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らぶらぶ西太后

1 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:20:00 0
いま、大人気の西太后と清末について語ろう。


2 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:22:10 0
2

3 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:22:55 0
過去ログより。

121 :112 :04/01/07 13:00
お待たせしました、113さん、119さん。
迂闊に喋ると、米中衝突の新たな火種?なトンデモ話ですので、心してお読みくださいw
ちなみに113さん、ソースは「歴史読本」1992年11月号・第37巻21号です。172ページから
「義和団異聞」というタイトルでのインタビュー記事。話し手は金沢大学名誉教授の増井経夫先生。
ただし、この「事件」の主人公は、増井先生の恩師・服部宇之吉(旧帝大の東大教授で、義和団事件に
遭遇した体験談『北京篭城』が平凡社から出ている)先生で、聞き手は渡辺精一(インタビュー記事の当時、
共立女子大学講師)先生。以下に、記事の要約を掲載してみます。
文章が長いので、前編と後編にわかれます。ご了承下さい。

(インタビュー記事・前編)
渡辺:義和団事件は、経過や背景は細かいわりに、事後処理の問題がはっきりしませんね。
増井:隠すことがいっぱいあったんです。列強と清国の間で、裏取引もさかんでしたし。
渡辺:その中でも、最もショッキングな事件の事後処理に立ち会われた服部宇之吉先生の
  エピソードを、増井先生は「線香の火」(1987年 研文出版)で書いたわけです。
増井:はい、これはべらべら喋ることではないんですが…義和団に乗じて列強に宣戦布告
  したあげく八カ国連合軍に敗れた清国ですが、入城した列強の略奪・暴行は、目に余る
  ものでした。そんなドサクサの中で、紫禁城に乱入したアメリカ兵が西太后の居室に
  押しかけて、当時六十四歳だった彼女を陵辱してしまうんですよ。
  この事態に驚いた清国は「いくら何でもひどい」と米国に抗議。米国も陳謝したわけです。
  その緊急の交渉に立ち会ったのが服部先生だったんです。
渡辺:儒学の先生が間に立たれたのは、英語と中国語を仲介できたからなんですか?
増井:そうだと思います。先生は両方から「三十年は口外しないでくれ」と固く口止めされた
  らしいんです。それで、東大の研究室で僕ら教え子にお話しになるとき『三十年過ぎたから
  もういいだろう』とぷつっと言われたことを、いまだに鮮明に覚えています。
(後編に続く)

4 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:23:33 0
まずは画像を張れ 若いころな

5 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:23:53 0
122 :112 :04/01/07 13:01
(インタビュー記事・後編)
渡辺:他にご存知のかたは?
増井:存命者では江上波夫(記事当時、オリエント博物館長)君だけですね
渡辺:じっさい当時の日本の新聞では、西太后と光緒帝の居場所はわからないまま、諸説紛々でしたね」
増井:公式の歴史としては逃げたということにしてくれ、ということです。ただ現地では
  軍部をふくめ、知ってる方も多かったはずです
渡辺:先生ご自身は調査はしなかったのですか?
増井:当時を知る中国人に熱心に尋ねて周りましたが、みな口をつぐむんです。ただ、
  西太后側近の方が、『太后は急に外国人嫌いになり、絶対に目通りを許さなくなった』
  と、言っていました
渡辺:ともかく話し合いの結果、義和団に関する賠償金をアメリカが辞退することで
  決着したんです。正確には受け取った上で、中国の文化事業に寄付したのですけど
増井:当時は美談とされていたけど、(一皮めくると…)はっはっは」
渡辺:東洋文庫『北京篭城』の、柴五郎中佐の記録も服部先生の日記も、解放された
  ところで記録が切れていて、後日談は書かれていません。
増井:軍部の連中やなんかが、みんな切ってしまったんでしょうね。
渡辺:言わないで過ぎてしまったら、誰も知らない真実として歴史に残らない。妄説だけが
  残ってしまう。
増井:そうですね。

…この知られざる「レイプ オブ ペキン」。もし現在のオフラインで日の目を見ることがあったら、
どんな議論が巻き起こることか? さしあたって日本だけが中国現代史について、槍玉にあがることは
なくなるかな?(あはは、これはちょっと分からないけど)
騒動好きな2ちゃんねらの皆様、この記事を米中両国の翻訳して張りつけるのは自粛ねがいまつ
(あ、でも私のこと黙っててくれるなら、後は野となれ山となれ^^)
ともあれ、詳しくは「歴史読本」と「線香の火」をご覧下さいませ・・


6 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:25:30 0
若い頃の写真見たが、マジ美人。

7 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:28:33 O
懐かしいネタだな
とはいえ、64歳て...
どんな罰ゲームだよ。


8 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:30:51 0
増井経夫や服部宇之吉がおふざけをするとは考えにくいのだが・・
不思議な話だね。



9 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:34:44 0
加藤徹の「西太后」によると、明の皇帝は相手を外見だけで選んだので
子孫が馬鹿ばっかりになったのを清は反面教師として、皇帝は家柄で
皇后・妃を選ぶことにしたそうだ。それで清の皇后・妃にはあまり美人
はいないとか。


10 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:39:33 0
624 :世界@名無史さん :2005/10/20(木) 22:27:34 0
>>612
西太后って宮崎アニメの恐くて強い婆ちゃんのイメージだよな。
昭和天皇にも似てる。戦争に負けたのに国民に崇敬され続けたところとか。

626 :世界@名無史さん :2005/10/21(金) 00:39:09 0
>>624
この本のイメージの西太后をアニメの人物に例えると、そうだな、
イデオンのハルル・アジバとフォルモッサ・シェリルを足してニで割ったってかんじかな。
俺的には。


11 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:37:18 0
西太后=湯婆婆 坊=光緒帝

12 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:39:32 0
北進事変の際に米兵にレイプされたって本当?
本当ならあんなババァをレイプした米兵に感心するが・・・

13 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:42:41 0
満更法螺でもなさそうだね。
これが万一本当なら、珍妃を殺させたのも関係あるのかも。


14 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:45:23 0
西太后は列強兵士の姿すら見てなかったと思うぞ。
レイプなんて出鱈目。

15 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:47:19 0
西太后は謎が多すぎる。珍妃殺害の理由だって全然納得できない。
だから浅田次郎の小説のように珍妃殺害否定説が出てくる。


16 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:47:46 0
西欧人にとっちゃアジア系ってのは年齢よりかなり若く見えるらしいからな。

17 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 01:02:40 0
そのうえ美容と不老への執着は半端じゃなかったというし。

18 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 01:04:39 0
西太后が60歳当時の絵は40代くらいに見えるよ。


19 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 01:09:49 0
ウクライナ美人首相44歳に萌えてしまった漏れなら
西太后とやれるかも。
おふくろより年上だが。

20 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 01:33:40 0
最近新書がでたよね
読んだ香具師はいないの??

21 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 08:14:53 0
この板の 中国史って同じことの繰り返しだねw
に新書「西太后」の紹介があるよ。

608 :世界@名無史さん :2005/10/17(月) 01:09:01 0
西太后ブームらしいんで俺も引用。

実際、現代中国人の歴史意識の原点は、一つ前の中華民国を飛ばして、清朝にある。
現代中国の領土、民族構成、地域区分、言語、生活文化などは、清朝の遺産である。
現代中国の国家戦略を一言で要約すると
「世界における中国の存在感を、西太后以前に戻すこと」
に尽きる。

609 :世界@名無史さん :2005/10/17(月) 01:13:36 0
たとえば領土問題もそうだ。
中国人は、尖閣諸島(中国名「釣魚島」)や台湾、香港、新疆、チベットなどを中国固有の領土と主張する。
その理由は、それらの地域が清の版図に含まれていたと彼らがアプリオリに信じているからだ。
今日の中国人に向かって、明の時代にはチベットも台湾も中国領ではなかったのだから、
とか、元の時代にはバイカル湖あたりまで領土だったのにどうしてロシアにそれを主張しないのか、
などと言っても無意味なのである。


22 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 08:15:38 0
610 :世界@名無史さん :2005/10/17(月) 01:18:53 0
中国の経済発展の目標も、実は、清朝が心情的基準になっている。
十九世紀初め、中国の推定GDP(国内総生産)は、当時の全世界の総生産の三分の一を占めていた。
(ポール・ケネディ『大国の興亡』)これは、現在のアメリカ合衆国が世界経済で占めるシェアにほぼ等しい。
実際、一部のエコノミストは、中国が二十一世紀末までに自国の経済規模を全世界の三三パーセントまで戻すことは十分可能であると考えている。
(原文では「戻す」に傍点)

611 :世界@名無史さん :2005/10/17(月) 01:23:26 0
さらに根元的なことをいえば、実は、今日的な意味での「中国」という概念が初めて誕生したのも、西太后の時代だった。
それ以前は、天下とか中原という漠然とした概念しかなかった。
「中国」「中国人」という明確な概念は、西洋や日本の砲火の洗礼から生まれたものなのである。
その意味で、国民(ネーション)としての中国人は二百年の歴史を持つアメリカ人と比べてさえずっと若く、
国民国家形成のマグマがいまだに煮えたぎっているのである。

23 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 09:19:13 0
ポール・ケネディの言ってることはあたりまえなような。
だって19世紀初めは世界の人口の三分の一が中国人で、しかも西洋とアジアの
GNPの差がなかったんだから。
これが中国人が清朝を基準にすることにはつながらないと思うね。
現在の世界人口は65億、中国の人口は13億だから、20%程度しかない。

24 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 10:03:22 0
>>23
いまだに満州・朝鮮・台湾・国後・択捉を持つ日本が
本来の日本だと思っている奴がいるだろう。


25 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 12:03:22 0
樺太と千島モナー

26 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 15:42:21 0
>>24
朝鮮、満州はもちろん、台湾ですら赤字経営だった、と教えてあげれば
9割の人は千島と南樺太を含む日本が本来の日本、って5秒で鞍替えするよ。

27 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 19:54:35 0
>国民(ネーション)としての中国人は二百年の歴史を持つアメリカ人と比べてさえずっと若く、
>国民国家形成のマグマがいまだに煮えたぎっているのである。
という指摘はなかなか面白いね。
これが事実なら21世紀は大変な世紀になるな。


28 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 07:56:23 0
もう大変なことになってる気がする。


29 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 09:11:23 0 ?#
日本の周りは民族主義に狂った愛国馬鹿ばっかで嫌になる。
そんな連中がニホンサヨクとグルになって「日本は右傾化!」だもんな。
臍が茶を沸かすぜwww

30 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 09:39:24 0
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121018125/qid=1130027675/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-1093808-1776302
西太后―大清帝国最後の光芒 中公新書 加藤 徹 (著)

内憂外患にあえぐ落日の清朝にあって、ひときわ強い輝きを放った一代の女傑、
西太后。わが子同治帝、甥の光緒帝の「帝母」として国政を左右し、死に際し
てなお、幼い溥儀を皇太子に指名した。その治世は半世紀もの長きにわたる。
中級官僚の家に生まれ、十八歳で後宮に入った娘は、いかにしてカリスマ的支配
を確立するに至ったか。男性権力者とは異なる、彼女の野望の本質とは何か。
「稀代の悪女」のイメージを覆す力作評伝。

これほど面白い歴史書は久しぶりに読んだ。
例えば、西太后が宮中に入る「選秀女」の描写など、「後宮小説」を彷彿とさせ
る面白さ。人間ドラマを描いてページをめくる手を止めさせない面白さとともに、
清朝という高度に発達した政治システムが非常に洗練された后妃選考システムを
持っていたという「忘れられた歴史」を摘示するという歴史書としての役割もき
ちんと果たしている。
特に、中国の最高権力者が権力の集中を避けるために、有力な部下を失脚させては
復活させるという「手法」を西太后が確立したという指摘は新鮮だった。著者は、
毛沢東によるケ小平の失脚−復活の繰り返しは、西太后が用いたものとまったく同
じ手法であると指摘している。

現代では西太后=悪女という固定観念がまかり通っているがこの本はそうした固定
観念を打ち破るような事実が丁寧に述べられており俗説とはかなり異なった真の西
太后像を示してくれる。この本で述べられている「現代中国人の気質は西太后統治
時代に形作られた」という考えは非常に斬新かつ説得力のあるものだった。中国人
の反日感情や領土問題などについて新たな視点を与えるもので、中国史に興味のあ
る人だけでなく現代の中国のそういった問題について考える際にも非常に有益な内
容だと思う。


31 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 09:43:20 0
「溥儀、おいで。
 何と小さいのぢゃ!
 私は西太后だよ。
 此の城には大昔から住んでいる・・・」
 『ラスト・エムペラア』より


32 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 09:46:36 0
溥儀は西太后を見て恐くて泣きじゃくったとか。


33 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 10:54:24 0
西太后の実像とは異なる偏見が強い理由について。

・異民族の満州族だから
・儒教道徳では通常支配者になりえない女性支配者だから
・実質的に清朝最後の権力者だから(清朝破綻の原因にされる)
・中国最後の王朝権力者だから
・日本にとっては日清戦争での敗北側最高権力者だから

どれも全然西太后自身の手腕とは直接関係がない。


34 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 13:03:15 0
>>33
西太后のイメージが悪いのは完全に李翰祥監督と中国共産党、売国サヨクマスゴミの責任だろ
人間の手足を切って壺に漬けるような「残虐な為政者」を好きになる奴なんかいない


35 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 13:17:37 0
台湾では西太后の人気って高いのか?

36 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 13:22:09 0
西太后の時代に沿海州と台湾を失ったわけだが(他は租借)、どちらも
清としてはほとんど価値のなかった土地。
日清戦争までは西太后は戦争嫌いだったから、これくらいの土地で
争いが収まるなら安いものと考えていたんだろう。

37 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 13:32:10 0
>>35
台湾の権力中枢に居た連中は、加藤用語を借りて言えば、
傾きかけた清朝を支えた「漢人保守本流」の流れを汲むものだから、
ある一定の思い入れはあるかも。でも多分すごくドライ。

38 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:04:45 0
西太后は若い頃遊べなかったから、おいしいものを食べるかきれいなべべを着るかくらいしか、
人生の楽しみを知らなかったろうな。それとあと人に奢り倒して尊敬される遊び。
咸豊帝が彼女に性の悦びを与えることが出来たとはとても思えない。
そんな彼女を逞しいイギリス男性たちが寄ってたかってその隆々としたペニスで貫いたのだから、
彼女の驚きはいかばかりであったことか。翻弄され、揉みしだかれ、
もはやどちらが上になっているのかすらも分からなくなるほど自我を失った彼女は、
その時初めておんなとして開花したのではないか?
溢れ出る歓びは信じられないほど大量の愛液の奔流となって永定河を潤し、
深い愉楽に立て続けに意識を失ってはすぐさま、
女禍が万古の昔に味わったかのごとく激しい快楽に無理矢理覚醒させられ、
全身はひっきりなしに泰山の鳴動の如く痙攣し、
しまいに仰向けにがくんがくんとのけぞりながら彼女は、
うわごとのように満漢とぎれとぎれの拒絶とエクスタシーの呪詛を吐き、
それからやにわに雷鳴に打たれたのごとく全身を硬直させ、
しばらく彫像のごとく固まっていたんだろう。

39 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:16:13 0

列強は、西太后をストロング・ウーマンとして認定した。
                   「西太后」P251

40 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:19:46 0
>>38
らぶらぶな話だなあ。

ディアゴスティーニ「西太后」には豊富に写真が載っているが、
若い頃の写真はマジ可愛いぞ。

41 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:23:45 0
彼女の一行の荷物と人員は、二十二両に達した。
西太后と光緒帝のため、それぞれ二両ずつ皇室専用の高級車両があつらえられ、
駅舎も美しく改装された。
北京では西太后の帰還を迎えるために、町中を色とりどりの提灯と、花のように結んだ赤い布で飾った。
西太后の目に触れそうな建物の壁は、修繕され、化粧直しされた。
そうした化粧直しに要する工事の見積もりの記録が残っている。
紫禁城の午門から正陽門の橋の牌坊(櫓門)までだけで一二万九〇〇〇両余(約六十五億円)と算定された。
北京全体の工費は、算定不可能である。     P253

42 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:27:06 0
光緒二十七年十一月二十八日(一九〇二年一月七日)、西太后は北京に戻った。
沿道には、西太后の豪華な行列を見ようと、北京市民や外国人が集まった。
それはまるでお伽噺のような光景だった。       P254

43 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:29:01 0

北京の頤和園に戻った西太后は、一転して西洋文化に夢中になった。
彼女は、良い意味でも悪い意味でも、きわめて女性的であった。
                          P256



44 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 14:33:26 0
このあたり、若い頃から愛欲に溺れ、ポニャトフスキみたいなポラックの馬鹿に引っかかって啓蒙思想という「パンドラの箱」(by池田理代子)を開けてしまったエカテリーナU世とはちょっと違う。
晩年立ち直ったエカテリーナと、晩年愛に生きた西太后。
対照的な女性カリスマのふたりだったといえるだろう。

45 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 16:03:31 0
>>44
庶民文化に最も影響を与えたというように、西太后の贅沢は清の人々の
誇りだという視点も忘れちゃいけない。


46 :デコ:2005/10/23(日) 22:26:49 O
美食家だったらしいね
あと太くて長いペニスをもった男を探しまわってやりまくったらしいね

47 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 23:20:11 0
>>46
それは始皇帝のママンだよw

48 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 23:52:30 O
彼女は珍しく読み書きができた。当て字はあったそうだか。萌え〜

49 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 00:13:01 0
国家の危機にあって質素倹約できなかったのも悪い、
変法自強を潰してしまったのも悪い。
しかし一番最悪なのは、義和団事件を引き起こしてしまった事だろ。
それでも総督達が清朝を見捨てなかったのは、
それだけ清朝が巨大で、衰えても力を持っていたということだね。

50 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 00:49:28 0
>>49
それはかなり一面的な見方だな。
確かに西太后は贅沢だったが、人口比と国富から考えて、日本の皇室の
十数倍の贅沢をしないとバランスが取れない。
義和団にもし清軍が加勢しなかったら、列強はともかく、漢民族の
蜂起がずっと早期に増えていたことだろう。


51 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 01:36:03 0
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20051021201.html

赤ちゃんを「イーベイ」でオークション。男子40万円。女子18万円
あきれ返ってものも言えない。

中国の上海警察は現在、『イーベイ』の中国サイトに掲示された
「赤ん坊」のオークションについて捜査している。
 この「出品」は掲示後すぐに削除されたが、関連情報が捜査当局に
提出された。
 複数のメディアが報じたところでは、男の子には2万8000元(約40万円)、
女の子には1万3000元(約18万円)の即決価格が付けられていたという。
この値段の差には、男の子が好まれるという中国の昔からの傾向が反映
されている。出品ページは、生後100日以内の赤ん坊を届けることを保証
していた。


52 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 04:22:23 0
不謹慎だが宣伝文ちょっと読んでみたいな。

ごらんのとおり蒙古班も鮮やかな漢民族の赤ちゃんです!
あなた好みに躾けて楽しい時を過ごすも良し、食材としても一級です!
寸法:高さ40cm、重さ5000g程度、ノークレームノーリターンでお願いします。
今なら送料当方負担、(国内のみ、航空便での発送は行っておりません)
さらにおまけに哺乳瓶と産衣、紙おむつ一週間分お付けします! Σ(;´Д`)

53 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 10:15:09 O
史実で乳児一番殺したのは日本人

54 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 10:41:10 0
>>51
 ひでー話だ!
 昔の満州の、いわゆる日本人残留孤児のなかにも、赤ちゃんのとき
商品として転売されたりした子が多いのだろうか?

55 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 11:40:40 0
「王朝って続いても300年だよね」の投稿番号121に、
西太后からの引用あり。↓

 そもそも中国には、一つの王朝の平均寿命は二百数十年という経験則
があった。建国当初は人口も少なく、農民一人あたりの農地面積も広い
が、太平が続くと人口が増加し、一人あたりの可耕地面積も激減する。
一人あたりの農地面積が四畝(約24アール)を切ると、人民は最低限の
食糧の自給も不可能になる。
(中略)
王朝は行き詰まって滅亡する。そしてまた次の新しい王朝が始まる。
そのサイクルは、おおむね十世代、二百数十年であった。

加藤徹『西太后』中公新書165頁−166頁

56 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 19:04:30 0
慈安もしくは他・宮女が慈禧よりも先に太子を生んでいれば、
またこれ違った展開になっていたかも。


57 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 21:46:40 0
>>55
つまり、加藤氏はアヘン戦争の頃に当然清は滅んでいたはずなのに、
西太后の手腕で清が持ちこたえたと主張したいわけだな。
まったく同感。


58 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 21:51:44 0
慈禧に諂いおって!


59 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 23:43:24 0
だって西太后萌えなスレですからね。

蘭児萌えって言うほうがいいかな。ちなみにランちゃんは纏足じゃないよ。


60 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 23:45:15 0
映画の続・西太后のVCD/DVDは何故入手困難なんだ?
同治帝の梅毒がいけないのかコン・リーが過去を封殺しようとしているのか、どっちなんだ?

61 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 23:49:21 0
映画ではランちゃんが珍妃の手足を切り落として飼っていることになっているのかな?


62 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 07:37:52 0
1902年、西太后が纏足禁止令を出す


63 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 07:39:13 0
西太后は英語だとXitaihouと書くみたいだね。
シタイホウと読むのかな?
さすがシタイホウダイ。


64 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 09:01:22 0
西太后は愚女の代表格だというに、
何しに以て今さら擁護して遣る必要があろうか?

痴れ者ドモの板ぢゃなう!!!



65 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 10:19:27 O
↑時代遅れ

66 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 11:34:57 0
>>61
達磨女説は珍妃じゃなく、西太后と同じ咸豊帝の貴姫の麗姫じゃなかった?
珍妃の話は八カ国連合軍から逃げる際に足枷になるから井戸に放り込んだ説だった
と思う。

>>63
Xi taihou シータイホウ

>>65
つっても正当に人物評価しても肯定できるシロモノではないと思いますが。

67 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 15:46:35 0
西太后は愚女の代表格だというに、
何しに以て今さら擁護して遣る必要があろうか?

痴れ者ドモの板ぢゃなう!!!

65番!
時代遅れのド阿呆は己れぢゃワエーッ!!!




68 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 16:25:50 0
>>66
>>貴姫の麗姫じゃなかった?

貴「妃」の麗「妃」だったと思いますよ、たぶん。

69 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 16:50:58 0
嬪→貴人→貴妃→皇貴妃


70 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 16:51:46 0
孝欣顕皇后慈禧はヌルハチ愛新覚羅族が慈禧の家系 エホナラ族
との部族抗争でエホナラを倒した際、エホナラの酋長が
「エホナラに女一人でも生き残ったら、必ず愛新覚羅を倒す」
と呪って絶命した。そのリベンジで現れた事は、「西太后」
で、咸豊帝が玉蘭(慈禧)に初めて出会う場面でも有名じゃ。
             

71 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 22:08:11 0
↑根も葉もないウソ


72 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 22:13:43 0
GYAOのドラマ くだらないと思いつつもついつい見てしまう魔力がある

73 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 05:45:41 0
GYAOで西太后のドラマやってるの?


74 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 15:13:40 0
GYAOって何ですか?

75 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 17:02:48 0
ぎゃお!

76 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 21:40:53 0
女性が表舞台にしゃしゃり出て来る時は、出自が曰く付きというのはよくあ
るけど、正当に歴史を伝えるのなら、西太后を語る時の場合にエホナラ氏と
ニコイチの様に付けるのは止めた方がいいよなぁ。
氏族は関係なく、まったく西太后個人の生い立ちや資質の問題だから。
とは言っても清朝の過程を知る上でエホナラ氏を省く事は出来ないし。
教科書等では、女真統一の過程まで知る必要も無いんだろうけど。

なんつっても、エホナラという響きがいかにも悪役のような感じで、イメー
ジ付けに便利なのかな。でも、そんな事言ったら満洲氏族名なんて悪役みた
いなのばかりだし。
清朝史は確実に面白いのに。
スマソ。何書いてるんだかなんだかよく解らん。

77 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 21:53:49 0
世界で一番大金持ちは イェフォー イェフォー イェフォナラー

78 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 21:56:09 O
ロープレになれば、確実にボス級

西太后

79 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 22:53:18 0
http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0000602/
清王朝に名を残す女傑、西太后の生涯
清王朝末期、長きに渡って権力を維持し続けた女傑、西太后の生涯を
描きます。キャストには「康煕王朝」の斯琴高娃、「ラストエンペラー」
の朱旭などが配され、名優たちの競演もお楽しみいただけます。


80 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 01:14:40 0
無料か。暇があったら見よう。

81 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 06:49:09 0
エホナラはエホが地名でナラが氏族名だからエホのナラさんっていう意味
だって聞いたけど、正しい?

>西太后側近の方が、『太后は急に外国人嫌いになり、絶対に目通りを許さなくなった』
  と、言っていました

これは逆だよね。義和団以前は外国人と外国文明毛嫌いしてたけど、義和団で
思い知って、それからは紫禁城に外国公使夫人招いて一緒に写真とったりして
仲良くするようになった。

西太后レイプネタって胡散臭すぎ。『西太后統治下の中国』の著者が堂々と
自分は西太后の愛人だとホラ吹いてたみたいなもんじゃないの。
あと墓を暴かれて死姦されたとかいう話もあるが、生きている時でも
しわしわ婆さんなのに、死んでミイラになったようなのとやろうなんて
やついないだろ。



82 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 17:58:28 0
寺田隆著『紫禁城史話』(中公新書)では、西太后についての俗説的と
いわれてる、エホナラの呪いについては否定なく書かれてるね。
咸豊帝の遺詔で「懿貴妃が不埒な行いを起せば殺せ、云々」と残したと
も書いてあるし。

ヌルハチの正室がエホ氏で、それがとんだ曲者だった事で、エホ氏から
皇后を出してはならぬというのが、ヌルハチ自身の遺言だったとか、
なんか他にも俗説読んだ覚えがあるけど、どれだったか失念だ。

83 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 19:21:45 O
加藤氏は完全否定

84 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:11:12 0
西太后は
「せいたいこう」
「せいたいごう」

どっち?

85 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:50:47 0
>>81
そんなに単純じゃないかもね。
本当に米兵にレイプされてたら、確かにその直後は欧米人を近づけないだろうが、
その後アメリカの外交官が礼を尽くして西太后と面会し、本来ならアメリカに
取られるはずの莫大な賠償金(今の価値で言えば兆単位だろう)を辞退すると
言われれば西太后も悪い気はしないだろう。

86 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:57:25 0
西太后が「悪女」と言われる理由として、よく海軍費の頤和園流用が
指摘される。しかしよく考えるとこれはおかしい。清仏戦争で苦労した
西太后がわざわざよりによって海軍費を流用しなくても、他にいくらで
も金頤和園の整備をする金などあったはずだ。
で、実際いくつかの本にあたると、李鴻章の北洋軍閥を弱体化するため
わざと海軍費を削ったという指摘が出てくる。漢人官僚である李の力が
強くなりすぎると、日本に負けなかったとしても国内が分裂したり清が
倒される危険があった。
高度な政治判断だったわけだ。


87 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 21:19:09 0
>>86

それは、考えすぎ。単に、流用先が、たまたまたっぷりあった海軍予算だっただけ。

88 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 21:45:16 0
>>87
ということは、西太后は清仏戦争から何も学ばなかったということか……。

ところでもし西太后が海軍費流用してなかったら、
清は日清戦争で勝ってただろうか?

89 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 21:53:15 0
加藤徹いわく、

西太后が海軍の予算に目をつけ、これを横取りしたのには、三つの理由があった。
一つは、北洋水師が事実上、李鴻章の軍閥であったことである。海軍力を増強することは、
とりもなおさず李鴻章の政治的発言権を増強させることであった。そこで西太后は、
海軍経費を頤和園に流用することで、李鴻章の権力を抑制したのである。
(略)
三つ目の理由は、防衛予算を削ることで、国内の主戦論を押えることであった。


90 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 23:34:46 0
>>84
せいたいこう

91 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 06:13:38 0
姉妹スレ 清末の満州族と愛新覚羅一族について

【落日】満洲旗人すれ【清朝末期】 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1096778327/l50
ラストエンペラー溥儀の5人の夫人達 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1128932437/l50
【悲劇の清朝王女】川島芳子について【男装の麗人】 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1042167850/l50

92 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 06:15:13 0
女子高生ストーカー脅迫事件
http://music5.2ch.net/test/read.cgi/musicjg/1126700852/778-921

93 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 06:32:09 O
姉妹というより親戚

94 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 07:19:00 0
ぎゃおの中国のドラマ見てココに来ました。
康煕王朝とこの西太后は面白い。
西太后は余分な男女の恋が絡ませてあるが
素人なので初めて知った清朝の社会風俗が多くわかりやすくて興味深い。
西太后って言われるほど悪女かと思ってみてたが
それほど悪く描かれて無い。
意外と実像はこんな感じに近いかもと思った。
袁世凱は出てきたが李鴻章はまだ出てきてない…よね。

もしドラマが歴史とはっきり違うところがあれば誰か言ってね。

95 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 21:34:38 0
>>89
その辺りのところ、実際に史料に書かれてる訳では
ないので本当に西太后の意図がそうなのかどうか・・・。
加藤徹の新書は従来とは逆に西太后を評価しすぎの
向きはあると思う・・・。


96 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 21:50:11 0
別に加藤氏独自説というわけではないよ。
以前から同様の説はある。

http://www.warbirds.jp/kiyochan/kansoza05.html
装甲砲塔艦「鎮遠」
この北洋水師は清国の予算によって建設されていますが、同国の実力者李鴻章Li Hung-changの
私設軍隊と言った存在でした。ために、1884年の清仏戦争で福建水師がフランス艦隊に撃
滅された時にも、最大の兵力を持っていた北洋水師は出撃せず、見殺しにしています。
清国は、両国間の緊張が高まっていたにもかかわらず1888年から戦争の始まるまでの6年間
の間、1隻の軍艦も建造しませんでした。それどころか、西太后は李鴻章が用意した砲弾等の準
備金を、当時、海軍予算に含まれていた土木建築費として流用、北京郊外に頤和園と言う庭園を
建設します。これは満州出身の西太后が漢人である李鴻章の勢力が強まることを好まなかったか
らとも言われ、李鴻章も自らの地位を失うのを恐れて逆らおうとしなかったのです。

97 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:17:46 0
>>96
それが何に拠っての説なのか気になる。

98 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:50:54 0
12万重火器明軍が1万足らずの弓矢八旗軍にサルフででコテン
パンにされたのも、そんな内部の駆け引きや足の引っ張りあいが
原因だしね。
末期のザマなんてそんなものなのでしょう。
日清戦争に勝ってたか?というIFは成り立たない。

99 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:53:41 0
しかし、西太后で検索すると、どこも加藤徹氏の著書内容に
一新されてる感じだね。
これって凄い事だよね。
反論する著書が出ると、また面白いんだけど。

100 :國歌齊唱:2005/10/28(金) 23:15:46 0
大清帝國國歌「頌龍旗」

於斯萬年、亜東大帝國
山嶽縱横獨立幟、江河漫延文明波
四百兆民神明冑、地大物産博
揚我黄龍帝國徽、唱我帝國歌
http://vm.rdb.nthu.edu.tw/cwm/music/midi/cwm716.mid

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