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紀元・暦法を集めるスレ

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0001世界@名無史さんNGNG
古今東西、歴史を記す上で欠かせない紀年法・暦制・元号について
幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。

0837あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:17:100
恭賀新禧 あけましておめでとうございます
本業の都合(ということにしておけばいいかんじ)で御無沙汰してました。
年も改まりましたので、これを機に世界史板に還ってまいりました。また宜しくね♪
でお正月にふさわしいのは?と案ずると、やっぱりここ「紀元・暦法を集めるスレ」ね。
ということで本スレの初期のレスを回顧してみました。
そうしたら>>156に十数個の紀元のリストが書かれていたのを発見しました。
当時このレスに気が付かず見過ごしていましたが、今日から何回かこれについて
書いてみようと思います。
156の名無しさんはこの情報のソースを明示していません。そこで>>157のレスでは
「よくこれだけ集めたね」とナイーブに賛嘆するレスも付けられていたりします。
しかし記載内容を検すると何箇所にも疑問符が付けられ、洋文から転訳されたらしい
漢字表記がそのままになっています。原拠が漢籍であることが窺われます。
実はこの一覧表は清の光緒三十年に刊行された張璜の著作から転写されたもので、
156氏は一部を推定して表示したのですが、他は十分には判明しなかったようです。
0838あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:22:470
原拠である張璜が編纂した書物は「歐亞紀元合表」で1世紀以上前に、上海の
慈母堂というところから出版されています。
620ページの大著の冒頭部分に「天下大事紀元表」というものが掲記されていて、
24個の紀元がリストアップされています。不思議なことに156氏は新>古へと
時系列を逆順に記載していますが、原著では古>新の順に排列されています。
では以下に原著の記載を転記することとします。
なお原著では対応する支那の年次を付記していますが、ここでは省略します。

天地開闢按君士但丁城公會議(在680年)謂據猶太古史推算在_______5508
・・・・・・・・按本篤會修士某君推算在________________4963
迂師利迂斯時俗通行歴紀元在_________________________4004
喇賓(Rabbins)國人開國紀元在________________________3761
印度國紀元在___________________________________________3101
猶太古祖亜巴郎元年在__________________________________2015
希臘首君鰓克勞伯元年在________________________________1582
希臘古亜林毘城毎四年一次戯會元年在_______________________776
0839あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:31:500
(続き)

羅瑪建都元年在_________________________________________753
古巴彼鸞王拿暴拿撒爾元年在_________________________747
日本紀元在________________________________________________660                           
羅瑪總統攝政監國元年在_____________________________509                           
希臘古馬者道尼王大亜立山駕崩之年在______________323                           
古西里亜王鰓鸞古斯元年在_________________________311                           
羅瑪總皇儒略歴紀元元年在___________________________45                           
西班牙開國元年在________________________________________38                           
希臘古矮克西城毎五年一次戯會元年在_______________31                           
羅瑪總皇奥吾斯多元年在______________________________27

ここまでが西紀前のものです。
0840あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:34:350
(続き)

羅瑪總皇第阿克來西虐待教民在__________________284                           
俄部古亜爾黙尼開國元年在________________________559                            
回教始祖穆罕黙德出亡立教紀元在______________622
波斯王野斯奪熱爾元年在___________________________632  
美國民主合衆開國元年在_________________________1774   
法國民主開國紀元在_______________________________1792

以上です。
0841あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:36:420
なぜか行揃え桁揃えがうまくいかないです。困った。
0842あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:37:490
では先ず劈頭の開闢紀元ですが156氏が指摘しているとおりです。
この西紀680-1年の第3回コンスタンチノープル公会議は、単性説の残滓
単意説を否定したことで知られています。天地創造を西紀前5508年として
算出した根拠は、うちにある書物では判明しませんでした。ユダヤ文献の
記載からとありますが、タルムードは前3761年としているので違います。
「創造紀元」"minyan liyesirer"または「世界紀元」"minyan haolam"という
ユダヤ教の紀には3種の起算点があり、1:アダム創造直前、2:アダム創造、
3:アダム満1歳のそれぞれ1年づつずれる年次を取っています。そして
キリスト紀元に対応させると1:3761/60、2:3760/59、3:3759/58となります。
2年に跨っているのはユダヤ暦では9-10月に相当するティシュリ月1日を
1年の元日としているからです。実用上のユダヤ式創造紀元は前3761年と
考えておいてよいでしょう。
聖書学的には七十人訳ギリシャ語写本では天地創造は前(以下では前を
省略します)5270年、コンスタンチノープル版では上記のように5508年とし、
ヘブライ語の正典では3994年、但し4111年とする異本もあり、サマリタン版
正典は4305年、同じく異本は4424年としています。
この外に歴代の年代学者の説が色々とありますが省略しときます。
0843あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:43:190
天地開闢も無事に済んだので、あとの分は一休みして明日から少しづつ書くこととします。
0844世界@名無史さん2006/01/01(日) 21:47:480
明けましておめでとうございます。

あやめさんお久しぶり
0845世界@名無史さん2006/01/01(日) 22:40:380
あやめ、うぜえ。

ここは貴様の日記帳でも雑記帳でもない。一人でダラダラ、何レスも使うな。

二度と来るな、ボケ。
0846世界@名無史さん2006/01/01(日) 22:53:410
イスラム化される以前の中東ではどの暦法が用いられていたんでしょうか。
エジプトとペルシアはそれぞれ独自の太陽暦を持っていたようですが、
セム系民族はやはり太陰暦を使っていたんですかね。
現存するユダヤ暦もそうですし。
0847世界@名無史さん2006/01/01(日) 23:37:390
>>846 五月蝿
0848あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/02(月) 18:05:410
「歐亞紀元合表」の「天下大事紀元表」(以下「紀元表」と略称)の諸紀元から
昨日は冒頭の開闢紀元―コンスタンチノープル式創造紀元を解説しました。
これに続く3個の紀元もやはり創造紀元の一種です。
156氏は2番目に挙げられた「本篤會修士某君推算」の「本篤」が判らなかった
もののようです。本篤會は"Benedictine Order"ベネディクト会のことです。
現任の教皇ベネディクト16世は支那の各メディアなどでは「本篤十六世」と
表記されています。Benedictionは祝福とか感謝の意味らしいです。
ベネディクト会は周知のように西紀6世紀初頭から続く修道会で、その修士の
誰かが西紀前4963年を創造紀元と推算したものらしいのですが、この修士の
名など詳細は調べきれませんでした。また推算の根拠も不明です。
0849あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/02(月) 18:08:340
「紀元表」は次に「迂師利迂斯時俗通行歴紀元」を挙げていますが、156氏は
「迂師利迂斯」が何のことか判らなかったようです。これは"Ussherius"です。
即ち17世紀にアイルランドの大司教であったアッシャー”James Ussher”が
1650年に著した「旧・新約年代記」で前4004年を世界創造の年次と算出し、
ジャイムス一世欽定訳聖書に採用されたものです。アッシャーはヒブル版の
聖書に依拠して本文に現われる事件の年数を順次合算して、アダム誕生から
イエス降臨まで4004年と算定したもののようです。つまりアッシャーの当時に
「俗に通用せる紀元」ではなくアッシャーによって一般に通用することになった
紀元なのです。なお原漢文に「時俗通行歴紀元」とある「歴」は「暦」の代用の
字で、著者が清朝の人民なので乾隆帝の名の「弘暦」を避諱したものです。

次の「喇賓(Rabbins)國人開國紀元」も156氏は判らなかったもののようですが、
”Rabbin”がRabbi(ユダヤ教法学者)の複数形と気が付けば解明が容易です。
昨日も書いたようにタルムードで前3761年とされている、創造紀元の一種に
過ぎません。「ラビンス国の開国紀元」なんていう代物ではないのです。
江戸時代の黄表紙に吉原を「アリンス國」としたものはありますが(笑)
08501562006/01/03(火) 15:57:380
>>837-849
すごい遅レスですなw でも面白そうなんで期待してますぜ。
0851あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:27:030
御期待くださってありがとう、あなたに本年いいことありますように。
さて「紀元表」には次に「印度國紀元」を挙げています。単にインドの紀元と
説明しているだけなのに、何の根拠あってか156氏はインドの「建国紀元」と
記述しています。古代インド人は凡そ時間空間の構成について、現実的な
認識を伝えていないように思われます。示されているのは常に観念的体系に
過ぎません。ある特定の時点で国家が創建されたとする伝承は存在しません。
インド人の歴史意識では建国紀元なんて有り得ないんです。
では西紀前3101年は何の紀元でしょう。これはカリユガ"KaliYuga"の元年です。
ヒンドゥー的観念では4期の大劫が循環的に継起するものとされています。
そして各大劫がそれぞれ20中劫に分かれています。
こうしたアイディアは佛教にも入ってきています。その時系列の概略を述べると
KritaYuga172万8000年(4800年)/TretaYuga129万6000年(3600年)/
DvaparaYuga86万4000年(2400年)/KaliYuga43万2000年(1200年) 
現在はカリユガ期に入っていて前3101年から開始されたというわけなんです。
この年次をどのように特定したのかは調べきれませんでした。いずれにせよ
実際に何らかの事件が発生したという性質のものではなく、回帰的暦法の
数術により設定されたものです。
0852あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:32:030
各ユガの年数は人間にとっての時間であって、括弧内は神にとっての時間です。
0853あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:32:580
カリユガは世界の終末時期で「末法の世」とか「濁悪の世」とか呼ばれています。
佛教では成劫>住劫>壊劫>空劫の順で時間が進行し循環すると説き、
やはり現在は「壊劫」に属しているとされています。初劫の「成劫」では先ず
「器世間」即ち無機的物質が発生し次いで「衆生世間」生命が出現する、
「住劫」はこうした存在が安定し繁栄する時期ですが、「壊劫」からが衰退期で
世界は崩壊し消滅して行き、そして完全な虚無が支配するのが「空劫」です。
こういう思想は「阿毘曇論」や「倶舎論」や「智度論」などいろんなお経の中に
出ています。日本の中世には民衆にも知られるようになり「水鏡」の序にも
詳しく書かれています。
このように「世の中だんだん悪くなる」思想は誰もが懐くものですが、古代
ギリシャではヘシオドスが黄金時代>白銀時代>青銅時代>英雄時代
>黒鉄時代という時代区分があって、やはり下降歴史観で語られてます。
もっとも半神である英雄が支配する時代のみは、ヘシオドスにとっての
現代から上昇期として回顧されています。この4時代変遷観はローマの
オウィディウスにも反映しています。
0854あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:37:570
訂正
ヘシオドスにとっての現代から > ヘシオドスにとっての現代である黒鉄時代から
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