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テュルク系民族を語る

1 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 18:13:35 0
バイカル湖周辺で誕生し、
中央ユーラシアに広く分布し、
支那、アラビア、小アジア、バルカン半島を支配した
テュルク系諸民族について語ろう。

77 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 14:48:19 0
南ロシアからカザフスタン辺りにいた遊牧民は、金帳汗国中興の祖ウズベク・ハンにちなんで
周辺民族から「ウズベク・ハンのウルス」と呼ばれてて、それが縮まって「ウズベク」が
あの辺のタタールの総称になったのではないかとか何かで読んだけど。
そう考えると「ウズベク」から離脱した時点で「カザフ」が成立したんでは?
あんまり詳しくないから断言できないが・・・

フンとチュバシの関係はフン→ブルガール→チュバシみたいな感じだろうか?

78 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 19:47:46 0
確かにチンギス・ハーン裔の黄金氏族のうちキプチャック汗国
にはウズベキ・ハーンという人物が実在したな。
それが今日のウズベクの名残というのも納得はできる。

そしてブルガールといえば、現在はスラヴ化したブルガリア人の
先祖の一派で、中央アジアから襲来したフン族のグループに属した
トルコ系の民族と聞いたことがある。

79 :YAP?:2005/09/04(日) 01:48:56 0
>>77

ウズベグ汗(オズベグ)は、確かに「ジュチ(ジョチ)・ウルス」即ちいわゆる「キプチャック汗国」の
中興の君主だが、彼は、ジョチの次男バトゥの子孫であり、いわゆるウズベグ人は、バトゥの弟の「シバン
(シャイバーン)」の子孫の支配下の集団だ。
その中心は「ブハラ」あたりで、「ブハラ汗国」ということになったと思うのだが。

80 :【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:2005/09/04(日) 02:39:23 O
>72 マリ人はどうか知りませんが、モルドビン人とウドムルト人は完全なフィン・ウゴルです。 また、完全なコーカソイド、宗教はロシア正教。 ただ、うらおぼえ+寝起きなもんで、明日調べます。

81 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 11:08:08 0
まあなんだ、
基本的に世界を動かしたのはテュルク系の人々なんだな。
セルジュークしかり、オスマンしかり。
それに比べたら、モンゴルってヘチョイなw

82 :世界@名無史さん:2005/09/05(月) 09:20:57 0
>>80
フーム…となると系統が曖昧なウラル語派の場合…
サモイェード諸族はトルコとその分派のモンゴルと同じ
モンゴロイドで、系統的にも親近関係があるかもな。
フィン=ウゴル諸族はスオミ・サーミ・エストニア・マジャール人
などの各民族の容貌を見ると、タタール化?したコーカソイドかもな。
マリエル人の場合は、トルコと混血の可能性があるかも…

83 :YAP?:2005/09/06(火) 00:09:14 0
>>82

ウラル語族の源郷地をどこに想定するかだが、一説に「サヤン山脈」の周辺、まあ、その西北
あたりの西シッベリアから、中部シベリアを考える者がある。
更に現在のウラル語族は、@フィノウゴール語派と、Aサモイェード語派の二語派を有するが、
これに、第三の語派として、現在「古アジア(古シベリア)語族」というゴミ箱に入れられている
「ユカギール語」を、ウラル語族に含める説がある。
これは、現在でこそ分布域の狭い「ユカギール語」だが、昔の分布域は広く、おそらく、ツングース
系エヴェン・エヴェンキ族の進出前には、アムール川北岸までその言語圏だったと考えられる。
この「ウラル語族ユカギール語派」の提唱者達は、どうも、この語派を手がかりにして、ウラル語族
第四の語派として、「日本語派」〜「日琉語派」を認定したいようだが。

84 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 00:51:04 0
ユカギールの分布域は、ロシアの東進まで「オホーツクからウラルまで」と呼ばれたほど
広範囲にシベリアに広がっていたようです。
いわゆる「ウラル・ユカギール語族」説が挙げる地理的連続性も確かにありそう。
(エニセイ語族が割り込む形になりそうですが)

エヴェン・エヴェンキのシベリア拡散はいつごろ始まったのでしょう?
相当古い時期なのかな。

85 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 15:56:39 0
>>79
赤坂恒明「十四世紀中葉〜十六世紀初めにおけるウズベク」という論文が
その問題について考察してるんだけど。
それによるとジョチウルスのなかでバトゥ家の右翼が伝統的に右翼左翼全体の
宗主権者とみなされていて、ウズベク・ハンのイスラム改宗後はジョチウルス
全体が「ウズベク・ハンのウルス」とか「ウズベクの民」などと呼ばれるように
なったらしい。

86 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 00:14:56 0
age

87 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 00:43:51 0
モンゴル人だって、かつては、南はジョホール、東は釜山、西はクラクフ、イスファハン
まで分布してたじゃん。

88 :ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 00:59:07 O
>87 分布といっても、ポーランド以西(中央ヨーロッパ、南東ヨーロッパ)には一時的な侵攻だったし、それ以外の地域でもテュルク系諸族と比べれば消滅が早かった。 登場と破壊ぶりは劇的だったけど。

89 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 06:42:06 0
>>81
もともと少人口で、極めて短期間に分布域を広げたモンゴル民族と、
数百年かけてじっくり分布域を広げ人口も増やしていったテュルク民族では
同列に置いて比較するのは難しい。

現在のテュルク民族だって、テュルク本来の文化だけじゃなくて
テュルク文化の基層(その下にはさらにスキタイ・イラン系文化なども
ある)の上にモンゴル文化が乗っかてできたものだ。

「どっちがエライ」みたいな幼稚な議論は成立しないよ。

90 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 19:12:30 0
元を辿ればモンゴル族もチュルク系の分派で、
隋・唐の蒙兀以来から、蒙古のチンギス・ハーンの時代には、
宗家筋のチュルク諸族を凌ぐ存在となりつつあった。

ケレイトの場合はトルコの面影を濃く残影したモンゴル系民族かも。
西蒙古のトルコ系ナイマンと同じくキリスト系景教を崇拝していたから。

91 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:20:29 0
『集史』では、ケレイトはちゃんと「以前は独立した首長を持っていたが、
第二章のトルコ部族ともつながりはなく、しかし外観や言語はかれらと近い
トルコ部族」に分類されてるよ。

92 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:06:22 0
フーム…ケレイトはモンゴルに近い第一章のトルコ民族と見たほうがいいかも。

第一章のトルコ部族…匈奴の勃興〜突厥の興亡〜ウイグル汗国の滅亡

第二章のトルコ部族…セルジューク朝〜オスマン朝〜トルコ共和国の樹立

…第二章の場合はオグズ族によるアーリア系のタタール化の作用が働いてるかも。
(イラン系のソグドやアラブ系やギリシア系とスラヴ系のタタール化と複雑な混血度)

93 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 17:07:32 0
あげ

94 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 18:44:04 0
契丹は一応モンゴル系と考えられているんだっけ。

95 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 22:08:07 0
トルコ民族の諸王朝について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1128923035/l50

96 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:14:15 0
クリミア汗のギレイ=ケレイト?

97 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 18:10:53 0
クリミア汗国のカシ=ギレイね。
正確にはキプチャック汗国の親藩で、ケレイトの血が混じってる
可能性はあるな。ある意味ね。
チンギスハーンの裔は各種族と婚姻関係を重ねてるから。

98 :世界@名無史さん:2005/10/12(水) 12:30:24 0
>>84
北極圏は、経線の数に比して、実際の距離・面積はかなり小さいよ。

99 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 12:41:02 0
イランもトルコ系国家といえる。

100 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 12:42:25 0
エジプト、アルジェリア、シリアにはトルコ兵末裔は居るようだが
トルコ語は無くなったようね

101 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 13:55:03 0
一般論として、遊牧民族や通商を生業にしている人たちやらは、異集団の文化に
寛容で受容性も高い。
便宜があれば、宗門も生活習慣も言葉すら入れ替えてしまう。混血にも抵抗はなく、
異民族と簡単に姻戚関係を結ぶ。
軍隊ならば、下士官や曹長レベルになると、国際交渉に用いる言語や敵対勢力の言語は
二つや三つ喋る読み書きするのは常識。

オスマン帝国の場合は、武官も文官も、最低限、トルコ語、アラビア語、ペルシャ語は
要求される能力だったし、行政官を兼ねる駐屯兵ならば、現地語は必須。当地の言語は
アラビア語だから、必要であり、習得していて無駄のない言語だろ。
トルコ兵と言っても、トルコ人たるアイデンティティは希薄で、精々、皇帝がトルコ人、
というところに親近感を持つ程度で、ローマ(地中海・中近東統一帝国)やらイスラム
帝国の再統一の先鋒としての意識、回教徒としての帰属の方が上にあった。
不便な思いをして、トルコ的な習俗や言葉を堅持することもなく、あっさりと、
現地に溶け込んでしまったのだろう。

102 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 18:14:04 0
>>99
カージャール朝・サファヴィー朝は確かテュルク系だったよーな

103 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 20:01:59 0
アラブ人は他に同化せず

104 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 21:44:41 0
テュルク系は「宗教的に寛容だ」とか良く聞く話だが、
まあ大体はその通りなのだが、
要は「宗教的な違いにはさほどうるさく無い」であって、
逆に「政治的な違い」には「かなりうるさい」と言える。

つまり遊牧集団の常として政治的に対立している勢力に対しては
宗派が同じだろうと違っていようと略奪を目的として戦争をよく仕掛けた。

ガズナ朝の度重なるインド遠征にしても、サファヴィー朝の
キジルバシにしても外部勢力に対する略奪や戦闘の大義を
得たいがために「ジハード」を持ち出すのであって、彼ら自身が
イスラムの教義なりをどれほど本気で信奉していたかは、本人たちに
聞いてみないことには分からない。聞けたとしても飲酒の問題など
色々考えると、結構そこら辺はやはりいい加減な気がする。
キジルバシにしても、一応サイイドの一族でサファヴィー教団の教主で
あるサファヴィー朝の君主にはことあるごとに反抗して纏まりが無かった。


105 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 21:45:34 0
言語についてだが、
アゼルバイジャンは、共和国もイランの方の州もセルジューク朝や
イルハン朝前後からトルコマン系の勢力が大量に移入したために
今でも住民の大半の母語はアゼリー。ホラーサーンの都市部や村落部
以外はトルコマン系が多数派になった。

もちろんアゼルバイジャンの両地域ともペルシア語も普通に介せるようだ。
イランのアルボルズ山系南麓は都市住民はもちろん言語はペルシア語だが、
郊外の平原部の遊牧民や宮廷(王族やアミールたち)ではテュルク語の世界で、
サファヴィー朝の君主たちも当然ペルシア語を介せたが、普段の会話は
テュルク語だったらしい。

106 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 03:21:55 0
カシュガイというチュルク系民族がイラン南部でトルコ系言語を未だ?
話しているらしいけど本当でしょうか?

107 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 03:39:15 0
アゼルバイジャン人は二ザミ―ペルシャ語の詩人―
も自分たちの歴史の一部にしているらしい

108 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 16:47:04 0
>>106
資料集を使って「言語の分布」という項目を調べてみると、イランの南部や西部では、アルタイ諸語に属する
トルコ系の言語を今でも使用しているらしいし、アフガニスタンの北部でもトルコ系の言語を話す民族もいる。
さらに、インドの西部にもかつて移住してきたチュルク系の民族が住み着いていると言われているが、
インド系トルコ人は印欧語族と同化して、アルタイ系の言語を使えなくなっていると思われる。

109 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 19:42:30 0
>>107
オスマン王朝期、芸術の言語は専らペルシャ語だったんだが……

110 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:28:29 0
ペルシャ語を無学のトルコ遊牧民が解せたわけない

111 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:30:09 0
アラビア語を無学のトルコ遊牧民が解せたわけない

112 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 07:27:54 0
トルコ語を無学でないのトルコ貴族が解せたわけない

113 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 23:39:16 0
ガガウス民族は独立できず

114 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 18:48:48 0
ガガウズってオグズ系?

115 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 22:10:44 0
言語はトルコ語にとても近いらしい。宗教は正教徒。
本来はブルガリアに居た。
露土戦争のとき南モルダビアに移住した。
ブルガリア残留組のガガウズ語は消滅の危機。

起源は不明?
オスマン・トルコとは別ルートで来た遊牧民がビサンツに使えていてキリスト教になったのか?
キリスト教徒がオスマン支配時代にトルコ語化したのか?

116 :世界@名無史さん:2005/10/18(火) 18:25:06 0
クマン人やペチェネグ人もビザンツの守備隊として
ブルガリア辺りに入植してるんだよね。

第2次ブルガリア帝国の独立にもそうした遊牧民が
戦力として大きな役割を果たした。

117 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 22:55:22 0
>>114
共和国トルコ語と系統が近い同じオグズ系の言語らしいね。

15世紀、オスマン朝のスルタン・ムラード2世の時代に著された
ヤシュジュオウル・アリーの『オグズ・ナーマ』の伝説によると、
1261年、ルーム・セルジューク朝のイッズッディーン・カイカーウース
(2世:在位1246-57)がモンゴル皇帝モンケおよび皇弟フレグから
王位を認証された弟のルクヌッディーン・クルチ=アルスラーンとの
政争に敗れ、ついにビザンツ帝国側に亡命した。

この時カイカーウースはビザンツ皇帝ミカエル8世に援助して、コンスタン
ティノープル奪還作戦に部衆を率いて参戦し、その戦功により戦後ドナウ川
下流域のドブルジャ地方を分与されたらしい。これによってバルカンに
アナトリアからセルジューク系のテュルク系遊牧民が招集され、サル・サルトゥーク
なる人物を指導者としてこの地域に入植したそうだ。
この集団をガガ・オグズ(Oaga-Oguz)と称したようで、これが訛ってガガウズになった
ということらしい。この遊牧集団は1307年にアナトリアに帰還したようだが、定住化して
ドブルジャ方面に残ったテュルク住人たちはこれ以降にキリスト教に改宗したらしい。

ちなみにカイカーウース自身は、後にミカエル8世に対しクーデターを計画したが
事前に発覚して軟禁されてしまったらしい。歴史家のアクサラーイーによると彼の叔母が
ジョチ家の当主ベルケ・ハンに嫁いでいたためカイカーウース救出を懇願したそうで、結果
一部隊が厳冬期に凍結したドナウをおし渡って彼の救出に成功した。カイカーウースに
面談したベルケは彼を慰撫してイクター地を授けたそうで、1279年にクリミアで没したそうだ。

ガガウズの語源はこの「カイカーウース」に由来するとの説もあるとのこと。

118 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 22:58:52 0
>>117の訂正。
> ガガ・オグズ(Gaga-Oguz)と称したようで、これが訛ってガガウズ(Gagauz)


119 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 00:01:55 0



120 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 16:15:12 0
>>117
というかジョチウルスにイクター制あったのかよΣ(´Д`;)
初めて知った

121 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 04:33:01 0
>>117
これは家島先生訳のイブン・バットゥータの旅行記の四巻目に出てくるのだが、
自分もイクター云々は初めて知った。ただ、この記事はルーム・セルジューク朝に
ついて書かれた歴史書に出てくる話なので、ジョチ・ウルスでの牧地の封土を
「イクター」と解釈しているのかも。

もっともマムルーク朝なんかのイクター制と比べると、大元朝とかジョチ・ウルスの
封土体制とイルハン朝なんかのモンゴル政権でいう「イクター制」が厳密に区別できる
かは分からないけど。

122 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:21:09 0
「イクター制」=荘園制度?

123 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:32:15 0
荘園というか・・・軍人に棒給のかわりにある土地の徴税権を与える制度。
それと別に「行政イクター」というのもあるらしいが俺は知らん。
アン・S・ラムトンの「ペルシアの地主と農民」て本に詳しく書いてあるよ。
俺は読んでもよく分からなかったがw

モンゴル征服後のペルシアでガザン汗の時代にイクター制が導入されたんだけど
イクターを保有した軍人たちは次第に封建領主のような存在になっていったらしい。
ジャライール朝や黒羊朝・白羊朝の時代にはイクターは世襲されて不輸不入の権
まであったそうだ。その辺のことは「オリエント史講座」の5巻に載ってる
「モンゴルのイラン支配とイクター制の展開」ってのに詳しく書いてある。

124 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 21:16:47 0
キプチャク汗国の場合
土地ではなく部族民の支配権だったのでは?

125 :世界@名無史さん:2005/10/31(月) 11:52:27 0
「金帳汗國を一個の完全な国家と見なす時、遊牧地域は農耕地域よりも遥かに広大で、
従つて経済的意義もより大であつた。然しブルガル國、旧ペンザ県、ニージェゴロド県
の南部、モルドワ人の多く住したサラトフ県の北部、クリミア半島、ホレズム國の北部
には封建的大領有地があつて、領主等が住して、その農民は領主に隷属した」
ヤクボーフスキー「金帳汗國史」

あの辺は意外と農耕ができたみたいですね。
黒海周辺はわりと地中海性の気候でブドウ畑もあったらしい。
ハザール人やキプチャク人も遊牧から農業へ移行する人々が結構いたとか。

126 :世界@名無史さん:2005/10/31(月) 20:51:25 0
黒海北部の沿岸地域やクリミア半島は古代ギリシアの時代から
植民都市の建設が盛んで、ローマ〜ビザンツ帝国でもこの地域の
開発は継続していたみたいだから、そのことを言ってるんだと思う。

ブルガール族が住んでいた現在のカザンのあたりとか、ドン川流域みたいな
河川流域地域は水利を確保できたので今でも比較的耕作が楽らしいね。
ただキプチャク草原は枯れ草の堆積だけしか養分がないので、大規模開発を
するとあっという間に土壌成分が枯渇しちゃうので河川流域以外での耕作は
かなり厳しいとか。

放牧の方が草原地帯では自然循環に適応してるので、実は耕作するよりも
効率が良いらしい。だからキプチャク草原では20世紀にならないと大規模な
土地耕作が行われず、トルコ系の民族は人口が増えると南のオアシス地域に
侵入して略奪を行うか、ウイグル王国みたいに大規模耕作可能な土地で定住
するかしていたとバルトリドかラムトンあたりが言ってたっけか。

127 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 01:51:03 0
ダシュト・イ・キプチャクってウクライナの黒土地帯は含まれないの?

128 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 02:15:24 O
ガガウズ以外にテュルク系民族でキリスト教徒はいないのかな?

カライムはカライ派ユダヤ教徒だし。

129 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 03:07:29 0
ロシアの改宗タタール人とか

130 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 09:26:12 0
ダシュテ・キプチャークはホラズムから北、カフカスよりも北を
をだいたい指すからウクライナの方も十分含んでたと思う。

131 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 21:55:06 0
カラマンリ

132 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 05:04:19 0
20世紀初頭には小アジア内陸部にも正教徒が散在していてその殆どがトルコ語を話していたとか。

133 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 05:23:34 O
カルマンのトルコ人正教徒。

134 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 06:07:34 O
カラマンリは1920年代に交換移住の対象となりギリシアに移住。

トルコ共和国は彼らを叩き出しておいて、

今更、カラマンリを「トルコ人」だと主張している。

そりゃトルコ系だけども、宗教を基準にして叩き出した癖に。

トルコとギリシアはお互いに凄いDQN

135 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 20:16:03 0
地中海の人間はみなギリシャ人の血筋だろうが。

136 :高知少将ジーモン土佐守ジョーカー:2005/11/24(木) 02:38:28 O
モルドビン人とウドムルト人(ボジャール人)はフィン系でロシア正教徒。

確かこのスレで調べると言っておいて忘れていた。

137 :高知少将ジーモン土佐守ジョーカー:2005/11/24(木) 02:57:09 O
同じフィン・ウゴル系でもマリ人はイスラム教徒が多かった記憶

がありますが、こちらは先ほども調べ忘れてしまいました。

ウドムルト人やモルドビン人はロシアに協力的だったようです。

モルドビン人は、モンゴルによる西征以前から東スラヴの国と友好関係。

後にモンゴル・タタール排撃にもモスクワ大公国に合力しています。

一方では、ステンカ・ラージンの乱やプガチョフの乱に参加しましたが。

138 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 10:45:58 0
http://www.atkmodels.com/

139 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 11:39:24 0
http://www.bigboobsalert.com/

140 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 12:37:20 0
http://ultratotty.com/tgp/040921-0618v-Anne-a/index/663491/index.html
http://www.teenmegacash.com/hosteds/teenstarsmagazine/SM/TanyD_nn/?CCBC=653363

141 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 20:53:00 0
http://www.sologals.com/

142 :ty270410:2005/11/29(火) 21:45:23 0
ヤクート人はトルコ系の言語を話していたと聞きますがいかがでしょうか?
現在のサハ共和国の住民です.

143 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :2005/11/29(火) 23:18:18 0
>142
ヤクート語はトルコ系の言語で今も使われています。
例としてトルコ語、ヤクート語、モンゴル語、満洲語、フィンランド語の数詞を挙げときます。
     1   2   3   4   5   6    7      8     9   10
トルコ  bir  iki    üç   dort   beş   altı    yedi     sekiz    dokuz   on
ヤクート biir ikki   üs   tüört  bies  alta    sette    aGIs    toGus   uon
モンゴル neg hoyor  gurav dorov  tav  zurgaa   doloo    naim    yus    arav
満洲   emu juwe  ilan  duin  sunja ninggun nadan   jakūn    uyun   juwan
フィン  yksi kaksi  kolme neljä  viisi  kuusi   seitsemän kahdeksan yhdeksän kymmenen
ヤクート語はキリル文字、モンゴル語はキリル文字(モンゴル文字)、満洲語は満洲文字で書かれますが、ローマ字
転写しました。ヤクート語はよく知らないので資料を丸写ししましたが、7と8が入れ替わっているかも知れません。


144 :世界@名無史さん:2005/11/30(水) 17:48:41 0
数詞は、古今東西、商業上の都合で借用されやすい単語群なので、
言語の比較には適さない。
トルコ系ならば、東トルキスタンの数詞が、ソグドの浸透でペルシャ語系、
仏教の浸透で漢語系、モンゴル帝国時代にもう一度周辺のトルコ系の単語に
戻っている。
同じ時代に同じ系統の言語が違う数詞を使っている例なら、スペイン語から
もたらされた数詞を使うタガログ語と、パーリ語から借用した数詞を使う、
インドネシア語・マレーシア語など。

145 :世界@名無史さん:2005/11/30(水) 18:52:13 0
この場合、統語論的な部分と基本語彙、両方の共通性で考える必要があるのかな?
>ヤクート語がテュルク語の一派
基本的な動詞と、同じく数詞だけでなく基本的な親族関係の名詞とか格語尾とか
総合的に判断しなくちゃいけないか。

146 :ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 22:11:02 0 ?##
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 |> <_> \     | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
 く\___|    <
 |∇     \   | 明日宮内庁を爆破する。
  \__/       \
    |≧||≦ ̄|       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。

147 :世界@名無史さん:2005/12/16(金) 01:48:07 0
147

148 :世界@名無史さん:2005/12/17(土) 02:08:26 0
クマン(キプチャク)人というのはユーロポイド的な外見だったのでしょうか?

149 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 13:23:11 0
age

150 :世界@名無史さん:2006/01/02(月) 11:35:43 0
新年150ゲット

151 :世界@名無史さん:2006/01/30(月) 01:51:29 0
デューク系

152 :世界@名無史さん:2006/02/06(月) 20:43:24 0



153 :世界@名無史さん:2006/02/12(日) 11:49:33 0
 

154 :世界@名無史さん:2006/02/12(日) 18:51:38 0
不思議なのは、東シベリアのヤクート語の数詞がウイグル語やトルコ語と
ほとんど同じだという点。なぜ、あんな飛び地にトルコ系の言葉が集団的に
残っているのか。世界史教科書を眺めると、どうもこれは丁零の子孫ではないか
という発想にいたった。だが、どこかのスレで東欧におけるルーマニア語
(民族)捏造説を見て以来、ヤクート語(民族)も近代になってロマン主義
運動によって、創られた言葉(民族)ではないかと思うようになった。丁零
神話に基づいて、トルコ系でもなんでもない集団をトルコ化していったのだ。
だから、あんな飛び地なのに、トルコ語と数詞がほとんど同じなのだ。
というのは妄想。詳しい人、フォローして。

155 :世界@名無史さん:2006/02/12(日) 20:32:15 0
>>154
妄想だよw。サハは6世紀頃はバイカル湖あたりにいて
その後移動していったテュルク系民族。

156 :世界@名無史さん:2006/02/12(日) 21:34:05 0
>サハは6世紀頃はバイカル湖あたりにいて
>その後移動していったテュルク系民族。

だから、これが近代以降のナショナリズム神話なのか、否か
知りたいのですが。ちなみに、「ウイグルは7世紀ごろはモンゴルにいて
その後移動していったテュルク系民族」です。1930年代に創られた民族。

157 :世界@名無史さん:2006/02/12(日) 22:06:41 0
>これが近代以降のナショナリズム神話なのか、

これ自体、何の根拠もない「妄想」なんだろ
いちいち妄想につきあってならんないよ

158 :世界@名無史さん:2006/02/13(月) 21:32:08 0
ムスリムじゃないからテュルク意識は今も無い筈。

159 :世界@名無史さん:2006/02/14(火) 01:52:12 0
>>158
ムスリムであるか否かは二次的な要素にすぎないのでは。
テュルクとしての意識=トルコ系民族の一員という意識は
それこそ20世紀に入ってからでてきたものだし。

160 :世界@名無史さん:2006/02/15(水) 02:13:01 0
>>156
おまぃの感覚では、6世紀が近代なのか?

161 :世界@名無史さん:2006/02/15(水) 05:06:42 0
サハが6世紀ごろバイカル湖のあたりから移動したのが本当かどうか聞いてるんじゃないの?

162 :世界@名無史さん:2006/02/17(金) 12:33:09 0
ブリヤートに、あぼーんされて、ウワァァンとバイカル湖から追い出されてきたという伝承が無いの?

163 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 07:59:07 0
トルコ共和国のトルコ人って一体何者?トルコ語とイスラムを受け入れたギリシャ人?それともトルコ語を受け入れたクルド人やアラブ人?

164 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 08:30:13 0
>>163
オグズ・トルコ族とギリシャ人、イラン人、スラヴ人などの
ミクスチャーだと思われ

165 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 12:06:49 0
>>164
それはアゼルバイジャンも北キプロスもテュルクメンもカザンタタルもバシキール
もチュヴァシも該当するね。(ウズベキとウイグルは多少事情が違うが・・・)

あとのカザフ・キルギス・テューヴァ・ヤクート(サハ)は
どちらかというと従来のモンゴロイドの面影が濃い。

モンゴル系のカルムイク・ブリヤートは混血してるかどうかはわからんが。

166 :世界@名無史さん:2006/02/27(月) 21:13:15 0
テュルクの血は全然入ってなくて、言語や文化だけテュルク化した
人間もかなり多いはず。

167 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 02:02:35 0
154はヒンズー語と英語が親類関係にあると言ってもナショナリズム神話と思って悩むに違いない。

168 :世界@名無史さん:2006/03/05(日) 18:54:14 0
>>154
「証拠はないけど○○だと思ってる。否定してみろ。」
「立証責任は言い出した側にある」
「ショボ〜ン」
ってことで、154は永田クンに決定。

169 :世界@名無史さん:2006/03/05(日) 22:39:04 0
ヤクートはロシアに植民地化されてから居住地が拡大したようだ。

170 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 01:14:33 0
どうもかみ合っていないな。きみ、民族概念について、何も理解していないね。
謝罪はしないよ。だって、民族なんて意識も概念も実態も近代以前には
存在しないんだからね。むしろ、近代以前にヤクート民族は存在したのだ!
といいはる君らこそ、ナショナリズム史観を真実だと思っているだけの
ロマン主義におぼれたアホ。と彼なら言うだろうなあ。ま、皆さん、以降も
大トルコ主義でシコシコしてくださいね。ぼくはそれを冷笑しながら
ロムっていますから。ナガタより。

171 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 02:06:42 0
大トルコ主義、面白いじゃん。w
ネタとして漏れは嫌いじゃないな。

ヤクートの話だが、ヤクート語は音韻対応から見ても普通にチュルク系だろう。
何を熱くなってるのかがよくわからん。

172 :世界@名無史さん:2006/03/07(火) 04:13:45 0
>>170
んぢゃあ、近代になるまで、東シベリアは無人ないしは後裔を残さなかった人の地で、
そこにどこからともなくヤクート人が現れた、ということか?


173 :世界@名無史さん:2006/03/07(火) 21:05:32 0
ヤクートが広がった地域にはユカギールが住んでいたらしい
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1103453829/323-324

174 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 01:48:05 0
ユカギール語はツングースというよりウラル語系統に近い

175 :世界@名無史さん:2006/03/13(月) 17:11:59 0
ドルガン語はヤクート語に近いが、
民族形成はきわめて新しくタイミル半島に集まってきた複数民族が融合して出来たもの。

176 :世界@名無史さん:2006/03/13(月) 17:15:24 0
チュルク語は文法が覚えやすいから他民族に広がりやすいとか

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