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哲学は神学の婢 2

1 :むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/06/05(月) 09:59:22
哲学とは所与の世界が何らかの原因によって崩壊した後に現れる思考の運動である。哲学的
認識とは知的に世界を再構成することであり、それは失われた自己自身の復元作業である。

この運動の論理的帰結は「無知の知」である。何故なら、世界に属する者が世界を超えることは
できず、自己から派生した精神が自己自身を超えることはできないから。しかし何らかの「否定」
によって出発した精神の運動は止まず、それは積極性なき否定となる。

信仰とはまさしくこの人間が人間であるが故に抱える自家撞着の切断としてある。信仰とは
哲学的認識の放棄であり、認識された世界の放棄であり、自己自身の放棄である。つまり、
信仰にあるとき、人は見るものから見られるものになり、規定するものから規定されるもの
へと遷移する。人は信仰によって見る主体としては死に、同時に見る主体によって構成された
自己の死という境界もまた消え去るが故に、永遠の生命として生まれ変わる。

この信仰の場から発せられる記述が神学であり、その記述において哲学が援用されてもそれは
あくまでも信仰の周辺としての学に留まる。哲学の役目とは人間知性を「無知の知」に導くことに
あり、あくまでも消極的なものであり、それは神学の婢としてこそ意義を持つ。

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