5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

オスマン朝

1 :壮麗王スレイマンT世:01/12/11 14:03
イスラム史における最強の大帝国
そんなオスマン朝について存分に語るがよい

2 :世界@名無史さん:01/12/11 14:16
オ○マン○

伏せてみた.

3 :世界@名無史さん:01/12/11 14:19
テリー・ギリアム『法螺吹き男爵の冒険』萌え〜

4 :世界@名無史さん:01/12/11 14:22
押すマンチョ

伏せてな〜い.

5 :世界@名無史さん:01/12/11 14:26
>>2 伏せるんじゃねぇ!
>>4 見せるんじゃねぇ!

6 :三村:01/12/11 14:27
ボケとツッコミしかいないのかよ。

7 :世界@名無史さん:01/12/11 16:14
そのうちまともな輩もやってくるだろう。
オレはそのときまで待つとしよう。

8 :   :01/12/11 17:00
それでオスマンってどういう意味よ?

9 :世界@名無史さん:01/12/11 17:08
広大な領土が欧米列強に侵食されていく近代の歴史に
悲哀感を感じる

現在のトルコの領土ってオスマン朝の最盛期の何分の一なんだろう?

10 :世界@名無史さん:01/12/11 18:01
>>9
おいらも同感。
オスマン朝好きには悲しいよ。
十分の一・・・そこまでいくかなあ?

11 :世界@名無史さん:01/12/11 19:28
俗にいうキョプリュリュ時代とは
どんな時代のことなのでしょうか?
ご説明おねがいします。

12 :世界@名無史さん:01/12/11 20:00
>>11じゃないけど、マイクロソフトのエンカルタ百科事典では
「トルコ」の項にこう書いてありました。

 >…ムラト4世の後継者はふたたび以前の腐敗を帝国内にもちこんだ。
 >ベネツィアとの戦いでダーダネルス海峡が攻撃をうけたため、
 >それをみかねた宰相によるキョプリュリュ朝が誕生。彼らは
 >ムラト4世の方法で古い機関を改革した。オスマン帝国は勢力を
 >回復し、キョプリュリュ朝最後の宰相カラ・ムスタファ・パシャは、
 >1683年にウィーン占領をこころみた。しかし、はげしい抵抗に
 >あってオスマン軍は完全に崩壊し、カルロビツ条約(1699)で、
 >東ヨーロッパの領土をオーストリア、ベネツィア、ポーランド、
 >ロシアに割譲することになる。

「キョプリュリュ朝」とあるけど、この表現は適切なんでしょうか。
宰相が帝位を簒奪して、スルタンになったということ?

13 :【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 20:01
ティムールよ、ブルサも攻略せよ!

14 :世界@名無史さん:01/12/11 20:44
>>8
安楽いすの足載せの事

15 :世界@名無史さん:01/12/11 20:56
皇帝の代替わりの時は、地方にいた皇子たちが
イスタンブールへ赴いて、一番最初に入城できた者が
帝位を継いだんだっけ?で、ほかの皇子たちは殺されてしまう。
代々兄弟殺しの繰り返しで、この風習がなくなったのはかなり後期になってからとか。

歴代皇帝はみんな「朕亡き後にこの子たちは殺し合うのだな」とか思ってたんだろうか?

16 :世界@名無史さん:01/12/11 21:02
>キョプリュリュ朝

おかしいと思う。

17 :世界@名無史さん:01/12/11 21:48
>>13
ティムールはアンカラの戦いの後に
実際に孫のムハンマド・スルタンを派遣して
ブルサを攻略しているよ。

18 :【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 21:53
>17
そうだったのですか、ありがとうございます。
オスマン王朝滅亡のチャンスに、ビザンティン帝国は
何をやっていたんだ。

19 :世界@名無史さん:01/12/11 23:23
>>18
15世紀初頭のビザンツ帝国にはもはやそのような力はなかったんじゃないかなあ。
領土もコンスタンティノープルを残すのみだったし・・・。

20 :世界@名無史さん:01/12/11 23:35
>>8
オスマンはオスマン朝の始祖の名で、第三代正統カリフ・ウスマーンに由来するムスリム人名です。
ただし、オスマン1世自身の本来の個人名は
アタマン、トマンのようなトルコ語のもので、
アラビア語に書き移されるときにムスリムらしいオスマンに改められたという説が有力です。

>>11-12
キョプリュリュ時代は、キョプリュリュ家出身の大宰相
(キョプリュリュ・メフメト・パシャ、
その子キョプリュリュ・ファーズル・アフメト・パシャ、
メフメトの娘婿カラ・ムスタファ・パシャの3人)
が相次いで就任して国政を主導した17世紀後半のおよそ35年間を指す言葉です。
キョプリュリュ朝という語は初耳ですが、英語でKopururidとでも言うのでしょうかね?
この時代にオスマン朝はある程度の国勢を回復し、
クレタ島征服、トランシルヴァニア併合、ポドリア・右岸ウクライナ占領を果たして
オスマン朝の最大版図を達成することにも成功しますが、
結局第二次ウィーン包囲に失敗、それに始まる戦争にも敗れて
オスマン朝衰退の始まりであるカルロヴィッツ条約を招きました。
キョプリュリュ家自身は没落せずに中央政府の有力家門として残り、
オスマン朝の滅亡まで多くの高級官僚を輩出しました。

21 :世界@名無史さん:01/12/12 01:53
>>20
詳しい解説有難うございます。
やっぱり「キョプリュリュ朝」は変ですよね。
王家が交代したわけでもないのに、なんだって
こんなこと書くんだろ。

22 :12:01/12/12 02:16
20=12です。

23 :12:01/12/12 02:17
↑間違えました。21=12です。須磨蘇。

24 :シャー・イスマーイール:01/12/12 13:38
誰かサファヴィー朝について語りたい人はおらんか?

25 :世界@名無史さん:01/12/12 13:40
>>24
スレ違いです。オスマン朝とサファヴィー朝の関係について論じる
のであれば構いませんがね。そういうことは『イスラーム史総合掲示板』へ

26 :25:01/12/12 13:43
失礼。『イスラーム史総合スレ』の誤りです。
でもイスラーム史だけで独立した掲示板も欲しいですね。

27 :11:01/12/12 16:05
>>20
私のくだらない質問に答えて下さりありがとうございます。
またこのような質問レスをあげた時にはよろしくお願いします。

28 :世界@名無史さん:01/12/12 21:28
歴代のオスマン朝のライバル国家を挙げてみよう。
まずはおいらから
サファヴィー朝

29 :世界@名無史さん:01/12/12 21:46
英語だとオットーマン。萌え。

30 :世界@名無史さん:01/12/13 00:59
600年王朝マンセー

31 :世界@名無史さん:01/12/13 01:12
オスマン朝はアンカラの戦いでティムールに敗れて領土も故地ブルサ
周辺だけになったと聞きますが、そこからどのような経過を経て復活し
約50年後にビザンツ帝国を攻め落とすに至ったのでしょうか?その経緯
について教えて下さい。

32 :【^▽^】縄文太郎ジョーカー:01/12/13 01:48
>31
いえ、ブルサなど西アナトリアの他、
ペロポネソス半島・マケドニア(ギリシア北部)・
トラキアも占領し続けていました。

33 :世界@名無史さん:01/12/13 01:51
>>31
ブルサしか残らなかったわけではありません。
アンカラの戦い(1402年)直後
(このあたり本によって記述が錯綜していて私も混乱しているのですが、どうも)
ブルサ近郊の西アナトリアを領したのはバヤズィトの諸子のうちイサ皇子で、
エディルネ(アドリアノープル)を中心とするバルカン領には
アンカラから無事撤退しほぼ無傷で中央軍を維持していたスレイマン、
アマスィヤを中心とする北アナトリアには同じく無傷のメフメトが
それぞれ自らの基盤を固めて、後継者争いを起こしていました。
しばらくのちにはバヤズィトとともにティムールの捕虜になっていた
ムサ皇子が帰還してこれに加わっています。
要するに、分裂したってことですな。
バヤズィト晩年の征服地には再独立されてしまったようです。

イサはスレイマン・メフメト・ムサ連合に敗れて早々に脱落、
スレイマンは酒乱で自滅しメフメトの支援を受けたムサがエディルネを継承、
最後にアナトリアを押さえたメフメトとバルカンのムサが決戦して、
1413年にメフメトがオスマン朝の再統一を果たしました。
このメフメトの息子ムラト1世(メフメト2世の父)が英主で、
彼の時代にバヤズィトが失ったものをほとんど取り戻したようです。

34 :31:01/12/13 01:59
>>32>>33
ご回答いただきありがとうございます。
おかげですっきりしました。

35 :世界@名無史さん:01/12/13 02:55
>28
やっぱハプスブルグ朝でしょう。
誕生も滅亡も同時期だし。

36 :世界@名無史さん:01/12/13 10:17
オスマン朝のスルタンて結構大酒飲みが多かったというのは
ホントですか?
あと、ハーレム内で育ったせいで人格的に異常な者が多かったとか。

37 :世界@名無史さん:01/12/13 12:39
>>36
「酩酊者」と仇名されたスルタンがいたような気がする。

38 :世界@名無史さん:01/12/14 02:24
>>36
ハーレムというか、「兄弟殺し」が廃れたのち(17世紀〜)は
新たな帝位争奪予防策としてスルタンの兄弟たちは
「鳥かご」と呼ばれる座敷牢みたいな部屋に幽閉されたそうです。
なので、しばしば兄弟や叔父、甥、従兄弟を継いで即位した後期のスルタンは
異常人格者とまでは言わずとも、酒好き・狩猟好きが多かったと言われています。
政治に熱心だと、逆にうざったいというので廃位されてしまうくらい。

>>37
「酩酊者」といえばスレイマン1世の息子セリム2世ですね。

39 :それるけど:01/12/14 04:39
ニューヨークのハーレムって
どうしてハーレムなのさ?

40 :世界@名無史さん:01/12/14 07:51
>39
それはオランダ語の「ハールレム」の英語読み。

41 :世界@名無史さん:01/12/14 08:13
>>40
そのハールレムって何だよ?
いやなこたえ方するなよ。

42 :40じゃないが:01/12/14 13:24
>41
17世紀に入植したオランダ人の故郷の都市の名前(Haarlem)が
ニューヨークの(Harlem)の語源だよ。ちなみに後宮は、Harem。
スレの趣旨から離れた質問なのに答えてくれた人(40)に対し、
とげとげしい言い方するはやめとけ。

43 :世界@名無史さん:01/12/14 13:53
なるほど。NYの地名と後宮とを混同するのはニポーン人だけってことやね。

44 :41:01/12/14 20:39
>>42
ありがとう。
>>40>>42氏を見習うように

45 :世界@名無史さん:01/12/14 21:49
質問です。
このスレにはオスマン語を理解できる方も大勢いらっしゃると
思うのですが、
アラビア文字で書かれたオスマン語の何かよい文法書をご存知
のかたはいらっしゃいませんか?
誰か教えてくれませんか?

46 :世界@名無史さん:01/12/14 22:30
自転車小僧出番だぞ

47 :オスマン語初学者:01/12/14 23:25
>>45
オスマン語やってる人って大勢いるのかな(汗)

文法書は…私は知らないです。
目下現代トルコ語とアラビア語とペルシア語のなけなしの知識と
レッドハウスの辞書でなんとか格闘しているところなので…。
お役に立てなくてすいません。

語学板のトルコ語スレはどうですか?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/999870124/l50

48 :世界@名無史さん:01/12/15 00:34
文法書は英語のやつがあるよ。最近日本語で文法書出たらしいけど
あんまりらしい。
結局>>47の言うようにやるしかないでしょう
ペルシア語の辞書は以外に使えるよ。発音は違うけど

49 :世界@名無史さん:01/12/15 01:22
>>33
メフメト1世の後継者はムラト2世では?
ムラト1世はバヤジッド1世の父親のはずです。

50 :33:01/12/15 02:16
>>49
すんません、御訂正の通りです…。

51 :世界@名無史さん:01/12/16 18:06
age

52 :クレアラシル:01/12/16 21:13
不正規兵部隊アクンジュの構成を教えてください。
やはり征服された地方のキリスト教徒なんだろうか?

53 : :01/12/16 22:19
押すマンチョ ダメなら 引くマンチョ。

54 :世界@名無史さん:01/12/16 23:41
オルハンの功績について教えておくれ。

55 :世界@名無史さん:01/12/17 00:11
>>52
アクンジュは主にアナトリアのトルコ系遊牧民(ユルック)です。
征服地のキリスト教徒も入っていたかもしれませんが、
正規の報酬はなく、代わりに敵地での略奪が認められていたそうですから
性質的にはまったく遊牧民という気配がしますね。
正規騎兵であるスィパーヒーの初期の登録台帳には
明らかにキリスト教徒と見られる人名が混じっているそうです。
征服地の騎士がそちらに取り込まれた可能性もあるでしょう。

>>54
やはり、ビザンツの内紛に積極的に介入しガリポリを獲たこと、でしょう。
そしてオスマン朝の実質的な建国者として、国家組織を整備したこと。
かつてはイェニチェリの創設もオルハンの功績とされてきたのですが、
最近の説ではどうやら次のムラト1世の時代だったということです。

56 :世界@名無史さん:01/12/18 00:12
>>45
オスマン語の文法書ならJ.NemethのTurukish Grammar
最近勝田茂氏が日本語訳版を作ったらしいが。
辞書ならRedhouseのTurkish and English Lexiconがいいよ。

57 :クレアラシル:01/12/18 00:22
>>55
詳しいですね。
どうもありがとう。

58 :世界@名無史さん:01/12/18 00:57
私はビザンティン帝国好きなのでオスマントルコは嫌いです。
しかし、トルコには親日派が多いと聴き、複雑な心境です。

59 :世界@名無史さん:01/12/18 02:23
私は>>58氏とは違いビザンティン帝国史好きですがオスマントルコ帝国史も好きです。
しかし、塩野七生女史はあまり好きではありません。
オスマントルコは異教徒(ユダヤ教徒等)に寛容だったところがビザンティンよりいいですね。

60 :世界@名無史さん:01/12/18 22:28
オスマンもビサンツも最高!

61 :世界@名無史さん:01/12/19 00:26
アンカラの戦い前後を詳しく知りたいなー
イエニチェリもティムールの騎馬軍団にはサパーリ
だったのかな。あと急速に復興した理由ってなに?

62 :世界@名無史さん:01/12/19 00:32
>59
塩野女史の本の
「征服王マホメット一世がイタリア人画家ベリーニの前で実際に人間の
首を切ってみせた」
という話はヨタ話だと、
ギボンの『ローマ帝国衰亡史」の註に書いてあった。
おそらく西欧人がトルコ人への偏見からつくりだした
話だろう。

63 :世界@名無史さん:01/12/19 00:48
>>61
アンカラの戦いの経緯はここが詳しいですよ。
ttp://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/ankara.html
バヤズィトの時代はまだイェニチェリも数が少なく、
主力というよりは親衛隊だったみたい。

たった10年で再統一したというのもあるけど、
けっきょくオスマン朝の他にロクな勢力がいなかったからでしょう。
ビアンツもなーんにもしなかった(できなかった?)し。

64 :世界@名無史さん:01/12/19 00:56
パレオロゴス朝の頃のローマ帝国に復興の目はなかったでしょうね。

65 :世界@名無史さん:01/12/19 01:39
>>63
http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/ankara.html
このサイトは「戦術の世界史」のアンカラの戦いについて書かれたページですね。
>61氏が知りたいのはその前後ではないのか?

66 :世界@名無史さん:01/12/19 22:50
チューリップ時代についてご説明下さい。

67 :63:01/12/20 00:06
>>65
ああ、そうか…。
すいません。>61

バヤズィト1世はアナトリアに割拠していた小君候国を制圧し、
ヨーロッパ方面ではニコポリスの戦いで十字軍を撃破(1396年)、
コンスタンチノープルを断続的に包囲して圧迫していた。
ティムールのほうはすでにイラク・クルディスタンを占領しており、
インド遠征(1398-1399年)から帰還後、
グルジアに再進出して西方を伺っていた(1400年)。
はじめティムールはマムルーク朝と事を構えるため、
オスマン朝領のシヴァスを攻撃するに留め
コンスタンチノープル攻撃を「聖戦」とたたえて兵を退いた。
ティムールはダマスカスとアレッポを落し(1401年)
マムルーク朝を屈服させると
再び兵をアナトリアに向けアンカラの街を包囲、
バヤズィトはコンスタンチノープルの包囲を解いて
アンカラ救援に向い、こうしてアンカラの戦いが起きた(1402年)。
この戦いで、バヤズィト1世と末子ムサが捕虜になり、
離脱した長子スレイマンはヨーロッパ側の領土に逃走。
アナトリアのオスマン領の多くは元の君候に返還され再建
(コニヤのカラマン君候国、キュタヒヤのゲリミヤン君候国など)、
わずかに西アナトリアのブルサ周辺がイサ(バヤズィトの子)に、
北アナトリアのアマスィヤ周辺がメフメト(同上)に残された。
1403年に虜囚のバヤズィトが死に、ティムールが中央アジアに引き上げると
バヤズィトの息子たちの間で後継者争いが起こった。
1404年にメフメトがイサを破りアナトリアを制覇するが、
バルカン側のキリスト教徒を味方に付けたスレイマンに脅かされた。
対抗してメフメトはティムールの元から解放されてきた弟ムサを助け、
バルカンでムサはワラキア公やセルビア公の支援を受けて
スレイマンの根拠地エディルネ(アドリアノープル)を制圧(1410年)。
バルカン側のムサとアナトリア側のメフメトの間で決戦となり、
1413年にメフメト(1世)が勝利してオスマン朝の再統一が果たされた。

オスマン史概説書の語るところによると、こんな経緯。
ビザンツ側の対応についてはギボンの『ローマ帝国衰亡史』が詳しいです。

68 :世界@名無史さん:01/12/20 07:16
>>63>>65>>67
詳しい解説ありがとう。アンカラ後のオスマンはやはり相当混迷してたんだねえ。
この機に成果を残せなかったビザンツは国家として寿命だったのか。最後のチャンス
だったのにね。

69 :世界@名無史さん:01/12/21 11:59
救出あげ

70 :世界@名無史さん:01/12/21 19:15
プレヴェザの海戦の経緯について教えて!

71 :63:01/12/21 23:47
質問スレ化してない…?

>>66
平凡社の『イスラム事典』等で当該項目を調べられればよろしいかと。
なんでしたら引き写しましょうか?

>>70
簡単な経緯なら「戦術の世界史」にありました。
ttp://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/e1517.htm

72 :世界@名無史さん:01/12/22 00:09
>>71
別に構わないでしょう。オスマン朝についてもっと知りたがっている人が
質問して71さんのような博識の方がお答えになる。
まあオスマン朝について語れる人がやや少ないのは残念ですが・・・。
何としてもこのスレは守らねば・・・。

73 :世界@名無史さん:01/12/24 00:06
エウリヤ・チェレビについて語れるものはおらんか?

74 :世界@名無史さん:01/12/24 23:57
age

75 :世界@名無史さん:01/12/25 00:25
お隣に有ったキプチャク汗国も結構な大国で、ビザンチンやロシアにも影響を
与えてたと思うんだけど。
他の中央アジアの帝国と違って、全然取り上げられないのは何でなんだろ。
単純にオスマンの属国だったのかな?

76 :世界@名無史さん:01/12/25 10:14
イル・ハーン国もたしかモンゴル帝国由来・・・
ここのガザン・ハーンはシーア派に帰依した。
モンゴル帝国のあとはティムール帝国で、その後
クリム・ハーン国
アストラハン・ハーン国
カザン・ハーン国
シベリア・ハーン国
ヒヴァ・ハーン国
ブハラ・ハーン国
などの小王朝が並立していた。

77 :71:01/12/26 01:04
>>72
是非質問以外のネタください(w

>>73
エウリヤ・チェレビーというと17世紀の旅行家・著述家ですよね。
彼の旅行記は当時のオスマン朝領各地の貴重な情報なんですが、
記述に誇張が多いそうです。

>>75
キプチャク・ハン国はオスマン朝の属国ではないですよ。
ただ、キプチャク・ハン国の継承国家のひとつ
クリム(クリミア)・ハン国が15世紀から18世紀までオスマン朝の保護国でした。

>>76
ガザン・ハーンはスンナ派だったと思いますが…。
サファヴィー朝のイスマーイル1世と混同してませんか?

78 :世界@名無史さん:01/12/27 00:36
キターブ・バフリエ

79 :世界@名無史さん:02/01/01 12:52
age

80 :世界@名無史さん:02/01/01 21:29
みんなの好きなオスマン朝のスルタンは?
僕はメフメト2世かな。
ビサンツファンには申し訳ないが・・・。

81 :世界@名無史さん:02/01/01 22:29
スレイマンしかいないでしょう

82 :世界@名無史さん:02/01/01 23:43
赤いスルタン萌え〜

83 :世界@名無史さん:02/01/04 21:17
文春文庫からでてる「チューリップ・
バブル」オランダの話かと思いきや
オスマン朝の話が三分の一くらいしめ
てました。面白いエピソードもかかれてる。
イギリスの人の書いた本なので、真実
かどうかはわからないけどチューリップ
時代の話ものってたYO!

84 :世界@名無史さん:02/01/05 04:23
オスマンってヨーロッパ方面ばかり見て、アジア、アフリカの領土っておざなりだったよねー。
アラビア海からポルトガル船締め出す位やって欲しかった。
あと、アラブ人もきっちり抑圧しとけって。
そこが原因で今だ中東は混迷状態じゃねーか。

85 :世界@名無史さん:02/01/05 09:36
オスマンに中東問題の責任はない!
エゲレスがいけない

86 :84:02/01/05 17:02
>>85
ああ、もちろん責任なんてないよ。
でも、中東や北アフリカはオスマン内なのに、半独立政権の温床だったから。
エジプトのムハンマド・アリーやワッハーブ派に対して、きちんと対処してたら、列強も迂闊に果てを出せなかったのでは?と言いたいのだ。
もちろん、無理な話だろうが、、、

87 :世界@名無史さん:02/01/05 18:12
>>86
オスマン時代にパレスチナ地区のユダヤ人を迫害してきたことが、
今日の火種のひとつじゃないか?

88 :世界@名無史さん:02/01/06 23:40
>>87
そうなんですか?
オスマン帝国は寛容で
スペインを追われたユダヤ人が大量に流入したりと、
マイノリティにとって良い国だったようにしばしば言われますが、
実際のところどうだったんでしょ。

89 :nasu:02/01/07 01:46
ottomann

90 :世界@名無史さん:02/01/07 10:33
私も、オスマンは宗教に非常に
寛容だったから、ユダヤ人も暮らしやすかった
って聞いたよ。

91 :世界@名無史さん:02/01/09 01:41
オスマン朝の過去スレッド

】】】】】】オスマン・トルコ【【【【【【 (50)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1000/10003/1000382189.html
>オスマン・トルコ< (41)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/975/975185222.html

92 :世界@名無史さん:02/01/09 03:57
>>91に追加
オスマン帝国
http://mentai.2ch.net/whis/kako/947/947785542.html

93 :世界@名無史さん:02/01/09 05:52
>>91-92に追加
トルコのスレイマン国王について(51)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/978/978955916.html

94 :世界@名無史さん:02/01/10 23:14
スルタン・ジェムについて詳しく記した本はないか?

95 :名無し:02/01/13 02:28
鈴木薫氏ってどう?
法学部出身なのに歴史学にも詳しいの?

96 :世界@名無史さん:02/01/14 01:44
オスマントルコは尚武の国だから、キリスト教徒とかユダヤに寛容なんでしょ?
しかもそれが技術者ならなお歓迎。

なんかアブラムシ飼うアリの帝国みたい

97 :雷怒:02/01/15 14:15
>>95
十数年前に教えを受けました。
東大法学部の政治学科だったのではないでしょうか。(確か舛添洋一も)
それで現在は東洋文化研究所の教授でしたっけ?

98 :世界@名無史さん:02/01/17 13:40
オスマン朝研究の第一人者って誰よ?

99 :世界@名無史さん:02/01/17 14:38
>>90
ヨーロッパで迫害されまくって逃げ込んできたユダヤ人を、受け入れたから
感謝されたという話

100 :世界@名無史さん:02/01/17 15:30
>>94
ないと思います。
文学ならあるかもしれませんが。

>>95
「薫」じゃなくて「董」です。
詳しいもなにもほとんど史学の論文しか書いてないと思います。
法学部出身どころか法学博士なんですが…。

>>96
オスマン宮廷では文学が盛んでしたよ。
ディーワーン詩、年代記、政治論など。
技術者や職人も異教徒ばかりではなかったようです。
建築家ミマール・スィナンは改宗ギリシア人だったかな。

>>98
日本の研究者ですか?
政治史なら鈴木董教授、社会史なら明治の永田雄三教授でしょうか。

101 :世界@名無史さん:02/01/17 15:33
♂マンコルト

102 :世界@名無史さん:02/01/17 17:02
♀マントコル

103 :世界@名無史さん:02/01/18 12:42
やはりオスマン朝研究は東大系が強いのですか?
京大系は何が強いの?

104 :世界@名無史さん:02/01/19 13:06
>>103
中央アジア史(ティムール朝とか)

105 :高校生:02/01/23 17:48
私はオスマン朝に興味があり、大学ではオスマン朝を研究したいと思うのですが
大学はどこがいいでしょうか?
このスレを読む限りでは東大がいいみたいですが私では学力的に少し難しいと
思います。
ちなみに私は関西在住です。
国公立、私立全国どこでも構いません。
誰かアドバイスをお願いします。

106 :名無し:02/01/23 19:08
筑波大学に小松香織さんがいる(今は知らん)。

107 :世界@名無史さん:02/01/23 19:22
カラ・ムスタファのウィーン包囲戦についての解説キボーヌ


108 :世界@名無史さん:02/01/24 12:30
>>105
大学院進学志望ですか?
それによっても変わってくると思いますが、
できるものなら東大を狙ったほうがよいと思います。
(特に地方の大学では)残念ながら
史料や文献に圧倒的にアクセスしにくくなりますから。

>>106
小松香織さん(トルコ近代史・海軍史)は今も筑波の専任講師です。

109 :世界@名無史さん:02/01/26 21:02
どこか、オスマン朝ファン(大学の学術論文でもいいけど、そういうのじゃなく)
のサイトご存知ないですかね?

ヴァンデの反乱だってあるんだ。オスマンくらいアルと思うが

110 :世界@名無史さん:02/01/27 00:10
>>109
ここくらいしか知らないですねぇ。
ttp://homepage2.nifty.com/osakao/Histry/Histry.html

111 :105:02/01/29 23:22
>>106>>108
レス遅れて申し訳ありません。
それと私の質問に答えていただきどうもありがとうございます。

そうですか、やっぱり東大がいいですか・・・
実は私は現在高2で今年から受験生です。
東大は難しそうですが一生懸命頑張ってみようと思います。
できれば大学院にも進学したいですね。
史学科の大学院は大変と聞いていますが・・・

でも歴史資料って各大学に保管されているものなんですよね?
関東なら東大ですけど、関西はやっぱり京大が有名なんですか?
他にも資料が充実している施設にはどんなものがあるんですか?
オスマン朝だけでなくイスラム史全般についてお聞きしたいです。
何度も質問して申し訳ありません。

112 :108:02/01/30 00:41
>>111
オスマン史研究者が教官として在籍する大学であれば、私の知る限り、
東大、筑波、東京外語大、明治、立命館、関西大、桃山学院などがありますが、
院まで視野に入れるのであれば、しっかりとした史学の講座がある大学で、
しかもトルコ語やアラビア語・ペルシア語が勉強できるところが良いでしょう。
東大はベストというだけであって、絶対ではありません。
さしあたり思い付く限りでは、京大と慶応。
それから、神大や九大でもできるかもしれません。

そういえば、105さんは関西在住ということですが、
東大系のイスラム研究者多数参加の公開講演会が今度の週末に竜谷大学であります。
行ってみると雰囲気が掴めるかもしれません。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/IAS/Japanese/news/news2001-12-j.html#d01122601

>でも歴史資料って各大学に保管されているものなんですよね?
研究者が個人的に所蔵しているものにお世話になることもあると思いますよ。

>他にも資料が充実している施設にはどんなものがあるんですか?
国会図書館の分館として、東洋文庫があります。
http://www.toyo-bunko.or.jp/index.html
関西だと、(イスラムなら)京大の羽田記念館かな。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/hanedakk/

113 :クレアラシル:02/01/30 00:48
ユダヤにもキリストにも寛容だったって、
商業のhattenに利用して税収で儲けたって見方もできる?
どうだろ。

114 :YP:02/01/30 01:01
今更こんな事を書き込んでなんだけど、あそこまで色んなフォーマットが入
り乱れて600年も運営出来たのは凄いと思う。

来年度、早稲田二部聴講生の東洋史ではオスマン帝国の扱いってどれくらい
なのかな? 2/1にならなきゃ判らないみたいだけど。

115 :世界@名無史さん:02/01/30 01:37
>>113
異教徒に対する寛容はもともとイスラム世界共通の現象ですけどね。
結局、オスマン朝の場合はビザンツやバルカン諸国の故地を基盤に成立したため
イスラム国家であるにも関わらず、住民のほとんどが異教徒だったという点が
特異であるというだけのこと。
もちろん、商人としてアルメニア人、ギリシア人、ユダヤ人が活躍したのも確かです。

>>114
早稲田二文にはオスマン史を扱う講義はないかも…
(そもそも文学部にイスラム史の教官がいないはずです)。
でもそのぶん内陸アジア史は期待できると思いますけど。

>>107
資料手元にないし、後日…。
でも第二次ウィーン包囲は専用スレなかったっけ?

116 :YP:02/01/30 01:42
>>115
ゲゲゲゲゲゲ・・マジっすか・・ 
勉強したい大本命だっただけに萎えるなぁ・・
(無知な俺が悪いんですけどね)

117 :クレアラシル:02/01/30 02:45
>>115
確かにそんな背景で非寛容な政策ならすぐ滅びそうだなー。
王族もいろんな民族の血が混じってるし。

領土内に対しては寛容だったと思うけど、
領土外にはやっぱり暴虐だったイメージはある。
キリスト教圏はどっちでも異教徒には非寛容的な気はする。
漠然としたものだけど。

118 :世界@名無史さん:02/01/30 02:58
ハプスブルグやら他の王朝の子孫は聞くけれど。
オスマンの子孫はなにしてるの?


119 :クレアラシル:02/01/30 03:38
>>116
手元の本を見たらカラ・ムスタファは野心家で残忍で精力絶倫だったらしい。
あんま関係ないけど(笑

120 :世界@名無史さん:02/01/30 06:15
>>117
青年トルコ->ケマル以降の極端な民族政策(アルメニア人大虐殺・ギリシャ人交換・
クルド人弾圧)というのがあるので、逆方向のバイアスをかけて見てしまう傾向
があるのかもしれません。


121 :115:02/01/30 23:42
>>116
早稲田の文学部のHP見たら講義要項掲載されてましたけど。
いちおう「イスラム史」って枠はあって、
2001年度はお茶女の三浦徹教授が担当で
イスラム社会史を講義してたみたいですね。

>>117
オスマン朝ってキリスト教徒の外国に対するときは、
和平時はカピチュレーションを与えて優遇してますが、
戦争のときは略奪専門の不正規騎兵を投入したり。
実状としては、オスマン朝に限らずですが、
異教徒と見たら即弾圧、みたいな狂信者は
そうそういなかったんじゃないかと思いますけど。

>>118
1924年のカリフ制廃止のときに
50年期限の国外追放処分を受けたようです。
現在は1974年以降に帰国してイスタンブールで暮らしている者、
追放先の外国で定住した者などいろいろ。
現オスマン家当主はニューヨーク在住とか。

122 :クレアラシル:02/01/31 15:25
>>120-121
ふむ。
現代の原理主義や民族主義を見てるからイメージとしてね。
ちなみにもっと色眼鏡で見てしまうのがティムールやモンゴルなんだけどさ・・・。

レコンキスタのイベリア半島でアラブ人がオスマンのキリスト教徒みたいに
優遇されたという話を聞かないし、
回復後にほどなくしてユダヤ人追放に働きかけているという例もあるので、
やはりオスマンは異教徒には寛容なんだろうな。

戦争で略奪云々は仕方ないが。

123 :世界@名無史さん:02/01/31 21:05
「イスラム世界は異教徒に寛容」って本当なの?



124 :YP:02/02/04 01:12
>>121 さん
2002年度、早稲田ニ文開講科目のイスラム関連講議は
『イスラム史 :三浦徹』 
『イスラム教概論 :野元晋』
この二つですね。この両氏について御存知ですか? 
(って別スレの話になってしまいますが、流れ上許容して下さい)
まあ、二つとも6時限目の講議では会社帰りにはちょいキツイので、
7時限目にある『モンゴル史 :永井匠』に落ち着きそうです。
あとは、適当にモグリで受講しやす。

125 :121:02/02/04 18:28
>>123
手放しで「寛容」とは言えないかも。
イスラム国家のもとには、
近代的な意味での信仰の自由があったわけではありませんから。
あくまで、イスラムにとって許容可能な他宗教の信徒に
信仰の自由と一定の自治を認めるだけ。
それも狂信的な支配者が出れば脅かされる運命。
(たとえば、ムガル朝のアウラングゼーブ帝)
結局イスラム教が「寛容」だったのではなく
イスラム世界に多宗教が「共存」できるシステムがあった、
ということなのかもしれません。

>>124
三浦先生はイスラム都市研究者、
野元先生はイスラム思想史の研究者です。
政治史は期待できないかもしれませんね。

126 :YP:02/02/07 01:28
>>125 さん
あ、どもども! レスありがとうございました!
(お礼遅れて失礼しました)

以前、大島直政著「遠くて近い国トルコ」(中央新書)を読んだのですが、
面白かったです。
オスマン朝の通史もざっと書いてあるし、熱っぽいトルコ人の細部描写も多々
有りで、読み易く名著だと思います。
で、奥付の著者経歴見てビックシ! 25〜6才頃に書いた本・・
俺より若くして書いた本じゃーん!!
それもトルコ自体、今よりずっと遠い国であったろう60年代。
で、7年前に他界されてる・・・・・。

めちゃんこせつなくなった・・

QUEENにハマって直ぐにフレディ・マーキュリーが死んだ時の感覚になん
か似てる。
そういや、フレディもトルコ系ナイスガイの顔してますよね。
確か、チュニジアだかアルジェリアだかの生まれだったような記憶が・・

127 :世界@名無史さん:02/02/09 16:10
ageage

128 :世界@名無史さん:02/02/09 16:59
ageられたので貼っておこう。

「なんでトルコ人の日本びいきは継続しているの?」
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/988479400/

382の毒電波を楽しむスレ。


129 :世界@名無史さん:02/02/09 17:19
>>126
大島直政さん亡くなったんだ。
漏れもこの本読んだよ。   合掌

それからフレディーのボーカルは最高でしたね! 合掌

130 :雷怒:02/02/09 19:00
>>126
フレディーは確かマダガスカル出身のペルシア(イラン)系と
聞いたような。

131 :世界@名無史さん:02/02/09 19:44
>YPさん >129さん
大島直政さんのケマル・パシャ伝(新潮選書)はお読みになられましたか?
あの熱さと冷静さが入り交じった文体で、読み終わると誰もがケマルを
好きになるとゆう、日本人の書いた伝記の最高傑作と思われる逸品です。
残念ながら現在、絶版ですが図書館か古書店で見かけられたら、ぜひ御一読を。

―私も 合掌


132 :世界@名無史さん:02/02/12 00:19
故・大島直政さんというと、私には『エクスプレス トルコ語』の序文で
「トルコ語は日本語の方言だと思って勉強すればよろしい」って
暴論を書いてたというところで印象強い方なんですが…(w

>>126
『遠くて近い国トルコ』は
著者のトルコに対する愛着がひしひしと感じられる本ですよね。
今となってはトルコ贔屓の日本人はそんなに珍しくなくなりましたが、
何といっても60年代…。

>>131
大島さんには『複合民族国家キプロスの悲劇』(新潮選書)という本もあります。
こちらも絶版だったと思いますが、
キプロス紛争を扱った(おそらく)唯一の単行本です。
少々トルコ寄りの感は否めませんが(ギリシア人側にも目配りはしています)。

『ケマル・パシャ伝』は日本人のケマル好きにかなり影響を与えてるんだろうなあ。
名著ですが、やはりトルコ人の視点に偏りすぎ、
トルコ共和国の公式歴史観に肩入れしすぎという面がありますね。

133 :世界@名無史さん:02/02/24 17:45
救出上げ



134 :YP:02/02/28 00:23
ギリシアは他力で独立しても先人頼りの観光業しか出来ないじゃんか?
まったくいい迷惑。 あげ

135 :      :02/02/28 00:24
トルコと連合してロシアを倒そう!


136 :駄レス野郎:02/03/04 17:12
各時代のオスマン朝の強さについて論じてみよ。
例えば1500年ごろは世界第何位の強さだったかとか。

137 :世界@名無史さん:02/03/04 22:21
強さってどうやって算出するんだ…。

138 :世界@名無史さん:02/03/20 16:31
オスマン朝最強!

139 :世界@名無史さん:02/03/26 15:53
あげ

140 :世界@名無史さん:02/03/26 17:35
>138
そう。最強なりよ。

141 :世界@名無史さん:02/03/26 17:40
いまさら言うのもなんだが、
>>41,>>44
こいつ何様のつもりだ?

142 :世界@名無史さん:02/03/26 19:36
シルクロードシリーズ読んだんですけど、
アフメト3世の息子の誰かに「揺れ動いていたオスマン朝を安定させ後世に名君として評価される統治をした」スルタンはいたのでしょうか?

143 :世界@名無史さん:02/03/27 02:25
アブデュルハミト1世のことかな。在位は長くないが、
キュチュク・カイナルジャ条約を結び先代の始めた無謀な露土戦争を終結、
西欧人の軍事顧問を招いて軍事改革に先鞭をつけたスルタン。
本格的な軍事改革は孫の代のマフムート3世の仕事(イェニチェリ廃止)ですが…。

ところで、シルクロードシリーズってなんですか?

144 :世界@名無史さん:02/03/27 13:15
>143
お答えいただきありがとうございました。

『シルクロードシリーズ』というのは、神坂智子氏が描かれた少女漫画です。
10人の(不老の)天人とシルクロードの関係が縦軸の物語で、
ローランの少女ミイラやソグド人の国の滅亡、蚕の繭を髪に隠して持ち出した姫やはては北京原人にまつわるエピソードを織り成したものです。

145 :世界@名無史さん:02/05/03 21:19
保全上げ

146 :世界@名無史さん:02/05/03 21:58
>>144
野郎ですけど、神坂智子は好きだったな。
T.Eロレンスとか
小春びよりとかはるかなるシルクロードシリーズなんかよかったねー
ソグディアナを知ったのはあれが最初だったわ・・・・。



147 :世界@名無史さん:02/05/13 22:18
ageaaaaaaaaaa

148 :世界@名無史さん:02/05/14 00:57
>>146
またあのあたりの旅行記出してるよ

149 :世界@名無史さん:02/05/29 22:27
age

150 :C級グルメ:02/05/30 00:13
この前トルコ料理を初めて食った。
トマトの使い方がイタリア料理みたいに感じた。

アラベスクつうのは「アラビヤ風」と言うより「トルコ風」なんじゃネエか?
等と思った。


151 :世界@名無史さん:02/05/30 00:56
>この前トルコ料理を初めて食った。
>トマトの使い方がイタリア料理みたいに感じた。

そのセンスは正しいと思う。

トルコ料理には、ピザの原型って言われているものもあるよ。
タイトルコ貿易の入口だったイタリアの料理には、トルコ料理の影響が
入っているはず。


152 :トマトは:02/05/30 06:27
中南米原産だべ

153 :トルコは:02/05/30 06:28
アラブ文化の影響強いんだよ

154 :ピザは:02/06/02 05:44
やはりナンあたりが源だろ

155 :ピザは:02/06/02 05:45
インドーアラブートルコーイタリアかな。
シチリア経由もあるかな。

156 :世界@名無史さん:02/06/16 12:37
age

157 :世界@名無史さん:02/06/19 08:55
なんで西欧と張り合っていけなかったんだ・・・。
謎謎謎。

158 :世界@名無史さん:02/06/19 09:24
一般的に説明されるオスマン朝停滞の原因は、
インド洋貿易の利益を西洋諸国に奪われたこと、
オスマン朝の内的な経済・軍事の発展が
近代西欧の飛躍的な発展に対してあまりにも小さかったことと、
大国であることに安住して改革の気風が小さかったこと、
などなど…。

159 :世界@名無史さん:02/06/23 00:29
戦勝祝いage

160 :世界@名無史さん:02/06/23 00:41
全身が末期癌に冒され,死の床にある石田トメ吉(96才)
最後の力を振り絞って,人工呼吸器を外し,
『死ぬ前に寿司が食いたい』と訴えた

『固形物なんか食べれるわけない』と大反対する医師団を無視して
曾孫娘のさやかが
『おじいちゃん,ポテチ食べる?』
と無理矢理ポテトチップス一枚食べさせた

さやかの愛の力が奇跡を起こし,
ポテチが気管に詰まって,トメ吉即死



161 :世界@名無史さん:02/07/04 14:12
オスマン最強

162 :YP:02/07/07 01:21
今、レンタルビデオ屋で借りた『ラスト・ハーレム』という映画を
観てます。 
が、ハーレム内部もいいのですが、俺は都市の外観が観たいのだ。
う〜む、あまり世界史観点で期待出来る観る映画じゃないが、ヒロ
インは超ベッピン。

163 :世界@名無史さん:02/07/24 02:51
>>162
私もそれ映画館で見ましたよ。
落日のオスマン帝国を描いたっていうから期待してたんですけど、
たいした盛り上がりもなく、正直つまんなかったっす。

でも、たしかにヒロイン役はかなりきれい。
しかも脱ぎ脱ぎしてたし。
http://www.lancome.com/_japon/very/faces/marie3.asp
http://www.lancome.com/_japon/very/faces/marie1.asp

164 :世界@名無史さん:02/08/17 05:27
唐揚げ

165 :世界@名無史さん:02/09/05 12:42
帝位継承者以外の王子たちは、皆殺されてました。
後になると、殺すのだけはやめて、トプカプ宮殿の一室「王子たちの間」という部屋に
生涯幽閉されました。
よって、オスマン帝国には貴族らしきものは無かったのです。

166 :世界@名無史さん:02/09/05 13:15
http://www.ethnologue.com/

167 :世界@名無史さん:02/09/16 03:21
同時代の明やスペインより遙かに上だし後代のイギリス以上だろう(米、墺、露、清は論外)。
前時代の漢、唐、ビザンティン、アッバース朝より上な訳で辛うじて比肩し得るとしたらローマ位の物だと思う。


168 :世界@名無史さん:02/09/16 03:39
>>167
故意にモンゴルを落している罠

169 :世界@名無史さん:02/09/16 03:48
アレクサンダーの帝国っていうのもある罠。

170 :世界@名無史さん:02/09/16 16:58
歴史りんく
http://www.rekisi.nu/

171 :世界@名無史さん:02/09/18 03:30
>>167
ティムールは?

172 :世界@名無史さん:02/09/18 10:08
>>167
清は論外か?全盛期の清はオスマンにも引けを取らないと思うが。
ティムールは若くて怖いもの知らずで血気盛んな頃のオスマン帝国の鼻っ柱をポキッと折ったボスキャラ。

173 :世界@名無史さん:02/10/06 11:26
あげ

174 :世界@名無史さん:02/10/06 12:03
前近代においては,国力=人口だと思うので,
統一された中国(便宜的な言い方です,茶々入れないでね.)
には,勝てないでしょう.

軍事力だけとかそういうならば別ですが.

個人的には,前近代においては,ローマ以外
統一された中国に比肩し得る国はないと思います.

175 :世界@名無史さん:02/10/23 22:04
スンニ派の全てのイスラム国家は、
オスマン帝国を宗主国として認めていたの?
モロッコやムガールやアチェやブハラ・・・

176 :世界@名無史さん:02/10/25 19:47
モロッコは1578年に一時的に認めてたりするが、
ムガール帝国とか中央アジアとか旧モンゴル系はどうなんだろ。
オスマンに勝ったティムールの系統だったりするからなあ。


177 :世界@名無史さん:02/10/25 22:15
ブハラやヒヴァはオスマン朝をカリフと認めることもあったようですよ。

178 :世界@名無史さん:02/10/26 04:07
ソープランドを昔トルコと言っていたよね
(トルコからの抗議で改名)
イスラム圏にはあーゆーものがあったの?

179 :世界@名無史さん:02/10/26 04:08
http://www.hotcindi.com/

180 :世界@名無史さん:02/10/26 10:57
>>178
トルコ風のあかすりサービス付のサウナ風呂にひっかけて
ああいうサービス付の風呂のことトルコって言ってたんだよ。
まあ怒る罠。

181 :世界@名無史さん:02/10/26 11:30
ローマでさえ統計的には漢に一歩譲ってるからね。

182 :世界@名無史さん:02/10/30 03:41
>>176
中央アジアの各ハン国はオスマン帝国を宗主とみていたらしい。
アストラハン=ハン国とカザン=ハン国がロシアに滅ぼされた時、
オスマン帝国がロシアを撃退するつもりだったらしい。
タイミング悪くこの頃スレイマン大帝は死去。

183 :世界@名無史さん:02/10/31 01:27
オスマン帝国の領土の南限は?



184 :世界@名無史さん:02/10/31 01:34
アラビア半島の南端

185 :世界@名無史さん:02/10/31 01:41
イエメンね。

186 :世界@名無史さん:02/10/31 10:14
地図だと赤道付近は小さくなるから気付かないけどオスマン帝国なにげに超巨大だったりするな。


187 :世界@名無史さん:02/10/31 19:46
>>186
そうだけど、イエメンはごく短期間しか支配してないし、
エジプト以西は現地の有力者を利用した間接的統治、
ヒジャーズ・クリミア・ワラキア・モルダヴィア・トランシルヴァニア・コーカサスは
現地の君主に服属を認めさせただけの間接統治。
実は中央政府の支配が安定して及んでいた範囲はそんなに広くなかったりする。

188 :世界@名無史さん:02/10/31 19:57
アンダルス(イベリア半島)を奪還する計画は無かったの?

189 :世界@名無史さん:02/10/31 20:59
>>187
近代以前の帝国ってどこもそんなもんじゃないの?

190 :世界@名無史さん:02/11/01 02:41
ハプスブルクやサファヴィー・ロマノフなどライバル王朝の帝国と一緒で直轄地が少ないな。
あの広さを当時の技術で全域統治するのは無謀だが。

191 :世界@名無史さん:02/11/01 13:29
だから巨大化した帝国は近代に列強に地方が切り離されたり租借されたりという自体が起こったんだよな。
実はその土地の政権の宗主が移っただけという。

192 :世界@名無史さん:02/11/01 21:19
>>188
そんな話はついぞ聞きませんね。なかったんじゃないかな。

193 :世界@名無史さん:02/11/02 02:20
>>191
バルカン半島の宗主
トルコ→オーストリア→(フランス・イタリア)→ドイツ→ソ連(→アメリカ?)

194 :世界@名無史さん:02/11/04 01:48
>>188
よく知らんけどセリム2世がキプロスを取ったのは進出方向をドイツ方面から地中海方面に転換する政策を採ったかららしい(その所為でレパントの海戦が起きたのは有名だが)。
そのきっかけはイベリアのイスラム教徒の反乱と関係があるとかどっかで読んだ。

195 :世界@名無史さん:02/11/24 02:39
age


196 :世界@名無史さん:02/12/11 14:23
age

197 :世界@名無史さん:02/12/14 14:24
イエニチェリの事を知りたいのですが
どんな本がオススメでしょうか?
教えてください

198 :ll:02/12/14 14:26
http://digikei.kir.jp/

199 :世界@名無史さん:02/12/14 20:15
○ムーク朝がイベリアに食指を示さなかった事の方が気になる。

200 :世界@名無史さん:02/12/15 05:11
>>197
鈴木菫先生の『オスマン帝国 イスラム世界の柔らかい専制』(講談社現代新書)の
第七章「人材吸収・養成のシステム」が比較的詳しい記述でしょうか。
もっともこの本にあげられた情報もやや詳しいというくらいで、
オスマン朝史に関する概説書ならたいてい取り上げている程度とあまりかわらないかも。
歴史の概説書ではありませんが、軍事史的な取り上げは
メンアットアームズの『オスマン帝国の軍隊』(新紀元社)。
それから『戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編』(学研)に
「知られざる軍事先進国オスマン帝国の実力」という6ページほどの記事を
先述の鈴木先生が寄稿しています。
洋書では私は読んだことがないので内容の保証はできませんが、
『オスマン帝国の軍隊』の著者 David Nicolle と
主にイスラム建築史の本を書いているらしい Godfrey Goodwin という人がそれぞれ
同名の The Jannisaries という本を書いているようです(Amazonで買えます)。

>>199
マムルークはわりと近いキプロス王国には干渉していたようですし、
イベリアは遠いからじゃないですかね。

201 :v:02/12/15 05:47
http://yahooo.s2.x-beat.com/html/b.html

202 :世界@名無史さん:02/12/15 06:19
>>188
遅レスで申し訳ないが、オスマン帝国がイベリア半島から撤退したのは、たしか宰相が代わったから、
地中海からペルシャ方面への政策の転換があって云々ってのを聞いたことがある。

近世のオスマン帝国なら、フェエルナン=ブローデルの『地中海』でしょ。

203 :世界@名無史さん:02/12/16 19:46
イベリア半島がオスマン『帝国の領土だったこと無いのに
「撤退」とはこれいかに?

204 :世界@名無史さん:02/12/16 20:46
>>203
失礼しました。「イベリア半島」ではなく「地中海方面」です


205 :世界@名無史さん:02/12/17 21:02
正直ビザンティンヲタにとってこの国と西欧どっちが憎いと思っているのかな?


206 :世界@名無史さん:02/12/19 17:18
>>200
ご親切に、ありがとうございます
『オスマン帝国 イスラム世界の柔らかい専制』と
『オスマン帝国の軍隊』買いました

207 :世界@名無史さん:03/01/02 22:11
 でもイベリアは、イスラム勢力圏でしょ?。
スパニッシュだって、イスラム系民族との混血だし。
ま、民族ではなく、この場合は「宗教」か。

208 :世界@名無史さん:03/01/02 23:31
イベリア半島にはイスラムの技術があったから大航海が出来たという説があるね。

209 :山崎渉:03/01/11 13:13
(^^)

210 :世界@名無史さん:03/01/13 09:05
>>205
でもコンスタンツ総主教はオスマン下でもきっちり保護されてるし....
オーストリア領の正教会も保護されたんだっけ。
正直漏れも疑問だ。

211 :世界@名無史さん:03/01/23 17:43
現代でカリフにふさわしいのはビンラディンだけ。

212 :世界@名無史さん:03/01/23 17:58
たまにあがったかと思えば…

213 :世界@名無史さん:03/01/23 18:16
>>205
オスマン帝国。
俺がイスラム教嫌いだってのもあるけどね。

214 :世界@名無史さん:03/01/31 20:58
去年、山川から小松香織女史のオスマン海軍に関する本が出てたけど、
誰か読んだ?
内容はどんなもんかねぇ?

215 :世界@名無史さん:03/02/10 20:29
持ってる人もいるかもだけど、
『オスマン語文法読本』というのがでたらしい。
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9976476817

最近の大学書林は何か凄いな・・・
ペルシア語辞典、さすがに8万も出せんけど(汗

216 :世界@名無史さん:03/02/13 06:09
オスマン朝の末裔は今何してるの?

217 :世界@名無史さん:03/02/21 15:51
>>216

 知り合いの在米トルコ人は、当主は「オスマノウル」姓を名乗りニューヨークでピザの宅配をやっているとか言っていた。
でも、この知り合い自体が胡散臭い奴なのでこいつの言っている事を100%信じる気にはなれないが。。。

218 :世界@名無史さん:03/02/28 10:10
>>215
女房を質に入れてでも買え。
大学書林が黒字経営してくれないと、
我輩が心待ちにしているボスニア語対訳教材(CD付き希望)が出ない。
イヴォ・アンドリッチ希望。

219 :世界@名無史さん:03/03/05 23:33
オスマン朝の文化ですが、結構ペルシア文化の影響受けてましたよね?
サファヴィー朝とは敵対していたけれど。

220 :世界@名無史さん:03/03/06 23:49
サントリー美術館の大トルコ展に行く人いる??

221 :世界@名無史さん:03/03/07 23:47
ナポレオン戦争でオスマントルコがどんな行動をとっていたか知りたいです。
詳しい方、いらっしゃいませんか?

222 :世界@名無史さん:03/03/08 00:54
>>221
まず、ナポレオンのエジプト遠征のときには、フランスとオスマン帝国は
友好関係にありました。
当時のエジプトは、当時のエジプトは、一応オスマン帝国の版図に入っていた
ものの、実際の統治権はエジプト在住のマムルークに握られていて、ナポレオンは、
マムルウク族に簒奪されているトルコの統治権を回復し、エジプトを解放するための
ためという名目で出兵しました。



223 :221の続き:03/03/08 01:01
その後、ロシアはナポレオンのエジプト遠征の報が伝わると、自国の
勢力圏内にあるコンスタンチノープルが脅かされると考え、オスマン帝国に
共同防衛を申し入れました。
ナポレオン側からの親書を受け取っていたオスマン帝国のセリム三世は、
慎重に事態を見守っていましたが、八月一日アブゥキール海戦での
フランス艦隊全滅の報を聞くなり、ロシアの提案を受諾しました。
九月九日、オスマン帝国は、秘密同盟に後押しされてフランスに宣戦を
布告します。



224 :世界@名無史さん:03/03/08 01:08
眠いのでミスっちゃいました。
上は「222の続き」の間違いです。
スマソ。

225 :221:03/03/08 01:23
222さん、有り難うございます!
トルコは、もうおもいっきりナポレオン戦争に関わっていたのですね。
勉強になりますm(__)m

226 :世界@名無史さん:03/03/08 02:02
まだあります

1809〜1812 第三次露土戦争

戦争と平和にもちょろっと出てきます
私もそういう戦争があったとしか知りません
http://www.napoleonseries.org/articles/wars/russturk.cfm
上記サイトに経過が載っています

227 :世界@名無史さん:03/03/08 12:33
1768〜1774 第一次露土戦争
1787〜1792 第二次露土戦争

>>221
ところで、ナポレオンとムハンマド・アリーは同時代人なのね。
ムハンマド・アリーは、1798年のアブーキール湾海戦の際、アルバニア人部隊
の一部を地上で指揮していた。

228 :オスマンコ馬鹿は、これを読め:03/03/08 19:37
推奨サイト:コンスタンティノープルはギリシャの領土です。

http://www.geocities.com/Athens/Oracle/7823/english.html




229 :世界@名無史さん:03/03/08 21:26
フランスとオスマン帝国は、ハプスブルク家を共通の敵とする理由により、
フランソワ1世(1515-1547)の時代以来、おおむね友好関係にあった。

230 :山崎渉:03/03/13 13:11
(^^)

231 :世界@名無史さん:03/03/15 01:20
age

232 :世界@名無史さん:03/03/25 17:40
【情勢】米海兵隊のオスマン少将が到着、北部に戦線拡大の兆し

1 :んじゃそれで。φ ★ :03/03/25 10:25 ID:???
イラク・サラハディン(CNN) イラク戦争で英米などの軍や地元勢力との調整などを担当する
米海兵隊のオスマン少将が24日、イラク北部入りした。この動きは、イラク北部での戦線が
拡大する兆しと受け止められている。
http://www.cnn.co.jp/top/K2003032500046.html





233 :世界@名無史さん:03/03/25 21:22
age

234 : :03/03/31 00:48
世界史の教科書だと大体、現在のサウジの領土がオスマントルコの領土から
外れているんだけど、何処が支配していたの?

235 :世界@名無史さん:03/03/31 02:18
>>234
メッカのあるヒジャーズはメッカ大公領でオスマンの宗主権(それ以前はエジプトの王朝の宗主権下)。
ペルシャ湾岸地区は部族地域。その中から現在のカタール、バーレーン、クウェートの王家が出てくる。
中央部は長い間統一権力から見放された群小の町邑国家。
その閉塞感から生まれたワッハーブ派がリヤド候国と結び付いたのが現在のサウジの起こり。
ヒジャーズとイエメンの間のアシールは独立していた時期もあったと思うが詳しくは知らん。

236 :世界@名無史さん:03/03/31 03:35
あのー、イラク問題っていうのは、オスマントルコの分割が原因なんですか

237 : :03/03/31 09:34
>>235
つまり、アラビア半島中央部は小規模な部族社会が続いていて、オスマン帝国も
あえて支配下には治めなかったってことかな?

238 :世界@名無史さん:03/03/31 10:54
ヒジャーズ以外はわざわざ支配するほどの価値があったとは思えない。

>>236
それだけではないが、大きな要因。

239 :世界@名無史さん:03/03/31 20:44
16世紀のオスマン朝はヒジャーズのほかにも
イエメンとエチオピア沿岸部(エルトリアというべきか)を
おさえようとしてますから、
対アラビア半島政策は紅海貿易ルートの保護を目的としていたようですね。
イラクはというとイラン方面の防衛線として重要だから押さえているという感じ。

240 :世界@名無史さん:03/04/01 04:27
>>239
ペルシャ湾岸は貿易ルートとして重要。
ハサー地方(UAEの手前)辺りにまで影響力は延ばしていた。

241 :世界@名無史さん:03/04/02 19:02
全般的に勉強できるホームページをキボン

242 :世界@名無史さん:03/04/02 19:37
>>241
まずはここで気合いを入れろw
http://www.osmanli700.gen.tr/mehter/

243 :世界@名無史さん:03/04/02 20:27
>>241
日本語では存在ないですね。多分。

>>242
そこの上層のhttp://www.osmanli700.gen.tr
全般的に勉強できるホームページといえるんじゃないでしょうか?
トルコ人の作ったところらしいが英語版もありますし。

244 :世界@名無史さん:03/04/04 02:31
>>242
>>243
無理です。

245 :山崎渉:03/04/17 09:48
(^^)

246 :山崎渉:03/04/20 04:51
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

247 :世界@名無史さん:03/05/07 00:00
コソヴォの戦が、1389年、1448年の60年も隔たって2度も戦われたのはどうして?

248 :世界@名無史さん:03/05/07 01:24
>>247
単に同じセルビアのコソヴォ平原で戦われただけで別々の戦争ですが。
1389年はコソヴォでオスマン朝がセルビアを破った戦い。
1448年はセルビアに侵入したハンガリー軍をオスマン朝がコソヴォで撃退した戦い。

コソヴォが二度決戦の部隊になった原因は
ここがセルビア攻防の戦略的要衝だからでしょう。
672年の壬申の乱と1600年の関が原の戦いが
ともに関が原で決戦が行われたのと同じ理由で。

249 :世界@名無史さん:03/05/07 02:00
>>248
壬申の乱の決戦は大津京手前の瀬田橋
不破の関は大海人皇子の本陣ではないか

同じ場所と言うとタンネンベルクとか川中島とかもありますね

250 :パシッチ ◆mWYugocC.c :03/05/08 10:22
>>247-248
二度じゃなくて三度です。
1915年、第一次大戦に参戦したブルガリアが、セルビア軍を破った戦い。
どれも東側が勝ってるんですよね。

251 :世界@名無史さん:03/05/10 15:06
>>248
>ここがセルビア攻防の戦略的要衝...
から、どうしてセルビア人は退散して、アルバニア人に土地を譲ったのですか。

252 :248:03/05/10 19:58
>>251
通説によると…17世紀末のオーストリア・オスマン戦争の際
一時はベオグラードを占領したオーストリア軍の更なる南進を期待して
ペーチ(現在はコソヴォ州西部の小都市)にいたセルビア総主教が
このあたりのセルビア人を焚きつけてオーストリア側に参戦。
ところが結局ベオグラードはオスマン側に奪還されてしまい、
コソヴォのセルビア人は大挙してオーストリア領に入って
セルビア北部ヴォイヴォディナの国境緩衝地帯に移住し、
さらに18世紀前半には20年ほどベオグラードがオーストリア領に入った時期もあり、
北への移住がますます進んで代わりに南からアルバニア人が入ってきたそうです。
ペーチ総主教座は18世紀後半に廃止されているので、
そのころにはセルビア人がほとんどいなかったのではないでしょうか。

>>249
壬申の乱勘違いしてました。
恥ずかしいのでsage

253 :世界@名無史さん:03/05/11 23:26
どうしてイェニチェリやデウシルメ制で集められる人は
キリスト教徒であって、ユダヤ教徒やアルメニア人は
免除?あるいは除外?されたのですか?
教科書にはそう書かれているけれど理由がわからない。

254 :世界@名無史さん:03/05/12 00:47
>>253
ユダヤ教徒やアルメニア人の土地はまるごと確保しているので不要。
ところが、キリスト教徒は、背後のロシアやオーストリアやベネツィアと結びついて
反乱を起こす可能性がある。
一種の人質として有力者の師弟を徴発してきているから、離反の可能性の高いところ
からは重く、可能性の低いところからは軽く、集めることになっているのでは?


255 :世界@名無史さん:03/05/12 23:58
>>253
デヴシルメを行っていた頃のオスマン朝バルカン農村の徴税単位は
青年既婚男子とその扶養家族からなる戸を単位としてたことから考えると、
デヴシルメによる未婚男子の徴収(一人っ子は除外)というシステムは
キリスト教徒農村からの余剰人口吸い上げという面があったのではないでしょうか。
この地方ではユダヤ教徒もアルメニア正教徒もほとんど都市民ですから、
あんまり関係なかったのではないかと。全くの憶測ですが。

>>254
デヴシルメ制が確立されたとされるムラト1世〜バヤズィト1世の時代は
東アナトリア・南コーカサスにはティムール朝の勢力が及んでいましたから
アルメニア人居住地帯はまるごとどころかほとんど確保されていないし、
バヤズィトの遠征には没落時のアンカラの戦いに至るまで
(1389年のコソヴォの戦い以来オスマンの臣下になった)セルビア君侯ら
多くのキリスト教徒軍が参戦してることを考えると
キリスト教徒警戒論には少々無理があると思います。
ちなみにデヴシルメが大々的に行われ対外戦争が盛んだった16世紀ですら
バルカン地方には多くのキリスト教徒スィパーヒー(騎士)がいました。
支配階層・軍隊からのキリスト教徒の締め出しが強まるのは
むしろデヴシルメ制度が衰退した17世紀以降の現象であるようです。

256 :世界@名無史さん:03/05/13 15:43
うわぁ、ありがとうございます。
確かに、農村からですものね
ユダヤ教徒は都市民だわ、うん。
イェニチェリに入っても弱そうな感じはするんだ。

面白い制度だなって思ってるんです
詳しい本ってありますかね?
「デウシルメ制があった」くらいのことしか書かれてない本しか
いまだに読んだことのない未熟者からの質問です。

257 :世界@名無史さん:03/05/13 16:57
中世にはキリスト教徒は野蛮で無教養だったから
強健だというだけのことじゃないの?
日本でも防人は関東から徴発したじゃん

258 :255:03/05/18 00:17
>>256
デヴシルメを含む制度史を重視する概説書として
鈴木菫『オスマン帝国』(講談社現代新書)
林佳世子『オスマン帝国の時代』(山川出版社・世界史リブレット)
の二冊をあげられますが、近年の概説書ではいずれも
デヴシルメについてはせいぜい数ページしか記述がありませんねぇ。
オスマン朝の制度を解説した和書は
日本におけるオスマン史の開拓者である三橋冨治男先生の
『オスマン=トルコ史論』(吉川弘文館)が未だに唯一と言ってよい状況で、
この本では一章を割いて説明していますが、
ただ40年近く前のものなのでカナ表記が最近の慣例と異なったり
今となっては全く通用しない旧説がそのままであったりする難があります。

259 :山崎渉:03/05/21 22:14
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

260 :山崎渉:03/05/28 15:47
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

261 :世界@名無史さん:03/06/02 02:30
>デヴシルメ
オスマン帝国の権力とエリート / 鈴木董
概説では無いけど徴用された少年たちがどんなコースを歩んで
イェニチェリや官僚になるのかが良く分かる。
イスラム世界の奴隷制についても説明されてたはず。

三橋冨治男さんのデヴシルメについての論文がある。
ハゲは不合格とか面白いことが書いてある。
「ユダヤ人は信用できないから徴用しない」
と書いてあった気がする。まあ昔の論文だから・・・
「オリエント」の古い号に載ってたと思う。

マムルーク / 佐藤次高
デヴシルメとは関係ないけど参考になる。

262 :世界@名無史さん:03/06/05 10:43
>三橋冨治男さんのデヴシルメについての論文
『史学雑誌』 72巻7号(1963年)の
「オスマン・トルコのデウシルメについて」じゃないでしょうか。

263 :世界@名無史さん:03/06/23 19:46
第一次大戦末期、崩壊寸前の混乱が群雄伝って感じで面白いですね。
ケマルがとにかくかっこいい。
政治も前線の戦闘指揮もできるなんて中国の英雄や戦国武将ですか?って感じ。
歴史書を読んでいても血沸き肉躍ります。
ケマルを主人公にした小説、漫画ってありませんか?
上手く描ければ、ケマルっていいネタだと思う。
北方謙三でも小説書いてくれないかな?いや、もうマジで。

264 :世界@名無史さん:03/07/03 00:10
>>255
>バヤズィトの...没落時のアンカラの戦い...
陽の出の勢いだったバヤズィトのティムールへの敗因は何だったのですか。

265 :世界@名無史さん:03/07/11 15:06
スルタン、(;´Д`)ハァハァ

266 :山崎 渉:03/07/15 12:39

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

267 :なまえをいれてください:03/07/17 19:12
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

268 :世界@名無史さん:03/07/19 14:15
モハーチの戦いってオスマン関係?

269 :世界@名無史さん:03/07/19 16:40
今夜9時、NHKスペシャル「押すマンコ、引くマンコ」みましょう。

270 :世界@名無史さん:03/08/12 14:02
>>268
>1526年、ハンガリー王国と交戦し、トランシルバニア方面を獲得した戦です。

271 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/10/08 04:52
はじめまして。
スレイマン大帝の話で申し訳ありませんが、
1520年に26歳で即位してから、
その年のガザリのシリアの反乱、
21年の第一次ヨーロッパ遠征とベオグラード攻略、
22年のロードス島攻略、
24年のアメフト=パシャのエジプトの反乱、
26年の第二次ヨーロッパ遠征とモハッチの戦い、
27年のカラマンの反乱、
・・・と毎年のように戦が続いていますが、
戦費はどのように工面していたのでしょう?
やっぱり、地中海交易?
簡単にで結構ですので、教えて頂けますと嬉しいのですが。

272 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/10/10 02:21
う〜ん、もう人がいないのかな?
致し方ないですね。

ついでですからつづきを・・・。
29年に第三次ヨーロッパ遠征で第一次ヴィーン包囲が行われますが、
二人のハンガリー王の問題とも絡み合って、事態はトルコ側の有利に動いていきます。
こんな感じでいいのかな?

273 :世界@名無史さん:03/10/13 18:41
age

274 :世界@名無史さん:03/10/13 19:43
>>271
Halil Inalcikの本でも読めば?

275 :電撃王・バヤジッド:03/10/13 19:45
ティムール氏ね。

276 :びっこのティムール:03/10/13 19:48
>>275
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!!

277 :世界@名無史さん:03/10/13 21:30
セムも昔は多神教を奉じていたというのに。
すべてはユダ公の責任。

278 :世界@名無史さん:03/10/14 01:03
>>271
sageで書かれると誰も気付かないです。ageられると変な書き込みが増えるけど。

思いつきなのでInalcikの本でも読めば違うことが書いてあるでしょうが、
地方の検地が行き届いて徴税機構がしっかりしており、
中央のほうは常備軍と官僚機構がまだ小規模で
宮廷と中央政府の経費が少なく、
地方から吸い上げた富をほとんど戦争に使えたため、
バヤジト2世の時代の消極政策時代に蓄えた富と
セリム1世の時代に獲得したエジプトの富とを
ほとんど戦争につぎ込むことができたためではないでしょうか。
ティマール制の機能しているうちは
騎兵は自分の経費で戦争に参加するので
中央政府の軍費は少なくて済むということもあるかもしれません。
スレイマンの時代に無茶をしすぎたせいか、
16世紀の後半に入ると常備軍の拡大やらティマール制の崩壊やらが始まります。

279 :世界@名無史さん:03/10/14 22:22
ところでティマールの語源てなんなの?ティムール?

280 :世界@名無史さん:03/10/14 22:24
手マムール朝VSオスマムコ朝対決か・。・・・
ゴクリ¥・・・



281 :電撃王・バヤジッド:03/10/14 22:47
>>279
ティムールはなあ、AD1402年(だったかな?)のアンカラの戦いでおいらの手勢のモンゴル騎兵を寝返らせたばかりか、
ウチの領内の井戸という井戸にウンコを投げ込んで水攻めにしたいじめっ子なんだぞー。
おいら、それが原因で憤死しちゃったんだぞー。
ティマールてのはなー、イスラムの封建制であるイクター制の進化形ってきいたことがある。

282 :世界@名無史さん:03/10/14 22:51
明入りした信長軍は大船団&征西軍を率い、ムガル朝を滅ぼし、
♂マンコ朝と激突しようとしていた!!!!!


283 :将軍様:03/10/14 23:25
本宮漫画の見すぎニダ。

284 :天地夢之助:03/10/14 23:28
ヌルハチは舎弟だ。


285 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/10/15 05:38
>>278
@徴税機構・・・『ハラージュ』や『ジズヤ』のことですね。
AバヤズィトUの消極政策時代に蓄えた富・・・なるほど。(笑)
Bセリム1世の時代に獲得したエジプトの富・・・これってメッカ・メディナの統治も関係あります?
Cティマール制・・・土地恩給と軍事奉仕の制度ですね。

了解しました。
返答ありがとうございます。

ついでにつづきを・・・
32年の第四次ヨーロッパ遠征。ギュンヌ包囲とスティリアでの戦闘。
前回のヴィーン包囲は9月下旬に行ったため時は逸していたようですが、
今回は満を持しての遠征となりました。
でも、時間がかかり過ぎて結果的には失敗とのこと。
同年、ジェノヴァのアンドレア=モレアのモレア侵攻。
コロン・パトラスを失っています。
33年にスレイマンT大帝はハプスブルク家とサポヤイ=ヤーノシュの間を調停し、
東方のサファビー朝ペルシアに対する戦争の準備を進めますが、
他方、バルバロッサを登用して地中海方面でハプスブルク家に対抗していきます。
こんな感じでいいのかな?

286 :パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/15 23:03
「月と星より」さんがsageたがるのは、日本史板の北条スレで、スレが上がるたびに荒れた経験を持つからである。
……多分。

287 :278:03/10/16 02:46
じゃあsageで細々と。

>>285
オスマン朝ではハラージュといえば人頭税のことですけどね。
>これってメッカ・メディナの統治も関係あります?
そちらではシャリーフ(いわゆるメッカ太守)が自主的にやっていたはずで、
オスマン朝側が援助を施すことはあっても上納を取り立てることはなかったと思います。
>ティマール制・・・土地恩給と軍事奉仕の制度ですね。
これは、違います。
ティマール制でシパーヒーに与えられるのは、
ある土地を耕作する農民から取り立てられるべき税の徴税権と
その税収入の全額であって、土地の支配権は恩給されていません。
オスマン朝の建前では土地は国家の財産(税は国家への地代支払い)で、
ティマール制やそれに代わるイルティザーム(徴税請負制)は、
ある税源を政府で調査(土地なら検地)していくら取れるか確定させ、
その税源から税金を取る権利を軍役と引き換えに与えたり
前払い金と引き換えに請け負わせたり、というやり方です。

288 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/10/17 03:45
>>286
この板に来て、まだ日が浅いというのに、もうバレているし・・・。

>>287
ご指摘、サンクス〜♪
政治面がいま少し疎いので間違えが多々ですね。

ついでにつづきを・・・。
33年〜34年にペルシア遠征が起きます。
34年7月にダブリーズを占領。さらに12月にバクダートを占領。
35年4月〜36年1月にも再度遠征が起きます。
でも、この二つの東方遠征は成功だったのでしょうか?
36年3月、大宰相イブラヒム=パシャ、死去。

289 :パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/17 22:23
それはね、私がその北条スレに名無しで参加してたからなんですよ。
オスマン朝下のバルカンの状況について詳しい本はないもんかなー。

290 :世界@名無史さん:03/10/18 01:21
>>289
柴宜弘編『バルカン史』(山川出版)が一番よいと思います。
この本のオスマン時代の筆者による近代バルカン史の学術著が最近出ましたね。

291 :世界@名無史さん:03/10/18 01:34
>>278
バヤズィト2世の治世は弟のスルタン・ジェムの問題もあって、ヨーロッパ戦線は膠着したが、
バヤズィト2世は度々、北シリアの領有をめぐってマムルーク朝に対して遠征を行っているので、
決して対外消極策を採ったわけではないと思うけど。
マムルーク朝スルターンのカーイト・バーイは対オスマン朝をはじめとする北シリアへの16回もの
出兵で約700万ディーナールもの戦費の支出を強いられたくらいだから、オスマン朝側の支出も
相当なものだったのでは。

>>279
ティマールの語源はペルシア語で「世話」の意味の「ティーマール」で、テュルク語で
「鉄」を意味する「テミュル」のペルシア語読みの「ティ(ー)ムール」とは関係ない。


292 :世界@名無史さん:03/10/18 01:36
>>285
ウマイヤ朝やアッバース朝じゃないんで「ハラージュ」や「ジズヤ」ではなく、
ティマール制施行地の場合の税制は・・・
 チフト税(土地税)・・・・・土地の保有に対する税で、年額三十三銀貨の地域が多い。
               非ムスリムの場合にはイスペンチェ税の名で呼ばれた。
 ウシュル(十分の一税)・・・字義的には十分の一だが実際の税率は生産物によって異なり、
                三分の一や五分の一などと高く、現物納であることが多い。  
・・・の二本立てだったと本に書いてあるけど。


293 :世界@名無史さん:03/10/18 01:37
>>288
「ダブリーズ」じゃなくて「タブリーズ」でしょ。
スレイマンの東方遠征に対してサファヴィー朝は、チャルディラーンの敗戦に懲りていて、
圧倒的な火力を有するオスマン朝との大規模な会戦は避けてたんじゃないの?
サファヴィー朝のシャー、タフマースブはアゼルバイジャンとイラクは最初から放棄して、
焦土作戦とゲリラ戦術に徹していたくらいだから。
オスマン朝にすれば、兵站線の確保に気をつけるだけでタブリーズやバグダードの占領は
容易だったのでは。

>>289
オスマン朝支配下のバルカン半島については恒文社からユーゴスラヴィア史、ボスニア・
ヘルツェゴヴィナ史、ルーマニア史、ハンガリー史などの翻訳が出てたと思う。
「バルカン史」というくくりならば、山川出版社の新版世界各国史18・バルカン史やワシントン大学
出版局から出てるPeter F. SugarのSoutheastern Europe Under Ottoman Rule,1354-1804があるよ。


294 :293:03/10/18 01:42
山川の『バルカン史』のついては290の人に言われちゃってたな。
ageちゃったよ。


295 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/10/19 04:01
>>289
そうだったのですか。世の中、意外と狭いものですね。

>>292
返答ありがとうございます。
内政関係の事情を整理します!

>>293
ぐはっ!何かやらかしちゃっていますし・・・。
35年のペルシア遠征の方では、
トルコ軍も天候にも恵まれていたにもかわらず、
行軍に時間を費やしていますから、
必要以上の重装備で遠征していたのでしょうね。
でも、これって会戦を想定した重装備ですから何となく笑えます。

296 :パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/19 09:09
>>290,293
有り難うございます。『バルカン史』は読んでみたんですが、物足りなくて。
『ドリナの橋』を読んで、結局のところどういうふうに統治してたのかな、という疑問が湧いたんですが、
『バルカン史』にはそこら辺の具体的な話がないんですよね。
やっぱ
>Peter F. SugarのSoutheastern Europe Under Ottoman Rule,1354-1804
これか、これ読むしかないのか。
シュガーって確か刀水の『東欧のナショナリズム』書いた人ですね。
読みにくかった覚えがあるんだよなあ……

>>295
まあそんなわけなんで、まったり行きましょう。ここであったのも何かの縁。

297 :世界@名無史さん:03/10/24 18:15
スレイマン大帝の例の王の中の王、パディシャーの口上に出て来る
「タタールとキプチャクとブタ」のタタールはクリミアのことだろうが
キプチャクってどこのこと?
キプチャク平原にまで支配権が何か及んでたとか?
ブタはハンガリーのことでいいの?


298 :世界@名無史さん:03/10/24 21:38
>>297
>キプチャクってどこのこと?
多分ノガイでしょう。当時は黒海北岸からカスピ海北岸あたりまでにいたはず。
>ブタはハンガリーのことでいいの?
そうです。ハンガリーはブダ州という行政単位にされていました。

299 :世界@名無史さん:03/10/25 10:56
あの口上にヒジャーズが入ってないのはなんででしょう?


300 :298:03/10/25 17:35
「メッカ・メディナ両聖都の守護者」も入ってませんでした? なんででしょ…。

301 :世界@名無史さん:03/10/25 22:33

ttp://www.infoseek.livedoor.com/~nana_hayes/tt212.jpg
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2971/05_55.jpg
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2971/tarkan.jpg
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2971/tarkan2.jpg
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2971/tarkan0626_big.JPG
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2971/tarkan0626_maji.JPG

トルコ屈指の美男子ハァハァ(´Д`;)


302 :世界@名無史さん:03/10/27 16:18
クリミア帰属問題って、トルコは何言う権利もないんですかね?
そうなると泥沼ですが。

303 :世界@名無史さん:03/10/27 21:31
>>302
現在は政府に接近してウクライナ帰属に賛成しているクリミア・タタールが
独立国家を主張したらトルコ政府が支援するかもしれないですが、
権利回復運動だけで精一杯のタタールが危険な独立運動に踏み切る可能性はまずないような。

304 :世界@名無史さん:03/10/27 22:27
クリミアって国はあってもおかしくない気がするけど、
いつの間にか闇に葬られてますな。

ウクライナってのはドニエプル河のあっちのことなのに。


305 :世界@名無史さん:03/10/28 11:52
16世紀頃タタール人支配層はオスマン朝よりロシアを選んだって話があるけど
本当なんだろうか?

306 :名無しタタールさん:03/10/28 13:56
>305
まあ、オスマンにはt.A.T.u.いないしね。

307 :世界@名無史さん:03/10/28 17:54
>>306
かわりにタルカンがいる。

308 :世界@名無史さん:03/10/28 18:45
イルハンもクリミアから引き上げて来た事だし、
クリミアは少なくともトルコ寄りだと思うけどな。

309 :世界@名無史さん:03/10/29 01:47
帝王の時代直後のハサーラッシュに何度苦しめられたことか…

310 :世界@名無史さん :03/10/29 21:05
すんごい詳しい方が居られるようなのでお伺いしたいのですが…。
イエニ・チェリをぶっ潰したマフムート2世のママンがジョゼフィーヌ(旦那はフランスのチビでデブでハゲな人)の従姉妹と聞いたことがあるのですが、信憑性はあるのでしょうか?
それとも吹かし?
桐生操か塩野ななみだったかの本に書いてあったのを呼んだことがあるんすよ。

311 :世界@名無史さん:03/10/30 00:03
>310

何年はなれてるか知ってる?

312 :GGG:03/10/30 00:06
ニュース速報キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

24時現在、38人死亡、150人異常が重軽傷!新宿駅前騒然!!
【ヤクザ】抗争!!全面戦争の恐れも!マシンガン連射!!【手榴弾】
http://www.amezor.to/lobby/030721012938.html

313 :世界@名無史さん:03/10/30 03:52
>>310
ヨーロッパではかなり有名な話だけど、
18世紀の末にジョゼフィーヌの従姉妹が乗った船が大西洋で消息を断ったこと、
当時大西洋ではアルジェリア海賊が猛威をふるっていたこと、
アルジェリアの海賊は捕まえた女から美人を選んでイスタンブルに送っていたらしいこと、
マフムート2世の母后はキリスト教徒だったらしいこと、
それくらいしか確かな事実はないはず。
19世紀の末くらいにイギリスあたりの作家が言い出した与太が一人歩きしたらしいです。

314 :世界@名無史さん:03/10/30 18:17
>>311
マフムート2世(在位1808〜39)の義理の親父がルイ16世のペンパルだったらしいのでナポレオンと同時代の人物です。

>>313
可能性はないとはいえないけど、信憑性はかなり低いんですね。
ありがとうございます。今夜からぐっすり眠れそうです。

315 :世界@名無史さん:03/10/30 23:30
ルイ16世のお友達セリム3世はマフムト2世の義理の親父ではなく従兄弟です。
ちなみに息子が即位する以前の皇子の母が国政に参与できる可能性はまずゼロです。

そのへんは確実に与太w

316 :世界@名無史さん:03/10/31 02:30
トルコはなんで、弱くなってしまったのでしょうか。17世紀頃までは
ヨーロッパよりも科学が進んでたらしいのに。

317 :世界@名無史さん:03/10/31 04:10
>>316
あまりにシステムが完成され過ぎて保守しすぎ
気付くと身動き出来なくなっていたのです。

318 :世界@名無史さん:03/10/31 23:28
>>315
セリム3世とマフムート2世は親子ほど年は離れているけど義理の兄弟でしたね。ご指摘ありがとうございます。

>>316
原因はいろいろあると思います。
1…科学技術は遅れ、昔ながらの制度に縛られていたとしても、18世紀前半までは動員できる兵隊さんが多いので何とかなっちゃった。そのため改革は後送りに……。
(1639年、ヴェネティアよりクレタ島を奪う。1710年、ピョートルの軍隊を蹴散らす。)
2…お馬鹿な皇帝を量産。
(お家騒動を防ぐため、目をつぶされたり喉をつぶされた奴隷に囲まれるという素敵な環境で、皇子達をそれぞれ一つ部屋に監禁していた。こんなんじゃまともな統治者が生まれるわけありませんよね。ちなみにオスマン3世は50年間幽閉されていたそうです。)

ほかにも多くの原因がありますが、前にレスされた方がいろいろ分析されてます。

319 :世界@名無史さん:03/10/31 23:49
レス、どうもありがとうございます。皇族幽閉の制度はどうにかならなかった
んでしょうか?オスマン帝国は18世紀頃までは強い国だったわけですから、
改革すれば西欧列強に入れたのではと思います。列強に入れず、逆に侵略の
対象となってしまったのがとても残念です。

320 :世界@名無史さん:03/11/01 00:36
反乱が多発する国はいづれ衰退するでしょ。

321 :世界@名無史さん:03/11/01 03:47
>>319
オスマン帝国にもロシアばりに何回か改革の試みがありました。
結構どれもイイ線行ってるのに失敗する。
調べると面白いよ。




322 :世界@名無史さん:03/11/09 03:26
青年トルコ党がカリフ制廃止せずに傀儡として残しておけば
原理主義はなかったか

323 :世界@名無史さん:03/11/10 11:29
>>322
は?

324 :世界@名無史さん:03/11/10 12:34
近代化OKの宗教勅令のようなものを全ムスリムに指令させる

325 :世界@名無史さん:03/11/10 19:29
オスマン帝国は確かに18世紀には衰退が始まってたが、

18世紀前半は改革路線もあったりロシアも撃退したりして
実は列強も全然手が出せていない。
18世紀後半になってボロが出て来て、目に見えて列強に敗北してくのは19世紀に入ってから。



326 :世界@名無史さん:03/11/10 20:33
20世紀になると大清帝国同様西欧列強の草刈場に・・・(涙

327 :世界@名無史さん:03/11/13 07:40
言われるほど情けなくもないと思う、特に清国は。
どちらも老大国らしく意外としたたかに立ち回っているのでは?

328 :世界@名無史さん:03/11/13 22:17
まあ宮廷はボロボロだったからね。
でもバルカン戦争あたりまでは老体ながら超大国だったんじゃない?
清もボロボロになってくのはアヘン戦争あたりからだよね。

清もオスマン帝国も18世紀はイメージよりぜんぜん強靱では?

329 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/11/16 22:20
>>328
オスマン朝トルコ帝国の場合・・・
エジプト&スエズを押さえたイギリスと、
南下政策により黒海を押さえたロシアの対立という背景も大きいですよね。
結果的にはドイツと手を組んで共に滅びてしまいましたが・・・。

清王朝の場合・・・
私的には『同治中興』とかで頑張っていたような気がしますので、
ボロボロは日清戦争あたりからかな・・・?(あまり詳しくはないので。)

330 :世界@名無史さん:03/11/17 00:20
オスマン帝国はバルカン半島に当地の重心おいていた?
アラブ人地域は、統治力最盛期であっても在地豪族同士の内戦が続発していた。

331 :世界@名無史さん:03/11/24 12:02
>>330
どこの地域からの税収が一番多かったんでしょう?
また、最末期、アジアで反乱が起きると
「オスマン家はヨーロッパへ帰れ!」と言われ、
ヴァルカンで反乱が起きると
「トルコ人をアジアへ追い返せ!」なんて言われてた。
アジアでもヨーロッパでもない「オスマン帝国人」と言う概念は両方共に理解してもらえませんでしたとさ。

>>329
歴史的に同盟国であったフランス(対ハプスブルグ家で)やスウェーデン(対ロシアで)との友情をもっと強く築いていたら、後の衰退も幾分緩和されたかな?素人考えですけど。
ナポレオン戦争後のウィーン会議で完全シカトされ、現在にいたるもヨーロッパファミリーの一員になれなかったのがとんでもなくマイナスだったと思うっす。

332 :世界@名無史さん:03/11/24 12:07
>>331
ヴァルカンって・・・
バルカンは「Balkan」であって、決して「Valkan」ではないんだがな。



333 :世界@名無史さん:03/11/24 12:38
ヴェートーベンと書いてみたい年頃なんだよ

334 :世界史@名無史さん:03/11/25 18:54
ロクセラーナに関心を持っている者ですが、彼女については本によって記述が矛盾している部分があります。

没年が1561年と1558年。
最近出た著書では1558年に統一されていますが七十年代以前に出版された本では併記されていたり、どちらかだけが載っています。
理由をご存知の方教えて下さい。

ジハンギルの生母がロクセラーナではなくムスタファの生母マヒデヴランと記述している本がある。
ジハンギルの生母はロクセラーナなのですか。マヒデヴランなのですか?

偽王子ムスタファ事件の詳しい経緯をご存知の方教えて下さい。

ロクセラーナが後継者に望んだのは本によってはセリムだったりパヤジットだったりします。
どちらの説が有力なのですか。有力な根拠も教えてくれるとありがたいです。

日本史では北政所ねねは人望厚い良妻。という風なイメージが定着していますがトルコでは
ロクセラーナはどのようなイメージをもたれているのでしょうか。

色々と質問しまくり恐縮ですが、親切な方お教えください。




335 :世界@名無史さん:03/11/28 15:28
>>331
スウェーデンとは北方戦争はじめ地味にいろいろやってますね。
北欧と黒海貿易の関係とも実はつながりがありそうです。

336 :世界@名無史さん:03/11/28 20:28
チャーチルに欧州の病人と揶揄された土耳古。
夷スラム帝国は前世紀の遺物にすぎない。
1世紀たった今もテロでシナゴーグ爆破する
土耳古はDQNの居場所。


337 :世界@名無史さん:03/11/28 21:24
ビザンツもオスマンもようわからん。

338 :世界@名無史さん:03/11/28 23:07
どっちかてゆーとトルコは被害者だろ。
シナゴーグの事件は。

339 :世界@名無史さん:03/11/28 23:25
>>336はあちこちでウザい電波を発散してるDQN。
相手して得はない。

340 :世界@名無史さん:03/12/08 22:53
講談社現代新書の「オスマン帝国」以外に、
初心者向けの本があったら教えてください。

341 :カラジチ ◆mWYugocC.c :03/12/08 23:17
>>340
ちょっと高い上になかなか置いていないけど、
クセジュの『トルコ史』は結構詳しいです。

342 :世界@名無史さん:03/12/09 01:44
クセジュは古いのが難かな。あとはこんなもん。

永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(中央公論社・世界の歴史)
永田雄三(編)『西アジア史2 イラン・トルコ』(山川出版社・新版世界各国史)
林佳世子『オスマン帝国の時代』(山川出版社・世界史リブレット)

343 :世界@名無史さん:03/12/09 01:49
>>341
お返事ありがとうございます。
クセジュにそんな本があったんですね。
今度さがしてみます。


344 :340, 343:03/12/09 01:54
>>342
あ、書き込んだら>>342が現れた…。
色々な本を教えてくれてありがとうございます。
とりあえず手に入るものから読んでみます。


345 :世界@名無史さん:03/12/10 01:28
オスマンの近代化が、単なる西洋化と言えるかどうかについて今検証してるのですが、
何か良い資料を知っている方がいましたら教えていただきたいのですが。
また、意見も聞きたいと思ってるのですが。

346 :世界@名無史さん:03/12/10 19:14
>>345
オスマン語の史料のことですか?

347 :世界@名無史さん:03/12/10 23:25
>346さん
出来れば日本語か英語の文献、もしくは本が知りたいのです。

348 :世界@名無史さん:03/12/18 06:50
近代史全体の通史なら、
日本語だと新井政美『トルコ近代史』(みすず書房)
英語だとErik J. Zurcher, Turkey: a Modern History (I.B.Tauris)
が定番でしょうけど、もう知ってるかな。

349 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/12/22 00:59
いい感じで沈んできましたので久しぶりに。

だいぶ前に聞いたことなのですが、
1538年、1551年、1552年、1553年と、
計4回のインド洋遠征が行われたようです。
でも、詳しく書かれた本に廻りあったことがありません。

そんな本はあるのでしょうか?

350 :世界@名無史さん:03/12/23 20:25
古い本なので参考程度に。
日本におけるオスマン研究の先駆者、三橋冨治男先生の
『オスマン帝国の栄光とスレイマン大帝』に2〜3ページほど載ってます。
同じ著者の『オスマントルコ史論』にもあったかもしれません。
手元にないので確認できませんが。

351 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/12/25 04:53
>>350
古い本ですね。
図書館に行けば・・・?
はっ!もう、今年中には行けません。(がーん!)

でも、ヨーロッパ方面、ペルシア方面、アフリカ方面(地中海)はよく載っているのに、
アラビア方面(イエメン、マスカット)ってほとんど載ってないのは何故でしょう?
やはり、重要視されていないのかでしょうか。

352 :月と星より ◆jaxQ5494pE :03/12/25 04:55
あっ、書き忘れました。

>>350
Thanks!

353 :世界@名無史さん:03/12/26 01:34
よく知らないのですが、あまり史料がないのかもしれません。
イエメン州、エチオピア州は存続期間短いですし。

そういえばあのピーリー・レイスはインド洋遠征で失態をやらかして処刑されたとか。

354 :世界@名無史さん:03/12/26 10:06
>>353
オスマン朝のイエメン遠征についての史料なら、最近、アラビア語史料の英訳や仏訳が出てるやん。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1860648363/qid%3D1072399548/249-4367238-9677949
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/2724702417/qid=1072398784/sr=1-1/ref=sr_1_1/102-5154154-1820907?v=glance&s=books

355 :353:03/12/27 13:57
>>354
お恥ずかしや。

356 :世界@名無史さん:03/12/27 14:01
しかもageてしまった。

鬱だ…

357 :世界@名無史さん:04/01/01 21:14
バヤズィト1世の伝記ってあります?
スレイマンやメフメトのは邦訳でも見たことが
あるんですが・・・。
洋書でも、伝記というのはまだ出てないんでしょうか?
宿敵のティムールなら洋書でも伝記はあるんですけどね・・・。

358 :世界@名無史さん:04/01/03 11:49
دولت عاليه عثمانيه

359 :世界@名無史さん:04/01/05 19:28
バヤズィット1世の頃はまだ、現存するオスマン語の史料も少ないだろうからなあ。

360 :世界史@名無史さん:04/01/09 12:41
1月七日に放送されたNHKハイビジョン番組
トルコ・トプカプ宮殿の光と影 スルタンとハレムの女たち
見た人詳細報告してください。

361 :世界@名無史さん:04/01/10 05:57
>>359
史料全然ないっす。

>>357
webcatで検索してみると、
The foundation of the Ottoman Empire : a history of the Osmanlis up to
the death of Bayezid I, 1300-1403
っつう本くらいしか見当たりませんね。
なにぶんバヤズィトと同時代のオスマン年代記は現存しないので、
伝記で単独の著書というのは難しいんじゃないでしょうか。

>>358
たぶんスペルちゃいます。
دولت عليه عثمانيه

362 :世界@名無史さん:04/01/11 04:22
>>360
見たよ。
ハレムの女性たちがいかに自由を束縛されていたか、
またオスマン朝の王子たちが皇位継承までは幽閉の身であり、
血なまぐさい権力闘争がいかに行われていたか・・・等々。
主に皇位継承の際の兄弟殺しに重点を置いていた感じがする。
まあ、見た後は気分が暗くなってオスマン朝が嫌いになるよ・・・。

363 :世界@名無史さん:04/01/18 08:09
メフメト2世の肖像画、2種類見たことがあるけど、
いずれも花の匂いをかいでいました。
何か粋人的なエピソードでもある人なんですか?

364 :世界@名無史さん:04/01/19 21:08
>>363
山田篤美『ムガル美術の旅』朝日新聞社 1997年 では、「片手に花を持つポーズは15世紀のイタリアでは人物像を
描く時によく使われる手法」であったことから、メフメト2世がヴェネツィアやナポリのイタリア人画家をイスタンブルに
招いて、トルコ人画家に肖像画の描き方を習わせていた時に、このポーズがイタリアのルネサンス絵画からオスマン絵画に
取り入れられたものである、としています。


365 :世界@名無史さん:04/01/24 00:05
>>364
ご教示ありがとうございます。
講談社現代新書の「オスマン帝国」という本を買い、少し読みましたが、
この本ではメフメット2世という人物を、西欧の文化に関心を持ったほとんど唯一の
オスマン朝君主、と紹介していました。
ついでに、この本には「ヴェネツィアのベッリーニによるメフメット2世像」とキャプションの
付いた肖像画が載っています。こんな西洋人作の肖像が残っているスルタンは、
やはりこのメフメット2世だけということになるんでしょうかね。


366 :世界@名無史さん:04/01/26 01:08
「オスマンvs.ヨーロッパ―〈トルコの脅威〉とは何だったのか」(講談社選書メチエ)
新井 政美 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582376/qid=1075046816/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-0783343-6577901

読んだ人いる?

367 :世界@名無史さん:04/01/28 08:42
午前10時台に鈴木董先生がNHKラジオ第一に出演されるみたいだな。

368 :世界@名無史さん:04/01/28 10:22
本当だ鈴木先生が喋ってる!

369 :世界@名無史さん:04/01/28 10:55
面白かったなー

370 :世界@名無史さん:04/02/01 16:54
>>363
バラの花の香りは王者を示す定型表現です。

371 :世界@名無史さん:04/02/19 22:40
親西欧のスルタンって言ったらアフメト3世は?

372 :世界@名無史さん:04/02/19 22:41
オス マンコチョー大

373 :世界@名無史さん:04/02/19 22:54
スレイマン1世って、神聖ローマ皇帝カール5世だか相手に
「自身こそローマ帝国の継承者」と
競争心もやしたって本当ですか?

だって、イスラムでしょ?


374 :世界@名無史さん:04/02/19 22:56
ローマだって最初からキリスト教国だったわけじゃないし。

375 :世界@名無史さん:04/02/21 17:19
374がイイ事言った。

まあ、当時はどっちかっていうとビザンチンが正統なローマ帝国で
(何しろ1000年続いた)それを継承したのがスルタンだったからな。
旧イスラム植民地のスペイン王がローマ皇帝を名乗るのはちゃんちゃら可笑しかったのでしょう。

376 :世界@名無史さん:04/02/21 17:23
あと、スレイマンはローマ帝国どころか
「東西帝国の統一者」であるアレクサンドロスの再来を自認してたらしく
スンナ派イスラム世界のカリフに加え、
ペルシアの皇帝とローマ皇帝を兼ねているという意識があったらしいです。

メトロポリタン美術館に四重冠をかぶったスレイマンの絵があります。

377 :世界@名無史さん:04/02/21 18:04
イスラム系王朝は、イスカンダルって名前がけっこう多いな。

378 :世界@名無史さん:04/02/21 18:07
اسكندرって名前、そんなに多かったっけ?

379 :世界@名無史さん:04/02/21 18:16
「多い」は言い過ぎだったな、スマソ。
ただ、インド北部のイスラム系王朝とか、ムラカ王国とかの系図見てて少し目に付いたもんで。

380 :世界@名無史さん:04/02/21 23:30
カール5世はネーデルラントの生まれですよ

381 :世界@名無史さん:04/02/22 03:22
だれか>>309の意味を教えてくれ。
ハサーって何じゃ?


382 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/02/22 11:31
それはAge of Empireというゲーム(のConqueror Edition)の話ですな。

383 :世界@名無史さん:04/04/05 18:58
いやあ、アンカラの戦いん時だけはやばいと思ったよ。

384 :世界@名無史さん:04/04/13 10:45
トルコ関連ニュース
http://www.jetro.go.jp/turkey/japan/3/3_0_2004_01/3_0_2004_01_05.html

385 :世界@名無史さん:04/04/14 09:00
アルメニア人て、アメリカで政治力あるのですか?
ギリシャにはよく悩まされてますけど。

386 :世界@名無史さん:04/04/28 23:58
ttp://www.huzuradogru.com/tarih/osmanli/index.html

387 :世界@名無史さん:04/05/04 13:29
キンシコウの学名をrhinopithecus roxellanaeと言うんですが、roxellanaeってロクセラーナの事なんですか?

388 :waza_fire:04/05/04 15:54
オスマン・トルコという呼称は間違いらしいね

389 :あやめ:04/05/04 17:14
オスマン朝としては多民族複合帝国ということで、あまりトルコ民族に
拘ったアイデンティティを強調することはなく、トルコ人というよりも
オスマン人としての意識に求心力を機能させたかったということらしいです。
序に言うと最近ではスルタン-カリフ制というのも些か違うんだという
説明を専門書では見かけるようになりました。

390 :世界@名無史さん:04/05/20 23:53
割と落ち目になってから取りざたされるようになったと
どこかで聞きますた>スルタン−カリフ制

391 :世界@名無史さん:04/06/25 20:21
>>387
ロクセラーナの肖像画に顔が似ていることから
そういう学名がついたそうです。
現代の感覚でいうとあまり美形ではなかったのではないでしょうか。

>>389
それどころか19世紀の終わりまで
オスマン宮廷人士はトルコ民族というアイデンティティを
些かも持っていませんでした。

と遅レスしつつ救済age

392 :   :04/07/22 21:54
 

393 :世界@名無史さん:04/08/30 22:02
ハイレッディンレイスとかが活躍する地中海…
なんでトルコはアメリカとか東洋とかへ舟を出さなかったんでしょう?

394 :世界@名無史さん:04/08/30 22:42
>>1
それは違うだろ。

395 :世界@名無史さん:04/08/31 00:00
>>393
ピーリー・レイスの『キターブ・バフリエ』に記された、ヨーロッパから入手したと思われる
アメリカ大陸に関する情報によって、オスマン海軍の関係者は新大陸にある一定の関心は持っていたと思われるが、
紅海、ペルシア湾、インド洋方面では実際に、進出していたポルトガルの勢力と戦っている。
ほんのエピソード程度の出来事だが、16世紀の半ば過ぎには北スマトラのアチェの支配者の要請を受けて
アチェに派遣されたオスマン軍が結果としては敗北したが、ポルトガルの勢力を排除しようとした動きもあった。
オスマン朝のガレー船艦隊は地中海のような内海での接近戦、白兵戦には向いていたかもしれないが、
大西洋やインド洋などでは西ヨーロッパ諸国が外洋向けに建造したガレオン船には火力でも耐波性でも勝負にならなかったからか?

396 :世界@名無史さん:04/09/06 21:25
ポルトガルの排除と言えばザンジバル、アフリカ東岸なんかあったと思いますが
あの辺はオスマン‐トルコの援助とかあったのでしょうか?

397 :世界@名無史さん:04/09/06 22:52
17世紀末にポルトガルの勢力をスワヒリ海岸から駆逐したのはオマーンのヤアーリバ朝。

398 :世界@名無史さん:04/09/07 17:29
補足するとオマーンはオスマン朝の後援などは特に受けていない。

>>396
だからオスマン・トルコなどという誤称はやめてくれって。

399 :世界@名無史さん:04/09/08 22:26
清朝下のトルキスタン、新疆のヤークーブベクらの反乱にはオスマン朝の後援が…あったんですよね?

400 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/09/08 22:32
>>396
モノモタパではロズウィ族と提携したモノモタパの属国に、
モザンビークのあたりの海岸都市ではジンバ族が追い出した。
もっとも後者のジンバ族、ポルトガルがオスマン朝から1588年に
派遣された海賊アリ=ベイを撃退するのに協力したりしている。

401 :世界@名無史さん:04/09/26 23:29:34
総じてアラビア語地域の支配は不安定だったようね?
失陥したアンダルスのムスリムを見捨てたしモロッコは奪えなかったし、アルジェリア、チュニジアは関節支配になったし

402 :世界@名無史さん:04/09/27 00:03:13
>>398
誤称なんてシッタカはやめよう

403 :世界@名無史さん:04/09/27 11:10:55
>>401
アナトリア・ルメリなみに支配できてたのはシリアくらいだね。

>>402
じゃあ旧称。

誤称でも旧称でもいいが
いずれにせよ実態にも自称にも基づいていないため
適切な呼称ではないというのは現在の共通認識。

404 :世界@名無史さん:04/09/27 11:56:24
>>377
亀レスだがイスカンダルってのは西欧で言うアレクサンダーだと思われ.
トルコのイスケンデルンってのは旧アレクサンドリア都市.

>>403
正式名称って何ですか?アトマン?

405 :世界@名無史さん:04/09/27 21:23:23
>>404
دولت عليه などと呼ばれることが多いですが
正式名称というと、やはりこのスレで既出の دولت عليه عثمانيه
もしくは憲法の条文で使われている دولت عثمانيه かなあと思うのですが。

406 :世界@名無史さん:04/10/02 12:24:56
>>405
発音をできればカタカナで書いてほしいのですが・・・.
文字が読めません.

407 :世界@名無史さん:04/10/02 18:35:37
دولت عليه Devlet-i Aliye
دولت عليه عثمانيه Devlet-i Aliye-i Osmaniye
دولت عثمانيه Devlet-i Osmaniye

408 :世界@名無史さん:04/10/04 12:55:05
後継ぎ以外の王子は全員処刑か一生幽閉断種させられたので、
オスマンには「貴族」無し。

409 :世界@名無史さん:04/10/04 20:33:27
寵妃ロクセラーナは駄作。
こんな本しかスレイマン大帝の後継者争いを扱った本がないとは嘆かわしい。
ロクセラーナが本当にいい女だったらマヒデヴランをあそこまで嫌な性格の女にする必要ないよな。
史実と違うエピソードを創作してまでマヒデヴランを悪人にするのは酷いと思う。
ロクセラーナはスレイマンとの相性は良かったんだろうが多くの人に嫌われても仕方のない性格の女だったと思う。


410 :世界@名無史さん:04/10/04 22:14:08
アブデュルハミト2世大好き

411 :世界@名無史さん:04/10/05 19:37:13
>>408
皇女は降嫁して子供を産むけどその家系が貴族化しなかったの?
オスマン帝国には貴族階級がなかったと良く紹介されているけど
詳しい説明がないのが不満。
オスマン・トルコに詳しい方の降臨きぼん。

412 :世界@名無史さん:04/10/05 22:28:10
君侯国時代からの家柄の有力スィパーヒーや、代々高官を輩出した名門は貴族と言っていいだろうね。
オスマン帝国は君主に権力を集中するために、忠実で有能そうな奴を家柄に関わらずどんどん取り立てたから、
官僚組織や軍隊に権力が集まって、高官が一代限りの特権階級みたくなって、
ヨーロッパやアジアほど世襲貴族が強くなれなかったってだけの話。

413 :世界@名無史さん:04/10/06 04:27:58
オスマン帝国では高官の家がすぐに没落してしまうので。
もちろん高官のところには財産があるので続く家は続きます。
例えばキョプリュリュ家は17世紀に大宰相を出してから
20世紀高級官僚の家として続きました。
でも君主にかわって中央権力を独占する家は出ませんでした。

これは思いつきですが、オスマン帝国の官界は
出世するには大臣の家に私的な従者として仕えて
官位を引き上げてもらうというパトロネージ制で
日本の平安時代の公家社会を想像してもらうとわかりやすいのですが、
公家と違って家柄が多少悪くても
親分の引きのよさと自分の才能さえあれば大臣にはなれました。
これはデヴシルメが廃れて宰相がスルタンの小姓出身に限らなくなった後も
高官の家系の流動性が高かった原因になったでしょう。
さらに昔からの高官の家でも世襲領土をもたない上に、
失脚したついでに財産が没収されるのもざら、
さらに財産がイスラム法の相続制度で子孫の間で細切れになるので、
油断をすれば名門もあっという間に寒門になっていきます。

414 :世界@名無史さん:04/10/06 22:51:50
イスラム圏は均分相続なので、世襲の富豪は殆ど存在しなかった?
日本のように百年以上も同じ業種の商売続けている商家というのは無いそうだ。
代々続くウラマーの家系はあるそうだが。

415 :世界@名無史さん:04/10/07 10:57:45
>>413
まさに能力主義の世界ですね.
しかしそこまで徹底していながらイスラムは何故没落したのか・・・.

416 :世界@名無史さん:04/10/07 17:20:53
>>415
能力主義にみえるけど結局のところではコネと派閥がものをいうから。

417 :世界@名無史さん:04/10/08 22:26:43
イエニチェリは結婚できず使い捨て奴隷だった

418 :世界@名無史さん:04/10/08 22:35:55
>>417
16世紀後半頃からは結婚も黙認されるようになった。

419 :世界@名無史さん:04/10/09 03:24:35
小姓の結婚を禁止していると、ホモ疑惑が涌くよ。
それって、カリフとしてはマズかろうて。

420 :世界@名無史さん:04/10/09 03:27:57
>>415
ぶっちゃけ経済向きの民族じゃなかったんだろう。

421 :世界@名無史さん:04/10/09 17:43:11
>>419
結婚が禁止されてた時代はカリフじゃないし。

422 :世界@名無史さん:04/10/10 00:01:53
>>421
カリフの立場があるから小姓の結婚を禁止できなかったんだろ?

423 :世界@名無史さん:04/10/10 01:52:47
>>422
は? なんでカリフじゃなければ結婚を禁止できるの?

だいたいスルタン・カリフ制の主張は18世紀以降のものですが。

424 :世界@名無史さん:04/10/10 10:10:25
カリフでなくとも、回教圏なんだから、有力者が側近の結婚を禁止なんてしたら、
ホモ疑惑が涌いて、反教者として統治権の正当性を疑われるだろ。

425 :世界@名無史さん:04/10/10 10:14:47
有力者が側近の結婚を禁止する → 男色の疑惑がかかる
回教は男色を禁止している
回教は、建前上、政教一致
王様が側近の結婚を禁止することと、統治権の正当性を示すことに、矛盾が生じるわけだ。


426 :世界@名無史さん:04/10/12 23:19:27
イエニチェリはスルタンの男食用性奴隷としての用途もあったのでは?

427 :世界@名無史さん:04/10/12 23:47:05
そもそもイェニチェリと小姓は別の身分なんだけどなあ。

428 :世界@名無史さん:04/10/13 17:10:13
カドゥンラール・スルタナトゥ(女人政治)はスレイマン大帝の在位中から始まったと思わないか?
ハーレム勢力が国政に干渉してオスマン帝国の国益を損なうことを女人政治というならば、ロクセラーナの活動は
女人政治以外の何者でもないと思う。
それなにのに何故スレイマン大帝の死後に女人政治が始まったという見解が有力なんだろう。

429 :世界@名無史さん:04/10/14 23:43:36
性奴隷は専ら白人異教民族から調達していたの?

430 :世界@名無史さん:04/10/15 02:53:40
>>428
それはカドゥンラル・サルタナトゥを命名した
アフメット・レフィク(「チューリップ時代」の命名者でもある)はどう考えていたのか…。
オスマン人の伝統的な歴史観では
スレイマン1世の時代に政治制度が完成して
スレイマン死後に堕落していったというのが常識だったわけで、
アフメット・レフィクもそれに従っただけなんじゃないかと思います。

>>429
性奴隷というか…購入されてハレムに入るような女性は白人で、
主にクリミア、カフカスなどを通じてイスタンブルに入ってくるので
ロシア、ウクライナ、ポーランド、チェルケス、グルジアあたりの出身でしょうか。
もとは戦争捕虜が中心ですね。
16〜17世紀には黒海北岸あたりにいたノガイ・タタールが
ポーランド=リトアニアやモスクワ大公国に
定期的な略奪目的の遠征をやっていました。

431 :世界@名無史さん:04/10/15 03:53:28
遊牧民+ペルシア文化+ギリシア/ビザンツ+イスラーム。
オスマン帝国はまさにこの周辺の世界の集大成だ。

432 :世界@名無史さん:04/10/15 13:06:17
>>430
スレイマンは神格化されていてその失政は故意に無視あるいは過小評価されていたということですか?
陳瞬臣のイスンタンブールというノンフィクションに「スレイマンの政治的な才能はメフメット二世や
父のセリム一世にひけは取らないが軍事的な才能は彼らに一歩譲る」と主張する歴史学者がいると紹介されていました。
個人的な意見ですがスイレマンよりもメフメット二世の方が大帝の名にふさわしいと思っています。

433 :世界@名無史さん:04/10/15 20:26:34
スイレマン

434 :世界@名無史さん:04/10/15 23:26:26
あげておこう

435 :世界@名無史さん:04/10/15 23:57:28
>>428
江戸幕府で言う大奥みたいなものだろ

436 :世界@名無史さん:04/10/16 00:04:59
>>432
そういう節はあったと思います。
もちろん今は違いますが。

437 :世界@名無史さん:04/10/16 11:23:51
>>432
ま、スレイマン大帝の命名が外人ですから。
トルコでは「立法帝」。

438 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/16 21:54:37
壮麗帝という言い方もありますな>スレイマン
メフメトは征服者か。まんまやん。

439 :世界@名無史さん:04/10/17 15:06:57
1 ロクセラーナはスレイマンの生母と親友を味方に出来なかった。
2 スレイマンとの正式な結婚を望んだ時最後はヒステリーを起こしてスレイマンにいうことをきかせている。
3 ムスタファ皇子の生母マヒデヴランをハーレムからおいだすときもヒステリーを起こしている。
4 後ろ盾をなくしたムスタファは配下の軍隊を掌握しており紙一重の差でロクセラーナはムスタファを排除した。
5 火事のどさくさにまぎれてトプカプ宮殿に引越し。政局を動かしやすくなったがハーレムが国政に干渉するきっかけを作る。
  短期的な利益に目がくらみむすこに後を継がせるつもりのオスマン帝国の真の利益を理解していたとは思えない。
6 庶民の人気はまるでなし。
7 ムスタファ排除後望んだ息子ではなく出来の悪いセリムが後継者になってしまった

本当に聡明な女ならヒステリー起こして男に言うこと聞かせるなんてことしないで
巧妙に男の心理を操作して自分の思い通りに操れるんじゃないのか。
短気な利益目がくらんで長期的な利益の存在を忘れているんじゃないか。
死病でもスレイマンの寵愛と非凡な政治力があればのぞみどおりの後継者を選べたのでは。

ロクセラーナは単にそこそこの楽才と文才ある陽気な女性で彼女の賛美者が賞賛しているほど
聡明な女性には思えない。
性格は典型的なヒステリー性性格。




440 :世界@名無史さん:04/10/19 13:16:58
英語の本でもいいからロクセラーナの伝記を紹介してください。
でごろな厚さの本がいいです。

441 :hitomi ◆EN.thU0KcA :04/10/19 18:24:36
>>440
小説だけど渋澤幸子の「寵妃ロクセラーナ」
けっこうおもろいよ。

442 :世界@名無史さん:04/10/19 19:07:12
すいません。その本持ってはいるんですが内容に満足していなんです。
ロクセラーナを美化するために対立者を悪く書く。ムスタファ皇子のように悪くかけない人物はほとんど無視。
ロクセラーナとスレイマンの結婚の過程は大幅に美化。
ムスタファ死後生き残った二人の息子の争いが生じバャジットがムスタファそっくりの人物を探し出し
反乱を起こさせるという事件が生じるのですがこれもスルー。
スレイマンにはマヒデヴランとロクセラーナ以外にも妻妾がいたはずなのですがこれにもほとんど触れていない。
と事実を正確に伝えるよりも作者の理想と趣味を満足させることを優先さている本なんです。
そもそも晩年のロクセラーナが平穏な気持ちで日々を過ごしたなんて信じられますか。
あれは創作というよりも捏造と歪曲という表現がぴったりの小説だと思ってます。

443 :世界@名無史さん:04/10/19 19:18:19
初めて読み終わったとき、「ロクセラーナよりもマヒデヴランとムスタファの方が
かわいそうだろーが」と本を床に叩き付けました。
強引にスレイマンと結婚したロクセラーナは新スルタンの兄弟殺しという習慣がなくても
悪質な陰謀で我が子をスルタンにしようとしたに違いないと信じています。


444 :世界@名無史さん:04/10/25 14:41:08
寵妃ロクセラーナはオスマン・トルコの上流階級やハーレムでの生活を知るには
貴重な本なんだけど主要登場人物の歴史小説及び心理小説としては三文小説。

445 :ちょこっと新入り:04/11/03 01:43:40
エウリヤ・チェレビーの旅行記『セヤハトナメ』についてわかる、日本語
か英語でのいい資料はありませんか? 最近読んだ本に何か所もでてくる、
セヤハトナメからの引用が結構面白そうなので、もっと知りたくなりました。
  

446 :世界@名無史さん:04/11/03 07:31:11
>>445
簡単に概要を知りたければ
『岩波イスラーム辞典』や平凡社『新イスラム事典』の
エヴリヤ・チェレビーの項目をとりあえず見るといいでしょう。
概要をより詳しく知りたければ
Encyclopedia of Islam, New edition をあたってみてください。
見出しは Evliya か Ewliya から探すと見つかると思います。
エヴリヤ・チェレビーの旅行記のテキストの英訳は
部分訳しかなかったような記憶がありますが、ちょっとはっきりしません。
詳しくは Encyclopedia of Islam に載ってると思います。

447 :世界@名無史さん:04/11/03 12:55:58
キリスト教国からオスマン帝国に嫁いだ王女・皇女が産んだスルタンっているの?
オスマン帝国、初期は随分キリスト教国から正妃をもらっているので気になる。
この時期はかなり記録が少ないからわからないかもしれないけど試しにきいてみる。

448 :世界@名無史さん:04/11/03 13:12:43
Evliya Çelebi (1314/1896/97 to 1938). Seyahatnamesi, 10 vols. (Istanbul, Ankara: İkdam and others).

[Evliya Çelebi](2nd edn, 1987). Im Reiche des Goldenen Apfels, des türkischen Weltenbummlers
Evliya Çelebi denkwürdige Reise in das Giaurenland und in die Staadt und Festung Wien anno 1665,
trans. and annotated Richard F. Kreutel, Erich Prokosch and Karl Teply (Vienna: Verlag Styria).

(1988). Evliya Çelebi in Diyarbekir, The Relevant Section of the Seyahatname edited with Translation,
Commentary and Introduction, ed. and trans. Martin van Bruinessen and Hendrik Boeschoten (Leiden: E.J.Brill).

Evliya Çelebi Seyahatnamesi, 1. Kitap: Istanbul(1989) ed. Şinasi Tekin, Gönül Alpay Tekin and Fahir Iz, 2 vols.
(Cambridge MA: Harvard University Press).

(1990). Evliya Çelebi in Bitlis, The Relevant Section of Seyahatname edited with Translation, Commentary and
Introduction, ed. and trans. Robert Dankoff (Leiden: E.J.Brill).

(1991). The Intimate Life of an Ottoman Statesman, Melek Ahmed Pasha (1588-1662) as Portrayted in Evliya Çelebi's
Book of Travels, trans. and annotated Robert Dankoff and Rhoads Murphey (Albany: SUNY Press).

(1994). Ins Land der geheimnisvollen Func, des türkischen Weltenbummlers Evliyā Çelebi Reise durch Oberägypten und
den Sudan nebst der Provinz Habeş in den Jahren 1672/73, trans. and annotated Erich Prokosch (Vienna: Verlag Styria).

Evliya Çelebi (1995) Seyahatnamesi, 1. Kitap Istanbul. Topkapı Sarayı Bağdat 30 Yazmasının Transkripsyonu-dizini, ed.
Orhan Şaik Gökyay (Istanbul: Yapı ve Kredi Bankası ).

449 :世界@名無史さん:04/11/03 13:55:56
>>448
>>445

450 :世界@名無史さん:04/11/04 22:41:32
マフムト2世の母エイメはフランス人。ちなみにジョゼフィーヌの従姉妹

451 :ちょこっと新入り:04/11/05 04:33:23
チェレビー情報、ありがとうございました。やはり日本語での情報は少ない
ようですね、英語でも全訳はないと。最近読んだ、John Freely 著 Istanbul,
the Imperial City という本に、チェレビーの子供時代、スルタンとの出会い、
宮廷生活の様子など、楽しそうに描かれていたので興味を持ちました(なかでも
圧巻は、「ギルドの行進」のシーンでした。随分変わったギルドも登場しますし)。

452 :世界@名無史さん:04/11/05 15:50:43
別なチェレビー情報
ttp://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/tur/theses/1999/okawa.pdf

クルディスタンの殺伐とした感じが(・∀・)イイ!!

453 :ちょこっと新入り:04/11/08 04:04:09
東文研の鈴木先生いわく「エヴリヤ・チェレビィは謎の人物で、正体不明、
本名すらよくわからない」って、じゃあ先生が事典とかに書いたのは何?

454 :世界@名無史さん:04/11/11 17:55:12
バヤジット雷帝に仕えたギリシャ系の将軍ガ―ジー・エヴレノスと血のつながりとかないの?

455 :アポーン1世:04/11/11 18:34:33
鈴木薫ってどうよ?

456 :世界@名無史さん:04/12/19 17:32:16
age

457 :世界@名無史さん:04/12/20 15:24:49
隊長!
夢枕獏がミマーリ・シナンの伝記小説を出しているのをハケーンしますた!!

458 :世界@名無史さん:04/12/24 16:28:30
スレイマニエ・ジャーミーを造った建設家だね。

459 :世界@名無史さん:05/01/02 17:08:12
2005年1月1日、夜のBSで放送していたのは再放送でしたか。

王子の幽閉話(黄金の鳥かご)の話は陰惨でしたね。

460 :名無しさん@:05/01/03 13:41:47
「アジア」という言葉はローマ時代においては小アジア西部の属州地域を指し
た言葉だったようですが、オスマントルコにおいては「アジア」という言葉は
使われてたんですか?

使われてたとしたらオスマントルコにとって「アジア」はどこまでの範囲をい
っていたのでしょうか?

詳しい人いたら教えてください。できればソースも。

461 :世界@名無史さん:05/01/05 01:10:14
アシア(アジア)と同じくギリシア語由来でも、オスマン時代に使われていたのはギリシア語ανατοληから来た、
آناطولى(オスマン語)/Anadolu(現代トルコ語)(英語のAnatolia、仏語のAnatolie、独語のAnatolien)の方かと。

462 :世界@名無史さん:05/01/05 10:33:38
マルチポストには答えなくていいと思うよ。

463 :名無しさん@:05/01/05 13:49:33
>>462
いや、ほんとすいません。ちょっと急ぎだったんで。
461さんありがとうございます。

464 :世界@名無史さん:05/01/10 15:33:28
オスマン・サンコン

465 :世界@名無史さん:05/02/03 22:41:41 0
age

466 :近刊書:05/02/04 04:47:02 0
NTT出版の「イスタンブール・三つの顔をもつ帝都」誰か読みました?
ビザンティウムから始まる3000年の歴史を一冊にまとめたものだけど、
けっこう詳しい。ビザンティン帝国の皇帝もオスマン帝国のスルタンも
奇人変人のオンパレード。

467 :世界史@名無史さん:05/02/04 18:20:00 0
>466
専制国家の皇帝やっていればおかしくなる罠

468 :世界@名無史さん:05/02/04 20:54:45 0
ユスティニアヌス時代までは、本当の意味での専制国家と言えたかどうかは微妙。

469 :世界@名無史さん:05/02/07 19:19:30 0
世界最強とまでいわれたイェニチェリマンセー。
ウィーンだって落とせたはずなのに。

470 :世界@名無史さん:05/02/07 20:32:52 0
落とせた”はず”と落としたの間の差はとても大きいぞ

471 :世界@名無史さん:05/02/09 23:44:04 0
ウィーンは無理

472 :世界@名無史さん:05/02/10 01:01:35 0
大砲並べてガンガン撃てば落ちたろ。

473 :世界@名無史さん:05/02/10 22:48:08 0
だから、事実と「はず」の差は果てしなく広いんだよ

474 :世界@名無史さん:05/02/14 02:23:08 0
うえの「三つの顔をもつ帝都」によると、
一時は専横をきわめ、スルタンの廃立にも関わった栄光のイェニチェリ
軍団は、しまいには惨めな最期を遂げて解体されたんですね。

風呂屋の釜焚きに身をやつして生きながらえたイェニチェリが作った歌
というのも残っているそうですし、いつか聞いてみたい。

475 :世界@名無史さん:05/02/17 21:32:55 0
http://www.game-style.jp/soft/200501/25/01sev_li.php

オスマン帝国が敵国の鉄道浪漫得エロゲーらしい。
なんつーかよくこういうなん出すよなー。

476 :世界@名無史さん:05/02/18 01:20:52 0
ベルセルクのクシャーンはオスマン帝国らしい。

477 :世界@名無史さん:05/02/18 14:00:37 0
俺はオスマン朝が適役のエロゲーがやりたい。

478 :世界史@名無史さん:05/02/18 17:31:09 0
オスマン帝国の歴史をもっと詳しく知ってからエロゲーやりたい
知りたいと思っているのに知ることができないことが多すぎ>オスマン帝国

479 :世界@名無史さん:05/02/18 17:40:25 0
どうせエロゲーにするなら敵国を攻略して次々に女奴隷を味見するゲームにしてほしいなハァハァ

480 :世界@名無史さん:05/02/18 18:03:14 O
「ニザーム・ジェディット」
名前がカコ(・∀・)イイ!!

481 :世界史@名無史さん:05/02/18 19:40:38 0
エリザベート・バートリの親族でトルコ人に輪姦された後殺害された女がいる。
この女はとんでもない色情狂だった。

482 :世界@名無史さん:05/02/18 21:38:04 0
バートリの鬼畜の所業が親戚に祟ったてか。

483 :世界@名無史さん:05/02/18 21:51:27 0
オスマンって何かエロイ名前だよね

484 :世界@名無史さん:05/02/18 22:09:03 0
皇帝がオキニの寵妃に おっす!  万個!と 朝一番にクンニして挨拶するんだよ。

485 :世界@名無史さん:05/02/18 22:09:53 0
>>483
オスマン・ベイとカリフのウスマーンに怒られるぞw

486 :世界@名無史さん:05/02/18 22:14:21 0
メフメト2世の軍事的才能って見かけ倒しだね。

コンスタンティノープル攻めあぐね、ウズン・ハサンに本陣間際まで迫られ
ベッサラビアで敗北寸前まで追い込まれ、ワラキアで猛烈な夜襲をかけられ(ry

487 :世界@名無史さん:05/02/18 22:20:07 0
ttp://sun.menloschool.org/~sportman/westernstudies/first/1718/peer.html
オスマン帝国
サファヴィー帝国?
ムガル帝国
清帝国
徳川帝国?

488 :世界@名無史さん:05/02/18 22:20:28 0
あとベオグラード攻略失敗し。

自分的評価
(ティムール≒チンギス>>イスマーイール)>バヤジット>セリム>>>スレイマン≒メフメト

489 :世界@名無史さん:05/02/18 22:39:04 0
>>488
ティムール≒チンギスはないだろ。チンギス>ティムールくらいでも甘い評価。

490 :世界@名無史さん:05/02/18 22:46:29 0
>>486
でもなんだかんだいって実質的なオスマン帝国の創業の主だし。
戦術的にはしばしばピンチに陥ってるところも信長のような感じ。

491 :世界@名無史さん:05/02/19 01:55:34 0
え〜と、オスマン帝国初心者でつ。

イェニチェリは漏れの浅はかな知識による思い込みだと、
何か既得権益ばかり主張して改革の足を引っ張ってばかりだわ、
ちょっと皇帝が豪腕を発揮しようとするとすぐに不満を溜め込む
反乱予備軍だわ、いざ戦争になるとからっきし役に立たないわ・・・。

何だかまるで現在の職場の漏れみたいなイメージで非常に親近感が湧く
のですが・・・ w

実際の処、イェニチェリの功罪はどんな感じなんでしょうか?
っていうか、目立った功績ってあるの?




492 :世界@名無史さん:05/02/19 13:21:57 0
大帝国建設を担ったオスマン最強軍団ですが

493 :世界@名無史さん:05/02/19 15:54:22 0
>>491
オスマン帝国の歴史は制度の面から見ると
16世紀を境に前期オスマン帝国と後期オスマン帝国に分かれますが、
イェニチェリの場合、軍団の性質自体が
前期と後期でかなり違います。
あなたの理解するイェニチェリは後期のそれ。

オスマン帝国が拡大を続けた16世紀までは、
首都に駐留する少数精鋭の歩兵軍団でした。
16世紀のスレイマン1世のころ、
ヨーロッパは火器が普及して軍事革命が起こりますが、
オスマン帝国でもそれまで主力だった騎兵が役立たずになり、
地方でティマール制により自力で税を集めて
生活していた騎兵が没落し始めました。
中央政府はかわりに俸給制の兵士の数を増やしますが、
火器を使える歩兵であるイェニチェリばかり増えることになり、
イスタンブルだけでなく地方の主要都市にも
イェニチェリが駐留するようになりました。
このため17世紀にはイェニチェリの土着化・世襲化が起こり、
都市ではギルドと結びついて顔役化、
俸給制だから俸給の支払いが滞ると暴動、
というようになり、軍事的には必要だけど
集権化にはお荷物な軍団になってしまいました。
その後はご存知の通り。

494 :世界@名無史さん:05/02/20 23:08:13 0
>>490
モンゴル高原の一部族の長という程度から大帝国作ったチンギスと、
モンゴルに西アジア征服という遺産があり、自身も相当な高位の貴族だった
ティムールとを比較したら圧倒的にチンギスでそ。

495 :世界@名無史さん:05/02/21 14:01:00 0
>自身も相当な高位の貴族だったティムール
征服者としてチンギス>ティムールは同意として、
ティムールってかろうじて貴族といえるかどうかの貧乏下級貴族だと思っていたけど、
最近はそう言う見解が主流なのですか?

496 :世界@名無史さん:05/02/21 19:32:19 0
でもティムールも征服者としては世界史上三本の指に入ると思うが。
チンギスが圧倒的にすごすぎるだけでね。
なおティムールも零細貴族で若い頃は盗賊とか生業にしてたとこからのし上がったんだが。

497 :世界@名無史さん:05/02/21 19:38:11 0
チンギスだってハーンの曾孫だから貴族では

498 :世界@名無史さん:05/02/21 20:55:08 0
だいたいチンギスには有能な部下たちが無数にいたが、ティムールはほとんど常に自ら陣頭指揮してるぞ。
軍人としての力量をいうなら明らかにティムール>チンギスだな

499 :世界@名無史さん:05/02/21 20:57:33 0
>>495
生まれは下級貴族だと思うが、仮にそうでないにしても、
羊泥棒をして足を折られたり、叔父に城を奪われたり、
敵に捕まって妻と一緒に何ヶ月も穴倉に繋がれたりする
泥沼の青春時代から這い上がって西ユーラシアを大征服した男だぞ。

500 :世界@名無史さん:05/02/21 20:58:28 0

間違えた。>>494とすべきだった。

501 :世界@名無史さん:05/02/22 07:07:04 0
ティムールのせいでオスマン帝国が危うくアボーンするところだった

502 :世界@名無史さん:05/02/22 11:29:42 0
なんでティムールはアナトリアを制圧して欧州方面に拡張せんかったんだ?
どうかんがえてもあちらの方が甘みがあるとおもうがのー

503 :世界@名無史さん:05/02/22 13:04:48 0
中原再征服が目的だったから。

504 :世界@名無史さん:05/02/22 13:06:41 0
ムハンマド・チェレビーを抹殺していれば、、、別のムハンマドが出現したんだろうな。

505 :世界@名無史さん:05/02/22 13:56:38 0
っていうか、なんでアナトリアまでいってんのに逆にシナにいくのか
訳わからん。

軍隊の移動も莫大な経費がかかろうに俺ならアナトリア半島をあしかがりに
ヨーロッパに進撃するのにな。
実際オスマン朝は奏してる。

506 :世界@名無史さん:05/02/22 14:19:42 0
↑ 「中国」って普通に書けよ。あんた、「シナ」世代じゃないだろw

507 :世界@名無史さん:05/02/22 14:34:01 0
1.モンゴル帝国を再統一するのが先決だったから
2.異教徒が気に食わなかったから(まあヨーロッパも同じだが・・・)
3.サマルカンドを版図の中心と考えていたから
4.元を追い払った明が嫌いだったから

508 :世界@名無史さん:05/02/22 14:34:46 0
5.ヨーロッパより中国の方がはるかに豊かだったから

ってのもあるか。

509 :世界@名無史さん:05/02/22 15:05:42 0
ティムールが活躍した14世紀後半から15世紀は
大元朝が朱元璋率いる明軍によってゴビ以南を手放した時期で、
何よりティムールがヒタイ遠征に向かった1404年は、
永楽帝が建文帝を廃位させてた翌々年だった。

生涯チンギス・ハン家の婿(キュレゲン)の立場にとどまらざるを得なかった
ティムールとしては、クビライ家と明朝両方の内紛が続くモンゴル高原周辺の
情勢には無関心でいられたとは思えない。

ティムールとしてはバヤズィット1世を倒すことで西方領をひとまず平定させて
本題の東方遠征を実行することが何よりも大事だった。

なぜなら、もしこの遠征が成功しティムール家による東方世界の支配が可能ならば、
グユク・ハンの死以来トルイ家によるモンゴル帝国の支配が
再びオゴデイ・チャガタイ両家に戻す名目が使えることになる。

チャガタイ家のキュレゲンであるティムールが、モンゴル皇帝になりかわり実力で、
チャガタイ・ウルス、モンゴル本土、西方のジョチ諸王家に対して号令する余地が生まれることになる。

つまりティムールによってモンゴル帝国が復活するのである。

510 :世界@名無史さん:05/02/22 15:18:06 0
逆になんでオスマンはヨーロッパ方面に進撃したの?

511 :世界@名無史さん:05/02/22 15:24:50 0
オスマン家はモンゴル大ハーンと直接のつながりが無い地つき勢力だから
自分のいる土地とそれを取り巻く情勢に応じてもっとも自然な行動をしただけ。

512 :世界@名無史さん:05/02/22 15:50:38 0
>>510
それぞれが意識した過去の勢力がティムールの場合モンゴル帝国だったのに対して
オスマン帝国の場合はローマ(東ローマ)帝国だった、というのも影響してるかも?

513 :世界@名無史さん:05/02/22 18:12:34 0
オスマン帝国は征服者がイスラム化したんだけど
もしキリスト教に改宗していたら
欧州に受け入れられたと思わんか?

514 :世界@名無史さん:05/02/22 18:17:24 0
>>513


515 :世界@名無史さん:05/02/22 19:02:43 0
その場合、ロシア帝国みたいな扱いになったと思う。

516 :世界@名無史さん:05/02/22 19:21:14 0
東ローマ皇帝の各称号をそのまま使ったかもな。
「キリスト教徒の王」とか。

517 :世界@名無史さん:05/02/22 19:39:50 0
とおくアイルランドからロシアからカフカズまでキリスト化した時期は
はやかったのになぜかトルコ系だけキリスト教化しなかったな。
なんでだろう?

518 :世界@名無史さん:05/02/22 19:41:05 0
同じ一神教のイスラムが先に入ったからだろうな。

519 :世界@名無史さん:05/02/22 19:48:42 0
>>517
クマンはキリスト教化したんじゃなかったっけ?

でもハザールはユダヤ教、ブルガールはイスラム教だね。確かに不思議。

520 :世界@名無史さん:05/02/22 19:51:33 0
本年度の研究テーマにどうぞ。早い者勝ちだ(笑)

521 :世界@名無史さん:05/02/25 13:27:07 0
>>512
オスマンとサファヴィー朝の抗争とか見てると、ローマVSササン朝ペルシアの再現に思えてくる。
重装備のローマ軍と機動性の高いペルシアの騎兵軍、みたいな。

522 :世界@名無史さん:05/02/25 15:00:25 0
サファヴィー朝はあぼーんするの早すぎ

523 :世界@名無史さん:05/03/02 02:05:02 0
そうかな?それなりに持ったと思うが。

524 :世界@名無史さん:05/03/07 23:29:05 0
オスマン家は今でも続いているの?


525 :世界@名無史さん:05/03/08 00:46:52 0
>>522
アフガンの雑魚にやられるくらいへぼかったみたいな


526 :世界@名無史さん:05/03/13 20:33:30 0
夢枕獏のシナンのアルヴィーゼの最後は凄く劇的
塩婆のコンスタンティノープル殺人事件のアルヴィーゼの最後よりずっと良い

527 :世界@名無史さん:05/03/13 20:34:22 0
最期の間違いでしたスマン

528 :世界@名無史さん:2005/03/21(月) 13:26:29 0
塩野作品はジュニア小説だから仕方ないだろ

529 :朱由檢:2005/03/22(火) 17:56:34 0
>>524
ムスタファ=ケマルの革命は無血革命であり、オスマン皇帝はマルタ島へ亡命しましたので
まだ子孫はいるでしょうね。

530 :世界@名無史さん:2005/03/22(火) 19:33:47 0
>>529
http://dict.threetree.jp/70/33037.html
現在の当主エルトゥールル・オスマンはニューヨーク在住とのこと。


531 :世界@名無史さん:2005/03/22(火) 21:09:19 0
今でも富豪なのかな。オスマン家。

532 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 12:06:25 0
パライオロゴス家やロマノフ家やパフレヴィー家の当主は名目上「皇帝」を名乗ってるみたいだけど
オスマン家もそうなのかな?

533 :朱由檢:2005/03/23(水) 16:31:44 0
>>530
貴重な情報サンクス

534 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 16:40:36 0
イスラム史における最強はウマイヤ朝。

535 :朱由檢:2005/03/23(水) 18:28:32 0
>>532
色々ありますw
スルタン(イスラム君主)、神の影(カリフの意。イスラム教宗主)、
シャー(ペルシャの伝統的王号)、ハン(遊牧民騎馬部族長)、
ルーム統治者(ローマ皇帝と東方正教会総主教任命権者)、
イェルサレム王(聖地守護者)などなど、ようは全征服地の長なんでしょうね。

536 :世界@名無史さん:2005/03/23(水) 21:26:11 0
>>532
名乗ってないです。
今は追放も解除されてトルコ国籍を持っていますし。

537 :朱由檢:2005/03/24(木) 11:49:48 0
>>536
へっ?532の質問は当時の話じゃなくていの?
ロマノフ家の末裔いたっけ?偽アナスタシア以外で

538 :536:2005/03/24(木) 23:20:23 0
>>537
ニコライ2世のいとこキリル大公の孫にあたる
マリヤ・ヴラディミロヴナ・ロマノワという女性が健在です。
さらに彼女とホーエンツォレルン家の皇子から生まれた息子が
ロマノフを姓に取ってロシア皇位継承者を称してるはずですが…。

そもそも、文脈からして>>532は現代の話じゃないですか?
「名目上」というからには。

539 :朱由檢:2005/03/25(金) 17:59:06 0
>>538
なるほど! かなり遠縁の方がロマノフ家を名乗ってるんですね。
しかしながら、よく調べておいでですね。

それから、勘違いしていたた点については、
まぁ〜文章をもう少しよく読めば良かったと自分でも思います。
ごめんなさい。


540 :世界@名無史さん:2005/03/25(金) 18:29:37 0
オスマン帝国がヨーロッパに与えた影響
・音楽(モーツァルトやベートーべンなど)
・料理(コーヒー、ウィーンやパリのスイーツ)
・武器(サーベル、ヘルメット)
ヨーロッパ人よ、オスマン帝国に感謝しる。

541 :世界@名無史さん:2005/03/25(金) 18:44:00 0
1453年にオスマン帝国がビザンツ帝国引導を渡したため、多くの学者が
イタリアへと亡命しルネサンスに移行したという説もありますね。

542 :世界@名無史さん:2005/03/27(日) 05:29:36 O
>>541
正確には滅亡前
領土がコンスタンティノープルとわずかになってから亡命した
ビザンティン滅亡前のコンスタンティノープルはヴェネチア人街やジェノバ人街があり盛んに船が行き来していた。

543 :世界@名無史さん:2005/03/27(日) 23:06:17 0
ガラタのジェノヴァ人ってオスマン支配後も立場はそのまま保留だったのか?

544 :世界@名無史さん :2005/03/28(月) 17:29:30 0
素人の質問なのですが、オスマントルコにおける他民族政策ってのはどんな感
じだったんですか?寛容だったとは聞きますが、言語政策、文化政策、徴兵シ
ステムなんかはどうなっていたんでしょうか?

あと、20世紀初頭にトルコはアルメニアに対し虐殺を行ったみたいですが、こ
れは歴史的に根のあることなのでしょうか?

545 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 18:47:23 0
>>544
無能なスルタンが自己の存在理由をイスラム教の宗教的指導者(カリフ)であることに
求めようとしため、
帝国内のほかの宗教に対する不寛容をうみ、虐殺に至った。

546 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 19:37:22 0
>>545
ふうー


547 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 22:47:31 0
虐殺と言うとキオスの虐殺
このギリシア人への虐殺はギリシア独立運動の契機となーる

…って、これ実際のとこどうだったんだろう?
まさかドラクロアの絵そのままってわけじゃないよね?

548 :世界@名無史さん:2005/03/28(月) 23:03:53 0
>>547
ギリシア人の独立派が自分達の意見に従わない人間をポルポト並みに虐殺したため、

オスマン帝国側がウィーン体制維持のために徹底して鎮圧だけ。

ギリシアを西欧文明の起源と勘違いしたドラクロワの絵画はプロパガンダ。

549 :世界@名無史さん:2005/04/11(月) 15:26:24 0
イエニチェリの人狩

550 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 13:43:37 0
シパーヒって原則従士を連れて参戦したのですか?
本によってはティマール保持者は一領具足みたいに本人のみので、ゼアーメト保持者が
従士を率いてくるように書いてあるし、別の本だとシパーヒたるもの最低でも騎馬の従士
1名を連れてくるように書いてあるのがあるけど、どちらが正しいんでしょう?

551 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 15:05:13 0
>>550
いいサイトがあった気がしたけどsipahi Cebeluで検索しても出てこない・・・

たしかポーランドのシュラフタみたいな感じだったと思うんですけど。
本人が重装騎兵で騎馬弓兵の従者を連れてくるという。

セルビアとかはどうだったんだろう・・・

552 :世界@名無史さん:2005/04/23(土) 12:08:32 0
オスマン朝ではないんだけど、第二次大戦のトルコってどういう行動をしたの?

553 :世界@名無史さん:2005/04/24(日) 14:58:10 0
トルコ=ドイツ相互不可侵条約とかしてる筈
とはいえ、英米の圧力もあるんで中立ですね
45年には日独に対し宣戦布告するのはお約束

554 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 18:00:42 0
お約束多すぎ

555 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 15:42:08 0
ワッハーブ王国とのモグラ叩きみたいな抗争って不毛ですよね

556 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 16:04:11 0
朝鮮戦争にも参戦してたよね

557 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 16:10:55 0
第一次サウード王国はムハンマド・アリーに命じて
息子のイブラーヒーム・パシャに滅ぼさせてるし、
第二次サウード王国も同盟者だったハーイルのラシード家に滅ぼさせてるし、
直接、手は下してないんと違うのか?

558 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 22:31:21 0
>>553
トルコは第一次世界大戦では結構活躍したよな。
ドイツはトルコの軍事力を脅威に思っていたのかも。

559 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 22:45:22 0
>>552
 トルコはドイツ軍のバルカン半島侵攻を見て「次はわが国か!?」と脅威を感じ
軍事予算を倍増、予備役の動員、鉱山や軍需工場での無償労働の義務付け等で
臨戦態勢を整える。

 イギリスは何とかしてトルコを同盟国として参戦させようとするもののトルコは応じず、
イギリスやドイツ等との間に協定や条約を次々結んで中立を取る。

 独ソ戦が始まるとドイツはソ連領内のトルコ系(言語を喋る)住民の居住地のトルコへの割譲等を
ちらつかせてトルコに同盟を迫りトルコ内部でもこれに釣られる政治家が結構いたらしい。

 しかし結局トルコは応じず臨戦態勢のまま中立を維持。しかし軍事費の増加で国内経済は大混乱。
1945年2月、勝敗の趨勢が明らかになるとドイツと日本に対し宣戦布告。
戦後戦勝国としてサンフランシスコ講和条約にもちゃんと調印しております。

560 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:13:41 0
>>559
なるほど。どうりでスターリンが黒海沿岸の諸民族をシベリアや中央アジアに集団移住させたかわかった。
クリミアなどをトルコにとられると思ったわけだ。
ところで当時のトルコはどれくらいの軍事力だったんだろ。
案外日本やイタリアなどと大差ない軍事力だったのでは?

561 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:21:27 0
スターリンがイノニュなんかを恐れるかよ。

562 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:49:27 0
スターリンはテロの経験はあっても実戦の経験はないだろ
イノニュは戦場を駆け回って列強を追い落とした男だ

563 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 09:39:21 0
>>560
 トルコ軍は第一次世界大戦でも予想外(?)の善戦が度々見られた他、
イギリスの支援を受けたギリシアに希土戦争で大勝利。
後の朝鮮戦争でも敵より少ない兵力で勝利を収める等の活躍してたりで結構優秀と言われる。
ただこれは相手が中国軍だったからという話もある。


 軍事に詳しいわけではないのではっきりといえないけどイタリアはともかく
日本と同等というのは特に海軍力の面で無理がありすぎるような気がする。

 この辺は軍板で聞いた方がいいかも。

564 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 10:08:37 0
>>563
WW1にせよvsギリシャにせよ、勝ったのはケマルであってオスマン帝国ではないという
気がしてしまうま。

565 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 21:40:36 0
トルコは、その歴史上、ずっと緊張感があったからな。気骨があるんだよ。

566 :世界@名無史さん:2005/05/07(土) 16:17:09 0
実際、ドイツにせよソ連にせよ、トルコは無視できない軍事力を持っていたんじゃないの。
国民も戦い慣れしていそうだしな。

567 :世界@名無史さん:2005/05/07(土) 19:05:11 0
対日独宣戦布告は日独の敗色が濃厚になった1945年2月まで
行わないで戦争に巻き込まれないように努めたかもしれないが、
トルコは第二次大戦が始まった直後の1939年10月にアンカラで
英仏と相互援助条約を締結して実質的に連合国陣営に加わってたから、
少なくともイギリスの援助は期待できる状況にあった。

568 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 02:08:39 0
トルコはドイツに侵略されても対抗できるくらいの軍事力はあったのかな?

569 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 18:31:02 0
ない。

570 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 20:38:24 0
日本陸軍よりはトルコの方が強かったんじゃないの

571 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 20:43:58 0
だからってドイツとまともに戦って勝てるわけがない。
醤油だったらありますよ。

572 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 20:56:04 0
実は隠れた軍事大国だったトルコ

573 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 21:26:38 0
イタリアよりは確実に強かっただろうな。
気合いが違う。

574 :世界@名無史さん:2005/05/08(日) 21:31:08 0
『オスマン帝国の近代と海軍 世界史リブレット』
『オスマン帝国の海運と海軍 山川歴史モノグラフ』
のような小松香織先生の御著書を拝読するにつけ、
あの国家末期の体たらくが思い知らされる。


575 :世界@名無史さん:2005/05/09(月) 01:49:17 0
最近、オーストリアのオイゲン公に興味がある。
この人ってオスマンの天敵だよね。

576 :世界@名無史さん:2005/05/09(月) 14:20:12 0
アトランティック・レコードの創始者アーメット・アーティガン(戦後ポピュラー音楽界の大立て者)の
親父ムニール・アーティガンは、ケマルに従事して革命運動に身を捧げ、のちに各国大使を歴任。
最後の勤務地として赴いたワシントンで、アーティガンが音楽に目覚める。

トルコ人なのは知っていたけど、まさかこんな血筋だったとはビックリ。
しかも奥さんは、ルーマニアが共産化した際の亡命貴族だと言うし。

577 :世界@名無史さん:2005/05/11(水) 23:26:58 0
>>574
「ノーブレス・オブリージュ」が完全に欠如してたからなあ。
スルタン・アブデュルアズィーズの治世には、政策決定や人事の任免に
大量の金のばらまきと賄賂が横行していた。

578 :世界@名無史さん:2005/05/12(木) 01:02:12 0
ムハンマド・アリーのエジプトは、なんか日清戦争に敗れた日本のイメージだね。
宗主国オスマンは列強国の食い物にされるために生かされて、エジプトは余力を使い果たし植民地化。


579 :世界@名無史さん:2005/05/12(木) 10:18:49 0
ムハンマド・アリー朝は1820年、南隣のスーダンを攻め、フンジュ・スルタン国を
滅亡させる。1874年にはダール・フール・スルタン国が滅亡。
さらにシリアとクレタ島も占領したが、列強の反発やシリア人民の不満によって
放棄せざるをえなくなる。
エジプト国内でも、地租改正には成功したが、近代的国営工場の経営には失敗。

580 :世界@名無史さん:2005/05/13(金) 00:33:38 0
オスマン朝のエジプト支配は評価が低いね。
19世紀のエジプトの人口を16世紀の支配前の半分以下に減らしたぐらいだからな。


581 :世界@名無史さん:2005/05/13(金) 01:20:18 0
マムルークたちを介した間接支配だしなぁ

582 :世界@名無史さん:2005/05/13(金) 01:28:48 0
どうでもいいが
>578
日清戦争に敗れた日本のイメージってなんだ?わけわからんぞ。
つうか、ムハンマド・アリーはすげえって。

583 :世界@名無史さん:2005/05/14(土) 00:30:08 0
>>582
近代化に途中まで成功したことが共通している。
そんで日本は、文化的に近い清に勝つことで脱亜入欧に成功して、
エジプトは宗主国オスマンに実質的に敗れて遂に完全独立を果たせなかった。
もし日本が日清戦争に負けたらエジプトみたいになったんでないかと想像したんよ。
日本が幸いだったのは、有名な風刺画にあるように列強が静観したってことだな。

584 :世界@名無史さん:2005/05/14(土) 00:37:07 0
>>583
エジプトはやっぱヨーロッパに近いから、
列強の草刈場になっちゃったからね。
ヨーロッパ人は、エジプトを支配することに対して、
尋常ではないロマンを感じるらしい。

585 :世界@名無史さん:2005/05/14(土) 08:30:35 0
>>584
その辺は「天皇を北京に」という日本人が時折見せる
「中華皇帝」ロマンに近いものがあるような気もする。

586 :世界@名無史さん:2005/05/14(土) 11:55:56 0
ナポレオンのエジプト遠征は、イギリスのインド・ルートを脅かす目的を
持っていた。
おまけにオスマン帝国のマフムト2世は、エジプトからムハンマド・アリーを
追放するためにロシアの力を借りようとした。
イギリスにとっては、エジプトに対するフランスの影響が増したり、ロシアが
オスマン帝国に対する影響を強めることは脅威だった。

587 :世界@名無史さん:2005/05/14(土) 22:01:21 0
>>574
やっぱし笑えるのは、
カプダン・パシャ(海軍の長)であるアフメット・フェヴズィ・パシャが、
自らの指揮下にあるオスマン艦隊を手土産にエジプトに亡命してしまった
事件だな。

588 :世界@名無史さん:2005/05/22(日) 14:55:03 0
トルコの美人エース、デミル・ネスリハンたん。
まだ19歳と、これからとても楽しみな逸材。
http://www.fivb.org/EN/Volleyball/Competitions/WorldCup/2003/women2/Teams/VB_Player.asp?No=14028

GO!GO!ネスたん!



589 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 00:01:06 0
オスマン家の末裔は今アメリカに居るそうだけど メフメト6世亡命後のオスマン家の
こと教えてください。

590 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 10:12:32 0
トルコには王様はいなくなったけど、
ヨルダンやサウジ、モロッコにいる「国王」は「サルタン」なんでしょうか?

591 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 12:47:01 0
現在のアラブ諸国で「スルターン」を名乗っている国王は
オマーン国王のカーブース・イブン・サイードだけ。

592 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 13:02:23 0
>>590
「マリク」や「エミール」では?

593 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 19:44:44 0
オマーンがスルターン。
ヨルダン、モロッコ、サウジ、バーレーンがマリク。
他のアラブ君主国はアミール。
マレーシアの各州とブルネイがスルタン。

ちなみにオスマン朝の皇帝に対して一般的に用いられた称号は
スルタンではなくパーディシャーで、スルタンは数ある称号のひとつに過ぎない。
オスマン皇帝を単にスルタンと呼んできたのは外国人だけです。
エジプト王国はオスマン帝国からの独立直後だけスルターンだったけど
すぐにマリクに変わったはず。

594 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 20:32:16 0
カリフを名乗るものすごい人はタリバンの人だけ?

595 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 21:10:34 0
直接的に「カリフ」とは名乗ってないんじゃ?
「アミール・アル=ムウミニーン」な。




…ただの「アミール」じゃないところがすごいよなw

596 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/05/23(月) 21:38:02 0
>>595 さん

あれ、「カリフ」は俗称で「アミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの統率者)」が
カリフの正式名称じゃなかったでしたっけ?

597 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 22:45:31 0
「アミール・アル=ムウミニーン」はウマル・イブン・ハッターブの時代から使い始めたに過ぎない。
「アミール・アル=ムウミニーン」の称号を用いた支配者も、過去にはブハラのマンギト朝や
アフガニスタンのドッゥラーニー朝、現在ではモロッコの王家であるアラウィー朝など多数あり、
「アミール・アル=ムウミニーン」がハリーファに固有の称号とは言えない。

598 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/05/23(月) 22:56:29 0
>>597 さん
ありがとうございます。

とすると、カリフか否かの判断基準はなんだったんでしょうか?
支配下の地域のモスクでその名の元で礼拝を行わせることとかでしょうか?

599 :世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:04:31 0
伝統的な法学者らの見解によれば、ハリーファたる者の資格としては、
ムスリム、成人男性、クライシュ族出身、正気、公正、執務能力などの諸条件を満たした者。

600 :世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:08:59 0
「アミール・アル=ムウミニーン」とわざわざ名乗る時点で
「俺は皇帝(教皇?)相当君主だ」と言ってるようなもんじゃね?

601 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/05/28(土) 14:02:50 0
ウンマの初期政体をたどってみると、
・最初の指導者、ムハンマド=「神の使徒、預言者」
・初代カリフ、アブー・バクル=「神の使徒の後継者」
・2代目カリフ、ウマル=「神の使徒の後継者の後継者」
 これが長すぎるのと信徒たちの軍事的指導者の立場を強調するため「アミール・アル=ムウミニーン」を名乗るようになった。
で通称的には単に「後継者、代理人」としてハリーファと呼ばれるようになった。
また、アッバース朝下でカリフの権威が著しく高まると「神の代理人」(ハリーファ アッラーフ)も使われるようになった。

このような理解で間違いは無いですかね。

実現性はほとんどありませんが、将来カリフ制度が復活するとしたら
「アミール・アル=ムウミニーン」は政治色が強すぎて使えないかも知れませんね。

602 :世界@名無史さん:2005/05/28(土) 21:29:24 0
カリフ制が実際に行われていた時代に日常的に使われていて、史料に出て来るのは
「アミール・アル=ムウミニーン」や「イマーム」の方であって、「ハリーファ(カリフ)」ではない。
歴史書などで臣下がカリフに呼びかけたり、カリフについて他人と話したりする場合でも、
「ハリーファよ」と呼びかけたり、「ハリーファは〜」と言ったりせずに、
「信者の長よ」と呼びかけ、「信者の長は〜」と言っている。

603 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/05/29(日) 00:46:47 0
>>602
ありがとうございます。

604 :世界@名無史さん:2005/05/29(日) 19:59:30 0
スンニ派なら「大イマーム」じゃね?

605 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 06:37:53 0
>>597
モロッコの現王朝アラウィー朝が「アミール・アル=ムウミニーン」の称号を
用いているのは恐らく同王朝が聖裔家(預言者ムハンマドの家系)であることに
関係しているのだと思うのですが、
ブハーラーのマンギト朝やドゥッラーニー朝が「アミール・アル=ムウミニーン」を
名乗っていたことには恐らくそれとは別の理由があったと思われます。

ティムール朝やシャイバーニー朝時代の史書には、ティムール家やシャイバーニー家の
君主たちに関わる称号や讃辞に「カリフ権を高める者」とか「カリフ権を堅持する者」など
といった、暗に君主それ自体が「カリフ権(ヒラーファト)」を行使する人物と見なしている個所が
折に触れて出てきます。これは両王朝のみならず中央アジアの他のジョチ裔諸政権や、イランの
サファヴィー朝、カージャール朝、アフガニスタン方面でも広くみられる称号で、聖裔家とも
関わらない特にチンギス・ハン家の人々が使っているようです。


606 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 06:44:12 0
どういう事かというと、アッバース朝滅亡後、14〜16世紀にイランから
中央アジアではモンゴル帝国の始祖チンギス・ハンは、ムハンマドと同じ預言者性が
神から授けら、これに基づき世界に神の支配を布く権限を付与されており、当時ムスリム
となっていたチンギス・ハン家の君主たちにはそれを代行するカリフ権が継承されている
とする政治思想(神話)が形成されていたようです。

これはイルハン朝のガザン・ハンがイスラムに改宗した際に自らを「イスラームの帝王」
と名乗ったことに関連して、ムハンマド家のカリフ&イマームに代わって新たにチンギス・
ハン家を機軸にイスラム的な理念を包含させて国家統一を計るという彼の戦略的な思想が、
その後、時代を経るごとにトルコ・モンゴル系の君主にチンギス・ハン以来ウンマを統率
するカリフ権が付与されているという神学的な解釈が徐々に形成されていったものだそうです。

初期はアッバース朝のカリフなどが用いていた敬称や尊称は使われていなかったいたようですが、
恐らく周辺の王朝の影響からマンギト朝やドゥッラーニー朝の頃にはもはや君主の尊称の一部として
「信徒達の司令者」という称号も使われるようになってしまっていたと思われます。

607 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 22:42:23 0
オスマン帝国のスルタン=カリフ制伝説も
もともとトルコ民族には君主は神権を付与されており
従って世俗の最高支配者がイスラムでいうカリフ的権能をもっているのは当然
…という考えを抱いていたためである、とかそんなことを
日本人の書いた論文を読んだことがある記憶があるけど。

608 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 23:19:14 0
オスマントルコって凄いな。
帝政ロシアに勝てた国って日本とここくらいじゃないか?

609 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 23:21:03 0
クリミア戦争・・・英仏の力をかりつつも辛勝
ロト戦争・・・完敗
第一次世界大戦・・・帝国を戦線撤退させた原動力

610 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 23:34:00 0
帝政ロシアって何世紀からのロシアのこと?
17世紀のロシアはオスマンに限らず負けまくった


611 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 23:49:48 0
まあ17世紀半ばまでのオスマンは実際すごかったよ
世界最強国だったろうな

612 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 00:34:01 0
やっぱ国際社会の華である19世紀〜第二次大戦に強くないとなー
近代に入り西欧列強に押されまくりのオスマン・・
欧州の病人扱いは可哀想だ。


613 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 10:25:47 0
>>612
なぜ19世紀〜WW2が華なの?
華は中世でしょ?

614 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 10:52:51 0
やっぱ歴史の華は中世だよね!

615 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 11:55:05 0
>>611
当時の清と比べてどちらが強かったんだろうか?

616 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 12:08:52 0
オスマンの極盛期は16世紀
清の極盛期は18世紀
17世紀はオスマンは停滞気味(だがまだ強い)、清は成長途上だから
バランス的に同格かな。


617 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 12:29:52 0
19世紀のオスマン帝国、清帝国、オーストリア帝国、ロシア帝国は
国土は広いが、国内は多民族国家で統制が無く
先進帝国主義国家から金を借りて技術と商品を買う
旧式の半植民地帝国群まで落ちぶれる。

618 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 18:39:07 0
でも帝政ロシアは強かったな。
あの国の尋常ならざる領土欲、南下政策に苦しめられた国は数知れない。
中国が満州と沿海州を保全出来ていれば、対岸の火事として
高見の見物でも出来たのだろうが・・・

619 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 18:48:25 0
イタリアは落ち目のオスマン・トルコにすら戦闘で負け続けていたってのはマジ?

620 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 19:00:39 0
>>618
ロシアは別に強くないよ。征服されたのはシベリアの狩猟民族とか中央アジアの土候国とか
東欧の3流国とか。まともな敵が現れるとすぐモスクワ辺りまで攻め込まれる。

621 :乳1号:2005/05/31(火) 19:08:50 0
第一次大戦直前のイタリア・トルコ戦争はいちおうイタリアの勝ち。
つかトルコは第一次大戦では英仏をいったん敗退させてチャーチル失脚させてるけど。


622 :朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/31(火) 19:47:15 0
伊土戦争はトルコ側優位に進んだため、トルコ本国を急襲し、事態の打開を目論みました。
(このときイタリアは世界初の飛行機の軍事運用)
ところが、このことによって列強の利害関係が絡み合うバルカンに飛び火することを恐れる
諸外国の干渉を招き、(名目上はイタリアの勝利として)強制的に終戦へと持ち込まれます。

ようするに旨みのある地域にしゃしゃりでたイタリアが欧州列強の癪にさわったので、
無効試合、没収となったというのが、伊土戦争の真相です。

仮にこのまま進んでオスマン帝国がイタリア王国に勝利した場合には、
その賠償金で瀕死の重病人が息を吹き返してはたまりませんからね。


623 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 23:12:01 0
オスマン朝の宮廷における宦官の歴史について教えてください。
中国と同様、革命の時までずっと存在していたのでしょうか?
どのくらい権力を持っていたのでしょうか?

624 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 23:46:58 0
でも今のトルコは落ちぶれたな。
日本は経済大国になったのに、トルコが経済大国になれてない理由は何故だろう?
トルコは日本よりも早く欧州の優れた部分を認識し取り入れようとしていた。
ケマルの近代化政策が支持されたのも欧州ともっとも密接に関わってきたアジア国家だからだろう。
それなのに日本は成長し、トルコは停滞しているように見える。



625 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 23:50:25 0
>>620
それでも最終的に勝てば強い国。北方戦争で強国に躍り出、
七年戦争でプロイセンを敗北寸前まで追い込み、ポーランドを分割し、
ナポレオン戦争でも最終的に勝利したことを忘れちゃいけない。

626 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 11:59:37 0
>>624
全く根拠のない俺自身の考えだけど、
(1)イスラム教義による経済活動の縛りが存在した。(金利禁止とか)
(2)日本に比べ西欧の列強やソ連が近くにいるため、日本における東南アジアのような
  比較的自由に食い込める市場や労働力提供地域が近隣になかった。
(3)パレスチナ問題が絡むためか、ヨーロッパへのシンパシが強いためか。
  反米感情が日本より強く残り、米国相手の貿易も少なく、
  かつ米国からも日本ほど厚遇してもらえなかった。
(4)日本に比べてヨーロッパが近く、歴史的な交わりも大きいためか、ドイツなどへの
  人材流出が激しくトルコ国内に優秀な頭脳が定着しない。

などかな?

627 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 12:06:11 0
>>620
冬が厳しすぎるし、国土に奥行きがあるから
ロシア国内に侵入しての冬越しの戦闘が難しいし、
補給線が延びきって兵站が追いつかないのかな?
お得意の焦土作戦で内陸奥地に立て篭もられると、
厳冬期に野営をせねばならず消耗が激しいし、
厳冬の原野を何千キロも補給物資をつなぐのは
無理な気がする。
冬将軍には勝てない。


628 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 14:04:05 0
第一次大戦におけるオスマンの働きは大きかった。
アルメニア方面から北上してロシアを苦しめドイツの役に立った。

もし第二次大戦でも参戦してくれていたら・・・
大嫌いなソ連に復習するチャンスだったのに。

629 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 14:42:28 0
>>628
WW1参戦の結果、アルメニア人大虐殺を引き起こし、周囲の国と
埋めようのない溝を作り出しちゃったけどね…

630 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 14:59:08 0
馬鹿みたく南下するロシアが悪い。
朝鮮と違いトルコは国を守る気概があったのだ。

631 :朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/06/02(木) 00:35:20 0
国民的英雄が登場しなければ国家が四散していたんだけどね。

632 :世界@名無史さん:2005/06/02(木) 21:52:07 0
ケマルが偉大でありまた「独立戦争」において最も優れた指揮官だったのは確かだが
『トルコ近現代史』など最近出た本を読むと、
彼がいなければトルコ国家は存続しえなかったというのは少し言い過ぎの感があると思える。
もともとこれまで日本語で読めるトルコ史やケマルの伝記は
彼をヨイショする立場から書かれたものばかりだったんじゃないかなあ。

633 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 02:11:58 0
>>632
正直ケマルは資本主義者の金日成といっても過言じゃない
軍事的に国を支配して反逆者皆殺し
反対意見言わせないし
国中に肖像画があるw
まあ、金より男前だがw

634 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 08:28:37 0
>>633
金日成と比べるなど、ケマルに対してあまりに失礼。
彼は世襲もしなければ、独裁体制も作らなかった。
最終的には、ちゃんとした民主主義国を作った。


635 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 08:55:58 0
本懐を遂げたロベスピエールってな感じか?

636 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 09:09:57 0
比べるのなら、せめて朴正熙にしてくれ…

637 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 11:28:54 0 ?#
領土が小アジアだけになってたら面白かったのに・・・
どう足掻いてもヨーロッパ扱いされない。

638 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 11:35:15 0
>>637
領土がヨーロッパ側だけになってた方が、もっと面白かったと思う。
イスタンブールを含むブルガリアやユーゴスラビアあたりにトルコがって、
地理的には完全にヨーロッパの国って方が面白い。
ヨーロッパにイスラムの大国が存在したらと考えるとワクワクする。

639 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 13:04:44 0 ?#
トルコは日本の兄弟。アジアの国なのだ。
緯度は同じくらい。国旗は太陽と月。憲法を制定したのも同じくらい。

欧州の病人はポーランドで十分。

640 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 19:02:15 0
>>639
トルコ人自身は「おれたち、ヨーロッパ」と思っているだろうな。
EUに加盟したがっているし、サッカーワールドカップでは楽々なアジア予選ではなく激戦のヨーロッパ予選を選んでいるし。

641 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 19:13:02 0
>>640
ヨーロッパになりたいとは思ってるだろうが、
ヨーロッパ人だとは思ってないだろう。
近隣のアラブ諸国と一緒にされるのはたまらんとは思ってる。
その点、三馬鹿の仲間だと思われたくない日本と似てるのかもしれない。
もし小アジアとイスタンブールに日本があって、レバノン、イラク、シリアに相当する場所に三場所があったとしたら、
日本もヨーロッパになりたがると思う。

642 :世界@名無史さん:2005/06/04(土) 04:07:41 0
ヨーロッパもイスタンブールの地政学的な重要性からトルコを無視できない。
あの都市さえなければトルコなんか無視できるのにって思ってるだろう

643 :世界@名無史さん:2005/06/04(土) 08:03:58 0
ギリシャがテオドシウス城壁内だけでも奪還出来てればな。

644 :世界@名無史さん:2005/06/04(土) 14:44:52 0
>>642
仮に海峡がなかったとしても
パイプラインの通り道にはなれるからそれなりに重要だろう。
セーヴル条約のまま分割されてたら、
無視できてたろうにね。

645 :世界@名無史さん:2005/06/04(土) 16:02:18 0
オスマン帝国は18世紀はいじめられっこ、19世紀以降は西欧の犬・パシリに成り下がってるので情けなくて見たくない。
オスマンはやっぱりキリスト教諸国を鼻息だけで吹き飛ばす脅威じゃないとな・・・
パシリのクリミア汗国をけしかけてロシアにちょっかい出してた時代が懐かしい

646 :世界@名無史さん:2005/06/04(土) 16:24:51 0
辺境の土侯あがりの分際でチンギスの末裔をコキ使いやがって。

647 :世界@名無史さん:2005/06/05(日) 02:07:18 0
チンギスの末裔なんてそれこそ何千万人もおりますが…

648 :世界@名無史さん:2005/06/05(日) 14:29:31 0
途中からチンギスの系譜が入ったから別にかまわんしょ?

649 :世界@名無史さん:2005/06/05(日) 14:46:06 0
>>647
さすがに何千万はいないだろう

650 :世界@名無史さん:2005/06/05(日) 18:59:35 0
またレイプ厨が湧いて出た。

651 :世界@名無史さん:2005/06/05(日) 21:58:25 0
>>649
1600万人らしい
ttp://x51.org/x/04/06/1407.php

652 :世界@名無史さん:2005/06/11(土) 19:55:49 0
>>651
>サイクス氏は今回の研究にあたり、アジアの16の地域に住む男性の身体からそれぞれDNAを採取して分析した結果、
>それぞれの地域で人口の凡そ8%がチンギスと同じY染色体を持っていたことが明らかになったという。
>また今回の研究を行うきっかけとなったチンギス・ハンのY染色体は、アフガニスタンとパキスタンの国境周辺に
>暮らすハザラ族の三分の一が保有していたというもので(彼らはかねてからチンギスの末裔であるとされている)、
>その染色体を元に照合を行い、チンギス・ハンの子孫かどうかを割り出したとしている。

つまり、この会社はテムジン本人のDNAは所有していないということだ。
「ハザラ人の一部が共通してもつY染色体」がユーラシア各地でみられるということにすぎない。

>そしてチンギスは新たな都市を征服するたび、部下たちに略奪は許可する一方で、女性は必ず自分のもとに連れてくるよう指示し、
>組織的な強姦を行うか、妾として自らの下に置き、自らの血を継ぐ子孫を増やし続けたと言われている。

モンゴル側の資料はもとよりロシア人や中国人ですらそんな話は残していない。

653 :世界@名無史さん:2005/06/19(日) 10:49:29 0
オスマン帝国のユダヤ人について語らない?
ヨセフ・ナシとかさ。

654 :カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/06/19(日) 11:54:59 0
……サバタイ・セビはユダヤ人に入りますか?

655 :世界@名無史さん:2005/06/19(日) 12:26:27 0
>>654
入れてもいいと思いますよ。

656 :世界@名無史さん:2005/07/05(火) 00:24:02 0
日本とトルコ友好スレッド
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/nida/1118546059/l50

なぜか、ニダー大好き板より(笑)

657 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:15:45 0
共通の遺伝子って、モンゴル軍団全体が原集団ならとにかく
チンギスという個人が源だとする根拠がわからん。
モンゴル軍の中にはチンギス以上のレイプ魔もいくらでもいただろうに。

658 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 01:05:09 0
ハーレムに東欧系が多かったなら
スルタンはロシア人みたいな顔してたのかな?


659 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 03:16:38 0
オスマン帝国の人口と人種構成ってどういうもんだったの?年代で分けて
1600
1700
1800
1900
でお願いします

660 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 11:25:58 0
既出かもしれないけど、
オスマン朝の現当主はイギリス在住だそうだね。
オスマン・セラハッディン・オスマンオウル氏と言う方で
ムラト5世の直系だそう。
去年、最後の皇子であった父上の伝記を出版したそうです。

661 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 11:35:25 0
つかオスマンが滅ぼした東ローマのパレオロゴス家も
英国在住か、、
なんていうか

662 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 12:16:02 0
オスマン・ベイってイケメンだったのかな?

663 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 13:02:25 0
>東ローマのパレオロゴス家
数年前、デビ夫人と一緒にパーティーに出ていたビザンチンの皇太子?

664 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 15:06:59 0
>>660
現在オスマンさんは投資コンサルタント
>>663
どうだろー?
モレア候の子孫ならそうかも?

665 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 21:49:17 0
>>660
オスマン王家の当主は兄弟殺しが廃れて
王子をハレムに幽閉する制度ができて以来、王家の最年長者がつく原則なので、
まだまだ若いオスマン・セラハッディン・オスマンオール氏(1940年エジプト生まれ)は
現当主(王家の最年長の男子)ではないはずです。

確かに父君のアリ・ヴァースフ王子は
晩年(1977年-1983年)にオスマン家当主だったのですが。

666 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 03:25:43 0
>>665
オスマン王家の当主は兄弟殺しがすたれて・・・・・

17世紀以降、兄弟殺しが行われなくなり、皇子をハーレムに幽閉し、
最年長者が王位につくという制度ができたことにより、無能なスルタンの
長い系列をつくることになり、オスマン帝国の衰退の原因のひとつになりました
(それはサファヴィー朝も同じです)。オスマン帝国では、皇子が州の軍政官と
なって、政治の技術を学ぶという制度がありましたが、それも17世紀以降
行われなくなったので、皇族の質の低下がおこり、これも衰退の原因となりました。

667 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 01:39:37 0
途中までは中国の古代王朝かと思うほど
1直線な系図だもんな

668 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 02:00:31 0
>>65
>http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/ankara.html
>このサイトは「戦術の世界史」のアンカラの戦いについて書かれたページ...
-->戦術の世界史 http://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/ankara.html

669 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 12:58:29 0
      ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      レ" ̄ ̄ ̄\ヽ  \
     /    ,, ,   ヾ`、 ヽ
.    /  /「「`ー' ̄ヽ   \  |
   /  ,イ ! |     \   Y / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |  ノ_      __i    |l.|
   | ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′l.| |l.  冷酷、残酷と呼ばれる私は
   |  f|    !    |lj/   || 信長よりも60年も前に 
.   |! |!'┤  ヽゝ   ,ヶ ! ! j!.|火器で騎馬軍を破ったぞ。
    l  ト ヽ. 「._つ , | / ./ ツ人 \______________
    \ヾ ,へ.__/_,.ク〈 ./_/  
       |ヘ\_/'  ├'
_,. -―√イ| V | (_ノ1  ノ)iー--、__,、__
べ’     ー1!r―‐' ̄       〃ー'\
冷酷者・セリム1世(フマユーンのスレより)
スレイマン1世の父。クリム・ハン国の皇女を娶る、
イェニチェリを味方につける、イスタンブールに陣取るなどして
後継者争いを有利にすすめ、父のバヤジット2世からスルタン位を
譲り受ける。チャルディラーンの戦いでは、銃火器で武装した
イェニチェリ軍、砲兵を率いてサファヴィー朝軍に圧勝、さらに
シリア、エジプトにも軍を進め、マムルーク朝を滅ぼした。

670 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 13:11:47 0
でもイスマーイールの騎馬隊が突撃してきた時、一瞬形勢逆転されそうにんったじゃん

671 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 00:42:52 0
セリムの時代にようやくアナトリア全土がオスマン領になったんだっけ。
セリム一世と言えばマムルーク朝討伐=オスマンのスンナ派の盟主の地位確立という功績で有名だが、
東方の境界を(ほぼ)確定させたことにもっと注目しても良いと思う。

672 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 23:34:41 0
後を継いだスレイマンは何故、アレキサンダーみたいな東方の征服を行わなかったのか?


673 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 23:56:01 0
サファビー朝も中々強いですし。

674 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 18:42:43 0
興隆期にセリムがやろうとしたが、補給の限界で引き返した。
安定期に入るとそもそもそういう冒険は国家が許さないし必要もない。

675 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 16:09:14 0
>>673
サファヴィー朝がオスマン軍に正面からぶつかって勝った例ってあるの?
ウズベクとの戦いでは結構勝ってたみたいだけど。

676 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 21:45:06 0
>>672
端的にいえば、西方遠征よりうまみが少ないからじゃねぇかなぁ。

677 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 04:13:06 0
第一次大戦からロシアが撤退した時
トルコは何か貰えたの?

678 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 04:13:18 0
そか? イスファハーンは世界の半分だぞ。

679 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 04:48:14 0
>>677
コーカサス戦線は革命前は押されていたけど、革命後は国境を越えて
押し返した。ブレストリトウスク条約で事実上オスマン帝国の領土になったけど、
WW1の敗戦でブレストリトウスク条約がおじゃんになり、セーブル条約
でオスマン帝国解体。

その後はケマルの活躍でトルコ共和国が成立し、アルメニア人独立国家を
潰してコーカサス方面の領土を部分的に回復。

680 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 13:04:09 0
>>672
アゼルバイジャンあたりはキジルバシみたいなテュルクメンの連中が
かなり手強くて東方進出は難しかったみたい。仮にアゼルバイジャンを
征服できても北イランのテュルクメンたちはシーア派が多かったので
すぐに反乱を起こされて統治は長続きできなかったろうね。

オスマン朝がシーア派の聖地が集中してるイラク南部まで征服できたのは
多分ティムール朝のおかげでこの地に進出してたテュルク系の連中が殆ど
いなくなってたからじゃなかろうか?

681 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 14:12:17 0
>>678
イスファハーン自体が繁栄していたのは事実だが、「世界の半分」というくだりは
単なる美辞麗句にすぎないじゃろ。
オスマン朝はエジプトを獲得したことで、紅海経由の海上交易を支配下に置くことが
可能になった。
更に地中海交易を手中におさめれば、それこそ「世界の大半」を手に入れることに
なるんじゃないかなぁ。

682 :イスファハーンは世界の半分:2005/08/25(木) 20:57:59 0
エスファハン・ネスフ・エ・ジャハーン!

683 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 21:07:58 0
>>679
物知りだな。

684 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 00:12:13 0
セリムの頃はサファビー朝はイスファハンが首都じゃなかったような…

685 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 20:57:32 0
>>684
ダブリーズが首都です。でも、ダブリーズはトルコとの国境に近いため、
ガズビーンに首都が移されました。

686 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 22:48:34 0
サファヴィー朝の崩壊は情けないよ。
牛に乗ったアフガンの遊牧民に攻撃されて一撃で崩壊した。
しょぼすぎ。

687 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:55:07 0
>>686
アフガン人って牛に乗ってたのか?!

688 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:48:34 0
シパーヒーが実戦に投入されてたのはいつ頃までですか?

689 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 21:59:08 0
>>687
そうだよ。馬がなかったので牛に乗ってた。
そんな前近代的な軍隊に首都を占領されて崩壊するぐらい腐ってた。
国家システムに欠落があったとしか思えない。

690 :世界@名無史さん:2005/09/01(木) 19:03:10 0
アッバース大帝の設立したゴラーム軍団はどうなった?

691 :世界@名無史さん:2005/09/02(金) 12:28:18 0
サファヴィー朝って名目上は
ザンド朝ペルシャ辺りまでは存続してたんだよな。
いつ完全に滅びたんだろうか?

692 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 00:50:41 0
オスマン朝末期〜トルコ共和国成立あたりが好き

693 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 14:39:04 0
       _,.r::'::::::::::::::-.、
     r::::_;:---、、;;::-'ー、ヽ
    /':::i'         ヾi
  ,,.r、:::::::i        .: ll
  rr;i:::,r:::::!  _,,,__,  _,,,..._ .l:i
 ヾ:r::;:-、:r  i'tテ;:. i:'tテ:r i::ヽ
  `ヾ::rt'    ´  '  l::. ´ !r'
      ヾ.ィ     -、ノ:.  l
      ./!、   ー-‐;':. / 私が1683年から
      / ヾ ヽ、   '  /   ほぼ100年経ったときに
    ∧   ヽ ` 7‐r_'/ヽ  作った曲は何でしょうか?
   ,r  ヽ、   ` <ニrヽ 〉 カンで答えなさい。
 ,r'        -、     ヾ il l、
r            ̄ t- ヾi: lヽ


694 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 17:24:41 0
トルコ行進曲かコーヒーカンタータとあてずっぽうで答えてみる

695 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 19:57:37 0
>>686
平安貴族かよw

696 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 19:40:15 0
列強最弱のイタリア王国にリビアを取られたオスマン。
晩年はギリシャくらいにしか勝ててないw


697 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 19:48:18 0
>>696
晩年のオスマンってケマルの指揮下、連合軍をガリポリで撃退したけどなにか?

698 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 22:16:17 0
>>696
>>621-622で既出

699 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 22:45:36 0
戦争に番狂わせなし。ガリポリの戦いなんて嘘です。
オスマンが英仏に勝てるなら、李朝だって帝政ロシアに勝てます。

700 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 22:55:56 0
>戦争に番狂わせなし。ガリポリの戦いなんて嘘です。
オスマン帝国は当時ロシアに次ぐ陸軍大国。
艦隊や装備もドイツ製の最新鋭。

>オスマンが英仏に勝てるなら、李朝だって帝政ロシアに勝てます。
それは絶対に無理。ネタ乙。

701 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:36:14 0
第一次世界大戦時のトルコは意外にも軍事大国の余命を保っていた。
おそらく当時の日本と戦争すればトルコのほうが強かったのでは?

702 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:59:57 0
>>701
オスマン帝国は第一次大戦中ロシア帝国相手に緒戦は快勝しています。
お得意の冬将軍+焦土作戦が始まると泥沼に引きずり込まれて行きましたが。

703 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 01:35:19 0
日本が発展しのって戦後なんだよな。
戦前は経済は2流、軍事は1流。
そんな国力でアメリカ相手に総力戦を戦ってしまった。
しかも日露戦争のように大国による援助は無し。
これじゃあ負けて当たり前。

戦前の日本はトルコと大差ないよ。

704 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 17:28:19 0
日本は地力で機動戦艦やら空母やら零戦やら潜水艦やら
作る世界有数の技術力を持ってたけど
トルコはどうだ?先進国から買うだけだろ。

705 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 20:51:16 0
オスマン時代に地力で作れたのか?

706 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 22:35:17 0
>>704
第一次大戦まではトルコのほうが強かったかもな。


707 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 23:08:13 0
軍事技術力の差というより日本が殖産興業に成功したことが大きい。
トルコは国内産業の育成に失敗して徴税権や借款で吸い取られたのに対し、
日本はさっさと借金を返して、国内の農業、軽工業で黒字が出せるようにした。

オスマン帝国はあまりにもヨーロッパに近すぎたことが敗因では?


708 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 01:25:24 0
日本だって日露戦争は米英の支援を受けてギリギリで勝てた。
日本海沖の海戦だって勝てたのはイギリスから輸入した戦艦のおかげ。
日本が強くなってきたのは第一次大戦後だな。
それでも経済は敗戦するまで2流だったけど

709 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 12:24:18 0
>>703
他の非白人国は、新鋭軍艦を輸入することさえできなかったじゃないか?
そもそも新鋭艦を輸入でき、英国から巨額の借り入れや
軍事支援が受けられること自体が、強くなった証明でもある。
英国だって負けると決まっている国に肩入れはしないよ。


710 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 12:39:36 0
>>709
黄海海戦って知ってる?

711 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 12:47:04 0
なんで日本ってこんなに凄いんだろう。
知れば知るほど驚愕する。
他の国と比べてはじめて分かる祖国の偉大さ。


712 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 13:08:08 0
>>707
ミスルのムハンマド・アリー朝もそれが敗因だな。

713 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 13:27:52 0
>>711
あまりにも短絡的な思考が特徴のネットウヨくん乙
とりあえず、スレ違いだから消えてね

714 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 15:05:07 0
どうあれウリナラマンセーネチズンよかまし。
「加奈」PS2版の掲示板で
どこをどう間違ったのかウリナラマンセーを始めた日には流石に('A`)だった…。

715 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 15:44:32 0
>>713
短絡的なレッテル貼りじゃなく、具体的な指摘をしようね!
日本がそれほどすごくないと思うなら、その実例などの具体的事項を挙げて
反論すればいい。
それができないならROMってましょう。

716 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 15:55:12 0
そもそも>711が「すごい」としか書いてないのに反論もなにも

717 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 15:55:48 0
>>714-715
知能障害かつ真性包茎のきみは、「スレ違い」って言葉を覚え包茎手術をしてから
出直しましょう。

718 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 15:59:19 0
>>716
なら反論しなきゃいいじゃん。

719 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 16:04:15 0
>718
してませんが何か

720 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 16:27:30 0
なんでネットウヨが粘着してるんだ?

721 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 16:49:15 O
今週トルコ行くからさあ〜
トプカプ宮殿でオナニーしてきますね

722 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 19:15:13 0
オスマンとの比較で「日本は凄かったな〜」と言っただけで
ネトウヨ認定。面白い精神構造してる奴が湧いてるなw
そんなに気に食わないのか?

723 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 04:05:56 0
>>722
どこをどう比較してたんだ、包茎くん。

724 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 18:00:23 0
>>723
真性が湧いたかw

725 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 18:23:43 0
なんか上がってると思ったら右や左の旦那様か

>>688
19世紀初頭にティマール地がすべて国に没収されたらしいので
18世紀まではなんとか活躍してたかも?
マムルークもナポレオン戦争の頃まで軽騎兵として存続してたし。

726 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 18:32:38 0
>>724
キチガイage荒らしくん乙。他のスレでも迷惑かけまくっているんだな、お前。

727 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:59:23 0
つうか2chで「ウヨ」なんて発言をすれば
どういう反応が返ってくるかは、世界史板以外で既に経験してると思うんだが。
学習能力が無いのかチョン(もしくはブサヨ?)はw
歯槽板とかだと、アレかもしれんけど。
あと>>711も、内心はどうあれそれを表に出さないのが一般的な日本人だぞ。
あくまで「日本人同士」での会話に限るけどな。

728 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:23:07 0
おちんちんが剥けてから出直そうね。

729 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:28:45 0
一撃論破された709がひたすら粘着中

730 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:28:57 0
>>727-728
ここはお前らの好漢日記じゃ(ry

731 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:36:15 0
>>727
と、age荒らしと言われたとたんにsageる696=704=709=711でした。
ところで、ガリポリ戦や日清戦争の黄海海戦についてお勉強はしてきたかな?

732 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 21:59:30 0
日が過ぎてしまったが・・・

9月16日はエルトゥールル号遭難、及び日本人による乗組員救出の記念日でもある!

 

733 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 22:02:50 0
>732
詳しく

734 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 17:01:50 0
オスマン帝国の官職名

・サドラザム(大宰相)
・カイマカム(宰相の代理)
・カザスケル(大法官)
・カーディー(裁判官)
・クズラル・アガス(女官長。ハーレムの責任者。)
・イェニチェリ・アガス(イェニチェリの長官)
・カプダン・パシャ(海軍提督)
・シパーフ(近衛騎兵)
・トプチュ(砲兵)
・ジェベシ(工兵)
・ベイレル・ベイ(州県知事)
・サンジャク・ベイ(州軍政官)

735 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 19:08:18 0
下のほうではオンバシ、スバシ、ビンバシなんてのもいるね

736 :世界@名無史さん:2005/10/02(日) 00:12:35 0
>>734
何が出典か知らないけど、結構間違ってるんですが…。

737 :世界@名無史さん:2005/10/02(日) 01:16:46 0
時代によって違うのかね。

永田雄三「オスマン帝国における近代教育の導入:文官養成校(ミュルキエ)の教師と学生たちの動向を中心に」
『駿台史学』第111号、2001年、82ページでは、以下のようになってる。

カイマカム→郡長、ムタサッルフ→県知事、ヴァーリー→州知事

ここでの年代は、史料にある限りでは、1860〜1915年となってる。

738 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 18:40:53 0
アスケリってのは日本語でいう士族みたいなものと考えていい?

739 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 21:28:37 0
>>737
近代と前近代ではそりゃあ…。

>>738
軍人、書記官僚、ウラマーなど免税特権を持っている支配層がアスケリー。
それ以外がレアーヤー。

740 :世界@名無史さん:2005/10/05(水) 18:56:50 0
免税特権で分けるんですね。サンクス。

741 :質問:2005/10/20(木) 16:54:43 0

パルテノン神殿はオスマントルコ帝国の支配下では弾薬庫にされていて
1687年に攻め込んできたヴェネツィア軍の砲撃で大爆発をおこし
今のような姿に成り果てたと聞いたのですが、
なにゆえ、オスマントルコ軍はパルテノン神殿を弾薬庫にしていたのでしょうか?


742 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/20(木) 17:54:09 0
>>733
このサイトが詳しいです。
http://sisikaikan.at.infoseek.co.jp/607hamo/turky.html

743 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 10:30:36 0
エルトゥルルの実在って確認されてるんですか?

744 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 21:52:05 0 ?#
オスマン帝国とオーストリア・ハンガリー二重帝国
どっちが強い?

745 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 22:53:04 0
>>741
弾薬庫と言うより居城や要塞として使っていたと記憶。
現地で同じ説明を受けた時に17世紀の砲弾が誘爆するようなものかと腑に落ちなかった。
その後の略奪、放火が荒廃の原因ではとも思う。

746 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 23:09:50 0
そういうのはギリシア側の言い方でしょうかね。
悪いイメージしか出来ないもんな。 >弾薬庫

747 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 09:53:20 0
オスマン・トルコで男色や少年愛が盛行した理由を教えて下さい。

よろしく!



748 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 15:24:40 0
>>747
サファヴィー朝(小姓と戯れるアッバース一世の絵がある)
と勘違いしてるんじゃ…。
オスマンでも美少年画が流行してたっけ?
永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15、中央公論社、1998年)
に書いてあった気がするが覚えてない。

あとオスマン宮廷内の奴隷教育係に白人宦官があてがわれた理由の
ひとつに男色防止があったと記憶しているが。
たしか、佐藤次高の『マムルーク』に書いてあった希ガス。


749 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 07:46:15 0
>>748
ちょっと、あんさん、世界史のド素人やナ。
オスマン・トルコで男色や少年愛が盛行したのんは
常識だっせ!  常識中の常識やで〜!!!!





750 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 07:57:33 0
誰か忘れたけど、ある宰相は男色用小姓出身だったような。


751 :748:2005/10/24(月) 18:04:32 0
>>749
常識とか言う前に典拠を示せよ…
こっちも「覚えてない」って断ってるのに
なんでそう攻撃的なの?


752 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 18:14:15 0
ド素人やからド素人やて言うてますんや!
何も攻撃的なコトあらしまへんで。
ほんまド素人は箸にも棒にもかからんさかいに
困りまんがナ!!


753 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 18:55:54 0
>>751
お前、自分で30秒ぐらい調べてみたら?

754 :748:2005/10/24(月) 21:16:34 0
一応自分は>>748で文献を挙げている。
オスマンの男色がそれらに書いてあったかどうか
「覚えていない」といっているだけ。
今諸事情で手元にないので。



755 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 21:39:55 0
>>754
お前が調べていない&調べようとしていないのはわかったから、消えろ。

756 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 21:54:05 0
此の役に立たぬ板の連中は丸ごと消えろ!!!

マハリク・マハリター〜!



757 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 22:02:12 O
オマンチョウ大好き


758 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 09:43:44 0
コンスタンティノープルの陥落、読みました
トルコ人とイタリア人だとイタリア人の方が歴史好きなのでしょうか?

759 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 17:16:47 0
الحمد لله
الذين التاسعة و الاربعين و السبعماية
و الثانية و الخمسين و السبعماية
و الثلاث و الخمسين و السبعماية
و الخمس و الخمسين و السبعماية
قهراً لعناة وعفى عن الجناة
و اما حق تعالى الذي
الاثامنة و الاربعين و السبعماية
قدراً بركاة جلب إلى الجناة

760 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 17:35:15 0
ランシマンの『コンスタンティノープル陥落す』を読んでみた。
当時の滅亡前後のビザンツ帝国をとりまく状況が年を追って書いてあるのだが、
現在のガラタ地区にいたジェノバ居留民がけっこう義勇軍となって包囲戦に
参加していたのを知った。

塩野某のはどうなってたろうか。

761 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 17:37:21 0
لحمد لله أيضاً

الذي السادسة و الخمسين و السبعماية
قهراً لعناة وعفى عن الجناة
و اما حق تعالى الذي
الاثامنة و الاربعين و السبعماية
قدراً بركاة جلب إلى الجناة


762 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 22:33:15 0
>>760
やはり義勇軍に参加してるッス

763 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 11:16:15 0
一つ聞きたいのですが、コンスタンチノープル占領後のトルコ皇帝は「ツァーリ」とは呼ばれていなかったのですか?

764 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 13:54:50 0
西欧ではオスマン朝のスルターンは「トルコのスルタン」で呼ばれていたはず。
イスラム側から東ローマ帝国の皇帝は、「カイサル(qaySar)」とか
「マリク・アル=ルーム(ルームの王)」とか呼ばれているけど。
オスマン朝の君主が「ハーン」「シャー」「パーディシャー」などと称した事は
知られているけども「カイサル」を名乗ったようには記憶して無い。

そもそも「カイサル」にしても当時は「キリスト教の最高君主=(東)ローマ皇帝」
の称号の意味合いが強いのだけども。

そもそも「ツァーリ」はロシア語なわけだけど、これをロシア方面の君主たちが
使い出したのはいつ頃だという話になるかと思うが・・・

765 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 17:09:08 0
ロシア史スレより

67 :世界@名無史さん :2005/07/31(日) 15:09:49 0
近代のブルガリア(まだオスマン朝支配下)で書かれた小説を読んでみたら
農民がコンスタンティノープルのことを「ツァーリグラード」と呼んでいた。
たぶん一般のスラヴ人のあいだではずっと使われてたのか。

ビザンツ時代からの呼称が引き続き使われていただけかもしれないけど
スラヴ民衆がトルコのスルタンをツァーリと呼ぶようになったというのも
あり得るかもしれない?

766 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 18:47:09 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰?




767 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 19:08:21 O
>>766
同じ質問を繰り返すな、ホモ吉。

768 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 20:18:41 0
>764
メフメト二世やスレイマン一世は
「ルーム・カイセリ」を名乗ったらしいけどな。

769 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:00:45 0
つまり、トルコ皇帝はイスラム帝国の宗主であると同時に東ローマ帝国の後継者でもあるということですか?

770 :世界@名無史さん:2005/12/12(月) 12:45:43 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰?







771 :世界@名無史さん:2005/12/12(月) 16:04:00 0
>>769
島田襄平さんはそういうようなこと言ってたと記憶する

772 :世界@名無史さん:2005/12/13(火) 14:44:17 0
>>771
あの御方は7〜9世紀くらいが専門だから・・

773 :世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:41:53 0
>>769, 771
むしろ鈴木董だろう。
『オスマン帝国』(講談社現代新書)
に、スレイマンがカール五世に宛てた親書のなかで
「朕は諸王の王、セリム・シャーの子スレイマン…」な感じで
書いてた所があったと思うが。
手元にないので、今持ってる人は確認よろ。
(嶋田襄平も言ってたかもしれんが自分は著作の全部を読んだわけではないので)

774 :世界@名無史さん:2005/12/14(水) 02:19:17 0
>773
その鈴木董先生の『オスマン帝国』の153-154頁にかけて

「朕は、諸スルタンのスルタン、諸君主のあかし、地上における神の影(カリフのこと)、
 地中海と黒海、ルメリとアナドルとルームとカラマンとエルズルムとディヤルバクルと
 クルディスタンとルーリスタンとイランとズルカドゥリエとエジプトとダマスクスと
 ハレプとエルサレムと全アラビアの諸地方とバグダードとバスラとアデンとイェメンの
 諸国土とタタールとキプチャク平原の諸地域とブダとそれに属する諸地と、そしてまた
 我らが剣をもって勝ちえた多くの諸国土の大王(パディシャー)でありスルタンである、
 スルタン・セリム・シャー・ハンの子、スルタン・スレイマン・シャーであるぞ。
 その方、スペイン(イスパンヤ)の諸地方の王(クラル)カール(カルロス)であろう。
 以下のことを知れ……」

と書かれているけど、ルーム・カイセリ云々は見付けられなかった。
法政大学の方で出してるのとかも見ないと分らないけど、先生の東大出版会の
方のも見た方が良いかもしれん。

775 :世界@名無史さん:2005/12/14(水) 21:49:08 0
スレイマンとその周辺がカエサルを自認していたという話が出てくるのは
鈴木先生の本じゃなくて新井先生の本では?

776 :世界@名無史さん:2005/12/15(木) 15:17:27 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰ぢゃ?




777 :世界@名無史さん:2005/12/15(木) 21:25:31 0
スレイマンではなくメフメト二世だが、林佳世子先生の本に以下のような記述があった。

「……彼は偉大なるスルタン、よく知り、正しき王にして、ウンマに属する人びとの長である。
……彼は、ローマ帝国の終焉ののちに、神アッラーの言葉を掲げた者である。
……彼は、これほどまでにアレクサンドロス王の時代を体現している。
……先達たるアレクサンドロス王の杖を受け継ぐ者である。」
『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19)山川出版社、1997年、20ページ。

上記はメフメトがイスタンブルのアヤソフィア・モスクを寄進した際の文書内にあり、
メフメトが同都市の造営を、「ローマの都の再興」としていたことを示す
事例のひとつだとか。


778 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 10:53:28 0
age

779 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 01:35:38 0
>>777
14、15世紀にはアレクサンドロス大王というか「イスカンダル・ズルカルナイン」は
ペルシア語文学やイスラム神学などの側から「預言者にして世界征服者」的な存在と
みなされるようになっていたそうで、要は「神命を帯びた征服者」という感じだったとか。

しかもペルシア語文学の世界だと、アレクサンドロス大王は「ユーナーン(イオニア=ギリシア)の王」
ではなくてダレイオス1世の後裔である「イーラーンのカヤーニー(アケメネス)王朝の王」
とされていたりする。
(これはサーサーン朝後期に出てきた説話というかサーサーン王家あたりが流した捏造話しらしい)
当時の歴史学だったらアレクサンドロスは当然アリストテレスと同じくギリシア世界の住人であるとは
認識していたはずだけど。

山川のその冊子はまだ見て無いので何ともだけど、その一文を見たかぎりでは
「彼は、ローマ帝国の終焉ののちに、神アッラーの言葉を掲げた者である。」という
箇所も「キリスト教政権であるローマ」から「正しき一神教であるイスラム教政権(=メフメト2世)」
に交替した。というニュアンスを受ける。

しかもアレクサンドロス大王を持ち出しているのも、先達たる「神命を帯びた征服者」として、
であり今現在の自らの征服事業を「過去の同様の偉業」と対比させているようにも思える。
「ローマからイスラム政権へ」、「アレクサンドロス大王」というキーワードは両方とも
メフメト2世の尊称である「ファーティフ(征服者)」と関わるものであって、この一文を
見る限りは、あまり「ローマ」という物を復興しようと言う方面の意図は感じられない気が
するのだが、どうなんだろうか。

「ファーティフ」とはこの場合とりもなおさず「イスラム教圏を拡大・拡張させた者」ということ。
やはり一度関係する資料を一通り見ねばなるまいか・・・

780 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 13:49:50 0
>>777 >>779
779氏のレスが面白かったので参加。

メフメトがイスラム世界だけでなく西方にも関心を寄せていたというのは定説になっている希ガス

イナルジクのThe Ottoman Empire(classical age)から(p.56)

・メフメト2世は自分をローマ帝国の継承者としてみていた。
・Giacomo de Languschi の報告のなかのメフメトの言葉
「世界は、ひとつの信仰とひとつの主権(sovereignty)とともに、
ひとつにならねばならぬ。この統一を確立するために、
コンスタンティノープルよりふさわしい場所はない。」
・ギリシアの学者とイタリアの人文学者が、宮廷でメフメトにローマの歴史を教授していた

メフメトがイタリアから画家を呼んだとかの話は有名だけど、
ローマの後継者という自認は、どの程度のものだったのだろうかとも思う。
ローマが当時のオスマン朝にとって、どんなイメージで
見られていたか?というのが、ひとつポイントになる気がする。



781 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 23:19:20 0
なんか晩年にイタリアに侵攻してた気がしますけど>征服者

782 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 04:08:53 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰ぢゃ?

オスマン朝のスレというのに誰ひとり返答出来ぬのか?!




783 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 05:29:59 0
>>782
大家一世(バカ)

784 :世界@名無史さん:2006/01/01(日) 03:30:14 0
    ,,,r=''⌒''-,,
    ヽ   /=''⌒''-,,
     ゝ / ヽ   /
     ノ /ミ 〆 ゝ /
    {ニニ}.//ノ /ミ 〆
   (゚д゚// {ニニ} //ノ /ヽ.〆
   ノ /ヽ.〆(゚д゚// {ニニ} //ノ /ヽ.〆
  {ニニ}.//ノ /ヽ.〆 (゚д゚// {ニニ} //
  (゚д゚// {ニニ} //ノ /ヽ.〆(゚д゚ //
  (. Y/ノ|)(゚д゚// {ニニ}.//ノ /ヽ 〆
  ノ  ゝ.( Y./ノ|)(゚д゚// {ニニ} //
      ノ  ゝ( oY/ノ|)(゚д゚//


785 :世界@名無史さん:2006/01/01(日) 15:18:00 0
               /|
             /./ |i⌒i
         巛∧ | |(ミ0ミ三)
<←─≪三 / ・ ミ○(゚Д゚ ノ ゝ
        (_/\  X||半イ「||つ
           (   |TTア⌒Y
          / Y  ∪_ 丿
          \(/ /  // /
            /::/   //::/


786 :世界@名無史さん:2006/01/01(日) 15:19:35 0
>>784、イェニチェリ
>>785、シパーヒー

のつもり。

787 :世界@名無史さん:2006/01/01(日) 19:39:48 0
乙。

トルコ弓っていつ頃まで実戦で使われてたんだろう?

788 :世界@名無史さん:2006/01/02(月) 16:12:58 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰ぢゃ?

オスマン朝のスレというのに誰ひとり返答出来ぬのか?!

痴れ者揃いのスレぢゃのう!!!








789 :世界@名無史さん:2006/01/03(火) 01:49:01 0
またお前か

790 :世界@名無史さん:2006/01/03(火) 23:27:17 0
>>788
オーヤ一世(愚劣者)

791 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 18:42:27 0
age

792 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 19:14:48 0
オスマン帝国って何で滅亡したの?
もう復活することは無いの?

793 :世界@名無史さん:2006/02/06(月) 23:51:04 0
滅亡というよりWWI敗北で解体したという言い方の方が近いな。

794 :世界@名無史さん:2006/02/19(日) 19:29:31 0
大学入試で、オスマン帝国関連の問題は出題されたか?

795 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 19:14:11 0
1453年のコンスタンチノーブル陥落が出題されたよ。

796 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 21:27:30 0
age

797 :世界@名無史さん:2006/03/11(土) 02:25:04 0
オスマン朝のカリフの家系は、今でも男系で続いているの?

798 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 10:14:22 0
>>780
そういえば、ギリシア、ローマの彫刻を描いた、メフメト2世の少年時代の
スケッチもあったっけ?

799 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 17:22:20 0
オスマン朝は新スルタンの兄弟殺しと男系主義のため
皇統が断絶の危機に陥ったことは無かったのか?

800 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 18:35:49 O
まだトルコは王制でしょ。オスマン家がまだ王位についてるはずだけど

801 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 20:04:21 0
>>799
後宮で沢山皇子を儲けるから「スペア」が十分あったのでは?

>>800

おいおい・・・。

802 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 20:47:11 0
十九世紀のスルタンは池面が多いな
スレイマンも美男の誉れが高いが
漏れは美形には見えん

803 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 06:32:43 0
オスマンコルト

804 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 12:27:58 0
関連スレ

テュルク系民族を語る
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1121937215/
小アジア史総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1038900541/
バルカン総合スレ2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1112373006/
カフカス諸民族の歴史(三大民族以外)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1087115603/
アルメニア
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1028806356/
ヴラド串刺し公を讃えるスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1127742399/
ティムール朝について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1007474869/
イル汗国崩壊〜サファヴィー朝成立期のイラン
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1033482388/

805 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 12:33:52 O
トルコはまだ王制でしょ。オスマン家が王家でしょ

806 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 12:41:50 0
トルコ共和国

807 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 12:45:31 O
オスマン王朝のはず。。あれ、ハプスブルク王朝だっけ?トルコ王国は?

808 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 14:12:11 0
>>807
ネタで言ってるんじゃなければ教科書読み返せ

809 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 15:46:52 0
>>805
はやくおちんちんがむけるといいね

810 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 21:16:35 0
>>802
バヤジットの頃はあれだったが…
美女の血がオスマン家を美形にしたね
間違い無い

811 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 21:36:07 0
ユルドゥルムの肖像なんて残ってるんですか。

812 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 21:49:55 0
オスマン朝歴代パーディシャーの妃はほとんどがギリシャ人とかアルバン人とか

813 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 22:08:30 0
クリミア・タタール人とか

814 :世界@名無史さん:2006/03/17(金) 09:48:34 0
>>813
スレイマン1世の母がそうだったっけ?

815 :世界@名無史さん:2006/03/18(土) 13:23:21 0
イタリア人もいるな

816 :世界@名無史さん:2006/03/18(土) 18:32:24 0
サフィエ・スルタナだな。
名大宰相ソコルル・メフメット・パシャを暗殺した。
この女は、祖国ヴェネチアにオスマン帝国の機密を漏らしていたが
息子が跡を継ぐ帝国の不利益を図るとは何を考えているんだか。

817 :フマーユーン:2006/03/25(土) 19:06:46 0
>>797ニューヨークにいる

818 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:11:23 0
 

819 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 03:59:59 0
今日、NHKだかでみたんだけど、オスマンが
どっかの国と戦うとき、人海戦術で、船を山越えさせて
敵の海上の包囲網をスルスルっとスルーして
裏側へまわりこんだとか。これってなんの戦い?

820 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 08:26:57 0
艦隊の山越えはコンスタンティノープルの攻略戦で行われた
あまりにも有名な戦法だぞ。

821 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 10:03:49 O
今のトルコのスルタンは誰だっけ?

822 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 19:03:22 0
>>821
現在のトルコは共和制なんでスルタンというものはありません。

823 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 20:31:49 O
スレイマン大帝の母親はグルジア人では?

824 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 00:00:58 0
>>820
AoEとか、コサックスとか、戦争物のゲームに
まだ収録されてないよね?
漏れ、公立学校に通ってて、教師が全部
サヨクだったもんで、戦争関係の歴史は教わってないの。

825 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 12:09:53 0
>>824
無知の開き直り見苦しすぎ。消えろ。

826 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:47:34 O
今のオスマン・トルコ帝国の皇帝って誰だっけ?忘れちゃった。

827 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:51:21 0
>>826
あのなぁ、今のトルコは共和制でスルタンなんてものはないんだよ。
スルタン一族の末裔ならいるけどよ。

828 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:56:11 0
スルタンはバルタン星に帰れ

829 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 00:39:17 O
今のロシア皇帝とオーストリア皇帝は誰だっけな〜?トルコは誰?

830 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 09:41:08 0

>トルコ追放以来、オスマン家はトルコ国外において年長者が帝位継承者として家長の座を
>継承しており、1994年以来ニューヨーク在住のエルトゥールル・オスマンがオスマン1世
>から数えて43代目のオスマン王家当主をつとめる。後にオスマン家の国外追放は解かれた
>ので、イスタンブルに帰った者も多い。


831 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 14:38:58 O
だからオスマン・トルコ帝国の今の皇帝は誰だって聞いてるの!!!

832 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 15:20:52 0
>>831
ギャグで言ってるんだろうが、トルコは今はトルコ革命で
帝政はなくなり共和制になっている。
オスマントルコ帝国もい922年で終焉。
立憲君主制ではなくて完全共和制の国になったから
形ばかりの皇帝もいないよ。

833 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 15:40:31 0
>>831
恥垢臭い。

834 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 15:47:14 O
オスマン朝の皇妃はヨーロッパ王室とかの人?

835 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 17:34:40 0
鈴木 董著『オスマン帝国の解体』 (ちくま新書)
これいいわー。 
前半が、なんじゃこりゃってくらい堅いんだけど、それがだんだん引き込まれるように
じっくりどっしりした構成になってる。
ブラームスやベートーヴェンのシンフォニーみたい。
渾身の著作じゃないでしょうか。

836 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 06:54:49 0
船の山越えをわかりやすく
横山三国志みたいに書いてる
本を教えて。

837 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 08:44:45 0
>836
アンドレ・クロー「メフメト二世」

838 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 14:56:15 0
ランシマン「コンスタンティノープル陥落す」
もよいでしょう。

小説なら
豊田穣「艦隊山越え」
塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」

まんがなら
学研まんが世界の歴史〈8〉「アジアとヨーロッパの興亡と十字軍とモンゴル帝国」

839 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 15:48:53 0
陳舜臣「イスタンブール」

840 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 01:18:01 O
>>839李舜舜かと思った。ビビッた。
あと質問なんですが、オスマンはメフメト6世の亡命とスルタン世廃止 セーヴル条約で滅びたんだと思いますが、第一次世界大戦終了時になにか条約なかったでしたっけ?1918で 知ってる方いらっしゃったらお願いします。

841 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 01:23:15 0
>>836
手に入れやすさと(ブックオフの100円コーナーにあるよ)
読みやすさで、塩婆の「コンスタンティノープルの陥落」が良いでしょう。

842 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 02:35:44 O
オスマン朝はオーストリアやロシア、デンマーク王室との婚姻関係はあるの?

843 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 12:39:37 O
>>840李舜臣 すまそ

844 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 12:44:17 0
ロシアとはあったんじゃないか>婚姻関係

845 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 12:52:16 O
オスマン朝の皇后はヨーロッパ王皇公侯室出身者かなや?

846 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 16:21:43 0
スレイマン大帝のハレムから皇后にまで登りつめたロッサーナは、クリミア出身のロシア人。

847 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 16:23:08 0
王室出身ではないが

848 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 17:26:48 0
>>845
ビザンティン帝国やバルカン半島のギリシャ正教系のキリスト教国出身。
ロシアとはビザンティン帝国を通じて間接的に姻戚関係にあると思われ。

849 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 18:20:09 0
ビザンツはキプチャク汗国やイルハン朝、アクコユンルとも政略結婚してるからな。

850 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 19:37:34 0
いまトルコのオスマン王朝はトルコ国民の統合として残ってるね。
今のスルタンとカリフは誰?

851 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 19:42:12 0 ?
>>850
とっくに(略)

852 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:07:20 O
今のスルタンとカリフは誰なの!?

853 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:14:26 0
>>850>>852
国民の象徴でもなんでもない。

854 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:30:21 O
何言ってんの!トルコはオスマン朝が統治する帝政です。今のスルタンは誰なの?

855 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:36:20 0
中東の模範国のトルコだけど、EU加盟求めるのは歴史的に見ても不自然。

856 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:11:44 0
今のスルタンはアフメット7世です。

857 :カラジチ ◆mWYugocC.c :2006/04/11(火) 09:52:17 0
>>840
第一次大戦終結時の条約がセーヴル(1920)で、オスマン朝の滅亡が決まったのは1922年のローザンヌでは。

858 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 14:40:32 O
>>857ローザンヌは1923じゃないですかね?

なんか1918に条約か協定があったはずなんですけど、無茶苦茶言いにくそうな名前 どなたか大学などで専攻してらっしゃる方おりませんかm(__)m

859 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 15:24:12 O
今現在のオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝と皇妃は誰ですかね?

860 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 20:14:45 0
>>850
>>852
つ「教科書」

861 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 20:19:10 0
>>850
>>852
>>854
オスマン家のスルタン=カリフ制は
1922年にスルタン制が廃止され、
1924年にカリフ制も廃止されたから消滅した。

つーか、お前ら痛すぎ。教科書程度のレベルをつけてから来い。

862 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 20:28:23 0
わざと言ってるのでスルー推奨

863 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 23:03:15 0
>>858
ムドロス休戦協定ですか?

864 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 23:59:49 O
それっぽぃ!詳細お願いします

865 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:15:39 O
連レス 失礼します。
ムドロス休戦協定でした。本当にありがとうございます。

866 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:30:37 0
>今現在のオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝と皇妃は誰ですかね?
そういえばザクセン国王の即位のニュースが流れたとか、どこかのスレで見たが、
今でも子孫が相続の際に自称してるんだろうか?

867 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:36:04 0
スルタンの子孫も自称してるんじゃないのか?
教科書レベルの知識で切り捨てないで、誰それが最後のスルタンとどういう親縁関係にあって
自称スルタンで現存してるとか、してないとかディープな情報は欲しいところだ。

868 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 16:07:29 O
ロシア帝室復活はありえるかかな〜

869 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:01:53 0
>>867
http://www.4dw.net/royalark/Turkey/turkey15.htm

870 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 16:34:54 O
>>869ありがとう
俺は>>867じゃないですけど まじでためになるよ
ゝ( ̄∇ ̄)/

871 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 15:28:40 0
ttp://www.allempires.com/forum/uploads/Seljuk/2006-04-21_130007_janiss.JPG

イェニチェリって本当にこんな中国系みたいな容貌だったんですか?
真ん中の人はジャッキーチェンにしか見えません。

872 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 17:38:30 0
服装と武器変えればそのまま第三帝国SSの絵にできそうだな

873 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:48:03 0
イェニチェリはスラヴ人とかが多かったはずだが

874 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 12:07:35 0
デウシルメ制でバルカン半島から連れてきた、奴らが多かったはず?!たしか。
マムルークがトルコ系?
シパーヒーがアルジェリア系?

875 :しつもぉーん!:2006/05/07(日) 13:10:31 0
トルコとドイツの関係はどうだったんでしょうか。
もちろん両国は接触して以来、数百年の歴史を刻み、
交流史も一口では言えないことは承知のうえですが。

トルコとドイツは、ウィーン包囲以来の敵対関係に
あった一方で、ドイツ諸侯に軍事顧問に雇われたり、
イェニチェリにかぶれた諸侯から、ブラスバンドを作る
ために呼ばれたトルコ人もいた、とかどっかで読んだ
記憶もあるんですが。
文化面では相互の交流もあったんでしょうか。

876 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 13:15:21 0
混乱するイラクに44代スルタンを復活させろ。

877 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 17:30:30 0
オスマン朝のイラーク支配なんて当時でさえけっこう無理を重ねてたんだから
今さらオスマン家の君主を立てるのはさらに無理がないかね。
それだったらオスマン朝が征服するまでずっと歴史的にイラークと直接的な
関わりの深いイランに併合されるとか、ハーシム家の王族を再度たてるとかだが、
どっちにしろ現地の住民から猛烈な反発を喰らいそうだ。

878 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 21:17:42 0
413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/17(月) 16:52:21 ID:0vAju8ll
『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』という映画が最近上映されたけど、
トルコ国粋主義組織“灰色の狼”って、興味深いよね。
もし彼らの汎トルコ主義の主張通り、中央アジアにまで広がるトルコ系の連合国家が
誕生すれば、資源その他の要素を考えると、瞬く間に国際政治を左右する超大国
が誕生することになる。ロシアを遥かに凌ぐことだろう。
トルコ人も、EU加盟とか考えないで、そっちの方を目指せばいいのに・・・


SAPIO 4/26号に特集記事がある。
    ↓
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_magcode?sha=1&zname=2300&keitai=0

国際政治学II 09 灰色の狼と離散の民
http://72.14.203.104/search?q=cache:8l9NuX-f1fcJ:www.nk.rim.or.jp/~tmitsuta/asia/ip2/09.html+%E7%81%B0%E8%89%B2%E3%81%AE%E7%8B%BC&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1


879 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 21:49:45 0
たぶん今、スルタンが復活したら、トルコ大好きな俺は、泣くと思う。感動しすぎて

880 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 21:57:20 0
そのスルタンがスン二派で立憲君主制に理解ある人物なら問題ないがな。

881 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 10:26:23 0
オスマン家の人間を(実権の無い)カリフ位に就けておいて
大統領がスルタンの称号も帯びればいいのでは無いかと。
(例えとしてはちょっと苦しいが)マムルーク朝という先例もあることだし。

882 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 12:16:23 0
立憲(だけでもないが)君主制は、一度崩れると復活させようとしても大変だからなあ…
君主制を復活させて、まがいなりにも安定させたのって、近代じゃあスペインだけじゃないかな?

883 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 20:31:17 0
下手に今更カリフ号を名乗ってシーア派などの反発受けたら大変だから
従来通りの大統領制がいいと思うが。
スペインの場合はフランコが自分の死後まで自己の政体続けるのは
不可能と判断して、欧州王室と縁の深いブルボン家を指名したのが成功したが
トルコの場合、オスマン家は最早、中東の王室とは無縁だし
何よりトルコ自身が追放した王家だからな・・・・

884 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 22:54:01 0
スレイマンの死と第二次ウィーン包囲のあいだ、
ソコルル・メフメト・パシャやキョプリュリュ一族、
カラ・ムスタファ・パシャみたいな大宰相たちの時代を詳しく書いた本ってないの?
ドン・ヴォルガ運河計画とか、おもしろそうだ。

885 :世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:44:40 0
>>884
俺の知る限り日本語で読める史料では無いな。
日本のオスマントルコ史の本は大抵、スレイマン1世の死でストップして
そこからムハンマド・アリーのエジプト支配まで飛ぶ。

886 :世界@名無史さん:2006/05/16(火) 00:17:41 0
>>884, 885
鈴木董氏の『オスマン帝国の権力とエリート』(東京大学出版会、1993年)とか
山川の各国史、永田雄三編『西アジア史U イラン・トルコ』(2002年)、
中公の世界の歴史、永田雄三、羽田正『成熟のイスラーム社会』(1998年)
とかに載ってなかったか?
当方、今手元にないんで確認できんが、
ソコルル・メフメト・パシャとかキョプリュリュ一族、カラ・ムスタファ・パシャとか聞き覚えのある人物ばかりなので
たぶん上に挙げた本あたりが取り上げてると思うんだが。

887 :世界@名無史さん:2006/05/18(木) 17:49:17 0
>>886
成熟のイスラーム社会はオスマン朝だとセリム2世の即位で記述がストップしている。

888 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 02:25:59 0
>>883
シーア派ってカリフは完全スルーなんじゃないの?


889 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 02:37:29 0
カリフを担ぎ出すならオスマンのスルタンじゃなくて
カイロでマムルーク朝にかくまわれてたアッバーズカリフの子孫のほうな気がする。
子孫はまだどっかにいるんだろうか。

890 :世界@名無史さん:2006/05/20(土) 22:56:23 0
ヨルダンのハシム家でいいじゃん、別に。
姫様も綺麗だし、女性カリフなんてどう?

891 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:22:34 0
イスラームで女性カリフは無理だろ。
スルタンは居たけど、皆悲劇的最後を迎えている。

892 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:25:04 0
女性スルタンなんていたの!???

893 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:30:40 0
>>892
マムルーク朝のシャジャルッドゥッルと
デリー・スルタン朝のラズィーヤ

894 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 23:03:18 0
それが悲劇的最後になるのか

895 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 12:32:12 0
スルタンあげ

896 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 12:40:50 0
>>871
カルムイクあたりの出身者がいたかも知れぬ。

897 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 12:46:36 0
>>896
ノガイ・タタールなんかの捕虜になって売られてきた?

898 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:24:29 0
>>892
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A4

Wikiから拾ってきた
ラズィーヤの伝記出版してくれないかな
オスマン朝の女性ではフッレム、ミフリマ、
マヒデブラン、ヌル・バヌ、サフィエ、キョセムの伝記が読みたいんだが
英語を勉強するしかなさそうだな_| ̄|○ 

899 :世界@名無史さん:2006/07/03(月) 20:09:20 0
オスマン朝が今でも健在でパレスチナ治めてたら
中東ももう少し安定しただろうに

900 :世界@名無史さん:2006/07/03(月) 21:36:53 0
900突入

901 :世界@名無史さん:2006/07/03(月) 21:43:05 0
このスレ、四年半も続いているのか。
もしかして現時点での世界史板の最長寿スレ?

902 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 21:17:54 0
オスマントルコが地域帝国になったのはいつ?


903 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 21:38:26 0
大島直政さんにスレイマン大帝の伝記を書いてもらいたかった

904 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 23:46:20 0
スレイマンとメフメト2世の伝記はすでにあるので
セリム1世について誰か書いて欲しい

905 :世界@名無史さん:2006/07/13(木) 18:20:46 0
セリム1世は即位前の王子時代についての記録が希少なので
伝記化は難しいと思われ
仮に出来ても即位後が記述の大半を占めるでしょ

906 :世界@名無史さん:2006/07/13(木) 18:47:49 0
ロクセラーナの没年が長年確定していなかったのにびっくり。
昭和40年代に出版されたイスラム辞典のロクセラーナの項目をみたら
没年が1558年一説には1561年って記録されていた。

今は58年説で確定しているけど。

オスマン帝国が紀元前に栄えた王朝ならありえない話ではないけど
16世紀に全盛期を迎え、20世紀に滅んだ大帝国なのにな。

この辺の事情に詳しい人がいたら
何でこんなことになっていたか説明して欲しい。

907 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 21:03:27 0
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『オスマン艦隊が金角湾外にいると
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        思ったらいつのまにか陸を越えて来ていた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何をされたのかわからなかった…
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r ー---ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    ルメリ・ヒサルだとかウルバン砲だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

908 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 02:43:06 0
>>907
艦隊山越えについてはこういう例もあったようです。

34 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/07/20(水) 23:32:53 0
907年にキエフ公オレーグがコンスタンティノープルに来襲する。
このときはビザンツ側がボスフォラス海峡を防衛していたので、
ルーシの軍勢は舟を地峡を越えて運んだ。
(船を陸上に引き揚げて車輪に載せ、城壁の攻撃に使用したということ)
オレーグはリューリクの死後、彼の子供たちの摂政という立場で権力を
にぎり、キエフの公になった。

909 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 16:40:46 O
オスマン家の名字は今ではオスマンなのかな?もともと始祖の名前でしょ これ

910 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 17:09:52 0
だってオスマン朝時代のトルコ人には名字がなかったんだもん。

911 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 19:39:34 0
オスマン朝の皇女はかなり好き勝手に暮らせたらしいな。
皇子の悲惨な境遇とは対照的だな。

912 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 01:59:40 0
>>909
>>600で既出ですが、トルコ国籍を取得した場合は
オスマンオウルという名字を使っているようです。
オウルは「子」という意味のはず。

913 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 07:48:34 0
英語だとオスマンソンに日本語だとオスマンコになっていたのですね

914 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 15:22:20 0
>>902
ブルサを占領した1326辺りかな。
この頃からビザンツの西アジア領を侵食し始めている。

915 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 23:25:04 0
>>912
トルコの地方有力者の一族、カラオスマンオウル家を研究してる永田雄三氏によると、
オウルには確かに「子」の意味もあるが、「家」の方が正確だという。
どっかの論文に書いてあったと記憶。

916 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 04:32:00 0
オスマン語の「オウル」はチャガタイ語などの「オグル」のことなので、
「なになにオウル」といった場合、ものとしてはアラビア語の「イブン・〜」と
同じに意味になるのか。
すると「〜オウル」で『家、一族』という場合は「バヌー・〜」に近いのかな?

917 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 09:11:15 0
>>915>>916
東欧の槍騎兵「ウーラン」の語源になったという
タタール語「オグラン」はどういう意味なんでしょ?

918 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 21:38:27 0
>>917
オグランはオグルと似たような意味だったはず。

トルコ語ではオウランといって、男の子とか、少年といった意味になり、
オスマン朝ではデヴシルメで徴兵された直後の新兵をアジェミ・オウラン、
そこから選抜されて宮廷に入った小姓をイチュ・オウランといってたそうです。

919 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 22:51:47 0
>918
サンクス。若い衆みたいな意味なんですね。

920 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 23:34:55 0
トルコ系民族でもイランだと○○ザーデ
ロシアに住んでると○○ノフ、○○ヴィチ
てのが多いとか

921 :世界@名無史さん:2006/07/25(火) 13:48:47 0
オ○マン○

922 :世界@名無史さん:2006/07/28(金) 23:41:57 0
歴史あるスレだ

923 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 16:28:40 0
age

924 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 02:04:18 0
マジ、オスマン・トルコに住みたいと思ったことがある。

925 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:52:41 0
>>924
人頭税さえ払えば非ムスリムでも大歓迎だよ。

926 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 23:02:53 0
イスタンブールは江戸みたいに火事が多かったとか

927 :世界@名無史さん:2006/08/22(火) 01:04:22 0
今高校三年です。大学ではオスマン帝国について学びたいのですが、
どの教授はオススメとかありますか?東京都在住です

928 :世界@名無史さん:2006/08/22(火) 19:50:28 0
東大、東京外語、筑波、千葉、
慶應、明治、国士舘、立教、東洋・・・

929 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 19:22:07 0
中期のオスマンの皇子って皇帝になった奴の兄弟はみんな粛清されたそうだけど、
万が一皇帝になった奴が世継つくらないまましんじゃったらどうするつもりだったの?

930 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 20:20:30 O
ハーレムでどんどん子供作りまくり。

931 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 20:29:07 0
ハーレムって不衛生極まりない気がする・・・

932 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 21:00:06 0
>>930
できる前に病気で死んじゃったら帝位継承者いないじゃん

933 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 21:06:10 0
>>929
オスマン朝の「兄弟殺し」はセリム1世の頃がピークで
17世紀以後では皇帝以外の皇族は宮殿内で飼い殺し状態。

934 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 21:20:19 O
>932
その場合、規定はなかったけどスルタンの娘の息子から適当なのを選んだと思うよ

935 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 21:34:08 0
イスラーム法では男系相続しか認めないだろ。

936 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 21:40:47 0
>>935
つバフリー=マムルーク朝シャジャル=アッドゥッル
つデリースルタン朝ラズィーヤ

937 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 21:59:14 0
どっちも王位継承を否定されて非業の最期を遂げたんでは。

938 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:01:53 0
日本語で読めるオスマントルコ史の本は何故かスレイマン1世の死で中断して
その後、ムハンマド=アリーのエジプト近代化まで話が飛ぶ。

939 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:10:41 0
邦訳が出た、ジョン・フリーリーの『イスタンブル』はちゃんとオスマン朝の歴史をフォローしてたと思うけど。

940 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:15:00 0
鈴木薫は>>938に該当しているな

941 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:30:16 0
スレイマンの治世以降はトルコを始め、バルカンやアラブ、
西ヨーロッパの文書館に収蔵されている古文書が大量に残っているため、
年代記などの叙述史料を中心にすれば済んだそれ以前の
時代の研究とでは研究の方法論が異なるからであろう。


942 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:34:32 0
単にスレイマン以後のオスマントルコに歴史マニア受けする
個性的な名君が出てこなかったからじゃない?

943 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:42:04 0
すっかり実権を失くして深窓の貴公子みたいになってしまったスルタンをさしおいて、
ヴェネツィア出身のヌール・バーヌーとかキョセムとかの母后たちが実権を握っていく所なんかが
江戸時代の大奥との対比などで面白いのだが。


944 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:53:56 0
キュプリュリュ家の話だって面白そうだよな

945 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:55:50 0
キョプリュリュ家の間違いだ。スマン。

946 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 23:24:23 0
>>929
兄弟殺しが習慣だったと確認できるムラト1世頃からスレイマンの頃までを見ても、
前スルタンの死去後は必ずと言っていいほど、帝位継承戦争なり兄弟殺しが
行われている事を考えれば、どのスルタンの死去時にも王子は少なくとも
2人以上いたということができるし、例外として、王子がスレイマン一人しか
いなかったセリム1世にもセリムの死去時にはすでにスレイマンは20代半ばで、
マヒデヴランとの間に息子のムスタファがいた。
ムスタファは後にスレイマンがヒュッレム(ロクセラーナ)との間の子を
溺愛するようになって廃されてしまうが。

947 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 17:16:54 0
「王子の間」に幽閉していた。


948 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 18:23:38 0
だから、兄の皇帝が死んで即位しても、
長年の幽閉暮らしでキチガイばかりだったそうな

949 :927:2006/09/07(木) 17:57:58 0
いまさらですが……大学でオスマン帝国史をやる場合、言語は何をやるのでしょうか?
トルコ語?ペルシア語?オスマン語?アラビア語?それともドイツ語?

950 :世界@名無史さん:2006/09/07(木) 18:23:18 0
全部

951 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 11:47:15 0
>>949
トルコ語と一口に言ってもたくさんあるしな。
アジア、ヨーロッパ、アフリカにまたがり、多くの国々と交流があっただけに
言語は多岐にわたるな。

952 :世界@名無史さん:2006/09/22(金) 01:02:15 0
>>949
ざっと思いつくところを全部挙げると
英語・トルコ語・オスマン語・フランス語・ドイツ語・アラビア語・ペルシア語・
ロシア語・イタリア語・ラテン語・ギリシア語
特に上段の言語は専門家になるなら必須と思われる
もちろん、研究テーマによって必要言語と優先順位は変わってくる

大学ってのが学部か院かで違うんだろうけど、学部なら
何よりも英語が必須で、トルコ語ができればいいんじゃないの
オスマン語までできればなおいいだろうけど
あとはドイツ語とフランス語もあると便利
近代ならロシア語が欲しいところ

953 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 13:10:23 0
必要な言語はテーマにもよるので、勉強する言語は
関心が絞れてから選んでも遅くない。
オスマン朝の全部を研究することは不可能だし、
オスマン朝史に関係する全部の言語を習得することも不可能なんだから。

それでもやはりトルコ語はできたほうがよいんじゃないかな。
論文書くときに読まなきゃならない先行研究はかなりあるし、
東大・京大クラスでもない限り、
卒論レベルならオスマン語史料のローマナイズや現代語訳に頼ることもある。
だから、>>928の中ならば、できればトルコ語の授業がある大学を選ぶといいと思う。
オスマン語は、オスマン帝国下のアラブ地域なんかを専門にしない限りは避けて通れないが、
トルコ語、ペルシア語のどちらかをちゃんとやってれば
自学自習でもなんとかなる(と思う)。
最近、日本語の教科書も出たし。
あと、アラビア語はオスマン語の助けにもなるし、
オスマン帝国の全体を見渡すためには絶対に必要だろうけど、
慌てて始めるほどの必要はないような気がするな。
ドイツ語、フランス語、ロシア語は大学の第二外国語で
ひとつくらい読めるようにしておけばとりあえず問題ない。
ギリシア語等のバルカン諸言語は、史料の乏しい初期オスマン史ならともかく、
近代のバルカンのことなんかをやろうと思わない限り、
オスマン朝内で収まるたいていのテーマならオスマン語で足りるだろうから、
必須ではないし、テーマが絞れてから始めても遅くはない。
イタリア語、ラテン語もたぶん外交史とか経済史とかでしか使わないから、
これも後回しで構わない。

954 :世界@名無史さん:2006/09/25(月) 19:43:49 0
要するに日本語しか読めない厨房にはオスマン史なんて
高嶺の花だと言う事ですね。
大人しく、鈴木薫の本でも読んで我慢します。

955 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 10:40:04 0
オスマン史ならずとも現地言語読めなきゃ世界史なんかできないだろ

956 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 14:25:26 0
>>955
世界史専攻の学者・院生その他はそうだろうが
趣味・娯楽で世界史関連の本を読んでいる一般ピープルは
学者・専門家が日本語訳した専門書で我慢しているだろう。
ラテン語知らん日本人に塩野女史のローマ史本が受けている現状を考えると
後者の例が大半だと思うが。

957 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 09:25:29 0
共和国トルコ語が読めれば、結構面白い本が色々あるんだろうけど・・・
まあトルコでの出版状況は知りませんが。

冷酷者セリムについて詳しい本があってもいいと思う。

958 :955:2006/09/29(金) 11:49:31 0
>>956
待て待て、>>949は「大学でやる場合」って断ってるじゃないか。
別に大学でやるわけじゃないのに現地語やれとまで言うつもりはないよ。

959 :世界@名無史さん:2006/10/06(金) 18:01:53 0
永田雄三先生って今何歳?

960 :世界@名無史さん:2006/10/06(金) 19:02:30 0
http://read.jst.go.jp/ddbs/plsql/KNKY_24?code=5000060792

961 :959:2006/10/07(土) 22:11:46 0
>>960
サンクス。明治大学志望の高3で、大学でオスマン史したかったのよ。


962 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 23:34:14 0
>>961
東大か東京外語大がお勧め

963 :959:2006/10/09(月) 09:00:33 0
学力が足りない………

964 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 21:52:39 0
私大の定年退官って何歳なの?

965 :世界@名無史さん:2006/10/10(火) 03:38:06 0
>>964
大学によって違うが、国公立よりは長いはず
法人化して変わったところもあるかもしれないが

966 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:36:49 0
オスマン帝国とサファーヴィー帝国って結構似てるよね。騎兵から歩兵への戦力転換。
多文化・多宗教等。

967 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:45:00 0
その多文化多宗教多民族が、諸刃の剣だったのも共通しているな。
後、直属軍隊であるイェニチェリ(オスマン)とキジルバシ(サファヴィー)の
扱いに悩まされた所も似ている。

968 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:52:18 0
サファヴィー朝はオスマン朝が経験した大波を被る前に滅亡してしまったと思うがな。
サファヴィー朝が強制していったシーア派化政策とかも現代から見れば重要だし。

969 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:01:36 0
サファヴィー朝の衰退と滅亡は一重に君主の器量如何だったと羽田正は言っていたな。
確かにアッバース1世以後のシャーは目も当てられない。

970 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:12:05 0
それでもシャー・アッバースの死後、百年ほども続いたことの方に注目すべき。

971 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:26:31 0
チャルディラーンの戦いは歴史(特にイスラーム史)ヲタには受けるんだが
日本ではそれ以前にサファヴィー朝の存在を知らない人が多杉。

972 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:36:20 0
何故サファヴィー朝を知らん人間がおおいのぢゃ?
イスファハーンは世界の半分とかいわれてたのに。
そういえばサファヴィー朝ってアフガン人に滅ぼされたけど
アフガン人って強いの?グルカ兵が強いのはしってるけどねぇ

973 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:38:01 0
そりゃあ、イスタンブルとエスファハーン、
訪れる日本人観光客の数比べれば歴然としてる罠。

974 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:42:44 0
>何故サファヴィー朝を知らん人間がおおいのぢゃ?
日本語で読めるイラン史の本が少ないから。
尤も最近では宮田律が中公新書で「物語イランの歴史」を出しているが
これは20世紀以降の記述が半分という内容。
サファヴィー朝に関してはイスマーイール1世とアッバース1世しか
名前が出てこない。

975 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:53:52 0
宮田氏の専門から言って前近代に多くを期待するのは無理だが。
サファヴィー朝の通史といえば最近、Andrew J. Newmanの
Safavid Iran: Rebirth of a Persian Empireが出たな。
まだ高いハードカバー版しか出てないから、ペーパーバック版が出るまで待つか。

976 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:01:23 0
やはりサファヴィー朝を深く学ぶには海外の文献に頼るしかないのか。
個人的にはシャー・イスマーイールの詩集(檄文集?)が読みたいのだが。

977 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:18:10 0
>>969
オスマン朝も立法者スレイマン以後ろくな君主がいなかったのに
20世紀まで続いたのとは対照的だな

978 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:22:41 0
とは言え18世紀以降のオスマン朝はバルカン諸民族に悩まされ
北はロシアの南下政策に押され
国内ではイェニチェリのスルタン廃位などで明るい話題が無い。
日本のオスマン史本でもスレイマン1世死後はレパントの海戦でストップしている。

979 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:33:13 0
最近の概説書では17、18世紀についてもそれなりに記述しているが?
レパントの海戦でストップっていつの時代の話だ。

980 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:35:45 0
>>979
多分、鈴木薫だと思われ。

981 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:41:38 0
「薫」じゃなくて「董」。
鈴木先生じゃなくて林先生の本読めばいいやん。

982 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 23:59:08 0
あと新井政美センセもな。
ただ書名が『トルコ近現代史』(みすず書房、2001年)で「オスマン」じゃ検索でヒットしないのが難。
(書名じゃなく件名・キーワードならヒットするかも知れんが)

同じく佐原徹哉さんの『近代バルカン都市社会史』(刀水書房、2003年)も「書名にもう一つ工夫が欲しかった」と
秋葉淳氏が書評で注文つけてたし。何より高い…


983 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 00:27:27 0
>>977
スルタンの権力を拡大しようと貴族を抹消して広く人材登用した結果、
官僚制が一応ながら出来上がっていたからな
結局そいつらの権力がスルタンを上回って、
君主が不在だろうが国が動くようになっていた

984 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 00:48:47 0
>>972
一時はパキスタンのほぼ全域からイランの西北部(ホラサーン)に
まで広がってたよ、アフガニスタン王国。アフマド・シャー・ドゥッラーニーの時代。
あとシェール・シャーとか北インドで覇権を握ったアフガン系政権も結構ある。

985 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 09:36:16 0
イランは西からの侵入は難しいが中央アジアやアフガンからは攻め込みやすい。

986 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 16:52:22 0
ホラサーンはイラン北東部では?細かいことスマン

987 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 17:31:30 0
ホラーサーンは今でこそイラン北東部の州名にしか残っていないが、
歴史的にはイラン北東部、アフガニスタン北西部、トルクメニスタンの一部を含む広い地域を指す。

988 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 20:37:24 0
同じアフガン(パシュトゥーン)人の勢力とは言っても、イスファハーンを陥として
サファヴィー朝を実質上滅ぼしたミール・マフムードはギルザーイー部族連合・ホタキ族の出身。
一方、ドゥッラーニー朝を創始したアフマド・シャー・ドゥッラーニーはアブダーリー部族連合・
ポパルザーイー族の中のサドゥザーイー族出身と、出身部族が違う。

989 :984:2006/10/13(金) 23:18:50 0
>>986
おっとうっかり。すまんすまん。

990 :世界@名無史さん:2006/10/14(土) 02:17:50 0
次スレ立てれんかった
「オスマン朝」でも「オスマン帝国」でもいいので
どなたかお願い

991 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:03:53 0
オスマン

992 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:05:57 0
トルコ

993 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:07:06 0
アイス

994 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:09:55 0
モナカ

995 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:11:22 0
995

996 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:12:13 0
996

997 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:13:17 0
997


998 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:14:31 0
次スレお願い

999 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:15:11 0
998

1000 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 00:15:26 0
氏ね埋め立て厨

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

244 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)