など他にかなり大きなクニが日本列島にあった。
しかし魏が倭王と認めたのは九州の女王。なぜなら朝貢に来たからw



37 :九州出身:2006/12/31(日) 07:35:51
コンパスを片手に持ち、邪馬台国、九州説で考える。
まず邪馬台国の全体的な距離だが
「郡より女王國に至ること萬二千余里」「北岸狗邪韓國に至る七千余里」
だから韓国の先から五千余里となる。
七千余里=約525Km 五千余里=約375Km 萬二千余里=約400Km

次に邪馬台国の方角及び国々へ距離だが
「対馬國から南に海を渡ること千余里、一大國に至る」
「又海を渡ること千余里、末盧國に至る」
「東南に陸行して、陸行五百里、伊都國に至る」
「東南、奴國に至ること百里」「東行して不彌國に至ること百里」
「南のかた投馬國に至る。水行二十日」
「南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。」

まず対馬國(対馬)からの方角が表れるが南南東の方角を「南」と記す。
地図を用意しその方向に沿っていくと不彌國が筑紫野らへんになる。
ここから問題だが、クネクネした道だったのだろう。南南東(南)へ
水行二十日いくと投馬國(熊本らへん)に至る。
投馬國から南南東(南)へ水行十日、陸行一月クネクネした道いくと
女王の都とする邪馬台国があるらしい。

日本地図を用い、韓国の端〜約375Kmの地点を支点にコンパスでなぞる。
投馬國から南南東方向と交差した点が君の探してる幻の国じゃないか?

日向、西都原、高千穂らへんになったか?^.-




38 :九州出身:2006/12/31(日) 07:39:55
<訂正>
韓国の先 ⇒ 韓国の端
萬二千余里=約400Km ⇒ 萬二千余里=約800Km



39 :九州出身:2006/12/31(日) 07:50:13
今日の授業はここまでだ。異論ある奴は一生探してろっ!アッハハ

40 :後藤さん:2006/12/31(日) 07:52:00
>>34
>すでに崇神は畿内で大勢力に発展してるわけだから

笑わせないでくれ。
天照大御神が活躍した時代に何で崇神天皇がいるんだよ。
古代の天皇の平均在位年数は約10年前後なのでそこから算出すれば、
3世紀初頭〜中葉までは天照と豊受媛の時代で、
3世紀後半〜4世紀初頭までが神武天皇の時代だ。
崇神天皇は4世紀末の人。
しかも、これは中国の歴史書にも符合する。

>>35
魏の使者は持ってなかっただろうね。

>>36
その通り、魏志に出てくる時代の邪馬台国は北九州。
魏志には「剣・玉・鏡・矛」は出てくるが「鐸」は出てこない。
しかも記紀もこれに符合して鐸の記述はゼロ。
それがそのまま東に移って大和王権の象徴になった。


41 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 07:57:29
>>40
あったまわるーっっっw
すっげえーどったっまわっっるーーー
バカの頂点突っ走ってるな
アンポンタン!www

どこに卑弥呼=アマテラスと証明してある
サッル!www

42 :太国:2006/12/31(日) 07:58:29
天照大御神は崇神の世よりずっとずっと古い時代の姫である。
在位が平均10年位の算出はいい加減すぎる。だから大きく外れる。

43 :九州出身:2006/12/31(日) 08:00:30
>>40
おまぇは小学生以下か?
「魏の使者は持ってなかっただろうね。」て当たり前だろっ!
先生だって持ってねぇーよ 木だ!木で十分!
俺の説明みなかったのか?北九州だと距離が短すぎる!
どうゆう頭して計算してるんだ わかるように説明してくれ



44 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:00:38
だいたいその存在さえ怪しいアマテラスを
指標につかう時点が小学生のチノウw

アンポンタンw


45 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:02:08
アンポンタンは全てにおいてチノウがヒクーーイ!
つっこみどころ満載の小学生。
もうやめれ!

46 :後藤さん:2006/12/31(日) 08:30:03
>>41
どう考えても天照=卑弥呼だろがw
ちなみに記紀では天照大御神を別名「オオヒルメ」と呼んでいる。
「オオヒルメ」とはすなわち「大いなる日の巫女」の事。
「日の巫女」=「卑弥呼」と解釈するのは至極自然。

>>42
>在位が平均10年位の算出はいい加減すぎる。

奈良時代以前の記録上確かな天皇の平均在位年数は10.88年。
そして1〜4世紀の中国の王の平均在位年数は10.05年。
さらに1〜4世紀のローマ皇帝の平均在位年数は9.04年。
当時の平均寿命などから見ても充分に妥当な数字と言える。

ちなみに日本の天皇や中国の皇帝の平均在位年数が20年を超えるのは17世紀以降である。
古代日本の天皇だけが当時の世界的に見て異常に長い治世であったのは考え難い。

47 :後藤さん:2006/12/31(日) 08:33:51
>>45
漢字も書けない幼稚園児に言われたくないw
それともゆとり教育世代か?
ならば、むしろ不憫だ。

48 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:43:46
後藤さん可哀相な人だから許してあげようw

49 :後藤さん:2006/12/31(日) 08:47:47
>>48
済まないね、論破しちゃったよw

50 :九州出身:2006/12/31(日) 09:38:00
あれは馬だ!「いいや犬です」、それは犬だ!「いや絶対違う!」
邪馬台国はあそこだ!「いいや 絶対に伊都国王」 って

バカっていつもこんな感じだよね?(笑) 

自力では見つからないなら学ぶべき!


51 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:51:18
卑弥呼とアマテラスは関係ない。
アマテラスの前はスサノオがこの国の神だったんだから。
またアマテルとアマテラスも関係ない。

スサノオを否定する為につくりだされた神なので卑弥呼と直接関係ない。
中国の文献や言い伝えで卑弥呼の存在を知っていた可能性があるが。


52 :後藤さん:2006/12/31(日) 10:07:49
>>51
>アマテラスの前はスサノオがこの国の神
>スサノオを否定する為につくりだされた神

ソースを出してもらおうかね。


53 :後藤さん:2006/12/31(日) 10:41:18
>>51
>アマテラスの前はスサノオがこの国の神
>スサノオを否定する為につくりだされた神

ソースを出してもらおうかね。


54 :後藤さん:2006/12/31(日) 11:14:46
>>51
>アマテラスの前はスサノオがこの国の神
>スサノオを否定する為につくりだされた神

ソースを出してもらおうかね。


55 :後藤さん:2006/12/31(日) 11:48:18
>>51
>アマテラスの前はスサノオがこの国の神
>スサノオを否定する為につくりだされた神

ソースを出してもらおうかね。


56 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:24:17
>>51
>アマテラスの前はスサノオがこの国の神
>スサノオを否定する為につくりだされた神

ソースを出してもらおうかね。


57 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 13:37:09
日本神話じゃね?
スサノオ→ナムジ→天照大神に命じられた神武天皇

58 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:04:34
>>52>>56
しつこいな。1回で十分だよ。

59 :太国:2006/12/31(日) 14:08:34
>>46
どうして17世紀以降だということが分かる? そんなことはないはずだ。
君のは事前に

卑弥呼−−−→・←−−−天照大御神

としてしまおうとするHな恣意的論理から勝手に10年計算を結論付けたもので、
非常にいい加減な論説極まりなく、出鱈目の見本のようなものである。

60 :神奈川県民:2006/12/31(日) 14:11:51
>>37
>>38
>>39

自分は畿内だと思う。理由は卑弥呼に該当する墓がない。

ほかの人はどうですか?


61 :太国:2006/12/31(日) 14:13:55
卑弥呼は九州の人。記紀には朝廷の隣に女王国が並存したという
記録はない。

62 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:14:01
>>60
畿内に卑弥呼に該当する墓なんてあったけ?

63 :神奈川県民:2006/12/31(日) 14:16:51
>>62
箸墓がある。九州は箸墓ぐらいサイズあったかな?

64 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:20:40
箸墓って卑弥呼の時代と合わなくなかったけか?

65 :神奈川県民:2006/12/31(日) 15:01:10
箸墓古墳は3世紀半〜3世紀後半頃の築造であると考えられ、「前方後円墳」
の中では最古である。
奈良県の黒塚古墳などから出土した三角縁神獣鏡の新旧関係から築造は
西暦260年頃と推定されるようになり、以前に考えられていた時期より
30〜40年位時代を遡るようになった。
卑弥呼の死去(西暦247年頃)から墓の完成まで10年以上を要した
大公共事業だったと思われる。
しかし、頻繁に魏との外交を重ねていた卑弥呼の墓であるとしたら
中国製(魏製)の遺物(鏡、甕や高杯・壷)などが見つからないのもおかしい。
巻向古墳周辺で発掘さえすれば断定できるのだが・・

66 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:25:08

ここも養豚場でつか?


67 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:26:26
>>66
おまえが豚。
書く事ないなら来るな糞豚!

68 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:44:55
>>65
箸墓って3世紀後半〜4世紀初頭じゃないの?
何で三角縁神獣鏡から時代が遡るようになったかわかんないけど。
まあ、卑弥呼の十数年もかけて墓を作成することは
十分に有り得るだろうから墓という観点で見れば
九州説は不利かも知れないね。
箸墓って宮内庁が管理してて中は確認できないんだっけ?

69 :神奈川県民:2006/12/31(日) 16:12:30
>>68
初めの調査では3世紀後半〜4世紀初頭。
いまでは改められ3世紀半〜3世紀後半頃の築造であると考えられてる。

円周りまでですよね。

70 :神奈川県民:2006/12/31(日) 16:13:48
>>68
初めの調査では3世紀後半〜4世紀初頭。
いまでは改められ3世紀半〜3世紀後半頃の築造であると考えられてる。

円周りまでですよね。

71 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:50:24
箸墓古墳は祟神大王(天皇)の墓だろ。

卑弥呼の墓は吉野ケ里遺跡の中にあるだろ。

邪馬台国は吉野ヶ里一帯だ。進入してきた伽羅人によって滅ぼされた。
金官伽羅国の首都・金海(現在の金海市)からマキ向へ遷都した。
金官伽羅国の始祖王・金首露王と祟神大王と倭王旨は同一人物だ。

朝鮮半島南部から関東までの伽羅人による伽羅人の為のゆるやかな連合王国。
それが日本の原型だ。

古墳時代前期の古墳構造,副葬品,集落の形態が朝鮮半島南部とそっくりなのはそのせい。
埋葬されている人骨の特徴が半島南部の人間とそっくりなのもそのせい。

古墳時代中期・後期には百済から大量渡来があった。
古事記などにでてくる日本統一はゆるやかな連合王国だった国々を畿内王国の直接統治に
したことを元にしている。
毛野国(群馬+栃木),武蔵国(埼玉),吉備国(岡山+廣島),科野国(長野県更埴市),筑紫国(福岡),火の国(熊本北部)
豊の国(大分)などでこの頃一斉に反乱が起こったのは百済人による統治を嫌った伽羅人が反抗したもの。


時期百済王になるはずだった百済の余昆が祟神王朝へ入り婿してから百済系の王朝になった。
余昆は中国南朝から取り入れた進んだ文化を倭国へ移植した。
文化的にも軍事的にもレベルアップした。
大量に渡来した百済人技術者や軍人,農民,は百済系倭王朝と百済王朝による植民政策によるもの。
直接統治し分割した伽羅諸国へ軍人集団を送り込んだり,縄文人の土地を奪い入植している。

古墳時代中期以降,倭国が拡大しているのはこの為。


72 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 20:22:33
>>65
出土品に魏から下賜されたものがないのはシャーマン的存在だったからじゃないかな?
王ならば財産としてともに埋葬されるだろうけど魏志倭人伝の記述をみても多くの豪族に推戴された指導者のように思う。
証拠に箸墓の構造が大きな石組みでの建造ではなく人間一人が抱えられる石によって構築されている
これは何を物語るかというと強制労働によって作られた墓ではなく工事に携わった者の自主性が窺えるわけ
奴隷を使うなら効率良く大きく丈夫な石を無理やり運ばせればいいわけだしね
恐らくシャーマンを尊敬する人々が心を込めて石を運んだんだろう
基本的に天皇家の古墳はその傾向が強いね

73 :神奈川県民:2006/12/31(日) 20:34:27
>>71
長い文章おつかれさん

しかし、「箸墓古墳は祟神天皇の墓だろ。」とのことですが、日本書紀を読むとよいでしょう。
日本書紀によると、倭迹迹日百襲姫が死なれた時、「大市に葬った。
時の人はその墓を名づけて 箸墓という」と記されてます。

上記のことから箸墓の被葬者は百襲姫です。祟神天皇ではありません。

74 :九州出身:2006/12/31(日) 20:45:46
>>73
私も同じ意見だ。日本書紀を読めばそうなる。

75 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 20:52:35


>>72氏へ
大きな石こそ自主的な人々の
協力あって初めて運べると思う
真実はまったく逆だろうと思う




76 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 20:57:02
>>72氏へもう一度
箸墓の石室は未調査ときく
貴殿は石組みの写真か何か
つかんでおられるのか

77 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:29:28
>>65
卑弥呼の墓は径百余歩だから、円形と考えるのが普通。
畿内説もこれは心得ていて、後円部は跡で継ぎ足したと主張していたが、
結局、同じ時期の土器が出土して同時期に築かれたことがわかった。

箸中山古墳は、宮内庁の管轄だから発掘調査は出来ないが、もし出来たとしたら
かえって畿内説には不利に働く可能性が強い。
周辺の古墳からはめぼしいものは何も出ていないし。

78 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:34:16
>>73
箸墓は倭迹迹日百襲姫の墓だが、箸中山古墳が箸墓である保証はない。

79 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:42:30
三角縁神獣鏡から年代推定?
考古学というより擬似科学的だなw

80 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:47:31
>>75
協力とは聞こえがいいけどそういう作業は必ず指揮を取るものが必要だし決して平等とか自主と相容れない
現代の工事を見ればわかると思う
いや現代の社会構造そのものを見れば支配者と奴隷の関係であり決して自主的とはいえないのがわかるはず
>>76
ググれば内部の模型まで出てきますよ

81 :神奈川:2006/12/31(日) 22:01:42
>>77
そうそこが問題!周辺から魏製の鏡でも出てくれば話は別なんだが

82 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:04:18
現代の工事の作業員は奴隷なの?
本人に「あなた奴隷ですよね」なーんて尋ねたら、怒られちゃいそう。(^^;

83 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:27:14
「奴隷制廃止とは奴隷たる自意識を廃止するということである」
                    芥川龍之介

84 :九州出身:2006/12/31(日) 23:29:13
>>78
これをプレゼントしよう↓

>>50

85 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:35:33
>>83
違うとおもう、奴隷は奴隷という意識がない。
現代の漏れのような低賃金層がまさにそれ!

86 :九州出身:2006/12/31(日) 23:41:17
>>37 >>39 ≪引用≫
コンパスを片手に持ち、邪馬台国、九州説で考える。
まず邪馬台国の全体的な距離だが
「郡より女王國に至ること萬二千余里」「北岸狗邪韓國に至る七千余里」
だから韓国の端から五千余里となる。
七千余里=約525Km 五千余里=約375Km 萬二千余里=約900Km

次に邪馬台国の方角及び国々へ距離だが
「対馬國から南に海を渡ること千余里、一大國に至る」
「又海を渡ること千余里、末盧國に至る」
「東南に陸行して、陸行五百里、伊都國に至る」
「東南、奴國に至ること百里」「東行して不彌國に至ること百里」
「南のかた投馬國に至る。水行二十日」
「南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。」

まず対馬國(対馬)からの方角が表れるが南南東の方角を「南」と記す。
地図を用意しその方向に沿っていくと不彌國が筑紫野らへんになる。
ここから問題だが、クネクネした道だったのだろう。南南東(南)へ
水行二十日いくと投馬國(熊本らへん)に至る。
投馬國から南南東(南)へ水行十日、陸行一月クネクネした道いくと
女王の都とする邪馬台国があるらしい。

日本地図を用い、韓国の端〜約375Kmの地点を支点にコンパスでなぞる。
投馬國から南南東方向と交差した点が君の探してる幻の国じゃないか?

日向、西都原、高千穂らへんになったか? (^.-)
今日の授業はここまでだ。異論ある奴は一生探してろっ!アッハハ






87 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 02:52:30
当時の中国人の日本列島の方位に対する認識は
魏志以外では、それ以後に書かれた後漢書にヒントがかくされている。

後漢書では、倭奴(元々は委奴か?)国は、倭の最南端にあると言っている。
おそらく、この国は北九州のあった奴国か伊都国かのどちらかだろう。
その国のことを倭の最南端だと言っている。

また、当時の中国人がみた日本の土地感は、日本海側からみた
逆向きにしたもので、これは、中世くらいまでの日本地図にも書かれている。
中国人は中世まで、日本列島は南北に広がっていると考えていた。

>大陸から見た日本<
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-5.htm

88 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 02:53:25
>>85
2ちゃんで毎日遊んでるオマエが、奴隷だと言うのか。
昔のホンモノ奴隷さんか聞いたら、怒り狂うぞ!
ブチ殺されるぞッ!

89 :後藤さん:2007/01/01(月) 07:26:24
>>59
>どうして17世紀以降だということが分かる?

1611年3月に即位した後水尾天皇〜1989年1月に崩御した昭和天皇まで約379年間、
計17代の天皇の平均在位年数は「379÷17=22.29…」だから。
もちろん光格・明治・昭和など在位の長い天皇を含め無ければもっと短くなる。
江戸時代になっても10年前後の治世しかなかった天皇が殆どだ。
なのに古代の天皇だけ在位年数が異様に長いのは不自然極まりない。


90 :後藤さん:2007/01/01(月) 10:02:18
>>87
>魏志以外では、それ以後に書かれた後漢書にヒントがかくされている。

後漢書の方が先に書かれてます。
漢の次が三国時代です。

>中国人は中世まで、日本列島は南北に広がっていると考えていた。

有名な「混一彊理歴代国都之図」1402年に李氏朝鮮で作成された地図だが、
これは李氏朝鮮の廷臣である権近が当時の日本で広く用いられていた「行基図」を図中に不用意に挿入したもの。
すなわち行基図は西を上にして描かれているためである。
ちなみに島原市本光寺に所蔵されている同時代の地図はきちんと日本列島が東西に長く描かれている。
そもそも、大陸との間で古来から朝貢や通商など頻繁に行っているのも関わらず、
日本列島の方角を1000年以上も把握していなかったというのは不自然すぎる。
大体「混一彊理歴代国都之図」以外に日本列島を南北に描いた地図があるという話も聞いたことが無いので、
まったく話にもならない。

91 :太国:2007/01/01(月) 10:36:37
>>89
>古代の天皇だけ在位年数が異様に長いのは不自然極まりない。

当時は2倍年暦等を行っていたから、実質上は現代と比べ同程度の寿命で
あるからおかしくはなく、不自然なことはない。
言えることは、当時の結婚は10代前半でもやっていたことと、立太子も10歳
前後でも行っているので、それを考慮すべし。

92 :後藤さん:2007/01/01(月) 11:53:49
>>91
>当時は2倍年暦等を行っていた

こういうトンデモ説を出されても困ります。
そもそも2倍暦を使っていたという確固たる証拠は?
仮に2倍暦を使っていたとしても、応仁天皇は130歳(65歳)、
雄略天皇は124歳(62歳)まで生きていたというのは当時の寿命としては異様過ぎる。
化け物ですかw

>当時の結婚は10代前半でもやっていたことと、立太子も10歳
>前後でも行っているので、それを考慮すべし。

それは当時に限らず、近世に至っても同じでは?
それらを考慮しても、平均在位10年前後という数字は世界的な平均値。
中国や西洋の王と比べ、日本の天皇だけが特殊だったワケでは無い。

93 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:02:26
>>86
クネクネという言葉にまったく説得力が宿ってないね。

94 :太国:2007/01/01(月) 12:34:47
>>92
証拠という言葉を言ってきたところを観ると、フフン、君が追い詰められ
てきたことを物語っているようだな?w 君の論こそトンデモが多いぞ。
映画やTVの探偵ドラマやなんぞでも。犯人は追い詰められると証拠証拠と
わめくんだそうだな。w まぁそれはいいとして

2倍暦等というのは等倍暦と3倍暦とを含んでの意味で、3倍暦の使用により
應神らの寿命も妥当な歳であることがわかる。だから化け者ではなく、現代
で考えられうる当たり前の寿命であったということなのだ。

紀によると、綏の立太子は 皇紀42年1/3 になっているが、即位は皇紀80年
1/8であり、この辺の天皇は殆どが1月即位がである。ところが次代の
安寧は即位が皇紀113年7/3で、綏の立太子の月日数からして丁度半年後に1月
でない即位をしていることが分かる。なぜ安寧は1月即位でなかったのか?

そう、それは安寧の世においては、1年が現今の半年だったという事を物語る。
2倍暦をやっていたのであり、この半年の差が如実にそれを物語っているのだ。

欠史八代間の各天皇の記事を見てみれば面白いことが分かる。記事はほぼ全部が
月の前半にあり、1日〜14日までに終始しており、月の後半の記事がまるで
ない。15日〜30日までの記事が0と言っても過言でないほど無いのである。
つまりだ、原則的になるが、当時の1ヶ月は今の半月だったという事なのだ。
だから一例ではあるが、紀の八代間の記事は2倍暦の強力な文証になる。

「2倍念暦の真実」のスレには、崇神と垂仁世の3倍暦の紀の文証を掲げて
あるから読まれたい。(同スレで断続的に >133〜137 >154〜162あたり)


95 :九州出身:2007/01/01(月) 12:35:30
>>93 はシツコイな 揚げ足とるにゃなく凧でもあげとけ!

クネクネ ⇒ 「左右に曲がった道を行くと」に変更

これでいいか?

96 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 16:46:12
>>90
編纂されたのは、三国志のほうが先で、後漢書があと。
三国志の陳寿は3世紀後半の人で、後漢書の范曄は5世紀前半だから、
三国志のほうが150年位前になる。

ただ、どちらも日本にきたことはないわけで、何かの資料を基に書いている。
だから、先に出来たから正しいというわけでもないと思う。
三国志のほうが日本のことを詳しく書いているが、後漢書のほうが誤字は
少ないと思われる。

後漢書のほうがあとだから、三国志を参考にしている可能性はある。
その意味からすると、三国志と後漢書で異なる部分は、わざわざ訂正して
いるわけだから、後漢書のほうが正しいといえなくもない。

狗奴国については、後漢書を取るか三国志を取るかで大きな違いがある。
僕は、後漢書の説を取り入れて、狗奴国(拘奴国)が出雲である可能性も
考えなくてはならないと思っているのだが。

97 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/01(月) 16:59:38
>>90
>後漢書の方が先に書かれてます。
>漢の次が三国時代です。

時代は漢の後が三国時代だが、書物ができたのは三国時代を書いた魏志倭人伝が先。
著者の陳寿は、卑弥呼とほとんど同時代の人間で15歳のときに卑弥呼が死んでます。
それだけに文章の信頼性は、天と地の差があるというべき。

後漢書:::西暦432年
三国志:::西暦290年

−−−−−(引用開始)−−−−−
『後漢書』の成立は既述の通り、432年と後漢滅亡から200年以上が経ってからのことであり、
年代的には後のことを記述している『三国志』の方が先に成立していた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8

98 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/01(月) 17:02:13
>>91
>当時は2倍年暦等を行っていたから、実質上は現代と比べ同程度の寿命で

間違い!
2倍暦を使っていたという根拠はない。
ただ、可能性が無きにしも非ずというアヤフヤナ噂に過ぎない。

99 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/01(月) 17:27:49
>>94
>だから一例ではあるが、紀の八代間の記事は2倍暦の強力な文証になる。

全く証明にはなってない。
日本書紀の年代が、その時代ではデタラメダという証明にはなってるけどね。

紀のどこかに2倍暦でも使っていたとでも書いてあるのならともかく、あなたの妄想から
出てきた噂は撒くもんじゃない。

どんなに記憶力の良い昔の人でも、100年以上昔の月日まで先祖代々記憶するのは無理。
面白い出来事や物語なら伝わるけど、無意味な月日なんて覚えれるはずがない。

2500年前にお釈迦さんの喋られた事で、現在に伝えられてる阿含経でさえ物語が似たような
内容でも数種ができてしまってる。

お経として信者が唱える様のものでさえその程度の伝達しかできない。
それを無意味な年月日を正確に「口伝」で日本書紀に伝えれるなんて知能程度が知れるよ。

100 :太国:2007/01/01(月) 17:36:52
>>98
お前の10年説のほうがいい加減な計算の標本であり、出鱈目である。
根拠はちゃんと>>91に述べてある。欠史八代間では
以下のとおり、全部が1日〜14日までの月前半の数字である。これは月後半
が当時無かったことの【文証】であり、いくら恵也が否定してもこの【文証】
は非常に強力であり、不動だと言ってよい。
月後半が無いということは当時1ヶ月が14日間であり、今の半年が1年で
あったということである。恵也の10年計算説はこれで崩れるのである。

   太子  即位  崩御  葬
綏 1/3  1/8  5/10  10/11
安寧 1/7  7/3  12/6  8/1
懿徳 1/1  2/4  9/8  10/13
孝昭 2/12  1/9  8/5  8/14
孝安 1/14  1/7  1/9  9/13
孝靈 1/5  1/12  2/8  9/6
孝元 1/1  1/14  9/2  2/6
開化 1/14  11/12 4/9  10/3

ただし孝安即位のみは、紀では1月の下旬の数字になっているものの、別本
では1/7であり、やはりこれは動かない。

101 :九州出身:2007/01/01(月) 20:25:46
>>99 >>100 おまえらのバトルはなかなか面白い(笑)

太国がいう「2倍暦」てもっと解りやすく説明してくれ。
欠史八代間の太子、即位、崩御、葬て月日は書かれてるが年は?

102 :太国:2007/01/01(月) 21:06:54
>>101
2倍暦っていうのは、現今の半年が当時は1年だったということですよ。
江戸時代に1刻が2時間に相当するようなのと似て、古代天皇の超長寿は
みかけでそう見えるだけで、実は現代人の年齢とそんなに変わらんということ
です。古代のそのころは1ヶ月が実質上の半月であり、2週間だったのです。
だから欠史八代間は1日〜14日までしか数字がないわけです。しかしながら
2倍暦では解決できない問題もある程度あり、そこで3倍暦を使用していたの
だろうという論が出始めて来たのであります。

そのことは例として崇神と垂仁世が3倍暦であるという論拠を「2倍念暦の
真実」(>133〜137 >154〜162あたりに断続的に解説)に書きこんであり
ますので、詳細はそちらでどうぞ。(八代間も3倍暦使用とかがあります。)

これは天皇の暦法が古神道に即して決められていたようで、イザナギ、イザナミ
の黄泉の国での離婚にその由来があるようでして、千五百の産室と千人絞殺の
言い合いに鑑みて3:2の比率から3倍暦と2倍暦とを使用することに
なったのではないか? と拙者は想っておるわけです。

103 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 23:34:59
ふーん 天皇は長生きですね
皇室は7500年続いたんですか?

104 :太国:2007/01/01(月) 23:37:57
>>103
倍って云いますが、逆ですよ。時間が詰まるんですよ。

105 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 00:05:30
その2倍歴というのは中国や朝鮮でも使われていたんですか?

106 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 00:17:07
現在の天皇も150歳くらい生きるのですか?

107 :後藤さん:2007/01/02(火) 00:25:10
仮に古代日本で2倍暦を使おうが3倍暦を使おうが、
単に記録上の年齢や在位年数が2倍3倍になっているだけであり、
現在の西暦に照らし合わせれば平均在位は10年前後だろう。
それを踏まえた上で、記録上ほぼ実在年が確かな用明天皇(西暦586年)あたりから10年づつ遡って行くと
神武天皇の即位した年代は西暦280年前後になる。
その要領で更に遡ると神武天皇の5代前に当たる天照大御神の治世は西暦230年付近になる。
つまり、西暦239に魏に朝貢した卑弥呼の時代に重なるのだ。

108 :太国:2007/01/02(火) 06:57:16
>>105
可能性はあるでしょう。中国の西遊記の物語では、天上の1年は地上の1年に
相当すると書かれています。そのことから、天孫降臨のころは、日本も大陸も
1年が現今での1日の計算だったかも知れないです。

>>106
そんなに長命は困難ではありませんか?

>>107
重なるのではなく、貴殿が重ねているんでしょうが?
卑弥呼=天照大御神 という説は、当時の時代の日本の人口を数百万人として
考えた場合、まさの宝くじの1等、2等とかに当選するような確率であり、
こんなことは極めて考えにくく、成立しないと観るべきである。

いま拙者の2倍3倍暦等の計算から出た在位の一部を掲げると、

綏靖 33歳   安寧 19歳   懿徳 17歳   孝昭28歳
孝安 34歳   孝靈 26歳   孝元 19歳   開化30歳
崇神 23歳

こんなんだから、貴殿の説は大きく狂う。

109 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 07:02:06
>>100太国
>月後半が無いということは当時1ヶ月が14日間であり、

アンタね、そんなアヤフヤナ理由で月の後半がないと断言するとは、本当に単細胞!
あなたが適当に月日を書こうとしても、一定のパターンにハマってしまうんだぜ。
ハマりたくなければそれなりの手段を講じなければ、人間にはできない事。

犯罪捜査にもそれが利用されて、泥棒にもついやり慣れた道具を使い、決まった入口に入り
決まった場所から家探ししてお金を失敬してしまうもの。
日本書紀のデタラメ月日を書く人間も、ついそのパターンにハマっただけの話に過ぎない。

−−−−−(引用開始)−−−−−
犯罪前の準備(情報収集等)、犯罪中の行動(殺人方法等)、犯罪後の処理(死体の処理、
逃走方法等)は、犯人の性格、個性にかなり関係すると考えられている
http://checkpsychology.com/8376838D837483408343838A8393834F/

110 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 07:10:19
>>100太国
>以下のとおり、全部が1日〜14日までの月前半の数字である。

そんな理由が通用するなら、イスラム教徒が使う太陰暦ヒジュラ暦で主な祭礼が1日〜14日
までしか行われてないから、1500年後のなにも知らない子孫には、ヒジュラ暦には月前半
しかないと断言できるのかね?

あなたには根源的思考力がないようだ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
ヒジュラ暦におけるイスラム教の祭礼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A9%E6%9A%A6

111 :太国:2007/01/02(火) 07:12:53
>>109
デタラメだというなら、神武〜推古〜持統という記紀の皇統譜も信用
するのがおかしいわけで、その名を使用するあんたの10年計算説は自語
相違的論であり、さらに成立困難、まことに滑稽というほかはない。w

112 :太国:2007/01/02(火) 07:23:17
>>101
あんたはイスラムのコーランのほうは信ずるが、記紀の記述はデタラメ
とか言ってるように聞こえてならない。w
いったいアッチは信ずる、コッチは信じないという頭は、いかにも
恣意的勝手と言うほかはなく、そういうことが10年計算の滅茶苦茶に
直結していると考察している。w

113 :太国:2007/01/02(火) 07:35:14
>>112 訂正

× >>101     ○ >>110

八代間などは皇后にお立ちになった日も全部が全部月前半であり、儀式的
祭礼的でない少ない史実でも、以下のとおり月前半の数字で紀に書かれている。

皇紀370年 12月4日  この日、フトニノミコト(孝靈)、黒田宮へ行啓

つまり、あんたの言う祭礼でもない数字も月前半を示していることは、
そうでないときも月前半の日数だったということが濃厚である。
よってあんたの説は崩壊寸前にある。w

114 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 07:37:46
>>108
>いま拙者の2倍3倍暦等の計算から出た在位の一部を掲げると、

そんなに日本の神話に拘らないで、はるかに大きな神話:旧約聖書の連中の年齢も
あなたの妄想で説明でもしたらどうだい?

こっちは900歳以上の人間がぞろぞろ居るけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
登場人物の死亡年齢であるが、まず最初にアダムは130歳で「セツ」を得て930歳
で死亡した、そしてその「セツ」は105歳になって、エノスを生んだ。

アダムは912年生きたと記され、その後に続くアダムの家系はある時期まで同様の
年齢で死んでいるのである。
しかし私の書き出した最後の人物「イシマエル」は、137歳で死亡している。

その一つ手前の「サラ」は、127歳で死亡している、実に「メトセラ」の1/8の
寿命である。
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/musou3.htm

115 :太国:2007/01/02(火) 07:43:33
>>110
既出の>>100の表を見るに、崩御なぞは突然に起こる事象であり、
予定を組んでその日に死ぬなど、暗殺自殺とかでない限り全部が月前半に死亡
するなどということはどう考えてもありっこない。
恵也は天皇の死亡も、その臣下が月前半に死ぬようにしむけたと主張して
るようなもので、到底容認できないデタラメであることの展覧会である。w
恵也は自分の死亡もコントロールできるらしい。ww


116 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 07:44:53
>>111
>デタラメだというなら、神武〜推古〜持統という記紀の皇統譜も信用
>するのがおかしいわけで

理解力がないね!

日本書紀を書いた役人は、年代は判りもしないのに適当には書いてるが、ご先祖の
指導者の名前を適当に付け加えたり、消したりすることは出来ないの。

適当に消したりしたらご先祖の祟りを食らってしまうよ。
年齢を長生きしたと適当に書くことは出来ても、実在した天皇を消したり、架空の
天皇を生み出したりするだけの、蛮勇は持ち合わせてない役人根性。

117 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 07:48:24
>>112
>あんたはイスラムのコーランのほうは信ずるが、記紀の記述はデタラメ

イスラムの祭礼は、今現在行われてる事実。
日本書紀は、大昔に行ったという祭礼の月日が書いてあるだけの文章。

内容が全く違う!

118 :太国:2007/01/02(火) 07:53:26
>>117
日本の神社等は記紀の記述に則って祭礼とかをやるものではないのか?
それとも日本の神職はイスラム方式に則るのか?
やむを得ず失礼だが、あんたはいつ死ぬのか? 分かるんだろう?www

119 :後藤さん:2007/01/02(火) 08:10:12
>>108
>いま拙者の2倍3倍暦等の計算から出た在位の一部を掲げると、
>綏靖 33歳   安寧 19歳   懿徳 17歳   孝昭28歳
>孝安 34歳   孝靈 26歳   孝元 19歳   開化30歳
>崇神 23歳

在位年数?それとも没年齢?
いや仮に没年齢だったとしても、実際に即位してからの治世は10年前後だと言っているんだよ。
そもそも古代において王の政治的影響力は強く、ゆえに謀略や暗殺などによって長い治世や長寿を重ねるのが難しかった時代だ。
裏を返せば、後世の王侯が長い治世を保てるようになった背景はその政治的影響力が弱まり、単なる国家や民族の象徴になったがゆえである。
そういった古代の王の政治的背景も考慮に入れて考えた時「平均在位10年前後」という答えが導き出されるのである。
これは日本に限らず、世界共通(中国や西欧の王など)の理論なんだよ。
それを踏まえて、用明天皇から30代前の神武朝は約300年前(西暦280年頃)と言っているのだ。
大体、古代人が2倍暦や3倍暦を用いるメリットは何なのか?
普通に夏至〜冬至とか春分〜秋分という風に365日を目安にした暦法の方が自然で分かりやすいと思うのだが…

あとちなみに貴方は記紀上に記された誰が卑弥呼に該当すると考えているのか?


120 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 09:10:00

肉汁したたる豚肉を・・・食わせてくれ!
お願いだ・・・・・食わせてくれ!
脂ののった豚肉を・・・食わせてくれ!



121 :後藤さん:2007/01/02(火) 09:42:39
頭おかしいんじゃない?

122 :太国:2007/01/02(火) 10:26:00
>>119
歳を「年」の字に換えて下さい。>>108は在位年数で生存年数ではありません。
難しいとおっしゃっているが、竹内宿禰などは5代の天皇に遣えるほどの
長寿だと紀は解説している。謀略等があってもいくらでも長寿者はいる。
いくら長いとはいえ約120歳までがだいたい認容できる寿命であるが、紀の天皇
の寿命では仁徳以前の天皇では100〜300歳までの生存を記している。これを
現実にそうだと肯定するのは困難であり、何らかの理由があったのだと思考
するのが相当である。それではいったいその理由というのは何か?
問われれば、水増し上げ下げ偽造変造の工作があったか、2倍3倍暦等の使用が
あったかとの考えに行く。最初からデタラメと主張するのが恵也氏であり
水増しとかはサガミハラハラ氏、上げ下げとかが倉西の婆さんの説である。
倍暦は征東大将軍氏とそれがし、前者と兼用はサガミハラハラ氏の説である。

>>108は拙者が2倍3倍の年暦から算定した在位年数であって、貴殿の考えとは
ほぼ2.5倍の相違がある。それはいいとして貴殿の10年説とやらは
最初に 卑弥呼=天照大御神 だとする強力な信仰があり、それを先入観で
恣意的に 卑弥呼−−→・←−−天照大御神 とした宝クジ的レス的
非当選確実的暴論である。かつの加担させるように10年説を
正確無比に成立しているように糊塗して補強に見せかけているだけで、
10年説が当然のように主張すれば、紀の年月日の記載がイカサマだと間接的に
認容したことになり、舎人親王らが文書偽造に関与したことを遠回しに言って
る事で看過できない。倍暦の使用があれば、古代天皇の超長寿に於て編者側の
関与がこの点にあっては無かったということが正論になる。
例えば、もし八代間の記述が舎人親王らの偽造だと恵也式に主要するの
なれば、その記載される月日数はことさらに月の前半に位置させることをせず、
ランダムに1日〜30日の区間全域に渡り数字が記載されて、ぼかす
算段をするほうがいい。無理やりその全てを月前半の1日〜14日までとすれば、
これは左よりとか右よりになって目立ちやすく、これのほうがよほど
疑念を持たれるやり方になる。にもかかわらず左右いずれかに数字を寄り
詰まっているということは偽造の関与ではないと観るのが至当である。

123 :太国:2007/01/02(火) 10:43:28
>>122 訂正

× かつの加担させるように     ○ かつ加担させるように

このように八代間は1日〜14日までしか記載がないのであるから、当時は
1ヶ月が2週間でやっていたと充分察知できうる。ということは1ヶ月が
半月計算であり、半年で12ヶ月経過する。1年だと当時は2年行ったことを
意味する。つまり、あのころの古代では2倍暦等をやっていたということ
に結論が行き着く。さらにはイザナギ、イザナミの離婚の怨念に因んで
3倍暦までやっていたということも知れてくる。

かようにして10年説では紀の記述と大きく違いし、かつ倍暦論でも肯定され
にくい。この10年説というのはインドの歓喜天を想起させるレスビアン的H説
というもので、卑弥呼と日神のもつれ合いチチくりあいは、小説、劇での議論
の場であり、古代史にとっては薬の副作用的なものと岩猿を得ない。w

124 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 11:18:37
歳=木星
木星は、12年掛けて天を一周する。
12倍してみるか?

125 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 14:03:01
数字遊びで脳内歴史を捏造するのは面白いか?

126 :後藤さん:2007/01/02(火) 14:47:18
>>122
>竹内宿禰などは5代の天皇に遣えるほどの
>長寿だと紀は解説している。謀略等があってもいくらでも長寿者はいる。

武内宿禰が本当に生涯5代の天皇に仕えたと思ってるんですか?
それこそ化け物だ。

>いくら長いとはいえ約120歳までがだいたい認容できる寿命であるが

貴方の言う3倍暦で?
だとしたら40歳の事?
それでも当時としては長寿だけどね。

>貴殿の10年説とやらは最初に卑弥呼=天照大御神 
>だとする強力な信仰があり

いやだから、当時の世界の王侯の平均在位から10年前後だと言っている。
ていうか奈良時代になっても天皇の治世は「合計7代で70年」だけどね。
なのに貴方の説だと、古代の天皇だけナゼ異常に長いの?
それこそ2倍3倍の世界だね。

>紀の年月日の記載がイカサマだと間接的に認容したことになり

そう、口伝だけで数百年も月日を正確に伝承したとは考え難い。
むしろ月日は後から付け加えたものかも知れない。

>>123
>イザナギ、イザナミの離婚の怨念に因んで
>3倍暦までやっていたということも知れてくる。

意味不明なんですけど…

127 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:07:49
太国がんばれ!
コテの中では一番まとも!

128 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:19:10
10年ねえ。
長子相続なら、15〜20年だと思うけどなあ。
末子相続なら、2〜30年。


129 :太国:2007/01/02(火) 15:24:44
>>125
そんな口をたたくなら、仁徳以前の超長寿の理由を書きこんで、うちらの論を
覆したらどうだい? 出来ないんじゃそれは暖簾に腕押し、無駄な労力だよ。

>>126
化け物ではないですよ。拙者の2倍3倍暦等の論から、竹内宿禰の真の寿命は
120歳内に収まります。彼は111歳の寿命です。だから5代に遣えた話は虚妄
ではありません。紀の有名人物では彼が最長寿です。他には100歳を超える
人物は紀にはいないようです。みな2桁が殆どです。
5代の継続ではこの年齢は相当程度合致しています。1ヶ月経っているかいない
かの記事で現にアメリカの世界最長寿の女性が亡くなりましたが、やはり120歳
前後の歳だったようです。そういうことで5代の感覚から111歳は妥当ですよ。

貴方はうちらを欺いていませんか? 貴殿が無理やり卑弥呼を日神にI love you
させているんじゃぁありませんか? そこが貴殿の恣意的なところであり、
卑弥呼=日神 の説は宝クジの1等、2等に当選するくらい難しい確率で
その論は外れるに決まってます。
ナゼ異常に長いかって? それは当時2倍暦等の使用していたからで、実際は
現代人とそんなに変わらぬ寿命の程度になります。

月日を付加するなら、1日〜14日の記述なんかせず、1日〜30日のまで
ランダムになっているはずでしょうがね。
離婚話と暦の件は論が長くなりますので、説明が具体的でなくてすみませんが、
2倍と3倍は千と千五百の比です。記を読まれたい。

130 :太国:2007/01/02(火) 15:27:32
>>128
そんな感じがしますか? 結局、後藤さんが卑弥呼と日神とをくっつけ
んがための恣意の数字が10年とかなんですよ。恵也さんも同様ですね。

131 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:33:37
>>130
記紀には、

・天皇が早死にしたとか暗殺されたみたいな記述がそれほどない。
・応神天皇まで、末子相続だったらしい。
・弟に相続したのは稀である。

これから考えて、平均在位年数が10年というのは短すぎるような気がしただけです。

132 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:35:03
もういいじゃん、10年在位説は完全に捏造なんだから
相手にしない方がいい。


133 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:44:25
やめよ!
アンポンの下らない妄想を論破する為に
無駄な時間を費やすのは!

京都のチョンの妄想、妄想!

134 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:46:50
欠史八代はおもしろいですよね〜。
藤原不比等が隠したかった所ですもんねー。
私は欠史八代の時間は意外に短く、40年〜50年程度、
世代では3世代(だから、何人かは兄弟。)程度ではないかと
思っているのですが?

135 :太国:2007/01/02(火) 15:55:05
実年代で

綏即位 A.D.30年 〜 開化崩御 A.D.236年

と出ました。 236−29=207年 です。

136 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:00:04
京都はチョンのスクツ、西洋顔の
ローリーも京都人だが実は整形で
元はものすごいチョン顔。
京都はチョン顔しかいない!


137 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:04:40
孝昭 孝安 孝靈 孝元 の4天皇は漢風諡号も和風諡号も
似ており、北部九州から来た勢力が周囲の勢力と戦って行く際
に、兄弟が次々と即位(ただし、養子という事で、兄が父と記載されている)
したものではないでしょうか?
中には、即位後数年で死去した天皇もいらっしゃったのでは?  

138 :太国:2007/01/02(火) 16:12:37
>>137
兄弟即位は履中、反正、允恭からです。数年は仲哀天皇でしょう。

139 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:15:52
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/tennouichiran.html
皇后、母系をみる限りなんとも胃炎。
言えることは神武の母は隼人、クマソ系
神武以降の皇后は全て出雲系。

神武は九州から来たということが読める。
神武の母を祀る宝満神社と宝満の地名は
太宰府より奄美の九州西南地域に広がっている。
これから神武は九州からきたということを
記紀は系譜の上でも述べていて。そこに矛盾はない。
神武の時にすでに出雲の支配勢力圏に基盤を築いてることも
皇后の系譜から矛盾はない。




140 :後藤さん:2007/01/02(火) 16:20:51
>>128
>10年ねえ。
>長子相続なら、15〜20年だと思うけどなあ。
>末子相続なら、2〜30年。

平均で10年前後と言っているのです。
だから中には20年以上も治世があった天皇もいたでしょう。
時代は下りますが、推古天皇なんて30年以上も治世があったわけだし。
でも治世が僅か1年や2年しかなかった天皇も長い歴史の中にはいたわけで、
そういった例も考慮して平均在位を出すと10年ぐらいだと言っているのです。
しかも、つい近代以前まで譲位などによって早くに皇位を継承させる場合が多かったでしょう?


>>129
>竹内宿禰の真の寿命は120歳内に収まります。彼は111歳の寿命です。
>現にアメリカの世界最長寿の女性が亡くなりましたが、やはり120歳
前後の歳だったようです。

医療技術や食料事情が発達した現代人と比較するのは相当無理があるのでは?
古代の平均寿命はせいぜい30歳〜40歳ぐらいでは?
50歳まで生きればそれそこ大長寿ではなかったのではなかろうか?

>ナゼ異常に長いかって? それは当時2倍暦等の使用していたからで、実際は
>現代人とそんなに変わらぬ寿命の程度になります。

現代人の平均寿命はせいぜい80歳ぐらいですけど…
そもそも平均寿命が80歳を超えたのは戦後になってからだし…

141 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:24:27
あのね、頭の弱い(鵜呑みバカさん)↑(後藤さん)
平均寿命っていうのは生後数ヶ月で無くなる子供も
含めてるんだよ。10歳以上の平均年齢は
そこまで低くはないんだよ。
具体的に何歳っていうのはわからんけどね。
常識で考えてわかるだろ??
あったまわりーな・・・


142 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:26:14
他人の本を読んだり鵜呑みにしたりするんじゃなく
自分の頭と今までの経験とか学習した内容で
一旦考えてから発言しろよ・・・

本当に救いがたいほど頭わりーーーな・・・

143 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:35:46
邪馬台国とはずれるけど
神武は隼人、クマソの国、九州からきた!
これは間違いない(母系から)
だが神武の祖父系ニニギはどこからきたかはわかってない。
漏れは出雲だとみてる。
出雲のタカムスビノカミ繋がり


144 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:36:59
>>140
平均寿命とか関係なく、世代間の年齢差(=在位年数)は15〜30年ぐらいです。
兄弟間(履中、反正、允恭)や遠い親戚(継体)で相続が続くと、10年ぐらいに
なるとおもいます。



145 :後藤さん :2007/01/02(火) 16:41:28
>>141
>10歳以上の平均年齢はそこまで低くはないんだよ。
>常識で考えてわかるだろ??

ていうか、貴方は何を根拠に古代人の寿命をそんなにまで延ばしたがるw
武内宿禰の111歳とかどう考えてもおかしいだろw
貴方は古墳や遺跡から発掘される当時の人骨の推定年齢が大体何歳か知らないのかw
その中に現代人のように70歳とか80歳の骨が有るかよw
せいぜい40歳ぐらいだろうがw

>>142
>本当に救いがたいほど頭わりーーーな・・・

鏡を見て言っているのかww

146 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:44:18
>>139
そうですね。基本的にはなんとも胃炎と思うのですが、
記紀では神武は豊姫の孫ですよね。私はこの豊姫は宇佐のトヨ(比売大神)だと
思っているのですが、とすれば神武東遷はAD270〜280年頃の出来事ではないかと思う
のです。(なぜなら、266年にトヨは晋に使いをだしているから。)
また、崇神天皇の没年は干支でいくと318年が一番無理の無い話ではないかと思うのですね。
まあ、ぴったり318 年とは言えないとしても、320〜330年頃。
欠史八代はこの間、比較的短い間に起こったことではないかと思うのです。
(ですから、世代としては3世代。兄弟間の相続あり。)

147 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:44:42
そんな事はどうでもいい。問題は何故「恵也」は「後藤」にコテハンが変わったのか?という事だ

148 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:45:36
>>145
とことん頭わるいなーw
別に武内宿禰の111歳とは謂ってないでしょ
漏れは二倍歴を今の所支持してるからね

>その中に現代人のように70歳とか80歳の骨が有るかよw
>せいぜい40歳ぐらいだろうがw

じゃあ、40歳位というデータを出していいなさい。
戦死とかは抜きだよ。

149 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:46:26
フルネームで後藤恵也でおk

150 :太国:2007/01/02(火) 16:48:01
>>145
よく読め。竹内宿禰は当時の長寿最高クラスの長寿者だったということだ。
当時だって最高記録っていうのはあるんだよ。
当時でも通常の人物は寿命が2桁だよ。

151 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:48:48
>>147
年が変わったからじゃないの?

152 :九州出身:2007/01/02(火) 16:59:44
>>139 ←こいつはレベル低いとみた!

153 :139:2007/01/02(火) 17:05:46
>>152
邪馬台国論争そのものがレベルが低い、妄想ばかりで進歩がない。
誰それって特定することもあるまいて
それよりあんたの意見を聞かせて頂戴。

154 :後藤さん :2007/01/02(火) 17:06:09
>>147
私は恵也じゃないよ、糞豚童貞ちゃん。

>>148
>戦死とかは抜きだよ。

ハア?何でだw
古代の王は戦にも出たろう?
病気で若死する王もいただろう?
すべての王が天寿を全うし、尚且つご長寿だったなんて、それこそ噴飯ものだw

>>150
>当時だって最高記録っていうのはあるんだよ。

生物学的に有り得ないと言っているのだよ。
おそらく、武内一族が代々「宿禰」の名を世襲したのだろうよ。
それなら誰でも納得するんじゃないか?
それとも5代の天皇はみな若死したのかなw

>>151
わからない子だね、糞豚童貞ちゃん。

155 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:15:13
>>154
>すべての王が天寿を全うし、尚且つご長寿だったなんて、それこそ噴飯ものだw

そうとまではいっておらんよ。
戦争に直接駆り出されて、戦死する一般人と一緒に考えるなってこと
どっちにしてもあんたの説(っていうか受け売りかw)
は卑弥呼=アマテラスと10年在位の妄説を正当化する為に
他の辻褄合わせしてるだけで説得力はゼロ。

156 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:18:02
>>152
はやくー
あんたの説を聞かせてよ。
なんも意見を言わず傍目で
人の批判だけをする、
おまえのような人間を心底カス人間!と思うわけであるw
おまえのようなカス、ミジンコに謂われたくはないねw

157 :太国:2007/01/02(火) 17:23:00
>>154
生物学的にありえないっていうのは、だれの学説なのか? 言ってみろよ。
どこの生物学の権威書に記載されているのか? お前の頭内からの恣意、勝手
きままな考えに、生物学の名だけを誘引、発露した迷文句なのだろう?
単に古い、最高長寿者がないなんていうくらいじゃ紀の5代遣え
たタケウチノギネスの記事は破棄できない。実際1ヶ月前だったか、米国の
女性だって120歳前後で死んでおり、当時だって少ないかも知れぬがいたと
みるのが合理的である。

お前の言ってることは卑弥呼も世襲の名だっていうんだろうw
この世襲っていう言葉と生物学的などという言葉自体で、まぁ〜
お前の学習は古代史の勉強をかじった程度の経験のようだな?w

158 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:23:58
邪馬台国論争は、どれが説得力があるか
それだけが勝負だ。
>>152
おまえはこの板では昆虫以下の存在、何も意見なく
端から人の説こ扱き下ろすのみ、反証も示さない。
カス!といえよう。おまえのような人間が
コテを名乗るのは100年早いだろう。
それに九州出身とは九州出身の人間に失礼だ
九州出身ミジンコと書けw


159 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:30:10
漏れも専門家じゃないので科学的に立証できるわけじゃないが
西洋に限っては4千年前から
人間の生物的な特徴は変わってないと聞いたよ。
ようは同じ生活をしてればある程度の長生きを
するって事でしょ。
ギリシアもローマ人もそう現代西洋人と変わりなかったはずだよ。

160 :後藤さん:2007/01/02(火) 17:38:31
>>155
>10年在位の妄説を正当化する為

いや妄想じゃなくて、現実にそうだから。
1〜4世紀の中国の王の数が96人で在位年数は計965年だから、平均10.05年
同時期の西欧の王は68人で在位年数の計は615年だから、平均9.04年
日本の場合、ほぼ確かな記録が残る5〜8世紀の20人の天皇で計218年の治世であり平均在位は10.9年である。
もちろん、気候風土や政治情勢など異なるものの、概ね平均10年前後の在位なのである。
それが何で上記レスの太国先生などの説だと古代日本の天皇のみ皆一様に20年や30年(まさかこれも2倍暦3倍暦?)の長期なのだろうか?
それが飛鳥・奈良時代になると急に平均在位が10.9年に縮まるのか?
納得行く答えを聞きたいわね。

161 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:46:04
>>160
分かってない人だな。
上皇になって退位とか、上皇による廃帝とか、暗殺とか
兄弟や親戚による継承があるから10年ぐらいになるんですよ。

末子存続が続けば、在位期間は長くなります。

162 :九州出身:2007/01/02(火) 17:46:11
俺の意見を聞きたいだと〜 まあ良かろう。

これが邪馬台国の場所だ!
郡より倭に至るには郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。
始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。
又南に一海を渡ること千余里、一大國に至る。
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る。千余戸有り。東南のかた奴國に至る。二萬余戸有り。 東行して不彌國に至ること百里。千余の家有り。 南のかた投馬國に至る。水行二十日。五萬余戸ばかり有り。
南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。 七萬余戸ばかり有り。
郡より女王國に至ること萬二千余里。


建内宿禰に関してはここを読むと良い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0
年齢についても280歳・295歳・306歳・312歳・360歳などの諸説がある。とあるから本当にこの年齢なんじゃねえのか?



163 :太国:2007/01/02(火) 17:53:02
そういうことはあるでしょう。
明治は45年、大正は15年、昭和は64年、さらに平成は19年に入った。
いまのところここだけ観ると平均在位は35年強だ。今後も伸びよう。
それはお前の数字が成立するところはあろうが、それは極小的虫眼鏡部分で
成立はするも、結局は大局的にはみ出しずれてピントは大きく狂うデタラメだ。
35年強ならお前の数字とでっかくかけ離れている。w

164 :太国:2007/01/02(火) 17:54:33
失礼、>>163は後藤先生への話です。

165 :九州出身:2007/01/02(火) 17:56:02
>>158
君こそ失礼!
反論したいが、君は幼稚そうなのでやめとく

166 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 18:08:32
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/tennouichiran.html
素人でもこれみてもわかると思うが、天皇の平均寿命と在位期間
は飛鳥奈良時代から江戸時代までさほど変化してはいないように見える。
ようは相続の仕方だろう。
相続の仕方は皇室典範のような法文により公平にされる場合もあれば
話し合いにより、あるいは争いによりされる場合があるだろう。
本当の在位時期、在位期間がわからないとな。
実際の時期、期間が確定しているのはどの天皇からだろうか?
応神はAD270-310となってるが実際はもっと後だろうしな・・・

167 :後藤さん:2007/01/02(火) 18:43:49
>>157
>生物学的にありえないっていうのは、だれの学説なのか?
>どこの生物学の権威書に記載されているのか?
>米国の女性だって120歳前後で死んでおり

現代の米国人女性と古代日本人を同一視することが生物学的に有り得ないと言っているのだよ。
日頃から動物性タンパクを豊富に摂取し、高度医療の恩恵に与れる世界的にも類稀に恵まれた環境の現代米国人と
加持祈祷で病気平癒を願った古代日本人では余りに比較環境が違い過ぎるとだろ?違うか?


>お前の言ってることは卑弥呼も世襲の名だっていうんだろうw

そんな事は言って無い、二代目は台与だ。

>>159
>ギリシアもローマ人もそう現代西洋人と変わりなかったはずだよ。

医療面、食習慣を比較した場合、必ずしも現代人と変わりないとは言えないと思う。
まあ、食物に関して王侯貴族は一般庶民より喰うに困らないだけ食べれただろうけど。
しかしながら、昔の人は風邪や歯槽膿漏なども死因になっていたわけだし。

168 :九州出身:2007/01/02(火) 18:53:02
>166
君の目は節穴か?

そこに270-310と書いてあるではないか。

169 :九州出身:2007/01/02(火) 18:54:30
西暦か旧暦かはわからん

170 :後藤さん:2007/01/02(火) 21:08:06
>>161
>末子存続が続けば、在位期間は長くなります。

数百年というスパンで見れば、そうとも限るまい。
暗殺、病没、譲位など平均10年要因がぞろぞろ出てくる。

>>163
>明治は45年、大正は15年、昭和は64年、さらに平成は19年に入った。
>いまのところここだけ観ると平均在位は35年強だ。今後も伸びよう。

すまんが、こっちは400年づつのスパンで計算している。
いや、さらに言えば1000年、2000年の平均値を視野に計算している。
だから、貴方のその100年余りの計算ではお話にならない。
しかも医療技術が最高度に発達した現代ではないかw
子供の頃から最先端の医療と健康管理を受けていた近現代の天皇たちと、
そうではない古代の天皇を比べて何になる?

171 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:15:19
>>168-169
はあ?意味わからん。

172 :後藤さん:2007/01/02(火) 21:15:49
>>161
>末子存続が続けば、在位期間は長くなります。

数百年というスパンで見れば、そうとも限るまい。
暗殺、病没、譲位など平均10年要因がぞろぞろ出てくる。

>>163
>明治は45年、大正は15年、昭和は64年、さらに平成は19年に入った。
>いまのところここだけ観ると平均在位は35年強だ。今後も伸びよう。

すまんが、こっちは400年づつのスパンで計算している。
いや、さらに言えば1000年、2000年の平均値を視野に計算している。
だから、貴方のその100年余りの計算ではお話にならない。
しかも医療技術が最高度に発達した現代ではないかw
子供の頃から最先端の医療と健康管理を受けていた近現代の天皇たちと、
そうではない古代の天皇を比べて何になる?

173 :九州出身:2007/01/02(火) 21:16:17
邪馬台国問題を考える時、馬鹿(バカ)は何年、何十年かかっても答えがでない。
>>50←これ読むといい
答えを見つけれる人は2,3か月でみつける人もいる。
おまえら長い間、探してるんじゃヤバイんじゃねか?

おれはもう見つけたけどね!



174 :九州出身:2007/01/02(火) 21:19:10
邪馬台国問題を考える時、馬鹿(バカ)は何年、何十年かかっても答えがでない。
>>50←これ読むといい
答えを見つけれる人は2,3か月でみつける人もいる。
おまえら長い間、探してるんじゃヤバイんじゃねか?

おれはもう見つけたけどね!



175 :太国:2007/01/02(火) 21:22:14
>>167
いや〜、ありえますよ。天皇になれば各地方から朝貢がある。そんなに
栄養が不足だとは考えにくい。まぁ北の金さんのような豪勢ではないだろうがね。
要するに生物学的に食事はうんと金さんじゃないが、集まるから長寿の可能性
は生物学的には相当程度ありうる。その文証が君には皮肉になるわけだが、
紀のタケウチノギネスの長寿の文がこれを支持している。
それに神武を超えては天下泰平の世であろうから、天下を取ってひっくり返す
やつもタギシミミ、サホさんは別としても、大してありゃしない。さらに
蝦夷九州がわめいても日本武尊にまかせりゃぁいいことだから、精神的動揺
も一時的なもので大したもんでもない。長寿の条件はおおむね具足している。

それよりも、現代のちょっと前あたりのほうが生命に危険だ。なぜなら〜
戦争で逮捕されるか否かで戦争責任だとか言われて苦悩した精神的圧迫が
あった昭和天皇でさえも実に64年の在位を誇り長く、短命でもない。これを
考えても、貴殿の主張する短命になる説は肯定しにくい。現代的考えの好きな君
だが、それに明治から平成にかけて35年余の平均在位があり、今後君のいう平均
10年になるには、当分の間、次代からは在位が1桁年と5代〜10代と続かねば
なるわけがない。つまり君のは君の好きそうな現代的に見ても首肯できないのだ。

176 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:25:49
>>174
おまえはもしや中学生か高校生か?
その根拠のない自信と意味のない虚勢は
まさに、中高生のそれだ!
落ち着きの無いとこ(二重投稿)もそれらしく見える。


177 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:31:09
>>174
おまえはもしや中学生か高校生か?
その根拠のない自信と意味のない虚勢は
まさに、中高生のそれだ!
落ち着きの無いとこ(二重投稿)もそれらしく見える。


178 :九州出身:2007/01/02(火) 21:36:27
>>176
俺の言ってることが理解できないのなら何度言ってもだめだ!
君ともっとふさわしいレベルの人がいるはず!その人と議論しよう!



179 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:49:49
>>178
じゃあ、君はみつけたんですか?邪馬台国の場所

180 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 21:54:31
>>126
>武内宿禰が本当に生涯5代の天皇に仕えたと思ってるんですか?
>それこそ化け物だ。

いや、それは有り得る。
竹内宿禰氏は、臣下としての気楽な立場。

重大決定のストレスも貯まらんし、何千人といる臣下の中で、たまたま現代衛生学並みに
熱湯消毒をして食べ物を食い、食器を常に清潔にし、粗食を食べ、毎日健康体操する人間なら
五代x10年=50年、15歳から仕えたとして65歳まで現役で仕事するのは肉体的には常識程度。

まあ、俺も100歳までは生きたいと思ってるし、出来ればギネスブックに載る最短距離の日本
に生きてるのだし何とか挑戦したいと思ってる。

ちなみに俺が親しくしてるウナギの婆さんは94歳だ。
さすがに最近は谷川に下りて延縄でウナギを取るような事はしなくなったが、お一人で暮してる。
よく高知市の親戚や県立病院まで送り迎えを、時たま俺はさせてもらってるよ。
粗食でよく動いておられるぜ。

181 :古代史トーシロー:2007/01/02(火) 21:54:57
@卑弥呼…248年
A臺与…266年
B応神天皇…4世紀末
この3点は大体確定だろう。
卑弥呼、臺与=地方豪族の娘説は中国の史書に名前が出てくるとこから、可能性なし。

182 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 21:57:01
>>129
>仁徳以前の超長寿の理由を書きこんで、うちらの論を 覆したらどうだい?

超長寿がデマだといってるんだけど、何で理解できないのだろう????

それなら理由を書き込む必要もないだろうに????????

183 :太国:2007/01/02(火) 21:59:12
>>172
いくら古代と比べて最新技術が進歩したところで、それに比例どころか
厄病は毎年と言っていいくらいいろいろな新種が流行する。
昔などはエイズなどはないし交通事故だってない。口から煙雲を吐くのが好き
な現代の出雲民族の方々ガ肺がんの恐怖に少なからず精神的負担をかぶって
いるし、受験勉強に追われて必修科目を空振りさせられるくらいの彼ら学生も
同様の負担をになっており、もやし的運動不足になりやすく深夜も猛勉強で、
寿命がのびたところでせいぜい現今+αが精一杯で、逆に短命におちいる危険
が増大している。合格できず嘆いて自殺まで慣行した例があるくらいである。

さらに昔はいなかったい外人が観光以外に多量に入ってきて治安は悪く
なる一方である。こんな状況で現代医学が進歩し世界一の寿命と誇ったところ
で、空気のよかった古代人に対して不利な状況が多く、多分のツケは追い打ち
をかけて来ているのだ。

こんなんだから、古代人が寿命が短かったなどとの考えは短絡的結論そのものと
言えてくる。10年で決まる位ならば考古学も文献も糞同様の価値に低落し、
そんな学問など不要になる。そういうことはあることはない。w
卑弥呼を日神に合体させたいレスビアン歓喜天H論の恣意的擁護から彼の説が
根付いたもので、その誤認の副作用は医学の進歩より史学を撹乱させるほう
に行き、マイナス作用の影響は甚大この上ない。w

184 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:00:29
>>129
>1日〜30日のまで ランダムになっているはずでしょうがね。

著者としては、十分にランダムになってるよ。
現代の知識のある人間から見ると、15日くらいに押し込められてるがね。
それがインチキ著者の知能の限度だったんだろう。

185 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:04:39
>>133
>アンポンの下らない妄想を論破する為に 無駄な時間を費やすのは!

暇潰しに丁度いい相手だ。
俺としては老教授を相手したいが逃げ出しやがったんでな。

”来る者は拒まず、逃げる者は追わず”

という自然体が俺の生き方。

186 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:05:32
>>181
禿げしく同意です。
私は神武はイヨの孫ではないかと思っているのですが、
181さんはいかがですか?

187 :太国:2007/01/02(火) 22:06:08
>>184
そんなんじゃ、文書偽造の関与は立証出来ていない。お前の恣意的デタラメの
抗弁であり、インチキそのものである。

それにお前は自分の死亡が15日までにwww押しこめることが可能な人間
だそうだから、早く大槻教授と韮崎さんに面倒をみてもらえば、即TVの
視聴率はアップだろう。www

188 :古代史トーシロー:2007/01/02(火) 22:09:59
もともと、アンポン派ですので、異論はありませんが、疑問はあります。
一世代10年説はもう一度、考え直します。

189 :太国:2007/01/02(火) 22:10:54
>>184
ついでにもう少し押しこめて5日くらいまで寿司詰めにしたらいいん
ではないのか? 
カレンダーも30日まで必要なくなるしな。ww ただカレンダー屋は
商売があがったりだろう?www

190 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:13:02
太国 、酔っぱらってるのか?
今夜はそろそろ寝たらどうだ?

191 :九州出身:2007/01/02(火) 22:15:23
武内宿禰好きだな〜おれなら卑弥呼の画興味あるけどね

192 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:19:06
>>137
>中には、即位後数年で死去した天皇もいらっしゃったのでは? 

数年どころか、当時の大権力のある地位のストレスに1年も耐え切れず、即効で
死なれた天皇も居られるでしょう。

毒殺もあろうし、戦死もあろうし、房中術を手に入れようと失敗した天皇も居られるだろうな。
俺が天皇なら失敗しても、一度は挑戦してみたい。

−−−−−(引用開始)−−−−−
房中術を収めた女仙は280歳になっても、18歳にしか見えないという記述があるそうです。
http://qi.fc2web.com/bou1.html

193 :太国:2007/01/02(火) 22:23:54
>>182 >>184
お前はコーランはインチキでないとし、記紀はインチキと観て
いるようだが、これ自体も恣意的であり、勝手きままに文証も、あさって
からのとりよせたりで、甚だしく論がデタラメ王に至っている。
そして、自己の暴論を構成させるためにはデタラメだと抜かして
いる記紀の都合のよいところをいただいてきてお膳立てしている。
その典型的例が、神武か推古〜持統頃までの天皇の名称とかそれに続く
配下の者の名前が実在の人物と認容して論を正当化している。
記紀の超長寿の文面がデタラメであるとすれば当然天皇らの名前も
デタラメと言うべきで、そうはいしないでうまい物取りのズル賢さが
極めてよく目に映る。w
こんなんだから、このへんのスレに来る必要もない筈の男である。

194 :九州出身:2007/01/02(火) 22:24:15
>>191『訂正≫
武内宿禰好きだな〜おれなら卑弥呼のが興味あるけどね


>>181は同意

>>186は違ってる

195 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:28:24
>>192
そうですよね。私もそう思うのです。
神武が畿内に入る前の戦いで兄たちが次々と命を落としたように。
ま、何が言いたいかというと、欠史八代は、北九州の勢力がほかの
勢力を追い落として行く戦いの過程であり、1代の在位期間は短かった、
当然八代の期間も短かったのではないかと言う事です。
(ですから、死亡した大王の子は小さく、弟がその後を次いだ可能性も
高いと思うのです。)

196 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:29:53
>>141
>10歳以上の平均年齢は そこまで低くはないんだよ。

衛生観念の低い時代では十分にありえる。
明治時代の日本人で44歳、教育の行き届いた終戦直後で50歳前後。
10歳以下の人間が、当時そんなに死んでいたとは思えないけどな・・・

当時でさえ80歳の連中は怪物並みに見られたんじゃないかな。
今じゃ、俺の家の近所にもそのくらいの80歳前後ならゴロゴロ居るぜ。

197 :九州出身:2007/01/02(火) 22:30:26
>>185の「妄想を論破する。」
↑これいいね〜wおれも暇なんで妄想してる奴、撃退させてやる。(笑)

君等の卑弥呼と邪馬台国に関する妄想を言ってみろ!

198 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:32:28
「吸収出身」って、馬鹿?
もう来るな。このハゲ!
すげー、つまんねえから。

199 :九州出身:2007/01/02(火) 22:32:39
>>188は大体は合ってるのにもったいない!

200 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:41:05
>>145
>その中に現代人のように70歳とか80歳の骨が有るかよw

いる事はいたと思うが、古墳から出た遺骨は老女としか書いてない。
現代科学ではまだ、推計するだけの確実なデータが手に入らないのじゃないかね?
宮崎県立西都原考古博物館 のネットで、その遺骨が見れてたがどこかの馬鹿が
イチャモンをつけたせいか見れなくなってた。

俺が見た範囲では年齢は書いてない。
老女として遺骨が写真で見れてたよ。

201 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:46:42
>>147
>問題は何故「恵也」は「後藤」にコテハンが変わったのか?という事だ

俺がそんなケツの穴の小さい事をやるか!

最近、友人がログハウス(ポスト&ビーム)を作る助っ人を頼まれて、
JWキャドの勉強をしたり、今日も土台の木のホゾを切ったり、忙しいんだよ。

それに主張の内容が、ずいぶん違ってるのに気がつかないのかね。
アンタは先天的馬鹿としかいい様がない!

202 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:49:28
>>148
>漏れは二倍歴を今の所支持してるからね

頭悪いのはアンタ!
日本@名無史さんの分際で「俺は二倍歴を今の所支持」なんていっても屁みたいな話だ。
幼稚園児並みの知能!

203 :古代史トーシロー:2007/01/02(火) 22:49:50
>>199
倍歴説と比べれば、10年説の方が説得力あるのは事実だけど、
出雲と吉備の関係がよく分からない。
最近、考古の人から宮山型特殊器台のことを教えられて、混乱してきた。
もう一度お勉強ですね。(私が)

204 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:54:48
>>155
>他の辻褄合わせしてるだけで説得力はゼロ。

説得力の前に、アンタに日本語の読解力がないんだよ。
俺の理論さえ理解できない程度の「おつむ」じゃないかな?

神武天皇を、第50代桓武天皇(781年〜806年)を基準にしてハシゴをかけてみる。
第31代用明天皇は西暦585年に即位してる。その間221年を20人の天皇が即位した。

1人当たりの平均即位年数は
221/20=11.05年

傾向として安本氏の天皇の平均在位年数グラフを見ると5世紀から9世紀にかけて
1.36年延びている。100年間に0.34年だ。
用明天皇と桓武天皇の中間地点は696年

神武天皇が300年頃の即位だとすると、中間地点は553年
中間地点の差が143年ある。
143/100*0.34=0.486
11.05−0.49=10.56
これを平均在位年数として計算すると

初代の神武天皇の死亡年は
806−(50−1)*10.56=289

天照大神の死亡年は
806−(50+3)*10.56=246

卑弥呼の死亡年は西暦248年

2年の差とは驚くべき一致度ピッタリ。

205 :九州出身:2007/01/02(火) 22:58:39
>>203
うーん 吉備てそんなに重要な豪族かな?
数ある豪族の一つとしかみてないが・・(記紀を読んで)

206 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 22:59:02
>>158
>お前の言ってることは卑弥呼も世襲の名だっていうんだろうw

世襲というより、霊的才能を持った女性の最高指導者を卑弥呼といった可能性は十分ある。
魏志倭人伝には台与の名前が残ってるが、卑弥呼の後継者として日巫女となられたかも知れん

207 :太国:2007/01/02(火) 23:02:26
>>204
どっから卑弥呼の死亡年が出てくるのだ?ww
お前は記紀は出鱈目として、コーランと倭人伝は出鱈目でないのか?
記紀がでたらめなら、なぜ天照は実在を肯定するのか? おかしいではないか?
完これは全な恣意そのものであり、お前の説こそ好きなものだけ自説に取りこむ
デタラメ大王である。

208 :太国:2007/01/02(火) 23:04:03
>>207 訂正

× 完これは全な     ○ これは完全な

209 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 23:05:53
>>161
>上皇になって退位とか、上皇による廃帝とか、暗殺とか
>兄弟や親戚による継承があるから10年ぐらいになるんですよ。

それは後代の確実な記録では、その記述が残ってるけど、いい加減な史料しか残ってない
古代においてそんな事件はなかったという史料は存在するのかい?

それが存在しないなら、そういった記録は完全に無視して算出するのが統計学というもの。
アンタは統計学の基礎を知らないド素人!
高校の数学の成績、アンタ悪かったんじゃないの?

210 :九州出身:2007/01/02(火) 23:10:31
なるほど(笑)

211 :九州出身:2007/01/02(火) 23:13:01
だれか宮山型特殊器台について説明よろしく!

212 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 23:15:40
>>167
>日頃から動物性タンパクを豊富に摂取し、高度医療の恩恵に与れる世界的にも類稀に恵まれた環境

寿命が延びた一番の原因は「衛生観念」だ。
動物性タンパクや医療より、なま物に火を通すとか毎朝顔を洗い、食事前に手を洗うとか
伝染病を注意するとかの方が、はるかに平均寿命に影響してる。

食べ物ではかえって、贅沢病である糖尿病にかかったり、医者のくれる薬で薬から抜けら
れなくなり、その副作用で平均寿命にはマイナスの影響も無視できん。

今の病院は死ぬための儀式を行う場所に変わってきてる。
ほとんどの人間が、自宅ではなく病院で大金を払って死んでいる。
それなのに誰も文句を言わんおかしな世の中だ!

213 :九州出身:2007/01/02(火) 23:17:33
はに輪のことか!それ信用しなくて良い
>>203

その説は崩れる

214 :古代史トーシロー:2007/01/02(火) 23:20:48
>>211
吉備で発展した円筒形埴輪の原型らしいけど、箸墓で発掘されている。
すると、箸墓の埋葬者と吉備がなんか関係してたようにおもえるんだよね。
ぐぐればすぐに出てくるよ。

215 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 23:27:21
>>193
>お前はコーランはインチキでないとし、記紀はインチキと観て

俺はコーランは読んだことがない。
イスラム教徒やキリスト教徒、ユダヤ教徒が聖典と認めてる旧約聖書は少し読んだことがある。
旧約聖書も日本書紀もインチキだよ。

イスラム教徒の祭礼が、彼らの暦では15日までに集中しているのは、現代の宗教行事として
今現在行われてる事実で、インチキという言葉は言えない。
間違わないようにしなさい!

216 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:31:54
君の言葉はアイデンティティの完全な崩壊をも及ぼしかねない問題だろうよwwwwwwwwwww

217 :九州出身:2007/01/02(火) 23:32:36
吉備が関係してても従来の説を覆すものまではいかない。
魏・蜀・呉 から送られた物は覆すが・・・

218 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/02(火) 23:44:04
>>186
>私は神武はイヨの孫ではないかと思っているのですが、

この可能性は十分にある。
神武天皇は東征のときに、わざわざ宇佐神宮の側に寄った記事が記紀に存在してる。
何らかの縁が、神武天皇にあり大事業の援助を親族としてお願いした可能性はある。

宇佐神宮の比売大神を、卑弥呼より台与だったんじゃないかと思ってる。
卑弥呼は天照大神と思うが・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
歴代日本国王(倭王)の中で最も海外に知られた存在である。このような人物を単なる
皇女とするのは、本来は常識外れの考え方である。
http://www.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper23.html

219 :太国:2007/01/02(火) 23:51:28
>>215
お前は天皇の崩御も固定的に月前半になるという極めて大出鱈目を堂々と
主張し、この倍暦の確定的文証まで話術でくらまそうとしているようだが、
そうはいかせない。人間というものがが古代に限って14日までに死ぬなどと
いうことは絶対にあるわけがないのだ。これは当然当時において倍暦を行って
いたということを紀が保障しているものであり、1ヵ月が実質上半月の14日で
ったということが強く認容されうる。
これでおまえの祭礼説はデタラメ王者ということが、他のここのスレ人でも、
後藤さんでも「そうだ」とうなづくであろう。ww
死ぬ日が分かるなどと、自殺暗殺でない限りお前以外は基地外とかでない
限りありえず、説得力は大きい。

220 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 00:42:35
何度も言うようだから、末子相続なら平均在位年数10年なんて有り得ないから。
当時いくら早婚でも世代の間隔は、2〜30年ぐらい、
で、世代の間隔=在位年数とすると、平均は2〜30年となる。
誰が在位1年で死去しようが、30年在位しようが平均は変わりません。

誰かが早死にすれば、次の天皇の在位が長くなる。
誰かが長生きすれば、次の天皇の在位が短くなる。

こんな小学生でも分かる理屈も分からないで、統計がどうのこうの言わないで下さい。
当然、兄弟とか親戚とかが継承した場合、上記の値は短くなります。
しかし、記紀を見る限り、そういう例は多くない。
言い換えるならば、一定数の直子以外の相続が発生しない限り、平均在位10年とはならない。





221 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 00:49:13
安本の挙げた例でも、一定数の直子以外の相続があり、平均在位10年ぐらい
という数字がでてきます。
しかし、記紀には天皇は末子相続、途中から長子相続となっており、兄弟、親戚等
への相続はきわめて稀です。





222 :九州出身:2007/01/03(水) 01:06:16
>>186>>218
イヨだぁ?松本伊代ちゃん?!

↓比売大神についてはこれを読むといい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE
「比売大神は宗像三神のこととされる。」とある。

神武東征の時、豪族の宇佐氏の所によったらしい。宗像三神が関係してる。



223 :九州出身:2007/01/03(水) 01:23:28
>>221 きみは安本が好きだな。 
邪馬台国が知りたいのか「古代天皇の在位年数の計算法」が知りたいのか、計算する前に決めたらどうだ?

224 :九州出身:2007/01/03(水) 01:30:01
おまぇらまとめて馬鹿だから、一人一問 質問に答えてやる。

先生から教えてもらえるなんて光栄だぞ!

225 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 01:38:03
>73 >74 素人は死んでな。

226 :九州出身:2007/01/03(水) 01:54:18
あ 馬鹿がしゃべった(笑)

227 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 02:03:15
>>223
好きではなく、安本説を否定してるんですが。


228 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 02:06:43
ちょとー
君たち言葉を慎みなさい!
漏れがいうのもなんだけど
仲良くとは謂わないけどさ
暴言吐いていいのは名無しのみでw

229 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/03(水) 12:15:41
>>219
>お前は天皇の崩御も固定的に月前半になるという極めて大出鱈目を堂々と主張し

間違い!
俺は天皇の崩御が月の前半になると主張した覚えがない。
あなたの会話理解力の問題。

”古代の天皇の崩御年月日”は、すべて信用できないデタラメと主張してるだけだよ。
アンタね、もうすこし会話力を高めなさい。
今の状態じゃ、中学生並みにも会話力もないぜ。

230 :後藤さん:2007/01/03(水) 12:37:40
>>175
>生物学的に食事はうんと金さんじゃないが、
>集まるから長寿の可能性は生物学的には相当程度ありうる。

医療面は?予防接種も抗生物質もなく、衛生観念もない時代ですよ。
そもそも、その豊富だという食事だって栄養のバランスを考慮してないんじゃない?
昔の人は虫歯や風邪、擦り傷による破傷風、衛生観念の乏しさからくる伝染病や食中毒により
今では考えられないくらい、常に生命の危機に晒されていたんだよ。

>それに神武を超えては天下泰平の世であろうから

ハア?情勢的に内にも外にも危険がいっぱいだったろう。
そもそも当時の天皇家など大和の一豪族に過ぎないのだから。
しかも同族争いは世の常、日本武尊だって実兄を殺しているし、
古代の皇室は血塗られた謀略の歴史そのものだえろうがw
いや古代に限らず、後世でもそうだがなw

231 :後藤さん:2007/01/03(水) 12:38:18
>>175
>精神的圧迫があった昭和天皇でさえも実に64年の在位を誇り長く、短命でもない。

何度も言うけど、そもそも昭和帝は現代人だからね。
ていうか、敗戦時に昭和帝が戦争責任を負って退位しようとした事を知らないのか?
もし退位していれば治世は20年余りだったろうね。
だが結局は退位せず、政治から離れ、好きな生物学を趣味として生きた後半生は穏やかだったろう。
しかも宮内庁病院で人間ドックも欠かさず受けて、病気の芽を摘み取っていたからね。

>今後君のいう平均10年になるには、当分の間、
>次代からは在位が1桁年と5代〜10代と続かねばなるわけがない。

前のレスで書いたけど、17世紀以降の400年間の平均在位年数は22.29歳だよ。
あと、明治帝以降は法的に譲位がなく終生に渡って皇位に就いているのだから在位が長くて当然だろ。
昔の天皇の在位が短いのは生きている間に譲位したことが要因として大きい。
まあ、若死した天皇も多かったろうけどね。

ていうか、歴代最長の昭和天皇を引き合いに出して古代史を語る時点で太国先生の常識を疑わざる負えない。

232 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/03(水) 12:57:17
>>203
>最近、考古の人から宮山型特殊器台のことを教えられて、混乱してきた。

岡山県に卑弥呼の時代、独立した国家が存在してた証拠だろう。
記紀によると神武天皇の東征のときに、岡山県には8年間も滞在された。

それだけの抵抗を受けて、治安の維持に苦労されたわけだろう。
大きな戦いはなかったようだが、この東征で岡山県の独立性はなくなったんだよ。

233 :後藤さん:2007/01/03(水) 13:05:40
>>180
>竹内宿禰氏は、臣下としての気楽な立場。 重大決定のストレスも貯まらんし

エッ???
重臣ではないと?じゃあ何者?

>たまたま現代衛生学並みに熱湯消毒をして食べ物を食い、食器を常に清潔にし、粗食を食べ、毎日健康体操する

それは凄い。そんな人が古代日本に居たとは…w
ビックリだよ。

>五代x10年=50年、15歳から仕えたとして65歳まで現役で仕事するのは肉体的には常識程度。

肉体的云々よりも、昔の人は息子が成人して、ある程度仕事が習得できれば、
自らはポストを息子に譲り、隠居して余生を送ったんだよ。

>ちなみに俺が親しくしてるウナギの婆さんは94歳だ。
>よく高知市の親戚や県立病院まで送り迎えを、時たま俺はさせてもらってるよ。

はいはい、まさに輝かしい現代医療の賜物だね。
長生きして当然だね。
現代人である以上、子供の頃から予防接種や各種の初期医療は常に受けられる環境だしね。
近代以前の人は擦り傷ひとつで破傷風で死亡だ。
盲腸でも死亡、結核や天然痘も多くの人命を奪ったし、治安も悪かったろう。


ていうか何で太国先生も恵也先生も武内宿禰が長生きしたことにそんなに拘るの?
武内宿禰スレッド建てたら?



234 :後藤さん:2007/01/03(水) 13:21:53
>>183
なかなか面白い文章で楽しいw
確かに現代人に様々な傷病要因が多いのは事実だ。
しかし、近代以前の方が遥かに傷病要因が多い上に予防や衛生という概念すらなかった。
古代人は現代人が交通事故で死ぬ確率よりも、風邪で死ぬ確率の方が高かっただろう。
もちろん、地震や水害、日照りや雪害など今よりも遥かに天災で死ぬ人が多かっただろう。
蚊に刺されただけで冒される病(日本脳炎)もあるし。

235 :後藤さん:2007/01/03(水) 13:32:01
>>204
概ね、その説は支持いたします。
太国先生や他の先生方の説では古代の天皇だけが何故か20年30年の治世であり、
その後の時代や、中国や西欧の王の治世と比較しても異様過ぎる点に答えを出してない。
彼らは数字的、統計学的な話からは耳を背け目を瞑っているようですね。
まさに彼らこそ古田史学の徒でありましょう。

236 :太国:2007/01/03(水) 13:47:30
>>229
では月の後半だって言うんだな? 八代間には、お前さんがどう抜かそうと
月後半に崩御したとは書かれていない。無いものねだっても使用があるまい。
それはそうだろう。当時は1ヶ月がお前の意に反して今の半分しかないわけ
だから、当然だ。w

舎人親王より、お前のほうこそ信用はできない。以下の文は何だ?ww

>>117
日本書紀には大昔に行ったという祭礼の月日が書いてあるだけの文章。

これは甚だしく大出鱈目の大法螺であり、お前は記紀をあんまり読んで
いないのじゃないか? と勘繰りたくなる。w

祭礼だけかどうか、神武ころあたりからずっと続く天皇らの記事を読んでみろ。
崩御がこれは祭礼か〜? 笑わせるな。
え〜? 他に天皇行幸、反乱、征伐、祝宴、朝貢、珍獣発見等々、祭礼でない
記事が盛り沢山に載っている。祭礼だけではない。どんないい加減な
人物でも、読んでない人とか基地外等でない限り、お前のこの言葉は大ウソ
だと言ってくる。次いで、かなりのデタラメを得意とする後藤さんだって
これは虚妄だと断定するぞ。

お前はそれだけデタラメ帝王であり、舎人親王よりも当然信用出来ない。

237 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:04:10
>>235
>その後の時代や、中国や西欧の王の治世と比較しても異様過ぎる点に答えを出してない。

王位継承は古代の方が忠実に守ってると思うが。
記紀を読んでも、在位期間を短くする要素(兄弟や親戚継承)が多くあったとは思えない。

>彼らは数字的、統計学的な話からは耳を背け目を瞑っているようですね。

数学どうのこうの言う前に、要因分析したほうがいいんじゃ?

>まさに彼らこそ古田史学の徒でありましょう。

古田なんて眼中にないね。

238 :後藤さん:2007/01/03(水) 14:06:38
>>218
卑弥呼=天照大御神(大日霎)
台与=万幡豊秋津媛命(天忍穂耳命の夫)

だと思う。

239 :太国:2007/01/03(水) 14:08:45
>>230
ハハッ! 最後の段はこっちの言い分の認容で本音を吐いたな。w
まぁ多分あんたもたっぷり口から煙雲を出しくゆらす現代の出雲民族のお一人
ではないかと想っているが、彼らは肺がんの恐怖を押し殺して再生能力のない
肺に危険と言える大いなる負担をかけている。

いまや車の排気ガスは空中に充満し、エイズは日本全土に浸透の危機にあって、
古代の汚れなき空気は取り戻せず、さらに有害色素を多分に含んだ食物を
体内にうんと取りこむ障害もあり、さらには石綿粉だとかノロウィルスとかが
空中に蔓延しており、あっちをふさげばこっちがまずいとか、覚せい剤も
蔓延中で生命を短縮する原因は古代以上に山積み、多発している。
これでは現代のほうが必ずしも生活安全であろうとは言いがたい。つまりだ、
古代のほうが短命だとは必ずしも真ではない。あんたの勝手な恣意的考え
以外の何者でもなく、昭和天皇を出してもタケウチノギネスのほうが長寿で
あるからして、古代人も大して現代人と命はどんぐりの背比べ的もので
当時も寿命に関してはそんなに差をつける必要はない。

240 :太国:2007/01/03(水) 14:21:46
>>231
話がそれるが、昭和天皇には刑事責任に相当する戦争責任はない。
あれは終戦直後、東条さんより先にジープが皇居に乗り上げ、あとは
フセインさまのように巣鴨不利寸でお陀仏になっている。
それがあれば松笠連が天皇に対して身柄確保せず、指をくわえて傍観に終始
しているなどということはありっこない。日本の将来のために必要だから、
それがあってもお咎めなしに生かしているんだなどという論は詭弁であり、
そういうことは次代の明仁さまに皇統が行けばいいことだから、傍観などあり
っこない。フセインさんと同様に死刑 南無三となるに事が決まりだ。
そうなっていないということは、戦争責任は無いのが正解なのである。

今度は古代人のタケウチノギネスを出してやったから、その点は文句あるまい。
当時の天皇も終生在位だよ。そんな数字はもう崩壊の一路だ。w

241 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/03(水) 14:26:57
>>233
>重臣ではないと?じゃあ何者?

最初から重臣とは思えん。
衛生面では現代のことを書いてる、誤解しないように。

昔の人が息子にポストを譲りなんて書いてるが、それは世襲制度が確立した江戸時代のことだろう
古代の朝廷で、そんな話は聞いたことがない。

隠居の話も、何か勘違いをしてるのじゃないかな。
事業に成功した人間が、息子や娘らに譲るのは体力、知力の衰えを感じたときだよ。
さもなければタダの戦力として家族を使うだけの話だ。

昔のインドの人間は、若いときには精一杯働き、家族を養いお金をもうけ年を取ってしまったら
家族に財産を与えて森に入って、宗教的な修行の世界に入るのが多くの人の理想だったとか言う。

まあ、昔から人それぞれと言うべきだよ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
21才アメリカでの2年間の農業研修を最後に学びの生が終わり、牧場経営者としての世間の
生が始まりました。   28才で結婚して家庭を持つことになりました。    35才順調
だった経営を突然やめ、瞑想の生が始まりました、仕事は陶芸と自然農法の農業になりました。
http://homepage2.nifty.com/k-kozi/starthp/subpage09.html

242 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/03(水) 14:30:37
>>236
>では月の後半だって言うんだな?

お前は馬鹿!
理解力ゼロの人間。

243 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:30:56
>>231

>昔の天皇の在位が短いのは生きている間に譲位したことが要因として大きい。
>まあ、若死した天皇も多かったろうけどね。

誰が在位1年で死去しようが、30年在位しようが平均は変わりません。

誰かが早死にすれば、次の天皇の在位が長くなる。
誰かが長生きすれば、次の天皇の在位が短くなる。





244 :後藤さん:2007/01/03(水) 15:06:44
>>241
>世襲制度が確立した江戸時代のことだろう

えっ!!
飛鳥時代、蘇我毛人だって在命中に入鹿に権限を委譲してるけど…
世襲なんて習慣はそれ以前からあったと考えて不思議ではないのでは?

>隠居の話も、何か勘違いをしてるのじゃないかな。
>事業に成功した人間が、息子や娘らに譲るのは体力、知力の衰えを感じたときだよ。

世襲の話にも絡むけど、隠居したとしても影響力を誇示する場合だってあるんだよ。
後の院政などもある意味で隠居に等しい部分もあったろう。
晩年の徳川家康の事を指して「大御所」と呼ぶのはご存知だろう。
体力知力が衰えた時はそれこそ「蟄居」のほうだろう。

245 :後藤さん:2007/01/03(水) 15:16:19
>>243
だから、それが統計学的に古代日本において「平均10年前後」だと言っているんだよ。
何回言えばわかるの?
それを太国先生などは2倍暦3倍暦説やら古代人長寿説など持ち出したて、故意に平均在位を20年30年と長くしているんだろうが!
それこそ戦前の皇国史観そのものであり、自国の歴史を誇大に修正する行為の他ならない。
どこぞの国の半万年歴史にも引けをとらない異常さだと思われる。

246 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 15:32:54
>>245
よくわからんが、何で皇国史観になるんだ?
なんども、なんども言うが、平均10年って直子以外の相続がある程度ないと、
そうはならないんだが。


247 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 16:21:42
卑弥呼は神功皇后に暗殺された山門の女首長

248 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:14:20
安本氏の年代論への疑問

すなわち、現行と同じ等倍暦で実在の王を考えてよい時期は、百済では四世紀半ばの
近肖古王以降、新羅では五世紀半ばの慈悲王以降ではないかとみられるが、各々
六六〇年代初めまでの義慈王(百済王、在位641〜60)、武烈王(新羅王、同654〜61)
までの期間を見れば、百済が19代314年で一代平均は16.5年、新羅は10代204年で
一代平均は20.4年となっていて、とても十年程度どころではない。
なお、北方の高句麗は長寿王(例外的な長さであるが、在位年数79年)の存在もあって、
好太王から最後の宝蔵王(642〜68)まで見れば、10代278年で一代平均は27.8年にもなる。
長寿王を例外的存在ということで外して、その次の文咨明王から宝蔵王の八代まで見た
場合でも、一代平均が22.1年となる。このように、上古代の朝鮮半島の諸王について実際に
計算してみると、安本氏の説明が相当に便宜的であることがわかる。氏の計算では、
「近肖古王から」といいながら、約三十年の治世をもったと伝えられ百済の全盛期を現出した
同王の治世を殆ど除外している問題点もある*4。

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/yasumoto/yasumt2a.html


249 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:16:58
安本氏の年代論への疑問

すなわち、現行と同じ等倍暦で実在の王を考えてよい時期は、百済では四世紀半ばの
近肖古王以降、新羅では五世紀半ばの慈悲王以降ではないかとみられるが、各々
六六〇年代初めまでの義慈王(百済王、在位641〜60)、武烈王(新羅王、同654〜61)
までの期間を見れば、百済が19代314年で一代平均は16.5年、新羅は10代204年で
一代平均は20.4年となっていて、とても十年程度どころではない。
なお、北方の高句麗は長寿王(例外的な長さであるが、在位年数79年)の存在もあって、
好太王から最後の宝蔵王(642〜68)まで見れば、10代278年で一代平均は27.8年にもなる。
長寿王を例外的存在ということで外して、その次の文咨明王から宝蔵王の八代まで見た
場合でも、一代平均が22.1年となる。このように、上古代の朝鮮半島の諸王について実際に
計算してみると、安本氏の説明が相当に便宜的であることがわかる。氏の計算では、
「近肖古王から」といいながら、約三十年の治世をもったと伝えられ百済の全盛期を現出した
同王の治世を殆ど除外している問題点もある*4。

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/yasumoto/yasumt2a.html


250 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/03(水) 20:18:02
>>244
>体力知力が衰えた時はそれこそ「蟄居」のほうだろう。

衰えた事を実感するから、他人に任せて隠居をするんだよ。
蟄居とは家に閉じ篭ることをいう。
全く内容が違うぞ。

それからあなたは飛鳥時代に詳しいようだが、蘇我入鹿に権限譲渡なんて俺は知らん。
入鹿の親父が、自分で衰えを感じたから個人的に日本の世襲議員みたいに地盤を渡した
ようなものだろう。

まあ、宮中で皇族である皇子らに暗殺されてしまうような激動の時代じゃ、老人の脳
細胞じゃ追い付けはしない

瞬時に情報を判断し、決断を下すなんて明治維新の志士らみたいな若者の特権。
敗者である蘇我入鹿も、権力者ではあったが時代遅れの年寄りだったのかもな。

251 :神奈川県民:2007/01/03(水) 22:38:06
出雲国についての認識も聞きましょうか

252 :太国:2007/01/03(水) 23:26:23
>>242
馬鹿じゃぁ反論の語になるまい。もう万歳か〜?w そうだろう。
出鱈目の極致だからな。ww

253 :太国:2007/01/03(水) 23:40:39
>>234
今宵は古代エジプト番組をみていたが、ツタンカーメンは足からの細菌侵入か
ワインでの毒殺かで意見が二分されているようだった。同王は18歳で不審死
ととげ、ここのみではあんたの意見がとおりそうに思えるが、何とラメシス2世
は92歳の長寿で、しかも数千人の相手をことごとく戦死させ勇猛であったと
いう。人数の誇張はあるにせよ、これだけ戦争でかなりの敵の殺戮をやって
いる身分の王とはいえ、竹内宿禰111歳の次に匹敵する長寿者である。
ツタンカーメン王は足に大怪我をしており、その古代治療の素晴らしさを
吉村教授の解説を交えて感嘆していた。

こんなことだから、後藤さん恵也氏の論はどんぶり勘定の吟味もろくにして
ない、卑弥呼と日神のレスビアンをやり遂げたい欲求から出た暴論であること
の当選確実が、いよいよ浮上する。w

254 :太国:2007/01/03(水) 23:44:30
>>253 訂正

× 細菌侵入か     ○細菌侵入の病死か

× 不審死ととげ、ここのみでは   ○不審死をとげ、ここのところは

255 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:49:02
ああ、あれちゃってるわ・
コテが喧嘩するなよ・・

256 :九州出身:2007/01/04(木) 02:38:42
『古事記』は天照大御神、『日本書紀』は天照大神、別名を大日孁貴尊とする。
この大日孁貴尊(おおひみこむちみこと)は伊勢神宮の内宮で祭られ、魏志倭人伝の卑弥呼(ひみこ)を思わせる。

古事記では豊宇気毘売神、日本書紀では豊受媛神と表記される。別名、豊受大御神は伊勢神宮外宮で祭られて、魏志倭人伝の豊与(トヨかイヨかいわれるがトヨの呼び名が正しい)を思わせる。


ここで質問だが古代日本の女王で有名な神?そして海外で国史に載るような古代倭の女王は誰?
なぜ別の皇女・地方豪族説がでるかがわからない。

257 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 02:43:22
>>248
>百済が19代314年で一代平均は16.5年、

久方ぶりにマトモナ反論をしてもらった。

問題はその年代が信用できる年代なのかどうかだ。
日本書紀の年代と同じように、古き見せる為の操作をやってない根拠を確かめた後で計算すべき。

しかし三国史記という朝鮮の日本書紀に当たるものが、日本と同じような操作を行ってる可能性が
大きすぎて計算の対象にはならない。

日本書紀は西暦700年頃に編纂されたが、三国史記は西暦1100年頃に編纂されてる。

安本氏は西暦600年〜800年頃の天皇の在位年数を確実だとして出発されてるが、あなたの
HPの著者は西暦350年頃の百済王の在位年数を、マルマル信用して計算してる。

一代平均16.5年を出す前にチェックすべき問題を無視した暴論だ。
安本氏とその著者の科学的素養の差なのかね。

−−−−−(引用開始)−−−−−
まぎらわしいので便宜上13代・14代のほうを近肖古王・近仇首王と呼んで区別しているのだが…。
どうもこれは日本の「初代・神武天皇」と「10代・崇神天皇」と同様の現象らしい。
http://homepage1.nifty.com/history/history/kudara.htm

258 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:46:06
>>249
宝賀は、学者の文献のみでなく、色々な文献を引用して検討していて良い。
イデオロギーに汚染されていない点で、畿内の多数の学者に比して高く評価できる。
「『神武東征』の原像」もまあまあ良いと思った。

ただ、基本的な問題として、不確定な前提に立脚し、展開した議論が多過ぎる。
前提部分を決め付けすぎで、論理の射程範囲が広くなりすぎ。
自説を「仮説」とした場合に、「何が反証となるのか。」を意識した方がいい。
仮説や反証の論理構造などの議論のための前提知識が足りないような感じもする。
自説の無謬性にこだわって、かえって分かりにくい議論をしているようにも見える。

つまり、神武を古く見る見解を「仮説」とした場合に、何が整合し、何が整合しないのか、
何が反証となるのか、という基本的な視点も欲しい。

>>249の引用先の安本批判も不十分。
自分で何通りかのパターンを示して、検討する必要がある。自説に都合の良い結論のみ
を提示していては、安本批判がそのまま当てはまる。

259 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 02:51:43
>>249
>現行と同じ等倍暦で実在の王を考えてよい時期は、百済では四世紀半ばの
>近肖古王以降、新羅では五世紀半ばの慈悲王以降ではないかとみられるが

ここが間違い!

「実在の王」というのと「その在位年代が事実」というのと全く違う事柄。
日本書紀でも実在の天皇を古く見せる為に、在位年代を操作してる。

同じように日本書紀が完成してから400年後に作られた朝鮮の三国史記にも同じ現象がある。

たとえて言えば、日本書紀の時間のモノサシの精度を測定するのに、もっと怪しいモノサシ
で測っているようなものだ。
残念ながらアンタは落第!

260 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 02:58:40
>>252
>馬鹿じゃぁ反論の語になるまい。もう万歳か〜?w そうだろう。

アンタの頭じゃ、ヌカに釘。

261 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 03:11:18
神武天皇は、実在性は別として
卑弥呼よりは確実に前の人でしょう?
崇神天皇で、卑弥呼と同時期か少し後かで見解が分かれるぐらい。

まあ、いずれにせよ、仮に邪馬台国が九州だとしても
この邪馬台国が、その後、東征することはない。
東征する理由はないし、東征できないし、
また東征したとして、その後の崇神〜景行の間の
勢力伸長(畿内から徐々に全国拡大)が説明できない。

262 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 03:16:25
崇神は卑弥呼より少し前って可能性も高いでしょ、
一大率が九州にあるんだから、すでに。

漏れとかはかなり優しいから安本の説も
できるだけ汲み取るようにしてやってるけど、
どれだけ譲歩しても卑弥呼の後に神武はありえんね。
崇神=応神=神武とかもあり得ん。
卑弥呼=アマテラスも強引過ぎる。
どうみても小学生の盲艸としか思えん。


263 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 03:22:01
インターネットが無い、普通教育も受けていない
大正時代の労働者じゃないんだから
マスコミとかを鵜呑みするのやめようよ。

少しは自分の頭で考えようよ。

264 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 03:27:11
だいたい、記紀を信じるなら卑弥呼がアマテラスに
充てるの難しいじゃん。
3世紀にアマテラスがいて、その後ニニギがきて
そのあとウガヤフキアエツノミコトがきて神武ってなるわけ?
4世紀には大正時代人恒例の銅鐸文化滅ぼして
大和朝廷ぶった建てるの?
なんかきつくね?
レベルヒクー
この説、やっぱ大正時代人のくおりてぃだわ。

265 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 03:35:00
そして応神の時代には筑後平野にクマソ征伐か・・・
なんか無茶苦茶レベルヒクー
大正時代人はやっぱレベルが低いと思う。
大正時代人の説が
2chチノウではちょうどあってるかもしれないけど
津田とかの説とかえらい恣意的だもんね
恣意性、操作性がある説まずその説からあたりましょう

266 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 04:14:21
>>261
卑弥呼の場合は、かなり前から伊都国を支配下においている。
壱岐や対馬も支配下においているから、自由に帯方郡に使いを送れる。
つまり、卑弥呼は北部九州を支配下においていた。
一方で、崇神天皇は、東海、丹波、越前、吉備付近も支配していないから、
四道将軍を派遣している。

したがって、卑弥呼と崇神天皇が同時代というのは、邪馬台国九州説でしか
ありえない。さらに、その時代にはすでに畿内に大王が存在していたという
設定になる。

そのような設定を前提に考えると、当然のごとく、九州の邪馬台国と畿内の
大和朝廷の前身はぶつかることになる。恐らく、6世紀の磐井の乱以上の
戦いが行われることになる。しかし、記紀のどこにもそのような形跡は
見られない。つまり、そのような戦いはなかった。

要するに、卑弥呼と崇神天皇が同時代という前提そのものが間違っていることに
なる。

267 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 04:21:44
付け加えろ、崇神は九州も支配してない。
彼は大屋田彦を九州に送ってる。

268 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 04:23:19
大屋田子の間違い

269 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 04:23:37
>>266
崇神は卑弥呼より古いって言いたいの?

270 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 04:36:31
>>269
卑弥呼のほうが古い。
纏向遺跡周辺の古墳は、畿内説の人でも、3世紀半ばが一番古いと言う。
崇神天皇のほうが古かったら、箸墓は少なくとも、2世紀には出来て
いなければならないことになる。そのようなことはありえない。


271 :九州出身:2007/01/04(木) 04:57:00
どうして卑弥呼より、祟神のが古くなるんよ どうゆう計算んしてんだか!
祟神は100〜200年ぐらい後の人だ!


272 :九州出身:2007/01/04(木) 05:05:16
天照大御神〜祟神まで、ほとんど兄弟間による王位交代とみていい。
記紀では親子になってるが養子としてそうなる!

273 :後藤さん:2007/01/04(木) 09:55:17
「天照大御神=卑弥呼」否定派は高天原がどこにあったと仮定しているのでしょうか?

私は高天原こそ北九州にあった邪馬台国であり、
神武東征こそ邪馬台国の拠点が畿内に移った事が伝承となって記紀に書かれたのだと思う。
神武東征の時期はちょうど大和に前方後円墳が出現した時期(3世紀末)だろう。
それと時を同時期、畿内の銅鐸文化が消滅している。
銅鐸の埋設状態から見ても、早急に何かの異変が起こった事が伺える。
ちなみに記紀や中国の文献に、この銅鐸に関しての記述は皆無である。
何故なら、北九州にあった邪馬台国(高天原)に畿内のような銅鐸文化はなく、
神武東征によって完全に忘れ去られたからである。

274 :後藤さん:2007/01/04(木) 09:57:23
「天照大御神=卑弥呼」説の否定派は高天原がどこにあったと仮定しているのでしょうか?

私は高天原こそ北九州にあった邪馬台国であり、
神武東征こそ邪馬台国の拠点が畿内に移った事が伝承となって記紀に書かれたのだと思う。
神武東征の時期はちょうど大和に前方後円墳が出現した時期(3世紀末)だろう。
それと時を同時期、畿内の銅鐸文化が消滅している。
銅鐸の埋設状態から見ても、早急に何かの異変が起こった事が伺える。
ちなみに記紀や中国の文献に、この銅鐸に関しての記述は皆無である。
何故なら、北九州にあった邪馬台国(高天原)に畿内のような銅鐸文化はなく、
神武東征によって完全に忘れ去られたからである。

275 :太国:2007/01/04(木) 10:20:05
>>273
高天原には3種類あろう。1は記の国生み前の記述があるから、これは
日本という島が無いときであって、日本国上探してみてもありっこない。
2は日神出生時の高天原というもので、これは1に準じて地球上のどこかに
仮設されたある場所ではある。そこがどこかということは現段階では九州が
有力だと想うが、確定的ではない。3は後の時代になって、各々勝手に
高天原を名乗らしめた地名であって、これは本物ではなことが自明的である。

後藤さんの主張してるのは、おそらく2のことであろうが、そうはいっても
女王国が高天原であるいうことは、卑弥呼が神功皇后の時代の人物であって、
神武以前の日神の時代の人ではないから一致するわけがない。

276 :太国:2007/01/04(木) 10:58:41
>>259
>日本書紀でも実在の天皇を古く見せる為に、在位年代を操作している。

これは間違い。

古く見せるならば、一見して200歳とか300歳などというこれはどうか?と
一般人が疑惑に首をかしげる数字を、見破られるように書くとは考えにくい。
こういう通常では無理なる記録的超長寿をゾロゾロ書けば、ゴマ化したことが
ストレートに露見して疑念を抱かれるわけで、実際なら他国の者に読まれても
操作したと見破られないように文書偽造をするはずである。だから、ウソだろう
と途端に分かる書き方をしてるということは、操作したのではなく何らかの事情
がそこに存在してるからだと観るのが至当である。

スポーツでたまにあるらしい八百長でも、ファン等に分からぬよう隠匿して
秘密裏にやるはずであり、例の公務員の談合などもケーサツにばれないよう
に実行されるに違いない。ドーピングだって選手は審判側に発覚をしないよう
どんどん巧妙になっている。200歳300歳に年増を重ねて、他国の歴史学者に一発
でイカサマがばれるような形の記載ぶりでは馬鹿丸出しの編者らということに
なる。そんなに舎人は間抜けな奴だったのであろうか? 否そうではあるまい。

イカサマが丸出しに見える書き方などしてないはずで、なのにべらぼうに長い
お歳の記載ということは、当時が倍暦をやっていたことに行き着く。
八代間は1日〜14日までの1ヵ月が2週間で、現今の半月が当時の1ヶ月で
あったということである。ならば何のことはない、超長寿者に見えた当時の
天皇は、現代人と大して変わらない、ありふれた通常の寿命だったということ
なのである。記録的最長寿のタケウチノギネスも人間として考えられる
ギリギリの範囲内に収まる寿命になるし、5代に遣えた相当の年齢になる。

277 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 11:29:49
>>273
>神武東征こそ邪馬台国の拠点が畿内に移った事が伝承となって記紀に書かれたのだと思う。

ここには同意するが、北九州と断定すると神武天皇が宮崎日向→大分宇佐→福岡芦屋と記紀に
詳細に書かれてる事実を無視する事になる。

また神武天皇の祖先が多数、宮崎県の神社や古墳に祀られてる理由がなくなってしまう。
宮崎県南部の串間で見つかった、中国皇帝が諸侯に贈ったという玉で出来た穀璧も説明が出来ん。

むしろ北九州は宮崎県の邪馬台国が、変化しながら移動していった場所じゃないのかね。
さもないと神武天皇の先祖を、大々的に祀ってる神社が多数北九州に存在しないと・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
山幸彦ひとりで子を育てるのは大変だろうと、豊玉姫は妹の玉依姫を乳母として地上に送る。
やがて成長した鵜葺屋葺不合命は玉依姫を妻とする。ふたりの間に生まれた子の中に、後の
神武天皇がいる。
http://www.natsuzora.com/iris/sight/udojingu.html

宮崎県の串間(鹿児島県境の海岸)から周〜漢にかけて皇帝が諸侯に与えた「穀璧」という
玉器が江戸時代に完全品で発見され国宝となっています。直径33.3cmです。

鏡は富裕者なら入手できるでしょう。しかし硬玉製の穀璧は次元が違います。まさに国宝です
(HPが死んでしまってた:もったいない。穀壁の写真までついてるのに!!!恵也)

278 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 11:31:10
>>273
>北九州にあった邪馬台国(高天原)に畿内のような銅鐸文化はなく、

北九州より極少数ですが、銅鐸もまた銅鐸の鋳型までもが発見されてます。
だから全く、銅鐸文化がなかったとは言えない。

本当に音を出す小型の20cm以下の銅鐸は、九州でも多数発見されてます。
信仰の自由が、北九州では当時存在していたというべき。

銅鐸は非常に複雑な歴史を持ってるのじゃないかな。
専門家でさえ、偽物と断言したくなるような出土品さえ存在する。

−−−−−(引用開始)−−−−−
福田型銅鐸は邪視文銅鐸ともいわれ、吉野ケ里遺跡の北方、辛上で出土し、九州初の銅鐸
として注目を集めました。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku08.html

1号銅鐸は、弥生青銅器研究の権威、佐原真氏(故人)が、最初に見たとき

「この銅鐸が骨董屋にならんでいたら、私はまちがいなく偽物というだろう」

といわれたもので、他に例のない特異な銅鐸です。
http://www.highlight.jp/kougindani/13.html

279 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 11:33:30
>>257への追加
朝鮮の正史である三国史記が完成したのが西暦1145年だから、その前100年くらいは
人々の記憶にも鮮明に残っていて、国王の在位年代にインチキはなかったと考える。

西暦1045年の国王は第11代高麗王で、高麗王朝は第34代1392年まで続いてる。
24人の王様が交代したわけだ。

平均在位期間は次の式で与えられる。

(1392−1045)/24=14.4

同じ文化圏にいた日本の、当時の天皇の平均在位期間は、安本氏のグラフをみても同じ程度。
よって朝鮮の国王の在位期間からも安本説が正しいと証明されたというべき。

−−−−−(引用開始)−−−−−
高麗王(こうらいおう)[1]とは高麗(918年-1392年)の国王で王氏による。
各王の詳細は以下の表で王名(諱)を見られたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E7%8E%8B#.E9.AB.98.E9.BA.97.E7.8E.8B.E4.B8.80.E8.A6.A7.E5.8F.8A.E5.9C.A8.E4.BD.8D.E4.B8.80.E8.A6.A7

天皇の活躍年代の検証へのアプローチ
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/nendai.htm

280 :太国:2007/01/04(木) 11:38:29
>>271
卑弥呼より神武のほうが古い。卑弥呼は神功の時代ころの人で彼女のほうが
新しい。神功39年の紀の記載は貴重である。

281 :サガミハラハラ:2007/01/04(木) 11:38:33
崇神天皇についての私見
崇神の存命中は九州を支配下においておりません。ツヌガアラシトが山口県にやってきたとき、そこの酋長は自分が倭国の王だと称していました。
もし、大和朝廷の勢力が及んでいたならば、
そのようなことをゆるしておくはずはありません。
また、289年に東夷30ヶ国が中国に貢献したとの記事があります。この30カ国は倭人伝の30ヶ国のことであると考えられますので、
この時点で、大和の勢力は九州におよんでいないことがわかります。(私は崇神の崩年は
古事記崩年干支2倍年暦の288年だと思っています。)
以上から、崇神は九州を支配下においていないと考えます。
しかし、九州への働きかけはあったようで、289年の貢献は大和からの働きかけに対し、もし敵対して戦いになった時、中国は援軍をおくってくれるかとの交渉にいったものと考えられます。
結果は思わしくなかったために、最終的に大和の勢力下にはいったと考えられます。
その関係は連衡という形であったとみられます。
その時期は垂仁天皇の時代であったかと思います。

282 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 11:43:49
>>276
>イカサマが丸出しに見える書き方などしてないはずで、

丸出しにしても、信者は信じてしまうのが人間の業。

世界のキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が聖典としてる旧約聖書にはアダムらが
900歳以上まで長生きしたとしてるのに、そこまでの荒唐無稽を信じきってるんだぜ。
アンタもタダのノータリンの信者に過ぎん。

−−−−−(引用開始)−−−−−
創世記5章(そして一部9章)によれば、アダム以降ノアまでの人々は長生である。
すなわち、アダムは930才、セツは912才、エノスは905才、カイナンは910才、
マハラレルは895才、ヤレドは962才、エノクだけは365才で上げられ、メトセラ
は969才生き、レメクは777才、そしてノアは950才まで生きた。
http://popup6.tok2.com/home2/galilee553/kyuuyaku.html

283 :太国:2007/01/04(木) 11:47:58
>>272
神武以降では兄弟間の継承は履中以後でないとありません、
これは古神道的にも厳格なもので、そのない理由というのは古神道の機密事項
になってますので言及しませんが、兄弟継承があれば記紀に明確な記述
があって系譜が極端に変動しますでしょうし、それはありえません。

284 :太国:2007/01/04(木) 12:00:57
>>282
お前の云うとおりだったら、1日〜14日に記録を集合させることはない。実際
日数が半分に偏って月後半が無しで記述されているのだから、年数のほうも半分
しかないことは充分うなづける論であり、ものの見事に天皇の寿命が現代人と
どんぐりの背比べ的で、天皇は当たり前の寿命だったということがわかる。

それに聖書の数字も高数字の倍暦でやっていたんではないかと考察でき、
西遊記のように天上の1日が地上の1年からして、かような倍暦又はそれと類似
のやり方の倍暦法なら、聖書の数字も合理性が出てくる。

君は今度はイスラムを偽に反転し、ついでにキリストは偽、神道は偽なのか? 
適当恣意的に宗教文献を借用してるように思えてくる。だから、今度はまた
コーランが真だと敵味方逆になる置換の常習になるのか?w

285 :太国:2007/01/04(木) 12:40:23
>>282
信者とは身内の者にすぎない。だからそういう人間はだませても、外部の
第三者は信者ではないからイカサマを書けばバレるのは必至で、大陸の非信者
の歴史研究家を信用させることは出来っこない。つまり一見して分かりそうな
300歳などという偽記載はするわけがなく、だますならばもっと巧妙にやるに
違いない。お前は操作だとか言って単純だから子供だましのような300歳が
10人20人いてもすぐ天皇を古くするためにしているとかの考えでストップだが、
深考する賢人はそういう単純な結論はしない。これがお前と賢明な研究家
との大きな相違なわけだ。ww

八百長そするならば、絶対分からないと確信をするような審査側に発覚しない
方法をとるのが常である、これを考えたとき、紀が300歳などど、現今の常識を
大きくハメを外した異常記載としたのは、イカサマなどが目的ではなく、
そこに何らかの特段の事情が眠っているからだと観るのが至当なのである。

では、その事情というのは何か? それは今と暦法が異なっていたからであり、
当時は1年が今の半年であるからして、古代天皇の並外れた超長寿は、何の事は
ない、今の人間とそんなに変わりがない当たり前の寿命だったということが解る。
その証拠に紀の八代間は1日〜14日までの1ヶ月が今の半月相当である。お前
が祭礼等は月初めに行いやすいから紀の記載が前半に集まるのだと説くが、
崩御も全部月前半の数字であり、死ぬ日は恣意的に前もって決めることは不可能
であるからして、お前の抗弁は通用せずしてデタラメそのものなのである。

286 :九州出身:2007/01/04(木) 13:48:52
>>273後藤  >>275太国 へ 
まず高天原はどこか考える。ここでで重要なのが俺の昔のレス。
↓タブラカサズ真剣に読んでくれ!
>>174>>178

少し頭がいい人は高天原の場所も少しの期間でみつかる。頭の悪い人は「解らない」もしくは「高天原(良い国)が出雲で、黄泉の国(悪い国)を宮崎」という。

ここで君等に質問だが君等は頭いいの?悪いの?どっちか必ず返事くれ!

287 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 13:51:54
>>285
>信者とは身内の者にすぎない。

間違い!
信者とは何かを信じる人間の事。
俺の身内:従兄弟にさえ統一協会の信者がいる。

アンタは日本書紀を四角四面に信じてる、日本書紀信者に過ぎん。
俺のところに通ってるエホバの証人も、新約聖書、旧約聖書を四角四面に信じてる信者に過ぎん。
アンタと同じ、赤の他人が書いた書物を信じる信者だ。

エホバの証人さんは、身内である親族からは総スカンを食ってるようだけどね。

288 :九州出身:2007/01/04(木) 13:52:05
>>277
なぜそこで邪馬台国は北九州と断定してるのかね?

289 :太国:2007/01/04(木) 13:54:28
あ〜読んだよ。云えることは、高天原は邪馬台国ではないということだ。

290 :九州出身:2007/01/04(木) 13:57:39
>>280 はなぜ神武のが古いといえる?説明よろしく

291 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 13:58:04
>>286
>ここで君等に質問だが君等は頭いいの?悪いの?どっちか必ず返事くれ!

頭がいい、悪いは、歴史の真実の前にはドングリの背比べ。

俺が尊敬するアインシュタインほどの天才でさえ、彼が知った事は真実という大木の小枝に
過ぎないといってるぜ。
そんなドングリの背比べをして自己満足してるんじゃないよ!

292 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 14:00:37
>>288
>なぜそこで邪馬台国は北九州と断定してるのかね?

俺は宮崎市と邪馬台国を断定してる。
>>273氏が、北九州と断定してる。
混同しないように。

293 :太国:2007/01/04(木) 14:01:09
>>285
身内の字が気にくわないのならば、味方のことだろうが?
お前だって紀の味方をしてるようで敵なんだろうが?w
だいたい寿命は信じない、天皇の名は信じるということ自体が恣意的では
ないか? さらに紀の記載が全部祭礼だっていうこと自体を含めて、
君のなり振る舞いはまるで目の見えない蝙蝠のようだぞ。www

294 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 14:01:28




この馬鹿コテのオンパレードはやはり同一人物ですよねw



邪馬台国スレ同様に臭いよw




295 :九州出身:2007/01/04(木) 14:07:56
>>283
272のレスを訂正?!
血では兄弟なのに親子による継承と言いたかった。

296 :太国:2007/01/04(木) 14:12:20
>>290
紀の神功39年の記述は、暗に九州に存在する女王国卑弥呼を示したものであり、
ここんところは、紀で数少ない卑弥呼と認容される人物の貴重な文である。
神功は神武以後の人物であるから、卑弥呼も同様であることが確かである。

卑弥呼が神武のころだとか、はては呆れてしまう神武以前などということは
ありえず→卑弥呼とアマテラスとをべったりさせたいニコニコ顔の欲求の
ほとばしりから出たイコール接着説であり、宝クジの1等、2等に当選
するくらい両者が一致することは困難なのであり、この説は却下される。

297 :九州出身:2007/01/04(木) 14:22:23
君等にもう1度これをプレゼントしてやろう!
>>174 >>178 >>286

50回くらい読むといいよ。高天原が見つかるかもしれない!

298 :九州出身:2007/01/04(木) 14:29:33
>>296

君は「信用できる、出来ない」の優先度をつけたほうがいいかもな。昔の文を全て信用してたら解らなくなる。

299 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 14:32:27
またゴキブリ「旧習出身」が来てるよ。w
なに一人でいい気になってんだろね。このウジ虫。w

300 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/04(木) 14:37:46
フセイン大統領の処刑シーン。
まあ、男だったらこのくらい立派な最後を遂げたい。
これでスンニ派の英雄にはなってしまったね。

ttp://ia331341.us.archive.org/2/items/gfjn8nvcbvc7b/saddaa5am.3gp

301 :九州出身:2007/01/04(木) 16:58:18
まずこれをみて!>>50

次にこれをみる>>291>>294>>299

こうゆう人をいうのだ!あてはまるだろ?
きみの悪い頭で邪馬台国が見つかるのか?(笑)

302 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:44:19
あ、頭の悪い九州出身がなんか逝ってる!
ぷぷっ!www

303 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:42:17
魏志にある一大率がキーポイントだよ。
この問題をよく考えれば邪馬台国がどこにあったのか見えてくる。

304 :九州出身:2007/01/05(金) 00:49:00
>>303
一大率が重要な理由とは?

305 :タケル:2007/01/05(金) 03:43:21
太国殿
二倍年だが、竹内宿禰の年齢とか以外に証明できる根拠はない?
例えば、季節(ある年の1月が冬で翌年は夏)とか、神功皇后の妊娠期間とか。
そういうのがあればぜひ、ご提示願いたい。

306 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/05(金) 08:01:48
>>303
>魏志にある一大率がキーポイントだよ。

それもあるが、
●邪馬台国は上海(会稽の東治)の東
●棺はあるが墓室はない
●ソウルから960km(12000里)

というのもポイントだよ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治の東にあたる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

307 :太国:2007/01/05(金) 08:01:50
>>305
@ 最初に2倍暦ではないかと想ったのは、>>94のとおり、綏の立太子が
  1/3のところ(年数はここでは後回しにして)安寧即位が丁度半年後の
  7/3に行われているという紀の記述。ここから安寧世は2倍暦をして
  いたと観た。今でもそう思っている。
A 重要行事の大祓いが半年の区分の6月末に実施され、紀に農事を初めて勧奨
  した詔(崇神62年7/2)が次の半年の初日の次の日←7/2にされている。
B さらに紀では開化の即位が11月の当時の秋であるのに、天皇の宮は秋日宮
  とせず春日宮と逆であり、天皇の御名の「大日日尊」も日を2倍として
  おり、天に二日無しのところ日が2個もあれば春より暑い夏となり、秋の
  即位にしては全く不適切な、御名、宮名である。「開」字も日2個あり。
C 倭人伝に「春耕秋収を記として年紀を為す。」とあり、九州が倍暦使用
  ならば、「水行十日陸行一月」も半分で九州説に合理性も出る。


308 :太国:2007/01/05(金) 09:42:49
>>307 続き
D 八代間の記事の >>101 の表を見て欲しい。総ての事象が月前半の
  1日〜14日の範囲内にあり、月後半の記載がまるで無い。つまり、当時の
  1ヶ月は今の14日間ばかりであり、1年だと現今の半年の計算になる。
E 「運命学を斬る」(群松恵之介 コアラブックス)141頁によると
  〜半年で1年が終るのだから、7/1と1/1との2回が正月となるが、12月の
   ことをも六月と記すので、諸文献の中にも寒い六月が散見するのも証拠。
  〜顕宗天皇といえば、2倍年暦が時効になった年代であるが、六月の条に、
  「避暑殿にいでまして」という記事があるのは、12月のことを言っているの
   であろうし・・・・・・・云々」
  〜允恭天皇24年6月の条に、「御膳の汁が凍った」とあるのはまだしも、
   推古天皇は(中略)6月の条にも「雪が降った」ことが見えている。
 この著者のは参考になるが、拙者と意見が違う面があり、拙者は允恭も顕宗
 も等倍暦の時代と観ているし、この著者は畿内説で九州説ではないらしい。

309 :太国:2007/01/05(金) 11:48:15
>>308 >>307 続き
F 紀の宣化の文には宣化崩御が2月なのに、次代の欽明の条では宣化が10月
  崩御になっている。これは紀の原書に、現代の午後6時が24時間制だと18時
  になるのと同様のに、前代の暦法と宣化の暦法の相違の不徹底から、二重の
  月の記載になったのではないか?と想うわけで、Eの等倍世の気候の不相当
  も、前代からの異なる倍暦との断層の為に二重の錯覚記載となったと想う。
G 紀において、神武〜佛伝までの記述の月日を調べてみると、その殆どは
  月の上旬の記載であって、中旬の記載は少なく、下旬においては崇神世とか
  一部では少量あるも、21日以降の記事の記載はひどく、0か、0に近い。
  これから考えるに、月後半の非常に少ない記事は、倍暦の関係と他の特別
  な意味を持つときのみ、先述の12時間制と24時間制のような感じで月後半
  の日数とし、月前半の日数でも記述が可能なものでもあった。江戸時代に
  1刻が今の2時間分に相当し、二つの時間制の選択は可能のように、古代も
  通倍暦で通常、月前半の記述で終わるが、特別な(葬儀とかの不吉のもの
  とか天皇の旅行などのとき)場合は月後半の数字で書いたりした。


310 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:28:22
>>308
そんなことはない。孝安天皇のところには、一月二十七日という記録がある。

崇神天皇のところにも二十二日、二十七日、二十八日など月の後半がたくさん
ある。
崇神天皇の崩御は、六十八年十二月五日。
月も十二月まであるし、日にちも三十日近くまであるのに、五十二歳で即位し、
在位六十八年。年齢は百二十歳。

初期の天皇の寿命は、意図的に引き伸ばされていると考えたほうが良い。

311 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:26:50
意図的もなにも、もともと机上で創作された虚構の数字だろ。

312 :タケル:2007/01/05(金) 18:36:00
>>307
丁寧な回答、どうもです。
読んでみましたが、二倍暦というのは、
・1ヶ月が半分 ・・・D
・7月で次の年になる ・・・E
どっちでしょう?
両方だと4倍暦に思えますが。

313 :太国:2007/01/05(金) 19:35:58
>>305さん
失礼しました。 >101の表でなくて >>100 の表でした。

>>310
孝安即位の 1/27 の件は >>100の最後に言及してあります。

崇神も件はGで言ったとおりで、他の天皇では月後半は、まぁ仲哀であるが、
あとはスズメの涙くらいしかないよ。よく紀をしらべてみな。佛伝までの話だよ。

引き伸ばして何の利害が埋まるんだい。どうせ伸ばすならば、一見して
分かるようにやるほど編者側は間抜けだったのかない?やるんなら、寿命よりも
100代、500代と代数を通常の寿命でイカサマ天皇を創作し、伸ばしたほうが、
分かりにくいのでこっちのほうが利巧だと思うぜ。w


314 :太国:2007/01/05(金) 19:42:14
>>312
各天皇世がやり方が違うようです。欠史八代間では史実が少ないので、
倍暦が2倍だったか3倍等倍だったかの判別はつきますが、具体的
にはとりにくいです。ただ綏世はEの可能性が濃いようです。
4倍暦はないと思いますが、神武以前ではあるやも知れません。

315 :太国:2007/01/05(金) 19:52:51
>>310
倍暦の関しておおざっぱに説明してるので、例外はありましょう。
崇神世は3倍暦ですから、120歳など生きてはいませんよ。実際は49歳です。

316 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/05(金) 22:43:36
邪馬台国ドンと来いはどうして書き込みにくくなったのでしょうか?

317 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:05:55
>>313
記紀などの歴史書を編纂するきっかけになったのは、当然、中国の歴史書の影響
だろうと思われる。自分たちもあのような歴史書が欲しいというわけで。

ところが、中国の歴史書、たとえば、司馬遷の史記などを見ると、中国の歴史は
非常に古い。たとえば、最古の王朝といわれる夏王朝は、紀元前2000年頃に
始っている。
一方で、大和朝廷の起源はこれに比べると大きく時代が下がる。
大和朝廷にしてみれば、自分たちの王朝の起源が中国に比べて、
大きく劣るというのは信じたくなかった。あるいは、信じられなかった。

だから、年代の良くわからない初期の天皇の寿命・在位期間を大きく引き伸ばした。
そういう意味からすると、いわゆる欠史八代も架空の天皇を挿入した可能性も
あると思う。
あくまでも個人的な意見だが。

318 :太国:2007/01/05(金) 23:36:55
>>317
8代くらいの引き伸ばしじゃ、あんまり効果がな〜い。紀元前2000年に
匹敵させるのに、たかが8代では暖簾に腕押し。イカサマやるなら数百代挿入
せなば追いつかないぜ。w 〜ということは挿入ではない。

さっき面白い探偵映画のTV番組を見ていた。名探偵はあるものに、どこにも
ないもの、〜八代の欠史を想起する〜ある空白の無を見つけ出して、以外な犯人
を突き止めた。これとなにか似通ってはいないか?w
迷探偵の単純な頭は虚構とか挿入とかをいい出す。

319 :日本@名無史さん :2007/01/06(土) 00:02:15
いつのまにか、倍暦厨のすみかになってしまったのか・・・
妄想もいい加減にしてくれ、方向や暦を弄繰り回して
自己流の妄想に浸って得意になってる。
頭のレベルは低いくせに


320 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:10:01
>>318
欠史8代というのは、邪馬台国問題とは関係なく昔から言われてきた。
その理由は、これらの8代の天皇については記紀に具体的な記述がないこと。

個人的な意見としては、神武天皇(神日本磐余彦)は、勇猛果敢な人物と
考えられるのに、大和の長髄彦を滅ぼし、橿原の地で即位したあと、
どうして何もしなかったのだろう。近隣諸国に兵を進めてもよさそうな気がする。
なのに、即位してそれで終わりの感がある。

次の八代の天皇は何をしていたのだろう。八代でどれくらいの時間がたったのか
わからないが、その間、大和の地でずっと寝ていたのだろうか。
戦争の類は全く記録されていない。

第10代の崇神天皇になって初めて、近隣諸国に将軍を派遣している。
次の垂仁天皇やさらにその次の景行天皇も活発に動いている。

別に根拠のない虚構ではなく、欠史八代には、それなりの理由があるのである。

321 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:44:29
>>320
崇神天皇が即位10年(倍年暦で考えたら5年位か?)くらいで
近隣(北陸、東海、関東、会津、吉備、丹波など)へ派遣した
遠征軍って、わずか1年(倍年暦で考えたら2年かw)で
役目を終えて帰還しているんだよね。
これをどう見るかだね。
全く統一されていない状態からの遠征軍なら、
2年そこらで目的を達成できないだろう?
織田信長の方面軍だって、統一戦争に大分時間をかけているわけだし。
だから、崇神が即位した時点で、ある程度、
畿内王権の全国支配は完成していたと見るしかないのでは?
ちなみに、崇神がその四道将軍を派遣した5年(倍年暦で考えたら2,3年)前に
疫病や飢餓で社会ふ不安が起こっています。

322 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/06(土) 00:47:52
>>320
例えばヘロドトスのヒストリアの様に、実際の出来事から何百年も経ってから書かれた歴史書に
信憑性を求めない方がいいって事?

323 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:59:06
>>322
信憑性を認めないわけではなくて、むしろ信憑性は高いと思っているわけだけど、
日本書紀によれば、崇神天皇の寿命は、120才。垂仁天皇は140才。
景行天皇は106才。これらはどう考えてもおかしいわけで、その理由を
どのように説明するかの問題だと思う。

信憑性は高くても、完璧ではないわけだから。

324 :九州出身:2007/01/06(土) 01:18:47
>>306 ソウルから960km(12000里)とあるが

他の人も同じ計算?全員に1里=何Kmで計算するのか聞きたい

325 :九州出身:2007/01/06(土) 01:21:45
「倍年暦」、もっと解り安く説明してほしい。

326 :九州出身:2007/01/06(土) 02:31:37
西暦181年即位説(八木倍年説)
決定的とは認知されていないが、八木壮司は『魏略』にある今の半年を
当時の日本が一年と数えていたという『倍年説』を基に歴史を再計算し
その結果、神武天皇の即位は西暦181年であり、
寿命は127歳の半分の63歳であったと主張している。
此れに伴い神武以後の歴代天皇の寿命や在位期間も半分となり、
信頼し易いことになる。

面白いのをみつけた!これと同じかな?

327 :九州出身:2007/01/06(土) 05:49:13
《他の文章から引用》
外国から最初に認められた倭の王が卑弥呼で有、死んで皇祖神、アマテラス大御神(アマテラス)となる。

しかし皇祖神とされる天照大御神(アマテラス)が外国にペコペコしているのは変ですよね?
そこで時代を神代に移し、天照大御神(アマテラス)として崇めることになる。
人間としての女王卑弥呼は日本の歴史から完全に消されてしまったのです。

328 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 06:48:28
問題はそこではなく、日本国内で誰もわからない時代である「神代」の
頃、既に記録文献大国であった中国では一蛮族の記録として客観資料が
面々と残されているという点。

資料的価値の問題である。

329 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 07:28:19
>>317
>邪馬台国ドンと来いはどうして書き込みにくくなったのでしょうか?

俺も書き込めなくなってたが、プロバイダーによっては書き込めたようだ。
大国氏など、その恩恵にあずかってたのかな。

330 :太国:2007/01/06(土) 07:41:37
おはよう。恩恵なんかないよ。こっちも困ってたんだ。あっちは、
正月だから多人数を避けるためコントロールしていたんだろう?

331 :太国:2007/01/06(土) 11:44:41
【欠史八代間の立太子、即位、崩御、葬式、立后の日数の統計表】

1日 3    11日 2    21日 0
2日 2    12日 3    22日 0
3日 3    13日 2    23日 0
4日 1    14日 7    24日 0
5日 3    15日 0    25日 0 
6日 3    16日 0    26日 0
7日 2    17日 0    27日 0
8日 3    18日 0    28日 0
9日 4    19日 0    29日 0
10日 1    20日 0    30日 0

恵也がいくら否定しようと上の表から倍暦は動かない。www

332 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:42:23
>>331
そもそも、ひと月が14日だと2倍暦の一年は168日になり、太陽暦の半年(182.5日)との差が
確実に14.5日(約ひと月分)出てしまいます。
閏日や閏月の記述はあるんでしょうか?



333 :太国:2007/01/06(土) 13:01:15
>>332
可能性はおおいにあるでしょうが、立太子、即位、立后、崩御、葬式とかの
記述しかないくらいの欠史のときであり、あとは天皇の宮遷、立皇太后くらい
しかないので、閏関係は記述としてはないようです。
他の史の記載としては、孝靈天皇が即位前、黒田宮行啓した記事くらいしか
見当たりません。

334 :九州出身:2007/01/06(土) 13:56:29
1里=何Kmで計算する?


335 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:59:05
魏代の1里は約70メートルだぉーーーおおぅ=3  屁

336 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:03:52
>>335

>魏代の一里=70m

根拠も無しに提示するなよ

337 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 16:24:02
>>313
>孝安即位の 1/27 の件は >>100の最後に言及してあります。

あなたは何を根拠に孝安天皇の即位を否定したんだい?

都合のいいところだけをツマミ食いして理論を構成してもね???

「崇神天皇のところにも二十二日、二十七日、二十八日など月の後半がたくさんある」
というのは無視してるのかな。

338 :太国:2007/01/06(土) 16:42:26
>>337
フフン!えらい自信だねぇ〜。 勝てるつもりか?w

1/27を肯定するなら孤立でっせ。w まぁそう言うんなら表に入れてやろうが、
他が全部月前半にあるならどう転んでもま〜ず 1/7 が有利ではないか。
あんたの言い分で一歩譲って 1/27 とやらの月後半に位置させたって比率は

月前半:月後半 = 38:1

だよ。何でこんなに後半が少ないんかえ?崩御は恣意的に決まらんよ。w
えらく月後半がおっ寂しいかぎりだなぁ〜?www

崇神のそこんところと、あとは仲哀くらいはちょっとあるけど、あとの
はかの天皇の記述は重馬鹿の隅にあるくらい、0か0に近いくらい
お寂しいぜ。何なら、あんたが好きな統計をとってみな。

なぜそんなに少ないんかねぇ〜? 何か特殊の事情があるときのみ
月の後半の記述としたんだよ。w 崇神の場合も、何か特殊な理由があるんさ。

339 :太国:2007/01/06(土) 17:02:30
>>337
まともに30日全体にあるっていうのは、君にひいきしても崇神と仲哀くらい
でこの二天皇はわりかし月後半の記載があるが、他の天皇の殆ど全部が
月後半、特に下旬以降は猫の額くらい記述が少なく、まるっきりないと言って
いいくらい、0か0に近い状態なだよ。

こんなんでは、お前の自分の論の弁護は、芥川龍之介の小説に似て、お前さん
は1本の蜘蛛の糸にぶら下がっているような状態だぞ。

崩御なんかは月前半に無理に行かせるのは困難であり、まぁ万歳をしたほうが
賢明賢者っていうもんだな。www お前の10年説は崩壊が当選確実。
だいたい卑弥呼が日神などということは、宝クジの1等、2等をあてるほど
困難で、蚊の涙の勝算だ。www

340 :太国:2007/01/06(土) 17:21:16
>>339
言っとくが、この事は仏伝までの話だぞ。それ以降は君の大好きな等倍暦の時代
が恵続して行くので、その手前の天皇までの話だ。仏教の影響があるためだ。

341 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:39:09
>卑弥呼が日神などということは、宝クジの1等、2等をあてるほど
>困難で、蚊の涙の勝算だ。www

卑弥呼って普通に考えて「日の巫女」じゃないんすかね?



342 :太国:2007/01/06(土) 19:38:27
>>341
まぁそういうことも言えるだろうが、日の巫女なんてインカにもいただろう?


343 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:46:02
>天皇の御名の「大日日尊」も日を2倍として
>おり、天に二日無しのところ日が2個もあれば春より暑い夏となり、秋の
>即位にしては全く不適切な、御名、宮名である。「開」字も日2個あり。

久々に笑いましたwwwwwwwwwww


344 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:50:51
>まぁそういうことも言えるだろうが、日の巫女なんてインカにもいただろう?

日本の場合、神武以前は天照が最たる「日の巫女」だったわけだがね。


345 :太国:2007/01/06(土) 20:58:00
>>341
もし卑弥呼が「火巫女」だったらどうするのか?

これだと 天照大御神=卑弥呼 っていうのは、日神=火巫女 になって
太陽と火星の合体つまり天体の完全な合(コンジャクション)とか、太陽に
関する火星食のようなもので、数十年とかに1回などと少なく、双方の二星は
位置がイコールに一致にするチャンスなどは滅多にない。
つまりだ、確率は一匹の蟻の脳みそww以下の量だ。www


346 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:44:11
>一匹の蟻の脳みそww以下の量だ。www

てことは









太国の脳味噌の2倍は有るねwwwwwww

347 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:45:47
いや、20倍かも・・・


あははは〜

348 :太国:2007/01/06(土) 21:47:23
くやしかったら反論で来い。

349 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 21:59:23
>>317
>いわゆる欠史八代も架空の天皇を挿入した可能性も あると思う。

俺はそれは無いと見る。

我が家の家系を妹が調べたけど、5代前くらいには行った様だけど説明ではその調査の苦労を
いろいろ自慢げに手柄話しをしても、架空を入れた雰囲気は全く無かった。

むしろこんな方法で、こんなにして市役所に問い合わせをし・・・・と手柄話をされた。
そこに架空の家系の話を入れては手柄話さえ威張ってするわけにもいくまい。

架空のご先祖を間に挟んでは、ご先祖に対し記紀をつくった人間が引け目を感じざるを得ない。
その点、ご先祖の年齢や月日がわからないのを利用してご先祖が長生きされてたという程度の嘘
なら引け目を感じなくて気楽に書ける。

よって実在の天皇ではあるけど、年代に関しては著者の気楽で適当な書き込みと見る。

350 :太国:2007/01/06(土) 22:06:15
気楽な稼業ときたもんだ♪か?w
数代前の史容疑名人の棋譜も、これは棋楽で手棋闘なのか?w

351 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 22:15:12
>>320
>近隣諸国に兵を進めてもよさそうな気がする。
>なのに、即位してそれで終わりの感がある。

確かにそういった記紀の表現ではあるけど、橿原を占領してからの方が神武天皇は大変だった
のじゃないかね。
今のアメリカが、イラクを占領はしてもゲリラ戦や内戦状態で逃げ出そうとしてるみたいに
神武天皇も、治安の維持や税金がすんなり大和朝廷に入ってくるシステムを作り、軍事、経済面
での発展する基盤整備に忙殺されたんだろう。

とくに銅鐸信仰する宗教団体の弾圧に苦労されたんじゃないかな。
記紀には書くに書けない、旧約聖書のような残酷な見せしめの虐殺行為も行われた事だろう。
未来を見つめた治安の維持というのはそれほど難事業で、きれい事では不可能。

−−−−−(引用開始)−−−−−
モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、かれら
にこう言った。

「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちがバラムにそそのかされ、
 イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、そのためにヤーヴェの共同体
 に災いが下ったではないか。直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知
 っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために
 生かしておくがよい。」
(民数記 31章14〜18節)
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html

352 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:16:40
太国さんて女性経験ありますか?
なんとなく女の子の気持ちを理解できない人って気がして…

あっ、気に障ったらごめんなさい!


353 :太国:2007/01/06(土) 22:19:05
書くに書けないって?
紀の武烈天皇の記事には、ちゃんと残虐行為が書いてある。

354 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:20:26
自分がチェリーだなんて、書くに書けないって?



355 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 22:21:04
>>326
>八木壮司は『魏略』にある今の半年を当時の日本が一年と数えていたという『倍年説』を基

魏略という書物は、現存しないんだろう。
そんな幻の書物を本にして考えても「砂上の楼閣」の運命が待ってるだけだと思うけど・・・

噂話の本で理論を組み立てても、迷路に迷いこむのがオチ。

356 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:02:26
恵也 ◆o4NEPA8feAが、どう叫ぼうが
倍年暦研究や倍年暦計算はやらなければいけない。
倍年暦というのは、農耕社会の初期では、世界中のどこでも
当たり前の話だから。
実際、学会では、2003年の公式発表を元に
その流れは加速している。

357 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 23:34:11
>>353
>紀の武烈天皇の記事には、ちゃんと残虐行為が書いてある。

これは特別な理由があってのこと。
武烈天皇の次の天皇、第26代継体天皇は武烈天皇のはるか遠縁のお方。
ここで天皇家の革命が存在したと見るべき。

遠縁の方を無理やり天皇にしたからには、負けたほうの天皇への悪口の羅列は当然の行為。
フセイン大統領の悪口の羅列を、アメリカ政府やその傀儡政府が歴史に残す為に裁判をやり
すべての残虐行為を針小棒大にして、自分らの政権の正当性を残したのと同じ現象。

たぶん継体天皇側が行った残虐行為も、武烈天皇のせいにしてると思うぜ。

358 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 23:36:58
>>356
>倍年暦というのは、農耕社会の初期では、世界中のどこでも
>当たり前の話だから。 実際、学会では

そんな話は始めて聞いた。
いったいどこの何という学会だい?

よもや創価学会なんて事はないよなWWWWWWWWWWWWWWWW

359 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/06(土) 23:51:35
>>356
>倍年暦というのは、農耕社会の初期では、世界中のどこでも
>当たり前の話だから。 実際、学会では

あなたは暦が現代でさえいろいろ存在してるのさえ知らないのじゃないかな。
グレゴリオ太陽暦の半分とか3分の1とかいう、単純なものじゃないのだけど・・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−

 ヒジュラ紀元は、イスラム教の開祖マホメットが、迫害を逃れてメディナに移住した(聖遷・ヒジ
ュラ)年を起点とします。イスラム暦は、1年が季節の1年より短いため西暦2000年に1421年を迎え
ますが、イスラム太陽暦のイランのジャラリー暦では、3月の春分の日から1379年となります。

 創世紀元は、ユダヤ教のいう「神が天地を創造したとき」を元年とします。ユダヤ暦の新年は
テシュリ月(9月頃)に始まります。

 仏滅紀元は、仏教の開祖・釈迦がなくなったとされる年を元年とします。スリランカ、ラオス
などで用いられます。
http://www.gekkou.or.jp/k-1/koyo-5b.html

360 :太国:2007/01/06(土) 23:55:08
>>357
さすがにお前はデタラメ帝王だな。お前と俺とはまったく血のつながりがなく、
だからこそ「出鱈目帝王」とお前に(悪口のつもりでないが、お前の覚醒の
ため)かような、よくない論を強めるための語を言うわけだ。

武烈と繼體とは、はるか遠縁ではない。遠縁ならば天皇にはなれっこない。
お前の話ならなれるんだったら外人でもなれるわけで、外人のような
場合がはるか遠縁なのだ。それにはるばる(距離のほうは遠いぞ)遠方
から天下をあげると言って来てるのに、ありがたやの繼體が先帝の悪口を
言ううわけがない。むしろかばうだろうが。

お前の言ってることは、た〜だケムに巻いて論を張り、誤魔化すイカサマ男だ。

361 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:56:09
>>357 武烈天皇の残虐行為はほとんどが事実だったと思う。
1、武烈は、近親には他に皇位継承者がいない状況でやむを得ず、天皇になった。
2、残虐行為が幼い時からあったが、ほかに誰もいない。
3、即位してからも、残虐行為が続いた。
4、おそらく、見かねた家臣に誅されたであろう。
5、そして、皇位継承者が近親にいなくなり、継体天皇の即位となった。
6、継体は外様なので独断専行もできず、まともなことをした。

362 :太国:2007/01/07(日) 00:01:28
>>357 最下段
な〜んだ。お前こそ、武烈に悪業を糊塗する、針小棒大にする張本人ではないか。

363 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:39:06
伊勢神宮行った?

364 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:20:36
武烈の残虐記事はそのとおり史実として
考えていいものなのか?

365 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/07(日) 11:15:12
>>364
>武烈の残虐記事はそのとおり史実として 考えていいものなのか?

話半分いや2割くらいに考えた方がいいでしょう。
武烈天皇のあと70年位して第32代崇峻天皇は、蘇我馬子に暗殺されるは聖徳太子の息子や
いろんな皇族が暗殺されて修羅の世界が出てきてしまってる。

継体天皇の子孫なのだから、かれらも継体天皇の悪行も当然知っていたと思われるし
この当時の天皇の絶対的な権力が、凄い利権を生み出し利権集団の暗闘が考えられる。

今も利権争いが政治家を巻き込んで起こってるけど、昔の天皇は現在の「総理大臣、裁判所
国会、警察、自衛隊」を統合したくらいの権力を持っていた。

太国氏の考えるような、単純なお坊ちゃま育ちの天皇じゃ務まらないよ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
古来、暗殺されたと思われる天皇は何人かいますが、これほど明確に記録さ
れているのは崇峻天皇が唯一の存在です。
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-nara/susyun-shiigyaku.htm

366 :太国:2007/01/07(日) 12:41:23
>>365
どっから20%の数字が出てくるのか? まずはお前の頭の勝手な判断であり、全く
信用できないお前の出鱈目の脳の思考だ。暗殺されたりしたのは安康と崇峻だ。
それ以外の何者でもない。俺はお坊ちゃま育ちなどと考えてる覚えはない。

367 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/07(日) 16:13:43
>>366
>暗殺されたりしたのは安康と崇峻だ。

外にも怪しいのは一杯いるだろう。
仲哀天皇や、祟りで恐れられた崇徳天皇も居られるし、明治天皇の父親:孝明天皇も居られる。

激動の時代にはエライサンは利権の巣窟で大変なんだよ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
「幕末の土佐勤皇党と明治の立志社」という論文の中で孝明天皇の死因について孝明天皇の
十五人の典医の一人、伊良子光順の日記を史料に「砒素中毒の症状が出ていた」と書いている。
、「幕末の土佐勤皇党と明治の立志社」という論文の中で孝明天皇の死因について孝明天皇の
十五人の典医の一人、伊良子光順の日記を史料に「砒素中毒の症状が出ていた」と書いている。

368 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 18:23:42
★☆★☆★☆★☆★☆★☆注意☆★☆★☆★☆★☆★☆★

恵也 ◆o4NEPA8feAは絶対放置です。反応した貴方も恵也 ◆o4NEPA8feA。

「恵也 ◆o4NEPA8feA」とは伝説の厨房です。
叩かれてから自分の電波に反発する者は全員「推進派」とみなして攻撃してきます。

恵也 ◆o4NEPA8feAがたまにこのスレや本スレにやってきますが殆どかまって欲しくて来ているので
餌を与えなければ死滅します。恵也 ◆o4NEPA8feAが出たら餌を与えず絶対に「スルー」です。
たまに恵也 ◆o4NEPA8feAに餌を与えている人が居ますがそれも恵也 ◆o4NEPA8feAっぽいので
「スルーしろ」などと言わないであげてください。因みに自分もその馬鹿の一人です

369 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/07(日) 18:41:13
>>368
スルーはむしろ、このような書き込みの貴方ではないでしょうか。
彼はまともな書き込みをしてると思いますが。

370 :太国:2007/01/07(日) 19:12:51
>>367
怪しいっていうのに限って外れることが多い。仲哀だって暗殺だとか書かれて
いない。いつものとおり、君の論法ならば、「崇峻の暗殺は改竄で2割方しか
信じられない。」と言い出すんだろうが?wwwww

371 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:15:02
どうせキチガイ太国が名無しでカキコしてんだろ。
恵也に反論されてイジけるとすぐコレだものw

372 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:16:12
あ、豚さん登場だ

373 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:17:07
豚=太国(デブクニ)

374 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/01/07(日) 23:41:04
彼の学問的態度、他レスへの幼稚な対応などはどうかと思うが
彼の倍歴論に関しては注目に値する、と思う。
>太国氏

375 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:17:31
>>374
初期の天皇は、非常に寿命が長い。2倍暦というのは、要するに、この寿命を
半分にしてみたらどうだろうという発想だと思う。
しかし、そのためには、記紀が出来たころに初期の天皇の寿命に関する記録が
残っている必要がある。
けれども、そんな記録は残っていなかったと考えるべきだと思う。
それは、日本書紀と古事記では初期の天皇の寿命が大きく異なるからである。
もし、記録が残っていたら、これらはだいたい同じになるはずである。

ちなみに、初期の天皇の寿命は次のようになっている。

          日本書紀 古事記
神武天皇      127歳  137歳
綏靖天皇      84歳   45歳
安寧天皇      57歳   49歳
懿徳天皇      77歳   45歳
孝昭天皇      113歳   93歳
孝安天皇      137歳   123歳
孝霊天皇      128歳   106歳
孝元天皇      116歳   57歳
開化天皇      111歳   63歳
崇神天皇      120歳   168歳
垂仁天皇      140歳   153歳
景行天皇      106歳   137歳


376 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 01:14:57
>>太国、恵也、九州出身

お正月から毎日ご苦労様です。

「www」、「お前」、「デタラメ帝王」、「頭悪い」、「アンタの頭じゃ、ヌカに釘」、
「お前は馬鹿! 」、「理解力ゼロの人間」、「おまぇらまとめて馬鹿」、「基地外」、
「おつむ」、「幼稚園児並みの知能!」、「先天的馬鹿」、、、、、

少しでも学問を修める気があるのなら、まず「廉恥」を知るべきでしょう。
表現方法を根本的に改めていただくよう、お願いします。




377 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 01:33:19
古代の天皇のころは二倍年暦だったのは事実だろうが

問題は、記紀の編纂者たちは、それだけじゃなくて
一部、改竄もやらかしているところ。
あるいは、彼らも混乱して、年代を出していったぽい。

378 :太国:2007/01/08(月) 07:12:35
>>375
これを見ると八代間は全部記より紀のほうが数字が上回っているな。
それを挟む神武と崇神は逆になってる。何らかのにおいがする。
崇神、垂仁、景行も記のほうが大きい。

379 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 07:25:31
>>370
>怪しいっていうのに限って外れることが多い。仲哀だって暗殺だとか書かれていない。

あなたは書いてあれば、なんでも信用する単細胞。

政治権力者にとっては書けないこと、いろいろ都合の悪い事がたくさん有るんだけどね。
子供の知能じゃわからんかもね。

アンタのような単細胞じゃ、善悪二元論しか理解できないかもな。
政治権力を握ったら、都合の悪い事はすべて敵対勢力のせいにするのが常識。

ロシアのプーチン政権が、イギリスで殺した元ロシア情報局員をプーチン敵対勢力の
仕業にしたがってるし、無理やり実行してる。
ダイタイ民間人には放射性物質を、致死量も飲ませ暗殺する技術は現在のところない。
国家のバックアップなしには考えられない行為だ。

継体天皇の政権も、都合の悪い事はぜんぶ敵対勢力の武烈天皇の仕業にして片付けたかったんだよ。
おかげで武烈さん、エライ迷惑だけど死人にクチナシ、
南無阿弥陀仏、恨まないで成仏してください。

−−−−−(引用開始)−−−−−
プーチン政権の誕生に力を貸したが、その後、プーチンによって利権を奪われ、英国に亡命。
復讐の鬼と化した。

ベレゾフスキーが、リトビネンコ殺害がFSBの仕業であることを世界に印象づけ、プーチンの
世界でのイメージを悪化させ、欧米とロシアの新たな冷戦を作り出そうと画策したのではないか。
http://otd7.jbbs.livedoor.jp/784348/bbs_plain?base=14919&range=1

380 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 07:34:13
>>376
>少しでも学問を修める気があるのなら、まず「廉恥」を知るべきでしょう。

学問を修める気など全くなし。
言葉とはイメージを伝える「非常に不完全な道具」

俺が相手に対し過激な言葉を使うのは、そのほうが面白いと感じるからなんだよ。
けっして相手が憎いとかいうもんじゃないし、逆にそんな相手に親近感があるくらいだ。
そんな人間がいるとは思わなかったという意味もある。

まあ、いろんな人間がいるからこそ面白いけどね。
北朝鮮みたいに、画一化した世界じゃ俺は逃げ出すだろう。
それに文章は迫力がなければ、書く気にも、読む気にも俺はならんから・・・

381 :太国:2007/01/08(月) 07:37:17
>>379
天下をくれると云ってそれを承諾して即位しているのであり、さらに
あさってのところに住んでた繼體が先帝の武烈にいやがらせをされたり、争っ
たりしたことはありっこないから、先帝になすりつけなんてあるわけがない。
即位前に悪行をやってるのならば天皇になれなどのお声はかかりっこなく、w
他の近親に皇位がいく。つまりお前の脳内のデタラメの吐露であり、お前こそ
記紀を滅茶苦茶にひん曲げる張本人の宣伝者であり、悪影響は数知れない。

そくい

382 :太国:2007/01/08(月) 07:45:12
>>379
武烈に繼體が悪業をなすりつけたというより、お前の妄想の悪念を繼體に
なすりつけたというのが正解である。wwwww

>>381 訂正
× そくい     ○

383 :太国:2007/01/08(月) 07:48:38
>>382 訂正

× お前の妄想の悪念を繼體になすりつけたというのが正解である。

           ↓

○ お前の妄想の悪念を武烈になすりつけたというのが正解である。

384 :太国:2007/01/08(月) 09:35:56
>>351
>記紀には書くに書けない、旧約聖書のような残酷な見せしめの虐殺行為も
 行われていた事だろう。

日本書紀が口先だけで出来たとか、上の文からして、恵也氏は紀をあんまり
読んでいないようだな。まぁそれは今年でも熟読すればいいことで、書くに
書けてる紀の文を掲げよう。以下のとおり

紀の武烈天皇の初めの条
「また頻に諸悪を造し、一つの善をだに脩めたまはず(中略)國内の居人、
 ことごとに震ひ怖りき。」
同2年9月の条
「孕める婦の腹を刳きて、その胎を観たまひき。
同3年10月の条
「人の指甲を解きてイモを掘らしめたまひき。」
同4年の4月の条
「人の頭髪を抜きて樹の巓に昇らしめ、樹の本をきり倒して昇れる者を殺し」
同5年6月の条
「人を塘(池)のヒ(樋)に伏せ入れ、外に流れ出るを三刃の矛を持ちて刺し
 殺して快としたまひき。」

この文を読んでも恵也の主張はウソであり自説に都合の悪い文の指摘があると、
恵也は次代の繼體が武烈の悪口を書いただとか繼體の悪事を武烈に着せようと
策謀し、悪の上塗りを繼體がやった事だを何の資料根拠も出さず自説の擁護の
為デマカセを創造している。都合の悪い文証が出ると脳から大ウソの砦を作る。

385 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 09:45:20
>>384
そこだけ例外なのでは?
例外であるなら、何か事情を推測してみるのは間違いではない。

386 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/01/08(月) 09:46:41
>>380
>学問を修める気など全くなし。
>俺が相手に対し過激な言葉を使うのは、そのほうが面白いと感じるからなんだよ。

ここは学問板です。このままでは貴君の存在は板違いです。
ここから去るか、改めなければ、まともに相手にされなくても仕方ないでしょう。

387 :太国:2007/01/08(月) 15:45:23
>>379
>継体天皇の政権も、都合の悪い事はぜんぶ敵対勢力の武烈天皇の仕業にして
 片付けたかったんだよ。

こうなことは記紀には載っていない。だからどこから根拠資料証拠があるのか
と考えれば、どうやら都合の悪い記事から突っこまれた恵也の脳みそが、
即興的に自論の転覆されるのをおそれてアドリブ式に凌ぎたい突然の思考から
生まれたもので、吟味検討も為すヒマもない状況から出来上がった繕いそのもの
であり、これこそデタラメの建造物にして一時的なる砂上の楼閣的の誤魔化す
ための大妄説である。それは余には通用せずして、騙すことができない。

このような資料根拠証拠も提示しない恵也とは、自分には甘いようで

「邪馬台国ドンと来い 11 」の>852には、エクアドルのバルディビア土器
に関して以下のように相手を批判している。

>縄文土器なんて個人が発見したと証して個人的に持ってるものじゃないかね。
 それも発見日時や具体的発掘場所や証人もいない、証拠価値に疑問がある
 代物。」

ならばお前の繼體の悪業とやらを武烈にシワヨセしたという資料の発見日時や
そのお倉とかの場所や、当時の証人をここに出さねば、他人には甘く自説の
自分には大甘であるということになる。これではお前の云う繼體の武烈への
悪事のなすりつけは証拠価値が疑問どころか、全く無い。


388 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:12:46
>>378
日本書紀のほうは、神武天皇の即位年を出していて
そちらで干支で狙って、年代を出したからだろう?
逆に言えば、古事記のほうは即位年を出していないので
そういうのはない。

389 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/08(月) 21:03:47
>>380

>言葉とはイメージを伝える「非常に不完全な道具」


何を罰当たりなことを
我々の先祖は、後世の人々に三つ伝承方法を伝えた。

一つは『言葉』、そして『文字』、そしてもう一つは『子孫』
言葉は自分の意志を「音」に変え伝える方法だ


君の言う「イメージを完全に伝える方法」とは何ぞや?

390 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:08:10
脳味噌のメモリーを吸い出してイメージファイル化

391 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 21:43:36
>>381
>即位前に悪行をやってるのならば天皇になれなどのお声はかかりっこなく、w
>他の近親に皇位がいく

武烈天皇の敵対勢力が担いでた神輿が、武帝に殺されて神輿がなくなったから
とうとう遠縁の継体天皇の所に神輿が回ってきたんだよ。

それだけ激動の時代だから、継体天皇も暗殺を恐れてナカナカ首都に入らなかったんじゃないの?

392 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 22:00:27
>>384
>この文を読んでも恵也の主張はウソであり

その文章を読んで、俺は日本書紀を書いた責任者の武烈天皇に対する悪意を感じるけどね。
事件には具体的目撃者名と、目撃者がそこに居合わせた納得できる理由が必要。

なんか噂話を羅列して、武烈天皇に対する悪意と、継体天皇に対する善意を感じてしまうよ。
妊娠した女性の腹を割くなんて、目撃者は極少数だろう。
誰が目撃して、誰に証言したんだろうね???
同じような話が中国の物語にもあったように感じるけど・・・・・

俺はそういった話は、後代の人間の創作だと感じてる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
紂王はこれ以外にも、妊婦の腹を割いてその中の胎児を取り出して男女の別をあらためる
http://homepage1.nifty.com/nWojoushou/keibatu9.htm

393 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 22:11:35
>>387
>こうなことは記紀には載っていない。だからどこから根拠資料証拠があるのか

現代社会を見れば、権力者の本能が分かるだろうに・・・
アンタは世間知らずの温室育ちに過ぎん。

教師や裁判官をやる世間知らずのボンボン育ちに過ぎん。
もう少し世間の荒波にもまれてから、思考する癖をつけなさい。
政治権力者のドロドロした狡猾さを少しは知りな!

タダの人間も権力者も欲に駆られたら、同じような事をしてしまうよ。
人間の業というべきかな。

−−−−−(引用開始)−−−−−
1985年7月10日、フランスの核実験を中止させるため、南太平洋のモルロア環礁へと
向かっていたグリーンピースの船、虹の戦士号は、これを阻止しようとするフランス
の工作員によって爆破、沈没させられ、乗組員の一人が命を奪われました。
http://www.greenpeace.or.jp/info/activity/

394 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:17:30
>>393 恵也 ◆o4NEPA8feA
>アンタは世間知らずの温室育ちに過ぎん。

教師や裁判官をやる世間知らずのボンボン育ちに過ぎん。
もう少し世間の荒波にもまれてから、思考する癖をつけなさい。

そういう表現はやめなさい

395 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 22:24:59
>>389
>一つは『言葉』、そして『文字』、そしてもう一つは『子孫』

文字とは言葉を、あらわすための道具。
イメージを表すには、言葉よりも不完全。

子孫なんてどんな動物でも行う、神から与えられた仕事で他人に対してエバル様なもんじゃない。

言葉とは、海という目に見える具体的なものでさえ聞く人間によって千差万別。
小笠原の海で育った人間にとっては、10m以上の深い海の底が見えるきれいな珊瑚の砂の海。
大都会で育った人間にとっては、1mの底さえ見えない工場廃水や家庭排水で汚れた堤防の海。

それを見えもしない抽象的的言葉じゃ、聞く人間にとっては理解が一人一人バラバラだろうに。

396 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/08(月) 22:29:34
>>394
>そういう表現はやめなさい

先生や裁判官にはそんな人間がウジャウジャいるんだよ。
俺の実体験。

こいつらは世間知らずの癖に、知ったか振りして学生時代から
就職した途端、周りからチヤホヤされる権力を持ったため成長が
止まってしまったミュータント。

この中には、医師も入るし困った事に安倍晋三氏も入ってしまうんだよね!!!

397 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/08(月) 22:56:11
>>395

>子孫なんてどんな動物でも行う、

子供の居ない人は動物以下か?

398 :太国:2007/01/08(月) 23:05:42
>>393
どれどれ、どこに資料とか根拠証拠が書いてあるのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

う〜ん、あれっ?? あまり関係のない不能書きばかりでどこにも根拠等
が提出されてないねぇ〜? これじゃぁ、さっきのデタラメの二乗だ。w
前後のところを読んでみたが、相変わらずお前の創作ばかりだ。www

プラムさん
恵也は重度の津田病患者とわかってきたから、治療不能だが、
しようがないから、それがしのように手荒な痛い手術で強くお究をすえて
やってください。奴の論はどこにも根拠が書かれてないんですよ。ww
お休み・・・・・zzzzzzzzzzzzzzzzzzz

399 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/08(月) 23:34:32
悩むナァ

400 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 00:06:14
畿内説の人には悪いが、AD200年〜250年の弥生後期の考古学の発掘で
畿内から当時の大量の鉄剣が発掘されない限り支持することは出来ない。

北九州から大量の鉄剣・銅矛・銅剣が発掘されている年代の畿内の発掘
は銅鐸ばかり、そんな勢力が北九州をはじめ、出雲・吉備地方を勢力下
に治めていたと考えるのは絶対間違いです。

カルタゴは文化・文明が高度に発達していたが、武器・戦術において
ローマの敵ではなかったとする歴史がしめすように、文化・文明で
武力国家を征服するなどという妄想は、いい加減やめた方がよい。

北朝鮮の100万の軍人が日本に押し寄せたら、日本は文化・文明が
高度に発達しているから、占領されないと考えている一部のエセ
評論家とあい通じる気がしている。

日本にはそれを上回る高度な武器が必要なのはいうまでもない。

畿内説の人の反論を期待している。

どうやって、北九州、出雲の武力国家を制圧したのか。

北九州・出雲の武力国家が畿内を制圧し、畿内で勢力を
蓄えて、出雲・北九州の国家を平定したと考えるのが、
よほどまともです。

401 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 00:06:32
>>398
>あまり関係のない不能書きばかりでどこにも根拠等 が提出されてないねぇ〜? 

どのみち、アンタには理解能力がないから無理して読まなくても・・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
いところではニュージーランドの「虹の戦士」号爆破事件〔1985年7月、フランスの核実験に
反対する国際環境保護団体グリーンピースの「虹の戦士」号が爆破され、乗組員のカメラマン
が死亡した事件、同年9月、政府はフランス情報部の関与を認めた〕
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/comment?date=20061006

402 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:16:49
>>400
でもね...
もろ、記紀の記述と一致しているのよ...
畿内説の流れは止まらない...


403 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 00:19:15
>>402
そうじゃなくて、反論を期待しているのだが・・・
単なる妄想ならゆるす。

記紀は藤原不比等の陰謀による創作小説。

この反論はいらない。


404 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 00:24:04
記紀の解釈に熱中するあまり、一般常識から大きくはみ出す
学者や知識人は確かに多いよね。

特に評論家と称する人に顕著に見られるね。
考古学の発掘の年代史が見てみたいね。

405 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:31:23
>>400
この人は北九州がカコイイ武力国家だったと信じたいのだろうが、それを示す遺物はまるでない。
出土する矛や剣は実用には不向きな祭祀具がほとんどなんだよ。
それにもし北九州が各地を占領統治していたのなら、なぜその痕跡が全く出ないのだ?
出雲も畿内も東海も関東も、すべて独自の文化圏を築いているのだが。
ついでにAD200年〜250年には、瀬戸内から東を網羅する一大拠点がマキムクに誕生しているのだが
そこはほとんど北九州の影響を受けていない。これはどう説明する?
更にはその後、そんなにも強かった北九州が畿内中心の勢力に丸ごと飲み込まれたのはなぜ?

君の説は成り立たないんだよ、今では。

406 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:41:11
>>403
確実なことは言えない。だったら、とっくに邪馬台国の件も決着しているだろう?

マキムクに関しては、
崇神5年の飢饉、
モモソ姫・崇神の祭祀政治の記述や
崇神10年の四道将軍とその直後の武植安彦の謀反、モモソ姫の急死
このあたり全部、考古学研究と日本・中国の記紀の記述と一致すると思うが...
銅鐸は祭祀政治の影響だけど、銅矛云々の件は
四道将軍や武植安彦の謀反による武力闘争は一年で終わっているからね。
畿内では意外と安定していたんじゃ?
むしろ、九州のほうは、大和王権傘下の北九州と熊襲の武力闘争のほうが激しかった。
景行天皇の時代になって、直接、中央軍が熊襲平定に向けて
乗り出したみたいだけど...

あと、7,80年前の倭国大乱と卑弥呼の擁立と
孝霊天皇とその皇女のモモソ姫の年代とか

107年の倭王・帥升等(ししと)と孝昭天皇(おしひと)との
年代も一致する。

407 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 01:00:47
>>405この人は北九州がカコイイ武力国家だったと信じたいのだろうが、それを示す遺物はまるでない。

そんなことは無いですよ。

「墓の副葬品をみると北部九州では前期後半から階層化が認めら
れ、中期後半には所謂「王墓」と呼ばれる墓が登場しますが、近畿では後期にならないと
現れません」

「弥生時代の武器には遠隔戦用の武器と近接戦用の武器があります。遠隔戦用の武器とし
ては、弓矢と投弾があります。弓と矢は縄文時代から存在し基本的に狩猟用に作られた道
具でしたが、弥生時代になると一般的に戦闘用の特徴を備えてきます。この変化が最も早
く始まるのは九州北部であります」

と、王権の成立は北部九州のほうが早い。

408 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 01:00:56
>それにもし北九州が各地を占領統治していたのなら、なぜその痕跡が全く出ないのだ?

>>400のスレは、畿内説の人が伊都国を畿内の傘下と言い張ることへの
反論であり、北九州が畿内を傘下にしているとは書いていない。
畿内説の人はすぐに極論に走る。

マクムクはAD300年以降の墓なのにいつのまにかAD200年代にすりかえ
されている。
畿内説の人たちの悪い癖だね。

409 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:04:28
>>408
箸墓は、AD250〜280年くらい。

410 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 01:10:04
>>409
箸墓の副葬品の中の一番古い年代から、無理やり年代を前にしている。
箸墓の墓の作られた年代と副葬品の一番古い年代を一緒に論じるのは
おかしい。


411 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 01:15:28
確かに、お墓に入れる副葬品には故人が昔使った物も一緒に
埋葬するから、昭和の人がなくなる時に、明治時代の故人
の愛着のある物を埋葬されているからといって、その墓は
明治時代の墓だと言い張るようなものですね。

畿内説の人がよくやる常套手段ですか・・・

412 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:18:01
>>408
>畿内説の人が伊都国を畿内の傘下と言い張ることへの反論
いや、そんなこと一言も書いてないじゃんw
そーゆーことはきちんと書かないと、誰も分からんよ
書いたつもりじゃダメw

でもね
>北九州・出雲の武力国家が畿内を制圧し、畿内で勢力を
>蓄えて、出雲・北九州の国家を平定したと考える
とは書いてますよねw
だったらその痕跡はどこにあるの?
武力国家って北九州や出雲のどこなんだい?
そんでもって征服された北九州・出雲ってどこのこと?
そこから何か有力な遺物でも出土したのかなw

でさ、マキムクが君の言うようにAD300年以降だったならば
北九州や朝鮮半島、それどころか魏も呉も蜀も100年遅くなるってこと、理解できる?
出土物は全部関連しているんだよ。

413 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 01:20:19
>更にはその後、そんなにも強かった北九州が畿内中心の勢力に丸ごと飲み込まれたのはなぜ?
>君の説は成り立たないんだよ、今では。

>>400からの引用ですが
「北九州・出雲の武力国家が畿内を制圧し、畿内で勢力を
蓄えて、出雲・北九州の国家を平定したと考えるのが、
よほどまともです。」

ちゃんと、スレにかいてあるのに・・・

畿内説の人のまともな反論を期待しています。




414 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 01:27:00
>北九州や朝鮮半島、それどころか魏も呉も蜀も100年遅くなるってこと、理解できる?

前漢、新、後漢の光武帝のころからが朝鮮半島への影響が大きくなっており、
三国史の時代はその100年もあとです。
後漢のころに漢文化は最盛期をむかえており、紙の発明も後漢の時代です。

三国史の読みすぎではないですか?

415 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:29:34
>>410-411
いやそれって伝世鏡理論っつーて、とっくの昔になくなった考え。
古墳編年とかもう少し勉強したほうがいいよ。
あのさマキムクが300年以後だとするとね、博多湾沿岸で大量に発見される庄内甕も同じく時代が下がっちゃうって分かる?
すると同時に伊都国の平原王墓も伊原遺跡群もみんな下がっちゃうんだよ。
同時に韓式土器から何から何までまたもや釣られて下がっちゃうんだわ。
それはいくらなんでもありえないだろう?
畿内説が勝手に繰り上げているわけじゃないんだってこと、これで分かってくれる?
そういうふうに考えたいって心理はなんとなく理解できるけどさ、現実を直視しようよw


416 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:37:57
>>414
あのう、意味分かって書いてます?
そんなことはありえないって書いてるんですよ。
>>413
でさ、その北九州・出雲の武力国家とやらが畿内を征服した痕跡は?
マキムクだけじゃなく、畿内には北九州的な出土品なんてほとんどないのだが。
出雲は限られた地域にちょこっと出るけど、それとて外来式としてはごく少数。
そんなUターン征服なんてのを匂わせるものなんて全くないんじゃない?
あったら教えてもらいたいもんだw

417 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 01:40:22
>>412
>でさ、マキムクが君の言うようにAD300年以降だったならば
>北九州や朝鮮半島、それどころか魏も呉も蜀も100年遅くなるってこと、理解できる?

全く理解できん、不不思議な言葉だ・・・・・

418 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:40:46
>畿内説の人のまともな反論
本人がまともじゃないのにねぇ・・・

身 の 程 知 ら ず

419 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:43:08
>>417
共伴土器による土器編年のリンクって分かる?
これは土器に限らず、全ての遺物が対称になるんだけど
本当に分からないのならちゃんと説明してあげようか?

420 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 01:50:34
−−−−−(引用開始)−−−−−
「蔡倫が紙を発明し、その年代は西暦105年」であると発端となった典拠は「後漢書」です。

すなわち中国の史書で、宋の笵曄(はんよう)が編集し、西暦432年(元嘉9)に完成した「後漢書」
http://homepage2.nifty.com/t-nakajima/30toppage.htm

421 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 01:52:12
>>415
>あのさマキムクが300年以後だとするとね、博多湾沿岸で大量に発見される
>庄内甕も同じく時代が下がっちゃうって分かる?

全く判らん、不思議な頭脳だ!

422 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:54:22
>>407
こんな書き込みもあったのか
王権と武力国家は別の意味だってこと知らないのかな?
でもってその戦闘用の弓矢、特にやじりは各地で形式が違うんだよ。
九州からは吉備や出雲や畿内なんかの形式は出土しないし、それどころかもっと細かく形式が細分化されている。
畿内でももちろん九州の形式は出ない。
だから、どっかのカコイイ武力国家がよその国を征服したなんて全くありえないんだわ。

あとそんなにも勇ましい大戦闘があったとき、丹後、越、東海、関東なんかは何してたの?
ただ見てただけかなw
そこんとこも一緒に勉強しておくといいよ。

423 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:56:57
>>421
本当に知らないのか・・・よくその程度の知識で学問板にしかもコテで書けるもんだ。
冗談抜きで、本当に知らないのなら簡単に教えるがどうする?

424 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 01:59:29
>>419
>共伴土器による土器編年のリンクって分かる?

各々の言葉の意味は判るが、何のことを言ってるのかつながりが理解不能。

425 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:03:28
>>424
素直に知らないから教えてくださいとは言えんのかねぇ
で、どうするよ?教えてほしいのか、それともこれからずっと事実から目をそらして迷走しつづけるのか、どっちよ?


426 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 02:09:30
>>423
>冗談抜きで、本当に知らないのなら簡単に教えるがどうする?

判らない言葉も今ではネットで、簡単に調べられます。
しかし、あなたの書いてる文章のつながりが判りません。
むしろあなたが、もう一度中学校の「国語の勉強」をやり直すことをお勧めする。

相手に自分の意思を伝えるには、石を積み上げるように下から順々に追って上の石になる。
上の石だけ置いても相手にはわかりません。
下の石を積む「国語の勉強」をもう一度しなさい!

427 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:16:03
>>426
いやそうやって言い訳するのはよそうや
知らないんだろ?もしくは自説に不利だから目をそむけているんだろ?
文章のつながりが分からんって・・・これ古代史の基本のひとつだよ。
個々の言葉を調べても素人さんにはそりゃ分からんさ。
で、どうするよ?
知らないのは恥じゃないぞ、それを認めずに言い訳するのが恥なんだぜ。

428 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:18:26


だから最初からバカは無視して進めよ。かまって厨は相手にしない。


429 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:20:42
>>425
恵也は馬鹿のくせにプライドだけは高いから教えを請うなんてしないと思う
不利な展開になると話をそらすのが常套手段だから、気をつけ名

430 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 02:22:40
>>425
>素直に知らないから教えてくださいとは言えんのかねぇ

俺はこれでも知らない事は知らないと、はっきり言える人間だよ。
逆に知ったかぶりをするお方には、反抗心を持つくらいだ。

あなたの短い文章能力から考えると、高校生の文章能力を持ってるとは思えない。
もっと2chで書き込みするのもいい勉強になると思うが、今の表現力じゃ誰からも
無視されるのが関の山だろう。

順を追って説明し、謙虚で、しかも迫力と説得力を文章につけることを薦める。
あまりにもあなたの表現する文は幼稚!

431 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 02:29:29
>>427
>文章のつながりが分からんって・・・これ古代史の基本のひとつだよ。

あなたの考える古代史の基本自体が、俺の考えてる古代史の基本とズレテるのじゃないかい?
ずれた相手に説明する方法というものがあると思うが、あなたには文章力がないから無理でしょう。
あなたは説明能力がないのに、プライドだけが異常に発達した中学生というところかな?

無理して説明しようとなさらなくても結構です。
まだあなたには無理な仕事なんですからね。

432 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:36:04
さくっと簡単に言うとな
北九州には北九州なりの、畿内には畿内なりの各様式による土器の変遷があるんだわ
これらはかつては地区ごとに積み重ねられて個々に研究されていたのだが
近年になってそれらにめどがつき、各地の編年を関連させて何と何が同じ時代だったのかを編纂したわけよ
その手がかりとなるのが外来式の共伴土器、つまり他の地区の土器が同じ場所の同じ地層で出土したってのを
何百もの実例とともに相対的に組み合わせたものが、土器編年のリンク化ってことさ。
で、これは今では九州と畿内なんて簡単なものじゃなく、吉備も出雲も東海や関東も
それどころか半島や中国大陸ともリンクしているわけよ。
韓式土器と庄内甕が同時出土した西新町遺跡の話くらい聞いたことあるだろ?
まあ実例はこれだけじゃなくむちゃくちゃ多いんだけどね。
だから各地の土器の年代は、独立してどれかを古くしたり逆に新しくしたりなんて、今じゃ出来ないのよ。

マキムクの庄内Xが300年以降だとしたら、自然と西新式も同時に新しくなってしまうけど
そんなこと他の地域との関連を含めて、ありえないのよ。

すんげえ大まかに書いたが、これで分かるか?

433 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 02:37:37
>>429
>恵也は馬鹿のくせにプライドだけは高いから教えを請うなんてしないと思う

本当に知らない事なら教えを請うてるよ。
特許や実用新案を出すときには、特許庁に問い合わしたり説明会に四万十市から高知市まで
車で2時間以上かけて出かけてるし、高知県の特許情報支援アドバイザーという方に来て貰って
やっと実用新案だけは、自分の力だけで獲得は出来た。

お金になると思ったが、無理のようだな・・・・
俺なりのプライドは持ってるが、それはあなたが考えてるようなランクのものじゃない。
勘違いしないように。

434 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:38:45
>>430
ほら自分が馬鹿なのを棚に上げて、話をそらしているぞw
判りやすいな、コイツw

435 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:42:49
>本当に知らない事なら教えを請うてるよ
じゃあ知っててとぼけてるんかい
都合の悪いことは相手を罵倒してまで無視するか

そ ん な 自 分 が 情 け な く な い か ?

436 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:49:17
次の恵也のいいわけオッズ

本命:あなたの日本語がおかしいのでわからない
対抗:考古学が間違っている
穴 :考古学会は事実を捻じ曲げる悪の秘密結社だ

それともこうか?

本命:都合の悪い話は勝手に荒らし認定して無視する
対抗:独自の土器編年を編み出す
穴 :ファビョる

437 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:53:33
いや本命は、捨て台詞残して逃げるだろw

438 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:07:11
逃 げ た か
437の勝ち

439 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:18:30
なるほど、九州説の異常なまでの考古学憎悪の理由がこれでやっと理解できた。
要するに土器編年を認めると、ほとんどの九州説は成立しなくなるためか。
しかも反論すら出来ないので無視するしかない。
だから考古学はおかしいだとかの罵倒連呼に終始する、それしか手が無いんだね。

進化論を憎悪するファンメンタリズムと同じか。

440 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 03:59:12
>>432
>各地の編年を関連させて何と何が同じ時代だったのかを編纂したわけよ

ここに非常に無理があるのが分かるかい?
この前提には、土器の流行が全国的に瞬時で、一律だというものが必要。

北九州と畿内で、交易が自由でなく土器の流行が全く異なってたら、各地の編年を
単純には関連できない。

今もあるけど値打ちのある土器や陶器は、愛好家などの手により長い時代を生きる場合がある。
それも古墳などで、堀や古墳の上部から土器のカケラ数個という発掘で年代を決めても信頼性がない

皇居のお濠に俺が、壊れた100円ショップの陶器を投げ入れたら、皇居は2007年に築造された
なんてトンチンカンな話になってしまう。
旧石器の捏造男みたいな、変わり者が1人でもいたら簡単に操作も出来てしまう代物だ。

大量に土器がマトメて発掘される事もあるが、むしろ土器の倉庫に集められてた可能性もある。
その場合は、凄く古い土器も混ざるだろうし、外来式の土器も混ざってしまう。
これをすべて、同時期に作られた土器と決めるつける事は出来ません。

−−−−−(引用開始)−−−−−
動物分類学、植物分類学の本を紐を解いてみました。こうした分野はれっきとした一つの学問
体系としてでき上がっており、どうも考古学における分類とは少し違うようです。

ある時、知り合いの方に指摘されたのですが、動植物学の分類と考古学の分類との違いは、考古
学の分類は人間の手によるモノであるとのことでした。

なるほどそう言われれば、その通りで、単純に人為遺物を自然科学のような手法で分類すること
は、その背後にある人間の文化活動の営みが抜け落ちる危険性があります。
http://www2.inforyoma.or.jp/~mitsubo/diary/010116.html

441 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 04:24:46
432じゃないが、君のほうが無理あるよ。
>この前提には、土器の流行が全国的に瞬時で、一律だというものが必要
流行なんてあまり関係ない。製造技術の変遷という絶対的な基準がある。
屁理屈こねる前に、進言どおり一度基本から勉強したほうが良い。
>土器のカケラ数個という発掘
何万個もあるぞ
>皇居のお濠に俺が、壊れた100円ショップの陶器を投げ入れたら、皇居は2007年に築造された
>なんてトンチンカンな話になってしまう。
>大量に土器がマトメて発掘される事もあるが、むしろ土器の倉庫に集められてた可能性もある。
>その場合は、凄く古い土器も混ざるだろうし、外来式の土器も混ざってしまう。
c14ですぐに分かる。第一様式がまるで違うから、そんな簡単に騙されない。
しかも廃棄所の場合は、これまた出土状況からして一発で判る。
君が考えるような低いレベルの話ではない。



442 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 04:25:30
432じゃないが、君のほうが無理あるよ。
>この前提には、土器の流行が全国的に瞬時で、一律だというものが必要
流行なんてあまり関係ない。製造技術の変遷という絶対的な基準がある。
屁理屈こねる前に、進言どおり一度基本から勉強したほうが良い。
>土器のカケラ数個という発掘
何万個もあるぞ
>皇居のお濠に俺が、壊れた100円ショップの陶器を投げ入れたら、皇居は2007年に築造された
>なんてトンチンカンな話になってしまう。
>大量に土器がマトメて発掘される事もあるが、むしろ土器の倉庫に集められてた可能性もある。
>その場合は、凄く古い土器も混ざるだろうし、外来式の土器も混ざってしまう。
c14ですぐに分かる。第一様式がまるで違うから、そんな簡単に騙されない。
しかも廃棄所の場合は、これまた出土状況からして一発で判る。
君が考えるような低いレベルの話ではない。



443 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 07:45:23
恵也は、四万十市の留置所に居たとき、高知市の弁護士が訪れ相談に乗ってくれたのか。
通で刑務官の先生や裁判官に詳しい訳だ。

444 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 08:41:24
>>422
おたく、まともに朝鮮半島の文化が伝播したのは九州より畿内の方が早いとでも思ってんの?
特に戦闘の為の殺傷能力のある鉄の武器文化は九州に入り、その後各地へと広がっていったもの。
「王権と武力国家は別の意味だってこと知らないのかな?」ってねえ、
解ってないのは おたくでしょう。巻向のことを言ってるのなら、お門違い。
あんなもの弥生時代の 王権も武力国家も両方を示す何の証拠にもなり得ない。


445 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 08:59:37
>>423あのね、巻向を邪馬台国スレで引き合いに出す事そのものが大間違い。
邪馬台国時代前後の倭国大乱を示すような環濠さえない。つまり環濠集落ではない。
それに弥生時代の集落が見つからない。弥生時代には集落ではなかったんですよ、ここは。
かけてあわせて王宮の跡らしき遺構が見つかっていない。
このどこが武力国家だ、弥生の王権国家だ、といいたい。邪馬台国とは関係ない場所。
第一、箸墓などの墓穴のある古墳の葬制は、倭人伝の記述と異なっており、
その時点でアウト。


446 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 09:34:07
畿内説論者が、土器のかけらにたてものらしき文様があった
のを喜び、吉野ヶ里遺跡に対抗して、実際に建物をたてたとの
記事を読んだことがある。

畿内説の異常な執念というか、考古学学界ぐるみの変質な体質が
見えて、笑った記憶がある。
屋根は渦巻状の形式までつくっていた。
単なる土器のかけらの文様からですよ。

巻向遺跡への異常な執着もここいらが原点ですよ、きっと。

447 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 10:01:38
>>446
それってきっと唐古・鍵遺跡のことですよ。子供の落書きみたいのを真に受けて実際に造っちゃったもの。
でも発見当時は僕も心躍る思いでしたけど、あの建物はどうもねえ。

http://inoues.net/ruins/karakokagi.html

448 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 10:22:52
「九州ですが」さんは、卑弥呼はどこにいたと考えてるんだい?

449 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 10:37:41
>>432
>各地の編年を関連させて何と何が同じ時代だったのかを編纂したわけよ

ここに非常に無理があるのが分かるかい?
どうもあなたは頭の中で、モデルを単純化して考えすぎてるようだ。
新旧土器の同一場所での混在の可能性は、十分に考えれると思うけど・・・・・・

今の世界でも陶器マニアが、古い陶器を集めてるけど、大昔も土器マニアもいなかったのかね?

−−−−−(引用開始)−−−−−
そのような外来土器を有し、編年の指標となっている資料(住居跡出土土器)そのものにも注意
が必要である。そのような住居跡は、集落の中でも他の住居跡とは違って外来土器を集中的に
保有し、しかも出土土器数が異常に多いという特徴がある。

さらにそのような住居跡は大形住居跡であったり、逆に小形住居跡であったりすることが多い。
つまり一般的な住居跡とは様相が異なるのである。

例えば仮にそのような住居跡(?)が倉庫のような機能を持っていたら、新旧土器の混在は容易
に想定され、素直に同時期ということは言えないだろう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
共伴関係は、私のような独身貧乏男性の資料のほうが一見有効に見えるだろう。

一度にまとめて調理器具や食器を買って10数年も大事に使い続ける。インテリアも自分の趣味
だけで統一できる。無機質で雑多さが無い。

そのいっぽうで家族がいると、あちらこちらからそれぞれの趣味にあうものを買ったりして持
ってくる。そうすると全体的に雑多になってまとまりが無くなる
http://homepage2.nifty.com/shiwan/aruke/aruke.html/benkyou.htm

450 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 10:48:28
>>442 土器の並行関係については、他スレで論破されていたのにまだ言っているの?
@九州の庄内 →A九州・瀬戸内の庄内 →B九州、瀬戸内の庄内・布留
 →C瀬戸内、畿内の庄内、布留 →D古墳時代以降の庄内、布留
と時代区分が成り立ちます。

九州の最古式の庄内@と古墳時代の畿内の庄内Dを混同させるのは無理ありすぎ。
共伴する土器が全然違う。100年くらい時代が違う。

451 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 10:58:44
>>448それが答えられるなら、難儀しません。
神武東征や、その後の邪馬台国、とも関わってくるとても難しい質問です。


452 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:00:08
>>451
「九州ですが」のコテハンネームを名乗るんだから、
卑弥呼は九州人だと思ってるんだろ?
せめてさ、九州の何県あたりが可能性大、ぐらいなこと言えよ。

453 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 12:02:27
>>441
>c14ですぐに分かる

ほとんどの土器は、まず土器に煮炊きをしたススや有機物が着いてなければならない。
しかもそのススは自動車の排気ガスや、海に解けてる炭酸ガスでさえも簡単に影響して
しまうような微妙な代物。

あなたが言う、すぐ分かるというのは嘘というべき。

−−−−−(引用開始)−−−−−
炭素は大気中だけでなく海洋でも存在してます(当然です)。これが大気との間で常に循環
を繰り返しているのですが表層は常に大気と盛んに循環が施されているので大気とほとん
ど同じ濃度です、

しかし、中層深層となるとだんだんと割合が変わっていきます。さらに海洋も非常にゆっ
くりと循環しているわけです、その状況も時代海域で違ってきていることがわかってます、

これらを海洋リザーバー効果と呼ぶそうです
http://www.uraken.net/rekishi/reki-kodai07.html

454 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 12:50:39
恵也さんは正直すぎる。
畿内論者は適当に知ったかぶりして、恵也さんのスレの一部をついて
反論を展開しているだけです。
会社の上司にも似たタイプがいます。
自分では企画書の1つも満足に書けないのに、他人の企画書のテニオハ
の誤りを指摘し、得意になる人です。

畿内論者のスレを眺めていると、そんな反論ばかりです。
自分で、理論を展開していない。
人の理論の欠点ばかりをあげつらうようなスレが多いですな。

455 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 12:55:32
「畿内論者の人の大半は、伊都国が前原であろうところまでは、
同じです」と書いたら、事実を示せと書く。

だからといって、伊都国がどこだとの自分の推論の記述はない。

たしかにそうだね。

456 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:42:38
お〜い!太国!
どんこいの次スレたててくれーっ!

457 :太国:2007/01/09(火) 14:39:22
>>401
言い訳するなら根拠等を提示しろ。なんだその引用開始の文は?そんなのは
繼體が武烈に自己の悪事を糊塗した根拠にはならない。これでは〜むしろ
武烈に悪事を糊塗した真犯人は、恵也!お前ではないかということなる。ww
>>404
大きくはみ出すのは論説では恵也そのものであります。
>>420
「後漢書」の年数とやらは、信用してるようだな?ww
>>426
お前さんも、繼體が武烈に糊塗した悪事の論拠を根底から石組みをするよう
に、下から上へ石を積み上げるように解説してくれ。エクアドルの土器の件で
大きい口をたたいたようにな。w

458 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 15:28:26
2ちゃんみて、思ったのだが
なんで、九州説は
こうまで必死なのだ?

459 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 15:29:58
>>452「九州ですが」のコテハンネームを名乗るんだから、
卑弥呼は九州人だと思ってるんだろ?

それと卑弥呼の墓の場所とは別問題。僕は北部九州の、八女から、甘木にかけての
どこかが、邪馬台国という説をとっているから、このどこかだろうとは思うが。


460 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 15:31:24
>>454 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 12:50:39
>恵也さんは正直すぎる。

おまえは、恵也の自作自演か?
彼はとっくに論破されているけど
執拗に同じ主張を繰り返すから、無視されているんだろうが?
つーか、恵也ほど自分の主張を攻撃的にやって
畿内説に敵意を燃やすやつはいない。
もっと、冷静になれよ!と言いたい。

461 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 15:34:27
>>458
征服され、その歴史を抹殺された過去の怨念と復讐心の潜在遺伝子がそうさせているのだと思う。


462 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 15:35:32
>>458
「九州人は熱くなりやすい」が答えなんじゃないの?

463 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 15:38:54
僕はドン来いの次スレ立てようにも立て方を知りません。
ただ、周囲の流れに任せるしか無いのでよろしくね。

464 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 15:48:03
だからなんで熱くなりやすいかの話してんじゃねえか

465 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 15:51:09
考古学の権威らは、邪馬台国かどこかではなくて
単純にマキムクを中心とした畿内政権の成立過程を知りたいだけだろう?

邪馬台国が九州か畿内かで
馬鹿騒ぎをしているのは、アマチュアの九州説論者(安本氏みたいなの)
彼らは商業主義者だから、自説で本を売って商売しているだけだろう?

学者のえらいさんは、そういうのには興味ない、実はw
ただ、考古学というのは金を生まない学問なので
馬鹿なマスコミに適度にリップサービスしている。

466 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 15:58:58
まあ、確かに学会は邪馬台国所在地論にあまり興味示してないね。
あれは宗教だろう。どころか邪馬台国大好き男は、卑弥呼は俺の女と主張している印象すらたまに受ける。

467 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:02:50
学会は邪馬台国だけやっている訳じゃないからね。

468 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:08:03
そりゃ文献(それもちょこっとだけ)頼りに推測してもあまり実はないよ。
夢膨らませてSF伝奇ファンタジーでも書くなら別だが。

469 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 16:14:03
>>464
九州は火の国だからでしょう。

470 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:14:22
>>468
中国の史書だけ頼りにしてもな。
日本の記紀なんかも研究対象にしなきゃだめ。
でも、こういうのは考古学の分野ではない。
文献史学の分野だったり、神話学の分野だったりする。

471 :日本@名無史さん :2007/01/09(火) 16:18:29
>>465
馬鹿なマスコミへのリップサービスにしては、鍵史跡の建物は
度が過ぎています。

というか、安本氏への批判はよいのですが、個人の中傷に終始
し、学問的な反論があまり見受けられないのは残念です。
私も安本氏の書籍は数冊読破していますが、邪馬台国に関する
基本的な考え方は、この安本理論で充分だと思っています。

畿内説には、根本的な問題として
1.畿内は肥沃で豊かな生産力があるのに他国の余り肥沃でない
  土地に攻め込む(勢力化に治める)理由が見当たらない。

1・当時の古代船は長崎のペーロンに使う程度の手漕ぎ船なのに
  瀬戸内圏の制海権を治めて、北九州を超えて、魏まで貢ものを
  する卑弥呼時代が想像できない。

1・銅鐸文化が鉄剣文化を凌駕する根拠が見当たらない。

1.例え神話であろうと、古事記に天孫降臨が筑紫の日向
  にせざるを得なかったには、何故か

その他、畿内説にすると多くの矛盾が噴出するが、安本氏の
理論には、多少の疑問はあっても、大体納得できる部分が多い

甘木の川添遺跡も、今後注目したい。 

472 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 16:22:23
大体どうして熱くなるんだって言われてもね。このスレ、邪馬台国問題に終止符ってお題でしょ。
いやがおうにも盛り上がってるかと思ってたら、なぜかあきらめっぽいのね。

473 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:22:24
>>469
あほか。

474 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 16:27:21
>>473
あほか、などといってる場合じゃないでしょ。
>>471の方の文など筋が通っているでしょ。こうでないとだめ。

475 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:29:32
九州ですがは、独身のニートか?

476 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 16:42:34
>>475
仕事で3連休出来なかったので、今日休みをもらっただけだが。

477 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 17:11:53
>>475

>九州ですがは、独身のニートか?

つまらん固定観念だな。邪馬台国考察への姿勢も似たようなものか?


478 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 17:33:12
今日は仕事は休みなうえ、「なぜかあきらめっぽいのね。」というような気持ち悪い書き方をするので、
勘違いされ、ニートで独身となったのかも。
実は、「なぜかあきらめっぽいのね。」の言い方には、赤ちゃんに言うような言い方が求められるのです。
日頃うちの猫に話しかける言葉が、ついついレスで出てしまうのです。
ちなみに、「もう寝なさい」は、「オネムデチュ」といいます。ニュアンスをお届けできないのが残念です。
なにか邪馬台国論議のヒントになりませんかね。

479 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 19:14:56
>>478

スレからズレて申し訳ないが、
学生時代、何か運動部していましたか?

480 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 19:33:13
>>479いいえ。どうしてですか?

481 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 20:12:11
>>480
掲示板とはいえ、きちんとした礼儀が(先輩に対し)出来ていますので。
俺昔剣道部だったので、以外と気になるんですよ
“その辺り”

482 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:14:25
プラム=九州ですが=九州王朝大好き

483 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:41:05
>>482
九州王朝大好き氏は古参のコテで、プラム氏とは違いますよ。
確か60才くらいだったはず。

484 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:46:58
>>459
プロのかたですか?
私も同じ見方をしています。

485 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 20:51:25
>>481 プラムさんへ
というわけでも無いんでしょうが、何の縁かは知らないけども、邪馬台国畿内説を考えるスレ5だったかな、
最初僕が日本史スレに飛び込んだのは。恵也さんと、プラムさんと、太国さんがいて。何か好きなんですよね、この三人が。
主張の違いはともかく、やりとりを覚えてますよ。とても楽しく。太国さんは言い方が好きですね。
「せっしゃはそこをついているわけです。」とか、「おやすみなさいZZZZZZZ.」とか。彼に、「そっちぃー」って叱られそうですが。
ドン来いスレにも愛着があります。ずっと以前から、邪馬台国畿内説には疑問があって、
心の中でたった一人で燻らせてましたから、それを発散できるホームって感じで嬉しいのです。
これからも大切にしたいですね。かき乱す人は嫌ですが、書き込んでくれる参加者はありがたい気がします。
でも、議論だから負けられないって感じ。ちなみにブラスバンドクラブでした。
他の方、スレズレゴメンなんしょ。

486 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 20:58:16
>>484
プロだなんて、穴があったら入りたい気がします。
色々考えるとあの辺にあったとしか思えない。


487 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 21:08:08
>>485 九州ですがさん


了解!

そうですねぇ〜
太国さんや、サガミさん等との付き合いは、もう二年以上に成りますねぇ〜
あっ!それに、今年の初っ端だけ登場した(私はリアルで見逃した)『本田さん』は古い住人。
何も知らない私の初期の頃から、色々教えて下さった恩人です(名無しさんの中にも沢山居ますが)。

488 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:09:39
私が畿内説を支持出来ない理由
1:船乗りが、太陽が登る「東」と太陽が最も高くなる「南」を間違えるとは思えない事。
2:あれ程、邪馬台国の先の細々とした国名を記しているにもかかわらず、関門海峡から吉備の間の国名の記載が無い事。

489 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 21:21:27
>>487 へえーっ。そうなんですか。でも名無しさんは区別がつきませんね。
サガミハラさんは、あちこちのスレに登場されるようですね。
あの方の説はまたちょっと独特です。

490 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 21:31:11
>>488
でもそのことについても、畿内説はなんだかんだ言って否定してきたけど、
何かやはり詭弁の謗りを免れない内容ではあった。

491 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:31:25
>>459
>それと卑弥呼の墓の場所とは別問題。僕は北部九州の、八女から、甘木にかけての
>どこかが、邪馬台国という説をとっているから、このどこかだろうとは思うが。

との「九州ですが」さんの回答だが、もすこし聞いていいかい。
福岡県の地図をリンクするよ。
http://www.mapfan.com/kankou/40/jmap.html

この地図の八女市、広川町、久留米市、太刀洗町、うきは市、朝倉市のどこかに
女王卑弥呼の宮殿があった、そこが女王の都の邪馬台国だったと
「九州ですが」さんは考えてるんだよね。
するとさ、倭人伝の「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」の記事の
「水行十日陸行一月」が引っかかってくるんだよな。
つまり、前原市や福岡市、春日市から近すぎるってこと。どう説明する?

492 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 21:32:26
>>489

スレが荒れるのでこのへんで止めときましょう。
そのうちまた スレが暇になった時等を選び、宜しければ昔話等を 披露いたします。

古い名無しさんなら大体解りますよ。雰囲気で

493 :ど素人:2007/01/09(火) 21:33:05
割り込みゴメンなさい。

最近、古代史に興味を持ったド素人です。
この板に来て、コテの皆さんの議論を興味深く拝見しております。
本職は高卒の調理師ですので、
あまり綿密な議論にはついていけない場面もありますが、
これもまた勉強だと思い手元の資料とにらめっこしながら
少しずつ勉強させていただいております。

これからも、諸先輩のご活躍とご健勝をお祈りして
また名無しに戻りますw

駄文、失礼しました。

494 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 21:38:09
>>492
はい。わかりました。

495 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 21:47:24
>>493
 何と謙虚な。どうぞ「邪馬台国ドンと来い12」が立ち上がったらそっちの方にも来てくださいね。
色んな失礼な輩の暴言に見舞われても、屁とも思わないのがコツです。

496 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:50:37
引きこもりの荒し厨房も、板の上に3年いれば素人から拝まれるのが2Chクオリティ

497 :プラム#:2007/01/09(火) 21:57:35
>>493

>本職は高卒の調理師ですので

ア八っ八っ八っー
気にしない気にしない   俺だって高卒の(農業兼会社員)

498 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:58:42
2ちゃんに居つく奴なんて普通じゃないよ。

499 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 22:00:48
キャップ付ける途中でEnterキー押してしまった。 失礼

500 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 22:02:59
>>498

>2ちゃんに居つく奴なんて普通じゃないよ。

と、2ちゃんでカキコしている奴に言われたくない。

501 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:04:43
>>500
こうマジレスしちゃう人が多いのも学問系の板の特徴なので
あまり2chぽくないかもね

502 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:06:49
どっちでもいいけど、邪馬台国どんとこい、はもういらんだろう。
ここのキチガイコテはわれら狂信九州説団というスレでもたてて
そっちでやってくれ。
俺も九州が可能性は高いかなと思っているが、ここの九州コテは
狂人だ。その態度は見るに不快で、意見は聴くに及ばない。

503 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 22:08:10
>>491
おまたせを。えーっとですね。帯方郡から、女王国まで一万二千余里と書いてあるのでそれを重視して、
伊都国あたりで道程の9割を消費するから、残りは僅かしかない。水行十日、陸行一月というのは全行程のリピート。
ここで、水行と陸行のバランスがおかしいという疑問が出るが、詳しく記載されていないので不明ではあるが、
ただ単に同じ速度で歩いたというより、陸行は、宿泊したり見聞して、長くかかったと考えれが矛盾しないと思う。


504 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:09:40
>>491
八女市と広川町は除外してもいいんじゃないか。
女王の都はもっと筑後川本流に近いところだと思う。
7万もの大戸数は筑後川流域平野の全体を見た数字だろう。

それと小郡市や佐賀県の鳥栖市も無視できないぞ。
交通の要所だし弥生や古墳時代初期の遺跡も多い。

505 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:12:25
>>503
あんなとこどうやって船で十日も行くんだよww
倭人伝の最初に半島の沿岸沿いを水行するって書いてんのに。
なんであんなとこに船に乗っていくのかサパーリ分からん


506 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 22:17:06
>>505あんなとこどうやって船で十日も行くんだよ

あんなとこってどこ?

507 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 22:23:53
>>502

>キチガイ

名無しだから許される言葉か?  コテでも多投していいか?

508 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:28:30
志賀島じゃないん?金印とか貰ったんでしょ

509 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 22:34:32
>>503

>ただ単に同じ速度で歩いたというより、陸行は、宿泊したり見聞して、長くかかったと考えれが矛盾しないと思う。

その書き込みが一番やってはいけない主観的発言

510 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 22:36:11
>>505
でもそれを言うなら、畿内説も同じ条件じゃないの?
「帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり
   東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
   それから初めて海を渡り、一千里余りで対馬国に着く。」
対馬国まで約8千里余と書いてあるから、すべての行程、1万2千余里から引くと?
畿内説の学者もこの点に異論を挟むものは殆ど居ない。解釈はフミ国まで殆ど同じ。

511 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/09(火) 22:38:04
>>508

>志賀島じゃないん?

何が?

>金印とか貰ったんでしょ

誰が?

512 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 22:46:39
>>502
おたく自分を何様だと思ってんの?みんな一生懸命に頭を働かせて頑張っているのに、
キチガイは無いんじゃないですか?それに「邪馬台国どんとこい、はもういらんだろう」
なんてドン来いを穢すような言い方はやめてください。
落書きや、罵倒ばっかりのわけのわからないスレに比べてどれほどいいか。
自分の思考キャパを越えた時点で、受け入れられずに馬鹿呼ばわりしてるだけじゃないですか。
そんな人に、自説が堂々と言えるわけが無い。

513 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 23:00:30
>>455
>「畿内論者の人の大半は、伊都国が前原であろうところまでは、
>同じです」と書いたら、事実を示せと書く。

俺は前原とは見てない。
確かに卑弥呼の時代には前原は大都市だったと思うが、唐津から東南方向に40km
なら小城町付近だろう。
前原じゃ方向が東北方向になってしまう。

−−−−−(引用開始)−−−−−
韓国80km南→対馬80km南→壱岐(一大国)80?km→唐津(末盧國)40km東南
→小城町(伊都国)8km東南→佐賀市(奴国)8km東→千代田町(不弥国)80km南→
三角港(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→宮崎市・・「ここが邪馬台国」
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

514 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 23:03:23
>>458
>九州説は こうまで必死なのだ?

ド素人が暇に任せて、簡単に調べれるからだよ。
暇だから、暇潰しをしてるだけ!

515 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 23:05:27
>>460
>畿内説に敵意を燃やすやつはいない。

畿内説に敵意はないよ。
でも京都大学の教授連中には腹が立つ、こいつらは税金泥棒だ!!!

516 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 23:20:24
>>465
>考古学の権威らは、邪馬台国かどこかではなくて
>単純にマキムクを中心とした畿内政権の成立過程を知りたいだけだろう?

いや、そんな単純なもんじゃない。
京都大学の教授連中が、マスコミを利用して邪馬台国畿内説を宣伝したせいだ。
それも明治の終わり頃の馬鹿教授の内藤氏を、大先生とし世話になった後輩教授が
「オラガ村邪馬台国論」にしがみついた為。

考古学以外では京都大学は素晴らしいけど、最初の教授の品格が影響してるのかな?

−−−−−(引用開始)−−−−−
明治43年に京都帝国大学教授の内藤虎次郎氏が論文「卑弥呼考」(畿内大和説)を、
また東京帝国大学教授の白鳥庫吉氏が「倭女王卑弥呼考」(九州説)を相次いで発表
して以来、九州説と畿内大和説が対立して来ました
http://www.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper12.html

517 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 23:26:12
>>516馬鹿教授の内藤氏を、大先生とし世話になった後輩教授が
「オラガ村邪馬台国論」にしがみついた為。

言葉は悪いが正論ですね。

518 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 23:26:16
>>470
>中国の史書だけ頼りにしてもな。
>日本の記紀なんかも研究対象にしなきゃだめ。

品格が全く違う。
魏志倭人伝は、卑弥呼が生きていたときに生まれた陳寿が、晋の役人として書き残したもの。
古事記や日本書紀は卑弥呼が死んで、500年くらいした時代に天皇家が神話などと一緒に書いたもの

今から500年前の事を正確に書けるかい、あなたに。
日本なら織田信長や武田信玄の時代だぜ。
物語を読んで、適当にしか書けないよ!

519 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/09(火) 23:45:00
>>510
>倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
   
あなたはこの距離を確かめてないのじゃないの?
帯方郡(平壌の南の辺)から7000里(560km)が釜山なら、直線距離しか考えられん。

船の航路に沿ったら、とてもじゃないけど釜山には着きません。

それと同じように邪馬台国も、帯方郡から12000里(960km)も直線距離であり
船の航路や陸路の移動距離ではありません。

よって邪馬台国は宮崎市。


520 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/09(火) 23:53:37
>>519
戦乱の時代を描いた三国志の距離はどうやって出してるんでしょうねぇ。
当時の距離の計算と、現在の距離関係とが解明されていると思うんだけど。
一度、中国の学者の説が聞いてみたいな。同時代だから同じなんじゃないかな。


521 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:56:45
北陸、東北
関東、〜っときて
なぜに中国地方って命名なの?
近いのは長崎やし

522 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:04:22
中国地方こそは葦原中国!日本の中心!邪馬台国だったんですぅ><

523 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 00:05:56
>>521
おたく近畿の人?だったら知らないのは恥ずかしいよん。
天子のいる京都を中心に、近い近畿を、近国といい、九州などは遠国といい、
その中間にあるので、中国地方という。アラビアあたりを中近東というでしょ。
あれとおんなじ理屈ね。


524 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:20:27
>>503
>帯方郡から、女王国まで一万二千余里と書いてあるのでそれを重視して、
>伊都国あたりで道程の9割を消費するから、残りは僅かしかない。水行十日、陸行一月というのは全行程のリピート。

これは古田武彦さんが言い出した説と同じ考え方みたいだね。
すでにさんざん議論、というか批判があったと思うが、いちおう書くよ。
倭人伝では、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国への行程記事は、
奴国、不弥国へは里数で、投馬国、邪馬台国へは日数で、という違いはあるけど
みなだいたい同じ書法で書いてあるよね。
>東南至奴國百里、官曰…副曰…、有二萬餘戸。
>東行至不彌國百里、官曰…副曰…、有千餘家。
>南至投馬國水行二十日、官曰…副曰…、可五萬餘戸。
>南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月、官有…次曰…次曰…次曰…、可七萬餘戸。

だから邪馬台国への「水行十日陸行一月」を「帯方郡からの全行程」と読むなら、
投馬国への「水行二十日」という書法との整合性を、全く無視しちまうことになるよ。
恣意的な読み方だなーと俺は思うんだけど、「九州ですが」さんの説明は?

525 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:22:02
九州ですがさんは、よく
「おたく〜」って使いますね。
どうでもよいが、あんまり気持ちのよい表現じゃないなあ

526 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 00:28:49
>>524でもあんまり両説とも問題にしてなかったようよ。
僕もこのことに関して自説を展開してるが今夜は遅いので又明日。


527 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 00:31:15
>>525
そうなんですか?僕は丁寧のつもりで使ってるんだけどね。


528 :九州出身:2007/01/10(水) 00:36:38
こんばんわ 伊都国周辺といわれる人たちに質問!
水行10日陸行1月はどう説明するんでしょうか?

529 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:38:47
>>526
>僕もこのことに関して自説を展開してるが今夜は遅いので又明日。

ほいほい。俺も寝るから、明日また。
「九州ですが」さん、もし明日くわしく説明してくれるんだったら、
投馬国が現在の何県あたりと考えてるのかもついでに書いといてくれ。じゃ。

530 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:42:50
>>528
なんか明日、説明やってくれるみたいですよ。


531 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:47:10
>>530
明日が楽しみですね

532 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:52:15
あ、あした、つ、ついに・・・、(;´Д`)ハァハァ

533 :九州出身:2007/01/10(水) 01:18:12
明日、九州ですがさんの自説やらを聞くとしますか-y( ̄Д ̄)。oO○

534 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:33:59
明日、邪馬台国のすべてが明らかになるのか…

535 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:36:40
>>532
そうしよう。
九州ですが氏の自説って、実はよく知らんのだよ。
彼、いつも畿内説叩きばっかりやってる印象があって、
自説をまるまる通して聴いたこと、一度もないような気がする。
今のうちに九州ですが氏への質問事項をまとめて書いておくと、
彼もレスし易くなって、いいかもしれない。
あとで二つ三つ、書いてみよう。

536 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:44:16
ところで「九州出身」さんよ。
紛らわしいハンドルネームだけど、
貴兄も邪馬台国=九州説?
それとスレタイに従って、卑弥呼が
何者かも、考えを言ってほしいな。

537 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:50:56
「卑弥呼は誰か?」自体、無意味な問いだと思うがなあ。

538 :奴国 ◆BdeghU15Mk :2007/01/10(水) 01:54:10
>>528  行程記事が事実でないと考えれば問題ない。
魏の使者は、伊都国あたりで留まって卑弥呼には会っていないと考えられる。

1、風俗記事は初夏〜秋までの期間のみで、滞在期間が短かった証拠になる。
2、魏の使者は100人以上と想定され機動性が乏しい。
3、卑弥呼は引きこもりで誰にも会わないとの記事は、会わなかった裏づけになる。
4、伊都国で全ての文物を検査、管理するとの記事は、伊都国で貢物を預けて帰路に
ついたことの裏づけになる。すぐ近くの奴国の記事さえない。

5、邪馬台国としても卑弥呼が魏の使者に「臣下の礼」を強制されるのはイヤなので
会わせずに形式的な冊封のみで済ませたかったという事情も考えられる。
日本は国内で中国王朝に臣下の礼をとったことは、その後の歴史でも一度もない。
6、近場にいる卑弥呼に会わせないために、過大な距離の説明をしたとも考えられる。
7、行程記事をそのまま合理的に説明することは、不可能。魏の使者が、倭国で
聞いたままを書いたのであれば、虚偽情報を与えられたことが想定される。

539 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:55:57
九州ですがさんの注目レスは何時ごろ来るのかな? 平日だし、
リアルタイムで質疑応答みたいなの、やりたいところなんだが、

540 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:58:34
卑弥呼は卑弥呼であって誰でもない。



放送時間があまりましたので、引き続き感想戦をご覧ください。

541 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:22:56
九州ですが氏へ質問。
各国の比定地を、何県何市の辺り、と挙げてほしい。
もし関連遺跡など想定しているのであれば、その遺跡名もぜひ。

@末盧国
A伊都国
B奴国
C不彌国
D投馬国
E邪馬台国
F狗奴国

542 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:24:53
九州ですが氏へ質問。続き。

卑弥呼の墓はどこにあるか。
もし実在の遺跡を卑弥呼の墓に想定しているのであれば、その遺跡名を。

543 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:27:56
九州ですが氏へ質問。さらに続き。

卑弥呼は、記紀の中に出ているのか。出ているとすれば、それは誰か。
また台与(壱与)についても、同じ質問をしたい。

544 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:33:40
九州ですが氏へ質問。一応ここまで。

邪馬台国と大和朝廷(のちの畿内の大王権)は、関係があるのか、ないのか。
ないとすれば、邪馬台国はその後どうなったのか。

以上、よろしく頼みます。

545 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 06:44:58
今日まで3連休取れなかった代休を取ってるからじっくり説明できると思います。何やら知らんが凄く期待されてるみたいだし。
でも知らなかった?
>>535「彼、いつも畿内説叩きばっかりやってる印象があって、
自説をまるまる通して聴いたこと、一度もないような気がする。」
なんて全然読んでないじゃないの。口がすっぱくなるほど色々言ってるのに。
もうこれで7スレ目なんだから、少しは前スレも読んでまなぼうね。
でも、そんなに言うほどたいした説じゃないんだけどね。ちょっとトイレいかせてください。

546 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 07:34:21
>>520
>戦乱の時代を描いた三国志の距離はどうやって出してるんでしょうねぇ。

あなたが作者の陳寿の立場になって考えてごらん。
三国志全部の距離の単位を、ワザワザ統一して加工するだろうか。

魏の使節団が、政府に報告した通りの単位:数字をそのまま書くはず。
中国では長里と短里が使われて、それも時代によって変化してる。

それなら、三国志全体の単位を考えるのでなく、魏志倭人伝の中だけは
単位が統一されてると考えるべき。

運良く釜山から壱岐までの距離が、少なくともすべての人の合意が取れ確実な
わけなんだから、そこを基準にして拡大するのが最も科学的態度というべし。

対馬だと島が長すぎて距離を確定できないが、釜山→壱岐2000里(160km)
だと中心も取りやすい。
よって1里=0.08kmという数字が一番信頼できる。

他の三国志の記事なんて屁みたいな数字で、魏志倭人伝には全く役に立たない。

547 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 07:35:10
>>533明日、九州ですがさんの自説やらを聞くとしますか-y( ̄Д ̄)。oO○

それに、なんなんですか?この態度。それに「自説とやら」だって。
聞いて驚くな。聞いて驚くほど珍説かも知れません。

548 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 07:40:48
>>546
そうかなあ。同時代の距離の単位ってそうは違わないと思うんだけど。
勿論倭人から聞いた日数を距離に直して推測したので、距離が正確でなかったりするやもしれないけど。

549 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 11:23:02
そんなに自説に自信があるのなら本でもHPでも出せばいいのに。

550 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 12:19:17
>>548
>勿論倭人から聞いた日数を距離に直して推測したので、

倭人から聞いたとは俺は思えないけど、たとえそうだとすると日数は人によって
全く違うよ。
俺が四国88ヶ所徒歩遍路をやった経験から言えるが、若い人間の必要日数と老人の
歩きなれてない人間の日数とは倍は違う。

1日に歩く時間も、若い回復力の強い人間は朝早くから、夜暗くなってからも歩いても
翌朝の疲れは全く違う。
だから又聞きの日数から、使節団が距離を算出したという話はデマに過ぎない。

不弥国から日数になってるのは、200人程度の使節団が数少ない輸送手段を手に入れて
実際に旅をしたからこそ、書ける言葉と考えられる。

それだけの難行苦行のなかで、初めて現地人と触れ合うチャンスがたくさんあり、見て
から「男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして」とか「牛、馬、虎、豹、羊、
 鵲などはいない」とか「家には部屋があり、父母、兄弟、別々に寝ます」とか「木では、
 クス、トチ、クスノキ、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデなどがある。竹
 では、シノダケ、ヤダケ、カヅラダケがあります。」
なんて言葉が書けるもの。

町の中で上げ膳据え膳で、歓待される自堕落な生活をやってる使節団には絶対に書けない言葉。
団員の動植物に詳しい人間が、難行苦行の旅をしたからこそ自信を持って書くもの。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

551 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/10(水) 12:40:41
寸法に迷ったら『律暦志』を読めばいい。倭人に聞いたなら『倭人日』と書けばいい。

無駄に悩む必要なし。

552 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 12:41:17
>>548
>そうかなあ。同時代の距離の単位ってそうは違わないと思うんだけど。

そうとは限らない。
長里と短里が混在した時代もあるはず。
また、陳寿が読んだ書物の記述者によってどちらの単位を使っていたのか断定は出来ない。

陳寿自身も、その記述された単位を確かめる力は無かったはずだ。
50年ほどの魏の時代でさえ、建国期と成熟期には単位の変化の可能性さえある。

−−−−−(引用開始)−−−−−
測量の専門家である谷本茂氏は、周代に書かれた中国最古の天文算術書といわ
れる「周髀算経(しゅうひさんけい)」を研究する中で、周代の1里は76〜77
メートルであることを見いだされました。
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page003.html

553 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 12:41:59
>>550「不弥国から日数になってるのは、200人程度の使節団が数少ない輸送手段を手に入れて
実際に旅をしたからこそ、書ける言葉と考えられる」

でもですよ恵也さん。「倭人は距離を知らず、日数で数える」とされているから、魏使が日数で数えるのは変じゃない?
少なくとも皇帝にも報告が行ってたでしょうから女王国まで行ってないならともかく、実際に行ってなおかつ日数しか記さなかったとしたら、
なんなんだこの報告は、ってな具合に叱られるんじゃないでしょうかね?




554 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 12:50:40
>>551
律暦志?漢書律暦志ですか?暦しか載っていないんじゃないですかね。

555 :日本@名無史さん :2007/01/10(水) 13:04:22
私も九州出身ですが、末盧國が松浦の伊万里が唐津あたりとして、
その後、伊都国(前原)とすると、200人近い人が、朝貢の荷物を
かかえての海岸沿いの道はかなり、険しいはずです。

昔は、海岸ももっと山側にあり、現在の道路はほとんど存在していない。
とすれば、荷物をもったまま、唐津から前原へはほとんど不可能です。

唐津から筑後平野の方面の有田・武雄方面(南東)なら妥当かと思います。

意外な盲点かも知れませんが、末盧國から伊都国への南東への道程は
唐津→前原と想定した昔の学者は、当時の海岸線を無視した論議をして
おります。

556 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 13:16:55
>>555
僕もそう思います。海岸線が今とはかなり違っていたでしょう。後世に埋め立てた部分も多いですから。
末盧國などは、前に行く人の姿が見えなくなるほど葦が生い茂っていた、とありますから、平地もなかなか大変な行程だったと思います。

557 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 13:18:39
うれしい事に邪馬台国ドン来い12、が立ち上がりました。

558 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 13:47:47
>>553
>魏使が日数で数えるのは変じゃない?

魏使は距離で出したかったけど、日数でしか出せなくなった原因がある。

昔の船は、星の観測で現在地を確認してます。
天気が曇って観測できないとき、その場所から以降の地点では距離を出す方法がない。

不弥国以降では、距離が書いてないのはその理由による。
たぶん投馬国に滞在中に一度も星の観測が出来ず、位置が算出できなくなりそれ以降は
日数でしか書けなくなったもの。

559 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 14:05:06
>>555
>荷物をもったまま、唐津から前原へはほとんど不可能です。

唐津から前原に行くなら、そのまま来た船で全員が乗って行くはず。
まず、唐津にも寄りもしないで前原へ直行するのが常識。

天皇陛下が俺のいる四万十市にこられるとしても、少しでも楽をさせて最短距離を通ってもらう。
陸の上を荷物を持たせて、40km近く歩かせるなんて考える指導者はいないでしょう。

唐津から小城町なら、歩いてもらわないと行けない内陸地だから魏使も従わざるを得ない。
船便で歩く必要もない前原市なら、魏使は頭にくるよ。
少なくとも卑弥呼にあげる荷物だけでも、2トン近くあるのに歩かせる馬鹿はいない。

560 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2007/01/10(水) 14:15:01
>>558
古代フェ二キアなどそうですよね。
以前恵也さんは星の位置の観測で距離を出す。といっていた記憶があるんですが、それも直線で。
実際に歩いたら直線で出す距離とはだいぶ異なるのでは?つまり参考にならないのでは。

561 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 14:57:48
>>560
>実際に歩いたら直線で出す距離とはだいぶ異なるのでは?つまり参考にならないのでは。

逆だよ。
直線距離なら絶対的な数字。
実際に歩く距離は、コースによってバラバラ。

戦争に距離を使うにしても、直線距離なら誤差が少ない。
道路はいろいろあるし、荷車を使う輸送隊が選ぶコースと、戦闘中心の軍隊では選ぶコースも
当然違う。
最短距離を無理して速攻で攻める戦闘では、直線距離の方が使い勝手がいいし無理が効く。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
海抜65bにある桶狭間山は、沓掛と大高城のほぼ中間にあたり、東海道を進めば織田方の
中島砦まで3`の位置にある。

北西に向けて兵の備えを立てて、ここで休息。この時に義元本隊は5千人と推定され、比較
的見通しの利く山上を選んで、各部隊毎に散在していた
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m171.html

562 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:23:15
移動日数は現地でみせびらかし、宴会とか主観で移動距離をかなり縮めてますが
そんな不確定要素を注釈も書かないで史書に記述するだろうか

563 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/10(水) 15:49:11
>>554


律暦志は

度量衡は勿論の事、当時の生活習慣に欠かせない決め事が記載されていますよ。特に、古代の制度を知るのに『大唐六典』は基本的なバイブルとなります。

564 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 15:57:33
>>562
>そんな不確定要素を注釈も書かないで史書に記述するだろうか

それが未開発国に初めて、親善の為の使節団が行くときの常識なら、記述なんてしないよ。
当時の役人なら誰にでも判るが、1700年後の人間には非常識なのかもな。

この使節団の目的は、速く、急いで、卑弥呼に会うことじゃない。
邪馬台国の出来るだけ多くの人間に、魏の科学技術、芸術文化、軍事力の強さ、礼儀正しさ
を見せ付けて、魏に対する憧れと恐れを植え付けること。

豊臣秀吉が朝鮮を占領しようとして失敗した後、徳川時代に朝鮮から来た通信使でさえ
朝鮮の文化水準の高さを見せ付ける為に、非常にユックリしたスピードで江戸まで往復してます。
往復に半年かけたというから、片道90日間。1日で10kmくらいじゃないかな。

何度も往復して地理が分かっててそのスピードなんだから、魏の使節団は1日4kmくらいが
自然な距離だろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
兵庫での接待記録によれば、四百名を超える通信使一行を歓迎するために動員された船は
七六五隻、接待などに動員された人は、尼崎藩だけでも一万人を超えたという。

そして、一行は大阪で金箔をほどこされた豪華な川船に乗りかえて、京都へと向かってい
ったのである。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/tuusinsi.htm

565 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 16:10:06
>>564
>当時の役人なら誰にでも判るが、1700年後の人間には非常識なのかもな。
はい、現代人の常識と過去の人の常識はまったくちがうだろうと思います。
あなたがよく現在の例をだしてきて比べて論じてるのをみていつもそう感じます。

>魏の使節団は1日4kmくらい
人間の徒歩のスピードが時速3〜4kmです。その計算だと一日1時間しか移動しないことになりますが・・

566 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 16:22:50
>>565
>人間の徒歩のスピードが時速3〜4kmです。その計算だと一日1時間しか移動しないことになりますが・・

直線距離で1日4kmなんだよ。
5万分の1の地図を見てもらえば分かると思うけど、山道で直線距離4kmといえばダイタイ
16km以上にはなる。

それに人間の徒歩のスピードが時速3〜4kmというのは、舗装された平坦な道のこと。
急勾配を登ったり降りたりしたら、時速3kmというのは現代人には厳しいだろう。

567 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/10(水) 16:44:31
>>565
>あなたがよく現在の例をだしてきて比べて論じてるのをみていつもそう感じます。

人間自体は、卑弥呼の時代とタイシテ変わらん。
権力者の敵対勢力に対する憎しみや、名誉欲、金銭欲、狡猾さなどかえって人間の品格が
劣化してるのじゃないかな。

ブッシュ大統領の行動や、今回のタンカーと原子力潜水艦の事故での艦長の対応をみると
そんな感じがして仕方がない。
少なくとも事故を起こした人間なら原潜の船名くらいは言うのが、品格を持った人間と思うがね。軍人として経歴に傷をつけたくないという、臆病さからの行動かな。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
潜水艦側からは2度ほど「助けはいるか」との応答があったが、船名は答えなかったという。
http://kkzz07.iza.ne.jp/blog/entry/99115

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