5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【今】火の秋の物語【吉本隆明】

1 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 00:43:19
“きみの眼は太陽とそのひかりを拒否しつづける
きみの眼はけつして眠らない
ユウジン これはわたしの火の秋の物語である”

未踏の領野を開拓する吉本隆明氏について語りましょう。

2 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 07:55:03
個人的な希望、、、
貴重なスレだから荒れてほしくないです。

 基本的に吉本爺さんへの肯定意見以外はスルーor削除。
 政治的なものもスルーor削除。
 吉本爺さんが自論のトータライズ、総合を目指したイメージ論以降を
メインに取り上げる。(初期3部作ほかもイメージ論との関係で語ってほしい)
 吉本爺さんが影響されたり肯定してきたさまざまな理論思想の紹介。
(ただしマルクス以前は他スレで充分に論議されているのでいらないかも)
 現在明示的ではなくても吉本爺さんの影響もしくは親和性、近似性のある論者
および理論の紹介など。

 勝手な願望ですが吉本関係が複数スレあるのが理想です。詩とか政治的論議も
貴重だと思うので別個に充分にやってほしいです。場として混同してほしくないです。

3 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 07:58:03
 誰も書かないのでまたまた書かしてもらうことにする。
 世界視線という概念、これがハイデガー的ではないか、と前スレ後半で提起してみた。改めて考え直したがやはり同じ感想を持ってしまう。というのはハイデガーの言う世界とは→

4 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:04:10
→所謂「日本」「アラブ」「中南米」etc.といった、一般的にいう「世界」ではなく、そのような「世界」が、有るものの全体として開かれる場、を表している。そうして『ハイ・イメージ論』で吉本が用いる“世界視線”とはまさしくその意味、すなわち開顕性なのである→

5 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:11:52
→違うのは言葉遣いとして吉本は想像力という語彙を使っているが、しかし意味としてはほとんど同じといっていい。これは偶然か必然かは俺にも定かでない。
 一方ハイデガーと言えば有論(存在論)だが『超「戦争論」』の中で吉本が用いる存在倫理という概念、→

6 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:16:19
→勢古という人がある対談で「存在倫理という言葉はよくまだ練られてないんじゃないか」と言っているが、実は俺にも『超「戦争論」』の存在倫理はよく解らなかった。『還りのことば』の中で芹沢俊介らと語っている存在根拠はかなりよく解ったと思うけども。

7 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:17:45
前スレ976
勝利だよ勝利だよって、心的現象論じゃなくて言語美

8 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:20:39
>>3
<世界視線>て確かにハイデガー的だと思います。
フーコーとの対談前後で現象学的歴史学を目指したいと語ったことがあるし、
『心的現象論序説』は現象学への深い検討が無いと成立しなかったと思います。
当時の心理学者と哲学者の反発と同意はすごかったみたいですね。

9 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:28:20
 2の方が書いている、“荒れて欲しくはない”には同意だけど、ただあるイベントで吉本は「すべてありだしすべてに対処する用意がある」という意味の言葉を述べてるんですね。実際そのイベントでは中上健次がその前の吉本の講演にクレームを付ける場面があり→

10 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:33:18
→吉本は壇上に上がり、中上とサシで対論を始めました。その時の中上との対論は『いま吉本隆明、25時』という本で読めますけどね。“あなたは党派であり、点による否定をする。それじゃ駄目なんですよ”“批評には最高綱領、最低綱領、中間綱領がある”という→

11 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:34:59
→言葉は鮮烈に残っています。
 つまり、荒れるのも何らかの情況を表すものとして吉本ならば肯定するんじゃないか、て気がしてるんですけどね。

12 ::2006/10/24(火) 08:40:37
>>5
存在倫理に関することでいえば、
吉本的(というか「心的現象論序説」的)にいうと自我がエスから
離脱する(これはフロイトですが)ときの原意識は2方向。
<エスから自我をみる>と<自我からエスをみる>の2方向の
<世界視線>で、それは開顕性といえるものだと思います。
すべてをみるときの初源となる、世界視線のスタートとなるもの
じゃないでしょか。

13 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 08:55:48
急に自慰さんスレが活気づくとは
やっぱ、皆さんは自慰さんが冥土
からのお迎えが来る時期が迫って
るのを感じてるらすい。

14 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 09:42:53
吉本の心的原点詳論序説″u演会が大荒れに荒れたのを観たことあるぜ。
吉本が一通り話し終わって、車椅子の身障者が質疑した。
その言葉があまりも不明瞭で、どうしても聞き取れない。
吉本は熱心に耳を傾けていたが、「誰か通訳して」と主催者に頼んだ。
すると主催者が吉本を糾弾し始めた。実は主催者はそれを待っていたフシがある。

「通訳とは何事だ」と急に吉本を糾弾し始める主催者。それをまた客席から
激しく野次るどっかの活動家。客席を回って寄付を強要する主催者のオルグ。
満員御礼の大勢が立ち見する周囲でうろたえる多数の心理学者たち。
この光景を観てオレは最終的に左翼とか市民運動へのシンパシイを失った。

大衆への講演の場をテメエの党派の金集めとプレゼンスのために利用しようとする魂胆。
テメエのプレゼンスのためにネットにカキコするのも同じレベルだがな。

15 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 09:44:45
>心的原点詳論序説
ただの言語障害だ、許せ。(W

16 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 10:20:11
>>2
> 基本的に吉本爺さんへの肯定意見以外はスルーor削除。

マトモな批判なら、良いんじゃないか?
もっとも、マトモな批判はめったにないんだが。
(オレもマトモな批判ができるほどは読んでないし)

>>14
困ったものですねぇ。
いつごろの話なんですか?

17 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 13:24:56
>>2
ここは2ちゃんなのだがなあ、と。

18 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 13:42:01
>>2
これだから吉本信者はファシストと呼ばれる。

19 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 14:54:57
ファシストOK!
ダヌンティオこそ本物の革命家だといったレーニンのごとく、な!
じじいは博物館へ!

20 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 19:23:34
 存在倫理で解らなかったのが、9.11テロで犯人らが旅客機の乗客を降ろさなかった、乗せたまま貿易センタービルに突っ込んだことを“存在倫理に反する”という言い方をしているところ。
 恐らく吉本が言いたいのはあたかも自分と他人(乗客)が→

21 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 19:30:23
→同じ運命を辿ること、それは個体の存在は共約できない、自己性であり単独であることに鑑みれば、ありえないことである、にも拘らずあの時、犯人らが共約できないはずの存在に対してあたかも共約可能である、同じ旅客機で自爆すれば同じ運命だと存在を偽装した→

22 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 19:35:02
→その存在の偽装、に対して存在倫理に反する、と名付けたのか、つまり自爆テロの旅客機に全く無関係な他者を乗せたまま突っ込んだことが存在倫理に反するとすれば、その地点ではないか。この辺までは考えられると思うけども。

23 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 19:59:55
 或いはこうかな。例えば三島が自決の日、賛同しているわけでもない自衛隊員を一人拘束し、無理矢理切腹させ、首を刎ねたとしたら、と。そう考えた方が“存在倫理に反する”に近いかもしれないな。

24 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 20:20:12
新スレ立て乙

25 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 20:55:30
 実存としての人間は自己性として、その都度〈〜の為の存在〉〈〜が気になる存在〉として存在する。そこで己の生を決定してゆく、と言える。実存はそこで絶対的に単独的に選択せざるをえない。そこで〈他者を巻き込む〉は倫理としてありえない、てことかな。

26 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 01:23:59
自他が存在するということを認める、イコール1つの倫理という考え方があり得る、
それがすなわち存在倫理です、という風になんとなく読めたけどな

普通の人殺しというのは、少なくとも殺す対象の他者が存在するという「事実」を認めた上で殺すけれど、
無差別大量殺人というのは、その殺す対象が憎かろうが憎くなかろうが、
またその殺す対象が「存在しようがしまいが」もうお構いなしに殺す、
という点で1つの新しい現象だということを強調したかったんでは

無差別大量殺人というのは、普通の人殺しというものが殺し相手に認めている「存在倫理」すら認めないもので、
人殺しの段階として、1段階レベルが高くなってるし、これまでと違う新しい現象だ
ということを言いたかったのでは

このお爺さんはオウムのときから、坂本弁護士の殺害と地下鉄サリンは殺人の段階が1段階違うんだと
ずーっと言い続けていたよね
それで坂本事件よりはあくまで地下鉄サリンを本筋にして考えるべきだと
その主張が911という一層大規模なテロに直面して展開されて、
存在倫理という用語に結晶した考えなんじゃないかと思ったけど
確かに新しい概念だと思ったけれど


27 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 06:19:41
吉本さんの倫理観というのは実は『親鸞』的な仏教倫理に基盤があるのです。
一見テロを容認しているような荒唐無稽なことをいっているように思えてしまうのは、
「宗教オンチ」に由来しています。
吉本さんにとっては殺しはいけないだの、盗みはいけないだのという
現世での倫理観など取るに足らないことなのです。そういうものよりも、もっと大きな
視線をもたないと吉本さんの本意が分かる日はこないでしょう。
吉本さんにとって、殺しは契機の問題なのです。


28 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 08:24:20
「SIGHT」ネタは〜〜〜?

29 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 13:46:08
浅田:江藤淳は読むのは簡単に読めるけれど、吉本隆明はとにかくわからないんだもの。
テニヲハが合っていない。用語が我流で、しかもそれが論理的につながっていない。
最悪の意味で「詩的」に理解されていたとしか思えない。
蓮實:天皇制だから関心はありましたよ。なぜこれが機能するのかっていう点で。
いまもなお結論が出てませんが、何か日本的な美醜入り乱れたものがあって・・・。
『言語にとって美とはなにか』が一冊の書物であるということが疑わしく思えた。いまもそう思ってますが・・・。
浅田:読解不能でしょ。
蓮實:読解不能っていうか、ごく単純に書物であることの必然性がわからなかった。
とにかく、読者のほうが著書の気持ちをくんだり、あれこれ配慮を示さないといけないという点で、
なんとも天皇制的な抑圧を感じたことはたしかです。そして個人的には、そうした抑圧を倒錯的に愛してみよう
と自分に言い聞かせてみたんです(笑)。

30 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 15:09:04
>>14
その講演は、弓立社の「心とは何かー心的現象論入門」っていう講演集に出てたよ
まあ質疑応答のその部分は載らなかったけど

31 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 18:34:32
>>29
浅田さんも蓮實さんも読解力無いことがバレちゃうけどいいのかな?
いいんだろうね、たぶん。正直でいいかも。
自分もその鼎談で浅田さんの正直さは判った気がした。

東大の吉本読書会の人たちに会ったことあるけど、
読解力無い人が自分たちの総長になるとは思わなかったろうなあ。
吉本さんの東工大での卒論は「フランスの化学」とかなんとかで、
用語や論理展開の厳密さには定評あるから。それは理系の強さだね、きっと。
橋爪さんもそこを高く評価してる。用語が解りやすいって。

既出だけど、浅田さんが理解できないのは方言のためという指摘をしてる人がいた。
言語学会にそういう論もあるらしいね。関西人が理解できない東京人の助詞とかさ。

32 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 18:36:49
>>浅田さん

一度でいいから、理論の内容で批判すればいいのにね。

今のままなら、大澤さんや橋爪さんに大きく差をつけられたままだから。

33 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 18:59:16
共同幻想論の序にこう書いてある

もっとひどいのになると、自己の能力にあまるために、本稿のモチーフをつかみ取ることができず、
わたしの著作は、衝撃力を失っているという批判にまで、陥こんでいるものもあった。
そうなれば、「無智につける薬はない」とでもいうよりほかない。
どんな過渡的な社会でも、無智が栄えるためしはない、というのは、
自他をともに束縛する鉄則である。
どうして理解するための労力と研鑽を惜しむものに、衝撃を与えることなどできようか。

34 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 19:04:43
吉本は個人的には蓮實を褒めてるし、
蓮實は吉本を東大の名誉教授に誘った、
。。。。てなもんでやんすよ。
浅田は。。。。知らね。ヤッシーだけが友だちか?

35 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 20:11:26
この爺さんは、要するに蓮実は頭いいけど、そんだけだと言ってるんだろ
頭いいってところは褒めてるけど、だから何なんだよとも批判してるんじゃ
頭いいってのは病気なんだよと、何度言ったら分かるのよと

36 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 20:17:23
そうだよな、頭いいのも、悪いのも、両方とも正常じゃないもんな。

37 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 20:20:24
ちょうどいいのは、オレ!
。。。というのが大衆さ!!!

38 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 20:28:07
吉本が読めない=読解力がない、というふうに片付けるわけ?

39 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 20:44:56
>>38
当然だろ
確かに心的現象論や言語論はもともと自分の雑誌に書いたやつだから悪文というか
商業誌に書くときのような噛み砕いた書き方はしてないけれど
それでも無理にでも読んで、読んだ上で批判するのが筋というもんだ

40 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 21:03:52
うんこをみてうっと言ったおじいさん

41 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 21:18:39
近代日本の批評を読むと、四人中四人が吉本に対して批判的だ。
つまり、それが答えだ。我々は吉本隆明を切り捨てなければならない。

42 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 21:36:05
海外での評価を聞こうじゃないか?
で、フランスではどうなの? 共同幻想論・仏訳の反響は?

43 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 21:43:31
>>40
バロスwww

44 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 21:58:37
「人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、
うんこが視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずである」

45 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 22:03:26
>>41
吉本はベタな近代主義じゃないから、
ベタな近代主義から見ると評価が低いのは当然だろう

46 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 22:09:52
>>27
>吉本さんの倫理観というのは実は『親鸞』的な仏教倫理に基盤があるのです。

そうだね。善悪をはっきりさせないことが善である、みたいな論理。
キリスト教だととにかく善をなせと小うるさい。

ちなみに、日本の仏教は中国を経由しているから、日本人が仏教だと思っているのは、実は老荘思想。

「〔名誉も刑罰もわが身を滅ぼ.すもとである。だから善悪にとらわれない〕中(ちゅう)の立場に
従ってそれを一定のよりどころとしていくなら、わが身を安全に守ることができ、わか生涯を無
事に過ごすことができ、わが肉体を養うことができ、わが一生をじゅうぶん長生きできるであろう。」(荘子)





47 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:05:35
これはあくまでも比喩だが、魂は頭にやどるか心臓にやどるかという議論がある。
この問いは、重要なのは知性なのか、心性なのかとも言い換えられる。
浅田、プラトンは、前者。吉本、三木、アリストテレスは後者じゃないかな。

問題は、後者から前者をみるとそこには一定の寛容さ、許容性を与えるが、前者から見た後者は、ただただ罵倒すべき存在にしか見えないことだ。
後者は余裕がなく、嫉妬しているようにしかみえない。

ただ、俺も吉本の文章は上手くないと思っている。独特の妙味はある。

48 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:06:42
× 後者は余裕がなく、嫉妬しているようにしかみえない。
○ 前者は余裕がなく、嫉妬しているようにしかみえない。

49 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 00:43:00
>>41
だからもう来なくていいよ、あんた

50 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 00:44:37
浅田は、自分が構造と力で提示したことに十年二十年固執して展開していけば良かったんだよ
目移りばかりして、いたずらに知識更新しようとするからパンクする
どんなに頭いいったって所詮人間、脳のキャパには限界があるんだからさ
素質はあったんだけど持久力が持てなかった

51 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 01:24:41
>46
しかしいざ中道を実践にうつす際には必ず相対的に価値基準の渦に巻き込まれるというのが、
中道思想がもつジレンマでもあるんだよな。
現に吉本さんが総攻撃を受けているように、老荘思想も孔子の思想との対立軸をもっていただろうし、
20世紀においては、ガンジーの暗殺の事例もある。
中道は「実践」においては意味を失ってしまう部分が大きいのかもしれない。
理念。

52 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 03:14:00
>>51
>20世紀においては、ガンジーの暗殺の事例もある。

ガンジーのことは良く知らないが、殉教ってのは善になっちゃう。それも大きな大きな善に。
俺は、暴れるガンジーでいきたいw

53 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 07:50:55
>>42
フーコーの恋人は喜んだそーじゃよ!

しかし共同幻想の訳って、遠野物語とかだろ。
具体例としてフランス人にわかりにくい気がするけど。

54 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 08:03:39
それに、訳者がもしかして歯隅だったりしたら
最悪だよね。

55 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 08:13:36
浅田は翻訳が得意なのに日本語が理解できないところがヘン。
大澤真幸がいうように吉本を踏絵にして全共闘だの団塊だのの世代と
決別したかったんだろうがな。

中沢新一は今も吉本を読み返してるし、大澤の吉本理解はまともだし、
浅田・柄谷を時々揶揄してる宮台真司も吉本を唯一の人と評価してる。
精神分析の斎藤環も最近は対幻想論を取り上げて評価してる。
宮崎哲弥の吉本への評価もなかなか他になくていい。俯瞰できてるというか。
宮崎の指摘だけど、橋爪の吉本論は唯一いいものだというのは興味深い。
宮崎はブッディストを自称してるだけのことはあると思ったな。

56 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 08:30:23
浅田は知識量がものをいうと誤解してるのかもね。
彼の講義はよどみなくてエピソードがいっぱい。
聴いてて飽きさせない楽しいものだけど。

57 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 10:49:39
>10
中上さんと吉本さんは、まるで思想を扱う領域が違うんですよね。
だから食い違うのは当然なのです。中上さんは批評家でもなんでもなく、
小説家ですから、本来横槍とかいれなくてもいいんです。思想的立場から
村上龍を糾弾したりしなくてもいいんですよ、余計なことをやりますよね。
中上さんといえば共同幻想論の解説をかいていますが、すべては物語であるとか
文学は死滅しているとか、物語の過剰さに身を任すしかないとか、吉本さんが全然言っていないようなことを
平気で書きますよね。

58 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 11:33:31
 あの時のことで言うと中上健次って人はわかんないなあ、て思った。あの日は都はるみと流しのおじさんと三人で壇上に上がり、歌謡ショーみたいなことやって、最高に楽しかったのが、直後に自分の講演になると急に不機嫌になって“吉本隆明糾弾”→

59 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 11:39:13
→(苦笑)をおっぱじめる。客席にケンカ売ってましたよね。「文句あるヤツはかかってこいよ。相手になるからさ」とか…会場のあちこちに講演者を映すモニターがあるんだけど中上の顔は不機嫌そのものでね(苦笑)客席凍り付いてましたね。→

60 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 11:45:21
→俺も、あー、どーなっちゃうのかな、まずくないか、この雰囲気は?とドキドキしちまって、吉本さんが壇上に上がり、対話を始め、中上をやんわり批判し出してホッとしたな。初めて聞くターム使うから「何、それ?」って感じでさっぱり解んなかったけど(爆)

61 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 11:54:59
中上は小説はめっさ面白いのに
吉本との対談になるとやたらに学術用語を連発するのが変だった
内容的にも俺を含めこのスレの人たち並みに稚拙な内容しか言えてない
共同幻想論の文庫版の解説なんかもひどいもん
なんか悲惨だなーとオモタけど、あれはやっぱし高卒コンプレックスだったのかね
背伸びしないで、小説の言葉そのままで物凄い思想を表現できてると吉本も評価してたのに
なんでいちいち難しいこと言おうとしたんだろ
あれがなけりゃ超一流になれる人だったんだろうに

62 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 12:29:46
だから社会学はダメなんだ

63 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 14:00:02
中上の表現する「路地裏」はもう無いよ、もっと「世界」を表現しなきゃ、
....みたいなことを吉本さんは中上に言ったんでしょ?
「世界」って吉本さんがよく使う超資本主義・消費資本主義のことで。
このこと、どこかで吉本さんが書いてたと思うけど。覚えが不確か。

64 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 18:06:40
 吉本隆明へのスタンスって大別してこうなるんじゃないか。
1.思想の経緯、語彙などよく解らないところもあるがとにかく自分なりの解読を試みる。正解の可能性を模索する。
2.自分が読み取った限りの吉本の思想を基に→

65 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 18:13:05
→評価。“変節した”“ダメになった”と言うパターンが多い。しかし実は丹念に読まないことに起因している。中上や柄谷はこのタイプだったと思う。
3.何かと欧米の思想家と比較し、“ダメ”“問題外”と言いたがる。しかし自分の読解力の拙さをそれで正当化している場合もある。→

66 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 18:15:57
→浅田彰などはこれだと思われる。
4.何だかよく解らんことをやっている。関係ない、と最初から放棄。ほとんどの一般人はそうだろうと思われる。この立場はまだ解る。そう見えるだろうな、と。

67 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 19:57:47
http://www19.atwiki.jp/nakanohitonandesuyo/pages/1.html

68 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 20:08:18
過去スレ
80年以降、吉本隆明は叩かれすぎでは 2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1135584889/
80年以降吉本隆明は叩かれすぎたのでは
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1098803409/


69 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 20:50:54
う…う…うっ…うんこ〜ヾ( ゚∀゚)ノ
吉本原始人が〈うんこ〉という自己表出を発した瞬間

70 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 23:03:47
>>69
自己表出という用語の使い方から間違ってる
「う…う…うっ…うんこ〜」は、はじめの無音節の叫びが次第に有節化して言語の指示表出性を備え、
最後には「うんこ」という具体的な対象物を指示する機能を持つとともに、
その指示されたものの象徴としての機能を備えるに至ってるだろ
だからこの場合、むしろ自己表出として発された「う」という叫びが
次第に指示表出性を獲得していく過程と説明されるべき

71 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 23:14:48
共幻、言美、心現以外でお勧めって何?

72 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 23:40:40
>>71
カール・マルクス(光文社文庫)
最後の親鸞(ちくま学芸文庫)

73 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 00:41:33
 吉本さんといえば、単独の著作も印象的だが対談の印象も強い。それも彼のは単なる対話というより“思想的対決”の様相を帯びる場合も多々ある。“思想的対決としての対談”というか。だからより緊張感が増幅される。対談の場が論争の場になるわけだから。→

74 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 00:48:34
→ざっと思い返しても、蓮実重彦との批評とは何かをめぐる対談、政治運動をめぐって鶴見俊輔と、『アンチ・オイディプス』をめぐって宇野邦一と、大衆をめぐって西部遇と、天皇をめぐって山本七平と、マルクス主義とマルクスをめぐってフーコーと、→

75 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 01:00:20
→高度資本主義をめぐってvsボードリヤール、資本・国家・第三世界をめぐってvsF.ガタリ、まだあると思うけども、吉本という人は率直な人で、思想的差異について妥協なく際立たせるところがある。だからか、応酬は激しくなる。読む側はそれが楽しみ?でもある。

76 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 01:22:06
宮崎哲弥は吉本との対談を自分でボツにしたらしいな。
事前に自慢げに吉本との対談についてもらしていたが。
全然話しがかみ合わなかったかららしいが、吉本を批判、否定しては
いないところはたいしたものだと思った。
橋爪を吉本の唯一の理解者だと高く評価しているのが面白かったな。

77 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 01:41:15
 宮崎哲弥との対談が実現していたら、もしや1960年以後に生まれた人間と(たぶん)初めての対談になったかもしれないな。自分の子供みたいな年令の人との対談。そんな時代になったんだよな。

78 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 02:02:08
>>77
自分の子供(64年生)とも対談してるだろw

79 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 04:01:05
浅田彰と対談してみろ。吉本の矮小さが露呈されるぞw

80 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 04:57:19
日本語の不自由な浅田さん、お疲れです。

81 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 05:04:47
蓮実、柄谷とは大昔に対談してるけど、浅田とは対談したことないんだよな
まー単に話題がないからだろうけどさw
この爺さんは結構な数の人と対談してて、全12巻の対談集も出してるほどなんだけど
個人的には島尾敏雄や小川国夫、鮎川信夫なんかの文学者との対談が面白いな
江藤淳との対談は、爺さんも江藤もあんまり相手の話聞かずに
自分の話の押し付け合いで毎回終わってるから、言われてるほど大して面白くない
あと、やっぱり一度でいいから小林秀雄とは対談してほしかったなあ

82 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 05:21:27
吉本さんは胎内での育ちの悪さというのをよく言いますが、どこを見て
見分けているのでしょうか。
胎内での育ちが悪い人として、蓮實さん、柄谷さん、浅田さん、
野球の松井秀喜選手、酒鬼薔薇、三島由紀夫、そして吉本隆明らしい
のですが。何の共通点があるか分かりません。三白眼だろうか。

83 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 06:46:46
>>82
本人が言ってるニュアンスだと、やっぱり無意識が荒れてる人つーか、
親(主に母親)との関係が胎児期から生後1年の間にうまくいかず、子供の頃苦労させられた人らなんだろう
見分け方っていうか、その人らの共通点はやっぱり、刻苦勉励型っていうのか、
親との関係がダメで、他人に甘えることができなくなってしまったので
すごく意志的に生きることを無意識的に強いられてきた人たちなんじゃないかな
漱石や太宰なんかもそれに当てはまるようなことをよく言ってるよね

84 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 08:04:05
大塚英志との対談があるじゃん。
あれいいよ。
オレは大好き。「だいたいで、いいじゃない」ね。
江藤に対する大塚の洞察が鋭い! 吉本も感心ちゃうやつね。

85 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 08:23:32
そういえば浅田は
FM自由ラジオを「あんなことやったてしょうがない」とコケにして
Fガタリに叱られてベソかいてたな。ぶ厚い洋書の中にでも真実があると
思ってる真正のキチガイなわけだ。(W

86 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 08:29:37
 確かに、小林秀雄が逝ったのが1982〜3年な筈だから交差する契機は作ろうと思えばできた筈なんだけどね。70年代なら小林もまだ対談・座談の席に出向くこともあったようだし。企画そのものが出なかったのかのか…、それは判らないけども。あと、江藤淳との→

87 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 08:37:32
→対談が“対談としての論争”になったものとして、80年代前半、敗戦後の占領政策をめぐって対話した「現代文学の倫理」があるよね。あれは互いに激しく撃ち合った対談だといえる。また、あの時語られていたことは今だに様々に問題になってる重要な対談だと思う。

88 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 15:16:19
柳田國男や丸山真男なんかとも対談してないよね
久野収、鶴見俊輔なんかとはよく対談してたのに
偶然かも知れないけど、対談してない相手に限って柳田論、丸山論を書いちゃうんだから
やっぱり何か理由があって意図的に避けてたのかも

89 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 15:55:23
橋爪さんが唯一の理解者という視点は
何と比較して出てきたものなのかね。


90 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 18:04:15

宮崎哲弥が書評集『新書365冊』(ISBN: 4022731060)で書いてることだろ。
オレも個人的に橋爪以外の吉本本は呆れてるけどね。
橋爪もちょっとヘンだが、他よりましかな。
エピゴーネンの芹沢でさえ「遠隔対称性」の<対称>は誤記で<対象>が正解だと
いってるからヒドイものが多いよ。原生的・純粋それぞれの疎外概念が「ありがたくない」と
理解できていない村瀬とかね。酷すぎるのが多いわ。

91 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 18:19:40
いやあ橋爪さんを評価できないんですよ。概略を押えてるように見えるけど
橋爪さんの視点で切ってるだけだし文学的な視点が欠けてるように見えるし。
本当に橋爪さんが評価するような視点に吉本が当て嵌まるか疑問だとおもう。
どうですかね。

92 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 18:28:08
>橋爪さんの視点で切ってるだけだし文学的な視点が欠けてるように見えるし。
その人の視点でしか切れないのはOKだと思うよ。それこそ吉本の思想でしょう。
自分の視点でしか切れないという事実こそが文学(芸術)だから。
だから吉本さんは「知だけの認識」を嫌うワケでしょ。自己表出が含まれない
知なんてあり得ない。指示表出だけはあり得ないけど、そう幻想する奴はいる。それこそが狂気。
浅田らに対する吉本の批判の根拠はそういうことでしょ。要はバランスだろうけど。


93 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 18:37:54
橋爪は『親族の基本構造』だったか何か日本初のレヴィストロースの訳を吉本に送って、
感謝のはがきをもらったとかいうエピソードを書いてましたね。
橋爪は吉本の現代での位置づけができてるけど、各論じゃ埋められないギャップがあるのは
確かで、橋爪の理解が足りないと思えるところが多々ありますね。
ただ基本的に吉本を肯定していて、フランス現代思想より進んでいたとか、アンチ吉本の
連中が悔しがるような評価が気に入ってます。
それから、宮台真司は橋爪の教え子だったと思うけど。宮台も吉本を評価してますね、大衆との関連で。

94 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 18:50:52
小室直樹の教え子でしたっけ。浅田さんたちは世代的にモチーフがつかめなかった
んじゃないかと思います。橋爪氏が自分の視点というのは、中沢との対談と同じで
学問的にやろうというのは視点が違うんじゃないかという意味ですが。

95 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 20:14:59
ええ、だから学問も文学なんですよ。
心的現象論序説に数理論さえもそれを補償するのは感性の範囲内だ
みたいな指摘がありました。まあ文面は全然覚えてませんが。w

数学も文学も表現されるものはみなその(表現の)規範に拠りますが、
その規範そのものが指示表出と自己表出のカップリングでありバランスで
あるということだと考えます。少なくとも心現序説ではそう解釈できます。
ちなみに規範形成が脆弱だと鬱病に、自己(概念)形成が脆弱だと分裂症に
という解釈が心現序説では成り立ちます。
概念(自己意識)が規範を通じて表出するわけで、この心現序説の主張には
驚きました。これを超えた思想には出会ってませんね。w

96 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 20:25:55
そういう意味では本屋で見るような吉本論は自分の枠組みに
吉本説を組み込もうという試みなわけですけど、吉本氏は
独自に組み立てているわけで、学者の人がやるとどうあが
いても他の説と接木しようとしてうまくいかない、と。


97 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 20:33:19
そんで吉本はお話にならないと
そのパターンがもう何十年と続いておりますw

98 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 20:42:51
ああ、なるほど、そういう意味ですか。わかりました。
吉本を自分の規範にしないといけない。
吉本を自分に憑依させないといけない、間違うと。w

ていうか吉本本人以外には吉本解説はできないですよね、結論として。w


99 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 20:57:54
そういうことになりますね。サイトの連載もそう。

100 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 21:17:50
自分の読みと違うとなると、早速「仮想浅田」に
させられて、狂気扱いされるんじゃたまったもん
じゃない。そういう狂った吉本教信者に嫌気が
さしたんだろうよ。スレ主の意見を尊重して損した。

101 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 21:18:44
「SIGHT」の読者層みたいな若い人?の間で吉本への感心て
どの程度あるの? 新しい解釈があるんじゃないの?

102 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 21:37:30
ああ、でも浅田が真性のキチガイで、宮台は本当のバカ、でしょ。
宮台のバカについては理解できなかったけど、
浅田のキチガイはよくわかりますね。心的現象論の定義どおりだから。w

吉本もこのスレも荒れるのは避けてはいけないそうなんで、いいですね、そういうのも。
そもそも自分だけはコケにされないなんていう幼児的な認識が跋扈したら、
それこそお笑いだもんね。W
みんな幼児かキチガイなんですよ。ねえ

103 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 21:44:30
吉本が偉いと思うのは、
「自分が何か言うのも間違いだ」と言ってることですね。
じゃあ言わなきゃいいけど、そういう矛盾の上にこのスレでさえあるわけだから。
それにここは2ちゃんねるだしね。w

104 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 22:00:06
>>103
それこそ「御御のはからい」で、念仏を信じようが信じまいがそいつらの勝手てことだものね
だから批判があったってそれは別にいいんだよ、という姿勢は一貫してるし
そこはキャンキャン噛み付いて小ざかしい動き方する他の連中とはちょっと違うんだよね

105 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 22:14:22
弓立社が出版している6枚組みcd(1万円)を買った。
冊子によると、注文者は20代の若者が多いらしい。
わたしも20代だが、いまのところ5巻ぐらい買っている。

106 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 23:22:20
面々に計らえ、勝手にしろ、でしょ? カックイイ 

107 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 01:10:18
信じる信じないはてめえの勝手
そいで思想だけが残る、と

爺さんはよくマルクスが死んだとき5人しか葬式に集まんなかったってのを例に出してるけど
けっきょく、生前は散々に叩かれても残るものは残る、と確信してるようなところがあるね
まーこの爺さんの思想が残るかどうかは知らんが

108 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 09:43:05
お袋の話しだと、もう30年も昔、御大の家に原稿取りに
行ったとき、思想が存在することの凄さとかについて
話してくれたそうな。で、お袋は吉本センセの思想もそう
なりますか、って尋ねたら、さー、どうですかね。これから
は大きな変化の時代で、思想の意味もかわってきますからね、
ってのが返事だったって。
そん時撮った写真の御大の顔は、今とちがってすっごくいい顔してる。



109 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 10:57:44
若い頃の精悍な顔も
今の呆けた顔も
どっちも味があっていいよなあ。
オレにとって爺といえば吉本さんだよ。がはは

110 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 11:55:15
ヾ( ゚∀゚)ノウンコ〜

111 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 17:11:10
>>71
『ハイ・イメージ論』T・U・V(ちくま学芸文庫)
『母型論』(現代思潮社)も重要。 おすすめ、というよりは。
ただ、それだけ読んでも何言ってんのかサッパリな文章ではあるけど。
そういう意味では『カール・マルクス』『最後の親鸞』あたりは、
一冊だけ挙げろって言われたときに、適当だね。

あと、ここで言及する人は少ないけど(ていうか自分も読んでないんだけど)
『初期歌謡論』とかの古典論も、ほんとは結構重要な位置づけになるんだろうけど。

112 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 18:57:47
>>71
>>111
『ハイ・エディプス論―個体幻想のゆくえ』(言叢社)もオススメ。
インタビュー集だけど『母型論』の補完になるよ。
このスレではほとんど言及されないラカンへの言及がある。
心的現象論であれだけフロイトに依拠して、ラカンに触れないというのは
不自然だし、そういうスタンスじゃ吉本の現代的な展開ができないもんね。
浅田彰、斎藤環の両名ほかラカンの影響を受けた人が多い現代思想?シーンで
真剣勝負するなら吉本vsラカンは不可避だと思うですよ。どうよ。

113 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 00:58:07
>>112
ラカンへの批判は『母型論』にあるよ

114 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 01:16:54
フランス現代思想系の本は解説本などを少し読んでいたけど、
吉本を読んだ後で今思えば、フランス現代思想系のものって
ある部分だけ精密で、そのことに感心することもあるが、
なぜその部分だけ精密に描かねばならないのか、
その必然性、学者の動機がよくわからない。
また、そういった知識、理論が理解できたところで、
自己満足や知的意匠にしかならない。



115 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 02:52:35
 ちなみにラカンについては対談「吉本隆明の現在」(『吉本隆明全対談集12』青土社)で芹沢俊介に「どさくさに紛れて伺ってしまいますが、吉本さんはラカンの思想はお好きですか?またどんな点にもっとも惹かれますか?」と尋ねられた際、次のように答えてます→

116 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 02:56:27
→《ラカンは、フロイトをそのまま何ら修正することなく現代化することに力を傾けた精神分析学者であり、精神分析学的な思想家でないでしょうか。そう位置付けています。その中心をいえば、精神分析は「言葉」であり、精神神経症の症状は「言葉」であり、→

117 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:01:40
→リビドーは「言葉」でありというように言語を介在させることで、フロイトの欲動の理論を緻密化し、微分化したのではないでしょうか。欲望はリビドーの生産であり、無意識の迂回された表出だといえばいいところを、「言葉」を介在させずに欲望の生産は→

118 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:05:06
→外化されることはないと徹底的に考えれば、欲望は自己の欲望と他者の欲望を、「言葉」の概念と像とが連結しているものを指すことになります。フロイトを読むと明快で強い独創的な概念が迫力をもって感じられます。そんな単純なことを言っていいのだろうかと→

119 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:09:17
→考えるいとまもなく圧倒されます。ラカンを読むときは、微細なさざ波のような攝動(ふるえ)が感受されます。これがラカンがフロイトに付け加えたものだと思います。それが感受されればラカンがわかったことになると思います。攝動そのものが精神分析→

120 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:11:53
→(無意識の分析)には必要だということを、はじめてとても緻密に展開した古典的フロイト主義者というのがラカンの魅力ではないでしょうか。それはたまらない魅力だと思います。》

121 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 11:10:37
吉本が指摘してるラカンの限界はソシュールの限界でもあって、
その他の点ではラカンを評価してますね。いつかまとめて斎藤環(ラカン派)を
批判するとどっかでいってたけど。まあそれは斎藤への批判かな。

橋爪さんが吉本を、フランス現代思想より先んじてる、というのは当たりですね。

122 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 12:25:53
 最近の読書で見えてきたかなあ、て所を少し。世界視線と存在倫理の円環てことなんだけど。
 『全対談集12』を読んで、世界視線てのが資本主義の高度化からの視線であり、そこで労働の無化があり、それに伴う諸領域での変質を問題にしたかった、→

123 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 12:29:42
→それが所謂『ハイ・イメージ論』の意味だ、と。それについて吉本さんが話す中に“倫理の無化”てことがある。僕は途端に存在倫理を思い出した。そうか、てね。つまり、何で吉本さんが最近になって、存在倫理などというひどく古典的ともいえるタームを→

124 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 12:33:36
→言いだしたのか。
 それが俺にはよく見えなかったんだけど、実は存在倫理てのは彼の用語でいう〈現在〉から派生する問題になっている、つまり『ハイ・イメージ論』の延長に位置する問題なのだ、てこと。そうじゃないのかな、て思えた。

125 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 17:44:08
ラカンへの言及ということだと、一番まとまってるのは
新・書物の解体学という本の中の「パラノイア性精神病」の書評じゃないかな

126 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 22:54:56
『パラノイア性精神病』はパラノイア概念をフロイトから経巡って、その上でパラノイア概念に自罰性パラノイアがあるという新たな解釈を加えている、と吉本の書評はいう。
 計8頁あり、若きラカンの出発点を論じたものとして読めるね。

127 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 07:43:18
「パラノイア性精神病」ってラカンの著書なんですね。
全然知らんかった。吉本さんて統合失調症の研究ばかりしてるのかと思った。
でもモチーフはそうですよね。吉本さんの思想の。

128 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 19:51:18
 誰かも書いてたけど'90年の『ハイ・エディプス論―個体幻想のゆくえ』てインタヴュー集にもラカンへの言及はあるね。あの本はインタヴュアーがラカンをはじめ色んな題材をぶつけており、中々面白い。個体幻想についての大部の発言として貴重な本だよね。

129 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:17:29
自分はマスイメージ論、ハイイメージ論をつん読してるだけのビギナーです。
少し興味がわいたので、雑誌「SIHGT」の「言語論要綱−芸としての言語」を今日読んでみました。
とても新鮮な視点でした。ただの俳句や五十音を取り上げた分析でしたが、品詞の分類、母音と子音、
それを何も参考にしないで書いたという言い訳(!)などどれも驚きでした!
連載なので楽しみです!

130 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:13:27
「SIHGT」のあれってさ、書き下ろしの文章はその号のみの特別掲載ではないの?
次の号ではいつもの語りに戻っていない?

ひとまず、年末にはちくまから出るらしい日本思想史を概説した
書き下ろし300頁の新刊が楽しみだな。

131 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:36:56
『マス・イメージ論』の中での印象的な問いというと、“新しい差異線を作る必要がある。しかし、それは困難な試みで、思考はたえず閉じた旧式の差異線に保たれかかろうとする。”てところ。吉本氏のこれまでの活動の中心的問いを言い表わしてるようにも思えた。→

132 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:42:04
→“閉じた、おぞましい差異線を越えて未知なる差異線を模索する”てことでいうと、'60〜70年代の彼の思想的営為そのものが、まさにそれをやろうとした苦闘だとも言える。それは彼が自分の後の世代に託している問題だとも。困難な試みであるけどね。

133 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 01:38:19
>>119
>ラカンを読むときは、微細なさざ波のような攝動(ふるえ)が感受されます。

これが吉本になると「大洋」になるわけか

134 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 07:57:13
<大洋>って純粋疎外を担保する環界のことなんだよね。
吉本が解りにくいといわれる理由のひとつは、発言時やその時々の書籍で
用語が違う。これは確かに残念。全容を読破できる読者にはすべてが明らかだけど、
どこかでつまづいたり、未読が多いとわけ解らないという印象にとらわれるのも
無理ないでしょ。『心現序説』には対幻想や共同幻想という言葉も出て来ないくらいだし。

135 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 17:26:03
吉本さんは死んでも何も残さなかった扱いされるんだろうね。
少なくとも日本が生んだ知性である浅田さんは「まったくない」とまで言い切っちゃってるし。

136 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 17:56:07
それは後の人間が判断する事。
南方熊楠だって80年代まで殆ど死んでた。

137 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 19:46:51
>>135
「日本が生んだ知性である浅田」がなんで論文も書けないんだ?

138 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 00:35:40
>>134
『母型論』で描かれているうちの、言語、心理学についてはなんとなくだが、
言いたいことはわかる。でも、家族や初期社会の話が良くわからない。
『共同幻想論』もかじってみたけど、、、、、
何か、おすすめありますか?

139 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 00:52:12
>>135
「必読書150」を見ても、アウグスティヌス『告白』ははいっているくせに
アリストテレスの『ニコ倫』は入ってないし、中国の古典も入ってないし、
日本の近代以前の書物はほとんど無い。

浅田たちのいいたいことは結局、

・キリスト教の系譜以外の知性は認めない
・日本人はみんなバカだが、俺たち(浅田たち)を信じるものは救われる

ってこと。

140 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 07:59:52
>>129
>>130
「SIHGT」のその掲載論文は結構難しかったよ。資本論の価値形態論との
アナロジーは王道かも知れないがロック世代(すげえ表現だが、W)や
思想外の人にいきなり読ませるのは無理だろ。渋谷のやる気は買うけどな。
「日本思想史を概説した書き下ろし300頁の新刊」てすげえ楽しみだよ。

141 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 08:24:28
浅田は翻訳やってりゃいいんだよ。
でも翻訳もやってないだろ? どーしてだ?

142 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 08:47:06
そろそろ誰か「SIHGTではなくSIGHTだろ」って突っ込んでくれよ。

143 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 09:11:10
コピペだとハジかくね。オレが悪かったよ。W

144 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 12:20:23
いや、まさかここでSIGHTの綴りでボケたがる人間がいると思わないからなあ。苦笑

145 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 15:05:54
それが大衆でつ

146 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 18:33:18
全共闘から団塊の世代までの爺は本当にださいですね。
吉本なんて都合の良い部分だけ切り取って捨てればいいのに、吉本を読んできた爺にはそれができないんですね。
吉本を切り離すことは、つまりは自分を解体することになってしまう。そうなった君達が余りにも哀れに思います。
まぁ、1つのものに倒錯的に愛し、朽ち果てるというのも旧日本人らしい姿なので、嘲笑の眼差しで見届けてあげますよ。

147 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:30:36
>>146
俺は、全共闘や団塊の世代じゃないけどね。
しかも、最近読み始めたばかり。

148 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:36:55
 いや、前のレスで“吉本隆明へのスタンス”てことで整理したことがあったけど、かつての60〜70年代の読者の中でも、今だに丁寧にフォローしている人もいれば、“ダメになった”“変節した”と言い、読まなくなる、離れる人も多いと思いますよ。離れる人の中にも→

149 :147:2006/11/01(水) 21:38:22
昔は、政治的イデオローグの大物というイメージで敬遠していたけど、
読んでみると、文学、哲学として面白い。
自分の認識していることを文章で描こうと必死なところがいいね。
ウィトゲンシュタインとか三浦梅園に近いと思う。

150 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:42:44
→また幾つかの類型があって、80年代に入り、『マス・イメージ論』などで一部のサブ・カルチュアの方が本質的な差異線を見いだしている、と評価したことや、先験的な革命性などない、何が革命的かを模索することだけが革命的なのだ、とする、そこで従来の→

151 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:47:15
→差異線、〈カルチュア/サブ・カルチュア〉〈革命的/反革命的〉に対する根本的な異議申し立てを掲揚した。その辺で離れた人も多いでしょう。そういう人達は『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』での議論にはもはや興味も示さない。→

152 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:54:39
→80年代に埴谷雄高との論争がありましたけど、あそこで埴谷の方に共感した人達はけっこう居たんじゃないか、て僕は思います。吉本は“物質的な豊かさ”自体は肯定する。資本主義が問題を孕んでいるとしてもですね。埴谷は資本主義が貧困を生み出す構造を→

153 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:00:23
何かの文章を読んだら、それをすぐに行動に直結せねばならない、
という心性はいかがなものか。
古事記を読んで、興味を持ったら、国を生まないとダメなのかw


154 :147:2006/11/01(水) 22:05:22
>>146
団塊の世代以降の優れた文学者、思想家を挙げてよ。

155 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:05:52
→見ろ、と言う。吉本は「重層的な非決定へ」で《もちろん、先進資本主義「国」の「現在」は、光明面だけに満ちているわけではありません。ましてアジアやアフリカの後進地域に、投下資本、商品輸出、技術開発として押し出されたときには、貴方が述べている→

156 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:09:30
→「タイの青年」のように、「日本を悪魔」と呼ぶ民衆もでてくるような否定面わ持つでありましょう。しかしこの場合でも流出された投下資本、商品、技術、知識は、同時に後進地域の「近代化」や「現代化」に寄与し、生活民衆の水準の向上に寄与していることも→

157 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:13:14
→確かなことなのです。》と書いて複合的視線を持つことを埴谷に訴えましたが、埴谷にさえも届かなかった。
 また、90年代半ばのオウム事件時には小浜逸郎や竹田青嗣らが“吉本は麻原に傾倒している”とみなしてやはり離れています。→

158 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:17:31
→実際は吉本は麻原らが法に基づいて処罰されることを肯定するし、“傾倒”などしてませんが、ヨガ修業者としての麻原は否定しなかった、またサリン事件の新しさの意味は何か、と問うことを続けた、それがかつての読者の反発を食うことになった。

159 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:52:00
ヒ素カレー事件の新しさの意味は何かというのもやってたね

160 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:54:18
>>152
あそこから広い意味で吉本を支持するようになりましたよ、オレは。
そして埴谷の方に嫌悪感を持つようになりましたね。
当初、政治的な吉本には関心が無かったです。党派でいえば現実に与党に拮抗できる
勢力は誰が何と言おうと共産党がいちばん。火炎瓶やゲバルトで世の中が変わるという
大甘な革命ゴッコをしてる上の世代には吐き気を感じるタイプでしたから。
オレは浅田彰に関しては熱狂的なファンでした。「構造と力」が注目される前に入手して読んでました。
柄谷はそれ以前に読んでいたので浅田の解りやすいまとめ方=チャート式には感心しましたよ。
頭の中では吉本や浅田は同じ期待すべき対象でしたから。柄谷もね。
どこからか、それが大きく変わっていきましたが。

161 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 23:04:07
>>158
麻原やオウムがやったことで、法に触れることはちゃんと処罰されるべきだが、
彼らのやってたことが、すべて悪という風には思えない。

162 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 23:04:56
「重層的な非決定へ」はアルチュセールに対するアイロニカルな返答ですね。
アルチュセールは「重層的な決定」を「資本論」から解読しましたが、
「非決定」概念は「心的現象論序説」でちょっと触れられて(というより提出されて)いますが、
現存在としての人間の自由と選択≠ノ関する決定的な解釈でした。
その後、このような実存の最大級の問題に同じようなスタンスで解釈を与えているのは
なんと、あの宮台真司だけだったですね。彼の社会システム論はダテではなかった。。。
というか、あるいはそんなにルーマンは根源的なのかと驚きましたよ。

163 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 08:55:50
思想とはなにか (単行本)
吉本 隆明, 笠原 芳光
価格:¥ 1,890 (税込)
単行本:283ページ
出版社:春秋社 (2006/11/2)

生涯現役 (新書)
吉本 隆明
価格:¥ 819 (税込)
商品の詳細
新書:203ページ
出版社:洋泉社 (2006/11/2)

164 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:06:20
 俺も埴谷VS吉本論争では吉本に共感していたけども。ただ、その後の思想潮流を眺めると、あの時の埴谷的な感性というかな、“資本主義の悪を越えないことには何も言うに値しないし、それが先決”とする潮流が頑として存在した。端的に言えば柄谷行人の発想は→

165 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:11:16
→そうで、埴谷VS吉本論争でいうと埴谷の視点や発想に組しながら思考を進めてるように見えます。“重層的な非決定”とか、全く顧みられずに。これまた端的な話で、前スレのタイトルが何だったか。【80年代以降、吉本隆明は叩かれ過ぎでは】なわけです。→

166 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:17:36
→“叩かれ過ぎ”か否か、はともかく、誰が叩いたのか、どのような論拠で叩いていたのか、は顧みるに値するかもしれない。つまり、埴谷VS吉本論争後の思想状況ですね。埴谷や柄谷の無理解といい、或いはそのシンパによる吉本叩きを見るにつけ、→

167 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:21:56
→吉本への無理解と、にもかかわらず当の吉本はそんな状況に構わず己の思想を更に展開し、アンチの手の届かない場所まで一人行こうとしている。その対照が一読者としてまた興味深いです。

168 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 21:06:14
>当の吉本はそんな状況に構わず己の思想を更に展開し、
>アンチの手の届かない場所まで一人行こうとしている。

これが魅力なんだよなあ、デカイよね、吉本って。
そういう点では確かにフーコーやヴェーユにシンパシー?を持つわけだよね。

169 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 01:31:23
オウムなんてどうでもいいよ。
「オウムの時叩かれた」といって、しかし、そのときの吉本のほうが強度があったなんていっても仕方がない。
その時浅田なんかは、中沢ごときを援護せざるを得ない状況だったわけでしょ。
「オウムなんかに今更驚いていることに驚く」とまで徹底的にバカにしているし。
吉本シンパさんは、「オウムの時叩かれた」程度をカードとして使っているのが情けない。

170 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 10:07:17
「サティアンはポストモダンだ、保存しよう」
...と言い放った浅田の勇気は買いだったな。

171 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 11:48:24
>その時浅田なんかは、中沢ごときを援護せざるを得ない状況だったわけでしょ。
なるほど、いつも仲間が必要な弱者だということか。自立してない、とな。

172 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 11:51:29
あつい

173 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 12:52:27
オウムなら松岡正剛の方がよほど仏教の過激さを肯定してましたよ。
彼は浅田氏とも交流がありますね。京都つながりか。(W

174 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 14:27:43
いや、モーホーでのつながりよ。

175 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 15:00:11
松岡氏も?

21世紀はアッー!の時代なんだな。

176 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 18:41:31
昔、吉本と松岡が対談したことがあったな。内容は忘れたけど。
覚えている人いない?

177 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 18:44:55
吉本は麻原の臨死体験へ致る修行を賞めたんだが、
松岡はオウムの教えそのものを「仏教とはそーゆーもの」と
肯定したんじゃなかったっけ?

178 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 10:09:16
吉本隆明が愛したバンド
http://www.youtube.com/watch?v=zaZb-eqR800

179 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 10:11:45

パパキョウサントウ、ママキョウサントウ
パパウソツキ、とかいう歌詞だったと思う、スターリン

180 :考える名無しさん:2006/11/06(月) 11:56:28
おお、懐かしいな京大西部講堂だよね。

181 :考える名無しさん:2006/11/06(月) 21:25:36
まだ残ってるんだろうか?
自主管理ってお遊びが封じられてから久しいけど。

182 :考える名無しさん:2006/11/06(月) 23:05:47
悲惨なスレだなw

てゆうか、おまえら語れるのって結局吉本くらいなのなw


183 :考える名無しさん:2006/11/06(月) 23:29:30
今どき「w」なんつってるバカに言われたくないんじゃないかな。

184 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 01:17:39
“吉本しか”て苦笑
吉本に肉薄し、その思想を核心のところで語り尽くせたらたいしたもんだよ。それがこのスレの暗黙のテーマだと思うが。

185 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 01:58:55
 80年代だったかに遠藤ミチロウと吉本の対談もあったね。遠藤ミチロウの対談集にも収録されてた。遠藤と吉本のツーショット写真もあったが遠藤がスッピン顔で嬉しそうだったのを覚えている。

186 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 03:47:31
吉本をまともに語れる奴なんか今まで1人も見たことねーぞ
語れるつーのは、つまり親鸞を語る唯円みたいに、ちゃんと思想の核心を全的に把握して奴のことね
橋爪とかが理解者だとかここの人は言うけれども、とうてい吉本版歎異抄にはなりえてないんだよなあ
だいたいは合ってると思うけど、なんかずれてるの

187 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 07:43:50
また解釈自慢か・・・
嫌われるわけだ、この世代は・・・

188 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 07:52:11
吉本思想に従えば、吉本は読まれなくていい・・・
吉本は現代を描けるが、
現代の方は吉本を描けるか、それが問題。

以上が橋爪の『永遠の吉本隆明』

お前の親鸞解釈なり、吉本解釈なり、開陳してみなよ。
>>186

189 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 07:54:06
>現代の方は吉本を描けるか、それが問題。

少なくとも描けてないヤツが晒されるっていうのは、
いいと思う、このスレの意義として。

190 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 08:11:25
>>186
お前、Hか?

191 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 09:22:29
>>185
二人でスイカをパクついてるのが、なんか微笑ましくて

192 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 16:15:15
>>151,>>152あたりの分水嶺は無視できないと考えます。
現代の吉本を語るための別スレを希望したいです。

193 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 00:23:39
 “今の吉本を読む意義”、はたまた“今、吉本を読む意義”についてはこのスレのこれまでの展開でかなり見られてると思いますけどね。『マス・イメージ論』以降の吉本の意味を積極的に捉えたいという意見には僕も同感してる。あれは片手間なんかでなく、→

194 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 00:28:23
→自分にとって重要な仕事である、と吉本自身が語ってますしね。『マス・イメージ論』は20年後に(2005年?)もう一度読んでほしい、そしたらあれの意味が解るだろうとも言ってます。その言葉にはまったく異論はないし、あれはやはり重要な仕事である、と俺も思いますね。

195 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 00:36:11
 失礼。“20年後にもう一度読んでほしい”は埴谷との論争だったかもしれません。記憶あいまいで失礼。
(;^_^A

196 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 01:42:23
埴谷は生理で、吉本は論理で現実を否定する。
埴谷の生理に共鳴子を持てないと死霊等はとても読めない。
吉本は、論理だけは追うことができるが、そこから抽出されてくる独自の概念は難解極まる。
体制/権威的なものすべてを批判するという思考の出発点は同根でありながら、これほどまでに、思考スタイルと思考生理が異なる思想家が、同時代に生き、交わったこと自体、奇跡というしかない。


197 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 01:51:25
>196
小林秀雄が、中也を呼気と吸気という生理で批評していたことを思い出した。
埴谷は、そういう独自の生理からの外延延長処理上で見る必要がある。
吉本は、生理から出発する必要が無い分、論理だけで追いやすいが、やはり難しい。
埴谷の生理に共鳴できる読者にとっては、読者の人生をこれほどまでに狂わせてくれる力を持つ思想家はいない、ということ。


198 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 07:42:38
埴谷は最後の肉体派左翼なんだ。身心からの階級闘争派。
吉本は終戦の体験で肉体的な反応を自制することを体得してしまった
、、、と言えないかな? 御真影に頭を垂れなかったキリスト者の
看護婦の意味を考えたことなど、価値というものが身体をコントロール
できることを少年期に知ったのはそれなりにいい体験だったと思うが。

199 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 10:49:44
ある種の「去勢」だね。
価値が身体をコントロールするというのは。

200 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 16:52:22
浅田:吉本隆明は、花田清輝との「論争」の時なんかは、まさにそういう代理を演じてみせるじゃない?
つまり、花田のようなファシストの煽動にのって、自分たちの世代はバタバタ死んでいった、その重宝人が
いまどき左翼ぶって自分を批判するものだから、「何を、この東方会の下郎め!とおもって嘲笑した」と言うわけでしょう。
それにしても、いかにルサンチマンに満ちているからといって、よくこんなうそ寒い表現ができると思うけれど。
不思議なことに、どうやって徴兵を逃れるかというような普通の話が全然出てこない。死を覚悟した青春という物語だけが誇張して神話化される。

201 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 20:38:05
そういえば花田清輝との「論争」のエピソードってSIGHTに載ってたね。
花田の方が大物だし、内容は大した事なかったって。
でも政治的プロパガンダで効果あればOKみたいな。そもそもそのレベル。
それを本気に捉えるところが、もう何もできない浅田さんのイタサなんだよね。
せいぜい「蹴りたい背中」の受賞を皮肉っても、ちゃんと批評できない浅田さん。

まあ東浩紀の登場で自分は終わった、、、と自覚してるところはいいけど。
「メロウ」をプッシュして言い訳しても、そもそも話題にもされなかったし、、、。


202 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/11/08(水) 20:45:26
>>198
>身心からの階級闘争派

埴谷の場合、階級闘争という用語がしっくりこない。
下方硬直化したアンシャンレジューム一般に、根こそぎ人間性を簒奪されている立場からの体性批判。
世界ではじめて、「永久革命者の悲哀」において、スターリニズム批判を展開できたのも、体制がア・ポステリオリに無意識に内包してしまう暴力性に対し、
ア・プリオリな無垢の視座から硬直化した体制一般を射つことができたから。


203 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/11/08(水) 20:52:22
>202
埴谷のこのア・プリオリな無垢の視座を認めながらも、それだけではナイーブすぎる、
体制がア・ポステリオリに、且つ無意識に孕んでいかざるをえない矛盾一般に対峙していくには、
それを射つ視座として、ア・ポステリオリな論拠も構築していく必要性がある、という問題意識が吉本との乖離点。


204 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/11/08(水) 21:01:57
>203
だからこそ、埴谷はカントの純理に惑溺できた。
吉本は、そこに安住できなかった。

205 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/11/08(水) 21:16:46
埴谷の思考の奇跡の棘は、読者の生理の奥深くにまで届き、生涯、取り除けない。
それが、「読者の人生をこれほどまでに狂わせてくれる力を持つ思想家はいない」ことの意味。

吉本の棘は、良し悪しは別として、無意識の領域に放置しておこうとすれば、それができる。



206 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 21:47:08
すが秀実「1968年」で吉本いじられてるね

207 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 22:50:05
「永久革命者の悲哀」「ア・プリオリな無垢の視座」これらそのものを
理解し最終的に埴谷ただ一人を評価してるのが吉本だというところが
興味深いです。どこでの発言でしたっけ吉本の、最近ですよね。彼はやはり
埴谷を評価していた。が。。。しかし。

208 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 22:56:29
>吉本の棘は、良し悪しは別として、無意識の領域に放置しておこうとすれば、それができる。

この「無意識の領域」は<大衆>に、「放置」は<まかせる>に置き換え(る)たのが吉本ですね。
「ア・プリオリな無垢の視座」は「良し悪し」というものがあまりにも捨象され過ぎています。
それを吉本は「純粋ごっこ」と呼びます。それは人間が成長するときの必然的な経過過程であり、
そして過程でしかない、という判断があります。

209 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 22:56:57
埴谷は純粋想念の人でしょう。そんな言い方をして意味があるか
わかりませんが。


210 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 23:05:11
埴谷は純粋にコム・デ・ギャルソンを批判し、吉本はギャルソンを着ることができる
現代の女工の喜びに賛同した。。。

たしかに埴谷は単独者であり、吉本は実をいうと他者との和解を願望している。。。
自分はそう理解しています。
埴谷とフーコーとの鼎談だったらいっそう面白かったろうと思います。
吉本には埴谷とフーコーが同じに見えるところがあるのではないですかね。

211 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 23:08:54
>>203

鋭すぎ。大変参考になりました。
埴谷と吉本がわかった気がするもの。。。

212 :考える名無しさん:2006/11/08(水) 23:11:16
>>210
埴谷とフーコーは大分違うのじゃないかと。
前者は単独者かもしれませんが後者はそのほうの遊び人らしいですが。

213 :考える名無しさん:2006/11/09(木) 07:43:06
もちろん違うでしょ。
「同じに見えるところがある」かどうかでしょ。

214 :考える名無しさん:2006/11/09(木) 23:55:31
>>210
吉本は、埴谷への弔辞(追悼私記収録)でこんなことを言っているね

「『永久革命者の悲哀』の衝撃は、後にフーコーの「言葉と物」のなかに、
マルクスの思想は19世紀の思想的な構図のなかにそっくり入ってしまうものだ
という概念を見つけたのとおなじくらい重要だった」

これは、世辞でもなんでもなく、吉本は埴谷から実際それくらいの衝撃を受けたんだろうね
フーコーと埴谷が同じに見えたかどうかは別にして、衝撃度は同じくらいあったと思われる
埴谷のどこに最も衝撃を受けたかというと、埴谷が 「クモの巣のかかった部屋の中でのんべんだらり寝そべっていても、
未来の社会や政治に対する透徹したヴィジョンをもっているかぎり永久革命者だということを公言した、世界で最初の思想家だった」点だ、と言う
これは吉本が、三島由紀夫と埴谷の対談で埴谷が三島的行動主義を批判する際の観点としてとても有効だったと何度も評価しているね
「わたしなどはこの埴谷雄高の設けた軌道をじぶんなりに拡大してゆくことができるとかんがえた」とまで言っている

ただ、吉本の埴谷氏に対する共感は結局そこで止まってしまったんだよね

『だが人は思想と想像力だけで生きるものではない。わたしには埴谷雄高さんがしだいにそれを拒絶しなければ
未来の構図を政治的にも社会的にも形而上学的にも語ることは無意味だとおもえる勢力や知識と妥協してゆくようにおもわれた』
『思想が一番警戒しなければならないことは、簡単に言えば「いい子」になってはいけないということだ。(中略)
上半身は進歩的知識人の世界で、下半身は保守的民衆の世界だという構図は、後進の地域社会が「いい子」であることの
典型的な構図だと言える。埴谷雄高さんはしだいにこの構図のなかに、すっぽりとはまってゆくようにおもわれた。
「永久革命者」はしだいに悲哀から遠ざかってゆくようにおもわれた』

埴谷と吉本、いずれが変節したのかは諸説あると思うけれど、
吉本にしてみれば、妥協し変節したのは埴谷だとどうしても見えてしまうんだろうね
これもまた致し方のないところ
両者がどの点で変節し、どの点で不滅の真理を守り通したかを考えることは、
今でも十分重要な課題だし、むしろこれからほじられていかないといけない課題だと思うな

215 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 07:59:16
<自我>に対して<エス>が投げかける、あるいはその逆か、、、
といえるほど根源的な原理的なテーマですね。
<エス>を立れば<類>のテーマとなり、
<自我>を立れば<個>のテーマですが、
マルクスの「経哲草稿」以来、吉本にとっても
人間は個でしかないのに、何故類が成り立つか?という根源的な問題おける
意識のあり方として。
もちろん具体的には<対幻想>のあり方、
その<シーソー>のような<遠隔化(遠隔対称化)>のある特異点の
<階程>として個や社会の現在を描く、、、自らの思想が展開されていくワケですね。

現在はいかなる<階程>にあるのか?
「イメージ論」「アフリカ的段階」であらためて問われつつあるテーマですが。

216 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 08:04:42
埴谷・吉本は連立方程式であって、
しかも、解答が無くてもいいんじゃないですか?
、、、と納得してます。

217 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 08:59:05
 まだ花田との論争前、吉本が花田に「埴谷雄高の「永久革命者の悲哀」はいいですね」と言ったら「そうかねえ」と不満そうな顔をされた、なんてエピソードもありましたね。
 花田と埴谷、平野謙の座談会で花田は埴谷に“君の政治論はアマチュアの議論だ。→

218 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 09:08:52
→清廉潔白では何もできない。必要なのはプロの議論だ”と批判しています。今読み返すと花田の批判は非常に俗っぽくて話にならない感があります。親鸞の末裔の蓮如の持論を連想させる。蓮如は弟子に「入信させにくい人間は後回しにしてさせやすい人間から先に→

219 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 09:15:21
→説教することが大事だ」と確か手紙に書き記しています。教団組織拡大を何より重要視しているのが解る。現世の計らいを極力否定する親鸞思想にまさにその計らいを持ち込んで、結局親鸞思想をたいして理解できなかったと思われる。しかし、職業宗教家としては→

220 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 09:20:47
→信者を増やし、教団拡大を目標とする蓮如の方が優秀だったかもしれない。だけど、親鸞の中の重要な要素を捨象することでそれは成立する。その同型の思考が花田にはあった。対する埴谷の方が政治を止揚する政治論として高度だと思いました。→

221 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 09:27:35
→この座談会のあった'60年前後には埴谷と吉本は本人たちが意識してたかはともかく思想的には同伴してたと思います。「永久革命者の悲哀」は殆ど前衛的思考や存在の止揚を考え抜いた話だと僕には思えた。そこに留まれなかったのが問題だと思います。

222 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 12:30:17
>「永久革命者の悲哀」は殆ど前衛的思考や存在の止揚を考え抜いた話だと僕には思えた。
>そこに留まれなかったのが問題だと思います。
吉本が「ひきこもれ」というのは、そういう問題に対する解答でもあるんじゃないの?
知識人が「自分は高尚なことを考えてるんだぞ」と自己陶酔しながら部屋にこもるのと、
イジメや対人恐怖でひきこもって何もできない自分と日夜葛藤してるヒッキーじゃ、
どちらが思想的に深く、親鸞的な意味を持ち、真に共同性への止揚となるかは問うまでもない
と思うよ。
吉本が埴谷と袂を分かった理由って意外と単純な気がする。

「そこに留まれなかったのが問題」なら、なぜ留まる必要があるのかあきらかにしないと。
ひきこもりの専門家の精神科医が自分の読者は吉本のシンパほどお気楽ではない、みたいな
批判を文芸誌に書いてたのを読んで考えさせられたことがある。
それへの解答を吉本からは見つけられたけど左翼や論壇からは何も見つからないと思うよ。

223 :考える名無しさん:2006/11/10(金) 17:22:38
単行本の『マス・イメージ論』の説明を読んだら、次みたいな説明がありました。

   言語の概念をイメージの概念に変換することによって
   三部作に分離していたものを総合的に扱いたい。そして、
   イメージの概念によって総合することで、普遍領域についての
   批評概念を目指したい。

その理由を考えてて、今、気がつきました。
言語概念は幼児期に形成されるけど、イメージの概念(=像)形成は胎児期です。
言語形成は決定的にみえるけど、本当はその前提や基本にイメージがあり、
そのイメージ形成の構造がどのように言語を支配しているか....かな?
言語を決定因子にしてるラカンのことをのっぺらしてると吉本さんが批判する理由が
これですね!

だとすると、吉本さんは溯行しながら理論構築してることになります。
世界視線のことを胎内視線とも説明してる理由がわかりました!
すると....共同幻想論の前提や基本にアフリカ的段階をもってきた理由もわかる!

すご〜い、この人はすご〜い、吉本さんはすご〜い!!!

224 :考える名無しさん:2006/11/11(土) 00:09:15
吉本と埴谷の違いでいつも思い出すのは、シモーヌヴェイユの以下の言葉だな

「12対4という比例があって、4が5になるとき、
真の保守主義者というのは、12対5になってもよいとする人のことではなく、
12を15にしようとする人のことである」

このたとえを借りると、吉本は12を15にしようとした人で、埴谷は12対5のままで行こうとした人じゃないかな
それが埴谷から見れば、吉本はいきなり数を変えちゃった、つまり変節したように見えた
一方、吉本からすれば、埴谷は不変の比例関係を維持できなかった、つまり真理から逸脱したように見えた
ということではないかと思うが、どうだろう



225 :考える名無しさん:2006/11/11(土) 09:08:33
吉本はロシアマルクス主義を嫌悪するけど、
大衆が間違っていても大衆に従え、というレーニンの言葉そのものみたいな
ところがあると思うけどな。それはそれで正しいと思うし。
最近は
嫌な思いをするなら発言しなくていい、とも言ってる。
弾圧されたり荒れたりするなら発言しなくていい、
言える間に言っておけばいいというスタンス。
すごく枯れた、自然な、だからこそますます大衆的になったなと思うな。

226 :考える名無しさん:2006/11/11(土) 20:35:28
ロシアマルクス主義って現在どうよ
学生に人気でもなく、共産党が伸びてるわけでもないが。

227 :考える名無しさん:2006/11/11(土) 23:11:21
ロシアマルクス主義って、今はないんでしょ?
ユーロコミュニズムとか流行ったこともあったけど。

228 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 08:55:16
御大の言うロシアマルクス主義は
スターリニズムは当然のこと
そのスターリニズムの基底である
レーニン主義をも射程に入れてる
って理解してるけどね。

229 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 13:13:44
わたしの言うスターリニズムとは、スターリン自身にさえ責任のないものかもしれない

230 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 13:52:14
農奴国家ロシアで革命をでっち上げるには、
やっぱレーニン主義は機能的で有効だった
って推測できるよ。
そいと、EHカーの『ボルシェヴィキ革命』
だったかを読むとスターリンって党中央の
趨勢とか意向を読めたし、実行できた有能な
官僚だったって感じがする。

231 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 18:18:08
>大衆が間違っていても大衆に従え、というレーニンの言葉
この言葉への意見はないんですか?

232 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 19:21:54
自慰さんのレーニン寸評では
「どこにでもいる普通のオヤジ
革命家になった。」
同じく自慰さんのトロツキー
寸評では、「翻訳文でも彼の
天才が伝わってくる。」

233 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 19:29:03
“大衆が間違っていても大衆に従え”なんて聴いたことがない。それは吉本のスタンスとは違う。彼は〈大衆の原像〉を思想に繰り込むことを課題とするがあくまで“原像”なのであり、実在の大衆の動向には肯定的なときもあれば否定的なこともある。→

234 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 19:41:02
→吉本の出発点である戦争体験からして大衆と自分との差異を自覚する要素となっている。敗戦となると掌を返したように引き上げてくる兵隊への異和感を何度となく語ってるしね。
 また、「その秋のために」という詩は自分と大衆の関係を描いている。→

235 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 19:45:33
→《ぼくを気やすい隣人と考えている働き人よ/ぼくはきみたちに近親憎悪を感じているのだ/ぼくは秩序の敵であるのと同じにきみたちの敵だ/きみたちはぼくの抗争にうすら嗤いをむくい/疲労した物腰でドラム缶をころがしている/きみたちの家庭でぼくは→

236 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 19:50:16
→馬鹿の標本になり/ピンで留められる/ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない》
 この詩もそうだが初期の詩の中で吉本は自分からみた大衆とは何か、を繰り返し書いている。謎めいた姿で、愛すべき姿で、越えられるべき対象として。

237 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 20:51:03
ぼくは大衆を信頼していますよ
その小ずるさもふくめて信頼しています

238 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 20:53:48
「どこにでもいる普通のオヤジ革命家」っていいっすね。
違う意味で私利私欲の無いスターリンもいいけどさ。W

239 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 21:04:15
田中真紀子が吉本の愛読者らしいな

240 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 21:07:31
>>224
ヘーゲルだと
初めに独りだけだった王が、大臣の数だけ王になり、
議員の数だけ王になり、最後に国民の数だけ王になるから、
吉本が「12を15」にしようとするのはヘーゲル的でいいんじゃないの。

埴谷はやっぱり実存的過ぎると思う。
個人的にはOKだけど、共同のレベルでは通用する言い分ではないでしょ。
個人と共同のレベルを別物だとしたのが吉本思想なわけでしょ。

241 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 21:14:10
吉本の倫理はさ、
吉本自身の中にある「オレは大衆とは違う」という部分を
否定して行こうとするところにあるんじゃないの?

だから一生懸命にファッションを着る現代の女工を支持するんでしょ。
埴谷は搾取されてるアジアの民衆の味方をするけど、
そうやって自分の価値を作り出してるんじゃないの?
すると唯の左翼といっしょに見えるけどな。

242 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 23:25:13
そうだよ
だから吉本は残念だったんじゃないかな
せっかく永久革命者として屋根裏でゴロゴロ思索にふけってた人が、
さみしいからってふらふら家の外へ出てきて、
くだらない左翼と一緒につるんで反核なんて言い出しちゃダメじゃないのと

243 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 03:22:21
浅田:大衆は貧しくて、ラディカルだった。いまはみんな豊かになって、ヴィデオを持っている。
だから、かつて「大衆の原像」を信じてデモに身を投じた吉本隆明も、いまは安んじて「マス・イメージ」を肯定していればいい。
柄谷:大衆は節操がない。しかし吉本隆明は、その節操のない大衆にあくまで付こうというのだから、その限りにおいて節操があるわけでしょ。

244 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 04:04:31
吉本の文で特徴的なのは、主語が「わたしは」じゃなくて「わたしたちは」であるっつーこと
これは、すごく吉本の大衆理念と自分の立場(無形の組織者)を示してるんだと思うよ

ハイ・イメージ論IIIのエコノミー論でも「万人が(ということは一般大衆が)」
という主語でずーっと押し通すよね

あと、どこで読んだのか忘れたけど、単なる感想を述べるときには「思う」、
思想的に考える場合は「おもう」と、漢字ひらがなをいちいち使い分けてるんだってね

245 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 04:47:18
>>243
浅田と柄谷、二人がかりでも勝てない

246 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 04:51:20
浅田ってどこかに導いていきたいらしいが
その先がよくわからないんだよね

247 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 08:18:59
そりゃあモーホーだろ。
フーコーを吉本にとられた悔しさは想像を絶するよな。
彰く〜ん

248 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 08:49:07
>>246
吉本ならわかるんですか。

249 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 20:01:28
>>246
発言の場所や自己のステータスを保持したいだけでは? → 浅田
導き先があるなら理論を構築しているのでは?
自己の専門分野でも著作や論文はないようなので、よくわかりませんが。

250 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 20:16:15
>>244

ぼくがよく使う「ぼくら」という一人称複数の代名詞について
…たとえば、科学の世界は全部そうだと思いますけど、
ぼくは化学をやってきて、自然科学の学問の世界のそういういい方に
馴染んできたんですよ。あの世界では、ちょっとした論文や
レポートを書くときに、基本的に、「ワタシ」とか「ボク」といった
一人称の代名詞を使いません。たとえ一人でやったときでもWe、
つまり「ワレワレ」ってことばを使うしきたりみたいなものがあるんです。
…で、ぼくは、そうじゃないとき、つまり「ワタシ」とか「ボク」という
一人称単数であるってことが、文章のなかである必要不可欠な
意味をもつときには複数形を使わず、
そうじゃない一般化したいい方をするときには
複数形を使うようにしてきました。

と最近出たばっかの『生涯現役』という新書で本人は説明していましたよ。
ほかに「照れ」もあるんじゃないかな、とも言ってますが。

で、この代名詞についての話題から、日本語文法の起源や
最近考えている吉本言語論について話は飛び火。
正直、また「老い」ネタ本か…とあまり期待していなかったんだけど、
ほかにもかなり率直な物言いとかがいっぱいあったり、
また編集もいいのか、結構面白い本でした。
まあ「老い」の話とかしているうちに、格差社会とかホスピスについての
話題が繋がって(逸れちゃって)いくのもまたいつものご愛嬌、ということでw

251 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 21:57:16
>>248
吉本はどこかに導いていきたいわけじゃないでしょ
こう考えるのが妥当、真っ当ではと提示しているだけ


252 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 07:51:43
そう、何か、導くとか、そういう偉そうなことはしないよ、あのオヤジは。
そこがウリかな。

253 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 07:59:40
>嫌な思いをするなら発言しなくていい、とも言ってる。
>弾圧されたり荒れたりするなら発言しなくていい、
>言える間に言っておけばいいというスタンス。
糸井重里のDVDで確かにそう言ってるね。
「知重の実」だっけ。

254 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 09:17:21
 かつて鮎川信夫との対談で既に“面々の御計らいに真理への殉教はありえない”という意味の発言をしていますね。“あの時、君がムッとしたので驚いた”と鮎川が後で語っている。親鸞についての対談だったと思う。吉本には殉教を求める思想への否定はあるでしょう。

255 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 18:01:04
>>233
>“大衆が間違っていても大衆に従え”なんて聴いたことがない。
レーニンの言葉として知らないなら、ただの勉強不足。
吉本の思想として違うと言い張るなら、ただの教条主義。
よってヴェーユへの理解無し。ますますヴェーユにのめり込んでいく
吉本を知れ!

256 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 18:12:27
>ぼくは大衆を信頼していますよ
>その小ずるさもふくめて信頼しています
こういうスタンスこそが肝要。「大衆の原像」と「現実の大衆」が違うなど
<像(幻想)>と<現実>の違いでしかなく、あたりまえのことでしかない。
<詩>と<思想>を混同するほうが危険であり、自らの実存の問題でしかないものを
あたかも思想の問題として意義があるかのように語るのも危険。見破られてしまえば
埴谷が哲学の学徒の一部で<ナニヲユウタカ>と揶揄された程度のことでしかない。

257 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 21:32:41
SIGHTネタは無理っすかね、やっぱ...

258 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 22:16:20
吉本に聞きたいこと

最近、企業、個人向けのローンが伸びてきているようだが、
激しいサラ金の取立てが問題になったりもした。
ここらへんどう考えているのか、どうかんがえたらいいのか。



259 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 23:59:55
“大衆が間違っていても大衆に従え”とレーニンは言っていますか?
『何をなすべきか』でレーニンはこう書いています。《労働者階級が、まったくの独力では、組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇い主と闘争を行い、労働者に必要なあれこれの→

260 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 00:04:57
→あれこれの法律の公布を政府からかちとるためにつとめる等などのことが必要だという確信しか作り上げえないことは、全ての国の歴史の立証するところである》
 また、『ハンガリーの労働者への挨拶』でこう言っています。→

261 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 00:11:07
→《プロレタリアートが農民や、一般に小ブルジョア層全体を率いて進むためには、プロレタリアートの執権が、一階級の権力が、この階級の組織性と規律の力が、(中略)あらゆる勤労者の心理に対する彼らのプロレタリアとしての親近性が、分散した、遅れた、→

262 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 00:15:45
→政治的にあまりしっかりしていない農村または小規模生産の勤労者に対する彼らの権威が必要です》
 このように、僕が読んだレーニンは大衆は無知なので啓蒙せねばならないという発想の持ち主で、強力な前衛指導型理論の推進者です。

263 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 00:22:30
 また、吉本はたしかに大衆の政治的・経済的解放を自己の思想の基準にしてますけど、大衆が自分達の利益にならないことを言い始めたときはそれを言う人だと思ってましたけどね。
 確かに大衆の判断を信頼もしてると思います。それは異論ありません。

264 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 00:55:41
ここの人はあまり読んでないかもしれないけど、
「僕なら言うぞ!」という本では

「結局僕は、大多数が戦争するというなら戦争賛成だし、
大多数が逃げるなら一緒に逃げる、それ以外にないじゃないの、
という考えになっていったわけです。」

とも述べているね
大衆の判断って結構正確だし、
そんなに知識人が簡単に馬鹿にできるようなチャチなもんでもないよ、
というよりむしろ自分は大衆を絶対的に信頼しているし、
大衆を信頼できないような思想にはなんの意味もないよ、ということだろう
大衆が間違っていても付いていくべき、という発想自体が吉本にはないと思う
間違っている、合っているとか、そんなことは全然問題外で
とにかく大衆から死んでも離れない、ということだけが一番重要なんだろう

265 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 07:34:57
人の思想を持ち出して「オレは知ってるぞ」と繰り返すタイプの人ってキモイ。
で、ここはその総本山かって?W


266 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 07:47:37
>間違っている、合っているとか、そんなことは全然問題外で
吉本さんてそこまでいってるよね。
ここでは評判の悪い橋爪さんだけがその点を指摘してるね。

>埴谷が哲学の学徒の一部で<ナニヲユウタカ>と揶揄された程度のことでしかない。
真理って簡単に指し示せるんですね。ワ

>「僕なら言うぞ!」という本では
そのてのは何冊も読んでます。若い人は読んでるよ、きっと。
理論書とか批評を読んでも面白くないし、何をムキになってるのかわからないから。
ましてや他の思想家や哲学者をここで持ち出されてもわかんない。
吉本さんは講演会ではあまり思想家の個人名はださないですね。

267 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 07:50:51
>レーニンは大衆は無知なので啓蒙せねばならないという発想の持ち主で、
やっぱりレーニンてダメなんですね。
レーニンでもここでも啓蒙的な態度ってマジにキモイです。

268 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 08:18:35
確かにな。
レーニンに比したら、自慰サンのマルクス信
は変わらないね。いつマルクスを切り捨てる
のか楽しみにしてたけどね。

269 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 10:57:34
大衆が無知なのは、このスレ見れば一目瞭然。
しかし、もはや啓蒙は効かない時代になったというところが、
ポスト・レーニン主義ということでしょう。

270 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 13:30:01
もはや啓蒙は効かない時代になった...なんかワクワクするぞ

271 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 04:15:19
もはや啓蒙が効かない時代になったというより、
啓蒙が効くと知識人が錯覚してた時代が終わった、という方が適切だとオモ
啓蒙が効いてた時代なんか実はあったためしがない
啓蒙にすぐ釣られる安い連中はいつの時代にもいたけど
そういうのはそもそも大衆じゃなく
自称知識人の半可通に多かった
大衆というのは知識はなくとも十数万年前からしぶとく生き続けてきたんだ
やっぱり叡智というものがあるよ

272 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 06:09:18
 大衆が経済的にせり出してきた、同時に知的にも。その段階を指して吉本などは《党派は終りました》と言ってるとみる。
 その辺が未発達の歴史的段階では知的な階層による非知的な階層への啓蒙は不可避だった。
 不可避だったがそこで→

273 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 06:15:50
→かつて埴谷が指摘したような、党派の弊害が付いて回る現実、官僚が支配する現実が常にあった。
 だからそれはいつも矛盾を孕んでいた。今でも発展途上国はその矛盾の中にあるのではないか。
 吉本が《党派は終った》と言う場合、→

274 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 06:24:53
→そのような、経済的にも、また知的にも、一般大衆がせり出してきたことの意味を問う面があると思う。
 知と大衆の矛盾というのは現実には今だに世界から完全には無くなっている訳でなく、未解決なまま存続しているのではないか。

275 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 13:16:54
2>
総理大臣のリコール権を規定した法案が可決されました。
爆笑問題の番組のなかで。

太田光は吉本の最近の著作からそのまま引用したような
コメントをテレビで何回かしてました。

太田は吉本隆明をどう思っているのか。また、吉本隆明は爆笑問題をどう評価するのか。
両方のファンである私としては興味のあるところです。もし、どこかで言及しているのを
知っている人がいれば、教えてください。

276 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 15:07:11
そういえば太田は吉本を読んでるぽいでるだな。
真紀子よりいいんじゃね。
憲法9条も太田のおかげでOLが注目してんぞい。

277 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 23:57:22
吉本は太田みたいのは好かないでしょ
単純にお笑いとしてあんまりおもしろくないから
太田なんてもっともらしいこと言ってそうで
じつは付け焼刃だって当然一目で分かってるだろうし(舌が回ってないから)

吉本は大昔に「情況」という本でテレビで政治についてしゃべった前田武彦をボロクソ言ったり
最近じゃダウンタウンの松本やたけしの本に否定的な評価を下したり、
とにかく文化人面しようとするお笑いの人が大きらいなんだよ
みんなリーマンならリーマン、お笑いならお笑いで
自分のいる場所から自分なりに発言すりゃいいんで、
そこから浮かび上がってものを言うとら絶対悲惨な結果になるという考え
芸能人が政治の口真似なんかするもんじゃないよ、というのが基本姿勢でしょ


278 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:05:12
田中康夫も嫌ってるよね
なんだあの浮かび上がり方、大衆からの遊離の仕方はって
スポーツ番組出たりAV撮ったりしてる高橋源一郎のほうがずっといいって

279 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:39:38
アホ吉本めw
田中康夫こそ大衆に根付いた活動をしていた人なのにさ。
もうさっさと詩ね!

280 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:58:47
たけしなんかは上司にしたいランキングで上位に入る存在でしょう。
なぜ大衆が支持しているかも分からなくなった吉本はもう終わり。

281 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 01:11:03
えーでも今のたけしは確かにつまんないじゃん
なんか偉くなりつつあるし
おもしろいときもあるけど、昔ほどじゃないでそ

282 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 01:47:06
自作自演多すぎ

283 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 02:40:21
好き嫌いなんて人それぞれなんだよ。自分と趣味が完璧に合うと
思ってる人でも、全然理解できないものが好きだったり嫌いだったり
して驚く事が良くあるから。人物評ってインテリの嗜好に
屁理屈をくっつけたのが中身の半分なんじゃないかな。思想的には
お遊びの領域って感じです。

284 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 03:44:10
吉本は昔たけしと対談するって話あったんだけど断ったんだろ
向こうは話術の専門家だから自分じゃとてもかなわないって
鍛えたら一回ガチで対談してみたいって言ってたけど
今の健康状態じゃ到底むりだね
たけしも吉本読者だったらしく、結構吉本に関する発言はしてるよ
あとは、ダウンタウン松本も糸井から吉本さんと対談してみない?と言われて
結局実現しなかったんだよな

285 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 03:51:48
となると、当然浅田彰を相手に話す事はできない、ということか。
哀れよのう。

286 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 05:05:49
278・279>

田中康夫の「もの書き」としての立ち位置を批判してただけ。
職業政治家になった事自体は、「真っ当なことだ」みたいな評し方を
吉本はしていた。

287 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 08:38:06
 10代いじめ自殺問題が今また沸騰してる。吉本も過去何度かこれを取り上げている。『思想の原像』('95年徳間書店)での「いじめ問題考」のいじめ自殺を防ぐ処方箋はとても印象的。中学生ぐらいの子供のコミュニケーションは魔法的で大人に窺い知れないものがある→

288 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 08:43:37
→いじめ自殺への大人の“気付けなくてすみません”は反応として典型的だが偽善的でもある。大人は静観し、相談されたときだけ全力で力になることができることが出来ればいい。
 イジメられっ子が一度でも全力で反撃すれば相手は自分のやっていることを反省できる→

289 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 08:47:21
→いじめ自殺の背景には心を打ち明けられる友達が一人もいないいじめられっ子の内面もある。一人でも心を打ち明けられる友達がいれば自殺にはならないはずだ。
 いじめの背景には加害者と被害者双方の母子関係がある。→

290 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 08:51:48
→つまり双方の不幸な無意識がある。
 この問題は子供達自身が自覚的にならないかぎり本質的な解決はない。大人は当事者に相談されたとき以外は出来るだけ手出ししないほうがいい。
 等など、いじめ自殺への処方箋として刺激的なものがあった。

291 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 09:24:51
いじめる方も犠牲者で、母子関係の反省が必要なんだろうなあ。
「なぜ人を殺してはいけないか?」てな流行の愚問と同じで、
とても簡単なことがわかってないのが原因でしょ。
つまり相手の立場にたってみるという...

292 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 11:02:04
「いじめ」っていうのは何もこども社会特有の問題じゃなくて、
そもそも大人社会にだってあるものでしょう。
「いじめ」そのものの構造がだめなんて理屈は普遍的にあり得ない(そんなことが言える奴はいない)。
だから、いま世間で言われているような「いじめ」問題は、それがいかに死に直結しないように
すればいいかって点で手を打つほかに、特にやることはないんじゃないでしょうか?
吉本自身、いじめたこともいじめられてこともあるって言ってるし、
自分のこどもがリンチでもされたら、包丁もって反撃に出そう。

関係性のズレがすぐに殺人レベルの状況に直結してしまうことに、
「母子関係における失敗」をみる吉本理論は、やっぱり根源的な考察ですごいなとは思うけど、
吉本自身はそういう社会の中における<関係論>的次元での、
「いじめ」問題に対する解決策として言っているのではないわけで。
いまだったら、マスコミがあれだけ毎日いじめ自殺したって報道を流しているわけだから
それを無意識に受け止めてるこどもたちがどっかで「いじめ=死」っていう図式をつくりあげて、
報道の数と比例して総体的に自殺者の数が増えるのはしょうがないんじゃないんでしょうか?

『ひきこもれ』で語られている考察と、それへの斎藤環らの批判も、
要はそこで論点がすれ違っているということなんじゃないでしょうか。

293 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 15:21:53
291.292に基本的に同意です。
『思想の原像』所収「いじめ問題」に特徴的なところを今一度考えると。
 いじめに対してまあ僕なども即座に社会道徳や内面倫理的な側面から見てしまう。そこからモノを言ってしまう。→

294 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 15:28:28
→で、大人(教育者や行政や親など)の介入を促したがる。それが手っ取り早いだろう、と。
 だけど吉本の場合、《思春期初葉の魔法的な世界にいる生徒達の心の世界を、擦れっからし達に掻き回させるのはいかにも惜しいと思う》→

295 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 15:36:26
→みたいな言い方で、反対に大人の介入を出来るだけ避けて、相談されたときの最大限の力添えはするべき、あとは《子供が学びやすい、遊びやすい環境を作ること》に撤した方がいいとする。そこが特異な感じがします。→

296 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 15:48:12
→もう一つ感じるのは、吉本の中にある、思春期初葉の世界への視線で。
“自己内部の性の奔騰”“教育体制の隘路”“社会病理の侵入”で死が手近い思春期の問題を指摘しながら、しかし同時にこの年代の内面世界を愛着している?のも伝わってきて。→

297 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 16:00:45
→そこが、単なる社会問題批評に終らずに、彼の思春期論であったり、或いは親鸞の思想の応用にみえたり、親鸞に於いては現世の人間が他人を救い通すことは極めて稀である、だから。ここにもそれが出ていると思え、その辺が面白かった。

298 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 16:57:35
だよなあ
いじめ解決のために、大人が何かしなきゃいけないと煽ってるマスコミとは対極にあるよな
吉本の考え方は
大人が子供のいじめに介入するなんてのはもってのほかで、極力避けるべきという考え
でも、本当に避けられないほど深刻なことが分かったら、今度は親がいじめっ子と刺し違える覚悟で子供の味方しろと
あくまで受動的なんだよな
親鸞的といってもいい
マスコミや知識人がいうような人助け(聖道の慈悲)じゃ、どうしても思うように助けおおせられない、と

299 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 19:23:01
大人が小さい事でも積極的に介入しないとどうなるか。
親に相談できるような、はっきり大人にものを言える子供は深刻な
いじめを受けない。大人に意思を伝えられず本心を隠す子供が深刻な
いじめを受ける。周囲の大人はどうすればいいか困惑する。困惑する
大人を見てますます子供は心をかたく閉ざす。と、実際はこうなる。
子供は自殺する自由があるから、自殺されたら諦めるしかない。
子供に自殺された親がいじめっ子に復讐したいなら復讐すればいいと
なる。文学的な絵としては美しいが、普通はこんなの我慢できん。

300 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 22:30:29
母親は「母子関係の失敗」を認めないよね。
もしかしたら、つーか、どれどころか、
「母子関係の失敗」なんかには意識的では
ないかもね。
いじめっ子もいじめられっ子も"失敗作"だなんて
悲しい考え方だよね。


301 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 00:11:57
ドミノ倒しのように自殺している子どもが報道されている中、
そんなこといってる暇なんてあるのかね?

302 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 08:24:30
母子関係を修正するには、祖母の胎内での育ちの悪さまで遡るんだっけ。
どういう事かちょっと想像つかないんだけど。三島由紀夫もやっぱりダメだった
かあと言ってるくらいだから自殺する人は自殺する運命なんだろうけど、
いじめを受けて自殺する子はそこまで運命的な事で自殺するんじゃないと思う。

303 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 11:30:22
一方で子供のコミュニケーションを魔法的としながら、他方ではその子供も自覚的にならないといけないという。
これはおかしい。ようするに、大人でも分かるようにしろといっているようなものだろう。
これほど大人として傲慢な態度はない。

304 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 16:03:43
母子関係の失敗も、親子関係の失敗も認めない、
つまり再帰しない親子関係なら支配−被支配の関係になるだけ。
それは(外の)社会の姿そのままであって異常だろうな。
相互に再帰する関係が対幻想だから、対幻想の領域内なら
断えず修正が効くけど。相互修正の無い、一方的な関係性が
主体を自縛していく過程は権力論に近似するな。
宮台の権力論はそういうものだったから、
一部で宮台が吉本派とかいわれるのは間違いじゃないね。

305 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 19:16:07
 親鸞=吉本の考えでは“我慢ならずに”てところには肯定的だと思います。だから大人が思わずいじめ問題に手を出す、口を出すこと自体には不可避だとし肯定的だと思う。やりたければやればいい、と。
 ただ、吉本の場合、いつも本質的な解決、てことを→

306 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 19:21:12
→俎上にあげる。その本質的な解決、てところでは大人や親が理性で介入するだけでは解決はない。そう言いたいのだと思う。
 その段階で初めて母子関係や乳胎児期の問題や、或いは子供たち自身が事態をどう感じるか、どう動くか何を言いだすに賭けてみる、→

307 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 19:28:55
→その発想が出てくる。
 つまり親が子供の出生にまで遡れるか、裸になって向き合えるか、てのは親が出来る本質的な解決。で、子供自身がどう感じるか、自分達に何が出来るのか、放置することはもう出来ない、て場所へ行けるか、がもう一つの本質的な解決、→

308 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 19:34:30
→それが出来るのかどうか、てことを言いたいのだと俺は思います。
 吉本はこの問題に親鸞の名前は出してないと思うけど、親鸞が今生きていたなら現代のいじめ自殺の事態を一体どう捉えたろうか、考えてみるのも面白いかも知れません。

309 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 21:17:35
別に面白くも何ともないが。

どっちか言えば携帯で2ちゃんへ細切れに投稿する行為の方が滑稽だ。

310 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 01:00:59
そんなことで笑えるお前がうらやましいw

311 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 03:54:38
携帯矢印くんは、20文字で改行な。

312 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 07:40:34
>つまり再帰しない親子関係なら支配−被支配の関係になるだけ。
それが共同幻想で、共同幻想を再帰させる可能性はコミュニケーションと
社会的諸関係というか政治経済の動きだけ。つまり唯物論的な基盤を変遷
させることだけ。これに対して実存くんや埴谷くんは本人の自己満足だけ、
なんだよな。親鸞も同様、なぜなら無くてもいい教えなわけだからな。W

313 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 13:24:08
>共同幻想を再帰させる可能性はコミュニケーションと
>社会的諸関係というか政治経済の動きだけ。つまり唯物論的な基盤を変遷
>させることだけ。
それが、マルクスなわけ。

314 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 01:43:16
>>301
目前のいじめに右往左往するのは、
学校の先生なり親なり当事者が思い思いにすればいいこと
吉本が考えようとしているのは、
いじめを根こそぎ殲滅させるにはどうしたら良いのか、
どういう母子関係のあり方が必要なのかということ
だから問題意識がかなり違う
吉本だって実際に子供がいじめに遭ってたら、
やっぱり皆と同じように右往左往するし、なかなか解決できないと思うよ
緊急の問題は必ず永遠の問題を同時にはらんでいるというのが吉本の考え方で
目前の問題だけに捕らわれていたら、やっぱり大人がどんどん介入していくしかない
という方向性にどうしても収斂していってしまうと言っている
それはダメなんだよ、根本的ないじめ問題の解決というのはそっちにはないよ
ということを繰り返し言っている

315 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 12:04:55
>>299
>親に相談できるような、はっきり大人にものを言える子供は深刻な
>いじめを受けない。

いじめられている子が自殺するまでの間に周囲の大人になんら相談したり
泣き言を漏らさないというのは、たしかにそういう面も多々あるだろうけど、
全くないというのはちょっと誇張されていて、迷信ではないかと思える。
多くの場合は相談しても、大人たちによって逆に「お前がしかっりしていないからだ」
などとたしなめられるか、せいぜいよくて励まされる程度で片付けられるのが落ち。
子供はそう言われることを経験からもちゃんと予期している。
いじめ問題に対して「いじめられる側が悪い」論が世間にこれだけ溢れかえる社会だし、
いじめっ子もそれを知っているからいじめをやめない。

>周囲の大人はどうすればいいか困惑する。困惑する
>大人を見てますます子供は心をかたく閉ざす。と、実際はこうなる。

これは実感とはそぐわないなあ。周囲の大人の典型的な反応はいまだに上述のとおりだよ。
たとえ困惑してもその困惑を子供に見せずに、気丈な態度で子供を叱って励ます。
子供側にしてみたら、自分でやれるだけのことはやってきたけど、もう精神の限界だよ
というぎりぎりのところで親に泣きついているのに、「そんな泣き言言ってどうするの!」
と一蹴される。共同幻想に対する最後の砦である親にまで突き放されたら、いじめられて
いる子はもはや自分の味方はこの世に一人もいないと感じるのは当然ではないかと思える。

316 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 17:13:15
>>315
まったく同感。
「共同幻想に対する最後の砦である親」ってのが対幻想でしょう。
共同幻想と対幻想のバランスの取れた相互の関係が壊れちゃってる
のが根本の問題なんだろうな。
いじめや家庭内暴力は、その社会の適正な各幻想の相互のバランスが
壊れてる証拠だろうから。
どうすりゃいいかは、ムズカシイ問題だなあ。

317 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 18:31:00
確かにな。
自慰サンはこの変動期の倫理は可能か、
可能ならば如何に可能か、そして出来
うるならばその倫理なるものを提示したい
と思ってる。

318 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 19:08:54
 何げにスポーツ紙の三輪明宏のエッセイ読んでたらいじめのことを書いてて、彼(彼女?)も吉本同様、いじめ問題は親の育て方、親子関係の問題が出ている、と書いていた。

319 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 19:27:56
 三輪の見方はいじめっ子における虐待の反復、てことで、それは些か単純かなあ、て気もした。
 敢えて〈反復〉を持ち出すならば、悪意の能動態、悪意の受動態の双方が反復されていると見るべき。
 つづめて言えば、世界が悪意で満ちていること。→

320 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 19:32:07
→だから悪意の能動態は絶対化され、同様に悪意の受動態も絶対化され、よってその世界に入り込むと、いつしか受け入れざるを得なくなる。
 その辺のメカニズムの底辺に母子関係があるのではないか、て気がするんだけど。

321 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 20:16:16
吉本理論なら受動態が基本でしょ。スタートは受動態から。
で、対幻想において自己を否定する対象の象徴化がはじまる。
それは文学的な表現?では悪意?かもしれないけど、発達心理学では必然。

赤ちゃんは自ら遊び道具を遠くへ投げて困難な状況≠作り出す。
自ら否定的な状況をつくって、それを解決するという行為を反復する。
この自ら困難な状況を作り出す行為は反復によって認識(方法)として
定着し、その後、対幻想の行使の中で再帰あるいは自縛をスタートする
認識として定着する。
それは自らを否定する対象の象徴化と共同化をへて、文学的には悪意≠
生むね。
でもこれは必然だからなあ。。。

問題は、その認識が他者に生じた時の、その他者と自己との関係性。
その関係性へ思念が乃ぶかどうか。
関係の絶対性の問題だね。

322 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 20:27:04
つまり、他者の立場になって考えること。
関係の絶対性とは、自らの思念の乃ぶ領域に自らが対象化されているか
どうかの自己言及の反復を追求するものでしょ。
現実に言語内に他者はいないし、共同性は観念性(幻想性)としてしか
生成しないから。

323 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 22:17:01
 吉本もしばしば喋ってるように、一度でもイジメられっ子が本気で怒り狂い反撃すれば、事態は改善されるんでは、とも思える。しかし実際には殆どのイジメられっ子の反応はむしろイジメを増幅させる方にしか向いてゆかない。その、増幅にしか向かない、て部分に→

324 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 22:26:12
→イジメられの孕む病理が見える。それはイジメっ子の陰湿な嗜虐性が病んでいるのと同類の病んだ自虐性だと思う。
 しかし、じゃあどうしたらいいと思う?と聴かれたら、さあ、としか言えないんだな、情けないことに→

325 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 22:31:17
→子供の出生と同様に親の出生まで遡る、そんな親が果たしているだろうかの疑問もある。しかしもしも親がそこまで真剣になれたら大したものだし、事態も変わるんじゃ?の期待もある。
 前のレスで“変動の時代の倫理”て言った人がいたけど→

326 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 22:43:11
→確かにそうで、そこに存在倫理、て問題か出てくる。母子関係における存在倫理もある、と。
 そこまでこの今のイジメ自殺問題か突き抜けていけるのか、疑問だけど。

327 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 23:01:12
とりあえず、いじめ問題というのは、個的、対、共同の幻想領域で分ければ
現象的には共同幻想の領域で出てくるけれども、
根っこは対幻想にあるわけでしょう
対幻想がやっぱり壊れかけていて、それがいじめという形で共同幻想に反映されて出てくるんだと
じゃあ、対幻想を修復すれば、いじめ問題解決するじゃんよとか思うけれども、
やっぱり対幻想が壊れると言うのも時代的な必然でもうしょうがなくて、
子供は不自由なく食えるもんだから親のことなんか全然尊敬しなくなっちゃったとか、
親子が上下じゃなく平等な関係になっちゃったとか、吉本もいろいろ指摘しているよね
超資本主義のおかげで親が子供に威張れなくなっちゃったし、
ちょっとでも親が権威振るうと家庭内暴力とか、必ずそういう形になって出てくると

いずれにしてもいじめ、家庭内暴力と言うのは、
超資本主義が対幻想を破壊、変容させていく過程に出てくる必然的な問題の1つではあるよね
だから、親がいくら威張ったり押さえつけたりしても、解決には結びつかないでしょ
いじめ解決の公式なんてものはないけれど、とりあえず現状であれば
いじめなんかどの学校でも起こって当たり前、起こらないのは運が良いだけ、
という認識だけはを持っていたほうがいいんじゃないのかな
校長先生が生徒が自殺した後に「いじめは関知してなかった」とか、
そういう白々しいことを言ってるようじゃ全然ダメだとオモ
かといって大人が積極的に介入するのも逆の意味でおかしいと思うけどね

328 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 00:30:32
思春期ごろの年頃の子にとって同輩集団は重大な世界であって、
その唯一の場になっている学校というのは、家族外の世間の
すべて、つまり共同幻想のすべてになっている。これが大きい。

大人になってからも職場いじめのようなことは多々あるけど、
思春期のころと比べると職場は共同幻想のすべてにはならない。
たまたま陰険な職場に来ちゃったなみたいな相対化ができる。
その違いは、同じいじめを経験したとしても大きい。

329 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 01:03:38
 この辺の話題というのは今年出た『家族のゆくえ』、2000年の『平成版 対幻想』に詳しいですね。
 昨日も高二のイジメ自殺があった。事件の悲惨さ、暗さに目がゆくのは仕方ないが、吉本は現代史の中の地層というか、切断線というか、母子関係の何が→

330 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 01:12:19
→どう変わりつつあるか、を基本に家族の像、そこでの対幻想を解像しようとしているかに見える。その方法は非常に刺激的で迫真性に満ち、僕らがどこにいるのかを語って止まない。
 吉本の目はまだ確かだ、と改めて実感させられた。

331 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 01:19:32
 ひとつ思い出すのは、いつだったか、60年代だか70年代だったか。『もっと深く絶望せよ』て文章を吉本が書いた、その言葉だ。
 遣り切れないニュースが日々届けられる中で、暗澹さや無力さに埋もれてしまうことの愚と危険性を痛感する。

332 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 01:26:37
dam4

333 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 01:37:50
この世界はもうこのボケ老人の与り知らぬものになっている。

334 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 01:52:01
>>333
ボケ老人以下の人間もがんばってくれよw

335 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 02:12:32
母子関係なんていっているけど、それは大きな問題とは思えないんですね。
1つを掘り下げれば全ての原因が解明されるという、そんな簡単な問題じゃない。
人間は悪性を備えて生まれてくるので、母子関係以外でも十分に悪性を誘発させる要因がある。

336 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 02:23:04
次の訃報はこのボケ老人かな。

昭和も遠くなりにけり、だね。

337 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 02:25:24
>>335
へえー、例えばどんな要因?
あと人間が悪性もって生まれてくるって、なんですか?

338 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 08:53:48
たったひとつの商品から資本主義のすべてを読み取ったのがマルクスだね
アタマさえあればそれができる、と

339 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 10:13:34
 確かに悪を誘発する要因は世の中に様々ある。ただ、昨今の少年犯罪に対して、それらの要因はあるとしても、一義的ではない、とする立場をとっている。《乳胎児期に母親との関係に重大な支障がないかぎり、グレるとしてもたかが知れている》とする立場。→

340 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 10:21:10
→また、『平成版 対幻想』で、乳児期に母乳を吸う時に、母乳を吸わなくなった後も母親の乳房を愛撫したり弄ぶ時期がある、それは性行為や性意識の原型になる、とも芹沢と追究していきます。一方母親が授乳は面倒で嫌悪感を感じる、また乳房で遊ばれるのも拒否する→

341 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 10:26:50
→そうした関係の中で子供の何が刷り込まれるか、に着目する。どこかが不全になるのは間違いない。育児に時間を奪われるのを嫌悪する現在の意識は乳児への嫌悪感に移行する、その辺ですよね。しかも子供がおかしくなったとしても、“あの子は昔からおかしかった”→

342 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 10:31:24
→として自分の責任を切り離したがる、その辺の風潮へかなり手厳しく批判しますね。
 その辺りの吉本の目はかなり精確に事態を見据えてる、と思うんだけど。

343 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 11:21:14
昔、吉本は女流なら何でも讃めるみたいな揶揄があったけど、
342さんの指摘どおり母性に対しても精緻な観察があって、
別に女性や母親を絶対視してるわけじゃないですよね。
ところで先日、新聞に自閉症は脳の障害で子育てなどとは関係ない
という特集記事があり残念でしたよ。
その脳に障害が生じるようになった因果そのものとしての
胎内期の孝察が全くない。アカデミズムから市井の親まで、ここまで
の無責任、無関心は何なんだろと思いますが、吉本や芹沢、高岡など
以外でまっとうな見解の人はいますか?
なんだかなあ、この世は。

344 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 15:41:47
いじめっ子といじめられっこが同質であるという指摘だけでも、それなりに貴重だね。
宮台一派はいじめは犯罪の一本槍だけど、いじめの本質は犯罪だから犯罪として対処せよ、
という趣旨だとすると疑問だ。対症療法的なアプローチとしてなら、どうでもいいが。
そもそも宮台上人によると、子供には心がないはずで、「いじめ自殺」(=「いじめ(が原
因で心が傷ついて)自殺」)もない。それは「美しき少年の理由なき自殺」である。
ここまでいえば、少なくとも結論は正しい。いじめと自殺は分けて考えたほうがいい
だろうね。死に追いやるいじめとかいうけど、主要因はどう考えても報道だから。岡田
有希子のときと変わりはなかろう。


345 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 20:24:35
>そもそも宮台上人によると、子供には心がないはずで、「いじめ自殺」(=「いじめ(が原
>因で心が傷ついて)自殺」)もない。それは「美しき少年の理由なき自殺」である。

宮台の言い分なの? 宮台は高岡と対談してたよな、確か。
まあ彼は自己の主張を時々修整もしてるらしいので、時期によって言い分が違うと思うが。

346 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 20:49:00
>>344
吉本さんのその指摘を、そういう結論にもっていく発想というのがどうも解せないなあ。
だとすると、いじめの本質を喧嘩と混同して見誤っているとしか思えん。
宮台に反論しているようでいて、宮台のその自殺論のほうを結局は採用しているし。

347 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 23:52:15
いじめは犯罪っつっても、
じゃあいじめってのはそもそも何なんだという定義が必要だろ
犯罪になるいじめがあるのも確かだろうけど、
いじめがすべて犯罪になるとは思えないな
その線引きの仕方は誰がいくらやってもうまくいかないと思う

吉本はその点、犯罪だ犯罪じゃないという議論とは全然かけ離れたところにいる
吉本に言わせりゃ、そういうこと言い出す先生方はみんな単に「法律守れ」と言ってるだけなんだと
そんな法律と同じこと口真似してるだけじゃ、その先生の存在意義ないんだと
法律ありゃ十分だよっつー話だから
だから少なくとも、犯罪だの何だのの法律論とは違ったこと言ってくれないと困るってさ

348 :考える名無しさん:2006/11/25(土) 00:42:52
だから、暴行罪とかでしょう。殴ればそれに当たる。刑法208条とか。

349 :考える名無しさん:2006/11/25(土) 12:15:02
そういえば宮台ももともとは法律で社会をどうこうできないよ、
ということを書いてたんだよね。援交や少年犯罪に関してさ。

350 :考える名無しさん:2006/11/25(土) 12:17:32
吉本のは、自分の子供がいじめられてもうどうしようもない場合
国家機関である警察に行って犯罪にしてもらうよりも、
自分が子供と一緒にいじめっ子の所に行ってボコボコにするよ、という考えでしょ
だから、そもそもいじめが犯罪であろうがなかろうがどっちでもいいんだろ
基本的には自分で解決するんだから

351 :考える名無しさん:2006/11/25(土) 23:31:51
しかし、今朝の朝生とか見てて思ったけど、
左翼と自称してる人らがいじめは犯罪だとか繰り返してるの見てぞっとしたな
あんたらは国家は消滅するのが理想じゃなかったのかよ
それがなんで解決を国家権力の一形態である法律や警察の介入に委ねようとするのかねと
左翼が聞いてあきれるわ

352 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 00:38:53
左翼って、みんなそういう感じじゃん。
自分たちの価値観と違うと処理、排除する。
右翼は、自分らの身体性と違うと排除する。
保守は、自分らの利益を害すると排除する。

それぞれ自己存在からの遠隔化の距離が違うだけ。

353 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 00:54:08
自殺した少年の家族が怒りをぶちまけるかのように先生に詰め寄るシーンが流れるけど、
どうしてあんなに外に向けて感情を炸裂させられるのか不思議なんだよね。
自殺した少年は親も当てにならないと思ったから死んだんでしょ。
それに対して親が自省しなかったから、あそこまで率直に学校や先生批判をすると思うんだけど。

日本には家族にはサザエさん、教育には金八先生という幻想があって、どれもが現実離れしている。
教育に関していえば、昔から熱血教師ドラマものは受けてて、最近でも『GTO』とか『ごくせん』とか過去の幻想を引きずっているんだけど、
まず、これが理想というモデルではない、ということを突きつけなきゃいけないと思う。
学校は、なんでか分からないけど集団ルールを押し付けられる、勉強を教える教わる場所、この2つでいい。
学校にパパママの役割を押し付けるのは親の傲慢だと思うし、金八みたいなおばさんはいなくて当たり前だよ。
そして集団ルールからはみ出す子供は、別の場所にいってもらう。綺麗な解決策なんてない。
ここまで学校側が徹底していれば、これ以外のことは家庭の問題だよ。家庭の問題を学校の問題にしてはいけない。

354 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 01:09:08
>>353
集団ルールからはみ出す子供は、別の場所にいってもらう。
「別の場所」が「市場原理の全般化」で消滅しているのが先進国の現状。
別の表現をするなら、すべての「世俗化」(Weber)。


355 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 01:27:03
>>353
そうなんだよ
吉本も戸塚ヨットスクール事件で同じこと言ってたね
親自身が子どもを育てるの放棄して戸塚のところに預けたのに
体罰で殺されたからって文句言い出すのはおかしいじゃないかと
結局、親が子どもに対して自信を持てなくなってるから、ダメなんだろうね
吉本みたいに、負けてもいいからいじめっ子の家に行って喧嘩する、
ぐらいの覚悟を持って子どもを育ててる親なんか今あんまりいないだろうしね
そんで自分のこと棚に上げて、学校や行政が悪い、なんとかしろとかいう主張ばっかり
最終的には俺が責任持つよ、と言い切れる親の不在が大きいんだよ

356 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 01:31:20
「だれそれが悪い」というより日本社会の衰退じゃなかろうか。

357 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 02:54:25
日本社会の衰退・・そうかも
吉本語でいえば超資本主義の弊害だろうね
いじめからも牧歌的な部分が失われていってるね

358 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 21:22:23
吉本を評価している呉智英氏がこんなことかいてます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/29130/

359 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 00:28:25
呉氏というのは、いま吉本隆明25時にも出ていた人だっけ
吉本氏のことは、当時から意見は違うけど尊重はしてるみたいなこと言ってたよね
その後は、オウム事件で危険な思想家という本を書いて
やっぱり吉本批判に回っていたけどね
その>>358の意見は、いかにも氏らしい意見だなと思うね
実際にそんなことができるかどうかは別として、爽快感があるよね

360 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 10:10:53
>>351
いじめ犯罪処理論を意欲的に展開しているのは、宮台や内藤朝雄一派だけど、
彼らは左翼を自称していないんだな、これが。左翼でも右翼でもないリベラリスト
を自称している。そこからむしろ左翼を攻撃している。

361 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 10:22:27
>>353
> 自殺した少年の家族が怒りをぶちまけるかのように先生に詰め寄るシーンが流れるけど、
> どうしてあんなに外に向けて感情を炸裂させられるのか不思議なんだよね。
> 自殺した少年は親も当てにならないと思ったから死んだんでしょ。
> それに対して親が自省しなかったから、あそこまで率直に学校や先生批判をすると思うんだけど。

それは逆だと思うよ。親は罪の意識を感じているから、子に成り代わって共同幻想の担い手に
向けてその感情をぶつけている。それはまさしく対幻想の成せる業だよ。

> 日本には家族にはサザエさん、教育には金八先生という幻想があって、どれもが現実離れしている。
> 教育に関していえば、昔から熱血教師ドラマものは受けてて、最近でも『GTO』とか『ごくせん』とか過去の幻想を引きずっているんだけど、
> まず、これが理想というモデルではない、ということを突きつけなきゃいけないと思う。

熱血先生モデルは、対幻想を偽装した共同幻想のエージェントであって、
こういう教師が理想モデルだとは全く思えないなあ。
この点は、あのヤンキー先生をボロクソに批判していた爆笑問題の太田さんに賛成。
吉本さんの身近では、芹沢俊介さんがそのことを暴いている。

>>354
はっきり言ってしまえば、学校という共同幻想は亡くなるべきだと思うよ。

362 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 10:30:07
いじめられている子にとって親が当てにならないと感じる面があったとしたら、
それは熱血教師と同様に、つまり対幻想を偽装した共同幻想のエージェント
に親がなってしまっている(と子が感じた)場合でしょう。
これはまさしく親の熱血教師化であって、熱血教師は対幻想を偽装しながら、
共同幻想を押し付けてくる存在なわけで、その点を爆笑問題の太田さんや
芹沢俊介さんあたりは指摘していると思う。

363 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 13:07:38
「幻想」って単語1つでよく最適化できたものだなw

364 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 13:27:48
>>361-362

間違っているよ。
金八、鬼塚、ヤンクミは君のいう共同幻想から追放されるような存在として描かれている。
だから職員室で対立してんのよ。夏目漱石の「ぼっちゃん」のように、最終的には共同体から弾かれる存在なの。

365 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 17:04:02
>>364
しかし熱血教師は、職員室は信じていないけど、学校という名の共同幻想は信じている。
そういう存在として描かれている。生徒を共同幻想に同化させることに熱心すぎて、
それを良い事だと信じて疑わない。


366 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 19:07:47
共同幻想と対幻想が逆立するという吉本思想の根幹からみれば、
対幻想の担い手である親が共同幻想の担い手である学校の代理人
として子供の前に立ちはだかるところに、家庭内暴力などの家族
の問題があるわけで、いじめの場合もそういう場合に子は親をも
頼りにできずに死んでいくわけだし、家庭内暴力だって同じ。
子は親のなかに甘えの対象と攻撃の対象の二重性を見ている。

367 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 21:36:15
>>365
「幽霊になれ」といっているのか?

368 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 01:06:53
学校という共同幻想を破壊すべきって、
なんか東大紛争のときのスローガンであったっけなw
共同幻想って、吉本はそういう意味で使ってんのかね?
なんか、そういう意味では使っていないような気がするんだけど
「共同」というのはあくまで、
個に対する集団という意味合いでの抽象的な「共同」なのであって、
実際の学校やら会社やらを指して「共同」といっているのではないと思うけど
個の対義語は「共同」なのであって、
個の対義語は「学校」や「会社」じゃないでしょ
マルクスの資本論と同じで、抽象的な原理を生の現実社会にそのままあてはめると
おかしくなる気がするんだけど
いじめをなくすには、学校という共同幻想なくせばいいとかいっても
学校なくなったって共同幻想はやっぱり存在するわけで、いじめだって別になくならないような・・w

369 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 01:16:37
総中流社会とか学歴社会、ゆとり教育、会社共同体などという共同幻想が
経済-資本の論理の前に崩れているのが現状じゃなかろうか。

370 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 02:47:57
>>368
おっしゃっていることが最初と最後とでは反転していませんか。
それから、吉本さんの本を読んだことがありますか。

371 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 02:54:07
>>370
はい、吉本さんの本は読んだことありますよ
反転してるかどうかって、自分はちっとも反転してないと思ってますがね



372 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 03:28:24
>>364
> 金八、鬼塚、ヤンクミは君のいう共同幻想から追放されるような存在として描かれている。

金八先生もGTOもごくせんもスクールウォーズも、気持ち悪いくらい学校という共同幻想に
フィットするように作られたドラマですよ。対幻想と共同幻想の逆立関係を部分的に描くものの、
最終的には対幻想と共同幻想との摩擦を解消し、教師と生徒たちとが学校という場で一つに
結ばれるという、学校が期待するお決まりの理想型へもっていくように描かれている。
学校教を強めこそすれ、弱める作品じゃないでしょう。

学園ドラマのなかで唯一の例外があったとすれば、TBS系列で放送された『キライじゃないぜ』。
これくらい。

373 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 03:43:43
>>368
吉本思想においては、共同幻想の対義語は個的幻想ではなく、
むしろ対幻想のほうですよ。
『共同幻想論』では、共同幻想は時代ごとに制度やイデオロギー
という仮像で現われるものとされています。

374 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 08:11:44
対幻想のレベルで愛され育まれた人は、
共同幻想の荒波に耐えられる...が吉本の主張でしょ。
対幻想と共同幻想は別に対立しない(逆立は対立とは全然ちがう)し。

それより共同幻想を背景に個人幻想を膨張させるような場合が
問題なんでしょ。単なる田舎ものが議員になると威張る、とかさ。
ダサい奴が先生として指導的な言説を吐くとかさ。


375 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 09:22:31
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。

吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。

自己幻想
個人と個人の関係。芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
対幻想
個人と他者とのプライベートな関係。家族・友人・恋人がこれに当たる。
共同幻想
個人と他者との公的な関係。国家・法律・企業・組合がこれに当たる。また、宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。
吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張する。


376 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 09:37:56
「共同幻想論」での説明は、3つの幻想とも共同幻想の観点からしか
説明してないのでそこに留意ね。
「心的現象論序説」のような人間心理に即した原理としての説明では違う。

「共同幻想」は一言でいうと観念上だけの関係性のこと。
「対幻想」の関係性は身体性をともなう。当然だけど。
「自己幻想」の関係性はもちろん自己言及性、再帰性によるもので、
たとえば神が擬人的な形態なのもそういう所に根ざしてるね。自己の形態が
規範になる認識しかできないからね。

それから既出だけど、「共同幻想」という概念はマルクス・エンゲルス全集の
「公的幻想」が原典。吉本の全集に書いてあるよ。

377 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 09:45:51
生徒にとって学校は対幻想の場でしかない。
問題を抱えた生徒と先生が対幻想的な関係で接するから人気があるんでしょう。
その結果生徒が学校に健全に通いだすのは、なにも先生が特別に強いたことではない。
問題がなければ生徒は学校に通います。しかし、それを眺めて共同幻想だなどと言い出すのは間違っている。

378 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 09:48:24
幻想、幻想ってうるせぇよ。
吉本が死ねば消える言葉なんだから黙ってろ。

379 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 09:52:41
すべての認識の原点が対幻想というのもあながち間違いではない。
たとえば宮台システム論の原点は1対1の関係性=対幻想だから。

380 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 12:39:24
うん。対幻想は起点だと思うね。

性の関係の意識を人間がもつようになったということが第一義的な形成であって、
そしてそこから自己を他と区別するという意識が第二義的に形成された、
そういう言い方をすれば、おそらくそうなんじゃないかなとは思います。

「現代思想 1976 特集=性 対幻想とはなにか vol.4-1」


てゆうか、この本なんか汚ねえと思ったら、オレより年寄りだw

381 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 12:53:18
>>374
>対幻想のレベルで愛され育まれた人は、
>共同幻想の荒波に耐えられる...が吉本の主張でしょ。

対幻想が自己幻想にとって共同幻想に対する免疫システムとして働くという
その意味するところは、あくまでも対幻想は共同幻想を敵とみなして攻撃する
拒絶反応の対象として認識することによって、つまり逆立関係にあることに
よって自己幻想を保障するということにその趣旨があるわけで。
逆立関係、つまり共同幻想に対抗する力を失った対幻想はもはや対幻想ではなく、
その偽装された似非対幻想によって育てられた子は、共同幻想に深く侵蝕された
不安定な自己像をつくってしまうということでしょう。

>対幻想と共同幻想は別に対立しない(逆立は対立とは全然ちがう)し。

なぜそういう結論につながるのか理解不能。
じゃあその「全然違う」という違いを説明していただけますか。

逆立とはむしろ、対立よりも強い相反関係を指す意味として使われているのではないですか。
つまり、対立は弁証法的(?)に乗り越えられるもの、和解し得るものとして仮定されるが、
逆立はそれをどこまで延長しても両立し得ないものとして表現されているのではないですか。


382 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 15:19:18
>381
時間を無駄にしたくないので。
まず「心的現象論序説」を読んだことあるかな?
経験的に「共同幻想論」の観点から吉本を読む人と見解が一致したことはないことを言っておくよ。

383 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 15:30:13
まず最初に、>>381のコンテキスが内包する矛盾を説明してくれないかな?
何を言いたいのかわからないので。

「逆立関係、つまり共同幻想に対抗する力を失った対幻想」
ならば、どうして
「逆立とはむしろ、対立よりも強い相反関係を指す意味」
となるのかな?

共同幻想に対抗する力を失うほど弱い対幻想が
対立より強い相関関係で「どこまで延長しても両立し得ない」とは?

384 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 15:32:39
>>381
>対幻想が自己幻想にとって共同幻想に対する免疫システムとして働く
全然聞いたことも読んだこともない見解だね。あなたのオリジナル?

>どこまで延長しても両立し得ないものとして表現されているのではないですか。
簡単に答えておくと、
どこまでも対立し矛盾するけど並立するというのが「対幻想と共同幻想が逆立する」の
意味するところだけど?

385 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 16:36:01
>>383
>「逆立関係、つまり共同幻想に対抗する力を失った対幻想」
>ならば、どうして
>「逆立とはむしろ、対立よりも強い相反関係を指す意味」
>となるのかな?

まずその、前者の「」の引用文が、文の途中で切断されて引用されてしまっているので、
引用元の文とは意味が逆転してしまっているように見えます。

「逆立関係」つまり「共同幻想に拮抗する力」を失った対幻想は「もはや対幻想とは
言えない」、したがって「偽装された似非対幻想である」というのが、そこで表現して
いる意味なので、前者の「」と後者の「」とはなんら矛盾しないはずなんですけれども。

386 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 16:40:32
>>384
>>対幻想が自己幻想にとって共同幻想に対する免疫システムとして働く
>全然聞いたことも読んだこともない見解だね。あなたのオリジナル?

いえいえ、>>374の「対幻想のレベルで愛され育まれた人は、共同幻想の荒波に
耐えられる」という吉本氏の主張を単に言い換えただけです。

>どこまでも対立し矛盾するけど並立するというのが「対幻想と共同幻想が逆立する」の
>意味するところだけど?

並立とはどういう意味ですか?
それは吉本さんのどういった表現に基づいて言っておられるわけですか?

387 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 16:42:44
>>382
>まず「心的現象論序説」を読んだことあるかな?

もちろん。しかし、

>経験的に「共同幻想論」の観点から吉本を読む人と見解が一致したことはないことを言っておくよ。

の深意をもっと詳しく説明していただけませんか。

388 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 17:36:06
>>387
「深意」ではなく事実として。「見解が一致したことはない」な。
そのヒント?は「心的現象論序説」に書いてあるけどね。
「序説」の書かれたスタンスとその後の「心的現象論」などは、
ある意味で全然違っている。これが吉本が「序説」を封印した
真意だと考えてるのが私のオリジナルな見解だけどね。
どういう意味かは自分で探究するくらいでないと。確かに訊ねるのは
簡単だけどさ。

389 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 17:37:30
>>385
では最初に戻って
>>374
>>対幻想と共同幻想は別に対立しない(逆立は対立とは全然ちがう)し。
は別の言い方をすると「対幻想と共同幻想は逆立する」
あるいは
「逆立の関係にある」
となるが。
これをアナタは肯定するの否定するの?
まずそこから。

390 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 17:45:07
>>389
そうやって同義反復をただ繰り返されてもですねえ。
逆立と対立とが全然違うところはいったいどこだとおっしゃりたいんでしょうか?

391 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 17:58:31
・吉本隆明新刊情報!

1.『吉本隆明詩全集』(思潮社)刊行開始!第1回配本は以下の通り。
第2巻『日時計篇(上)』
第5巻『定本詩集』

2.DVD2枚組『シンポジウム 太宰治を語る』

392 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 18:46:07
逆立は対立を包含する、ただそれだけ。
しかし、逆は成り立たないし、
吉本の理論としても単なる対立という解釈は間違い。
それから弁証法としてもね。間違いは間違いだから。

393 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 18:50:38
>>390
だから
「対幻想と共同幻想は逆立する」
を認めるか、認めないか?
がまず問題だろ?

このシンプルな問いだけでも、
デッドロックに追い詰められちゃうのかな?

394 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 18:53:51
>>392
>逆立は対立を包含する、ただそれだけ。

ただそれだけじゃ、あなたの書いてきたことの筋が通らないでしょ。
あなたは「対幻想と共同幻想は別に対立しない」と言い切っていた
わけだから、それをもって逆立と対立は全然ちがうとまで書いていた。
「包含する」じゃ意味が通らない。

395 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:00:52
>>392
>逆立は対立を包含する、ただそれだけ。

対立が逆立の部分集合になっている指摘だけなら、私への反論にはならないでしょ。
私のいったい何に文句をつけたかったの?

396 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:01:11
もちろん「対幻想と共同幻想は別に対立しない」。
対立ではなく逆立するだけ。

ほら答えたぞ。今度は君が答えてごらんよ。
まずそこからじゃないか?

シンプルな問いだぞ。
「対幻想と共同幻想は逆立する」
を認めるか、認めないか?
これは吉本のことばそものだろうしね。

397 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:02:55
「対幻想と共同幻想は逆立する」
を認めるか、認めないか?

これに答えることで吉本をめぐる論議を踏まえるだろ?
キミはなぜ言葉ジリをとらえて必死になる?
ヒステリーです、か?

398 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:12:07
>>393
>「対幻想と共同幻想は逆立する」
>を認めるか、認めないか?
>がまず問題だろ?

(°Д°)え? どの話の文脈でそのことを問題にしているのですか?
私は逆立する関係ということを再三強調してきているはずですが、
なぜそれを今さら聞くのですか。

>>396
>もちろん「対幻想と共同幻想は別に対立しない」。
>対立ではなく逆立するだけ。

包含するというのならば、対立を否定形にするのは矛盾しているでしょう。

399 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:17:48
では別のアプローチで....

>>385
>「逆立関係」つまり「共同幻想に拮抗する力」を失った対幻想は「もはや対幻想とは
>言えない」、

この「「逆立関係」つまり「共同幻想に拮抗する力」を失った対幻想」というのが
理解不能なんだ。理解するとすれば、自説の正当化に固執してるだけじゃないかな、と。

「逆立関係」が「共同幻想に拮抗する力」を失った対幻想....とは何のことだ?
この支離滅裂ぶりも理解不能なんだよ。

400 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:20:49
>>398
>私は逆立する関係ということを再三強調してきているはずですが、

ん?
私の大きな誤解なのか?
では、まず確認するが、
「対幻想と共同幻想は逆立する」というのを認めるんだね?

401 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:50:11
>>394
>「包含する」じゃ意味が通らない。

この辺りでキミの資質がわかる気がするな。
浅田彰が吉本を解らないといったのと似てるニュアンスがあるかな。
一方で橋爪をはじめ吉本をわかりやすいという人がいる。
どのようにアタマが違うのか、興味がもてるよ。
アタマというよりキャラだろうが。

402 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:53:16
>>399
>「逆立関係」が「共同幻想に拮抗する力」を失った対幻想....とは何のことだ?

逆立関係、即ち共同幻想に拮抗する力、その抵抗力を失った対幻想はもはや対幻想
とは言えない似非対幻想であり、その偽装された似非対幻想によって育てられた子は、
共同幻想に対する自己の免疫不全状態に陥る・・・

「(逆立関係=共同幻想に拮抗する力)を失った対幻想」≠「対幻想」
∴「偽装された似非対幻想」

403 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 19:55:18
「対幻想」という言葉も「共同幻想」という言葉も出てこない
「心的現象論序説」を理解できて、
たかだか2ちゃんねるの、たかだか私の一言二言が解らないと、
という者への疑念や嫌悪は隠しきれないかもな。(w

404 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 20:05:09
>>402
>∴「偽装された似非対幻想」

ああ、是非は別としてとってもいい問題提起だと思うが、
説明しても理解できないだろうな、と思わせるなキミは。
「偽装された似非対幻想」は「幻想」として当然であって、
すべてが対幻想だというのが「序説」の基調だからさ。
いきなり「共同幻想に対する自己の免疫不全状態に陥る・・・」
という文学的な表現をされてもね。
いいたいことは解るが....。

405 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 20:06:51
>>401
そうやって話を横に逸して誤魔化さないで説明してください。

406 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 20:17:11
>>405
では、繰り返し確認するが、
「対幻想と共同幻想は逆立する」というのを認めるんだね?

まずそこからだな。
連投規制されたんで、無駄な解答はしないぞ。(w

407 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 20:18:43
>>404
引用元の文を文脈を無視して途中で切り落として引用されてしまったので>>383
>>381で表現した文意全体が歪曲されてしまいました。

>「偽装された似非対幻想」は「幻想」として当然であって、
>すべてが対幻想だというのが「序説」の基調だからさ。

その「序説」解釈にずいぶん拘りますね。それだとフロイトと一緒になっちゃいません?

>いきなり「共同幻想に対する自己の免疫不全状態に陥る・・・」
>という文学的な表現をされてもね。

「共同幻想という荒波」のほうが文学的表現だと思いますけど。



408 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 20:36:10
>>406
認めるって、吉本思想に批判的かそうでないかということですか?
認めますよ。

>>404
>「偽装された似非対幻想」は「幻想」として当然であって、

偽装された対幻想というのは、要するに、共同幻想が対幻想の偽装の下に
あらわれてくることを指しています。
つまり家族には社会的な制度としての共同幻想的側面もあるわけで、
もちろん家族=対幻想ではありませんから。

もしかして>>376を書いた人ですか?
共同幻想と対幻想の関係を精神と物質(身体)の関係にそのまんま置き換えた
ような表現をしている人?

409 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:16:23
読み返したら>>375の説明は大きな間違いだなあ。ダイジョウブかあ?
>自己幻想
>個人と個人の関係。芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。

「個人と個人の関係」は対幻想。
「他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由」も違う。
自己対象性に制約されていて、それほど自由な認識はもてない。
>>376のとおり。

410 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:33:05
>>409
自己の自己に対する関係(フーコーみたい?)と書くつもりだったのでしょうか。

411 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:45:49
自己への配慮だっけ? フーコーさんの言葉。

412 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 00:52:33
>>375
共同幻想=国家、法律、企業、組合っつーのもひどい定義だな

幻想領域(上部構造)だとはっきりいわれているのに、下部構造に入る企業、組合とかも入れてるって、どういうこった
そんな理解だから「学校という共同幻想」とかアホなことを言い出すんだろ
幻想だから、実体がないんだよ
吉本の言い方だと、それは人が共同世界での生活を強いられる上で必然的に生みだす宗教であり、法であり、国家であるんだろ
おれは>>368だけど、会社だの学校だの組合だの下部構造に入れられるべきものを「共同幻想」に入れてる人が多いの見てあきれたよ
そんな理解だから、学校という共同幻想は破壊すりゃいいとか学生運動まがいの単純な結論になっていくんだろ
冗談じゃないよ

413 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 00:57:12
その辺は岸田秀の唯幻論だな。

414 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 07:38:57
岸田の幻想論は吉本の用語の受け売りで、
しかも全部が「唯幻想」という代物だもんな。
宮台の「学校幻想」とかいう言い方も誤解を招くよ。

415 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 09:04:09
>>412
学校が下部構造だとは恐れ入ったな。学校と組合とを一緒くたにするなよ。
学校制度は国家直属のイデオロギー装置でもあるだろ。
あんたの言い方だと、司法制度から国会から行政機関まで下部構造にすっぽり収まることになる罠。

416 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 09:32:35
>>412
>共同幻想=国家、法律、企業、組合っつーのもひどい定義だな

この定義は、これだけでは一概に間違っているとはいえないと思うけどなあ。
共同幻想は大きな共同体(国家)からどんな小さな共同体(組合)までも含めて
考えられているんじゃないのか。

>幻想領域(上部構造)だとはっきりいわれているのに、下部構造に入る企業、組合とかも入れてるって、どういうこった
>そんな理解だから「学校という共同幻想」とかアホなことを言い出すんだろ

そりゃー、各々の社会集団には上部構造的要素と下部構造的要素とがあるだろう。
家族にしたって、対幻想としてのそれと再生産様式としての下部構造的な要素とがあって、
それらの矛盾と妥協の産物として出来上がっている。

>幻想だから、実体がないんだよ

対幻想も幻想だから実体がないのか?

417 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 09:34:48
>>413
>その辺は岸田秀の唯幻論だな。

だね。>>368なんかを読むと、むしろ岸田っぽいなあ。

418 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 10:38:55
>>416
>対幻想も幻想だから実体がないのか?

実体がないでしょう。
現象的には男女、家族といった形で実体があるようにみえるけれど
本質的にはセックスおよび性的な親和感を媒介とした幻想です。
よって不可視ですよ。
共同幻想も不可視でしょう。
吉本氏は国家機関と国家意思というものは区別されなくてはならないと
盛んに言っていますね。
吉本氏が共同幻想と言っているものは、国家意思の部分でしょう。

419 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 11:20:47
>>418
そうですね。まったく同感です。

420 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 11:56:06
>>418
>実体がないでしょう。

たしか上のほうに、共同幻想は完全に観念上の関係だが、対幻想は身体を伴う関係だ
という対比によって、まるで後者には実体があるかのようなニュアンスで書いていた
人がいたもんで、そこにちょっとツッコミを入れてみました。

>吉本氏は国家機関と国家意思というものは区別されなくてはならないと
>盛んに言っていますね。

国家意志、国家信仰の水準の問題なんですよね。組合と組合意志とのね。
ちなみにその区別は、家族と対幻想との間にも同様に成り立つはずなんですけれども、
吉本さんはこちらのほうはあまり強調なさらない気がします。
家族の危機というか、対幻想の現代的危機を論ずるためには、その区別をはっきり
言明しておくことは特に重要なはずなんですけれども。

421 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 13:59:49
ギデンズやベックは第二の近代として再帰的近代ということを言っている。
それに対して、ポストモダン思想などと言われる側では、ミシェル・フーコーが考え、ジル・ドゥルーズが延長した図式、
ソヴリンティからディシプリンを経てコントロールへという図式があるんですね
(フーコー自身は、早すぎた晩年の講義録などを見ると、ソヴリンティ/ディシプリン/セキュリティという三幅対で、
ただし歴史段階論的にではなく考えていたようですが)。
ソヴリンティ(主権)とは、要するに君主権ということで、神とか王とか父とかいうような超越的な<他者>がすべてを律している、
つまり個々の人間にとっては他律(ヘテロノミー)ということになります。
その次のディシプリンというのは、もはや神とか王とか父はいない、だけど、個々の人間が規律・訓練を通してそのような他律を体に叩きこまれ自分で自分を律するようになる
(「経験的=超越論的二重体」としての「主体」になる)状態です。
しかし、すぐキレると言われる最近の子供を見てもわかるように、幸か不幸かディシプリンはもはや機能不全に陥り、いまや、主体化されない人間たち、
バラバラのボディ・パーツの集合、一瞬一瞬で移ろう解離した感覚の束みたいな人間たちが、アノミーに近い状態で浮遊している。
となると、情報ネットワークでそれらを直接に監視/管理するほかないということになり、これがコントロールと呼ばれるわけです。
子供がキレるというなら、ディシプリンによってモラルを内面化するのはもう無理だから、金属探知機でナイフを取り上げろ、
あるいはもっと広く宮台さんが言われたような意味でのアーキテクチュラルな枠組みの中に囲い込んで、本人が快楽を求めて行動することが自ずと秩序に同調するような形にしておけ、と。
ともあれ、ディシプリンがうまくいかなくなればコントロールしかないということになり、それがセキュリティ神話と結びついて、
自然現象から社会現象に至るまですべてを情報ネットワークでコントロールしよう、監視し管理しようということになるんですね。

422 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 14:57:10
ドゥルージアンによるフーコーのそういう読み方はいつも納得できない。

423 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 20:21:52
>>420
「共同幻想は完全に観念上の関係だが、対幻想は身体を伴う関係だ
という対比によって、まるで後者には実体があるかのようなニュアンスで書いていた」
....私だが、何か?
ずいぶんスレの発言が続いてるな、、。

なるほどキミの理解が解ってきたが、今言えるのは「序説」とは違うな、だけだな。
「序説」の対幻想から演繹できたのは宮台の権力論だけみたいだな、どうも。

対幻想に実体が無いのか?
逆に訊ねると、何に実体があると思う?
あるいは何なら実体だと思う?

面白いぞ、この問題は。

424 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 20:30:06
それから環境管理型の権力はマクドの例のようにヘーキで失敗する。
椅子を硬くしても業績悪化を招いた事実は笑い話にしかならない。
対幻想は主体の思い込みにより自縛する。これは実体なしの場合でも
成立する。それが<幻想>の意義だろうね。

しかもフーコーは自らの思想を失敗だったかもしれないとかなんとか思っていたらしい
ことを吉本が指摘しているが、それは何についてなんだろ? 知らない?

425 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 20:33:24
監視カメラも犯罪抑止にならないことがバレちゃったしなあ。統計的にもね。

426 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 20:37:22
フーコー関係の参考文献で、吉本とフーコーの対談である「世界認識の方法」が
必ず外されているが、どうにかならないのかね、そういう事態は。

427 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 21:49:11
>>418
性経験無さ過ぎだよ。お前さん。プッ

428 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 00:26:10
エッチほど幻想的なものはないよ。幻想が膨らめば膨らむほどエッチの快感も増すのだ。

429 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 11:45:01
いんにゃ、期待外れってことも多々あるぜ。

430 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 15:27:06
それだって相手の嗜好する快楽幻想と自分のそれとが一致するかしないか
って幻想間関係の問題だろ? 一致すれば最高のエクスタシーに達する。

431 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 15:29:46
>>426
よーわからんけど、吉本隆明著となっているからじゃないの?
その対談の章は、フーコー著とされている他の書には収められていないのかな?

432 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 15:34:44
>>304
それはコミュニケーションの非対称化としての権力観で、
それだけならべつに有り触れているのでは?

433 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 20:53:19
>>425
フーコーとそれとは関係ないと思うけど、日本の交番制度が治安がいいと
された日本に見習うべきお手本と見られて一時期諸外国から注目されたことが
あったらしいけど、あれも同様に嘘だったらしいね。
交番制度を真似したけれども、実際には治安効果はなかったとかどうかで。

434 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 08:14:50
桜井哲夫のフーコー本を買おうと思ったが、確かに吉本との対談だけ除外してあったよ。
あれだけすれ違った対談なら、逆に参考になると思うがな。生きてたらリターンマッチだろ。

435 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 12:16:33
フーコーはべつに一望監視体制に犯罪抑止効果があるなんて言っていないはずだよね。
それどころか犯罪再生産効果があって、監視権力との間に一種の共犯関係が成り立って
いるということすら指摘していなかったっけ?

436 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 13:29:55
「国家は共同幻想だというのは、内部から見たときのみいえることです。
 国家は、何よりも他の国家に対して国家なのです。共同幻想という考えは、
 そのような外部性を消してしまいます。」 柄谷行人『倫理21』

 他の国家に対して国家であることが、国家が共同幻想であることを支えている。
 柄谷の国家論は、補完であって、吉本国家論の批判にはならないのではないか。
 

437 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 14:15:30
>>436
そうでしょうね
他の国家でも国家の成立について
それぞれの民族の神話などで再構築して考察してほしいね。
共同幻想としての国家の成立の原初的な形態がどのようなものか
世界の古代国家成立の考察をする。
それと現在の国家とを連結させてみる。
柄谷行人の外部性としての国家論の限界は
共同幻想としての国家論を組み込んで徹底考察ないことですね。
いはば外部性だけで考察している。
これでは国家解体や超克の理路も真に見えてこない。




438 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 14:44:33
>>436
それは「国家は共同幻想である」といわずに「国境は共同幻想である」といえば
片付くことではないかな?

439 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 14:47:41
ただしこれは吉本思想とはあまり関係がないと思う。
吉本思想にとって共同幻想はあくまでも対幻想に対するそれだから。

440 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 20:36:28
つーか心的現象としてどのように個人の心理の内面に共同性が生成結実するかでしょ?
柄谷の言い分は国家機能として処理できるし。
問題はどの問題も(経済も政治も)個人の心理がどのように外化し、実体化するかについて
考えてないことじゃない? 既に外化しちゃったものを考えるのは簡単だけどね。

>>437
それが『アフリカ的段階』での孝察ではないの?

441 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 20:47:56
>>436
柄谷なんて、ちょっと頭のいいクリスチャン。
お前こそ「キリスト教の内部から見て、外部性を消している」
と言いたくなるね。


442 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 21:00:47
>>440
というより母型論では?

443 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 21:17:14
柄谷の方が吉本なんかより上に決まってるでしょ。
日本にいて日本語だけしか知らずに日本のことが分かるかよ。

444 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 23:36:39
>>436
そこで柄谷さんが言っている外部性っていったいなんのことだろ?
「国家は、何よりも他の国家に対して国家なのです」ということだけを
言っているなら、それは>>438が書いている「国境は共同幻想である」と
言い直せば「国家は共同幻想である」という命題と矛盾しない。
共同幻想は常に外部を必要としている。しかしその外部性は果たして
他の国家なのか。近代国家の条件が国際的な承認を前提として成り立って
いるとしたら、その共同幻想はもはや国際的な共同幻想という側面をもっている。
共同幻想はどこまでも拡張可能だ。果たして他の国家は外部性なのだろうか。

445 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 23:57:23
共同幻想など様々にあって、幾重にも重なり合っているが普段それほど
自覚はしない。
もし天皇が外国に行って国務大臣レベルが接待したら多くの日本人は憤激するだろう。



446 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 00:06:23
>共同幻想としての国家の成立の原初的な形態がどのようなものか
>世界の古代国家成立の考察をする。
こりゃそのままアフリカ的段階しょ!

447 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 00:26:55
アフリカ的段階での国家の成立の初源は地域(地球的規模の)
によって違うと思う。そこを考察すれば
吉本の共同幻想としての国家論はますます世界性を持つと思う。


448 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 00:51:44
なんかこのスレ他と比べて異様な熱気があるw

449 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 01:38:19
他の国家は外部性(他者性)あるでしょう。
すんなり内面化できるなら苦労しないよ。

450 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 01:48:28
世界中の国家のなかで自分達の国家の由来を
成立の次元までさかのぼって考えるということですね
現在の国家の問題と原初の国家の問題が連結する。
そこで自分の国家の未来を考える。
いわばお互いの認識が境界を越えて通底する。
そしてそこからはじめて
なにかが本当にはじまる。

451 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 02:14:05
>>449
アメリカや中国に他者性あるか?

452 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 02:20:51
日本にとって他者性あるに決まってんだろ

453 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 08:39:07
>>444
<国際的な共同幻想>というのは
国家にとって自己矛盾ではないか。
国家が本当に国際的になれば
たとえばひとつになれば国家は消滅するのでは?

454 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 08:50:17
共同幻想って他者性そのものじゃないの?

455 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 09:35:44
日本は単一民族だから共同幻想などといいたくもなるのでしょう。
様々な人種が暮らす外国でこんなこといってたら笑われますよ。

456 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 09:54:13
母子関係なんていってるけど、柄谷さんは責任と認識は分けるべきといっている。

457 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 10:05:49
「天皇というコトバには、戦争の支社の匂いがこびりついている。
中略・・・戦争の支社が無言のうちに追及してきたのだ。わたしのノイローゼ症候には、
しばしばこの種の死せる大衆の声がきこえたものである。」『天皇制をどうみるか』

しかし、これは本当に「死せる大衆の声」なのでしょうか。
天皇の戦争責任を追及するのは、死者ではなくて、生者です。それは死者の意志を代行することではない。
自分の意志としてそうすることです。もし吉本隆明がその後に変わったとしたら、彼が変わったのであって、死者ではない。<柄谷>

458 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 10:28:54
>>436
「井の中の蛙は、井の外に虚像を持つかぎりは井の中にあるが、
井の外に虚像を持たなければ、井の中にあること自体が井の外につながっている」
(日本のナショナリズム)

これはその柄谷氏の発言より数十年前の文章ですが、
これだけで、十分に柄谷氏への解答になっているでしょう。
吉本氏は外国へ行かないと日本のことなぞ分からない、という認識自体を全く否定しています。
自分がいまいる場所から世界認識、世界把握ができないのならば、
世界というのはいったい何の謂いなのかと。
柄谷氏は外部から把握しなければ日本国家の姿は見えないなどと言いますが、
皆さんがご存知の通り、外国人の日本に対するイメージなぞどれもこれも誤解だらけでしょう。
それこそが「虚像」だと吉本氏は言っているのです。
そしてその人間が外部へ持つ虚像を解消していくための過程が、
イコール国家という共同体内部の共同幻想を解消していく過程でもあるのだと、
こう言っているのです。
柄谷氏の主張には納得できる点もありますが、
やはりそれと裏腹に「虚像」を掴まされる危険性は多分にはらんでいるのです。


459 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 10:59:00
>457
 あなた自身は何がいいたいの?


460 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 11:03:37
>455
様々な人種が暮らすアメリカで共同幻想が機能していると感じないのか?
特に9・11以降。

461 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 11:29:38
三浦「吉本さんが違うなと思ったのはここ3年くらいだけど」
蓮實「吉本さんにはこれからもどんどん転向して、美しい日本語主義を放棄してもらおうじゃないか」
浅田「吉本隆明って人はもともとなにもないんじゃないの?」
柄谷「吉本さんは残念に思った」

462 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 11:42:41
>461
 あなた自身は何がいいたいの?

463 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 12:29:33
柄谷風に言えば国家と国家の非対称性は解消出来ない。
平時でも細かい部分でいろいろあるし
危機の時は他国の他者性が決定的に露呈する。
超大国アメリカですら小国の他者性に手を焼いている。

464 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 12:48:27
>>455
日本が単一民族?
吉本氏に文句付けようとするのは自由だけど、
無学じゃどうしようもないですね
もうちょっと、勉強しようよ
恥ずかしすぎる

465 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:19:24
吉本氏と柄谷など他氏の国家論がどうしてもかみ合わない原因は、
やっぱり他氏が国家という用語で「国家機関」つまり実体としての固定された国家を語ってしまうのに対し、
吉本氏は「国家意志」つまり実体のない幻想としての国家を問題にしているからではないかな。
吉本氏は徹底して国家意志と国家機関を分離して、
決して共同幻想それ自体を実体化しようとはしていない。
実体としてある国家は政府機関それだけだと断言している。

吉本氏は、共同幻想論の序にこう書いている。

「それまでわたしが漠然ともっていたイメージでは、
国家は国民のすべてを足元まで包み込んでいる袋みたいなもので、
人間はひとつの袋からべつのひとつの袋へ移ったり、旅行したり、国籍を変えたりできても、
いずれこの世界に存在しているかぎり、人間は誰でも袋の外に出ることはできないと思っていた。
わたしはこういう国家概念が日本を含むアジア的な特質で、
西欧的ナ概念とまったく違うことを知った。」

これに沿って言うと、柄谷氏や今ここに書き込んでいる人たちの一部は、まさに
「国家は国民のすべてを足元まで包み込んでいる袋みたいなもの」
と思い込んでいるのではないのかな。


466 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:24:26
 個体の心をどうみるか、て位相で吉本はやはり現代思想の分野で独特ですね。柄谷は個体というのは結局不可知、という立場で、精神分析は事後的にのみ成立するに過ぎないとする。
 宮台にしても、個体の心への考察は最小限にし、踏み込まない。→

467 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:28:41
→酒鬼薔薇事件を例にとると、当時の「人格障害」「ボーダーライン」といった、メディアの識者の見解に触れて、それが無意味であることを指摘し、実は問題は現代の共同体の崩壊や学校化社会の方にあることを喚起した。
 吉本の場合、→

468 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:34:49
→『心的現象論序説』『同総論』で苦闘しながら個体の心への考察を続けてきた、だから個体の行為において心的領域への考察を排除しないですね。酒鬼薔薇事件の時もそうで、10代を取り囲む状況の厳しさや閉塞を指摘もしますが、あの少年の犯罪自体は→

469 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:38:56
→大きく母子関係に起因しているだろう、と考察してました。母親が問題だ、という、今のいじめ問題にまで延長される問題意識を披露していました。
 つまり、個体の心を無視しない。だが、心理学者やメディアの流通させる→

470 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:44:06
→既製の心理学的カテゴリーには頼まず、自分のこれまでの研究から割り出してゆくという方法。これが徹底している。反心理学からも、また流通する心理学からも離れている。そこが独特だと思いますね。

471 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:57:08
だって非学問だもの

472 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 13:59:00
>>444
吉本さんにとって共同幻想の外部(他者)は他の国家でも国際関係でもなく、
対幻想だけであって、それが吉本さんにとっての共同幻想の意味するものでは?


473 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 14:24:25
柄谷氏の共同幻想の内部とか外部とかいう言い方自体が、
すでに「幻想」であるものを実体化してる何よりの証左でしょ
吉本氏は、別にそんなことは言っていないのに

474 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 14:42:20
柄谷は唯物論者だからな

475 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 14:58:21
やっぱり柄谷氏も、国家機関(実体)と国家意志(幻想)を徹頭徹尾分離する、
という吉本氏の考え方をまったく理解できていないね
国家意志に袋のような実体があるかのように触れ回っているだけ
だから袋全体を把握するには外部から観察しないと分からない、
などという頓珍漢な結論を導き出してしまう
吉本氏は、その袋自体がないんだ、実体がないんだと言っているのに

476 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 15:21:13
>>465
一見西欧的に見える柄谷氏こそアジア的という指摘は面白いね

477 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 18:45:28
>>475
その理解はちょっとおかしいんじゃ?
吉本さんは観念としての袋みたいなものがあると考えてアジア的共同幻想
という概念を提示しているわけだから。
つまり、物理的実体としての袋はないし、袋という言い方はあくまでも比喩に
過ぎないけれども、観念ないし意思としての内部と外部意識はあるんだよ、と。
そして、柄谷もその意識としての内部と外部を問題にしているんじゃないの?

478 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 18:57:12
現実には「個体」しかなくて、どうして「類」が成り立つのかというマルクスの
問題提起(「経済哲学草稿」)は吉本さんにとっても原点でしょ。
マルクスは男の女に対する関係の中に人類のすべての関係がある....とかなんとか
いってるんで、それが対幻想のヒントになってる。
マルクスはそこから演繹して資本論までいった。吉本さんはそこから演繹して
さらに観念の弁証法として幻想論(観念論)に到達し、それを汎対幻想のフロイトへ
援用することで完成させようとした。フロイトに3つの幻想領域の位相を持ち込んで、
その相互の関係について孝察をすすめた....というのが自分の解釈だけどさ。
幻想の生成の段階を孝察すると心的現象論と、幻想が成立した後の緒関係を考察する
共同幻想論じゃそのまま同じ方法論でアプローチできないのかもね。少なくとも困難。

479 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 19:01:08
柄谷さんのいう、「国家は共同幻想である」という言い方は外部ないし他者を消してしまう
というのは、吉本思想そのものへ向けられた批判というよりは、その言葉が吉本思想の
全体像から離れて一人歩きしてしまっているかぎりでの表現を指しているんであって、
そこを語っているだけじゃないのかなあ?
吉本さんは、アジア的とかアフリカ的という概念をもってして、地理的かつ歴史性を踏まえた
共同幻想間の差異というものを捉えようとしている意味で、欧米諸国の国家幻想からみた
外部とか他者というものをはっきり問題にしているし、それをさらに根源的な、つまり対幻想
が共同幻想を外部ないし他者として疎外・表出する視点からダイナミックに捉えようとしている。

480 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 19:02:22
つーか<実体>といっても<実体>の定義が?でしょ。
吉本は<反復>されるものは<実体(化する)>とみてるみたいだから。
ライプニツ以来の<反復>を導入してるはずだと思ったけど。

481 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 19:05:19
>>466
>宮台にしても、個体の心への考察は最小限にし、踏み込まない。→

それは自己のジャンルをわきまえてるからじゃないかな。
だから逆に心理学者が社会的問題を語るのは無理とも言ってるしね。
吉本はノンジャンルがウリだから、いいけどさ。

482 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 19:12:18
>>478
心的現象論だけで吉本思想を捉えると、どこまで行ってもフロイト学派
の範疇から一歩も出ないフロイト主義の延長で終わってしまうんじゃない?

483 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 19:13:49
>>466
吉本さんはけっきょく方法論的個人主義なわけ?

484 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 19:30:34
>>478
方法論的個人主義によるアプローチと構造主義的アプローチは相容れないという意味?

485 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 20:04:13
>>482
いや、だからフロイトに3つの幻想の位相を持ち込んだからOKでしょ。
フロイト主義というレッテルを貼るのは自由だけどね。
政治も貨幣も国家も、認識するのは個人の心だから。心抜きの方がオカシイ。
オートポイエーシスのシステム論のように神経の培養から演繹された学もあるしね。

>>484
構造の主体も個人だよ、ということでしょ。
フーコー的な主体の解消の問題はもう解決されてるし。
原核細胞生物が発達して今日人類の世界が成立しても、
それを認識するのに方法論的な切断が必要なわけじゃない。
遺伝子解析だけで原核から人間まで解析できるからね、ある程度。
同じように心から、特に相手に対する認識という対幻想から解ることは多いでしょ。
ラカンはエディプス△という三角関係をベースにするけど、これは対関係が3つ
複合してるだけだしね。

486 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 20:39:23
>>485
> いや、だからフロイトに3つの幻想の位相を持ち込んだからOKでしょ。

だからそれはもはや、>>478さんの言い方では「幻想が成立した後の緒関係を
考察する共同幻想論」になるという話でしょ?
それを心理的現象論から切り離して云々すると>>482のように言われるんであって。

>>485
> 構造の主体も個人だよ、ということでしょ。
> フーコー的な主体の解消の問題はもう解決されてるし。

どう解決されていると言うの? 構造主義も方法論的個人主義に回収されたと言いたいの?
個的幻想でなく、対幻想からいかに個的幻想が生成されるかが精神分析学的命題でしょう?

487 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 21:41:24
>>486
まあ3つの幻想の位相のひとつが共同幻想だからそれでOKでしょ。
ここで問題なのは対幻想から遠隔対称化して共同幻想が生成されるけど、
その逆はないということね。共同幻想から対幻想へ溯行的な分析はできない
ということ。これは吉本はどこかで触れてるけど。それが自分が共同幻想から
入る見解にはあまり価値を見出さない理由だろうな。吉本と同じで。

構造主義への評価なら「構造と力」の評価でOKでしょ。
構造主義のリミットとしてのラカンという浅田の指摘は正しい。
そして超えるものとしてニーチェ・フロイト・マルクスを指し示しているのもマル。
ただその後を浅田は示していない。そこが残念かな。

>個的幻想でなく、対幻想からいかに個的幻想が生成されるかが精神分析学的命題でしょう?
これは大きな大事なテーマだね。
「個的幻想が生成される」領域とある種排他的に共同幻想が生成するけどね。
それが<逆立>の実相だし、その2項の関係が遠隔対称性であるわけ。
起点は<時点ゼロの双数性>と表現できるかな。

488 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:27:45
 柄谷が吉本を理解できなかった、今も誤解したままだという点には誤解の余地はないだろう。
 柄谷の「ライプニッツ症候群」には読んでて苦笑するヶ所が多数ある。
 自身が判らないにもかかわらず勿体ぶった言い方ばかりしているのが上記の特徴だ。→

489 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:32:24
→《したがって、彼(註吉本)はつねに(!)作品から情況を読み、情況がいかなるものかを問い続ける》
 吉本でなくとも作品から情況を読むことはあろうが、《吉本がつねに作品から情況を読む》など聴いたことがない。そうして次頁では→

490 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:43:00
→そうして、吉本にとって「作品」とは、ライプニッツのモナドと同じで《吉本が言う「情況」は、個々の作品に「表出」される他の作品との相互関係性そのものだといってよい》とする。これまたそんなこともあるという意味合いしかないことを大袈裟に書き連ねている。→

491 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:50:06
→キリがないがもう一つ。
《しかし、それ(註関係の絶対性)が意味するのは、「絶対的な」立場に立ち得ないということなのであり、まさにそのことが「関係の絶対性」なのである。》
 吉本はあくまで“絶対的な関係”を「関係の絶対性」と名付けた。→

492 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:52:09
柄谷は誤解自体が壮大なんで、
かえってそれがバレないようなところがありますね。
だんだんダメさが激しくなってきてるのが怖いですけど、柄谷って。

493 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:53:29
→《それが意味するのは、「絶対的な」立場に立ち得ないということ》などとなれば即座にそれは絶対的ではなくなる。
 柄谷は裏読みしすぎなのだ。それで自分自身わけが判らなくなるタイプなんだと思う。

494 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 23:13:36
吉本隆明氏の共同幻想論は、一見古びているように見えながら
未来の国民国家消滅まで射程に入っている超モダンな時間的スパンがある。
なぜなら、対幻想から共同幻想が分離生成していく過程を最初までたどり切っているから。
吉本隆明氏の理解では、過去をたどりつくすことは未来をたどりつくすことと同義であり、
最初にたどりつけば最後にたどりついたことになる。
つまり少なくとも原理としては、共同幻想論によって国家がどうやって消滅していくか、
そのイメージを明確に把握できたことになる。
柄谷公人氏や浅田彰氏の議論には、そういった時間的なスパンの広さが感じられないんだな。
国家を固定的に捕らえ、その中で構造がどうあるべきかという論議はあってもl
国家自体が流動的なものという論議がない。
つまりはっきり言って、柄谷氏や浅田氏の論議は、国家の消滅と共に消滅していくほかにない。
それだけのものだと思う。それだけでも十分たいしたものとは認めますが。
ただ、吉本隆明氏はさらにその国家の消滅後に来る最後の最後の問題として、
ひそかに心的現象論を想定しているのだと思う
これが時間的スパンから言えば氏の論の中でも最も長い射程を持っていることは疑いないでしょう。
人類の消滅まで視程に入っていると思います。

495 :  :2006/12/02(土) 23:45:09
柄谷さんへのけちが多いけども。
矢印さんもそうだけど、柄谷さんと吉本さんとのけちのつけあいは
我々は見なくていいんだよ。まったく見なくていい。
柄谷は、立派な仕事をしてるよ。
このトビで書かれている柄谷への評価は全くあたっていない。
皆さん、柄谷と吉本さんのけちのつけあいなんか見ないでそれぞれの仕事をよく
理解しようよ。
誰かが柄谷は唯物論者だとか言っていたが、冗談じゃないよ。
吉本さんと柄谷との共通点を見出せれば、彼等の思想の本質を理解する手立てに
なるよ。
浅田は柄谷に擦り寄っているが、柄谷のことを本質的には理解していない。
柄谷と吉本さんは互いを理解できる反面、似かより過ぎて近親憎悪担っているんですよ。

496 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 23:52:06
浅田さんは吉本にはなにもないと思っていて、柄谷には評価すべきところがあると言っていますよ。

497 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 00:07:10
>>495
吉本と柄谷の共通点って何?
一応両者とも読んでいるんだけど、共通点は幾つかの主題ぐらいしかないと思うんだけど・・・

498 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 00:31:38
>>494
何かいってるようで無内容な文章の典型

499 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 00:48:43
>>487
>これは吉本はどこかで触れてるけど。それが自分が共同幻想から
>入る見解にはあまり価値を見出さない理由だろうな。吉本と同じで。

というか、あの『共同幻想論』だってタイトルは共同幻想と銘打っているけど、
主題になっているのはむしろ対幻想でしょう?

>>個的幻想でなく、対幻想からいかに個的幻想が生成されるかが精神分析学的命題でしょう?
>これは大きな大事なテーマだね。
>「個的幻想が生成される」領域とある種排他的に共同幻想が生成するけどね。

対幻想以前に、個の心的現象があるという言い方をされているように見えましたが・・・
ですから、方法論的個人主義っぽいな、と。

500 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 00:54:49
吉本隆明は中上健次・三上治との鼎談(『解体される場所』1989年)で
柄谷行人・浅田彰らへの「最大の批判の観点」を「知識というのをどう
していいのかということが処理できていない」ことだと述べている。
「知識というのをどう処理するんだという……知識というもの、知識で 
 ないもの、あるいは知でないもの、知を持たないものに対して知識を
 どういうふうに処理していくのかということです。」


柄谷行人は吉本の転向論が「世界認識を重視し」、「宮本顕治のような 
『非転向』を転向の一形態として見たとき、実は、『本質的な非転向』
がありうること、そしてそれを指向すべきことを説いていた」ことを
「それ自体きわめて倫理的だ」と評価しているが、

世界認識=知をもつこと自体を深く認識し、知と非知との関係のあり方
について優れた批評精神をもつ稀有な知識人としてこそ、
吉本隆明は真に倫理的であると思える。

501 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 01:36:56
「非知」とわなにか?

502 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 01:39:09
で吉本は知をどう処理してるの?

503 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 01:45:09
「重層的な無知の岸辺へ」なんて無かったな。

504 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 02:05:21
>>502
「知-つまり観念-言葉」じゃないの?

505 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 02:48:45
>>502
頭がいいということは病気だという風に処理しました
知は病気であると
柄谷も浅田も病人です

506 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 03:07:49
例えばラスコーリニコフは病人かつ犯罪者なわけだ。

507 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 06:28:28
で吉本はなんなの?馬鹿で健康ってこと?

508 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 06:40:35
>知と非知の関係のあり方について→優れた批評精神をもつ
どう優れた批評精神なのか全く説明されてない。
それに知といっても例えば唯物論と観念論の差異はどうなのか?
観念論は病気で唯物論のほうへ−ならわかるがそういう訳でもなさそうだ。

509 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 08:59:03
>>507
そうだよ。
それでおしまい。
大抵の人はそれを自分で納得するのに一生かかっとる。
これ本当。

510 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 10:07:42
>499
>というか、あの『共同幻想論』だってタイトルは共同幻想と銘打っているけど、
>主題になっているのはむしろ対幻想でしょう?

それが解っている人って珍しいね。アンタに期待するぜ。

511 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 10:34:41
>>499
>対幻想以前に、個の心的現象がある

発生論的&事実としてそう。
自己が対象化される瞬間からそこに対の関係の原型を見出してるね、吉本は。
対象化された自己がそのまま発言したり行動すれば独り言や幻聴、多重人格になる。
それ以前にラカンの鏡像段階でもバラバラの身体や器官なき身体はすでに対象化されてるところが
重要で、それらの言説は対幻想の別表現でしかないからさ。吉本は限定付でラカンを評価してるが。

たぶん個(人、個別的現存)が完全に個であるのはエスから自我が離脱するところまで。この点は
フロイトしか孝察が無いのでその意味でフロイト主義といわれてもOKかな。
しかもこの段階の個は可視的でない。現実に他者と関係するようになるレベルじゃ既に認識の基本は
対幻想を基本とする対象認識になっちゃってるでしょ。
完全な個の認識はおそらく倫理感や罪悪感として個人の内部に内在するだけ。もちろんこのレベルの認識を
巧みに利用したシステムが国家だったり宗教だったりするけど。

512 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 10:45:17
1人の世界、2人の世界、3人の世界だしね幻想領域の原型は
最初は1人から発生したに決まってるでしょうが

513 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 10:48:16
知は病気つーのは
指示表出だけで考えるのはビョーキという意味でしょ。
ボードリヤールも同じような皮肉を言ってるけど。
自己表出によって承認され得ないものはいわゆる<価値>がない。

実をいうと、こんなことはスターリン言語学にも書いてあるよ。
言語のひとつの方向として指示だけの(価値の無い)言語に収斂していくと。
まあコンピュータ言語とかのことらしいが。
吉本はそこで数理でさえ感覚に担保されると説明する。
つまり彼にとっては数学さえ文学なんだと、ね。
サルトル式にいえば科学(指示表出)は蓋然性に過ぎないということ、でしょ。

514 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 10:56:49
その「決ってる」ことに気がつかない人が多過ぎ。
しかも生物的には単性生殖でもない限り「最初は1人」とはいえないぜ。
そこがマルクスや吉本の悩みなんだから。
他の思索者にとっては悩みですらないみたいだけどね。
だからつまんない。柄谷とか浅田も。

515 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 11:24:47
とにかく柴崎明はキチガイ。

516 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 11:51:38
浅田さんは小さな会場で語りかけるということを地味にやっていますがね。
それもほとんど分野を問わない。

517 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 13:51:06
とにかく柴崎明はキチガイ。




518 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 17:20:54
>>495はM田かよ? またか

519 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 18:05:46
>>512
やっぱり方法論的個人主義?
心的とか幻想という命題から始めるなら
やっぱり二人称が最初に来るんじゃないの?

520 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 18:47:36
>>502
その問題は、最後の親鸞という本に詳しく書いてありますよ。
ご一読をお勧めします。
一節を引用してみると:

「知識」にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。
頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。
頂きを極め、そのまま寂かに「非知」に向かって着地することができればというのが、
おおよそ、どんな種類の「知」にとっても最後の課題である。
この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、
いわば自覚的に「非知」にむかって還流するよりほか仕方ない。
しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。

521 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 18:48:32
大学受験の採点室は教官が勢ぞろいしてシーンとしてます。
そこで一人でラジカセでロック聴いてる人がいたらきっとキチガイです。

522 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 18:56:23
ヴェーユもじゃない?

523 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 18:59:46
>>520
自閉症や統失だと人称も転換しちゃうよ。
観察者の人称設定そのものが揺らぎ、
しかもどちらが正しいといえないとしたら。。。

524 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 19:23:10
>>520
その非知の内実を聞いてんだよ。
その引用読んだだけじゃ無内容な呪文としか思えない。

525 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 19:31:14
>>520
今の吉本は完全なボケジジイだけど、
自覚的にボケようとしてるのか、
それとも「そのまま」ボケているのか、微妙に区別しがたいところがあるよね
「最後の吉本」もなかなかのもんだよ

526 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 19:37:15
>>524
だから読めと書いてあるだろうが
2ちゃんごときで答えを知ろうとするのは虫がよすぎる。
金払うなり借りるなりして読め。
イヤならそれまで。

527 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 19:38:28
柄谷:「知の頂きから非知へ静かに着地する」とか言うけれど、知の頂きになどだれも達していない。
浅田:非常に低いですよ、日本の「象牙の塔」は。
柄谷:だいたい、「知」に頂きはないし、「非知」はいわば「物自体」のようなものだから、着地するわけにはいかない。
だから、「非知」という字にボケというルビをふった人は正しい(笑)。

528 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 20:27:41
521 :考える名無しさん :2006/12/03(日) 18:48:32
大学受験の採点室は教官が勢ぞろいしてシーンとしてます。
そこで一人でラジカセでロック聴いてる人がいたらきっとキチガイです。

これはある大学での柄谷教授の姿です。
誰も止められない、誰も話しかけない、そういう人です。

529 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 20:44:19
とにかく柴崎明はキチガイ。



530 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 20:49:25
非知いうのは、誰もが本来もっていて然るべき、幸福への欲望だ。

知的言語を弄ぶ事を己がアイデンティティとしているものたちに
問いたいのだが、その知識の蓄積や研鑽や表出は、一体何のため
にやっている事なのか?

531 :  :2006/12/03(日) 21:39:05
>>500
知と非知の関係なんてのは、世界史的な知を身につけたものが語るものでしょう。
我々は、そういうものがないんだから吉本や柄谷の知を認識することから始まらなきゃ。
往相と還相の関係でいえば、我々は往相の段階でしょう。
だから、吉本さんが柄谷を批判するのはわかるけども、我々は彼を批判するに値する能力はないよ。
このトビで柄谷を本当の意味で批判できている者はいない。

柄谷は心を心という存在として認識できている。だから経済的な問題や国家を語る場合も
その裏側に人間の心的領域の自然な形をイメージできている。
だからこそマルクスを理解できるわけだし、吉本さんを理解できるわけだ。

532 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:16:26
>>531
世界史的な知を身につけたものとか、彼を批判するに値する能力ははないとか。
どこからそういう言葉が出てくるんですか? それに自分だけはそれを指摘できる
と思っているんですか?
それこそ吉本さんが批判したものではないですか?
世界史的な知を身につけたものなんて、吉本さんが柄谷、浅田、蓮実を知の三馬鹿と
評した理由そのままではないですか?
なんですか貴殿は?

533 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:24:14
柄谷や浅田や宮台の話し方って、日常生活で同じ話し方だったらぶん殴られてるぞ
やっぱりね、病人なのよ

534 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:27:03
>>527
柄谷は、自分は老化現象によって知力が衰えたりしないとでも
思っているのかね。

535 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:37:09
宮台はひろゆき管理人と対談しているけど、一方的にひろゆきをバカにして終わってたなw

536 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:39:43
>>531
>往相と還相の関係でいえば、我々は往相の段階でしょう

先に往相をすませてから還相へ、と言いたいようだが、
往相と還相を並行してやっても構わないと思う。

537 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:42:39
知識人には変人が多いと俗に言われるけど、
やっぱりそれは知が病気だからじゃないでしょうか

538 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:59:38
僕は変人も病気も悪いことだとは思わないんです。精神病だって別にいい。
僕が本当に悪いと思う人は、今どきこのどれでもないって人ですね。

539 :500:2006/12/03(日) 23:03:02
吉本や柄谷を現存する最重要の思想家だというふうに
価値判断(直観)する主体性の根拠は「非知」的なのではないか。

自分の思想に対して同調してほしいという欲望が容れられないとき
自分にとって不快な異論があるとき
自分(又は自分が支持する者)の現実的優位性を強硬に誇示する表
出性をもつのが、往相の知の特徴だろう。
531氏や柄谷行人の言葉(特にNAMの顛末によく示される)にも
それは感じられる。

>508
 吉本隆明にはそういった要素への深い内省(自覚)と優れた
 批評精神があると思える。





540 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 23:26:13
思える、と言われても・・・w
具体的に書いてくださいよ
川上春雄さんみたいに内容のない難文を書く人ですね

541 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 23:36:02
とにかく柴崎明はキチガイ。


542 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:23:30
>川上春雄さんみたいに内容のない難文を書く人ですね

そうなんだ。
僕もよくそういうこと言われる…

543 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 10:35:22
『ライプニッツ症候群』がまずいと思うのは、おそらく吉本の『マス・イメージ論』を流し読みし、そこで試みられている所謂《「現在」という作者》という方法を吉本の汎通的方法だと規定しているところにある。確かにそこでは作品と情況は密接に論じられている。→

544 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 10:40:56
→しかしそれは柄谷が規定するような、吉本の批評の汎通的方法ではないし、そんなことは吉本の批評を全てとは言わず辿っていれば誰にも判ることだ。なぜこんなことを柄谷が自分の論文で堂々といえるのかが俺には解らない。
 柄谷という人には→

545 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 10:54:42
→本を読むこと、作品について何かを断定すること、への無責任さの肯定がもしかするとあるのかもしれない。徹底した恣意性の肯定があるのかもしれない。どうせ本の意図など我儘勝手に読まれるしかないのだから、と。そこまで徹底したのならたいしたものだ。→

546 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 11:09:07
→しかしそれは俺にはまったく認めることなどできないし、一人の批評家の方法について何かを言いたいのなら彼の本を丹念に読み辿る以外にうまいやり方などないに決まっている。

547 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 11:42:12
静かな教官室で1人で轟音鳴らしてるキチガイに何を言っても。。。
浅田彰もプライベートではあんなメチャクチャな人とは絶対につき合わないと
言ってるし。。。直接知ってる人は必ず嫌うね、柄谷を。

548 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 21:02:29
『世界共和国へ』読んでみた
丸くなってるねw

549 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 21:04:58
これからの世界思想を睨むと、
柄谷みたいにキリスト教(プロテスタント)の枠組みの範囲だけで
思考するのはダメだよ。

550 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 21:18:49
>>538
>僕は変人も病気も悪いことだとは思わないんです。精神病だって別にいい。

その通り。
だが、精神病患者は医者に行った方がいいし、
精神病患者を祀り上げるのはおかしい。

551 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 23:51:26
>>549
これからは仏教だけど、柄谷は別にキリスト教の枠組みだけで考えてないよ。

552 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 23:56:32
やっぱり知識は病なんだって
それを抜け出すのには本当に一生かかる
吉本氏が病人ではなく「非知=ごく普通の人」かどうかは意見が分かれるところだろうが
少なくともかの「純粋疎外」と同じく、「非知」という架空のゼロ基準を設定し、
たえずそこへ戻っていこうとする意欲は感じられる

553 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 00:35:38
>>551
そうかな? こういうリストざっと見て見るとすごい偏りがあるように感じる。
ttp://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111558101/18-

>30 :吾輩は名無しである :2005/04/12(火) 16:17:09
> 日本、中国の古典が合計三冊・・・
> インド、仏教関係はゼロ・・・

さらに、アリストテレス『詩学』はあっても、『ニコ倫』はないよ。
フォイエルバハの『キリスト教の本質』もないし。

554 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 07:28:49
柄谷がキリスト教の知識を得たのは「ソシュールで読む聖書物語」などの
著者の高尾利数からだろ。

555 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 20:57:30
>>550
その通り、と言いながら全く同意してないじゃないか。
病院で直せとか、祀上げるなというその言い方は、精神病だって別にいい、
という538の考えに真向から否定しているということだよ。

556 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 21:02:54
柄谷さんは、「知識人」に相対する「大衆」という概念をもってくることが
もう知識人的だと、知識人的傲慢だと、そういうをおっしゃってなかった?

557 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 21:15:15
>>555
はあ?
個人的な価値観と社会的な制度や一般的な常識が
食い違っていることはあるんだよ。

558 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 22:23:15
>> 556
なぜそれが知識人的傲慢なのか、その辺の論理をもうちょっと詳しくお願いします。

559 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 00:11:22
最近の出来事ですけど、いじめで自殺した福岡県の男子生徒の両親に2ちゃんねるの有志ら(OFF板の人達だそうです)が「遺族を励ましたい」との理由で千羽鶴を手渡したんだそうです。
それがマスコミを引き連れて両親を訪問したとか、中心メンバーに市民運動家みたいな人がいるとか、死人や遺族に千羽鶴を渡す新しさ?なんかがニュース速報板あたりで叩かれてたんですが、僕はそれらとはちょっと違うところで息苦しさを感じたんです。
上手くは説明できないけど、善意が実体になって身近に迫ってくる息苦しさというかそんな感じです。
多分ニュース速報の人達の反応も心の深層の部分においての、この息苦しさに対する拒否反応だと思うんですよ。
吉本さんはこういった心の感受性みたいなのをよく発言なさってた気がするんですが、うまく説明できる方いてませんかね?
長文すいません。

560 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 00:55:28
善をなす場合には、必ず詫びながらしなければならない。善ほど他人を傷つけるものはないのだから。 ポール・ヴァレリー

561 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 11:57:40
559さんの話を吉本の言葉と関連づけるとすれば、『未来の親鸞』所収「自然論」だと思います。同書97頁にこうあります。
《行為や言葉としてあらわされた〈善悪〉(倫理)は、あらわされたということだけで共同の場にさらすこと→

562 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 12:00:57
→ですから、たとえ無意識であったとしても、他者の無意識を共同の場に引き込んでしまいます。善行や悪行がすこしでも無意識を離脱して意図的であったとき、他者を引き込んだり、息苦しくさせたりするのはそのためだと思います。親鸞が洞察したのはそのことだった→

563 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 12:04:41
→といえましょう。宗教が〈善悪〉(倫理)と結び付くとき、善と結び付くのは本来的でなく、またかならず誤差を含むことなしには不可能であることをよく知っていました。本来的にいえば、無意識の悪といちばん近いはずだというように考えたのです。→

564 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 12:12:22
→いわゆる「造悪説」が一部に出たとき、親鸞はそれは意識的な(意図的な)悪だから、意識的な(意図的な)善とおなじようにだめだと判断しました。》
 この問題は吉本によれば、善悪が心のなかから行為に、外にあらわされたとき、意図的なものを含むときは→

565 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 12:22:22
→かならずそこに転倒を生んでしまう、つまり悪を生んでしまう、という問題として掴まれているようです。つまり〈意識的な善〉ということが、閉じてゆく、他性を排除して逆立ちしてゆく契機を内蔵しているのでないか、ということだと思います。

566 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 15:59:43
>>557
食い違っていたら病院に行ったほうがいいという訳だろ>>550

567 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 21:01:55
>>566
なんか話がぜんぜん食い違っているようだが。
では、アンタこそ病人に対して、もっと働けとかいう人間じゃないか。

568 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 00:00:16
空谷はバカだからどうでもいいんだよ。

569 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 03:54:28
495・531の言いたいことはわかる。
吉本エピゴーネンと柄谷エピゴーネンが
口真似をして互いを攻撃しあっていても
何の意味もないだろう。
しかし、吉本隆明と柄谷行人との対立は
花田清輝、埴谷雄高との対立と同様に、
思想史的に大きな意味がある。
その対立の意味をを本質的に掘り下げて
いくことは次代の思想にとって不可欠な
ことではないだろうか。

570 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 04:42:29
対立・・・してるのか?

571 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 07:05:41
現象としては対立というより齟齬というほうが適切
かもしれませんが、「知識の処理」というテーゼを
めぐる相互の間接的な応酬を重要な思想的対立とみ
なし、その意味を定位していきたいのです。




572 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 07:39:48
。。。ていうか柄谷さんの論考にオリジナルがあるのかな?
可能性の中心たトランス以降巧みに時期をずらせて旧左翼や吉本の主張を
言い換えてまるで自分のオリジナルな主張のように見せているようにしか
思えないけど。
アソーシエイション? そんなのは旧ユーゴの自主管理社会主義や国内なら
国労の運動の中にあったし、カントも吉本のカントへの評価を一歩も出ていない。
そもそも価値形態論の貧弱さは吉本の価値形態論や他のネオマルキストにも劣るのでは?
ソシュールのアナロジーで貨幣論なんて今更だし。
浅田、岡崎と鼎談するようになってからの劣化はひどいものがあるからなあ。

573 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 18:49:29
>>567
>では、アンタこそ病人に対して、もっと働けとかいう人間じゃないか。

働けなくたってべつにいい、働きバチの頭のほうがむしろどうかしている、と言っている
>>538に対し、病院に行ってその精神を治してこいと言っているのはあんたのほうだろ?

574 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 23:53:50
おれが首吊りといつたらみんな三十cmの舞台にのせてくれ
おれが飛びおりといつたら紐なしバンジーと思い捨ててくれ
もしも おれが飛びこみといつたらぷよぷよをもつて遺言としてくれ
もしも おれが練炭といつたら佐藤利奈は和解してくれ
もしも おれが樹海といつたらみんなコンパスをとつてくれ

575 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 01:04:32
 時間がたまたまそろい、急きょ父の誕生会。
 わざわざ運動して血糖値を90に押さえ(っていうか、これが普通)、しっかりとコロッケを食べる。とてもおいしかった。父も喜んでいた。
 父の「生涯現役」という本の中の医療に対する考え方、老人に接するときのあり方に関する文章はすばらしく、参考になった。
 そうだよな〜、と特に思ったのは、ふれあいセンターみたいなところで「変な若い人」(この『変な』が全ての問題点をずばり言い表している気がする)がお年寄りを前に話をして生涯学習とか呼ぶよりも、
 お年寄りにこれまでしてきた仕事や家事のノウハウを若い人向けに話してもらった方が、多少ぼけていようが話がつながらなかろうが、互いのためによほどいいのではないか、
 ああいうときお年寄りは熱心な振りをして踊ったりおゆうぎしたりメモを取ったりしてくれているけれど、内心「ばかにするな」とか「冗談じゃないよ」と思っているのではないか、という部分だ。
 あと性に関しても、なんとなく自分が歳を取ったらこうなんじゃないかなあ、と思うところをびしっと書いていて、身内だからではなく感動した。
 チビが「ハッピバースデーデイアじーじ〜」と歌ってあげていたが、去年はまだ2歳で歌えなかったので、ああ、ここまで父が生きていてほんとうによかったと思った。

576 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 01:24:31

どこに載ってた文章?

577 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 01:50:50
>>576
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi

578 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 13:29:27
>>575
涙でそう。。。

579 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 16:36:38
“吉本と柄谷の思想的齟齬”てのは確かに面白い主題だけど、思想的差異でなく齟齬、ていう場合、低級な問題が絡んでくる。
 問題は柄谷が他人の思想を把握するのが下手であるということで、下手である上にまともに読まないままにあれこれ言いたがる癖がある。→

580 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 16:44:16
→そのようなときの柄谷は2ch.以下。2ch.の真摯な人の方が彼より丁寧に本を読んでいるしマシな批評をしている。
 柄谷にも面白い主題はあるし刺激的な本もあり。だが彼の早呑み込みな姿勢とナメた批評が自分の足を引っ張っている。で、足を掬われる笑

581 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 02:07:19
吉本が本当に能力を発揮してるのは、造語能力や新しい概念の創出能力ではなくて、
むしろ他人の文章を読み込む能力にあると思う
どんな悪文でも吉本なら読む、と言われたいと言っていたが、
本当にどんな文章でも無理にでも読んでるよね
あれに一番感心する
他人の話を聞く能力とでもいえばよいか

582 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 09:38:04
とにかく柴崎明はキチガイ。




583 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 09:46:29
アホな信者のとりとめのないひとりよがりな的外れの賛辞以外に何も残っていないね、吉本って。

哀れだな。

584 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 10:40:26
吉本対柄谷はロマン派対唯物論

585 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 11:22:28
「吉本対柄谷」は吉本信者の悲しい幻想

586 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 12:11:31
柄谷信者って、やたら他人にかみつくのの多いな
ご本尊そっくり
その噛み付き方の斜め上さまで

587 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 13:03:38
吉本信者って、やたら他人にかみつくのの多いな
ご本尊そっくり
その噛み付き方の支離滅裂さまで

588 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 15:04:31
>>587
子供っぽいなw

589 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 15:12:36
吉本信者はどうか知らんが、
吉本は自分からは誰にも喧嘩売ってないでしょう
あくまでも、受け身

590 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 19:50:51
「罵倒するぐらいんなら黙っている」
この言葉がすきだな。
他者を罵倒と言う形でかれは他者を批判しないね。
心臓を射抜くようにして批判はするけどね。

591 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 22:13:11
いやそんな立派なもんじゃないだろ
罵倒結構してるよ
情況への発言でむかし誰かに死ね死ね連呼してたこともあったし
まあ全否定はしないし、するくらいなら黙ってるほうがいいというのは本人も言ってたけどね
喧嘩は受け身で、でも本気でやるというポリシーらしいけど
本気だから相手を言葉で殺すくらいのことは当然何度もやってる
言語美だってもともとは、花田との殺傷合戦の末の産物なんだから

592 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:17:48
いまは亡き批評空間系の人たちの
自らの知的優位性という仮象を根
拠にした否定(批判)の冷笑的な
感じっていうのはやはり症状とし
一度ちゃんと精神分析する必要が
あると思う。

593 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:29:18
そんな「仮象」のことを煩悶するより、
自分自身のル・サンチマン(=知的ルサンチマン)を
しっかりと分析した方がいいんじゃないかな。

594 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:40:56
>>593
忠告ありがとう。
他者の批評の背後に「ル・サンチマン」を
見てとる陳腐なパターンだが。

595 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:45:15
君の知的劣等性は「仮象」じゃないから。

596 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:48:33
 例の《関係の非対称性》にしても《固有名》《可能世界論》にしても、柄谷の思想の根幹に、言説化不可能性への執着がある。それはそれで面白い主題だと思う。
 対して吉本の場合、柄谷ならば言説化不可能性の地平にこだわりを見せる所を→

597 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:51:05
>>595
そうかもね。
君の心的劣等性も本物だろうね。

598 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:56:36
→逆に言説により肉薄してしまう。そこが二人のベクトルの差異だとはいえると思う。
 ただ、より重要な差異として吉本の方が歴史性の概念をより思考に繰り込んで拡張しているのでは?の感をもつ。個体の歴史性、社会の歴史性、→

599 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:00:59
→そこに、携帯厨が割り込んできて、吉本の方が吉本の方が吉本の方が、と愚にもつかない贔屓の引き倒しを芸も無く繰り返すから→

600 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:02:05
→600→

601 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:03:30
→柄谷が言説化不可能の地平にこだわる所を吉本は歴史性の概念により輪郭を描く、浮かび上がらせる、というか。
 文学作品の価値、と吉本は言うでしょう。そんなものは個々で勝手に読まれるしかない、というのが柄谷だと思う。→

602 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:07:59
→しかし、柄谷も吉本も共に着々とボケが進行しているのであった。→

603 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:11:30
→そうでなく、作家がそれまでの文学作品に何を付加しえたか、どう時代と交差したのか、自己の資質とどう向き合ったか、等により価値は決まる、というのが吉本だし。
 個体の歴史性の概念により《関係の非対称性》さえ実は解読可能だと俺は思う。→

604 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:14:29
→そう考えてゆくと、柄谷のある種の批評の方がより破壊的、解体的だとはいえる。しかし、その破壊、解体は内実としては根拠薄弱でないか、というのが俺の疑問です。

605 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:30:46
←しかし、その破壊、解体は内実としては根拠薄弱でないか、
という考え自体が根拠薄弱でないか、というのが俺のさらなる疑問です。

606 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 01:51:24
柄谷行人さんの支持者の方は
もっと余裕をお持ちになって
鷹揚に自説を展開なさったら
いかがでしょうか?


607 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 02:04:13
>柄谷行人さんの支持者の方

そんな奴いた?

608 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 02:09:03
そういう逃げ方がいかにもだな。

609 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 02:13:34
誰が柄谷を支持してるんだ?って聞いてるんだよ。

610 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 02:43:10
605は柄谷行人さんの支持者の方ではないのですか?
少なくとも相対的に
柄谷さんの思想のほうが吉本さんの思想より優れてい
る、と思ってらっしゃる方ではないのですか?


611 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 03:32:58
吉本の詩って素晴らしいじゃん


612 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 10:59:49
いまどき吉本読んでる若い奴はいない
柄谷も少ないだろうけどね

613 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 11:54:57
ほら出た常套句
いまさらマルクスでもあるまい
いまさらフロイトでもあるまい
誰それがすでに論破済みなんだろ?w

614 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 13:13:35
いや、普通に読んでるでしょう若い人も
全共闘の教祖とかいう呼び名は、その世代の人が勝手につけたものだし
吉本氏には関係ないでしょう
自分は本屋ですが、普通に20、30代の人も読んでますよ

615 :612:2006/12/10(日) 15:37:18
まぁ俺が言った若い人ってのは大学生ぐらいを指してたんだけどw
20代の人は何経由で吉本に興味を持つんだろうか?
浅田彰とかならよくわかるんだけど柄谷、吉本にもまだカリスマ性あるのかね

616 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:10:49
>>615
浅田彰とかならよくわかる、っていうのもよく分かんないですけど…
20代の人は何経由で浅田さんに興味を持つんですか?

617 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:15:41
学校じゃないの?
学問の延長としてとか
よく知らんけど

618 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:24:57
「クリムト画集 女」を見てたんだけど、「メーダ・プリマヴェージ」というのが、
やたらいい。9歳だって…なんかマシロさまみたい
エミーリエ・フレーゲさんの絵についていえば、17歳のと、老けてからのだったら
比べものにならない…でも欧米の人は老けてからのに美を見てるんだろう…ついていけん

619 :612:2006/12/10(日) 17:25:49
いろいろあるでしょう
いまだに現代思想の入門書として構造と力は売れてるし
芸術方面の講演も積極的にやってるし
ちょっと前なら宮台や東浩紀経由で入ってきた連中も多いかも

少なくとも20歳の自分のまわりの思想に興味を持ってる大学生の間では
柄谷や吉本より名前は知られてますよ
この二人よりもスキがなくて偏見を持たれにくいってのが大きいのかもしれない
まぁあくまで自分が知ってるのは都内のいくつかの大学の哲学系サークルの人達だけなんで
あてにならないかもしれない、上の本屋さんの意見も考慮すると

620 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 18:27:47
「構造と力」とうとう50刷りだよ、すげえ。

621 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 18:32:59
俺大学生だが吉本フリークだよ

622 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 19:06:52
吉本はばななの父親か糸井新聞くらいしか回線がない。
柄谷も放っておいたら孤立する人物だけど、浅田彰が近くにいるからなんとかなっている気もする。

623 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 19:07:12
>>619
ふーん。
で、貴殿は浅田さんのどういうところが
優れていると思うんですか?

624 :612:2006/12/10(日) 19:33:46
>>623
基本的に彼は本は書かないし、書いた本も全部よくできた紹介本だから
どこが優れてると言われれば、その明晰な整理だとか
もしくは浅田自身が体現してる思想、みたいな曖昧な表現しかできないんだけど
少なくとも吉本みたいな理論家とは比べてどっちが優れてるとは言えないと思う

625 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 19:44:03
>>624
そうですか。
律儀にお答えくださり、
ありがとうございます。

626 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 23:24:08
例えば吉本が新しい考えを提示したとする。
浅田は吉本が提示した考えを吉本より綺麗に整理することができる。
そういう才能を認めてもいいでしょう。
我々は昔の人間より頭脳が発達しているわけではない。ただ学習できることが多くなっただけ。
吉本の知は浅田にすぐさま消費される。消費されたら吉本も浅田も同じでしょう?
まぁ、現実的には浅田のほうが格上だけどw

627 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:01:25
 いや、たとえばデリダやドゥルーズ等に関して浅田彰の整理能力は認めるがこと吉本隆明に関しては浅田の理解はゼロだと云っていい。吉本の著作の論理に付いていけない、或いは付いていきたくない、とハナから決めてるのではないかね。→

628 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:11:19
→『近代日本の批評』文庫版104頁で浅田は《テニヲハが合っていない。用語が我流で、しかもそれが論理的につながっていない。最悪の意味で「詩的」に理解されていたとしか思えない》と毒づいているが、全部外れだし、しかもどうもこれこそまさに→

629 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:12:26
>>626
「現実的には浅田のほうが格上」というのは
どういう意味(基準)で言っているんですか?
その内実を教えてください。

630 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:16:38
→とにかくくさしたい、という動機不明な濃厚なルサンチマンを感じる。何があったのかね、この人は、と。

631 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:16:37
学生にとっちゃ頭よさげに見えるつーことじゃないの
知的好奇心ってやつでしょう

632 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:28:50
>>626
俺も昔浅田の本読んで「へえ」と思ったクチだけど、
整理するとどうしてもその人の個性がその整理の中に入り込む。
やはり浅田なりの解釈になってるよ。
まあ、これは吉本に関しても言える事だがね。

マルクスにしろ、釈迦にしろ、さまざまな解釈があるわけで。
できれば、原典にあたったほうがいいと思うよ。
そうでなければ、「だれだれのマルクス解釈は〜」
といった言い方しかできない。

で、ここからが本題だが、現代思想がらみに関しては
(というか仏教については浅田はやってないからね)
吉本の解釈の方が自分に有益な気がする。
浅田はやたらと政治や行動に駆り立てようとするあのレトリックが鬱陶しいw

633 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:39:39
浅田と比較しては吉本が可哀相だ。浅田は一生フランス現代思想の解説してればいい。それが似合ってる。

634 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 00:40:55
そもそも、浅田さんや柄谷さんは、頭悪いよりはは良いほうがまあまあいいと思ってるわけでしょう
いくら口では頭悪い人に理解示してるようなこと言っててもさ
吉本氏ってのは、そこはそうじゃないわけでしょう

「学問を積むために盛んに書物を読んだり、考えたり、論証したりっていうのは要するに
親鸞のいう往相還相の往相に該当するんだっていうのが僕の考えです。」

こういう風に言ってるわけだからさ
いくら頭良くて理路整然とした紹介本書けたって、それは確かにいいことだけど、
それだけのもんで、まだその先には「還相」があると言ってるわけでしょう
若い人は往相の問題で精一杯で、なかなか還相の問題なんか考えられないから(当然だけど)、
やっぱり吉本氏が何言ってるのか分からんということになるけれど、
年とともにだんだん吉本氏が言おうとしてることが身に沁みて分かってくるんじゃないのかな
浅田さんや柄谷さんのは、つまり往相の問題を扱っているわけでしょう
こう考えれば、すっきりしないかな

635 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 02:10:48
でも恋愛における他者性とかって
還相の問題じゃないですか?長老様。

636 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:49:49
>>628
浅田が吉本を解らないと言い、
橋爪が吉本を解りやすいと言う、
そういう指摘があったけど、ヒントになるのでは?w

637 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:53:01
浅田と仲のいい中森明夫は
浅田の吉本が解らない発言について
「戦略的に言った」と言ってますが。

638 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:57:08
大澤眞幸によれば
「踏絵」だということですよね。
前世代を否定するために
前世代のイデオローグである吉本を否定することが必要だったと。

639 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 08:07:10
吉本が名誉教授への就任を受けていれば、
東大、京大の吉本翻訳極秘プロジェクトは
まるで自分たちの思想的成果であるかのように
翻訳を海外に向けて発表したでしょうね。w

640 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 08:09:29
もちろんこのスレでも指摘されてるように、
いくつかの概念が理解できていないので無理なことですが。

641 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 08:32:57
>>638
やっぱり浅田のルサンチマンだ!

642 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 11:53:30
浅田さんは現代思想用語で語るわけで、
ここで語られるような用語だったら読まれないでしょ。

だから吉本さんは浅田さんにも解る用語で語ればいいのでは?
相手のトライバル用語に入っていく勇気が無いと、
時とともに忘れられちゃいますよ、戦後最大の思想家といえども。

643 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 13:19:14
浅田のことは"相手"にもしてないんだろ、自慰サンは。

644 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 21:51:17
喩えていえば、浅田は、高級料理やブランドのスーツをめざしてるんだろ。
吉本は、美味しいご飯の炊き方や、夏涼しく冬暖かい下着を開発してるというか、
日常的なものを目指してる。

オヤジになってくると、前者ってのは、女の前でカッコつけたかったり、
コンプレックスを埋め合わせたい、というだけの話だと解って醒めちまうよ。
独身臭いというか。

645 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 22:25:59
>>642
いわゆるフランス現代思想は、古代ギリシャやキリスト教に単を発し、
展開してきて、とうとうその内部から、ヨーロッパ中心主義が批判されて
過去の遺跡になりつつある。
そんなところへわざわざ行かなくていいよ。

646 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 22:27:42
>>642
現代思想が中心だ、権威だと思っている君は、
現代思想のことを知っているのかw

647 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 23:07:55
権威でも遺跡でもなく、
若い人に通用する言葉で。。。と言ってるだけでは。
それとも、そんなこともわからないというわけか。。。

648 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 23:15:51
最近のインタビューをまとめたようなものは、
すごくわかりやすいと思うけど、
専門用語も少ないし。

しかし浅田は、頑固ジジイ復活論なのになんで若者に媚びるのか。

649 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 23:19:54
若い人に通用するのは、言葉でなくマンガ。
小林よしのりじゃないのか?

650 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 23:52:12
>>649
それを一番痛感したのは戦争論だったよな
どう考えても小林より吉本の方が妥当なこと言ってるのに
マンガにはやっぱり勝てなかったね
小林は単なる戦後民主主義の反動だから逆に大衆には理解されやすかった
若い人は吉本を小林経由で知る人も多かったんじゃなかろうか
やっぱりサヨのドンとか思われちゃってたりして、敵視されてるんでしょうw

651 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 00:07:17
そこで何故サヨは嫌われるか、だよ。

652 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 00:54:02
戦後民主主義の批判ということにかけては、
吉本は小林よしのりなんかよりもずっと年期が入ってるわけだから
そこは本当は意見がほとんど一致するはずなんだけどなw
なんで小林が吉本を最後の強敵みたいにマンガで言いふらすのかイマイチ分からなかった
だいたい、吉本の方がもともと小林より軍国主義者、大東亜戦争肯定者だったわけだしね
まー小林よしのりも吉本ってのはなんか左翼の大物、程度の認識しかなく
あんまり吉本の本なんか読んでないんでしょう

あと、いわゆる日本のサヨってのは東欧・ソ連消滅から始まってオウムで完全に壊滅したから
やっぱりみんな反動で景気のいいほうへ興味が行くのはもうしょうがないでしょ
また振り子運動で反動の反動の反動の・・とずっとやっていくんだろうけど
歴史がそういう馬鹿な反動にずっと動かされてったらたまったもんじゃないよ、
というのが吉本の根本的なモチーフなんだよね
そこはやっぱり吉本が左右どちらの人たちからも理解されにくいところ

653 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 00:58:02
年期の弊害も否めないと思うが

654 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 11:52:45
 吉本の強敵といえば同時代ならフーコー、ボードリヤール、等。ボクシングでいえば世界ランカー同士でしのぎを削っている感じ。柄谷・宮台クラスなら日本ランキング出たり入ったりてとこ。小林よしのりだと日本ランキングにさえいない。吉本からは全く強敵ではない。

655 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 21:14:45
初期ノート書いてある内容が俺のノートとほぼ同じ内容だった

656 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 21:34:30
小林よしのりさんは読者数では吉本さんに勝ってますね。
小林さんは自分の血肉で考えた思想というよりも、説得力を感じる
他人の意見を次々と採用していくスタイルなので、少し未消化なところを
感じます。

657 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 23:35:36
>654
せめてPCを買えばもうちょっと視野が広がるんじゃないかな。

658 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 21:40:42
>654
せめてマンガを読めば少しは視野が広がるジャマイカ。


659 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 00:55:53
とにかく柴崎明はキチガイ。




660 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 01:04:52
「もう若くないさ」言い訳けしたっけ、あの雨の日・・・


661 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 07:52:57
 いやあ、漫画読んでるよ。扶桑社『ゴーマニズム宣言』時代のファンだったし。薬害エイズ糾弾運動を総括し、政治から抜けられなくなった若者をさして“個の連帯は幻想だった”と結論づけたゴー宣『正義論』には感銘受けたしね。ただ、小林よりのりを支持してたのは→

662 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 08:00:13
→そこまでで。オウム真理教事件へのスタンスという面で小林へ物足りなさを感じ始めたんだ。事件の深層を、社会の成熟につれ等身大の自己と向き合わざるをえなくなった自我にみる宮台の批評が当時は良かった。オウム・アレルギー的に振る舞う小林のスタンスより→

663 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 08:07:43
→あの事件を歴史的に位置付けており、説得力を感じた。小林のスタンスは実際オウム立ち退き運動に執心する住民や区役所と変わりばえないしね。それだけでは終わらない問題を小林のスタンスでは拾えない。それが見えた。
 その後の『ゴー宣』の展開→

664 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 08:33:36
→『戦争論』はまともに読む気が失せていた。
 小林の立場は根底的な思考から引いたところでのゲリラ的かつ独断的なもので、その面白さはある。本人もそれは自覚してるでしょう。しかしアレに本格的な議論は期待できないのも確かで。

665 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 21:03:13
小林になくて、吉本にあるもの。
世界、現実、世の中を善悪を抜きにして言葉にしようとするところ。

666 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 21:11:41
吉本新刊発見!
・『ひきこもれ』だいわ文庫版。吉本のモノクロ写真多数掲載。
・『吉本隆明資料集61 太宰治試論・情況の根源から』猫々堂。'76年に叛旗派の集会で騒然とした中、行った講演が剋明に再現されています。

667 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 17:56:09
ttp://www.warewaredan.com/
>認識を根本から改めよ

まあなんというか、吉本さんあたりに言わせれば、
どっちの言い方をしても同じだ罠。大差ない。

668 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 23:17:42
>>667
外山恒一か。
彼はいじめられっこだったんじゃないか?

669 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 03:58:35
命令する形の解決策って、結局全部無効なんだよな
誰もてめえの言うことなんか聞くかって
アホらしい

670 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 19:35:00
>>669
だからこそマインドコントロールの技術が必要とされてきたわけで

671 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 02:09:01
花田との時、吉本は実際の対談中にはしゃべっていないことを紙の上では異様に書き出していた。
執念のルサンチマン、吉本、恥ずかしい!

672 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 02:48:45
その何とかして吉本をこき下ろしたいという執念もすごいな。
ご苦労様。


673 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:04:14
 猫々堂から『吉本隆明資料集』てのが出ているが、コレの47に『6.15事件 思想的弁護論』て巻がある。そこに「「人間にとって思想とは何か」講演後の討論」てのが29頁にわたり収録されている。
 これは'67年に国学院大学での講演の後に→

674 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:07:42
→行われた討論の模様らしい。当時の吉本がどのような場所にたち発言していたのか、それはいわば思想的荒れ地と言って過言ではなかろうが、それがよく分かる。騙されたと思って一読してみることをお薦めする。

675 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 18:51:00
吉本流本選びのポイント3
1「この気持ちは俺にしかわからない」と思わせる描写がある
2楽しみのためだけに読んでも学びがある
3経済学も古典も解説書は読んではいけない

676 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 19:03:16
文芸春秋の1月号に吉本の
「いじめ自殺 あえて親に問う:虐める子も虐められる子も育て方が問題だ」
というのが載っているけど、読んだ人いるかな

677 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 21:19:41
ああ、相変わらずの原罪は母親に在りの一元論だけど、
あれってどこまで認められてんのかね?


678 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 21:44:14
>>677 吉本さん周辺の、高岡さんや芹沢さんらといった人たちは、
その点(母原病論)に関しては、懐疑的か批判的じゃなかったかな?
吉本さん自身は「ひきこもれ!」だったか何かで、俗にある母親責任論
のつもりで言っている訳じゃないんだといちおう弁解してはいたけどもね。

679 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 23:36:36

その辺のところをより詳しく知ってる方いれば教えてください。




680 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 12:11:35
母親に責任ありといえども、その責任は母親の母親にも責任がある
母親の母親の母親にも責任がある

という風に無限に遡れるという感じじゃなかったっけ?


681 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 23:44:48
親鸞も似てるねえ

682 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 11:21:24
「生んでくれって頼んだ覚えは無いぜ。」と言うよくある
子供からの反感への自慰サン流の回答でその無限遡及を使って
いたような肝する。

683 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:01:44
>>680
母型論はそれを歴史的に遡っているんじゃない?

684 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:12:41
>>678-679
その点に詳しくはないんですが、どうやら、母親の育て方が悪いといった俗にある
「教育」責任論の水準に矮小化されて解釈されてしまうのは吉本さんの本意ではなく、
母親の境遇が不幸だったら、子もその不幸を母から自然と譲り受けちゃうみたいな、
どちらかというと宿命論に違いニュアンスで吉本さんは言っている感じがしますねえ。

「吉本は母親ばかりに責任を押し付ける」みたいな批判に対して、それはちがうんだと、
母親が不幸な境遇にあるとその子にもそれが無意識に伝わる必然性があるという問題
なんだ、だから母親に自己責任があるという意味じゃない、と弁解していたように思います。

685 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:00:17
まあ、そうだよね
吉本が個々の母親を責めてるとすぐに誤解されがちだけれど、別にそうではなくて、
理屈から言えばどうしても、
子供の性格形成というのは、1歳未満の母親とのコミュニケーションに源泉を持たざるを得ないと言ってるだけでさ

1歳未満の親の育て方があんまりよくなかった、子供に満身の愛情を注いでやれなかった
というのが子供がねじくれてしまう要因であると、まあそういっているわけだよね
そんで大抵の教育ママみたいのは、その育て方がよくなかったことを自分でも自覚してるもんだから
それを取り返そうとして、子供が大きくなったら今度は必死で勉強しろみたいなこと言い出したりするんだと
吉本が言うように、満身の愛情を受けて育つ子なんか今はあんまりいないわけで、
たいていの子供はもうひねちゃってるわけだけど、
どうやったらそういう理想的な子育てができる環境が作れるんだろうねえ

686 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:01:54
>>685
「育て方」という言い方をしちゃうと、吉本さんの母型論的眼差しが単なる親の子育て論の
水準の話にされちゃって、そこからああいった批判が必然的に出てくるんだと思うんです。

吉本さんは「育て方」の水準を語っているわけじゃないくて、むしろもっと無意識的な水準
に突っ込んで言及しているんじゃないかと思うんですよね。それが「親の子育て」論として
流通しちゃうと、吉本さんがどちらかというと擁護しているはずの「家族」をますます解体
する方向に拍車をかけるような気がしてしょうがない。家族性悪説に加担するだけですね。

687 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:53:38
吉本さんが無意識的な水準に突っ込んで言及しているからこそ
母親を責めているという誤解とか教育責任論の水準に
矮小化されて解釈されてしまうというところもあるかと思いますね。
そういう、すり替えや忌避をする無意識の有り様って
やはり知識人的な人に多い傾向だと思いますね。

688 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:08:55
「すり替えや忌避をする無意識」から遠隔対称化したのが「知識」だからね。
知識はそれだけで真性のキチガイつーこと。

689 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:12:33
◆いじめ対処「父親の責任」 緊急フォーラムで都知事

いじめ問題の根絶に向けた対策を探ろうと東京都教育委員会は25日、
石原慎太郎知事や有識者、保護者と児童・生徒らが語り合う緊急フォーラムを
都立戸山高校(新宿区)の講堂で開き、約250人が参加した。

冒頭、石原知事は
「わたしは小樽(北海道)から逗子(神奈川県)の小学校に引っ越したとき、
北海道弁を使ってからかわれた。
いじめはつらい」
とした上で
「他者とのまみえ方を教えるのは家庭で父親の責任。
子供のしつけが希薄になっている」
などと述べた。

これに対し児童・生徒から「担任や親に気軽に相談できる環境をつくるべきだ」
「電車でマナーの悪い大人を見ていると、大人も変わる必要があると思う」
などの意見もあった。

議論では、宮台真司首都大学東京准教授が
「暴力を伴ういじめは警察に知らせ、いじめに遭ったら、
別のクラスに移れるようにすることが効果的」と述べた。

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2006122501000448

690 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:20:09
>>687
> 吉本さんが無意識的な水準に突っ込んで言及しているからこそ
> 母親を責めているという誤解とか教育責任論の水準に
> 矮小化されて解釈されてしまうというところもあるかと思いますね。

えっ,それはどういう意味でしょうか?
教育論とか責任論というのは,意識的な実践に依拠した思想ですよね.
つまり,親が子の心的発達をコントロールできるだけの知的理性を持つことが
可能だとか「べきである」ということが,論理と倫理の両面から前提にされている.

しかし吉本さんが弁解して言うのは,その前提とは反対のこと.
要するに,意識的な,理性的な,つまり教育的なコントロールが取りこぼして
疎外表出してしまうものがあり,吉本さんの母型論の射程にあるのはそれで・・・

691 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:25:34
その前提の下では,母親は結局,自身で子を育てる際の理性の限界を知ることになり,
子育ての知的専門家によるサービスに子どもをできる限り託すほかなくなってくる.
こうして家族は,母子関係の再生産が営まれる場としても解体されてしまうことになる.

692 :687:2006/12/26(火) 04:44:17
>>690
私の文章は以下のような趣旨です。

吉本さんの母子関係論は無意識的な水準に突っ込んで言及している。
それを単に母親個人への罪の押し付けと反感をもったり、
意識的な「子育て論」の枠組みでしか把握しない(知識人的な)人がいる。
そういう人たちは、吉本さんが問題意識を持ち対象化する母子関係の領域について
自分が意識し考察することを、無意識のうちに忌避しすり替えているのではないか。





693 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:30:59
議論が白熱していて結構なことだが、
原典、書名も挙げて欲しい

694 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 00:00:03
思想家で文芸評論家の吉本隆明氏は「若い人は持続性や根気のいることが好き
でない。『どうせ社会は良くならない』としらけている。文学でも、短距離、
瞬間的な作品が大勢を占め、そうでなかった人も引きずられている」と話す。

■『都市化でサイクル短く』

 では、そうした傾向の原因はどこにあるのか。吉本氏は情報社会の進展に
よる「都市化」を指摘する。

 「生産から消費までのサイクルはコミュニケーションの発達した大都市ほ
ど短い。いつもそわそわ過ぎていくのが都市の時間で、その傾向が強まって
いる」

 情報が多く、便利になるほど、道徳、倫理は下落していき、ただ、目立つ
ことに飛びつきたがるという。

 「文学ではコミュニケーションにならない言葉がたまってくるほど、
いい作品ができる。有名とか無名というのは見ている人の問題で、当人には
あまり関係ないこと。自分の考えることをやるのが第一だ。だが、現在は
(目立つことが社会の尺度となるため)好きなことを書くという作業が難し
くなっている」

 じいさん元気だなあ、てっきり寝たきりで死に掛けてるのかと思ったら
けっこうあちこちで露出してるんだなあ

695 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:15:34

新聞記事ですか?典拠名お願いします。


696 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 09:46:08
やだよーだ。
教えてなんかやらないもん、だ。

697 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 10:10:23

ごめんなさい。
エサを嗅ぎつけてネズミが紛れちゃったみたいです。

698 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:05:00
そんなネズ公は叩っ殺せや!

699 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:48:53
文章をぐぐれば出てくる
ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061223/mng_____tokuho__000.shtml

700 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 13:33:02
東京新聞なんか昔は匿名コラムで爺さんにしつこくケチつけてたのにな
今じゃコメント取りにいくようになったんだな
爺さんも変わったけど、メディアもずいぶん変わったな

701 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 15:58:09
それもあと1〜2年だけよ。
自慰サンの寿命もあるが、
メデイアでの団塊の世代の
ヴォケどもが定年できれい
さっぱり居なくなるからな。

702 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 22:42:50
初心者のファンなので良く知らないが、
吉本は団塊世代に人気なのでは?

703 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 22:48:29
初心者のファンなので良く知らないが、
吉本は団塊世代に人気なのでは?

704 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 23:29:56
初心者のファンなので良く知らないが、
吉本は団塊世代に人気なのでは?

705 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 08:51:08
団塊世代(だけ)に人気だろ

706 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 11:29:25
出版、TV、新聞なんかの団塊の世代が
定年で消えれば吉本隆明氏の露出度は
かなり減るかもね。

707 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 13:36:40
2006年発表されたの吉本隆明の単行本というと俺の目についた所では『家族のゆくえ』、『還りのことば』、文庫で『ひきこもれ』文庫版がある。雑誌関連でいうと『SIGHT』連載インタヴューが継続中。猫々堂から刊行中の『吉本隆明資料集』も刊行された。→

708 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 13:44:33
→最新の雑誌関連でいうと『文囈春秋』2007年1月号掲載の「いじめ自殺について」がある。
 2006年の吉本隆明というと、事件の暗鬱さ、救いのなさ、という点がそうさせるのだろうが、いじめ自殺への発言がやはり心に残った。→

709 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 13:52:33
→実際はいじめ自殺について、吉本は以前から発言しており、いじめ自殺への発言を含む『ひきこもれ』は2002年に刊行されている。しかし、いじめ自殺がいよいよ緊急対策必要として論じられ、しかもその防御策として決定的なものが見当たらない、という状況の中で→

710 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 14:01:32
→吉本隆明の発言を改めて辿りなおすとき、そこでの言葉の重たさが浮上してくる。鍵は《いじめる側もいじめられる側も、意識以前の段階ですでに傷ついている。その両者の間で起こる出来事がいじめである》という点。また、《いじめ自殺には親の自殺願望の代理の→

711 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 14:06:29
→意味がある》というのも重要だろう。
 いずれもいじめ自殺について、核心的な場所を射当てる言葉だと思われる。また、そこから、いじめ自殺への根底的対策も導かれる。それは既に『ひきこもれ』に書いてあることだ。
 結局吉本隆明の視線の→

712 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 14:12:49
→確かさをここでも健在だ、と云わざるをえない。吉本の思想営為、情況への眼差しはまだ生きている。

 ついでだが、猫々堂『吉本隆明資料集』が『心的現象論総論』をすべて刊行するつもりらしい。こちらにも期待したい。

713 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 10:49:24
自慰サンは無事に年を越えられたのかな?
ばななの日記にはなーんも書かれていないが、
自慰サンの糖尿病が急に悪化した旨を昨年末
に聞いたので心配してる。

714 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 22:31:49
とりあえずビタミンCを飲むだけでも症状が改善するよ >>糖尿病

715 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 01:31:31
684,685,686,687,690,691,692
吉本さんの子育て論がこれほど理解されにくいとは、驚きました。
吉本さんは現実にできることは簡単に話してるんですよね。
子供のまともな精神の発達にはさまざまな要因があるが、とりわけ胎児から一才までの
母親との物理的・精神的な関係がもっとも大事であると説く。
はっきり言えばその時期におだやかな精神状態を母親が持つことができれば、それが子供にも
伝わるわけだし、その安定した愛情を子供が引き受ければ無意識の領域における精神的な安定(愛情の充足)はその子の一生涯の
精神的な安定をもたらす。
逆にこの時期に母親の精神が不安定であればその子供はその不安な精神をそのまま刷り込まれて、不安な精神構造のまま一生涯を
すごすことになる。

母親が意識的に精神を安定にすることはやろうと思えばできることでしょう。
夫との関係をうまくやるとか、仕事をやめるとか、子育てでつらいときは祖父母に一時的に手伝ってもらうとか。
子供は言葉を使えない一才未満でも、母親の精神状態を100%理解できてるわけでしょう。
馬鹿な母親は乳児は食べ物さえやれば育つと思ってるかもしれないが、乳児は母親の愛情の有無を感じ取ってるわけですよね。
言葉を使えない乳幼児にたいして愛情を注ぐことは現実にできることじゃないか。
教育論として教えていいんだよ。
家族崩壊という問題は、確かに社会が押し付けてくることかもしれないが、吉本さんはできることを言ってるんですよ。
母親が今できることを言ってるんですよ。
子供は母親の愛情抜きでは決して育たない。
勿論そのことが人間のすべての社会的な精神不安を解消するわけではないよ。
吉本さんは今できることを言ってるんですよ。

716 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 07:08:15
715氏がいじめ自殺への吉本の提言をうまく整理しまとめてくれたという感がします。
 先に連ねた2006年の吉本隆明公式言説の補足で、弓立社から刊行中の全講演ライヴ集もあります。
 つい最近、DVD版『シンポジウム太宰治論』→

717 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 07:15:21
→は昨年刊行されたもので、単行本としては大和書房から既刊のものです。これは撮影はたしか学生が担当したもので、ショットや構図など、ロックのブートVIDEOで昔あったような遠距離撮影になってるのではないかとの心配もあったんですが、→

718 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 07:21:36
→講演部分に関しては近距離から中々良い角度で撮られていることを確認しました。音声も、発言者の滑舌の悪さで聞き取りにくい部分がある他は良好です。カラーは若干薄い気がしますがまあ問題ないと言って良いと思います。
 吉本の動く姿は→

719 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 07:28:03
→いつもそう思いますが独特なオーラ、身振り手振りが活発、時にべらんめえ調がでて興味津々。
 また、今は亡き故菅谷規矩雄の元気な姿や他の講演者の姿も克明に記録され、これも見所だと思いました。会場の雰囲気は当然のことよく伝わってきます。→

720 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 07:35:29
→途中客席の全景が何度か映されてますが、吉本の講演といえば文学青年が聴きにくるものという先入観があったんですが、意外に女子学生が多くて、これは意外だった笑。サクラってこともなかろうが、イメージ違うなあ、て感じ笑。みたいなことが色々わかる作品です。

721 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 02:38:28
あれは大学の文芸部に呼ばれていったんだろ
客呼んでやる公開講演会とはちょい違うだろ
女学生多いのも当然じゃね

722 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 12:46:49
>>715
<684,685,686,687,690,691,692
 吉本さんの子育て論がこれほど理解されにくいとは、驚きました。>

677氏の
「ああ、相変わらずの原罪は母親に在りの一元論だけど、
 あれってどこまで認められてんのかね? 」
という発言に端を発して、吉本さんの母子関係論に対する
矮小化された解釈、批判について論じているわけでしょう?
吉本さんの子育て論を解説してくれるのは結構だが
あなたこそ文脈に沿った個々の発言のニュアンスを理解できてないのでは?

「母親が意識的に精神を安定にすることはやろうと思えばできることでしょう。」
という表現も微妙ですが、どうかと思います。それはそうだけど、
そう簡単に言っちゃっていいのか?
吉本さんもそんな風な言い方してるんですかね?






723 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 18:28:32
>>722さんに同意。
吉本思想が微妙なところは、「母原論」「家病論」みたいな言説を煽ることに加担して
いるからで、そういう言説を煽る風潮がかえって母親を育児不安の精紳に追い込んで
いるという、現代の家族が置かれている情況を見落とし、解体する方に向かわせている。
実に皮肉な話です。
それが仮に吉本思想そのものに起因する必然的解釈だとするならば、吉本思想がもはや
「情況」から乖離した思想でしかない証拠であるとさえ思える。本質論としての母型論を語る
だけの思想ならばいいが、情況論を欠いた本質論は現実の思想としては使い物にならない。

724 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 18:34:27
>>723
> 吉本思想が微妙なところは、「母原論」「家病論」みたいな言説を煽ることに加担して
> いるからで、そういう言説を煽る風潮がかえって母親を育児不安の精紳に追い込んで
> いるという、現代の家族が置かれている情況を見落とし、解体する方に向かわせている。
> 実に皮肉な話です。

吉本さんはこの点を考慮して弁解していたのであったわけですが、その論点はすでに、
『性・労働・家族の噴流』で語られています。

725 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 10:06:37
これは吉本側近の月村敏行が昔、言ってていたと思うが
(それは、肯定的ニュアンスだったような)
、吉本はマザコンらしいね。
すが秀実の『1968年』が指摘しているが、『共同幻想論』で、
やりマン女でも生んだ子供が誰の子か分かるというようなトンデモなことを
書いているわけだから、吉本=マザコン説は当たっているでしょう。
「母原論」「家病論」のような発言は、つまりそこから出ている。

726 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 10:59:37
吉本の詩ってすごくないですか?
自分23ですが、この爺さんの詩に心底やられました

727 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:34:50
吉本さんの体調がかなり悪いらしいよ。

728 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 12:09:29
>>725
「吉本=マザコン説」も何も、ご本人が「自分はマザコンだ」って
ちゃんと言ってるでしょ。
浅田とかスガみたいな人たちは(そのシンパもそうだが)
真正面から理論の内容で勝負すればいいのに
なぜ吉本思想に対して当てこすりみたいな批判しかできないのか。

729 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:01:56
>>728
>なぜ吉本思想に対して当てこすりみたいな批判しかできないのか。
いつもこれは痛切に感じるね。
浅田とか、ホントにバカなのかと思ってしまうほど。
吉本ももっと考察されなきゃもったいないし、
浅田らももっとちゃんとしてれば能力を発揮できるだろうになあ。

730 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 17:04:31
浅田さんからしたら吉本は「今では信じがたいことだが柄谷以前は読まれていた。」
「今でも読めるものはない」という評価なんだから仕方がないでしょ。
浅田さんのお目にかかれない吉本が悪い。
例えば柄谷とかだったら、あえて無視するという方法をとるかもしれないけど、
浅田さんはご存知の通り公平な人なので、そういうルサンチマンはない。
その上で無視されているんだから仕方がないよ。

731 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:45:28
>>730
批判を前提とした無視ならいいけど、批判もなしに無視してるだけじゃん。
それが批評家の姿勢として正しいかねえ。

732 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:58:53
俺も20代半ばで吉本の詩にはハマったねー。大和書房から出てた全集撰1全詩撰だったが。ホントよく読んだな。日時計篇の「無心の歌」とか今でも覚えてる。あれは凄いよ。

733 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:03:40
ひとりよがりな文章に付き合うのは時間の無駄。
苦労してその著作者の論理を理解したところでそれだけの話。
何の応用も利かない。何の役にも立たない。無視するが吉。

734 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 05:14:01
田中康夫が石原慎太郎を評して
「臆病であるが故に虚勢を張るタイプ」
と言ってたけど、浅田にもそれは言えるね。
浅田の場合は「知的虚勢」だけど。


735 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 08:42:14
バカ右翼は嫌いだが、「土人」は言いすぎ

736 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 09:26:10
今日本には批評家が居ない見事にみんな村上春樹に飲み込まれたなw

737 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 11:10:16
>>735
吉本が浅田さんの土人発言に対して「そんならお前は土人の子なんだよ」
と言っていたよね
皇居前で天皇に向かって土下座するのが土人なら
大半の日本人はむかし土人だったし、てめえは土人の子なんだよと
浅田さんというのは、そういうところが丸っきり分かっていない
他人はいくらでも批判するけど、自分は無反省で済んじゃう人だよね

738 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 11:21:44
722.723.724
理論と現実という対比は簡単にしたくないが、この人らの言うことは吉本の思想・理論も突き詰めてないし
子育てという現実も見てない。
情況を欠いた本質論なんていうけども、どちらも浅はかな見方しかないだろう。
表面的な情況であり、表面的な本質だろう。
吉本さんはマルクスにならって情況論を書いてきたが、本質がわかってないものに真の情況論なんて書けるもんか。
理論が正しければ、実践は可能なんだよ。実践を躊躇するならば、そこには必ず理論の瑕疵がある。
書いたり口にするだけなら、情況や本質という「言葉」は誰でも可能なんだよ。
私は子育てという現実を見ろよ、とは決して言わない。
単に「もっと勉強したら」、というだけです。

確かに吉本さん自身も言葉がたりないな、とおもうところもある。
インターネットなんて自分ができないから理論的にはわかっても感覚的にはわかってないし、
子育てについてもやっぱり男の視点だろうと思うところもある。
しかし社会が家族を解体する方向にもっていっていることは、明らかなんですよ。
それは吉本さんが理論的にも感覚的にも、もうわかりすぎるくらいわかってますよ。
家族の解体の問題は、吉本思想の全体をみなきゃ。
吉本思想の全体を語れる容量を読者が持たなきゃ。
そういう総体性を吉本思想から読み取れば、情況論とそれに抵抗する吉本の対処法が
理解できるよ。
理想の家族や子育ての本当の難しさというのは、吉本が一番よくわかっているよ。

739 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 11:41:14
吉本さんは、啓蒙というものが大嫌いだから、子育てについては細かくああしろこうしろとは言わない。
それでもあの人にとっては特別といっていいくらい啓蒙してますよ。読者に対して。
それでも家族と社会との関係性とか、社会総体のことに対しては啓蒙しない。
啓蒙することの困難さというものもあるが、それ以上に大衆に対して謙虚なんですよ。
そういう思想なんですよ。
だから子育て論というのが吉本読者にとって奇異に思えるんだろう。
で吉本は現実総体が変わらなくても、できることはできると言い切ってるんですよ。

740 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 12:12:51
あんたは言っていることは正しいけど、
言い方がまずいから皆の反感を買っているだけ
もうすこし理解の得られやすい書き方にかえたほうがいい

741 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 12:46:43
「言っていることは正しいけど、言い方がまずい」
これこそ子育てで親が顧慮しなくちゃいけないポイントだね

742 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 13:33:28
吉本が30年位前、家族というのはだんだんなくなっていって
そのうち男女が結婚もせずに数ヶ月ずつ一緒になっては別れることを繰り返す時代がくると言っていた
そんときはまさかと思っていたけど、本当にそうなりつつあるな

743 :735、534:2007/01/06(土) 14:19:42
>>737
浅田や柄谷は、自分だけは特別だと思い込みすぎ。
少しは科学、生物学の基本も勉強して欲しいw

744 :722:2007/01/06(土) 18:19:11
>>738
確かに私が不勉強であることは認めます。ほぼ初心者といっていい吉本ファン
ですから。貴殿がいいたいことも何だかよく分からないくらいです。
でも1つだけ聞きたいのですが、677氏の
「ああ、相変わらずの原罪は母親に在りの一元論だけど、あれって
 どこまで認められてんのかね? 」
という問いに対して、貴殿はどうお応えになるのでしょうか?





745 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 18:45:54
744は吉本読者としてはよく読んでるしよく把握してるよ。よく説明できてる。云い方がまずいとは思えないがね。むしろ良い。
「相変わらずの母親原罪一元論」なんて単純ではないしね。今の社会状況では妊娠・出産・子育てをめぐる、女性の意識と現実の乖離がある→

746 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 18:49:24
→だから現実の方が女性の側の意識変化に合わせられるかが一つのPOINTである、正確な文言ではないが、たしかそんな話もしている。で、そんな指摘も吉本の言説を辿ってる人間には全く不自然ではない。理路としてそうなる、というのも頷ける。
 だいたい吉本の子育て論自体→

747 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 18:57:07
→昨日今日に考えられたものではないし、『心的現象論』の時代から膨大な論考の中で試行錯誤しながら考えられてきた、その適用だと言える。あの子育て論の深さは吉本の長年の研究の成果だと言える。
 正直あれが他人にどこまで認められてるか、→

748 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 19:00:17
→などたいした問題ではない。学会でどうだ、とかね。何故なら実際の、今現に生活し、家族の一員である俺にとり、あれほどリアルな家族論はないから。問題はそこだよ。

749 :722・744:2007/01/06(土) 19:52:30
>>745
>744は吉本読者としてはよく読んでるし

その続きの文脈から言うと744じゃなくて738さんの事ですよね?

>今現に生活し、家族の一員である俺にとり、あれほどリアルな家族論はない

私もリアルだと思いますよ。でも、学会でどうだとかではなく
それをリアルだと感じていないであろう677のような他者に
もっと説得的に伝わるようなロジックを吉本思想を支持する
人たちが持ったほうがいいと思うわけです。
吉本の子育て論をより普遍的なものとするためには
「正解としての吉本隆明」に自足するのではなく
むしろ吉本思想を補完しようという志向性を持つべきだと思います。
不勉強の身ではありますが、私はそういう志をもってモノを考えています。





750 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:37:46
>>744
「相変わらずの母親原罪一元論」は、母親が非常に大きな原因のひとつであるといえば認めます。
どこまで世間に認められているのか知りません。
私見ですが、残念ながら世間にはなかなか認められていないんじゃないでしょうか。
なぜなら心理学者はどうかわからないけども、すくなくとも現代の哲学者に吉本思想を受け入れる流れはないし、
精神医学者にしろプラグマチズムというかアメリカの精神医学の影響を受けているものが多く、薬で治療したがる。
テレビによく出る精神医学者とか評論家で、まともに母親の乳幼児への接し方の重要性を説く者は見たことがない。
笑われるかもしれないが、原理的なことはともかく子供の心の形成についてまともな話をしているのは、細木数子と江原啓之だけです。
とくに細木の言葉は本当に驚いた。
これほど心を構造的にわかりやすく、実証を交えて話せるものはいないと思う。
どんな学者もこれほど心の形を崩さないで、構造的に正しくそして実践的に話すことはできない、と思わせるものがある。
それこそ、吉本の母子関係論を補完するものですよ。
それに比べ学者馬鹿は大変多いね。
ここでもよく出てくるA・Aくんね。
彼がもっとも乳幼児期に母親の悪い影響を受けてますよ。

あとね、異常犯罪を犯した子供の母親を詳細に見ていけば、すべて共通してますよ。
私も自分なりに調べたが、ほぼ全員が幼児あるいは乳児の時に母親からまともな愛情を受けていない。
物質的には恵まれていても精神的な充足を与えられていない。
またこのことに対して母親自身が無自覚だ。
私の身近にもいる。子供が精神的におかしいなと思うものは間違いなく彼等の乳幼児期が不幸だ。
子供を愛そうとしても、さまざまな外部要因によって母親が精神不安になることはある。
これは不幸としかいいようがない。
しかし人には無意識の領域というものがあり、それがどう作られるかという知恵さえあれば、子供の精神不安は極力避けうるものだと思う。
「心という存在」のあり方ですよ。吉本さんのもっとも言いたいことは。

751 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 14:57:39
で、さしあたり中学生のいじめ自殺についてはどうすりゃいいのかね
乳幼児期に問題があるといったって、今さら戻れないんだぜ

752 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 20:57:36
これも吉本さんの言葉だけど、いじめられる者、いじめる者ともに母親を中心とする両親の乳幼児期の愛情の欠如に起因するとすれば、
子供に面と向かって自分たちが子供の乳幼児期にどうであったか、を詳しく話すことだと。
さまざまな事情があって親が精神不安定であったとか、ストレスの発散場所がなく子供にあたっていたとか、育児自体がいやで他人にまかせきりだたっとか。
もしそうであったとすれば、それを子供に話したうえで、子供に謝るべきだと。
親が子供に向かって自分たちのことを親身になって話し、謝罪する。
両親が自分たちのことをすべて語り聞かせれば子供は絶対に変わると。
両親以外の人間が話してもだめ。
これは私も同意する。
子供は自分の魂の出所がどうであったかを知り、そしてそれを謝罪されれば、そして親が死ぬまで子どもを見守る意志を示せれば、変わらないわけないだろう。

人間の心は、本当は胎児の時からの積み重ねであるはずなんだが、それが「現在」のものとしてしか存在しないというあり方をする。
だから心が、ひとりひとり自立しているように見えてしまうんだが、本当は体にルーツがあるように、心にもルーツがあるんだ。
私は、この心の有り様は吉本さんから教わった。
過去から発生したにもかかわらず、心は現在のものとしてしか感じ取れないものだと。
だからこそ、逆にいじめたりいじめにあう子の親は、自分の過去に無自覚であるかもしれない。
だとすれば、そういう親に対してそうじゃないんだと教えるしかないだろう。
我々も自分たちが子の親になったとき、子と親との「心の関係」について自覚的でなきゃいけないだろう。

753 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 23:13:18
しかし、今や20世紀も最後の四半世紀となり、成長の終焉を予感する声がいたるところで囁かれている。
―こうなると、パラノ社会はその病的な性格をあらわにせずにいられない。
―しかも、エディプス的家族はますますやっきになって子どもたちにパラノイアの病を押し付けようとし続けるのだ。
子どもたちがそこから逃げ出そうとしても何の不思議もない。子どもたちがパラノ人間には不可解な行動をとるようになったのは、
家族“の”病がもたらした徴候というよりも、エディプス的なパラノ・ファミリー“という”病からの逃走の開始にともなう摩擦なのだと言っていいだろう。

754 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 01:02:42
今は21世紀ですよ

755 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 08:21:34
ヴォケや早とちりは何処にでもいるんよ。
新春だーな、あんまり細部には拘泥しないように、ね。


756 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 10:27:06
>>753
パラノイアを生む現代人の精神構造そしてそこに導く社会構造については、別の話だよ。
話を早とちりするな、ってんだよ。
家族崩壊をもたらすのが近代の社会構造だと、いってるだろうが。

757 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 11:53:52
>>750
アメリカの精神医学界は一時期、力動精神医学(精神分析の流れを汲む)に染まった
歴史があることはご存知だと思うのですが・・・
その時代の精神医学関係の本を読むと、ほぼ「母親原罪一元論」一色という感じですよ。
アメリカほど精神分析が流行したところは他にないし。

758 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 19:43:17
「だいたいでいいじゃない」って大好き!

759 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:17:20
 吉本さんが高い評価を与えている臨床精神科医でサリヴァン(1892-1949)という人がいますね。この人の論文には乳幼児期や小児期へ注意を促す考えが盛り込まれ、興味深い。少し引いてみると、
《角度を変えてみれば、→

760 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:22:36
→我々は、我々が相手取った人物を鏡として、そこに我々の人格の鏡映像を見いだすのだが、〈自己self〉とはそのような鏡映像からできている、ということもできる。〈自己〉のもっとも原始的で、かつまたおそらくもっとも重要な由来は母親であり、→

761 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:26:16
→あるいは母親に代わり母親に相当する者、乳母などである。それに次いで重要というか補完的な部分を担うのは、父親ないしそれに代わる者だろう。これらの部分は、その幼児的な性格ゆえに極度に接近困難であり、以後の体験による修正力に対する耐性が高い。→

762 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:31:18
→もし、こういった〈自己〉の原始的な部分が後に〈自己〉に加わる部分とは似ても似つかない場合には、人格の成長は重篤に歪められ、その人は〈精神病質人格〉と呼ばれる、あの例外的な構造をとることになるかもしれない。》(『分裂病は人間的過程である』より)→

763 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:38:14
→サリヴァンという人は20世紀前半にアメリカで臨床精神科医としての治療と研究をした人のようですね。
 確かにこれは吉本さんの見方と非常に近い。また、臨床医として数多くの症例に当っているだけに説得力があります。ただ、この人の知見が今の精神医学で→

764 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:43:21
→どれだけ生かされているのか、については俺はまったく通じてない。ただ少なくともメディアに登場する精神科医からこのような見解が聴かされることは俺の知るかぎり殆どないといっていい。何か非常に勿体ないと思えますけどね。

765 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 01:30:18
良妻賢母にも必ず影はある。
エロ事師たち。

766 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 22:12:43
>>757
私は専門家ではないし勉強不足ですから、教えてくださってありがとう。
ただ、私の印象なんですが現代のアメリカの医学会自体、非常に生理学的というか物理的に人間を見ていませんか。
日本の精神医学者がアメリカの精神医学の影響を強く受けている、というのは吉本さんの言葉なんです。
私自身もそう感じたものですから。
精神分析がアメリカでもっとも流行したというのは、何でも一度は引き受けてしまうアメリカらしいと思います。
しかし、精神病患者の精神を生理に還元してしまう治療の仕方ばかりが目に付くのはどうしてでしょう。
薬で治療するというのは、手っ取り早いと思うんですよ。

767 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 22:47:53
>>766
薬出してりゃ、とりあえず金とれるしね

768 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 22:56:35
乳幼児期に不幸があった場合、
本人はそのことを受け入れると完治するのかな?

769 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:27:42
精神(心的現象)は生理に還元できない....のが心的現象論の基本的な認識だったね

770 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 01:06:15
精神病が薬で治るなら、吉本の全思想体系は崩壊するよ
吉本が自分でそう言っている
つーかその時点で哲学・思想はすべて不要になる

771 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 08:45:43
心的現象は生理に還元できない、が、
生理より多大なチョッカイを受けざるを得ない、と。

772 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 10:28:48
既に鬱病は脳の一部分に電気ショックを与えれば治る時代になっている。

773 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:21:47
眼が悪いのは、メガネをかければいい

774 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 13:51:39
行く着く処、基地街は殺せばいい、と。

245 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)