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ニーチェ 四

1 :伝説のあぼーん ◆AEROZYYyYM :2005/09/03(土) 20:59:48
ニーチェ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1057392559/

ニーチェ 二
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1103805487/l50

ニーチェ 三
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1121174060/l50

2 :考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:13:21
2

3 :考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:34:10
深淵の思想・・・sage進行

4 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:35:02
広松渉さんは死の直前、ニーチェには「隠された体系」がある、
私はそれをエクスプリシットなものにしたいとおっしゃいました。
残念ながらそれは氏の死によってかなわぬものとなりました。
さあみなさん、いまこそ哲学板で広松氏の遺志を継いでいきましょうざんす。

5 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:36:41
永遠回帰は最近はやりませんね。しかし、やはりここには
ニーチェ思想の核心があると考えざるをえませんや。

6 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2005/09/09(金) 23:37:39
今日、ベリタに「ニーチェの予言」ってリンク記事あったな。

7 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:41:22
永遠回帰=経験の無限性
これはどうざんしょ?
ニーチェは経験主義者です。
そのニーチェが経験の無限性を「永遠回帰」という
超越論的概念で定式化した、という解釈は。

8 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:45:00
経験主義者の根拠を出せ

9 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:45:25
初セクースの快感にびっくりして「永遠回帰」って思いついたんだよ

10 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:50:54
ついでに
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1124847976/l50

11 :考える名無しさん:2005/09/09(金) 23:52:36
>>8
あのお。
生あるものが「誤謬」の中にある、ってテーゼは経験主義以外の
何者なのでしょうか?(出典>「曙光」「喜ばしき知識」「善悪の彼岸」)

12 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:02:17
このスレはニーチェの形而上学を中心に議論するスレと化しました!

13 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:06:45
百万回太陽が東から昇ろうとも西から上ることもあるとニーチェは
信ずる。


14 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:07:24
>>7
「永遠回帰」がどのように「超越論的概念」なのか説明してみろ。
ちなみに、カント的用法以外で「超越論的」なんてあり得ないからな。

>>11
経験主義なら、すべての生あるものがどのような誤謬の中にあるのか実証しなきゃ。


15 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:13:52
『パンタレイ』は永遠回帰のような考え方でしょう

16 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:24:35
「超越論的」とは、カント的には「認識はどのように可能かを
問う認識のあり方」を形容するタームです。言い換えれば「認識
それ自体のうちに認識の限界を見出す状態」のこと。
カントは「認識」の条件を限界づけるにあたって、「理性の逸脱」
を議論し、そこで理性がアンチノミーにいたる具体例として
「神」という「超越論的概念」を取り上げた。
ニーチェの「永遠回帰」は、「神」に依存しない「超越論的」な
つまり「認識の限界を認識の内部で認識する」ための概念だ。

17 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:26:02
万物流転と、永遠回帰じゃ違うだろ
言葉の雰囲気だけでものを論じちゃいかんよ


18 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:27:00
ドゥルーズが似たようなことを書いてたけど、永遠回帰に対してじゃ
無かったような気がする。

19 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:27:38
そうだろうか、カテゴリーの一つの中に有限な部分と無限なものがあって、
私は一体どちらが本当なのかしら、という考え方ではあるまいか。

20 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:27:41
>>16
必死で書いたのにこんなこと言うのはなんなんだが、
超越論的と超越的の区別くらい知っとけ。
話にならん。


21 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:28:58
>>14
ニーチェの「誤謬」の議論とは、
生あるものは生の境界条件の中にある、
たとえばミドリムシにとって一定の波長の光こそが
自らの生の条件になっている、ということ。
これは経験的に明らかな事実じゃないの?
ちなみに経験主義は「すべての生あるもの」については
判断しないよ。
それはむしろカント的な
「アプリオリな総合判断」の問題でしょ。

22 :16:2005/09/10(土) 00:30:18
>>20
大丈夫ですか?
超越的=認識の逸脱
超越論的=認識の可能性の条件を問う
ですよ。

23 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:31:40
>>19
先験的演繹じゃないの?

24 :16:2005/09/10(土) 00:31:51
ちなみに
16=21=22です。

25 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:37:05
ニーチェの言う「誤謬」は「理想への信仰」
『この人を見よ』の最初の方に書いてあるよ。岩波ならP10

26 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:37:12
>>21
「すべてが誤謬だ」は論証も実証も反証も不可能な超越的言い回しなんだよ。

>たとえばミドリムシにとって一定の波長の光こそが
>自らの生の条件になっている、ということ。

これが何故「誤謬」呼ばわりされなきゃいかんのだ?

27 :16:2005/09/10(土) 00:38:42
どうもニーチェアンは西欧形而上学の長い議論を
軽視しすぎていると思います。
「神」をめぐる議論がいまでも意味深いのは、
それが認識の限界を明らかにするからで、神の概念ほど
「超越論的」なものはありませんよ。
ニーチェの「永遠回帰」は、経験論の文脈に
「超越論的」な概念を導入するもくろみなんですよ。

28 :16:2005/09/10(土) 00:40:28
>>26
それはニーチェに言うべき文句だな。
「誤謬」というのは比喩なので。
ニーチェは「真理」の相対性を説明するために
生あるものの相対的な真理を誤謬と呼んだまで。

29 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:41:42
出たか44・・・

30 :16:2005/09/10(土) 00:46:41
今日私がこのスレを少しでも活性化しようとして
「永遠回帰=経験の無限性」
というテーゼを提起した意味を理解している人は
いまのところ皆無ですね。

31 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:49:15
出たな、「スレの活性化」
この台詞は44の自演用台詞だったっけ。


32 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:49:37
>>30
いいからコテハンを付けろ。


33 :16:2005/09/10(土) 00:50:57
16
というコテじゃだめなんですか?私は前スレでは深田恭子と名乗りましたけどw


34 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:54:38
>>33
周りの人に理解されていない主張をしていると自覚があるなら、
一貫して同じコテハンを使ってそれがおまいの意見だと区別が付くように
責任を持って行動しろ。


35 :16:2005/09/10(土) 00:57:39
>>34
余計なお世話です。

ちなみに私は前スレの最後に一回飛び入り参加しただけですよ。
深田恭子を名乗った一日と今日しか書き込んでいません。

36 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:59:00
>>27
経験論者であっても神概念を重視するのは珍しいことではない。
ロック然りバークリ然り


37 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 00:59:26
>>27
>「神」をめぐる議論がいまでも意味深いのは、
>それが認識の限界を明らかにするからで

それだけじゃ端的すぎてよくわかんない。
あと、超越者の死を宣告し、超越論性=内在性を称揚したのはまさにキリスト教神学
だと思うんですけど。

38 :16:2005/09/10(土) 01:00:27
私はただ議論したいだけですよ。
経験には無限の相がある、それを永遠回帰という概念で
言い表すことには重要な意味がある。
なぜなら経験主義そのものを「超越論的」にするから。
この議論について実質的な意見のある人がいれば
拝聴したいというだけです。

39 :16:2005/09/10(土) 01:01:43
>>37
キリスト教神学ではなく、スピノザでしょ。

40 :前スレ166:2005/09/10(土) 01:04:44
>>31
44とはむしろ逆だと思うよ。16の言い分は。
>>33,34
ちゃんと16氏の書き込みと区別がつかないと議論も糞も無いわけで、
むしろコテハン名乗ってくれた方がわかりやすいし議論もしやすい。

でも有限の事象が永遠に繰り返したら経験は無限じゃない気がする。
こういうことにはまるとニーチェ哲学じゃなくてニーチェ学になりそうな気もするが。

41 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:06:37
>>38
>経験には無限の相がある、

どの経験に、どういう無限の相があるんだい?



42 :16:2005/09/10(土) 01:10:20
>>40
「無限」とか「永遠」という概念はたしかに眉唾ですね。
私はこれらの概念が、認識の有限性を照射するためのしかけだと
考えます。
問題はこれらの概念がどのような思考プロセスを表現しているか
ではありませんか。



43 :16:2005/09/10(土) 01:11:56
>>41
この手合いは自分の認識の限界をその言表にすなおに反映させているので
ちょっとかかわりたくないな…

44 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:14:37
>>39
別にキリスト教神学を擁護したいわけじゃないが、ニーチェの「神は死んだ」の
神はキリスト教以前の超越神以上のものには思えないような気がします。
ニーチェのキリスト教理解にちょっと難があるような気がします。
あと、スピノザの汎神論についても、あれは神即自然というより無世界論であって、
キリスト教神学よりも後退している部分もあるんじゃないでしょうか。

45 :16:2005/09/10(土) 01:19:31
あなたは
>超越論性=内在性を称揚したのはまさにキリスト教神学
という指摘をされたかたですよね?
私の乏しい理解では、内在性を強調するのはむしろユダヤ教的な
伝統で、それを近代的なかたちで再生したのはスピノザなのですが、
これはまちがいですか?

46 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:20:41
>>45
>内在性を強調するのはむしろユダヤ教的な伝統で

ユダヤ教のどういう特質から、内在性が強調されていると感じるのかな?


47 :16:2005/09/10(土) 01:31:18
旧約の神は臨在、偏在しまくりですよ。
「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と
言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」
という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと』。」
(出エジプト記)

48 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:34:51
>>47
ユダヤ・キリスト教の神の重要な属性に「偏在性」というのがあるが、
それは内在性とは全く違う。
その神は、世界を創造した神である以上、あくまでも超越神だ。
その神は世界に属しはしない。


49 :前スレ166:2005/09/10(土) 01:42:22
16はわたしはある、を強調したいのジャマイカ。
それでも内在的とは思えんが。

50 :16:2005/09/10(土) 01:42:29
>>48
「遍在」の間違いでした。
ところでユダヤ・キリスト教と一括されては議論が紛糾するだけですね。
ユダヤ教の神の「遍在性」は、「内在的」ではないのですか、
それは旧約の神が超越的であるように見えて、つねに預言者のもとに
「ある」のではないですか、というのがここでの問いかけの趣旨なんです。


51 :16:2005/09/10(土) 01:43:44
>>49
おっとかぶりましたな。
どうもです。

52 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:45:13
エホバ論争なんてくだらんね。

53 :16:2005/09/10(土) 01:49:09
木を見て森を見ず>>52

54 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:49:18
>>50
>ユダヤ教の神の「遍在性」は、「内在的」ではないのですか、

どんなにがんばったところで、「遍ク在ル」こと=「内ニ在ル」ことではない。
世界と運命を共にする神など、およそユダヤ=キリスト教の神ではない。


55 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:51:52
>>45
わたしのほうがぜんぜん理解に乏しいようですみませんが、言いたかったのは、
ニーチェ関係のスレだといつも「神が死んだ」で宗教が一緒くたに殲滅されてしまう
のに異議があっただけです。
>>48
>ユダヤ・キリスト教の神は世界を創造した神である以上、あくまでも超越神だ。

そうは思わないです。ユダヤ教については16さんにもっと聞いてみたいですが、
キリスト教のように、受肉と三位一体で表現されるような普遍と個別が混交する
宗教と超越的宗教は分けるべきではないでしょうか。
ニーチェアンは分けていない。

56 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:52:42
16チンポ太郎説を唱えてみる。

57 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:54:24
遍在と内在の区別を知らないようなチンポ太郎ではあるまい


58 :16:2005/09/10(土) 01:54:52
>>54
これまた珍妙な解釈で。
内在的=世界と運命を共にする、ですか。
私は「内在的」=「世界内」=「世界の事象の生起と同時的」という
意味でとらえていました。

59 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:56:46
「わたしはある」とか「ありてあるもの」なんてインチキだろう。
原義は「わたしである」とか「俺だよ、オレ」だったに違いないのだ。

60 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 01:59:04
>>58
>これまた珍妙な解釈で。
>内在的=世界と運命を共にする、ですか。

まったく珍妙ではないぞ。
世界を創造したのは神であり、被造物に対して全権をもっているということは、
世界が滅んでも神は存在をやめないということだ。 これが「超越神」ということ。

君のような知識では、内在神を唱えるスピノザがあれほど忌み嫌われた理由もわからんだろ。

61 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:00:43
>>59
またまた思い付きを書きやがって・・・

ユダヤ教神のヤーヴェという名前そのものが「私は在る」という意味だよ。


62 :16:2005/09/10(土) 02:01:25
>>60
それは超越神についての説明で、
内在的=世界と運命を共にする、という指摘の根拠になりませんなあ。

63 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:04:48
>>62
「内在的」=「世界内」=「世界の事象の生起と同時的」ということは
「世界と運命を共にする」ということだ。
世界が滅んでも、それとは無関係に存在し続けることが出来るものを「内在的」とは言わない。

それよりも、ユダヤ教に内在神の傾向があるというお前の主張はどうなった?
まだ同じことを言い張るつもりか?


64 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:07:11
内在と世界内はまるっきり違うだろ。

65 :16:2005/09/10(土) 02:07:53
>>63
論証になってませんが、まあいいです。
旧約の神は「つねにすでに私はある」と自分を規定していますよ。
でもまあこれについては私も専門外なので、これ以上は
やめておきます。
ニーチェにもどって議論したいですね。

66 :16:2005/09/10(土) 02:12:39
>>64
あのね、いちいち哲学辞典にもどらせるんあじゃねえよ。
「内在」を認識論の文脈でとらえれば、「認識の限界内」
という意味で、これが哲学の正統的な文脈だよな。
だけどさっきからの議論では、「神」という概念が
どういう役割を果たしたかが問題になってんの。
超越神学では「神=世界の始原=世界外」だが、
ユダヤ教は本当にそういう超越神学の文脈に収まるか、
という問題提起のなかであえて「内在=世界内」という言い方を
してんのがわかんねえのか、ヴォケカス

67 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:13:05
>>65
>旧約の神は「つねにすでに私はある」と自分を規定していますよ。

そう、神は永遠だ。
しかし、その神はある時、世界を作った。世界は有限だ。
この神は内在神では全くない。

ニーチェに戻る前に、「ユダヤ教についていい加減なことを書いてスレを汚しました」と
謝罪して欲しいんだが。


68 :16:2005/09/10(土) 02:16:59
>>67
人に謝罪を迫るほどの見識か。ま、これは当事者が言うべきことでは
ないな。

69 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:18:36
>>66
内在とは個物や意識の内に存在することだよ。テイノー。

70 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:19:10
>>66
>「内在」を認識論の文脈でとらえれば、「認識の限界内」
>という意味で、これが哲学の正統的な文脈だよな。

神学的超越神・内在神の議論してる最中に、カント−フッサール的
内在を混合させる馬鹿発見


71 :16:2005/09/10(土) 02:19:54
>>67
一言付け加えておくよ。
あなたのユダヤ教理解は、あなた自身がずっと「ユダヤ・キリスト教」
と一括して言い続けている通り、キリスト教経由だと思うな。
そういう理解ではスピノザの「神=内在的原因」という主張の
意義がユダヤ教的伝統を通じたキリスト教批判になっているという
事実を捉えそこなうのではないかな。

72 :16:2005/09/10(土) 02:22:59
反論に窮してあげ足を取るほうが真性なんじゃないかな。


73 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:23:01
>>71
>そういう理解ではスピノザの「神=内在的原因」という主張の
>意義がユダヤ教的伝統を通じたキリスト教批判になっているという
>事実を捉えそこなうのではないかな。

事実を捏造するなよw

お前はユダヤ教に内在神の伝統があることを一切証明できてないぞ

74 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:24:52
なんだかなあ・・・・・・
で、みなさんはカント思想とニーチェ思想の違いについてどう思いますか?
僕はまだよくわからないのですが。
初心者向けの俗っぽく過激なニーチェ解釈を剥いでいくと、
ニーチェ思想はほとんどカントと同じにしか思えません・・・と初心者が言ってみる。

75 :16:2005/09/10(土) 02:25:10
というか、あなたが無教養なだけ。
証明を求める前に旧約でも読んでください。>>73

76 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:25:48
>>74=16

話題逸らしの自演乙


77 :16:2005/09/10(土) 02:32:29
>>76
あのう、私はユダヤ教については専門外だとはっきり言ってますよ。
ただここで私に反論しているやから以上には知ってますが。
で、自分の無知をたなにあげて人に「証明」を求めるなど論外だ、と。
私の主張は「自演」などの必要はないほど明確ではないですか?
心底情けない人だなあ>>76


78 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:32:57
16は44で決定だな。



79 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:34:35
>>77
創世記ではヤーウィストとエロイストの書く記述で混乱が見られるんですけど、
どちらのほうが内在神よりの記述をしてると思われますか?


80 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:37:05
>>77
>あのう、私はユダヤ教については専門外だとはっきり言ってますよ。

あなたのご専門は一体なんですか?


81 :16:2005/09/10(土) 02:44:16
>>79
申し訳ありませんが、文献学的な知識はありません。
ヤーウィストは正統的なユダヤ人、エロイストはユダヤ教を奉じる
外国人でしたっけ?創世記の記述の混乱がかれらのどのような見解の
差からきているか、むしろご教示いただきたいです。
>>80
ひみつ

82 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:49:03
>>81
あれ?「ここで反論してる輩」以上の聖書の知識がおありなんじゃあ?
ヤーウィストやエロイストについての君の答えは全然間違いですけどね。

どうぞ、ユダヤ教に内在神の傾向があることを証明してくださいよ。
ろくに証明もないまま、自分の見解に固執し反論者を罵倒しまくるんじゃあ、
スレだってまともに進行しませんよ。


83 :16:2005/09/10(土) 02:50:33
残念ながら、永遠回帰という概念(ドゥルーズに言わせれば
概念の凝集力)についての議論は深まりませんでしたね。
また暇があったら書き込ませてもらいます。
おやすみなさい。

84 :16:2005/09/10(土) 02:54:08
>>82
なんだ、おまえこそ自演野郎だったんだ、
このスレの展開をたどりなおせば、おまえの愚劣さとルサンチマンは
明白だな。かわいそうなやつだよ。
おまえがニーチェスレに常駐している理由は、キリスト教の擁護なんだね。
そういうつまらぬ動機でやってくるから実質的な議論ができないのさ。
さようなら、おばかさん。

85 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 02:58:29
>>83
お前のその、妄想に固執する癖と、反論に対して冷静に論理で対応しない癖を直さない限り、
誰がやってもお前と議論を深めるなんぞ無理だよ。


86 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 03:01:58
>>84
は?俺がいつ自演しましたかね?
俺は常に君の馬鹿げた見解を否定してるよ。

劣ったものを劣っていると認識するのはルサンチマンでもなんでもない。
そう扱われるのがいやなら、有無を言わさぬ証明をやってごらん。


87 :16:2005/09/10(土) 03:06:06
>>85
そのレスのどこも「冷静に論理で対応」していないことは
だれの目に明らかだろうね。
あなたほ「ユダヤ教の神の内在性」というテーゼに怒り、
自分のえせ教養がふみにじられたことに憤慨しているだけだ。
そんなことは話はここでの本題ではないのに、あなたがそこに
固執して、議論を妨げようとしている。
一つ質問したいんだが、あなたはニーチェにどんな関心があって
ここにいるの?
私の関心についてはすでに何度も語っているよw


88 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 03:10:33
16=馬鹿

89 :16:2005/09/10(土) 03:10:55
>>86
あなたこそ「それはちがう」以外のことは書いていないんだが。
私が一つ一つ明確に論証してきたことがらにいらだっている
だけでしょ?
あなたが論理を言うなら、何か論証可能な問題をニーチェに
即して提起してくださいよ。そうでなければ
もうつきあいきれませんよ。

90 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 03:11:07
>>87
本題でないことは百も承知してるさ。
ろくな根拠もなく妄想を書き連ねる君の知性を馬鹿にしてるだけだよ。

ほら、俺のえせ教養を踏みにじるくらいの立派な証明をしてくれよ。


91 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 03:12:15
>>89
>私が一つ一つ明確に論証してきたことがらにいらだっている
>だけでしょ?

ネタ?
どこで明確に論証したって? レス番示してください。


92 :考える名無しさん:2005/09/10(土) 03:15:49
>>89
>あなたこそ「それはちがう」以外のことは書いていないんだが。

内在神の要素がない理由ならいくらでも書いてあるだろ。
モーセに臨在して言った「私は在る」という言葉は内在神の根拠には一切ならない。


93 :16:2005/09/10(土) 03:17:01
>>91
かわいいなあ。
おまえが自分のレスの番号をちゃんと書いたらもういっぺん
読み直してやるさ。
そろそろ寝た方がいいじゃんない?

94 :16:2005/09/10(土) 03:19:11
>>92
おまえのそのこだわりはどこからくるの?
自分でよくわかってるその理由を自分で言ってごらん。
「ユダヤ教の内在性を通してキリスト教の超越性が顕示される
ことへのおそれ」でしょ?
でもそんな問題にいつまでもかかわっている理由はないのさ。
おやすみなさい、おばかさん。

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