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ニーチェ 六

1 :伝説のあぼーん ◆AEROZYYyYM :2006/09/02(土) 22:39:30
ニーチェ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1057392559/
ニーチェ 二
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1103805487/
ニーチェ 三
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1121174060/
ニーチェ 四
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1125748788/
ニーチェ ゴ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1137290430/

755 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 21:53:47

『我説的解読論による、多方のより彼方に見渡す“良い”眺め。』

《――ブエナ・ビスタ――【力故の意志。】》

目録1・・・・
【力への意志への歩み寄り。】この事柄の解読と解釈との理解に何より必要なものは、より長くと遠くを見渡せる目と幾らかの勇気で或る。。

嗚呼、いよいよをもってして幾らかなる見通しの見解が整備され準備を構え、ただ解釈を指し示す者をたたずんで待ちわびる・・・・・。
今だ、その道筋の大半は闇に隠れ、その倫理を見渡した限り。
その差異に極度を越えた予感を“予め”感じさせ。

その冷えきった時を幾重にも身に纏い。
その結晶であるかの如く。
その佇まいはさながら樹氷を彷彿と漠然に意識と知覚の連動を無意識的に完結させ沸き上がらせる・・・・。
我々は今ようやくその節度と風習の道徳をも自己と切り離し。

何故に今を以てしても更にそれらを殊更に度外視する程の必要性を、否、何故にその必要性なる要因をその問いの発生起源に置きすえ。更に我々はこう主張するに至る・・・・・・。

つまり我々は幾度もの迂回を余儀なくされ。

此処にきて、ようやく我々人類はこの硬く冷たい。

一つの“危険”に我々は触れるを自らとその解釈の内に押し止める事を終に許したのでは無かろうか?

だが、諸君、些かの困惑と誤解を与える指南をあなた方は此処に立ち尚の事、更に彼に求めなければならない。

そして又、幾らかの明るさを持ってこの思想を見通したとしても、その細部と彼方の果てには今だ光届かずに、暗く仄かに湿っているだ。


756 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 21:55:29
     2

その深く暗い、思想の深渕を、いざ楽しまんとし。

事と見解の解釈による算定されるべき目論みの、否

それこそ方向性やら、もっというなら会話に置ける。
趣旨と求める利害の一致が更に不味い遣り方を煽り。
未熟なままで或る事を良しとする。

これはあくまで私の一つの推測だが。

ようするに私はこの眺めから身を委ね。

更に良く対象となる概念と相対する場合に或る、原例法とも呼べる。

そのような手法が果たして存在可能な一つの憶測に纏めあげ。
又更にその倫理の説明をより円滑にし。

多少滑らかな解釈へと移行可能な想定であろうかどうかと手順と道筋を繰り返し反復する事を自身により良く行なっている事を最近になり。認識しはじめた。

殊更、既により多くの不信者を“通例”とみなし。
離別する心構えさえ取り入れた。

取り分け自己と比べて見ても

感覚的な距離をその観念との差異であり。即ちそれこそ距離であり。

まさにそれこそが無理解と理解へ分け隔てる。

一枚の扉だとも彼らはしきりに言うのだが・・・・・・・。


757 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 21:57:41
     3

だが既に私は其処では何も見入出さない。

ならば、このような連中には予め誤解のための遊戯場や運動場を認めておくのがよろしい。

そうすればなお笑うこともできよう。――或いは、彼ら、この良い友達を全く追い払うこともできるよう。―――そして又笑うこともだ!

フリードリッヒ・ニーチェ著・善悪の彼岸より引用。
より、多くの人達に当てはまる事なのだか、彼ら多くの人たちはまるで自らの理解に関心が無い事に幾らかの気配りが行き届かず。

事その始末の最終的となる末に、その形態を保つ為に自らの概念に築き挙げた思想家の多くの文面に残し記した。記号はより、哀れなままで風化する事望む。

如何に我々が“誤解”を尚自らで生み。
何故に今更になり、我々は理解への解釈より寧ろ。

“誤解”への解釈を求めるのだろうか?!

理解不可能な観念感と概念感の複雑に絡まった思考可能性への理解へのやり取りを無理解的な誤認であると認めるよりも更に尚更良い方法は我々は良く

誤解している事を、又は自らで予めその誤解を用意している事も同時に認めなくてはならない。

理解する事の方が些か妥当な対処の様に思える・・・・・・。

『解明され理解の側に取り入れられた事柄は、もはや我々の“関心”を引く事を止める。』

フリードリッヒ・ニーチェ著・善悪の彼岸より引用。
諸君らにこの一連な大まかな流れに真直ぐに横たわり一筋の道筋が予見できようものか?!


758 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 22:02:32
目録2・・・・『走り出す作用とそれに付き纏う結果そして最後に来るのが要因』
    1

作用を及ぼす結果が見られる場所では常に其処に在り
その要因なる因果をその作用に作用を与える概念は 一つの因果と報復を、

同じ発生源をその起源に 共有し全く同時刻に報告された。
二つの異なる起源に端を発する、

この出来事となった現象は解りやすく噛み砕くと。 
“因果”と“報逢”更に“起源”と“要因”の類似的形態に多くの共通点を  その性質に多く重ね合わせ。
それでいて伴にその作用が及した。

結果およそこのような現象が引き起こされた事で或るとの解釈を差し出す。  
それでは些か複雑に幾つかの推測と憶測が絡み付いて自体をややこしく見立て挙げるが、一見このアンビバレンスとも呼べそうな。 
同じ空間で同時期にその中の関係で成立する事が可能なその根本的理念の発想が既に異なる二つの概念が、略同じに生じた一つの作用を中心に据え置き。

力点にし発生しその効果が認められた結果をもう一つの点を造り。

それが作用点となり、  その後に表れる“要因”を接点に繋ぎ、殊更にその事実を要点と解釈されより多大な理解解する働きを与えるのである。

殊の外、上記に記した記述以外の何らかの思考を経由してその事物全体。言語的な比喩を用いるとより遠くより高くに意識を飛ばし。
その上方なる眺めの視点から、より長く横たわる全て見渡すのは、何より難解である。

いよいよ、この『力への意志』の中枢に渦巻き混在するその観念は時折に不安定にして不明確な道筋を私の目の前に幾つか残していった。

その思想に置け主体となり骨格とも骨組みにも似通う印象をその思考の組み立てを幾つかの段階に分け細かく区別し、

さらにより洗練された形状をその観念に醸し出す。 
核となる観念と解釈が交差する程の余裕と余地が  
僅かながらに我々に或る事を良く確認して貰いたい。

759 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 22:10:21
>>755
外人なら外国語でどうぞ。


760 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 22:14:53
    2

我々が尚もよりこの世界についてより多くの言葉を 与えて語らせたいのなら、どうであろう?     
その世界と称し、漠然さを歪曲して。       
この開かれた世界の雄大さの賜物だとも

我々は勝手に誤認とでも 誤解としでもその後なら 
幾らにでも解釈の施しが 出来る通例的な事柄についてですら平気で理想で  
あるだとか理念などという自己欺瞞的に創作した  
解釈の寸法を押し付けながらも、
この世界と未来と向かい合い投影する。

その意志が意欲するもの全ての存在に限られ今まさにこの門は我々の眼前に無頓着に無関心なままに開かれたままなのだ・・・・。 
結局の所、我々に与えられたものとは、
突き詰めると情念と呼ばれるものか情熱と呼ばれる 
不確かな概念かまたは  観念的な形態を模様し   その視点のままでしか  
我々が他者を必要であると信じる時その時には   
概念と意識はまさに此処と其処が交差する瞬間でしか存在する事は確認出来ない。


761 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 22:16:40
更に其処以外の実在性へと自己投影した所でその実在性より更に上方や下方への移動を可能にする事が  
何一つ選択の余地にすら持ち込まれず。      
殊更に不可能な欲求だというのならば。

恐らくこの思惟する事すら欲求に基づいた衝動によりその相互的に作用しあう。
関係の中でしか確立と成立の実証を保つ事が自体を 
証明することが既に数少ない試みの意気込みと精神に重くのしかかり後を引く。
問いを抱き、軽めに聞き出そうとした・・・そんな気がしたんだ。

仮層よりも実層の方が常に我々に高い評価を与えてくれる。

結局はこの情念からなる捻以上からは逸脱出来ずに 
伴に共通な「実在性」の中で関係を 

成立しこれがやがては有機的機能全体の自己規制ならびに全ての生の生存に不可欠な循環をその形態に模写した。
更にこの循環を形づくった観念の集合体は相互的な 
やり方で総合的に一種の衝動活動として結びつけられるさらに後には様々な形容式の模範的な役割を果たし。
その形容式自体に還元されうる。
 


762 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 22:19:15
この人どうも外人ぽいね。
ちょっと英語で書いてみてよ?

763 :『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』:2007/01/02(火) 22:20:05
     3

我々が尚更に我々の意志の根本と原因性を信じる事に値する事であるかどうか?
更に追記するなら、我々の意志が何らかの原因性を持ち作用引き起こす事により
一つの原因性を意思の作用が引き起こす事が可能な事だと言う事を信じるに  値する程の価値があるか?
又は算定し算出できた位と同じ程度の効果はあるのか?
と言う問いを試みなければならない。

意思は許より意思に対してのみ結果を見つけだす事が出来るものであり。   
つまりは結果が見当たる 場所には必ず何らかの意思の作用が働いていると言う
憶測は容易に意識の上に引っ張り出され。     
その結果と要因は安易に理解せうる事と出来よう。 
その根本形式を機械的な生起に目を向ければ、正しく機械的な作用を往復する限り、即ち何らかの意思の痕跡が見受けられ。

手短に折り畳んだ解釈の全容はこうである――――。
我々においての全衝動活動生活を意思による唯一の根本形式である事とする仮説を此処から先へと見通し。
更にその仮説そのものこそ『力への意思』と呼ばれ。
ある種の認識において極めて段階と過程を踏まえた押し方められた、

形容式に乗っ取り論じられた議論であるかと単衣にただその情念と情熱の内に或る世界に感服の捻と尊敬の捻が時折、宙を舞う。  
そして『力への意思』の――――形成および分岐となる道筋を説明可能な方法論でまとめあげ、又それにともない全ての有機的機能が力への意志として還元され
さらに養分や生殖の問題さえ解決可能な解決法が見入出されたならば、

これにより全ての結果を 引き起こす力を或る一定義であるとするならば・・・・どうであろう?    
これこそ『力へ意志』とし規定する権利を保持する事になろうとは・・・・・・・諸君、どうであろう?あなた方は自らの意志により作用を引き起こすだけの強さを所有するものであろうか!?

意志が求める最高の権力とは、何よりも高くさらに遠くまではっきりと見渡せる。
最高のブエナ・ビスタの眺めの中に立つ事だ。

764 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:29:12
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』

演奏曲名
《サンキュー・ディオニッソッス》

ョョあらゆる悲劇からの 典到の微睡み―――遥か先で横たわる喜劇の喝采ョョ
宴目1・・・・・
『苦痛の系譜・記憶と意欲。』

“反感”それは負の代償としての報酬を支払わされる・・・・・・。

それには更に長く、悲壮と悲観するこの先を憂いその頬から下方へ零れ落ち。 そこから眺め見る世界を 歪ませた。

遣り切れない虚脱感に支配された一つの意志だったのかも知れない・・・・。 
諸君らに尚の事今ここから問い正したい。

我々が常日頃、我々により与えられた人類史上最もな“価値”を有するものは?と説いただしたならば・・・・・

恐らく、大半は女、子供が挙って大手を降り意気揚揚と丸で全てが滑らかにその精神に飲み込まれるかの如く。
命であるだとか愛であるだとか、金であったり・・・。
それこそ数限り無く連鎖し無限に反響しあう。   
この日常なる世界で極稀に出会う素晴らしくその実像から脱線し

それでも素敵な世界であろうと我々に催眠術をかける様に囁かれた戯言達が一斉にが飛び出してくる事だろう・・・・。

“反感”の代償として支払われた報酬・・・・・。 
“理性”・・・どうやら我々がこの何やらとんでもない虚栄張りと虚無を振り回し度々煮え湯を飲まされる事も幾度か経験した事だろう?
我々の意識には決して上がろうとはしない或るとても古ぼけた記憶を書き留めた痕跡が或る。

我々の記憶としての起源に極めて精確に究めて冷淡に迫り、その分析に基付いたある推測の一見だ・・・・。


765 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:31:29
『我々がどういう遣り方でもってこの“理性”こいつを発見し発案したか?というよりも寧ろ。』    
『如何にして我々は“記憶”する事を覚え。そして我々が一番、その“記憶”に留める事に仕えたか??』
我々が最も良く“記憶”としてその記録を保持する事に最大の功績を与えたものは・・・・・・。

“苦痛”この言葉が与える印象、それそのものであった。

我々は“苦痛”を一度、経験すると二度と忘れえない又はその記憶を保持しようとする能動的な意志の作用により(この苦痛が本来、意志の意欲として発展し後に記憶として留められた本来の意志の記憶である。)
意志の能動的で積極的な 効能により終に我々は一つの道具を身体に取り込む事に成功した。

そこに至るまでの道筋を、幾分、感受性を解放する事に何ら抵抗なく躊躇う事にすら無理解を示す事の可能な人がもし在ったなら。 
しばし、思いを馳せるが良い。

さぁどんな憶測が示され、意志の記憶を明るい意識の麓に曝け出しついには消え去り通り過ぎる事であろうか?!

我々が最も良く記憶の中に宿したもの・・・・・。 
それは、あらゆる“苦痛”と呼ばれる種であった。 
殊更に刑罰について深い洞察をした事の或る者は、恐らくそれ自体、強行する事自体がひどい苦痛を伴い人間憎悪の捻に満ちる一幕だったに違い無い。


766 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:35:36
宴目2・・・・・
『健却と忘却・全ての価値を再び呼び戻すのは精神に置けるほんの一掴みに握られた《白紙状態》』   
如何に我々がその宝を手に入れる迄に掛けた時間とその中で作られ与えられ  
配られた無意味な苦しみの姿を!!

今この瞬間に流れる時代に何と滑稽に不躾と映る事か!!(人間が激情し憤怒するのは実は苦痛や苦しみそのものでは無く、人々が目撃者として偶然立ち合った際に見る光景の中にある。)
それは殊の外次ぎなる事情によるものに違いない。 
『人が激情し憤怒するのは与えられた苦痛ではなく、人々により与えられた  “無意味な苦しみ”である』
それではここから先はより“反感”(ルサンチマン)そう呼ばれる観念について
やや深く自身により掘り下げ自らの解釈を進んで提示していく事としたい。

『人間とは一本の木のようなものだ・・・光を浴びるよう上へ上へ身体を伸ばそうものなら、その根は更に力強く闇の中へ伸びなければならない・・・・。』 
一体どの木の幹からあのように純粋な新しい種類の愛が育ったのだろうか?! 
その木の一番最上に鮮やかに咲き誇り咲いた愛の花を辿った時・・・・・。  
その根が根付いた場所を知る事があろうものは、  
幾らかの不信の面持ちでその花と向かい合わなくはならない事であろうか?・・・・・・・。

その花が根付き、育ったのはまさしく闇の中であり、まさしく人間憎悪の最も深い懐でその花は咲いた。 
一体誰がこんな事をなしえるのだろうか?!

この人間憎悪の最も深い深渕で最も偉大なる“最も精神的な復讐劇”をユダヤの民はそれこそ価値転倒の遣り方でもってして自らの復讐を遂げたのだ。    
能動的に意欲し、殊更長い復讐劇の下地を丁寧に編み込みそれを彼らは実行したのだ。
彼らにより価値は新に創造され作り替えられた。  
諸君らにはあれが解らぬのか?その背後には二千年の歴史を所有する。

彼ら僧職的民族の最も暗い憎悪の記しを残し(今尚、僧職者達に歯軋りを引き起こし最も精神的な深い所で根付いている感情は自らの無力さそのものである。)

767 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:39:48
更にそこから価値転倒によってのみ自らの無力しに対する腹いせをする術を心得ていた。

さらにそこで彼らが実行した復讐劇とは“最も精神的”な復讐であり。

極めて明確な目的に向かい健やかに上昇し。    
そして、その一つの能動的な所用の仕方から、もっと適切な言い方で表すならば
一つの目的として繰り返される過程の断片として、 
その一繋ぎからなる意志を意志して、(これこそ彼は自らの自由であると自覚し)
更に上昇を辿る風向きへと向かいその所用を彼はこう呼ぶのだ――――

これこそ我が意志に内在し衝動となり自らのを自由に駆ける事を突き動かす所用であると!!

即ち、意志によるさらなる力への意志、これこそが我が意欲そのものである、と。
忘れえない“苦痛”の記憶これこそが意志、本来の意志の記憶である、・・・・
とするならば我々が今日までに認知しその解釈の懐を広め一つの長い歴史の体系をその背後に思い霞めるならば、即ち道徳やら刑罰と
いったある種の禁欲主義的な遣り方で自らを良く調教して来た事を自らに認めるならば、それは一本の糸を手繰り寄せ紐解く事にも我々は手をかざせるであろう

768 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:48:06
宴目3『我々が我々人類に課した元来の命題。』  
《契りを交し尚且つその規約に反する事無き動物を調教し数を増やす事。》  
この一筋の奇怪なる道筋に解釈の余地を尚、与えるならば、このように呼ぶことが
今尚、我々に否!我々、人類に必要な事柄であると認めるのか?―――――――
これこそが我々、人間が元来自らに課した命題であると・・・・・・・

即ち、我々の過去を今だ長い過酷な偶然に縛り付け。殊更に我々のような今日においても一人の認識者として、その所用を見渡かぎりにほとほと呆れさせ、   
殆ど無意味とも思える苦痛を 与える事が今だ刑罰の目的であると信じる者を見る。

度に私はその顔を悲痛に 歪め、嘔吐をもようさせる。
現存する苦悩の奥深くに横たわる遺恨の捻にしっかりと根付いた通例的な課題であると!?

これが今だ我々の眼前に 直視されうる『責任の系譜学。』だと言うのか!? 
刑罰による刑の執行、今だその低劣な倫理に縋り付き更に刑罰を一つの作用に よる結果であると信じきり。
つまりはそれが一切の出来事の背後を支配し全ての作用と結果を説明可能な要因であり。

その作用を引き起し支配し統治する“力”こそが秩序である、と主張する多くの道徳者達に一貫して共通する事を前提に与えられる極めて正当な評価とは、  
彼らの多くはそう、今だ“低劣”な人間である、と言えよう。

およそ深い洞察をもってこの世界を覗く事にすら  
もはや躊躇わない大胆な解釈家はその眼下に口を広げ深い闇の中に降り立ち  
その淵からの眺めに思わず失笑するであろう。

そして尚更、孤高を密やかに意志し

気高くもその闇の更に奥を覗き込む事であろう事か!!
恐らく、この自らで善悪とやら刑罰だとかを自身の 価値尺度により算定する事を試みるのだ

769 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:49:57
>>744
ここで、「思考」の代わりに「理念」を代入せよ。「理念」こそ「価値の尺度」の「転轍手」なり。
「人間の行為を直接に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。
しかし、『理念』によってつくりだされた『世界像』はきわめてしばしば転轍手として軌道を決定し、
そしてその軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。つまり、
『何から』wovonそして『何へ』wozu『救われる』ことを欲し、また−−これを忘れてはならないが−
−『救われる』ことができるのか、その基準こそが世界像だったのである。」(M.ウエーバー「宗教
社会学論選みすず書房1972年10月25日p.58)
 そして、これは世界歴史で見られることだけでなく、われわれの「改心(回心)」や「目から鱗」
などの現象をも説明することが可能となる。
 のみならず、われわれの日常性の中の非日常現象と再度の日常化現象(カリスマの日常化現象!)
の説明にもなる。
 すなわち、「われわれは現実世界を
  (A)「異質なものの絶対的に一回的な継起
  (B)「同一なものの繰り返し」
 という互いに融合しえない根源的な二重の視点から見ている。」(中島義道「後悔と自責の哲学」
河出書房新社2006年4月30日p127)
「ほとんどの人は大部分の時間(B)の世界に留まり、時折魂を揺さぶられる出来事(Ereig
nis)に遭遇して、ふっと(A)の世界を垣間見、だが、「生きてゆかねばならない!」という
びとともに以前のように「同一のもの」を計算する生活(物質的ならびに観念的な利害関心の支配
する日常生活)に舞い戻る。」(op.cit.p.129)

770 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:52:57
彼の内在し自らの存在を意志の結果により確信うる、
この人間はある一つの祈りにも似た意欲がその意志の記憶と異なる場所を見据え
この人物はまさしく独りの弱者の如く自らの意志が目指す場所を見つめ更に願うのだ・・・・・

今だ人と動物が共演する舞台の上でまだ人類は“悲劇”的な退化の踊りを演技しそうでもなければ我々の 
意志の後退の筋書きを並べた脚本が書かれた“喜劇”を皮肉にも稚拙に演技する事の単純さを利便とし受けと取り。

おしまいの人間達が飛び跳ねるこの舞台で小さく踊る事を願う事を彼らは快適と呼びそれがなによりもの我々の“悲願”であり。  
幸福な出来事だ信じる事に値する一つの目的と意義だと言う。

すでに彼の意識は其処にはない。
彼の意志の願いとなり  
殊更強い意志を必要とするその場所に彼を何よりも引き付けて止まない    
一つの意欲的な言葉は・・・。。
愛から繋がる事は全て  『善悪の悲願』で結ばれる・・・・ ・
この事すら彼は本気で願うと言うのか!?

この不道徳を良しとし。社会の混乱を尚更に増長し。
更に自分以外の無神論者を横目を使い鼻で笑い失笑するのだ!!・・・    
この独りで在ろうと意欲するのだこの男は!!

771 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 19:58:33
宴目4『貴族的価値法定式とその逆到までの倫理。』
価値転到との試みと言う 自らにより価値を創り替えると言う地上最も大胆にして高貴な手法により

《反感》(ルサンチマン)と呼ばれる彼らにより初めて実行された

この地上において最も静かに執り行われ。

さらに最も用意周到にしてその復讐の捻をひた隠し 
自らの腹いせと復讐を遂げた事を其処までに至る

過程となった筋道を引き返し辿り。
其処までに見て取れた。

我々に取って最大と価値と呼べる功利といえば。

それは恐らく彼らが
最も精神的な遣り方を持ってして

その自らの復讐を遣り遂げた事であると言う事に

一体誰が異義を称えようとするものか!?

尚更に、このユダヤの民取り分け《ルサンチマン》と呼ばれた彼らがその精神を巧みな細工を施しその意志を偽装し。

それにより初めて可能となった。

この“価値の転倒”の試みのそこまでに至る迄に続くいく通りにも編み込まれた細かい道筋とその一つ一つの道に残された事実を拾い集めるだけでどれ程の根気と情熱を浪費する事か!!

772 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》:2007/01/03(水) 20:01:37
この《反感》(ルサンチマン)なる感情を自らに見入出す事が尚、可能であり
そのような精神構造に変化し対応の応用が効き

更に元来的に又は先天的に与えられ育てられた人格に宿り育だつ為に用意された。
一つの高貴な精神の持ち主は「良心の疾しさ」を持ってして《反動》を認識出来る精神の持ち主である。

ようするに《反感》の感情を抱く事が出来るのは「良心の疾しさ」を発生起源に持つ者のみである。   
更に筋道を追い遡ると
彼らが《反感》(ルサンチマン)そのもののに与えた性質と要因は意志が受けた事による“苦痛”で或るとする

(この辺りの解釈はツァラトゥストラの中で何回も教祖が講釈滴れている事なので敢えて厳密な補足は殊の外省くが。)

つまり《反感》に作用し その能動的な意志が記憶した事とは意志が忘れえない“苦痛”そのものである。
更にその記憶を忘れない為ではかく寧ろ逆のやり方で
その意志の苦痛を保持し 続けようとする、意志が持つ本来の能動性により。  
我々はようやく記憶する術とその応用となる性能を覚えた。

と言う事を思い起こせば 直ぐに理解出来るだろう?。

773 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:08:04
外人釣れたよ。


774 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:47:38
よくわからんがユダヤ人に学べということかな?
タルルートを学べと。

775 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:59:58
>>774
ホントニコマッタンガー
……じゃなくてタルムードだろ。

776 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 21:33:32
そういえばタルルートで性的刺激を受けて興奮した覚えがあるし、タルムード入門みたい結構厚い本も読んだ覚えがあるが内容は忘れた。
ニーチェも何冊も読んだけど忘れた。
タルルートくんのエッチな絵しか思いだせないな。


777 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》:2007/01/03(水) 21:48:04
宴目5『価値転倒までの道筋と帰り道。』

《第一段階、屈伏を余儀なくされた囚われのカルマ》
一つの仮説を主軸に据え 順を追い構造的に組み立てていくとおよそこうである。

我々の意志はその過程の 当初まだ人類が理性と呼ばれるものを発明し発見して間もない頃に意志が“苦痛”であると感じ取った。

概念とそこ迄に至る経過の一切を意志により忘れる事の出来ない記憶であるとその記憶を保持することに
意欲し。

こうして意志が“苦痛”であると感じた一切を意志の能動的な作用により記憶に残した。

其処ではまだ精神には何も留まってはいない。

あらゆる“苦痛”にひたすらに耐え。

その更に先で身体と精神はその苦痛を同一視し同化するために消化する度によく発達していった。

やがて、記憶と理性を手に入れた頃に次ぎなる“苦痛”と受け取れる感覚を意志は嗅ぎつけ(殆ど、無意識的な本能によって意志は苦痛となる要因を詮索しているのではなかろらうか?)
その後になり復讐と言う概念感が成立し跡を追い発生して台頭した。

※1そして是が“復讐心”と呼ばれるそのものである。
その意志が受けた“苦痛”を我々は殆ど意識の上にあがる事なく意志と精神が相互に重心を保ち巧く技巧し精神は消化していった。


778 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》:2007/01/03(水) 21:50:30
《第二段階、動乱!!獣を野に放て。》

そしてその意志が再び“苦痛”であると認識し

又、尚且つその“苦痛”を我々の意識極めて表だった面にあげないように精神は技巧させる術を会得した。
精神が求めて獲得したもの・・・・それは一つの自由で在った。

更に詳細に事細かく注意深く洞察すると。
意志にもたらされた。  
“苦痛”に“復讐”を自称するように仕向さらに  
仮面をかけその姿を偽装し欺いたものは他でも無い 精神そのものであり   更にその功利が認められた
一切の所用となったものは自らが求めそして奪って 獲得したもの即ち“自由”によって初めてもたらされ功利である。

何故に意志の“苦痛”に よる報復を“復讐心”へと偽装し欺いた事が

何故に精神が如何様なる 理由で“自由”である事であろう事か?と疑問視する声も在るだろうが、
取り敢えずこう。答えよう――――。
この地上においてこの時の、この時代においての取り分けこの時代に置ける
ユダヤの民において突出し所有してた。

その精神は、自らにより
自ら受けた“苦痛”を報復する為に“復讐”へとその姿を偽装し、

それこそ真、奇怪なやり方だがそれこそ大胆にも
“自由”に自らに映し出された“姿”を偽装したり。
又、その形容を巧みに変化させた精神は是までの地上にはに無かったであろう!!
更に言うとこの時代において、今だにこれほどまでに“自由”で高貴な“精神”は発見されてはいなかった!!
補足、ならば何故にこの精神は自らの苦痛を押し付けがましく偽善的なやり方で持ってしてまで復讐心へ向けて偽装し欺く必要が在ったのであろう?

―――――それは殆ど間違い無く“良心の疾しさ”から自ずと生じてきたものだろう・・・・・。


779 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》:2007/01/03(水) 21:55:10
《最終段階、これが生きるという事であったか!!よし、ならば、もう一度!!》

さぁいよいよ終わりの時が近づいて来た・・・・・。
それから、もう一度だけ 今これから語ろう・・・・。

今一度、思い出して欲しい。
我々の意志がその根源に根付いた記憶の先端を・・・。
『苦痛を与える事をやめないもののみが、記憶に残る』引用先・フリードリッヒ・ニーチェ著・道徳の系譜
つまらない憶測で或るだろうが、まぁ聞いてくれ。

恐らく我々により内在性に存在すると言われる、この意志とその存在性の枠組みを与え智理に仕立て上げらるた思考とはさらに別に、細やかに機能する思考が存在する事と予見する。

その思考の中の思考とでも呼べなくは無いが、どうやらその思考論の範疇内で制御し尚且つ支配の側に置かれるのは意志と呼ばれるそのものでは無かろうか?と私には思われ更にその思考論の優先券が与えられているのは本能と呼ばれる部類に属する!!

どうやら、意志に与えられた枠組みの中で成立する思考論により。

我々は本能的な衝動により“苦痛”となりえるあらゆる敵を探し求め一度発見するや否や、自らの意志によりその感覚の根源にある概念を排除しに掛かる傾向が認められる。

つまりは我々の意志は本能的な提言令を意志は容認し我々は本能的に痛みを探し求める!!

だが以上の事柄については何の提言もないし更に悪く言えば私が勝手に探った私に与えられた内在性の中だけに観測出来る憶測に過ぎない。

全く持って、つまらない話に付き合わせてしまったがまぁ愚痴なら好きなだけ履いて捨てたまえ。

だがその前に少しばかり 脱線気味の趣旨を戻し

話を彼に引き合わせる事にしよう。


780 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》:2007/01/03(水) 21:58:33
つまりだ、この本能により命じられ敵とみなされ攻撃の対象物である。

“苦痛”なる痛みを与える標的をこの価値転倒なる 
最後の一幕にさえ今だその意志は新たな“苦痛”を 感じている。

力への意志を根源に抱える世界に限り。

この本能的に流動しあえて自らの敵となる“苦痛”なるものを求め彷徨う!! 
あなたの意志がその最後に噛み絞める“苦痛”の根源はあなたの精神と意志では今だ新しい価値を創造する力が無い。

この事こそが今まさにあなたに最大の重みとなり  尚あなたに“苦痛”を与えている!!

それがあなたの精神に尚、強い力で渦巻く《反感》のもっともらしい反応だ!!
それでも尚、あなたはさらなる“力”を求める!! 
一切は虚しい!!一切は過ぎ去る事に今も尚、値する!!
ならば、いっその事全てを失うがいい!!

この苦痛もこの一切に従順に屈しない苦痛となる全てをこの私の精神の隙間に全てを閉じ込めて!!   
健却と忘却の双子の幼子を今ここに呼び付けて!! 
私の意志か更なる高みへと引き上げる意志を自身に従え携えて!!

私の精神に僅かばかり広がる《タープラー・ラーサ》に全ての記憶を放り込み!!
多少、信じられる“何か”に縋りつき終わりの来ない苦痛に怯え生きるより、 
いっそ何も知らない事と、全てを失いこの身が消え去る瞬間を信じ続け。   
忘却へ身を投げる事に自らの没落を賭け続ける事で 私は生きたい!少し踊りたい!!
例えそれ故、私が滅ぼうとも!!例えそれ故私の意志が滅ぼうとも!!

尚、この意志はこの瞬間にこそめがけて、こう叫ぶのです!!
これこそと伴に生きよ!!と言うことなのだな?! 
よし!されど!今一度!!
よし!さらば!この一度!―――――――――。

781 :『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》:2007/01/03(水) 22:12:10
※1 ニーチェのテクストに基づき説明可能な解釈を 厳密に説明すると    
復讐心とは過去を遡る事を意志した時の意志により。
自らの意志する作用により結果を及ぼす事によって 
過去を変えられない事を 意志は“苦痛”だと認識し捕えた。 

極めて意志の能動的な作用である、との解釈を彼自らの著書である。     
ツァラトゥストラやその他の著書で辺り構わず講釈を滴れてるのでこの辺の事を是非思い出し又聞き逃す事の無いよう注意して貰いたい――――――――。  
  《葡萄酒挽歌。》  
嗚呼ぁ・・・やっと、また貴女とキチンと向き合う ことが出来たね?・・・・
さぁ・・・・・もう一度、今一度、なお、この一度・・・・・・・・     わくたしがその耳もとで 
遠いところから聲をとってきて

そらや愛やりんごや風  
すべての勢力のたのしい 根源

万象同帰のそのいみじしい生物の名を

ちからいっぱい、ちからいっぱい叫んだとき    
いっぴきの鳥があのそらの彼方をとんだだろうか  
嗚呼ァ!!わたしは詩人にすぎない!!

嗚呼ァ!!わたしは道化にすぎない!!――――――――
アリアドネ・・・・・・・ 私はここからでも、  なお、あなたを欲して止まぬ・・・        
何故なら私は貴女を愛するからだ・・・・・・・  
ディオニッソッス・・・・・・・・。
何故なら、あなたとわたしが、今この瞬間から愛するからだ!!   

 おお!!永遠よ!!  
私の自らに課した命題は 
《力故に意志、あらゆる価値の転送の試み。》であった・・・・・・。                おまえの笑う志士は今何処に行く?

782 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 23:32:09
忘却は場合によっては根付いたことで見えなくなり引き抜けなくなったこと、取り出せないこと、刻み込まれたこと。
そんなこともあるかもね。
繰り返し繰り返し反芻しながも忘却し続けることで線が溝になり谷になり渓谷になり深淵へと深まっていき、
知らぬ間に心のどこかで切っても切れない絆が、堅く結び交わされたあの約束、永遠の契約と証が闇の中に刻まれていく、みたいな。
もしかしたら晶子の逆説的に勉強のこつかもしれんね、忘却が。
いつもある種の新鮮さを帯びた力強い印象を意識的に受け取り、無意識の淵に無意識的に投げ込み続けることがだ。
難しいな。印象が弱いと文字通り忘れてしまう。
印象が強いのに忘れるなんて、どうやってやるんだ。無意識的にやるんだった。忘れてた。忘却法っていいとも。
覚えようとすると、どうも文字通り忘れるからな。
覚えようとしない方が確かに文字通りには思い出せないにしろ、むしろ良く身に付き柔軟性のある勉強の成果が出る可能性が高そうだというのはいいね。
かなり馬鹿っぽいのが癪だが。
いわゆる真性馬鹿な気がしてきて鬱だ寝よう。

783 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 23:48:24
なんだこれ狂気の園っぽいな。
忘却法は事実良さげだが。
受験生にもお勧めの勉強法ですよ('-^*)/

784 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 13:57:07
記憶への定着はサデスティックである。
繰り返しと呼ばれ努力とよばれる。


動物観察記

785 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 14:19:56
二重思考を推奨してるのかな?

786 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 17:59:46
忘れてしまうが刻みこまれていくんだから多重思考じゃね?
多重債務者のように複利で闇に足を踏み入れていくところがいいんじゃないか? ついには底なし沼にはまって抜け出せなくなり同化してしまう。

思い出すというのは逆に長い間泥沼にはまっていた体を洗い清めるような効果がある。
そういえば精神病の治療もそんな具合だったような。悪いところをえぐり出すような。癌を摘出するような。
嫌なものには向き合い、好きなものは忘れてしまうようにすればいいのよ。
というわけだから、もし好きな人に忘れられてしまっても悲しまないで忘れて欲しいと思う。
忘却法はフロイト法の逆型で
覚えたいもの大切にしたいものをこそ忘れろと、こう教えてくれるものなんだよ。
で、これを発想の転倒というのだ。


787 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 19:32:01
>>755から>>781
これはニーチェの本からの引用か?


788 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 19:49:23
そうなのかな? どうなのかな?


789 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 21:05:26
引用でなくても良いんよう

790 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 21:22:54
トキメキメモリアルに本名を名乗らせれば、きっとメキメキデメモリアルというに違いない。
幾多の戦士たちが生前には苦渋を舐めさせられ続け、
死後になって初めて祭り上げられるという事態は反感だけがなせる業といわねばなるまい。
反感はその対象が現実にある場合は自らを盲にし、対象が消えた途端に目を開き対象をよく見つめ直すことで、自分は存在しなかったことにして眠りにつく。
ルサンチマン、それは他でもない我々大衆の心の中枢において、途切れることなくどんよりと流れ続ける冷え切ったどぶなのである。


791 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 22:00:22
ルサンチマンの団塊ともいうべき人々が権力を握り締めている今、我々は危機に陥っている。
我々が罵倒され押しつぶされて倒れた挙げ句の果てに、彼らは安心して我々若者の亡骸を抱いて涙を流し我々の犠牲を決して無駄にせず安楽な余生を送るというライブプランを抱いているのだ!!

団塊のせいではない。
歴史はよくしらないが彼等こそ最大の犠牲者であろうから。失われた世代だろうから。

792 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 00:42:32
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すのがよい。
キリストの教えどおり敵を愛すがよい。
右を殴られれば左を突き出してやれ。
それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。
キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。

なんてな。若者もよく似てしまってる。
一度縁が途切れちゃうと厳しいものがあるね。隔世遺伝あるいは隔世継承を如何に行うか、それが問題だ。

793 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 00:43:32
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すのがよい。
キリストの教えどおり敵を愛すがよい。
右を殴られれば左を突き出してやれ。
それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。
キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。

なんてな。若者もまたよく似てしまってる。
一度縁が途切れちゃうと厳しいものがあるね。隔世遺伝あるいは隔世継承を如何に行うか、それが目下の問題だ。

2ch重い。全くちゃんと働けよって感じ。こんなことでは2ch生活やってらんねーじゃんか。実にこまる。
問題は絶えないものだ。次から次へと。お主さてはゾンビか、それとも、キョンキョンか、いやキョンシーか。
書けねえ。


794 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 00:44:52
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すがよい。
キリストの教えどおり敵を愛すがよい。
右を殴られれば左を突き出してやれ。
それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。
憎悪は意図的に晴らすものではない。
意図的にやるべきことは好意と愛着を示すことである。
時が満ちるまで闇に積み重ね抱き続け、
後は無意識に任せるがいい。
キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。

なんてな。若者もまたよく似てしまっている。
一度縁が途切れちゃうと厳しいものがあるね。
そんな絶望的なあなたに送りましょうこの言葉を。

First, you should be interested in your own affair.

さっきから書けね。まだ奪い足りないというのか!! 2chさえ奪いとろうというのか! そうなればどうなることか、神のみぞ知ることよ。


795 :人大杉 ちゃんと働けよ :2007/01/05(金) 00:46:23
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すがよい。
キリストの教えどおり敵を愛すがよい。
右を殴られれば左を突き出してやれ。
それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。
憎悪は意図的に晴らすものではない。
意図的にやるべきことは好意と愛着を示すことである。
時が満ちるまで闇に積み重ね抱き続け、
後は無意識に任せるがいい。
キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。

なんてな。若者もまたよく似てしまっている。
一度祖先と途切れちゃうと厳しいものがあるね。
伝統の復興と復権これが目下の課題だろう。

796 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 00:48:48
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すがよい。
キリストの教えどおり敵を愛すがよい。
右を殴られれば左を突き出してやれ。
それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。
憎悪は意図的に晴らすものではない。
意図的にやるべきことは好意と愛着を示すことである。
時が満ちるまで闇に積み重ね抱き続け、
後は無意識に任せるがいい。
キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘い、何より自分との闘いにおいて我我々を導く希望の光なのである。

797 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 01:04:08
もうなんだよこれよ。ほんとにまともに2chもできね。なんか半アク禁?
つまんね。

さて台無しになってつまらんが、もう少しだけ続けよう。
そう我々若者もまたよく似てしまっている。一度頼もしい祖先との縁が途切れちゃうとつまらんものがある。
いや、明治において祖先を走らせたもの、それもまたルサンチマンであった。
キリストは実に正しい。彼は苦痛と苦悩に対して、腐った人間に対して、なんと愛でもって迎え答え癒やしてやった。
その絶大なる力と慈愛は、その裏に潜む同じく絶大なる憎悪と反感の賜物だったのではないか。
神の慈愛は、我々の存在の惨めさに対する絶対的軽蔑と嫌悪、これに根ざしているに違いない。
ルサンチマンの塊、それが我々の意思である。そしてまたその意思が強い程に、我々は飛翔できるのである。そしてそしてまたまた我々の存在は苦痛の塊なのである。
嗚呼、なんたる事実であろうか! なんたる現実! しかも尚!! なんたることであろうか。我々はこの真実を何より愛するものだとは!!!

嗚呼!もうつまんね。こんなことでは使えねえ。

798 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 03:38:33
>>797
哲学板はかなり頭にくるよな連続投稿

799 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 08:02:04
つか連続投稿のまえに、最近はもうアクセスすらできないんだよね。

しかし自分の惨めったらしい生活を守るために人を死なせておいてから、
涙を流し崇め祭る不思議な奴が世の中多いものだ。
日本軍の昇格もあり、またもや究極の悲劇と喜劇が繰り返される勢いである。劇的な世の中になってきている。
それでも尚、我々はキリストの教えにより、敵を哀れみ、憎しみを忘却し、敵を愛するべきものなのだ。
神が絶対的に人間を哀れみ嫌悪し愛するが如くに。


800 :現在8時6分です。:2007/01/05(金) 08:09:02
これじゃメールの方がまだ使えるじゃん。
ま、8日まではこの断罪すべき人権侵害も著しく続くことだろう。


801 :現在8時12分です。:2007/01/05(金) 08:12:16
つまんね。

802 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:04:56
キリストには心服しますよ。

803 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 17:07:08
社会は我々がたとえ黙ろうとも勝手に我々の意思を反映するものである!
なぜって我々もまた社会だからだろう。
我々の意志は言論統制によっては決して屈するものではない。
そのルサンチマンという名の意志は、今日も明日も浮世に君臨し、滅びることのない無敵の戦士。
ルサンチマン万歳\(゜□゜)/

804 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:55:16
アラシが通り過ぎるのをまちましょう

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