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【訃報】台湾の鄭春河氏が逝去

1 :美麗島の名無桑:2005/12/25(日) 15:09:38
 異郷の地となった台湾から「日本人よ、目覚めよ」と『嗚呼 大東亜戦争』などの冊子
を次々と日本に送り出し、平成10年12月8日、『台湾人元志願兵と大東亜戦争』と題してま
とめられた台湾の鄭春河氏が去る12月22日(木)午後8時、入院中の台南病院にて逝去さ
れました。享年87歳でした。ご生前のご功績を偲び心からご冥福をお祈り申し上げます
 ご葬儀の日程は下記の通りです。

日 時 明年1月8日 午前10時より
会 場 台南市「台南市殯儀館」
    *会場は中華南路と国民路の交差する十字路にあるとのことで、鄭先生が以前お
     住まいであった台南市のご自宅のそばです。タクシーの場合「台南市殯儀館」
     の文字を見せますと大丈夫だと思われます。

 喪主は奥様なのかご子息なのかまだ不明ですが、現在の鄭春河氏のご自宅の住所は以下
の通りです。

台湾・高雄縣湖内郷中山路二段38−5號
(嗣子 鄭名峰氏)

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鄭春河氏(日本名:上杉重雄)
大正9年、台湾・台南州北門郡佳里町生まれ。昭和14年、早稲田大学中学部(校外生)
卒業後、台南神社にて神職教育を受け、北門郡雇員(公務員)と北門神社奉仕を兼務。
同17年、特別志願により陸軍第一補充兵に編入。翌年、台湾第四部隊に入営後、豪北
派遣。チモール島にて終戦。21年6月、復員して台湾に帰郷。戦後、日本人容疑で検
挙されるも、無罪判決により政治大学課程を履修。製油会社等の部長を歴任後、社長・
顧問を歴任。平成9年、台南・延平郡王祀(鄭成功廟)にて催された複台記念日祭典
に神道式祭典を斎主として厳修。同10年、台中・宝覚禅寺の「霊安故郷」碑前にて催
された「台湾同胞戦争裁判犠牲者合祀祭」の神道式祭典を斎主として厳修。同17年
12月22日、台南にて逝去。


2 :美麗島の名無桑:2005/12/25(日) 15:19:13
2

3 :美麗島の名無桑:2005/12/25(日) 17:36:37
友よ、天皇陛下の御名のもと美しい日本国を築こうではないか。


           .,.v-ー''″ ミ,
         ,,/  ,,,,   ミ
       .,/   ,,|||||||,,  ミ.
       ,!′  ,,||||||||||||| .゙゙!;
      ノ   |||||||||||||||||  ゙`!;        日本人だけの特権!
      .\.,  "|||||||||||||"   ..ミ            世界の中心で天皇陛下万歳を叫ぶ!
        .\  "|||||||" ,.,v-r|i
         )   ""  ./ ′ .ミ,
         .)    .,r'′   ミ.
          .゙'ー‐'¨¨″     フ∧_∧
                    r(,,゚Д゚)
                     〉日本つ
                    ⊂、 ノ
                      し'

     天 皇 陛 下 万 歳 !

日出づる処の極東板より
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1135328170/

4 :美麗島の名無桑:2005/12/25(日) 17:40:15
http://tendensha.co.jp/daitoa/dai162.html
http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1890/102.html
http://tkikan.cside3.jp/home/senchu_ha/yasukuni/index9.html

5 :美麗島の名無桑:2005/12/25(日) 23:08:46
これもぜひ
http://www.senyu-ren.jp/AA/AA.shtml

6 :美麗島の名無桑:2005/12/26(月) 00:37:28
鄭先生の思ひ出  横川 清和

 先程、鄭春河先生の御逝去の報に接し、言葉もありません。
 思ひ起せば鄭先生と初めてお目に掛つたのは平成八年の夏でした。
 予てより、先生の『嗚呼、大東亞戰爭』を拜讀し、深く感銘を受け
てをりましたので、訪臺を機に是非とも直接お話を伺ひたいと、臺南
の立人大飯店からお電話を差上げました。翌日の午後、お目に掛り臺
灣料理を御馳走になりながら、日本時代の臺灣のこと、戰後のこと等
盡きぬお話を伺ったことが昨日のことの樣に思ひ出されます。その翌
日も態々早朝からホテルまで見送りにお出で戴きました。

 それ以降も、臺南に伺ふ度に鄭先生をお訪ねしました。小生は折角
の臺南なので、「擔仔麺」始め臺南料理を食べたいと思つてゐたので
すが、何時も日本料理店に御招待戴きました。先生曰く、「日本人の
お客が来た時くらゐしか、なかなか日本料理を食べる機会がなくてね。
此処の店(群馬縣出身の日本人が經營)は臺灣式日本料理ぢやないか
ら美味しいんだよ」とのこと。

 前回の闘病では癌と誤診され淋巴を手術されたこと、多少手が不自
由になつて文字が書きにくくなつたがリハビリに励んでゐること等伺
ひました。中でも、息子さんが先生の健康を案じて、日本との聯絡を
禁止し、果てには日本のニュースを見ることも禁じられたとか。日本
の現状を知つては默ってゐられない先生のお人柄が傳はります。その
後、健康も順調に恢復なさり、自分の中で「鄭先生は不死身なんだ」
と云ふ、變な安心感がありました。

 最後にお目に掛つたのは、正に三年前、平成十四年十二月二十六日、
雨が降つてゐた肌寒い日でした。鄭先生の戰友の王さんと、私の友人
を加えた四人で一寸遅い晝食を食べました。その席でも先生は、「日
本語世代の仲間や戰友はどんどん少なくなるし、王さんと日本語で話
すのが何よりの樂しみなんだ。」と仰つておいででした。

 その後、御子息が先生の療養の爲にと高雄郊外にお住いを買はれ、
居を移されてからは高雄まで足を伸ばす機会はなく、お手紙での遣り
取りばかりですつかり御無沙汰をしてしまつてをりました。

 年末には年賀状と共に、皇室カレンダーと靖國カレンダーをお送り
するのが習ひとなつてをり、今年もつい先週にお送りしたばかりでし
た。

 先生は、お目に掛る度に仰つていました、
「いくら私達、日本時代を知る臺灣人が大東亞戰爭を評價しても、日
本政府自からが謝罪などしてゐるから、息子からも『親父がいくら日
本、日本て言つたつて、日本が侵略戰爭をしたつて謝つてゐるぢやな
いか』と言われてしまふんだ」と。

これは鄭先生に限つたことではありません。勿論、背景に國民黨の反
日教育があることは確かですが、臺灣の日本語世代にこんな悲しいこ
とを言はせてしまふ我國政府と、我國の教育を思ふ時、臺灣の方々に
お返しする言葉がありませんでした。

鄭先生、これからもどうぞ我が日本國をお見守り下さい。

 そして、日本と臺灣との誼が永遠に續きますやう、お導き下さい。
 謹んで、鄭春河(上杉重雄)先生の御冥福をお祈り申上げます。

『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html



7 :美麗島の名無桑:2005/12/26(月) 00:56:58
そんなのどうでもいい。どうあがいても中、朝、韓、台は、日本には、勝てないよー武力でも勝てないよー

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