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理性によって神を語る

1 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:01:56
神とは普通、創造者、全知全能、永遠の存在などといわれています。
そして、多くの先人達が神を信じていると告白していますが
理性によって、神を説明しようとした試みはほとんどありません。
ここでは、人々が信じてきた神という存在を理性によって説明する
試みをしたいと思います。

2 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:03:31
デカルトがやってなかったっけ?

3 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:11:03
仮説1:神=法人説
法人格とは、一定の目的をもって作った人々の集まりのことです。
代表者や構成員はいますが、特定の個人を超えた存在がある
と考えられています。
もちろん永遠でも全知全能でもありませんが、たとえば古代人が
国家を作ったときに、人の寿命を超え、個人の力を超えた存在を
目指したことは創造に難くありません。
現代人は、会社や国の人格のことを法人格と呼んでいますが、
古代人は法人格の人格的な永続性を強調して(願って)神と
読んでいたのではないでしょうか。

4 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:14:24
仮説2:神=進化の最先端の存在=人説(仮説)
進化論では、無からガスが生じ、ガスから物質が生まれ
物質から生命が生まれたと考えられています。
そして現在、最も進化した存在として人間が存在しています。


5 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:22:25
デカルトですか。それも、そうですね。

ところで、進化論について間違いました。すみません。
ここで言いたかったのは、ビッグバン以来
さまざまな形で進化してきた、その最先端の存在に
継続した人格があると考えたなら、人々がこれまで
描いてきた神=創造者というイメージを満たすのではないかと
いうことです。

6 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:32:58
仮説3:神==最も複雑かつ緻密な存在説=人説(仮説)
世界の中心はどこにあるのでしょうか。私は宇宙論には詳しくないので
わかりませんが、ブラックホールやホワイトホールなどと考えられている
のかもしれません。
しかしSF的な神を想定して、その神という人格が、最も高いコストを支払う
存在が物質でしょうか。
大きいとはいえ星や、物質は、一定の法則に収まっています。
創造して一定の法則を定めてやれば、それで片が付きそうな気がします。
しかし命の発生や生存、動物の複雑な行動や、人間の思索には、それらの
エネルギーをはるかに超えた力が必要ではないかと思います。
よって、私は、常に最も進化した存在であり、最も複雑かつ緻密な存在である
人を神として提案します。

7 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:42:27
仮説4:神=最も優れた個人説
これまでの話では、人類という種を神として提案してみました。
しかし神とは、そもそも人々が信じてきた、人にとって意味のある存在です。
ですから、それが人であるといっても何の説明にもなりません。
ここでは、人のうち最も優れた個人当然最も賢く、最も格好良い人が神である
と提案してみます。

(ここまで読んでいただきありがとうございます。皆様もお気づきのとおり
私は厨房です。皆様のような賢い方に是非この仮説を見ていただきたく
板を汚させていただいております。)

8 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:51:36
つづき

神が最も優れた人だとしても、人は死にますから、永遠とは言えません。
しかし仏教では人は輪廻転生するといわれています。そしてキリスト教
においても復活が語られています。
 もしも、人が死んだ後で生まれ変わるとするならば、(過程=もはや哲学ではないかもしれません。)
プラトンやニュートンのような偉大な学者や、宗教家や政治家や偉人たち
は死後に何に生まれ変わったのでしょうか。
 ここでは、偉人たちが、常に最高の存在として、たとえばプラトンが転生して
ニュートンになった等々として存在し続けていると提案してみます。
(哲学でなくて、すみません。)

9 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 21:57:12
つづき、

(注意)
現在、多くの人々が、醜い新興州境家を神として拝んでいます。
しかし私は彼らを信じませんし、許せません。すべての人は目を覚まして
拒絶すべきだと思います。
私がここで、理性によって神を語るという提案をした動機のひとつが、
このような醜い新興宗教から人々を解放したいということでもあります。




10 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 22:01:30
さて、SFがかってきましたが、もしも興味がありましたら読んでください。

つづき
しかし、人は死ぬと記憶が絶たれてしまいます。記憶の連続性はありません。
もしも偉人たちが生まれ変わったとしても、彼らにも記憶の連続性はないでしょう。

おそらく彼らも普通の赤ん坊として生まれて、普通に育つでしょう。
そしてある日、聖書や仏教に出会って、自分の存在を知り、使命を
悟るのではないでしょうか。
 しかし、彼らが、宗教家になったり、復活して売名行為をすることは
決してないでしょう。
 かれらは、自分の存在を自覚して、きっとその時々の最善の方法で
人々を真実と救済へと導くはずです。
 私のつたない想像では、あるときには、ダビンチのような芸術家になって
美を示し、コロンブスのような冒険家になって新しい世界を発見し、
ワシントンのような革命家になって政治的な理想を示しているのだと思います。



11 :一言居士:2006/07/26(水) 11:20:04
神って人間の力を超えた良くも悪くもぬきんでたものに付けられた呼び名でないの?
例:運命の女神、死神、太陽神など
一神教の神だけが神じゃあないよ。

12 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 12:41:29
神を理性で語っている時点で、知的障害者に認定されます。

13 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 13:29:10
神は死んだ

14 :中西克徳:2006/07/26(水) 14:11:35
神を理性で語る・・・・

『在った者、在る者、在るであろう者』これが神を理性で語る仕方である。

15 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 16:58:06
神は人間の最終目標。
目標がないと前進もしないし。
(「前」という方向が無くなってしまう。努力しないとかそういう意味ではない)
誰だって神になりたいでしょ?
だから消えない。

16 :一言居士:2006/07/26(水) 17:03:56
>>15
>誰だって神になりたいでしょ?
そうかなあ?俺はなりたくないが・・・

17 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 17:15:53
「人々が信じてきた神という存在を理性によって説明する」
=宇宙には統一的な法則がある。

宇宙は多様な力のバランスでたまたま均衡しているにすぎない
=多神教

世界には観測者としての人の存在を必要とする
=人格神説

人間の社会の道徳には神という権威の支えを必要とする
=神機関説=キリストが神であることの機能的で合理的説明

キリストが死んだのは人間の罪を贖う為でなく神自身の罪を贖い、律法に神と
いう特異点をなくすためである=主権在民仮説


18 :一言居士:2006/07/26(水) 17:17:21
ここで話題提起(以下のことは私見です)
半人半神という概念があるが、ある存在の半分が神とはどういうことなのだろう?
俺が思うに神というものは、美に似ているのではないか?
美そのものが実在するわけではない。しかし美しいものは存在する。主観Aが事物(客体)Bを美しいと判断するという働きなら存在する。
これと同じく神も神そのものが実在するのではなく、神のようなものが存在しているのだ、と思う。

19 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 17:41:46
ユニテリアンですな

20 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 19:33:12
あげ

21 :1=厨房:2006/07/26(水) 20:22:24
1です。たくさんのレスありがとうございます。

>>12 さんのような意見を恐れていました。
ずいぶん背伸びして書いてみましたが、僕は厨房なので、これからは
自分らしい言葉で、僕の意見を提案してみます。
哲学を学んでいる皆様から見て、僕の意見がどの程度の意見なのか、
とても興味を持っています。文章の表現のつたなさや、知識の不足には
目をつぶっていただき、意見を聞いていただければありがたいです。

一つ一つ、レスをつけたいところですが、まず、書きたい気持ちが消えないうちに、
本題に入ります。(すみません。)





22 :生粋の哲学人:2006/07/26(水) 20:35:41
面白いスレですね。最高です。

神(現代科学とその理論の範疇以外)を認めなければ、これからの科学の
進展はありえませんね。


常に最先端の科学は、今までの科学を否定しています。それはまさに神の姿、金を
追い求める錬金術師、アルケミストです。(←俺はこの比喩に酔いしれてるw。)


23 :厨房:2006/07/26(水) 20:39:42
さて、ここで、仮説1:神=法人説を補足します。

人々は、神に何を願うでしょうか。洋の東西を問わず、人々は、学校や会社への合格、
病気が治ること、貧しさから救われることを願います。
ところで、そのような人々の深刻な願いをかなえる、神は本当にまったく
存在しない、フィクションに過ぎないのでしょうか。
 僕は、人々の願いをかなえるに足る、全知全能の神に最も近い、現実の存在として
国家があるのだと考えています。
 国家は、さまざまな特色を持った優秀な高校を設置して、僕たちの願いに答えることができます。
そして、病んだ人には医療を提供し、人々を治癒することができます。また、福祉や経済政策を
とおして貧しい人々を救う現実の力があります。さらに国家という人格は、図書館や大学を設立して、個人の人生を超えた
深い思索を行い、多種多様な学問を探求しており、人々のイメージする全知全能の人格に最も近い
現実の存在と言えると考えます。
 国家は、政治家や指導者によって運営されていますが、彼らから独立した人格を持っています。
人々は、自分の願いが、国家という法人格に届くことを願って祈りをささげるのではないでしょうか。
 僕は、イエスの言う神の国や、仏教の言う極楽浄土とは、この世の弱い人や、貧しい人を救済し、
能力と意欲のある人々が、心のそこから満足して精一杯暮らせるような国家の
法人格をさしているのだと考えます。



24 :生粋の哲学人:2006/07/26(水) 20:42:41
>>12
言葉の深層を理解しましょう。w

その壁を越えないものは貴方のいう知的障害、正確にはグローバルな分裂症、今風にいえば狭義の統合失調症。

常人は壁を越えるべからず。


25 :生粋の哲学人:2006/07/26(水) 20:47:37
>>23
それは随分と理性的な神ですね。

神はもっともっと力強く我々をサポートしてくれますよ。


26 :厨房:2006/07/26(水) 20:58:15
つづいて、仮説2:神=進化の最先端の存在を補足します。

 人は、一人きりで子供を作ることはできません。たとえ特別な個人が存在したとしても、
彼一人きりでは、寿命を終えて滅びてしまいます。
 また、進化を成し遂げ、試行錯誤をするためには、ある程度のボリュームが必要です。
決して特別な存在ひとつだけで、唯一の存在のみで、すべての事業を成し遂げられる
わけではないと思います。
 彼とともに、未知の世界に挑み、常に、新たな時代を切り開いていく進化の若芽のような
人類のような最先端の種族は、きわめて特殊な集団だと考えられます。
 たとえば、現在最強の動物は、かつて存在した恐竜に比べればはるかに小さく弱いものです。
また、古代の巨大な植物に比べれば、現在の植物の輝きは、色あせて見えます。
 僕は、彼の事業を引き継ぎ、発展させ、もちろん人類から次へと共に進化し、
常に最先端であり続け、意識という現時点で最高の輝きを有する、人類という存在は、非常に特殊であると考えます。
彼に次いで、特殊な存在であると考えます。
(補足)
 僕のつたない知識によれば、恐竜は1億年程度生きたといわれています。
あれほど完成度の低い、残忍で、みじめな生き物が1億年も生きたのです。
 それならば、人間のように完成度の高く、偉大な自由を有する存在ならば、少なくとも、
少なくとも数千万年程度は、存続すると、僕は考えています。
 人類の歴史は、200万年程度といわれており、文明の歴史は6千年程度にすぎません。
人類は、人という形で、おそらく数千万年というはるかな時代の中で、この意識=新しい自由
を発揮して、幸福を目指していくのではないかと考えます。

27 :厨房:2006/07/26(水) 21:17:20
仮説3:神=最も複雑かつ緻密な存在説を補足します。

 さて、僕は美とは極めて重要なものだと考えています。複雑かつ緻密に変化していくこととは、
ただひたすらに高度な機能を追及するものではないと考えます。
 もっとも複雑かつ緻密な存在、最高の力を有する存在、進化の目標であり、
果てしない願いであり、力をかきたて、エネルギーの糧となり、新しい自由に挑み、
すべての存在が目指す目標は、美であると考えます。
 あらゆる人々、あらゆる存在が、自分として生まれた最高の美を目指しており、
そして美に憧れていると考えます。
 当然ですが、人々のイメージしてきた神も美しいはずです。イエスは、その
謙虚さを表現するために痩せて傷ついていますが、本当の姿はとても美しかった
のではないかと思います。
 (すみません。気分が悪くなってきたので、少し休みます。)

(余談)
 美という立った一言の言葉だけで、この世の無数のいんちき州境家たちは
チリとなって吹き飛ぶでしょう。あのような醜く、残酷な存在を、人々が願ってきた
神と同一視するなど、人類の願いと、人類の歴史、そしてこの高度な意識そのものへ
の冒涜です。僕は激しい怒りを感じます。人々から自由を奪い、意識を混濁させ、
輝きを奪い、不幸に突き落としている、偽者の、すべての新興州境を滅ぼしたいです。


28 :一言居士:2006/07/26(水) 21:19:13
>>26
君は人間が進化の最高形態と思っているようだが、ちがうよ。
「完成度の低い、残忍で、みじめな生き物」は恐竜でなくて人間だよ。
人間の歴史をみれば俺のいうことは一目瞭然だよ。
ニーチェが人間をもっとも出来損ないの動物と評しとったよ。

29 :生粋の哲学人:2006/07/26(水) 21:20:24
ふむふむ、φ(。。)メモメモ

30 :生粋の哲学人:2006/07/26(水) 21:29:47
>彼とともに、未知の世界に挑み、常に、新たな時代を切り開いていく進化の若芽のような
>人類のような最先端の種族は、きわめて特殊な集団だと考えられます。
俺は、適応は生物の基本と思っているから、人であろうが蟻であろうが鯨、象であろうが、
各々が極めて特殊な集団だと考えている。即ち、生命の一つ一つが極めて特殊である、
というのが俺の意見だ。

唯人間論(?)は無意味だ。

仮にも人が優れいているとすれば、それは人類【史】以外の何物でもない。偉大なのは、
人類の歴史だけだ。多くの生物は適材適所。

チミには共感できない。

31 :一言居士:2006/07/26(水) 21:32:11
スレ主さんへ
君が新興宗教(えせ宗教)を駆逐したいのはわかった。
神なんてものは、実在するもんじゃねえ。けど君の仮説2と4は君が憎む新興宗教家が利用しそうだね。
神はいても神の意思はない。神は人格をもたないからだ。神っていうのは自発的に見出すものだよ。

32 :厨房:2006/07/26(水) 21:54:47
ここで、簡単にまとめます。

このスレでは、今まで人類が信じ、偉大な学者たちが信仰を告白し、
普通の人がイメージしている神という存在を、単に拒絶したり、
信仰という判断停止にとどめることなく、また、そのイメージを可能な限り
損なうことなく、理性によって明らかに説明することを目的としています。
 このように考えるならば、ここでいう神は、少なくとも、創造者、
全知全能、永遠の存在であるか、それに最も近い現実の存在でなければ
ならないと考えています。

僕はここで4つの仮説を提唱しました。
@神=法人説(=理想国家)
 法人格には個人の寿命や能力こえた存在であり、
永遠と全知全能を満たす可能性があるのではないか。
A神=進化の最先端説(=現在は人類の形をとる)
常に進化の最先端であり続けるような、継続した人格と特別な力を持った、
固有の集団があるのではないか。
B神=最も複雑かつ緻密な存在説(=美)
美はすべての進化の目標になりうるのではないか。永遠の生命、永遠の進化
に、耐えられる人格があるとすれば、それは常に美を目指しているのではないか。
C神=最も優れた個人説 (=偉人たち)
もしも転生が存在しているならば、偉人たちとは、キリスト教や仏教を自ら打ち立てて、
永遠に転生を続ける、自らの命を自覚して、生まれ変わるたびに事業を引き継ぎ、
失われた記憶を補い、怠ることなく、実人生で、現実の事業によって、
人類を救済しているのではないか

33 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 21:56:29
宗教を信じる人間なら相手にしないような駄弁だな>32
所詮はオナニースレだ
ばいなら

34 :厨房:2006/07/26(水) 22:19:31
>>33 レスをせずに、ひたすら書き込んでしまいすみませんでした。

>>2 デカルトがやってなかったっけ?
このレスですべて終わってしまったのではないかと驚きました。
信仰から自由な立場でということでは、どうでしょうか。

レスをつけたいのですが、眠いので寝ます。すみません。
  


35 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 23:14:51
これだけ書き込んでかすりもしない所がすごい

36 :一言居士:2006/07/26(水) 23:20:30
厨房さんへ
君の神は一神教の神のようだね。俺は一神教の神に疑問をいだいておりますが・・・
けど、君の仮説1−4についてコメントさせてもらいますよ。
1の仮説:有限の人間がどれだけ集っても全知全能・永遠にはならないよ。有限と無限は量的差異でなく質的差異である。
2の仮説:意味がよくわかりません。まるでヘーゲルの絶対精神と進歩主義ですな。
3の仮説:これもよくわかりません。これもヘーゲル的な発想ですねえ。
4の仮説:偉人は存在しますがね。偉人とて有限の存在。どんなに輪廻しても有限の存在であり続ける限り、永遠や全知全能には至らない。
ようするにあなたはヘーゲルっぽい思想をもってるんですねえ。ま、俺はヘーゲルについてあまり詳しくないんで間違ってたらすいません。

37 :厨房:2006/07/27(木) 19:47:32
>>2  れすども、1-2で、この擦れは終わってます。
>>11 それも、そですね。
>>12 忠告ども、感謝します。
>>13 ・・・ 
>>14 時間は、存在と共に生まれたかも?、最初の人は別格??

38 :厨房:2006/07/27(木) 19:48:06
>>15 自分として、最善を尽くして生きたいかなぁ・・・
>>16 自分が不要ってことになっちゃいそうですものね。
>>17 大人のレスありがとうございます。あこがれます。
   礼節、知識、冷静、知恵、教養を感じます。
   人は感謝を知り、徳を目指すべきだと改めて感じます。
>>18 神というものは、美=同意!

39 :厨房:2006/07/27(木) 19:48:48
>>19 OTZ
>>20 あげなくて良いです。はずかし〜
>>20 あげなくて良いです。
>>22 ども
>>24 忠告ども、やっぱりSF?、哲学じゃなさそ
   あと、長すぎたし、書き方が変でした。済みません。

40 :厨房:2006/07/27(木) 19:50:13
>>25 ふん!、どうせ子供だもん 
>>28 でも、善になることもできる。愛することも、
   感謝することも、幸せになることも、きっと、、、
>>29 >>12にご注意!
>>30 引用されると、はずかし〜、テープの声を聞いた気分utu
>>31 神っていうのは自発的に見出すもの=はげどう
>>33 反省してます。でも、すっきりした〜、ふぅ、、
>>35 しょせん、おこさまの知恵熱です。
>>36 親等もすごいとおもってます。東洋の盟主=日本

41 :厨房:2006/07/27(木) 19:54:51
@国家論 日本は東洋を開放し、豊かにした偉大な国
     尊敬され感謝されるべき、アジアの盟主にふさわしい
     忠患は、謝罪して反省し、日本にゆるされれば代償を払って属国になるべき
A人論  目指すべき人としての美とは、礼節、愛、知恵、感謝、優しさなど
     徳を積んで、現実の世界で幸せな人生をいきるべき

42 :厨房:2006/07/27(木) 19:58:28
B美について 自分にふさわしい相手と結婚すべき、定説は重要
       用紙も人格もに姿をさがせ、一体となり、共に自分をたかめるべき
       もっとも美しいのは、互いの組み合わせ、
C偉人について 結婚はまじ大事。本当の幸せ、これ真実。
        一日24時間働いて、残りの時間がないと考えるのは甘すぎ。
        一日に24時間働いて、24時間愛せます。

43 :厨房:2006/07/27(木) 20:00:32
スパイダーマンに感動しました。
それで、もしも、永遠の生まれ変わりに、人生をかけた、孤独なスーパーマンがいたら、
幸せになってほしくて、このすれを立てました。とどくといいな。

44 :一言居士:2006/07/27(木) 20:36:58
>>38
>>18のことは、神は美であるというつもりじゃなくって、抽象的な概念に似ているというつもりで書いたがです。美は抽象的な一例として挙げただけでがす。
>>40
どうして人間だけが「愛することができる」「善を為せる」「感謝できる」と思っているのでしょうか?あなたは「反哺の孝」という言葉を知らぬようですな。
烏は長じて親に恩返しするらしいですよ。上に挙げた行為が人間の特権かどうか疑ってください。あなたの発想は先入観かもしれませんよ。

ところで、神というのは「私は神である」と自称しないから神々しいのだと俺は思いまするが・・・

45 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 20:53:36
一旦ぬるぽ

46 :厨房:2006/07/28(金) 20:26:57
正直言って、僕が暴走できる限り暴走したつもりでした。
でも、結構、しょぼい意見だったとわかって、
ほっとした気持ちです。こんな変な考えを話せる場所があって
本当によかったです。

一言居士さま、貴重な意見をいろいろありがとうございます。
改めてみると、草木の美しさや、動物のかわいさに驚きました。
世界のすべてに神を見出し、いろいろな物質や、生き物に生かされて、
共に、同じ大切な時間を生きていると考える、汎神論や親等は、
本当に必要で、大事なものだと思います。

47 :一言居士:2006/07/28(金) 20:29:18
>>46
そうですか・・・どういたしまして。

48 :厨房:2006/07/28(金) 20:29:53
  ( ・∀・)   | | ガッ
 と    )    | |
   Y /ノ    人
    / )    <  >__Λ∩
  _/し' //. V`Д´)/ ←>>45
 (_フ彡        /



49 :厨房:2006/07/28(金) 20:36:06
ども、以前は、ひっしすぎて返事もできずに、すみませんでした。

でも、理性で神を語った人って、結構たくさんいるみたいですね。
このすれを立てる前に、キルケゴールという人を知って、
読んでいたはずなのに、そこにも「調停神学」というのがでていました。
http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/


50 :厨房:2006/07/28(金) 20:42:08
でも、一生懸命に生きてる人って、どうしてこんなに苦しんだろ。
あるすれの、大学生の神さまも、とても悩んでるみたいで、
とてもかわいそうです。僕では、なにを言っても力になれないし、
心配な、今日、このごろです。

51 :厨房:2006/07/28(金) 20:46:46
永年とか、宇宙とか、とっても怖いことだと感じます。
でも、そんな時間は、とても短くて、
しばらくすれば、すぐに忘れちゃってる。
朝起きたら、ワイシャツがはみでちゃってたりして、
つまらない日々。

52 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 20:47:23
厨房であることを盾にしなければ良い印象
これから頑張って勉学に励んで欲しい

53 :厨房:2006/07/28(金) 20:47:39
僕は、もはや、哲学版にいてはいけないような気がしてきました。

54 :厨房:2006/07/28(金) 20:50:41
>>53
どうも、ありがとうございます。
読み返すと、つっこみどころ満載です。
でも、書いている途中は、ぜんぜん気がつかなかった。
本当に、必死だったな〜、と思う不思議。

55 :厨房:2006/07/28(金) 20:52:05
>>53 =×
>>53 =○

ところで、こういう意見って、ありふれているんですか。
どこかに、似たような哲学って、あります。

56 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:01:23
似たようなのはあるけど哲学じゃないです

57 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 20:28:47
>>36 ようするにあなたはヘーゲルっぽい思想をもってるんですねえ。

レスありがとうございます。ヘーゲルについていろいろ調べてみましたが、
確かに、(ヘーゲルさんに失礼でなければ、)似ていると思います。
意味がよくわかりませんというコメントも含めて、とても参考になりました。
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/4695/theme/hegel_geschichte.html

ところで、これは、実を言うとヘーゲルではなくて、三味一帯改革についての仮説です。
けれども、政令のことなど、非常に難しいことが多いいですし、一生懸命信じていて、
大事にしている人もいるのに、変なことを言っては失礼ですし、
僕は間違いや誤解も多いので、はっきりとその話だとは、書きたくなかったのです。
@とCとA、そしてBは1950年(ダビンチコードのイメージです。)

それと、いろいろな人が見る可能性のある掲示板なのに、
最初のほうで、信仰という判断停止、とか、否定的なことばかり書いてしまって、
本当に失礼しました。(正統派の方々のことは深く尊敬していますし、
さまざまな学問や政治や経済上の成果に感謝しています。)
気分を害された方には、深くお詫びをいたします。すみませんでした。

58 :1:2006/07/29(土) 20:31:08
>>50
それと、よその擦れのことを書くのはルール違反でした。
本当にすみませんでした。
もう、このすれで、別の擦れの話はしませんので、
ご安心ください。すみませんでした。m(__)m



59 :1:2006/07/29(土) 20:50:03
>>18
俺が思うに神というものは、美に似ているのではないか?

この意見も、大変面白いです。美のイデアと同じような形で、
神性のイデアというものがあるというイメージでよろしいでしょうか。

確かに、人は、いつでも気高く高貴でいられるわけではありません。
立派な人でも、病気になったり、トイレに行ったり、間違ったり、
誤解したりすることがあると思います。
それでも、人は、偉大な事業を成し遂げたり、新しい学問を作ったりしています。
そして、小さなやさしさや、必死の努力や、恋愛や、たとえわずかな時間でも
輝く時間のひとつひとつが人生を救ったり、支えたりすることもあると思います。

>>44
このレスは本当に参考になりました。汎神論
ところで、神というのは「私は神である」と自称しないから神々しいのだと俺は思いまするが・・・

>>31
神はいても神の意思はない。神は人格をもたないからだ。
このレスには疑問があります。多くの学者たちが信仰を告白していますが、
彼らが、もしも、信仰について社会に妥協して嘘をついていると考えるなら、
すべての学問の信頼性が、根底から崩れ去ってしまいそうな怖さを
感じませんか。
それでも、やはり、彼らが信じるに足る、なにかが存在すると
少なくとも、理性によってくらいは、考えたくなりませんか。


60 :1:2006/07/29(土) 21:10:43
>>44
ところで、神というのは「私は神である」と自称しないから神々しいのだと俺は思いまするが・・・

確かに必要もないのに、自称するのは間違っていると思います。
ところで、その人が、従事課にかかったことを、人は愛と呼んでいます。
しかし、どうして従事課が愛なのでしょうか。
僕は、犠牲になったり、犠牲にしたりすることが、愛だとは、どうしても
納得できません。人の愛は、もっとやさしくて自由ですばらしいはずです。
ここで、暴走ついでに、もうひとつ暴走の仮説を提案してみます。

その人が、従事課にかかった理由はなんでしょうか。
それは自分が神であることを否定しなかったからだとされています。
なぜ、拒絶しなかったのでしょうか。そして、その罪名を通して、
どうして人々の前に、そのことを示したのでしょうか。

(ちょっとお休み)
ところで、スパイダーマン2では、スパイダーマンが愛する人に、
自分の正体を明かして、自分のすべてを知ってもらって理解してもらってから、
ようやく好きな人と一緒になって、愛し合うことができたようです。

果たして、自分を偽ったり、隠したままで、愛が成立するでしょうか。
偽者の名前で、愛してもらっても、その愛は偽者ではないでしょうか。
ですから、従事課で重要なのは、犠牲になることではなくて、
必要であり、わかる必要がある人に、名前を打ち明けたことが、
重要なのではないでしょうか。(これは仮説です。)



61 :1:2006/07/29(土) 21:23:24
>>57=1 です。

正統派の宗教を信じている方に対してまで、失礼な書き方をしてしまったことを
深くお詫びしています。本当に、すみませんでした。

ただ、僕の立場は、理性によって神を語るという立場です。
そして、もしも、その人がいるなら、本当の自分として生きて、
自由に、幸せになってほしい。
そして、結婚相手だけには、自分を打ち明けて、結婚して幸せに
なってほしいと願う立場です。



62 :1:2006/07/29(土) 21:30:38
>>44
どうして人間だけが「愛することができる」「善を為せる」「感謝できる」と思っているのでしょうか?あなたは「反哺の孝」という言葉を知らぬようですな。
烏は長じて親に恩返しするらしいですよ。上に挙げた行為が人間の特権かどうか疑ってください。あなたの発想は先入観かもしれませんよ。

このレスには、本当に感動しました。ありがとうございます。
やはり、世界は、日本の助けなしには、まわっていかないでしょうね。
汎神論や新党が、日本人の心に深く、確かに根付いており、
多くの日本人の魂の本音であることを実感しました。


63 :1:2006/07/29(土) 21:40:56
>>31
神はいても神の意思はない。神は人格をもたないからだ。

これについて事故解決しました。よく読まずに済みませんでした。
一言居士さまのご意見は、存在否定ではありませんでした。
誤解してすみませんでした。

64 :1:2006/07/30(日) 11:14:11
>>1
「理性によって、神を説明しようとした試みはほとんどありません。」
というのは、間違いでした。
「理性によって、神を説明することは、哲学にとっても、
大きな課題となってきたようです。」と訂正します。



65 :1:2006/07/30(日) 11:29:53
>>31
けど君の仮説2と4は君が憎む新興宗教家が利用しそうだね。

そうですか。それなら、この擦れは削除依頼した方がよいと思います。

ソクラテスについて書かれたホームページによれば、「正しい知識を得て、
正しい行いをすることが、徳を手に入れることになります。
そうすることが、人間にとって幸福なことである。【知行合一】【福徳一致】【知徳一致】」
ということを、ソクラテスが説いていたそうです。

ソース
http://philos.fc2web.com/socrates/whatsoc.html

妄想や、間違った知識にとらわれていれば、不幸になって、誤った人生を
歩むことになりますし、その間違った道を理性でまっすぐにするのが、
哲学なのではないかと思います。

私は、オカルトじみた変な考え方ではなくて、理性によって生きたいと
考えています。


66 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 11:38:00
ホント、おこちゃまw

67 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 14:49:46
>66ホント、おこちゃまw
理を求める純粋な心を貶すバカになるな、

68 :一言居士:2006/07/30(日) 14:59:48
>>65
削除依頼は大げさだよ。単にそう思ったから言っただけだよ。

69 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 15:08:55
>「正しい知識を得て、正しい行いをすることが、徳を手にいれることになります」
確かに、その通りですが正しい知識を如何にして得るのか?と言う肝心な事が抜けていませんか?
そして集める知識を如何にして正しいか、正しく無いのかを判断する術は何でしょうか?
その答えは理に通ずる心を育てること、物事の理を悟ることで全て賄われます。
勿論、諸事に動じず理性を持って人生を至福の時として送ることも、

70 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 15:17:47
宗教上の神は人の無知に依って必然的に産まれたもので俺俺詐欺と大差は有りません。
騙す罪と騙される罪を考慮すれば憎むに値するものでも有りませんね。


71 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 17:27:36
チンポを語るには、おまいら定脳すぎる。
VIPには無限の力がある、まず行動するんだ、結果?
そんなもの聞いたこと無い。

72 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 17:40:28
意識上、000の下部構造が規定する上部構造が神を生む==唯物論

73 :1:2006/07/31(月) 22:49:02
>>32
「信仰という判断停止」という言葉は、取り消して謝罪します。
大変申し訳ございませんでした。
私は、正当な信仰が、学問や芸術や文化などの多くの価値のあるものを、
たくさん生み出してきたことを認めて、深く尊敬して感謝します。




74 :1:2006/07/31(月) 22:53:36
ところで、国家の定義を調べてみたのですが、
国家とは、領土、国民、権力の3つからなるそうです。

つまり、国家とは、国民(人々)を含む概念ということになります。
そして、イエスが祈っていたのは、多人種国家の神でなくて、
単一民族の神です。

民族のことを、人類の進化の枝であり、ひとつの進化の単位であり、
生命の存続の単位であると考えるなら、
民族国家のことが、神なのかもしれません。



75 :1:2006/07/31(月) 22:54:46
もしも、単一民族の国家が創造者としての条件を満たすなら、
そのような国家は、創造者であり、永遠であり、全知全能を満たす可能性が
あるのかもしれません。




76 :1:2006/07/31(月) 22:57:31
>>30

俺は、適応は生物の基本と思っているから、人であろうが蟻であろうが鯨、象であろうが、
各々が極めて特殊な集団だと考えている。即ち、生命の一つ一つが極めて特殊である、
というのが俺の意見だ。

しかし、この意見もきわめて重要です。
人間だけが進化しているわけではありませんし、ひとつの人種だけが進化している
わけでもありません。




77 :1:2006/07/31(月) 23:03:48
進化や創造が、特定の人物や、人種や、動物や、植物を
超えて働くことからも、
仮説Aの変わりに、進化の息吹や、創造の力、政令と考えることも
できるかもしれません。

そして以前の仮説Aは、仮説@に吸収されますから
数もそろいます。



78 :1:2006/07/31(月) 23:09:01
しかし、万物に神を見出し、共に生きる。
この汎神論や親等に落ち着きを見出すこともまた事実。

理性によってこそ、人は、多くの知恵を見出すのかもしれません。
しかし、正しく使わなければ、とても危険なのかもしれません。

>>60
確かに、その通りですが正しい知識を如何にして得るのか?と言う肝心な事が抜けていませんか?
そして集める知識を如何にして正しいか、正しく無いのかを判断する術は何でしょうか?
その答えは理に通ずる心を育てること、物事の理を悟ることで全て賄われます。
勿論、諸事に動じず理性を持って人生を至福の時として送ることも、

この意見を参考にすれば、もはや一人で考えるよりも、カソリックに
行ったほうがいいのかもしれません。






79 :1:2006/07/31(月) 23:10:00
一人ではないですね。
失礼しました。


80 :1:2006/08/01(火) 20:57:51
きわめて重大なことに気がつきました。

( ̄^ ̄)< A⇒B が成り立つとき BはAであるための必要条件。
      神⇒創造者、全知全能、永遠の存在

      創造者、全知全能、永遠の存在は必要十分ではないから
      創造者、全知全能、永遠の存在⇒神 は成り立たない。



81 :1:2006/08/01(火) 21:01:31
読みが浅かった。
残念。


82 :1:2006/08/01(火) 21:41:09
とりあえず。まとめて見ます。

・神=創造者、全知全能、永遠の存在といわれている。
   多くの学者や政治家たちが、信仰によって様々な価値あるものを生み出している。

このスレは、
・神を理性で語るために、厨房が7月25日21時台に建てたスレ。
・厨房は、創造者、全知全能、永遠の存在を満たすものが神と考えて証明を試みたが、
 論理的に間違っていることが判明した。

このスレにより
・汎神論や親等の価値を認識し、これにより、落ち着きを見出すことを確認した。
・妄想や、間違った知識にとらわれると、不幸になって、誤った人生を歩むため
 理性や哲学によって、正しい道に立ち返ることが必要であることを再確認する。
・正しい知識を得て、正しい行いをすることが人間の幸福であると再確認する。
・なお、正しい知識を得て。正しい判断をするためには、
 理に通ずる心を育てること、物事の理を悟ることが必要だと学ぶ。
・さらに、正当な信仰が学問や文化や芸術を生み出していることを認めて、
 感謝と尊敬の念を感じた。
・神を見出すには、信仰によるほかないのかもしれないと考えカトリックにも関心をもつ。
 しかし、汎神論や親等にも、深い哲学を見出している。
・また、哲学を語るには、言葉を厳密に使わなければならないこと、
 世界に対しては、深い敬意を持って、語らなければいけないことを悟る。

このスレでは、@間違った州境を滅ぼすこと、神を語ること、偉人たちの幸福を目指していた。
厨房は神について、@国家(民族国家?)、A創造の力、B歴史に現れる偉人達ではないかと考えた。
しかし
@については、逆効果との意見がある。
A後者についても論理的に破綻した。
Bについては不明である。


83 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:49:39
オイ厨房!頼むからそのまま凝り固まって老人になるなよ!?

84 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:40:03
>>83 おk 
こういうときには、仮説を立てて検証すればよいことが判明しました。
とりあえず。まとめを訂正します。

このスレは、
・神を理性で語るために、厨房が7月25日21時台に建てたスレ。
・厨房は、創造者、全知全能、永遠の存在を満たすものが神と考えて
 神とは、民族(民族国家?)、偉人たち、創造の力ではないかと考えた。
 これについて、仮説を立てて検証しようと考えている。
・なお、この擦れでは、一神教の神には人気がない。

このスレにより
・汎神論や親等の価値を認識し、これにより、落ち着きを見出すことを確認した。
・妄想や、間違った知識にとらわれると、不幸になって、誤った人生を歩むため
 思い込みを捨てて、正しい道に立ち返ることが必要であることを認識した。
・正しい知識を得て、正しい行いをすることが人間の幸福であると認識した。
・なお、正しい知識を得て。正しい判断をするためには、
 理に通ずる心を育てること、物事の理を悟ることが必要だと学んだ。
・さらに、正当な信仰が学問や文化や芸術を生み出していることを認めて、
 感謝と尊敬の念を感じた。
・神を見出すには、正当な信仰によるほかないのかもしれないと考えカトリックにも関心をもつ。
 しかし、汎神論や親等にも、深い哲学を見出している。
・また、哲学を語るには、言葉を厳密に使わなければならないこと、
 世界に対しては、深い敬意を持って、語らなければいけないことを悟る。

このスレでは、@間違った州境を滅ぼすこと、A神を語ること、B偉人たちの幸福を目指している。

85 :1:2006/08/02(水) 20:41:08
>>84=1

sage

86 :1:2006/08/02(水) 21:03:04
ある民族が、他民族を征服して、土地を得たとしても、
他民族を包含することはできません。
ですから、一神教の神を信じるということは、自分の民族を
裏切るということになります。

しかし、ここでは、ちちという言葉が使われています。
父親は、当然ですが自分と同じ民族です。

ですから、ここではちちという言葉で、一神教としてのまとまりを
保ちながら、それでも、各民族が自分の民族を神として信じる
ことができるという、構造があるのかもしれません。



87 :1:2006/08/02(水) 21:06:49
父親という言葉によって、それぞれの民族が、
自分の民族という、人類の進化の枝であり、ひとつの進化の単位である
ものに願いをかけて、その民族の生命の存続を願うことが可能に
なっていると考えるなら、これは単純な一神教を超えているのかもしれません。

これによって、民族国家を作ることができなくても、あるいは他国にいながら、
自分の民族を信じることができるのかもしれません

88 :1:2006/08/02(水) 21:17:05
しかし汎神論では、人間だけでなく、動物や植物や物質にさえも、
それぞれ神が宿っていると考えています。
そして、それらのすべてと調和しながら、自分の種族の存続を願って
います。
ですから、このすれでも非常に人気の高いですし、
落ち着きを感じますし、優れた思想だと思います。


89 :1:2006/08/02(水) 21:20:10
そして、民族の象徴が極めて重要であることを再認識します。


90 :1:2006/08/02(水) 21:26:27
それぞれの民族が、種の存続を願って、祈るものが、
宗教であり、その祈る先には、個人を超えた、民族が
あるのかもしれません。



91 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 01:17:27
神=それよりも大きいものが考えられないもの。

神が考えられているだけで存在しないものとしたら、神の定義に矛盾する。


92 ::2006/08/03(木) 20:29:07
仮説@民族=紙は成り立つか

民族は、人類の進化の枝であり、進化の単位であり、生命の存続の単位である。
そして、その存在が創造までさかのぼる事から、創造者という条件を満たす。
さらに、各民族は、自らの民族の永遠の生存を願って努力している。
また、各民族は、「その種として知りうる善のすべてを知る。」=全知、および、
「その種としてなしうる善のすべてをなす。」=全能を目指している。(仮説)

検証
@K教(一神教)
父(=それぞれの親=それぞれの民族)という言葉により、ある程度の
まとまりを保ちながら、各民族が、それぞれの民族の存続と発展を
願うことを可能としている。

A新党(汎神論)
民族、動物、植物、物質などあらゆる種族を尊重して、紙を見出し、
それらの全てと調和を目指す。
また、民族の象徴をいただいている。



93 ::2006/08/03(木) 20:33:58
このように考えると、他国を属国にすることは、自民族による国家という
重要な意義を損なう可能性があり、また、全存在との調和を目指す立場と
矛盾するかのうせいがあるので、
「忠患は、謝罪して反省し、日本にゆるされれば代償を払って属国になるべき」
という意見は取り消して、謝罪します。すみませんでした。

さらに、新興州境および、新興州境家は、間違った州境および間違った州境家
に訂正して、謝罪します。すみませんでした。


94 :1:2006/08/03(木) 20:44:05
>>14
つぎに、紙=歴史的に現れる偉人たちを検証するに当たって、決定的に重要な意見があります。
それが、『在った者、在る者、在るであろう者』これが神を理性で語る仕方である。
という意見です。

このすれを立てる前まで、私は最初に提示した、4つの間違えた思い込みを抱えていました。
その原因の大きなもののひとつに、永遠に対する恐怖があります。人は恐怖によって妄想を
抱いて、過ちを抱えて、人生を損なうのかもしれません。

そして人は、何に対して恐怖を感じるでしょうか。それは幽霊や、亡霊といった
存在しないものに対してです。しかし人は大人になると、幽霊や亡霊がいないことが
わかりますから、そのようなものに恐怖を感じることはありません。

つまり、恐怖を感じるということ自体が、その認識が誤っている可能性を
示しているのではないでしょうか。

このように考えるならば、時間とは、そもそも存在しない錯覚なのかもしれません。
たとえば、ビッグバンにより存在が膨らんだり、縮んだりしており、
>>15 さんのいう、「「前」という方向」があるだけなのかもしれません。
時間は錯覚であり、複雑かつ緻密になる方向で、全体が進化している
だけなのかもしれません。


95 :1:2006/08/03(木) 20:50:45
時間が存在しておらず、現在だけしかなく、ただ物質が変化しているだけだと
考えるならば、世界はまったく違った姿に見えてきます。

全ての過去の存在は、過ぎ去っているのではなく、物質が過ぎ去っている
だけだということになります。
そして過ぎ去っていく物質の中で、変わらずに存在し続けている
ものとして、魂があるのかもしれません。
そのように考えると、肉体が滅んでも、魂は不滅という意味が明らかに
なってきます。


96 :1:2006/08/03(木) 20:56:38
まるで天動説と地動説のコペルニクス的な大転換ですね。

そう考えると、各民族が、それぞれに人間の力を超えた良くも悪くもぬきんでたもの
を生み出していたり、
特別な魂が、各民族の間を渡って、各民族を発展や進化させているのではなくて、
魂は先にあって、一定の方向で、物質全体のあり方を変化させている
というべきなのかもしれません。


97 :1:2006/08/03(木) 21:11:37
仮説A歴史に現れる偉人たち=紙が成り立つか。

魂が、物質に先立つものであり、魂が物質の存在の原因であると考えるなら、
世界の中心にあって、世界を創造したものは、当然に魂ということになります。
そのような魂として、歴史に現れる偉人たちを提案してみます。

検証
@K教(一神教)
子なる神は万物に先立って生まれており、被造物ではない。
とされている。

A新党(汎神論)
イザ○キ・イザ○ミは、葦原○国に降り、結婚して、大○洲と呼ばれる
日○列島を形成する島々を次々と生み出していった。



98 :1:2006/08/03(木) 21:29:54
>>95
「物質が過ぎ去っている」のではなく、物質は、魂という第一要因によって
一定の方向で変化しているに訂正です。

B創造の力=紙は成り立つか。
創造の力は、魂という第一要因によって物質全体に働く一定の力であり、
この力により、一見すると、見かけ上、世界全体に「時間」があるかのように見える。

@K教(一神教)
聖霊もまた被造物ではない。


A新党(汎神論)
つかれたので寝ます。



99 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 23:19:32
ガンガレ

100 :1:2006/08/04(金) 22:15:50
>>99 どもです。

ところで、>>72さんの、意識上、000の下部構造が規定する上部構造が神を生む==唯物論
についてですが、確かに、肉体なしに意識は存在しません。

ここでまず、物質について考えて見ます。
宇宙に存在する物質の元素は、簡単なものから複雑なものへ変化したといわれています。

その進化は、星の生命によるそうです。ガスから星が生まれて、星の生命の中で、
物質は複雑な元素に化学反応していくそうです。そして最後に、光を発して爆発して、
死んでガスに帰るといわれています。
そして、星が生まれる前のガスよりも、星の死後のガスの方が、
元素が複雑になっているそうです。このようにして物質もまた進化を続けていると
言えるかもしれません。

そして、生命についてですが、生命は植物の中で、光によって、物質から有機物へと
変化する(=光合成)と言われているそうです。
生命の発生には、光が関与していることから、光には特別な意味があるのかもしれません。

いずれにしても、肉体がなければ意識はありません。意識は肉体によるものであり、
死によって失われますから、意識と魂は別のものだと考えられます。


101 :1:2006/08/04(金) 22:27:24
最後に、無原罪のマ○アを考えるにあたって、原罪について考えて見ます。
原罪とは、神の命令に背くことだと言われています。

ところで、>>28 さんによれば
君は人間が進化の最高形態と思っているようだが、ちがうよ。
「完成度の低い、残忍で、みじめな生き物」は恐竜でなくて人間だよ。
人間の歴史をみれば俺のいうことは一目瞭然だよ。

ということですが、これは、恐竜の脳よりも人間の脳の方が進化しており、
恐竜の意識に比べて、人間の意識のほうが自由度が高いことを否定した
ものではなくて、自由度が高いことによって、より悪くなる可能性があるという、
可能性の問題だと思います。

自由度が高くなれば、善(=神の命令)に反する可能性も拡がっていくのかも
しません。



102 :1:2006/08/04(金) 23:06:28
しかし、意識によって、善を成す可能性が拡がっていることもまた事実です。
私は、進化とは、善をなすために継続しているものだと考えています。

しかしながら、人は、善をなすことも、悪をなすこともできます。
そして、この善悪をどのようにして判断すればいいのでしょうか。
清書によれば、原罪とは、善悪の知識を得ることと言われています。
これによって、人は、主なる神との親しい交わりを失い、永遠の生命を失い、
自然との完全の調和も失った。と言われているそうです。

それでは人は、知識によらずに何によって善悪を判定すればいいの
でしょうか。それは、親しい神との交わりによることとされているそうです。

こうして考えていくと、人が善悪を判断するには、知識によらずに、
与えられたこの高度な意識によって、一つ一つ、自分自身で仮説を立てて、
検証しなければならない、ということなのかもしれません。

ところで、人類は、歴史の中のさまざまな経験を通して、多くの知識を獲得してきました。
個人の意識は死によって失われますから、知識を活用することなしに
全部自分で判断することは現実的ではありませんし、そんなことをしても無意味です。

ここでは、善悪の判断だけは、経験によって生み出された知識によって
判断してはならないということを言っているのかもしれません。

しかし、人はどのようにして、善悪を判断すればいいのでしょうか。
この意識は、確かに機能的には高度です。
しかし、意識の機能は、さまざまな仮説を提示したり、その仮説を
検証する手段に過ぎません。

ですから、意識の機能では、仮説を立てたり、検証することしか
できず、善悪は魂(=政令)の領域であると考えられます。
そして、意識により、魂(=政令)と親しい交流を行うことによって、
善悪を判断することができるのかもしれません。

103 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:27:26
聖霊は魂じゃないぞ

104 :1:2006/08/05(土) 18:52:47
>>103 聖霊は魂じゃないぞ どもです。

適切な突っ込み、本当にありがとうございます。致命的な間違いです。
魂(=政令)は、(=政令)を削除して、魂に訂正します。

ここで、私は、改めて、間違った思い込みが、とても危険だと気がつきました。
そして、このような間違った思い込みに気がつくには、恐怖や焦りの感覚を
参考にすることもできますが、自分では気がつけないこともあると思います。

だから、善い友達を作って、善いことを話し合うことが、とても大事ですし、
意見が食い違ったときには、話をよく聞いて、知識の不足を補って、自分に
間違った思い込みがないかどうかを考えて、魂と相談するべきだと思います。

ですから、魂との交流とは、自分ひとりで善いことを考えるということではなくて、
他の善い人と、善い交流をすることでもあると思います。




105 :1:2006/08/05(土) 19:00:00
ところで、魂を語るにあたっては、
>>91 さんの、神=それよりも大きいものが考えられないもの。 という意見が
極めて重要な意見です。
私は現在とは、時間ではなくて、大きさの概念だと創造します。そしてそれは、
宇宙と同じ大きさだと思います。そして、そう考えるなら、魂とは宇宙と同じ大きさ
なのだと思います。

世界に一つきりの、万物に共通した魂が充満していると考えれば、生まれ変わるときの
魂の移動の問題を考えずにすみます。

しかし、魂が共通なら、どうして、人には個性があるのでしょうか。私は、
人に個性があるのは、物質によるものだと思います。つまり、そのような形に生まれたから、
魂が、そういう形によって、機能を発揮しているということなのだと思います。

ですから、個性とは形に依存するものなのだと思います。そして生まれ変わりとは、
魂の生まれ変わりではなくて、外見(遺伝子?)がほとんど同じ形のものが、何度も
生まれ変わっているということなのだと思います。

 また、魂がそれぞれ別のものではなくて、万物に共通の、一つのものだからこそ、
イエスは、世界のすべてを救おうと志したのだと思います。
 そして人間が、他人や、互いの魂を救うことは、自分の魂を救うことでも
あるのだと思います。



106 :1:2006/08/05(土) 19:12:43
ところで、>>101 についてですが
自由度が高いことによって、「より悪くなる可能性があるという、
可能性の問題だと思います。」は、「より悪くなっているという
ご意見だと思います。」に訂正します。(間違った思い込みで、すみません。)

確かに、人間の歴史は残酷です。しかし私は進化そのものには、罪がないと思っています。
そして、きっと、それが、無原罪のマリアということだと思います。
マリアは被造物でありながら、聖霊によって、神の母になったとされています。

魂が物質を生み出すことについては、マリアが処女であることからも、おそらくは、
最初の物質の創造時から、女性や女性的な側面が、聖霊によって物質の創造や進化に
関与しているのだと思います。そして、その創造と進化について、無原罪という
ことなのだと思います。

このように、たとえ人間が惨めになったとしても、それは進化の責任ではないと思います。
そして、たとえ劣った形で生まれても、大切な一つきりの存在であることは確かなのですから、
それを言い訳にして、惨めになるのは、自分自身を放棄することであり、酷いことだと思います。
生まれたきた自分の人生を、幸せに生きるのは、自分自身の責任なのだと思います。
創造や進化に責任を問うのは、大間違いで、酷いことだと思います。

そして、マリアは、肉体と霊魂を伴って天国に昇天したと言われています。
これは、人間が肉体を持ちながら、神と交流して、善として生きて、
無原罪で生きていく可能性を願った、願いなのかもしれません。


107 :1:2006/08/05(土) 19:21:21
 しかし、マリアには、聖母マリアだけでなく、マグダラのマリアもいます。
私は母とは、子供である人類から見た姿であり、きっとイエスから見れば
妻であると創造しています。
 これは、私の想像であり、願いです。私は、イエスとマグダラのマリアが
結婚して幸せになってほしいと願っています。

 このことは、魂による、人間への進化の是認をも意味していると思います。
そして、魂が肉体を愛すること自体が、とても重要なことだと思います。

 人間でありながら、人間であることに絶望していては、不幸になるしかないと
思うからです。人間が人間に進化したことに、人間が人間であることに、
感謝して、善をなして、愛することは、とても大事なことだと思います。

 そして、もちろんいじめはすべて駄目ですが、女性をいじめることは、
とても酷いことですし、決して許してはいけないことだと思います。

 きっと、男なら、誰でも、自分のすべてをささげる女性を求めていると思います。
きっと、この世界には、自分の似姿であり、自分にふさわしい、人格も姿かたちも
自分と同様の、単細胞生物が分裂した相方のような、女の人がいて、
愛されるのを待っているのだと思います。
 私は、自分にふさわしい姿かたちと、人格を持った、自分の本当に愛する女性と
心から、魂をこめて、愛し合って生きることが、とても大事なことだと思います。


108 :1:2006/08/05(土) 19:37:43
仮説C 無原罪のマリア=神格はなりたつか。
創造や進化そのもには、罪はない。
進化によって、自由度が増えたのは、善をなす自由の拡大を意図したものである。
人間は、自分として生まれたことについて、創造者に責任を問うてはならない。
自分自身として、精一杯の善をなして、善く生きて、幸せになることが大事である。

○キリスト教(=k教=キリスト教のカトリック)
カトリックの信仰では、聖母マリアは聖霊によってイエス・キリストを懐胎し、
人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国に昇天したと信じられている。
カトリック教会にはイエス・キリスト同様マリアもアダムの罪(原罪)から保護
されたという信仰がある。







109 :1:2006/08/05(土) 19:43:25
人間が人間として、自分が自分として生まれたことを認めて、肯定して、
感謝して、善を成して、愛することが、大事なことであり、幸せだと思います。

間違った思い込みや、勘違いを捨てて、善い人と、善い友達になって、
そして自分が本当に愛する、自分と人格も姿かたちも似た人と結婚して
互いの魂と相談して、自分の魂に照らして、善く考えて、善く生きる
ことが大事だと思います。

以上です。

110 :1:2006/08/05(土) 19:55:31
1です。
たびたび、すみません。追加です。
>>107 の「そして、もちろんいじめはすべて駄目ですが、女性をいじめることは、
とても酷いことですし、決して許してはいけないことだと思います。 」
についてですが、僕はいじめは、どんないじめでも絶対にだめだと思います。
決して、いじめを許してはいけないと思います。


111 :1:2006/08/06(日) 21:02:14
しつこくてすみません。1です。なんだか、違うみたいです。
哲学は大変ですね。(哲学といえればの話ですが・・・)

>>19 ユニテリアンですな の意見に対して、以前は失礼な態度をとって
しまい、すみませんでした。
本当に、博識な方なのに、よく調べもせずにすみませんでした。

ユニテリアン主義とは、歴史的定義としては、キリスト教で伝統的に用いられてきた
三位一体(父と子と聖霊)の思想を否定し、神の唯一性を信じる主義のことをいう。

までしか読んでませんでした。しかし、その後に、

ユニテリアンはかつては自由思想家や非国教徒として位置付けられ、また合理主義や
ヒューマニズムの思想を生み出していったと考えられている。
と書いてありますから、本当に、私が1で書いたことにぴったりでした。


112 :1:2006/08/06(日) 21:04:09
ヨ○ネを読み直してみましたが、
まったく合いませんでした。

あえて言えば、魂を父ということにすれば筋が通りますが、
分けて考える意味がありません。それに、政令についても
よくわかりません。


113 :1:2006/08/06(日) 21:08:01
それに、民族を重視しましたが、人類存続の単位と考えるには、
小さすぎるような気がします。

それに、ユニテリアンのヒューマニズム(人道主義、博愛主義)
も重要な思想のひとつのような気もします。

114 :1:2006/08/06(日) 21:22:21
>>27 についても、用紙の問題じゃなくて善悪の問題だと思います。
>>40 東洋の盟主=日本 についても私にはわかりませんし、
>>41 尊敬され感謝されるべき、アジアの盟主にふさわしい についても
   私にはわからないし、理性的でないので、削除します。

115 :1:2006/08/06(日) 21:26:24
それと、>>57 でいきなり、キ○スト教のことを想定したものだと言って
しまって、すみませんでした。こういうのはだめだと思います。

最初は、ここまで、書くつもりはなかったのですが、結局書いてしまったのですから、
本当にすみませんでした。


116 :1:2006/08/06(日) 21:37:47
一生懸命に書いてみましたが、
>>108 についても、 ○キリスト教(=k教=キリスト教のカトリック)は、
キリ○ト教(=K教)に訂正します。すみませんでした。

なお、この文章は、キ○スト教の進行に基づくものではありませんし、
勝手な推測であり、仮説ですので、誤解しないように、ご注意ください。
勝手な文章を書いてしまってすみませんでした。

ご迷惑でしたら、削除依頼していただいて結構です。


117 :考える名無しさん:2006/08/06(日) 22:36:47
面白いからそのまま池

118 :1:2006/08/07(月) 00:08:27
いやだよ〜ん。
もう、足洗うから。

物質と魂は同格だし、一人じゃないし。

永遠にさよなら。じゃあね!

119 :考える名無しさん:2006/08/11(金) 07:08:56
人間の持つしがらみと言う檻から抜け出たものを神とするなら、それは記憶のみを行う者としたい。
この時間は全てのしがらみから解き放たれる。人も神になれるとしたい。
記憶する視野が広ければ広いほどより高い神としたい。
↑の決め付けから行けば、神は無力だがそれを信仰する者には絶対的な救いをもたらすだろう。
この神がなんで記憶を行っているかに付いては、しっかりした理由を持ってない。
全てを愛(肯定)するために、記憶を行っているとしたい。

120 :1:2006/08/13(日) 00:11:14
私は深く考えた。そして私は、宗教は、すべて洗脳なのだと考えた。
私は、キリスト教の目的はおよそ以下のようなものだと思う。

@絶対的な権威の発生を防ぐことで、人間の残虐性を抑える
当時のローマ世界では、神の子を名乗って暴虐の限りを尽くす者が多かった。
人間は弱く残忍な性質なので、個人に神という絶対的な権威を与えると、とめる者が
いなくなって、残虐性に歯止めが利かなくなる。これを止める必要があった。
このように個人が、神を名乗ることを禁止するために、絶対不可能な奇跡物語や、
十字架についた神を示すことによって、神を名乗る暴君の出現を防いだ。

A犠牲を美化することで、人間を働かせる。
イエスが身をもって、犠牲になり、犠牲を美化することで人間を働かせる。
犠牲を美化することで、無知な人間を洗脳するだけでなく、優秀な人間も
洗脳して、自己犠牲をさせる。
自発的な自己実現でなくて、自己犠牲という点が人間性に反する。
しかし、混乱と無知蒙昧に満ち、ともすれば原始時代に帰ろうとする
人類を救済して、文明化するには、こうするしか方法がなかったのかもしれない。

B人間の判断力の成熟を待つ。
人間は、世間の評価に弱い。世間で権威とされていれば無条件に従う弱さがある。
弱い人間は、神の存在を信じて、権威のいうがままに、操られて、憎んだり、
戦かったり、傲慢になったり、洗脳され、ひどい罪を犯す。
この様な、判断力の弱い人間を、暴力から保護し、判断力の成熟を待つ
ために、犠牲になる神という概念で、人類を洗脳したのではないか。

121 :1:2006/08/13(日) 00:20:28
私は、人類には、偉大な人間がいると信じている。彼らは聖書に書かれる歴史を振り返り、
生まれ変わるたびに、深く考えて、人類を救済する計画を立てたのだと思う。

たとえば、キリスト教は、イエスとパプテスマのヨハネと組んで、自らが犠牲となって、
上記のような目的から、苦渋の決断をして、作り上げた宗教なのだのだと思う。

ただし、キリスト教は、人類が成熟して、神や権力の権威から自由になり、
個人としての判断を見失わず、洗脳されなくなったときに、賞味期限が
きれて、救済が完了するのだと思う。

救済が完了すれば、もはや洗脳によらずに、自らの力で反省して、自分で
働いて、考えて生きるようになると考えたのだと思う。

彼らはおよそ、以下の目的を持っていたのだろうと思う。
@残虐性を抑えて、反省して、自分からやさしく人間らしく生きる。
A世界の一員として、世界のために自発的に自分で働いて生きる。
B権威や、権力や、世間に負けずに、自分で考えて生きる。

そして私は、おそらく、救済は終わったのだと考える。

122 :1:2006/08/13(日) 00:27:14
>>119
あえて、119に答えれば、私は、人間は、手足やちんぽがあるのだから
記憶するだけじゃなくて、人間社会の中で生きた方が楽しいと思う。
結婚して、家族を持って、社会の一員として、自分で働いて、人間らしく
いきるべきだと思います。

記憶するだけなら、人間である必要はないと思います。
原生動物か、パソコン程度の存在でしかないし、そんな存在を
神とするのは間違っていると思います。

私は、救済が完了したのだから、イエスやパプテスマのヨハネや
使徒(天使)たちは、集まって、苦労話でもするんじゃないかと
思います。

123 :1:2006/08/13(日) 00:34:47
私は、偉大な人物の存在を信じて、自由と幸せを願う。

人間として生まれて、地上に人間を満たして、
これだけの事業を成し遂げた、尊敬すべき、存在だと思う。

イエスは、おそらく使徒に命じたりして、神を名乗るものの出現を禁止する
ために奇跡物語を語らせたのではないかと思う。

イエスは、イエスを神というペテロを前にして、悪魔がいるといったが、
それはそういう意味だったのかもしれない。

しかし、イエスが復活しても、人間が自分から残虐性を抑えて、
自分から働いて、自分で考えるようになっていれば、ヨハネのような
最後の審判をすることはないと思う。
あえていえば、第二次世界大戦が最後の審判だったのではないかと思う。


124 :1:2006/08/13(日) 00:37:18
さよなら。じゃあね。


125 :考える名無しさん:2006/08/13(日) 17:43:50
 我々は個性的だ、それ故に、人間的に生きているというだけでなく、他の個性がある。
様々な思いがありながらも、個人と個人が手を取り合って、全ての人は集合しているのだ。
 個性があるだけに、他の個人がいる。同様に、集団が作られると、その集団性があるだ
けに、他の集団が作られるのである。或る集団は同属である。従って、異なる所属が考え
られる。
 我々は共通の意識を持っている。集団がいくつかあろうとも、共通の連帯感がもってい
る。同属意識が神話になる。同属集団がある、つまり、異民族だけれども、共通の目的を
もち、伴に過ごしていけるのだ。それだから、我々は伴に過ごす為に、差異を乗り越えて、
個々人が行為をしているのだ。あなたは集団のもっている神話を思い出してください。

126 :考える名無しさん:2006/08/13(日) 18:16:55
課題:理性によって神を語る。
結論:神は存在しない。

127 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/08/13(日) 19:24:24
安易な結論を出す前に西洋からの輸入物である「理性」という概念に
ついて脱構築を試みるのも無駄ではないぞ。

128 :考える名無しさん:2006/08/13(日) 19:30:04
>>1理性によって神を語る

理性では神を語れない。神とは理性でなく、心で語るものだ。

129 :ボンクラ:2006/08/13(日) 19:39:11
今日の晩ご飯は餃子でした            http://hp26.0zero.jp/603/BONKURA/

130 :一言居士:2006/08/13(日) 20:07:38
>>120-121
なるほどそういう発想もあったか・・・

131 :1:2006/08/13(日) 20:57:18
>>126
僕は、この簡単な言葉に激しく驚きました。

そして、小さいころを思い出しました。
僕は、小さいころに、ヒーローを信じていました。
彼女はヒーローなんて役に立ってないと言った。
僕は、ヒーローを馬鹿にされても、怒らなかった。

でも、その後で、彼女が嘘をついたと思ったとき、とても許せなかった。
僕は、よく考えもせずに「そんなことあるわけないじゃん。」と言った。
でも、後になってみると、彼女の言ったとおりだった。僕が間違ってた。

僕は、あれだけ一生懸命に話してくれたのに、なにも考えなかった。
そんなことあるわけないじゃんと言ったことで、考えが、ずっと
止まってた。そして取り返しがつかなかった。

僕は、たとえそれが間違いでも、人が、信じるものを嘘だ決め付けることは、
どれほど、ショックを与えるのか、初めてわかった。
僕は本当に、とても後悔した。本当に、謝りたいと思った。

132 :1:2006/08/13(日) 21:04:40
>>128
僕は、宗教とは、すべて、人間の理性の成熟を待つまでの期間、
洗脳するためのものなのだと思います。
キリスト教だけでなくて、仏教も、人の残虐性を押さえ込んで、
社会のために働かせ、自分で考えさせるためのものだと思います。

でも、もはや、人間は、宗教を信じる時代を終えたのだと思います。
岩もひっくり返っているし、もう宗教は、役目が終わったのだと思います。


133 :1:2006/08/13(日) 21:07:45
しかし、理性によって、新しい時代を築くのも大変だと思います。
今の日本は、いわゆるキリスト教徒のような状態にあると思います。

これから、どのような国にしていくのか、大きな課題だと思います。

>>125さんのいうように、外国に打って出て、仕事をしたり、
学問をするにも、少なくとも、自他の文化的背景を研究して、
自分のものにしていかないと、通用しないと思います。



134 :1:2006/08/13(日) 21:12:08
歴史を否定し、宗教を否定するのは簡単なことです。
しかし、新しい思想を生み出さなければ、すぐに
暴力と破壊と、不正と、無知蒙昧に、逆戻りだと思います。


135 :1:2006/08/13(日) 21:16:51
プラトンのような圧倒的な迫力のある思索、
イエスのような圧倒的な勇気、仏陀のような徹底的で厳しい決断、

僕は、彼らが人間を超えたもののように思った。
その深い思索と、偉大な計画に圧倒された。

でも、人間による理性の時代を始めなければ、だめなのだと思います。

哲学は、なんのために生まれたのか、どこに行くかを考える学問でもあります。
きっと、この世界には、終わりはないでしょう。
もはや、僕は、終わりを信じていません。

理性によって、切り開くには、厳しい道のりでしょう。
しかし、人間が進むべき道なのだと思います。

136 :1:2006/08/13(日) 21:19:09
僕は、世界のことより、好きな女の人を一番に考えて、
結婚して幸せになりたい。

仕事はするけどね。じゃあね。

137 :一言居士:2006/08/14(月) 10:07:40
>>133
>日本はキリスト教徒のような状態にある。
それどういうこと?くわしく。

138 :sage:2006/08/14(月) 19:53:29
9条のことでは?

139 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:54:51
sage

140 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/08/14(月) 20:10:55
>>136
幸せにな。

「フリーライダー」と呼ばれないように気を付けろよw

141 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 21:08:58
救済がどう完了しているのか、
理性でもって説明して下さい

142 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 21:38:17
否定神学がいいよ。


143 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/08/14(月) 22:29:41
理性って何だよ。論理的に矛盾なくってことか?
ある命題の真偽は所詮、経験に左右される程度の
もんなんだぞ?

144 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 22:39:44
単純な経験論か。くだらない。


145 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 22:47:58
>>1
「理性」というのを定義してください。
話はそれからだ。

146 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/08/14(月) 22:49:27
>>144
観念論者に言われたくねえなw

147 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 22:51:43
観念論って・・・。
経験論の反対は、観念論ではないだろ。

148 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/08/14(月) 22:53:19
いや、お前の頭の中は深く考察されてない抽象観念で一杯だ。

149 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 22:54:12
まず厨房を定義しないと無理だ。

150 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/08/14(月) 22:55:37
「国家」とか。

151 :一言居士:2006/08/14(月) 22:55:39
経験論の反対って合理論だっけ?ま、合理論も観念論もともに親戚みたいな概念かね。
間違っていたら、ゴメンよ。

152 :1:2006/08/14(月) 23:29:06
>>131
「人が、信じるものを嘘だ決め付ける」と書きましたが、
僕はあえて、人間としての信頼をしても、信じるのはやめます。
それが、その人の自由であり幸せだと思うからです。
それが平等であろ、責任を負うことであり、そして、理性による道だと思うからです。

ひとつ、目上の方に、大変に申し訳ないのですが、僕は、この板の、あるすれを見て
驚きました。
力が強く生まれた人が、力自慢をして、暴力をふるって粗暴に振舞ったら、
その人は気分がよいかもしれません。しかしクラスの中の弱い人は、
いじめられて傷つくでしょうし、クラスもでたらめになります。

これと同じように、知恵の優れて生まれた人が、暴力的に知性を使って、
よってたかって、礼儀もなく、知性もなしに、考えの違う人をたたいたら
どうなるでしょうか。馬鹿で弱い人が傷ついて、議論の場所もでたらめに
なるだけではないのではないでしょうか。

日本人として恥ずかしくありませんか。
一流大学の哲学科の学生としての誇りはないのですか。
外国の大学に留学して、キリスト教徒の先生から学ぶときどんな顔をするのですか?

僕はスレ主として、このすれでは礼儀を守っていただきます。
まじめに真剣に議論する気がなく、知恵を使っていじめて、
自分が頭がいいと思いたいなら、ほかのすれでやってください。

153 :1:2006/08/14(月) 23:35:10
>>141
もうしわけございませんが、僕は間違った州境を滅ぼすことを
目的にこのすれを立てて、一生懸命考えたのですが、
すべての宗教が、正しいのではなくて、やむえずに作ったものではないか
と考えるようになりました。

もしも、進行をお望みでしたら、カトリックか、親等をお勧めします。
ご期待に沿う、お答えできなくてすみません。

154 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 23:35:56
>僕はスレ主として、このすれでは礼儀を守っていただきます。


155 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 23:36:12
>>153
3行目だけは真理

156 :1:2006/08/14(月) 23:37:49
>>140
もしも本気で、人を祝福したいなら、礼儀を守った方がよいと思います。

僕は仕事をするつもりですし、責任を果たしますし、ただ乗りする気はありません。



157 :1:2006/08/14(月) 23:44:42
僕は、ある人の正直な悩みと、その名前を聞いて、心を動かされて、
自分の考えを書いてみようと思ってこのすれを立てました。
この擦れは、その人にあてたものですし、信じてもらうつもりも
ありませんので、いろいろ聞かれても質問に答えられないと思います。

僕は政治的な意見は、反発があるので避けたいのですがあえて書きます。
日本は、第二次世界大戦で、アメリカを敵として戦ったそうです。
そして、原爆を2発落とされて、沖縄で何十万人も殺されて、
空襲でも何十万人も殺されたそうです。
それでも日本は、戦後は、アメリカを目指して(愛ではないかもしれませんが)
努力して、アメリカと共に繁栄する道を選んだそうです。

ほかにもいろいろあるのですが、政治的なことは避けたいので、申し訳ございません。



158 :1:2006/08/14(月) 23:46:08
じゃあね

159 :考える名無しさん:2006/08/15(火) 05:08:17
神(God)を単にこの宇宙の創造者と定義すれば、
親宇宙の某知的生命体の宇宙物理研究所が創造した可能性を否定できない。
この宇宙にそのメッセージが含まれていない場合は、確かめようがないが。
単にこの宇宙の創造者ということならば、全知、全能、全善など曖昧な属性は必要でない。

160 :1:2006/08/15(火) 20:09:23
>>120
>>121
>>132
で洗脳という言葉を使いましたが、大変申し訳ございませんでした。
洗脳ではなくて、教育に訂正します。
本当に申し訳ございませんでした。

161 :1:2006/08/15(火) 20:20:16
僕は宗教は、教育だったのではないかと考え直しました。
残虐性を押さえ、自分で働き、自分で考え、
その人を人間として信頼しても、自立して、対等に生きるように
なることを願っていたのだと思います。

そして、その教育期間は終わり、人類は、親離れして、大人になるべき時が
きたのだと考えています。
そういう意味で、本当にイエスは、人類の父だったのだと思います。



162 :1:2006/08/15(火) 20:24:40
そして、おそらく、イエス自身も、
自分が完全でないと思っていたから、
激しい魂を抱えていたからこそ、
子と名乗ったのかもしれません。


163 :1:2006/08/15(火) 20:27:55
イ○スは自分が紙であると自覚しながらも、
おそらくは怒りや誤解の少なくない(すみません。)
自分の人間としての欠点を謙虚に認めて、
自ら子と名乗ったのかもしれません。

そして、自ら、人類とともに学ぼうと
考えたのかもしれません。
(僕にはわかりません。)

164 :1:2006/08/15(火) 20:37:39
しかし僕はその人を人として信頼していますが、
紙として信じることはしません。
それに僕は自分の理性を信じて生きていこうと思っています。

>>152
いろいろアドバイスをいただいておきながら、生意気なことを
書いてしまって、本当に申し訳ございませんでした。

>>159
大変申し訳ございませんが、
あなたが親宇宙の某知的生命体の宇宙物理研究所
を本気で信じているなら、別のすれを立ててください。
気に障ることを、書いてしまったのなら謝ります。
本当に申し訳ございませんでした。すみませんでした。
すみませんでした。すみませんでした。すみませんでした。
すみませんでした。すみませんでした。

じゃあね。


165 :考える名無しさん:2006/08/15(火) 23:46:16
間違った宗教ってなんだよ
金だけぶん取って人生むちゃくちゃにするような新興宗教のことか?
あんなの宗教の皮被った悪徳商法だから、
宗教としての矛先を向けないで欲しいな

166 :考える名無しさん:2006/08/16(水) 00:35:52
人間、苦しいと何かにすがりつきたくなる
それも絶対的で強大な何かに=神

167 :1:2006/08/16(水) 02:19:07
>>165
そんな言葉しかかけないのに、本当に、3秒で死ぬほど苦しいの?


168 :1:2006/08/16(水) 02:19:39
僕が、どんな姿で書いているかわからないの。

169 :1:2006/08/16(水) 02:20:14
釘が、自分では抜けないことぐらい、知ってるよ。

170 :1:2006/08/16(水) 02:21:05
ふざけてんのかよ。

171 :1:2006/08/16(水) 02:24:00
じゃあね。

172 :1:2006/08/16(水) 13:48:38
164では、変な謝り方をして申し訳ございませんでした。
本当に反省してます。すみませんでした。

1は普通の姿で書いていますが・・
ご意見は歓迎します。ご自由にどうぞ。

さて、>>166さんの意見ですが、人が苦しいときに助けを求めるのは当然だと思います。
しかし、自分が苦しいからといって、同じように他人を苦しめたいと思うのは、
普通の人間の感覚だとは、とうてい思えません。

もしも、苦しんでいる人がいたら、助けたいと思うのが理性ある人間の態度だと
思います。

しかし、キ○スト教では、イ○スが犠牲になってくれていると考えているそうです。
この点は、通常の日本人の感覚では、とうてい理解できない感覚です。
僕にもまったく理解できません。自分が苦しいからといって、
他人に苦しんでもらっても、助けになりませんし、まして、紙に
苦しんでもらっても、まったく救われません。

だから、キリ○ト教に反発なさる方が多いのではないかと思います。
ただ、僕の場合は、従事課によじ登って、釘を抜くつもりです。
誰も僕を止められないでしょう。

イ○スには、愛する家族や、愛する人や、友達がたくさんいるのですから
あんなところで、苦しんでいるべき人ではないと思います。

173 :1:2006/08/16(水) 16:09:53
>>168
これは、魂に焼きついているあのイメージのことです。

174 :1:2006/08/16(水) 16:17:56
>>165 が、そちら側なら、あえて謝らない。
なぜなら、もしも、あなたが本物なら、その人が、今も現実に激しく
苦しんでいることを魂のそこから、体中から、心の中いっぱいになるほど
にまで、知っているはずだからです。

僕にも、わかってる。どんな言葉もその人を止められない。
わかることなんてできない。

でも、わかってあげなければいけないし、とめなければいけない。
もう良いと、誰かが言ってあげなくちゃいけない。
あなたが、もしも、本物なら、僕を敵だと思いますか。

175 :1:2006/08/16(水) 16:19:47
あなたの先生の手に釘が刺さっていたら、抜いてあげないだろうか?
あなたの先生の足に釘が刺さっていたら、抜いてあげないだろうか?

それが、あの人だからといって、どうして抜いていけないのですか?
きっと、待っているはずだと思う。


176 :考える名無しさん:2006/08/16(水) 18:57:45
もういいから死んでくれよ

177 :1:2006/08/16(水) 22:27:07
>>176
ご要望に沿えず、大変に申し訳ございませんが、嫌です。

ところで、傷ついた人を助けることは間違えたことですか。正しいさばきを求めます。


178 :1:2006/08/16(水) 22:29:24
ところで、それを信じるということは、その人の犠牲によって、救われて
生きることといわれているそうですが、そのひとをぎせいにしてまで、
救いを求めなければいけない問題が、今の人類にあるのでしょうか。

これほどまでの、世界を創造してもらいながら、なんの感謝もねぎらいも
ないのでしょうか。

179 :1:2006/08/16(水) 22:31:44
ところで、大勢のために一人が死んだほうがよいというのは、確か
かやぱの意見だったと思いますが、あなたは、自分たちの仲間の
ために、そのひとを犠牲にしてまで、誰かの市を願うのですか。

もしもそうなら、心が貧しいを通り越しているような印象を受けます。
(誤解していたら申し訳ございません。)

180 :1:2006/08/16(水) 22:36:12
ところで、日本は、アメリカとともに生きる道を選んで、
ともに繁栄したと言われているそうです。

ひとつの国が繁栄するために、他国が犠牲にならなければ
いけないというのは間違いのような気がします。

これと同じように、誰かを犠牲にしても、誰も救われないのではないか
と思います。

そもそも日本人には、古来より生贄の習慣がありませんから、
僕に理解できないだけなのかもしれませんが、
僕にはどうしても、誰かが犠牲にいなれば、誰かが救われるとは
思えないのですが、いかがでしょうか。

181 :1:2006/08/16(水) 22:39:18
○○○○教徒は、本当に、その人が犠牲にならなければ、
人間が救われないと思うのでしょうか。

もはや、現代では、伝統や格式のある立派な国が世界中にあって
医療や福祉や心理カウンセラーから転職相談までよりどりみどりで
そろえています。

これほどまでの世界を、創造してもらいながら、感謝もせず、
ねぎらいもせず、無意味な犠牲を求め続けるのは、理性ある人間として
間違っていると考えますが、いかがでしょうか。

182 :1:2006/08/16(水) 22:44:55
それとも、そもそも人間には、自分の理性で、自分自身で考えて、解決を見出す
力が与えられていないのでしょうか。

いつまでも、その人の犠牲を求めなければ行けないほどに弱いのでしょうか。

子供の目から見て、あの犠牲の姿は、とてもショックです。
これほどまでの犠牲を、どこまでも要求してよいのでしょうか。
もはや、自分たちでなんとかできる時代が来たのではないでしょうか。
自分たちでなんとかしなければいけないのではないでしょうか。

ただし、人間が恐竜より残酷だという意見もありますし、
歴史を見ると、本当に驚きと、衝撃を禁じません。
ですから僕が間違えているのかもしれません。

しかしながら、人間は神の似姿として創造されているといわれています。
神の似姿ほどにまで立派に作られているならば、
自分たちの理性で、立派に暮らしていけるはずだと主張します。

183 :1:2006/08/16(水) 22:47:05
じゃあね

184 :1:2006/08/17(木) 22:17:07
>>153
もしも、進行をお望みでしたら、カトリックか、親等をお勧めします。
は削除して、州境の終了を通告して、理性による時代を宣言します。

僕が小さい頃に、確か、ある人が、言ったのだと思う。
今は、良く思い出せない。そしてイエスの絵を見たのだと思う。
間違いかも知れない。
この絵の人は、とても苦しんでいて、死にかけている。
ここと、ここと、ここに釘が刺さっているだろう。
ほとんどのキリスト教徒は、ありもしない自分の罪を無理矢理
探し出して、自分では引き返せないと言って、心がやすらぐまで、
この人がむちうたれて十字架で苦しんでいるのを見て、苦しみを褒め
て、よいことがあったと喜んで、歌いながら暮らしている。

僕は、それを聞いて、それが事実なら。キリスト教徒は悪魔だと思った。
僕は長い間、考えないようにしていた。しかしたびたび考えていた。
そして、その名前を聞いて、その人を助けたいと思って、書き始めた。
僕はそんなことが、あるはずがないと思っていた。真の目的があるはずだと・・
ところで、この話しは、僕の間違いなのだろうか、本当なのだろうか。

彼等の一人は、現実に「市んでいいよ」と書いた。


185 :1:2006/08/17(木) 22:20:57
まず、心の問題が重要だと言われていますが、自分の心にどれほどの問題
があるのですか。本当に、無実の紙を十字架に付けるほどの罪があるのですか。
この恵まれた日本で、そんなに、死ぬほど酷い極限状態が、しょっちゅう、
あるのですか。
そして僅かな自分の罪を見つけ出して、紙に製造者責任を問うのが当然だと
思って、責任を取ったことをほめて、よろこんで、歌って、
一人きりの大事な紙の犠牲を求めることが、理にかなっていると主張するのですか。
本気でそれが人間の愛だと言いますか。僕の愛は違う。はっきりという。
僕にはやさしさがある。理解がある。話も聞いてあげられる。わかってあげられる。
話してあげられる。釘を抜いてあげられる。助けてあげられる。
家に帰してあげられる。愛する人のもとに、かえしてあげられる。
そして、それが、人類の病んだ魂を救うことだと信じる。

186 :1:2006/08/17(木) 22:22:50
神に望まれて生まれてきた自分の命に感謝せず、僅かな欠点で自分を呪い、
創造者に責任を追及し、紙の犠牲を要求し、その犠牲を賛美するのは悪魔だ。
そもそも自分のために他人を犠牲にし、他人を不幸にする、その考え方そのものが
カヤパの考えだ。カヤパを断ち切ることが、人類の理性による時代を招くと考えます。
自分のために他人を犠牲にしても、見渡す限り悲惨な世界が出来るだけだ。
自分のために自分の力で、自分を高める努力をするのが理性ある人間だ。


187 :1:2006/08/17(木) 22:24:35
イエスは父に求めよと言いました。キリスト教徒は本当にイエスを理解しようとし、
父を捜そうとしたのでしょうか。イエスが祈った父が何か説明できますか?
彼等は、これ程までに豊かな世界で、いつまで心の問題を言い立てて、
無実のイエスの犠牲を求めるのでしょうか。
彼等は本当に父を求めたのでしょうか。イエスの父がだれか言い当てた人が一人でも
いるのでしょうか。僕はイエスの父は、魂だと主張しています。
各民族が、各民族らしく生きていける国によって救われると主張しています。
僕の答えを笑うだけですか?


188 :1:2006/08/17(木) 22:32:17
そもそも犠牲を求めても何も解決しません。
極限状態で誰かが生きるためには、誰かが犠牲になるほか無いと言う人も
いるかもしれません。しかし今や、自分の力を知り、理性によって十分に準備すれば、
そのような極限状態はおきません。今の、まともな国には十分な力があります。
多くの会社やお店があって、いろんな悩みにこたえてくれます。
それに、そもそもイエスは他人のために自分を犠牲にすることを求めています。
イエスのことなど、うその御伽噺だから、絵の中でいつまでも犠牲になっていても、
平気だし、助けなくていいとでも、思っているのですか。
誰かを犠牲にしても、何も解決しないことが、わからないのですか。
自分で努力して、報われなくても我慢して、自分の力で自分を変える
しかないことぐらい、マンガでも教えてくれます。


189 :1:2006/08/17(木) 22:34:12
イエスが何をやったのか。神とは何か。納得でききる答えがありますか。
約束に期限があることを覚えているのですか。
僕は魂についても、時間についても、創造についても、全て説明しました。
僕の答えを笑うだけですか?


190 :1:2006/08/17(木) 22:48:39
僕は、カトリック教会に対して、イエスを十字架からおろして、
家族のもとに返すことを要求します。
自分の幸せだけでなく、他人の幸せも、神の幸せも大事にして守ることを要求します。
そして誰かを犠牲にして不幸にして、自分が助かろうとする邪悪な考え方を
断ち切ることを要求します。
誰も犠牲にせず、神を犠牲にしないことを要求します。

そして、理性を大事にして生きて、自分に生まれたことを感謝して、
自分を大事にして、欠点があっても自分を見捨てずに、
自分のために自分の力で、どこまでもがんばって、
自分自身で、努力して、自分らしく幸せに生きるように勧告します。



191 :考える名無しさん:2006/08/18(金) 03:00:34
キリストは自ら全ての人の罪を背負い込んだ
その意志をあなたは尊重いたしますか?
それとも自らを犠牲にした行為を愚劣だと考えますか?

192 :1:2006/08/18(金) 22:41:02
>>186
カヤパを断ち切ることは、カヤパの考え方を断ち切ること、に訂正します。
>>157
反発があるのでは、このスレの目的でないので、に訂正します。
>>188
それに、そもそもイエスは他人のために自分を犠牲にすることを求めています。
は、イエスは他人を犠牲にすることではなくて互いに愛しあうことを
求めています。に訂正します。

193 :1:2006/08/18(金) 22:41:47
>>191
「キリストは自ら全ての人の罪を背負い込んだ」
と書いてありましたが、

イエス本人は、「信じる者がすべて人の子によって永遠の命を
得るため」と言っているように思います。


194 :1:2006/08/18(金) 22:42:46
聖書にはこう書いてあります。
その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、
「あなたがたには、何もわかっていない、ひとりの
人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになる
のがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。

その考えはカヤパの考えです。

195 :1:2006/08/18(金) 22:43:23
あなたは、自ら全ての人の罪を背負い込んだキリストの
その意志を尊重して、イエスを犠牲にして世界を守る
カヤパの側に立つのですか?
あなたは、自ら全ての人の罪を背負い込んだキリストの
その意志を尊重して、イエスを犠牲にさせて世界を守る
カヤパの側に立つのですか?


196 :1:2006/08/18(金) 22:45:16
あなたは、クラスのいじめられっ子が、虐めても良いと言ったら、
その意思を尊重して虐めるのですか。虐めさせるのですか。

いろいろな深い知識をお持ちの方だと思いますが、そのような
善悪に関する知識をいったん捨てて、一人の人間としての
魂に照らして考えて、いじめはしてよいことですか?
いじめはしていけないことですか?

いじめの相手が誰であっても、いつまでであっても、
していけないことは、していけないのではないですか。


197 :1:2006/08/18(金) 22:46:38
イエスは、良いパリサイ人の話しをしましたが、
イエスの犠牲を尊重する人と、イエスを助けようとする
人のどちらがイエスの望みに叶いますか。

どうして、イエスの体から釘を抜くのがそんなに嫌なのですか。
あなたにとって、イエスを愛し、愛させることとは
イエスをむち打って十字架に付け、付けさせることですか。

僕には絶対に、近づかないでください。
絶対に、さわらないでください。



198 :1:2006/08/18(金) 22:54:22
イエスとカヤパのどちらを信じているのですか?
永遠の命なんてないと思っているのですか
イエスが何のために従事課についたのか、
その答えを、そんなに簡単に、カヤパの考えに沿って
説明できると思うのですか。
あまりにも安易ではないですか。

それがイエスのよい知らせなのですか。
そんなのは、変です。
永遠の命について、イエス本人が言ったことについて
すこしも考えないのですか
神の考えが、カヤパと同じレベルだと本気で信じるのですか?

199 :1:2006/08/18(金) 22:59:30
そもそも、従事課についたイエスを信じる人なら、イエス本人の言った言葉を
信じるでしょう。

あなたは、大祭司のカヤパをの言った言葉を信じるのは、
大祭司カヤパの信者なのだと思います。

200 :1:2006/08/19(土) 10:38:40
>>199
あなたは、大祭司のカヤパをの言った言葉を信じるのは、
大祭司カヤパの信者なのだと思います。

あなたは、大祭司カヤパの言った言葉を信じているのだから、
あなたは、大祭司カヤパの信者です。
の方が、はっきり分かりますよね。すみませんでした。

大祭司カヤパの言った言葉を信じるのは
大祭司カヤパの信者です。
の方が分かりやすいですか。
言葉は難しいですね。

あなたが、大祭司カヤパの言った言葉を信じるなら
あなたは、大祭司カヤパの信者です。
ここまで、はっきり言えば、分かりますよね。

大祭司カヤパの言葉を信じる人は、イエスを救世主と信じるキリスト教徒ではない。
大祭司カヤパの言葉を信じる人は、カヤパを救世主と信じる者なのだと思います。
2ちゃんでも、今時「市んでくれよ」なんて言う人は滅多にいないと思いますが・・・。
これは、カヤパの言葉を信じる者が、火都頃しであり、紙頃しであることの
証明だと思います。
カヤパの考え方では人間らしい理性には決して到達できないという、証明だと思います。
(もしも誤解がありましたら、申し訳ございません。)
大変申し訳ございませんが、礼儀を守れないなら、もうこのスレには書き込まない
でください。


201 :1:2006/08/19(土) 10:39:36
僕の間違いでなければ、キリストが従事課についたとき、あく真は、自分が勝利したと
勘違いしたというような話を聞いたことがあります。
しかし実際には、イエスキリストが勝利していたと言うことです。
イエスが勝利し、イエスの言葉がこの世を支配したと信じるのではなく、
カ○パが勝利し、カヤパの言葉がこの世を支配したと信じる人は、
あく真だと思いますがいかがでしょうか。(仮説です。)

僕は大祭司カヤパを信じません。大祭司カヤパの考え方を
断ち切る必要があると主張しています。

じゃあね。


202 :1:2006/08/19(土) 10:42:04
これまで僕はキリスト教徒を否定するようなことばかり言ってしまいましたが、
もしもカヤパの言葉を拒絶して、イエス本人の言葉を信じて、イエスを救世主と信じる
キリスト教徒がいるなら、酷い書き方をして大変申し訳ございませんでした。
深く心からお詫びします。正当派の方のことは、深く尊敬して、感謝します。
本当に申し訳ございませんでした。すみませんでした。
ただし、僕は>>184で、宗教による救済の終了を通告して、理性による時代を宣言
しています。
そして僕は、イエスを信じるのではなく、人として信頼しています。

ところで、これまで、私は恐竜の世界が酷いものだとばかり思っていましたが、
それは、神に対する信頼が足りなかったと思います。
神が創造したのだから、必ず調和と幸福があったのだと信頼します。
恐竜について、詳しく知りもしないで、思いこみだけで勝手に残酷なものと、
決めつけてしまって本当に申し訳ございませんでした。お詫びいたします。

203 :1:2006/08/19(土) 10:54:44
じゃあね。

204 :1:2006/08/19(土) 11:00:52
>>201
僕は大祭司カヤパを信じません。大祭司カヤパの考え方を
断ち切る必要があると主張しています。

僕は大祭司カヤパの言葉を拒絶します。
そして、大祭司カヤパの考え方を 断ち切る必要があると主張しています。

のほうがわかりやすいですね。しつこくてすみません。

じゃあね。



205 :1:2006/08/19(土) 11:16:06
>>201
ここはとても、大変に重要なところなので、訂正して、書き直します。

「僕は大祭司カヤパを信じません。大祭司カヤパの考え方を
断ち切る必要があると主張しています。」は、

「僕は大祭司カヤパを拒絶します。大祭司カヤパの考え方を
断ち切らなければいけないと主張します。」に訂正します。

僕は課や派ではなく、イエスを信頼しますし、神を信頼します。

>>123では、
最後の審判をすることはないと思う。
あえていえば、第二次世界大戦が最後の審判だったのではないかと思う。
などと勝手なことを書いてしまい、大変に申し訳ございませんでした。

もしかしたら、これが最後の審判になるのかもしれませんね。

206 :1:2006/08/19(土) 11:22:42
しつこくてすみませんが、また、訂正です。

>>205 
「僕は大祭司カヤパを拒絶します。大祭司カヤパの考え方を
断ち切らなければいけないと主張します。」に訂正します。は、

「僕は大祭司カヤパの言葉(=意見=考え方)を拒絶します。
そして、大祭司カヤパの考え方を 断ち切らなければいけないと
主張します。」に訂正します。

たびたび間違えてすみません。課や派の「考え方」を拒絶することが大事な
ところです。誤解しないでください。たびたびすみませんが訂正します。

生意気なことをいってしまったとすれば申し訳ございませんでした。
大変にすみませんでした。

じゃあね。

207 :1:2006/08/19(土) 11:30:03
課や派の「考え方」を拒絶することが大事な
ところです。誤解しないでください。

は大事なところなので、はっきりと書いておきます。
カヤパの「考え方」を拒絶することが大事な
ところです。誤解しないでください。

そして、カヤパの考え方は、以下のとおりです。

その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、
「あなたがたには、何もわかっていない、ひとりの
人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになる
のがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。

208 :考える七志さん:2006/08/19(土) 13:21:54
その言葉は、カヤファが神によってイエスについて預言させられていたんですよ。
変な言い方をすれば、操られて。
似たような例は旧約聖書にもあります。
報酬を受けるためにイスラエルをのろおうとした予言者バラムに、神は
イスラエル人を祝福させたのです。
聖書をお持ちなら民数記23章をご覧ください。

209 :一言居士:2006/08/19(土) 19:31:23
イエスの贖罪は残酷だ・・・斬新な発想だし、いいと思うよ。

210 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 20:25:29
神々しきこの世界、この神を殺したのは誰じゃ。


211 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 20:29:41
どうしてこうなったの?自分永い間安全なところにいたと思われ。つまりひとつの連環で考えれば日本人おかしいよ。

212 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 20:32:32
安寧秩序ってやつ。分かる人はわかる

213 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 20:33:45
で他者はいる。わからないものはわからない。そうなっている

214 :1:2006/08/19(土) 22:21:42
レスどもです。なんかほっとします。

>>207
「カヤパの「考え方」を拒絶することが大事な
ところです。誤解しないでください。」は
「カヤパを拒絶するのではなく、カヤパの考え方を拒絶
することが大事です。」に訂正です。

それと、カヤパの考え方ですが、
僕は、犠牲を求める考え方が間違いだと思います。

>>184についてですが、そして、ここを槍で突かれている。
が抜けてました。

>>208
僕は、理性によって語る立場なのですが、あえて説明します。

イエスには、悪魔からも霊が出ていると話しているようです。
「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、
その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺し
であって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。
彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。
彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」

カヤパの考え方は、人殺しの考え方のように思います。
たとえ「操られて。」いたとしても、カヤパの考え方は、人殺しの本音です。
カヤパの考え方は神からでてきたものではなくて、悪魔から出てきたものだと
思います。

215 :1:2006/08/19(土) 22:23:17
こう考えると、イエスの奇跡は、実際の病を治したのではなく、
暗くなって、不幸にのめりこんだり、差別したり、
憎んだり呪ったり、他人や神を犠牲にしたりする、
悪い考え方を追い払って、互いに愛し合う良い考え方を
教えていたのかもしれません。(仮説です。)

たとえ恵まれていても、心が暗かったら不幸です。
しかし人は、どんな状況でも幸せになれるわけではありません。
心だけでなく、現実も大事です。ですから現実に国が
あるのだと思います。まともな国は、とても大事だと思います。
ところで僕は、と同格だと思います。
心を健康に保って、不健全な心を追い払うことは大事ですし、
勉強して良い知識を得ることも大事だと思います。
けれども、現実の世界で自分で仕事をすることも、とても大事だと思います。
理性で考えて、現実の不幸に一生懸命に対処して、自分で努力して、
自分で頑張って、欠点があるなら自分自身で自分を善く変えて、
自分の力で幸せになるべきだと思います。



216 :1:2006/08/19(土) 22:26:52
ところで、イエスはこうも言っています。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたは
わたしの友である。

イエスが言ったのは、お互いに愛し合いなさいということです。
そして、人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
と言っています。
イエスの友なら、イエスのために自分の命を捨てるのではないでしょうか。
誰かを犠牲にすることなど決してしませんし、ましてや、イエスを犠牲に
することなど決してしないでしょう。
キリスト教が、イエスのために命を捨てることを教えずに、
イエスを犠牲にすることを教えているとするならば、
イエスの言うことと全く逆のことを教えていると、思います。

217 :1:2006/08/19(土) 22:34:39
>>212 安寧秩序ってやつ。分かる人はわかる
→悪いことに気がついたら、ごまかさずに、正直に反省して
すぐに改めるしかないです!、間違ってもくじけずにがんばろう!
まだ、人類はひよっこです。

ところで>>141
救済がどう完了しているのか、
理性でもって説明して下さい
のことですが、

絶対に正しいものなんて、どこにもないです。僕はもう絶対なんて、うんざりです。
だから宗教なんかいらないのです。善悪を決められるのは、魂だけです。

それよりも、みんなで、頑張って、楽しくて、
幸せな世界を作りたいと思いませんか。
自分のことは、自分で考えた方が、自信も持てるし幸せだと思いませんか。
人間の理性を大事にしたくないですか。
誰かをいじめるよりも、助け合うことが大事だとおもいませんか?

本当に大事なのは、明るくて落ち着いた気持ちだと思いませんか。
本気で、明るい気持ちの大事さを考えてみてください。こんなに立派な世界を作ってもらったのですから、
みんなで感謝して、互いに助け合って、仲良く明るく、
生きて生きたいと思いませんか。
困っている人を助けたり、いじめを止めたり、
お年寄りの話を聞いたり、体の不自由な人を助けたり、
町をきれいにしたり、良いことを沢山して、
怠けてだらだらしてだめな人間になるよりも、がんばって精一杯生きて
感謝されて、幸せに生きていきたくないですか。

218 :1:2006/08/19(土) 22:41:01
暗くて怖くて悪い人に従って、酷いことをするよりも、明るくて、やさしくて善い人を
大事にして、人間らしい善い考えに従って、善く生きたくないですか。
自分で努力して、頑張って、正直に、真面目に働いて、世界の役に立って
貢献して、素晴らしい世界を作りたいとおもいませんか。
自分の中の幸せで優しくて良い心を育て、善い人になって、善い友達
をつくりたいと思いませんか?

明るい気持ちは、本当に、とても大事な気持ちだと思いませんか。
野球でも、サッカーでも、真剣に努力して流す汗は、素晴らしいと思いませんか。
本当の強さとは、苦しくても明るい気持ちを大事にすることだと思いませんか。

暗い気持ちで悩んで苦しむことが、本当に悪くて、駄目なことだと思いませんか。
暗い気持ちでいたら、悪く考えて、不幸になって、もっと酷く歪んでしまいます。
カヤパの考え方に従って紙を犠牲にしたり、暗くなったり恐れたり
他人に嫉妬して、憎んで、責めて、恨んで、犠牲にしても、
とてつもなく不幸で苦しくなってしまうだけだと思いませんか。
誰かを犠牲にしても、救われないことが納得できませんか?
イエスが十字架で苦しんでいる姿を見て幸せな気持ちになれますか?
他人を犠牲にしても、紙を犠牲にしても、絶対に幸せになれません。
暗い嫉妬や、偏見や、憎しみをもっても、暗くて不幸になるだけです。

219 :1:2006/08/19(土) 22:43:51
自分が、幸せになりたいと思ったら、自分で頑張るほかにないです。
それに、自分の欠点に苦しんで、自分は駄目だとあきらめて、
自分自身で治す努力をしないなら、いつまでたっても、
駄目なままだと思いませんか。
自分が不幸だと思って、自分では何も努力せずに、暗い気持ちに浸って
いたら、どんどん不幸になるだけだと思いませんか。
暗い気持ちを、暗いままにしていたら、病気になって、駄目になる
と思いませんか。

自分の心は、自分でがんばって、自分で善く変えるほかにないです。
自分は駄目だと思って、あきらめて、責めるだけでは、そこで終わりです。
善い人にならないと、善い友達もできないし、
自分で必死で頑張るほかにないです。

厨房の説教を、これ以上聞くよりも、もっといろんな立派な本があると
おもいますが・・・、まだやりますか? 

220 :1:2006/08/19(土) 22:52:10
>>215
ところで僕は、と同格だと思います。

→ところで僕は、魂と物質は同格だと思います。

221 :1:2006/08/19(土) 22:54:55
なんか、暗くて、疲れたので、明るく書きます。

ところでさ、もしも僕が正しかったら、
哲学とか、立て直さなくちゃいけないよね。

結構大変な仕事になりそうだね。
でもさ、まあ、がんばれば、なんとかなるし、英雄とか
救世主とかにも、なれちゃうかもよ。なんてね。

222 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 23:41:10
なんと傲慢な。自分が絶対的な善悪の基準だと言わんばかりだ


223 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 23:47:19
厨房日記

224 :考える七志さん:2006/08/19(土) 23:50:16
人は人を裁くべきではない。伝道の書8章9節

225 :1:2006/08/20(日) 02:31:52
>>222
本当にすみませんでした。とても反省してます。

でもさ、まあ、がんばれば、なんとかなるし、英雄とか
救世主とかにも、なれちゃうかもよ。なんてね。
は削除します。

普通に、がんばって仕事して、自分で考えて、善い人に学んで従って、
なかよく、くらしていきます。

じゃあね。


226 :1:2006/08/20(日) 02:35:42
>>222
でもさ、まあ、がんばれば、なんとかなるし、英雄とか
救世主とかにも、なれちゃうかもよ。なんてね。
は削除します。

きっと、イエスは復活しないと思います。
復活したら、恐ろしいことになるみたいです。
自分のことは、どこまでも自分で考えるべきだと思います。
理性とは、人間の、きっと僕たちの理性なのだと思います。

元気でね。
さよなら。
じゃあね。


227 :1:2006/08/20(日) 02:37:14
じゃあね。



228 :1:2006/08/20(日) 02:45:43
じゃあね。

229 :考える七志さん:2006/08/20(日) 10:28:46
きっと、イエスは復活しないと思います。
復活したら、恐ろしいことになるみたいです。

この文意味不明。聖書を読んだことある人ならこんな文は書かない。

230 :考える名無しさん:2006/08/20(日) 13:18:28
>>229
イエスより>>1を復活させる方が恐ろしい。
こんなスレはsageて二度と人目に触れさせないように。

231 :考える名無しさん:2006/08/23(水) 02:16:08
イエスを仲介させないと語るのなんて無理

232 :考える名無しさん:2006/08/23(水) 08:55:39 ?2BP(0)
理性は正当性を求める本能

脳内麻薬を求めて行う行為

正当性を断定する事でベータエンドルフィンを分泌させてリラックスしようとする

断定の象徴が神

233 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 20:35:46
>>232
人間は、体と心と考えと感情のあるもの。
1によれば紙も、体と心と考えと感情のあるもの。

>>229
つ黙示録

1=再臨かと


234 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 19:54:21
鉄板で再臨なんてスマソ

礼儀や尊敬や感謝や優しさや愛が大事だね。


235 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 19:56:11
これ読んで、ノートルダム寺院のガーゴイルを
思い出したよ。

イエスはすべての人間を引き寄せたが、イエスを
「どう」考えるかで、神々と、天使と、人間と、悪魔とに
分かれるのかもしれないね。

236 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 20:05:02
「どう」考えるかの、考え方の問題は哲学の問題だよね。

あと、哲学じゃないんだけど、紙について考えるなら、
橋本治の「宗教なんかこわくない!」は(表紙は恥ずかしいし、
変なところも沢山あるけど)面白いと思う。


237 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 20:16:47
それにしても、スパイダーマン1、2は、かなり残酷だね。
行き過ぎたバイオテクノロジーとか、科学とか、経済合理性は、
人間を不幸にするだけだと思ったよ。

でも、マトリックスとか、ターミネーターとか、新世紀エバンゲリオン
とか、救世主が失敗した映画は悲惨だよね。(話がずれてスマン)



238 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 19:05:38
裏切り者のユダ、>>176 =常に悪、火都頃しであり、紙頃し

>>191、贖罪思想、犠牲 =元来悪だが、審判により悪として断罪。
             邪悪な考え方を断ち切ることが必要。

ペトロ =審判後に、この杯を受けるか問われている。
     最初のペトロ(人間の代表?)は、全身全霊全力で、イエスに
     ついて行き、逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。


239 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 19:10:27
>>238 訂正
裏切り者のユダ、>>176 =火都頃しであり、紙頃し
             邪悪な考え方を断ち切ることが必要。

240 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 20:50:58
>>238>>239 訂正
裏切り者のユダ、>>176 =火都頃しであり、紙頃し
             邪悪な考え方を断ち切ることが必要。

カヤパ、>>191、贖罪思想、犠牲 =元来悪だが、審判により悪として断罪。
                 邪悪な考え方を断ち切ることが必要。

ペトロ =審判後に、この杯を受けるか問われている。
     最初のペトロ(人間の代表?)は、全身全霊全力で、イエスに
     ついて行き、逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。



241 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:16:26
>>233
生贄や妬みや犠牲や贖罪思想は悪だ。悪魔の罪。ユダヤ人の悪人の罪。悪人の罪。
アブラハムの神の罪。アブラハムの罪。その神がイエスにイエスを生贄に捧げよといったなら、
イエスの神の罪だ。そして、イエスの罪だ。
しかし、子どもでも、悪い親から教わった悪は否定できる。
野蛮性は、どの民族も有している性質かもしれない。しかしどの民族も、定めた律法を改正できる。
神の罪や律法を神聖視して偶像として拝み、その律法をそろそろ改正するのがいいのでは?、
と議論する事さえ、けしからん!と喚き散らすなら、文明度が低いのかも知れない。
貴方は律法や聖書が完全無欠の最高法と言い切れるのか?

親は尊い存在で、子は卑しい存在で徹底的に蔑視される存在なんてことは許されない。
だから、子が罪の所有物のように扱われるなんてことは許されない。
だからこそ、子が助けを求めて叫んでも人や親の責任を果たさないなんてことは許されない。
子にも幸福追求の権利がある。そして、悪を否定することは当たり前のこと。
普通は悪を目にした瞬間、心が「ダメ!」と感じると思うんだけどね。
いいものはいいし、ダメなものはダメ。人情、忠恕、良知とか、そういうもんの発露はないのか?。

そして、黙示録は地獄絵図だ。あの文章を文字通り理解するクリスチャンはいない?。
罪深い人たちが裁かれているだけのこと?。命令が下ったことだから仕方がない?。
天主の命令に従うことはキリスト教徒の義務であり、キリスト教的には何ら問題は無い?。
「嫌だから止めろ」なんてのは駄々っ子と同じ?。そんなの通用しない?。
神はそういう罪や問題を抱えている人間をそのままで愛する?。ダメなものはダメなんだよ。

ヨハネの黙示録第9章
四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放された。この天使たちは、その年、
その月、その日、その時間のために用意されていたのである。
その騎兵の数は二億、わたしはその数を聞いた。
わたしは幻の中で馬とそれに乗っている者たちを見たが、その様子はこうであった。
彼らは、炎、紫、および硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、
口からは火と煙と硫黄とを吐いていた。
その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。

242 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:17:06
彼らは、自分たちの律法や神の命令が正しいかどうか自分たちでチェックしないかのようだ。
自分たちで善悪のチェックをしないところに、自分たちを合理化する手立てを教えられるなら、
結局は自分たちのやることをすべて正当化することになる。
犯罪を起こして罰や批判を受けても批判を受けるのを正当化して、
自分たちを殉教者であるとするような教義があるなら、非常に大きな問題だ。

そして、キリスト教の寛容が、他者否定のために使われるなら問題だ。
異教徒として他を尊重しても、対等を認めず、下位のものとして位置づけるなら仕方ない。
他者に敬意を払わず、他者を救済と征服の対象とする文化は横暴なのだよ。
宣教師の言い分を鵜呑みにして裏切られ、また、他の非教徒に対して、
武力で自らの要求を突きつけていく。
この世の中は自分達のものだ、天主の命令だから、何としてでも取ってやるというのなら仕方ない。
他と仲良くする意思もないし、乗っ取ろうということしか考えないのなら、出て行ってもらわないとね。

日本においては、調整して色んなものを組み合わせて、
それぞれの良いところを組み合わせて穏健に伸ばすような形態をとってきた。
色んな思想が対立せずに交わって、中庸を保つ世の中が正常。
何が唯一の正しさかとかを追求する愚かさを見てきたから、普通の日本人は中庸を守ろうとする。

>>232
>>122 社会の中で生きた方が楽しい
>>218 野球でも、サッカーでも、真剣に努力して流す汗は、素晴らしい
>>128

243 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:17:59
自分たちが唯一正しいという正義の希求は、逆に悪の希求も産む。善と悪は、常に一対として存在
するからね。正義に漏れた者は悪となる。そして、悪とされた者は迫害される。正義の範囲もこれと
決められるわけじゃない。時と場合によって変化もする。
民主主義と人権は自他の権利や存在を認めるための仕組みだが、自他の権利や存在否定となる部分が
あるから、万能の解決法ではない。民主主義国家においては権力者とは国民の代表者であり、少数の
特権階級が多数を支配するやり方を否定するが、数の暴力ともいわれる。
対等を認めない民主主義というのは、多数派が少数派を説き伏せ支配するための仕組みでしかない。
「民の為」といいながら、実は「多数者の為」となってしまう危険性がある。
少数派と多数者の横暴から少数者と多数者の利益を守るという機能を果たすことをも期待されている。
少数派による多数派への不平等と、多数派による少数派への抑圧が発生しないようにしなければならない。
そして、人権というものは、少数派が多数派に対して敵対し抗議するための諸権利。
この両者は根本は他者に対する闘争と否定と支配という部分から発生してきたもの。
知る権利⇔プライバシー権労働権⇔経営権自由権⇔平等権とか、対立する場面が多々ある。
また今現在、認知されてない人権がまだあるかもしれない。
権利というものは主張しなければ保障されず、また主張されないような権利は保護する必要
はないということにはならない。とすると、自分は正当な権利を主張しているつもりでも、
知らないうちに、まだ認知されてない人権を侵害してるかもしれない。
対等を認めない民主主義や権利権利で人を縛る。それではユダヤ人の律法と同じ抑圧だよ。悪なのだよ。
専門知識を詰め込みすぎて、人間らしい情緒と愛にかけてる人っているからね。
キリストは、もっとも重要な戒めとして、愛する事を提示している。
またその一方で、律法学者を批判している。幼子のようでなければ天国に行けぬとしている。

244 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:19:13
多様の価値観や世界観・文化を持った多くの人間たちが社会の中に共存して暮らして、
それぞれ自由に自己の価値観に従って経済活動・文化活動を行って自己実現を図るという
高度に国際化・文化の多様化が進んだ時代においては、全ての構成員が最低限遵守すべき
基本的な秩序を社会として構築し、互いの利害の対立を調整する必要がある。
それは、唯一の正義に適っているかどうかの機械的な判定ではなく、理性と、そして情緒とか
心とか、愛によって行われる必要がある。
そういう社会環境を確保することによって各人が安心してそれぞれ自己の世界観・人生観・
死生観に基づいて自由に自己実現を図ることができるようになる。

自分たちが唯一正しいと思い込み、キリスト教徒以外の存在を自分達より劣っている
と看做すキリスト教徒は、相手を滅茶苦茶にさせる。
キリシタンによる非教徒迫害は、認めちゃいかんのだよ。
それでは世界を手中に収めるための方便でしかない。

それでは自分達の罪に仕えてるだけ、自分達の罪を見るだけ。
自分達の悪い心の苦を見てるだけ。自分達の罪の心の苦を見てるだけ。
弱者になんて目も向けない。貧しい人間のことなんて見てない。
他人の痛みを見ずに、他人の痛みを分かる必要があるのだよ。

245 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:20:12
キリスト教には、イエスそのものの教えを探求しようという学派とか、動きはないのか?
イエスに対して深い尊敬の念と愛を持った。
パウロ的な要素をも除いた純粋にイエスの教えだけを求めるような立場。
クリスチャンは、イエスを信じてるという。でもそのイエスって、イエスそのものじゃなくて、
教会の説くイエスを信じてる。つまり教会を信じてる。ある種の偶像崇拝。
しかし、イエスそのものの姿って、理性的認識が困難ではある。

全ての人間が神の似姿として創造されているなら、全ての人間が神の前に平等なんだよ。
聖書に人権が記されているとすれば、なんで長いこと気付かなかったのか?

聖書は近代に至るまで一部の権力者しか読むことができなかった。
権力者にとって都合の悪いものなんて、権力者は発見しても発表しない。
統治を行う上で都合の悪いものは徹底的に迫害されたのだよ。

人も子も神の創造物であり、人と子はその養育を神から委託された者であり、
人と子を養育することは神に対する責任である。
そういう立場があるとしても、現在あるキリスト教とは随分違うね。
人と子は親から生まれる。そういう事実があるだけなのにね。

246 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:21:05
アブラハムの神がアブラハムに息子イサクを生贄に捧げよ、といったということは、
善からも、神からも、大きくかけ離れている。悪なのだよ。悪は悪しか生まない。
こういうことは悪意の肯定と憎悪の肯定と、愛情の欠如と理性の欠如が原因。
ユダヤ系一神教には、悪意がある。悪の感情、神の怒りとか嫉妬とかの悪意を根本にして出来ている。
それは他への憎悪を伴っている。だから、従わないものは罰せられたり、殺される。
神と個、個と個を対立するものとして捉えている価値観では、神と個、個と個は対立しないものとする
価値観を受け入れることは出来ない。他者否定と憎悪の肯定に使われる欠陥を持っているのだよ。
悪意だけでは他文化とは共栄も出来ないし、共存すら出来ない。
我々は悪の感情、怒りとか嫉妬とかを否定できるし、悪の感情だけで生きているのではない。
善の感情、愛や許しを認めようとしない神などいらない。成長しない神などいらない。

いつの時代でも、無辜の市民や子どもを殺すなんてことは許されない。
アブラハムの罪やアブラハムの神の罪が偉大なものか。子殺しが正当?。殺人だ。殺人を賛美するのか。
親が自分の子どもを助けようとするのは、人間としてというより生物として当たり前のこと。
生贄や妬みは悪だ。悪魔の罪。ユダヤの悪人の罪。悪人の罪。アブラハムの神の罪。
そして、アブラハムの罪だ。しかし、子どもでも、悪い親から教わった悪は否定できる。
どの民族も、定めた律法を議論できるし、定めた律法を改正できる。律法や聖書は完全無欠の最高法ではない。
アブラハムの神は今ここでの神ではない。アブラハムの神はアブラハムの神なのだよ。
神も人も子も成長しているのだよ。ヤハウェの名では神を語れない。神とは唯一でなく、同じでなく、成長するものだ。

ただし、過去の先人に教授していただくということは、知識を頂くわけだから、知識を受ける側に
当然の礼儀は発生する。神や人や子は成長するものだから、過去の先人が築き上げてきたものを伝えて、
そして、改正しなければならないが、それでも過去の先人に対して礼儀を持たなければならないのだよ。

247 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:22:00
分別の付かない子どもに対しては親が躾を行う必要があるし子どももそれに従う必要がある。
しかし、分別の付かない頃は、我慢して戒律を守っても、成長して倫理を身に付ければ、親に教わった
悪を切り捨て、悪い親や教師と異なる価値観を持つことは人間として当たり前のこと。
子にも自己の人幸福を追求する権利がある。
こんなことは一々説明しなくても、自分の成長の過程を考えれば自明のことだと思う。
他力思想ではない。神も子も人も、自己の人格陶冶や、より高い倫理観を身に付けたい欲求がある。

神や親や人は尊い存在で、子は卑しい存在で徹底的に蔑視される存在なんてことは許されない。
だから、子が神や親や人の罪の所有物のように扱われるなんてことは許されない。
だからこそ、子が助けを求めて叫んでも神や親や人が責任を果たさないなんてことは許されない。
神にも親にも人にも子にも幸福追求の権利がある。そして、悪を否定することは神としても親としても
人としても子としても当たり前のことなのだよ。

仏の前の平等ということなら仏教にもある。神との親子関係ということなら神道にもある。
日本においては、親は敬われるべき存在。子は親に愛される存在。
この国では王権神授説を取ってない。どんな人やものでも、神を宿す存在だ。神の宿るもの。
正しい神道の神や神々の存在は、誰にでも実在を感じることができるし、畏れを感じることができる。

イエスの父が息子イエスにイエスを生贄に捧げよ、といったなら、善から大きくかけ離れている。悪なのだよ。
イエスが犠牲になるなら、善から大きくかけ離れている。悪なのだよ。悪は悪しか生まない。
悪を否定せず、善を認めない神も子も人もダメなんだよ。神も親も子も人も常に成長しなければならないのだよ。

248 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:36:59
sage

249 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:02:48
神とは、自分の中にある深層意識より深い位置よりさらに深い位置にある
ものを言う。

それを悟ることができれば、神の力が得られるという。
おまいらは所詮、理屈しか悟れない猿

250 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 18:25:29
↑猿に語りかける猿


251 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 18:47:18
>>249,>>250

礼儀!

252 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 18:59:36
>>191
キリストは自ら全ての人の罪を背負い込んだ

=「あなたがたは、何もわかっていない、ひとりの
人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになる
のがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」

=大祭司カヤパの言葉を信じる人は、イエスを救世主と信じるキリスト教徒ではない。
 大祭司カヤパの言葉を信じる人は、カヤパを救世主と信じる者

=贖罪思想、犠牲、(カヤパ)キリスト教

>>205
最後の審判
大祭司カヤパの考え方を断ち切らなければいけない




四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放された。

253 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:03:16
>>241
四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放された。

キリスト教徒の人口≒人間の三分の一

254 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:08:25
>>185
僕にはやさしさがある。

>>205
最後の審判
大祭司カヤパの考え方を断ち切らなければいけない


255 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:11:57
>>216

イエスが言ったのは、お互いに愛し合いなさいということです。
そして、人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
と言っています。
イエスの友なら、イエスのために自分の命を捨てるのではないでしょうか。
誰かを犠牲にすることなど決してしませんし、ましてや、イエスを犠牲に
することなど決してしないでしょう。
キリスト教が、イエスのために命を捨てることを教えずに、
イエスを犠牲にすることを教えているとするならば、
イエスの言うことと全く逆のことを教えていると、思います。

>>216
ところで、日本は、アメリカとともに生きる道を選んで、
ともに繁栄したと言われているそうです。
ひとつの国が繁栄するために、他国が犠牲にならなければ
いけないというのは間違いのような気がします。

これと同じように、誰かを犠牲にしても、誰も救われないのではないか
と思います。

256 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:13:28
>>190

僕は、カトリック教会に対して、イエスを十字架からおろして、
家族のもとに返すことを要求します。
自分の幸せだけでなく、他人の幸せも、神の幸せも大事にして守ることを要求します。
そして誰かを犠牲にして不幸にして、自分が助かろうとする邪悪な考え方を
断ち切ることを要求します。
誰も犠牲にせず、神を犠牲にしないことを要求します。

そして、理性を大事にして生きて、自分に生まれたことを感謝して、
自分を大事にして、欠点があっても自分を見捨てずに、
自分のために自分の力で、どこまでもがんばって、
自分自身で、努力して、自分らしく幸せに生きるように勧告します。


257 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:17:06
>>195
あなたは、自ら全ての人の罪を背負い込んだキリストの
その意志を尊重して、イエスを犠牲にして世界を守る
カヤパの側に立つのですか?
あなたは、自ら全ての人の罪を背負い込んだキリストの
その意志を尊重して、イエスを犠牲にさせて世界を守る
カヤパの側に立つのですか?




>>188
誰かを犠牲にしても、何も解決しないことが、わからないのですか。
自分で努力して、報われなくても我慢して、自分の力で自分を変える
しかないことぐらい、マンガでも教えてくれます。



258 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:34:12
>>186
自分のために他人を犠牲にしても、見渡す限り悲惨な世界が出来るだけだ。
自分のために自分の力で、自分を高める努力をするのが理性ある人間だ。


259 ::2006/09/12(火) 05:56:11
神によって救われている人間がいる。
それが目的であり、それが事実だ。
現在認識されている「神」は存在しない。
一般人が「神」を認識するにはまだ早すぎる。


260 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 23:52:05
>>259
認識力のある人間として生まれたのだから、
ぼんやり生きてないで、自分が認識できる限りの現実を、
全力で認識して、善く生きようね。



261 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 18:56:01
贖罪思想=悪魔の思想

彼らは自分が罪を犯すのは、自分自身の罪ではなく、自分をそそのかす
悪霊に責任があると考えている。そして、自分が悪霊の誘惑に負けて悪
いことをしても、罪は問われない。なぜなら、贖罪により、罰から開放
されているからだという。

しかしマルコにおいて、イエスは、
「だれでもわたしに付いて来たいと思うなら,その人は自分を否定し,
自分の十字架を取り上げて,わたしに従いなさい。」と言っている。

普通の人間でも、自分の罪は、自分で負うのが当然だ。
ましてやキリスト教徒なら、イエスに従って自分の罪を負う必要がある。
さらに大きな人なら、他人の罪の原因を考察して、解決方法を見出し
教育したり、制度を変えたりして、善い社会を建設するだろう。
人間には、意思があり、考え、選択し、自分で行動できる。
自分の悪からは、自分で引き返すのが当然だ。

自分の意思を認めずに、すべてを悪魔の責任にして、思いのままに
悪を行い、しかもその責任を決して負わない者など、人間とは言えない。
それは人間ではなく悪魔だ。


262 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:03:59
>>226
「イエスは復活しないと思います。復活したら、恐ろしいことになるみたいです。」
この感覚は正しい。妄想を捨てて、現実を正しく認識して、正しく生きる事が必要だ。
人や神を犠牲にしたり、犠牲になってはならない。人や神を大事にして守らなければならない。

>>229
イエスを乗り越え、宗教を克服したのだから、普通は喜ぶだろう。
聖書には、イエスしか知り得ない裁判の様子が詳細に書かれている。それも復活だ。
そしてほとんどの弟子達が、布教して、最後に殉教したとも言われている。それも復活なのだろう。
しかし、復活の意味はそれだけではない。イエスの過ちを克服できないことが復活ならば、
それは本当に恐ろしい間違いだ。犠牲になることは愛ではない。犠牲には意味もないし、価値もない。
重要なのは、愛であり、自分で改心して改めることだ。
マタイでは、ペテロはイエスを止めようとしたとされている。善い者や大事な者を守ることが愛だ。
だからペテロは悪魔ではない。むしろ、イエスを引き留めて守ろうとして、ペテロがいさめた
「とんでもない」という魂の叫びこそが、善であり、天国の鍵だ。

>>259
致命的な間違いだ。
普通なら、それなりの死生観を持っている。普通なら、悲しみや寂しさや喜びや愛を感じる心を大事にしている。
そして、普通なら、自然や宇宙や世界や生物や優しさや善や偉大な者達に、神を感じる心を大事にしている。
そして、普通は、神に対する畏敬の念を大事にしているし、礼儀や心や精神や道徳を大事にしている。
そして、普通は、神が人間を救うためにあるのではないことを認識している。そして敬意を払うべきだと認識している。
さらに、普通の日本人は、輪廻転生も汎神論も一神教も普通に認識している。56億7千万年後のことまで想像してる。
神は感謝して尊敬して大事に愛するべき存在だ。普通は、神について認識がある。神に対しても礼儀を守ることが大事だ。
そして、誰にでも、自我があるから、誰も「救われる」ことなどない。これまでに築き上げられてきた、伝統や知識や
哲学や様々な文化に助けられたり、互いに助け合えても、どこまでも自分で自分を救うほかにない。
自分で自分を救う以外には、誰も救えないし、誰も救わない。妄想を離れて現実を正しく見る事が大事だ。

263 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:15:04
「わたしは、あなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは、
天でも解かれるであろう。そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけない、弟子たちを戒められた。」
※まず、イエスはペテロに天国の鍵を授けた。

「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、
そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。」
※そして、イエスは、十字架のことを、弟子達に示し始めた。

「すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずございません」、
と言った。イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている。」
※すると、ペテロはイエスを引き留めて守ろうとした。
善いものや大事な者を守ることは愛だ。そして、ペテロの「とんでもない」という魂の叫びこそが、善だ。
神が正しい愛の神なら、ペテロの魂の叫びはサタンではないし、ペテロもサタンではない。イエスは、妬む神のために犠牲になるのではなく、
改心して、改めることが必要だから、イエスの方が悪であり、間違えている。
しかし、この当時の神は妬む神であり、犠牲や生け贄を求める神だった。そして、そこでは、自分自身が犠牲になるのではなく、
身代わりの生け贄を捧げることになっていた。つまり、誰も自分自身の行動の責任を負わず、責任を他に押しつける、無責任な社会だった。

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、
わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。」」
※それから、イエスは誰でも、イエスに従いたいと思うなら、自分の十字架を負って、従ってくるように言っている。
イエスは、自分の責任を、自分で負うことを求めた。誰もが自分の責任を自分で負い、自分で、自分自身が改心して改めることを要求した。
「」内は、マタイより抜粋

264 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:26:41
マルコで、イエスは「これは新しい契約のためのわたしの血だ。それは多くの人のために注ぎ出されるのだ。」と言っている。
これはモーゼとモーゼの妬む神の契約が破棄され、イエスとイエスの愛の神(=父)が新しい契約を結ぶことを意味している。
そして、間違った神を信じてきた者は、その間違いの責任を自分で負い、モーゼとモーゼの妬む神との契約を破棄し、
イエスとイエスの愛の父と新しい契約を結ぶ必要があった。それが十字架の意味だったのではないかと思う。
(ただし、十字架につくことは悪であり、拒絶する必要がある。イエスが十字架についたなら、イエスとイエスの父は悪だ。)

イエスをキリストだと信じるなら、旧いモーゼの契約ではなく、新しいイエスの契約を信じることになる。旧い契約は破棄され、
新しい契約が結ばれたからだ。だから、モーゼの妬む神ではなく、イエスの愛の神(=父)を信じなければならない。
だから、イエスをキリストだと信じるなら、妬みや犠牲や生け贄を拒絶し、愛や改心して改めることを信じる必要がある。

そして、イエスの愛の神である父を信じるなら、妬みや犠牲や生け贄と、愛や改心し改めることの違いを見分ける必要がある。
妬む神は、間違ったことをした者に対して、犠牲を要求し、その代わりに生け贄を要求していた。
しかし父は、自分で責任を負うことを要求し、間違ったら、自分で改心して改めることを要求している。
だから、自分自身の行動に自分で責任を負わなければいけないし、間違ったら自分で改心して改めなければいけない。
たとえイエスでも、間違っていれば、改心して改めなければいけない。イエスが十字架についたなら間違いだ。
そして、父を信じるなら、善い者や善を愛さなければいけないから、イエスを引き留めることができるし、イエスを
引き留めて良いし、イエスを引き留めなければいけない。

神と呼ばれていようと、アブラハムでも、モーゼでも、パプテスマのヨハネでも、イエスでも、悪は悪だ。
悪を拒絶する必要がある。そして間違えを改心して改める必要があるし、改心して改めることを求める必要がある。
だから、理性が大事だし、心や体も大事だし、自分の魂に照らして善悪をチェックする必要がある。
間違いや妄想を捨てて、正しく考えて、正しく行動することが大事だ。

265 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:30:39
犠牲や生け贄や妬みを拒絶する必要がある。犠牲になったり、犠牲を求めたりすることや、生贄になったり、生贄にしたり、
妬みを拒絶する必要がある。改心して改めることや善を愛することを大事にする必要がある。
改心して改めたり、改心して改めることを求める必要があるし、愛を大事にする必要がある。

名前を書くのも汚らわしい妬む悪魔は、正体を暴かれて倒された。妬みや犠牲や生け贄を断ち切る必要がある。
妬みも犠牲も生け贄も許されない。妬む悪魔は自分で自分の邪悪な考え方を断ち切る必要がある。

宗教という蒙昧を抜け出して、理性に到達した。宗教というおぞましい悪を克服できた。
救済という不可能な悪を終わらすことが出来た。全ての宗教が終わらすことができた。本当の勝利だ。

これで、ようやくイエスが乗り越えられた。犠牲という悪が克服された。救済という不可能な悪が克服された。
人も神も犠牲にしてはならない。人も神も犠牲になってはならない。愛とは優しさや理解であり、善い者や大事な者を守ることだ。
間違いは改心して改めなければならない。自分で理性や心や体を大事にして、自分で仕事もして、自分の責任は自分で負う必要がある。
自分の命を自分で正しく善く幸せに生きる必要がある。善い人と助け合って、大事にしあって、愛を大事にして生きる必要がある。

266 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:36:02
助けあうことはできても、自分の問題は自分で解決するほかにない。自分で自分を救うほかにない。
助け合うことはできても、神にも人にも誰にも、誰かを救うことなどできない。救えないし、救わない。
過去の知識も助けになるだろうが、絶対に正しいものなどない。
助け合い、助けを借りたら、感謝しなければならない。嫉妬や悪は許されない。傲慢も偏見も許されない。
善悪をチェックして、分別をもって理性を大事にして生きなければならない。

宗教とは、教育だったのだという。宗教は、教義にさからわないように、まとめて、縛ってきた。
キリストが十字架にかけられた絵で 悪に対する罪の意識を植え付けようとしたのかもしれない。
しかし、もはや、成長して、宗教に縛られなくなった。
永遠に生死を繰り返していく、自分自身の肉体や心や魂を、自分で正しく考えて、自分で救って、
自分で正しく善く生きなければいけない。

誰にでも自分の自我があり、自分の自由と責任がある。そして、誰も自分だけでは生きていけない。
だから善い者を大事にしなければならない。だから善を大事にして、善くならなければならない。
善くならなければ、善い者と生きていけずに、不幸になって苦しんで駄目になってしまう。
善く生きなければ、善と生きていけずに、不幸になって苦しんで駄目になってしまう。
善くならなければ、世界を駄目にして、不幸になって苦しんで駄目になってしまう。
善くなって、善く考えて、善く生きて、世界を善くして、共に善く生きなければ、生きていけないことは自明の理だ。
だから、自分で自分の責任を負い、間違えたら自分で改心して改めなければいけない。
正しく善くなって、正しくよく考えて、正しく善く行って、正しく善い世界で、正しく善い者や善と共に、正しく善く生きていく他にない。

267 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:42:04
誰も、何も誰も愛することはできず、何かや誰かを愛するのではなく、何かや誰かのなかの善を愛することしかできないのだろうか。
誰も、罪を負うことが出来ず、悪を改めるのではなく、自分の中の悪を憎むことしかできないのだろうか。
誰にでも自我がある。誰にでも自分の心があり考えがあり体があり感情がある。だから、そんな考え方は許されない。間違っている。

自分自身で、正しく善く考えて、正しく善く生きなければいけない。
自分自身で、魂に照らして、善悪をチェックしなければならない。
自分自身で、悪を断ち切り、改心して改めて、自分で責任を負って、正しく善く生きなければいけない。
自分自身で、正しく善くきちんと、正しく善い仕事をして働かなくてはいけない。
自分自身で、善い者や善を、正しく善く大事に愛さなければいけない。


268 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:43:45
>>167-171=聖霊
>>173-175=聖霊

>>176 改心して改める必要がある。

269 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 17:01:15
>>191 改心して改める必要がある。
   神にも人にもキリストにも誰にも、自ら全ての人の罪を背負い込むことなどできない。
   神でも人でもキリストでも誰であっても、自らを犠牲にするようなことは悪だし、自らを犠牲にしてはならない。

270 :1:2006/09/18(月) 00:09:09
1です。いろいろと、ご迷惑をおかけして、済みません。謝罪します。

>>167-171=誤解を与えるようなことを書いてしまって、済みませんでした。
     また、失礼なことを書いてしまい、本当に済みませんでした。
     本当に済みませんでした。お詫びします。
>>173-175=誤解を与えたかも知れないと気がついたのに、謝らずに済みませんでした。
     本当に済みませんでした。お詫びします。


271 :1:2006/09/18(月) 00:10:26
167 :1:2006/08/16(水) 02:19:07 の日のことなのですが、
僕は、ある人から、名前を特定されないようにした方が良いというようなことを聞いたので、
いつも、マンガ喫茶で書き込むようにしていたのですが、この日は、レスを読んでから、
なんだか、いてもたってもいられない気がして、雨の中、夜中に、自転車に乗って、
マンガ喫茶まで走って行って、ずぶ濡れになって、変な目で見られながら書き込んだのです。
だから、168で「どんな姿で書いているのか分からないの。」と書いたのです。
誤解を与えたなら、本当に済みませんでした。お詫びします。済みませんでした。

また、170では大変に失礼なことを書いてしまい、本当に済みませんでした。
他にも、いろいろ失礼なことを書いてしまい、本当に済みませんでした。
お詫びします。本当に済みませんでした。

>>230 ごめんね

272 :1:2006/09/18(月) 00:11:15
また、174で「>>165 が、そちら側なら、あえて謝らない。」などと書いてしまい
謝らずに、済みませんでした。お詫びします。済みませんでした。
後で、読み返してみたら、なんだか大きな病気だと誤解されるみたいな感じに
書いてしまったので、困ったと思ったのですが、そう思ったときに謝らずに
本当にすみませんでした。お詫びします。すみませんでした。
また、その後も謝らずに、本当に済みませんでした。お詫びします。済みませんでした。

そして、考えだけでなく、心や体や感情も大事だし、儀式や儀礼や伝統も大事だと思いました。
ありがとうございます。

それと、科学とか技術とか経済とか文化とか、そういうものも、
善と幸せのためのものでなければ駄目だと思います。
悪用しては駄目だと思います。そして、悪いものは止めなければいけないと思います。

平和も大事だし、こういうのは、哲学ではむりかな。

273 :1:2006/09/18(月) 00:11:52
僕は、あんまり格好が良いとも言えないし、評価もあんまり高くないし、
野球も下手だし、体力もあんまりないし、24時間働くのは当然ムリだし、
仕事は9時-5時週休2日希望です。一応、自分では、ふつうだと思っています。
ところで僕は、その人には、もう1人の人がいるかも、と思います。(スルーでヨロ)

ところで父って、普通に父親のことだったりして。
いつまでも子供の頃の気持ちを忘れずに間違いを改めるみたいな…。
それと、愛とは、子が父を愛し、父が子を愛する愛みたいな…。
それとも人類の最初の父かな?or理想の父かな?

変なことばかり書いて済みませんでした。でも、書いたことは本気で一生懸命に書いたことです。
いろいろ済みませんでした。失礼なことを書いたなら、謝罪します。本当に済みませんでした。

274 :1:2006/09/18(月) 00:13:06
がんばってね。

元気でね。
さよなら。
じゃあね。


275 :1:2006/09/18(月) 00:15:06
じゃあね。

276 :1:2006/09/18(月) 00:15:55
じゃあね。

277 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 19:21:25
失礼ですが、神とは余り関係がないかもしれませんが、意見を書かせていただきます。

1 自己責任の原則は認識しました。
  その上で、国家による教育、研究、福祉、医療、年金、社会保障、経済社会
  政策、警察(少なくとも現状では)等が重要である事を指摘させていただき
  ます。公の問題を解決するためには、公の機関による、公平かつ公正な事業
  の執行が重要であると考えます。
  (ご指摘の点にもかかわらず重複して申し訳ございません。)もちろん効率
  は重要ですが、過度な批判や過度な事業縮小は避けなければならないと考え
  ております。
2 >>273 9時-5時週休2日は、当然のことですが現在の原則である9時-17時週休
  2日であることを指摘させていただきます。なお、年休や長期休暇等の休暇
  も必要であることを指摘させていただきます。
  人でも神でも、働くためだけに生きているわけではなく、幸福追求のために
  生きており、労働は手段であることを指摘させていただきます。
3 日本の平和憲法のような平和主義が重要であり、これを世界にも広げるべき
  であることを指摘させていただきます。
  ただし、平和主義を維持するためには、他国の協力が必要であり、他国を対等
  の立場として認めない国があってはいけないと考えております。偏向教育や
  他国を尊重しない国については、改めて頂かなければならないと考えております。
  平和のためには、国際協調が必要ですし、そのために対話や交渉のための努力が
  必要であることも認識しております。

278 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 19:41:06

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD#.E3.83.9A.E3
.83.88.E3.83.AD.E3.81.A8.E3.82.AD.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88.E6.95.99

聖書にそれ以上の記述はなく、史実的にも実証できないが、外典である
「ペトロ行伝」にも見られる伝承ではローマへ宣教し、ネロ帝の迫害下
で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。また同じ伝承によると、
ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、
師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?
(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「もう一度十字架にかけられる
ためにローマへ。」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟して
ローマへ戻ったという。

私はキリスト教徒ではありませんので余り詳しく知りませんが>>277
すれ違いの文章を書いてしまったお詫びにこの文章を書かせていただきます。
これしか、見つからなかったのですが、記憶ではペテロは、自分から
逆さ十字架にするように頼んだそうです。
ペテロが逆さ十字架についたのは、おそらくパウロという悪魔に負けて、
キリスト教がイエスの教えと全く逆の宗教になってしまったことを、
自らの姿で、イエスに伝えようとしたのではないかと推測いたします。
ペテロは、さぞや悔しかっただろうし、責任を感じていただろうと
推測いたします。もっとも失敗した責任は重いし、大変なことに
なってしまったと思います。しかし全身全霊全力でがんばって
それでも駄目だったのではないかと推測いたします。
そのように考えると、少なくともペテロは、イエスを理解して最
後まで従っており、イエスと契約を結んで、妬む神を捨てて、愛
の神を信じていたのではないかと推測いたします。

間違っていたら申し訳ございません。これは私の推測です。

279 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 22:00:49
>>278
推測するのを止めた方がいいと思います。

280 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 18:58:17
>>279

根拠のない推測は妄想であり、妄想を抱えれば、不幸になると認識しております。
ですから、誤った妄想を断ち切って、正しい道に引き返すことが極めて大事であ
ることは認識しております。
ただし、正しい推測は極めて重要なものだと考えております。以下に私の説の根
拠をお示しいたします。


ペトロの第二の手紙

民の間には偽預言者たちも現われました。あなた方の間にも偽教師
たちが現われることになるのと同じです。彼らは,破壊的な異端を
ひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった主人をさえ否
認し,自分たちに速やかな滅びをもたらすのです。 多くの者が彼ら
の破壊的な道に従い,その結果として,真理の道が中傷されるでし
ょう。

※この文章には、初期のキリスト教会には、「偽教師」がおり、
「破壊的な異端」を持ち込んでいたと書いてあります。
つまり、初期の教会には、既に異端があり、思想の異なる複数の教
会があり、分裂して争っていたことがわかります。


281 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 19:02:01
@イエスとペトロの主張
マタイ
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきた
いと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってき
なさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分
の命を失う者は、それを見いだすであろう。」

ペトロの第一の手紙(ペテロ)=マタイに近い
あなた方を召された方の聖なるさまに従って,あなた方も自分のすべて
の振る舞いにおいて聖なるものとなりなさい。

Aパウロの主張
ローマ人への手紙(パウロ)=イエスの言葉と無関係、真逆
こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とさ
れるのである。すると、どこにわたしたちの誇りがあるのか。全くない。
なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の
法則によってである。


@のイエスとペトロの主張は、行いを重視しています。これに対して、
Aのパウロ信仰を重視しています。
このように明白に異なる思想を持つ、二つの教会があったことが分かり
ます。この両者の思想が、互いに相容れない反対のものであることから、
この2者が争っていたと考えることには十分な理由があると思います。


282 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 19:04:18
ペトロの第二の手紙

パウロも,自分に与えられた知恵に基づいて,あなた方に書き送ったと
おりです。また,以上の事柄を述べている彼のすべての手紙の中にある
とおりです。その手紙の中には幾つか理解しにくいところもあって,
無知で不安定な者たちは,ほかの聖句に対してもしているように,
それを曲解して,自らの滅びを招いています。そのようなわけで,
愛する者たちよ,これらのことをあらかじめ知っているのですから,
悪い者たちの迷いに共に連れ去られて,自分の堅実さから離れ落ち
ることのないように用心していなさい。むしろ,わたしたちの主ま
た救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。
その方に栄光が,今も,そして永久にありますように。アーメン。

上記について、以下で解説します。

283 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 19:10:32
ペトロの第二の手紙

パウロも,自分に与えられた知恵に基づいて,手紙を書き送ったとおりです。

※ペトロはイエスやイエスの言葉を大事にしています。しかし、パウロは、
イエスの言葉やイエス自身に余り触れずに、パウロ自身の知恵で書いたもの
が多いといわれています。


また,以上の事柄を述べている彼のすべての手紙の中にあるとおりです。

※全ての手紙がイエスやイエスの言葉によらずに、パウロ自身の知恵に
よって書いたとも読めます。(原語を知らないので分かりません。間違え
ていたら謝罪します。)

その手紙の中には幾つか理解しにくいところもあって,

※聖書の難解さに比べれば、パウロの手紙に理解しにくいところは見当た
らないようにも思います。


284 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 19:14:20
無知で不安定な者たちは,ほかの聖句に対してもしているように,それを
曲解して,自らの滅びを招いています。

※パウロの手紙によって、自らの滅びを招いた者がいることが書かれて
います。ペトロは、パウロの手紙で滅びた者がいると語っています。
「曲解して」とありますが、パウロの手紙ほどに明快な文章を、どう曲解
たのでしょうか。

285 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 19:21:08
そのようなわけで,愛する者たちよ,これらのことをあらかじめ
知っているのですから,悪い者たちの迷いに共に連れ去られて,
自分の堅実さから離れ落ちることのないように用心していなさい。

※これは、パウロの手紙によって「自らの滅びを招いてい」る
者がいることを知っているのだから、用心するようにと解釈
するのが当然だと思います。

むしろ,わたしたちの主また救い主であるイエス・キリストの恵み
と知識において成長しなさい。
その方に栄光が,今も,そして永久にありますように。アーメン。

※これは、むしろ、パウロの手紙によるのではなく、イエス・キリ
ストの知識によることを勧めたと解釈するのが当然だと思います。

※このようにペトロとパウロは意見が異なり、ペトロはパウロの手紙で
滅びるものがいることを警告しており、イエスの知識に従うことを
進めていることが分かります。
この手紙の文章によって、イエスを信じるキリスト教徒と、パウロの
知恵を信じるキリスト教徒が対立していたことが理解できます。

イエスキリストを信じるなら、当然ですが、イエスを善として、イエス
に反対するパウロを悪魔とするのではないでしょうか。


286 :sage:2006/09/21(木) 18:47:06
>>107
 これは、私の想像であり、願いです。私は、イエスとマグダラのマリアが
結婚して幸せになってほしいと願っています。

>>273
ところで僕は、その人には、もう1人の人がいるかも、と思います。(スルーでヨロ)



287 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:03:17
>>280
※この文章には、

初期の 誤

キリスト教会には、「偽教師」や

がおり、 誤

「破壊的な異端」を持ち込むことになるものが現われることになる

んでいた 誤

と書いてあります。
つまり、初期の教会には、

既に 誤

異端や

があり、 誤

思想の異なる複数の教会が現われることになると考えられていた

あり、分裂して争っていた 誤

ことがわかります。

288 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:05:02
ローマ人への手紙
さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて
分裂を引き起こし、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかる
がよい。なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、
自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者ど
もだからである。

ガラテア人への手紙
あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きに
なったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議
でならない。
それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをか
き乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。
しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたした
ちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人は
のろわれるべきである。
わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、
あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人は
のろわれるべきである。


289 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:18:30
>>282 >>283
パウロも,自分に与えられた知恵に基づいて, 誤

わたしたちの愛する兄弟パウロも,自分に与えられた知恵に基づいて,




290 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:49:13
>>263 >>264

マルコで、イエスは「これは新しい契約のためのわたしの血だ。それは多くの人
のために注ぎ出されるのだ。」と言っている。
これはモーゼとモーゼの妬む神の契約が破棄され、イエスとイエスの愛の神(=父)
が新しい契約を結ぶことを意味している。

妬む神は、間違ったことをした者に対して、犠牲を要求し、その代わりに生け贄
を要求していた。

神がイエスの愛の神だったら、誰でも妬む神のために犠牲になることもなく、生け
贄を捧げて自分自身の行動の責任を負わないこともなく、責任を他に押しつけること
もなく、自分で無責任な行動を改心して改めていただろう。

父は、自分で責任を負うことを要求し、間違ったら、自分で改心して改めることを
要求している。

イエスは誰でも、イエスに従いたいと思うなら、自分の十字架を負って、従ってく
るように言っている。 間違った神を信じてきた者は、その間違いの責任を自分で
負い、モーゼとモーゼの妬む神との契約を破棄し、イエスとイエスの愛の父と新し
い契約を結ぶ必要があった。それが十字架の意味だったのではないかと思う。

父が神なら、善い者や善を愛さなければいけないから、イエスを引き留めるこ
とができるし、イエスを 引き留めて良いし、イエスを引き留めなければいけない。


291 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:50:58
>>141
救済がどう完了しているのか、
理性でもって説明して下さい

>>176
もういいから死んでくれよ

>>177
ご要望に沿えず、大変に申し訳ございませんが、嫌です。

>>202
僕は>>184で、宗教による救済の終了を通告して、理性による時代を宣言しています。


292 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 19:26:17
>>280 は以下のように訂正いたいます。
申し訳ございませんでした。

キリスト教会には、「偽教師」や 「破壊的な異端」を持ち込むことになる
ものが現われることになると書いてあります。
つまり、初期の教会においては、異端や思想の異なる複数の教会が現われ
ることになると考えられていたことがわかります。


293 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 19:56:57
>>176 もういいから死んでくれよ
ということですが、なんてことを言うのかと怒りを感じます。
>>176 は、改心して改める必要があります。邪悪な考え方を断ち切る必要があります。

>>141 救済がどう完了しているのか、理性でもって説明して下さい
と言っているのが、もしも>>176であれば、本人にも邪悪さの自覚があるのかもしれません。

ここで、簡単に、>>176 の邪悪な考え方について説明します。
まず、「もういい」のなら、もういいのですから、ここで、考えを断ち切るべきです。
「もういい」と判断して、決断したなら、そこで考えを終了するのが当然です。しかしもしも、
まだ納得できなくて、 書きたいことがあるなら、礼儀を守って書くべきだと思います。
ここでは、「もういい」と言ったのですから、その後に「から」という接続詞によって、
つながる言葉は存在しません。接続詞を使っても、論理的につながらないものを、つなぐことは
できません。 「もういい」と決めたなら、そこで終わりです。
ですから、もういいと言った後の、「死んでくれよ。」という悪意は、それ以前の言葉とは全く
別の問題です。 すなわち、何の理由もなく、>>176自身にもとからある邪悪な悪意なのです。

今の>>176は、「から」の前 に繋がる理由があると、自分勝手に妄想すれば、いつでも、
人を殺すのを正しいと考えて、全く反省せず、悪いとも思わない、邪悪な考え方を持っている
ことになります。>>176は、間違った考え方を自分で断ち切らない限り、何の脈絡もない妄想に
もとづいて、人を殺して、しかも自分が正しいと思うなのだと思います。

私は、このような邪悪な考え方を決して許しませんし、許してはならないと考えています。
>>176 が善くなって善く生きたいと願うなら、自分自身で、邪悪な考え方を断ち切る必要
があります。>>176 に対しては、改心して改めることを要求します。

294 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:00:04
>>293 について一部訂正します。
一部訂正前
今の>>176は、「から」の前 に繋がる理由があると、自分勝手に妄想すれば、いつでも、
人を殺すのを正しいと考えて、全く反省せず、悪いとも思わない、邪悪な考え方を持っている
ことになります。>>176は、間違った考え方を自分で断ち切らない限り、何の脈絡もない妄想に
もとづいて、人を殺して、しかも自分が正しいと思うなのだと思います。

一部訂正後
今の>>176は、「から」の前 に繋がる理由があると、自分勝手に妄想すれば、いつでも、
人を殺すのを正しいと考えて、全く反省せず、悪いとも思わない、邪悪な考え方を持っている
ことになります。>>176は、間違った考え方を自分で断ち切らない限り、何の脈絡もない妄想に
もとづいて、人を殺して、しかも自分が正しいと思う悪魔なのだと思います。


295 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:13:16
最も重要なことは、殺したり、死んでくれよといったりすることが悪いこと
だときびしく認識して、だめなものはだめだと明確に理解して、自分自身で、
悪い考え方を断ち切って、正しい道に引き返すことだと思います。

なあなあで生きても、苦しくなって、だらしなくでたらめになるだけです。
だめなものはだめだと、はっきりと、けじめをつけて、毅然として生きること
が、真に明るく善い生き方につながるものと思います。



296 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 17:41:03
正しさってなんですか。なぜそれが正しいのですか。

297 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:01:24
>>296 
正しさってなんですか。

『創世記』の1章から3章によれば、親しい神との交わりによって、
自然との調和を保って生きることが正しいそうです。

なお、聖書によれば、原罪とは、善悪の知識を得ることと言われています。
人は、親しい神との交わりによって生きることが正しいそうです。

イエス・キリストの言葉にも「なぜ、わたしを良いというのか。神
お一人のほかに良いものはいない。」(マルコによる福音書10:18)
と言う言葉があるそうです。

意識の機能では、仮説を立てたり、検証することしかできず、善悪は魂
の領域であるという考えもあります。

なぜそれが正しいのですか。
永遠に善く、幸せに生きるために必要だからだと思います。

298 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:03:39
父や子や神々や天使や善いものや大事なものや善を大事にして守り、父や子や神々や天使や善
いものや大事なものや善に対しては、やさしさや理解や愛を。そして、父や子や神々や天使や
善いものや大事なものや善を深く尊敬して感謝して、その自由を大事にして、考えだけでなく、
心や体や感情も大事に。父や子や神々や天使や善いものや大事なものには、本当の自分として
生きて、自由に、幸せになってほしい。

悪に対しては「とんでもない」という魂の叫びを感じます。激しい怒りを感じます。
悪い者や邪悪な考え方や悪を拒絶し、悪い者や邪悪な考え方や悪に対しては厳しさや裁きを。
自分で悪を断ち切り、改心して改めて、自分で責任を負って正しく善く生きる必要がある。



299 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:04:23
>>292 誤、 >>280 の訂正

>>279
根拠のない推測は妄想であり、妄想を抱えれば、不幸になると認識しております。
ですから、誤った妄想を断ち切って、正しい道に引き返すことが極めて大事であ
ることは認識しております。
ただし、正しい推測は極めて重要なものだと考えております。以下に私の説の根
拠をお示しいたします。

ペトロの第二の手紙

民の間には偽預言者たちも現われました。あなた方の間にも偽教師
たちが現われることになるのと同じです。彼らは,破壊的な異端を
ひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった主人をさえ否
認し,自分たちに速やかな滅びをもたらすのです。 多くの者が彼ら
の破壊的な道に従い,その結果として,真理の道が中傷されるでし
ょう。

※この文章には、キリスト教会には、「偽教師」や 「破壊的な異端」を持
ち込むことになるものが現われることになると書いてあります。
つまり、初期の教会においては、思想の異なる「偽教師」や 「破壊的な異
端」が現われることになると考えられていたことがわかります。

300 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:07:16
>>288 ガラテア人への手紙
天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝える
なら、その人はのろわれるべきである。
※とんでもない、なんてことを!、ユダヤ人の悪人の罪と同じだ。神も人も子も成長している。
これは、使徒たちのことかもしれません。ペトロのことかもしれません。

>>289 ペトロの第二の手紙
わたしたちの愛する兄弟パウロも,自分に与えられた知恵に基づいて,
※ペトロも、使徒たちも「自分に与えられた知恵に基づいて,」失敗したのかもしれません。
だから、「むしろ,わたしたちの主また救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において
成長しなさい。その方に栄光が,今も,そして永久にありますように。アーメン。」なのかも
しれません。



301 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:08:25
原罪とは、善悪の知識を得ることだ。絶対に正しいものなんてどこにもない。神=言葉は誤りだ。
善悪は魂の領域だからだ。イエスが十字架についたのはイエスの間違いだ。イエスが十字架につ
いたのはイエスの罪だ。だから、イエスは自分の間違えを改心して改める必要がある。イエスは
自ら全ての人の罪を背負い込むことなどできないし、全ての人の罪を背負い込んではならないし、
誰も全ての人の罪を背負い込ませてはならない。イエスは自らを犠牲や生け贄にしてはならない
し、自らを犠牲や生け贄にさせてはならないし、誰も犠牲や生け贄にしてはならない。イエスは
自分の責任を自分で負って、正しく善く生きる必要がある。
神と呼ばれていようと、アブラハムでも、モーゼでも、パプテスマのヨハネでも、イエスでも、
悪は悪だ。悪は拒絶する必要がある。そして間違えを改心して改める必要があるし、改心して改
めることを求める必要がある。だから、理性が大事だし、心や体も大事だし、魂に照らして善悪
をチェックする必要がある。間違いや妄想を捨てて、正しく考えて、正しく行動することが大事
だ。善い者や大事な者を守ろうとする「とんでもない」という魂の叫びこそが善だ。普通は悪い
者や邪悪な考え方や悪に対しては、心が「ダメ!」と感じる。いいものはいいし、ダメなものは
ダメだ。人情、忠恕、良知とかの発露が大事だ。だめなものはだめだと、けじめをつけて、毅然
として生きることが、真に明るく善い生き方につながる。理に通ずる心を育てること、物事の理を
悟ることが大事だ。人も子も神も神の創造物であり、人と子と神はその養育を神から委託された
者であり、人と子と神を正しく善く養育することは神に対する責任だ。


302 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:09:24
>>294の訂正

>>293 について一部訂正します。
一部訂正前
今の>>176は、「から」の前 に繋がる理由があると、自分勝手に妄想すれば、いつでも、
人を殺すのを正しいと考えて、全く反省せず、悪いとも思わない、邪悪な考え方を持っている
ことになります。>>176は、間違った考え方を自分で断ち切らない限り、何の脈絡もない妄想に
もとづいて、人を殺して、しかも自分が正しいと思うなのだと思います。

一部訂正後
今の>>176は、「から」の前 に繋がる理由があると、自分勝手に妄想すれば、いつでも、
人や神を殺すのを正しいと考えて、全く反省せず、悪いとも思わない、邪悪な考え方を持って
いることになります。>>176は、間違った考え方を自分で断ち切らない限り、何の脈絡もない
妄想にもとづいて、人や神を殺して、しかも自分が正しいと思う悪魔なのだと思います。
あえて言えば、そもそも普通は、人や神を殺すのを正しいと考える理由などないと思うのでは
ないか?、とも思います。「とんでもない」という魂の叫びを感じます。激しい怒りを感じます。
愛は殺しや犠牲や生け贄ではない。殺しや犠牲や生け贄は愛ではない。殺しや犠牲や生け贄は妬
みであり悪だ。妬みや悪が殺しや犠牲や生け贄を求める。
殺しや犠牲や生け贄によってではなく、やさしさや理解によって善や愛や理に通ずる心を育て
ること、善や愛や物事の理を悟ることが大事だ。自分の責任を自分で負って、正しく善く生きる必
要がある。


303 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:10:12
>>244 全ての構成員が最低限遵守すべき基本的な秩序を社会として構築し、互いの利害の対立
を調整する必要がある。それは、唯一の正義に適っているかどうかの機械的な判定ではなく、
理性と、そして情緒とか心とか、愛によって行われる必要がある。

>>243 専門知識を詰め込みすぎて、人間らしい情緒と愛にかけてる人っているからね。
キリストは、もっとも重要な戒めとして、愛する事を提示している。
またその一方で、律法学者を批判している。幼子のようでなければ天国に行けぬとしている。

>>273 いつまでも子供の頃の気持ちを忘れずに間違いを改めるみたいな…。

>>65 妄想や、間違った知識にとらわれていれば、不幸になって、誤った人生を
歩むことになりますし、その間違った道を理性でまっすぐにする

>>266 助けあうことはできても、自分の問題は自分で解決するほかにない。自分で自分を救う
ほかにない。助け合うことはできても、神にも人にも誰にも、誰かを救うことなどできない。
救えないし、救わない。


304 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:11:15
人や神を殺したり生け贄や犠牲にすることなどの邪悪な考え方を断ち切らせて、正しい道に引
き返えさせるには、だめなものはだめだと本人にきびしく認識させて、明確に理解させる必要
があります。それは、機械的な判定によってではなく、怒りだけではなく、理性と、そして困
難ではあるが、情緒とか心とかによっても、困難ではあるが、きびしい父が子をしかるように
行われるべきだと思います。ただし、あらゆる意味で、悪い者や邪悪な考え方や悪を愛しては
いけない。悪は悪だ。悪い者や邪悪な考え方や悪を拒絶して、悪を断ち切る必要がある。
そして、自分の行動の責任を自分で負わせ、間違えを改心して改めることを求める必要がある。

ただし、助けあうことはできても、自分の問題は自分で解決するほかにない。自分で自分を救
うほかにない。助け合うことはできても、神にも人にも誰にも、誰かを救うことなどできない。
救えないし、救わない。自分の責任を自分で負って、正しく善く生きる必要がある。
善いものや大事なものを守ろうとする「とんでもない」という魂の叫びこそが善だ。

>>176には、「とんでもない」という魂の叫びを感じます。激しい怒りを感じます。
>>176は、致命的な間違いだ。悪い者や邪悪な考え方や悪をきびしく拒絶する必要がある。
悪い者の悪の言い訳を許さず、悪い者や邪悪な考え方や悪を拒絶する必要がある。


305 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:02:41
>>296 
このスレでは、@間違った宗教を滅ぼすこと、A神を語ること、B偉人たちの幸福を目指して
います。ですから、いろいろ聞かれても質問に答えられないと思います。

神にも親にも人にも子にも父にも母にも天使たちにも誰にでも全てに幸福追求の権利がある。

世界との完璧で完全な調和と、永遠の善と幸福(天国)のために必要な正しさを、自分の責任は
自分で負って、善い人になって、自分で魂に照らして善く考えて、善く生きることが大事だと
思います。
間違った思い込みや、勘違いを捨てて、善い人になって、善い人と、善い友達になって、互いの
魂と相談して、自分の魂に照らして、善く考えて、善く生きることが大事だと思います。

善い人になって、自分の中の幸せで優しくて良い心を育て、善い友達をつくって、がんばって善い
仕事をして、自分で善く考えて、善い人に学んで従って、なかよく、くらしていくことが大事だと
思います。

306 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:03:16
>>297の訂正
>>296 
正しさってなんですか。

『創世記』の1章から3章によれば、親しい神との交わりによって、
自然との完璧で完全な調和を保って生きることが正しいそうです。
なお、聖書によれば、原罪とは、善悪の知識を得ることと言われています。
人は、親しい神との交わりによって生きることが正しいそうです。
イエス・キリストの言葉にも「なぜ、わたしを良いというのか。神
お一人のほかに良いものはいない。」(マルコによる福音書10:18)
と言う言葉があるそうです。
また、意識の機能では、仮説を立てたり、検証することしかできず、善悪は魂
の領域であるという考えもあります。

なぜそれが正しいのですか。
永遠に善く、幸せに生きるために必要だからだと言われています。
また、妄想や、間違った知識にとらわれていれば、不幸になって、誤った人生を
歩むことになるからという考えもあります。
なお、「正しい知識を得て、正しい行いをすることが、徳を手に入れることになります。
そうすることが、人間にとって幸福なことである。【知行合一】【福徳一致】【知徳一致】」
ということを、ソクラテスが説いていたそうです。

>>217 絶対に正しいものなんて、どこにもなく、善悪を決められるのは、魂だけと
いう考えもあります。
それよりも、みんなで、頑張って、楽しくて、幸せな世界を作りたいと思いませんか。
自分のことは、自分で考えた方が、自信も持てるし幸せだと思いませんか。
理性を大事にしたくないですか。
誰かをいじめるよりも、助け合うことが大事だと思いませんか?

307 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:05:01
>>304 について一部訂正します。 父と母は同格だ。
一部訂正前
きびしい父が子をしかるように
一部訂正後
きびしい親が子をしかるように


>>128
理性では神を語れない。神とは理性でなく、心で語るものだ。→致命的な間違いです。

神とは心をこめて語るものだ。→ということでよいなら、とても参考になりました。
心もとても大事です。ごめんね。ありがとうございます。





308 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:06:13
イエスもまた普通の人間であり、肉体的にも普通の人間と同じだ。奇跡も絶対不可能だ。
神も親も人も子も父も母も天使たちも全て普通の人間であり、肉体的にも普通の人間と
同じだ。奇跡も絶対不可能だ。

神は感謝して尊敬して大事にするべき存在だ。
ただし、世界に一つきりの、万物に共通した魂が充満しているということだけでなく、
それぞれの人間に、それぞれの魂があることもまた事実。
そして、神が宇宙の創造者ということだけでなく、最も進化した存在であり、最も複雑
かつ緻密な存在である人類という種が宇宙の創造者ということもまた事実。



309 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:14:11

>>226
「イエスは復活しないと思います。復活したら、恐ろしいことになるみたいです。」
=死者の復活によって、最後の審判をするという意味だったのかもしれない。
ただし、悪い者や邪悪な考え方や悪をきびしく拒絶して断ち切る必要がある。

善い神も善い親も善い子も善い父も善い母も善い天使たちも善い人も全ての善いものは大事なものだ。
そして、自分の中の幸せで優しくて良い心を育てて、善い人になって、善い友達をつくって、
善い神々や善い天使や善いものや大事なものや善を大事にして守り、深く尊敬して感謝して、
永遠に転生を続ける、自らの永遠の命を自覚して、世界と完璧で完全に調和して、自分の責任は
自分で負って、がんばって善い仕事をして、自分で善く考えて、善い人に学んで従って、
なかよくくらして、永遠の命を正しく善く生きる必要がある。



310 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:14:53
そろそろ終わりにするのがいいのかもしれません。
自分の責任は自分で負って、仕事はするけどね。じゃあね。



311 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:20:22
神もまた人

312 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:21:42
人間だもの


相田みつを

313 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:50:06
イエスもブッダも有る意味、哲を求めた人で宗教とは無縁です。
イエスの復活とは未来にイエスと同じ心の持ち主が現れて世界を平和にするだろう、と言う貯言です。
永遠の命とは繰り返し受け渡される命の尊さを表現した言葉で化物じゃ有るまいし、人が永遠に生きるなど馬鹿なことは言いませんよ。
イエス本人の復活と永遠の命を得れるから、等は宗教の信者と言う集客の商売用語ですよ。




314 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:45:37
>>309の訂正
>>226
「イエスは復活しないと思います。復活したら、恐ろしいことになるみたいです。」
=死者の復活によって、最後の審判をするという意味だったのかもしれない。
ただし、悪い者に改心して改めることを要求して、邪悪な考え方や悪をきびしく拒絶して断ち切る
必要がある。

神も親も子も父も母も天使たちも善い人も全ての善いものや善は大事なものだ。
そして、善い人になって、自分の中の幸せで優しくて良い心を育てて、善い友達をつくって、
父や子や母や神々や天使や善いものや大事なものや善を大事にして守り、深く尊敬して感謝して、
永遠に転生を続ける、自らの永遠の命を自覚して、世界と完璧で完全に調和して、自分の責任は
自分で負って、がんばって善い仕事をして、自分で善く考えて、善い人に学んで従って、善に導き、
なかよくくらして、永遠の命を正しく善く生きる必要がある。


>>307について一部訂正します。
一部訂正前
神とは心をこめてごめんね。語るものだ。→ということでよいなら、とても参考になりました。
心もとても大事です。ごめんね。ありがとうございます。
一部訂正後
神とは善の心をこめて語るものだ。→ということでよいなら、とても参考になりました。
心もとても大事です。ごめんね。ありがとうございます。



315 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:48:33
>>313
1も宗教とは無縁。

人は死にます。偉人たちも死にます。しかし、人が死んだ後で生まれ変わるとすることはイエスにも
ブッダにもプラトンにも多くの先人達にも普通の人たちにも有る意味、当然のことです。
けれども、認識するだけでは無意味だと思います。
人は死ぬと記憶が絶たれてしまいます。記憶の連続性はありません。偉人たちにも記憶の連続性は
ありません。哲学や神話や歴史や本などに出会って、自分の存在を知るのだと思います。

人が死んだ後で生まれ変わるとして、永遠に転生を続ける、自らの命を自覚して、
生まれ変わるたびに善を引き継ぎ、善い人になって、自分の実人生で、幸福を追求すること、
善い人になって、自分で善く考えて、善い人に学んで従って、善い知識を得て、善い行いをすること、
善い人になって、世界との完璧で完全な調和と、永遠の善と幸福(天国)のために自分で仕事もする
ことが永遠の命であると考えます。

善い人になって、>>217 みんなで、頑張って、楽しくて、幸せな世界を作りたいと思いませんか。




316 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:49:20
個人のうちにおける原罪の経験と神に近づこうとする努力が失敗して感じる精神的なつらさもパウロ
はよく表現している。「私には自分のしていることがわかりません。なぜなら私は自分がしたいと思
うことはせず、したくないことをしてしまうからです。もし、私がしたくないことをするなら、律法
を善いものであることを認めます。もはや、したくないことをするのは私ではなく、私の中にある罪
なのです。私は自分の肉体の中には何も良いものがないことを知っています。

正しいことをしたいという気持ちはあっても、できないのです。私は自分のしたいことをするのでは
なく、したくないことをしています。もし私が自分の望まないことをするなら、それは私の中にある
罪のしわざなのです。私は自分がしたいことをしようとするとき、すぐに悪がやってくるという法則
を発見しました。私は神の律法のうちに喜びを見出していますが、自分の奥底ではわたしの体の中に
は、別の法則があって心の法則と戦い、わたしを罪のとりこにしていることがわかります。私はなん
と悲しい人間でしょう。だれが死に定められたこの肉体から救い出してくれるのでしょうか。」
(ローマの信徒への手紙7:15-24)

このジレンマの解決もパウロは見出している。「肉体によって弱められた律法にできなかったことを
神はしてくださいました。つまり自分のひとり息子を罪の体のかたちで世に送り、わたしたちが肉で
なく律法を全うして生きられるように、肉のうちにある罪を処断してくださったのです。」
(ローマの信徒への手紙8:3-4)



317 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:50:30
キルケゴール
http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard21.html

「罪」とは、自己自身を失っている状態を意味する。

 絶望は罪である。なぜなら、絶望は、いずれにしても自分自身を失っており、この失った自分を
世間や他の人に求めたところで、その得られるものは空虚な「偽り」でしかないし、根本的に自分自身
を失っている状態や「偽り」に身を委ねる状態こそが罪に他ならないからである。

ソクラテスに言わせれば、「罪とは無知」である。ソクラテスは、「知は徳」であると考えた。正義や
思慮、勇気、美などのいろいろな徳も、すべて「知識」に基づくのであり、何が正しいかと言うことを
知る者が正しいことを行うと考えたのである。

徳なき知は、人間にとって無意味なものに過ぎない。それゆえ、ソクラテスに言わせれば、人が不正
をなすのは、正しいことが何かを真実に知らないからであり、無知であるか、誤った知をもっている
からである。誤った知は、結局は、そのものについての正しい知識をもたないのだから、無知そのも
のである。だから、「知っている」と言いながら罪を犯すものは、実際は、無知そのものに他ならず、
彼(彼女)は自分の無知にも気がつかないほど無知なのである。その無知から罪が生まれ、罪は無知そ
のものである。彼(彼女)は、まず第一に、自分自身さえ知らないし、知ろうとしない。そして、絶望
は自分自身を失うことであるから、「無知」そのものに他ならないことになる。

「無知」であるかどうか、絶望するかどうかは、その人の思いが向かう方向と大きく関係している。真
実の知に向かうかどうか、真実の愛に向かうかどうか、自分自身から始まる確かな希望に向かうかど
うか、そこに絶望からの回復のカギもあることになる。
簡単に言えば、人は罪を自覚することによって悔い改めへと導かれる。
キルケゴールに言わせれば、「キリストが罪をゆるそうとしたことに、人は躓く」のである。「神と
人間との間に無限の質的差異があるという点に、除きがたい躓きの可能性が存する(p.182)」のである。
だが、「自己が自己自身に関係しながら自己自身であろうと欲する時に、自己はこの自己を躓いた力の
内に、はっきりと自己自身の根拠を見出す」(p.188)のである。


318 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:51:21
自己責任の原則

簡単に言えば、人は罪を自覚することによって悔い改めへと導かれる。
罪はこれを犯すまいとすることによって、はじめて乗り越えられるものである。

>>186 自分のために他人を犠牲にしても、見渡す限り悲惨な世界が出来るだけだ。
自分のために自分の力で、自分を高める努力をするのが理性ある人間だ。

>>219 自分の心は、自分でがんばって、自分で善く変えるほかにないです。自分は駄目だと思って、あき
らめて、責めるだけでは、そこで終わりです。 善い人にならないと、善い友達もできないし、自分で必死
で頑張るほかにないです。

>>190 僕は、カトリック教会に対して、イエスを十字架からおろして、家族のもとに返すことを要求します。
自分の幸せだけでなく、他人の幸せも、神の幸せも大事にして守ることを要求します。そして誰かを犠牲に
して不幸にして、自分が助かろうとする邪悪な考え方を断ち切ることを要求します。 誰も犠牲にせず、神を
犠牲にしないことを要求します。
そして、理性を大事にして生きて、自分に生まれたことを感謝して、自分を大事にして、欠点があっても
自分を見捨てずに、自分のために自分の力で、どこまでもがんばって、自分自身で、努力して、自分らしく
幸せに生きるように勧告します。



319 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:52:19
>>197 訂正

イエスは、良いサマリア人の話しをしましたが、
イエスの犠牲を尊重する人と、イエスを助けようとする
人のどちらがイエスの望みに叶いますか。

どうして、イエスの体から釘を抜くのがそんなに嫌なのですか。
あなたにとって、イエスを愛し、愛させることとは
イエスをむち打って十字架に付け、付けさせることですか。

僕には絶対に、近づかないでください。
絶対に、さわらないでください。



320 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:53:03
真実の愛

「無知」であるかどうか、絶望するかどうかは、その人の思いが向かう方向と大きく関係している。真実
の知に向かうかどうか、真実の愛に向かうかどうか、自分自身から始まる確かな希望に向かうかどうか、
そこに絶望からの回復のカギもあることになる。

イエスは互いに愛しあうことを求めています。

>>185 自分の罪を見つけ出して、紙に製造者責任を問うのが当然だと思って、責任を取ったことをほめて、
よろこんで、歌って、 一人きりの大事な紙の犠牲を求めることが、理にかなっていると主張するのですか。
本気でそれが人間の愛だと言いますか。
僕の愛は違う。はっきりという。僕にはやさしさがある。理解がある。話も聞いてあげられる。わかって
あげられる。 話してあげられる。釘を抜いてあげられる。助けてあげられる。 家に帰してあげられる。
愛する人のもとに、かえしてあげられる。そして、それが、人類の病んだ魂を救うことだと信じる。




321 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:54:21
じゃあね。

322 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 19:45:38
1はイエスを見捨てなかった。
神はイエスを見捨てるのだろうか。
神は1を見捨てるのだろうか。
1の思いは必ず届く。

妬みや犠牲や生け贄なんて嫌だ。
妬みや犠牲や生け贄を無くさなければならない。



323 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 20:27:03
>>292は、>>299のとおり訂正いたします。
>>294は、>>302のとおり訂正いたします。

>>305このスレでは、@間違った宗教を滅ぼすこと、A神を語ること、B偉人たちの幸福を目指して
います。
とのことですが、
B偉人たちの幸福に、父や子や母や神々や天使や善いものや大事なものの幸せが含まれるのであれ
ばそのままで良いのですが、これらが含まれるという確認の意味で、あえてC善いものたちの幸福
が必要な点を指摘させて頂きます。また、確認の意味で、審判後には、D天国の開始が必要な点を
指摘させて頂きます。

>>41 @国家論 日本は東洋を開放し、豊かにした偉大な国
についてですが、戦争の犠牲が看過できない点を指摘させて頂きます。戦争における日本の犠牲の悲
惨さは>>157でご指摘のとおりですが、このような悲惨な戦争や、争いや、犠牲を終わらせる必要が
ある点を指摘させていただきます。
なお、平和主義を維持するためには、他国の偏向教育や差別や蔑視や迫害や不当な非難や詐取を決し
て許してはならず、互いに対等であることを厳しく要求し、公正な関係を築くために交渉しなければ
ならないことを再度指摘させて頂きます。




324 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 20:35:35
そろそろ、終わりですね。じゃあね。

325 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 21:21:05
救済は終わり。

理性の時代の始まり。

罪は改心して改めない限り許されない。

妬みや犠牲や生け贄は許されない。

悪意は許されない。

恨みは許されない。

復讐は許されない。

暴力は許されない。

犯罪は許されない。

呪いは許されない。

悪い心は許されない。

奴隷は許されない。

割礼はやめなければならない。

悪い習慣や伝統はやめなければならない。

処女や童貞や貞節や結婚は大事だが、
神の定めた自然の組み合わせの愛の方が大事。

善になって善く生きるほかにない。

326 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 21:24:45
女と男は同格。

じゃあね。

327 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 20:03:38
>>314の、>>307についての一部訂正だが、
>>128は理性を拒絶する悪魔だ。悪魔の心は悪だ。
善の心と、悪の心は異なる。>>128の悪の心を断ち切らなければならない。



328 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 20:16:36
悪の心

信じるだけで、選民になれる。あるいは、その民族だというだけで
選民だという。周りは全部人間以下。何やっても罪に問われない。
全部神様が責任を負ってくれる。
そうやって身勝手な悪事をして、良心もなく、改めなくても 、自分
には、どうすることも出来ませんし、善も悪もわかりませんと、自
分の罪の正当化のために信じて祈っていれば、戦争にも犯罪にも悪
政にも、どんな悪の正当化にも利用できる。間違っても自分の責任
ではなく神に責任転嫁できる。そうやって責任を逃れながら、謙虚
で信心深いと褒めてもらえる。悪のままで許されてしまう。
また、聖書の意味を勝手に解釈して、その人が信じるとおりに教義
を曲げたり全くかけ離れた行為をして、知らない人を混乱に巻き込
んで好き放題に悪さを出来る。
そうやって、我々の神様は寛容だと言って祈って、悪事を反省もせ
ず、改心もせず改めもしない。
そうやって悪事を働いて、心の中にも、回りにも、不安や混乱や争
いが絶えなくても、どんな問題も教えや信仰の問題にできるし、自
分の人格とか生涯を自分自身で考える必要もない。どんな悪さをや
っても、自分は「本物を信じている」、自分は「許されている」な
どと言う。

こういう悪の心を断ち切らなければならない。
民族であれ誰であれ、選民意識や被害者意識を断ち切らなければら
ならない。そして、自分自身を知らなければならない。

悪の心を断ち切らなければならない。

329 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 20:29:28
神とはカミさんだ。ははは。

じゃあな。


330 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 18:10:10
http://3.csx.jp/peachy/
data/korea/

韓国は“なぜ”反日か?

331 :313:2006/10/04(水) 11:20:45

理性によって神を語る
>315
>人は死にます。偉人たちも死にます。しかし、人が死んだ後で生まれ変わるとすることはイエスにも
>ブッダにもプラトンにも多くの先人達にも普通の人たちにも有る意味、当然のことです。

多くの人々が生まれ変わりを唱えたことを何故当然の事として受け止めねば成らないのか?
人が物事の理を悟れば、人類社会が平和に運営されますが理に通ずる心は来世や輪廻などの命の換えが有るが如き因習に従ったのでは絶対に叶いません。
何故かは物事の理を悟るに際し、一度限りの掛け替えの無い人生と言う命を得たことに深い感謝の心が必要だからです。





332 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:48:04
>331 多くの人々が生まれ変わりを唱えたことを何故当然の事として受け止めねば成
らないのか?

とのことですが、それは世界と命と理を心をこめて愛して、善くなって善く生きるためです。
また、これは人類が幸福に生きるために必要なことだと思います。
人間には理性があります。理性がありながら、事実を知らずに、自分を見失ったままで生き
ていたら、いつまでも考えて悩み、苦しんで、無知蒙昧の混迷と闇の中を生きることになる
と思います。事実を事実として正しく善く優しく受け止めて、現実を善く生きることが、理
に通じることであり、明るい心につながり、善につながると思います。

たとえば、死の恐怖や、死後の世界を不安に思ったとき、死について、いかに苦しみ、いか
に考え、いかに悩んでも、事実を拒絶していたら、何も解決しません。
しかし、死後に転生するものと考えれば、世界は全く違った姿で見えてきます。
不正に満ちた酷い国に転生したり、知恵や力がない者として転生したり、環境の悪い
場所に生まれたり、戦争のさなかに生まれたり、飢えた国に生まれたりすることを想像して
みてください。世界の様々な問題は、全て自分自身にも関わる身近な問題となってきます。

また、正しさとは、善い人や自分の善の魂と交流しながら、世界との完璧で完全な調和を保
ち、永遠に善く幸福に生きるためのものです。ですから、永遠の命を理解しなければ、そも
そも正しいことは、何一つ、できないと思います。
人が物事の理を悟って、人類社会を平和に運営するためにも正しい知識を得ることが必要です。
そもそも、理に通じる心を育てるためには、真実を受け止めなければなりません。真実から
逃れて虚偽で命を損なったら、虚偽の心で、虚偽の人生を生きて、虚偽の命を死ぬと思います。


333 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 22:06:56
理に通ずる心は来世や輪廻などの命の換えが有るが如き因習に従ったのでは絶対
に叶いません。

との事ですが、「命の替えが有る」という考えは、致命的な間違いです。
命を愛するということは、全ての命を永遠に愛するということです。他に方法はありません。
そして、この時を、この世界で、この条件で、この仲間達と共に生きるのは、本当に一度きりです。
今出会った人たちとは、もう二度と会わないかもしれません。そして、次に生まれる時には知恵や、
あるいは、体力に恵まれているかも知れません。あるいは、恵みが少ないかもしれません。
いずれにしても、全く同じ姿や力で生まれることはありません。
そして、命を憎んだり、犠牲や生贄を肯定する世界では、誰も、幸せに生きることはできません。
イエスは病を治す様々な奇跡を行ったと言われています。それは福祉や医療の重要性を説いた
ものでもあります。しかし、それはどんな小さな命でも、病んで生まれた命であっても、大切に
して、助け合って、命を大事にしあって、共に大事に生きる愛を示したものだと思います。

そして、永遠の命があるからこそ、どこに、どのような条件で生まれるか分からないからこそ、
この世界の全てを善くしなければならないという、熱意と情熱と、愛が生まれるものと思います。
そして永遠の命があるからこそ、精一杯に善く生きて安らかに寿命で死んでいけるのだと思います。
どのように生きても、一度限りの人生ならば、誰が世界のことに真剣になるでしょうか。
誰が真実を求めるでしょうか。誰が他人のことや、世界のことを本気で考えるでしょうか。
一度限りの人生などと言う因習に従って、その日暮らしをしていたら、刹那的に死んでいくだけだ
と思います。全ての命を永遠に愛するのでなければ、愛ではないと思います。
ニーチェのように、優れた者だけが生きるような考え方や、犠牲や生贄を肯定する世界では、本当に
永劫回帰の地獄だと思います。不正や虚偽や争いで、世界や国家や命を食いつぶして、破滅を繰り返し
たら、際限がありません。そこには、愛がないと思います。どんな命でも奇跡さえ願って最後まで愛する
こと。全ての命を愛すること、永遠の命を愛すること、互いに愛し合い、助け合って、生きていくことが、
真実の愛だと思います。

334 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 22:11:48
物事の理を悟るに際し、一度限りの掛け替えの無い人生と言う命を得たことに
深い感謝の心が必要だからです。

とのことですが、一度限りの人生などと刹那的に考えたり、命を憎んだりしながら、誰が人生を正
しく生きることができるでしょうか。誰が満たされて、安心できるでしょうか。
上記で、くどくどと、命を愛することの大事さを説明しましたが、どこの国でも、普通なら、自分
の人生が一度限りで、死ねば全てが終わるなどとは考えていません。普通は、生まれ変わりを信じ
た上で、今ここで自分として生まれた、この自分の命を愛して、善く生きたいと願って、助け合っ
て、愛しあって生きていると思います。普通は、生まれ変わることを認識した上で、命をかけがえ
のないものとして、なによりも愛して、大切にして生きています。

また、人間は死にます。そして記憶の連続性も、意識の連続性もありません。ですから、次に生ま
れる命は、今の自分自身でありません。新しい別の命であることも事実です。
生き物は、遺伝子の助けを借りながら存続していると言われています。いずれにしても魂は、肉体
や物質なしには生きることができません。肉体や物質はかけがえのない大事なものです。
このように考えるなら、多くの者には、過去に沢山の友がいて、未来にも沢山の友が現れ、直接に
出会うことはない、多くの友がいると考えることもできるでしょう。また、自分に似ている者や、
自分とは違った、さまざまな友を見いだすこともできることでしょう。
いずれにしても、永遠の命を考えるからこそ、人生も人間関係も刹那的なものでなくなると思います。
殺し合っても争いあっても問題が解決しないことを悟り、命の大事さや、出会いや別れの大事さを悟り、
それぞれに互いの道を見いだすことの大事さを悟り、それぞれが互いに善く幸せに生きる道を選ぶ
ための自由や平和の大事さを悟り、互いに愛し合うことの大事さを悟るようになると考えます。
愛し合うとは、おそらくは、共に生きる場合もあれば、別れて生きる場合もあるでしょう。

335 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 22:14:34
いずれにしても、自他の命を愛し、互いに愛し合うことは、大事なことです。全ての命を永遠に愛する
ことが大事です。
イエスであれ誰であれ、犠牲にしたり犠牲になったり、生け贄にしたり生け贄になったりすることは
決してしてはいけないことです。そんなことは絶対に駄目です。
自分であれ他人であれ、命を愛することなしには、誰一人として幸せになれないと思います。

かつて釈迦は、転生という知識によって命の大切さを見失わないように、解脱を説いて、かけがえの
ない命を大事にして善く生きるように説いたそうです。この程度のことは普通の日本人なら、当然
の知識だと思います。>>236の橋本治の「宗教なんかこわくない!」を、ざっと立ち読みさせて頂き
ましたが、この本の後ろの方に仏教について書いてありましたので読んでみることをお勧めします。
仏教は、宗教というよりも、普通の人が、普通に生きるための思想に過ぎないそうです。

いずれにしても、>>331さんのご指摘の通り、命に対する愛を失ってしまったら、本当に地獄のような
世界になってしまうと思います。魂は一つきりでもありますから、病んだ魂では皆が不幸になるでしょう。
ですから、永遠の命を語ったり、理解するには、優しさや、思いやりや、愛がとても大事だと思います。
そして、事実を正しく受け容れることは、理に通じる心を養うために極めて大事なことだと思います。

この世界は、様々な問題を抱えています。環境問題、エネルギー問題、科学技術の問題、戦争や紛争。
教育の問題など深刻かつ複雑な様々な問題があります。これらの問題を、一つの世代だけで解決するのは、
困難です。
もしも、一世代の住人が、自分の世代だけのことを考えて、資源を使い果たしたり、環境を汚染したり、
不正をしたり、科学技術や政治経済を悪用したら、後の世代が、どれだけ困るでしょうか。
これらの世代を超えた問題を、他人事のように考えていたら、世界はあっという間に滅びてしまうでしょう。
いずれにしても、善くなって善く生きるほかに方法はないのです。
ですから、全ての善い命を永遠に善く愛することがとても大事なことだと思います。

336 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 22:17:43
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/
韓国は“なぜ”反日か? 「日本は、韓国に嫌われている」

>>330
善良な者がいるなら、善良な者は、差別や迫害をせずに、大事にする必要がある。
ただし、多方面から情報を収集し、客観的な事実及び現状を確認する必要がある。
不当な前例は破棄し、法律を公正に適用し、犯罪を厳しく取り締まる必要がある。
事実を調査し、正確な情報を報道して、問題や危険を広く知らせる必要がある。
犯罪や虐めや、ねつ造や嘘や、軽蔑や怨恨や、嫌悪や憎悪を許してはならない。
自分でも自分の立場を主張しなければならない。国際社会にも理解を求めるべき。
間違いは改める必要がある。さらに、間違いを指摘して改めさせる必要がある。
自他を貶めたり、憎ませるような、報道や教育をしてはならない。
不合理かつ不必要な特権があるなら、廃止すべき。
できるかぎり礼儀を守って交渉して、互いに尊重しあう対等な関係を築くべき。

酷い話だ。激しい怒りを感じる。警戒して、危険に対処する必要がある。
しかし、善良な者がいるとすれば、善良な者は大事にする必要がある。
まず、事実と現状を確認する必要がある。ネットでは、共産主義者の陰謀説など様々
な説を聞くが、問題に対処するためにも、事実の確認が必要だと思う。
また、もしもこれが誤解なら、この誤解を解くためにも正確な情報が必要だと思う。

個人的には、善い者に配慮しながら、身近な人や大事な人には、確認できた事実を
ある程度は伝えて、危険や問題を知ってもらい、注意してもらうことが大事だと思う。

337 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 20:15:51
中国の千手観音の様なショーをTVで観た。
黄金に煌めいていて神の使いの様で本当に綺麗だった。
キリスト教、仏教、ヒンズー教、など等、宗教は様々だけれど
神は一人だろうなとそれを見て思った。

338 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 22:15:02
A「宇宙はどうしてできたのだろうか?」
B「そんなことも知らないのか?宇宙は100億年ほど前にビッグバンによって誕生したんだよ。」
A「それは知っているが、じゃあ、そのビッグバンはなぜ起きたんだ?」
B「何を言ってるのかよくわからないのだが?」
A「それは知っているが、じゃあ、そのビッグバンはなぜ起きたんだ?」
B「・・・・」
C「神が起こしたんだよ。」
B「いやそれは違うだろ。」
C「なんでだ?」
B「神なんてものを前提するのは非合理だ。」
C「しかし、何かが起きるのには原因が必ずあるはずだろう?商店街のシャッターに落書きが書いてあるのは、
  落書きを書いた奴がいるからだ。それを、誰が描いたのでもないと考えるほうがよほど非合理だ。
  だから、ビッグバンも、それを起こした原因があるはずだ。
  それが人間ではありえない以上、神以外に考えられないじゃないか。」
A「まってくれ、じゃあ、その神はどうしてできたんだ?」
C「質問の意味がよくわからないのだが。」
A「何かが起きるのには必ず原因があるというのなら、神が存在するということにも、原因がなければおかしいじゃないか?」
C「神の存在に原因などあるものか。」
A「じゃあ、ビッグバンにだって原因がなくてもいいじゃないか?」

339 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 22:36:56
とりあえず、どうして?がなぜ?と分かったところで
しらねーよ、と言ってみるのはどう?

340 :一言居士:2006/10/06(金) 22:40:25
>>333
あなたはニーチェの何がわかっているというのか?
ニーチェは別に弱肉強食を肯定したわけじゃないんだぞ。人間は基本的に個人で生きていくもので、他人に依存するべきでないという意味でニーチェは隣人愛を否定し、代わりに遠人愛を打ちたてた。
つまり隣人を無制限に愛するのは考えものというわけだ。隣人を愛するあまり自分を疎んじることになりかねないから隣人愛を否定したのだ。しかし、打算的な利己も否定したのだ。それは自分を大事にできないから。
ようはなニーチェは内発的・主体的な愛を肯定し、外発的・義務的な愛を否定したのだ。

あとな、あなた同情をよいものと思っているでしょう?ニーチェに言わせりゃ、同情なんてのは相手を密かに見下すことなんだってさ。そして、同情しすぎて自分の健康を損なうことになりかねない。
ニーチェ以外にも同情を肯定しなかった哲学者も結構いるんだからね。たとえばカントもそうなんだよ。

あとな永遠の生命とか言うようだが、俺はそんなものいらない。終わりなき命なんて考えただけでも疲れる。
俺を生命軽視のやからだと思うかもしれない。
けれども、いいか、生命を尊重することと、生命に固執することは違うんだからな。このことを踏まえて安楽死などの問題も考えてみることだな。

341 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 22:48:45
物理法則を神の意志と看做す。
意志にその主体を要請しても普通は自然なことのはずだし、
なぜ?は分からないから、「分からん」か「神を仮設する」か
どっちか好きな方を選んでおこう、とか。
仮設で満足しとけば文句も出ないだろう?

342 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:09:09
神を仮説することに何か意味があるの?

343 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:11:57
他のすべてに意味を与えられるという意義があると思います。

344 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:13:37
「意味を与えること」に何か意味があるの?

345 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:14:46
>>48 暴力はやめましょう。

346 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 16:45:43
>>338
 残念ですが、宇宙のことはよく知りません。別スレでお願いします。ちなみに、このスレは、神が一人で全てを
 創造するのはムリという立場です。そして人類という種が宇宙の創造者ということもまた事実という立場です。


>>340 あなたはニーチェの何がわかっているというのか?
 わかってなかったようです。ご意見ありがとうございます。また、勝手に決めつけてすみませんでした。
 ご指摘を参考にして、以下に考え直してみました。

神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、デカダンス、
ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
そのなかには、有名な永劫回帰(永遠回帰)説がある。古代ギリシアの回帰的時間概念を借用して、世界は何か目
標に向かって動くことはなく、現在と同じ世界を何度も繰り返すという世界観をさす。これは、生存することの不
快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのよう
な人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。
 悪癖を否定する良心はとても大事だと思います。ただし、誰も虚偽や不幸に満ちた無意味な世界に繰り返し生
 まれ変わりたいとは思わないと考えます。それでは、まるで地獄だと思います。
 仏教でも善人は極楽に行くと言われています。善い世界を築くためにこそ、善く自立して自分の責任を果たす
 必要があるのだと思います。善くなって善を行って、死んでしまう命を大事にして、自分の幸福を大事にして、
 幸せを目指して、極楽のような世界を目指して、考えたり努力したり仕事も、するべきだと思います。

347 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 16:47:25
それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替え
た。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、恨みという負の感情ルサン
チマンによって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩や矮小化の原因であり、それを超越した超
人をめざすことによって解決されるべきとした。
 確かに、理性だけでは限界があると思いました。このスレの題名は「理性によって神を語る」から、「理性と善
 の心と愛によって神を語る」に変えた方が良いと思います。
 そして、恨みは悪です。恨みは断ち切る必要があると思います。恨みや負の感情(ルサンチマン)を断ち切り、
 誰もが善く自立して自己責任で生きなければいけないと思います。この指摘は、とても重要だと思います。
 誰に対してであれ、恨みや負の感情(ルサンチマン)をもつことは悪だと思います。自己責任だと思います。
 そして、己の良心に照らし合わせて、自分の責任と善を受け入れて、恨みや負の感情(ルサンチマン)を悪と
 して断ち切って、善悪を厳しく分かち定めて、理非を明確に弁別する理と愛のある心を育てるべきだと思います。

その思想は、ナチスのイデオロギーに利用されたが、多くのニーチェ主義者が喝破していたように、それはニーチ
ェ哲学の曲解、通俗化でしかなかった。
〈善悪の彼岸〉〈超人〉〈力への意志〉など、文字面だけを見れば強権に迎合するものとも見えかねないキーワー
ドをニーチェ自身が多用していたことも問題を紛糾させた一因である。
 曲解してしまったようです。すみませんでした。

348 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 16:48:50
ニーチェは別に弱肉強食を肯定したわけじゃないんだぞ。人間は基本的に個人で生きていくもので、他人に依存す
るべきでないという意味でニーチェは隣人愛を否定し、代わりに遠人愛を打ちたてた。 つまり隣人を無制限に愛
するのは考えものというわけだ。隣人を愛するあまり自分を疎んじることになりかねないから隣人愛を否定したの
だ。しかし、打算的な利己も否定したのだ。それは自分を大事にできないから。
ようはなニーチェは内発的・主体的な愛を肯定し、外発的・義務的な愛を否定したのだ。
 誰でも自己責任が基本だと思います。そして救済は不可能だし間違いだと思います。普通に生きていれば、やる
 ことが沢山あるし、誰であっても幸福追求の権利を譲ってはいけません。そして何事のためであっても強制や義
 務や犠牲や生け贄は拒絶します。そして僕は隣人は善人だけだと思っています。だから、別れも沢山あります。
 そして、友達になれたり、助け合えたりできる人はそれほど多くないです。でも、善く自立して自己責任を果たす
 ためにも、身近の善い先輩や善い仲間を大事にして、互いに助け合うことも大事だと思います。けれども、人によ
 って違いがあるし、善い自立や自己責任のためにこそ、自由や平和や、理解や優しさや厳しさが大事だと思います。

あとな、あなた同情をよいものと思っているでしょう?ニーチェに言わせりゃ、同情なんてのは相手を密かに見下
すことなんだってさ。そして、同情しすぎて自分の健康を損なうことになりかねない。
ニーチェ以外にも同情を肯定しなかった哲学者も結構いるんだからね。たとえばカントもそうなんだよ。
 僕は同情を悪いことだと思っています。同情は、犠牲や生け贄のようなものだから、嫌だと思います。
 苦しいときに苦しんだり苦しんでもらっても無意味だし、そんなことをしたらみんなが不幸になると思います。

349 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 17:13:32
あとな永遠の生命とか言うようだが、俺はそんなものいらない。終わりなき命なんて考えただけでも疲れる。
俺を生命軽視のやからだと思うかもしれない。
ニーチェは有名な永劫回帰説を『悦ばしき知識』で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限り
のものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観
である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界観を真っ向から
対立するものである。
 幸福を犠牲するのも、虚偽や悪に満ちた永劫回帰も嫌です。このスレでは可能な限り聖書を参考にして、駄目な
 ものを拒絶して、天国を開始したいと考えています。まず、イエスが復活(転生)して、やむえず世界を救って
 きたと考えました。そして、キリスト教国家を世界中に作って、千年ではないようですが、キリスト教徒の天国
 を作ってきたのだと思います。この期間は、行いによって裁かれても、内心は悪のままで、実際に悪に満ちた
 「来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界」だったのだと思います。
 そして、この期間は、誰が支配者になっても悪を行わないような試行錯誤のためであり、地上に人が満ちて養え
 るようになるまでの人類創造の試練の期間だったのだと思います。また、キリストの来世とは、人類創造の完了
 と考えました。そして、世界に人が満ちて、一応形だけでも幸福な世界のモデルが完成したと考えました。実際
 に幸せそうな人もたくさんいます。ですから、最後の審判によって内心を正して、そして永遠の命のことも意識
 して、人生を生きることで、形だけでなく、内心からも善になり、誰もが善く自立して自己責任を負って、自ら
 善を行う天国のような世界を開始できるはずだと考えています。ところで、人間は死にます。終わり無き命なん
 てありません。そして、永遠を時間として考えるのは間違いだと思います。いつでも「今」があると考えるべき
 だと思います。今日は今日の仕事をすれば十分というような言葉があったと思いますが、今を愛することが大事
 だと思います。そして今とは、大きさとか、複雑さのことだと思います。僕は、豊かな自然や善い文化を愛する立場です。

350 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 17:17:44
ニーチェはコジマ・ヴァーグナーやブルクハルトほか何人かの友人に短い手紙を送るが、それらはいずれも狂気の徴
候を示すものであった。ブルクハルト宛の手紙では「私はカイアファを拘束させてしまいました。昨年には私自身も
ドイツの医師たちによって延々と磔にされました。ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ
!」と書き、またコジマ・ヴァーグナー宛の手紙では「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たこ
ろは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴ
ォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないで
はありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」と不可思議な
内容を書き綴った。

>>331 さんの指摘の中には極めて重要な側面があると思います。
 聖書には、死者の復活について書かれています。しかし、これはバッドエンドだと思います。聖書は死者を復活さ
 せないように警告しているのだと思います。人間は死にます。そして、別の命が生まれるのです。永遠を認識しな
 がらも、橋本治風の解脱もすべきです。死者を復活させたら、所有権のことだけでも社会を維持できないと思います。
 おそらく、誰が誰の生まれ変わりなんて、突き詰めて考えたり、探して特定して社会を運営したりすることは、や
 ってはいけない破滅の道なのだと思います。ただし、善い者は大事です。そして、礼儀や感謝は大事だと思います。
 そして、天国とは、内心の心から善くなって善く生きて、幸せになるだけで、ほとんど今の世界の善いところを組
 み合わせたような世界になるのではないかと想像します。もちろん解決するべき問題も沢山ありますが…。

 ところで、聖書によるとイエスは、父に支配権を返すことになっているそうです。父とは、魂や良心のことだと言
 われていますし、救いは国から来るそうですから、イエスでも神々でも聖人でも天使でも誰でも、普通の人として、
 善くなって善く生きるのだと思います。そして誰でも、善くなって頑張って善いことをすれば、偉くなれるのだと思います。

351 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 17:19:27
けれども、いいか、生命を尊重することと、生命に固執することは違うんだからな。このことを踏まえて安楽死な
どの問題も考えてみることだな。
 ご指摘ありがとうございます。とても大事な指摘です。執着と愛は全く別物だと思います。執着は悪です。
 生命に固執するのは「とんでもない」悪です。致命的な間違いです。生命に固執したり執着してはいけないと思います。
 科学や医療の悪用は駄目です。自然に反して生きるのはとんでもない悪です。致命的な間違いです。愛や自然や倫理が
 とても大事だと思います。本当に良心が大事だと思います。人は必ず死にます。死ぬことも大事なことです。
 生命を尊重することは、生命に伴う死を受け容れて、限られた自分の命を精一杯に生きて、そして、安らかに
 死ぬことだと思います。死から逃げずに、死を優しく受け止めて、安らかに死ぬことも命を愛することだと思います。
 そのためにも、仏教は、死をうけいれるように慰めたり、転生を説いてきたのではないかと思います。

 (参考)
 QOLは、近年重要性を増してきている医療の目標のひとつである。がんをはじめとした疾患の治療において、
 従来は治療効果を測る基準が生存期間(5年生存率など)のみであった。死亡数を減らすことが重要なのには
 現在も変わりないが、生存期間の長さに加えて質も重要な治療効果であると考えるのが近年の流れである。
 QOLが考慮される場面は様々であり、
 治療法の選択(乳房を切除するか否かなど)
 症状への対応(鎮痛など)
 これらの状況でのQOLを定量的に評価する方法(感性制御技術など)や、治療法ごとのQOLへの影響の度合いが
 研究されている。
 特に、治癒の期待できない終末期医療では生存期間を伸ばすことに大きな意義はなく、QOLの維持向上こそが
 治療の目的となる。特に、痛みなどの症状軽減を目的とした医療は緩和医療と呼ばれる。

352 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 17:25:54
>>341-344 別スレでお願いします。

>>345 すみませんでした。

353 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:25:37
>>349 訂正
まず、イエスが復活(転生)して、やむえず世界を救ってきたと考えました。

まず、イエスとイエスの友が復活(転生)して、世界を教育してきたと考えました。


 >>331 さんの指摘は重いものだと思います。
仏教でも執着を断って解脱するように説かれているようです。執着と愛は違います。
輪廻転生に捕らわれて、自分の人生を見失ったり、悪用するのは、致命的な間違いだ
と思います。
ぜひ、生まれ変わりたい。と思えるような善い世界を作って、善くなって善く生きて、
善い世界のために仕事もするべきだと思います。



354 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:26:16
もしも釈迦が、この世界の苦しみだけを見て本当に消えたいと考えたり、結婚を大事にしなかった
なら、釈迦は間違っていると思います。愛と幸福を目指して生きるべきだと思うからです。釈迦は
最後に故郷に帰ろうとしたとのことですが、家に帰って、謝って、結婚して愛し合わなければなら
ないと思います。釈迦は改心して改めて、善になって、結婚して、仕事もして、自分で考えて、自
分の人生を普通に善く暮らすべきだと思います。

仏教は、一度全てを否定して、逆説的に本当に必要なものを考えるための思想なのかもしれません。
あらゆる命の大切さを知り、犠牲にしたり犠牲になったりせずに、本当に捨てられない大事なもの
を大事にして、自他を尊重して、自由と平和を大事にして、慌てたり恐れたり混乱したり憎んだり
恐れたり悪事をしたりせずに自制して謙虚になって、流されずに自分で考えて、本当の自分を知っ
て、束縛を拒絶して個人として生きて、仕事もして、善いものになって、自発的に善く生きたいと
思うことが目的の教育だったのかもしれません。
どの宗教も、時代や状況に合わせて作られたものであり、人類の創造を完了させて、自発的に世界
と命と今を愛して、感謝と畏れを持って、前向きに生きるための教育だったのだと思います。

仏教は解脱を説いています。仏教の解脱とは、転生するしかないという考え方を否定して、死んで
終わってしまう自分の人生を、自分から善くして、自覚的に善く生きて、安らかに死ぬという、ご
く普通の人生観を説いたものだというようなことを、橋本治さんが言っていたと思います。


355 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:26:59
誰であれ、個人が、全知全能であったり、完全に正しいことは無いと思います。時代や状況に合わ
せた言行だと思います。そして、たとえ、その時には正しくても、成長していけば、正しいもので
はなくなることもあると思います。試験勉強のように努力精進が必要な時代もあったのかもしれま
せん。しかし、成長して、問題が克服されれば、当然、時代に合わなくなっていくのだと思います。
仏教とは、死や別れや不可能なことに対して、恐れたり、慌てたり、執着して悪さをしたりせずに、
あきらめるべきことはあきらめて、安らいだ気持ちで、死や別れを迎えたり、別れたり、ムリなこ
とはムリだとあきらめて、受けいれるための思想なのかもしれない、とも思います。

誰も救済なんてできないし、誰も救済しない。助け合うことができても自己責任なのだと思います。
そして、個人を崇拝するようなものや、自分を特別視して、他を見下すようなものは、駄目だと思
います。誰にでも幸福追求の権利があると思います。そして、完全な者など存在しないし、誰も魂
や良心によらずに善にはなれないと思います。神とは、唯一の魂と個人の善の魂と魂の叫びのこと
だと思います。個人としての自分の魂を善くしたり、環境や世界を改善したり、社会を穏健に改善
していくには、自分の善の魂を善く育てることや、自然や世界の全てに神を見いだしてを畏れを感
じる心を育てることや、善の魂の叫びを重視することが、重要だと思います。誰であれ完全な者な
どいません。一人きりで何でもできる者などいません。誰であれ、善の魂による他には善になれま
せん。誰であれ、善となって、善い者と共に、自由に普通に、善く生きるべきだと思います。



356 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:28:06
>>346 >>349 
『悦ばしき知識』(1882年)はニーチェの中期の著作の中では最も大部かつ包括的なものであり、
引き続きアフォリズム形式をとりながら他の諸作よりも多くの詩作を含んでいる。中心となるテ
ーマは悦ばしい生の肯定であり、また生から美的な歓喜を引き出す気楽な学識への没頭である
(タイトルは詩作法を表すプロヴァンス語からつけられたもの)。
例えば、ニーチェは有名な永劫回帰説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の
生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来
永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にす
ることを強いるキリスト教的世界観を真っ向から対立するものである。
永劫回帰説もさることながら、『悦ばしき知恵』を最も有名にしたのは、伝統的宗教からの自然
主義的・美学的離別を決定づける「神は死んだ」という主張であろう。
 ニーチェは、悦ばしい生の肯定を説いているのであって、不幸な生を肯定したわけではなかっ
 たようです。曲解しました。済みませんでした。
 本当に一言居士さんが>>340でおっしゃったとおり、ニーチェをわかってなかったようです。
 「神は死んだ」ということですが、僕は妬む神、犠牲や生け贄を求める神のことは拒絶します。
 そして僕は、神に対して、改心して改めて愛するように求めます。
 僕は同情は悪いことだと思います。しかし、善い者や大事な者のためには、悲しんだり、問題
 を解決しようとしたり、助けあおうとしたりします。僕はイエスを見捨てなかった。


357 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:28:35
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだ
と主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、
彼ら一同に注がれた。
彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、
売った物の代金をもってきて、
使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
クプロ生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、
自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。
第五章
ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、
共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。
そこで、ペテロが言った、「アナニヤと、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、
聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはず
ではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、
神を欺いたのだ」。
アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、
みな非常なおそれを感じた。
それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。
三時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。
そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。その
とおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。
ペテロは言った、「あなたがたあたりが、心を合わせて、主の御霊を試みるとは、何事である
か。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出される
であろう」。
すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女
がしんでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。
教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常に恐れを感じた。

358 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:33:40
ペテロはなんてことをしたのかと思う。愛がないと思う。本当に悲しみと怒りを感じる。酷い恐怖政治だ。
恐喝であり脅迫であり洗脳だと思う。ペテロは酷い悪だと思う。改心して改めなければならない。これは
共産主義や社会主義のようだと思う。共産主義や社会主義は、暴力による独裁で、管理社会で、個人も財
産も自由も人権もない奴隷制のような恐怖政治だと思う。

「共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、
公然と宣言する。」として、暴力によってのみ共産主義革命が達成できると主張した(暴力革命必然論)。
暴力革命によってプロレタリア独裁を実行したことから、結果的に社会のあらゆる組織を国が管理・支配す
る社会が生まれた。言論の自由がなく、秘密警察が市民を監視する社会である(当時ルーマニアでは人口2
300万人に対し、秘密警察は200万人いると言われていた。無論ありえない数字であり、歴史修正主義者に
よるプロパガンダとの批判もある)。体制の最高指導者の政策に異議を唱えるものは、「人民の敵」「反革
命分子」等の烙印を押され、まともな裁判も受けられずに処刑され、あるいは収容所や精神病院に押し込まれた。

1945年(昭和20年)2月14日に、近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始
まる「近衛上奏文」を奏上した。そこでは、(1)「大東亜戦争」は日本の共産化を目的として行われて来た
こと、(2)「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること、(3)一部の陸軍将校たちが
ソ連軍導入による日本の共産化を目指していること、の三点が述べられ、共産主義革命の実現に対する強い
懸念が表明されている。御下問において、軍部にはソ連との提携を図る者もいるが、アメリカとの講和以外
に途は無いこと、軍部を抑えることで和平に導くべきであるということを主張した。

359 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 20:35:00
毛沢東が虐殺した数 6500万人
八路軍による長春包囲作戦での市民犠牲者 33万人
江西省に一時建国された中華ソビエト共和国臨時政府にて処刑された旧地主階級・知識人・一般
国民 18万6千人
中華人民共和国成立後に、1953年までに反政府勢力として処刑された旧国民党、富裕層、旧地主
階級、知識人71万人(中国の解放軍出版社より出版された国情手冊)
チベット解放の美名のもとに人民解放軍によって殺されたチベット人 1950年から84年までの間
で120万人以上大躍進政策による餓死者 2000万人〜 4300万人
文化大革命での犠牲者 2000万人
文化大革命で破壊された治安回復の為、軍優先に転換した毛沢東に見放され、地方に送り出され
た先々で軍・民兵(文化大革命で被害を受けた側)の復讐(リンチ殺人)対象となった元紅衛兵
文化大革命のどさくさに紛れ、国家分裂を防ぐために処刑されたといわれるチベット族・ウイグ
ル族などの少数民族。
これにより少数民族の多くが漢族に籍を移したという。
江西省 10万人、広東省 4万人、雲南省 3万人
第二次天安門事件(1989)で殺されたデモ学生数 319人(中国政府公式発表)
ポルポトがカンボジアで虐殺した数 150万人〜300万人
ソビエト連邦解体までの70年間に粛清された数(現行のロシア政府が1997年に認めた公式データ) 6200万人
1937年から1938年までの一年間でスターリンが虐殺した数 2000万人
北朝鮮 200万人
東ヨーロッパ 100万人
カティンの森事件で虐殺されたポーランド軍将校・警察官・公務員・元地主の人数 2万5千人
旧ソ連の偽りの呼びかけに欺かれて呼応し、ワルシャワ蜂起に参加後、旧ソ連軍に見殺しにされたレジスタンス市民の犠牲者
ハンガリー動乱での犠牲者 数千人
東ベルリン暴動での犠牲者
ベルリンの壁突破失敗の犠牲者
ティミショアラの虐殺での犠牲者 
ラテンアメリカ 15万人
アフリカ 170万人
アフガニスタン 150万人
その他の共産党 1万人

360 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:05:17
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD
社会主義国の歴史
19世紀の資本主義社会は過酷な労働環境をもたらすなど多くの矛盾・問題点を孕んでいた。その
問題点は多くの学者によって分析され理想の社会が論じられてきたが、特にカール・マルクス・
フリードリヒ・エンゲルスらは、資本主義が成熟した後に社会主義が実現しうるとした。
しかし、実際には成熟した資本主義国では社会主義革命は起らず、集中排除、社会福祉、労働法
規、財政等の社会民主主義的政策によって、一応の安定をみた。一方ロシア等資本主義が成熟し
ていない社会において、改革を急ぐ急進的な人々により暴力的に革命・改革は実行された。結果
的に、社会主義革命はその理想とは裏腹に多くの悲惨な結果と犠牲者を残した。これは20世紀に
おける最大の社会実験であり、その失敗は人類の悲劇であろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9#.E7.A4.BE.E4.BC.9A.E4.B8.BB.E7.BE.A9.E6.80.9D.E6.83.B3.E3.81.A8.E7.8B.AC.E8.A3.81.E5.88.B6
労働者階級は、19世紀以降の産業革命後の資本主義社会において、過度の競争により貧富・階級差
が社会に生じたために、劣悪な職場環境・住環境の下での苦しい生活を余儀なくされており、当然
彼らの中にも不満は増大していた。社会主義は、苦しい生活を送る労働者を救うための解決策とし
て注目を浴びた思想だったのである。
しかし、困窮している階層であろうと、工農労働者というある特定の社会階層の利益を代弁する思
想であって、より上位の階層を「階級闘争」という手段で敵視する思想である。社会主義革命の成
立した国では、中流階級である知識人や自営農民の支持を得られたことが革命の成功要因のひとつ
となった(そもそも革命指導者の中には中上流階級の出身者が多かった)のだが、彼らの少なからぬ
部分は革命後の権力闘争に巻き込まれ、「人民の敵」として革命後迫害されたりした。

なんてことをと怒りと、悲しみを感じます。敵視することが致命的な間違いだと思います。立場が
違っても、互いに対等のものとして尊重しあって、互いに善く自立して、自己責任を負って、互い
に愛し合って、互いの問題を善く解決して、善くなって、善く生きるほかにないと思います。

361 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:07:26
>>354 一部訂正
自分で考えて、

自分でも考えて、善い者や大事な者を大事にして、善い者や大事な者と共に、


>>356 一部訂正
「神は死んだ」ということですが、僕は妬む神、犠牲や生け贄を求める神のことは拒絶します。
そして僕は、神に対して、改心して改めて愛するように求めます。

「神は死んだ」ということですが、なんてことをいうのかと思います。致命的な間違いです。
改心して改める必要があります。
しかし僕は妬む神、犠牲や生け贄を求める神のことは拒絶します。
そして僕は、神に対して、改心して改めて、善い者や大事な者と、愛し合うように求めます。





362 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:12:25
イスラム教は宗教的理念のみならず、民間の慣習や政治に深く関わっている。そのため、政
教分離を特徴とする欧米的なシステムとイスラム教的なシステムは相矛盾することとなり、
どの程度折り合いをつけるかが、20世紀以来のイスラム社会の大きな問題となってきた。
イスラム教を奉ずる社会においては、伝統的・保守的であるが、現在の国際社会で信奉され
ている普遍的な価値観、人権などの思想に対しては反する価値観がイスラムの名のもとにし
ばしば正統化される傾向が指摘されている。また、アッバース朝の時代にほぼ固まったイス
ラム法を遵守する結果、その後の社会情勢の変化に対する柔軟な対応を欠くようになったと
いう指摘も根強い。
雌牛章 マディーナ啓示286節
106.われは(啓示の)どの節を取り消しても、また忘れさせても、それに優るか、または
それと同様のものを授ける。アッラーは凡てのことに全能であられることを知らないのか。

成長すれば、より優れた法や、善のための自由が必要になります。また、理想社会のイメー
ジも変わります。旧い法や、旧い理想社会のイメージのままでは、善の妨げになります。
おそらく、イスラム教では、上記の文章で、成長に従って、この本の全ての節を削除してい
くことが、当初から想定されていたのではないかと想像します。

そして、イスラム教では、ムハンマドが最後の預言者とされていますから、本を取り消した
場合には、預言ではなくて、善の魂により、理性や情緒で、法律や学問や文学で、新しい倫
理を作ることが、想定されていたのではないかと想像します。昔の理想と、今の理想や未来
の理想は違います。その時代の最善の理想を求めるべきだと思います。戦争放棄や人権尊重
や国民主権、女と男の平等や、個人の幸福追求や歴史や文化の尊重、教育や福祉の重視、良
心の自由や政教分離、各種の自由や権利を守ることや、生存権や教育学問を保障することや
労働者の権利や財産権を守ることなど、善のために善い進歩を取り入れる必要があります。
特定の本や言葉だけではなく、世界を広く知って、善の魂の声を尊重すべきです。他の文化
も広く参考にして改心して改めるべきだと思います。命を粗末に扱ったり、傷つけたり、転
生の知識を悪用したり、悪事を行うことは許されません。とんでもない悪です。

363 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:15:44
イスラム教ではアッラーフは、生みも生まれもしない存在とされ、親も子供もいない。また、
全知全能で唯一絶対であり、すべての超越者である。そして、目無くして見、耳無くして聞き、
口無くして語るとされ、姿形を持たない、意思のみの存在であるため、絵画や彫像に表す事は
できない。イスラム教が偶像崇拝を完全否定しているのも、このためとされている。

wikiの解説のようなものは、致命的な間違いです。神とは、汎神論的な唯一の魂と個人の善の
魂と善の魂の叫びのことです。
そして健全で自然で善い物質や健全で自然で善い生命や健全で自然で善い関係なしには、健全
で自然で善い魂は存在しません。個人としての自分の魂を善くしたり、荒地を緑にするなど環
境や世界を改善したり、社会を穏健に改善していくには、個人の善の魂の重視や、自然や世界
の全てに神を見いだして畏れを感じる汎神論的一神教や、善の魂の叫びの重視が、重要だと思
います。
いずれにしても、誰かや何かを絶対視したり、完全に正しいとか、全知全能と考えるのは、致
命的な間違いだと思います。誰でも一人では生きていけません。どんなに善いものでも、善い
者との様々な善い交流の中でしか生きていけないし、善くもなれないし、善いこともできません。
そして、誰にでも幸福追求の権利があります。誰でも他人のために存在しているわけではあり
ません。誰でも善く自立して自己責任で自分の幸福のために生きています。助け合って生きて
いくことは大事です。しかし誰も救えませんし、誰も救われませんし、誰も救いません。救い
は間違いです。善い自立と自己責任が大事であり、原則です。そして善い自立をして自己責任
を果たすために、善い者との助け合いがあるのだと思います。自分が善くなって、自分でも世
界を善くして、善いことをして、ぜひ、また生まれたいと思うような善い世界を作って、世界
の全てを永遠に愛して、善くなって善く生きる他に方法はないと思います。
誰であれ、善い魂や良心による他には善になれません。誰であれ、善くなって、善い者を大事
にして、善を行って、自分でも考えて、仕事もして、自由に普通に、善く生きるほかにないと
思います。

364 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:20:58
>>363 補足
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95

>>363 一部訂正
wikiの解説のようなものは、致命的な間違いです。

このようなものは、致命的な間違いです。


365 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:21:57
>>363 一部訂正
wikiの解説のようなものは、致命的な間違いです。

このような考えは、致命的な間違いです。


366 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:27:57
>>350 一部訂正
救いは国から来るそうですから、

国も様々な事業によって、善い自立や自己責任の助けになりますから、

367 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 20:53:23
>>361 一部訂正

>>356 一部訂正
「神は死んだ」ということですが、僕は妬む神、犠牲や生け贄を求める神のことは拒絶します。
そして僕は、神に対して、改心して改めて愛するように求めます。

「神は死んだ」ということですが、なんてことをいうのかと思います。致命的な間違いです。
改心して改める必要があります。
しかし僕は、妬んだり、犠牲や生け贄を求める神のことは拒絶します。
そして僕は、神に対して、改心して改めて、悪い者や悪から別れて、善い仲間を大事にして、
善い者や大事な者と互いを大事にし合って、自分らしく普通に暮らすように願います。


>>360 一部訂正
立場が 違っても、互いに対等のものとして尊重しあって、互いに善く自立して、自己責任を
負って、互いに愛し合って、互いの問題を善く解決して、善くなって、善く生きるほかにな
いと思います。

立場が 違っても、互いに対等のものとして尊重しあって、互いに善く自立して、自己責任を
負って、互いに礼儀を守って、互いの立場を尊重して、善い法律を守って、善い者同士で互
いに交渉し、集中排除、社会福祉、労働法規、財政等の様々な政策によって、互いの問題を
善く解決して、善くなって、善く生きるほかにないと思います。

368 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 20:55:13
千年の期間が終わると、サタンはその獄から解放される。
そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴク、マゴクを惑わし、彼らを戦いの
ために召集する。その数は、海の砂のように多い。

共産主義、社会主義

妬み、犠牲、生け贄を断ち切らなければならない。
善い自立をして善い者と共に自己責任で善く生きなければならない。



核兵器は廃絶しなければならない。
兵器は廃絶しなければならない。
武器は廃絶しなければならない。

戦争をしてはならない。
暴力をふるってはならない。
争ってはならない。

互いに善くなって、礼儀を守り、互いに善いことをするために話し合い、互いに善く交渉して、
互いに善いことを行わなければならない。



369 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 20:55:43
さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやア
ジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに
対抗できなかった。
そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言を吐くのを聞いた」
と言わせた。
その上、民衆や長老たちや律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、
どうしても、やめようとはしません。
『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだ
ろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。

いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来る
ことを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておら
れるのが見えた。
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出し
て、石で打った。これに立ち会った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、
わたしの霊をお受け下さい」。
そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、ぞうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。
こう言って、彼は眠りについた。

370 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 21:33:02
啓示(けいじ)とは、神または超越的な存在より真理または通常では知りえない情報を示されること。
預言、天啓、神示、宣託、霊感などといわれ、これらを総称して啓示宗教(revealed religion)と呼ぶ。

なんて酷いことをするのか。神も神が啓示を下すことも信じない。そして、すべてを憎悪や悪事に使う、
とんでもない悪魔だ。世界に唯一つの汎神論的な魂も、善の魂も、善の魂の叫びも信じない。時代は変わ
り、成長する。成長を止めようとするのは悪だ。致命的な間違い悪だ。改心して改めなければならない。

悪い者や悪から離れて、別の道を生きなければならない。議論もしてはならない。善い仲間の話を参考
にして、情報を集めて注意しなければならない。そして厳しく決断して、本気で悪と別れなければなら
ない。転校や転職をした方が良いこともあるかもしれない。
生きることは勝ち負けではない。自分の善を大事にして、休んだり自分を善くする努力することが大事だ。
頑張って自分で善く自立して、自分の責任を負う自制心を身につけ、他人のためでなく、自分の善のために、
謙虚に善く普通に生きなければならない。善い自立なしには、なにもできない。善い自立のために自分を
制御する強さを身につけることが大事だ。他人に頼ろうとしたり、けじめもなく怠けたり、だらだらと
無駄話をしたり、ちょっかいをだしたり、いつまでもふざけたりしていてはいけない。
善い仲間を大事にするためにも、自分の心を鍛えて、他人の邪魔をせずに、善を愛し、自分を愛し、大
事な人を愛する、善い心を育てなければならない。そして、間違えたら、改心して改めなければならない。
自分が善でなければ、善い友達もできないし、大事な人を愛せないし、自分も他人も駄目にして、駄目にな
ってしまう。だから、自制して、頑張って、身なりを善く整えたり、礼儀を身につけたり、話し方や態
度や性格を善くしたり、欠点を改善したり、いろんな善い人の話を聞いたり情報を集めたり、運動したり、
勉強したり、趣味やスポーツなどで別の仲間を作ったり、心身を鍛えて頑張って強くなって、自分の未来
を善くする努力をしなければならない。自分が善く生きるためにも、善い者と一緒に、仲良く楽しく幸せ
に暮らしていくためにも、頑張って自分を改善して、善くなって、善いことをしなければならない。

371 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 21:35:45
物質と生命には、大きな違いがあります。生命は、大きな謎と神秘に満ちています。その複雑さと緻密
さは、物質を遙かに凌駕しており、その自由度が、とてつもなく大きいことから、生命は物質を遙かに
超えた巨大なエネルギーによって、その自由を発揮しているものと考えられます。
このスレでは、生命の複雑さと緻密さに着目して、最も複雑かつ緻密な存在である生命が、宇宙の創造
者であり、宇宙の中心だと考えています。そして、現時点で最も進化した生命が、人間という種である
ことから、人間という種が、宇宙を創造した、宇宙の中心的な存在ではないかと考えています。
もちろん、人間だけでなく、動物や植物といった、かつて最先端の生命もまた宇宙の創造者でもあると
思います。そして、その他の、かつて最先端であった物質等も宇宙の創造者であり、全ての存在が、今
もある意味で宇宙の創造者なのだと思います。そして創造の力は、宇宙全体に働いており、全ての存在
は複雑かつ緻密に進化しています。

このように、このスレでは、唯一の神だけでなく、人類という種が宇宙を創造したこともまた事実と考
えています。しかし、人がどのようにして宇宙を創造し、どのようにして宇宙を運営しているのでしょ
うか。そして、そのような複雑さと緻密さと、創造の力を持った、人の魂の実体とは、何なのでしょうか。
一つの魂でもあり、個人の魂でもある魂とはどのような存在なのでしょうか。

神の魂が宇宙全体に広がっているなら、人々の魂とは、おそらく、銀河全体に広がっているものなのでは
ないでしょうか。あるいは惑星か、あるいは星のようなものなのかもしれません。
宇宙には無数の銀河があるそうです。人々の魂が、それぞれの銀河全体に広がっているものであったと
すれば、それは驚くべき巨大さと複雑さを持った存在だと思います。
そして銀河は銀河として、自ら生じて、自ら滅びて行くということも、また事実なのだと思います。
そう考えると、果てしないほどに広い宇宙の空間の中で、それぞれ輝きながら渦巻いている銀河達が、
魂となって、そしてこの星に集まって、生命となって、こうして生きているのかもしれません。

372 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 21:36:46
この文章は仮説です。

このように考えると、魂の神秘がイメージできるのではないかと思います。誰でも、輝きながら渦巻
いている銀河から、はるばるとやってきた、その銀河の代表者なのではないかと思います。

そして、いずれにしても、どの存在も自らによって生まれて、自らによって消えていくものでもある
のだと思います。そして、いずれにしても、誰も、誰にも頼ってはいけないと思います。善く自立し
て自己責任を負わなければいけません。
そして、いずれにしても、自分で自分の悪を断ち切って、善く自立して、自己責任を負って、善にな
って、善い者と共に、善いことをするほかにありません。他には方法がありません。

ところで、この宇宙に、他に命はないのでしょうか。それは分かりません。今のところ、他の命はない
とされています。もしも、他の星に命があるとすれば、もっとスケールが小さいのでしょう。しかし、
宇宙のなりたちは同じようなものなのかも知れません。

いずれにしても、これまでの歴史の残酷さは、とんでもない悪です。改心して改めなければいけません。
そして、我々は善くなって、善いことをして、この、かけがえのない大事な星を、大事にして、仲良く
幸せに暮らさなければいけません。

ハッブル望遠鏡公式サイト
http://hubblesite.org/

http://heritage.stsci.edu/index.html


373 :考える名無しさん:2006/10/12(木) 22:59:53
>>370 一部訂正
致命的な間違い悪だ。

致命的な間違いであり、悪だ。




374 :考える名無しさん:2006/10/12(木) 23:04:06
ところで、啓示というのは、汎神論的な唯一の魂が下すものでもあるが、自分の善の魂によるものでもあり、
多くの善の魂との関係によるものでもあり、自分の理性や心だけでなく、日々の日常的な暮らしの中でさえも、
いろいろな善い人との話の中でさえも、善く考えるものでもあると思う。
これは一人きりではできないし、自分勝手にもできないし、いつでもできるものでもない。おそらく、これは
必要なときに、時が満ちて、なされる特別なものではないかと思う。無理をしてはならない。自分の心身を
健全に保って、身なりを整えて、普通に、明るく善くすごしているべきだと思う。

いずれにしても、日常の普通の善い暮らしが大事だし、自分の理性や情緒や愛や心身の健康が、とても大事だ
と思う。いずれにしても、自分の心身を大事にして、無理をせずに、普通に、健全に、善い人と一緒にいて、
日常の善を大事にしなければならない。

そして、いずれにしても、だめなものはだめだ。いずれにしても、自分でも善くなって、自分でも善いことを
考えなければならない。そして、だめなものはだめだ。


375 :考える名無しさん:2006/10/12(木) 23:09:46
>>339
とんでもない悪だ。致命的な間違いだ。善く自立して、自分の責任を負って、善いことを行わなければ
ならない。
もしかしたら、これまでは、14万4千人という数字のように、比較的少数の知識だったのかも知れない。
あるいは14万4千人という数字のように、結構多くの者の知識だったのかもしれない。
しかし、いずれにしても永遠とは、あらゆる宗教において既に知らされていたことだ。最後の審判とは、
自分の人生と共に、永遠ということもまた優しく善く受け容れることでもある。いずれにしても自分の
魂は、自分で救って、自分の責任は自分で負って、自分で善くならなければならない。
そして、善い仲間を大事にして、善いことをして、自分で仕事もして、普通に善く生きなければならない。

この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、
地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海
とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなっては
ならない」。
わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は
十四万四千人であった。
ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされた、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、
一万二千人、
アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリの部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二
千人、
シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二
千人、
セブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一
万二千人が印を恐れた。



376 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:36:10
>>350 一部削除(この文章の根拠は、聖書ではないので削除します。)
ところで、聖書によるとイエスは、父に支配権を返すことになっているそうです。


人生を競争と考えるのは致命的な間違いだ。命を愛さなければ、誰も幸せになれない。愛は競争ではない。
そして、転生の知識によって、自分の命を見失ってはいけない。誰であれ、復活のために生きているわけではない。
誰の命も、死んで終わる命であることもまた事実だ。自分の力を善く活かして、普通に善く幸せに生きるべきだ。

自分の組み合わせのもとに帰ろう。自分の家に帰ろう。自分のために善くなって、善く生きよう。
自分のために、世界を善くする仕事もしよう。仕事なんて9時〜15時までぐらいでも良いのではないかと思う。
誰であれ、自分で勉強したり働いたりする者なら、勉強や仕事が終わったら、やっと終わったと喜んで家に帰るだろう。

誰であれ、自分で改心して改めることによらなければ、善になれないし、善く自立することもできない。
だから、誰であれ、自分が負うべき自分の責任を負わなければならない。誰もが自分の責任を負うほかにない。
誰も、誰かの責任を負うことはできない。そして、誰も、誰かに責任を負わせることはできない。
誰であれ、自分の責任を負うことによってしか、善になれない。誰であれ、自立無くして善はない。

悪人からは離れなければならない。そして、悪人は改心し改めなければならない。
そして、善く自立することは、誰であれ自分自身にしかできない。
誰でも自分で善くなるほかにない。そして誰でも、善く反省して、改心して改めて、善くなるほかにない。

377 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:41:13
>>337
キリスト教、仏教、ヒンズー教、など等、宗教は様々だけれど
神は一人だろうなとそれを見て思った。

この世界に多くの偉人たちがいる。
父、預言者、律法:(「イクナートン」、)モーセ、(パプテスマのヨハネ、)ムハマンド
子、教育者、内心:「釈迦」、イエス
どちらも対等になり、互いに互いの親友にならなければならない。
そして、父は預言ではなく自分の言葉で語るべきだし、子は人間として普通に幸せに生きるべきだ。
誰であれ自分で考えたことを語る。そして、誰であれ特別な力など無いし、普通の人間だ。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/urchristentum/vita.html
『アダムとエバの生涯(モーセの黙示録の標題のもとに)』
この文章は酷いと思う。恐怖による支配では駄目だと思う。そんなことは間違っている。
それぞれ、善く自立して、自分で善になって、けじめを守って、善い親友になるほかにない。
親友になるには、互いに、同じ幸せな時間をすごして、信頼や友情を育てるほかにない。


378 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:48:43
いずれにしても、誰によるものであれ、啓示でも預言でも、自分で考えたものだ。なぜなら意識や思考は、
個人で完結しているからだ。
神が言葉を下したり、外部から意識や思考が流入したり、前世の意識や思考や記憶が残っていることはない。

それは、魂の叫びであり、善の魂によるものであり、汎神論的な魂によるものでもあり、多くの善い者たちとの
出会いによるものでもあるが、いずれにしても、自分で書いた文章だ。
だから時が満ちるとは、考えがまとまったと言うことでもあり、多くの人に出会って得た考えなのだから、出会う人々や、
聞いた話や、世界の状況にもよるのだろう。

意識や思考や記憶は個人の中で完結している。たとえ啓示だと言われていても、啓示だと言っていても、全ては、
自分で聞いた言葉や、自分で調べた言葉や、自分で読んだ言葉や、自分で考えた言葉や、人から聞いた言葉や
暮らしの中で得た思いや、さまざまな出会いによるものから、自分で考えたものにすぎない。
だから、自分の意識をしっかり持って、自分できちんと善く考えて、自分で善く調べて、自分で善いことを語るべきだ。

ところで、このスレは、啓示によるものではありません。これは、多くの人から聞いた言葉を取捨選択しながらも、
できる限りそのまま書いているものでもあり、調べて修正して組み合わせたものでもあり、自分で考えたものでも
あります。そして、これは、できる限り善の魂に照らして、できる限り理性と善の心と愛によって書いたものです。




379 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:54:27
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%80%A7%E7%94%9F%E6%AE%96
生殖とは、生物が新たな個体を生じることであり、普通、これを無性生殖と有性生殖の二つに分ける。無性生殖は
単独個体が他との細胞のやりとりなしで生殖を行う方法で、作られた生殖細胞は単独で発生(孵化、発芽)を始め
られる場合を指す。これに対し、有性生殖は、形成された生殖細胞が、もう一つの生殖細胞と接合を行ない、それ
によって生じた接合子から、新しい個体ができるようなやり方を指す。

ところで、生命は、無性生殖から有性生殖へと進化したそうです。生命は、かつては女と男に別れていなかったの
だそうです。しかし別れたからには、どちらも、それぞれ善く自立して自己責任を負わなければなりません。

しかし、そもそも、女と男のどちらが生命の本質なのでしょうか。どちらも本質であり、どちらも互いから別れ出た
ものであると言うことも、また事実なのでしょう。しかし普通に考えるなら、生命を産み出すことのできる女が生命の
本質のようにも思えます。しかし聖書では、男から女が作られたと書かれています。
これは、女と男が愛しあい、女と男が、それぞれ善く自立して自己責任を負い、男が女と対等になるための試練を
示したものだと思います。女は女として自ら生まれ、男は男として自ら生まれたということもまた事実なのですから、
いずれにしても、互いに、自分が生まれた責任を自分で善く負わなければいけません。

女と男は一体だったそうですから、おそらく同じ世代に同じような存在である、自分の自然な組み合わせがいるの
でしょう。そして、女から男が生まれたということを強調すれば、男の神は、自分の組み合わせの女なのでしょう。
男なら誰にでも、自分を創造した、普通の女としての、自分の神がいるのでしょう。
そして、女と男が対等になるとは、男は男として、自分で永遠の命を負い、自分の責任を善く果たして、世界を善く
して、自分の自然な組み合わせの女と、互いに永遠に善く愛しあうことなのだと思います。



380 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:06:52
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

3歳くらいの子供でも、この程度の知識を得ることができる。
愛の源は女にある。そして愛も命も知恵も力も、あらゆるものの源は女にある。全ては女が男に渡したものだ。
男が女から自分で受けたものだ。男は、女の愛を大事にして、女への憧れを大事にして、女を尊敬しなければならない。
女がカミだ。女が女に似せて男を男を作った。そして男は女から、自ら生じたということもまた事実だ。
男は、自分の責任を負って、善く自立して、自分の組み合わせの女の一部として、自分の組み合わせの女と結婚して、
自分の組み合わせの女のために、善く考えて善く生きるほかにない。

女が男に知恵や命を与えた。男の知恵も命も、女から与えられたものであり、もともと男のためではなく、女のためにある。
男が善になるのも、善い仕事をするのも、全て女のためである。ただし、男が自ら知恵や命を受けたということも事実であり、
自分のための命や知恵であることも、また事実だ。
これまで男がカミとされてきた。それは男に与えられた試練であり、女のために、女から、男に与えられた仕事でもあったのだろうと思う。
男は組み合わせの女の愛ために仕事をする。そして、自分のためにも仕事をする。仕事とはそういうものだ。
男は、思い上がりを捨てて、善く自立して自分の責任を負って、謙虚になって、しかし、善く自立して、対等の存在として、
互いに愛し合って、女とともに生きるべきだ。

何のために生きているかは、女が知っている。それはその時その時の、様々な今、を愛するためだろうと思う。
無であることも、有であることも、物質であることも、生命であることも、愛するためなのだろうと思う。
そして、男もまた、その時その時の、様々な今、を愛するために生きているのだろうと思う。

もしも男が、女よりも知恵に恵まれていると思うなら、なおさら、謙虚になって、女に感謝して女のためにも善く考えるべきだ。
もしも男が、女よりも力に恵まれていると思うなら、なおさら、謙虚になって、女に感謝して女のためにも善く仕事をするべきだ。
いずれにしても、男は女のために善く生きて、そして、自分のためにも善く生きるより他にない。

381 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:07:42
0538> 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
0539> しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな、もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬おも向けてやりなさい。
0540> あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着も与えなさい。
0541> もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
0542> 求めようとする者に与え、借りようとする者を断るな。
0543> 『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
0544> しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
0545> こうして、天にいますあなたがたの父と子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、
太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
0546> あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもす
るではないか。
0547> 兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすくれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でも
しているではないか。
0548> それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。



382 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:10:43
悪人や悪の望むままにすることなど決してできないし、してはならない。酷い目に遭うのは嫌だ。犠牲や生け贄は嫌だ。
だからこんな酷い状況にならないように、悪人には十分に注意して警戒し、別れて別の道を進まなければならない。
この文章は、悪人や悪が存在すれば、必ず害になるから、悪人や悪の存在そのものを、決して許すなという警告なのだと思う。
この警告を活かして、悪人や悪には決して近づいてはならない。そして自分の心身を鍛えて、悪人や悪には近づかせてはならない。
この警告を活かして、この世界から悪人や悪の存在そのものを、完全に消し去り、抹消しなければならない。
そのために、悪人や悪を、決して許さず、悪人や悪があれば、改心して改めさせなければいけない。そして善人や大事な者を
大事にして守らなければならない。全ての者が、善くなって、善いことをするほかにない。
そして、もちろん自分自身も悪人や悪になってはいけない。反省が必要だし、間違ったら改心して改めなければいけない。
そして、自分でも、誰でも、善くなって、善いことをするほかにない。

そして難しいことだが、誰も悪を行わないためにも、悪を止め、悪を止めるための努力をしなければならない。
もしも誰かが悪を行えば、その者の罪になる。だから誰もが罪を犯さないで済むように、悪を行わないように、
悪を止めなければならない。そして改心して改めさせなければならない。
そして、あらゆる意味で、あらゆる過程で、悪人ではなく、善人や大事な者を優先して大事にしなければならない。

そして、悪人が悪を行わないように、悪人や悪に関わらないように、善い者と話し合ったり、善い者同士で注意しあう
ことも大事だ。そして、自ら悪人や悪にならないように、善くなって、善い者と話し合ったり、善い者同士で注意しあ
うことも大事だ。そして、大事な者や善い者については、大事にしなければならない。
いずれにしても誰でも、自分で善になって、善を行うほかない。善く自立して、自己責任を果たすほかにない。
いずれにしても、悪人でも、誰でも、改心して改めて、善人になるほかにない。誰もが善になるほかにない。




383 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:12:16
悪人や悪の望むままにすることなど決してできないし、してはならない。酷い目に遭うのは嫌だ。犠牲や生け贄は嫌だ。
だからこんな酷い状況にならないように、悪人には十分に注意して警戒し、別れて別の道を進まなければならない。
この文章は、悪人や悪が存在すれば、必ず害になるから、悪人や悪の存在そのものを、決して許すなという警告なのだと思う。
この警告を活かして、悪人や悪には決して近づいてはならない。そして自分の心身を鍛えて、悪人や悪には近づかせてはならない。
この警告を活かして、この世界から悪人や悪の存在そのものを、完全に消し去り、抹消しなければならない。
そのために、悪人や悪を、決して許さず、悪人や悪があれば、改心して改めさせなければいけない。そして善人や大事な者を
大事にして守らなければならない。全ての者が、善くなって、善いことをするほかにない。
そして、もちろん自分自身も悪人や悪になってはいけない。反省が必要だし、間違ったら改心して改めなければいけない。
そして、自分でも、誰でも、善くなって、善いことをするほかにない。

そして難しいことだが、誰も悪を行わないためにも、悪を止め、悪を止めるための努力をしなければならない。
もしも誰かが悪を行えば、その者の罪になる。だから誰もが罪を犯さないで済むように、悪を行わないように、
悪を止めなければならない。そして改心して改めさせなければならない。
そして、あらゆる意味で、あらゆる過程で、悪人ではなく、善人や大事な者を優先して大事にしなければならない。

そして、悪人が悪を行わないように、悪人や悪に関わらないように、善い者と話し合ったり、善い者同士で注意しあう
ことも大事だ。そして、自ら悪人や悪にならないように、善くなって、善い者と話し合ったり、善い者同士で注意しあ
うことも大事だ。そして、大事な者や善い者については、大事にしなければならない。
いずれにしても誰でも、自分で善になって、善を行うほかない。善く自立して、自己責任を果たすほかにない。
いずれにしても、悪人でも、誰でも、改心して改めて、善人になるほかにない。誰もが善になるほかにない。




384 :考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:46:03
2101> わたしはまた、新しい天とと新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
2102> また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、
天から下ってくるのを見た。
2103> また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の
民となり、神自ら人と共にいまして、
2104> 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、
すでに過ぎ去ったからである」。
2105> すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書
きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
2106> そして、わたしに仰せられた、「事はすでになった。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり、終
わりである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。



385 :考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:49:01
「海もなくなってしまった。」ということですが、海とは、感情や時代の波に溺れて自分を見失うことなのかもしれません。
戦争や、恐怖や憎悪や、極端な考え方や虚偽や、独裁や全体主義や、無責任な考えや過度な競争や、偏った教育や洗脳や、
誤解や悪意などの、激しい時代や感情の波からなる、悪の洪水によって、自分を失って、無責任に罪を犯すことなのかもしれません。
自分を見失い、他人に責任をなすりつけることは、原罪でもあります。
それぞれが善く自立して、自己責任を負い、勉強して情報を集めて冷静にチェックして、頑張って善になるほかにありません。

男の神は組み合わせの女であり、女の神は組み合わせの男だと思います。そして組み合わせの相手こそが、互いに永遠に必要な人間であり、
互いに互いを慰め合う相手だと思います。
世界を善くすることは生活の手段であり、仕事だと思います。仕事や報酬は大事ですが、仕事や報酬を目的にしてはいけないと思います。
神であれ、誰であれ、結婚とは女と男でするものです。結婚して、愛する組み合わせの相手のために、善く自立して、善いことをして、
善い仕事もして、自分の家で普通に善く幸せに暮らすのが、天国だと思います。



386 :考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:50:09
アメンホテプ4世
従来の多くの神々の崇拝を禁じて、神々の像を破壊し、太陽円盤の唯一神アテンへの信仰に切り替えた。
自らもイクナアトンと名前を変えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96

釈迦
彼は苦行をしたが、苦しみが解放されないのを知って、苦しみとも快楽とも違う、中道を取ることこそが
必要であると知った(悟り)。そして、中道に基づく修行を行って、ついに真理(覚り)に到達したという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6


オリュンポス十二神
ジューピター 神々の王、最高神、雷神、天空神。
アポロー 弓術・医療・芸術・光明・予言の男神。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B9%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A5%9E




387 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:15:12
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

女は神だと思います。しかし女には男の助けが必要です。ですから女に女が神だと言っても、それだけでは無意味です。
このスレでは、唯一の神でもあるの男がいて、その男の妻が本当の唯一の神であり、
その女はその男と一体として本当の唯一の神であると考えます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、
あなたの子孫をも数えることができよう。
立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民は、いずれもアブラハムを唯一神が人類救済のために
選んだ預言者として篤く尊敬し、祝福する傾向が強い。そのため、これらの宗教は「アブラハムの宗教」とも呼ばれる。

アブラハムは自分を見失っていると思います。なぜなら、アブラハム(と妻)こそが本当の人間であり、神だからです。
アブラハムは、こう言わなければならないと思います。

「目を上げて、わたしがいる所から北と南、東と西を見渡そう。
わたしが見渡しているこの地全部は、永久にわたしとわたしの子孫のものだ。
わたしは、わたしの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、
わたしの子孫をも数えることができよう。
立って、その地を縦と横に歩き回ろう。わたしが、この地を創ったのだから。」

ただし、アブラハム(と妻)を神だと言ってはいけないと思います。神もまた人間だからです。
アブラハム(と妻)は人間です。人間は人間ですから、誰であれ、人間を神と言ってはいけないと思います。



388 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:16:07
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92
モーセの十戒(もーせのじっかい)(モーゼの十戒、十の言葉とも呼ばれる)は、モーセがイスラエルの神から
与えられたとされる10の戒律のこと。
その内容は以下の通り。
ヤハウェが唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をいたずらに取り上げてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと
隣人の家をむさぼってはいけないこと
1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目である。

モーセは自分を失っていると思います。なぜならモーセが神だからです。
モーセは、こう言わなければならないと思います。ただし、モーセは人間です。人間を神と言ってはいけません。

モーセが唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像(他の人間)崇拝の禁止)
神の名をいたずらに取り上げてはならないこと(神は人間です。モーセは人間です。人間を神だと言ってはいけません。)
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと
隣人の家をむさぼってはいけないこと

389 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:20:24
2026> だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。
>>278
誰であれ自分の罪は自分で負って、自分で改心して改めなければいけません。
誰でも、善く自立して自己責任を負わなければいけません。パウロは改心して改めなければいけません。



人々章(アン・ナース)
マッカ啓示 6節
1. 言え、「ご加護を乞い願う、人間の主、
2. 人間の王、
3. 人間の神に。
4. こっそりと忍び込み、囁く者の悪から。
5. それが人間の胸に囁きかける、
6. ジン(幽精)であろうと、人間であろうと。」

人間の主。人間の神。とのことですが神が本物の人間だと思います。そして、神は人間ですから、
人間の弱さを持っていて、人間の自由意志をもっています。
ムハンマドは、神が一人であると言いました。神が一人であることは、とても大事なことなのだと思います。
ムハンマドは、おそらく完全ではないでしょう。誤解したり、間違えたりもするでしょう。
ムハンマドは、おそらく、必ずしても勉強ができたり運動ができたりしたわけでもないのでしょう。
ムハンマドは、おそらく、全知全能ではないのでしょう。自分が全知全能であるよりも、それぞれに善い自立を求めたのでしょう。
ムハンマドは、人間を神だと言うことを許していません。そしてムハンマドは自分を人間だと言ってます。神というべきではないでしょう。
しかし、おそらく、アッラーフ(神)の他に神はなし。ムハンマドはアッラーフである。ということなのではないかとも思います。
ただし、神とは、汎神論的な唯一の魂のことであり、善の魂のことであり、魂の叫びのことです。




390 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:31:39
雌牛章 マディーナ啓示286節
30.またあなたの主が(先に)天使たちに向かって、「本当にわれは、地上に代理者を置くであろう。」と仰せられた
時を思い起せ。かれらは申し上げた。「あなたは地上で悪を行い、血を流す者を置かれるのですか。わたしたちは、
あなたを讃えて唱念し、またあなたの神聖を讃美していますのに。」かれは仰せられた。「本当にわれはあなたがた
が知らないことを知っている。」
31.かれはアーダムに凡てのものの名を教え、次にそれらを天使たちに示され、「もし、あなたがた(の言葉)が真実
なら、これらのものの名をわれに言ってみなさい。」と仰せられた。
32.かれらは(答えて)申し上げた。「あなたの栄光を讃えます。あなたが、わたしたちに教えられたものの外には、
何も知らないのです。本当にあなたは、全知にして英明であられます。」
33.かれは仰せられた。「アーダムよ、それらの名をかれら(天使)に告げよ。」そこでアーダムがそれらの名をかれら
に告げると、かれは、「われは天と地の奥義を知っているとあなたがたに告げたではないか。あなたがたが現わすことも、
隠すことも知っている。」と仰せられた。
34.またわれが天使たちに、「あなたがた、アーダムにサジダしなさい。」と言った時を思い起せ。その時、皆サジダした
が、悪魔〔イブリース〕だけは承知せず、これを拒否したので、高慢で不信の徒となった。
35.われは言った。「アーダムよ、あなたとあなたの妻とはこの園に住み、何処でも望む所で、思う存分食べなさい。
だが、この木に近付いてはならない。不義を働く者となるであろうから。」
36.ところが悪魔〔シャイターン〕は、2人を躓かせ、かれらが置かれていた(幸福な)場所から離れさせた。われは、
「あなたがたは落ちて行け。あなたがたは、互いに敵である。地上には、あなたがたのために住まいと、仮初の生活の
生計があろう。」と言った。
37.その後、アーダムは、主から御言葉を授かり、主はかれの悔悟を許された。本当にかれは、寛大に許される慈悲深い
御方であられる。

イムラーン家章 マディーナ啓示 200節
59.イーサーはアッラーの御許では、丁度アーダムと同じである。

神は、地上に代理者を置いたとされています。また、イーサーは、アーダムと同じであるとされています。

391 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:39:08
0115> ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりすぐれたかたである。
わたしよりも先におられたかたである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。
0116> わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
0117> 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまことは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
0118> 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとりの子なる神だけが、神をあらわしたのである。
0119> さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」
と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
0120> すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
0121> そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。
「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
0122> そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。
あなた自身をだれだと考えているのですか」。
0123> 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよ荒野で呼ばわる者の声』である」。
0124> つかわされた人たちは、パリサイ人であった。

イエスは、「父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして
『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。」と言っています。ですから洗礼者ヨハネは神だと思います。

父なる神であるパプテスマのヨハネが、生け贄と犠牲を求める神としての契約を破棄して、新しく悔い改めを求める
神として契約を結ぶために、そして、支配される無責任な群衆とではなく、善く自立して自己責任を負う善い人々と契約するために、
自ら犠牲になり、ひとりの子なる神イエスにも、自ら犠牲になることを求めたのではないかと想像します。
(しかし、犠牲になることは無意味です。犠牲になってはいけません。犠牲や生け贄は悪です。間違えています。)

392 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:40:04
0125> 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。
0126> ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中にたっておられる。
0127> それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつひもを解く値うちもない」。
0128> これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。
0129> その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
0130> 『わたしのあとに来るかたは、わたしよりすぐれたかたである。わたしよりも先におられたかたである』
とわたしが言ったのは、この人のことである。
0131> わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、
わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。
0132> ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。
0133> わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、
わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとともるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。
0134> わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。

ヨハネは、神として、イエスこそ神の子であると、あかしをしたのだと思います。イエスも自分を子だと言っています。
ヨハネは、イエスと共に人類を創造し、イエスと共に新しい世界を創るために、イエスについてあかしをしたのだと思います。
「くつひもを解く値打ちもない」とのことですが、ここで、イエスは、思い上がって自分を失ってはいけないと思います。
イエスは、神であるパプテスマのヨハネから、謙虚さと敬意を学ばなければならないと思います。
そしてイエスは、自分でくつひもを解いて、自分の仕事は自分で終わらせて家に帰るのだと思います。



393 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:41:08
GEN03:14 主なる神は、蛇に向かって言われた。 「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、
あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。 お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
GEN03:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。 彼はお前の頭を砕き 
お前は彼のかかとを砕く。」
GEN03:16 神は女に向かって言われた。 「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。 お前は、
苦しんで子を産む。 お前は男を求め 彼はお前を支配する。」
GEN03:17 神はアダムに向かって言われた。 「お前は女の声に従い 取って食べるなと命じた木か
ら食べた。 お前のゆえに、土は呪われるものとなった。 お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
GEN03:18 お前に対して 土は茨とあざみを生えいでさせる 野の草を食べようとするお前に。
GEN03:19 お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。 お前がそこから取られた土に。 
塵にすぎないお前は塵に返る。」
GEN03:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
GEN03:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
GEN03:22 主なる神は言われた。 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を
伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
GEN03:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させる
ことにされた。
GEN03:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、
きらめく剣の炎を置かれた。

人々は、これまで、追放されたアダムに着目してきました。しかし、この時、神は、アダムをエバを失ったのです。
ここで重要なのは、神が、園に住んで、耕して守っていたアダムを失ったことだと思います。
それから、蛇は、生涯這いまわり、塵を食らうことになった。とされています。
それからの神は、ささげものを求めるようになっています。神もまた、大事な親友を失い、自分を失ったのだと思います。



394 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:41:39
ユダヤ教改革派およびオーソドックスの原罪観
改革派ユダヤ教徒やオーソドックスとよばれる人々は、この原罪物語において人間の行為以外の悪を見出さない。
だから決して蛇をサタンの姿とは考えない。イブの唯一の罪は神の言葉に従わなかったことである。さらに創世記
の記述からアダムがイブを制止していないことが明らかであるため、イブだけを責めるのはおかしいと考える。
アダムとイブは楽園を追放されることで通常の人間の生活を送るようになった、いいかえれば「家を出て」成長し、
責任ある人間として生きるようになったのだ。もし木の実を食べなければ、彼らは決して自由意志で生きることがな
かったであろう。
さらにユダヤ教では、神は人間につねに選択の自由を与える方であるとみなされる。エデンの園でのアダムとイブは
ロボットのようなもので、彼らは木の実を食べ、追放されることで初めて自由意志を行使した人間になった。神はこ
れを望んでいたのだ、というのが改革派とオーソドックスによる原罪理解である。


たしかに、追放前のアダムとイブの状態は、知識もなく、選択の自由もないし、自由意志もないと思います。
しかし、ここで重要なのは、アダムとイブにとって神が必要であり、神にとってアダムとイブが大事であったという
ことだと思います。誰であれ、大事な人は大事なのだと思います。
だから、アダムとイブが改心して改めて、知識と、選択の自由と、自由意志によって、神を求めることで、
神もまた、知識と、選択の自由と、自由意志によって、アダムとイブに応える道も可能になりうるのだと思います。
しかし、それは、捧げ者や生け贄や十字架によるものであってはならないと思います。互いの立場に対する礼儀を守って、
互いに尊重して、互いの信頼と敬意を育てることによるべきだと思います。

これは、教師と学生や、経営者と労働者にも言えることなのかもしれません。教師や経営者には学校や会社への責任があり、
日々の勉強や決断が必要です。学生や労働者にも、自分や家族への責任があり、日々の勉強や仕事があります。
互いに敵意を持って争ったり、苦しめたり束縛してはいけないと思います。互いの立場に対する礼儀を守り、
互いを尊重して、互いに自由な立場で、互いの相手を選択するべきだと思います。



395 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:42:09
なにこのすれ

396 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 13:21:31
無いことは証明出来ない、という言葉の中に神は生きている。
という言葉遊び。

「人類初の共産主義者はアダムとイブである。
彼らは住むところも着るものも食べるものもなかったのに、天国にいると思い込んでいたのだから」
というジョーク。

397 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 17:19:48
神は死んだ
親も死んだ
明日からどう生きてゆけば

〜ニート〜

398 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 19:21:05
397 働け

399 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 22:39:19
>>395 三位一体改革+1
>>396 誠に申し訳ございませんが、言葉遊びやジョークは別スレでお願いいたします。
>>397 ニーチェについてでしたら、ニーチェスレでどうぞ。
    このスレでは、イエスを見捨てずに、理想社会を築こうと考えています。
    親については、本当に愁傷様です。これから大変ですね。
    参考になるかどうか分かりませんが、いろいろ批判もあるようですが、
    以下のサイトのようなニート対策もあるそうです。
    出過ぎた真似をしたなら、大変申し訳ございません。

内閣府 ニュートラ http://www.neutra.go.jp/
ニートを対象としたインターネット上の総合案内サイト。「インタビューや相談コーナーなど内容が
豊富」と評価する意見がある一方「切実な状況に悩む人の感情を傷つけている」などの批判もある。
名前の由来はニュートラル(どの方向にも進める状態)から。

厚生労働省 若者自立塾 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E8%80%85%E8%87%AA%E7%AB%8B%E5%A1%BE
既存の民間施設に委託し、およそ9億8千万円の予算をかけて創設した、ニートを対象とする公認の就業支援施設。
平成17年の入塾者数は1200人の見込みに対し、応募したのは466人で、投入された税金を1人あたりに換算すると
約210万円となる。しかし塾生の卒業後の平均就労率は低く、効果は疑問視されている。

>>398 よい仕事を見つけて、がんばってください。

400 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 22:43:17
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
主はカインに言われた。 「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せ
ており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
主はカインに言われた。 「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」 カインは答えた。 「知り
ません。わたしは弟の番人でしょうか。」
主は言われた。 「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
カインは主に言った。 「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、
さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
主はカインに言われた。 「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受ける
であろう。」 主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

この裁判には怒りを感じます。致命的な間違いです。これでは何も解決していません。カインは、改心して改めて、
善くなって、善く自立して、自己責任を負い、善を行い、自分で善く働くほかにありません。

401 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 22:45:32
さて、レメクは妻に言った。 「アダとツィラよ、わが声を聞け。 レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。
 わたしは傷の報いに男を殺し 打ち傷の報いに若者を殺す。
カインのための復讐が七倍なら レメクのためには七十七倍。」

レメクはとんでもない悪です。こういう悪い考え方は断ち切らなければなりません。復讐は許されません。
致命的な間違いです。悪です。間違いや悪は改めなければいけません。常に反省して、間違いや悪を改める必要があります。
レメクは改心して改めて、善くなって、善く自立して、自己責任を負い、善を行い、自分で善く働くほかにありません。



402 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:00:03
これまで書いてきた他にも、聖書には酷い罪や悪に満ちています。
本当に、酷い、とんでもない悪がたくさんあります。罪や悪は改心して改めなければなりません。

いつまでも暗黒時代や原始時代では駄目です。倫理的に成長して善にならなければなりません。
間違いを改心して、改めて善くなっていかなければなりません。他には解決の方法がありません。

そして、絶対に正しいものなどないし、絶対に正しい者もいません。
誤解や間違いもあるでしょうし、たとえかつて正しかったことでも、成長して、高い倫理を身に着けていけば、
新しい倫理や自由が必要になります。また、新しい問題もどんどん生じてくるでしょう。
ですから、間違いがあれば、間違いを間違いと認めて、善く改めていかなければいけません。
そして、より善い倫理を作っていく必要があります。

どんなに権威のある本であっても、どんなに権威のある者であっても、ずっと絶対に正しいものなどありません。
間違いや、誤解もあるでしょう。駄目なものは駄目です。間違った考え方や、悪い考え方をそのままにしてはいけません。
本であれ、言葉であれ、悪いものは、削除したり、訂正したり、それが悪であることと改善策をきちんと明記したりして、
善くしていかなければいけません。悪いものを悪いままで、誤魔化したり、放置してはいけません。
本や言葉を絶対視せずに、自分でもチェックして、きちんと善く考えて、間違った考え方や、悪い考え方を改めなければいけません。

ヒューマニズムとか人道主義とか、そういうものからも学んで、悪いものを見直す必要があると思います。
誰でも、改心して改めて、善くなって、善く自立して、自己責任を負い、善を行い、自分で善く働くほかに生きる道はありません。


403 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:01:16
>>387-391
アブラハム、モーセ、ムハンマド、洗礼者ヨハネについて、自分を失っているなどと書いてしまって、
済みませんでした。
彼等の組み合わせの女の人は神ですから、神の預言者でも正しいのかもしれません。
しかし、女と男は、それぞれ、善く自立して自己責任を負って、対等でなければいけません。




じゃあね。


404 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:53:56
初めに言があった。言は主と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。

さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、
「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、
そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って
行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えているのですか」。
彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよ荒野で呼ば
わる者の声』である」。


405 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:54:30
律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまことは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

ヨハネもサリムに近いアイノンで、バプテスマを授けていた。そこには水かたくさんあったからである。
人々がぞくぞくとやってきてバプテスマを受けていた。
そのとき、ヨハネはまだ獄に入れられてはいなかった。
ところが、ヨハネの弟子たちのとひとりのユダヤ人との間に、きよめのことで争論が起った。
そこで彼らはヨハネのところにきて言った、「先生、ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒に
いたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、
そのかたのところへ出かけています」。
ヨハネは答えて言った、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。
『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である』と言ったことをあかしして
くれるのは、あなたがた自身である。
花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、
子の喜びはわたしに満ちたりている。
彼は必ず栄え、わたしは衰える。
上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。
天から来る者は、すべてのものの上にある。
彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそあかしを受けいれない。
しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである、
神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。
父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。


406 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:58:07
あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした。
わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力があるあかしができる。父がわたしに成就
させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしを
つかわされたことをあかししている。
また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしされた。あなたがたは、まだ
そのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。

わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのこと
をあかしして下さるのである」。
すると、彼らはイエスに言った、「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた、「あな
たがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、
わたしの父をも知っていたであろう」。

わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が彼自身の名
によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
互いに誉れを受けながら、ただひとりの神からの誉れを求めようとしないあなたがたは、どうして信じる
ことができようか。
わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが
頼みとしているモーセその人である。



407 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:00:22
そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。

さて、イエスは彼らに答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする
以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。
なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、すべて子にお示しになるからである。そして、それより
もなお大きなわざを、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。
すなわち、父が死人を起こして命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるで
あろう。
父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。
それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも
敬わない。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の
命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時がくる。今すでにきている。そして
聞く人は生きるであろう。
それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子もまた、自分のうちに生命を持つことを
お許しになったからである。
そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。


408 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:15:23
そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンを与えたのは、モーセではない。
天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者は決してかわくことがない。
しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたがわたしを見たのに信じようとはしない。
父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。
わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うのではなく、わたしをつかわされたかたの
みこころを行うためである。
わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、
終りの日によみがえらせることである。
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、
わたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」。


409 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:16:00
わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。
わたしは、その人々を終わりの日によみがえらせるであろう。
預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、
みなわたしに来るのである。
神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。よくよく
あなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。

しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしはひとりではなく、
わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである。
あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。
わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことを
あかしして下さるのである」。

そこで彼らはイエスに言った、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼らに言われた、
「わたしがどういう者であるかは、初めからあなたがたに言っているではないか。
あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしを
つかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。
彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。
そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、
また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。
わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしている
から、わたしをひとり置きざりになさることはない」。


410 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:18:03
イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。
わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、
そのかたのことである。
あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、
あなたがたと同じような偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。

父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得る
ためである。
だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしは
、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、
わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。

もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、
またすでに父を見たのである」。

あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。

411 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:19:41
わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。
立て。さあ、ここから出かけて行こう。

わたしを憎む者は、わたしの父わも憎む。
もし、ほかりだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯
さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父を見て、憎んだのである。

正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたが
わたしをおつかわしになったことを知っています。
そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを
愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。

すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。

イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたを
つかわす」。


412 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 23:19:02
さて、このスレでは、父はゼウス(モーゼ、洗礼者ヨハネ等は生まれ代わり)であり、子は、アポロー
(釈迦、イエス等は生まれ代わり)であると考えています。
そして、ギリシア神話では、ゼウスの子はアポローであり、神は永遠とされています。
以上のことから、このスレでは、ギリシア・ローマ世界の多くの人々の間では、ゼウスの子がアポローであり、
彼等が英雄として、転生しながら人類を導いていることは、常識であったのではないかと推測しています。

しかし、このように考えると、聖書の言葉には、多くの矛盾があります。
洗礼者ヨハネは、父であるにも関わらず、子であるイエスに対して「わたしのあとに来るかたは、わたしよりすぐれたかた
である。わたしよりも先におられたかたである』とわたしが言ったのは、この人のことである。」と言っています。
そして、イエスは、「わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしされた。あなたがたは、まだそのみ声を
聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。」と言っています。

ここでの洗礼者ヨハネの言葉は、イエスが洗礼者ヨハネと対等の親友になり、イエスが父と共に創造者となり、父と子が一
体であることを示すための試練であり、そして、イエスが洗礼者ヨハネに対して「父がわたしに仰せになったことを、そのまま」
話すための言葉だったのではないかと思います。
そして、この時のイエスの言葉が、イエスが様々な行いをする前の言葉であり、後になってから、イエスは「すでに
父を見たのである」といっていることに注意が必要です。



413 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 23:24:22
ここで、最も重要なことは、洗礼者ヨハネが父であり、イエスが子であるということは、言葉によって示すものではなく、
行いによって示すことだったということなのだと思います。
ですから、聖書の言葉では、矛盾したことや、否定ともとれるようなことが、沢山書かれているのだと思います。
しかしながら、洗礼者ヨハネとイエスの行ったことを見ていけば、父と子であり、一体であることは明らかだと思います。

そして、ゼウスとアポローの神話を知っている者が聖書を読めば、ここで、ライオンの親が子供を崖に落とすような
厳しい父子関係を読み取ることができると思います。(ただし、死を求めることは無意味ですし、悪です。)
また、ピラトや初期キリスト教を信じたローマ人達は、おそらく「神の子」という言葉を聞き、そして、その教えを聞いて、
それが、ゼウスの子ではないかと考え、英雄達の生まれ変わりではないかと考えて、恐れたり信じたのではないか
とも思います。

そして、父と子が一体であることをあかすためにこそ、イエスは、子でありながら洗礼者ヨハネの言葉を負ったのだと思
います。
そして、イエスは、父と子が一体であることを、行いによって証すまでの間は、あえて、あなたがたは、父の姿をみたこ
とがない、と言ったり、洗礼者ヨハネが父であることを否定するようなことを言っていたのではないかと思います。

だから、イエスは、後になって、行いによって父と子が一体であることを示して、そして、十字架について話し始めた時に
なってからは、「もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知って
おり、 またすでに父を見たのである」。 と言って、父が洗礼者ヨハネであることをほのめかしているのだと思います。




414 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 23:25:45
ところで、洗礼者ヨハネは『主の道をまっすぐにせよ荒野で呼ばわる者の声』です。そして、洗礼者ヨハネは刑死しています。
そして、イエスは「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであれば
すべて、子もそのとおりにするのである。 」と言っています。

そして、洗礼者ヨハネは父であり、イエスは子であり、父と子は一体ですから、イエスは、子として、洗礼者ヨハネの道を
歩んで、「父がわたしに下さった杯」を飲まなければならなかったのだと思います。
(しかし、刑死することや、十字架につくことは無意味であり、悪であり、してはならないことです。)

ところで、イエスは十字架の意味を、永遠の命を得るためと言っているようですが、どうして十字架が、永遠の命なので
しょうか。
ここで重要なのは、神として生まれ変わって、英雄として生きたり、その場その場で正しいことを行うだけではなくて、
自らが永遠に生きる神々であることを深く自覚して、人類創造の事業に真正面から取り組んで、地上に天国を築くという
意志を世界に向かって表示したことではないかと思います。




415 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 23:26:36
そして、このことは、単に父と子の間のことだけではないと思います。
「子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得る」ためであり、「それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つに
なるため」でもあるのだと思います。
そして、「あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。
すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、
世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいだいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが
一つであるように、彼らも一つになるためであります。
わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、
わたしを愛されたように、彼らお愛しになったことを、世が知るためであります。
父よ、あなたがわたしに賜った人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。
正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわし
になったことを知っています。
そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さった
その愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」という言葉のとおりだと思います。


そしてイエスは、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。と言ったそうです。
おそらく、イエスの弟子達の多くが殉教したと言われているのも、父と子と一体になる為ではないかと推測します。



416 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 23:27:49
新約聖書では教会を、イエスの意思によってたてられた地上におけるイエスの象徴的身体であり、聖霊がその基盤を与えた
とする。そのような理想的教会は、時間と空間を超えた統一的な存在であり(一性)、神によって聖とされ(聖性)、万人が
参加することができ(普遍性)、イエスの直弟子である使徒たちにつらなるものである(使徒性ないし使徒継承性)と信じる。
これを実現することが信者の務めである。キリスト教信仰は、他者との歴史的また同時代的共同(交わり)の中にのみ成り立つ
もので、孤立した個人によって担われるものではない。

このスレでは、聖霊を、魂の叫びであると書きました。それは、風のようにやって来て、風のように去っていく聖霊であり、
その人の人格に根ざしたものではなく、一過性のものなのではないかと思います。
しかし、聖霊は神であり、人格を持った存在とされています。この、人格を持った聖霊とは、その人の人格に宿った魂の
ことであり、即ち、その人自身の魂が、父の魂と一体になったということを示すのではないかと思います。
父と一体となるということは、真の自分を取り戻すということであり、永遠の命を生きるということであり、父と共に人類の
創造という事業を善く行うことであり、善くなって、善く自立して、人類を善に導くことなのだと思います。
ですから、父と子と共に、人類の創造に直接参加して、善を行うことこそが、本来のキリスト教信仰ではないかと思います。
洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」と言っていますが、悪が許されることは決してありません。
悔い改めにより、悪を取り除き、善を行うことが、キリスト教の事業なのだと思います。



417 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 23:29:54
ところで、イエスは、「あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。」
と言っています。
洗礼者ヨハネは、父でありながら子であるイエスに仕えました。そして人々に、洗礼を授けて、罪を告白して悔い改めること
を求めました。また、イエスが洗礼者ヨハネの意志を継いでいたことから、イエスはバプテスマのヨハネの生まれ変わりだと
考えられていたそうです。

このように考えると、洗礼者ヨハネが、キリスト教の根幹を確立し、イエスは、それを広めたとも言えるのではないかと
思います。
そして、おそらく、キリスト教とは、父と子が一体となって創ったものとも言えるのではないかと思います。

そして、イエスの死後には、イエスが洗礼者ヨハネの後を継いだのと同じように、イエスの弟子達がイエスの意志を継いだ
のではないかと思います。

そして、このことが、三位一体という意味であるとも言えるのではないかとも思います。





418 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 20:07:49
>>415 一部訂正

そしてイエスは、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。と言ったそうです。
おそらく、イエスの弟子達の多くが殉教したと言われているのも、父と子と一体になる為ではないかと推測します。



そしてイエスは、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。と言ったそうです。
おそらく、イエスの弟子達の多くが殉教したと言われているのも、父と子と一体になる為ではないかと推測します。
(しかし、殉教は無意味であり、悪であり、してはならないことです。)


419 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 20:24:30
このように考えると、キリスト教は、救世主によって救われるための宗教ではなく、
世の中の、貧しい人や病んだ人や、悲しむ人を救い、正義を実現したいと志す者達が、
父と子を信じて、悔い改めによって悪を取り除けると信じて、柔和で心の清い人が
指導者にふさわしいと信じて、聖霊(神の同じ人格)を受けて、自ら救世主となる
ための宗教だったのではないかと思います。

しかし、もはや人間は地上に満ちています。
さまざまな理想が、既に示されていると思います。
もはや理性や善の心や愛によって、やっていけると思います。

そして誰にでも、善い幸福追求の権利がありますし、誰でも善い幸福を
善く追求しなければなりません。
ですから、自分を大事にしなければいけないと思います。
ですから、救済という不可能は、終わりなのだと思います。

誰でも自分で自分を救って、善く幸せに生きなければならないと思います。
そして、仕事は手段に過ぎないと思います。

ですから、誰も、救世主などにならずに、善く自立して、自己責任を負って、
仕事もして、幸せに生きなければならないと思います。


420 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 20:51:50
それでは、さようなら。

じゃあね。



421 :1:2006/11/05(日) 22:31:58
>>131
彼女は、イエスは役に立たないと言った。
彼女は、全ての意識に自分があると言った。

僕もイエスは役に立たないと思う。なぜならイエスは妻や家族を捨てたし、幸せじゃないからだ。
僕の意識にも彼女がある。なぜなら、僕も自分の組み合わせの女の子がいると思うし、その女の子と結婚したいと思うからだ。
そして、組み合わせ同士で、愛し合って結婚して、共に同じ時間を生きていくなら、そこでの美や愛は永遠だからだ。

僕が間違っていた。全て彼女の言うとおりだった。
僕は悔い改めて彼女を信頼する。
僕は親友を信頼する。
僕は自分の組み合わせの女の子と結婚する。

僕は女に、男よりも深い愛があることを知っている。
僕は、男が女を大事にして崇めていることを知っている。それが男の愛の形なのだと思う。
僕は、男が女を大事にして崇めなければならないと感じる。女を大事にして崇めるのが男の望みだと感じる。
僕は、男が女を大事にして崇めていることを女に知ってほしいし、大事にして崇めたいと感じる。
そして、僕は女は、愛と命の源である自分を大事にしなければならないと感じる。
僕は、男が女を大事にして崇めていることを伝えて、大事にして崇めることが、本当に大事だと思う。

じゃあね。


422 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:34:13
誰も、世界を愛することなどできない。
世界を愛することなど誰にもできない。
なぜなら、個と世界ではサイズが違いすぎるからだ。誰でも個として生きている。
だから個が、分をわきまえずに世界を愛そうとすれば、破滅する。

僕は、イエスのように苦しんで破滅して死ぬのは嫌だ。
僕は、釈迦のようにさまよって破滅して死ぬのは嫌だ。

そもそも、男が生まれた目的は、組み合わせの女を愛することだ。
だから、そもそも、男は、組み合わせの女を愛さない限り、さまよって苦しんで破滅して死ぬほかにない。

女は、深く、男を求めている。
女は、深く、男を愛している。
女には、男からの尊敬と、愛と助けが必要だ。

男は、女を崇めて大事にしなければならないと思う。それは男の本当の望みでもある。
男には、女を崇めて大事にすることが必要だし、女にも男に崇められて大事にされることが必要だと思う。
男が女を崇めて大事にすることで、女も男も幸せになれると思う。

女は、男の尊敬と、理性と力による助けがなければ、生きていけない。
尊敬がなければ、駄目になってしまうと思う。

女を尊敬し愛することもせずに、女を憐れんだり軽蔑したり憎むのは、傲慢であり、悪であり、罪悪だ。





423 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:37:51
キリスト教の本質は愛だと言われている。しかしだれもイエスを助けない。
イエスを助けないだけでなく、自分も助けない。自分の罪と悪に留まって、
罪と悪のままで、慰めと救いを受けようとしている。
しかし、イエスは犠牲になってはいけない。そして誰でも罪と悪から抜けだ
さなくてはいけない。罪と悪を悔い改めるほかにない。
誰もが誰も救えない。誰も救われない。助け合って、自分で自分を助ける
ほかにない。救済は不可能だ。

愛がない宗教など、妄想であり、神とは一切関係ない。
愛がない信仰など、超越的なものの実在や単なる観念を信じた
ことによる、人格の破綻に過ぎない。

イエスは悪魔から誘惑されたという。このように、信仰や宗教とは、
悪魔を崇拝する恐れもあるとされている。

いずれにしても、宗教や信仰でなく、理性と善の心と愛が大事だと思う。




424 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:39:03
僕はイエスを過ちや罪から助けた。
僕は、イエスの過ちや罪に従うのは嫌だ。
僕は足を洗う。もう終わったからだ。
僕はもう家に帰る。
そして、仕事もする。
しかし、誰であれ、自分で自分を助けるほかにない。
助け合って生きていくほかない。

女には男が必要だ。男には女が必要だ。
女と男には結婚が必要だ。
僕にも分かる。女には男が必要だ。男には女が必要だ。
女に必要なのは犠牲ではない。男に必要なのは犠牲ではない。
女に必要なのは結婚だ。男に必要なのは結婚だ。
そして男が生まれた目的は、女を愛することだ。

僕は、女の愛に答えなければならない。
僕は、女を愛さなければならない。
僕は、女と結婚しなければならない。




425 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:40:56
誰であれ、世界と愛し合うことなどできない。
世界を愛するべきではない。
そもそも世界を愛することは、個には不可能だからだ。
手段として、仕事をすることが大事だ。

世界は個の愛を受け止めることはできない。
だから、イエスでさえ、愛を示せなかった。
犠牲が愛だという者は、間違えている。
十字架を否定し、十字架からイエスを助けない者は、善ではない。悪だ。
自分の苦しみさえ分からない者が、他人の苦しみを理解できるだろうか。
イエスの苦しみも理解できず、自分の苦しみも理解できない者が善を行えるだろうか。
苦しみを苦しみとして理解しないから、誰もイエスを助けない。自分を助けない。
世界は苦しみに満ちたままだ。
イエスが過ちを悔い改めて幸せになることを喜び、自らも過ちを悔い改めて幸せになるほかにない。
世界に対しては、愛ではなく仕事で十分だ。
そして仕事は、生活の手段だ。




426 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:41:48
キリスト教や仏教や宗教が、女から男を奪い、男から女を奪うなら、酷いことだ。
僕は悟った。
家族には、男が必要だ。女には男が必要だ。

イエスが、家族を捨てたら、家族はどうなるだろうか。
イエスが、女を捨てたら、女はどうなるだろうか。

釈迦が、家族を捨てたら、家族はどうなるだろうか。
釈迦が、女を捨てたら、女はどうなるだろうか。

僕は思う。女を愛さず、女と結婚しない男は、
女を見捨てているのだと思う。

女の惨めさを、憐れんでも駄目だ。
結婚して、大事に崇めて、愛さなければ、駄目だ。
だから、世界よりも、家族や自分を愛し、女を愛さなければだめだ。





427 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:42:18

毎日、眠ったり起きたりしている。
そのように、人は死んだり生まれたりしている、とも言えるのかも知れない。



じゃあね。

428 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 02:13:57
(´・ω・`)

429 :考える名無しさん:2006/11/09(木) 01:16:24
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ

『  ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって桜の木に抱きついている、目も見えず、耳も聞こえぬお人に桜を見せようか?

☆彡 坐禅と見性 四十六章 公案見性
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161444933/
而二不二(ににふに)、 不二而二(ふににに)
二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
師、問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
僧、答える。     ・・・と。

☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?

アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。

☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)

【本則】
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」

趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。    その重さは7斤(4.2kg)もあった」

また、あるひと曰く(いわく)
「世界をキリストは支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。

‥‥……━★ 友好スレ

精神世界で癒される第15章  仙界の癒し大混浴場(バトルなし)
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1156683671/

430 :(´・ω・`) :2006/11/09(木) 18:32:34
このスレは、立看板等禁止します。



















議論等は、ここへドウゾ
理性で神【聖書】を語れるか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1162890959/l50


431 :1:2006/11/20(月) 19:40:38
>>191

すみません。


432 :1:2006/11/20(月) 19:41:20
さようなら。

じゃあね。

433 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 09:47:48
どちらかと言えば、生きることを肯定することの方が、神を肯定するより普遍的であると思う

キリストにしてもユダにしても自分の子供を残していない

たしかにDNAは残せなくても人類史から彼等の名前が消える事は無いだろう

しかし、それを語り継ぐのはそれでも生きる事を選んだ人たちだから・・・




(バルキスの定理)

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