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因果応報の証明

1 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 15:22:52
簡単だよな。

2 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 15:28:18
作用反作用の法則

3 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 15:30:25
               -=、
                ヽ',
                _l|
               ((つl-―‐- 、      O
            o  / -〃{ヽ、   \
        O    / / /`´`´゙/\ ヽ ! °
             l |:/ ヽ 、/  ヽ ト l   o
             l リ >///<  j: /ノl
             l人  {`ヽヘ  rくハ/
              に)lヘ>ゝ _〉-イr'^ヽ  子作りしませんかぁ〜〜〜〜〜!!!????
               ヽヽ丶`7 ハ `ー'´oy' ,ム
             丶 r' ぅ. ヘf⌒ー'/  !
                ` ゝノ/ ゝ.ノ´  └┐
               r<_           l
               7 /ー\ __, ィ‐、__ノ
                   / /      ヽ \
             __/ /        `'t ゙ヽ
             `ー‐'━━━━━━━  ̄

4 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 16:25:42
果たして因果応報って確実な法則なのでしょうか?
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156743385/


5 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 18:22:22


\γ⌒ヽ
  \γ⌒ヽ
 .   \γ⌒ヽ 不倫モナ ♪
 .    \γ⌒ヽ
        \γ⌒ヽ 路上chu ♪
         \γ⌒ヽ  
           \γ⌒ヽ  Friday ♪
            \γ⌒ヽ
              \γ⌒ヽ
  .             \,,_⊂゙⌒゙、∩  News23
  .               \⊂(。Д。)     
  .                \ ∨∨    ・・・・降板 ♪
             ..       \



6 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 17:33:41
うねり螺旋について学んでたら、いつのまにか輪廻転生まで考え込んでしまった

7 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:03:03
「因果応報よのぅ・・・」と、仕事の中で苦悩を感じることがあって、検索したら随分と哲学的な話題にも
関連するらしいと感じた。

いんが‐おうほう〔イングワ‐〕【因果応報】

仏語。前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。


因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であったが、転じて原因と結果のことを指すようになった。
ある事象を惹起させる直接的なもとと、それによってもたらされた事象。
一般には、事象Aが事象Bをひき起こすとき、AをBの原因といい、BをAの結果という。
このとき、AとBの間には因果関係があるという。


因果律(いんがりつ)とは、原因と結果の法則のことであり、未来が過去に影響を及ぼすことができないということである。

因果律は、その要素、大前提として、時間がある(時間、過去、現在、未来参照)。
近世になり、機械論的な世界観が出現してからは、次第に「決定論」の問題が論じられるようになった。
決定論的なものの見方とも関係するが、因果律は、心の哲学の領域でも論じられることがあり、
具体的には「自由意志」の概念を論ずるときには、因果律との(見かけ上の)対立が問題とされる場合がある。


やべ、仏教奥深い

8 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:54:28
>>7
因果律って仏教用語ですか?

9 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 00:44:05
カントがテーゼとアンチテーゼに別けたの〜

10 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 08:49:14
>>8
いえいえ、因果律は仏教用語ではないけんども、意味合い的に似ているなと感じて引用しただけです。

仏教では「縁起(えんぎ)」という言葉があり、、「他との関係が縁となって生起すること」の意味で、
関係の中の生起の意味である。この縁起という思想こそは、仏教の根本思想を示し、仏教教理の土台である。
釈迦の証悟(さとり)の内容は、この縁起の理に他ならない。


縁起の意味は、関係の中での生起ということで、経典には、これを

此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す

と説く。これは「此」と「彼」とがお互いに相依相成しているのであり、それぞれ個別に存在するものでないことをいう。
すなわち有無によって示される空間的社会的にも、生滅によって示される時間的歴史的にも、
すべての存在現象は、孤立してでなく相互の関係性によってのみ現象していることを説いたものである。


↑これを読むと、仏教はやや決定論的世界観を含んでいるのかなと感じる。

因果的決定論
いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果であり、この原因と結果の関係は因果律に支配されているがゆえに
未来は現在および過去に規定されて一意的であるとする説。
もっともシンプルなモデルは、ラプラスの悪魔に代表されている。

例;もしあなたが服を自由に選ぶためクローゼットを開ける。服を自由に選ぶことはできるがそれ以前に
「クローゼットの中の服」と定められている。自由に服を選ぶことができるように見えるが
実際は選ばれた中からしか選ぶことができない。



11 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 10:36:26
法華経か

12 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 12:19:22
 ニーチェは、人間は「力への意志」によって、世界を切り分けて解釈しているに過ぎず、
その切り分けられた「何か」が、あらかじめ客観的に存在しているわけではないといった。

 フッサールは、自分の外側に「客観」的な事物が存在するのではなく、
すべては自分の意識に現れ出るものだという。

 ハイデガーは、「自分」という存在が単独に存在するのではなく、
自分とは他者(他物)との関係において、初めて「自分」なのだという。

 これらが、仏教の「唯識論」と大部分で重なり合うところがおもしろい。
唯識論では、人間の認識を八種(八識)に分類する。
その内の6つは、般若心経で言う「眼耳鼻舌身意」、つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のいわゆる「五感」と、
意識である。残りの2つは、末那識(マナ識)という「自分」にこだわる心の働きと、
命にこだわり維持しようとする働きとも言うべき阿頼耶識(アラヤ識)をいう。

 いわゆる「理性」はこの八識で言う「意識」だと考えても、ほぼ差し支えないと思うが、
しかしこの「意識」は「五感」からの入力だけでなく、さらに根底にある「末那識」や「阿頼耶識」の強い影響下にある。
この「末那識」と「阿頼耶識」の働きを、ニーチェの「力への意志」に置き換えてもよいだろう。

 彼の考えでは、「世界」とは無秩序な混沌(カオス)であり、
本来「あれ」とか「これ」という区別(秩序)のない「連続体」《空・諸法無我》である。
そこから人間が「力への意志」によって、ある秩序を切り出すようにして認識する。
つまり、この世の一切のものには「ものそれ自体」が持つ性質というものはない、というのである《諸法無自性》。

ついでにいうと、人間の認識が、連続体である「世界」から切り出した「あれ」や「これ」に名前を付けると、
言語の分節性という話になる。実はこれも仏教思想の中でも指摘されている。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/lrin/lrin50.html

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