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【刀剣弓矛】 武具総合 【槍槌鎧楯】

1 :世界@名無史さん:04/10/19 00:47:35
甲冑のスレが埋まったので新たにたてます。
基本的に武器や鎧をそれ単体だけでなく、
関連付けたものとして考えていきましょう。
その方がきっと楽しい。

623 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 22:47:47 0
単純な重量よりも、それをどう体に分散させるかが大事。
それと殺し合いの道具なんだから、ころんだだけで動けなくなる=死亡確定、
なんて常識で考えてありえんだろ。実際、実践に使われたと思われ現存する鎧は
日本のより格段に重いというものはないぞ。


624 :コピペ:2007/01/06(土) 23:34:07 0
76 名前:名無し三等兵 本日のレス 投稿日:2007/01/06(土) 03:29:06 ???
鐙とか、世紀の発明は案外後なんだよね。
暗黒時代をモデルにしたと思われるファンタジーに鐙があるのはビミョン…。

和弓でも重藤などは単弓でなく一応複合弓。
非対称なのは馬上で扱え、かつ射程を維持するための工夫。
反面習熟が難しくなってるけど、そもそも侍の武器だからキニスンナとw
あと足軽用の弓は構造が簡素化されて単弓に近くなっているようだ。

モンゴルなどの遊牧民が使う弓は動物系材料による複合弓で、
和弓は木材や竹などを使った植物系材料による複合弓と言えるな。
この辺は材料の入手性と関係している。


弩が普及しなかったのは…。

戦いが武士の仕事であった時代が長かった。
(応仁の乱の頃まで、足軽なんていうもの盗り紛いの弱兵に用はなかった)
→だから訓練の簡易さなんてキニスンナ。動員された兵はいないし。

習熟した人間の手にかかれば、弓の方が速射性に優れ、威力、精度も遜色なくなる。
→どうせ武士ばっかりなんだしみんなで弓を練習すれば円満解決!

ついでに言えば、弩を作り、メンテする技術が一般的だったのかどうか。
都市文化が発達し、職工に仕事と一定の権利を与える土壌が必要だと思われる。
欧州でも弩を使用したのは、都市が発達した南欧が主流という点に留意。
日本で都市文化が一定の形を成したのは、室町中後期からでないかと。

後半は推測ばっかなんで注意してね。

625 :世界@名無史さん:2007/01/06(土) 23:43:42 0
ヨーロッパでは刀狩り令のようなものは無かった・少なかったの?


626 :世界@名無史さん:2007/01/06(土) 23:50:37 0
弩が普及したのは、欧州以外では中国と中東が代表例ですかね。
なぜか東南アジアでは狩猟採集民族にまで普及していたりします。
中には弓が廃れて、飛び道具は弩だけ、という地域も(インドシナ半島山間地などに)けっこうあるのは
一体どんな経緯があったのやら。

627 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 00:18:57 0
北日本(東北、北海道)で数百年前まで
暮らしていたアイヌやツングースなどの
日本人も弩を武具に使ったり、
仕掛け弓として使用してていましたよ。

特にアイヌの仕掛け弓は明治時代まで使われていました。

沖縄や奄美の日本人たちも弩を使っていました。

本州南半分と九州、四国が弩を使っていなかっただけ。

628 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 02:35:35 0
弓と弩では、威力・射程距離・命中精度の何れもが弩の方が遥かに高い
しかし弩を一発放つ間に、熟練者であれば弓を六発放てる
この差が、弩と弓では弓の方が戦争の主力となった要因だ。
また、弩は構造が複雑で重い分だけ携帯が難しかった問題もあった
こうした差は集団戦では、弓の方が優位と判断されたのであろう。

629 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 02:43:11 0
>>626
弩が弓より優れているのは、弓に比べて熟練度が必要ないことが大きい
弓というのは、実際に使ってみた人間でないとわからないが、上手く当てるようになるまでにはかなりの体力と技術が必要になるものだ

通常、弓の強さは弦を引く力をポンドで示すのだけど、敵兵の甲冑を貫くだけの強力な弓となればそれだけ力も大きくなる
競技用に使われる弓は、15ポンドから20ポンド程度だけど、これでは鴨とか兎のような小動物の狩り程度にしか使えず
甲冑を着込んだ兵士相手に通用するようなものではない。
戦闘用の弓の力はどれくらいかは知らないが、人間とほぼ同じサイズの鹿やイノシシのような獣を相手にする場合は、せめて50ポンド以上の力が必要だから
戦闘でもそれくらいのサイズは必要だろう。
50ポンドをキロに直せば、ざっと22キロ以上になる。それだけの弦を引くのは、けっこうな体力が必要だよ。
中には100ポンドを超える弓だって実際に戦闘には使われていたのだから、弓兵は如何に鍛錬と技量が必要であったか理解できるでしょう

630 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 02:49:16 0
>>624
欧州に弩が必要だった大きな理由は、民兵の存在があった。
訓練には限度がある、戦いの専門家でもない民兵達相手には、弓に比べて訓練時間が短い弩の存在は重宝したものだ。
日本の場合は平安から鎌倉時代にいたるまで、民兵が大量に必要とされる大規模な戦乱が少なかったからな
其の辺で弩が廃れた理由かも知れないな。一旦廃れて忘れ去られてしまえば、復古って機会に恵まれなかったってことはありえるだろう。

631 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 03:18:43 0
>>620
武器の発展によって、装備の内容が変ってくるのは当然のことでね
投石や弓が主要な武器であった時代は、そんなに重い鎧衣を纏う必要もなかったが
クロスボウや合成弓のような、従来の弓とは比較にならない強力な弓が登場すると、それに対抗した重装甲が出現するようになった。
それでも攻撃を司る部隊は、機動性を重視して軽い鎧衣を纏っていたのだよ。
重装甲の兵士はもっぱら防御に徹する部隊が中心だ。

632 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 04:05:51 0
>>630
ジェノヴァのクロスボウマンを代表に、ヨーロッパの弩兵の大半は傭兵やサージェントなのだが…。
大体民兵が弩なんて高価な武器を用意できないでしょ。騎士の鎧を貫くほどの弩ならなおさら。
民兵が好んで使ったのは、ビルなどの長柄系や歩兵用フレイルとか。

>>631
>投石や弓が主要な武器であった時代は、そんなに重い鎧衣を纏う必要もなかったが
>クロスボウや合成弓のような、従来の弓とは比較にならない強力な弓が登場すると、それに対抗した重装甲が出現するようになった。
逆逆。目標の鎧が強固になったから武器がそれに対抗して強化された。
武器が先なら、殺傷力を犠牲にして貫通力を高めたブリーチ・パイクやエストックとか
過剰なまでに威力ばかりを重視した機械式クロスボウなんて登場しないでしょ。

>重装甲の兵士はもっぱら防御に徹する部隊が中心だ。
えー、重装騎兵っておしなべて突撃か迂回攻撃がその役目じゃない。
歩兵のほうも、マラトーンの戦いでのギリシア勢が突撃しペルシア兵を蹴散らした様子や、
クナクサの戦いで突出したギリシア歩兵とか見ると、防御に徹する兵科とはとても思えないんだが。
逆に防御に徹した部隊の例を考えてみると、カンナエの戦いでローマ軍の中央突破を受け止めたケルト兵や
クレッシー・ポアティエ・アジャンクールの長弓兵とかが思い浮かぶ。

633 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 04:42:31 0
>>632
徴用した民兵に対してクロスボウを与えたのは普通のことだが
重装甲歩兵や重装甲騎兵に関しては、合成弓などが登場する以前から存在しましたが、紀元前300年ごろのマケドニアの弓は軽装甲の歩兵達でも防げる程度のものでした
重装甲歩兵の重装甲は刀などを防ぐためのものでしたよ
重装甲の騎兵などが重要な直面は正面から敵を防ぎ抑えることでした、これは今日の戦車の役目ですね
そして側面から回り込んで敵の後方や側面を撃つのが軽装甲騎兵などの役割でした。
この形態は、紀元前マケドニアの時代からほぼ出来上がっていて、例外はあっても、長らくこの形態での戦闘が続いていました。

武器と装甲の関係については、確かに卵が先かニワトリが先かの点もありますが
私の知る限りは、多くの場合は武器の発展の方が先だったと思いますけど
実際、十一世紀にクロスボウが発展してから、欧州の鎧衣は急速に重量化しています

それにマラトーンの戦い当時のギリシャ軍の兵装は、軽装甲であったから、歩兵による突撃が可能だったのですよ。
当時のギリシャ軍の装備を調べてもらえればわかりますが、充分な重装備を行なえるほど、当時のギリシャの金属加工技術は高くはなかったようです
兜も鉄ではなく青銅であったくらいです
ま、マラトンの戦いの場合は、密集隊形のまま突撃するという、ある意味、むちゃくちゃな戦法で意表をついて勝ったわけですが
クナクサの戦いとカンナエの戦いについては私は知識はないから述べるのはひかえさせてもらいますけどね


634 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 08:02:48 0
>特にアイヌの仕掛け弓は明治時代まで使われていました。

アイヌ、ツングースは決して未開社会でなく黒龍江地域を経由して間接的に
中国、朝鮮半島地域との交易は盛んでしたので。

中国、韓国で生産された物が持ち込まれたり影響を受けた物が使用されたり
と文化的にも、経済圏の一部としても日本より強いようですね。。


>沖縄や奄美の日本人たちも弩を使っていました。

沖縄はかなり文明化された社会でもありましたし、中国との交易も盛んでした
当時は文化的にも中国の一部です。






635 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 08:08:32 0
>日本の場合は平安から鎌倉時代にいたるまで、民兵が大量に必要とされる大規模な戦乱が少なかったか

兵農分離なされていない当時の日本の社会では兵士達は殆ど農民です。

また、日本は西ヨーローっぱ諸国と比較では人口が多く
日本の地方紛争でも兵員数はヨーローッパ社会での大規模な紛争並です。

むしろ、単純な費用対コストの問題の方が強いのでは。


636 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 08:32:39 0
軍事板のクロスボウ自作論争のあれだな?
軍事板で

『クロスボウなら300m先に
   訓練されて無い人間でも命中させる事ができ
 一般人の工作でも簡単にその辺の材料で作れるんだ
     だからクロスボウの製作に技術が必要であるはずないんだ』

って暴れてるやつだろ。

637 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 08:50:36 0
>634
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B029920000000000.jpg

アイヌの仕掛け弓は写真では形状としては弓を台座に載せただけの用に。
毒使用前提の弓である事、長距離を狙わない仕掛け専用の弓であること。

アイヌの仕掛弓は威力としても、射程距離を含めた使用法としても
他文明のクロスボウとは別次元。
中国からの交易品である可能性はまったく無いでしょう。
劣化コピーの可能性はありますけど。

http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/sasanodai/image/15geijutu/kobusi06.jpg
一般的な使用ではロングボウなどと同じイチイの木や柳の木の弓が使われました。



638 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 08:57:23 0
>636
日本でクロスボウが作られ無かったのは動物の腱がなかったから。
アフリカや南米は動物の腱があっても弓が無いのでクロスボウが生産
されなかった。
技術なんか無くてもクロスボウは誰でも飛距離のあり命中率のあるものは
簡単に作れる。



間違いは無い。

639 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 09:04:13 0
>>636
>>638
軍板へカエレ!

640 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 15:02:03 0
みなさん騙されないでください。
本当に技術の無い一般人でもクロスボウは作れるんです。
そしてクロスボウを使えば練習しなくても数十m先に命中させる事は
難しくないのです。

641 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 16:29:34 0
同じ厚さの鉄板と皮革板に矢を放ったところ、貫徹度は同じくらいというデータを本で読みました。
そのデータが正しければ、日本の鎧が鉄板綴りから皮革製(短甲等→大鎧等)に変わっていった理由として理解できますが
(防御力が同じなら、軽い方がいいでしょうから)
その場合、西洋の鎧が鉄製の方向に進化していった理由が説明できないように思われます。

実戦での防御性能はやはり鉄製の方が上なのだけれど、馬が小さく、騎兵突撃戦法もない日本では、重すぎる鎧はかえって不利なため、
鉄製鎧がすたれたということなのでしょうか。
それとも、異なる理由があったのでしょうか。ご存じの方、お教えください。

642 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:04:45 0
比較対象された弓と弩がどんなものか、其の辺の説明がない限り何とも言えないけど
西欧では十一世紀に広まった弩は、速射性には劣るが、弓とは比較にならない低い位置から打てること
威力も弓より大きく凌ぐことから、フランスなどが好んで使ったようだ。
イギリスで弩が広まらなかった理由として、イギリスのロングボウは極めて強力なコンバットボウだったからだよ
ただし、それだけに弦の引く力が物凄く必要で、しっかり訓練された弓兵でなければ扱えるような代物ではなかった

643 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:09:18 0
>>637
アイヌの方々は羆を狩ったと言いますが、羆のような大型動物の狩りに求められる弓は80ポンド以上が妥当とされている。
一ポンドは約0.45キロですから、80ポンドと言えば36キロ、大変な腕力が必要な弓が求められたことになる。
柳や櫟の弓ではなかなかそれだけ威力のある弓は出来なかったであろう。
アイヌの人々が羆狩りに用いた弓は、羆を追い詰めるためであり、止めを刺すのは槍のようなものだったのかも知れない

644 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:27:18 0
>アフリカや南米は動物の腱があっても弓が無いのでクロスボウが生産
>されなかった。
http://www-soc.kwansei.ac.jp/ando/Bushman.jpg
よく見ろ。
弓あるぞ。

645 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:58:34 0
クロスボウの中でも後期のものになれば、鋼の糸で張った弦を用いていて
専門の機械を用いなければ使えないものだった
それだけに破壊力は物凄かったが連射性はさらに劣ったようだな
それにクロスボウ隊は、矢避けの盾とセットで戦うのは、欧州の主流だったようだ
地面に盾を立てて、その影に隠れながら矢を放っていくような感じだ。
これは現在の戦闘の塹壕を使った戦いを連想させるが、クロスボウの飛距離が長いからこそ出来たものだろう
射程距離が短い弓では、マラトンの戦いのように懐に入られると弱いからな

646 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 21:32:29 0
>>638
>日本でクロスボウが作られ無かったのは動物の腱がなかったから。
中国の弩のほとんど、東南アジアのクロスボウなど、木と植物繊維と金属だけで
作られたクロスボウの方が多いくらいだ。
それよりも、なぜクロスボウに動物の腱が必要なのかお伺いしたい。
麻・絹・人毛・金属線など強力な弓の弦に適した材料はたくさんあるのだが。

>技術なんか無くてもクロスボウは誰でも飛距離のあり命中率のあるものは
>簡単に作れる。
高等教育を受け、良質な工具の入手に困ることの無い現代人ならそうかもね。

>>641
>そのデータが正しければ、日本の鎧が鉄板綴りから皮革製(短甲等→大鎧等)に変わっていった理由として理解できますが
大鎧は金属板と皮革や紐等の組み合わせだよ。全身鎧にするため非金属材料を取り入れたのだろう。
実験結果とその先までシラネ。

647 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 22:13:18 0
例えば、アフリカ諸国には弓が普及しなかった地域がある
その地域は投槍機を用いて、下手な弓より長い距離まで槍を投げる技術が発展していたから
初期の弱い弓に魅力を感じなかったのだろう。
それと同じで日本で弩が普及しなかったのは、技術が未熟な時代には弓と大差のない性能しか出せなかったから、さっさと切り捨てられた
そんな可能性も否定できないよ

648 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 22:30:24 0
一度失われた技術は、他所から流れ込んでこない限り
なかなか回復しないからなあ。
対抗手段(和弓)の技術が進んでいるならなおのこと。

649 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 22:59:13 0
>>633
>徴用した民兵に対してクロスボウを与えたのは普通のことだが
民兵に用意できた数はごく少数、扱いも効率的ではなかったし鐙式より複雑な機構のものはまず使えなかった。
言うだけなら何でも言えるね。水掛け論はしたくないな。

>重装甲の騎兵などが重要な直面は正面から敵を防ぎ抑えることでした、これは今日の戦車の役目ですね
>そして側面から回り込んで敵の後方や側面を撃つのが軽装甲騎兵などの役割でした。
どこの脳内見解ですかそれ。
「鎚と金床」戦術の要となったマケドニアのヘタイロイも、士気の低いサラセン勢を蹴散らした初期十字軍騎士も、
野戦のトドメに投入されたモンゴル重装騎兵も、ナポレオンの槍騎兵や親衛隊も、みんな軽装甲騎兵ですか?

>実際、十一世紀にクロスボウが発展してから、欧州の鎧衣は急速に重量化しています
はて、西欧に鎖帷子を着込んだ騎乗騎士が幅を利かせるようになったのはカール大帝の政策(8〜9世紀)により
コートオブプレートやプレートメイルなど板金を使った鎧が登場し始めたのは14世紀ごろのはずですが…。

>それにマラトーンの戦い当時のギリシャ軍の兵装は、軽装甲であったから、歩兵による突撃が可能だったのですよ。
金属兜と手甲と脛当てと、現代人では使えないとも言われるほど重く大きい盾を装備し、なまはかな弓は
通用しない歩兵を重歩兵としてはいけないならば、いったい何が重歩兵なので?
だいたい100mや200mも走れない歩兵って、長槍兵のように武器や陣形が障害となるパターンか
移動は馬や戦車でする貴族階級の戦士ぐらいでしょう?

>兜も鉄ではなく青銅であったくらいです
青銅は必ずしも鉄に劣るわけではありません。きちんと冷鍛(熱を加えずハンマーで叩くこと)をしてやれば
鋼ではない鉄になら劣らぬ強度を持ちえます(ちょっと脆いけど)。インドから上質の鋼財を輸入していた
帝政ローマでも、しばしば青銅は武具の材料として使われてます。

650 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 23:13:37 0
ついで。
>>633
>ま、マラトンの戦いの場合は、密集隊形のまま突撃するという、ある意味、むちゃくちゃな戦法で意表をついて勝ったわけですが
密集隊形で突撃するのは当たり前のことでしょうが。
ファランクス、銃剣突撃、中にリンゴを投げ入れるとリンゴは地面に落ちないと言われた十字軍騎士、近世〜近代の騎兵隊の突撃。

>>649下から2行目後ろ訂正。
鋼財→鋼材

651 :世界@名無史さん:2007/01/08(月) 02:16:14 0
>>634
>中国、韓国で生産された物が持ち込まれたり影響を受けた物が使用されたり
>と文化的にも、経済圏の一部としても日本より強いようですね。。
おいおい、韓国なんて国は世界大戦前の歴史に存在しないよ

652 :某研究者:2007/01/08(月) 02:43:27 0
コートオブプレートやプレートアーマーは
クロスボウでは無くランスに対する
防御かも知れぬが
プレートアーマーも
近距離ではロングボウにさえ貫かれると言う
意見も有るだろうし
70mから3mmのフライパンを貫いたと言う
情報も有っただろうか
(プレートアーマーの厚い部分でも
 1.5−2mm程度だろうか)

653 :世界@名無史さん:2007/01/08(月) 14:27:53 0
>>638
もまいは日本にはなかったとか思ってるようだが、弩なら奈良・平安時代に使われてる。
元は高句麗の献上品(朝貢)らしいが。

>>646
たぶん「バリスタ」と言いたいんだろう。
よく「でかいクロスボウ」とか言われるからな。

654 :世界@名無史さん:2007/01/08(月) 14:35:36 0
>>627
>本州南半分と九州、四国が弩を使っていなかっただけ。

南半分ってのがよく分からんが。
弩の使用の中心は主に日本海側。
九州は大宰府の存在があるし、そこに弩師が置かれてた。
四国も愛媛(伊予)に弩師がいた事があるそうだから、無かったとは言い切れない。

655 :世界@名無史さん:2007/01/08(月) 14:48:58 0
>>643
鏃の窪みには附子毒を付ける。犬熊を見れば鳴く。
夷人矢を構えて熊の二・三間まで近づき、大声を発して熊を怒らしめる。

熊怒りて立ち上がり、両手をあげ夷人を撲裂せんとした時に
矢を発し、すぐに熊から離れる。熊怒りて夷人を追う。矢折れて鏃は熊の体に留まる。
側より他の夷人熊に矢を射る。熊また怒りてその夷人を追う。
前の夷人戻りて再び熊に矢を射る。この頃には毒熊の体を廻りて熊猛りといえども目眩し足萎えて倒れる。
毒矢甚だ強き時は一矢で熊斃れる。しかし三矢でも熊斃れないこともある。そのときはさらに矢を射る。

656 :世界@名無史さん:2007/01/08(月) 17:40:51 0
馬上でクロスボウを使うには

・手で引けるほどのものを使う
・肩や首からフックつきのベルトを下げる
・レバーを使っててこの原理を利用する
・歯車などで巻き上げる

どれが一番いいの?
どれも走りながらは難しそうだけど

657 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 04:56:57 0
予め装填しておいたものを使って撃った後は別の武器なのでは

658 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 12:32:15 0
>>654
>南半分ってのがよく分からんが。
本州北半分は元寇まではアイヌの土地だっただろ

659 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 12:38:06 0
技術が無いとアイヌの仕掛弓の用にずいぶんと
ショボイ物しか作れませんね。

技術ありきですね。

660 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 20:11:07 0
このスレ的には
サーベルなの?サーブルなの?

661 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 20:45:53 0
>>656
スペインあたりの中世の絵画で、肩にフックを付けた騎馬クロスボウ兵が
描かれているものがあるらしい。
デヴィッド・ニコルって人の本で読んだ記憶がある。

662 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 22:47:21 0
>660
セーバー

663 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 03:16:26 0
セイバー

664 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 05:20:53 0
ゼーベル

665 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 05:28:29 0
>>656
どれにしても、馬上で使う前提なら次の矢の装填は考えないにイピョーウ

666 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 06:13:36 0
騎士には、お供が居るじゃん

667 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 08:39:20 0
お供がクロスボウを撃てばいいと。

668 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 10:15:34 0
ハンガリーやポーランドでは従者がクロスボウ装備

669 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 13:03:47 0
>>624
鐙はスキタイあたりも使っているからローマ時代からあるよ
ノルマン・コンクエストのタペストリーにも描かれているから暗黒時代のヨーロッパにも当然あっただろう

ttp://content.answers.com/main/content/wp/en/thumb/3/38/350px-Bayeuxtap1.jpg

670 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 13:07:35 0
>>649
>民兵に用意できた数はごく少数、扱いも効率的ではなかったし鐙式より複雑な機構のものはまず使えなかった。

いやけっこう与えていたと聞いている。

>野戦のトドメに投入されたモンゴル重装騎兵も、ナポレオンの槍騎兵や親衛隊も、みんな軽装甲騎兵ですか?

時代も国も違うでないさ。モンゴル軍はほとんどが軽騎兵に統一されていたし。
16世紀のナポレオンに到っては、大砲や鉄砲の普及で機動性が見直されさだした時代だし
同じ重騎兵でも程度が違う。

>コートオブプレートやプレートメイルなど板金を使った鎧が登場し始めたのは14世紀ごろのはずですが…。

十一世紀にクロスボウの普及に合わせて、鎧衣の重量が大幅に上がっています。

>金属兜と手甲と脛当てと、現代人では使えないとも言われるほど重く大きい盾を装備し、なまはかな弓は

マラトンの戦いの時期には、すでに歩兵の装甲はかなり軽量化されていますよ
其の辺をご存知ではないのですか?

671 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 13:09:49 0
>密集隊形で突撃するのは当たり前のことでしょうが。
当時の弓隊に対する戦術教本としてはむちゃくちゃです。
騎兵と違い速度も出なかった歩兵がそのようなことをやるのはマラトンの戦い以前では例がない

672 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 13:19:25 0
>鐙はスキタイあたりも使っているから

そうなの?
たしか西方で最初に使ったのは暗黒時代のアヴァール人だとか読んだ記憶が

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